ある日、茅都さんから連絡があった。
『大切な話がある。僕の家で話すことはできる?』
 そんな文章が送られてきた。
 そんなに大切な話なのか。
 わたしは雲龍家に行った。
 車など用意されるわけでもなく。
 少し遠かったが歩きで行った。
「あ、あの……綾城妃翠と申します。茅都さんとお話があって参りました」
 インターホンを鳴らし、雲龍家の人に話す。
『承知いたしました。今門を開けますね』
 そう言われ、大きな洋風の門が開いた。
 初めて雲龍家を見る。
「なによここ……別世界じゃない」
 思わずそう言葉に出てしまった。
 本当に異国に来たかのような家だった。
ㅤ家というよりかは城といった方がいいだろう。
「妃翠」
 そう名前を呼ばれ声の主の方を見る。
「か、茅都さん」
 わたしが失礼なことを言ってしまってからは顔を合わせていなかったので少し気まずい。
「こっちに来て」
 わたしは言われるがまま茅都さんについて行く。
 雲龍家の玄関の扉が開く。
 白い大きなドアは金色の縁で彩られている。
 家の中も広くて綾城の家よりも広い。
「……妃翠さん」
 少し低く、貫禄のある声。
「ご、ご当主さま……お邪魔しております」
 わたしたちの後ろには雲龍家の当主、真弥さまがいた。
ㅤわたしは真弥さまの方を見てぺこりとお辞儀をした。
「今日妃翠さんを呼んだのはキミたちの同棲についてだ」
 同棲という言葉にわたしは硬直する。
「同棲、ですか……?」
 わたしの問いかけに真弥さまは頷いた。
「いずれ茅都と妃翠さんは結婚する。そのときは一緒に住むだろう。結婚してからの同棲は慣れないことの方が多いし心の準備ができないだろう」
 真弥さまは一息つく。
「だから、明日から二人は同棲してみるのはどうだろうか」
「え、えぇ⁉」
 わたしの声が長い廊下に響く。
「す、すみません。驚いてしまって……」
 身体を縮めて謝る。
「ははっ。驚くのも無理はない、あちらの部屋で詳しく説明しよう」
 わたしたちは白い大理石が基調となっている部屋に来た。
「まずは住む家の話だ。住む家は両家とは少し離れた家になっている。……雲龍から使用人を送ることも可能だが、二人はどうしたい?」
 真弥さまが聞くと茅都さんは首を横に振った。
「僕はいなくても平気。……妃翠は?」
「わたしもいなくても大丈夫です」
 真弥さまは「わかった」といい、立ち上がった。
「まあ、話はそんなところだ。……ああ、大切なことを言い忘れていたよ」
 真弥さまはわたしたちの瞳をじっと見た。
「この縁談は断ることも可能だ。同棲してみて本当にお互い嫌になったりしたら逃げてもいいのだ。それを試すためのものだからな」
 真弥さまはそう言い残して去って行った。
「妃翠、父さんが言ってた通りだ。一番に優先するのはお互いの気持ちだ」
 茅都さんはそう言った。
 自分の気持ち。
 その言葉はなぜだかわからないが心が温まる気がした。
「ええ。わかったわ。今日はありがとう、また明日」
 わたしは立ち上がり家に帰る。



 ついに家から出れる日が来た。
「……お父さま、継母さま、お姉さま行って参ります」
 特に別れの惜しみもなく。
「妃翠、能力を使ってはならない。相手は雲龍家だ。……わかっているな?」
 お父さまから放たれる威圧感。
 お父さまはそう言うが、わたしの能力は自分でコントロールできるものではない。
「はい。重々承知しております」
ㅤけれど、ここでそのことを言ってしまうとお父さまからは罵倒され、継母さまからは殴られてしまうのだろう。
ㅤそれは避けたいことなので、余計なことは一切言わないでおく。
 冷たい瞳でわたしを見る継母さまはなにも言葉を発さず。
(──目障りなものがやっといなくなるのね。捨てられても家には入れてやらないわ)
 継母さまはいつまでも冷たいのだ。
(──妃翠……)
 乃々羽お姉さまはただそれだけしか心の中で呟いていなかった。
 わたしはそれでもお姉さまと話すことはなかった。
 わたしは歩いてこれから住む家に行った。
 荷物はそれほどなく小さなスーツケースで収まった。
 荷物はお母さまの形見や衣類、そのほかの生活必需品だ。
「妃翠、こっちだよ」
 用意された新居にはすでに茅都さんがいた。
「……ほ、本当に同棲するの?」
