妹と歩く、異世界探訪記

 光が消えても、冬也は暫く身動き一つ取れずにいた。それも仕方有るまい。なにせ玄関の扉を開けたら、見知らぬ光景が広がっていたのだから。
 それが一瞬の出来事で、直ぐに見慣れた風景に戻ったのなら、白昼夢か何かだと思うだけだ。しかし、一向に見知らぬ風景は目の前から消えてくれない。

 こんな時、普通の人ならばどういった行動を取るのだろう。ドッキリだと思い、隠しカメラを探すのだろうか。それとも慌ててスマホを取り出して、電波が通じるか確認するのだろうか。はたまた、「やったぜ異世界! これからチート能力でやりたい放題だぜ!」と意気揚々に探索を始めるのだろうか。

 恐らくどれも違う。人はそんなに上手く頭を切り替えられない。異質な状況に、直ぐさま対応する事は叶わない。只々呆然とし、現実逃避をするだけだ。

 何せ目の前に映るのは、見慣れた住宅街では無い。鬱蒼とした森の中だ。勿論、自宅が辺鄙な場所に有るわけではない。一応は東京都で、閑静な住宅街に存在する普通の家だ。自宅を出たら森の中なんて、あり得る訳がない。
 何度も瞬きしても、目の前の風景は変わらない。そのあり得ない事態は、冬也のキャパシティーを超えていた。

 もしかして現在のVR技術なら、この有りえない現実も可能にするのだろうか。まさか流石にそんな大げさな事を誰がする?
 もし、これが悪戯なら? 例えばペスカが自分に気が付かれずに、VRゴーグルを嵌めたとか。それも有りえない。それなら冬也は気が付くはずだ。

 それとも、これも夢なのか?

 茫然としながらも脳の一部は危険を察知し、異常な程に回転を始める。しかし、一向に脳の処理は現実を把握しきれずにいた。

「・・・ちゃん、・・いちゃん、・にいちゃんってば」

 五分位は経っていただろうか。棒立ちの冬也の耳に声が届く。声が聞こえると共に、段々と冬也の意識がはっきりとしてくる。

「お~い! おに~ちゃん~! おにいちゃんや~い。聞こえてますか~?」
「あ、あ、あぁ! ペスカか? ちゃんと居るのか?」
「居るよお兄ちゃん。さっきからず~と呼んでるのに」

 冬也は未だ身に降りかかった異常事態を、整理しきれていなかった。ペスカの呼びかけには答えていたが、心は現実を拒否していた。
 
 いかに知識が乏しかろうと、誰しもがイチョウや楓の木くらいは見た事が有ろう。だが、そんなありふれた木々は何処にも見当たらない。
 光がほとんど差し込まない森の中には、見た事の無い毒々しい色の実を付けた木々が生えている。周囲を飾る花々は、まるで牙でも生えているかの様に花弁を開いている。

 まさが本当に夢なのか?
 でも、この生暖かく頬を撫でる風が、夢だとは思えない。
 現実か?
 現実に、こんな事が起こってたまるか!

 すこしずつ冬也は現実に引き戻されていく。そして、覚醒した冬也の脳裏を過るのは、ペスカの安否であった。
 明るい声は聞こえていた、だから安全だろう。しかし、この異常事態の中で何が起こっているかわからない。
 冬也はいったん落ち着こうと、深呼吸をする。そして無事を確認する為に、ペスカの方へと顔を向けた。それでも動揺しているのか、冬也の声はやや上ずっていた。

「ぺ、ペスカ! 痛い所無いか? 苦しいところは? 頭とか大丈夫か?」
「平気だよ。ってゆうか平気じゃないの、お兄ちゃんでしょ? 何度呼んでも無視するし」

 冬也はその時、先の出来事を思い出す。玄関を開けたら光が差した。そうだ、玄関はどうした?
 冬也が慌てて振り向いても、有るはずの玄関は消えている。その時やっと、冬也は見知らぬ場所に取り残されている事を自覚した。

「なぁペスカ、玄関無くなってねえか? ってかここ何処だ?」
「う~ん。異世界?」
「はぁ? 何言ってんだペスカ! 異世界なんて有るわけ無いだろ!」
「じゃあ、お兄ちゃんは何処だと思うのよ」
「アマゾンなら行ったことが有るし、アフリカの奥地とか?」
「馬鹿だな~、お兄ちゃんは。こんな変な植物が、地球に生えてる訳無いじゃない!」

 ペスカが指を指した先には、冬也も見た人食い植物に似た異様な植物。だが、呆れるほど呑気なペスカの態度に、冬也は些か疑問を感じた。

「ペスカお前、なんか冷静だな」
「う~ん。お兄ちゃんが役立たずだしね」
「何か隠してるのか? 怒らないから、全部話してみろ」
「あはは、やだな。お兄ちゃんってば、アハハ」
「話す気はねぇのか? でも、場所がわからないなら帰る事もできねぇんだぞ」
「だから、異世界って言ってるじゃない。信じてないお兄ちゃんが悪いんだよ」

 ペスカの言っている事が、冬也には全く理解出来ない。異世界なんて有るはずが無い。もしかすると、冬也が感じていた胸騒ぎめいた予感は、これを示唆していたのか?
 薄々とではあるが、冬也はこの場所から容易に帰る事が出来ないと感じていた。

「まあ、此処にいても仕方ないし、取り合えず森を出るか! そうすれば帰る方法も見つかるかも知れないしな」
「そうだね、お兄ちゃん。レッツ異世界!」
「元気だなペスカ。隠し事は今の内に話せよ。そうじゃ無いと、すげぇ痛いお仕置きするからな!」

 そうは言っても、どちらに進めば良いのだろう。冬也が周囲を見回していると、不意にペスカを静止させる様に手を伸ばす。

「何かいる」

 冬也がそう言った瞬間に、繁みの中からガサガサと音がした。冬也はペスカに目くばせをした後に、気配を消して足音を立てないように繁みに近づいた。
 そして冬也はスッと繁みに手を突っ込むと、音の主を捕まえたのか繁みの中から何かを取り出した。

「ウサギ? それにしちゃあ角が生えてるけど」

 その容姿は地球に存在している物と似ているが、明らかに違う生物だった。グルゥ~と低い声を上げて、鋭い歯をむき出しにしている。頭部には、刺されば致命傷確定と思える程、尖った角が生えている。
 冬也が首根っこを掴んでいる為、襲われる事はなさそうだが、いつでも飛びかかれるとばかりにこちらを睨んでいる。

「いや、流石はお兄ちゃんって感じだけど」
「まぁ、この位は捕まえられねぇと、生きていけなかったしな」
「パパリンのおかげだね」
「おかげとか言うな。それよりこいつ、焼いたら旨そうだな」
「美味しいよ。この辺に生息している小動物だし」
「何にせよ、この角だけは折っとくか」

 そう言うと、冬也はもう片方の手で角を握りしめ、力を込めて砕くようにして角を折った。バキッと大きな音が辺りに響き渡る。

「お~、まさか角ウサギの角を、道具も使わずに折る人は初めて見たよ」
「それなりに握力はあるからな」
「因みに何キロ?」
「右が百位で、左は百二十位は有ったかな?」
「もう、一般人じゃないね。元々、野生児そのものだけど」
「まぁでも、無事なら良いじゃないか」
「お兄ちゃん! 甘い! 甘すぎるよ!」
「何がだよ?」
「だってさ、もうわかってるよね。ここは日本でも地球のどこかでも無いんだよ。お兄ちゃんの常識は通用しないんだよ!」
「それで?」
「だから、お兄ちゃんが今までしてた狩りの方法は一旦忘れてね」
「どういう事だよ?」
「だからさ、この異世界にふさわしい戦い方を、私が伝授してあげよう」
「胡散くせぇなぁおい。お前が教えてくれる戦い方ってのはどんなんだよ!」
「ふっ、青臭いガキに教えてやるのは勿体ないが」
「いいから話せ!」

 それは売り言葉に買い言葉というべきか、それとも単なる悪ふざけが過ぎたというべきか。いずれにせよ冬也は痺れを切らした様に、ペスカの頭を軽く小突く。
 そしてペスカは頭を擦りながら、少し涙を浮かべつつゆっくりと口を開いた。

「魔法って言うのが存在するの。詳しくは後でちゃんと説明するから、取り合えずお兄ちゃんは使える所までやってみて」

 そりゃあ、此処が本当に異世界と言うなら、魔法くらいは存在しても良いだろう。しかし、やれと言われて直ぐに実践出来るものでも有るまい。
 その魔法とやらが実際に出来るのならば、今までだって何らかの形で出来たはずなのだ。十年と少しの人生の中で、命の危機に晒された事は指の数だけじゃ足りない。そんな状況下に有っても、そんな奇跡のような力は発動する事が無かった。

「先ずは集中して! 火の玉をイメージするの」
「火の玉? 何言ってんだペスカ!」
「良いから、言う事聞いて。私を信じて! 火の玉を具体的にイメージするの」

 ペスカの意図が、冬也にはさっぱり理解出来ない。だが冬也はペスカに言われた通り、頭の中で炎の塊をイメージする。ガスコンロの火、燃え盛るたき火、果てや火山から噴き出るマグマ。イメージを膨らませるだけなら、多くの要素が現実には存在する。
 それが実際に見たか、映像だけ見たのかは重要ではない。火の玉というのが今現在、具体的に実在する事をはっきりと認識するのが重要なのだ。

 そして不思議な事に、イメージを膨らませる度に、自分の体に不思議な力が流ているのを感じた。

「イメージ出来た? そしたら手のひらに有る火の玉を投げるみたいにして」

 冬也は、頭で中でイメージした炎の塊を、ボールを投げる様に意識して腕を振るう。すると自分の中に流れる力が集まり、炎の塊が具現化される。

「なんか出た! なんか出たよペスカ」
「それが魔法だよお兄ちゃん。やっぱりやれば出来るじゃない」
「魔法ってお前」
「集中してもう一回やってみよ。それと魔法を放つ時は、名前を叫ぶと上手くいくよ。頑張れお兄ちゃん」

 何回か火の玉を飛ばしている時だった。不意に冬也はそれを止め、ペスカに視線を送る。

「どうやら騒ぎすぎた様だな」
「うん。囲まれてるね」

 冬也と同様にペスカも気が付いていた。二人を囲う繁みには多くの生物らしき気配がする。恐らく火の玉を連発した音と、先に冬也がウサギの角を折った音に反応したのだろう。
 二人を囲む生物らしきもの達からは、獲物を見る様な鋭い視線を感じる。

 戦うか、逃げるか。周囲を囲まれた中、しかも相手が何物なのかわからない。そんな状況で逃げ切れるとは思えない。かと言って戦って確実に勝てるとも思えない。

 そんな中、ペスカは意外なほどにあっけらかんとしていた。

「さぁお兄ちゃん! いってみよ~」
「何をだよ!」
「火の玉を連射して、奴らを殲滅するのだ~」
「おい! って」

 会話を続ける暇は無かった。草むらから続け様に何かが飛び出してくる。それが角ウサギだけなら、さして緊張はすまい。
 出てきたのは異様にカラフルな蛇やら、小学生低学年の男子位の大きさは有る蜘蛛やら、足が異様い巨大な空飛ぶ昆虫やらだ。
 それが生物なのか虫なのかは、この際どうでもいい。それが自分達を狙って今にも食らわんと大きな顎を広げている事だ。

「くそっ、やるしかねぇか」

 その数が一匹や二匹なら、冬也は軽々と対処してみせただろう。だが、その数は十匹では留まらない。
 そして冬也はペスカを背に隠す様にして、覚えたての火の玉を見慣れない生物に向かって放つ。

 一つ目の火は掠りもせず、空を舞って木に直撃した。二つ目の火は、かろうじて蜘蛛っぽい何かに掠り、その体を燃やし尽くした。三つ目の火はカラフルな蛇に直撃し、その体を黒こげにした。
 少しずつ命中精度が上がっていく。すると、襲ってくるもの達は警戒を強め、冬也から少し距離を取り始めた。その瞬間である、冬也はペスカに対し言い放つ。

「ペスカ! 逃げるぞ!」

 その言葉と共に、冬也はペスカの手を引き走りだそうとする。実に賢明な判断だ。しかし、ペスカはそれに応えようとしなかった。

「いやいや。角ウサギ程度の小動物相手に逃げるなんて、お兄ちゃんらしくないよ」

 ペスカの言葉は、冬也を驚愕させたに違いない。冬也が幼少期より何度もアマゾンの奥地から生還したのは、偏に慎重であったから。
 危険を冒してまで戦うのは愚の骨頂だ。それでは命が幾ら有っても足りない。それなのにペスカは逃げようとしないどころか、その場から動こうとさえしない。

 おかしい。カラフルな蛇は毒を持っているに違いない。蜘蛛や飛んで来る変な虫も、同様に毒を持っているだろう。万が一にも噛みつかれたら、そこで人生は終了だ。
 それに、木々が味方とは限らない。何せ花弁は牙の様なのだ。襲われてもおかしくない。今は正に四面楚歌そのものなのだ。安全である保障など何処にもない。
 ましてや、自分が放つ火の玉も安全ではなかろう。木々に燃え移り森林火災になれば、一巻の終わりだ。

 それなのに何故ペスカは……。
 魔法とやらに全幅の信頼を置いているのか?
 こんなまやかしみたいなものに?
 冗談じゃない!

