妹と歩く、異世界探訪記

 ここは、ロメリアの力が濃縮された神の領域。それは、ロメリアの力を何倍にも増幅する。邪悪な意思で満ち、隔絶された空間からは出る事さえ出来ない。そして、神域に満ちた瘴気はペスカと冬也を蝕もうと、体に纏わりつく。

 常人では息を吸う事さえ困難。それ以上に、たった数秒で瘴気に呑まれ生きてはいられない。達人と呼ばれる領域に昇りつめた者とて、神の力には抗えまい。只の神とてそれは同じ事だ。

 それ程に圧倒的な力の差を、ロメリアは見せつける。そしてペスカ達は膝を付く。

 そんな絶望的な状況でも、ペスカと冬也の瞳には諦めの二文字は映らない。易々と死を享受する気は無い、負ける気すら無い。

 そして二人は立ち上がる。

 二人を動かす力は、何なのか。正義感か、はたまた勇気か、それとも約束か。信念や矜持なのか。そんな単一の言葉で一括りには出来ない様々な感情、様々な想いが二人を突き動かす。

「はははは。立ち上がるのか、凄いね。それでこそ人類代表だよね。まぁ、こんなので倒れられても、つまらないしね。もっと足掻いて楽しませてくれよ」

 ロメリアは、己の優位性を疑う事なく、尊大な態度を崩さない。

「おい、糞野郎。さっきからごちゃごちゃ、うっせぇんだよ。なにビビってやがんだ。かかって来いよ」
「へぇ~、勇ましいよね。混血の癖にさぁ、生意気だよね。お前には、痛い思いをさせられたんだ。せっかくだから、お前から潰してやるよ。お前を動けなくした後に、目の前で小生意気な娘をいたぶってやる。楽しそうだ、あぁ楽しそうだ」
「悪趣味だね、糞ロメ。お兄ちゃんに手を出したら、私が許さないからね」
「言うじゃないか小娘。足が震えているぞ」

 ロメリアの暴言で、ペスカの闘志に火が付く。しかし、マナを漲らせ魔法を放とうとするペスカを、冬也が片手で制した。
 そして、冬也は小声でペスカに耳打ちする。

「ペスカ、ここは俺に任せろ。お前は、マナを極限まで研ぎ澄ませるんだ」
「お兄ちゃん……」
「お前なら、もうわかるだろ? もう出来るはずだ。俺の傍にいたんだからな」

 冬也はそう言うと、ドロドロとした神域の壁を見やる。ペスカは、冬也の意思を感じ取り頷いた。

「わかったよ、お兄ちゃん。簡単にやられちゃ嫌だよ」
「あんな糞野郎に、俺が負けるかよ」

 二人の視線が交差すると、冬也はゆっくりとロメリアに向かい歩き出す。右手に持った神剣は、更なる光を放ち始めた。

「最後のお別れは、済んだかな混血」
「てめぇ馬鹿じゃねぇか! 気が付いてねぇのか? てめぇが汚した大地は、もう三分の二くらい、浄化されてるんだよ」

 尊大な態度のロメリアに、僅かな揺らぎが見える。
 己の意識は旧メルドマリューネの隅々まで届いている。神々が近づいている事には気がついている。それでも、優位は変わらない。

 何故ならここは、ロメリアの神域なのだ。

 例え原初の神でも、ここからは容易に抜け出る事は出来ない。その理由は、大きく力を制限されるからである。反目する程、比例的に力は制限される。
 恐らくこの場で全力を出せるのは、混沌勢と呼ばれる神だけであろう。ペスカと冬也は、そんな神域に入り込んだのだ。殺す事は造作もない。
 
「愚かだな混血。それで、ぼくが動揺するとでも」
「そうじゃねぇよ。てめぇの負けは、確定してるんだ。俺達が、ここに入った時点でな」

 冬也の神剣は虹色の光を纏う。それは、かつて戦いの神アルキエルを倒した時と、同じ輝きだった。

 その神剣の輝きを見て、ロメリアの眉が僅かに動く。そしてロメリアは、おもむろに手を翳す。床が呼応する様に剣を作り上げていき、ロメリアの手に収まる。
 神域に満ちた悪意の塊で作り上げられた剣は、黒く禍々しい光を放ち、強烈な存在感を放っている。

「混血。お前と同じ武器で戦ってやるよ。その馬鹿な頭に、力の差を叩きこみなよ」

 その言葉を合図に、冬也とロメリアは互いに剣を振り上げた。

 一合、二合と切り結ぶ。その度、凄まじい神気がぶつかり合い、虹色の光と黒い光が飛び散り神域が揺れる。

 力は互角か? いや、冬也の圧倒的な不利は変わらない。ロメリアは、周囲の瘴気を黒い剣で吸い取り、力を増していくのだ。
 再び剣を打ち合う、冬也とロメリア。交わる度に、冬也の剣は弾き飛ばされる。体勢を崩された所に、黒い剣が迫る。冬也は剣で攻撃を防ぐが、やはり弾き飛ばされる。

 どんどんと瘴気を吸い取り、黒い剣が大きくなっていく。目にも止まらぬ速さで、ロメリアは巨大な黒い剣を振るう。
 受け止めれば、力づくで剣ごと叩き切られるだろう。巨大な黒い剣は、禍々しい瘴気を纏っている。ギリギリで躱しても、瘴気に触れてダメージを受けるだろう。
 そんな凶悪な剣だ、猛烈な速さで振り回されては、間合いを遠く取るしかない。近間で勝負をする冬也にとって、不利な状況である。

「どうだい、ぼくの剣は? 力の差を思い知ったかい? お前の力はその程度だろ。僕の力はこの神域に満ちているんだ」

 冬也の息は荒く、大量の汗を流している。神域の中では立っているだけで、体力が削られていくのだ。見ればだれもが敗色は濃厚と思うかも知れない。だが冬也の頭に、負けは微塵も浮かんでいなかった。

「あめぇんだよ、糞野郎。俺は掠り傷一つ付いちゃいねぇぞ」

 確かに冬也は傷を負っていない

 確かに黒い剣は強力な力を秘めている。しかし、どれだけ瘴気を集め力を増しても、その速さはシグルドに劣る。速度に関してシグルドと対等である冬也にとって、避けるだけなら難しくは無かった。

「ならば、速度を上げれば、お前は成す術が無いわけだ」

 腕力だけではない、スピードも上げられる。ロメリアは更に瘴気を吸い込むと、倍以上の速度で動き始める。
 そうなると、流石の冬也も目で追う事が難しくなる。もう感で避けるしかない。しかし、それでは追い詰められるだけ。

 力を増し続けるロメリアに、冬也が少しずつ押され始める。

「こんなもんかい? 神を三柱も倒したんだろ? 英雄なんだろ? 神の子なんだろ? これじゃあ面白くないよね? もっと楽しませなよ」
「だったら、攻撃の一つでも当ててみろ! ノーコンかてめぇは!」

 冬也とて、力の差は理解している。ましてや、力が制限されているなら尚更であろう。だから冬也は、防御に徹した。
 全神経を伝い、体の隅々に神気を満たした。集中力を高め、既に目では追えなくなっているロメリアの攻撃に反応した。
 
 剣を弾かれれば、次の攻撃を予測し剣を振る。背後に回りこまれれば、大きく跳躍し間合いを取る。攻撃を予測していれば、死角からの攻撃でも躱す事が出来る。
 冬也は全ての攻撃に反応し防ぎ続ける。反撃のチャンスが来るのを待ち続けて、ロメリアの猛攻を凌いだ。

「しぶといガキだな。混血! お前、しつこいよ」
「その言葉は、そっくり返してやるよ!」

 そしてロメリアは、少しずつ焦りを感じ始めていた。
 
これだけの差が有るにも係わらず、何故傷を付けられない。何故、押しきれない。こいつは、何を狙っている。反撃を捨てて、防御し続けているのは何故だ。
 フィアーナ達の到着を待っているのか? 違う。こいつの狙ってる事は、もっと別の事だ。
 こいつ等には散々、痛い目を見せられたんだ。消滅の一歩手前まで、追い詰められたんだ。油断は出来ない。なぶり殺しは止めだ。この男だけは、直ぐに殺さなければ。

 ロメリアは、更に攻撃を強める。そして冬也は、極限まで神気を高め、ロメリアの攻撃に反応する。
 ロメリアの意識は、完全に冬也に釘付けとなる。そして、この場にいるもう一人の存在は、頭の片隅から消え去る。

 そして時は訪れる。冬也だけに集中していたロメリアは、後方でする声を聞き逃す。冬也の笑みを見た時には、既に遅かった。

「我が名はペスカ。かつてこの大地で生を受け、英雄と呼ばれた者。我が体は死してなお蘇る。我が魂は決して滅びぬ。我が魂の光は天を突き、神へと至る。この光を持って答えよ。邪気には永久の安寧を。澱みは清らかなる清流へ」
 
 ペスカから眩い光が迸る。その光は、神域を満たしていた瘴気を消し飛ばしていく。空気は正常化し、ドロドロとした壁は、綺麗な姿に変わっていく。

「な、何が起きた!」

 ロメリアは、驚きを隠せなかった。神すらも侵せないはずの、自分の神域が浄化されていく。溜め切った禍々しい力が消えていく。動揺するロメリアに、声がかかる。

「舐めてると、こうなるんだよ。糞ロメ」
「小娘ぇ~!」

 表情を崩しペスカを睨め付ける、ロメリア。そして冬也は、少し息を吐き呟いた。

「やっと、これで対等だな」
「ぎざま~!」
「だから、言ったろ。てめぇの負けは確定だってよ」

 更に表情を変え、ロメリアは怒りを露にする。ペスカは冬也の隣までゆっくりと歩いた。

「お待たせ、お兄ちゃん」
「流石だな、ペスカ」

 冬也がロメリアと対峙している間、ペスカは神気を研ぎ澄ませていた。

 自分のマナに交じり始めていたのは、以前に冬也から指摘されていた。しかし、唯の人間が得られるはずの無い力である、制御する事は不可能であろう。
 だがペスカは、何度も兄の戦う姿を見て来た。兄が修行をする姿を見て来た。これは、ペスカだから出来た事なのかもしれない。

 過去に英雄と呼ばれた女性が、転生をしてまで手に入れた本当の力が、発揮されようとしていた。
 神の有り方には、三種類が存在する。元から神として生まれた存在と、人の想念により生まれた存在。そして、地球には英雄が死した後に、信仰を集め神と呼ばれる事が有る。

 ペスカは、ラフィスフィア大陸で生前に英雄と呼ばれていた。その英雄信仰は今も根深く残っている。
 冬也に指摘されるまで、ペスカさえも自身のマナに宿る神気に気が付いていなかった。そして今、ペスカは人で有りながら、その身に神の力を宿しその力をコントロールした。

