黒い光に胴を貫かれたスールは、その長い生涯に終わりを告げた。そして、冬也とペスカにより蘇り、大量の神気を有する神龍へと変貌を遂げた。
スールは、二人を背に乗せ、上空へ舞い上がる。高く飛び上がった先に見えたのは、真っ黒い闇に染まる密林と、闇が広がる光景だった。遠目で大地の詳細な様子はわからないが、禍々しい瘴気が放たれているのは見て取れる。
そして、次々に黒いドラゴンが生まれては、大地から飛び立っていく。
「なんだあれ!」
「予想以上だね。スール、ここにはニューラがいたと思うんだけど」
「ペスカ様。ニューラは、邪神に体を乗っ取られました。かなり抵抗した様ですが」
「そう……」
驚く冬也と、言葉を失うペスカ。無理も無いだろう。メルドマリューネで起きた現象と、似た様な事がこの大陸で起こり、更に広がりを見せているのだから。
「見えますかな、あの広がる闇を。お二人には結界を張り、闇の広がりを食い止めて頂きたいのじゃ」
スールに神気を与えた為、広大な大地に結界を張れる程の神気は残されていない。それは、ペスカとて然程変わりはない。だが、二人は視線を合わせて頷き合う。
「お兄ちゃん、私に合わせてね」
「おぅ、任せたぞ」
ペスカと冬也は、残された神気を高める。そして自分達の神気を大地に繋げる。
「大地母神ミュールに代わり命ずる。この地に眠る女神の力を持って盾と成せ。邪なるものを通さぬ無双の盾を。その力を持って悪意を封じよ」
ペスカと冬也の神気が大地に流れ込む。そして、大陸の東を取り囲む様に、光の線が走った。光の線からは、目には見えない障壁が、東の地を取り囲む様にドーム状に広がり、密林を包んでいった。
黒い闇から生まれ続ける黒いドラゴンは、障壁に阻まれて出る事が出来ずにいる。黒い闇も拡大する事が出来ずにいた。東の地から溢れる瘴気は、障壁に阻まれ漏れ出す事は無い。
女神ミュールの力を借り、結界を張る事は成功した。ペスカと冬也は少し肩を撫で下ろす。それは、スールも同様であった。
「流石は主とペスカ様」
「おい、スール。その主ってのは、止めろ!」
「諦めなよ、お兄ちゃん。スールはお兄ちゃんの眷属なんだから。可愛がってあげて」
「一先ず、ここから離れましょう。このまま、我が住処へご案内致します」
「よろしくね。スール」
「おい、呼び方!」
冬也の叫び声が空しく響き、スールは二人を背に乗せたまま飛び立った。
ペスカと冬也は、ここまでの道中でマナを使い過ぎている。それに加え、スールを蘇らせる為に、神気を使い過ぎた。その上、広大な範囲の結界を張った。
既に疲れ切って、とても戦える状態では無い。
結界のおかげで、暫く時間稼ぎが出来るだろう。それに状況は、ペスカと冬也だけで、どうにか出来るレベルを超えている。
態勢を立て直し作戦を練り、万全を期して臨む事が肝要である。ペスカと冬也はスールの背に腰を下ろす。やや気が抜けると共に、疲れが二人の体を鉛の様に重くした。
スールは、二人が背中から落ちない様に、自身の身体に対物障壁を張る。そして、ゆっくりとスピードを上げ、スールは飛んでいく。
ドラゴンの飛ぶ速度は、優にマッハを超える。そのスピードで飛べば、如何に障壁で風圧を抑えたとて、酷い振動や揺れで激しい酔いを起こすだろう。
スールは二人に負荷がかからない様に、スピードを抑えながら、ドラゴンの谷に向かった。
慣れない空の旅は、ペスカ達には快適とは良い難い。しかし、ドラゴンの谷までは、そう時間はかからなかった。
短い道中の間に、スールはペスカ達にこれまでの経緯を語った。
ニューラを襲った、新たな神と自称する存在。ニューラが残した、闇や神と言った言葉。スールの説明で、全ての謎が解けた訳では無い。ただ、トロールの暴走とロメリアに似た邪神の出現。
これは、ペスカが予測した通り、大陸の東側に因果関係がある事は確定的であろう。
ペスカは考え込む様に眉根を寄せる。特にニューラが残した、たどたどしい言葉。その言葉に隠された意味を探そうと、ペスカは頭を働かせた。
大陸の南側、スールの支配地域の中でもやや北寄りに、六千メートルを超える大きな山脈地帯がある。
スールは、その山脈地帯の間に走る深い谷に、ゆっくりと降りていく。谷の主が戻った事を感じた待機中のドラゴンが数体、スールを出迎える様に飛び、声をかける。
「長よ。ご無事でしたか」
「無事では無い。この方々のおかげで、再び戻る事が出来たのじゃ」
「東で何が有ったのですか?」
「邪神が復活し、ニューラの支配地が闇に呑まれた。今、北と西の長に使いを出しておる。じゃが、戻りが遅いのが気になる。お主等は、手分けして様子を見て来い」
「承知いたしました」
「くれぐれも、気をつけよ。危険が有れば直ぐに戻るのじゃ。良いな」
「はっ!」
出迎えたスール配下のドラゴンは、すぐさま北と西に向かい飛んでいく。スールは谷底深くまで降りると、ペスカ達を背から降ろし声をかけた。
「先ずは、お休み下され。後の事はそれから話しを致しましょう」
一方、ゴブリンの里では、軍団を二手に分けていた。
治療班はエレナが率い、トロールの治療へ。残りは、意識を取り戻したコボルトを集めていた。
「お前達は敗れたのだ。我々の勝ちだ。大人しく我々の傘下に下るがいい」
洗脳されていたとは言え浅く、戦いの記憶は残る。無論、ゴブリン達から与えられた恐怖も。極めつけは、ズマの脅しだったかも知れない。
「裏切りは許さん。もし、我等の寝首を搔こうとするなら、貴様等には鉄槌が下ると覚えよ」
コボルトの大軍は、尽く震えあがりズマに従った。
トロールの治療も順調に進む。ただ、モンスター化まで症状が進行していた事も有り、トロール達にはここ最近の記憶は残されていなかった。無論、ゴブリン達をいたぶっていた事も、トロール達の記憶からは消えていた。
故に、これまでの経緯をズマは説明した。その説明にある者は震えあがり、ある者は申し訳ないとばかりに、頭を地面に擦り付けていた。
「お主達は、これからどうする?」
「元に、戻れない。のか?」
「恐らくは……」
「お前、達には、迷惑、かけた。償う」
「それならば、我等と共に戦って欲しい」
「わかった」
既に姿が変わり、異質の存在となったトロール達も、大陸を守る戦力と成る為、ゴブリンの傘下に収まる。
こうして、約百の巨大トロール、およそ八百近いコボルトが、ゴブリンの配下となり、大軍団が出来上がる。
冬也から言われた統一の期限は、僅か五日。コボルトの件で一日が経過した為、残り四日。大陸南の魔獣を全て、配下に加える為の過酷な試練は始まったばかり。
「それにしても、あいつは無茶な事を言うニャ」
「大丈夫なんだな。冬也は優しいんだな」
「優しくないニャ。怖いニャ、酷いニャ」
「それに、おでがついてるんだな」
「お前も一緒に来てくれるニャ?」
「行くんだな。力になるんだな」
「ブル殿、かたじけない」
「良いんだな。ズマは、小っちゃいのに凄いんだな。頑張ってるんだな。おでは、応援するんだな」
戦力はゴブリンを中心とした、コボルト、トロールだけでは無い。サイクロプスで有るブルは魔攻砲を抱えて、ゴブリンへの協力を約束した。当然エレナは、作戦遂行の為に右往左往するだろう。
心強い味方を加えて、ゴブリン軍団は大組織となった。そして、大陸南の制覇に向けて快進撃が始まる。
ただ光が溢れる何も無い空間に、見目麗しい女性達の姿があった。
スレンダーな体躯を持ち、童顔な面持ちで柔らかく微笑む女性。男性を魅了する様なグラマラスな身体つきで、シャープな顔立ちながら、柔和な微笑みを絶やさない女性。少女と見まごうばかりの姿と、勝気な釣り目がちの女性。
女性達はいずれも、世界を創造した原初の神である。
その中でも一番力を持つ女神。大地母神、豊穣の女神、様々な呼ばれ方をされるが、地上で神と言えば大抵この三柱の女神の名が上がるだろう。
三柱の女神は地上に留まらず、神々の中でも最も大きな力を持つ。
そして今、三柱の女神は、神々の住まう天空の地とは別の空間にいた。
三柱の女神は、顔を突き合わせる様に向かい合う。柔らかな表情とは裏腹に、緊迫感が空間内を包んでいた。
「それでミュール、そっちの状況はどうなの?」
「直球ね、フィアーナ。でも、ダーリンの様子は気になるわ」
「あのね、ラアルフィーネ。貴女みたいな色ボケ女神に、冬也君は渡さないわよ」
緊迫感を壊す様な、姦しい二柱の女神の様子に、ミュールは溜息を突く。
「はぁ。あんた達は、相変わらずね。あんな半神の何処が良いのよ。あいつ、所かまわず私の力を使うから、私の神気が減る一方なの。この間は、突然呼び出されたし」
「良いわね~。私も呼び出されたいわ~」
「ラアルフィーネ、ちょっと黙りなさい。それよりミュール、早く話を聞かせて頂戴」
「危険水域を越えたわよ。そろそろ介入も考えないと、不味いかも知れないわね」
ミュールの言葉に、フィアーナの表情が一変する。
それまで笑みを絶やさなかったラアルフィーネまで、真剣な面持ちに変わった。そしてフィアーナは、前のめりで掴みかからんとする勢いで、ミュールを問い詰める。
「なんですって! ミュール、もう少し詳しく話しなさい!」
「ちょっと。掴まないでよね、フィアーナ。簡単な話よ、ドラグスメリア土着の神が何柱か、闇に落ちたの。詳しい数はわかってないわ」
「そんな事は知ってるわよ。私はその先を知りたいの!」
「私の眷属になった神も、何柱か闇に落ちたの。取り込まれた内の一柱は、あの子達に倒されたけどね」
「待ってよ! ベオログ達は、どうなったの?」
「ベオログは無事よ、それ以外は不味いわね。おかげで、私の神気もごっそり減ってる。悔しいけど暫くは、大きな力は使えないわ」
フィアーナは顔を青くする。
複数の神が悪意に染まり闇に落ちた。それだけでも、顔を青ざめさせる脅威である。しかし、事態はそれに留まらない。
「もしロメリアの分け御霊が、ドラグスメリアで成長し新たな邪神として生まれ変わったなら……」
「そうね、ラアルフィーネ。恐らく、あの大陸の神を複数取り込んで、既に巨大な力を持ってるでしょうね。あの子達では、手に負えないでしょうね。もしかすると、ラフィスフィア大陸より危険な状態になるかもしれないわ」
ラアルフィーネの言葉に重ねる様に、フィアーナが話す。その声色には強い緊張が含まれ、空間内は緊迫したムードに包まれる。
「じゃあ、介入するのフィアーナ」
「わかってるでしょ、ラアルフィーネ。介入は出来ないわ」
