改訂版 妹と歩く、異世界探訪記

 トロール軍団の前方を歩いていた、数体の目に矢が深く突き刺さる。激しい呻き声が、密林に響き渡る。
 そしてトロール達は、周囲を見渡した。敵が潜んでいる、だがその姿は見えない。立ち止まり、周囲を警戒するトロール達に、再び矢が降り注いだ。矢は、的確にトロール達の目を捉える。

 突き刺さった矢は、トロール達の目を深く抉る。巨大になり過ぎたトロールの手では、ゴブリン達が放った矢は小さすぎた。指先で摘まみ取る事も出来ずに、悲鳴を上げた。

 痛みのあまり、トロール達は片膝を突く。
 
 そして、更なるゴブリン達の一斉射撃。弓は真っすぐにトロール達に向かう。この時、密林はゴブリンの見方であった。矢を遮る事なく、木々は枝を寄せる。

 更に数体のトロールが、視界を閉ざされた。

 トロール達は、怒りの咆哮を上げる。密林の中から、弓が放たれたのが薄っすらと見えていた。何者かに狙われているが、依然として姿が見えない。
 トロール達は、怒りに任せて棍棒を振るう。大きく振り回し、密林を無尽蔵に破壊していく。

 トロールの一振りで、木々が粉々に破壊されて行く様は、ゴブリン達には脅威だった。当たれば間違いなく、体は粉々に砕かれる。棍棒の風圧でさえ、ゴブリン達は吹き飛ばされるだろう。
 
 これが、本物の戦場だ。

 ゴブリン達の肌は一斉に粟立つ。しかし、怯んでいては死が待ち受けるだけ。ゴブリン達は移動を繰り返し、狙撃地点を変えて弓を放ち続けた。

 巨大化したトロール達は、密林から頭だけが出ている様な状態である。そして、それが災いとなった。
 ゴブリン達からは狙いやすい。トロール達は木々の間から、目の前に突如として現れた矢を避けられない。

 次々とトロール達は、膝を突いた。

 地の利が遺憾なく発揮され、序盤の攻防はゴブリン達の優勢に見えた。しかし、数に勝るトロール達の、勢いは止まらない。
 膝を突いた群れの一割を見捨て、再び前進を開始する。ひたすらに全てを蹴散らさんと、棍棒を振るう。

 作戦では、ここでトロールを怒りで暴走させ、分散させる予定だった。しかし、トロール達は仲間が傷つく事を、気にも留めていない様子である。
 巨体の大軍が真っすぐに集落へ向かう。トロール達の予定外の行動に、ゴブリン達に焦りが生じた。

 焦りは油断を生む。

 一定の距離を保ち、攻撃をしていたパーティーの一つに、トロールの棍棒が飛ぶ。大地に棍棒が、深く突き刺さる。
 ゴブリン達は風圧で吹き飛ばされ、土砂で深いダメージを受けた。

 ズマは指笛で、近くのパーティーに合図し、傷付いたパーティーの回収を急がせる。だが、飛んでくる矢が減った事で、トロールが対抗策に気付いた。

 トロール達は、周囲に向かい一斉に棍棒を投げつけた。雨の様に、巨大な棍棒が降り注ぐ。間一髪で避けるものの、ゴブリン達は撤退を余儀なくされた。
 
 クロスボウの射程範囲を優に超える距離から、棍棒が降り注ぐ。近づく事すら出来ない状況に、ズマは焦れた。
 当初エレナから授けられた作戦と、今は状況が異なっている。自分達の持つ武器は、クロスボウと尖らせた石だけ。
 よっぽど急所を突かない限り、トロールの頑丈な皮膚には、傷ひとつ付けられないだろう。

 作戦指揮を執るズマは、ペスカとエレナの指示を仰ぐ為に、急いで集落へ戻った。しかしペスカは、ズマを激しく叱り飛ばした。

「指揮官が何しに戻って来たの? 仲間を見捨てる気?」
「いえ。滅相もありません。私はただ」
「ただ、何よ! 指揮官はあんたなのよ、ズマ! 自分で考えて、行動しなさい!」
「しかし我等の弓が、奴らに届きません。打つ手がありません」

 ペスカはズマを殴りつけ、声を荒げた。

「馬鹿な事を言うな! 罠でも何でも使って、足止めしろ! あんたは、何をエレナから学んだの? 逃げ帰って弱音を吐く暇が有るなら、味方を動かせ!」

 ズマは口から流れる血を拭わずに、すぐさま立ち上がる。そして、ペスカ達に敬礼をして集落を後にした。

「ペスカ。助けてあげないニャ?」
「助けないよ、今はね。この程度で音を上げたら、限界なんて越えられないよ」
「どう言う事ニャ?」
「エレナ。あんたは、切羽詰まった時どうする?」
「それは、マナを全開にして、命がけで突っ込むニャ」

 エレナは言いながら、はたと気付く。

 まだ、ゴブリン達は自ら考え行動していない。それどころか、命の危険が無い場所で、ただ攻撃を繰り返しているだけ。死に物狂いで勝ち得た能力は、未だ見ていない。

「とは言え、そろそろ後続部隊を出そっか」
「冬也の荷物はどうするニャ? 秘密兵器って言ってたニャ。使わないニャ?」
「まだだよ。ズマ達が頑張って頑張って、それでも駄目だったら使うんだよ」
「なんか、私よりペスカの方が厳しいニャ」
「そうじゃなきゃ、現状は変えられないからね。それより、エレナは後続部隊に命令してきなよ」
「わかったニャ」

 里を出たズマは、走りながら懸命に頭を動かした。

 矢とて無限では無い。一体一では到底敵わない、巨大な相手。ペスカ達から授けられた知恵は、最初の作戦だけ。作戦と異なり、トロール達は分断せずに、真っ直ぐ里へ進んでいる。
 
 どうすれば良い。どうすれば里を守れる。どうすれば仲間を守れる。
 
 まとまらない考えのまま、ズマは木々をすり抜け走る。「誰でも良い、助けてくれ!」と叫びたい。いや、駄目だ。それでは、今までと変わらない。俺は、変わると誓ったのだ。俺が、仲間を守らなければ。
 そうだ。その為の方法を、教官から教わったのだ。
 
 ズマの意思を受け、体内のマナが自然と流動する。ズマは立ち止まり目を閉じ、恩人達の姿を思い浮かべた。

 しなやかでも強靭な、エレナの脚力と腕力。冬也の強い意志の力。ペスカの大きなマナ。恩人達は、あの大軍は脅威にも感じないのだろう。
 どれも自分には、遥かに遠い存在である。せめて、一歩でも近くあったなら。
 
「大地の女神ミュール様。我が一族に力をお貸しください。大いなる脅威に抗える力を。脆いこの体に災いを跳ね除ける力を」

 その時だった。ズマの体内でマナが膨れ上がる。力が漲っていくのがわかる。身体に纏う力が、自分を高みに押し上げている様だった。

 試しに跳躍したズマは、その変化に驚く。

 エレナの様に、身長の何倍もの高さへ飛び上がっている。今まで訓練で使っていた身体強化とは一線を画す、圧倒的な能力の上昇であった。
 今までは単にマナを使い、身体の要所を少し強化していただけだった。確実なイメージと呪文を唱えた事で、ズマは意図せずに身体強化を完全な魔法として発動させた。

「そうか、手段はもう教わっていたのか」

 ズマの中で全てが結実する。

 ひたすら過酷な筋力強化、マナのコントロール、狩り、そして今までの人生。全てがズマの中で、昇華されていった。

 ズマは指笛で、前線部隊を全て集める。エレナの命令で里を出た後続部隊も含めて、ゴブリン軍団が集合した。
 トロールの軍団がもう少しで里に迫る。一刻を争う事態の中、ズマは声を上げた。
 
「皆。これから命令を与える。俺達だけの力で、この逆境を覆す」
 ズマは、ゴブリン軍団全員に、肉体強化の魔法の真実を伝えた。
 
「イメージをしっかり持て。俺は恩人達の三人をイメージした。その後は、マナを意識して女神ミュールに祈れ」

 冬也と関わりを持ったゴブリンは少ない。しかし、自分達を治療してくれたペスカ、訓練教官となったエレナの姿は、ほとんどのゴブリンが容易に想像が出来た。

 全てのゴブリン達が一様に、能力が高まる訳では無い。不揃いな点は否めないが、呪文を唱えた後のゴブリン達からは、今までとは明らかに違う力の高まりを感じる。

 直ぐにズマは、思い付いた作戦を皆に伝えた。

「今から班を元に戻す。遠距離狙撃班は、左右に分かれて牽制を行え! 索敵班は、麻痺毒の実を搔き集めろ。後方支援班は、傷付いた仲間達の治療だ。近距離攻撃班は、俺に着いて来い」
「族長。毒の実を集めた後は、どうするのですか?」
「すりつぶして、使用可能にしろ。近距離攻撃班が奴らの足元を撹乱する。その隙に、麻痺毒を密林の上に散布しろ。奴らを体内から破壊する」
「族長。回復させた仲間は、どうするのですか?」
「里の護衛に回せ。戦況次第では前線に復帰して貰う。だが、俺の指示を待て。それと後方支援班は、治療の他に矢の作成を行え」

