五月中旬。この日は中間テスト最終日だ。
教室前の時計は試験終了まで残り十分の時刻を示していた。
問題を解き終えて見直しも完了した者、まだ必死に悪あがきする者が混在している。
響は何とか最後まで解き終えて、ケアレスミスや問題の読み間違いがないか見直しをしていた。
(……多分大丈夫だろう)
そう思ったところでチャイムが鳴る。
ようやくテストから解放されて、響達二年四組の生徒は晴れやかな表情をしていた。
「響、どうだった?」
「多分まあまあだと思う。一年の時と同じくらいの点をキープしたいところ」
部活へ行く準備をしていた響は風雅に聞かれ、そう答えた。
「風雅はいつも通り余裕?」
「まあそれなりに取れてるとは思う」
チャラくて不真面目そうな風雅だが、成績は意外にもそこそこ優秀である。
ちなみに響は気を抜くとすぐに中の下当たり成績が落ちてしまう。
「とりあえず今日から部活再開だし、行くか」
「そうだな」
風雅の言葉に頷く響。
二人は音楽室に向かった。
♪♪♪♪♪♪♪♪
この日の部活は六月の文化祭に向けての個人練習だ。
響はクラリネットを組み立て、譜面台と楽譜が入ったファイルとメトロノームと念の為チューナーを持って空き教室に向かい、チューニングと基礎練習をしていた。
その時、隣の教室から優雅なフルートのチューニング音が聞こえた。
(あ……この音は……)
響の脳内にキラキラとした星空が広がる。
ダイヤモンドだけでなく、ルビー、サファイア、エメラルド、アメジストなど、空にカラフルな宝石が散りばめられているようだ。
(かなちゃんの音だ。何というか……昔より煌びやかな音になってる)
響は思わず奏の音を聴き入ってしまう。
しばらく奏の基礎練習を聞いていると、いつの間にか文化祭の曲の練習に移っていた。
今流行りの曲である。
しかし、音色と曲の雰囲気がちぐはぐだ。
奏はクラシック曲を得意とするので、その音色は優美で美しい。しかし、流行りのJ-POPなどには若干合わない。
(だけど、それはそれで新鮮さがある……)
響は思わずクスッと笑い、クラリネットで同じ曲を吹き始めた。
響の脳内には再び映像が流れる。花畑で優雅に佇む白うさぎ。黒うさぎがその周りを踊るように駆け回ると、白うさぎもそれに乗り始める。
(そうそう、J-POPならこんな感じ)
響は隣の教室で曲に乗り出した奏に笑いかけるようであった。
黒うさぎと白うさぎと楽しそうに駆け回っていたら、そこに長毛種の白猫が加わった。白猫は白うさぎに寄り添い、黒うさぎを威嚇するかのようだ。
(天沢さんか……)
響はクラリネットを吹きながら苦笑する。
隣の教室でピッコロの彩歌も同じ曲を練習し始めたのだ。やや攻撃的なピッコロの高音である。
そこへ、ゴールデンレトリバーが元気良く登場した。ゴールデンレトリバーは白猫の周囲を駆け回り、白猫から激しく威嚇されている。
(ということは、このトロンボーンは風雅だな)
いつの間にか加わっていたトロンボーンの音に、響は苦笑した。
軽快で明るいトロンボーンの音である。
響の脳内はどんどん賑やかになっている。
続いて登場したのは立派な角を持つ牡鹿。牡鹿は皆のペースに合わせて駆けている。
(ファゴット……これは律だな。低音入るとやっぱり安定感ある)
クラリネット、フルート、ピッコロ、トロンボーン、ファゴットの軽い合奏になっていた。
響の脳内映像には更にミーアキャットと猿が加わる。
猿は、はちゃめちゃに楽しそうに騒ぎ出した。
そしてバラバラだった動物達をまとめにかかるミーアキャットだ。
(徹、楽しそうにドラム叩くよな)
響は隣の棟の窓が開いた音楽室から聞こえるドラムに苦笑する。
(蓮斗のユーフォは安定感あるな。縁の下の力持ちって感じだ)
響は聞こえてくるユーフォニアムの音を聞いて安心していた。