 だが、こんな事を考えていても、事態は一向に進展しない。

 そう、今やるべき事ははっきりとしている。冬也は、再び周囲に向けて魔法を放つ。一匹、また一匹と丸焦げにしていく。冬也は無我夢中であった。死を伴う緊張の中、慣れない魔法での戦いを強いられたのだ。さもありなん。

 そうして半数程が姿を消した時だ、襲ってくるもの達は冬也に背を向けて逃げて行った。そして冬也は深いため息を着いて地面にへたり込む。

「お疲れ~、お兄ちゃん。やっぱりやる子だね、お兄ちゃんは」
「あぁ、ありがとうペスカ。怪我は無いか?」
「お兄ちゃんが守ってくれたし大丈夫」

 冬也はペスカに危険が及ばなかった事に安堵していた。だがここは見知らぬ森、自分達を襲って来る脅威がこれで終わりとは限らない。やや怠さが残る体を奮い起こす様に、冬也は立ち上がった。

 だがこの事態は、やっぱりおかしい。日本では見た事も無い植物、見た事も無い生物達、自らが放った炎の塊。現実で有る事は間違いないが、何か妙な事が起きている。それはいったい何だ。ペスカは何を隠してる。冬也の中で疑問が膨れ上がり、ペスカに問いかける。

「わかったペスカ。これ昨日の夜にやったゲームだろ。お前に付き合わされたVRゲーム。良く出来てるな~。兄ちゃん引っ掛かっちゃたよ、ビックリ大成功だな」
「お兄ちゃん、馬鹿なの? 一緒に玄関から外に出たでしょ!」
「いい加減にしないと、兄ちゃんだって怒るぞ。夕飯はお前の嫌いな、ネバネバ尽くしにするからな」
「ネバネバ嫌いはお兄ちゃんも一緒じゃない。馬鹿なの?」
「じゃあ何なんだよこの状況! お前なにか知ってんだろ?」 

 冬也は思わず怒鳴り散らしていた。ペスカと暮らし始めて十年間、叱る事はあっても、ここまで激しく怒鳴った事は無い。激しい口調で問い詰められ、ペスカは瞳に涙をいっぱい浮かべ俯く。
 やがてペスカの瞳から、大粒の涙がポロポロと零れだした。

「ばか~! お兄ちゃんのばか~! そんなに怒鳴る事ないじゃない! 嫌い~! お兄ちゃん嫌い~!」
「ご、ごめんペスカ。兄ちゃんが悪かったごめん」

 ペスカが泣き止み機嫌が収まるまで、あれやこれや色んな手で、冬也は宥めすかす。ペスカが落ち着くのを見計らうと、今度は優しく話しかける。

「なぁペスカ。知ってる事があったら、兄ちゃんに教えてくれないか?」
「ぐすっ。良いよ。ぐすっ。何が聞きたいの?」
「ここは何処だ?」
「異世界。ぐすっ」
「それじゃ話になんね~よ。そう言えば旅行、駄目になっちゃったな」
「大丈夫。ぐすっ。目的地ここだから」
「はぁ? 何言ってんだお前」
「だから、目的地はここって言ったの」

 冬也は、やはりペスカの言葉の意味を、理解が出来なかった。これは唯の始まりに過ぎない事を、冬也は知らない。そしてペスカでさえも、待ち受ける困難を想像しきれていない。
 やがて二人は、世界を揺るがす大波乱に巻き込まれていく。これは、兄妹の冒険の始まりに過ぎなかった。
 冬也は、とても困り果てていた。ペスカは涙を零しながら、異世界に来たと言い張る。おまけに、旅行の目的地がここだと言われても、納得出来るはずが無い。
 謎の森に謎の生物、おまけに魔法と呼ばれる謎の力。残酷な程にリアルな状況を見せられても、冬也は未だに現実を受け止めきれずにいた。
  
「なぁ、これはお前の仕業か? 目的地がここだって事は、そう言う事だろ?」
「うん、そうだよ!」

 さっきまで大泣きしていたのは何処に行ったのか、と思う位に笑顔のペスカを見て冬也は絶句する。お仕置きとばかりに、冬也はペスカのこめかみをグリグリしながら問いかけた。

「ほらペスカ、吐け! 何が目的なんだ?」
「いだい。いだいよ、おにいぢゃん。だから異世界だよ」
「母親に会いに行くってのはどうした?」
「勿論会いに行くよ」
「そいつは森の中に住んでるのか?」
「そんな訳ないよ。普通の街に住んでるよ」
「じゃあ、何で俺たちは森の中にいる?」
「それはほら、冒険的な何かってやつだよ」
「馬鹿じゃねぇのか? あぶねぇ事すんじゃねぇよ!」
「危なくないよ。だって、余裕で倒したじゃない」

 ふと、冬也はペスカの言動を思い出す。こんな異常事態にも係わらず、ペスカは動じる様子が無かった。そもそも、旅行先をずっとはぐらかしていた。それは何故だ。
 もしかすると、ペスカの言う通りここは異世界で、自分は巻き込まれたのか?

「もしかしてお前、最初から俺を巻き込む気だったのか?」
「だって、異世界だよ異世界。行くのは絶対にお兄ちゃんとだよ」
「もしかして、行先やらをはぐらかしていたのは、当日に俺をびっくりさせる為か?」
「だって、先に言ったら、お兄ちゃんぜ~たい怒るでしょ?」

 どうやらペスカは、最初から異世界に来ることを知っていて、且つ自分を黙って連れてこようとしていたらしい。上手く言葉に出来ない悶々とした感情が、冬也の胸に渦巻く。 だが、よく考えろ。こんな危なそうな所に、黙って一人でこんな所に来させるよりは、自分が一緒の方がましだ。
 それならば、優先すべきは化け物じみた動物と再び遭遇する前に、森から出る事だろう。冬也が頭を巡らせていると、ペスカから声がかかる。

「早く移動した方が良いと思うよ。強いのが来ても面倒だし」
「強いのって、熊や虎みてぇのがいるのか?」
「そりゃあね。さっきのは弱っちい部類だし」
「随分と詳しいなペスカ。まだ隠してる事が有れば、早く言っとけよ。次はあの倍は痛くするからな」

 二人はペスカの提案通りに移動を開始したが、森の騒めきが治まらない。遠くからは何やら変な鳴き声も聞こえてくる。確かにさっさと移動しないと、もっと狂暴な奴が襲って来るかもしれない。
 さっきは何とか撃退したが、二度も上手くいくとは限らない。出口のわからない二人は、なるべく声のしない方角へ移動をする事にした。

 移動をしながらも、冬也は先の戦いを思い出していた。ペスカが魔法と呼んだ『得体の知れない力』を、なぜ自分がそれを使えたのか。あれもペスカの仕業なのだろうか。考えをまとめようとしても、冬也の脳が追いついていかない。

「魔法は修行の成果だよ。ほら毎晩やってたでしょ?」
「お前はエスパーか! ってあれか? 毎晩お前にやらされた瞑想みたいなやつ?」
「そうそう。私に感謝してよね」
「お前の厨二病が、役に立つ日が来るとはな」
「厨二じゃないし。それより今のうちに、練習しておいた方が良いかもよ」

 確かにペスカの言う通りなのだ。いつ襲われるかわからない状態で、対抗策が無いのは命がいくつあっても足りない。冬也がナイフの一つでも持っていれば別だろうが、生憎とそんな準備はしてきていない。

 そして冬也は、改めてペスカに魔法とその使用方法について尋ねた。

 ペスカが言うには、魔法はイメージだそうだ。イメージした物を具現化するのが魔法で、イメージが具体的であれば、より強い魔法になる。その際、具現化のキーワードとなる呪文を唱えると、魔法は発動しやすい。
 また、魔法はマナと言われるエネルギーを消費して使う物であり、マナは常に体内を循環していて、誰もが持っている物である。

「つまりね。完璧にイメージ出来れば、何でも出来るって事だよ」
「じゃあ、拳銃とかも出せるのか?」
「内部構造まで、しっかりとイメージ出来ればね」
「んで、何で知ってんだそんな事?」
「そりゃあ、ここは私が元々住んでいた世界だしね」
「意味わかんねぇよ、ペスカ」

 ため息をついて冬也はペスカを見やる。冬也の視線を感じ、ペスカは少し動揺した様に見える。それを察したのか、ひとまず冬也はペスカを追求する事は止めた。
 そしてペスカに教えられた通りに、魔法の練習しながらも森の探索を続けた。森を探索し始めて数刻後、生物が次々と襲って来る様になった。

 胴から裂ける様にして二つの頭を持つ蛇や、冬也よりも大きい体の蜘蛛や、サイズこそ小さいが無数にまとまって襲ってくる虫など。それぞれが等しく、二人を餌と認識しているのは明らかだった。

「来たよお兄ちゃん」
「わかったペスカ。いけっ炎弾!」

 冬也は炎の塊を蛇に投げつける様にイメージをして、魔法を放つ。冬也の手から放たれた炎の塊は、勢い良く双頭の蛇に向かう。双頭の蛇は体を曲げながら、炎の塊を避ける。

「くそっ、外したか。もう一度だ、炎弾」

 次に冬也が放った魔法は、かなり小さく空中で掻き消える。

「お兄ちゃん、もう少し体の中で、マナを膨らませるんだよ。マナが足り無いから、威力が低いの」

 冬也はペスカに言われた事を反芻する様に、体内に流れる力をコントロールする様に意識する。再び放つ炎の塊は、掻き消えた時の数倍は大きく、双頭の蛇を丸ごと呑み込む様にぶつかる。やがて炎の塊は、蛇を燃やし尽くした。

「やったね、お兄ちゃん。凄いね」

 冬也は、マナを高める訓練の成果を実感していた。実際に冬也が放った魔法は、火だけではない。風であれば鋭い刃を、水であれば強烈な放水をイメージして魔法を繰り出した。
 風の刃は頑丈そうな蜘蛛の糸を切り裂き、水の魔法は蜘蛛の体を吹き飛ばす。中には、気配を見せず突然現れ、冬也が先手を取れない生物もいた。
 しかし冬也は鍛え上げられたその身体能力で、繰り出される攻撃をいなして反撃を行った。引っ切り無しに生物から襲われる、冬也の魔法は戦闘を行う度に精度を上げていった。

 最初の戦いこそ動揺があったものの、練習のおかげか魔法の扱いに慣れ始め、戦闘に余裕が生まれ始めていた。

 地球では有り得ないサイズの昆虫や、獰猛な牙を生やした動物の出現に、流石の冬也もここが異世界なんだと、納得せざるを得なかった。
 父親に格闘技を仕込まれた冬也は、戦いの場において立ち回れる、ある程度の実力が有った。しかし、それはあくまでも人を相手にした場合であって、仮に地球上であったとしても、肉食動物と渡り合うものでは無い。生死をかけた戦いの連続は、冬也に過度の緊張を強いる。そして肉体と精神を激しく消耗させていった。

 襲い来る生物に対し、振るうのは己の拳だけでは無い。未知の力とも言える魔法は、冬也の少年心をくすぐるものでもあった。戦いに慣れ、魔法に慣れる頃には、小型の生物は楽々倒せるほどに、冬也は成長していた。