 ズマは、全員を見渡す。そして、力強く仲間達を鼓舞する。

「俺達は、今この瞬間に大陸最弱の汚名を返上する。この脆弱な体でも、巨人を倒せる事を示す! 皆、自分を信じろ!」

 ゴブリン達から、一斉に掛け声が上がる。

「戦え! 勇敢なるゴブリンの一族よ! 奴らを倒すぞ!」

 ゴブリン達から津波の様な雄叫びが上がり、興奮は最高潮に高まる。
 
「行くぞ!」

 ズマの掛け声と共に、後方支援班と傷付いた仲間を除く、全てのゴブリン達が密林内を駆けだした。

 ズマが最初の作戦を遂行した際に、頭から抜けていた事が有った。

 肉を獲る事が出来ないゴブリン達は、木の実や植物等を主食としてきた。その為、植物が有する毒についての知識は、他の種族よりも深い。
 そしてゴブリン達は知っている。密林とその上空では、空気の流れが異なる事を。密林の上に毒を撒くだけで、顔を出すトロール達は必然的に、大気中に散布された毒を吸い込む。

 天の時は地の利に如かず。

 密林はゴブリン達の味方として、ならず者のトロール達を排除する意思を持っている。地の利はこちらに有るのだ。それでも、劣勢には変わりない。
 圧倒的な力と数のトロールに対して、ゴブリン達がどの様に抗うのか。それは、ズマが身を持って、仲間たちに示した。
 
 先頭を走るズマは、その手に有る石のナイフを軽々と粉砕する。武器は必要ない、本当の武器は己の体なのだから。
 そしてズマは、両手と両足にマナを集中させて、トロールに正面から突っ込んだ。
  
「この拳は、全てを砕く。この足は、全てを薙ぎ払う。我が体、爪の先まで全身が武器なり!」

 ズマのマナは、再び爆発的に高まる。思い切り跳躍したズマは、スピードを乗せてトロールの鳩尾を目掛けて、拳を振り抜く。ズマの拳は、黒く硬いトロールの皮膚を突き破る。トロールは、全身を巡る痛烈な痛みにより昏倒した。

 元より、一対一では敵わないはずの相手だった。相手は更に大きく強くなった。そんな相手を、ただの一撃で倒したのだ。
 ゴブリン達の歓声は、密林の中に響き渡り、木々を大きく震わせた。

「皆、俺に続け!」

 ズマの怒声が、密林に響く。そして、近距離攻撃班が一斉にトロールの大軍に迫る。そしてズマを真似て、口々に呪文を唱える。
 身体の強化を得てゴブリン達は、トロールの厚い皮膚を突き破る。それは、鋼鉄の弾丸の様だった。

 ある者は足を砕き、ある者は睾丸を潰す。トロール達の前線から、次々に負傷者が増えていく。また、負傷して倒れるトロールを、迂回しようと左右に分かれた所に、矢が降り注いだ。
 目を貫かれて、膝を突くトロールが量産される。

 地の利は人の和に如かず。

 ゴブリン達の連携が、トロールの大軍を足止めし始めた。そして、ゴブリンの奮闘は続く。中でもズマは獅子奮迅の活躍を見せる。全身を鉄の様に硬くし、トロール達を屠り続ける。
 返り血で真っ赤に染まったズマの姿は、誰もが最弱とは呼ばないだろう。

 近距離攻撃班は、ズマを中心にトロール達を倒し続ける。後方支援班は矢を大量に作成し、遠距離狙撃班に手渡す。ズマの作戦が効果を上げ、ゴブリンの軍団が機能していく。   
 
 巨体と剛腕が取り柄のトロールは、素早く動くゴブリンを捉えられない。視界の悪い密林の中では、尚更だろう。 
 無造作に棍棒を振ろうとも、ゴブリン達は容易く躱し、トロールに深いダメージを与える。足元に意識を向ければ、矢が瞳を貫く。矢の出現元を探ろうとすれば、足元からゴブリンが迫る。

 小一時間の戦闘が続く中、トロール軍団の後方からも倒れる者が現れた。索敵班が散布した麻痺毒が、効果を出し始めたのだ。

 トロール達は次々と倒れ、半数以上のトロールが先頭不能となっていた。戦力の大半を失って、初めてトロール達に動揺が生まれた。
 
 命令に従い、盲目的に行動するトロールと、強い意志を持って抗おうとするゴブリン。その違いは、明確な結果として現れた。
 ただ周囲を破壊しながら、ゴブリンの集落を向かっていたトロール達は、困惑する様に動きを止める。
 
「どうやら、上手くやってるようだね」
「ペスカは、この結果を予想してたニャ?」
「半分位しか期待してなかったよ。頑張ったね。充分な成果だよ」
「あいつ等が上手くやれなければ、どうしてたニャ?」
「その時は、エレナの出番だよ。まさか、嫌とは言わないよね。作戦を伝えた時に、任せるニャって言ってたのに」
「当たり前ニャ。あいつ等は私が守るニャ。でも、あいつ等マナを使い過ぎニャ。これ以上は、不味いニャ」
「そうだね。お兄ちゃんからの荷物が全部届いたし、一気に止めと行こうか」

 ペスカが視線を向けた先には、大きな木桶が蔦によって運ばれてくる様子があった。ペスカは神気を通じ、木桶を後方支援班の所まで運ぶ様に、木々に指示をする。
 
「さぁ、行くよエレナ」
「わかったニャ」

 木桶に続くように、ペスカとエレナが集落から飛び出した。ペスカとエレナの動きは早く、直ぐに後方支援班が待機する場所に辿り着く。

「直ぐに伝えて! 全軍撤退だよ!」

 ペスカの言葉を受けて、ゴブリンの一体が指笛を鳴らす。指笛が密林に響き渡る。ゴブリン達は攻撃を止め、ズマを中心に撤退を開始した。

「じゃあ、お願いね」
 
 ペスカは、語り掛ける様に、大地に神気を流す。

 木々から、大量の蔦が伸び、木桶の中にある手榴弾型の魔鉱石を掴む。スリングの様に遠心力を利用し、魔鉱石をトロールに投げつけていく。
 魔鉱石は、放物戦を描きトロールの頭に当り爆発する。爆発と共に光が周囲に広がり、トロール数体を包む。光に包まれたトロールは、意識を失い倒れ伏した。

「おぉ! 流石お兄ちゃん。神気マシマシだね。続けて、投げちゃって」

 ペスカの言葉に応える様に、蔦は魔鉱石を掴み次々に投げていく。
 トロールの頭上から、雨の様に魔鉱石が降り注ぎ爆発する。爆発は連鎖的に広がり、周囲数キロが光りに包まれる。
 
 既にゴブリン達の手によって、視界を潰されたトロールを含め、次々とトロール達の意識が刈り取られていく。
 あっと言う間に、侵攻してきた全てのトロールが浄化される。副次的な効果か、トロールに破壊された密林の木々に、緑が戻り始めていた。

 神秘的な光景に、ズマを始め退却中のゴブリン達の足が止まる。エレナは言葉を忘れ、ただ茫然と眺めていた。

「じゃあ、エレナ。後はよろしくね」

 ペスカから声をかけられ、エレナは我に返る。ペスカはゴブリン達から離れ、トロール達の下へ走る。

「な、何がよろしくニャ。待つニャペスカ」
「ちょっと、着いて来てもいい事ないよ。集落に戻って、ズマ達と待機してなよ」
「ペスカは変ニャ。隠しても無駄ニャ」

 走るペスカをエレナは執拗に追いかける。そしてペスカは少し溜息をついた。 
 
「はぁ。仕方ないな。さて、鬼が出るか蛇が出るか。どっちにしても、動きが有ると良いね」
「ペスカ、どう言う意味ニャ?」
「これからが、本番って事だよ」

 エレナは首を傾げる。そしてペスカの言葉通りに、局面は動きを見せる。それはエレナの常識を塗り替える、生物の英知を越えた異常な事態であった。
 意識を失った多数のトロールが横たわる下に、ペスカとエレナは走り寄る。そしてペスカは、エレナを一瞥すると話しかけた。

「エレナ、帰るなら今の内だよ。早く帰らないと危ないかもしれないよ」
「帰らないニャ。私はあいつ等に、偉そうなこと言ったニャ。その割に戦いでは、何もしなかったニャ。役立たずニャ」
「そんな事ないって。エレナの特訓があったから、みんな勝てたんだよ」
「駄目ニャ。ペスカは危ない事に、顔を突っ込もうとしてるニャ。お見通しニャ」
「あのね。私はエレナを、指先でちょいって倒せるほど強いんだよ。懲りてないの?」
「それでも、駄目ニャ。ペスカは友達ニャ。友達を助けるのは当然ニャ」
「はぁ。何が起きても後悔しないでね」

 ペスカは深い溜息をついた。予感が正しければ、ここから先は、エレナが居て良い場所では無くなる。
 エレナは優秀な軍人で有り、高い戦闘能力を有している。ただそれは、あくまでも一般的にというだけ。シグルド、モーリス、ケーリア、サムウェルの様に、種族の領域を遥かに超えた力を持っている訳では無い。

 急激なトロール達の変化の裏には、必ず何かが有る。ただでさえ、何も知らされずに巻き込まれた、少し戦えるだけのエレナは、ここから先の悪夢には耐えられない。

 ペスカは浄化の完了を確認する様に、横たわるトロール達の中を歩く。一体ずつ念入りに確認を行い、ゆっくりと歩く。

 エレナには、ペスカが何を行っているかわからない。無造作に倒れたトロール達の間を縫って、歩いているようにしか感じない。
 だが、ペスカの真剣な眼差しを見て、これが重要な事なのだと理解した。

 冬也の神気が含まれたマナキャンセラーを浴びたのだ、浄化が出来ていないはずが無い。それでも、ペスカは見落とさない様に、神経を集中させる。ペスカの額にはじっとりと汗が滲む。