 それは、只人では成し得ない偉業。その偉業は、ロメリアの神域で力を発揮した。力の源である、淀んだ瘴気を吹き飛ばしてみせた。多くの人間の命を糧に、作り上げた領域は、その溜め込んだ力を失った。

「予想以上に、上手く行ったな」
「お兄ちゃんの挑発が効いたんだよ」
「ぎざまらぁ、もう許さんぞ~」

 酷く表情を歪ませたロメリアが、ペスカ達を睨め付ける。
 
「何を許さないって? 馬鹿じゃないの。お兄ちゃんが言ってたでしょ。あんたはもう詰んでいるんだよ」
「調子に乗るなぁ。殺す、殺す、殺すぅぅあああ」

 雄叫びにも似た叫び声を上げ、ロメリアは神気を高める。黒い剣には、今まで吸い込み続けた瘴気が蓄えられている。更にその身には、嫉妬の女神メイロードの神気も籠められている。

 言わば、二柱分の神気。更に言うならば、虚飾の神グレイラスの分も合わせて、三柱分の神気であろう。

 ロメリアの優位は揺るがない。だが、ロメリアはその身体を震わせる。それは、以前に感じた事が有る、心の奥底から沸き起こる感覚。その身に刻まれた、死の恐怖が蘇る。

「早くかかって来なくて良いのかよ。もたもたしてっと、お前の時間が無くなるぞ。地上の浄化がどれだけ、進んでいるか教えてやろうか?」
「不可能だ! どれだけの悪意を集めたと思っている!」
「不可能じゃ無いよ。実際にあんたの領域は、私が浄化したでしょ」
「もう一つ良い事を教えてやるよ。お前の神格、丸見えだ」

 ☆ ☆ ☆

「ねぇ、工藤先輩。何かモンスターが弱くなった気がしませんか? それに城の揺れも収まった様な」
「確かに勢力が弱まった気がするね。それに、心なしか空気が軽い。でも、城の中は大丈夫なのかな」

 モンスター達の状況に、空と翔一は違和感を感じていた。

 猛然と襲いかかって来ていたモンスター達は、一時より勢力を弱めている。息苦しさが、弱まっている。そして、大きく揺れていた城が、静かな佇みを見せている。
 
 空と翔一は、ペスカ達の勝利を疑っていない。きっと帰って来ると信じて、戦っていた。だが、戦いに集中している為、周囲で何が起きているのか全くわからない。

 モンスターを倒しながら会話をしていると、ふいに声が聞こえる。城の中から、響いて来る声に、二人は振り返った。

「空殿、翔一殿、兄は私が倒しました。後はロメリアだけです。今、ペスカ様と冬也様が戦っていらっしゃいます」
「クラウスさん!」
「無事で良かった!」
「モンスターの掃討、私の力をお使い下さい」
「ちょっと、そんな場合じゃ無いでしょ! フラフラじゃないですか。工藤先輩、少しの間だけ一人で頑張って下さい。クラウスさんは、早く車に乗って!」

 全力で戦って力尽きたのか、クラウスはフラフラと歩く。もう、歩く事すら辛いだろう。体を休ませなければならないだろう。しかし、クラウスは戦う意思を示す。

 だが、空は声を荒げた。

 翔一がライフルでモンスターを狙撃する中、空はクラウスを車の中に引きずり込む。空はすぐさま、クラウスに治癒の魔法をかけた後、糧食代わりに作ったサンドウィッチを差し出した。

「取り敢えずは、食べて休んでからです。あんまり無茶が過ぎると、ペスカちゃんに言いつけますからね」
「あぁ、すまない」
「事情はよく知らないですけど、やり遂げたんですよね」
「あぁ、勿論だ」
「だったら、後はゆっくり休んで下さい。助けて下さるのは嬉しいです。でも、ここは私達の戦場です。私達にも、譲れない物くらい有るんですよ」

 空はクラウスに笑顔を見せて、魔攻砲の発射席に座り狙いを定める。空と翔一の心に、光明が差す。ほんの僅かに光りを手繰り寄せる様に、空は魔攻砲の引き鉄を弾いた。
  
 ☆ ☆ ☆ 

 女神フィアーナは、その異変に驚きを隠せずにいた。今まで抵抗を見せていた汚染された大地は、まるで力を失った様に浄化が進んでいく。ロメリアに支配されていた邪気が、解放されていくのを感じる。

「フィアーナ、何ですこれは。ロメリアの力が弱まっているんですか?」
「違うわよ。ロメリアの支配下にあった力が、解放されていくのね」
「誰がこんな事を? 貴女の息子ですか? ロメリアの神域で、それだけの力を使えるのは、半神では難しいですよ」
「セリュシオネ、あの子よ。ペスカちゃん」
「あの子供は、人間でしょう? あんなんでも、曲がりなりにもロメリアは神ですよ。神域を浄化して、力を弱めるなんて出来るはずが無いでしょう?」
「出来るわよ。あの子には、神気が宿り始めてるもの。制御が出来るとは思わなかったけど」
「フィアーナ、それではもう神ではないですか」
「まだ人間だけどね。いずれは、そうなるでしょうね」
「もしそれが本当なら、原初の神をも凌駕する力を持ちかねませんよ。危険ですね」
「あの子なら大丈夫よ、セリュシオネ。冬也君が付いてるもの」

 女神フィアーナは、笑みを深めて声を上げる。
 
「さぁ、もう一息! 一気に浄化するわよ」
  
 ☆ ☆ ☆ 
 
 ロメリアは、目の前にいる二人の言っている事が、全く理解出来なかった。今の状況を全く理解出来なかった。三柱の神を犠牲にして、時間を作った。エルフを操り、人を殺し尽くした。大陸中に恐怖を広め続けた。

 悪意の塊は、これから大陸を飲み込むはずだった。だが何故、自分の領域が浄化されている。何故、浄化が進んでいる。溜め込んだ力は消えて無くなった。神々すら止められない程の力は、何処にいった。
 こいつ等のせいだ。全て、こいつ等が計算を狂わせた。

 憎い、憎い、憎い、憎い、憎い。
 殺す、殺す、殺す、殺す、殺す。

 そしてロメリアは、残った神気を一気に開放する。
 もう良い。大地も、空も、全て消えてしまえ。人間も神も、何もかも消えてしまえ。
 
 この瞬間、浄化されたロメリアの神域は、消し飛ばされた。
 ロメリアが神気を開放し、自分の神域を消し飛ばした。

 そもそもこの神域は、クロノスがロメリアを匿う為に、地上とは空間を隔て作り上げたものである。当初は何も無い空間であった、そこに邪気が溜まり神域へと昇華した。

 隔てられた空間を繋ぐのは、意図的にゲートを開くしか方法は無い。しかし、解放されたロメリアの神気は、隔てられた空間の壁を捻じ曲げ、地上に多大なる影響を及ぼした。
 旧メルドマリューネの首都は、この瞬間に崩壊した。数キロに渡り瓦礫の山が広がり、首都の中心である城も、当然の様に消し飛んでいた。

 瓦礫の山に立つのは、禍々しい瘴気を身に纏った一柱の神だけ。顔を歪め、割けた様な口で高笑いをしていた。

「ほら、やっぱり。やっぱりだよ。僕は間違ってない。間違ってないよ。ハハ、ハハハ、ハハハハハ、ハハハハハハハ。死んだ! 死んだよ、やっと殺した。忌々しいクソガキなんか、僕の力があれば、ゴミ屑同然なんだ。フィアーナ! お前の希望は潰えたぞ!」

 ロメリアは、瓦礫の山を見渡すと手を翳す。

「我が元へ還れ、愛しい忌み子達よ」
   
 瓦礫の山に埋もれていたモンスター達が、肉体を失い邪気に変わる。そして、吸い込まれる様に、ロメリアの中に入っていった。
 ロメリアを包む瘴気は、邪気を吸い込み益々膨れ上がっていった。
 
 ロメリアは、ゆっくりと歩き出す。浄化された大地を再び、邪気で埋め尽くす為に。
 残された足跡は一瞬にして腐り、きつい臭気を漂わせる。邪神から溢れ出る瘴気に触れると、周囲の空気は加速的に禍々しさを取り戻す。

 ロメリアが歩みを進める毎に、世界が壊れていく。大地が、大気が、空が、侵食されていく。
 狂気的な笑みは、更に深みを増す。

 自分の楽しみを尽く潰していった、憎いガキ共をようやく殺したのだ。神々が作り上げた世界が壊れていく事は、この上もない喜びである。
 ロメリアの高揚感は、最高潮に達している。待ち望んでいた瞬間が、今ここにある。踏み出す一歩に、最高の喜びを感じていた。

「あは、あはヒャヒャ! あ゛~、あ゛~。ざいごぅおうだぁ。イャグゥギャハュハハはは」
 
 その口から放たれる言葉は、既に呂律を失くす。ロメリアは、思考を放棄して愉悦に浸っていた。恍惚の表情を浮かべながら、ロメリアは嚙みしめる様に、歩みを進める。

 足跡を見れば確信に変わる、もう世界は自分の物だと。原初の神すら、もう自分には敵わない。もう敵はいない。自分を止める事は、誰にも出来ない。

 だが、ロメリアは、気が付くべきだった。

 自分が誤解をしている事に、自分が見落としている事に。勝利への道を確実にする為には、思考し続けるべきだった。その慢心が、己の足元を揺るがす事に、気が付くべきだった。

 盲目的に信じた勝利の確信を、揺るがそうとする者が、まだそこには残っていた。
  
「止まりなさい! それ以上は行かせない!」

 瓦礫と化した首都に、澄んだ綺麗な声が響き渡る。それは、ロメリアに取って耳障りでしか無い。その声を追い振り返ると、一人の少女が立っている。

 見た事が有るガキだ。

 ぼんやりと記憶の片隅に有る少女を思い出そうと、ロメリアは頭を動かす。ようとして頭が働かず、記憶が蘇らない。
 どうでも良い、邪魔をするなら消し去るのみ。ロメリアは、本能的に手を翳し、少女に邪気をぶつける。だが、少女が纏う壁に阻まれて、消し去るどころか、傷一つ負わせる事が出来なかった。

 単なる偶然だ。若しくは外しただけだ。

 ロメリアは、働かない頭でそう考え、再び少女に向かい邪気を飛ばす。しかし二度目の攻撃も、少女には届かない。少女を包む壁に届くと同時に、自分の力が打ち消される。

 その時にふと、片隅で埋もれていた記憶が蘇った。

 あれは異界の地で、クソガキ共に紛れていた一人だ。何故ここにいる。いや、それ以前に何故、生きている人間がいる。まぁ良い、消えろ。
 ロメリアは、再び思考を放棄し、少女に向かって己の神気をぶつける様に飛ばす。
 