 しかし、時に余裕は人に油断を生む。戦いにおいて、僅かな油断こそが命を取りかねない。そしてその時は、刻々と迫っていた。

「流石お兄ちゃんだね。やるとは思ってたけど、ここまでやるとはね。恐れ入ったよ」
「あのなぁ、兄ちゃんこれでも、いっぱいいっぱいなんだぞ。まぁ、ちょっとは慣れてきたけどな」
「うんうん。この調子でどんどんいこ~!」
「今の所、小さいのばっかりだから良いけど、デカいの出てきたら流石に無理だぞ」
「お兄ちゃんそれフラグ? まあ、大丈夫だって。そんな大きいのなんて、そうそう出ないよ」
「だから、何でそんな事知ってんだよ」

 不安を抱えながらも、ペスカを庇う様に冬也は歩く。やがて少し開けた場所が見えてくる。

「道だよ。お兄ちゃん」

 冬也が止める間もなく、ペスカは嬉しそうな声を上げて走り出す。ようやく見つけた森から抜ける手掛かりに、冬也もまた少し浮かれていた。

「あぶねぇぞペスカ。俺から離れんな」

 やや跳ねる様なトーンで、冬也はペスカに声をかけると、ペスカの後を追って駈け出した。幼少の頃にサバイバルの経験をした冬也だが、軍人の様な戦闘訓練を積んだ訳では無い。様々な格闘技を叩き込まれたとは言え、一介の高校生である。突然、未知の環境に連れて来られ、緊張の末に見つけた光明である。気を緩めるのも仕方がない事だろう。

「お兄ちゃん、これ道だよ! ちゃんと轍があるよ」
「人が通る道なのか? 轍ってわりに、車にしては随分細いな」
「異世界だよ。車なんて有るわけないでしょ。馬車だよ」
「あ~、つまり、これを辿って行けば、人がいる場所に行けるってことか?」
「そういう事だね。やったねお兄ちゃん!」
「ここまでくれば、先ずは一安心って事か」

 やっと一心地ついたと思った矢先の事だった。突然、背後から突風が吹き荒れる。「グルァアアア~」と低く響く声がする。今までとは明らかに異なる雰囲気を感じ、二人の背中が一気に粟立つ。
 それは、生死を分かつ警告であったのかもしれない。振り向くとそこには、冬也の夢に現れたのと酷似した怪物の姿があった。

 自分達の身長より、三倍の大きさは有るだろう異形の怪物。赤黒い皮膚に、サソリの様な鋭い尾をしならせ、大きな羽をはためかせていた。そして、ライオンの様な獰猛な歯をむき出しにし、涎をたらしながら、四本脚でこちらへゆっくりと近づいて来る。

 今朝見た夢の内容が、冬也の中にフラッシュバックする。そして、冬也の心が警鐘を鳴らす。「逃げろ、早く逃げろ」と。
 あれは夢の中で自分達を、死の寸前まで追い込んだ化け物だ。矮小な人間では、太刀打ちが出来ない凶暴な生物だ。そんな化け物が、獲物を見る目で自分達を捉えている。

「マンティコア! あんなのが近づいてるのに、私が気が付かないなんて! 不味いよ、お兄ちゃん!」

 叫ぶペスカの声が聞こえる。冬也の心臓は早鐘の如く鳴り、足はガタガタと震えて動かない。冬也の心が何度も告げている。

 勝てない! 逃げろ! 早く逃げろ! 早く、早く!

 冬也は震える足を殴りつけると、ペスカを背中に隠した。

 相手は、地球に存在しない獰猛な化け物である。少しでも目を逸らせば、次の瞬間には命はない。もしあの夢が正夢なら、ここで背を向ける訳にはいかない。背を向けた瞬間に、自分達はあの鋭い爪にやられる。

 突然現れた強者を前に否応なく緊張感は高まる。今は体を張ってでも、ペスカが逃げる時間を作らなければならない。
 警告を続ける心の声に背いても、冬也はペスカを守る事を優先した。そして、生き残る手段を懸命に模索した。

 そうして冬也はマンティコアに立ち向かう。

 マンティコアが翼をはためかせると、激しい突風が吹き荒れる。ペスカと冬也は堪えきれずに、吹き飛ばされて転がる。しかし二人は共に、受け身を取って飛ばされた衝撃を抑えた。

 マンティコアは、単に翼をはためかせただけであり、攻撃を仕掛けたのとは程遠い。冬也はマンティコアを見据えた。
 あの分厚そうな赤黒い皮膚に、覚えたての魔法が通じるのだろうか。それとも、あの暴風を受けた上で、あの鋭い爪を掻い潜ることが出来るのだろうか。懐に潜り込めるだけで精一杯だ。一撃を入れる事なんて夢のまた夢だ。

 ただ、一つだけ確実な事があった。力の差は歴然としていても、決して逃げ切れない。やれるかどうかではない! やるしかない! どの道、奴を倒さなければ、ペスカの命はない。

 そして冬也は、ペスカに声をかける。

「ペスカ、無事か?」
「大丈夫だよ。パパリンの修行が、こんな所で役立ったよ」
「馬鹿! 呑気な事を言ってねぇで、早く逃げろ!」
「お兄ちゃんは、どうするの? あんなのと戦うの?」
「安心しろ、俺は親父とも互角にやり合える」
「何言ってんのお兄ちゃん。無茶しないで!」

 油断をしたつもりは無かった。ほんの一瞬、意識を離した瞬間に、マンティコアは冬也の目の前まで近づき、鋭い爪を振り上げていた。

「危ない、お兄ちゃん!」

 ペスカは、悲鳴にも似た叫び声を上げる。冬也は、咄嗟にペスカを突き飛ばす。そして振り下ろされる鋭い爪は、冬也の肩口を引き裂いた。

 冬也の肩から吹き飛ぶ様に、血しぶきが溢れ出す。冬也は痛みを堪えて、振り向きざまにマンティコア脇を殴りつける。
 一瞬、マンティコアは怯んだものの再び前足を振り上げる。だが冬也も咄嗟に反応した。振り下ろされる鋭い爪に対し、炎の壁を作り出す。

「喰らわねぇよ、炎の壁だこらぁ」

 冬也の前に、ペスカも共に隠せるほど大きな炎の壁がそびえ立つ。しかしマンティコアは、炎に全く怯える事なく前足を振り下ろす。炎の壁は、マンティコアの鋭い爪であっさりと消し飛ばされた。

 見た事も無い大きさ、死を訪仏とさせる獰猛さ。迫る目の前の化け物から、ペスカを守らなければと、冬也はマンティコアに集中する。
 決して恐怖を忘れた訳では無い。血が流れ続け、ズキズキとした痛みが自身を苦しめる。しかし竦んだ足は動きを取り戻し、その瞳には闘志が漲っていた。

 一方、突き飛ばされ冬也と距離があるペスカは、冬也には聞こえないほど小さな声で呟いた。

「流石お兄ちゃんだね。ほんと凄いね。こんな化け物に立ち向かえるなんて。だけどね、お兄ちゃん。私だって、お兄ちゃんを守るよ」

 振るわれるマンティコアの前足と同時に、冬也から魔法が放たれる。

「炎弾だ、ごらぁ!」

 冬也の魔法は、辛うじて前足の勢いを相殺させるが、ダメージを与えた様子は無い。

「切り裂け、風の刃!」

 すかさず冬也は次の魔法を放つ。しかし、赤黒い皮膚は傷一つ付かなかった。

 魔法という未知の攻撃手段に、冬也が違和感を感じながらも心を躍らせたのは、何も冒険心からだけではない。武術を修めた冬也であれば、瓦の十枚や二十枚は容易く割ってみせる。
 ただ、魔法は完全に異なる手段の攻撃方法である。イメージを固めるだけで、不可能を可能にする力を発揮させる。

 マンティコアと対峙した時に、冬也は自分の拳では相手にダメージを与えられないと判断した。そして、渾身の力で脇腹を殴りつけても、相手は多少怯んだだけであった。
 その後に放った二発の魔法も、大したダメージを与えられたと思えない。これが何を意味するのか。戦いの場において、冬也の中に絶望が押し寄せようとしていた。

「効いてねぇのか?」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。私がサポートするから、思いっきり魔法を撃って」

 ペスカは冬也に近づくとその背中に手を添える。その手に導かれる様に、急激に冬也の体内でマナが巡りだす。
 自分の中には、こんなにも大量のマナが眠っていたのか。冬也は少し驚きながらも、次の魔法を放つ。

「飛べ、風の刃。あいつを切り裂きやがれ!」

 言葉を唱えた瞬間、今までよりも大きい力の放出を感じた。空間が裂けるのが視認出来る程に、大きい風の刃が十枚ほどマンティコアに向かって飛んでいく。
 予想外だったのか、獲物が弱者だと油断していたのか、マンティコアの体に魔法が直撃する。直撃した風の刃は、マンティコアの体を抉り血を噴き出させた。

 直後、マンティコアは怒りの咆哮を上げた。格下の相手、それも獲物からの反撃を喰らった事でマンティコアが怒り、体内でマナが膨れ上がったのだ。マンティコアは遊びを止め、本気で獲物を狩る準備を整えたのだ。
 翼をはためかせると、強風が吹き荒れる。その風には、目で捉えるのが困難な程の薄い刃が混じっていた。

 辺りの木々は、尽く切り裂かれる。冬也は咄嗟に土の壁を魔法で作るが、あっさりと壊されペスカと共に吹き飛ばされた。
 ペスカを庇う様に抱きしめて、冬也は大地を転がる。冬也には沢山の切り傷がつき、更に大量の血が流れ出す。それでも冬也は痛みを堪えて、再び立ち上がる。

 すかさずマンティコアは、土を撒き散らしながら冬也に走り寄る。しかし冬也は、背の痛みのせいで集中出来ず、振るわれる爪を魔法で相殺出来ない。冬也は咄嗟にペスカを抱えて、横に飛んで爪を躱す。
 躱した先には、倒れた木々が立ち塞がる。そして冬也はようやく気がついた。倒木に囲まれ逃げ場が無い。自分達は追い込まれていたのだと。

 目の前からは、マンティコアがじりじりと迫る。それはまごう事なき命の危機であり、死が直前にまで迫っていた。
 絶望が冬也を完全に覆い隠そうとした時であった。ペスカの優しい声が、冬也の耳に届いた。

「お兄ちゃん、大丈夫だよ。私が守るから」

 冬也は背中に温かい熱を感じた。次の瞬間には痛みが引き、血が止まるのがわかった。
 ペスカの力だろうか。ふと、冬也はペスカの言葉を思い出していた。魔法はイメージの具現化であると。
 それに薄々、冬也は感づいていたのだろう。確かに威力は増したが、今のままでは傷を付けるだけで倒すには至らないと。

 確かに魔法は凄い。だが、そもそもこれは俺の戦い方じゃない。十年以上も何を鍛えてきた。それは自身の肉体だろう。それならばそれを使わないでどうする。
 だが、自分の拳は奴に通じなかった。だからこその魔法だ。通じないのなら二つを同時に使えばいい。ペスカが助けてくれている、俺の魔法は必ず奴に通じる。

 冬也は再び全身にマナを巡らせる。それは、冬也の筋肉を著しく活性化させる。そして冬也は両の腕に風の魔法をまとわせる。これで準備は完了だ。冬也はマンティコアに向かって走りだした。

 活性化された筋肉は、冬也の走るスピードを何倍にも増加させた。そんな冬也を流石に脅威と感じたのか、冬也を遠ざけ様とマンティコアは爪を振るう。すかさず冬也は爪を搔い潜ると懐に入り込み、マンティコアの横っ腹を目掛けて拳を振り抜く。
 先はダメージを与える事は出来なかった。しかし今度は、頑丈な皮膚を冬也の拳が捉え大きな穴を開ける。振り抜いた拳と共に風の刃が、ドリルの様にマンティコアの胴をくり抜いていく。

 やがて冬也の拳が胴を貫通させる。そして、マンティコアは大きな音を立てて崩れ落ちた。

「や、ったのか……」
「うん。やったよ、お兄ちゃん」

 ペスカの声は、冬也を心の底から安堵させた。夢が告げた死の運命を、実際に退けたのだ。冬也はその場でペタンと座り込み、大きく息を吐いた。
 まだ痛みは有る、心臓がバクバクと激しく音を立てている。だが、このまま呆けているという選択肢は二人になかった。