 確認を始めてから、数十分が過ぎる。何も無い。全て浄化されている。外れだったか。それとも……。

 邪神ロメリアについては、おそらく他の神々よりも、ペスカが一番よく知っているだろう。何故なら、一番関わってきたのだから。

 ロメリアは、希望を踏みにじる。

 ゴブリン達が成長し始めた頃に襲撃が起きた。ロメリアが仕掛けのは、こういうタイミングなのだ。だからトロールを操る本体は、必ず近くにいるとペスカは踏んでいた。
 
 しかし、勘違いだったか。そう思い始めた瞬間、最奥で倒れるトロールの一体に、ペスカは違和感を感じた。ペスカは慌てて走り出す。そしてエレナは、ペスカに追随しようとする。

「エレナ、来ちゃ駄目!」

 ペスカは怒鳴り声を上げる。エレナは、ペスカの強張った形相に危機感を感じ、無言で立ち止まった。

「エレナ、障壁は張れる?」
「出来ないニャ」
「なら、肉体強化を使って離れてて。守り切れないかも知れない」

 ペスカはエレナに告げると、違和感を感じたトロールの一体に近寄った。
 神気を目に集中させ、体の隅々を見る。すると、よく目を凝らさなければわからない程に、小さい澱みを見つけた。

「お兄ちゃんの神気に耐えるなんて、よっぽどだね」

 ペスカは溜息をつきながら、澱みを浄化しようと手を翳す。だがその瞬間、堰を切った様に澱みが膨れ上がる。
 瞬時にペスカは、浄化では無く障壁に切り替る。トロールの身体に神気の膜を張り、澱みが広がるのを防いだのだ。しかし、澱みはペスカの神気を押し返す様に、膨れ上がっていく。
 
「逃げて、エレナ!」

 ペスカが大声で叫んだ瞬間。トロールの身体は爆発した。
 その爆発は連鎖を呼び、次々に周りのトロールを巻き込んで、爆発していく。爆発の余波を周囲に広げない様に、ペスカは神気を高める。だが、爆発の威力は止まらない。トロール軍団の内、約三分の一を破壊しつくした。

 澱みはそのまま、辺りを飲み込んでいく。飛び散ったトロールの肉片を取り込んで、大きく膨れ上がっていく。そして澱みは黒いヘドロの様に蠢く。
 やがて一つの身体を形成した。ペスカには馴染み深い、ロメリアそのものの身体が出来上がった。禍々しい光を放つ姿、少年の様な体躯、顔には頬まで裂けた様な口が、嫌らしい笑みを湛えていた。

 ペスカはエレナを見やる。

 身体能力は飛び抜けたエレナは、爆発を回避したのだろう。特に怪我をした様子は無い。だが足は震え、顔は蒼白となっている。エレナを、これ以上この場所に居させる訳にはいかない。

「エレナ。里まで避難して! 早く!」
「い、嫌ニャ!」
「邪魔だって言ってんの!」
「嫌ニャ!」
「足手まといだよ! 早く消えなよ!」
「駄目ニャ! ペスカを守るニャ!」

 エレナは執拗に、避難を拒む。震える足で、青白い顔で、それでも黒く禍々しいものを睨め付ける。
 ペスカを守る。そんな事が出来るはずが無い。でも、エレナの瞳は嘘を語っていない。馬鹿だとしか言えない、だけどこの馬鹿な猫娘を必ず守り切らねばと、ペスカは強く誓った。

「あ、あああ。久しぶりだね、小娘。ああ、本当に久しぶりだ。ハ、ハハ、ハハハ、ハハハハハハハ」

 澱みの塊は、甲高い笑い声を放った。エレナの肌が粟立ち、竦んだ足は体を支え切れずにへたり込む。魂の底に刻まれる様な恐怖を、エレナは感じていた。

「あぁ、良いよ。これは良い。そこの亜人からは、最高の甘美を味わえそうだね」

 澱みの塊は、体を影の様に伸ばし、周囲に倒れるトロール達を飲み込んでいく。瘴気が溢れ、密林の木々が枯れ始める。大地は穢れ、ヘドロの沼の様に変わっていく。
 
「あぁ、楽しいよ。遊ぼう小娘。分霊体に見せた怒りを、僕にも見せてくれよ」
「期待には、応えられないよ。あんたはここで消滅するんだから」
 
 ペスカの言葉に、澱みの塊から更に瘴気が発生する。

「大地母神ミュールに代わり命じる。大地よその身体を癒し邪悪を討て! その魂を永劫に消し去れ! 破邪顕正」
 
 ペスカの神気が数キロに渡り広がる。

 光を放ち、穢れ始めた大地を元に戻していく。トロール達の身体は黒から、元の薄緑色に変わっていった。立ちこめる瘴気が消えていく。澱みの塊から伸びた影が、悲鳴を共に薄くなっていった。

 そしてペスカは、冬也の様に神剣を取り出す。澱みの塊との間合いを、瞬時に詰める。

「さあ、終わりだよ。糞ロメ!」
「それは、どうかな」

 澱みの塊が言葉を吐いた瞬間、ヒッと言う声にならない叫びが、ペスカの背後から聞こえる。ペスカが振り向くと、エレナを飲み込もうと影が迫っていた。
 
「エレナ、逃げて!」

 エレナの足は、恐怖で動かない。

「止めろ~!」

 ペスカが影を切り裂こうと走るが、間に合わない。竦むエレナを影が完全に覆い隠す。澱みの塊の口角はつり上がる。更に、澱みの塊から伸びた影は、エレナを助けようとするペスカの足止めをする。

「邪魔するな!」

 影を切り裂きながら、ペスカは懸命にエレナの下へ走り寄ろうとする。しかし、幾つもの影が澱みの本体から伸びて、ペスカに攻撃を加えた。 
 ペスカは尽く影を切り裂くが、影は際限なく伸びてくる。 

「これは、僕が貰っておくよ。イタダキマス!」
「止めろ~!」

 ペスカの叫びも空しく、エレナを包む影は収縮していく。だがその時、天から一本の剣が飛び、エレナを包む影を切り裂いた。

「させねぇよ。糞野郎!」

 エレナの隣に降り立つのは、兄の姿。これ以上も無い、頼りになる援軍が到着した。
 
「お兄ちゃん!」
「間に合ったみてぇだな、ペスカ」
 ドラグスメリア大陸の東は、一帯が黒い闇に染まっていた。
 その闇から、黒いドラゴンが次々と現れる。溢れ出す勢いで生まれ続ける黒いドラゴンに向かい、輝くブレスが放たれる。そして、黒いドラゴンを消し飛ばしていった。

 大空には、全身が黄金の様に光り輝く、巨大なドラゴンの姿。それは、ドラグスメリア大陸の南側を支配する、最も古いドラゴンの一体である。
 
 原初の神々が世界を創造した時、初めて作った生物は四体のドラゴンだった。
 どんな生物よりも知能が高く、あらゆる魔法を使いこなす。マナの保有量は、湖よりも深い。
 ドラゴンは、ロイスマリアに生きるどの生物よりも、神に最も近い力を持つ。そして神から、世界の守護を任された太古の存在であった。

 神の代理として、他種族間の戦争に介入した事が有る。神の先兵として、世界の理を乱す者を滅ぼしてきた事も有る。

 四体のドラゴンは、自由に大空を飛び、世界を守り続けてきた。

 そしてドラゴンは強大な力を持つ故、子を成さない。元より、永遠にも近い寿命を持つエンシェントドラゴンは、次代を継ぐ者を作る必要が無い。しかし、世界を守護するには、四体では心許ない。
 純潔とも言える四体のドラゴン、ノーヴェ、ニューラ、ミューモ、スールは、力の強い他種族を自分の眷属とする事で、種族を増やしてきた。

 眷属となる際に、元の種族からドラゴンへと姿が変わる。
 眷属のドラゴンとはいえ、ドラゴンの力は他の生物と一線を画す。故に、四体のエンシェントドラゴンは、限られた者しか眷属化をする事はなかった。
 だからこそ、黒いドラゴンが次々に現れる状況は、異常そのものだった。

 ドラグスメリア大陸の南を住処とするスールが東に向かったのは、ペスカと冬也が大陸に降り立った頃と、ほぼ同時期だった。
 女神ミュールの命を受けたスールは、大陸の東で起こる異変を食い止める為に、眷属を連れて飛び立った。
   
 東の地でスールが見たのは、真っ黒に染まった密林と、そこから溢れ出る黒いドラゴンである。豊かな緑は、影も形も無い。
 変わり果てた光景を目の当たりにし、スールは大陸の危機を感じた。そして自ら先陣に立ち、黒いドラゴンを消し飛ばす。

 しかし、どれだけブレスを吐いても、黒いドラゴンは闇の中から生まれ続ける。黒い闇は浸食する様に、東から各地へ範囲を広げていく。
 ブレスだけでは止められない事を悟ったスールは、これ以上闇が広がらない様に、眷属の力を借りて結界を張る。

 ただ、その結界は意味を成さなかった。ドラゴンの結界はあっさりと破壊され、黒い闇が広がっていく。既にドラゴン達では、止める事が難しい
 それ程に、事態は深刻化していた。

「本格的に不味いのぅ。これでは、ニューラが無事と思えんな。残してきた息子達は、大丈夫かのぅ」

 スールは、溜息を吐く様に呟いた。

 東の地を住処にするニューラの眷属は、スールと同様に数体しか存在しない。
 しかし、これだけのドラゴンが現れるのは、ニューラが無尽蔵に眷属を増やし続けているのだろう。それは、ニューラが闇に落ちた事を意味する。
 スールは最悪の事態を想定し、北に住まうノーヴェ、西に住まうミューモの下へ、眷属達を使いを出した。
 