「ダーリン達次第って事ね」
「そうね。冬也君とペスカちゃんには申し訳ないけど……」
フィアーナは、唇を少し噛みながら首を横に振る。悔し気に顔を歪ませて、フィアーナは少し俯いた。
自らが定めた法を破る訳にはいかない。そのジレンマが、フィアーナを苦しめていた。想定以上に事態が進行している驚き。それに加えて、冬也とペスカの状況も案じていた。
「あの子達は、どうしているの?」
「色々と面白い事をやってるわよ。ゴブリンを使って、軍隊を作ってるみたい」
「はぁ? ゴブリンってあの最弱の?」
「そうよ。あの最弱のゴブリンよ。私が面白半分に作った種族」
フィアーナは首を傾げ、ラアルフィーネは目を輝かせる。二柱の反応を確かめる様に見渡した後、ミュールは言葉を続けた。
「予想外だったわ。ラアルフィーネが送った子も、頑張ってるみたいね。ゴブリンがあんなに強くなるなんて思わなかったわ」
ミュールは、ゴブリンの里に起きた経緯を掻い摘んで説明する。
エレナによるゴブリンの特訓。トロールの変貌とコボルトの襲撃。二種族を見事に最弱のゴブリンが撃退。それはフィアーナをして、驚きを隠し得ない事態であった。
一方、ラアルフィーネは、喜色をあらわにする。
冬也達の安否に安堵しただけでなく、自らが気まぐれに選んだ亜人が、予想外の活躍を見せた事にも喜びを感じていた。
そんなラアルフィーネの笑顔は、再び消える事になる。
「それより、反フィアーナ派ね。ここまで厄介だとは、思わなかったわ」
「あのね、ラアルフィーネ。あんたの所だって、いつ狙われるかわからないのよ」
「まぁ確かに。ミュールの所と違って、私の所は一枚岩じゃないからね」
「そうよ。私の所は自慢じゃないけど、団結してたわ。それでも、この有様なのよ」
事実、ラフィスフィア大陸は、混沌勢の猛威に晒された。
ラフィスフィア大陸を拠点とする神々は、フィアーナを中心に団結をしていた。しかし、たった三柱の邪神と、一柱の戦いの神によって、地上は壊滅状態に追い込まれ、半数の人間が以上が死に追いやられたのだ。
それは、決して見過ごす事の出来ない事態である。
ロイマスリア三法が足枷となり、混沌勢への対処が遅れたと言っても過言ではない。そして、再びその脅威が訪れようとしている。次もまた対処が遅れる様なら、その影響は一つの大陸に止まらず、世界中に波及する恐れさえある。
ミュールは、フィアーナを睨め付ける様にして声を荒げる。
「フィアーナ。貴女まだ対話で済むと思ってるの? ラフィスフィア大陸での暗躍、今度はドラグスメリア。もう明白じゃない、断罪しなさいよ! 甘い事を考えてたらもっと酷い事になるわよ! 冗談じゃないわよ! 私の眷属だってやられてるのよ!」
「落ち着きなさいよ、ミュール。その為のダーリン達でしょ?」
「あの半神達を目くらましにして、その間に叛意の証拠を探るって? だから、それが呑気だって言ってるの!」
「どちらにしても、状況証拠が掴めない限りは、断罪は出来ないわよ」
「なら、このまま座して待てって言うの? ラアルフィーネ!」
女神達の視線がぶつかる。そしてフィアーナは、歯噛みをした。グッと耐える様に言葉を飲み込む。やがて、ゆっくりとミュールに答えた。
「あの神々は、わかってないだけ。世界を造る事が、どれだけ大変な事なのか。行き過ぎた文明が何を齎すのか」
「壊れてからじゃ遅いのよ!」
「わかってるわよ、ミュール」
「わかってないじゃない。あんたが甘い顔してるから、あいつ等が増長するのよ!」
フィアーナを、ミュールが睨め付ける。しかし、フィアーナは冷静な口調で、ミュールに答えた。
「やり方を間違えれば、タールカールの二の舞になるわ。わかるでしょミュール」
「わかってるわよ、ならどうするつもりなの?」
「最悪の場合は、世界を切り離す。神々には一切、地上に干渉させない様にね」
「それは……」
フィアーナが言ったのは、ロイマスリアという星から神々を引き離すという事。引き離された神々は行き場を失い、新たな世界を創造しなければならない。
広大な宇宙で塵を集めて星を作り、生命が暮らせる環境を整える。それは神々にとって、過酷な試練への始まりである。
神々をまとめる立場にあるフィアーナが、その言葉を口にしたのは、相応の覚悟が有ってこそだろう。
「私は嫌よ、面倒だもの」
「わたしも嫌よ、ラアルフィーネ」
あっけらかんとした口調の、ラアルフィーネ。その穏やかな雰囲気に、ミュールは少し留飲を下げる。
ミュールが少し落ち着いた所で、フィアーナが徐に口を開いた。
「良いも悪いも、いずれにせよ、鍵はペスカちゃんになるわ」
「確かに、あの子の知恵は世界を滅ぼす危険性を孕んでるわ。今更ながら、フィアーナが早めに目を掛けたのは、ほんと幸いだったわね」
「だからこそ、奴等の目を引く」
フィアーナの言葉に、他の女神達が大きく頷く。
「あの子達がドラグスメリアで頑張っている間に、私達は状況証拠をいち早く掴む。頼むわねラアルフィーネ、ミュール」
フィアーナの言葉に頷くと、三柱の女神はそれぞれ立ち上がる。思惑が渦巻くロイスマリアに、平和な世界が訪れるのか?
それはかつての英雄にして、現人神となったペスカが命運を握る。そして、ペスカのいるドラグスメリアは、更なる混乱が訪れようとしていた。
ドラゴンの谷へ着くと、ペスカと冬也はスールの背から降りる。そして背から降りた二人は、直ぐに体を横たえた。
航空機でも、気流によって大きな揺れを起こすのだ。それよりも早く飛び、乗り心地の悪いドラゴンの背は、疲れた体に意外なダメージを与えた。
「お兄ちゃん、気持ち悪い。吐きそう」
「俺もだよペスカ。マーレの戦艦を思い出した」
スールから声がかけられた気がするが、二人の耳には届いていない。ペスカと冬也は、共に力を使い過ぎた。
ペスカはトロールの回復から、スールの蘇生に至るまで、マナや神気だけではなく、碌に休みや食事もとらずに、体力を使い過ぎている。
碌な休みを取っていないのは、冬也とて同様である。ミュールを降臨させてからここに至るまで、ほぼ不眠不休で動き続けていた。
どっと疲れが出た二人は、横になったまま眠りにつく。どの位の時間が経ったか、二人の目を覚まさせたのは、肉の焼ける香ばしい匂いであった。
辺りに充満する様な香ばしい匂いは、起き掛けの空っぽになった二人の胃袋を刺激する。まるで目覚まし時計の様に、何か食わせろと腹の虫が訴える。
「主とペスカ様、目が覚めたようですな。食事は如何ですか?」
香ばしい香りが、二人の鼻腔をくすぐる。
「お兄ちゃん。よだれ、よだれ」
「お、おぅ。だってよ、なぁ」
冬也は目の前に用意された、肉を見る。獲って来た獲物を、皮をはいで丸焼きにしただけ。そんな原始的な物に食指を動かされるとは、空腹とは何とも恐ろしい。
だが冬也は、置かれた食事の量を見て、違和感を感じた。
「なぁ、スール。これは俺達の分だけか? お前は食わねぇのか?」
「主よ。儂ら原始のドラゴンは、睡眠や食事を必要としませぬ」
「じゃあ、何食ってんだよ」
「大気中に含まれるマナですかな」
「そりゃあ、植物みてぇなもんか?」
「ハハハ。然程の変わりはありますまい」
「お兄ちゃん。植物とドラゴンを一緒くたにしちゃ駄目だよ。ごめんね、スール」
「構いませんペスカ様。儂ら原初のドラゴンは、世界のマナを食らいます。血族を増やせないのは、その所以も有っての事です」
「じゃあ、この肉はどうしたんだ? お前が獲って来たのか?」
「これは、眷属達の食事です。眷属達は、儂らの力で他種族からドラゴンに成った者達。それ故に物理的な食事を必要とします」
スールの言葉を冬也は大して気に留める事も無く、聞き流して肉を貪る。ペスカはリスの様に、口いっぱいに肉を頬張って、咀嚼をしている。
「もももでふぁ、フール」
「おい、ペスカ。ちゃんと呑み込んでから喋れ! 行儀が悪いぞ」
「ふぁって。んぐ。お肉だけなんだもん。呑み込めないよ」
「せっかく食事を分けてくれたんだぞ。文句言わずに食え!」
「野生児のお兄ちゃんとは、違うんだよ。私はか弱いの」
「どの口が言ってやがる。英雄って呼ばれてる癖に」
スールは、二人のやり取りを目を細めて見つめていた。
とても暖かい雰囲気を、二人からは感じる。それは、スールが今まで感じた事の無い、ほっとする感覚であった。
「スール、どうかしたか?」
「いえ、何も」
「ところでさぁ、スール。あんたは、神の存在がわかるんだよね」
「仰る通りです、ペスカ様」
「今、この大陸の南にどの位の神様が残ってるかわかる?」
ペスカの言葉を受けて、スールは瞑想する様に少し目を瞑る。神の存在を感じとろうと、集中を始めた。
数分が過ぎ、スールはゆっくりと目を開ける。
「一柱の存在しか感じませんな」
「それって、お兄ちゃんが言ってた、山さんかな?」
「山さんだろうな。でも何でだ? メルドマリューネに駆け付けてくれたドラグスメリアの神様は、もっといっぱいいたよな? 神の協議会でもそうだ。なんで、山さんだけしかいないんだ? 全員、やられちまったって事は無いだろ?」
「主よ。恐らく息を潜めているのでしょうな。土地に縛られる土着の神は特に」
「お兄ちゃん。それだけ、酷い状況って事だよ。それに」
ペスカは、言いかけた言葉を止め、口を噤む。現状の情報では、想定しか出来ない。その想定にすら、欠陥がある様に感じる。
ニューラを襲ったという新たな神を自称する存在と、トロールを操っていた存在は、同一なのか? それでは、セリュシオネの言った『分け御霊』そのものではないか。
神格を分けるという行為がどれだけ現実的かはさておき、実際には東の地に現れた存在とトロールを操っていた存在は、両方ともロメリアそのものにしか見えなかった。
ただ、それにも違和感がある。
ニューラを襲った存在が本体、トロールを操った存在が『分け御霊』だと仮定しても、不可解な点が残る。
『分け御霊』を作る際は、文字通り自分の神気を分ける必要が有る。それには大きな神気が必要になり、分けた後の本体は著しく神気が低下する。故に神々は、その様な非効率的な神気の使い方をしない。
現に南の地に現れたロメリアは、然程強くは無かった。
そんな事をして、何の意味が有る? ロメリアは少なからず、私達に恨みを持っているはず。それならば、全力で叩き潰しに来てもおかしくない。
それともこれは、ロメリアらしい姑息な罠とでも言うのか?