「あ゛ぁぁぁぁぁぁ~!」

 少女は雄叫びを上げ、ロメリアの神気を打ち消した。それは、ロメリアを驚かせるのに充分であった。
 今なら、大地母神すら簡単に消滅させる自信が有る。何せ、二匹のガキ共を消し飛ばしたのだから。モンスター化した生物達を、尽く取り込んだのだから。
 今はガキ共を消し飛ばした時よりも、力が強まっている。負けるはずが無い。人間一人如きを殺せぬはずが無い。
 
 あれは見た限り、ただの人間だ。あのクソガキ共と違い、特別な才を持たぬ人間のはずだ。なのに何故、自分の神気が打ち消される。何故だ、何故だ、何故だ。

 ロメリアは気がついていない。かつてそれは、自分の神気を回復させる為に、気まぐれに振りまいた力であった。しかし、同時に異端も生まれていた。少女は、悪意に呑み込まれる事は無かった。そして邪神の支配から離れ、力を己の物とした。

 たまたま起こった偶然かもしれない。取るに足らない事かもしれない。その異端の力は、土地神の神気によって強化され、試練を乗り越える度に高まり、神に対抗する力を持つまでに至っていた。

 その力は、自分に牙を剥けた。

 ☆ ☆ ☆

 異変に気が付いたのは、翔一だった。翔一は、車から出していた体の半分を引っ込め、ハッチを閉じると、空に向かって叫ぶ。

「空ちゃん、急いで結界強化!」

 咄嗟に空は、翔一の顔を見た。血相を変えた焦りの表情に、すぐさまオートキャンセルを強化して、衝撃に耐える。

 変化は直ぐに現れる。城が吹き飛び、衝撃で車が吹き飛ばされる。転がり続ける車内で、翔一は空を庇う様に抱き、空は更に結界を強めた。
 衝撃が収まった時には車は瓦礫に埋もれており、車内は物が散乱していた。戦いで疲れ切っていたクラウスは咄嗟の状況に対応できず、車内のあちこちに体をぶつけ、気を失っていた。
 
「何か来る。間違いない、これはロメリアだ」
「ペスカちゃんと冬也さんは?」
「ロメリアの瘴気が濃すぎて、わからないんだ」

 空を庇った事で、体のあちこちに打撲を受けた翔一は、痛みを堪えて周囲を探知していた。
 ロメリアの名を聞いた瞬間、空の中に東京での恐怖がまざまざと蘇る。表情はかつてない程に強張り、足はガクガク震え肌は粟立つ。

 空の心の中で、激しい葛藤が起きていた。
 怖い、とっても怖い。嫌だ、逃げたい。でも、守ると決めたんだ。抗う覚悟を決めたんだ。
 
 動け、動け、私の体、うごけ~!
 
 空は、両腿を何度も叩く。鈍い音が、何度も車内に響き渡る。やがて、ゆっくりと空は立ち上がり、翔一に告げる。
  
「工藤先輩、ペスカちゃん達が負けるはず無いんです。あいつは、私が止めます」
「無茶だ、空ちゃん!」
「無茶でもやらなくて、誰があいつを止めるんです? 世界が終わっちゃいますよ! もし、ペスカちゃん達が動けない状況なら、私が足止めしないと。希望は私が繋ぎます」

 翔一は、少し間を置いてから、怒鳴る様に空へ言い放つ。

「僕も闘う。僕にだって、まだやれる事は有る」

 翔一とて、空と同様に恐怖を感じていた。簡単に恐怖を克服する事は出来なかった。今は、命が助かっただけでも、奇跡の様な状況だろう。

 だが、やらねばならない。その想いが翔一の心を突き動かす。空の言葉が、翔一に勇気を与える。

 日本で暮らしていた時の翔一なら、考えもしなかった。恐らく、助けを待つだけで、抗う事すらしなかっただろう。翔一も空と同様に立ち上がった。

 ほんの小さな勇気。その勇気こそが、世界を救う架け橋となる。

「工藤先輩は、瓦礫をどけて下さい」
「わかった。空ちゃんは? ってそれ以上は野暮か」
「そうですよ、乙女の覚悟を見せてやります。工藤先輩は、探知を忘れないで下さいね。ペスカちゃん達が困ってるなら、助けてあげないと」
「わかってるよ。やれる事は全部やる。生き残るよ、空ちゃん」

 翔一は横転した車のドアをスライドさせ、掘削機をイメージして、車に覆う瓦礫を取り除いていく。
 やがて、二人は地上に顔を出す。そこで見たものは、禍々しい瘴気を身に纏った、おどろおどろしい神の姿。その姿を見て、二人の恐怖は更に強まる。
 足の震えは治まらない。一歩を踏み出す事すら、怖くて堪らない。それでも空は、敢然と立ち向かう。そしてロメリアの攻撃を何度も打ち消す。

 完全な計算外が起きている事に気が付いていれば、手の打ちようもあっただろう。
 ロメリアは気が付いていない。自分と空の相性の悪さを。全ての力を打ち消す能力は、邪悪な意思をも通さない。それが、例え神であろうとも。
 空がロメリアと対峙している最中、翔一はペスカと冬也を探していた。

 今までずっと守り続けてくれた、冬也の温かい神気。どんな困難も打ち砕く、力強いペスカのマナ。それを僅かながらには感じている。
 生きている事は、間違い無い。だが、何処にいるかわからない。翔一は探知を続け、懸命になって二人を探した。

 冬也の神気は感じているのだ。だが何故こんなにもか細い。二人が城に入って直ぐに、気配が薄くなった。でも、感じてはいたのだ。二人が壮絶な戦いを繰り広げている事を。
 それなのに何故、ロメリアだけ姿を現して、ペスカと冬也の姿が無いのだ。
 翔一には、不安が過っていた。

「くそっ弱い、感じてはいるんだ。冬也の神気が弱まってるのか? あの爆発といい、ロメリアだけが現れた事といい、何が起きてる? 頼む二人共、どうか無事でいてくれ」

 無事であれ。翔一は祈るような気持ちでマナを高める。逸る心を抑えつけて探知を続けた。

 しかし、ようとして二人を見つける事が出来ない。もたもたしている暇は無い。この間にも、空がロメリアと対峙している。
 幾ら空の能力が優秀だとは言え、相手は邪神なのだ。早く冬也達を探し出さないと、一巻の終わりだ。
  
 自分の命だけならともかく、親友達の命がかかっているのだ。焦るなという方が無理だ。しかし、翔一は知っていた。

 冬也は窮地に陥った時こそ、冷静だった。

 学校の成績は、ほとんど赤点。どれだけ丁寧に教えても、理解しようとしない。決して頭が悪い訳ではないはずなのに。
 冬也が行方不明になる少し前の事である、冬也は拳銃や小刀を持つ暴力団に囲まれた。だが、命を落とさずに切り抜けたのは、冬也が冷静だったから。その時の冬也は、そこにいる誰よりも頭を回転させて、生き残る術を探したのだろう。
 
 そう、窮地に陥った時こそ、冷静になるべきなのだ。そして翔一は頭を働かせ、数少ない事象から原因を推論し始めた。

 最初から、異常事態は起きていた。ペスカ達が城に入ってから、直ぐにペスカと冬也の気配が薄れた。まるで手の届かない遠くに連れて行かれた様に。
 自分の能力は、この異世界に来てから急激な成長を見せている。日本程度の広さなら、軽く気配を探れる程に。しかも、冬也の神気は強大なのだ。近くにいたからこそ、それが理解出来る。
 少なくとも、つい先ほどまで邪神と戦っていたのだ。あの神気を自分が見失う訳がない。

 まさか、日本へ戻ったのか? いや違う。戦いには向かないのだ。ここと比べて、あそこはマナが薄い。
 それにゲートを開くには、もの凄い力が必要だと、前にペスカから聞いた覚えが有る。幾ら何でも、そんな力の無駄遣いを、戦いの場でしないだろう。
 それに、完全な異世界に行ったとしたら、戦いの余波がこの世界に届くのがおかしい。

 力が強まっていても、異世界の情報を掴むなんて、流石に無理だ。

 現に薄っすらと二人の存在を感じているという事は、直ぐ近くだがここでは無い場所にいる証だろう。容易に帰る事が出来ない場所に二人がいるのは、あながち間違いでな無いかもしれない。日本とは言わず、もう少し近い場所。しかも、この世界とは隔離された場所。

 考えられない話しでは無い。現に自分達は、日本から異世界に来たのだ。考えろ! 二人が、ここにいないとしたら、どこにいる?
  
 実現可能性が有るとすれば、もう少し簡易的な方法じゃないのか。例えば、隠し部屋の様な感じで、こことは別の次元に空間を作るとか。
 そもそもロメリアは、神々から隠れていたはず。それなら隠蔽工作が出来る状況、楽に出入りが出来る状況、その両条件が伴わないと不味いだろう。
 そうなると亜空間的な感じか? この世界から、完全に隔絶されたのでは無く、一応の繋がりが有る空間。

 ただしこれは、物理的というより、SF的な発想だ。これを可能とするならば、かなりSF寄りの考えが出来ないとおかしい。
 ロメリアは、メルドマリューネを通じてミサイルを実現させた。もしそれらの発想が、日本滞在時に得たものだとしたら、この世界の神々では理解し得ない隠蔽空間も作成可能かもしれない。
 もしその仮説が正しければ、空間の破壊によって出来た歪みに呑み込まれ、冬也達は時空を彷徨っているのかも知れない。
 だがロメリアは、現在この世界にいる。ペスカ達が帰れない道理が無い。

 翔一はすぐさま、世界の外側に向ける事をイメージして、探知を強める。霞みがかった冬也の神気を、広く浅く探知の範囲を広げ、探っていく。数分に渡り、意識を極限まで集中させて、翔一は探知を続ける。

 そして翔一は、自分の推察が正しかった事を知る。

「よし、見つけた! だが弱い。冬也の神気は、こんなもんじゃ無いはずだ」

 仮定した通り冬也の神気は、この世界とは別の場所から感じる。冬也の神気の隣には、ペスカのマナも感じる。二人がいるのは、恐らく亜空間から派生した、別宇宙の様な場所かもしれない。
 物理的な観点で思考をすれば、二人を救うのを邪魔をする。ここは異世界なのだ。何が起きても不思議ではない。先ずはイメージする事だ、ペスカが教えてくれた通りに。

 翔一はイメージを固める。そして思い浮かべたのは、細く強靭な釣り糸。二人の気配を手繰り、糸を使い自分をマナで繋ごうと試みる。冬也の神気に自分のマナを引っかけばいい。後は引っ張るだけだ。
 