 スールは、無詠唱で複数の魔法を操り、闇から生まれる黒いドラゴン達に向けて放つ。
 光や炎の球が、天空から降り注ぐ。それと同時に、大気に宿るマナを取り込む様に、深く息を吸った。
 
 魔法で作られた大量の球が降り止むと、スールは最大級のブレスを吐く。
 闇に染まった大地を焼き払う様な勢いのブレスが、黒いドラゴンごと闇を消し飛ばしていく。ブレスを受けた密林は、浄化された様に闇が消えていく。しかし、直ぐに密林は黒く染まる。

 払っても直ぐに闇は広がる。神に最も近いドラゴン、スールの力を持ってしても、それを止める術は無かった。
 
「駄目じゃ。ノーヴェ、ミューモ、早く来てくれ。儂だけでは、止められん」

 だが、そのまま手をこまねいている訳にはいかない。スールは、ブレスと魔法を併用し、湧き出るドラゴンと大地の浄化を続けた。

 だが異常事態は、広がる闇と黒いドラゴンだけでは無い。
 本来ならば、大陸の東にも土地神が存在する。女神に託された大地を、土地神達が止める事無く、なすがままに蹂躙されるとは考えられない。
 この闇は、神をも凌ぐ力を持つとでも言うのだろうか。

 スールは思考を続けながらも、浄化を行う。暫くの後、懸命に抗うスールの頭に、呼びかける声が聞こえた。

「・・・・・ス・・・。ール・・・。・・・ル。キコエ・・・」
「な、ニューラ! ニューラなのか? ニューラ、聞こえるか? ニューラ!」

 途切れ途切れに頭に響く声は、古い友の声であった。慌てて、スールは問いかける。だが、応答は途切れて良く聞こえない。

「・・・ツタエ・・・。タノ・・、スール。スベテ・・・・ヤミニ・・・」
「どう言う意味じゃ、ニューラ! 無事なのかニューラ!」
「カミハヤミ・・チタ。オレハ・・ダメダ。・・・ミュ・・・マニツタ・・・レ。タノ・・・スール」
「闇? 闇がどうした! ニューラ、ニューラ!」

 スールの頭に響く声は、プツリと途切れる。
 辛うじて聞き取れたのは、闇、神、駄目だ、そんな断片的な言葉である。しかし事が、想像以上に深刻なのは伝わってきた。

 沈黙する土地神、そして片言の連絡を告げて途切れたニューラ。全てが闇に呑まれ、その力を媒介にしているなら、広がる速度が速すぎるのも頷ける。
 このまま広がれば、数日もかからずに大陸中に闇が広がるだろう。

 スールは身も凍る様な思いに囚われる。慌てて女神ミュールに連絡を取ろうと、マナを高める。その瞬間、再びスールの頭に呼びかける声が聞こえてきた。
 もしニューラが無事であるなら、取れる手段が有るかもしれない。
 
「ニューラ! ニューラ! しっかりするんじゃ、ニューラ」

 スールは、懸命に呼びかける。しかしスールの声に反応したのは、ニューラと異なる禍々しいものだった。

「ハハ、ハハハハ。やっと、洗脳が終わったよ。この体は僕の物だ。ハハハハハ」
「貴様! ニュールでは無いな! 何者だ!」
「僕かい、神だよ。これから、世界を飲み込む。新たな神だ」

 スールは、血が凍りつく様な寒気を感じた。人間の大陸ラフィスフィアで、邪神は消滅したと聞いた。しかし、今スールが感じている気配は、彼の邪神そのものである。もし、復活を遂げたのなら、スールだけでは止められない。

 スールはマナを高める様に集中し、女神ミュールへの連絡を急ぐ。

「ミュール様。聞こえますか、ミュール様」

 女神ミュールとの通信に、スールが気を取られた瞬間だった。大地を染める闇から、黒い光が放たれて、スールの胴を貫いた。
 
 激しい痛みが、スールの全身を駆け巡る。スールは飛行能力を失い、落下していく。真下には闇が広がっている。このまま落ちれば、自分も闇に呑まれてしまう。
 スールは、懸命にマナを使って飛空した。辛うじて、闇に染まっていない南の地に墜落したものの、そこでスールは意識は途切れる。

 新たな邪神の誕生と共に、広がる闇を食い止めていたエンシェントドラゴンは姿を消した。
 ドラグスメリア大陸に、未だかつてない混迷が広がろうとしていた。
 トロール達を浄化し、ペスカ達は邪神の欠片を倒した。だが、それで終わりにはならない。

 今回、被害者となったのはトロールであろう。ペスカが加担してなければ、被害者がゴブリンだったかもしれないが。
 ただ、実際に戦いは起きた。そして、気付いて倒れるオークのトロール達がいる。トロール達は、洗脳されて戦わされただけ。邪神が関与しているなら、温厚であった種族の変貌は理解が出来る。
 
 ペスカはエレナを手伝わせ、倒れ伏すトロール達の治療を行った。
 そして冬也は木々に尋ね、大陸南の情報を聞き出す。それは邪神の復活と共に、他に余波が溢れていないか、確認する為であった。

 暫くの間、目を瞑り耳を澄ませていた冬也は、いきなり目を見開き大声を上げた。

「はぁ? 何だと! まじなのか?」

 突然の大声に、ペスカとエレナが驚き、冬也に声をかける。

「何よ、お兄ちゃん。どうしたの?」
「そうニャ。びっくりさせちゃ駄目ニャ!」

 冬也は、二人の問いかけに応えず、木々に耳を傾け続けた。

「それで場所は? あぁ、わかった。直ぐに行く。俺が行くまで、お前らはスールを少しでも守ってくれ」

 冬也のスールという言葉に、ペスカは目を見開いた。

「お兄ちゃん! スールって言った? スールがどうしたの?」
「どうやら、やられたみたいだ」
「え? お兄ちゃん、何言ってんの?」
「スールが、糞野郎にやられたんだよ。こいつらの治療は後回しだ、ペスカ。お前も来てくれ!」

 慌てる様に、冬也は口早に話す。そしてペスカも治療の手を止め、立ち上がる。

「ちょっと待つニャ。こいつ等どうするニャ?」

 エレナも慌てた様に、立ち上がる。冬也は少し考える様にした後、エレナに言い放った。

「トロールの治療は、ゴブリン達にやらせろ」
「なんでニャ?」
「つべこべ言わねぇで、言う事を聞け! このお漏らし猫!」
「私を侮辱したら、お願いを聞いてあげないニャ!」
「うるせぇ! 冗談に付き合ってる場合じゃねぇんだよ。それと、お前はゴブリン達を率いて、ここら辺の魔獣をボコれ!」

 強張った表情で声を荒げる冬也に、冗談抜きで下着を湿らすエレナ。冬也の気迫に、影に呑み込まれた時よりも、酷い寒気を感じた。
 震えるエレナに、堪りかねたペスカが話しかける。

「お兄ちゃん、それじゃ伝わらないよ。ねぇ、エレナ。ゴブリン達を頂点に、南大陸の魔獣を支配して欲しいの」
「無茶ニャ!」
「無茶じゃねぇ! やれ! 集落にはライフルを置いてきた。狙撃が出来る奴に持たせろ。後は、ブルに聞け!」
「ブルって何ニャ?」
「ブルは、ブルだ。それと、南の制覇は五日以内だ。終わったら、全部の魔獣を率いてドラゴンの谷へ来い。わかったな」
「わかんないニャ! 待つニャ、冬也」

 エレナの返答を待つ事無く、冬也とペスカは走り出す。混沌が広がろうとしているドラグスメリア大陸で、最大戦力のエンシェントドラゴンを失う訳には行かない。
 冬也とペスカは、限界に近いスピードで、木々の間をすり抜けた。

 走りながらペスカは神気を高め、木々とのコミュニケーションを図る。冬也の言葉を疑っている訳では無い。だが、エンシェントドラゴンが倒されたのは、耳を疑いたくなる事実でもあった。

 何度問いただしても、木々からの答えは変わらない。突然、スールが墜落してきた。胴が貫通している。瀕死。そんな事ばかりが、聞こえて来る。

「不味いね。急ごう、お兄ちゃん」
「あぁ。この大陸には、まだドラゴンが必要だ。救うぞ!」

 ☆ ☆ ☆

 一方、取り残されたエレナは、困惑していた。原因は勿論、冬也からの無茶振りである。
 ドラグスメリア大陸南部の魔獣を五日以内に統一しろ。そんな事は無理に決まっている。
 
 冬也から手渡されたライフルを、咄嗟に使った。しかし、操作を完全に理解した訳ではない。同じ物をゴブリンに渡したと聞かされても、操作の説明を出来る自身は無い。
 何よりも、多少強くなったとは言え、所詮はゴブリン。彼らが、大陸を支配するなど無理な話しだ。仮に優秀な戦略家がいれば、多少は結果が異なるだろうが。

 エレナ自身、軍に身を置いていた。戦略のイロハは知っている。だからこそ言えるのだ。戦いは数ではない。どの様に戦うかが重要なのだ。
 エレナは、魔獣の生態系をほとんど知らない。何も知らない未知の相手に対し、どう対処すればいい。
 だが、そんな事を冬也に言う位なら、あの恐ろしい澱みの塊に立ち向かった方が、ましな気がする。
 
「やっぱり冬也は、嫌いニャ。怖いニャ。少しちびったニャ。お股がちょっと気持ち悪いニャ」

 エレナは、日常生活で良く使われる洗浄の魔法を使い、自分の湿った下着を洗い乾かす。そして、ゴブリンの集落に向けて走り出した。

 エレナが冬也の言葉に抗えないのは、仕方がないのだ。それはエレナが臆病だからではない。
 拒んでも、心の深い部分で逆らうなと、命じられているのだ。何故なら冬也の言葉は、神威と呼ばれる神の威光。
 ただの亜人であるエレナが、冬也の命令に背けるはずが無い。
 