こうなると、メルドマリューネで倒したロメリアが、本体だったのか否かも疑わしくなる。それに、東の地を闇に変えたロメリアは、今度こそ本体なのか? 実は別の場所に居て、私達を嘲笑っているだけじゃないのか?
ただ、もう一つ考えられる事がある。それは、神々の眷属化である。
ロメリアは、かつての魔法研究所の元職員であるドルクを操って、エルラフィア王国を襲った事がある。
二十年前の動乱で、ドルクは死んだ。その魂が、生と死の神セリュシオネの目を逃れて、地上に存在し得るはずが無い。
だとすれば、ドルクは生前にロメリアの眷属となり、死をカモフラージュして生き延びていた。そう考えた方が、妥当かも知れない。
ドルクの件と同じ様な方法で、本体である新たな邪神が東の地に居た数多の神々を取り込み眷属とした。それなら、短期間で闇が広がった事と、存在が複数体になっている説明がつく。しかし、これも非現実的に感じる。
神を眷属とする事は、圧倒的な力の差が無くしては、成り立たない。この地に居る神々の多くは、ミュールの眷属が多いだろう。
大地母神の眷属を奪う様な行為が、可能とは思えない。それ以前に『神格を分けて力を失っているはずのロメリア』が、他の神を眷属化する程の力が有ると思えない。
共通しているのは、力の大きさ。如何にして短期間で、大陸の東を呑み込む程の、強大な力を身につけたのか。何か足りないパーツがある。
ペスカは、考えれば考える程、そう感じてならなかった。
「ねぇ、私達はどのくらい寝てた?」
「丸一日は寝ていたでしょうな」
「あんたの眷属は、どれくらいで戻るかな?」
「早ければ明日くらいには」
「じゃあさ、これから山さんの所に連れてってよ。私も会っておきたいし」
「これから、直ぐに出発されますかな?」
「うん。善は急げだよ」
骨付き肉を持って、ペスカは立ち上がる。そして冬也は、ペスカの服の裾を掴んで座らせた。
「出発は、食ってからだ。出かけたければ、早く食っちまえ」
ペスカは、勇んで骨付き肉を咀嚼し始める。それは少しでも、情報を搔き集めて現状を把握したい、心情の現れであった。
対して冬也は、既に食事を終わらせストレッチを始めていた。
ペスカ達が山の神の下へ向かう決断をする一方、西と北に向かったスールの眷属達は、吹き荒れる光り輝くブレスを見る。
混迷が深まろうとするドラグスメリア大陸。明るい未来は未だ見えない。
食事を終えたペスカは、スールの背中に飛び乗る。続けて冬也も飛び乗った。
「スール。揺らさない様に、気を付けてね。じゃないと、あんたの背中に色々ぶちまけるからね。金色の鱗が小汚くなるからね」
「ペスカ様。それは、構いませぬが」
「いや、気にしろよスール。ペスカ、お前も吐くって脅すんじゃねぇ!」
「お兄ちゃんだって、酔ってたじゃない!」
ペスカは冬也に頭を小突かれて、涙ぐむ。
「病気を魔法で治せるなら、乗り物酔いくらい、何とでもなんだろうが!」
「まぁ、そうでしょうな。宜しければ、ペスカ様。道中は、私が魔法を掛け続けましょうか?」
「うむ。良きに計らえ」
「何処の殿様だ!」
再び冬也に頭を叩かれ、再びペスカは涙ぐんだ。そんな、ほんわかした雰囲気に包まれ、スールは飛び立つ。しかし、そのスピードは、ほんわかとは程遠い。
「い~や~!」
ペスカのけたたましい叫び声を乗せて、スールは飛んでいく。そして、あっという間に目的地へと辿り着く。ほんの僅かのフライトであったが、ペスカは顔面蒼白となっていた。
スールの背から降りるなり、ペスカは這いつくばって嘔吐く。そして冬也は、優しくペスカの背中を擦った。
「まさか、儂の魔法が利かんとは。申し訳ありませぬ、ペスカ様」
「お前が、車のサスペンションにこだわった理由がよくわかったよ」
今は、優しい言葉をかけられても、毛ほども嬉しくない。ペスカは、朝食をすべて吐き出して、ぐったりとしていた。
「なんで今回、お兄ちゃんは酔わないかったの?」
「だってなぁ。あいつは、俺の眷属なんだろ? 神気を繋げれば、自分が飛んでるみたいな感じになるし。酔いはしねぇよ」
「早く言ってよね、そう言う事はさぁ」
背中を擦られながら、ペスカは力無く呟く。冬也は心配そうな面持ちで、ペスカを覗き込む。そんな二人に、穏やかに響く声がかけられた。
「喧しいと思ったら、お主だったか冬也。随分と戻るのが、早かったのぅ」
「おぅ、山さん。あんたに会いに来たんだよ」
「何じゃ? 儂はお主にこき使われて、疲れておるんじゃ」
自らの肩を揉み、疲れを示す山の神は、冬也達を見渡すとニヤリとほほ笑んだ。
「お主、随分と面白い事になっておるのぅ。スールを眷属にしたのか」
山の神の言葉に、冬也達の後方に控えていたスールが、頭を下げた。
「山の神、お久しぶりです。あなたがご無事で良かった」
「お主もだ、スールよ。どうじゃ、神の眷属になった気分は?」
「途轍もない力を感じます。まだ片鱗も力を扱えない状態ですが」
「仕方なかろう。ところで、娘の方はどうしたのじゃ?」
「どうやら、ご気分が優れない様で」
自分に話しが向いたペスカは、すくっと立ち上がる。青い顔のまま、山の神に向かい頭を下げた。
「ペスカと申します。山の神」
「仰々しい挨拶は要らんぞ、ペスカ。お主と顔を合わせるのは、これで三度目じゃ。お主は覚えておらんじゃろうがな」
「申し訳ありません。山の神」
「座るが良い。どうせ、スールの背で酔ったのじゃろう。こ奴の飛び方は荒っぽいからのぅ」
「重ね重ね、申し訳ありません」
「お主は、良い子じゃのぅ。じゃが、砕けた話し方でも構わんよ。その方が話しやすかろう。冬也は端から、儂を舐めておったがのぅ」
ペスカは山の神をしげしげと見る。
やや出っ張った腹と優しそうな顔には、確かに見覚えがある。面影があるその姿は、何処で目にしたのか。思い出そうと、ペスカは頭を巡らせた。
そして、徐々にペスカの記憶が蘇る。
女神ミュールには、膨大な神気を持つ神が何柱も傍らにいた。その力の大きさから、ペスカは原初の神だと推測していた。
確か山の神は、女神ミュールと共にメルドマリューネの浄化に参加し、神々の協議にもいた。
ただ、目の前で微笑む山の神からは、あの時の力強い神気を感じない。決して、神気を抑えている感じではない。単純に、とても弱々しいのだ。
何故、そんな事になっている。
メルドマリューネの浄化で力を使い過ぎたなら、神々の協議の場で違和感を感じたはず。この短期間の内に、何が有ったのか。
ペスカの違和感は、膨れ上がった。同時に仮定の一つが、真実味を帯びてくる。
「早速だけど、お言葉に甘えさせて貰うね。山さん、何でそんなに神気が少ないの?」
「それは、儂の信者がブルだけだからじゃ。冬也にも説明したが、聞いておらんのか?」
山の神の言葉に、ペスカは訝し気な視線を投げつける。
「私がそれで納得するとでも? あなたは、土着の神じゃない。この大陸全土で、信仰する魔獣がたった一匹なんて有り得ない」
山の神は言葉に詰まる。そしてペスカは、追い打ちをかける様に、スールに視線を向けた。
「スール。あんたはどうなの?」
「儂ら原始のドラゴンは、生み出して下さった原初の神々への崇拝を、怠った事はありません。眷属達も同様です」
「これでも、信仰が足りないと? 神の協議から何があったんです?」
ペスカは山の神を問い詰める様に、やや強い口調になった。
ペスカの問いかけに、山の神は深い溜息をついた。冬也の様に、容易にはぐらかせる相手では無い事は明白である。
山の神は黙考する。押し黙る山の神に対し、ペスカはポツリと呟いた。
「第三者の介入」
その言葉に、山の神の眉がピクリと動いた。その僅かな機微を、ペスカは見逃さない。
「どうやら、当りみたいだね」
「なっ!」
山の神は、思わず驚きの声を漏らした。
ペスカ達のやり取りに、冬也が反応する。やや荒げた声は、驚き以外の感情が含まれる様だった。
「どう言う事だよペスカ? それと山さん。やっぱり何か隠してやがったんだな! しらばっくれやがって、この野郎!」
「落ち着かんか冬也」
「うっせぇ! 知ってる事があんだろ! 今すぐ話せよ、全部だ!」
「お兄ちゃん、ちょっと黙ってて。今は私に任せて」
少し熱くなっている冬也を、ペスカがピシャリと止める。そして、ペスカは山の神を見据えた。
山の神は動揺する様に、目を左右に動かしている。そしてペスカは、徐に質問を続けた。
「山さん。あなたは、何でここにいるの?」
「知らない間に、封印されとったんじゃ。冬也に助けて貰わんと大変じゃった」
「嘘だね。あなたは、東の異変に一早く対応した。違う?」
「知らん。儂は協議会の後で、惰眠を貪っておった」
「ふ~ん。それで、神気を吸われたと。そんな答えじゃ、流石にお兄ちゃんでも、納得しないよ」
「知らん。お主らは、こんな所で油を売っとらんで、早く家に帰らんか」
「私達がこの大陸で暴れて、何者かの思惑をぶっ潰す。それで、引き摺り出そうって魂胆だね」
山の神は、再び押し黙る。
最初こそ動揺が見えたものの、直ぐに落ち着きを取り戻した。流石は海千山千の老巧な神である。しかし、ペスカも負けていない。
「黙秘は肯定と取るよ。良いの?」
「これ以上、お主らは関わってはいかん!」
「こんなに深く関わってるのに、何言ってんの? 馬鹿じゃ無いの?」
「お主の為に言っておるのだ! わからんのか!」
「余計なお世話だよ、山さん。私にはお兄ちゃんが付いてるもん」
その時初めて、山の神が声を荒げた。
短い付き合いでも、冬也は知っている。山の神は、叱る事は有っても、怒鳴り散らす事は無い。その山の神が声を荒げるなら、相当の事なのだ。
