もう一度あなたに会うために

1979年5月1日



朝、リビングに行くと父と母が話をしていた。

内容は…

夜中に電話が鳴った話。

兄は工業高校に行ったが、バイクに乗ったり

夜も帰らなかったり…

いわゆる不良だった。

夜中に電話が鳴ったのは、警察からだったらしい。

兄を保護したと言われ、父が迎えに行ったとのこと…

こんな兄のことに対しても母は、すごく心配をしていた。

兄は、私とは違う後悔をしていたのだろう。



あと3日で、母は倒れる。



そう思いながら一日を過ごした。

学校に行き朝練をして授業を受け、またクラブに行き家に帰る。



当時の祝日は、5月3日憲法記念日。

5月5日は、こどもの日。

現在のみどりの日は無く、飛び石連休だった。



5月3日は親戚が来て、夜みんなでごはんを食べた。

わいわいと楽しい1日を過ごしたが

私の心は、明日のことでいっぱいだった…。

明日は、母が倒れる日。

私は、本当にあの日取った行動をとれるのだろうか。

母を助けたいという気持ちがないわけではない。

でも、57歳の私の幸せのために、同じ行動をとるしかない。

そう考えながらいつの間にか眠りについていた…



翌日、父に起こされ目が覚めた。

父が「お母さんの具合が悪いから、先生を呼んでくる。お母さんをみていて」

私は寝ぼけながら「わかった」と答えた。

当時の私は、今日学校だったと気付いて

朝練に行かないといけないと思い、支度を始めた。

母の具合が悪いと言っても、風邪程度のものと思っていたから。

母はその後、起き上がり普段着ないブラウスに着替えトイレに行った。

後でわかったことだが、母は脳溢血で倒れ、その後トイレで二度目の発作をおこしていたのだ。

その後は、意識不明。

3日後の7日に亡くなった。



これから、その出来事が始まる。

母が助かれば、過去は変わるかもしれない。

そうすれば、これから起こる長く苦しい過去もなくなるかもしれない。

でも、目をつむれば「あの人」の笑顔が浮かぶ。

過去が変われば、「あの人」に会うことは出来ないかもしれない。



そう考えているうちに

母は起き上がり、余所行きのブラウスを着始めた。

「おかあさん、大丈夫?」

と母に尋ねるが、母は何も言わない。

これから母はトイレに行く。何とか止めなければ…

でも、どうやって止める?私の力で止められるのか…

兄は、昨日から帰ってないから、一人だ。

そう考えている間に、母はトイレに行ってしまった。

私は、トイレを開けることもできずに、ただ立ちすくしていた。



父が帰って来て、「お母さんは?」と聞かれ

「トイレに行ったよ」と答えるしかできなかった。

結局、母は近くの病院に運ばれた。



それからのことは、あまり覚えていない。

私には結局…後悔しかなかった。



5月7日の朝。

病院に行くように言われ、母のそばに行く。

母の意識はそのまま戻らず、息を引き取った。

最後に母の目から涙がこぼれた。



苦しくて苦しくて…

一度目の人生よりも苦しかった。

また、助けられなかった…



でも、薄情な私は

これで良かったんだという気持ちも大きかった。

「あの人」に会うためだ。

そう、思うしかなかった…



私は、これから起きる壮絶な人生に

立ち向かえるのか不安になった。
母が亡くなって、父も私も生活が変わり大変だった。

最初は、父が頑張って夕食を作っていたが、メニューを考えるのも大変だったので

夕食セットを頼むことにした。

それなら、レシピもあるし私でも作れると思った。

気持ち的には、主婦歴40年以上なんだけれど…