 持ち前の脚力で、エレナは枝を渡り集落に近づく。しかし、密林の上に出る大きな頭と一つ目を見て、木の上から滑り落ちた。

「何ニャ~! 変異したトロールが、ここにもいたニャ! ズマ達が大変ニャ!」

 慌てて態勢を立て直し、ゴブリン達を案じてエレナは走る。顔を青くして、集落に飛び込んだエレナは、ゴブリン達の無事を直ぐに知る事になる。

「お前、失礼なんだな。トロールなんかと、同じにして欲しくないんだな」

 上空から響いて来る声、ガヤガヤと雑談をするゴブリン達。到着早々に、エレナは少しパニックになった。

「何が、何が起きてるか、説明が欲しいニャ!」

 広場に辿り着き大声で叫ぶエレナを見て、ズマが一歩前に進みブルの紹介を行った。

「教官。この方はブル殿。冬也殿のご友人で、我等の味方です。我等の危機に、駆けつけて下さいました」
「ブルなんだな」

 ブルは、座ったままゆっくりと頭を下げる。
 良く見ればブルは、周りの建物を壊さない様に、膝を抱えて広場に所狭しと腰を下ろしている。窮屈そうなブルの居場所を確保する為に、ゴブリン達が木を切り倒している姿もあった。
 エレナは、平和な集落の姿に、ほっと息をついた。

「エレナだニャ。よろしくしてあげるニャ」
「それより、エレナ。いいんだな? 犬が近寄ってきてるんだな?」

 ほっとしたのも束の間、エレナはブルの言葉で正気に返る。耳を澄ますと、僅かに集落の外から足音が聞こえる。瞬時にエレナは軍人の顔に戻った。

「ズマ、皆を集めるニャ!」
「はっ!」
 
 広場はブルが占拠している。その為、ズマはゴブリン達を、集落の出口付近に集合させた。
 そしてエレナは、集合したゴブリン達の前に立ち、怒声を上げた。
 
「これから五日の間で、我等はこの大陸の南に住む全ての魔獣を、支配下に置くニャ! これは、決定事項ニャ!」

 ゴブリン達からどよめきが走る。突然の言葉に、呆気に取られるゴブリン達も少なくなかった。しかし、エレナの怒声は続く。 

「手始めに、近づいてきているコボルトを、叩き潰すニャ!」

 コボルトという単語は、ゴブリン達の闘志を刺激した。

 トロールとの戦いは、ゴブリン達に取って、やむを得ない戦いだった。如何に変貌し蹂躙されたとは言え、かつての隣人であり心優しき友だったのだ。
 しかし、コボルトは違う。横から獲物を掻っ攫う、ずる賢く汚らわしい輩。決して、相容れない存在である。
 
「お前達は、あのデカブツを倒したのニャ! コボルト位は敵にならないニャ。いいか、殺さずに叩き伏せるニャ。これはお前達に課せられた、二つ目の試練だと思うニャ! 行くニャ! そして、武勇を示すニャ!」

 ゴブリン達から、鬨の声が上がる。

 まるで設えた様なタイミングでのコボルトの襲撃。ほとんど休む事が無く、ゴブリン達の戦いは続く。
 しかし、トロールとの戦いを優勢で終えたゴブリン達は、未だとても志気が高い。

 冬也が課した過酷とも言える試練は、ゴブリン達を優秀な軍隊へと変えていく。歴史に名を残す程の偉業は、未だ始まったばかりだった。
 エレナの鼓舞と共に、ゴブリン軍団から鬨の声が上がる。高い志気のゴブリン軍団は、息が荒く闘志を燃やしていた。
 しかし集落は、数百を超えるコボルトに囲まれつつある。数の上では、トロールさえ上回る。

 コボルトは、背丈こそゴブリンと大差ないが、鈍重なトロールと異なり、非常に俊敏である。
 そして、ワーウルフと源流を同じくするコボルトは、犬の身体的特性を持つ。集団戦術に長け、大陸随一の結束力と狩りの腕を持つ。特に嗅覚が優れ、その性格は非常に狡猾である。

 ゴブリン達は、コボルト達に狩りで常に遅れを取っていた。獲物を鼻先で奪われる事もしばしばあった。奪った獲物を目の前でひけらかす様なコボルトの姿は、ゴブリン達には屈辱そのものであった。
 ゴブリン達にとって、コボルトは仇敵にも等しい存在であった。

 集団戦術に長けた圧倒的多数の相手に対し、ゴブリン達は気概を示す。たった四十のゴブリン達から発せられる猛々しい雄叫びは、集落から漏れ聞こえ、密林の中でうねりの様に響く。
 それは、コボルト達の足を竦ませるほどであった。

 作戦指揮を執るズマは、気が付いていた。先のトロール達との戦闘で、皆がマナを過度に使用し、疲労を溜め込んでいる事に。それ故、今回の戦いは、短時間の決着が望ましいと考えていた。

 数の上では、ゴブリン一体につきコボルト二十体を倒す必要がある。よくよく作戦を練り、慎重に立ち回らなければならない。それでも、不可能と思える状況である。

 しかしゴブリン達は、不可能を可能とする方法を知っている。コボルト達に無く、自分達が得ているもの。それがトロール戦において、大きなアドバンテージとなり、結果的に圧勝となり得た。

 ズマは皆と共に、再び呪文を唱える。

「大地の女神ミュール様。我が一族に再び力をお貸しください。脆いこの体に、災いを跳ね除ける力を。どんな敵をも跳ね除ける、鋼の様に硬い身体を」

 ゴブリン達の体にマナが漲り、力が何倍にも増していく。
 
「皆、行くぞ! 我等の力を示せ!」
 
 ズマの掛け声と共に、ゴブリン達は一斉に集落から飛び出し、四方に散らばった。数を誇るコボルトに向かって、ゴブリン達はそれぞれ単独で突っ込んだ。それに対しコボルト達は低い唸り声を上げ、一体のゴブリンに複数で襲い掛かる。

 しかし、戦況はコボルトに傾く事はなかった。

 持前の脚力は、完全に封じられた。どれだけ素早く動いても、直ぐにゴブリンが追いすがる。俊敏性を誇るコボルトをゴブリンが凌いだ。

 密林に身を潜めて嗅覚を頼りに、攻撃のタイミングを見計らう。これは、コボルト達の常套手段である。
 木の影に隠れて狙いを定めるコボルト達も、気が付いた時には背後を取られていた。どれだけ息を潜めても、ゴブリン達は見通してるかの様に動く。

 ゴブリン達は、コボルトの超感覚を軽々と超えた。

 ゴブリンの振るう拳は、コボルトを軽々と吹き飛ばす。ある者は鳩尾に掌底を打たれ意識を失い、ある者は顎を殴られ昏倒させられた。腕力でも、ゴブリンはコボルトを圧倒した。
 コボルト達は、一体ずつ確実に倒されていく。あっと言う間に、コボルト達の数は半数以上に減らした。

 異様とも言える状況に、コボルト達に動揺が走っていた。

 一対一でも易々と倒せる相手に、十倍以上の数を有する自分達が圧倒されている。こんなはずではない。弱者相手に、負けるはずが無い。
 これは一方的な蹂躙のはずだった。これは子供でも出来る簡単な狩りのはずだ。この広い大陸でも、狩りに関しては誰にも負けない。それなのに、なぜこうも一方的にやられる。
 狩りの腕に、絶対的な自身を持つコボルト達は、その自尊心を打ち砕かれていく。

 やがて、逃げ出すコボルトが現れだす。しかし、ゴブリンはそれすら許さなかった。
 
「逃げるなんて、つれないな。弱い者しか相手にしない。だから貴様等は、我等に負けるのだ。その根性を俺が叩き直してやる」

 ズマは逃げ出すコボルトを殴りつけ、意識を奪った。他に逃げようとするコボルトを、ズマは睨め付ける。ズマの瞳に宿る鬼気迫る闘志に、コボルトは恐怖しへたり込んだ。
 
「戦う気力を持たぬのか? 弱者から奪い、嬲る事しか貴様等は出来んのか? 悪意に踊らされた、卑しい者達よ。我が拳で、戒めてやろう」

 ズマが近寄ると、コボルトはブルブルと震えながら、懸命に手を動かし後退る。恐怖の末に失禁し、顔は青ざめる。震えようが逃げようが、ズマは許さない。
 
「ゆ、ゆ、許してくれ。悪かったよ、謝る。だから許してくれ」
「駄目だ」

 ズマは、トロールとの戦いとコボルトの襲撃に、不可思議な意志が働いている事を、薄々感じていた。
 大勢で集落を襲う事は、他種族の誇りを汚す行為であり、この大陸では忌み嫌われる。如何に狡猾なコボルトとて、今までそんな事はしなかった。
 不可思議な力が働いているなら、それ以上の圧倒的な力で、制圧しなければならない。そうズマは考えていた。

 ズマは拳を振るう。そして、怯えるコボルトを昏倒させた。一方、優勢のゴブリン達の姿を、大きな一つ目で眺めていたブルは、エレナに問いかけた。
 
「エレナ。おでもあいつ等に襲われたんだな。あいつ等は様子が変なんだな」
「様子が変って、トロールみたいな事かニャ?」
「トロールの事は知らないんだな。眼つきが変なのが、わからないんだな?」