それなら尚更引く訳にはいくまい。
「今からでも良い、手を引け! それで、異世界に帰れ! お主らの様な子供が関わって良い問題では無い!」
「山さん。わりぃが、手は引けねぇよ」
「冬也! お主は、事の重大さを知らんのだ!」
「そりゃ、山さんが教えてくれねぇからだろうが」
「良いから言う事を聞け! 狙われとるのは、お主の妹なんじゃぞ!」
顔を真っ赤にして、山の神は怒鳴り散らす。だが、ペスカはニヤリと笑みを浮かべた。
「ようやく本音が聞けたよ。おおよその事情もわかったし。ありがと、山さん」
「お主……。怖くは無いのか?」
「怖いよ。でも、お兄ちゃんがいるもん。それに、山さんも味方なんでしょ?」
なんと強い子供なんだろう。山の神はそれ以上の言葉が出なかった。
「例えどんな奴が相手でも、ペスカを傷付ける野郎は、俺がぶっ飛ばしてやる。心配すんな山さん」
実感の籠った強い言葉、山の神にはそう感じられた。
確かにラフィスフィア大陸での動乱は、この二人が中心となり収めたのだ。それ故に説得力がある。
冬也は妹を、ペスカは兄を信頼して止まない。二人の深い絆を感じ、山の神はふうっと息を吐くと、ゆっくり言葉を紡ぐ。
「そうか、ならもう何も言わん。それと南の事は儂に任せておけ、上手く取り計らおう。お主らは北と西に向かえ。悪意に取り込まれた同胞が、原始のドラゴンを狙っておる。じゃが、儂の様に避難した神もおる。助力を願えば、戦力になるじゃろう」
「わかったよ。ありがとう山さん」
「くれぐれも注意するんじゃぞ。特にペスカ、お主はな」
「うん。じゃあ行こっか、お兄ちゃん」
「おぅ。ありがとな、山さん」
「お主は、ちゃんと妹を守るんじゃぞ」
「あぁ、約束するぜ」
ペスカは立ち上がり、スールの背に乗る。続けて冬也も、スールの背に飛び乗った。二人を乗せて、スールは飛び上がる。
そして二人は、山の神に手を振った。
目指すは、ノーヴェとミューモが待つ北と西へ。そして、北と西の大陸では、未だブレスが吹き荒れる。
それは、戦いの序章でしかなかった。
眷属の一体が攻撃された事から、全てが始まった。
警備の巡回をしていたミューモの眷属が、謎の攻撃を受けて墜落した。その連絡を受けたミューモは、耳を疑った。
大陸随一の戦力を持つドラゴンが、易々と撃墜させられるとは、考えられない事であった。
ミューモは、直ちに他の眷属を調査に向かわせる。そこで眷属達が見たのは、巨大な体を持つ魔獣達の暴れる姿だった。
ベヒモス、フェンリル、グリフォン、ヒュドラ、何れも強力な力を持った、四体の魔獣。ドラグスメリア大陸でも、西にしか生息しない魔獣達が、狂った様に大地を灰に変えていた。
ミューモの眷属達は、直ぐに鎮圧に動く。しかし、事も有ろうか返り討ちにあい、深手を負って眷属達は帰還した。
本来ならば、不可解としか言いようが無い。彼の魔獣達が如何に強力とは言え、ドラゴンには遠く及ばない。一蹴するはずがあっさりとやられ、相手に傷をつける事すら出来なかった。
ミューモの理解を越える事態は、更に増える。連絡の為に訪れたスールの眷属が、全身からおびただしい血を流しながら、息も絶え絶えにミューモの住処に辿り着く。
ミューモの混乱は、極まっていた。
「しっかりしろ。今、治療をしてやる」
事態が全く判然としないまま、ミューモはスールの眷属に治療魔法をかける。そしてスールの眷属は、薄れ行く意識の中で懸命に口を開く。
「東の地で、黒いドラゴンが溢れています。闇が広が・・・」
「おい、しっかりしろ!」
ミューモの魔法で何とか命は繋いだものの、スールの眷属は完全に意識を失う。
長い生涯の中で、眷属達が害される事をミューモは見た事が無かった。それもそのはず、多くの魔獣達の中から選別し、特に力の有る者をミューモは眷属にしていた。
元々強力な魔獣だ、ドラゴンとなり更に進化を遂げた眷属達が、存在進化をしていない魔獣に倒される事は有り得ないのだ。
スールの眷属とて、ミューモの眷属に引けは取らない力を持つ。傷だらけになる事自体が、有ってはならない異常事態である。
常識では測れない事が、今この大陸で起きている。スールの眷属が言った、東の地で起きた事が起因しているのか。いずれにせよ、このまま手をこまねく訳にはいかない。
ミューモは眷属達の治療を行った後、事態の鎮圧に向けて飛び立った。向かった先でミューモが見たのは、黒く変貌を遂げた四体の魔獣。彼らからは、以前と比べようも無い程に、大きな力を感じる。
変化はそれだけでは無かった。
ベヒモス等四体の魔獣は大きな力を持つ故に、それぞれに縄張りがある。それを互いに侵す事は無かった。そして他の魔獣達も同様に、四体の魔獣を恐れて縄張りには近づかない。
何よりも、互いに接触する事を恐れた。不用意に接触し争いになれば、大地を破壊しかねない。
それだけに、今の状態は不自然に感じる。
一見、意味も無く衝動的に暴れ回っている様だが、彼ら自身は適切な距離を保っている。それだけ見れば、理性が残っている様に思える。しかし、共闘する訳でも無く、互いに争う訳でも無く、縄張りを奪い合うのでも無い。
無造作に破壊を行うのは、何が目的なのか。明らかな違和感と言えば、その瞳だろう。まるで洗脳でもされている様に、意思が宿っていない。
「そうか。これがロメリアの影響か。死しても尚、混乱をもたらすか。厄介な事だ」
遥か上空にミューモの気配を感じた四体の魔獣は、一斉に攻撃をしかけてくる。
グリフォンが上空で、それも有り得ない速度で、四体の魔獣はミューモに襲い掛かる。フェンリルはその強靭な足で飛び上がり、噛みつこうと向かって来る。地上からは九つの首を持つヒュドラが、毒の霧を吐き出す。ベヒモスは黒い塊を作り出して、ミューモに飛ばす。
ミューモは、輝くブレスを広範囲に放ち、毒の霧と黒い塊を消滅させる。飛び回りながら、グリフォンの爪とフェンリルの牙を辛うじて避ける。
本来、避けるまでもないのだ。原始のドラゴンは、地上に生きる生物とは格が違う。彼の魔獣達が、他の魔獣と一線を画す力を持とうと、黄金の鱗に傷一つ負わせる事は出来ない。
だが、ミューモは本能的に悟り、彼らの攻撃を躱した。彼らは、原始のドラゴンに匹敵する程に力を増している。攻撃を受ければ、間違いなく深手を負う。眷属が倒されたのは、夢でも幻でもない。
流石のミューモも、手に余る事態である。この世に生を受けて以来、初めてとも言える生死を掛けたミューモの戦いが始まった。
一方、大陸の北側では、別の異常事態が発生していた。大量の黒いスライムが、大地を埋め尽くさんと、増殖を続けていたのだ。
スライムはその性質上、他の魔獣達から戦う事を敬遠される。
半端な武器による打撃も、ただ分裂させるだけで然程の効果は無い。何よりも、無為に攻撃すれば取りつかれ、消化液で溶かされる。スライムを倒そうとするなら、強力な魔法による攻撃か、一瞬で消滅させる位の圧倒的な威力での物理攻撃が必要となる。
但し、スライムと戦いになる事は、滅多に起こらない。
本来、スライムは好戦的な種族では無い。また知能も低く、勢力を広げようとする野心を持っていない。常にひっそりと岩陰などに隠れて暮らしている。
しかし、大陸に広がり続ける黒いスライムは、植物や魔獣等ありとあらゆるものを飲み込みながら、勢力を拡大し続けている。
黒いスライムが通り過ぎた後は、荒野の様に何も無くなる。
このままでは、大陸の北から何もかもが消えうせてしまう。事の重大さに、ノーヴェは眷属を率いて、黒いスライムの討伐に乗り出す。
しかし眷属達がブレスを吐いて攻撃を加えても、黒いスライムを消滅させる事は叶わなかった。
「親父殿。ブレスが利かない。あの黒いスライムは何なのだ」
「恐らく、東の異変と何か関係しているのだろう。お前らは、他の魔獣達を避難させろ。奴等は尋常じゃない」
黒いスライムからの被害を少しでも減らそうと、ノーヴェは眷属に命じると、広範囲に輝くブレスを放つ。しかし、黒いスライムの数を減らす事は出来なかった。
「くそっ。俺様のブレスも利かないってのか? なんて奴らだ!」
ノーヴェのブレスに対抗できるのは、原始のドラゴンだけであろう。一介の魔獣が耐えられる威力では無いのだ。自分のブレスが利かないのに、眷属では足止めすら出来ない。
危機が迫る状況で、追い打ちをかける様な報告が届く。猛烈な速度でノーヴェに近づいてきたのは、一体のドラゴンであった。
「北の長。緊急事態です。東の地に黒いドラゴンが溢れています。黒い闇は大地を覆い、侵食を続けています。お力をお貸しください」
「お前、スールの眷属だな? スールは何してやがんだ?」
「我が長は、単独で東の地に起きる異変を、食い止めております。早く救援を!」
「馬鹿な事を言ってんなよ! お前には、眼下の状況が見えないってのか? 奴らを何とかしなければ、スールを助けになんて行けねぇよ」
「では、どうすれば?」
「土地神でも何でも良い。神々の力をお借りするんだ。神を呼び出す位、お前にも出来るだろう? 俺様がここを食い止める間に急げ!」
「はっ!」
ノーヴェは、再びブレスを吐いた。しかし、一向に黒いスライムが減る気配が無い。それでもノーヴェは、ブレスを吐き続けるしかない。
対して、黒いスライムは増え続ける。苛立ちを越え、徐々にノーヴェは焦りを感じ始める。そしてブレスとは別に、幾つもの魔法を並行して使用する。
それは、地上最強の生物である原始のドラゴンにしか、出来ない攻撃手段だろう。