 重い体を引きずるようにして、二人は歩みを進める。やがて道の先に光が見え始める。振り向いても、他に化け物が追って来る気配は無い。ようやく二人は、走りを緩めて息を整える事が出来た。

「ペスカ怪我は無いか? 出口だぞ。もう一息だ」
「大丈夫だよお兄ちゃん。やったね! 凄いよお兄ちゃん! 神だよ!」
「何とか助かったな」
「お兄ちゃん、それより怪我。早く手当しよ」
「それよりペスカ、森を抜けたら、色々聞かせてくれるんだろうな」

 流石の冬也でも、数々のおかしなペスカの言動を、見逃す気は無くなっていた。
 森を抜けたら、見渡す限り続く平原だった。二人は森から少し離れた場所で一先ず休憩し、冬也の治療に専念する事にした。
 先ほどまで、生死をかけた戦闘を行っていたのだ。緊張していた身体から力が抜けて、冬也は地べたに座り込んだ。

「わぁ~お兄ちゃん! 今手当てするから、気をしっかり持って」
「ペスカ。お前、魔法で治せるよな? 俺の背中を治したのは、魔法だよな」

 冬也の射抜く様な視線を受ける。先の戦いで既に治療を行っているのだ。もう、誤魔化しようもないだろう。、ペスカは少し溜息をつくと呪文を唱えた。

「癒しの光よ来たれ!」

 ペスカが光から放たれ冬也を包む。みるみる内に、冬也の傷は塞がっていく。完全に痛みが無くなり、傷痕さえも残らなかった。それは現代医学でも不可能の事だ。
 これをそのまま放って置く事は出来まい。なんとか取り繕うとするペスカに対し、冬也は珍しく眼光を更に鋭くした。

「それにしても、大変な事になったね」
「誤魔化すなペスカ。兄ちゃん怒ってるんだぞ」

 ペスカは無言で冬也から視線を反らす。だが冬也はそれを許さず、ペスカのこめかみを両の拳で、グリグリと圧迫した。

「いだい、いだい。やめてお兄ちゃん」
「隠してる事、全部吐け!」
「いだい、やめれ。お兄ちゃんのばか。うんこ!」
「汚い言葉を使うんじゃない!」
「お兄ちゃんの◯◯!」

 ゴンっと鈍い音と共に、冬也の拳がペスカの頭に炸裂した。涙目で頭を抱え踞るペスカは、訴える様に上目遣いで冬也を見つめた。

「死ぬかも知れない所だったんだぞ」
「いや、逃げる位は出来たよ」
「いい加減にしろペスカ!」
「ごめんなさい。あんな予定じゃなかったの」
「何がどうなっているのか、全部話せ!」

 冬也に叱られ諦めたのか、ペスカはこれまでの経緯を、ぽつりぽつりと話始めた。
 ペスカの話す事は、冬也にとって信じられない事だった。しかし、森で起こった出来事を思えば、否定もし辛い内容だった。

「はぁ? つまり、ここは俺達の宇宙とは違う次元の宇宙に有る星で、お前は元々この星で賢者だったと。それで死んだ時に、元の知識と能力を持って地球で生まれ変わった。そんで今回は里帰りがしたかったって言いたいのか?」
「そうだよ。賢者様だよ。偉いんだよ。えっへん」
「どや顔で何言ってんだよ。そんな厨二っぽい事を聞きたいんじゃねぇよ。それに母親に会いに行くってのはどうなったんだよ?」
「勿論、これから行くよ。顔も見たいしね」

 確かにペスカは小さい頃から「魔法を使える」等と、変な事を言う子供だった。冬也が知らない謎の言葉を、ブツブツ言ってる所を見たこともある。
 冬也はそれが、全てペスカの空想だと思っていた。魔法少女に憧れる可愛いやつだと、ペスカを見ていた。

「因みに、パパリンは知ってるよ」
「知らなかったのは俺だけか?」
「知らなかったってより、信じなかったってだけだね。お兄ちゃんは、頑固だし、脳筋だし」

 冬也は思わずペスカの両頬を引っ張った。そして顔を顰めて、ペスカを睨め付ける。

「いひゃい。やめへ。おめんなひゃい」
「あぶねぇ事しやがって!」

 冬也の怒りはもっともであろう。死を覚悟した瞬間も有ったのだ。笑って済ませられる事ではあるまい。

「ところでペスカ。どうやってこんな所に来たんだ?」
「ここに来たのは私の魔法だよ」
「じゃあ、帰れるんだよな」
「今すぐは無理だよ」
「何でだよ!」
「次元を越えるなんて大魔法が、ホイホイ使える訳ないじゃない」
「マナだか魔力だか謎パワーで、何とかならねぇのか?」
「謎パワー言うな! あのね、マナは生命力みたいなもの。生命力を魔力に変換して初めて魔法が使えるんだよ」
「んな理屈はどうだっていいんだよ。帰れるのかどうかって事だ」
「だから、私が生まれ変わってから、十六年間溜め続けたマナは全部使っちゃったんだよ。暫くは無理だね」

 ペスカの言葉に、冬也は返す言葉が見つからず絶句した。

 単なる国内旅行の気分でいたのだ。それが異世界とやらに来たどころか、直ぐには帰られないときた。そうなると、学校はどうなる? いや、学校なんてこの際どうでもいいか?

 そもそも何故に異世界なのだ。こんな危険極まりない世界へ、何でペスカは来ようとしたのか。何で俺も一緒である必要が有ったのか?
 一体、ペスカは何者なのだ。賢者と言うのは、概ね間違いではないだろう。それは、傷が直ぐに癒えた事で証明が出来る。
 前世の記憶を持つならば、幼い頃からのペスカの言動には、多少納得いくものがある。ペスカの事は、今まで天才だと思っていた。しかし、ただの天才ではなかった。
 言うなれば、過去に違う世界で生涯を全うし、前世の記憶を持ち生まれ変わり、日本で新たな知識を得た天才という事だ。
 ただ俺は違う。日本で生まれて育った、普通の日本人なんだ。ただ行きがかり上、ペスカと家族になっただけだ。

 ただ少なくとも、こんな世界ではペスカを心配で放り出せはしない。

 懸命に頭を働かせても、冬也に答えが出るはずがない。考えれば考える程、混乱してくる。その結果、口から出た質問も、ピントが少し外れたものになる。

「お前の魔法は打ち止めなのか? だって、傷を治してくれたろ?」
「まあ、あれ位ならね。なにせ元天才大賢者だしさ」
「何か色々増えてねぇか?」
「うっさい。お兄ちゃんの◯、いだっ!」

 ペスカが言いきる前に、冬也のデコピンが炸裂した。気配を察したペスカが、両頬をガードした為、おでこに攻撃が入ったのだ。流石のペスカも、度重なる冬也のお仕置きに耐えきれずに爆発する。 

「わ~ん、ばか~! 私だって予定外なんだよ~!」
「予定って何だ?」
「里帰りついでに、お兄ちゃんびっくりさせる。二人のドキワク異世界観光!」
「びっくりさせ過ぎだ馬鹿! 死ぬほどびっくりだよ!」
「あの森は、ちっこい小動物しか、出ないはずなんだよ。だからお兄ちゃんでも、楽勝のはずだったの。あんなのが出るはず無いんだよ」
「あの化け物は何だよ?」
「マンティコアじゃない? ギリシャの神話に出てくるやつ」
「ギリシャ神話が異世界にもあるってのか?」
「そういう事じゃなくてさぁ~」

 ペスカの説明に、冬也は何と無く違和感を感じる。しかし冬也は、その違和感を上手く表せずにいた。眉を顰めて冬也は腕を組む。そんな冬也に対し、ペスカは明るく声をかけた。

「お兄ちゃん。ここに居ても仕方ないし、そろそろ行かない? ここから暫く歩けば街に着くよ」
「あのなぁ、ペスカ。学校とかどうすんだよ。まぁ、親父は。心配しねぇか」
「パパリンには、伝えてあるから大丈夫。あっちの事は、色々と上手くやってくれるよ」

 ペスカの言葉は、冬也に止めを刺したのかもしれない。
 ペスカの行動は思い付きではなく、計画的だったのだ。自分が気がつかないだけで。何もかも手配済みで、準備を万端に整えて、異世界とやらにやってきたのだ。
 そう考えると、冬也は深い溜息をついた。そして冬也は重い腰を上げる。

「お兄ちゃん、何か疲れた顔してるね」
「お前のせいだよ!」
「そんな時には、これでも食べて元気だして」

 ペスカは某栄養食品を冬也に差し出す。ペスカの魔法で傷は癒えたが、戦闘続きのせいか多少は小腹が空いている。冬也は黙って栄養食品を受け取り、ペスカと共にミネラルウォーターで腹に流し込んで小腹を満たす。そして、ペスカの指示する方角へ歩き出した。
 見渡す限りの草原は、森の中での戦いが嘘の様に感じるほど平和な光景で、疲れた心を癒していく。小一時間ほど歩くと、放牧されている牛や豚等の、家畜の姿が見えて来る。とても異世界とは思えない風景に、首を傾げながら冬也は歩いていく。不思議そうな表情で歩く冬也を見て、ペスカはとても楽しそうに笑顔を浮かべていた。

「なぁ、さっき出てきたウサギやら何やらは、ここには出てこないのか?」
「あれは動物だからね。日本でも山に入ればハブやらイノシシやらが出るでしょ?」
「じゃあ、あのマンティコアとかいうのは?」
「あれは正真正銘の化け物だよ。異常事態だよ」

 取り合えずは質問をしてみたものの、「ふ~ん」といった感じで冬也はサラリと話を流す。それだけペスカの話を荒唐無稽に感じていたのだろう。『異世界など存在しない』と信じて疑わない者を納得させるのは、そう簡単ではないはずだ。
 実際のところ、周囲の風景を『やっぱり外国の何処か』と言われたら、冬也は疑うことなく信じただろう。

 更に歩くと農園に差し掛かったのか、様々な野菜が育てられていた。日本では見た事が無い野菜が多い。

「なぁ、ペスカ。やっぱり俺を騙してるのか? ここって外国だろ? オーストラリアか?」
「まだ言ってんの? 異世界だって言ってるじゃない」

 そして、農園の奥で微かに見えたのは、日本人なら見慣れた稲穂の姿であった。

「ペスカ、あれ米だよな。って事は日本か? でっかい草原が有るって事は、北海道か?」
「あのさ、お兄ちゃん。北海道にヒグマは居ても、マンティコアは居ないでしょ。いい加減に認めなよ」

 諭される様にペスカから言われても、納得がいかず冬也は首を傾げる。街道を歩き農園を過ぎようとした時に、高い城壁が見えて来る。
 日本とは異なる造りの西洋風の城壁には、大きな城門が有り、数人の門兵が立っていた。あれは白人なのだろうか。遠目でもわかるのが、明らかに日本人と異なる容姿と、がっちりとした体躯をしていた。
 城壁から門兵に至るまでを見れば、十七世紀のヨーロッパの風景を再現したと考えた方が、まだしっくりくるのかもしれない。

「ペスカ、あそこって観光地かなんかだろ? 中世の遺跡みたいなさ。入場料とか必要なんだろ? 一応金は持って来てるけど、ユーロとかに交換しなきゃだよな?」
「お兄ちゃん。あれは普通の街だよ。一応は兵士が検問してるけどさ」
「いや、兵士風のコスプレした外人だろ? それに言葉はどうすんだ? ペスカは喋れるのか?」
「外人じゃ無くて、異世界人だよ。体形は現代の欧米人に近いかもね」
「そうじゃ無くて、言葉だよ言葉。コミュニケーション」
「まあ何とかなるって。気楽にいこ~よ」

 城門には、街に入るための列が出来ていた。違和感を感じながらも、ペスカの後に続いて冬也は列に並ぶ。街に近づけば益々違和感が増す。並んでいる人々は、掘りの深い欧米風の顔立ちで、自分よりも高い身長の男性が多い。男はズボンにシャツ。女性はスカートの服装が多いが、デザインが現代と違う。ざっくりとしたズボンとTシャツの冬也でさえ、明らかに周囲とは浮いていた。

