「威嚇射撃を繰り返せ! それだけで充分だ!」

 シグルドは声を張り上げる。兵の大半を失って敗走しているのだ。しかも相手は未知の兵器を使用され、混乱を極めている。威嚇の射撃だけで充分に効果はあるだろう。
 
 全滅させる必要はない。寧ろ兵を皆殺しにした方が、和平協定を結んだ後が大変だ。三国の治安維持まで行う必要が出てくるかもしれない。そんな余裕は、今の帝国には無い。
 流石にそれをもエルラフィア王国に任せるなど、議会も言うまい。

 そして数日後には、三国の軍勢は国境を超える。エルラフィア軍は、戦車を前面に押し出し国境を固めて、陣を築いた。

 その間、議会では和平交渉に及ぶ為の条件をまとめていた。一番は、賠償の額であろう。その次は領土の割譲か、労働力の提供だろうか。
 いずれにしても、議会は戦勝気分に浮かれている。そんな中、トールとシルビアだけが、この先で起こり得る可能性を懸念していた。

「トール殿、連絡が繋がりました」
「あ、あ、聞こえているか? シグルド殿」
「聞こえています、トール殿」
「此度の事は、誠に申し訳ない。完全に私の力不足だ」
「いや、お気になさらず。寧ろ、使者の件は私から願い出るつもりでした」
「それでは、貴殿の身に!」
「いいえ。ペスカ様や冬也なら、同じ事をしたはずです。そして、どんな理不尽が降りかかろうが、それを払い除けるでしょう。私も同じく有りたい」
「それでもだ! シグルド殿が命を賭ける場所では有るまい! 私も同席させて貰える様に、もう一度議会に願い出る!」
「いいえ。私を信じて待っていて下さい。トール殿は帝国の守備を」

 歯痒い想いを噛み締めて、トールは通信越しに頭を下げる。どうか無事であって欲しいと、心から願う。その願いが神に聞き届けられる様に、更に祈る。
 通信が切れると、その瞳からは涙がこぼれていた。

「トール殿……」
「いや、見苦しい所をお見せした」
「いいえ。シグルド様の事をお考え頂き、誠に感謝致します」
「そんな大層なものじゃない。悔しいだけだ。さて、やる事は山積みだ」
「えぇ。お手伝いします」

 それは、ほんの少し与えられた平穏なのかもしれない。国境を境に軍が睨み合っているとはいえ、再び戦端が開かれるとは考え辛い。

 そして、本陣の中ではシグルドを中心として、クラウスとシリウスが和平交渉について話し合いを重ねていた。

「流石に近衛隊長殿お一人に任せるのは、些か……」
「卿に何かあれば、国家の大事となるのは理解しておられるか?」
「充分に理解しております。それと、私にも考えがあります」
「考えとは?」
「メイザー卿、ルクスフィア卿。お二人も、この状況で三将が動かないのが、不自然だとお考えではないのですか?」
「少なくとも、グラスキルス王国は三国と国境を接している。サムウェル将軍が動かない理由が見当たりませんな」
「モーリス将軍にケーリア将軍もだ。彼らはペスカ様と親交の深い人物だ。先の賢帝が掲げた平和構想の理解者でも有る」
「それは、グラスキルスを含めた三国にも神の手が伸びていたと、考えられないでしょうか?」
「それならば、彼らがこの侵略に介入して来なかった理由としては充分ですな」
「だとして、卿は如何する? 東方の平定まで見越しているとでも?」
「ペスカ様なら、そうするでしょう。神の思惑を挫き、大陸に平和を取り戻す。それが、ペスカ様の意思を継ぐ事にもなりましょう」

 確かにペスカならそうする。クラウスとシリウスはシグルドの言葉に頷くしかなかった。そして、シグルドは話しを続ける。

「それに、国境沿いに来てはっきりと理解したんですが」
「近衛隊長殿、理解したとは?」
「神の気配です。それも禍々しい神の気配」
「それは、賢帝を抹殺した神か?」
「いえ、それとは違う気配です。しかし、禍々しさは似ています」
「まさか! それがわかっていて、乗り込む気ですか?」
「えぇ。これを止められるのは、今は私しかおりません!」
「それは、私には神に抗う力がないと言っているのか?」
「はい。正直に申し上げます。ルクスフィア卿では、役不足でしょう」
「それならば、私は役立たずも良い所ですね」
「申し訳有りません、メイザー卿。しかし、貴方は軍師です」
「すみません、愚痴を言いました」
「だが、フィロス卿とて無事では済むまい!」