魔法の並行使用に限れば、エルフにも可能である。しかしその分、威力は半減する。意識を分散させなければ行使出来ないのだ、当然の結果だろう。
ブレスを吐く生物は、ドラゴン以外にも存在する。毒のブレスを吐くヒュドラが、いい例だろう。
しかしそのどれもが、威力、速さ共に、原始のドラゴンには遠く及ばない。だからこそ原始のドラゴンは、神に最も近い存在であり、地上の守護者なのである。
しかし、大地を揺らす程の威力を持つノーヴェの魔法は、黒いスライムにダメージを与える事は無かった。
「なんて奴等だ! 魔法の耐性もあんのか? 聞いた事が無いぞ、そんなスライム!」
ノーヴェは吐き捨てる様に、言い放った。
物理的な攻撃どころか、魔法も通じない。無限に増え続け、大陸北部を呑み込もうとしている。
原始のドラゴンを脅かす存在となりつつある、黒い悪魔の軍団。大陸に死を齎す脅威に対する、ノーヴェの懸命な戦いが始まった。
ペスカ達は、山の神に別れを告げて飛び立つ。
酔わないコツを教わった後のフライトは、ペスカの心を大いに踊らせた。まるで子供の様にはしゃぐペスカと裏腹に、冬也は少し神妙な面持ちになっていた。
「なあペスカ。結局のところ、俺はどいつをぶっ飛ばせば良いんだ? 本当の問題は、糞野郎なのか?」
「あれはあれで、解決しなきゃ駄目だよ。放置してたら、この大陸どころかロイスマリアが滅んじゃう」
「糞野郎の目的は、本当にこの世界の破滅か? お前と山さんが話してた内容が、ひっかかるんだよ」
ペスカ自身は山の神の言動で、推察を補足したに過ぎない。決して問題の所在を、突き止めた訳では無い。
恐らくこれは、政治的な意図が含まれる煩雑な問題なのであろう。それは、山の神がはぐらかそうとした事や、大地母神の三柱が情報を開示しない事でも、容易に想像が出来る。
ただその場合、兄の正義感が間違った方向へ向かう可能性が有る。そうなると、問題の解決が遠くなる。しかし、何も話さないままでは、兄は納得しないだろう。
ペスカは少し逡巡した後に、ゆっくりと口を開いた。
「ねぇお兄ちゃん。ラフィスフィア大陸で、ゾンビが発生するまで事態が深刻化したのは、何でだと思う?」
「神連中がもたもたしてたせいだろ?」
「それは、何でだと思う?」
「わかんねぇ。少なくともお袋は頑張ってたな」
「もう一つ。この大陸の東で、悪意が広がった原因は? この地に居る神々は、何もしなかったと思う?」
「いや、山さんは頑張ったんだろ? あの弱っちい神気は、原初の神のもんじゃねぇよ」
「そうなった原因は? ロメリアの分け御霊如きに、山さんが遅れを取るかな?」
「違うだろうな。山さんは、そんな間抜けじゃねぇと思うぜ」
「だとすると、山さんを嵌めた連中が居ると思えば、合点がいくよね」
「ったく、胸糞わりぃな!」
冬也は眉をひそめて舌打ちする。
他者を陥れたり貶める行為を、冬也は嫌うのだ。
ただ神が謀略を巡らせ争うだけなら、それほどの怒りは無かっただろう。神々の争いが起きれば、地上の生き物は巻き込まれ簡単に命を落とす。
あの動乱で、ラフィスフィア大陸からどれだけの命が失われたのか。ドラグスメリア大陸で、どれだけの命が失われ様としているのか。
許されて良いはずが無い。
冬也は、怒りで身を震わせる。しかし、膨れ上がりそうになる神気を押し止める様に、冬也は滾る心を懸命に押し殺した。
「生き物は、神のおもちゃじゃねぇぞ。巻き込むんじゃねぇ」
激しい怒りが籠る様に、冬也の声は静かに低く響く。今、何をしなければいけないのか、冬也は現状を充分に理解していた。
広がる悪意を止めなければ、多くの生き物が犠牲となる。ズマやブルを始め、この大陸で出会った者達、そしてエレナ。既に多くの者を巻き込んでいるのだ。故に、冬也は神気を抑え、冷静であろうと努めた。
彼らの命は、必ず救う。そして、この大陸に秩序を取り戻す。押し付けられた様な、理不尽とも言える状況でも、何一つ取りこぼす気は無かった。
冬也の様子を見て、ペスカは少し安堵する。
敢えて口にしなくても、兄はしっかりと現実を見据えている。それだけに、一番留意しなければならないのは、己の身だろう。
ペスカは山の神が残した言葉を、再び思い返した。『狙われているのは自分』、それが何を意味しているのか、不明である。しかし、今起きている事態の裏で、自分を中心とした何かの思惑が動いている。それだけは容易に想像がつく。
そして、ペスカは頭を巡らせる、迫る事態の収拾と来るべき未来に備えて。
二人を乗せて、スールは空を駆ける。行きと同様、あっという間にドラゴンの谷へたどり着いた。ペスカと冬也が背から降りて間もなく、様子を見に出したスールの眷属が戻って来る。
その報告受けたペスカ達は、状況の悪化に驚愕した。
「本当なのか?」
「長よ。間違いありません」
信じられないとばかりに、スールは眷属へ確認をするが答えは変わらない。眷属の報告に、ペスカは深い溜息をつき、冬也は頭を掻いた。
「ほんと、色んな事を思い付くよね」
「どっちも、急がないといけねぇな。でも、手分けして片付ける余裕はなさそうだな」
「そうだね。西回りで北に向かおっか」
「あぁ。厄介な事ばっかり起こしやがって」
「それとお兄ちゃん。メルドマリューネの時と違って、女神様の援護は無いと思った方が良いね」
女神の救援は無い。それは、冬也にも理解出来た。今回は、自分達の手だけで打開しなければならない。だからこそ、山の神の様な味方を増やす事が、重要になるだろう。
改めてペスカは、南の地で起きた事件のあらましを、スールへ説明する。勿論、ゴブリン達を中心とした大軍団を作らせる為、動いている事も含めて。
「儂の居ない間に、その様な事になっておったとは。主、ペスカ殿、感謝いたします」
「いいよ別に。ただ、放置プレイ中のエレナ達は、ちゃんと回収しないとね」
「あぁ。その辺は、スールの子分に任せりゃ良いだろ。なぁ、スール」
「承知しました主。戻って来た眷属達を、留守に残しましょう。どの道、連絡役は必要ですし。それと、北と西から避難してくる魔獣達を、まとめる必要も有りますな」
「それも頼めるかスール。ゴブリン達の方は、エレナとブルが付いてから、問題ねぇだろ」
「では、避難してきた魔獣は、我が子達の配下となる様、統率を図りましょう。ゴブリン達とは、別の戦力が出来るでしょう。戦える戦力は、多い方が良いかと思いますしな」
「おぅ。そうしてくれ」
スールは、大きな頭を縦に振って頷いた。
少しの間、ペスカは少し考え込む様に目を閉じていたが、徐にスールへ向かい話しかける。
「ねぇスール。避難してくる魔獣達の中には、サイクロプスみたいなおっきい奴は、居るかな?」
「恐らく居るとは思いますが」
「数はどの位?」
「詳しくはわかりませんが、精々十から二十といった所でしょうな」
ペスカはそれだけ確認すると、冬也に向かい話しかけた。
「ねぇ、お兄ちゃん。作ったのはライフル十丁と魔攻砲を一門だけだよね」
「あぁ、間違いないぞ。全部、ゴブリン達に渡ってるはずだ」
「魔攻砲を、もう少し増やせないかな?」
「魔攻砲ならブルでも作れるはずだ」
「二十門くらい新調出来れば、避難してくる魔獣に持たせたいんだよ。上手くすれば、黒いスライムの浄化か、活性化を止められるかも知れない」
「ではペスカ様。ブルとやらの連絡役と武器の運搬は、我が子達にやらせましょう」
スールは自分の眷属達に手早く命令を与える。
連絡役の居残り一体、北と西から避難してくる魔獣達の引率二体、武器の運搬一体が、それぞれ役割に当り、眷属達は行動を開始した。
そしてペスカと冬也は、再びスールの背に跨る。目指すは、巨大な魔獣が跋扈する大陸の西。命がけの戦いを繰り広げる、ミューモの下へ。
ペスカと冬也がスールの背に乗り、西へ向かい飛び立つ。
暴れ続ける巨大魔獣を抑え続けるミューモ。彼を救い、魔獣達を抑える為にも、急がねばならない。スールは翼を大きく広げ、速度を上げる。ペスカと冬也は、スールに神気を繋げる。そして胸躍る大空の旅へ二人を誘った。
「う~っ。ひゃっほ~!」
「ペスカお前、この間とは全く違うな」
「何と言うか、超すごいVRゲームをやってる感覚だね。すっごい不思議。ただ背中に乗ってるだけなのに、飛んでる気分」
「良いけどよ。落ちんなよ」
「だいじょび! 今の私は風! 吹き荒れる暴風!」
「吹き荒れるなよ!」
先程まで深刻な話をしていたはず。しかも向かう先には、激しい戦いが待ち受ける可能性が高い。それにも関わらず、ペスカのテンションは、冬也が呆れる程に高かった。
一方、ペスカ達が西に向かう間に、ゴブリン達は快進撃を続けていた。
ペスカ達がドラゴンの谷で寝ている間、山の神と話をしている間にも、与えられた期限が迫っている。だが、コボルトとトロールを加え、大きな勢力となった集団と、まともにやり合える敵は多く無かった。
特に、命を救われたトロールは、ゴブリン達に敬慕の情を抱き志気が高い。高まった力はそのままに、従順なトロールは前線の壁役に止まらず、その力で敵の包囲網を突破していく。
対してコボルトは、類まれな嗅覚と俊敏さから、攪乱や奇襲、諜報活動など様々な戦術において功績を重ねていく。
当初こそコボルトは、ゴブリン達の力に恐怖を抱き、従っているだけであった。しかし任務を重ねる毎に、戦いの先に有る本当の意味を理解し、真の意味でゴブリン達に賛同する事になる。
ゴブリン軍団は、大陸でも名だたる好戦的な種族である、ウルガルムを始め、ケルベロス、バジリスクなどの魔獣を、次々と制圧していった。