ユーフォニアムはどの楽曲もあまり目立ちはしないが実はオールラウンダーな楽器である。
思い思いに駆けたり威嚇したりはしゃいだりしていた動物達にまとまりが出てきた。
そこへおっとりとしたカピバラとノリの良いクリーム色のモルモットが加わる。
二匹はすぐに溶け込んだ。
(このゆったりとしたオーボエは小夜さん、ノリノリのサックスはセレナさんだな)
近くの教室で練習中の小夜とセレナも同じ曲に加わっていた。
個人練習のはずが、色々な音が重なり合い気付けば合奏になっている。
最後まで演奏し終えた時、何となく達成感があった。
隣の教室からは奏と彩歌の笑い声が聞こえた。
(何か……楽しいな)
響は表情を綻ばせた。
♪♪♪♪♪♪♪♪
この日の部活が終わった。
夏に向けて少しずつ日が長くなっている。
中間テストが終わり、夏服への制服移行期間に入ったので帰る準備をする響は黄色いカーディガンを羽織っていた。
よく見ると、吹奏楽部の部員達は皆思い思いの色のカーディガンを着ていてカラフルだ。
ちなみに、奏は紫のカーディガン、彩歌は赤いカーディガンを着ていた。
音宮高校の校則は髪を染めたりパーマをかけたりピアスの穴を開ける意外は、制服さえきちんと着ていたら基本的に自由だ。靴下も派手な柄が許されているし、靴もブーツ、ヒール、サンダル以外ならカラフルでも許される。
髪型も、女子生徒が巻いたり派手なヘアアクセサリーを着けても特に何も言われない。
そして制服移行期間のカーディガンも色と柄は自由である。
おまけに授業中以外はスマートフォン使用可能だ。中には授業中「スマホの電卓機能使え」と言ってくる先生もいる。
比較的校則が緩いのだ。
「かなちゃん、お疲れ様。久々の部活だけど、どうだった?」
帰る準備をし終えた響は奏に声をかける。
奏が吹奏楽部に入部してすぐ、中間テスト二週間前になり部活停止期間に入った。よって奏にとって今日が実質本格的な活動開始日なのだ。
「こんな風に練習したの、中学一年振りです」
奏は懐かしそうな表情である。
「しんどくはない?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます、響先輩」
奏はふふっと楽しそうに笑った。
「かなちゃん、もし良ければ一緒に帰ら」
「奏!」
一緒に帰ろうと誘おうとした響を遮る彩歌。確実にわざとである。
「彩歌……」
奏は苦笑する。
「奏、帰るよ。あたしと二人で」
やたらと「二人で」の部分を強調している彩歌。もちろん響をキッと睨みつけている。
「良いなあ。じゃあ俺も彩歌ちゃんと一緒しよっかな?」
帰る準備をし終えた風雅が彩歌に絡む。
「はあ!? 何であんたが!? ふざけんな! あっちの馬鹿みたいな猿の所に行け!」
物凄い剣幕の彩歌。しかし風雅は動じない。
ちなみに、彩歌が馬鹿みたいな猿と言ったのは徹のこと。
「おい天沢! 今俺を馬鹿みたいな猿って言ったな!? 失礼だぞ! それに、俺は先輩だ! 敬語使え!」
まだドラムセットを叩く徹は彩歌に抗議した。しかし、暖簾に腕押しであることは分かっていた。
男子の先輩に向かって基本的に敬語を使わない彩歌だが、誰も注意をすることを諦めたようである。ただし、彩歌は蓮斗ならまだマシと判断したらしく、蓮斗にだけは敬語を使っている。
「そういえば、大月さんの家ってどっち方面?」
律がさりげなく奏に話しかけた。
「駅から西方面」
「じゃあ俺と反対だ」
若干残念そうな律。
「俺はかなちゃんと同じ方面だよ。かなちゃんの家の最寄駅より五駅先だけど」
響は若干焦ったように会話に加わる。
「そうでしたね」
奏は柔らかに微笑んだ。
結局、響、奏、彩歌、風雅、律の五人で帰ることになった。
(随分と賑やかだけど、まあいっか)
奏と帰りたいと思った時点で彩歌に邪魔される予想は出来ていたのだ。