 窮地において、人間は定められた行動を取りがちになる。そして自分の常識内でしか思考が出来なくなる。頭が良いと自覚している人間ほど、それは顕著に表れるだろう。
 だが、翔一は違った。それは翔一が、柔軟な発想を出来るからではない。異世界という常識が異なる世界に、自分を適合させようと努力して来た結果である。

「よし、ヒット! 冬也、ちゃんと掴まってろよ。直ぐに引っ張り上げてやるからな」

 ☆ ☆ ☆

 冬也とペスカは、暗闇の中を漂っていた。そこはロメリアの、莫大な神気の爆発によって誕生した別宇宙。ロメリアとて、神域を浄化されても、未だ二柱分の神気は健在。爆発の威力は凄まじく、結果として神域が破壊されて、別宇宙が誕生した。
  
 爆発の直前、冬也は神気を最大に高め、ペスカを庇う様に抱きしめた。爆発を諸に受けた冬也は、全身に火傷と傷を負い、呼吸すら困難な状況に陥った。冬也に庇われ、爆発の直撃を免れたペスカでさえ、気を失い暫く起き上る事が難しかった。

 やがて意識を取り戻したペスカは、全身から血を流す冬也に、慌てて治療の魔法をかける。

「お兄ちゃん、しっかりして! お兄ちゃん!」

 ペスカの全身には、痛みが走っていた。衝撃を完全に防ぎきれなかった為、ペスカの体にも、あちこちに傷がついている。しかし痛みに耐え、ペスカは治療の魔法を続ける。
 
「大丈夫。お兄ちゃんは大丈夫。私が絶対守る!」

 呟いた言葉は、自戒にも近い想いだったのだろう。ペスカの瞳からは、自然と涙が零れる。助ける、絶対に助ける、その想いで必死の治療は続く。

 全身の傷を塞ぎ、折れた骨を繋ぎ、潰れた肺を修復する。そして、爛れた皮膚を元に戻していく。ペスカのマナも無限では無い。ほとんどのマナを使い、冬也に治療を施した。
 暫くの後、冬也がゆっくりと目を覚ます。

「ぺ、ペスカか? お前、無事なのか? 痛いとこ無いか?」

 ペスカは泣き腫らした目を擦りながら、冬也にしがみついた。

「こっちの台詞だよ、お兄ちゃん。どれだけ心配したと思ってるの」

 頭を撫でてペスカを宥めると、冬也はゆっくりと起き上ろうとする。そして支える様にペスカが手を伸ばす。その時ペスカは、小さな呻き声を漏らす。それを冬也は、聞き逃さない。

「うっ!」
「お前、怪我してんじゃねぇか? 早く治療しねぇと」
「大丈夫、いま自分で魔法かけてる」

 オロオロと心配そうな顔で、冬也はペスカを覗き込む。そして冬也は手を伸ばす、しかしペスカはそれを跳ね除けた。
 たった数分前まで、死の際を彷徨っていたのだ、これ以上は兄を煩わせたくない。そんなペスカの想いから出た行動だったのであろう。

「そうなのか? 大丈夫なのか?」
「それよりも、お兄ちゃんこそ、痛い所は無いの?」
「そういや、あっちこっちが痛てぇな。それにくらくらするぞ」
「血を流し過ぎたんだよ。お兄ちゃん、死にかけてたんだからね。糞ロメの奴!」
「マジでか? じゃあ、ペスカが助けてくれたんだな、ありがとう」
「お礼は、チューね」

 変わらない態度のペスカに、冬也は少し胸を撫で下ろした。しかし、口では平気だと言っても、そんなはずが無いのだ。無理をしているに決まっている。
 そして冬也は、ペスカを優しく抱きしめた。

 ペスカに温かい神気が伝わって来る。幼い頃からペスカを守り続けた、冬也の感覚である。それはペスカを包み、魔法の威力を高める。ペスカの傷は、見る間に塞がっていった。
 簡易的な治療である、万全とは程遠い。それでも、少し落ち着きを取り戻した所で、冬也が口を開く。

「ところでペスカ、ここどこだかわかるか?」
「う~ん、わかんない」
「そっか、真っ暗だしな! 息が出来るって事は、大陸の何処か? それとも、また妙な空間なのかな?」

 ペスカは、やや怠そうに辺りを見回した。そして頭を少し傾けて、冬也に答える。

「多分違うね。呼吸出来るのは神気のせいだと思うよ」
「ペスカ、どういう事だよ?」
「あのね、ここは多分だけど宇宙っぽい所だよ」
「宇宙っぽいってどういう事だよ、ペスカ」
「今までいたロメリアの神域は亜空間で、ロイスマリアとは時空が連続して繋がってるんだよ。そんでもってって、ごめんね。お兄ちゃんには難しかったね」

 理解出来なくても、一生懸命ペスカの説明を聞こうと顔を顰める冬也を見て、ペスカは説明を止める。

「ペスカ。あんまり兄ちゃんを馬鹿にすんなよ。あれだろ、ワープってやつ! んで、元の場所はどこだ?」
「あのね、それがわからないって言ってるの!」
「でも急がねぇと」

 ジタバタともがいて、移動を試みる冬也をペスカが止める。

「待って、お兄ちゃん。ちょっと落ち着く!」
「馬鹿、ペスカ。何言ってんだ」
「馬鹿なのはお兄ちゃん。ロイスマリアの位置がわからないのに、どうやって帰るのよ」
「じゃあどうすんだよ?」
「お兄ちゃん、神気は残ってるでしょ? ちょっと神気を強めて。それがビーコンの代わりになるから」
「よくわかんねぇけど、やってみるか」

 ペスカは、現状を把握出来ていた。
 無暗に動けば、帰れなくなる。翔一が無事なら、冬也の神気を探し当てるだろう。もし翔一が無事で無くても、女神フィアーナが冬也の神気を探すだろう。
 相手が位置を特定し易い様に、冬也に神気を強めさせた。

 暫くの後、二人は何かの気配が近づいて来るのを感じた。細い糸の様な物。その糸には、翔一のマナを感じる。

「これ、翔一か?」
「たぶんね。これを辿れば帰れるよ、お兄ちゃん」

 それは、ペスカと冬也がロイスマリアに帰還する為の、一筋の光。細くとも強靭な糸を、二人は手繰る。そして翔一は、それを引っ張る。
 だがこの時、翔一はこれ以上も無い程の緊張を強いられていた。もし繋がった糸が切れたら、そう考えると恐ろしくなる。
 その緊張は、糸を通して冬也達にも伝わる。しかし冬也の意志も、糸を通して翔一に伝わった。

 自分の力を信じろ、翔一。お前なら大丈夫だ。

 糸を通じて翔一の記憶も、二人に伝わる。
 クラウスが決着を付け、生還したが戦える状態ではない事。地上にロメリアが出現した事。首都が破壊された事。空が立ち向かっている事。
 余りの窮境に、二人の心は急く。しかし焦ってはいけない。しっかりと、互いに糸を手繰り寄せる。
 そして暗闇を抜け、何も無い空間から不意に現れる様に、ペスカと冬也は帰還を果たした。
 ペスカと冬也を救い出した翔一は、二人を見るなり大声を張り上げる。
 
「二人共、どうしたの? 何が有ったの?」
「あの糞野郎に、やられたんだよ」

 冬也の言葉を聞いて、翔一は理解した。
 あれだけの爆発があったのだ。そして、妙な場所に取り残されていたのだ。ロメリアの攻撃で、生死の境を彷徨っていてもおかしくはない。
 だから冬也の神気はあんなにも弱々しく、直ぐに探し当てるが出来なかったのだ。ペスカの顔色も良くはない。

 実際、ペスカは慣れない神気をコントロールしたのだ。慣れない力を使った後では、マナを扱う事さえ難しかったであろう。しかし、冬也の命を救う為に、無理をしてマナを使用した。
 元々、碌な治療が出来る状態ではない。全てのマナを冬也の治療に使い、自分の治療は余り出来なかった。
 マナが枯れた上に傷が癒えない状態では、立つ事さえ難しかったであろう。冬也から神気を貰わければ、意識を失っていた可能性さえある。
 
 そこそこ長い付き合いになる。二人の状態は、見ればわかる。そして翔一には、不安がよぎる。
 当然、このまま邪神の下へ行くのだろう。しかし今の二人が、あの強大な相手に立ち向かうのは、幾ら何でも無謀過ぎる。

 このまま二人を行かせては、同じことを繰り返すだけだ。今は、空が時間を稼いでいる。幾ら空でも、邪神と長時間対峙するのは不可能だろう。
 クラウスは、まだ車の中で意識を失っている。しかし、車を覆っていた瓦礫は退けたんだ、動かす事は出来るはず。空を回収する事が出来れば、この場から撤退する事も可能かもしれない。

 二人は嫌がるはずだ。反対するはずだ。それでも、生き延びれば、次の手を打てるはず。二人がちゃんと回復してからでも、決着は遅くはないはず。
 翔一が決意を込めて言葉を吐こうとした瞬間、冬也は拳を突き出した。
  
「俺なら大丈夫だ。戦える。あいつと決着つけなきゃな」
「翔一君、私もお兄ちゃんも大丈夫だから、心配しないの」

 明らかに無理をしている事など、誰が見てもわかる。治療しても尚、深い傷跡が残っているのだ。
 これ以上は、無理をさせられない。この二人さえいれば、何とかなるのだから。最悪の場合は、自分が犠牲になってもいい。

「馬鹿な事を言うな! ふざけるな! そんな体で戦えるもんか! 僕が行く! 僕が戦う!」

 一番長い付き合いの冬也でさえも、初めてだったろう。翔一が、声を荒げた所を見たのは。だが冬也は、静かに首を横に振った。

「それこそ、無理だ」
「何でだよ! 何で! 僕は親友を失いたく無い! 君達は行かせない! 今なら、逃げられるんだ! ちゃんと回復してからでも遅くはないだろ! 撤退するんだ! その時間は、僕が稼ぐから!」

 翔一は大声を張り上げ、空の下へ歩き出そうと踏み出す。しかし、翔一の手をペスカが掴んで止める。

「間違えないで、翔一君! 私達は負けない! あいつを倒すの。わかる? 死ぬのはあいつで、私達じゃない」
「そうだ、翔一。安心しろ。あいつをぶっ飛ばして、日本に帰ろうぜ」

 いつに無く真剣なペスカ、冬也の泰然とした笑顔。二人の表情を見て、翔一は俯いて呟く事しか出来なかった。
 
「僕が、君達みたいに強ければ! ちゃんと守れたのに! くそっ、くそっ!」
「いや、充分だ翔一。お前がいなければ帰って来れなかった、ありがとう」
「そうだよ翔一君。ヒーローは胸を張らなきゃね」