「そうだよ?いずれ結婚するんだし」
 結婚という言葉についつい顔が赤くなってしまう。
 わたしと茅都さんは家の中に入る。
 家は和モダンの家だ。
 中はとても綺麗で文句などひとつもない。
 わたしが圧倒されていると。
「そろそろご飯食べない?……外も暗くなってきたし」
 気づけば時計の針は午後六時を回っていた。
 春だからなのか六時を過ぎても少し明るい。
「そうね。……あ、わたしご飯つくるわ」
 綾城の家にいたときも使用人はわたしなどいないかのように扱ってきたので夕食がない日もあった。
 けれど、夕食がない日は決まって継母さまの機嫌が悪いとき。
 つまり、わたしへの当たりが強い日だ。
 そういう日はこっそり台所を使って料理をしていたので、家事全般はできるのだ。
 料理はその中でも得意なほうだ。
「いいの?」
 茅都さんは目を開く。
「もちろんよ。料理は得意だもの」
 そういうと茅都さんは。
「ふーん」
 それだけを言ってわたしに近づてきた。
「な、なに……っ?」
 近づくだけかと思っていたら。
「──……ひゃっ」
 急に抱きつかれた。
「な、なななにしているのよっ!」
 動揺しているのがわかりやすいわたし。
「なーに。ただ抱きついてるだけじゃん」
 さらりと言う茅都さん。
「ただ抱きついてるって……こ、恋人でもないんだから……っ」
 咄嗟にそう言ってしまった。
 今思えばわたしたち恋人同士でもないのに同棲しているのではないか。
「恋人じゃないって……確かに付き合ってはないけど、婚約者じゃないの?」
 きょとんとする茅都さん。
「婚約者ではあるけれど……その、きょ、距離が近いというか……」
 わたしは恥ずかしくて茅都さんと目が合わせられない。
「そうかな?まあ、可愛い妃翠見れるからお得だと思わない?」
 可愛いという言葉にボッと顔が爆発しそうになる。
「お、お得じゃないわよ!」
 わたしは茅都さんを引き離し、夕食の準備をする。
 今日の夕食は。
「わぁ。めっちゃ美味しそう。これしょうが焼き?」
 わたしの得意料理。
「そうよ……お口に合うといいのだけれど」
 わたしがそう言うと茅都さんは「いただきます」といって箸を進めた。
「──……!うますぎる!」
 茅都さんはわたしを見て、瞳をキラキラさせている。
「よ、よかったわ。……じゃあ、わたしもいただこうかしら」
 わたしも椅子に座り、箸を持つ。
「……ねぇ、本当に夫婦みたいじゃない?」
 突然、そう言われしょうが焼きを吹き出しそうになった。
「けほけほっ」
 思わず蒸せてしまう。
「大丈夫?お水でも飲んで──」
「茅都さんがその……ふ、ふ、夫婦なんて言うからでしょう!」
 茅都さんから渡された水を一気に飲み干す。
「ぷはっ。本当にいきなりなにを言い出すのよ……」
「ごめんごめん。ただ思ったことを言っただけ」
「それがわたしの心臓を壊しに来てるのよ!」
「妃翠って本当に男に免疫ないんだね」
 わたしたちはつい先月高校を卒業したばかり。
「そ、それは女子校出身だからって前にも言ったじゃない」
「ふーん。そういえば言ってたね」
 ふと思ったことがある。
「茅都さんは女の子に慣れてるの?」
 わたしがそう聞くと茅都さんは水を吹き出しかけた。
「え、ちょ、大丈夫?」
 わたしが慌てて声を掛けると。
「妃翠からとんでもない言葉が出るからでしょ。急に女の子に慣れてるのなんて聞かれたら動揺するわ」
「え?じゃあ、慣れているの?」
「別に普通だよ。特に慣れてるも不慣れでもないよ」
 わたしは頷いた。
「そうなのね。あまりにもスキンシップがすごすぎて……手慣れているのかと思ったわ」
 高校でも女子同士のスキンシップはあったが急に抱きつくなど非常識な人はいなかった。
 それを茅都さんに話すと。
「それただ僕が非常識野郎だって言いたいだけじゃん」
「別にそうとは言っていないわ。ただ驚いたってだけよ」
 その日は疲れてすぐに眠りについた。
 


 スッと差し込む朝陽で目が覚めた。
「んん……」
 まだ眠たくて目が中々開けられない。
「──……妃翠」
 聞きなれた澄んだ低音の声。
「なぁに……?」
 まだふわふわする。
「……」
(──なんでそんなに可愛いの)
 そんな心の声が聞こえてバッと起きた。
「お、おはよ」
 わたしが顔を背けながら言う。
