数日後の部活にて。
 コンクールが終わり、吹奏楽部は少しだけ落ち着いていて緩い雰囲気である。
「そういやさ、今週の土曜日祭りあるよな」
 帰る準備をしている最中、風雅がポツリと呟いた。
「そういやだったか」
 響は思い出したかのような表情だ。
 この週の土曜日、響達が住む市で比較的大規模な祭りがあるのだ。
「響は奏ちゃん誘ったりしないのか?」
「かなちゃん……誘っても来てくれるかな? 小さい頃はよく一緒に行ったけどさ」
 響は少しだけ臆病になる。
「当たって砕けてみろよ。臆病になってたら奏ちゃん誰かに取られるかもよ。それで良いのか?」
 響の肩をポンと叩く風雅。
「それは……嫌だけど」
 響の脳内に律の姿がチラついた。
 奏と共に音楽準備室に閉じ込められた際、律は奏にカーディガンを貸していた。
 おまけに期末テストの勉強会では奏に個人的にお土産を渡していた。
(律……かなちゃんと少し距離が近い気がするけど、あいつもかなちゃんのことが好きなのかな?)
 響の胸の内には、モヤモヤとした不安が生じていた。
 律は奏とクラスも同じだからもしかしたら自分以上に接点があるのではとすら思う響である。
 気付いたら響は動き出していた。
「かなちゃん、今週土曜の祭りは行くの?」
 響は帰る準備をしている最中の奏にそう話しかけた。
「まだ考えていなかったです」
 奏は帰る準備をしながら響に目を向けて苦笑する。
「そっか。じゃあさ、もし良ければだけど、一緒に祭り行かない?」
 やや緊張しながらも奏を誘う響。
「響先輩と……」
 奏の手が止まる。
「あー! ちょっと、何であんたが奏を祭りに誘ってんの!? 奏はあたしが誘うつもりだったのに!」
 そこへ物凄い勢いで彩歌が割り込んで来た。
 奏を守るように立ちはだかる彩歌である。
「へえ、彩歌ちゃんも祭り行くんだ。じゃあ俺も一緒して良い?」
 更に風雅まで乱入だ。
「はあ!? 何であんたが入って来んの!? どっか行けこのクソ野郎!」
 キッと風雅を睨みつける彩歌。
「でも彩歌ちゃん、大人数の方が楽しくない?」
 風雅は怯んだ様子はなく、彩歌に笑みを向ける。軽薄そうな笑みではなく、優しく真っ直ぐな笑みである。
「でもあたしは奏と……!」
 風雅の笑みに、逆に彩歌の方がペースを乱されたようだ。
「先輩方、祭りに行くんですね。俺もご一緒して良いですか?」
 彩歌の大声が響き渡っていたのか、律の耳にも祭りの話が耳に入っていたらしい。
「おお、律も参加か。賑やかだな」
 風雅がフッと笑う。
「大月さんも行くの?」
「まあ、行く流れになっているみたいだから」
 奏は少し困ったように苦笑する。
 響が誘ったりはずの祭りだが、彩歌の乱入により風雅までやって来て、更には律まで参加することになったのだ。
(何か……急に人数増えたな。にしても、律も参加か……)
 響は奏と律の様子に目を向けて、今の状況に苦笑するしか出来なかった。
「あの……」
 そこへ更に一人加わる。
 詩織だ。
「楽しそうなので私も参加して良いですか?」
 何かを決意したような表情の詩織だ。
(内海も……? かなちゃんは大丈夫なのかな?)