 ペスカと冬也は痛む体を引き摺り、ロメリアと対峙する空の下へ走る。翔一は、二人を追いかけ走り出した。

 ☆ ☆ ☆

 ロメリアは、空の力をちゃんと認識すべきだった。
 何の才も無い小娘と思い込んだせいで、自分の力が打ち消された理由を理解できていない。
 
 どれだけ神気をぶつけても、空のオートキャンセルが、全て打ち消してしまう。混乱し、正確な判断力を失くす。
 まさしく、負のループにロメリアは陥っていた。
 
「ぎざまば、なんなのだ! なんなんだぁああ!」

 無造作に繰り出されるロメリアの攻撃。剣を振っても、邪気を飛ばしても、神気を飛ばしても、殴りつけても、何も通じない。
 ロメリアは、喚き散らした。

「あ゛~! くそっ、くそっ、なんだぁ! なんなんだぁ!」

 空は冷めた目でロメリアを見ると、冷たく言い放った。

「あなた、神様っていっても、予想以上に頭が悪いのね。私は、あなたが日本でやらかした時の被害者よ」
「にぃ~ほぉ~ん~! なんだぁ、それ?」
「人間なんて、あなたにとっては、どうでも良いのかも知れないわね。あなたのせいで、クラスメイトが傷ついた。あなたのせいで、この世界の人達が沢山死んだ」

 空の言葉に怒気が混じり始める。しかしロメリアは、目の前の小娘は何をほざいているのかと、理解する気も無かった。

「だがら、なんだぁ~! 僕には関係ないだろぅ」
「関係無い? 馬鹿な事、言ってんじゃ無いわよ!」
「僕の邪魔をずるだら、誰であろうと殺す、ごろぉ~すぅ。クソガキ共は殺しだぁ! お前も殺すぅ!」
「はぁ? クソガキって誰の事よ? ペスカちゃんも冬也さんも、ちゃんと生きてるわよ」
「ぐぁあああああ~!」

 ロメリアは、怒りの余り咆哮し、神気が最大限まで膨れ上がる。纏った瘴気は、周囲をあっと言う間に腐敗させていく。
 無事なのは空だけである。だが、流石の空でも力の差に押される。空のオートキャンセルが、ビリビリと音を立てて震える。そして、一部に亀裂が入り始める。

 これまで、大量のモンスターを倒し続けて来た。その上、度重なる神の攻撃に耐えて来た。
 既に空は限界は超えて、マナを使っている。その限界は、能力にも影響を与える。

 ロメリアは膨れ上がった神気を、そのまま空に放つ。邪悪な神気を打ち消せず、オートキャンセルが完全に破壊される。
 それはロメリアにとって、ようやく訪れた終わりの時間。空は迫る邪悪な神気に、死を覚悟した 
 だが、空にロメリアの神気がぶつかる事は無かった。

「待たせたな、空ちゃん。よく頑張った」

 空の頭を撫でる優しい手。振り返ると同時に、空は意識を失った。

「翔一、空ちゃんを頼む。車が無事なら入ってろ。直ぐにケリをつける。行くぞペスカ」
「うん、お兄ちゃん」

 冬也は間一髪で、空に迫る邪悪な神気を切り裂く。そして、倒れかける空を抱きとめた。翔一に手渡すと、再び空の頭を優しく撫でた。

 ロメリアは、驚愕を隠せずにいる。
 殺したはずだ。あれだけの力で、全て消し飛ばしたのだ。死なないはずが無い、何故生きている。
 ロメリアは理解が出来ない。その得体の知れない存在に、震えが止まらなかった。
 かつて味わった死の恐怖では無く、強者と相対した時の恐怖であった。
     
「決着つけようぜ、糞野郎」

 揺らぎ始めたロメリアの自信。決着の時は、すぐそこまで近づいていた。
 女神メイロードの神気を内包しているロメリアが、自分の神域を破壊した。その力を制限なく解き放てば、ラフィスフィア大陸そのものが、既に無くなっていたはず。
 地上の影響を極小範囲に防いだのは、偏に冬也の奮闘によるものであった。

 その結果、亜空間から別宇宙に冬也とペスカは飛ばされた。爆発の影響で冬也は深く傷つき、ペスカも冬也の治療を行う為、多大なマナを消費した。

 その間、空はロメリアに立ち向かう。翔一は、別宇宙に彷徨う二人を探し出し、ロイスマリアに連れ戻した。それぞれの勇気ある行動が、未来の希望を繋げる。

 現れたペスカと冬也の姿に、ロメリアは得体の知れない恐怖を感じていた。何故二人が、目の前に現れたのか、全く理解が出来なかった。確信していた勝利が、足元から崩されていくの感じていた。
 何よりそれが、ロメリアには許せなかった。

「決着つけようぜ、糞野郎」

 その言葉に、ロメリアの怒りは頂点へと達した。呂律が回らない程の悦楽から、冷静を通り越して極度の怒りへと変わる。

「クソガキぃ~! どこまで邪魔すれば気が済むんだぁ! 神に仇なした罰は、その身を持って知れぇ!」

 ロメリアの神気は、どんどんと膨れ上がる。ビリビリと大気を震わせ、大地を揺るがす。しかし、足元から大地が汚染される事は無く、大気の澱みが広がる事も無かった。
 ペスカは、その身に宿り始めた神気をコントロールして、ロメリアを拘束していた。邪悪な神気が、周囲に影響を及ぼさない様に。

「何したって無駄だよ、糞ロメ。あんたはもう、この地を侵せない」

 ペスカの言葉は、ロメリアには届かない。怒りで冷静を欠いた頭には、目の前の二人を殺す事だけが、占められている。

 ペスカの体に痛みが走る。簡単な治療で済ませ、ここまで走って来た。マナもほとんど残っていない。
 本来ならば戦える状態では無い。

 だがペスカの心には、空と翔一からもらった勇気が、業火の如く燃え盛っていた。
 人見知りで、友達すら碌に作れない空が、懸命に立ち向かった勇気。争う事が出来ず、喧嘩すら碌に出来ない翔一が、友の為に立ち上がった勇気。
 それは、ペスカの中で光り輝き力に変わる。

 ロメリアが、どれだけ神気を膨れ上がらせても、ペスカは微塵も恐怖を感じなかった。親友から、眩く輝く勇気を貰ったのだ、邪神など恐れるには値しない。
 それにどれほどの力を持とうと、思考を放棄した相手は敵では無い。

「糞がぁ~、糞がぁぁぁぁぁ!」

 ロメリアは当たり散らす様に、神気を鋼球の様に変えて投げつける。だがそれは、冬也の神剣でいとも簡単に切り裂かれる。

「てめぇの攻撃には信念がねぇんだよ! それじゃあ幾ら攻撃しても、俺には当たらねぇ! 少しは冷静になってみろ! そんで、てめぇ自身を俯瞰してみろ! そしたら、ちっとはわかんだろうよ」
「あ~! あ゛~、糞、糞、糞、糞がぁぁぁぁっぁぁ~!」
「まるで子供の喧嘩だよね、糞ロメ。クラウスもシリウスも、サムウェルもケーリアもモーリスも、シグルドも。みんな、み~んな、信念を持って戦ってるんだ。あんただけだよ、とち狂った様に暴れてるだけなのはさぁ」
 
 冬也の主だった傷は、ペスカによって治療された。しかし、血を流し過ぎたせいで、頭がふらつく。爆発を抑える為に、神気を高め過ぎたせいで、ほとんど神気が残されていない。

 しかし、どんな絶望的な状況でも、負ける気がしない。
 立ち向かう空の姿を見たから。自分を守り、戦いに向かおうとする翔一の姿を見たから。何よりも、大切な妹を傷つけた奴は、許しておけない。

 何度も繰り返し、ロメリアの攻撃は続く。その度に、冬也は神剣で切り裂いた。

「あ゛~、あ゛~!」

 ロメリアは叫びながら、力を振るう。ひたすらに暴れ続ける。だがペスカの拘束は、頑として解けない。それは意思の力、決意の証。ペスカの意思が、神の力を凌駕しつつあった。
 
 そして、冬也は神剣を振るい続ける。何度も交わる力のぶつかり合い。冬也は押される事無く、全てを弾き返す。冬也の中に僅かに残った神気は、いま完全に研ぎ澄まされていた。
 究極とも言える鋭さで、ロメリアの邪気を切り裂く。
 
 二柱の力を内包するロメリアに相対するのは、人間と半神である。
 ロメリアの神域では、力を制限されて苦戦させられた。悪足掻きとも言える大爆発で、傷を負い力を失った。だが、戦う力は残っていた。そして親友の勇気が、背中を押してくれる。
 
 ここは、意志が力になる世界ロイスマリア。ちっぽけな勇気が、窮地を覆した様に。ペスカと冬也の魂は、ロメリアの悪意を払い退ける程に、輝きを増していく。

「あんたの攻撃は、もう通じないよ。糞ロメ!」
「手前の攻撃は、どれも薄っぺらだ。糞野郎!」
「ぎざまら゛~」
「てめぇの力は全部借り物だろうが。中身はチンケなままなんだよ、糞野郎」

 冬也には見えていた。

 確かにロメリアは、あらゆる手段で力を搔き集めたのだろう。だが、単に力を操っているだけで、自身の血肉になってはいない。
 強い力で有る事は、間違い無い。自分を凌駕する、圧倒的な力である。しかし、それは単なる力の集合体。一つ一つを見れば、些細な力である。

 それ故に、冬也はロメリアの攻撃を、簡単に切り裂いてみせた。

 もし、ロメリアに油断が無ければ、状況は全く違っただろう。混血や人間などと、蔑んで無ければ、望んだ光景を見続ける事が出来ただろう。
 最早、思考を止めたロメリアには、気が付く事が無い愚かな過ちである。

 ロメリアは全力で暴れ続ける。全てを破壊しようと、無造作に神気を放ち続ける。それでもペスカの拘束からは、逃れられない。
 冬也が神剣を振るう度に、集めた怒りや憎しみ等の淀んだ感情が、消し飛ばされていく。

 もうロメリアに、大陸を破壊する力は残されていなかった。そして、追い打ちをかける様に、女神達の浄化が進む。
 怒りに身を委ねて無ければ、逃げる術が残されていたかも知れない。今のロメリアには不可能であろう。ペスカと冬也しか映さず、殺す事しか考えられないのだから。

 ロメリアは、段々と追い詰められていく。
 一時は、その邪悪な力は大地母神をも凌駕した。しかし冬也の手で、そのほとんどを失った。神々の浄化により、焦がれた景色は脆くも崩れ去る。