13歳の私には、手が思うようにならない。

過去に戻るまでの私は、慣れっこだった包丁も、うまく使えなかった。



父は次第に帰りが遅くなっていった。

一人で夕食を作り、食べる日々。

兄は高校を中退し、仕事もせず遊んでいた。

ある日、学校から帰り兄の部屋をのぞくと

新聞紙の上に髪の毛がごっそり置いてあった。

驚いたけど…

昔、こんなことがあったな…と思い出した。



確か…この後に兄が帰って来てあまりに可笑しなことを言うから

慌てて父に電話したんだった。

それから、私が夕食を作っていると兄が帰って来た。

過去の通り、兄の髪の毛はツルツル坊主になっていた。

部屋の髪の毛は自分で剃ったあとの残骸だったのだ。



それから、夕食のきんぴらごぼうを作り、味見をしていた時

兄が、のっそりと部屋から出てきて

「美味しい?」と気持ち悪い笑みを浮かべて言ったのだ。

兄とは会話もなかったし、そんなことを言ったこともないのに…

あまりに様子がおかしかったので、本当は叫びたかったが

怖くて声が出なかった…

それから、私は過去の通りに父に電話をする。

「お兄ちゃんがおかしい。すごく気持ち悪いの、早く帰ってきてー」と言った。

父が帰るまで、家にいるのが怖くて、私は外に出て待った。

この時の兄は、シンナーでおかしくなっていたのだ。

過去にもう一度、経験しているのに、やっぱり怖いんだな…



それからの兄は、どんどんおかしくなっていった。

友達と学校から帰り、家の前で喋っていると

兄が急に窓を開けて、シンナーでボケた顔で

ゆっくりと頭を下げ、またゆっくりと窓を閉めたり

私は恥ずかしくて…

こんな日がいつまで続くんだっけ?と考えた。

過去の細かいことは覚えていない。



でも、過去ではこの後で、

父が親戚に相談をして精神病院に入れようという話になったような気がする。

それがいつなのかは、分からないが

このままいけば、いつかそうなると信じるしかない。

本当に何もかもが過去の通りになるのか…

それも分からなかったけれど…

とにかく成長して大人になって「あの人」に会うんだ。

私を支えていたのは、そのことだけだった。



この気持ちを、ずっと持ち続けることにも不安はあったが

私が強く思っていなければ叶わないから。



それから数か月たって、精神病院に入れると言われた兄は

しびれてシンナーを止め、親戚の中華料理店で働くことになった。



あと何年、分かっている過去をやり直さなければいけないのかな…

私はまだ13歳…

「あの人」に会うまで、あと26年…
中華料理店で働いた兄は、叔父と喧嘩をして辞めてしまった。

でも、シンナーに手を出すことはなく

車に興味をもつようになっていた。



帰りの遅い父、兄も家にいない。

寂しかったけれど、自由な毎日…

14歳になった私は、次第に学校からの帰り誰もいない私の家で集まって

みんなでタバコを吸ったりするようになっていた。

クラブも辞めてしまい、パーマをかけたり

服装も変わっていく。



そんな時、私は同級生に恋をした。

そして告白され、付き合うことになった。

凄く…凄く嬉しかった。

それなのに、私がタバコを吸うのを嫌った彼の言葉で彼のことを嫌になる。

未来でも、彼とはずっと友達で

友達の中でも特別な存在なのに…

彼と、ずっと付き合っていたらどうなっていたのかな…

と、何度も考えたことがある。

だから、未来の私は中学生の頃に戻りたいと思っていたのだ。

別れたいと言ったのは私だった。

どうせ私の人生は、これから

苦しい道のりになると分かっている。

このまま、別れなければ楽なんじゃない?