 ブルは、エレナに簡単な説明をした。

 獲物や魔獣に傷を付けず狩れる者ほど、狩りの技術が高いと称えられる種族だ。狩りが上手ければ食事に苦労はしない。
 本来ならば、コボルトは他者から獲物を奪う必要が無いのだ。それにも関わらず、平気で他者から掠め取る。
 
 それは、本来持った性質も有ろう。他者から奪う事も含めて、コボルトの狩りなのかも知れない。それに、コボルトは集団で狩りをする。だから、集団で行動するのは決しておかしな事ではない。

 しかし、それだけではゴブリンの集落を強襲する説明にはなるまい。それも、数百を超える数でだ。

 ブルの言葉で、エレナも感づいた。特にエレナは、自国で似たような状況に遭遇している。
 神に洗脳され、魚人達と小競り合いをした。ドッグピープル達が、国境を侵害したのも、神の洗脳によるもの。
 同じ事態が、このドラグスメリア大陸にも起きているとしたら、自分を襲った影の様なものは、邪悪な神そのものかもしれない。
 そしてペスカと冬也は、それに対抗しようとしている。

 エレナの中で、様々な事が結びついていく。しかし、自分に何が出来る。少し考え込むエレナに、ブルが話しかけた。
  
「エレナ、見てるんだな。これは、冬也が作ってくれた武器なんだな。妙な力を払う事が出来るんだな」

 ブルは魔攻砲を構え、マナを込めて撃つ。砲身を光が通過し、勢い良く放たれる。既にゴブリンにより倒された、里周辺のコボルトを中心に浄化が行われた。

「おでの住処は、黒い何かに汚されたんだな。食べ物が取れなくなったんだな。でも、冬也がそれを祓ってくれたんだな」
「私も知ってるニャ。その光は、良くないものを祓うニャ」

 エレナは、空のオートキャンセルによって、正気に戻された経験が有る。そしてトロールとの戦いにおいて、木々が似たような光を放つ武器を投げる所を見ていた。
 
「エレナの心配は、おでにもわかるんだな。でも心配は要らないんだな、おでがついてるんだな。それに冬也もついてるんだな」

 優しく語りかけるブルに、エレナは笑みを返した。

 誰も神には逆らおうと思わない。何故なら、敵わないからだ。例えそれが悪しき神であっても。身を持って知っているからこそ、エレナは不安を感じていた。
 このままゴブリン達と共に、南部の統一を進めれば、必ず邪悪な神の妨害に合う。その時は、ゴブリン達を守り切る自信はなかった。

 しかしブルの言葉が、エレナに勇気を与えた。 

 一方、ゴブリン達の勢いは止まらない。既に連携が消失し、逃げ惑うコボルト達を、執拗に追い回して殴り倒す。コボルト達に恐怖が刻まれる。戦いが始まってから、全てのコボルトが倒されるまで、十分とかからなかった。
 
 そして、倒れるコボルトの上に、ブルが放った魔攻砲の光が降り注いでいく。光が治まった時には、コボルトの浄化が完了する。
 トロール戦に続き、コボルトとの戦いもゴブリン達の勝利に終わった。
 ペスカと冬也が、密林の中をひた走る。目指すのはゴブリンの里より北東方向、スールが倒れる場所へ。
 
 最古のドラゴンであるスールは、大陸の東で致命傷を負い、命の危機に瀕している。ペスカと冬也は、木々に問いかけながら方角を確認し走り続けた。

 スールの倒れる場所は、ドラグスメリア大陸の東側に近い場所である。巨体のブルが全力で走っても、数日はかかる。人間であれば、一か月では済まないだろう。

 しかし、ペスカと冬也はマナを足に込め、猛烈な速度で進む。密林の木々は状況を察し、自ら枝を払い根を動かし、スールまでの道を作った。
 そんな木々の配慮に、冬也は感謝の言葉を伝える。

「助かるぜ、ありがとな。このまま進めって事だな?」

 木々は、冬也の言葉に応える様に枝を震わせた。
 
 トロールとの戦いで、冬也は空間を越える術を身に着けた。当然、スールのマナを良く知っていれば、それを基点として空間の移動が可能ではある。
 しかし、スールと面識の無い冬也にはそれは不可能であり、今はただ走るしか無かった。

 二人はマナを使い、走る速度を極限まで上げている。それは、マナを大量に消費する方法で、魔法の扱いに長けたクラウスの様なエルフでも、数時間もすれば枯渇する。
 しかし、大量のマナを保有するペスカと冬也にとって、その消費は微々たるものだ。それでも、長く使用を続ければ、後の治療に影響を及ぼす。
 辿り着く事が目的ではない。スールの治療が目的なのだ。着いた時に、マナが空では意味が無い。

 だが、今は急ぐ事が何よりも優先される。
 
 急く心を抑え、ペスカと冬也は進む。そして時折、木々から伝えられる声からは、緊迫感を煽られる。

 スール危険。虫の息。そろそろ死ぬ、死ぬ。もう死にかけ。手遅れ。

 着いた時には亡骸だったなんて、洒落にもならない。冬也は、マナだけではなく神気を身体に纏わせようとする。

「駄目だよお兄ちゃん。神気は抑えて。余計なのを呼び込んでも困るし」

 既に冬也から零れだす神気に、魔獣達は怯えて近寄ろうとしない。

 これまでの道中で、魔獣と遭遇しなかったのは、ペスカと冬也の走る速度が余りに早く、追いつけないからだけでは無い。
 辺りを住処にする魔獣達は、怯える様に体を縮め、脅威が過ぎ去るのをじっと待っていた。

 そしてペスカが憂慮したのは、魔獣では無い。冬也の神気に釣られ、復活した邪神を呼び寄せれば、辿り着いてもスールの治療どころでは無くなる。
 焦る気持ちは、ペスカにもある。しかし今は、過剰な力を使ってはいけない。
 
 スールの命は、今にも尽きようとしているのだろう。一分一秒が惜しい。急がなければならない。
 しかし、余計なトラブルで、時間を取られるよりは、ましなのだ。大きすぎる力は、それだけトラブルを呼び込む。

 綱渡りの様な状況で、ペスカと冬也は神経をすり減らす。

 神の末席に加わったとは言え、ペスカと冬也の肉体は人間と変わらない。肉体の疲労も有れば、空腹にもなるし、眠気も出る。極度の緊張を強いられれば、神経系への影響も出るだろう。
 だが、今は自分達の身体を気にしてはいられない。過ぎる時間と共に、命の灯が小さくなる。

 ペスカと冬也は、ただ走る、ひたすらに走る。

 巨大なドラゴンが倒れる様は、密林の中からでも、外からでもよく見える。敵からすれば、襲って下さいと言っている様なものだ。
 そして密林の木々は、スールを隠そうと枝を伸ばす。それでも、大きいスールの身体の全ては覆えない。
 しかし木々は、冬也の想いを察して、スールを守ろうとしていた。
 
 やがて、木々が開けた道の先に、枝に包まれた大きな黄金の塊が見える。それが、スールである事は、ペスカ達には直ぐにわかった。
 近づくほどに、傷の酷さがわかる。胴には大穴が空き、黄金の鱗には、血が赤黒くこびりつく。

 この傷で、生きているはずが無い。恐らく誰もが思うだろう。それはペスカと冬也も同様であった。
 
 スールの下に辿り着くと、ペスカは即座に容体を確かめる。これまでの疾走で、息が上がり、大量の汗をかいている。そしてスールの身体を確かめていたペスカは、徐に振り向き冬也を見る。
 その表情は、酷く青ざめていた。疲れとは違うその表情に、冬也も事態を把握した。

「お兄ちゃん……」

 ペスカには、それ以上の言葉が出なかった。ペスカは、歯噛みをし俯く。だが、冬也はペスカの頭を撫で、スールに近づいた。
 
「諦めるな、ペスカ。まだ終わってない」
「お兄ちゃん?」

 冬也はスールの身体に触れると、自分の神気を流し込んでいく。
 
「この体は俺が治す。セリュシオネ、こいつの魂を返せ! 文句は言わせねぇぞ。早く返せ!」

 冬也の神気が膨れ上がり、どんどんスールの身体に流れていく。黄金の身体は更に光り輝き、大きく開いた胴の穴は少しずつ小さくなっていった。
 しかし、小高い山の様な大きさのエンシェントドラゴンを神気で満たすには、冬也の神気だけでは足りない。
 ペスカは、自分の神気を冬也に流し込んだ。二人の神気が重なり、スールへ流れる力が増していく。
 
「セリュシオネ! 早くしろよ!」

 冬也は脅す様な声色で、天を見上げて叫ぶ。スールの傷が完全に塞がると共に、光の球がスールの上に落ちて来た。光の球はスールの身体に溶け込む様に、馴染んでいく。そして、スールは息を吹き返した。

 スールは、ゆっくり目を開ける。そして自分の身体をゆっくりと見渡す。傷が塞がっている。痛みも無い。目の前にには神々しい光を放つ人間が立つ。
 スールは、直前に女神と会った記憶を持っていた。確かあの女神は、こう言った。

「五月蠅い子供がいるから、特別に君を現世に返す。君は目を覚ました後に、その子の眷属になりなさい」
 
 スールは自分の身体に、新たな力の流れを感じる。そして、その力がどこから来たものかを悟った。スールは、巨大な体を起こし、冬也に頭を向ける。

「あなたが儂の主となるお方ですかな?」
「はぁ? 主だ? 知らねぇよ!」
「いや、主よ。お名前をお聞かせくだされ」
「何言ってんだ、主じゃねぇよ。俺は冬也だ」
「私はペスカだよ」
「冬也様。これより先、この身この命、全て貴方の物」
「だから、何言ってんだ糞ドラゴン!」
「主とペスカ様、お二人の手足となり働きましょう。儂の力、何なりとお使いくだされ」