 これまで長い時間をかけて入念な準備を重ねて来た。

 ドルクに目を付けて洗脳し、己の信者達を利用し、大陸中にモンスターを撒き散らした。面白い程に恐怖の感情が集まって来た。大地母神にも対抗出来る力を手に入れた。
 そしてクロノスを侵食し、来る戦いに備えた。帝国で皇帝を殺し、兵士達を洗脳し内戦を起こさせた。周辺の国々でも戦争を起こさせた。

 極めつけは、異世界で知った最新兵器の存在だった。それを使い、多くの人間達を抹殺した。
 そしてクロノスを完全に洗脳し、メルドマリューネを支配下に収めると、北の大地を望む世界へ変えていった。
 計算外だったのは、侮っていた混血と人間が、予想以上に抵抗した事だろう。それはロメリアの野望は、潰えさせるものだった。

 これまで振るい続けていた剣を止め、冬也は背後を見やる。その姿に、ペスカが声をかける。

「お兄ちゃん、どうしたの?」
「どうやら、着いたようだ」

 冬也の言葉で、ペスカは辺りを見渡す。周囲を取り囲む、神々の姿が見えた。

「お待たせ。冬也君、ペスカちゃん。よく頑張ったわね」

 女神フィアーナを始め、神々から次々と二人に声がかかる。

 既にロメリアが作った淀んだ大地は、完全に浄化されていた。この土地を神の恵みが届かぬ場とは、もう誰も言わないだろう。瓦礫の山すら姿を消し、緑が溢れる大地に変わっていた。
 
「終わりにしよう、ペスカ」
 
 冬也は一歩を踏み出す、ペスカが後に続く。そして邪悪は崩壊した。
 気が付いた時には、遅かった。
 あれ程に溜め込んだ邪気は、ほとんど残っていない。周りは、神々に囲まれている。
 どうして、こうなった。どうして、自分は追い詰められている。何を間違えた。

 ロメリアがどれだけ頭を捻ろうと、状況は変わらない。

 敵は目の前の二人だけでは無い。ここまで落ちた力では、逃げる事すら出来ない。勝つ事など到底不可能だ。

 ロメリアは、自身が置かれた状況をようやく理解してた。それと同時に、胸に過る奇妙な感覚を覚えていた。

 勝利は目前にあったはずなのだ。もう少しで、大地母神を滅ぼし、全ての神を滅ぼし、世界を滅ぼす事が出来たはずなのだ。
 だが全てが無に帰した。時間をかけて練り上げた策略も、溜め込んだ力も、全てがこの手から零れ落ちた。
 もう、何も残っていない。有るのは、生まれた当時のちっぽけな神気だけ。それも、もう直ぐ消し去られるのだろう。
 
「そうか、これが絶望をするという事か」

 ロメリアは、ポツリと呟く。

 絶望という感情を扱いはしてきたが、自分がその感覚を味わう事になるとは、思ってもみなかった。自分の震える体を見ると、笑いすらこみ上げて来る。

「死の恐怖か、これもあのガキ共がいなければ、味わう事がなかったろうな」

 顔を上げれば、二人が近づいて来るのが見える。流石のロメリアも、自身の最後を悟った。ただ、このままでは終われない。
 
 邪神と呼ばれる神は、自分以外にも多く存在していた。しかし時の流れの中、生まれては消滅させられてきた。嫉妬の神メイロード、混沌の神グレイラスも同様である。
 ただロメリアは、天地開闢の時に誕生した最古の存在である。悠久の時を存在し続けた、プライドが有る。
 神々の裁定により、神格を奪われるならまだしも。ただの半神や人間には、消滅させられる訳にはいかない。せめて目の前の二人だけは、必ず殺さねばならない。

 そしてロメリアは、残る神気を解き放った。

「ペスカちゃん。ロメリアの拘束は私達に任せなさい。あなた達は全力であいつを倒すのよ!」

 ロメリアに近づくペスカと冬也に、女神フィアーナから声がかかる。その言葉と前後する様に、神々の神気が集まり、ロメリアを拘束する。
 
「ペスカ。あいつの神格、見えてるか?」
「力の根源は、感じるよ」
「充分だ。お前によく見える様に、余計な部分は俺が斬る。後は任せるぞ」

 ペスカは、無言で頷いた。

 思えば長い道のりだった。
 前世では、ロメリアが遊びと称して始めた、モンスター騒動を収める為に命を費やした。転生してから十六年、ようやくロメリアを追い詰める所まで来た。

 ペスカの脳裏に様々な記憶が蘇る。

 前世での戦いの記憶は、辛い思い出が多かった。
 義父は自分を庇い大怪我を負い、その怪我が元で半年も経たずに命を落とした。義兄二人は、ロメリア教信徒の残党に暗殺された。実父も、戦いの怪我が癒える事無く、命を落とした。実母や実兄は、暗殺されて命を落とした。

 自分は病床に伏し、何も出来なかった。大切な人達を守る事が出来なかった。だから、女神フィアーナから転生の話しを聞いた時に、一も二も無く引き受けた。
 大切な人を守れる力が欲しかった。もう二度と悔しい思いはしたくなかった。
 
 ドルクは、良いライバルだった。肉体を失って尚、ロメリアに操られた。
 シグルドは良い奴だった。最後の一瞬まで勇猛に戦った、まさしく勇者と呼べる人物だった。

 どれも、失って良いはずが無い命だった。
 
 生前とは比べ物にならない丈夫な体を手に入れた。それでも、守れないものは多かった。
 エルラフィア王国の半壊。ライン帝国を含めた中央諸国の壊滅。南部三国の壊滅。数えればきりが無い。
 全て守れるなんて、傲慢な考えかも知れない。でも、守りたかった。救える命が有ったはずだった。

 ペスカの眼がしらが熱くなる。
 
 郷愁にかられるペスカの頭に、ふいに優しい温もりを感じる。冬也がペスカの頭を優しく撫でていた。優しくも強い兄の想いが、手のひらを通して伝わってくる。

 泣くのは終ってからにしろ、存分に泣かせてやる。だから、今は戦え。最後まで、やり通せ。
 
 ペスカは冬也を真似て、神剣を作り出す。冬也の様に長い剣では無いが、止めを刺すには充分な長さ。ペスカは思いの丈を、全て神剣に注ぎ込んだ。

 冬也がロメリアの抵抗をものともせずに、体を切り裂いていく。削ぎ取られる肉体から、神格が見え始める。
 冬也から視線で合図が送られてくる。ペスカは間髪入れず、自分の神剣でロメリアの神格を貫いた。
 もう、叫び声すら上がらない。ロメリアの神格が粉々に砕け、次第に悍ましい姿が薄くなっていき、最後は完全に消滅した。
  
 長きに渡るペスカの長い戦いに、決着が着いた。

 呆然と立ち尽くすペスカを、冬也が優しく抱きしめる。優しい兄の温もりに包まれた瞬間、決壊した様にペスカの瞳から涙が溢れ出した。

「おに~ちゃん、お゛に゛~ぢや~ん」

 溢れる涙は止まらない。ペスカに去来する感情の渦。

 ようやく成し遂げた。家族の敵も討った。しかし、大切な仲間を失った。親友を危険な目に合わせた。多くの人を巻き込み、無垢な命を犠牲にした。
 多くの犠牲の上に成し得た結果を、容易に享受出来るはずが無い。達成感や後悔等、複数の想いがペスカの中で混ざり合い、溢れ出す涙を止める事が出来ない。
  
「いいんだ、ペスカ。よく頑張った。だから胸を張れ! 失くしたものを数えるな! 救った命を思い出せ! お前が頑張ったから、多くの命が救われた。お前は、誰よりも多くの命を守った。誇れペスカ! 全部、自分で抱えるな! お前は王でも神でも無い。ただの女の子だ。俺の大切な妹だ。痛い所は全部治してやる。辛い気持ちは、俺が全部抱えてやる。俺は、お前の兄ちゃんなんだぞ」

 冬也の優しい声が、温かい心が、ペスカの胸に響く。  
 
「う゛ん、う゛ん」

 ペスカは、ただ嗚咽をしながら、冬也の胸の中で頷いた。やがて冬也から離れたペスカに、意識を取り戻した空が走り寄り、後ろから飛びつく。

「ペスカちゃん、ペスカちゃん、ペスカちゃん」

 不思議な能力を扱えるだけの少女が、邪神と対峙していたのだ。最も命の危険に晒されていたのは、空であっただろう。しかし空は、親友の無事が何よりも嬉しかった。
 絶対に生きていると信じていたから戦えた。でも、不安が無かった訳では無い。空は滂沱の涙を流す。ペスカはそれを受け止める様に、力強く抱きしめた。
 
「冬也、ペスカちゃん。やったな」
「翔一」

 翔一は優しい眼差しで、三人を見つめる。翔一がいなければ、邪神を倒せなかった。
 神々が到着すれば、救出してはくれただろう。しかし、ペスカに決着をつけさせる事は出来なかったはずだ。

 冬也は翔一に近づくと、がっちりと手を握り合った。

 空と翔一に、ペスカ程の抱えた想いは無かったろう。それは冬也も同じである。だが嫌という程に、惨状を見て来たのだ。失われる命を、その目に焼き付けてきたのだ。

 だからこそ、大切な人を守りたい。その想いは変わらない。

 今は勝利の喜びよりも、終わった事への安堵が大きいだろう。なにせ生き残る事すら、不可能と思われる状況だったのだ。全員が死んでいても、おかしくはなかったのだ。

 生き残る事が出来たのは、全員が信じ合えたから。だから、それぞれが力を全力以上に発揮する事が出来たのだろう。空、翔一、冬也、ペスカ、クラウス、この中で誰が欠けても、邪神をこの場で止める事は出来なかった。

 ロメリアの消滅と共に、旧メルドマリューネ軍への影響が完全に途切れる。

 エルラフィア軍、三国連合軍共に、襲い掛かるモンスターの群れを完全に無効化した。
 完全にモンスター化した兵の命は、奪わざるを得なかった。しかし、一部モンスター化した兵達の意識は奪い、拘束する事に成功した。

 シリウスが指揮するエルラフィア軍は、拘束した兵達をエルラフィア王都へ搬送をし始め、サムウェル率いる三国連合軍は、グラスキルス王都へ兵達の搬送を急いでいた。

 各王都では、ペスカの開発した魔法が共有され、旧メルドマリューネ軍の治療が進む。そして意識を取り戻し、ペスカ達の様子を見届けていたクラウスは、自分の持つ通信機で各所に連絡を入れる。