「市民証を出せ。よし入って良いぞ。次!」

 だがその時、更なる違和感が、冬也に訪れる。門兵の言葉が聞こえる。いや、理解出来る。

「ペスカ、俺あいつの言葉が解る。何でだ?」
「それは、睡眠学習効果だね」
「お前、俺に何をしたんだ? ってそれよりも市民証ってのは持ってないぞ。どうやって入るんだ?」
「お兄ちゃん。私を誰だと思っているの。元天才美少女大賢者だよ!」
「また変なのが増えたぞ」

 やがて順番がやって来る。甲冑を纏った兵士はこちらを見ると、ギロリと睨みを利かせて、市民証を要求する。さもありなん、衣服からして周囲とは全く違うのだ。兵士が警戒してもおかしくはない。だがペスカは当たり前の様に、懐から一枚のカードらしき物を取り出し提示する。

「ペスカが来たって、クラウスに伝えといてね」

 ペスカがカードを提示した瞬間に、兵士達が騒めき出し一瞬で態度が一変した。兵士達は、一斉にペスカに対して深々と頭を下げる。

「大変失礼致しました。メイザー伯の関係者でいらっしゃいましたか。どうぞ、お通りください」

 仰々しい態度に変わった兵士達の姿に、冬也は口をあんぐりと開けて驚いていた。

「ペスカ、お前何者?」
「だ~か~ら~、超天才美少女大賢者だよ」

 最早、突っ込むのも忘れた冬也は、門を抜けて街の中を見渡した。街並みは、美しいレンガ造りの建物が並んでおり、道は石畳で綺麗に整備されている。さながら、ヨーロッパへ旅に来た気分になる街であった。

「なんか、すげぇな」
「そうでしょ。えっへん」
「なんでお前が、どや顔なんだよ」
「だって私の功績だし」
「はぁ? 何言ってんだよペスカ」
「細かい事は置いといて、先ずは宿の確保とご飯だね」
「だからユーロは持ってねぇんだ。どこで換金するんだよペスカ」
「もうっ、円もユーロもドルも使えないの! 全部このペスカちゃんにお任せよ、お兄ちゃん」
「もう兄ちゃんはついていけねぇ~よ」

 溜息を付く冬也の手を引き、ペスカは迷うこと無く街を進み、いかにも高級そうな宿へと入って行く。そして、先程のカードを受け付けに見せる。
 そしてやけに仰々しい態度で案内された部屋は、高級そうな調度品が多く飾られる、広い部屋だった。

「ペスカ。だからお前何者だよ」
「何度も言ってるし。超絶天才、いだっ!」
「それは、もういい」
「うぅ~!」

 頭を叩かれ、ペスカは恨めしそうに冬也を見つめる。そんなペスカに付き合いきれず、冬也はベッドに飛び込む。慣れない戦いの上、歩き通しだったのだ。冬也はすぐに意識が遠くなる。

「お疲れ様。ありがとう、お兄ちゃん。大好きだよ」

 ペスカの優しい声が、遠くで聞こえるかの様に、冬也は寝息を立てていた。
 カーテン越しに穏やかな光が差し込む。かけた覚えの無い布団の暖かさ、そして布団とは異なる暖かな温もり。腕には柔らかな感触、その心地よさが何なのかわからず、冬也は夢と現を行き交いし朝の微睡みを漂っていた。

「あん、お兄ちゃん。駄目」

 それは耳慣れた声だった。それも直ぐ近くから聞こえる。その瞬間的に冬也は覚醒を促される。首を傾けるとペスカが、冬也を抱きしめる様に眠っていた。

「駄目って何が? わぁ~! ペスカっておま、お前また俺の布団に潜り込んだな!」

 慌ててペスカを引き剥がそうとするが、冬也はふと室内が普段とは違う事に気が付いた。

「なんだ? この豪華な部屋! あぁそうか、夢じゃねぇのか」

 昨日の出来事は夢であればよかった。目を覚ましたら、いつもの部屋で、また当たり前の日常が始まる。
 しかし、冬也の目に飛び込んで来たのは、高級宿らしい豪華な調度品の数々。途端に現実へ引き戻された冬也は少し頭を振り、ペスカの目が覚めない様にゆっくりと体を起こす。

「ぐぅ」
「幸せそうな顔しやがって」

 冬也は、優しくペスカの頭を撫でる。

「こいつも疲れてたんだろうし、もう少し寝かせてやらないとな」

 冬也は、そう独り言ちると、ベッドの端に座り直した。

「それにしても、ペスカは何者なんだ?」

 ペスカは子供の頃から変な行動をする事が多かった。日常茶飯事になっていたおかしな言動に、冬也は次第に慣れていった。思い起こせば小学生の低学年にもかかわらず、分厚い専門書を読み漁ったり、家中の家電を分解する事も有った。

「そういや、ペスカがTVをバラバラにした時は、親父が泣きそうな顔してたっけ」

 ペスカは、ここを異世界だと言った。自分を賢者と言い、地球で生まれ変わったのだと言った。それを証明するかの様な魔法と知識を持っていた。少なくとも、あの化け物と対峙して生き残れたのはペスカのおかげだ。そして、謎のカードで街に入り、高級宿にも入れた。

「もう、間違いはないんだろうな」

 一晩ゆっくり休んでスッキリしたのだろうか、それとも頭がはっきりしてきた証拠だろうか。頑なに認めようとしなかった現実を、冬也は認めようとしていた。

「ペスカが起きたら、色々詳しく聞かないとな。まだ何か隠し事してやがるしな。俺が気が付かないとでも思ってやがんだろ。でもこいつ、ちゃんと話すかな? まぁ話さなきゃ、お仕置きだけどな」
「う~ん、なあに? おに~ちゃん」
「あ~ごめんペスカ。起こしちゃったか?」
「な~んか、幸せな夢見てた~」

 悩む自分が馬鹿らしくなる程の、起き掛けの呑気なペスカ。冬也は少し腹が立ち、ペスカの頬を少し摘まんだ。

「うみゅ。みゃにさ。おみ~ちゃん」

 冬也はペスカの頬で少し鬱憤を晴らすも、腹がぐぅ~と鳴る。昨日の朝以降に摂ったのは、栄養補助食品と水の簡易的な食事のみな事を思い出す。

「ペスカ、取り敢えず飯にしねぇか?」
「うん。おなか減ったよ」

 着替えを用意していないので、そのまま宿の一階に下りて朝食を頼む。テーブルについて、暫く待つと出てきたのは、パンと卵焼きとサラダにスープであった。

「異世界っても、飯は普通だな?」
「そう? 私はヤマトベーカリーの、ふかふかパンが好き~」
「そうだな、あそこの食パンは旨い。っていや、そう言うことじゃなくて」

 パンは硬かったが、スープに浸せば食べられない事は無い。他の料理も、日本と然程変わりの無い味だった。空腹で食えれば何でも良い気分であった冬也は、取りあえず満足し食事を終える。
 一心地つくと冬也はペスカへ問いかける。

「ペスカお前は何者だ? 何を隠してる? 全部話せ!」
「わかってるよお兄ちゃん、全部話すって。その前に行く所が有るんだけど、良いかな?」
「そこに行けば、全部話すんだな」
「約束するよ、お兄ちゃん」

 冬也は、真剣な表情で答えるペスカを信じる事にした。

「ご飯も食べたし、レッツゴー!」

 どんな時も明るく振舞えるのは、ペスカの長所である。この笑顔に、どれだけ支えられて来ただろうか。冬也の些細な悩みなど、馬鹿らしくなってくる程に。
 しかしここは、冬也の知らない世界である。一抹の不安を抱えつつ、冬也はペスカと共に宿を後にした。

 街を歩きながら冬也は周囲を見渡す。門の外から見た光景は、中世の発達してない都市に近かった。しかし、この都市の美しい街並みは中世とは思えない。現代ヨーロッパのどこかでは無いかと勘違いしてしまう程だ。

「ヨーロッパじゃないよ。この街の名前は、エーデルシアって言うの」
「心を読むなペスカ。それも魔法か?」
「はぁ、お兄ちゃんの場合、顔に出てるんだよ」

 街を歩く人々が、武器を携えている訳もない。荷車を引く者、店の開店準備で忙しなくしている者、畑に向かうのか鍬などを抱えて門から出ようとしている者と、ごく平和な光景が繰り広げられている。
 だが、昨日の出来事が嘘の様な、争い事とは縁遠そうな光景は、返って冬也を不安にさせた。

「ところでペスカ。昨日の怪物は他にもいるのか?」
「あんなのがそこら中に出てきたら、大問題だよ」
「じゃあ、街に入って来ることはなさそうだな」
「うん、それは無いと思う。お手柄だねお兄ちゃん」

 目に飛び込んでくるのは、平和な光景なのだ。如何に自分と関係ない人々とはいえ、あんな化け物に蹂躙されては流石に面白くはない。ペスカの言葉で冬也は胸を撫で下ろし、続けざまに質問を重ねた。

「兵士がお前の事を、メイザー伯がどうのって言ってたけど、メイザーって何だ?」
「その辺は、後でまとめて話すよ~。ガツガツしてるとモテないよ~」

 早々に質問を打ち切られた冬也は、再び周囲を見渡す。歩く人々は、欧米人と変わらない。街には、いまいち異世界感を感じられない。せめて、二本脚立って歩く動物めいた人がいれば、信じる事も出来そうだけど。そんなもやもやとした感覚を覚える冬也に、再びペスカから声がかかった。

「お兄ちゃん、猫耳少女はこの街にはいないよ。残念だったね」
「だから、心を読むなって」
「お兄ちゃんってば、わっかりやすいからな~。うふふ」
「因みに亜人は、こことは別の大陸にたくさんいるよ。会いたければ、今度連れてってあげるよ」
「亜人って言うと、あれか? 耳の尖った人もいるのか?」
「エルフの事? もちろんいるよ! まぁそっちは直ぐに会えるかな」
「そっか。本当に異世界へ来ちゃったんだな」
「そんな事より、見てお兄ちゃん。ここが目抜き通りだよ」

 ペスカが指を指した先には、様々な店が立ち並び、沢山の人が行き交う場所だった。
 服や雑貨の様な物を売る店。見た事もない色鮮やかな果実を売る店や、見覚えの無い野菜を売っている店。そして美味しそうな匂いが漂う飲食店が集まっていた。

「ペスカ。何だあれ、果物か? なんか毒々しい色だぞ。食えんのか?」
「甘くて美味しいよ」
「ペスカ。何だあれ! キャベツに似てるけど」
「キャベツで間違いないよ。日本のとは少し変わってるけどね」
「ペスカ! 旨そうな匂いがするな! なんだろな?」
「喜んでもらえて何よりだけど、お兄ちゃんがお上りさんになってるね。フフッ可愛い」

 冬也は抱えていた疑問を完全に忘れ、目の前に広がる新鮮な光景に驚いていた。旅行者の様にはしゃぐ冬也を、ペスカは優しく見つめる。
 散歩でもする様に、二人は暫くウィンドウショッピングを楽しむ。そして、目抜き通りを抜けると、かなり大きい邸宅が見えてきた。

 邸宅まで歩みを進めると、ペスカは門の前で立ち止まる。門の両脇には、剣を携えた屈強そうな兵士が立っていた。
 この街の治安状況を、冬也が知る由もない。だが、この町に入ってからスリの被害どころか、恐喝紛いの無頼漢にも遭遇していない。地球でさえも、外国人旅行者が安全に旅行が出来るのは、日本だけと聞くのに。
 そんな状況で門に兵が立っている理由は、それなりの地位に有る者の屋敷だからであろう。
 
「なぁ。まさかこれが、目的地?」
「そうだよお兄ちゃん。連絡を入れておいたはずだけど、クラウスはいる?」

 ペスカは何とも気軽に、門に立つ兵士に声を掛けて、カードを見せる。カードを見た兵士は、恭しく頭を下げた。

「お待ちしておりました、ペスカ様。中へどうぞ」
「ペスカ、ここでも同じ対応かよ? 何なのお前?」
「まあまあ、細かい事は気にしない! 禿げるよ!」
「禿げねえよ!」

