蘇芳が座敷に手をついた。
「朝からずっと駆けずり回っていたからな。休ませてもらえてありがたい」
蘇芳はすっかりくつろいだ様子で足を崩している。
(本当に全然私に気づいていないんだな……)
無防備な姿をさらしている蘇芳は、まるで幼い少年のようだ。
(十年前と変わらない笑顔……)
そんな蘇芳の様子に、寧々子は思いきって口を開いた。
「あの、蘇芳様のところに人間の花嫁が来たって……」
「ああ、よく知ってるな」
「え、ええ。結構噂になっています」
「そうか。まだ公表はしていないが。人の口に戸は立てられないな」
蘇芳は気を悪くした風もなく、口の端に笑みを浮かべている。
もう少し切り込んでも大丈夫そうだ。
「に、人間の花嫁って珍しいですよね。もしかして、お知り合いとか……?」
寧々子はさりげなく、十年前のことをほのめかしてみた。
「いいや」
考えるまでもなく、あっさり断言される。
(全然覚えていないんだ……。そうだよね、あんな昔のこと……)
寧々子は勇気を振り絞り、更に踏み込んだ。
「その……花嫁さんはどんな方なんですか?」
心臓が大きく跳ねて、蘇芳の顔を見られない。
(ドキドキする……)
「さあな。ほとんど話していない」
蘇芳の目が遠くなる。
「な、なんで話さないんですか? 花嫁ですよね?」
「人間は信用できない」
「そんな……」
寧々子はおろおろとした。
蒼火が話していた蘇芳の過去の傷は今もなお、くっきり残っているのが見てとれた。
「で、でも、ここの和菓子職人さんも人間です。人間、って言ってもいろんな人がいます」
「そうだな……」
蘇芳がくすっと笑った。
「この国では人間を積極的に受け入れているし、共存していくつもりはある」
蘇芳が羽織をポンと叩いて見せた。
「たとえば今日は着物だが、昨日来ていた洋装は人間界から友好の印として贈られたものだ。あれはあれで動きやすくていい」
「そうなんですね……」
洋食もそうだが、蘇芳は人間界のものをちゃんと取り入れている。
「とはいえ洋装を着るのは、人間界と盟約を結ぶアピールの一つだ。だが、本当に人間に気を許すことはできない」
「そ、そんな……!」
寧々子の愕然とした様子に、蘇芳がふきだした。
「おかしな奴だな。なぜそんなに人間をかばう? 人間に可愛がられて育ったのか?」
「……」
人間界で、寧々子もつらい目に遭ってきた。
家族ですら、愛情を疑う時もある。
でも、最初から壁を作られているのは悲しい。
「そうじゃなくて……せっかく嫁入りしてきたのだから、最初から疑うんじゃなくて……」
うまく言葉にできない。
何を言っても、自分をかばうような気がしてしまう。
そもそも、自分は正体を偽って蘇芳と話しているのだ。
要は欺いているに他ならない。
(確かに、これじゃ信用されないわ……)
ふう、と蘇芳が息を吐いた。
「花嫁といっても形だけだ。親の借金の返済のためにここに来たらしい」
蘇芳から見ると、そうなってしまうのか。
それも事実だが――。
寧々子はぽつりとつぶやいた。
「きっとその方、寂しいと思います」
「そうだな……」
蘇芳が素直に認めたので、寧々子はお面の下で目を見張った。
「あやかしばかりのこの国で心細いだろう」
蘇芳が目を伏せ、考え込む。
「本当は俺が寄り添うべきなのだろうな……」
「……っ」
蒼火の言っていた言葉は本当だった。
(確かに、優しい人だわ。蘇芳様は……)
蘇芳が金色の髪を大きくかきあげる。
「俺は未熟者だな。心を許すのが怖いのだ。またひどく傷つけられるのでは、と身構えてしまう」
過去に何があったのが詳しくは知らないが、蘇芳が心に大きな傷を負っているのが伝わってくる。
「げ、元気だしてください! 蘇芳様は頑張っておられます! 一日中国を守るために尽くして――」
寧々子はいたわるように蘇芳を見つめた。
蘇芳の大きな背中が、なぜか小さく頼りなく見えた。
「少しずつ……でいいんじゃないでしょうか! ちょっと声をかけるとか、一緒の時間を作るとか……」
「そうだな。仕事を言い訳にしてしまっているな……」
ポンと頭に手がのせられる。
「ありがとう、ミケ。おまえといるとホッとする」
包み込むような優しい目に、寧々子はドキドキした。
「そ、それならよかったです!」
「おまえといると元気が出るな」
ふっと蘇芳が笑む。
「早く事件が解決すればいいな。三毛猫の御利益をくれ」
そう言うなり、蘇芳は寧々子の頭を撫でる。
「ご、御利益?」
「福招きの猫だろう、三毛猫は」
「は、はいっ!」
みけねこ――なんだか本名の三池寧々子を誉められた気がして嬉しかった。
(お面を被っているだけで、こんなに自然に楽しく話せる……)
(王とあやかしという関係だったら)
(私は私なのに)
(うまくいかないな……)
いっそ、お面をとってしまいたい衝動に駆られる。
でも、そうしたら、この幸せなひとときが一瞬で壊れてしまう。
寧々子は膝の上でぐっと手を握った。