戦いを重ね、新たに戦力を増強し、ゴブリンの軍団は益々巨大になっていく。
しかし、組織が巨大になれば問題も発生する。時にそれは、内部分裂を起こし組織を崩壊させかねない。
その組織運営について、ゴブリンに知恵を貸したのは、エレナであった。
故郷キャトロールにてエレナは、格闘術だけでなく戦術を始め、組織を動かす為の経営学を学んできた。その知恵は、遺憾なく発揮される。
エレナの知恵を受けたズマは、軍団を統制する為に組織再編を行った。
先ずは、軍の細分化によるリスクコントロール。
主戦力となるトロールを始め、新たに加えたウルガルム、ケルベロス、バジリスクが種族間の同士の諍いを起こさない様に隊に分けると共に、競わせて戦果を挙げさせた。
軍の細分化と共に、新たに設置したのは情報伝達の部隊であった。
瞬時に適切な情報が共有される事は、必須である。同時に、組織の意思が末端まで、素早く伝達される事には、大きな意味を持つ。
ここでは俊敏で、数の多いコボルトが活躍する事になる。
数の多いコボルトは、後方支援班にも配属された。大規模になったゴブリン軍団の食糧補給は、進軍の生命線にもなる。
大陸随一の結束力は、食料補給に大きな力を発揮した。
そして各隊に、リーダーとしてゴブリンを配置した。エレナによって鍛え上げられたゴブリン達は、各種族を指揮しながらも、自らが率先して模範を示す。
リーダー足り得る行動力に、他の種族は敬服の念を抱く。エレナから学んだ全てが、ゴブリンを通して他種族に伝わる。
これまで、ドラグスメリア大陸において存在しなかった、複数の種族による巨大な組織。それも統率のとれた集団は、一つの軍隊として機能していく。
目の色が変わった様に暴れる魔獣達は、依然として大陸の南に点在している。力を増し荒れ狂い、大地を汚していく。それが、如何に危険であるのか。
ゴブリン配下の魔獣達は、まざまざとその脅威を見せつけられる。
だが、ズマを初めゴブリン達は、配下の魔獣達に伝える。「悪意に呑まれるな。あれは、いずれ魔獣全てを喰らい尽くし、大地を飲み込むだろう」、「生き延びたければ抗え!」、「我らを信じ、共に戦え!」と。
ゴブリン達の手で、悪意から解き放たれた魔獣がいる。ゴブリン達の手で、救われた命がある。ゴブリンは、既に魔獣達の中において、大きな影響を持つ存在となっていた。
ゴブリンの軍団は進軍を続ける。ただ、一つだけ大陸内で最大の難敵が、南の地にも存在した。戦闘にならない様に、避けてきた相手でもある。
スライム。
物理攻撃が利かず、分裂を繰り返し、取り付いた相手を融解させる。また知能が低く、意思疎通が成り立たない。非常に厄介な相手である。
通常スライムは 自らが攻撃をされない限りは交戦に及ばない。所謂、自身の身を守る為にのみ戦うのだ。
スライム自身はとても警戒心の強く、常にひっそりと岩陰などに隠れている。ただ、警戒心の強さ故か、近づくだけで攻撃とみなされる場合が有る。
その為、戦いを好むウルガルムでさえ、スライムの住処近くでは、滅多に戦闘行為を行わない。これが、大陸内の常識である。
しかし、この非常事態に際し、スライムは危うい存在でもあった。
スライムが悪意に取り込まれ交戦的になれば、手が付けられない。しかし、エレナは無論の事、ズマ達ゴブリンや他の魔獣でも、スライムと意思疎通が出来ない。
悩むズマ達に、助け舟を出したのはブルであった。
「山さんにお願いすれば、良いんだな」
「山さんって何ニャ?」
「神様なんだな。偉いんだな」
「神様なのかニャ? もう私は神様を信用しないニャ」
「エレナ心配ないんだな。山さんは良い神様なんだな」
神から散々な目に遭わされているエレナは、眉ねを寄せて険しい表情になる。ブルから優しく諭されようが、変わる事は無い。
しかしエレナは、冬也の顔を思い出す。
言われた期限が守れなかった場合、相当な怒りが待っているのではないか。想像しただけで背筋が凍り、肌が一斉に粟立つ。
他に手立てが無いのなら、仕方がない。冬也に怒られる位なら、他の神に縋った方が些かましだ。
耳をペタンと伏せ、しっぽを身体に巻き付けながら、エレナはブルにチラリと視線を向けた。
「それで山さんはどうやって呼び出すニャ?」
「祈れば良いんだな。そうすれば、冬也が呼び出してくれるんだな」
ブルの言葉を聞いた瞬間、エレナは全身の毛を逆立てた。
「馬鹿なのかニャ? 冬也は居ないニャ! もう少し現実的な方法を教えるニャ!」
「でも、祈る事が大事なんだな」
声を荒げるエレナ。対してブルは、呑気な笑顔を浮かべている。そしてエレナは、溜息をついてズマに言い放った。
「仕方ないニャ。取り敢えずお前らは、山の神に祈っておくニャ」
「ただ、教官。それで山の神が現れてくれるでしょうか?」
「現れなければ、このデカブツを山の神の住処まで走らせるニャ。責任とらせれば良いニャ」
「別に構わないんだな。おなか減ったし、一度帰りたいんだな」
「ブル! 余計な事を言ったら駄目ニャ! 皆の士気が落ちたらどうするニャ!」
激しい怒りをぶつけるエレナ。しかし、その怒りはブルによってすぐさま鎮めれる。
「エレナ、警戒するんだな。凄い勢いで何かが近づいて来るんだな」
ブルは怯えた様に、声を発する。ズマは、直ぐに伝令を出し、警戒態勢を整えさせる。だが警戒態勢が整う間も無く、それは高速で接近した。
それは、一体のドラゴンであった。突風が吹き荒れ、ドラゴンが舞い降りる。密林はドラゴンを避ける様に、枝をしまう。
ドラゴンは、ゴブリン軍団から日の光を奪った。ズマやエレナは、目を見開く。天を覆うような大きな存在に、声が出なかった。
そして、本能的な恐怖がゴブリン軍団を包み込む。その大きな存在感は、これまで拡大した勢力を、矮小であるかの様に錯覚させる程であった。
「一つ目のガキ、貴様がブルだな。着いて来てもらおう。冬也様のご命令だ、否は認めん」
低く響く声は、ブルをして恐怖で足を竦ませる。ただ、その言葉の中にあった冬也という名で、ブルは安堵の気持ちが芽生える。
「冬也がどうかしたんだな? おでに何の用かなんだな?」
「冬也様が貴様にご命令を下された。その手に持つ武器を作るのだ」
「よくわからないんだな。でも冬也の頼みなら、従うんだな」
「良い覚悟だ。特別に俺の足に掴まる事を許してやる」
ブルはドラゴンの大きな足を掴もうとする。その瞬間、震える声でエレナが叫んだ。
「ま、待つニャ。ぶ、ぶ、ブルを連れていかれると、困るニャ」
エレナの言葉に、ドラゴンは威嚇する様に睨め付けた。
「矮小な存在よ。何故、我が意志を妨げる。相応の理由が無ければ、死して償え」
圧倒的な力、圧倒的な殺意に、エレナは意識を失いかけた。しかし懸命に堪え、震える足で立ち、枯れる声を絞り出す。
「と、冬也の命令ニャ。大陸の魔獣を手下にするニャ。でも、スライムだけは何ともならないニャ」
「そうか、貴様も冬也様のご命令を受けていたのか」
「今から、山の神を呼び出す所だったニャ。邪魔しちゃ駄目ニャ」
「ふむ。それなら座して待つが良い。我が吉報を届けてやろう」
冬也の名で、やや態度が軟化したドラゴンは、ブルを連れて飛び去っていく。エレナを始めズマ達ゴブリンも、腰を抜かした。
呼吸が止まる程の緊張感に包まれていたのだ、致し方ないだろう。他の魔獣達も同様に、極度の緊張から解き放たれて、深呼吸をしていた。意識を失っている魔獣も少なくない。
「あれがドラゴンニャ。おっかないニャ」
「流石は教官。自分は何も出来ず」
悔しそうに歯噛みするズマに、エレナは優しく諭した。
「ズマ、あれは仕方ないニャ。それに時間は有るニャ。まだまだお前は成長できるニャ。今は、皆の志気が下らない様に注意するニャ」
「はっ、教官」
近づく期限と迫る脅威。その中で、魔獣達は生を求めて足掻き続ける。ゴブリンは、その中心で闘志を燃やす。そして、エレナの困難は始まったばかり。
深まる混乱の中で、魔獣達は光明を見いだせるのだろうか。
ブルを足に掴まらせ、鉱山に向かうドラゴンは、漏らす様に呟いた。
「我に憶する様な小物達をいくら集めようが、何の役に立つと言うのだ。長や冬也様は、何を考えてらっしゃる」
スールの眷属は、北や西で起きる異変に何も出来ずに帰還した。原始のドラゴンでさえ手を焼く状況で、その眷属のドラゴンは何の役に立たなかった。それは眷属として、激しい自己嫌悪に陥る程、大いなる屈辱であった。
しかし、そんな自分に怯える魔獣達。その魔獣達の姿を見ると、足手纏いにしかならないと感じた。
「あんまり舐めると、痛い目に遭うんだな。弱者でも戦い方はあるんだな。あの軍団を率いてたのは、ゴブリンなんだな。最弱の種族が、他の魔獣を圧倒してるんだな。お前らドラゴンも油断してると、足元を掬われるんだな」
ブルはドラゴンを窘める様に、穏やかに語った。
ドラゴンには、ブルの言葉は直ぐに理解が出来なかった。しかし、否定もしきれずに、モヤモヤした感覚が残る。
ブルの巨体を運んでいる為に、飛ぶ速度が極端に落ちる。幾ばくか長くなった飛行の中、ドラゴンは葛藤する様にブルの言葉を嚙みしめていた。
やがて鉱山に辿り着くと、ドラゴンはブルを降ろす。鉱山には、ブルが採掘した鉱石が山積みになっており、ドラゴンはやや目を見開いた。
「これは貴様が掘ったのか?」
「そうなんだな。おでがやったんだな」
ドラゴンはこの大陸で、採掘をする魔獣を見た事が無かった。
小器用に掘られた穴と、種類毎に仕分けられ積まれた鉱石。サイクロプスは、こんなに知恵の回る種族であっただろうか?