 門を越え庭を抜け、邸宅の入り口までやってくると、中から執事服を着た男が現れ、深々と頭を下げる。

「お待ちしておりましたペスカ様。旦那様と奥様は現在留守にしております。お帰りになるまで、中でごゆるりとお寛ぎ下さい」

 ペスカは執事服を着た男へ、挨拶代わりに手を上げる。そして勝手知ったる風に、ずかずかと邸宅の中を進み、応接室にたどり着いた。そして、どかっとソファーに身を投げると、冬也に声を掛ける。

「緊張しなくて大丈夫。ゆっくりしよお兄ちゃん」
「お前はどこのお嬢様だよ! ペスカが遠くに感じるよ」
「もぉ、何言ってんのよ。私はいつでも、お兄ちゃんの愛する妹だよ」

 二人がリビングのソファーに背を預けると、直ぐにメイド達がお茶とお菓子を運んでくる。
 だが、十人以上は悠々と入る広いリビングと、執事やメイドが当たり前に働く邸内に、冬也は分不相応な感覚を覚えていた。ペスカは、気にも留める様子もなく菓子を食べていたが、冬也は手を出す気にはなれなかった。

 非常に落ち着かない感覚の中、時間を持て余しキョロキョロと冬也は辺りを眺める。
 家人の趣味なのか調度品は少なく、昨夜の高級宿の方がよっぽど立派に感じる。宿と異なるのは、リビングの戸辺りにメイドが待機している事だろう。

 数刻の後、部屋の外がざわめきだし、メイド達の手により部屋の戸が開け放たれる。そして、一人の青年が部屋に入ってきた。背が高く耳の尖った美形の青年は、勢い良くこちらに近くと、ペスカの前で膝を突き深々と頭を下げる。

「ペスカ様、良くお戻りになられました。このクラウス、一日千秋の思いで、ペスカ様のお帰りをお待ちしておりました」
「クラウス、久しぶりだね!」
「ところでペスカ様。そちらの御仁は、どなたでしょうか?」
「私のお兄ちゃんだよ!」

 クラウスはペスカに視線を送ると、冬也の方へ体を向ける。そして軽く微笑し、冬也に頭を下げた。

「貴方がペスカ様の兄君でしたか。話は妻から聞いております。私はルクスフィア領を治める、クラウス・フォン・ルクスフィアと申します。何卒良しなに」
「東郷冬也です。よろしくお願いします」

 更に状況がわからくなったが、冬也は取りあえず頭を下げる。それは日本人の性であろう。

「ペスカ様、冬也様。もうじき妻も戻ると思います。昼食を取りながら、色々お話をお聞かせください」

 クラウスの後に続いて歩き通された場所は、パーティーでも開くのかと思える広い食堂であった。大きな一枚板のテーブルが鎮座し、十数脚の椅子が綺麗に並んでいる。
 二人を上座に座らせた後、クラウスは執事を一人部屋に残して自分も席に着く。そしてペスカは、昨日の出来事をクラウスに説明し始めた。

「そうですか。あの森にマンティコアが出るなんて、不可解ですね」
「クラウス、森の調査は?」
「ペスカ様から念話を頂いてから、直ぐに兵士を差し向けました。」
「あいつとの関係は?」
「関係ないとは言い切れないでしょう。引き続き調査を致します」

 冬也は二人の会話を、ただ無言で聞いていた。ペスカの印象はいつもと全く違い、しっかりとしたビジネスウーマンの様である。そのペスカに対し、クラウスという人物は恭しい態度を崩さない。
 そんな妹を見て、冬也はやや混乱していた。そんな冬也を思ったのか、ペスカが声をかける。

「お兄ちゃん。お腹空いたでしょ?」
「あぁ、まあな」
「そうです。今日は当家のシェフが、腕によりをかけた料理をご堪能下さい」

 クラウスの合図と共に、料理は次々と運ばれてきた。運ばれた料理の中に見た事も無い珍しいものは一切無い。むしろ日本で見慣れた料理の数々が運ばれてくる。それを見た冬也は、流石に声を荒げた。

「ご飯に味噌汁、焼き魚に納豆。これ全部日本食じゃねぇか! 何でだよ!」

 冬也の言葉に、クラウスは首を傾げる。だが冬也からすれば、これを何故おかしいと思わないのかが疑問なのだ。
 米はいいだろう。道中で稲穂を見たのだ、この街で食されていると考えても不思議ではない。焼き魚もいいだろう。異世界にだって魚位はいてもおかしくない。
 しかし、大豆の発酵食品だけは別だ。これは日本の文化なのだ。だれかが意図的に持ち込まない限り、存在する事はなかろう。
 
 何が不思議なのかでもと言いたげな表情を浮かべるクラウスをフォローする様に、ペスカが語りかける。

「まあ、食べてみてよお兄ちゃん」

 ペスカに促され、冬也は味噌汁やご飯に手をつけた。

「う~ま~い~ぞ~!」
「勝手に感想を言うな! どこの食通だよ! ってか微妙に違うな。出汁の取り方か?」
「そうだね、出汁が足りないね。それとお米は、品種改良が必要かな?」
「ご教示ありがとうございます、ペスカ様。未だ品種改良は難儀しております。これからも一層の努力を重ねる所存です」
「うむ、そうしたまえよクラウス君。かっかっか」
「ペスカ、お前は何キャラなんだよ。クラウスさんでしたっけ。こいつ直ぐ調子に乗るんで、あんまり乗っからないで下さい」

 昼食は、ペスカを中心にがやがやと騒がしいものになった。丁度食べ終わろうとした時であった、食堂のドアがメイドの手によって開かれる。ドアが開かれた瞬間、冬也の耳には聞き覚えの有る声が届く。そして眉を顰めて冬也は振り向いた。

「てめぇ! こんな所で何してやがる!」
「お兄ちゃん、止めて!」

 ドアから入って来たのは、ペスカの母親であった。冬也からすれば、小さな子供を置いて十年も姿をくらましていた人物である。冬也が声を荒げるのも仕方あるまい。
 旅行をしようと言ったペスカの目的が、たとえ『母に会う』事だったとしてもだ。

 こうなると、冬也自身は覚悟をしていた。だからこそ、怒りを露わにしない様に、我慢しようと決めていた。しかし、一目見た瞬間に怒りが込み上げてくる。それを止める事は出来ない。
 十年を経過しても、義母の顔は些かも変わらない。例え変わっていたとしても、冬也は忘れる事はなかったろう。決して、他人の空似とは言わせない。
 今にも殴りかかりそうな勢いで、義母に詰め寄ろうとする冬也を、クラウスが後ろから羽交い絞めにして止める。
 そしてペスカは頭を抱えた。異世界の街に着いて早々、波乱が訪れようとしていた。
 ペスカの正体を知らされた翌朝の事、冬也は侯爵邸の庭を借りて体を動かしていた。掛け声と共に拳を突き出し、蹴りを繰り出す。それは父から学んだ『複数の格闘技をミックス』させたオリジナルの型であった。
 毎日の様に繰り返し行って来た理由は、父から命じられたからではない。己の力でペスカを守る為、それに尽きる。しかし、先日の戦いでは『ペスカを守る』どころか『ペスカに守られた』のだ。

「足りない、まだ足りない。こんなんじゃあいつは倒せない」

 異世界に来た事を知り、ペスカの真実を知った。その中でペスカが何故に自分を連れてこの世界に戻って来たのか。その理由も薄々は感づいた。
 具体的にはわからない。しかし、今のままではペスカのやるべき事に、自分は足手纏いにしかならない。
 この異世界には魔法が有る、それを自分も使える。だけど威力は充分じゃない。小さい動物は倒せても、あの化け物には通用しない。
 あの戦いで、ペスカに守られた事自体は単純に嬉しかった、問題はそこではない。自分の力だけでは手も足も出なかった事、もっと言えば鍛えた拳が一切通じなかった事が大問題なのだ。
 何の為に鍛えてきた、何の為に力を求めた、それはペスカの危機を救う為だ。その力がペスカに劣るのであれば、いざという時に守る事は出来ない。

 冬也の中では化け物を倒した瞬間を思い出していた。そして、自らの身体全体にマナを流した。
 何故こんな事が自分に出来るのか。今はそれを考えまい。それよりもこの世界での戦い方に適応する事の方が大切だ。

 そうしてマナを纏わせた拳を振るう。風がブンと起きる。マナを身体に纏わせると、より早く、より強く拳を振るう事が出来る。そうやって、いつもの型を発展させる様に体を動かした。
 先ずはあの化け物と対等に戦える体を、それからあの化け物を圧倒出来る威力を。そうして汗が噴き出すのも忘れて、型の訓練を行っていた。
 
 それから数刻も過ぎた頃だろう、後方から声が聞こえて振り返る。そこには未だ寝ぼけ眼の、ペスカが立っていた。

「お~! お兄ちゃん、かっこいいね~」
「ペスカか、何してんだ?」
「起きたらお兄ちゃん居ないし、探してたんだよ」
「そっか、ごめんなペスカ」
「それより、お腹すいたよ」

 ペスカに言われて気が付けば、もう日は高くまで昇っている。どの位の時間、型の訓練をしていたのだろう。自分の体を見回すと、シャツはべっとりと身体に張り付いており、髪の毛もぼさぼさになっていた。
 そして一息つこうとした冬也は、ふとした事に気が付いた。

「ペスカお前、今起きたんじゃないよな?」
「ま、まさか、まさかだよ。まさかり担いだ金太郎だよ」
「何くだらない事言ってんだよ。夜更かしは駄目っていつも言ってるだろ! 兄ちゃんの言う事聞けないやつには、お仕置きだからな」
「い~や~! おに~ちゃんの汗でびちょる~」

 冬也のグリグリ攻撃が、ペスカの頭に容赦なくさく裂する。本日は、汗付きの大サービスだ。ペスカは涙目になっていた。

「う~。乙女にする事じゃ無いよ! わかってるお兄ちゃん? セクハラ大魔王!」
「だれがセクハラ大魔王だ! でも飯にすっか。俺も腹減ったよ」

 クラウスからは、自由に屋敷を使っていいと言われている。ペスカが声をかけるだけで、メイドが走って来る。こんな時だろう、いつもとは異なる環境にいるのだと気が付かされるのは。

 博物館かと思わせる様な調度品の数々、ホテルかと思わせる様な部屋の多さ。そんな豪邸を管理するには、流石に人手が必要なのは誰でもわかる。
 しかし、執事やメイドに屋敷の管理を任せている人は、地球上にどの位の数が存在するのだろう。それこそ冬也とは縁が無い世界だ。それが、眼前では当たり前の様に行われている。
 
 メイドに案内された先には、既に着替えが容易してある。「身体をお流しします」と恭しく傅かれる。流石にそれは遠慮したものの、風呂自体もユニットバスのそれとは違い、銭湯位のサイズは有る。
 ただ、そんな事を一々気にしていては、こんな豪邸で一日足りとも生活は出来まい。そうして冬也は、その一切を気にしない事を決め込み、大きな風呂を堪能した。

 汗を流した後は、ペスカと二人で遅い朝食を取る事になった。二人で使うには大きすぎるテーブルの片隅を占領し、メイドが運んで来る日本食に似た料理を口に運ぶ。

「相変わらず旨くねぇな、この日本食もどき」
「私、納豆嫌い。お兄ちゃん食べて~」
「やだよ、兄ちゃんも嫌いだし」
「ところで、お兄ちゃん。ご飯食べたら特訓ね」
「なんの?」
「なんのって馬鹿なの? お兄ちゃんって、私を誰だと思ってるの? これでも魔法の大家なんだよ」
「そっか、賢者とか何とか言ってたっけ、マジだったんだ」
「まだ信じてなかったの? お兄ちゃんってバカ? 変態?」
「バカはともかく変態じゃねぇ~よ」
「バカは認めるんだ!」

 食事が終わると、二人は再び中庭に戻る。汗を流しスッキリした上に腹も満たされ、冬也の準備は万端だ。それに対しペスカは、両手を腰に当て胸を反る様にして、鼻息荒く声を大にする。

「貴様が訓練兵か。何をちんたらやっている。早く並べ」
「可愛い声で言っても、似合わねぇよペスカ」
「貴様ぁ、俺の事は教官と呼べ! ハイは一回! わかったか!」
「はい!」
「気合が足りん、わかったか~!」
「うるさい!」