 スールは頭を下げる。だが、冬也は依然として首を傾げていた。

「お兄ちゃん。状況を理解しないの? あれだけお兄ちゃんの神気を流して、命を繋いだんだよ。スールは、お兄ちゃんの眷属になったの」
「いらねぇよ。馬鹿じゃねぇのか?」
「馬鹿なのは、お兄ちゃん! ちゃんと状況を理解してよ!」

 ペスカは、深い溜息を付いた。

 既に事切れていたスールを、冬也は自分の神気を使って蘇らせたのだ。だが冬也は、全く事態を理解していない。
 スールは既に、『神に最も近いドラゴン』ではなく、『神龍』となっている。それは、ペスカと冬也同様に、神の座に片足を突っ込んだ様なものである。
 
 そしてもう一つ、冬也が理解していない事がある。スールに神気を流したのは、直接的には冬也だが、間接的にペスカの神気も混じっている。

「と言う訳で、スールは私とお兄ちゃんの間に生まれた、子供みたいなもんだね!」
「馬鹿な事を言ってんじゃねぇよ、ペスカ!」

 冬也に頭を叩かれ、ペスカは少し涙ぐんだ。そんなペスカを庇う様に、スールが会話に割って入る。

「主、ペスカ様。ご報告が様々ございます。じゃがその前に、少々お力をお貸しくだされ」
「なんだよ、言ってみろ」
「お二人のお力で、結界を張って下され。東の地からこれ以上、闇が漏れない様に」

 ペスカと冬也は、二つ返事で了承した。

「では、儂の背にお乗りくだされ。上空からの方が、結界の範囲が見え易いじゃろうしのぅ」

 スールは、少し屈むとペスカと冬也を背に乗せ、ホバリングの様に上空へ浮かぶ。そして、ゆっくりと上昇していった。

 上昇した先で、ペスカと冬也は事態の深刻さを知る事となる。

 時は巡り、歯車は回る。ペスカと冬也の本当の試練が始まろうとしていた。
 黒い光に胴を貫かれたスールは、その長い生涯に終わりを告げた。そして、冬也とペスカにより蘇り、大量の神気を有する神龍へと変貌を遂げた。

 スールは、二人を背に乗せ、上空へ舞い上がる。高く飛び上がった先に見えたのは、真っ黒い闇に染まる密林と、闇が広がる光景だった。遠目で大地の詳細な様子はわからないが、禍々しい瘴気が放たれているのは見て取れる。
 そして、次々に黒いドラゴンが生まれては、大地から飛び立っていく。

「なんだあれ!」
「予想以上だね。スール、ここにはニューラがいたと思うんだけど」
「ペスカ様。ニューラは、邪神に体を乗っ取られました。かなり抵抗した様ですが」
「そう……」

 驚く冬也と、言葉を失うペスカ。無理も無いだろう。メルドマリューネで起きた現象と、似た様な事がこの大陸で起こり、更に広がりを見せているのだから。
 
「見えますかな、あの広がる闇を。お二人には結界を張り、闇の広がりを食い止めて頂きたいのじゃ」

 スールに神気を与えた為、広大な大地に結界を張れる程の神気は残されていない。それは、ペスカとて然程変わりはない。だが、二人は視線を合わせて頷き合う。

「お兄ちゃん、私に合わせてね」
「おぅ、任せたぞ」

 ペスカと冬也は、残された神気を高める。そして自分達の神気を大地に繋げる。

「大地母神ミュールに代わり命ずる。この地に眠る女神の力を持って盾と成せ。邪なるものを通さぬ無双の盾を。その力を持って悪意を封じよ」

 ペスカと冬也の神気が大地に流れ込む。そして、大陸の東を取り囲む様に、光の線が走った。光の線からは、目には見えない障壁が、東の地を取り囲む様にドーム状に広がり、密林を包んでいった。

 黒い闇から生まれ続ける黒いドラゴンは、障壁に阻まれて出る事が出来ずにいる。黒い闇も拡大する事が出来ずにいた。東の地から溢れる瘴気は、障壁に阻まれ漏れ出す事は無い。

 女神ミュールの力を借り、結界を張る事は成功した。ペスカと冬也は少し肩を撫で下ろす。それは、スールも同様であった。

「流石は主とペスカ様」
「おい、スール。その主ってのは、止めろ!」
「諦めなよ、お兄ちゃん。スールはお兄ちゃんの眷属なんだから。可愛がってあげて」
「一先ず、ここから離れましょう。このまま、我が住処へご案内致します」
「よろしくね。スール」
「おい、呼び方!」

 冬也の叫び声が空しく響き、スールは二人を背に乗せたまま飛び立った。
 ペスカと冬也は、ここまでの道中でマナを使い過ぎている。それに加え、スールを蘇らせる為に、神気を使い過ぎた。その上、広大な範囲の結界を張った。
 既に疲れ切って、とても戦える状態では無い。

 結界のおかげで、暫く時間稼ぎが出来るだろう。それに状況は、ペスカと冬也だけで、どうにか出来るレベルを超えている。
 態勢を立て直し作戦を練り、万全を期して臨む事が肝要である。ペスカと冬也はスールの背に腰を下ろす。やや気が抜けると共に、疲れが二人の体を鉛の様に重くした。

 スールは、二人が背中から落ちない様に、自身の身体に対物障壁を張る。そして、ゆっくりとスピードを上げ、スールは飛んでいく。
 ドラゴンの飛ぶ速度は、優にマッハを超える。そのスピードで飛べば、如何に障壁で風圧を抑えたとて、酷い振動や揺れで激しい酔いを起こすだろう。

 スールは二人に負荷がかからない様に、スピードを抑えながら、ドラゴンの谷に向かった。
 慣れない空の旅は、ペスカ達には快適とは良い難い。しかし、ドラゴンの谷までは、そう時間はかからなかった。
 
 短い道中の間に、スールはペスカ達にこれまでの経緯を語った。

 ニューラを襲った、新たな神と自称する存在。ニューラが残した、闇や神と言った言葉。スールの説明で、全ての謎が解けた訳では無い。ただ、トロールの暴走とロメリアに似た邪神の出現。

 これは、ペスカが予測した通り、大陸の東側に因果関係がある事は確定的であろう。

 ペスカは考え込む様に眉根を寄せる。特にニューラが残した、たどたどしい言葉。その言葉に隠された意味を探そうと、ペスカは頭を働かせた。
 
 大陸の南側、スールの支配地域の中でもやや北寄りに、六千メートルを超える大きな山脈地帯がある。
 スールは、その山脈地帯の間に走る深い谷に、ゆっくりと降りていく。谷の主が戻った事を感じた待機中のドラゴンが数体、スールを出迎える様に飛び、声をかける。
 
「長よ。ご無事でしたか」
「無事では無い。この方々のおかげで、再び戻る事が出来たのじゃ」
「東で何が有ったのですか?」
「邪神が復活し、ニューラの支配地が闇に呑まれた。今、北と西の長に使いを出しておる。じゃが、戻りが遅いのが気になる。お主等は、手分けして様子を見て来い」
「承知いたしました」
「くれぐれも、気をつけよ。危険が有れば直ぐに戻るのじゃ。良いな」
「はっ!」

 出迎えたスール配下のドラゴンは、すぐさま北と西に向かい飛んでいく。スールは谷底深くまで降りると、ペスカ達を背から降ろし声をかけた。

「先ずは、お休み下され。後の事はそれから話しを致しましょう」

 一方、ゴブリンの里では、軍団を二手に分けていた。
 治療班はエレナが率い、トロールの治療へ。残りは、意識を取り戻したコボルトを集めていた。

「お前達は敗れたのだ。我々の勝ちだ。大人しく我々の傘下に下るがいい」

 洗脳されていたとは言え浅く、戦いの記憶は残る。無論、ゴブリン達から与えられた恐怖も。極めつけは、ズマの脅しだったかも知れない。
 
「裏切りは許さん。もし、我等の寝首を搔こうとするなら、貴様等には鉄槌が下ると覚えよ」

 コボルトの大軍は、尽く震えあがりズマに従った。

 トロールの治療も順調に進む。ただ、モンスター化まで症状が進行していた事も有り、トロール達にはここ最近の記憶は残されていなかった。無論、ゴブリン達をいたぶっていた事も、トロール達の記憶からは消えていた。
 故に、これまでの経緯をズマは説明した。その説明にある者は震えあがり、ある者は申し訳ないとばかりに、頭を地面に擦り付けていた。

「お主達は、これからどうする?」
「元に、戻れない。のか?」
「恐らくは……」
「お前、達には、迷惑、かけた。償う」
「それならば、我等と共に戦って欲しい」
「わかった」

 既に姿が変わり、異質の存在となったトロール達も、大陸を守る戦力と成る為、ゴブリンの傘下に収まる。

 こうして、約百の巨大トロール、およそ八百近いコボルトが、ゴブリンの配下となり、大軍団が出来上がる。
 冬也から言われた統一の期限は、僅か五日。コボルトの件で一日が経過した為、残り四日。大陸南の魔獣を全て、配下に加える為の過酷な試練は始まったばかり。

「それにしても、あいつは無茶な事を言うニャ」
「大丈夫なんだな。冬也は優しいんだな」
「優しくないニャ。怖いニャ、酷いニャ」
「それに、おでがついてるんだな」
「お前も一緒に来てくれるニャ?」
「行くんだな。力になるんだな」
「ブル殿、かたじけない」
「良いんだな。ズマは、小っちゃいのに凄いんだな。頑張ってるんだな。おでは、応援するんだな」
 