賑やかな様子で五人は音楽室を後にする。
テナーサックスを片付けている詩織が響と奏を複雑そうに見ていることには、誰も気付かなかった。
「幼馴染か何だか知らないけど、ぽっと出の癖に……」
詩織のその呟きは、周囲の音にかき消されていた。
♪♪♪♪♪♪♪♪
翌日。
奏は彩歌と登校し、一年三組の教室に向かっていた。
「あ、おはよう。奏ちゃんと彩歌ちゃんだよね? 吹奏楽部の」
一年一組の教室を通りかかった時、そう話しかけられた二人。
一年一組の廊下側の窓から詩織が身を乗り出していた。
「えっと、誰?」
彩歌は若干警戒心を抱いた様子だ。
「おはよう。テナーの内海さんだよね?」
奏は吹奏楽部の一年生の部員の顔と名前をゆっくりと思い出す。
「そうそう、奏ちゃん、大当たり。同じ部活なんだし、詩織で良いよ」
ニコリと人懐っこそうに笑う詩織。
「へえ、吹奏楽部だったんだ。あたしまだ部員の顔と名前覚えてなくて」
彩歌は口元だけ笑っていて、目はまだ警戒心が残っていた。
「全然。入ってすぐテスト休みだったもんね」
詩織は明るい表情だ。
その時、一組の教室内から「詩織ー、今日の英語の予習見せてー!」と声が聞こえた。
「じゃあまた部活でね」
詩織は軽く手を振り、呼ばれた方へ行くのであった。
「何かあの子、怪しそう」
ボソッと呟く彩歌。
「そうかな? 明るい子に見えたけど」
奏はきょとんとしていた。
♪♪♪♪♪♪♪♪
一年三組はその日の五限目に音楽の授業があった。
廊下側の席に座っていた律は、少し眠くなりながらも音楽担当の先生の話を聞いていた。
その時、外からパタパタと足音が聞こえた気がした。
不思議に思い廊下に目をやると、チラリと一瞬だけショートカットの女子生徒の後ろ姿が見えた気がした。
(あれは……?)
律は怪訝そうに首を傾げつつも、再び先生の話に注意を戻すのであった。
♪♪♪♪♪♪♪♪
その日の部活で異変が起こった。
「奏ちゃん、大変! 奏ちゃんのメトロ、床に落ちてバラバラになってる!」
奏が彩歌と一緒に音楽室に来たところ、小夜が慌てて奏の元へやって来た。
「え? 私のメトロノームがですか?」
奏は怪訝そうな表情で、楽器やメトロノームなどを置いている音楽準備室に入る。
音楽準備室はざわざわと人が集まっていた。
セレナ、律、詩織も床に目を向けて驚愕している。
その床には確かに奏のメトロノームが落ちていた。
おまけに分解され、中の部品まで壊されて使い物にならない。
「嘘……」
奏は驚愕で目を大きく見開きながらも、自身のスマートフォンで壊れたメトロノームの写真を撮った。
「何でこんなことになってんの? 昨日奏がメトロちゃんと戻してたの、あたし見たけど。しかも誰かがぶつかったりしても落ちない場所に置いてたじゃん。それにさ、仮に落ちたとしてもこんな内部の部品まで壊れるのっておかしくない?」
彩歌は眉をひそめる。
「じゃあ誰かがわざと奏のメトロ壊したってこと? ……そんな命知らずなことする?」
セレナが恐る恐る苦笑しながら周囲の部員達を見渡す。
「考えたくはないけど、セレナの言う通り、その可能性はあるかも……。命知らずではあるけれど……」
小夜は残念そうにため息をつく。
「でも、誰が? 奏の実力妬んだ人とか?」
セレナが怪訝そうに首を傾げる。
「でもそうなったらフルートパート全員容疑者になる可能性ありますよ。だって奏ちゃんがフルートの中で一番上手いですから」
詩織が苦笑している。
「……でも、同じパートの中にこんなことをする人なんて、想像出来ない。正直、フルート内にはいないと思いたい」
奏は控えめに発言した。
現在フルートパートには特に問題は起こっておらず、部員間の仲も悪くないのだ。
「あたしも……先輩とか同じ一年のフルートの中にはいない気がする」
彩歌も奏に同意した。