 かつて奏は詩織にメトロノームなどを壊されたり悪意を向けられていた。だから響は心配になったのだ。
 しかし当の奏は特に気にした様子ではない。
(かなちゃん、気にしてない……のかな)
 響は奏の様子に少し安心した。
「おお、かなり大人数になったな。まあ賑やかだし良いか」
 風雅があっさりと詩織も許可した。
 奏とのトラブルもあったが、詩織は爪弾きにされることはなかったのだ。
 こうして、土曜日の祭りには、響、奏、彩歌、風雅、律、詩織の六人で行くことになった。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 そして土曜日になった。
 待ち合わせ場所の駅には既に律が来ていた。
「小日向先輩、こんにちは」
「おう、律」
 響は軽く手を上げ、律が待つ場所へ向かう。
 この日は祭りなので、駅には浴衣姿の人がそこそこ多かった。
 響と律は私服である。
「他の人達はまだ来てないみたいですよ」
「そうか。まあまだ待ち合わせ時間まで十五分あるもんな」
 響はスマートフォンで時間を確認した。
「小日向先輩は内海さんと一緒じゃないんですね。同じ中学出身だから最寄駅も同じはずなのに」
 律の表情は、爽やかだが、何を考えているのか分からない。
「内海? 確かに最寄駅は同じだけど、この駅で待ち合わせだから別に一緒時をなくても合流するしな」
 響はやや怪訝そうな表情だった。
「そうですか」
 律は相変わらず爽やかだが何を考えているのか分からない表情のまま、響から目をそらした。
(律……同じ部活だけど、そういえばかなちゃんがいない時にはあまり関わったことがなかったな)
 ふとそれを思い出す響。
 奏が入部した時も、響が奏を夏祭りに誘おうとした時も、決まって律がやって来ていた。更に、期末テストの勉強会の時は律だけ奏に焼き菓子のお土産を渡していた。
(律、やっぱりかなちゃんのことが……)
 モヤモヤとした不安が響の胸の中に広がった。
「おう、響、律。二人共早いな」
 そこへ風雅が軽薄そうな笑みでやって来た。風雅も浴衣ではなく普通の私服姿だ。
 彼が来たことで響は少しだけホッとしたような気分になる。
 何となく、律と二人だけでは気まずかったのだ。
「朝比奈先輩も時間には間に合ってますよ」
「まあ女の子達を待たせるわけにもいかないからな」
 律の言葉に風雅は軽薄そうにハハッと笑う。
「風雅、お前相変わらずだな」
 響は苦笑した。
「そうだ、二人はオープンキャンパスどこ行った?」
 風雅がそう話を振る。
「俺は近隣の国立の教育学部と教育大に行った」
「響は教員志望だったもんな。俺はとりあえず近隣の国立大学の経済学部と経営学部と文学部。後、私立も行った」
「先輩達二校も行ったんですね」
「律は一つだけか?」
 風雅がそう聞くと律は頷く。
「はい。今の所、国立一つ行きました。でも、吹奏楽部の合宿前に家族で京都に旅行するので、その時に京都の国立大学のオープンキャンパスにも行く予定です」
「マジか」
 風雅はフッと笑った。
 その時、駅の改札口から浴衣姿の女子二人が見えた。
「あれは……大月さんと天沢さんだ。おーい、大月さん、天沢さん、こっち!」
 律が奏と彩歌を見つけて手を上げる。
 するとそれに気付いた奏と彩歌が響達の元へやって来る。

 紫の生地に白い百合の柄の浴衣を着た奏。水色の帯が涼しげだ。真っ直ぐ伸びた長い髪も、サイドの低い位置でまとめている。
 赤い生地に白い牡丹の柄の浴衣を着た彩歌。帯は黄色で派手である。巻かれたミディアムヘアをハーフアップにしていた。

「お待たせしました」
 奏が柔らかな笑みを浮かべる。
 彩歌は挨拶もなしにフイッと男子勢から顔を背けている。
(かなちゃん……浴衣、可愛い……!)
 響は奏の浴衣姿に見惚れていた。
「彩歌ちゃんも奏ちゃんも浴衣可愛いね」
 風雅は上機嫌である。
「うるさい。あたしは奏がせっかくだから浴衣着ようって誘われたから着ただけ。あんたの為じゃない」
「分かってるよ。でもやっぱ浴衣姿って華やかだからさ」
 風雅は嬉しそうである。
「大月さん、浴衣、似合ってるよ」
 爽やかな笑みで律が奏にそう言った。
「ありがとう、浜須賀くん」
 奏はややはにかみながら微笑む。
(しまった! 律に先越された!)