 クラウスの言葉に、シグルドはゆっくりと頷く。その瞳は、確固たる覚悟を決めた者の目で有った。
 言葉を失ったクラウスとシリウスに、シグルドは説明を続けた。

 一番肝心なのは、最悪を想定する事。それは、交渉が失敗に終わり、シグルドを含む近衛隊が全て殺される事だ。
 如何に最新鋭の兵器と言えど、神に通用するとは思えない。そうなれば、撤退をするしかない。

 彼の悪神が帝国で行おうとしたのは、帝国の壊滅だ。それは帝国人全ての命を消す事も、意味していたはずだ。
 それが半ばに終わり、それを引き継いだ神が隣国の三国を巻き込んで行おうとしているなら、更なる大量虐殺が行われるであろう。

 そうなる前に、せめて帝国の人々をエルラフィア王国に逃がさねばならない。

「それを前提に、ルクスフィア卿とメイザー卿は帝都へお戻り下さい。そして、陛下にご奏上下さい」
「わかった。卿に従おう」
「ルクスフィア卿?」
「仕方あるまい。フィロス卿は覚悟を決めておられる。この頑固者の意思を変える事など、私には出来ぬ」
「ご無事で、とは言えませんね。それなら、次は地獄でお会いしましょう」
「卿なら地獄ではあるまい。英雄シグルドは、現人神にもなるかもしれん」
「ご冗談を。では、お二方共ご無事で」
「あぁ」
「はい」
 
 そうして、シグルドは近衛兵を連れて国境を超える。国境沿いに配置していた戦車は、帝都へと戻っていく。それと同時に、三国の兵も自国の中心へと戻っていく。
 
 平和交渉の場所は、侵攻してきた三国の中央に位置する国、その国境近くの町だ。その街に近付けば近付く程に、禍々しい気配は強くなる。
 近衛兵の中には、その気配に耐えきれず膝を折る者も出てくる。

「皆、気をしっかり持て! 我等はラフィスフィア大陸を守る盾だ! ここで挫けてなんとする!」

 シグルドは近衛兵を拳ながら、前進を続ける。そして、町に辿り着いた所では、一人の兵が待ち構えていた。

「オマチシテオリマシタ、コチラヘドウゾ」

 その兵は全く表情を変えず、抑揚のない話し方でシグルドに声をかけた。もう、間違え様もない。

 シグルドは、町の外に近衛兵を待機させると、一人で案内の兵に続く。町を見渡すと人影が見当たらない。『戦時中だから警戒している』のとは訳が違う。帝都の洗脳と違って、屋内にも気配が見つからない。

 禍々しい気配は、濃密な瘴気へと変わっていく。そこは、もう人が住める場所ではない。ただの地獄だ。

 そして、案内された場所には、三国の代表は揃っていなかった。それどころか、人間と思える者は誰一人として存在していなかった。

 そこには、二人の男が立っているだけ。そして、ここまで案内して来た兵は、砂の様に崩れ去る。

「おうおう。一人でやって来るとは、根性があるじゃねぇか」
「言ってる場合か、アルキエル。こ奴が我等の計画を邪魔したのだぞ」
「それなら、どうするよ?」
「当然、この場で消すに決まっている」
「なら。お前がやってみろ、グレイラス」
「当たり前だ。ゴミを片付ける程度、造作もない」
「そうか! なら、見ていてやるよ」

 濃密な瘴気を振り払おうと、全身のマナを巡らせているシグルドを嘲り笑うかの様に、二人の男達は話し込んでいた。
 やがて、アルキエルと呼ばれた長身の男が、ドカッとその場に腰を降ろす。そしてグレイラスと呼ばれた能面の様な表情の男は、少し口角を上げる。

「神罰の時間だ」