勇気を振り絞った告白の先で、あと一歩が踏み出せなかった片想いは両想いになり、私達の関係はより深い信頼を持って交わり合った。
 信じようとした自分への感謝と私を好きだと言ってくれた往人さんへのありがとうの気持ち。
 それを胸いっぱいに感じた幸福なクリスマスだった。

 その翌日は往人さんの誕生日、私達は初めてのデートに繰り出した。
 
 思い出の砂浜で初めてのキスを交わし、かけがえのない楽しい思い出を刻んでいった後、私は往人さんを寮室に招待した。

 お別れが名残惜しくなってしまった故に起きた衝動的な行動だった。

 いつの間に私は少しの間でも手放したくないほど、こんなにも往人さんを好きになってしまったのだろう。

 信じられないことに、少し離れて、距離を感じただけで胸が苦しくなって耐え切れなくなってしまう。
 
 ”どこに行ったの?って寂しさのあまり悲鳴を上げて、泣き出しそうになる。

 こんな想いを抱えてしまった私は愛しさのあまり数えきれないくらいキスを繰り返し、ギュッと身体を温め合って、往人さんの肌の感触も匂いも全部覚えてしまう勢いで強く抱き締めた。
 そうしなければ、その後に訪れる一時の別れがやって来た時に、平静を保てなくなると思った。

 だって、その時の私は性というものに対してあまりにも疎かったから。

 性欲というものが人間が子孫を残すために体に備えられた仕組みであることは知っている。

 生理がどんな意味を持つのかも知っている。それでも、自分の身に起こっている変化に対応することが出来なかったのだ。

 私は往人さんと出会い、好きになりキスやボディタッチをする中で異性との関係の中で経験のなかった性的興奮を覚えた。
 
 これをどのように受け止め、制御していけばいいのか、そのことを考えると酷く曖昧で恐ろしくもあり、オキシトンやプロラクチンの分泌量の感覚的増進を感じることは、私の中で息づく、往人さんを好きであるという気持ちをさらに証明させるものだった。



 私がシャワーに入り、火照った身体と敏感になった感覚器官を正常に戻して寮室に戻ると、往人さんの気配がまだ部屋の中に存在していることに安堵した。

 消えて残像となってしまうことなくそこにある安心感。
 私は往人さんに近づいていき、往人さんが今、何を視ているのかを想像した。
 そうして、壁に掛かった砂絵(サンドアート)を眺めていることを感じ取った。

 往人さんの回答でそれが正解であると分かった時、往人さんが私を色のある姿として見えているように、私の場合は心の眼で往人さんのことが視えているのではという錯覚を覚えた。

 それから私と往人さんは自分達と砂絵との間に秘められた不思議な関係を明らかにすることになった。

 私の人生を変えた砂絵が亡くなった往人さんの母親の描いたものであるという真実。

 父の想いを私は改めて知ることになり、大切にしてきた一枚の砂絵を通して私と往人さんは赤い糸で結ばれているような運命的な関係まで見えてきたのだった。


 
 その後、私と往人さんとの交際を親しい人から順にカミングアウトしていく流れになった。
 父には砂絵の一件もあったので改めて報告の必要はなかったので、最初に喫茶さきがけの従業員の皆さんに報告していくことにした。

 フェロッソが同行するのはもちろん、往人さんとも手を繋いで入店すると華鈴さんが鼻息荒く早速近づいてきて、口を開く前に手厚い歓迎で迎えてくれた。

 お互いの右手薬指に付けたペアリングにも敏感に反応して甲高い奇声を上げてくれる始末。

 私は目の前に立つ華鈴さんに”ケーキ美味しかったです”と嬉しさいっぱいに笑顔で報告した。華鈴さんは”この寒い季節に熱々な二人を見せ付けられてお姉さん胸がいっぱいよ!”と喜んでくれた。

 往人さんは早々に従業員の皆さんにお付き合いを知られてしまい、必死に茶化されるのに抵抗して、終始照れた様子をしていた。
 
 仕事仲間の男同士だとつい下ネタも出てしまうようで私は少し距離を取ってすっかり上機嫌になった華鈴さんの相手をした。

 長い付き合いだった華鈴さんに無事、報告を終えて、”末永くお幸せに”と別れの挨拶をされ家に帰ると、私は電話で静江さんや恵美ちゃんにも報告を済ませた。
 
 以前から好意を持っていることを知られていたのもあって、ようやく結ばれたのかと感想を持たれ、私は一つ肩の荷が下りた気分だった。

 こうして大きな転機を経て私は年末年始の多くを往人さんと過ごした。

 2025年が終わりを迎え、60年に一度巡ってくる干支(えと)の一つ丙午(ひのえうま)の2026年がやって来た。

 聞くところによると、丙午には江戸時代以降、迷信があって、女性は気性が激しくなり夫の命を縮めたり、男を食い殺してしまうなど物騒な話があって、出生率が低いなんて話があるらしい。
 でも、令和の時代にそれを覚えている人もごく僅かであることから、迷信は迷信として深く考えないようにすることにした。