これは、一概に冬也様の入れ知恵だけとは言い切れまい。
ゴブリン共といい、サイクロプスの小僧といい、もしかして矮小な種族と決めつけて、自分が見ようとしなかっただけか?
ドラゴンは、改めて魔獣達の秘められた力を、垣間見た気分になった。
やや驚いた様に、辺りを見回すドラゴンの背後から、唐突に声がかかった。そして、穏やかな響きが、空気を柔らかく包む。
「おお。ブルではないか。元気にしとったか?」
「おなか減ったんだな」
「お主らしいのぅ。たんと食うが良い。して何用じゃ? そこにおるのは、スールの眷属であろう?」
ドラゴンはその大きな頭を深々と下げて、山の神に礼を尽くす。
「お初にお目にかかります。スールの名代として参上致しました」
「スールの眷属達は、いつも堅苦しいのぅ。少し前から儂を呼ぶ声が聞こえるが、何か関係が有るのか?」
ドラゴンは、魔攻砲の量産の件を山の神に説明する。それと同時に、ゴブリン軍団がスライムの対処に困っている事も説明した。
「この場での作業をお許し頂きたく」
「それは構わん。じゃが少し待っておれ。先にゴブリン達の件を解決してからじゃ」
「スライムの件だけなら、山の神の御手を煩わせなくても」
「良いのじゃ。儂は少し知恵を貸すだけじゃ。そう時間はかからん。主らは休んでおれ」
「可能であれば、先に作業を始めて宜しいでしょうか。こうしてる間にも、危機は迫っております」
「儂のおらん所での作業は認めん」
「それは何故でしょうか?」
「お主は知らんじゃろうが。ブルが作ろうとしているのは、ドラゴンすら簡単に殺せる兵器じゃ。無論、悪用すればの話しじゃがの」
ドラゴンは少し言葉に詰まる。自ら種族を滅ぼしかねない兵器を、長が許すはずが無い。しかし、そんな兵器だからこそ、自分達の力が及ばぬ相手に対し切り札ともなり得る。
ドラゴンは逡巡する。そんなドラゴンに、呑気な声がかかる。
「心配ないんだな。山さんと冬也は、ちゃんと考えてるんだな。おで達は、山さんが戻って来るまで一休みするんだな。お前も食べると良いんだな。この果物は美味しいんだな。冬也が浄化してから、益々美味しさが増したんだな」
両手いっぱいに果物を持ったブルは、ドラゴンの鼻先に突き出す。甘酸っぱい香りが鼻腔を擽り、口の中に涎がいっぱいになる。
そして、勧められるがままにドラゴンは、果物を一口齧る。何度目かの驚きを見せた。たった一口齧っただけで体中に力が漲るのだ、溢れて爆発しそうな程に。
「貴様は、これを食べ続けていたのか?」
「そうなんだな。格別の味なんだな」
「さもありなん。これは、冬也様の神気が含まれておる。だが普通の魔獣なら、冬也様の神気に耐えきれずに、返って体調を崩すはずだ。貴様が平気ならば、そう言う事なんだろうな」
「意味がわからないんだな」
「貴様は正式ではなくても、冬也様の眷属になっていると言う事だ」
「やっぱり意味がわからないんだな。でも、冬也は好きなんだな」
「貴様はそれで良い。これからも冬也様に尽くせ」
もしブルが、仮にでも冬也の眷属であるならば、自分の叔父にあたる存在となる。しかしドラゴンは、目の前に居る余りにも呑気なサイクロプスが、自分より格上の存在だと認める気になれなかった。
そんな二体のやり取りを微笑ましく見つめた後、山の神は姿を消す。そして、唐突に現れた先では、驚愕の声で迎えられる。
「な、な、な、何ニャ? おっさんが現れたニャ!」
祈りを捧げていた魔獣達の前に突然現れたのは、神々しい光に包まれた小太りの男性だった。その姿を見た瞬間、魔獣達はひれ伏す。
しかし、エレナだけが呑気な叫び声を上げていた。
「おっさんとは何事か! お主も冬也と同類じゃのぅ」
「あんな馬鹿と一緒にして欲しくないニャ!」
山の神は、魔獣達に意識させない様に、神気をかなり抑えている。しかしエレナは、神気を敏感に感じ取る。それだけ感覚が、研ぎ澄まされてきているのだろう。足をガクガクと震わせながらも、エレナは言い放った。
「まさか、おっさんが山さんニャ?」
「もう山さんで良い。全て冬也のせいだ。儂の名前がすっかり変わってしまった」
諦め顔で溜息をつく山の神。そして魔獣達を見渡すと、エレナに向い話しかけた。
「事情はスールの眷属から聞いておる。スライムに難儀しておる様じゃな」
「そうニャ。困ってるニャ」
「お主等は魔法の使い方を知らんだけじゃ。特に猫の娘。お主は魔法が不得手であろう」
「な、なんでわかったニャ?」
「神を馬鹿にするでないわ! その位は見んでもわかる」
今一度、山の神は魔獣達を見渡す。そして、先頭で傅くゴブリンに声をかけた。
「お主がこの集団の長じゃろぅ? 立つが良い」
ズマは姿勢を正し、無言で直立する。神の前で緊張しない者は少ない。寧ろ、ブルやエレナが特別だと言えよう。
「お主と猫の娘に、魔法の使い方を教えてやろう。うん? ちょっと待て猫の娘。お主はスライムと意思疎通できるはずじゃ。何故しない」
「出来るはず無いニャ」
「お主には既に魔法がかかっておる。かけたのは、ペスカじゃろうな」
「なんの事かさっぱりニャ」
「思い当たるふしは無いのか? お主はアンドロケインの者じゃろう? この大陸の魔獣と言葉が交わせるはずがなかろう」
その言葉に、エレナは首を傾げた。その様子に、山の神は呆れて、少し肩を上げる仕草をする。続いて山の神は、ズマをしげしげと見る。
よく鍛えられている。それに、肉体強化の魔法を使いこなしている。ゴブリンがこれ程までに強くなるのか。山の神に少し驚きの感情が湧いた。
山の神は少し昔を思い出す。
女神ミュールが、笑いながら冗談で作り上げた魔獣。そのゴブリンが、こんな進化を遂げるとは、思いもよらない出来事である。
山の神は笑みを深めた。世界は驚きに満ちている。自分達が作り上げた子供達は、神の予想すら超える。よもや、この悪化する状況さえも、こ奴等は乗り越えてしまうのではないか。
そんな期待までしたくなる。
「面白い。そこの猫だけでは不安じゃ。お主に魔法の使い方を教えよう」
山の神は、誰にでも理解出来る様に、丁寧に説明をした。
意思疎通の魔法で重要なのは、二点である。相手の言葉を理解しようとする意志。相手に思いを伝えようとする意志。二つの意志を、マナに乗せるのだ。
会話は、言語を利用した意思の伝達方法である。『聞くと伝える』、この二つの行動に魔法を介せば、意思疎通の魔法は完成に至る。
そして、肉体強化の魔法でマナの使い方に慣れたズマは、意思疎通魔法の会得はそう難しくは無かった。
「では、行ってこい。儂にもやる事があるしのぅ」
「手伝ってはくれないニャ?」
「それは、お主達の仕事じゃろう。儂は手を貸さんよ」
「ずるニャ!」
「何を言っておる! お主は、聡いのか愚かなのか、臆病なのか勇敢なのか、よくわからんのう」
「馬鹿にしてるニャ?」
「お主がそう取るなら、そうなんじゃろうな。ラアルフィーネは、面白い子を送ってきたのう」
「やっぱり馬鹿にしてるニャ?」
「ふぅ。お主は化ける可能性が高い、この機会に精進せいよ」
意思疎通の魔法をズマに伝え、エレナと軽く言葉を交わすと、山の神は消え去る。そして残されたエレナは、唖然として立ち尽くした。
「おっさん、何をしに来たニャ?」
「神は、私に魔法の使い方をお教えくださいました。行きましょう教官。スライムと交渉するのです」
集団では、スライムを怯えさせる。ズマとエレナは、軍を離れてスライムの生息地に向かった。
ただ、スライムとの交渉は、丸一日を要した。
遠くから警戒を解く様に、話しかけ徐々に近づく。近づける様になるまで、約半日が必要であった。
しかし、目の前まで接近出来ても、スライムは岩陰から出る事は無い。ズマとエレナは、スライムに呼びかけ続けた。
この大陸における危機、それがスライム自身にも及ぼうとしている事。そして既に、とても危うい状況で有る事を伝える。
大陸中の生物が滅びれば、例えスライムとて生きる事は出来ない。それ以前に、スライムは簡単に悪意に落ちかねない。