「なんでそっち向くの」
 わたし絶対に顔が赤いから茅都さんの方を向きたくない。
「……別になにもないわよ──」
 わたしはそう言い、茅都さんの方を向く。
「……っ」
 いつの間にか茅都さんの顔が目の前にあった。
「顔真っ赤だよ?なにかあったの?」
 笑いをこらえている茅都さん。
「も、もうっ!からかわないでよ。……というか、なんでわたしの部屋にいるのよっ!変態……!」
 わたしは枕を茅都さんに投げつける。
「ははっ。朝から元気だね~」
 なんてへらへらと笑っている茅都さん。
 同棲を始めたからと言って、すぐに一緒に寝たりするなど大人な行動はしていない。
 それぞれの部屋があり、必要があればお互いの部屋を訪れるというルールを決めた。
「早速ルールを破るつもりかしらっ?」
「あれ、そんなルールあったの?」
「絶対覚えているでしょう……」
「まあ、妃翠も朝ごはん食べよう?そう熱くならないでさ」
「誰が元凶よ!」
 朝から恥ずかしくてたまらない。
 茅都さんは雲龍家が経営する会社の次期社長なので覚えることが山積みらしく朝食を食べ、すぐに家を出て行ってしまった。
 わたしも一日中家にいるのは嫌なので家の近くを散歩することにした。
 家の近くには大きな建物が。
 綺麗な建物だと思っていると看板に。
「……天ヶ紅(あまがべに)学園大学……そういえば、わたし来週入学式!」
 そう、わたしはもう大学生なのだ。
 天ヶ紅学園大学はあやかしのことについて学べたり普通の大学ではあるが少し特殊なのである。
 わたしは興味本位で受験した。
 入学式が来週に迫っていることをすっかり忘れていた。
 今思えば茅都さんだってわたしと同い年と言っていた。
 彼も大学生になるのだ。
 けれど、わたしは茅都さんが通う大学を知らない。
 今日帰ったら聞かなくては。
 わたしは散歩を済ませてから家に帰った。
「ただいまー」
 わたしが帰って来てから数時間後。
 外が暗くなってきてから茅都さんの声が聞こえた。
「おかえりなさい」
 わたしがそう言うと茅都さんとの距離が近くなった。
「え、ちょっ」
 わたしが慌てていると茅都さんは抱きついてきた。
「んー……疲れたよ。妃翠が癒してよ」
 そう言われるが。
「い、癒すって?マッサージかなにかをすればいいの?」
 わたしが首を傾げると茅都さんは目を丸くした。
「いや、そういう意味じゃないんだけど……妃翠って本当に変なとこ抜けてるよね。これで世間に出していいのかわからないんだけど」
 わたしはハッとした。
「あのね、茅都さん。……わたし、来週大学の入学式だって思い出したのよ。茅都さんは大学の入学式はいつかしら?」
 わたしが勢いよく聞いたものだから茅都さんは少し驚いていた。
「妃翠と同じ来週だけど。妃翠は大学どこなの?そういえば聞いてなかったね」
 わたしは天ヶ紅学園大学だと答えると。
「やったね、一緒だ」
 にやりと笑った茅都さん。
「え……?同じ大学?」
「うん、そう」
 茅都さんは頷く。
「えぇ!そうなの?一緒に登校できるのね」
 わたしが笑うと茅都さんはそっぽを向いた。
(──不意打ちとか心臓に悪い……)
 茅都さんは口元を抑えながらそう心の中で呟いていた。



 ついに入学式当日になった。
 緊張でガチガチになっていたわたし。
「なんでそんなに緊張してるの」
 茅都さんはわたしにそう言った。
「な、なんで緊張しないのよ。大学よ?」
 茅都さんは当たり前かのように頷いた。
「うん。そうだよ?別に高校とそんなに変わらないでしょ」
 茅都さんはそう言って大学の門に向かった。
 大学に着くと茅都さんは芸能人かのように大勢の人に取り囲まれていた。
「きゃ~!かっこいい!」
「雲龍家の次期当主ですよね?」
 なんて黄色い歓声が飛んで来る。
「雲龍って冷酷な一族だろ?」
「その噂内容やばいよな……」
 そんな声も聞こえる。
 茅都さんに前、冷酷な一族のことについて聞いたときは一線を引かれてしまったような気がした。
 そんなに触れてはいけないような内容なのか。
 噂の内容などわたしは聞いたことがない。
 それは置いといて、改めて少し離れて茅都さんを見る。
 本当に美形だ。
 モデルでもしてそうなルックス。