 響は焦りを感じた。
 奏と話す律は距離が近いように感じた。それは響にとって十分(じゅうぶん)脅威をなす程である。
 焦れば焦る程、言葉が出ない響。
「すみません! お待たせしました!」
 元気な声が響く。
 詩織だ。
 ショートカットの髪には向日葵の髪飾り。白い生地に橙色の大きな花柄の浴衣。帯も花と同じ橙色である。
 詩織が来たことで全員が揃い、歩き始めるのであった。
 ここでようやく響は奏の隣に行くことが出来た。
「かなちゃん……浴衣、可愛いね。その、凄く似合ってる」
 響は少し赤くなりながら微笑む。
「……ありがとうございます」
 奏は小声で表情を綻ばせた。頬はほんのり赤くなっているような気がした。
「小日向先輩、私の浴衣はどうですか?」
 ひょこっと詩織が割り込んで来た。
「えっと、まあ、良いんじゃないか?」
 響は戸惑いながらもそう答えた。
「ええ、小日向先輩、それだけですか?」
 やたらとグイグイ来る詩織に、響はたじろいでしまう。
 その様子を奏が少し複雑そうに見えいることには気付かない響だった。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 祭りで賑わう街。祭りは夜八時半から花火大会もある。街ゆく人々は皆楽しそうな表情だ。
 しかし、奏はどこか浮かない表情である。
 その原因は、自分の少し前を歩く響と詩織。
「小日向先輩、向こうにたこ焼き売ってますよ。一緒に買いに行きましょう」
 ニコニコと響に話しかけ、彼の袖を少し掴む詩織。
「まあ、確かにお腹空く時間だからな……」
 響は少し後ずさりがちの様子だ。
(詩織ちゃん、響先輩のことが好きって言ってたよね。積極的にアプローチしてる……)
 凄いなと思いつつも、奏の胸の中はモヤモヤとしている。
 自分に向けてくれた響の明るく優しい笑み。もし詩織と響が付き合い始めたら、響はその笑顔を詩織にも向けるのだろう。
(それは……何か嫌だ……。でも、何で……?)
 奏の胸の中に、更なるモヤモヤが広がる。

『あのさ……奏ちゃんは……小日向先輩のことは本当にただの幼馴染としか思ってないの?』

 かつて詩織に言われた言葉を思い出す。
(まさか……こんな時に気付くなんて。……響先輩が、響くんが好きだってことを。幼馴染としてじゃなくて、男の人として……)
 奏は胸が苦しくなった。
「かなちゃん、大丈夫?」
 ふと気付けば、響が奏の顔を覗き込んでいた。
「あ……」
 ハッとする奏。
「ボーッとしてたみたいだけど、大丈夫? まだ暑いから熱中症とか。一応俺水持って来てるけど」
 響は心配そうに奏にペットボトルを差し出そうとする。
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
 奏は響から目をそらしてしまった。
「……そっか。お腹空いてない? 今からたこ焼き買うけど、かなちゃんは食べる?」
「……はい」
 奏はぎこちなく笑って頷くしか出来なかった。
「小日向先輩、人数分買いに行きましょう」
「そうだな」
 詩織にそう言われ、響は彼女と共に屋台へ向かうのであった。
「奏、さっきから元気なさげだけど、本当に大丈夫?」
 彩歌も心配そうである。
「うん、大丈夫。ありがとう、彩歌」
 奏は心配かけないように柔らかく微笑んだ。
「……なら良いんだけど」
 彩歌はまだ心配そうな表情である。
 奏は黙って目線を少し下に下げるのであった。
「大月さん、これ、さっき駅で買ったんだけど、一つ食べる?」
 コソッと律が鞄からあるものを取り出した。
 キャラメルである。
「うん、じゃあもらおうかな。ありがとう、浜須賀くん」
 奏は律からキャラメルを受け取り、口の中に入れた。
 ミルク感のある甘さが口の中に広がる。その甘さが、奏の心を少しだけ落ち着けてくれた。
「良かった。さっきよりちょっとだけ元気そうだ」
 ホッとしたような表情の律。
「ごめんね。私、みんなに心配かけちゃってるみたいだね」
 奏は少し申し訳なくなった。
(これは私の極めて個人的なことだから、彩歌や浜須賀くんを巻き込むわけにはいかないよね)
 奏は心を落ち着ける為に軽く深呼吸をした。
「お祭り、楽しみだね」
 奏はふふっと微笑んだ。