「じゃあ授業とかで音楽室使ったクラスにいたりしない? この際部活とか関係なくてただ悪戯でやっちゃったとかさ」
小夜が重々しい空気にならないよう、少し明るめの声を出す。
「今日は知ってる限り、音楽の授業があったのは俺達一年三組と隣の四組ですけど」
律は思い出したように発言する。
「じゃあその中の誰かを片っ端から探す?」
セレナは首を傾げている。
「三組ってことは、奏ちゃんの自作自演の可能性は? 落ちにくい場所に置いたって彩歌ちゃんも言ってたし」
悪戯っぽく、やや責めるような口調の詩織。
「はあ!? 奏の自作自演とか絶対あり得ない! だって奏、音楽の授業中は準備室入ってないのあたし知ってるし!」
「彩歌、落ち着いて」
奏を疑う詩織に対して激しく噛み付く彩歌。
奏はそんな彩歌を宥める。
「俺も大月さんが音楽の時に準備室には行ってないのはちゃんと見たから、大月さんの自作自演はあり得ない」
律も奏を庇った。
「ふーん、そっか……」
詩織はややつまらなさそうな表情だった。
「とにかく、メトロノームは予備も持っています。この件はもう終わりにしませんか? 私は特に気にしていないので」
奏はそう言いながらバラバラに壊されたメトロノームの部品を拾い集める。
彩歌と律もそれに続き、奏を手伝う。
「まあ、奏がそう言うなら良いんだけどさ」
セレナは心配そうだった。
「とりあえず様子見で良いと私は思います」
奏は気にしていないように微笑む。
(それに、いざとなったら器物破損で訴えて相手に前科を付けることも出来るから)
最初は驚いたが、次第に冷静になっていた奏だった。
「彩歌も浜須賀くんも、手伝ってくれてありがとう」
奏はメトロノームの壊れた部品を受け取り、捨てずに保管する。
「奏、今日はあたしのメトロ、一緒に使おう」
「何もないとは思いたいけど、何かあったら俺も協力するから」
彩歌と律は心配そうな表情だった。
こうして、この日の部活は少し不安を残しつつも始まった。
奏は特に何も気にした様子はないが、律はファゴットを準備しながら訝しげにチラリと詩織に目を向けるのであった。
教室前の時計は試験終了まで残り十分の時刻を示していた。
問題を解き終えて見直しも完了した者、まだ必死に悪あがきする者が混在している。
響は何とか最後まで解き終えて、ケアレスミスや問題の読み間違いがないか見直しをしていた。
(……多分大丈夫だろう)
そう思ったところでチャイムが鳴る。
ようやくテストから解放されて、響達二年四組の生徒は晴れやかな表情をしていた。
「響、どうだった?」
「多分まあまあだと思う。一年の時と同じくらいの点をキープしたいところ」
部活へ行く準備をしていた響は風雅に聞かれ、そう答えた。
「風雅はいつも通り余裕?」
「まあそれなりに取れてるとは思う」
チャラくて不真面目そうな風雅だが、成績は意外にもそこそこ優秀である。
ちなみに響は気を抜くとすぐに中の下当たり成績が落ちてしまう。
「とりあえず今日から部活再開だし、行くか」
「そうだな」
風雅の言葉に頷く響。
二人は音楽室に向かった。
♪♪♪♪♪♪♪♪
この日の部活は六月の文化祭に向けての個人練習だ。
響はクラリネットを組み立て、譜面台と楽譜が入ったファイルとメトロノームと念の為チューナーを持って空き教室に向かい、チューニングと基礎練習をしていた。
その時、隣の教室から優雅なフルートのチューニング音が聞こえた。
(あ……この音は……)
響の脳内にキラキラとした星空が広がる。
ダイヤモンドだけでなく、ルビー、サファイア、エメラルド、アメジストなど、空にカラフルな宝石が散りばめられているようだ。
(かなちゃんの音だ。何というか……昔より煌びやかな音になってる)
響は思わず奏の音を聴き入ってしまう。
しばらく奏の基礎練習を聞いていると、いつの間にか文化祭の曲の練習に移っていた。