 これはわたしが一緒にいたら茅都さんのファンの人に刺されてしまうのではないか。
 わたしはそのことを想像して背筋がゾッとした。
「……考えたことを後悔するわ」
 わたしはボソッと呟いた。
 なんとかホールにつき、入学式が行われる。
 新しい大学というのもあり、とても綺麗だ。
 セキュリティはしっかりとしている。
 入学式でも茅都さんは目立ったていた。
「はぁ……」
 わたしがため息をつくと茅都さんが不思議そうに聞いた。
「どうしたの?疲れることあった?」
「いや……入学式とか卒業式とかわたしあまり得意じゃなくて」
 わたしはこういう行事ごとに家族が来たことがない。
 お父さまには来ていると言えと脅されていたけれど、昔口が滑って来ていないと友達に言ってしまったときはこの世の終わりかと思った。
 お父さまには怒鳴られ、継母さまはわたしを殴った。
 綾城家に悪いイメージがついたらどうするのかと怒られたことがある。
 それからのこと行事というものが楽しめなくなった。
「そうなんだ。ごめんね、気づいてあげられなくて」
 申し訳なさそうに茅都さんが言う。
「か、茅都さんが悪いことなんて何ひとつないわ」
「そう?……無理はしないでよ、明日からは大学生活の始まりなんだし」
 そうだ。
 ずっと夢見ていたこと。
 翌日、一番最初の授業はオリエンテーション程度で終わった。
「……すみません、これ落としましたよ?」
 急にそう声を掛けられた。
「……え?」
 わたしは声の方向を向く。
 後ろには黒髪でウルフカットの人が立っていた。
 わたしの身長はそんなに高くないからなのかその人の顔を見るには相当顔を上げないといけない。
「これ、さっき落としてましたよ」
 差し出されたのは桃色のハンカチだった。
「あ、わたしの……ありがとうございます」
 このハンカチはお母さまの形見。
「……妃翠だよね。久しぶり」
 急にそう言われる。
「え、っと……」
 わたしはその人と会うのは初めてだ。
「え、覚えてない?せなだけど」
 『せな』という名前の人は一人だけ知り合いにいる。
 けれど、その子は女の子だった。
「あの、せなって子は知り合いにいるんですが……女の子だったので人違いかと」
 わたしはそう言ってせなさんからハンカチを受け取る。
「そのせなが俺だっての」
 わたしはハンカチを受け取りかけて固まる。
「え?」
「昔、綾城家の庭で一緒に遊んでたじゃん。それ俺」
 昔、せなちゃんとは家の庭で遊んでいた。
 せなちゃんとの出会いはわたしが庭で拾った子犬だった。
 継母さまと会わないために庭に逃げていたらケガしている子犬を見つけた。
 急いで子犬を抱き上げると子犬が急に人間になった。
『──きゃあ!』
『……痛いなぁ。足ケガしちゃった……きみはだれ?』
 わたしは名前を名乗り相手の名前を聞く。
『せなだよ。よろしくね、ひすいちゃん』
 せなちゃんは天使みたいに可愛くて、わたしが守ってあげないとと思っていた。
 その出会いがあってからお父さまや継母さまの目を盗みせなちゃんと遊んでいた。
「え、えぇ⁉せ、せなちゃんがあなた?信じられない……」
 わたしがそう言うとせなちゃんを名乗る人が呆れたように言う。
「あんたのことは『ひい』って呼んでた。これで『せなちゃん』だってわかるでしょ」
 確かにせなちゃんには『ひい』と呼ばれていた。
 なぜ『ひい』なのかというと、わたしの名前の一番最初と最後をとって『ひい』となった。
 少し信じられた気がする。
 当時のせなちゃんは少し髪が長くてぱっちり二重で誰もが女の子だと思うはず。
「そういえば、あなたの名前は?」
「……真神(まがみ)瀬凪(せな)。あやかしの犬神」
 そう言われ、今までのことを思い出す。
「犬神って……だからあのとき犬の姿だったの?」
「そうだよ。思い出した?」
 わたしは頷いた。
「ええ。思い出したけれど……」
「というか、ひいって大学受験できたんだ」
 一瞬、頭が悪いからできないだろうという感じで馬鹿にされたのかと思ったが、瀬凪くんはわたしが家でどういう扱いなのかを知っているのだ。
「そうね、見事に合格したわ。瀬凪くんがここを受けていたなんて意外だわ」
 わたしが言うと瀬凪くんは首を傾げた。
「そうか?綺麗だから受けたこの大学」