「終わった。我々の勝利だ!」
 
 その通信は、前線で戦い続けていた兵達に、歓喜の声を上げさせた。シリウスは拳を強く握り、雄叫びを上げる。モーリス、ケーリア、サムウェルは、三人で手を強く握り合った。
 必死に足掻き、戦い続けた人間達の勝利であった。
 歓喜に沸くエルラフィア軍と三国連合軍。互いの無事を確かめ合うペスカ達。そして、ペスカの下にクラウスが近づき、頭を下げる。

「ペスカ様、各所に連絡致しました。皆、勝利に喜んでおります」

 クラウスが差し出した通信機からは、シリウス、モーリス、ケーリア、サムウェルの嬉しそうな声が聞こえて来る。

「詳細は不明ですが、既に千を超えるメルドマリューネ兵を捕縛し、各王都に連行している様です。治療も順調、全てペスカ様の魔法のおかげです」
「そっか」
 
 冬也の言う通りだった。確かに救えた命が有った。クラウスの報告に、ペスカは笑みを深める。クラウスは、ペスカに報告を終えるとこの場を去り、通信機で各所の連絡や指揮を続けた。

 やがて、周囲を囲んでいた神々が、次々とペスカ達に近づき、言葉をかけていく。

「よく頑張ったな、お嬢ちゃん」
「凄かったぜ、嬢ちゃん達」
「嬢ちゃん達も坊主達も、良い子だ」
「やるでは無いか、子供らよ。良くぞ奴を倒した」
「人間なのに、やるな。お前達は偉大な英傑だ」
「あんな化け物によく立ち向かったもんだ、すげぇぞ小娘」
「半神の小僧、認めてやるぜ。よく頑張った」

 多くの神がペスカと空、冬也や翔一の頭を撫でて、この場を去っていく。

 それは不思議な光景だった。

 自分の領分にしか興味を持たない神が、人間であるペスカや空に翔一、半神の冬也を認めた。ペスカと空は涙を止め、呆然と立つ事しか出来なかった。翔一は緊張で立ち尽くし、冬也は頭を撫でるなと言わんばかりに、顔を顰めていた。

 そして見知った神が三柱、ペスカ達に近づく。

「ご苦労様。冬也君、ペスカちゃん。ラフィスフィア大陸を守ってくれてありがとう」 
「お袋!」
「冬也君、お袋じゃ無くて、ママかお母さんって呼んで」
「そうじゃねぇだろ。何言ってやがる!」
「そうね。でも呼び方は重要なの、考えといてね」

 女神フィアーナは冬也に言うと、ペスカに視線を向ける。

「ペスカちゃん。私との約束を守ってくれてありがとう。大陸を救ってくれてありがとう。あなたのおかげで、想定以上の命を救う事が出来たわ」
「どういう事だ、お袋!」
「それは、私から説明しよう」

 話に割り込む様に、女神セリュシオネが前に出る。
 
「元々、この大陸には戦乱の火種が溢れていたんだよ」

 邪神ロメリアを初めとした混沌勢と呼ばれる神々が原因で、ラフィスフィア大陸には未曾有の大戦争が、起こりかねない状況だった。
 戦争のきっかけとなるはずだったのが、大陸中を巻き込んだモンスター騒動。だがペスカの主導で、ライン帝国を始めとした多くの国々が、戦争回避に向かって動いた。結果として大陸全ての国が停戦合意し、力を合わせてモンスターを駆逐し、大陸に平和が齎された。

 しかしその平和は、一時的なものに過ぎないと、女神フィアーナを始めとした原初の神々は予想していた。
 どれ程に警戒しようと、混沌勢は人々を操りいずれ大戦争を起こさせる。自ら定めたロイマスリア三法により、神々はロイマスリアに暮らす者達に過度の干渉が出来ない。故に女神フィアーナと女神セリュシオネは、平和の起点となったペスカに使命を与え、記憶や経験を持たせたまま転生をさせた。

 その使命こそが、邪神ロメリアの討伐である。

 泥沼の戦争により混沌勢は力を増し、ラフィスフィア大陸は人が住めない大地になる事は、容易に想像がついた。神々にとっては、今回の結果は最良のものであった。

「納得できなくても、構わないよ。でも、君達は我々の予想を超えて、多くの命を救った。認めてあげるよ」

 女神セリュシオネは、そう言い放つと姿を消した。

「照れてんのよ、あの子。役に立つかわからないって、言いきってたからね。みんな、良く頑張ったわね」

 優しい口調の声と共に、女神ラアルフィーネが空や翔一、冬也の頭を撫でていく。最後にペスカをぎゅっと抱きしめた。
 
「頑張ったわね。大変だったわね。本当に偉い子達だわ。神々が半ば諦めかけていた状況を、あなた達が覆したのよ。偉業を成したの。人形みたいなこの国の人間達でさえ、あなた達は助けたの。特にペスカ、あなたの功績は計り知れないわ。誇りに思いなさい」

 女神ラアルフィーネは、ペスカを離すと手を振って消えていった。最後に残された女神フィアーナは、ペスカ達を見渡すとゆっくりと言葉を紡ぐ。

「立ち向かう勇気を称えます。仲間を想い守る心を賛します。あなた達の行動が、大陸を救いました」

 女神フィアーナは、ペスカに向かい言葉を紡ぐ。

「ペスカ。あなたはその知恵で、世界を豊かにし、大陸に起こり来る戦乱を防いだ。そして、私との約束を守り、ロメリアを倒した。辛い戦いだったでしょう。失ったものも多かったでしょう。でも、あなたの力で救えた多くの命が有ります。あなたの意思を継ぎ、各地で奮闘した勇気ある者達がいます。あなたがこの世界に齎したものは、これからも育まれ伝えられていくでしょう。ありがとう、ペスカ」

 ペスカはゆっくりと頭を下げる。

 シグルド、クラウス、シルビア、シリウス、モーリス、ケーリア、サムウェルと、この大陸ではペスカの意思を継ぎ、世界を次代に繋げようと奮闘した者達がいた。
 シグルドの最後を、ペスカは決して忘れない。クラウスを始め残された者は、平和を求めて戦い続けてくれるだろう。

 ペスカは、様々な想いを嚙みしめる様に呟いた。

「終わった、終わったんですね。フィアーナ様」

 女神フィアーナは優しく頷くと、空と翔一に向かい言葉を紡いだ。

「異界の住人達よ。あなた達は、友人を守り勇敢に戦いました。平和な日本で暮らしていたあなた達には、辛い戦いだったでしょう。よく挫けずに頑張りました。空、あなたの勇気は誰にも真似が出来ません。翔一、あなたの機転で希望が繋がったのです。あなた達は、私が責任を持って日本に帰すと約束しましょう。ありがとう。空、翔一」

 空と翔一は、頭を下げる。空は溢れる涙を拭い、毅然と女神フィアーナに向き合う。翔一は誇らしさで体を震わせ、言葉にならない想いに溢れていた。

 怖かった。逃げたかった。でも、戦って良かった。立ち向かって良かった。
 ペスカと冬也の助けになれた事が、誇らしかった。大切なペスカと冬也を守れた事が、嬉しかった。

「工藤先輩、やりましたね。私達、ちゃんとやり遂げましたね」
「うん。頑張って良かった」

 最後に女神フィアーナは、冬也に向き合った。

「冬也、愛しい息子よ。良くペスカを助けました。あなたは幼い頃からペスカを守り育てました。それが、この大陸の平和を保つきっかけを作ったのです。そして、あなたは我が血を受け、その力を戦いの中で磨き上げました。あなたは立派に神の一員です」
 
 冬也は頭を掻きながら、女神フィアーナに答える。

「いや、神とか何とかってのは、知らねぇよ。俺は大切な妹を泣かす糞野郎を、ぶっ飛ばしただけだ。これからも変わらねぇ。それよりいつ日本に帰れんだよ」

 いつもと変わらない冬也の態度に、ペスカは脇腹を突いて、耳打ちをする。

「お兄ちゃん。嬉しいけど、もう少し空気を読みなよ。こんな時は、光栄ですとか言うんだよ」
「やだよ。だって相手は、お袋なんだろ? それに、日本に帰るって重要な事だろ?」
「まぁ、そうだけどさ」

 ペスカは深い溜息をつく。そして馴染み深いペスカと冬也のやり取りに、思わず空と翔一が吹き出す。それは達成感よりも、開放感からくる感覚が大きいだろう。
 この旅で、様々な事を経験した。それこそ、日本では決して体験できない事を。しかし辛い旅であった。全てが終わり、もう戦わなくていい。
 何よりも、日本に帰れる。女神が確約したのだ、間違いは無いだろう。
 
 そして女神フィアーナは、じっと冬也を見つめてから、吐き出す様に話しかけた。

「冬也君。あのね、巻き込まれた空と翔一は、必ず日本に帰してあげる。勿論ペスカちゃんも。でもあなたは駄目よ」
「はぁ?」
「フィアーナ様、何言ってんの?」
「えっ? なんで冬也だけ、帰れないんですか?」
「なんで冬也さんは、駄目なんですか?」

 女神フィアーナの言葉に、驚くペスカ達三人と、怪訝な表情を浮かべる冬也。女神フィアーナは、溜息をつきながらも、諭す様に冬也に説明をした。

「だって、あなたはもう神の一員なのよ。日本に帰して、変な影響が出たら困るじゃない」
「いや、あんたはどうなんだよ。日本に来たんだろ?」
「私は神気をコントロールできるもの。それに行く前に日本の神々に、話しを通したし。今の冬也君が日本に行ったら、日本の神々は凄く迷惑がるわよ」

 納得がいかない冬也に、追い打ちをかけたのはペスカであった。

「お兄ちゃんが日本に帰らないなら、私も残る~!」
「何言ってんの? お父さんはどうするの?」
「そうだよ、ペスカちゃん。帰らないってどういう事?」

 ペスカの言葉に驚き、空と翔一は更に大きな声で叫んだ。

 冬也が日本には帰れない。女神フィアーナの説明を聞けば、その理由は納得が出来る。受け入れられはしないけれど。
 しかし、ペスカは別であろう。帰れるのだ。それに日本には義理とはいえ、父親がいる。家族がいるのに、この世界に残るのはおかしいだろう。
 だが考えてみれば、ペスカにとって真の故郷はどっちなのだろうか。少し複雑な思いで、空と翔一は逡巡する。
 ただ当のペスカは、あっけらかんとしていた。

「冒険だよ、お兄ちゃん!」

 冬也の腕にしがみついて、明るい笑顔を見せるペスカの頭を、冬也は優しく撫でた。そして女神フィアーナは頭を抱え、深い溜息をついた。

 一方、天空の地に戻ったセリュシオネは先の戦いを思い出し、少し首を傾げていた。

「そう言えば、ロメリアの神格は余りにも小さすぎましたね。あれは本当にロメリアの神格だったんでしょうか? まぁ、今となっては確かめる術も有りませんが……」
 エルラフィア王国へ向けて車が走る。