今流行りの曲である。
しかし、音色と曲の雰囲気がちぐはぐだ。
奏はクラシック曲を得意とするので、その音色は優美で美しい。しかし、流行りのJ-POPなどには若干合わない。
(だけど、それはそれで新鮮さがある……)
響は思わずクスッと笑い、クラリネットで同じ曲を吹き始めた。
響の脳内には再び映像が流れる。花畑で優雅に佇む白うさぎ。黒うさぎがその周りを踊るように駆け回ると、白うさぎもそれに乗り始める。
(そうそう、J-POPならこんな感じ)
響は隣の教室で曲に乗り出した奏に笑いかけるようであった。
黒うさぎと白うさぎと楽しそうに駆け回っていたら、そこに長毛種の白猫が加わった。白猫は白うさぎに寄り添い、黒うさぎを威嚇するかのようだ。
(天沢さんか……)
響はクラリネットを吹きながら苦笑する。
隣の教室でピッコロの彩歌も同じ曲を練習し始めたのだ。やや攻撃的なピッコロの高音である。
そこへ、ゴールデンレトリバーが元気良く登場した。ゴールデンレトリバーは白猫の周囲を駆け回り、白猫から激しく威嚇されている。
(ということは、このトロンボーンは風雅だな)
いつの間にか加わっていたトロンボーンの音に、響は苦笑した。
軽快で明るいトロンボーンの音である。
響の脳内はどんどん賑やかになっている。
続いて登場したのは立派な角を持つ牡鹿。牡鹿は皆のペースに合わせて駆けている。
(ファゴット……これは律だな。低音入るとやっぱり安定感ある)
クラリネット、フルート、ピッコロ、トロンボーン、ファゴットの軽い合奏になっていた。
響の脳内映像には更にミーアキャットと猿が加わる。
猿は、はちゃめちゃに楽しそうに騒ぎ出した。
そしてバラバラだった動物達をまとめにかかるミーアキャットだ。
(徹、楽しそうにドラム叩くよな)
響は隣の棟の窓が開いた音楽室から聞こえるドラムに苦笑する。
(蓮斗のユーフォは安定感あるな。縁の下の力持ちって感じだ)
響は聞こえてくるユーフォニアムの音を聞いて安心していた。
ユーフォニアムはどの楽曲もあまり目立ちはしないが実はオールラウンダーな楽器である。
思い思いに駆けたり威嚇したりはしゃいだりしていた動物達にまとまりが出てきた。
そこへおっとりとしたカピバラとノリの良いクリーム色のモルモットが加わる。
二匹はすぐに溶け込んだ。
(このゆったりとしたオーボエは小夜さん、ノリノリのサックスはセレナさんだな)
近くの教室で練習中の小夜とセレナも同じ曲に加わっていた。
個人練習のはずが、色々な音が重なり合い気付けば合奏になっている。
最後まで演奏し終えた時、何となく達成感があった。
隣の教室からは奏と彩歌の笑い声が聞こえた。
(何か……楽しいな)
響は表情を綻ばせた。
♪♪♪♪♪♪♪♪
この日の部活が終わった。
夏に向けて少しずつ日が長くなっている。
中間テストが終わり、夏服への制服移行期間に入ったので帰る準備をする響は黄色いカーディガンを羽織っていた。
よく見ると、吹奏楽部の部員達は皆思い思いの色のカーディガンを着ていてカラフルだ。
ちなみに、奏は紫のカーディガン、彩歌は赤いカーディガンを着ていた。
音宮高校の校則は髪を染めたりパーマをかけたりピアスの穴を開ける意外は、制服さえきちんと着ていたら基本的に自由だ。靴下も派手な柄が許されているし、靴もブーツ、ヒール、サンダル以外ならカラフルでも許される。
髪型も、女子生徒が巻いたり派手なヘアアクセサリーを着けても特に何も言われない。
そして制服移行期間のカーディガンも色と柄は自由である。
おまけに授業中以外はスマートフォン使用可能だ。中には授業中「スマホの電卓機能使え」と言ってくる先生もいる。
比較的校則が緩いのだ。
「かなちゃん、お疲れ様。久々の部活だけど、どうだった?」
帰る準備をし終えた響は奏に声をかける。