心が揺れる。



でも、今でも目を閉じると浮かぶのは

「あの人」だ。

人生が変わってしまったら、会えなくなるかもしれないのだから…

これから辛くなると分かっていても

私は行動するしかなかった。



それからの私は、先輩と付き合ったり

たまたま知り合った年上の人と付き合ったり

夜遊び、家出、学校からの保護者呼び出し…

友達と二人で先生を監禁。

どんどん荒れていった。

気持ちは大人なのに

恥ずかしい気もしたが、

今の自分は子供で…

根拠の無い自信だらけの不思議な感覚。

それはそれで楽しい毎日だった。



そして、15歳になった私に待ち受けていたのは受験。

学校も休んでばかりだったし

授業に出ても教科書を開いていない。

勉強も途中から、まったく分からなくなっていた。

それでも受験しなければならなくて、受験先を決めた。

私立を2校受けるが、不合格。

それは知ってた。

これから私は、定時制の高校を受験する。

そして受かることは分かっていた。

受験の2日目に、担任から電話があった。

「私立高校に繰り上げ合格したから、そっちに行かないか

定時制に行っても4年も行くようなんだぞ、

辞める子も多いから、3年生の高校に行った方がいいと思う」

と言われたが、私は定時制の受験を受けた。



人生には、こんなにも決断を迫られる時が来るんだ…

苦しかった。

高校が違っていたら、人生は変わってたのかな…

過去に戻って人生をやり直すという話はよくあるけど

人生を変えないようにやり直さなければいけないのは

ホントにキツイな…



それでも私は、変えない選択をした。

これから、私の人生を辛くする

出会いがあると分かっていても…



「あの人」に会うために…

私は選択を変えたりしない。
15歳の春

私は定時制の高校に入学した。

定時制といえば、夜間に学校に通うイメージだが

その学校は、朝から昼までの通学だった。

朝の通学は、全日制の生徒と通うから世間的には定時制とは分からない。

ほとんどの友達は、午後からバイトに行くが

私は家に帰って家事をしていた。

友達のバイトが休みだと遊びに行く。

同級生と付き合ったり別れたり…

そんな毎日が続いていた。



秋…

私は、人生を左右する出会いをする。

その日が刻々と迫っていた。

この出会いが無ければ…と何度も後悔した。

今でも人生を振り返ると涙が出るほどに辛い過去。

でも、その人生を乗り越えたから

57歳の私は、幸せだったのだ。

だからこの出会いを、57歳の私は

後悔していなかった事を思い出していた…



ある夜、親友が訪ねて来る。

それがきっかけで元夫と出会うことになるのだ。



その日は、定刻通りやってきた。

夜、親友が突然家に来た。

親友の家は複雑だったが…

「聞いて、ずっと叔母さんだと思っていた人が、お父さんの愛人だった」

泣きながら言って来た。

そうだった。この話は私も衝撃だったからよく覚えている。

私もその叔母さんには、何度も会ったことがあるから

ショックだった。

親友が落ち着いてから

「遅くなったから、いつもの所まで送っていくよ」

近くの病院まで送っていって、またそこで話し込んでいた。

「何してるの?」

外車から降りて来たおじさんが話しかけて来た。

「いえ、べつに」

それから色々話をした。

おじさんは、その病院に入院していた。

事故で入院しているらしいが、元気そう。

その病院は、そういう病院だった。

「外車に乗ってみない?」

親友はすぐ

「乗ってみたい」

私は大丈夫か?と思っていたが

あっという間に話は進み、車に乗り込むことに…

わかっていることだが、今の心だと

思うことはいっぱいだ…

何をしてんだか…



それから、私たちは隣の町に行った。

そこで、私は別の車に乗ることとなる。

運転手がいないすきに、偽名を使おうと思っていたけど

そんな暇もなく

「じゃ、行こうか。ゆうこちゃん」

そう言いながら運転手が戻ってきた。

親友が私の名前を喋ったのは、二度目の人生も一緒だった…



その運転手が、元夫だった。