「えぇ……もっとまともな理由があるのかと思ったわ。ふふっ」 
 わたしが笑うと瀬凪くんも笑った。
 瀬凪くんとは別れて家に帰った。
「ただいまー」
 わたしが帰るとすでに家の電気はついていた。
「……おかえり」
 明らかにいつもの茅都さんの声ではなかった。
 とても低い声。
「あの……どうかなさったの?」
 わたしが聞くと茅都さんの顔はムスッとしていた。
「今日のあいつ誰?」
 わたしは首を傾げる。
「誰と言いますと?」
「今日、講義室の前で話してたでしょ。ハンカチかなんかを持ってた」
 そう言われわたしはハッとする。
「あ、瀬凪くんのこと?」
 わたしが聞くとさらに茅都さんの顔が険しくなった。
「なんで名前呼びなの。僕はまださん付けなのに、そいつはくん呼びだし」
「そ、そう言われても……」
 わたしが戸惑っていると茅都さんが口を開いた。
「そいつとどういう関係なの?浮気?」
「つ、付き合ってないけど!……昔遊んでた子なの」
 わたしが言うと茅都さんはため息をついた。
「……妃翠の昔を知ってる奴がいるとか耐えられない」
 茅都さんはそう言い、すぐに立ち上がった。
 けれど、わたしは見逃さなかった。
 茅都さんがすごく切なそうな顔をしていたことを。
 不思議に思ったがなぜだか触れてはいけないような気がした。



 大学生活は楽しくて本当に受験して良かったと思った。
「ひい、飯一緒に食わない?」
 瀬凪くんにそう誘われる。
 わたしは頷いた。
「もちろんよ。どこで食べる?」
 わたしが聞くと瀬凪くんは少し考えて。
「食堂とかはどう?」
「いいわね。行きましょう」
 わたしの言葉とともに瀬凪くんは歩き出した。
 食堂も綺麗で使いやすい。
 わたしが頼んだ学食はハンバーグ定食。
 瀬凪くんはカレーを頼んでいた。
「「いただきます」」
 わたしと瀬凪くんは同時に手を合わせた。
 ハンバーグは最上級に美味しかった。
「そういえば、ひいって今一人暮らしなのか?……どこまで踏み込んでいいのかわからないけど、ひいずっとあの家から逃げたいって言ってたじゃん」
 わたしはずっと家から出て行きたいと思っていた。
 高校はどうしても中高一貫の学校だったので家で過ごしていた。
「……ひ、一人暮らしではないのだけれど……」
 なんと答えるのが正解なのかわからず目線を泳がせながら答える。
「え、付き合ってるの?」
 真面目な顔で瀬凪くんは言う。
「つ、付き合ってはないのよ」
 誰かに茅都さんとの関係を言うのは難しい。
 付き合ってはない、結婚してるわけでもない、ただ同棲しているだけ。
「縁談があって、そのお相手と同棲しているの」
 わたしが少し早口で話すと瀬凪くんの瞳は丸くなっていた。
「は?本気で言ってる?」
「こ、こんなことに嘘はつけないわ」
(──妃翠の相手、誰なんだろう)
 瀬凪くんの心の声が聞こえた。
 わたしから言ってもいいが、言ってしまえば瀬凪くんにまで能力がバレてしまう。
 昔遊んでいたとはいえ、能力のことは言っていない。
 知っているのは綾城の人間だけ。
「マジか。その相手には綾城のこと言ってるの?」
「……言ってないわ。お父さまの圧がすごくて、言う気はないわね」
 わたしが言うと瀬凪くんはため息をついた。
「それさ、いずれ言うことになるんじゃない?……妃翠だったらどう?やっと信用できるかもって思った相手に嘘つかれてたら」
「そ、それは悲しいわ」
 けれど、この縁談だって全ては家のため。
 雲龍家はあやかしでもトップクラスのお金持ち。
 偶然、縁談が綾城家に回ってきただけ。
 政略結婚など愛なんてない。
 それはお父さまと継母さまの生活を目の当たりにしてきたのでわかっている。
 お父さまも継母さまに寄り添っていこうとしていたのだろうか。
 考えれば考えるほどわからなくなっていく。
「だろ?じゃあ、妃翠が落ち着いてきたら打ち明けるべきだと思うけどな。……全部、決めるのは妃翠だぞ」
 そう言って瀬凪くんはいなくなった。
 わたしはとぼとぼと歩きながら考える。
 もし、綾城家での扱いが茅都さんにバレてしまえば茅都さんとは離れ離れになってしまうだろう。
 もし、心の声が聞こえることがバレてしまえば茅都さんに捨てられるのだろう。
 どういう道をたどってもあまり良い方向に運命は働かないようだ。