奏が吹奏楽部に入部してすぐ、中間テスト二週間前になり部活停止期間に入った。よって奏にとって今日が実質本格的な活動開始日なのだ。
「こんな風に練習したの、中学一年振りです」
奏は懐かしそうな表情である。
「しんどくはない?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます、響先輩」
奏はふふっと楽しそうに笑った。
「かなちゃん、もし良ければ一緒に帰ら」
「奏!」
一緒に帰ろうと誘おうとした響を遮る彩歌。確実にわざとである。
「彩歌……」
奏は苦笑する。
「奏、帰るよ。あたしと二人で」
やたらと「二人で」の部分を強調している彩歌。もちろん響をキッと睨みつけている。
「良いなあ。じゃあ俺も彩歌ちゃんと一緒しよっかな?」
帰る準備をし終えた風雅が彩歌に絡む。
「はあ!? 何であんたが!? ふざけんな! あっちの馬鹿みたいな猿の所に行け!」
物凄い剣幕の彩歌。しかし風雅は動じない。
ちなみに、彩歌が馬鹿みたいな猿と言ったのは徹のこと。
「おい天沢! 今俺を馬鹿みたいな猿って言ったな!? 失礼だぞ! それに、俺は先輩だ! 敬語使え!」
まだドラムセットを叩く徹は彩歌に抗議した。しかし、暖簾に腕押しであることは分かっていた。
男子の先輩に向かって基本的に敬語を使わない彩歌だが、誰も注意をすることを諦めたようである。ただし、彩歌は蓮斗ならまだマシと判断したらしく、蓮斗にだけは敬語を使っている。
「そういえば、大月さんの家ってどっち方面?」
律がさりげなく奏に話しかけた。
「駅から西方面」
「じゃあ俺と反対だ」
若干残念そうな律。
「俺はかなちゃんと同じ方面だよ。かなちゃんの家の最寄駅より五駅先だけど」
響は若干焦ったように会話に加わる。
「そうでしたね」
奏は柔らかに微笑んだ。
結局、響、奏、彩歌、風雅、律の五人で帰ることになった。
(随分と賑やかだけど、まあいっか)
奏と帰りたいと思った時点で彩歌に邪魔される予想は出来ていたのだ。
賑やかな様子で五人は音楽室を後にする。
テナーサックスを片付けている詩織が響と奏を複雑そうに見ていることには、誰も気付かなかった。
「幼馴染か何だか知らないけど、ぽっと出の癖に……」
詩織のその呟きは、周囲の音にかき消されていた。
♪♪♪♪♪♪♪♪
翌日。
奏は彩歌と登校し、一年三組の教室に向かっていた。
「あ、おはよう。奏ちゃんと彩歌ちゃんだよね? 吹奏楽部の」
一年一組の教室を通りかかった時、そう話しかけられた二人。
一年一組の廊下側の窓から詩織が身を乗り出していた。
「えっと、誰?」
彩歌は若干警戒心を抱いた様子だ。
「おはよう。テナーの内海さんだよね?」
奏は吹奏楽部の一年生の部員の顔と名前をゆっくりと思い出す。
「そうそう、奏ちゃん、大当たり。同じ部活なんだし、詩織で良いよ」
ニコリと人懐っこそうに笑う詩織。
「へえ、吹奏楽部だったんだ。あたしまだ部員の顔と名前覚えてなくて」
彩歌は口元だけ笑っていて、目はまだ警戒心が残っていた。
「全然。入ってすぐテスト休みだったもんね」
詩織は明るい表情だ。
その時、一組の教室内から「詩織ー、今日の英語の予習見せてー!」と声が聞こえた。
「じゃあまた部活でね」
詩織は軽く手を振り、呼ばれた方へ行くのであった。
「何かあの子、怪しそう」
ボソッと呟く彩歌。
「そうかな? 明るい子に見えたけど」
奏はきょとんとしていた。
♪♪♪♪♪♪♪♪
一年三組はその日の五限目に音楽の授業があった。
廊下側の席に座っていた律は、少し眠くなりながらも音楽担当の先生の話を聞いていた。
その時、外からパタパタと足音が聞こえた気がした。
不思議に思い廊下に目をやると、チラリと一瞬だけショートカットの女子生徒の後ろ姿が見えた気がした。
(あれは……?)