そこからなぜか、おじさんは消えていて

親友も違う車に乗せられていた。

一緒に喫茶店に行って4人で話をした後

別行動になった。

私は、元夫が寝泊まりしている

マンションに向かった。

顔は怖いが…

そんなに悪そうな人でもない。

そう思ってしまった私は、彼と一夜を共にした。

その頃の私は、子どもだった…

顔の怖い外車に乗ったお兄さんを

格好いいと思っていたのだから…



私、16歳。元夫、23歳の出会いだった。
元夫と出会った翌日

夕方、親友から連絡があった。

親友のお父さんは、刺青も入っているような怖い人だったので

外泊したことを怒られると察知した友達は

髪の毛を黒に染めて帰って来た。

殴られるかもしれないから一緒に帰って欲しいと…

帰ると、やはりすごい剣幕で

「すぐ坊主にしろ!」と怒鳴るお父さんに

勇気を出して「やめて下さい」と言うと

「お前には関係ない」と怒鳴られた。

分かってはいたのだけれど…

人間って、とっさに同じ行動を取るのだと驚いた。

許して貰えることも分かっていたので…

必死に泣きながら頼んだ。

坊主にはしない代わりに、罰として親友は田舎へ行かされることになった。



親友に別行動になってから、どうしていたのかを聞くと

親友は、昨日会った男の人とホテルに行ったけど

後から別の男の人が現れ、覚せい剤を打たれたそうだ。

そうだった…

すっかり忘れていた…

考えてみたら親友の過去を変えても、私の過去に影響はないのではないか…

後悔したが後の祭りだ…

40年以上前のことだと忘れていることも沢山あると悟った。



友達が田舎に行かされている間に

私と元夫との関係も進んでいた。

元夫は、顔も怖いし暴力団ではないかと思っていたが

某右翼団体の行動隊長だった。

そんな人と付き合うことになった私は

学校に外車で迎えに来られることに

優越感を感じていた。

調子に乗っていたのだ…



それから、数か月後

私は妊娠した。



16歳の私には、どうすることもできず

二人で話し合い、中絶することにした。

それも分かっていたが、こうするしかなかった。

病院は、中絶でも保険をきかせてくれるという

怖い病院だった。

中絶した後、何度も激痛が襲い病院に行った。

その時、彼は私を抱えて病院に連れて行ってくれた。

モルヒネを投与してもらい

何とかなったが、私は家に帰れなくなっていた。



心配した父は、私の荷物の中に

産婦人科の診察券と、元夫の右翼団体の名刺を見つけ…

慌てて捜索願いを出していた。



事務所に警察から連絡があったので

慌てて家に帰った。

私は18歳未満

県条例違反…

元夫は逮捕と言われたが

右翼団体に出入りしている

刑事さんの計らいで穏便に収めて貰った。



身体も落ち着いていき

穏やかな日々が続いていたある日

夜、車でウロウロしていた私たちは

職務質問を受けた。

車の中には、木刀やら危険なものが沢山ある

元夫だけ警察署に連れて行かれた。



ついにこの日がやって来た…
その日

私は車の中で一人で待っていた。

警察署に連れて行かれた元夫が、帰って来ることは分かっていた。

一度目の人生では、何が起こっているのか分からなくて

不安でしょうがなかったのを覚えている。

でも彼は、思った通り帰って来た。

本来ならそのまま逮捕されるところなのだが

事務所との話で

二週間後に出頭するということになったという。



それから、毎日一緒に過ごした。

けれど、ある日

元夫は「逃げよう」と言って来た。

それからは

知り合いの家を転々をして…

どれくらいの月日が経った頃だろうか

父が心配して警察に捜索願いを出していた。

結局、事務所の人達に見つかってしまい

帰ることになった。

それから

元夫は出頭した。

罪名は、覚せい剤取締法違反。



これも、すべて分かっていることだった。

自分の中で、大人の私の気持ちと

子どもの気持ちが混ざり合って

すごく複雑だった。

くずな人だったけど

私は、元夫を愛していた。