「朝からずっと駆けずり回っていたからな。休ませてもらえてありがたい」
蘇芳はすっかりくつろいだ様子で足を崩している。
(本当に全然私に気づいていないんだな……)
無防備な姿をさらしている蘇芳は、まるで幼い少年のようだ。
(十年前と変わらない笑顔……)
そんな蘇芳の様子に、寧々子は思いきって口を開いた。
「あの、蘇芳様のところに人間の花嫁が来たって……」
「ああ、よく知ってるな」
「え、ええ。結構噂になっています」
「そうか。まだ公表はしていないが。人の口に戸は立てられないな」
蘇芳は気を悪くした風もなく、口の端に笑みを浮かべている。
もう少し切り込んでも大丈夫そうだ。
「に、人間の花嫁って珍しいですよね。もしかして、お知り合いとか……?」
寧々子はさりげなく、十年前のことをほのめかしてみた。
「いいや」
考えるまでもなく、あっさり断言される。
(全然覚えていないんだ……。そうだよね、あんな昔のこと……)
寧々子は勇気を振り絞り、更に踏み込んだ。
「その……花嫁さんはどんな方なんですか?」
心臓が大きく跳ねて、蘇芳の顔を見られない。
(ドキドキする……)
「さあな。ほとんど話していない」
蘇芳の目が遠くなる。
「な、なんで話さないんですか? 花嫁ですよね?」
「人間は信用できない」
「そんな……」
寧々子はおろおろとした。
蒼火が話していた蘇芳の過去の傷は今もなお、くっきり残っているのが見てとれた。
「で、でも、ここの和菓子職人さんも人間です。人間、って言ってもいろんな人がいます」
「そうだな……」
蘇芳がくすっと笑った。
「この国では人間を積極的に受け入れているし、共存していくつもりはある」
蘇芳が羽織をポンと叩いて見せた。
「たとえば今日は着物だが、昨日来ていた洋装は人間界から友好の印として贈られたものだ。あれはあれで動きやすくていい」
「そうなんですね……」
洋食もそうだが、蘇芳は人間界のものをちゃんと取り入れている。
「とはいえ洋装を着るのは、人間界と盟約を結ぶアピールの一つだ。だが、本当に人間に気を許すことはできない」
「そ、そんな……!」
寧々子の愕然とした様子に、蘇芳がふきだした。
「おかしな奴だな。なぜそんなに人間をかばう? 人間に可愛がられて育ったのか?」
「……」
人間界で、寧々子もつらい目に遭ってきた。
家族ですら、愛情を疑う時もある。
でも、最初から壁を作られているのは悲しい。
「そうじゃなくて……せっかく嫁入りしてきたのだから、最初から疑うんじゃなくて……」
うまく言葉にできない。
何を言っても、自分をかばうような気がしてしまう。
そもそも、自分は正体を偽って蘇芳と話しているのだ。
要は欺いているに他ならない。
(確かに、これじゃ信用されないわ……)
ふう、と蘇芳が息を吐いた。
「花嫁といっても形だけだ。親の借金の返済のためにここに来たらしい」
蘇芳から見ると、そうなってしまうのか。
それも事実だが――。
寧々子はぽつりとつぶやいた。
「きっとその方、寂しいと思います」
「そうだな……」
蘇芳が素直に認めたので、寧々子はお面の下で目を見張った。
「あやかしばかりのこの国で心細いだろう」
蘇芳が目を伏せ、考え込む。
「本当は俺が寄り添うべきなのだろうな……」
「……っ」
蒼火の言っていた言葉は本当だった。
(確かに、優しい人だわ。蘇芳様は……)
蘇芳が金色の髪を大きくかきあげる。
「俺は未熟者だな。心を許すのが怖いのだ。またひどく傷つけられるのでは、と身構えてしまう」
過去に何があったのが詳しくは知らないが、蘇芳が心に大きな傷を負っているのが伝わってくる。
「げ、元気だしてください! 蘇芳様は頑張っておられます! 一日中国を守るために尽くして――」
寧々子はいたわるように蘇芳を見つめた。
蘇芳の大きな背中が、なぜか小さく頼りなく見えた。
「少しずつ……でいいんじゃないでしょうか! ちょっと声をかけるとか、一緒の時間を作るとか……」
「そうだな。仕事を言い訳にしてしまっているな……」
ポンと頭に手がのせられる。
「ありがとう、ミケ。おまえといるとホッとする」
包み込むような優しい目に、寧々子はドキドキした。
「そ、それならよかったです!」
「おまえといると元気が出るな」
ふっと蘇芳が笑む。
「早く事件が解決すればいいな。三毛猫の御利益をくれ」
そう言うなり、蘇芳は寧々子の頭を撫でる。
「ご、御利益?」
「福招きの猫だろう、三毛猫は」
「は、はいっ!」
みけねこ――なんだか本名の三池寧々子を誉められた気がして嬉しかった。
(お面を被っているだけで、こんなに自然に楽しく話せる……)
(王とあやかしという関係だったら)
(私は私なのに)
(うまくいかないな……)
いっそ、お面をとってしまいたい衝動に駆られる。
でも、そうしたら、この幸せなひとときが一瞬で壊れてしまう。
寧々子は膝の上でぐっと手を握った。