 ゴンと鈍い音と共にペスカは蹲る。そして頭をさすりながら、うぅーと恨めしそうに冬也を睨む。

「雰囲気が大切なんだよ。何事も形からだよ。お兄ちゃん」
「良いから本題に入って下さい。教官殿」

 冬也にせっつかれ、ペスカは魔法の説明を始めた。

「い~い、お兄ちゃん。前にも言ったけど、魔法はイメージを具現化した物なんだよ」

 科学と魔法の違い、それは創造の過程が物理的で有るか否かだ。

 同じ現象が起きたとしても、魔法では『マナを使ってイメージした物を現象化』させる。その為、細かな理屈が理解出来ない場合は、仮に具現化してもイメージ通りの効果を起こさない場合が有る。よって魔法を使う過程では、イメージをより具体的にする必要が有る。

「兄ちゃん、わかんないよ。もう少し簡単な説明をしてくれよ。教官」
「仕方ないな~。森で少しやったでしょ? 火を出すやつ」
「あれは、お前が見せたアニメを、イメージしたんだけど」
「普通はね。酸素と熱、それに可燃物が無ければ、燃焼は起きないの。でも、魔法の場合は、熱と可燃物の代替えとして、マナを使うんだよ」
「難しい事を言うなよペスカ」
「お兄ちゃん、理科の実験を思い出してよ。理論的な解釈が出来なくても、魔法は使えるよ。でも、精度と威力が段違いなんだよ」
「それじゃあ、化け物を倒した時に出た風は?」
「あれは、私がこっそりとサポートしたからね。お兄ちゃんが自分の体を強化したのは、及第点だけど」
「わかった様な、わからない様な」
「まぁ、お兄ちゃんは実戦でやった方が良いかもね」

 どれだけ説明しても、いまひとつ冬也は理解に欠ける様だった。仕方なく最初は、実際にペスカが魔法を放ち、それを模倣する訓練方法に落ち着いた。

 ペスカは、炎、風だけでなく、水、土等、様々な物を利用した魔法をどんどん繰り出していく。冬也は見た現象を再現できる様に、必死になって魔法を放つ。

 だが、冬也は既に森の中で、魔法を使用してモンスターを倒している。その為、慣れも早い。少しすると、ペスカの魔法を真似る訓練ではなく、ペスカの指示したイメージ通りに、魔法を放てる様な訓練にシフトして行った。

「違う。お兄ちゃん、もっとイメージをしっかり」
「こうやってこう! 何でわかんないかな~」
「もっと先を細くする感じ。そう! 良いよ!」

 次々とかけられるペスカの言葉に、真摯に従い冬也は魔法の訓練を続ける。ひたすら、魔法を放ち続けた。日が沈みかける頃、冬也の疲労はピークを越え倒れ伏した。

「あ~マナ切れだね。今日はここまで。お疲れ様お兄ちゃん」

 冬也は声もだせず、軽く手をひらひら振った。

「お兄ちゃんの進化をお楽しみに! また来週!」

 見た事も無いほど、疲れて倒れこんでいる冬也を見ると、ペスカはにやりと笑う。お仕置きと称しされた日頃の鬱憤を晴らしつつ、冬也を鍛える計画の成功にペスカは大満足であった。
「てめぇ! 大事な子供を捨てて、こんな所で幸せってか! ふざけんじゃねぇぞ!」

 冬也から無意識に得体の知れない力が解き放たれる。本人すらわかっていない力に、クラウスや義母の肌が瞬間的に粟立った。
 本当の意味で、冬也が怒る事は滅多にない。ただ一つ言えるのは、冬也がその状態に陥れば相手は唯じゃすまない。それをよく知るペスカは、宥めようと冬也に声をかける。

「お兄ちゃん、怖いよ。怒らないで、ね」

 冬也が怒鳴り散らすのも無理は有るまい。

 義母が行方をくらましたのは、ペスカがまだ幼少の頃だった。父が不在にする事が多い家庭で、ペスカを育てたのは歳がそう変わらぬ冬也であった。
 当然ながら、毎月一定額の仕送りが父親からされる。だが、金が有ればすべて解決出来るはずも有るまい。食事、掃除、洗濯等の家事全般は、幼い冬也が全て見様見真似で行ったのだ。何度も、何度も失敗して、それらしく出来る様になったのだ。家事は、大人でさえ苦手とする者が存在すると言うのにだ。その苦労は計り知れない。

 しかし、そんな事さえ今はどうでもよかろう。

 冬也は、しなくてもよかった苦労を押し付けた事を恨んでいるのではない。無責任にペスカを放りだした事を怒っているのだ。
 これが例えば、相応の苦労をして来ただろう事を容易に想像させる様な薄汚れた恰好をしていれば、少しは溜飲もおさまっただろうか。
 それとも、顔を会わせた瞬間に大粒の涙を流していれば、怒りを収める事が出来ただろうか。

 いずれにしてもペスカの不自由と引き換えに、上等な服を着て豪華な屋敷で暮らしていると考えれば、納得が出来るはずもない。
 そんな冬也を鎮めようとしたのは、義母でもクラウスでもなくペスカであった。 

「止めてお兄ちゃん! 全部、誤解なんだよ!」
「何でだよペスカ! そいつは、お前を捨てたんだぞ!」
「だから、誤解だって。全部話すって言ったでしょ。ちゃんと話を聞いて、お兄ちゃん」

 涙目で訴えるペスカの姿に冬也は拳を緩める。勿論、クラウスが羽交い締めにしなくとも、義母をどうこうする気は更々ない。火が点いてしまったからには、消すのが容易ではないだけだ。

 ただ、ペスカが泣いている。それだけは駄目だ。駄目なんだ。

 冬也はクラウスの腕を振りほどくと乱暴に椅子に腰かけ、威嚇する様にクラウスと義母を睨めつけた。
 
「この感じだと、全員事情を知ってるんだよな! 誰が俺に説明すんだ?」
「私から説明するわね」

 義母はゆっくりと冬也の正面に座る。

「シルビアさん、あんたが娘を捨てた理由。ちゃんと聞こうじゃねぇか。納得出来なきゃ覚悟しろよ」
「良いわよ、冬也君。それで貴方の気が済むなら、幾らでも殴って頂戴!」

 恫喝する様な冬也に対し、義母シルビアは真剣な眼差しで向き合う。ペスカと同じ美しい金髪と青い瞳、顔立ちもペスカとよく似て美しい。似ていないのは、胸のサイズだろうか 
 いずれにせよシルビアの瞳は、覚悟を決めた様な意志が宿っていた。いつかこんな日が来ると、わかっていたかの様に。
 既に一触即発の雰囲気にも似た様子である。そこにペスカが割って入った。

「ちょっと待ってシルビア!」
「いいえ、ペスカ様。彼の言う事には、間違いは有りません。わたしは、罰を受けなければならないのです」
「あ~もう、お兄ちゃんといい、シルビアといい。二人共頑固なんだから! いい、お兄ちゃん! シルビアをぶっ飛ばしたら、お兄ちゃんは私がぶっ飛ばすからね! 一応シルビアは、私の母親なんだから!」

 ペスカは冬也の隣に座って、やや凄んでみる。しかし冬也に睨まれ直ぐにそっぽを向いた。それは、ペスカの本能的な回避行動だったのかも知れない。冬也が本気で怒った時は怖いのだから。
 だがシルビアは真っ直ぐに冬也の目を見つめ、ゆっくりと口を開いた。

 ペスカはこの大陸で、一二を争う優秀な賢者だった。
 魔法に秀でたペスカは魔法研究の第一人者であり、農業、工業、経済まで、あらゆる物を発展させていった。ペスカの発明した物は、生まれ故郷である国を始めとして、今やあらゆる国に流通している。しかし、ペスカは元々体が弱くて、寿命も余り長くないと言われていた。
 そして、ある事件がきっかけで更に体を壊し寿命を縮めた。その事件は大陸中を巻き込む大事件に発展し、ペスカは先頭に立ち解決に導いた。

 当然ペスカは大陸中で英雄視された。だがその代償は高く、ペスカは死の淵に立たされた。そこで浮上したのが転生である。
 とある神からの提案で、記憶と経験を持ったまま転生する事を勧められた。そして、母体に選ばれたのが、シルビアであった。ペスカのマナと親和性が高いシルビアは、ペスカの魂を子宮に収め日本に転移した。

 日本に来たからと言って、安全に出産どころか生活の保障すらない。その手助けをしたのが、冬也の父である東郷遼太郎であった。
 遼太郎は、シルビアの生活を面倒を見る一方で、様々な助力をしていった。その一つが、シルビアの在留特別許可とペスカの日本国籍取得であった。その為シルビアは、遼太郎と戸籍上の婚姻を果たした。それでも、すんなり許可が下りたのは、法務省等に顔の利く遼太郎の采配によるものだった。

 ただし、シルビアはペスカの部下で有り、元の世界でやるべき事が多く残されている。せめて有る程は成長するまでと、ペスカに許しを請いながら、シルビアは日本での生活を続けていた。いずれは帰らなければならない事に、変わりがなくても。

「都合の良い話を並べたなぁ。それはペスカを捨てた理由になるのかよ?」
「私が、ペスカ様を残して帰って来れたのは。冬也君、貴方が居たからよ」 
「どう言う事だ?」
「貴方は、ペスカ様を何が何でも守ってくれる。実際に森の中でも、ペスカ様を守ってくれたでしょ? 遼太郎さんってよりは、貴方を信じたのよ。冬也君」

 納得がいかない表情の冬也を諫める様に、シルビアは優しく冬也に説明を続けた。

「転生を勧めて下さった神様から、助言を頂いてたの。日本に行ったら、東郷遼太郎とその息子を頼れってね」
「神様の思し召しってか。笑わせんじゃねぇよ!」
「理解してくれなくても構わないわ。事実ですもの。それと、初めて貴方を見た時に、神様の言う事は間違いないと、確信したわ」
「そりゃ、どういう事だよ」
「貴方は、他人の為に力を振るえる子。他人の為に怒れる子。ただの幼稚園児が、友達を助ける為に、倍以上に体が大きい小学生に立ち向かう。そんな事が出来る子は居ないもの」

 シルビアが初めて冬也を見たのは、まだ彼が幼稚園に通っていた頃であった。
 虐められている友達を助けようと、体の大きな小学生達を相手に冬也は立ち向かった。対格差がありすぎる。当然、敵うはずがない。何度倒されても、殴られても、冬也は必ず立ち上がる。根負けした小学生達が、去っていくまでそれは続いた。
 冬也は傷だらけになっていた。痛いはず、泣き出してもおかしくないはず。だが冬也は自分の事より、虐められて泣いていた友達へ真っ先に声をかけた。

 なんて強い子なんだろう。
 なんて温かい魂を持っているんだろう。
 神のお言葉は、間違っていなかった。
 この子なら、必ずペスカ様を守ってくれる。
 この子なら、必ずペスカ様を導いてくれる。
 幼い冬也の姿に、シルビアは涙が止まらなかった。

「私はペスカ様の意思を継ぐ者。ただ、幼いペスカ様を置き去りにした事実に変わりは無い。裁きは受けます。その権利は貴方に有る。冬也君、好きなだけ殴りなさい。それで、私の罪が消えはしない。でも、貴方の心が少しでも軽くなるなら、それで構わないわ」

 シルビアの瞳が、真っすぐに冬也の瞳を射抜く。その瞳には嘘が無い事を、冬也は確信した。
 それでも、納得した訳では無い。許せるとも思えない。十年に渡り抱えたわだかまりは、すんなりと解消出来るはずが無い。
 だが、冬也はシルビアの事情を察して、この場の怒りを治める事にした。心配そうに見つめるペスカの頭を軽く撫でて、冬也は席を立つ。
  
「悪いが、休ませて欲しい」

 冬也が言うと、すかさずメイドが案内を申し出る。メイドに案内されて寝室に通されると、冬也はベッドに身を預け、少し休む事にした。

 知らされたペスカの謎。聞かされたのは、理解できない話ばかり。冬也には受け止めきれない内容だった。
 暫くの間、冬也が悶々としていると、ノックの音が聞こえ、扉が開きペスカが中に入って来た。