だから、私は一度目の人生と同じように

一生懸命に元夫に尽くすと決めた。

それがあったから

「あの人」に会えたのだから

頑張ろう。



こうして、私と元夫は離れ離れになった。

警察署にいる間は、面会できなかったが

拘置所に移ってから

初めて、面会に行った。

最初は、分からないので

事務所の人と一緒に行った。



大きな門の横の小さな門から入り

まず、荷物検査がある。

それから受付に向かう。

受付で面会する人の名前を書き

自分の名前や住所を記入して

提出すると番号札を貰える。



番号札の番号が放送されたら

「〇番の部屋に入って下さい」

と言われるので部屋に向かう。

部屋に入ると

真ん中に仕切りがあって

丸の中にブツブツと穴があいていた。

一人だと10分、二人だと20分になる。

面会は、被告人一人に対して

1日1回と決まっている。



面会室での彼との再会。

決して触れることのできない部屋。

そして彼の方には

刑務官がいて、面会内容をひたすら書いていた。

一緒に行った人がいたから

思うように話せなかった…

それでも、久しぶりに会えたことは

すごく嬉しかった…



私は、ずっと学校を休んでいたので

進級できないと言われ、高校を中退した。

だから…

毎日面会に行った。

最初は午後に面会に行ったが

午後は、暴力団関係の人が多く

16歳の私は、ジロジロ見られたり話しかけられたりするので

午前中に行くことにした。

私以外の人が面会に行きたい時は

連絡を貰って一緒に行く。

暫く、そんな日々が続いた。



そして、裁判の準備のために

初めて

元夫の父と母に会った。

生きている父と母に会うのは何年ぶりだろう。

複雑だった…

元夫は、若い頃に交通事故を起こしていて

執行猶予中だったので

今回の刑に、執行猶予の残りが追加される。



情状酌量の証人として元夫の父と私

そして、出所後の仕事先の社長が

出廷することになった。



そして、裁判の日がやってくる。
初公判

初公判に出廷した元夫は

髪を坊主にしていた。

ロープを腰に回され、手錠を掛けられていた。

手錠は、公判の席に座る前には外されるが

その姿を見るのは、悲しかった…



元夫は罪名については認めていたので

後はいかに刑を軽くするかにかかっていた。

執行猶予期間が残っていたので

実刑は免れない。



初公判の日

元夫の父が情状酌量で証人出廷した。

「犯行に気付かなかったのか」

「出所して、ちゃんと見張ることが出来るのか」

等、色々聞かれる。

それと、出所後の仕事も決まっているということで

ある会社の社長さんに出廷して貰った。

帰ってからの仕事の内容や、同じく

覚せい剤に手を出さないように見張ることは出来るか

等聞かれていたが、社長はしっかり答えてくれた。

終わりに、次回の公判日が発表される。

3週間後だった。



公判が終わってから、元夫の両親と一緒に面会をした。

父は「情けない…こんなことは二度としたくない」

と元夫に言った。

元夫は「すまない、もうしない、大丈夫」と答えていた…



面会で差し入れをする時

本は検閲される。

当然、手紙も全部検閲される。

スエットパンツの紐は、自殺防止で抜かなければならない。

差し入れする物はすべて書かなければいけない。

食べ物は差し入れできない。

たまに宅下げといって持って帰って欲しいものを

本人が頼んでいる時は

宅下げ願いを出す。

持って帰った本の、最後のページには

検閲したという紙が貼ってあった。

色々とルールがあったな…

普通はこんなことを経験することは無いので

思い出すまでに時間が掛かった…

面会をするまでは楽しくて仕方なかったけれど…

帰る時には寂しくて悲しくて

何ともいえない気持ちになる…



裁判で弁護士が必要になるが

お金がないと私選弁護士は頼めない。

そんな人のために国選弁護人制度というものがある。

当番弁護士という制度もあるので

当番の弁護士が公判にあたってくれる。

当然、うちも国選弁護人にやって貰った。