律は怪訝そうに首を傾げつつも、再び先生の話に注意を戻すのであった。
♪♪♪♪♪♪♪♪
その日の部活で異変が起こった。
「奏ちゃん、大変! 奏ちゃんのメトロ、床に落ちてバラバラになってる!」
奏が彩歌と一緒に音楽室に来たところ、小夜が慌てて奏の元へやって来た。
「え? 私のメトロノームがですか?」
奏は怪訝そうな表情で、楽器やメトロノームなどを置いている音楽準備室に入る。
音楽準備室はざわざわと人が集まっていた。
セレナ、律、詩織も床に目を向けて驚愕している。
その床には確かに奏のメトロノームが落ちていた。
おまけに分解され、中の部品まで壊されて使い物にならない。
「嘘……」
奏は驚愕で目を大きく見開きながらも、自身のスマートフォンで壊れたメトロノームの写真を撮った。
「何でこんなことになってんの? 昨日奏がメトロちゃんと戻してたの、あたし見たけど。しかも誰かがぶつかったりしても落ちない場所に置いてたじゃん。それにさ、仮に落ちたとしてもこんな内部の部品まで壊れるのっておかしくない?」
彩歌は眉をひそめる。
「じゃあ誰かがわざと奏のメトロ壊したってこと? ……そんな命知らずなことする?」
セレナが恐る恐る苦笑しながら周囲の部員達を見渡す。
「考えたくはないけど、セレナの言う通り、その可能性はあるかも……。命知らずではあるけれど……」
小夜は残念そうにため息をつく。
「でも、誰が? 奏の実力妬んだ人とか?」
セレナが怪訝そうに首を傾げる。
「でもそうなったらフルートパート全員容疑者になる可能性ありますよ。だって奏ちゃんがフルートの中で一番上手いですから」
詩織が苦笑している。
「……でも、同じパートの中にこんなことをする人なんて、想像出来ない。正直、フルート内にはいないと思いたい」
奏は控えめに発言した。
現在フルートパートには特に問題は起こっておらず、部員間の仲も悪くないのだ。
「あたしも……先輩とか同じ一年のフルートの中にはいない気がする」
彩歌も奏に同意した。
「じゃあ授業とかで音楽室使ったクラスにいたりしない? この際部活とか関係なくてただ悪戯でやっちゃったとかさ」
小夜が重々しい空気にならないよう、少し明るめの声を出す。
「今日は知ってる限り、音楽の授業があったのは俺達一年三組と隣の四組ですけど」
律は思い出したように発言する。
「じゃあその中の誰かを片っ端から探す?」
セレナは首を傾げている。
「三組ってことは、奏ちゃんの自作自演の可能性は? 落ちにくい場所に置いたって彩歌ちゃんも言ってたし」
悪戯っぽく、やや責めるような口調の詩織。
「はあ!? 奏の自作自演とか絶対あり得ない! だって奏、音楽の授業中は準備室入ってないのあたし知ってるし!」
「彩歌、落ち着いて」
奏を疑う詩織に対して激しく噛み付く彩歌。
奏はそんな彩歌を宥める。
「俺も大月さんが音楽の時に準備室には行ってないのはちゃんと見たから、大月さんの自作自演はあり得ない」
律も奏を庇った。
「ふーん、そっか……」
詩織はややつまらなさそうな表情だった。
「とにかく、メトロノームは予備も持っています。この件はもう終わりにしませんか? 私は特に気にしていないので」
奏はそう言いながらバラバラに壊されたメトロノームの部品を拾い集める。
彩歌と律もそれに続き、奏を手伝う。
「まあ、奏がそう言うなら良いんだけどさ」
セレナは心配そうだった。
「とりあえず様子見で良いと私は思います」
奏は気にしていないように微笑む。
(それに、いざとなったら器物破損で訴えて相手に前科を付けることも出来るから)
最初は驚いたが、次第に冷静になっていた奏だった。
「彩歌も浜須賀くんも、手伝ってくれてありがとう」
奏はメトロノームの壊れた部品を受け取り、捨てずに保管する。
「奏、今日はあたしのメトロ、一緒に使おう」
「何もないとは思いたいけど、何かあったら俺も協力するから」
彩歌と律は心配そうな表情だった。
こうして、この日の部活は少し不安を残しつつも始まった。
奏は特に何も気にした様子はないが、律はファゴットを準備しながら訝しげにチラリと詩織に目を向けるのであった。