 やり切った。持てる力を出し尽くし、全ての戦いを終えた。戦いの緊張が解けると共に、ペスカ達を襲ったのは猛烈な疲れであった。
 マナを極限まで超えて使ったのだ。それ以上に、神と戦う事がどれだけ精神的な負担を強いるのか、実際に戦った者しかわかるまい。肉体的、精神的に疲労のピークを迎えていたペスカ達は、帰路の運転をクラウスに任せた。

 ペスカ、冬也、翔一がベッドで仮眠を取る中、ただ一人、空だけが目を開けている。空の頭の中では、女神フィアーナとのやりとりが繰り返されていた。

 冬也は、日本には帰れない。ペスカも日本には帰らないと言う。冬也と離れたくない。無論、ペスカとも離れたくはない。
 日本と異世界ロイスマリアは、海外旅行気分で行き来は出来ないだろう。そうなれば、永遠の別れになる可能性だってあるのだ。二人と同じく残るなら、当然ながらこの世界で生きる事になる。

 ほとんど知らないのだ、この世界の事を。精々知っているのは、これまで通って来た場所だけ。知人すらほんの一握り。生活環境、文化が全く異なる世界に残るという事は、相応の覚悟が必要だ。

 そんな場所で生きていけるのか。
 
 邪神を倒して日本に帰る。その為に戦ってきたのだ。艱難辛苦にさえ耐えて来たのだ。気持ちを切り替える事など、簡単には出来ない。まだ将来の展望すら覚束ない状態で、決断など出来はしない。 

 目を瞑っても、寝れはしない。ベッドに体を預けても、休む事すら叶わない。空は体を起こし、ぽつりと呟く。それは無意識に出た言葉であろう。幼い頃から抱いていた想いから、出た言葉であろう。

「私も残ろっかな」

 荒地の中を走る車の音に遮られ、決して届かぬはずの言葉に、ただ一人だけが反応を示した。
 
「馬鹿言ってんじゃねぇよ、空ちゃん。学校はどうするんだ?」

 聞きなれた、ぶっきらぼうな言い回しである。しかしそれは静かに、そして優しく語り掛けて来た。
 ただ、その言葉を聞いた瞬間に、空の想いが溢れる。身勝手かもしれない、だが一時の感情では無いのだ。それは、まごう事無く空の本音なのだから。

「学校は止めます。ペスカちゃんや冬也さんがいない学校に行ったって、意味無いもん」
「意味が無い? ふざけてんのか? ちゃんと考えろ、空ちゃん!」
「だって」
「だってじゃねぇよ。それに、両親にはどう説明するんだ? 心配かけたままで良いなんて、思っちゃいないだろうな」
「それは……」
「空ちゃん、日本に帰るんだ!」

 反論したのは、想い人と親友を同時に失う寂しさ故であろう。だが冬也は、空を窘める。日本に帰れと言う。

 空は納得出来なかった。

 このままこの世界に残れば、当然両親は心配するだろう。寧ろ、今も心配しているに違いない。両親と想い人、両親と親友。天秤に掛けた物が重すぎる。全てを捨てて残れる訳が無い。

 空の心は更に揺れた。同時に、冬也に対する怒りが膨れ上がった。

 ペスカちゃんは良いのに、私は駄目なの? 冬也さんは、私の事を何とも思ってないの?
 頑張って戦ってきたのに。頑張って守ったのに。あれだけ尽くしたのに。これでお別れなの? なんでそんなにあっさりと、帰れなんて言えるの?

 冬也の言っている事は、十二分に理解している。見返りなんて求めていない。
 だが、悔しかった。ただ、悲しかった。心が引き裂かれる気がした。空にとって冬也からの言葉は、別離の様に聞こえていた。
 
 そのまま空は口を噤んだ。そして、冬也は再び目を瞑る。無言のままに時間が過ぎ去り、エルラフィア王国へ入ろうとしていた。
 丁度その頃、翔一を最初に順に目を覚ましていく。

 そして、空と翔一を待ち受けていたのは、余りにも残酷な光景であった。
 戦場となった国境沿いでは、戦いが終わって数時間が経過しても、兵士達の応急手当が行われている。そして、手当が済んだ者から順に王都へ搬送されていた。
 
 手当を待つ兵士の呻き声は、至る所から発せられる。間に合なかったのだろう、所々で息絶える兵の姿もあった。
 足を失い、ライフルを杖代わりにして歩く兵士は、少なくなかった。両足を失って、動けずにいる兵士もいた。モンスター化した兵士が、呻き声を上げながら治療を受けていた。

 まだ生きているなら、ましなのだろう。

 乾ききれていない血が、至る所で池を作っている。苦痛に悶えて、最後を遂げたのだろう。悲痛な顔を浮かべた死体は、あちこちに転がっていた。
 どちらが敵か味方か判別すらつかない死体の山。それは善悪入り乱れた、戦いの結末であろう。

 スクリーンに映る映像は、戦争とは斯くも悲惨なものだと語っていた。空と翔一は、思わず吐き気を催した。言葉が出て来ず顔を青ざめさせた。
 この世界に来て、モンスターやゾンビと戦ってきた。人間同士の凄惨な争いも見て来た。モンスターなら、気持ちの整理がつけられた。大陸東部の争いも、邪神の仕業と思えば耐える事が出来た。

 スクリーンに映し出される光景は、そのどれとも違った。     

 兵士の治療や搬送で、忙しなく指示を送り続けるシリウスの姿を見つけ、クラウスは車を止める。ペスカに頭を下げたクラウスは、車を降りてシリウスの下へ走っていく。
 だが空と翔一は、とても車から降りる気になれなかった。
 
「空ちゃん、これが本物の戦争だよ。わかる? 人と人が殺し合う事なんだよ」

 ペスカの声に、空は言葉を失ったままだった。

「マナがすっからかんの私は、何も彼らにしてあげられない。誰一人助けてあげる事は出来ない。空ちゃんは、助けられるの? 誰か一人でも、救えるの?」

 空は黙ってペスカを見つめる。そしてペスカは、言葉を続けた。

「兵士は、覚悟を持って戦う。自分の命を投げ出して、国や想い人の為に戦う。その気持ちは確かに尊いよ。だけど、結果はこれなんだよ。どれだけ大義名分が有っても戦争は結局、ただの殺し合いなんだよ」
「ペスカちゃん……」
「確かに今回はロメリアっていう、共通の敵がいた。ある意味メルドマリューネ兵は、犠牲者かも知れない。でもね、この中には家族どころから、国すら失った人達がいるんだよ。沢山の命を失って、ただ悲しいだけじゃ終われないんだよ。私達は、最前線にいたんだから」

 空の瞳からは、涙が零れ始めていた。

「空ちゃんは凄いよ。だってあのロメリアに立ち向かったんだもん。この世界の人が誰も出来ない事を、空ちゃんはやってのけたんだよ」

 空の涙は止まらない。様々な想いが胸に詰まる。

「お兄ちゃんが、空ちゃんを日本に帰そうとする意味をわかってあげて。フィアーナ様の神気が回復するまで、少し時間がある。ちゃんと考えて、答えを出して」

 ペスカの言葉に、空は直ぐに頷く事は出来なかった。

 ペスカの言う通り、マナが枯れ果てた今の空には、出来る事など何一つない。せめてこの結果は、ちゃんと受け止めなければならない。空は、そう感じ始めていた。

 負傷した兵士達に、回復魔法をかける姿を、空はしっかりと目に焼き付ける。暫くするとクラウスが戻り、車が再び王都へ向けて走り出した。
 その間、空は終始無言だった。ペスカと冬也は、敢えて声をかけなかった。空ならば自分で答えを出せると信じて。
  
 既に頭の中からは冬也への怒りは消え、空はひたすら考えていた。

 自分に何が出来る。何がしたい、何をしなければならない。直ぐに答えが、出るはずが無い。だが、今の自分をしっかりと理解しよう、開ける未来は、必ず有るはずだ。空は真摯に自分を見つめた。そして自己に問いかけ続けた。

 車内での生活は、淡々としていた。

 冬也は、空の答えを待つ様に料理を率先し、クラウスと運転を交代して行う。ペスカは敢えて、空と距離を置いた。
 言葉こそ発しなかったが、翔一にも思う所は有っただろう。そして兄をその手で殺したクラウスも。
 冬也に至っては、正式に神となったのだ。ペスカも遠くない未来に、神と認定されるだろう。
 
 戦いの終わりは、新しい未来の始まりでもある。ラフィスフィア大陸から、多くの命が消え多くの国が無くなった。
 やるべき課題は、山の様にある。これからが本当の戦いと言っても過言ではないだろう。ペスカ達はそれぞれの立場で、山積みになった課題に向き合おうとしていた。

 何日か過ぎて、車は王都に到着する。クラウスの手配で宿が用意されていたが、車は宿の前に停車す事は無く、王立魔法研究所に向かった。
 現在行われている、旧メルドマリューネの兵士達の記憶植え付け。その成果を確認する為に。

 ペスカ達が、王立魔法研究所に足を踏み入れる。すると連絡を受けていたマルスが、飛ぶように建物から出て来た。

「ペスカ、やっと帰って来たか。冬也もいるのか、丁度いい。二人共早く来い、手伝ってくれ。人が足りんのだ」
 
 息を切らせながら、マルスはペスカと冬也に言い放つ。そして治療施設へ連れて行こうと、二人の手を引っ張った。

「ちょっと待てよ、マルスさん。何がしてぇんだよ」
「いいから、来てくれ冬也。こんな時は、お前の馬鹿みたいなマナが必要なんだ」

 冬也は少し力を込めて、マルスを止める。今は、ペスカと二人じゃないのだ。ペスカは、冬也の意志を汲み取り、空と翔一を見やる。ペスカの視線を感じ、マルスは問いかけた。

「そこの二人! 君らもペスカの連れなら、手伝ってくれんか?」
「駄目だよ所長。二人は、この世界の住人じゃ無いから、力になれないよ」
「そうか、ならお前達だけでいい。着いて来てくれ」
「マルス所長。私は後で行くから、お兄ちゃんだけ連れてって」
「わかった。冬也、行くぞ」

 マルスに引っ張られ、冬也は治療施設へ連れて行かれる。それを見届けたペスカは、空と翔一へ向かって優しく告げた。

「空ちゃんと翔一君は、宿で休んでなよ。あの様子だと、見学ですら邪魔になりそうだしね。もし暇なら、療養所に行ってみたら。翔一君はともかく、空ちゃんには必要な事だと思うよ」
 
 そう言い残すと、ペスカは建物に向かって歩き出す。空はペスカの言う通りに、療養所に向かう事にした。