だからといって適当にやる弁護士さんはいない。

刑が軽くなるように、しっかり考えてくれた。



3週間後

2回目の公判で、私は証人出廷をした。

一度目の人生で、検事に色々言われて悲しかったことを覚えている。

二度目の人生でも

「被告が覚せい剤をしていたのを気付かなかったのか」

「未成年のあなたと、ふしだらな関係を持っていた」

「未成年のあなたに被告を見張ることは出来るのか」

など、本当に色々言われた。

本当に気付かなかった…

本当に知らなかった…

悲しかったが、そんな暇もなく

その日に結審し

検察から1年半の求刑があった。



それから2週間後

ついに判決の日が来た。

1年の実刑。プラス6か月の執行猶予期間が加算された。

ただ未決拘留の算定が30日あったので、その分マイナスされる。

これで1年5か月は帰ってこれないことが決定した…

判決後、2週間以内に控訴しなければ

2週間で刑が確定される。

確定すると被告から受刑者に変わり

受刑者として仕事をするようになる。

それまでは、毎日面会に行けるので

私は、毎日面会に行った。



一度目の人生は、これからどうなるのか

と不安だった…

でも、私は知っているから

大丈夫…

元夫の父と同じように

二度とこんな思いはしたくないと

思っていたのにな…



それから2週間後

刑が確定した。
確定すると

面会は月に1回になる。

確定したのが、月の中頃だったので

その月は、もう一度面会することが出来た。

時間も30分になる。

受刑者になると家族しか面会できない。

私は家族ではないが、「内妻」として

元夫が登録していたので

面会することが出来た。

面会の申し込み表に関係を書く欄があり、

今までは友人と書いていたのだが

「内妻」と書く。

それだけでも嬉しかった。

面会に行くと

今までは普段着だった元夫の姿は

作業着に変わっていた…



翌月も面会に行った。

たった30分の面会。

帰りは本当に寂しくなる。

私は、寂しさを埋めるためとお金を稼ぐため

近くのスーパーの中の

靴屋さんでアルバイトを始めた。



その翌月、バイトが休みの時に

面会に行き、いつも通り受付で名前を書いて出すと

少しして受付の人に呼ばれた。

「もう刑務所に移ったらしい」

「何処に行ったんですか」

「それは、教えることは出来ないんだよ」

毎日面会に行っていたから

受付の人とは仲良くなっていたので

頼み込んでみた。

そしたら、「内緒だけど隣の県に行ったよ」

と教えてくれた。



たまたま、その日は田舎から戻っていた親友と

面会に行っていたので

その足で一緒に行くことにした。



電車で隣の県まで行った。

まず、場所が分からない…

本当は知っているんだけど…

親友の手前、知らない振りをした。

スマホがあれば、行きかたなんてすぐわかるのに…

と思ったが、この時代にそんな物はない。



駅を降りて

すぐそばにある派出所に行った。

「〇〇刑務所はどうやったら行けるのですか」

恥ずかしかったけど…

丁寧に教えてくれた。



そして…

辿り着いた2度目の人生、初めての刑務所。

親友には入口の待合室で待って貰い

私だけ中に入った。

受付をして

暫くして名前を呼ばれ

面会室に入ると

そこは小さな部屋に

机と椅子があるだけ

拘置所みたいに真ん中に遮る物がなかった。

そばには、やっぱり刑務官の人がいるけれど

話をしながら手を握ることもできる。

古い刑務所だからだろう。

本来なら、本人が手紙を出して

移ったことを知らせるようになっていたので

元夫は驚いていた。

たった30分の面会なのだが

その日は親友に話を聞いて貰い、ウキウキして帰った。



それから、バイトが休みの日に

月に1回、面会に行く生活が始まった。

手紙もできるだけ書いて出した。



ある日、面会に行って

刑務官の人に「時間だぞ」

と言われて、立った瞬間

元夫がキスして来た。

びっくりしたけど…

嬉しくて

一人でニヤニヤしながら帰った…



その時は、元夫を愛していたから