 戦力はゴブリンを中心とした、コボルト、トロールだけでは無い。サイクロプスで有るブルは魔攻砲を抱えて、ゴブリンへの協力を約束した。当然エレナは、作戦遂行の為に右往左往するだろう。
 心強い味方を加えて、ゴブリン軍団は大組織となった。そして、大陸南の制覇に向けて快進撃が始まる。
 ただ光が溢れる何も無い空間に、見目麗しい女性達の姿があった。
 スレンダーな体躯を持ち、童顔な面持ちで柔らかく微笑む女性。男性を魅了する様なグラマラスな身体つきで、シャープな顔立ちながら、柔和な微笑みを絶やさない女性。少女と見まごうばかりの姿と、勝気な釣り目がちの女性。
 
 女性達はいずれも、世界を創造した原初の神である。
 その中でも一番力を持つ女神。大地母神、豊穣の女神、様々な呼ばれ方をされるが、地上で神と言えば大抵この三柱の女神の名が上がるだろう。
 三柱の女神は地上に留まらず、神々の中でも最も大きな力を持つ。
 
 そして今、三柱の女神は、神々の住まう天空の地とは別の空間にいた。
 三柱の女神は、顔を突き合わせる様に向かい合う。柔らかな表情とは裏腹に、緊迫感が空間内を包んでいた。

「それでミュール、そっちの状況はどうなの?」
「直球ね、フィアーナ。でも、ダーリンの様子は気になるわ」
「あのね、ラアルフィーネ。貴女みたいな色ボケ女神に、冬也君は渡さないわよ」

 緊迫感を壊す様な、姦しい二柱の女神の様子に、ミュールは溜息を突く。

「はぁ。あんた達は、相変わらずね。あんな半神の何処が良いのよ。あいつ、所かまわず私の力を使うから、私の神気が減る一方なの。この間は、突然呼び出されたし」
「良いわね~。私も呼び出されたいわ~」
「ラアルフィーネ、ちょっと黙りなさい。それよりミュール、早く話を聞かせて頂戴」
「危険水域を越えたわよ。そろそろ介入も考えないと、不味いかも知れないわね」

 ミュールの言葉に、フィアーナの表情が一変する。

 それまで笑みを絶やさなかったラアルフィーネまで、真剣な面持ちに変わった。そしてフィアーナは、前のめりで掴みかからんとする勢いで、ミュールを問い詰める。

「なんですって! ミュール、もう少し詳しく話しなさい!」
「ちょっと。掴まないでよね、フィアーナ。簡単な話よ、ドラグスメリア土着の神が何柱か、闇に落ちたの。詳しい数はわかってないわ」
「そんな事は知ってるわよ。私はその先を知りたいの!」
「私の眷属になった神も、何柱か闇に落ちたの。取り込まれた内の一柱は、あの子達に倒されたけどね」
「待ってよ! ベオログ達は、どうなったの?」
「ベオログは無事よ、それ以外は不味いわね。おかげで、私の神気もごっそり減ってる。悔しいけど暫くは、大きな力は使えないわ」

 フィアーナは顔を青くする。
 複数の神が悪意に染まり闇に落ちた。それだけでも、顔を青ざめさせる脅威である。しかし、事態はそれに留まらない。

「もしロメリアの分け御霊が、ドラグスメリアで成長し新たな邪神として生まれ変わったなら……」
「そうね、ラアルフィーネ。恐らく、あの大陸の神を複数取り込んで、既に巨大な力を持ってるでしょうね。あの子達では、手に負えないでしょうね。もしかすると、ラフィスフィア大陸より危険な状態になるかもしれないわ」

 ラアルフィーネの言葉に重ねる様に、フィアーナが話す。その声色には強い緊張が含まれ、空間内は緊迫したムードに包まれる。

「じゃあ、介入するのフィアーナ」
「わかってるでしょ、ラアルフィーネ。介入は出来ないわ」
「ダーリン達次第って事ね」
「そうね。冬也君とペスカちゃんには申し訳ないけど……」

 フィアーナは、唇を少し噛みながら首を横に振る。悔し気に顔を歪ませて、フィアーナは少し俯いた。
 自らが定めた法を破る訳にはいかない。そのジレンマが、フィアーナを苦しめていた。想定以上に事態が進行している驚き。それに加えて、冬也とペスカの状況も案じていた。
 
「あの子達は、どうしているの?」
「色々と面白い事をやってるわよ。ゴブリンを使って、軍隊を作ってるみたい」
「はぁ? ゴブリンってあの最弱の?」
「そうよ。あの最弱のゴブリンよ。私が面白半分に作った種族」
 
 フィアーナは首を傾げ、ラアルフィーネは目を輝かせる。二柱の反応を確かめる様に見渡した後、ミュールは言葉を続けた。

「予想外だったわ。ラアルフィーネが送った子も、頑張ってるみたいね。ゴブリンがあんなに強くなるなんて思わなかったわ」

 ミュールは、ゴブリンの里に起きた経緯を掻い摘んで説明する。
 エレナによるゴブリンの特訓。トロールの変貌とコボルトの襲撃。二種族を見事に最弱のゴブリンが撃退。それはフィアーナをして、驚きを隠し得ない事態であった。

 一方、ラアルフィーネは、喜色をあらわにする。
 冬也達の安否に安堵しただけでなく、自らが気まぐれに選んだ亜人が、予想外の活躍を見せた事にも喜びを感じていた。
 そんなラアルフィーネの笑顔は、再び消える事になる。
 
「それより、反フィアーナ派ね。ここまで厄介だとは、思わなかったわ」
「あのね、ラアルフィーネ。あんたの所だって、いつ狙われるかわからないのよ」
「まぁ確かに。ミュールの所と違って、私の所は一枚岩じゃないからね」
「そうよ。私の所は自慢じゃないけど、団結してたわ。それでも、この有様なのよ」

 事実、ラフィスフィア大陸は、混沌勢の猛威に晒された。
 ラフィスフィア大陸を拠点とする神々は、フィアーナを中心に団結をしていた。しかし、たった三柱の邪神と、一柱の戦いの神によって、地上は壊滅状態に追い込まれ、半数の人間が以上が死に追いやられたのだ。

 それは、決して見過ごす事の出来ない事態である。

 ロイマスリア三法が足枷となり、混沌勢への対処が遅れたと言っても過言ではない。そして、再びその脅威が訪れようとしている。次もまた対処が遅れる様なら、その影響は一つの大陸に止まらず、世界中に波及する恐れさえある。
 ミュールは、フィアーナを睨め付ける様にして声を荒げる。

「フィアーナ。貴女まだ対話で済むと思ってるの? ラフィスフィア大陸での暗躍、今度はドラグスメリア。もう明白じゃない、断罪しなさいよ! 甘い事を考えてたらもっと酷い事になるわよ! 冗談じゃないわよ! 私の眷属だってやられてるのよ!」
「落ち着きなさいよ、ミュール。その為のダーリン達でしょ?」
「あの半神達を目くらましにして、その間に叛意の証拠を探るって? だから、それが呑気だって言ってるの!」
「どちらにしても、状況証拠が掴めない限りは、断罪は出来ないわよ」
「なら、このまま座して待てって言うの? ラアルフィーネ!」

 女神達の視線がぶつかる。そしてフィアーナは、歯噛みをした。グッと耐える様に言葉を飲み込む。やがて、ゆっくりとミュールに答えた。

「あの神々は、わかってないだけ。世界を造る事が、どれだけ大変な事なのか。行き過ぎた文明が何を齎すのか」
「壊れてからじゃ遅いのよ!」
「わかってるわよ、ミュール」
「わかってないじゃない。あんたが甘い顔してるから、あいつ等が増長するのよ!」

 フィアーナを、ミュールが睨め付ける。しかし、フィアーナは冷静な口調で、ミュールに答えた。

「やり方を間違えれば、タールカールの二の舞になるわ。わかるでしょミュール」
「わかってるわよ、ならどうするつもりなの?」
「最悪の場合は、世界を切り離す。神々には一切、地上に干渉させない様にね」
「それは……」

 フィアーナが言ったのは、ロイマスリアという星から神々を引き離すという事。引き離された神々は行き場を失い、新たな世界を創造しなければならない。
 広大な宇宙で塵を集めて星を作り、生命が暮らせる環境を整える。それは神々にとって、過酷な試練への始まりである。
 神々をまとめる立場にあるフィアーナが、その言葉を口にしたのは、相応の覚悟が有ってこそだろう。

「私は嫌よ、面倒だもの」
「わたしも嫌よ、ラアルフィーネ」

 あっけらかんとした口調の、ラアルフィーネ。その穏やかな雰囲気に、ミュールは少し留飲を下げる。
 ミュールが少し落ち着いた所で、フィアーナが徐に口を開いた。

「良いも悪いも、いずれにせよ、鍵はペスカちゃんになるわ」
「確かに、あの子の知恵は世界を滅ぼす危険性を孕んでるわ。今更ながら、フィアーナが早めに目を掛けたのは、ほんと幸いだったわね」
「だからこそ、奴等の目を引く」
 
 フィアーナの言葉に、他の女神達が大きく頷く。

「あの子達がドラグスメリアで頑張っている間に、私達は状況証拠をいち早く掴む。頼むわねラアルフィーネ、ミュール」

 フィアーナの言葉に頷くと、三柱の女神はそれぞれ立ち上がる。思惑が渦巻くロイスマリアに、平和な世界が訪れるのか?
 それはかつての英雄にして、現人神となったペスカが命運を握る。そして、ペスカのいるドラグスメリアは、更なる混乱が訪れようとしていた。