「お兄ちゃん。私の事嫌いになっちゃった?」 
「そんな訳ないだろ」
「怖い?」
「怖いのは、お前が傷つく事だ」 

 不意にペスカが抱き着いて、涙を流す。冬也はペスカを、やさしく抱きしめ返した。目を真っ赤に腫らしたペスカが少し落ち着くまで、冬也はペスカを抱きしめていた。

「ペスカ。お前はどうするんだ? ここに残るのか?」
「何言ってんの? お兄ちゃん。日本に帰るに決まってるじゃない」
「だってここが、お前の故郷なんだろ?」
「お兄ちゃんは、帰りたいでしょ?」
「当たり前だ!」
「お兄ちゃんの隣が、私の居場所だよ」

 冬也にとって、ペスカの居ない日常は考えられない。想像しただけで、寂しさで胸を締め付けられる。冬也はペスカを抱きしめる力を少し強める。
  
「もしかして、お兄ちゃん寂しいの? お兄ちゃんは、妹大好きっ子だからな~!」
「うるせぇよ、馬鹿ペスカ」

 だがそれは、ペスカとて同様で有り、冬也が傍に居る事は、当たり前になっていた。ペスカは、抱き着く力を強め、冬也の胸に顔を埋めた。

 ☆ ☆ ☆

 冬也は、そのまま部屋を出ずに寝てしまう。冬也が寝た後、ペスカは起こさない様に、部屋を出る。そして、屋敷の一室に入って行った。
 部屋の中には、クラウス、シルビアの二人が、ペスカを待っていた。

 ペスカが入室すると、席を立ち頭を下げるクラウスとシルビア。ペスカは座る様に、ジェスチャーで指示をする。ペスカが腰かけたの確認すると、クラウスが話し始めた。

「先ずは報告を聞こうか、シルビア。森の探索はどうだった?」
「はい、うっすらとですが、魔力の残滓が有りました」
「そうか、嫌な予感は当たりそうだな」
「まだ調査が必要かと思います。それに、他領の状況も気になる所ですね」
「メイザー領に、連絡を取ってみるか。シルビア、それも含めて調査の続行を頼む」
「わかりました、クラウス」

 二人の会話を聞いていた、ペスカが徐に話に割って入った。

「ねぇ、シルビア。私が転生した後は、あれの情報は入っているの?」
「現在は、動きを潜めてます。私がペスカ様と日本にい居た間は、テロ活動が盛んだった様です」
「そっか。でも、あんなのが出たって事は、間違い無く奴らが係わってるよ」

 ペスカの言葉に表情を引き締める、クラウスとシルビア。

「クラウスは、陛下を通じて、他領と他国にも連絡を入れる事。シルビアは、引き続き調査をよろしく」
「「かしこまりました」」

 ペスカの命令に、クラウスとシルビアは、深く頭を下げた。

「ところでペスカ様、兄君はご一緒に連れて行かれるのですか?」
「何よ、クラウス。お兄ちゃんに何か不満?」
「あら、それでは屋敷で少し鍛えてから、出発なさっては如何でしょう? 冬也君は、かなり運動神経が良いですし」
「どのみち、私はマナの回復が暫くかかりそうだし、それも有りかな」

 会話が終わり、ペスカは部屋を出た後、冬也のマル秘特訓計画を一晩中かけて練り上げる。そしてペスカは、翌日昼近くまで眠った挙げ句、冬也にお仕置きされるのであった。
 ペスカの正体を知らされた翌朝の事、冬也は侯爵邸の庭を借りて体を動かしていた。掛け声と共に拳を突き出し、蹴りを繰り出す。それは父から学んだ『複数の格闘技をミックス』させたオリジナルの型であった。
 毎日の様に繰り返し行って来た理由は、父から命じられたからではない。己の力でペスカを守る為、それに尽きる。しかし、先日の戦いでは『ペスカを守る』どころか『ペスカに守られた』のだ。

「足りない、まだ足りない。こんなんじゃあいつは倒せない」

 異世界に来た事を知り、ペスカの真実を知った。その中でペスカが何故に自分を連れてこの世界に戻って来たのか。その理由も薄々は感づいた。
 具体的にはわからない。しかし、今のままではペスカのやるべき事に、自分は足手纏いにしかならない。
 この異世界には魔法が有る、それを自分も使える。だけど威力は充分じゃない。小さい動物は倒せても、あの化け物には通用しない。
 あの戦いで、ペスカに守られた事自体は単純に嬉しかった、問題はそこではない。自分の力だけでは手も足も出なかった事、もっと言えば鍛えた拳が一切通じなかった事が大問題なのだ。
 何の為に鍛えてきた、何の為に力を求めた、それはペスカの危機を救う為だ。その力がペスカに劣るのであれば、いざという時に守る事は出来ない。

 冬也の中では化け物を倒した瞬間を思い出していた。そして、自らの身体全体にマナを流した。
 何故こんな事が自分に出来るのか。今はそれを考えまい。それよりもこの世界での戦い方に適応する事の方が大切だ。

 そうしてマナを纏わせた拳を振るう。風がブンと起きる。マナを身体に纏わせると、より早く、より強く拳を振るう事が出来る。そうやって、いつもの型を発展させる様に体を動かした。
 先ずはあの化け物と対等に戦える体を、それからあの化け物を圧倒出来る威力を。そうして汗が噴き出すのも忘れて、型の訓練を行っていた。
 
 それから数刻も過ぎた頃だろう、後方から声が聞こえて振り返る。そこには未だ寝ぼけ眼の、ペスカが立っていた。

「お~! お兄ちゃん、かっこいいね~」
「ペスカか、何してんだ?」
「起きたらお兄ちゃん居ないし、探してたんだよ」
「そっか、ごめんなペスカ」
「それより、お腹すいたよ」

 ペスカに言われて気が付けば、もう日は高くまで昇っている。どの位の時間、型の訓練をしていたのだろう。自分の体を見回すと、シャツはべっとりと身体に張り付いており、髪の毛もぼさぼさになっていた。
 そして一息つこうとした冬也は、ふとした事に気が付いた。

「ペスカお前、今起きたんじゃないよな?」
「ま、まさか、まさかだよ。まさかり担いだ金太郎だよ」
「何くだらない事言ってんだよ。夜更かしは駄目っていつも言ってるだろ! 兄ちゃんの言う事聞けないやつには、お仕置きだからな」
「い~や~! おに~ちゃんの汗でびちょる~」

 冬也のグリグリ攻撃が、ペスカの頭に容赦なくさく裂する。本日は、汗付きの大サービスだ。ペスカは涙目になっていた。

「う~。乙女にする事じゃ無いよ! わかってるお兄ちゃん? セクハラ大魔王!」
「だれがセクハラ大魔王だ! でも飯にすっか。俺も腹減ったよ」

 クラウスからは、自由に屋敷を使っていいと言われている。ペスカが声をかけるだけで、メイドが走って来る。こんな時だろう、いつもとは異なる環境にいるのだと気が付かされるのは。

 博物館かと思わせる様な調度品の数々、ホテルかと思わせる様な部屋の多さ。そんな豪邸を管理するには、流石に人手が必要なのは誰でもわかる。
 しかし、執事やメイドに屋敷の管理を任せている人は、地球上にどの位の数が存在するのだろう。それこそ冬也とは縁が無い世界だ。それが、眼前では当たり前の様に行われている。
 
 メイドに案内された先には、既に着替えが容易してある。「身体をお流しします」と恭しく傅かれる。流石にそれは遠慮したものの、風呂自体もユニットバスのそれとは違い、銭湯位のサイズは有る。
 ただ、そんな事を一々気にしていては、こんな豪邸で一日足りとも生活は出来まい。そうして冬也は、その一切を気にしない事を決め込み、大きな風呂を堪能した。

 汗を流した後は、ペスカと二人で遅い朝食を取る事になった。二人で使うには大きすぎるテーブルの片隅を占領し、メイドが運んで来る日本食に似た料理を口に運ぶ。

「相変わらず旨くねぇな、この日本食もどき」
「私、納豆嫌い。お兄ちゃん食べて~」
「やだよ、兄ちゃんも嫌いだし」
「ところで、お兄ちゃん。ご飯食べたら特訓ね」
「なんの?」
「なんのって馬鹿なの? お兄ちゃんって、私を誰だと思ってるの? これでも魔法の大家なんだよ」
「そっか、賢者とか何とか言ってたっけ、マジだったんだ」
「まだ信じてなかったの? お兄ちゃんってバカ? 変態?」
「バカはともかく変態じゃねぇ~よ」
「バカは認めるんだ!」

 食事が終わると、二人は再び中庭に戻る。汗を流しスッキリした上に腹も満たされ、冬也の準備は万端だ。それに対しペスカは、両手を腰に当て胸を反る様にして、鼻息荒く声を大にする。

「貴様が訓練兵か。何をちんたらやっている。早く並べ」
「可愛い声で言っても、似合わねぇよペスカ」
「貴様ぁ、俺の事は教官と呼べ! ハイは一回! わかったか!」
「はい!」
「気合が足りん、わかったか~!」
「うるさい!」

 ゴンと鈍い音と共にペスカは蹲る。そして頭をさすりながら、うぅーと恨めしそうに冬也を睨む。

「雰囲気が大切なんだよ。何事も形からだよ。お兄ちゃん」
「良いから本題に入って下さい。教官殿」

 冬也にせっつかれ、ペスカは魔法の説明を始めた。

「い~い、お兄ちゃん。前にも言ったけど、魔法はイメージを具現化した物なんだよ」

 科学と魔法の違い、それは創造の過程が物理的で有るか否かだ。

 同じ現象が起きたとしても、魔法では『マナを使ってイメージした物を現象化』させる。その為、細かな理屈が理解出来ない場合は、仮に具現化してもイメージ通りの効果を起こさない場合が有る。よって魔法を使う過程では、イメージをより具体的にする必要が有る。

「兄ちゃん、わかんないよ。もう少し簡単な説明をしてくれよ。教官」
「仕方ないな~。森で少しやったでしょ? 火を出すやつ」
「あれは、お前が見せたアニメを、イメージしたんだけど」
「普通はね。酸素と熱、それに可燃物が無ければ、燃焼は起きないの。でも、魔法の場合は、熱と可燃物の代替えとして、マナを使うんだよ」
「難しい事を言うなよペスカ」
「お兄ちゃん、理科の実験を思い出してよ。理論的な解釈が出来なくても、魔法は使えるよ。でも、精度と威力が段違いなんだよ」
「それじゃあ、化け物を倒した時に出た風は?」
「あれは、私がこっそりとサポートしたからね。お兄ちゃんが自分の体を強化したのは、及第点だけど」
「わかった様な、わからない様な」
「まぁ、お兄ちゃんは実戦でやった方が良いかもね」

 どれだけ説明しても、いまひとつ冬也は理解に欠ける様だった。仕方なく最初は、実際にペスカが魔法を放ち、それを模倣する訓練方法に落ち着いた。

 ペスカは、炎、風だけでなく、水、土等、様々な物を利用した魔法をどんどん繰り出していく。冬也は見た現象を再現できる様に、必死になって魔法を放つ。

 だが、冬也は既に森の中で、魔法を使用してモンスターを倒している。その為、慣れも早い。少しすると、ペスカの魔法を真似る訓練ではなく、ペスカの指示したイメージ通りに、魔法を放てる様な訓練にシフトして行った。

「違う。お兄ちゃん、もっとイメージをしっかり」
「こうやってこう! 何でわかんないかな~」
「もっと先を細くする感じ。そう! 良いよ!」

 次々とかけられるペスカの言葉に、真摯に従い冬也は魔法の訓練を続ける。ひたすら、魔法を放ち続けた。日が沈みかける頃、冬也の疲労はピークを越え倒れ伏した。

「あ~マナ切れだね。今日はここまで。お疲れ様お兄ちゃん」

 冬也は声もだせず、軽く手をひらひら振った。

「お兄ちゃんの進化をお楽しみに! また来週!」

 見た事も無いほど、疲れて倒れこんでいる冬也を見ると、ペスカはにやりと笑う。お仕置きと称しされた日頃の鬱憤を晴らしつつ、冬也を鍛える計画の成功にペスカは大満足であった。