1度目の人生の時も

すごく嬉しかったのを覚えている。

その日はバレなかったけど

次の面会の時には見つかってしまい

後で、刑務官の人にめちゃくちゃ

怒られたって言ってたな…

もうするなと注意されたと…

普通なら懲罰ものだけど

許して貰ったと言っていたことを思い出した。



その後、級があがると

面会は月2回になり…

真面目につとめていた元夫は

外の養豚場に作業に行くようになったので

平日の面会が出来なくったとして

異例だが、日曜が面会時間となった。



日曜日もバイトがあったので

午前中休みを貰い、面会をした後で

バイトに出るという生活を続け

数か月した頃…



元夫の父から連絡があった。
元夫の父からの連絡

元夫の父が身元引受人になっていたので

出所の日が決まったと通知があったとのことだった。

1か月後に出所してくる…

出会って5か月で離れ離れになって

1年半後、やっと自由の身になって帰ってくる。

満期から1か月前に仮出所となった。



私は元夫の両親と迎えに行った。

本当に本当に嬉しかった…

これも分かっていることなんだけど…

しかも、これからが大変なのも分かっている。

何とも複雑だったけれど…

抗うしかなかった。

私、17歳。元夫24歳。



仮出所で出ると、まず行かなければいけないのが

検察庁…

担当の検察官に会って面談をする。

そして、保護観察官の人に会うのだ。

満期まで保護観察官の人と定期的に会わなければいけない。

それを済ませると

やっと二人きりになった…

その日は二人の時間を過ごし…幸せだった。



元夫は、もともと所属していた某右翼団体に戻った。



その頃、私の家は兄の彼女が一緒に暮らすようになっていて

私は、兄の彼女と仲が悪く

私が家のことをしないと、すぐ兄に言いつけられ

ひどい時は兄に怒られ、気が付くと

まな板等で殴られたこともあった。

だから…家にいるのが嫌だった私は

元夫の家に泊まって、帰らなくなっていた。



そのうち、元夫の家も居づらくなり…

元夫の家を出て、同棲することにした。



某右翼団体では、他の仕事を始めていたので

それを手伝う名目で、一緒に事務所に行き過ごしていた。

それから数か月して

妊娠したことに気が付いた。

けれど、私はそれに気が付かず

風邪薬を飲んでいたのだ。

風邪薬の内容を書いてもらい

産婦人科に持って行って診察してもらった。

「奇形の子どもが生まれる確率はある。奇形の内容にもよるが

指が多い場合は切り取れば良いけれど、少ない場合はどうしようもない。

奇形が出ない場合もある。生まれてみないと分からない。

よく考えて決めて下さい」

と言われた。

元夫と泣きながら話し合って…

産むことにした。



結果は分かっているから私に産まないという選択はない。

長男に会えない人生は考えられない。

絶対に産む。



それから、入籍をした。

長男は、思った通り

五体満足で生まれて来た。

ただ、子どもに黄疸が出ていたので

退院は遅くなったけれど…

無事に退院して、子どもと過ごす日々…

幸せだった。



元夫は、某右翼団体に行かなくなって

暴力団の人と付き合うようになっていた。

いつの間にか、暴力団に入っていて

若い子も家に出入りするようになり

私は、いつの間にか「姉さん」と呼ばれるようになっていた。

元夫は刺青は入れなかったが

刺青の彫士の夫婦が暫く泊まっていることもあり

目の前で刺青を彫るのを見ることもあった。

家の中は、どんどん変な雰囲気になっていった。



長男はすくすくと育っていった。

安い所に引っ越しをて環境が変わると思ったが

変わらなかった。



ある日

元夫が「暴力団のオヤジの元から逃げたい」

と言い出した。

何があったのか分からないが…

私たちは荷物を車に詰め込み

後のことも考えず、家を出た。



私19歳。元夫26歳。長男1歳半。

これから、私たちがどうなるかも

分かっている。

それでも、私は「あの人」に会うまで

耐えるしか道はなかった…