ズマとエレナの懸命の説得は、夜半にまで及んだ。
「お前達を守らせてくれ! 俺が必ずお前達を守る。だからお前達も手を貸してくれ! お前達の力が必要だ、頼む!」
「大丈夫ニャ。私は強いニャ。お前達は必ず守ってやるニャ。そこで引き籠ってるより、私達に付いてくる方が安心ニャ。ど~んと任せるニャ!」
懸命な説得の結果、一体のスライムが岩陰から這いずり出る。そして、恭順の意志を示した。その後に続く様に、続々と他のスライムが岩陰から這い出て、ゴブリンに従う事を誓った。
こうして臆病で知能が低いが、ドラグスメリア大陸で最も厄介な魔獣が、ゴブリン軍団の一員となった。
エレナさえも無理だと言った冬也の命令を、ゴブリン達は成し遂げようとしていた。
そしてドラグスメリア大陸の南側を制圧したゴブリン軍団は、ドラゴンの谷へ向かい進軍する事になる。
ドラゴンが矮小だと馬鹿にした存在達は、この大陸を救う一助になる。それは、遠くない未来の出来事。一つの光明でもあった。
通常ドラゴンが空を飛ぶ時には、高度を上げる。それは、余り高度を下げると、鳥達に被害を及ぼすからである。
しかし今回、ペスカと冬也を背に乗せたスールは、かなり高度を下げて飛んでいた。
それは、地上での異変を発見し易くする為と、異変があった時には直ぐ駆け付けられる様にする、二つの意味があった。
スールの飛ぶ速度は早く、直ぐにミューモの支配領域である大陸の西が見えてくる。そしてペスカは、スールに速度を落とす様に告げる。
支配領域の境界線近くでは、魔獣が南に向い歩みを進める様子が見えた。
既にスールの眷属が、魔獣達の避難誘導を始めている。しかし遠目からでも、力尽きて倒れた魔獣が点在しているのがわかる。
多くは息絶えたのだろう。逃げている魔獣達の数は、予想以上に少ない。しかも一見する限り、五体満足の者は更に少ない。
残った魔獣達は深い傷を負い、また四肢の一部を失い歩行もままならないまま、生き延びようと必死にもがき、前に進み続けていた。
寧ろ、逃げ延びる事が出来たのなら幸運なのだろう。
自分の命を一番大切だと考えるのは、人間と魔獣にそれほど大差はない。ただ、弱肉強食のドラグスメリア大陸では、弱者が捨て置かれるのはごく自然な事である。
傷つき倒れた魔獣は、同種であろうと捨てていく。わざわざ手当てをする事は滅多に無い。
それが、例え親兄弟であろうともだ。
何故なら、傷付いて倒れる位の弱者なら、これから起きるだろう困難を乗り越える事は出来ない。それなら、早々に死んで肉体を地に還した方が、生命の循環の役に立つと考えるからである。
多くの魔獣達は、そうして死という観念を受け入れてきたのだ。
有史以来、底辺を歩み続けていたゴブリンや、争いを嫌うブルが、この大陸では異質な存在だ。改めてペスカと冬也は、この大陸での常識を思い知らされる。
種族が変われば、倫理観が異なる。世界の常識は一つでは無い。倫理観を押し付ければ、諍いの元になる。
「でもさ、助けたいよね」
「あぁ。そうだな」
ペスカの呟きに、冬也が頷いた。
理解はしていたつもりである。しかし、この大陸の常識をそのまま受け入れる気は、ペスカと冬也には無かった。
「スール!」
「ペスカ様。お気持ちはご察ししますが、今は力をお控え下され」
「怒るよ、スール!」
「ペスカ様、よくお聞き下され。ここにはミューモの眷属がおりません。北でも動乱が起きています。逃げる先は、南しかないのです。ミューモの眷属がいないと言う事は、敵がそれだけ強大である証拠。ここで、お二人に無用な力を使わせる訳にはいかんのです」
「じゃあ、どうすんだスール。てめぇ、俺の部下だったよな。何もしねぇで素通りはさせねぇぞ」
確かにスールの言葉は尤もである。未曾有の事態に備え、万全の状態であるべきだろう。正論を説かれて、ペスカは口を噤む。
しかし、冬也は黙っていなかった。ペスカの代わりに放たれた言葉は、怒気が籠っている。冬也の言葉を受け、スールは溜息をつく。そして、静かに口を開いた。
「主よ、馬鹿にしておられるのか? 儂はこれでも一の眷属。あの半端者とは違います。主の意志は必ず実現させますぞ」
「お、おぅ頼む。んで半端者って?」
「まぁ、背にてご覧くだされ」
スールはやや声を荒げる。そして、冬也の問いかけを聞こえなかったかのように振舞うと、呪文を唱え始めた。
「傷つきし者に癒しを、失いし者に祝福を。全ては回帰しあるべき姿へ」
スールの黄金の鱗が輝きを増す。同時にスールからごっそりと大量のマナが失われるのが、背に乗るペスカ達には理解出来る。
魔獣達が眩い光に包まれる。そして、深く抉られた魔獣の傷が塞がっていく。失った四肢が蘇る。魔獣達は、奇跡の瞬間を迎えた。
その光景は、ペスカをして驚きに声が出せなかった。
人と違う圧倒的なマナを有する、原初のドラゴンだけに許された魔法。それは、生前のペスカが長年研究しても辿り着かなかった、時を操る魔法であった。
「念の為ですが、ペスカ様。人の身でこの魔法は使えません。マナが足りないのは無論の事。使えば大きな代償を求められるでしょうな」
膨大なマナと、永遠にも近い寿命を持つエンシェントドラゴンだから出来る、神にも等しい技。人が使えば、たった数秒時間を戻すだけでも、寿命を大きく削る。
スールが行った様な大規模な治療を行うなら、人の命が何人有っても足りないだろう。時を操る行為は、それだけのエネルギーを要する。
時を操る魔法を使用出来るとはいえ、治療程度の局所的な使用のみしか許されていない。もし許容された以上の使用をすれば、神から制裁を加えられる。
手当たり次第に使用すれば、運命を大きく変える事になる。地上に大きな影響を与えるのだ、当然の処置であろう。
神に逆らう事は、自らの存在を消滅させかねない。そして未だかつて、神に逆らったエンシェントドラゴンは存在しない。
「流石に儂も、飛ぶので精一杯です。お二人を運ぶだけしか出来なくなりそうですな」
スールは、少し苦笑いする様に呟いた。スールの意図を慮ってか、冬也は頭を下げた。
「スール、わりぃ」
「主よ、何を仰る。主の望みは我が望み。ただ儂は、肝心な所で主のお役に立てないのが、悔しいのです。主とペスカ様から頂戴した神気を、未だ使いこなせない自分が不甲斐ないのです」
冬也は感謝の代わりに、少しスールの背を撫でた。スールは冬也の温かい手の感触に、笑みを深めた。
そして魔獣達は騒然としていた。なにせ、光に包まれた瞬間に傷が癒え、失った四肢が蘇ったのだ。
ただ、スールの行為は決して単なる恩情では無い。
魔獣達が自身の手で、この混乱する大地に平和を齎す。それを、主である冬也が望んでいる。「傷は癒してやる、だから戦え。恩義には必ず報いろ」、そんな思いが籠められていた。
スールの眷属とて、異例の事態に驚きを隠せないでいた。制裁を受けてもおかしくない事を、スールは行ったのだ。
しかし、直ぐに長であるスールの思惑を理解する。騒めく魔獣達を、スールの眷属がすぐさま鎮めた。そして、魔獣達を鼓舞した。「悔しかったら抗え、恩に答えろ」と。
魔獣達から咆哮が上がり始める。
それは、ただ傷つき逃げるしか無かった事への無念だろうか。抗う機会を与えてくれた事への感謝だろうか。それとも、常に強者足らんと戦う魔獣達の、誇りを取り戻す意志の表れだろうか。
痛みと共に、魔獣達から悲痛の表情が消えていた。
魔獣達の様子を見ていたペスカは徐に口を開く。事前に聞いていた情報とは、少し異なる状況にペスカは違和感を感じていた。
「ねぇスール。おっきい魔獣がいないよ。みんなちっちゃいじゃない」
「確かに違和感を感じますな。サイクロプスは、単身で暮らしますから、いざ知らず。西には他にも大型の魔獣はいるはずですからな」
「う~ん、何か嫌な予感がするね。急ごう」
「承知しました、ペスカ様」
嫌な予感。それは、大体最悪の状態で起きるもの。
西の地ではミューモやその眷属以外にも、状況を打開しようと抗う者がいる。しかし、闇に落ちた四体の魔獣を相手に果敢に挑む勢力は、窮地を迎えていた。