人々が騒ぐような声が、城の入り口のほうで起こった。
城の庭園にやってきたのは──。
それはそれは素敵な男性だった。
「ど、どなた? あの立派な男性は?」
「素敵! スーツがよくお似合い!」
侍女たちが城の入り口前──庭園の中で騒いでいる。
その注目の男性は、金色の刺繍がなされた白地のスーツを着ている。
このスーツが、すらりとした彼にとても似合っていた。
眉、髪の毛もしっかり整えられている。
囚人──元騎士団長のウォルター・モートンだ。
私も彼のあまりの変わりように、腰を抜かしそうになった。
「ど、どこの王子様かしら! こんな星のような男性、お見かけしたことがありませんわ!」
「は、話しかけちゃおうかしら」
侍女たちが歓声を上げている。
「お、おいっ! 元騎士団長のウォルター先輩だぞ!」
「団長だ!」
「見ろ、ウォルターさんだ! に、二年間の牢屋生活から出てこられたのか? 俺たちは、夢でも見ているのか?」
城の庭園で剣術稽古をしていた騎士団員たちも、大騒ぎをしている。
おそらく騎士団員たちは、ウォルターの無実を知っているのだ……。
「ね、ねえ! アンナ! あの素敵なお方は誰?」
ジェニファーがあわてて私のところに駆けつけてきた。
「ご存知でしょう? 私の召し使いである、元囚人の、ウォルター・モートン氏ですよ」
私が胸を張ってそう言うと、ジェニファーは目を丸くして声を上げた。
「えーっ? あの男性って、あんたがもらい受けた囚人? ウ、ウソおっしゃい!」
「ウソなんてとんでもない。正真正銘の元囚人ですよ。彼に身なりを整えて出てきなさい』と伝えたのです」
「な、な、何で、あんな素敵な方を、アンナのような平民がもらい受けるのよ~っ!」
アンナは悔しそうに、石畳の上で地団駄を踏んでいる。
「あ、い、いや……。これは参ったな」
ウォルターは女性や騎士団員たちに取り囲まれて、案の定、困惑している。
「ちょっと通してくれ。会いたい人がいるんだ」
ウォルターを助けなきゃ!
私は彼に向かって手を振った。
「ウォルター! こっちですよ!」
「アンナ! そこにいたのか」
ウォルターは私の前に歩いてきた。
本当に戸惑った顔をしている。
ちょっとかわいそうね。
「何とかしてくれ。大騒ぎだ」
「皆に歓迎されているじゃないですか。良かったわ」
私はそう言って声をかけた。
しかし、そのとき──。
「何を騒いでいる!」
男性の声がした。
デリック王子が庭園に入ってきたのだ。
デリック王子は私とウォルターに気付くと、ツカツカと近づいてきた。
「誰かと思えば、お前か? ウォルター。この反逆者め……。牢屋から出ることができて、本当に良かったな!」
「デリック王子、お久しぶりでございます。この度は、牢屋から出していただくという恩赦を受けまして、感謝しております」
ウォルターはギラリと目をデリック王子のほうに向けた。
「お、おお」
デリック王子はウォルターの眼光に気圧され一歩後ずさったが、すぐに体勢を立て直した。
王子は私をジロリと睨みつけたが、ウォルターが私の前に立って私を守ろうとしてくれた。
「お前を牢屋から出してやったのには理由がある」
デリック王子は口を開いた。
「俺は明日、ジェニファーとの婚約発表をする。めでたい日だ。だからその記念にお前の罪を軽減させ、お前を二年ぶりに牢屋から出してやることを取り決めた」
「感謝します、王子」
デリック王子は静かに、それでいて力強く言った。
「それはあなたに対する、私の正当防衛が認められた──。そのようにとらえてよろしいのですね?」
「……な、何のことかな?」
デリック王子は額の汗を拭きながらも、ニヤリと笑った。
「に、二年間の牢屋生活は長かったろう。……あっ、そ、そうだ。お前は騎士団長としてよくやっていた時期もあった。多少は小遣いをくれてやってもいいぞ? それとも土地が欲しいか? 荒れ野で良ければな、ワハハ!」
私は「なるほど」と思った。
お金や土地を与えて、ウォルターの無実の口封じをすると……。
しかし、ウォルターは言った。
「金も土地もいりません。できれば──私は元の職務に復帰したいのですが」
「……職務に復帰? どういうことだ?」
「騎士団長に復帰したいのです」
おお……。
周囲にいた騎士団員たちがため息をついた。
まさか、二年ぶりに天才騎士、ウォルター・モートンが騎士団長に復帰する?
これは素晴らしいことだ──。
そのような意味を含むため息だ。
「残念だが、ウォルター」
デリック王子は首を横に振った。
「ジムに聞いたかも知れぬが、現在、騎士団員は百名おり定員に達している。また、騎士団長は俺の信頼する男が就任中だ。おい、ジャッカル! 来い!」
デリック王子が声を上げると、庭園にある詰所の二階のベランダから、誰かが飛び降りてきた。
「お呼びですか、デリック王子」
地面に降り立ったのは、ひょろりとした背の高い男だった。
「久しぶりだねえ、元騎士団長のウォルター・モートン君」
男はウォルターをニヤニヤ笑って見て言った。
「彼は現在の騎士団長、ジャッカル・ベクスターですよ」
ジムが小声で私に説明してくれた。
ジャッカルは細面の青年だ。
「おや?」
ジャッカルはウォルターの後ろに立っている私を見た。
「ほほう、君は……噂の聖女様、アンナさんだね? 君の治癒魔法は評判だ。一度、私の古傷を治療してくれないかな」
ジャッカルは私に向かって、右手を差し出してきた。
握手をしてくれ、ということなのだろうか?
私が握手に応じようか迷っていると、
「ううっ!」
──ジャッカルがうめいた。
ウォルターがジャッカルの右腕を掴んでいる!
「……僕の聖女に手を出すな!」
ウォルターがジャッカルに向かって、低い声で唸るように言った。
──私は恐ろしい予感がしていた。
「争い」が起こる──!
「……僕の聖女に手を出すな!」
ウォルターがジャッカルに向かって、低い声で唸るように言った。
──私は恐ろしい予感がしていた。
「争い」が起こる──!
「ジャッカルよ。ウォルターは君に対して対抗心を抱いているようだ。どうだろう、ウォルター。ジャッカルと剣術勝負をしてみたら」
デリック王子が挑むように笑いながら言った。
「それは良いですな、王子」
ジャッカルは自信ありげに私を見やった。
「私が勝ったら──そうですね。その聖女アンナ・リバールーンをいただきましょうか」
「なに?」
ウォルターは眉をひそめている。
私は(困ったな……)と戸惑った。
ジャッカルはふふん、と鼻で笑った。
「ウォルター君、この際はっきりさせようじゃないか。元騎士団長と、今の騎士団長──つまり私とどっちが強いか」
「……望むところだ」
「では、木剣を持ってきてくれ」
ジャッカルが侍従に言うと、侍従は急いで詰所に入り木剣を二つ取ってきた。
「だめ! やめて、ウォルター」
私はあわててウォルターを止めようとした。
彼は牢屋生活でお粥だけの食事をしていた。
そして日の光を浴びない生活をしてきた。
一見、彼は元気そうに見えるが、彼の体を覆う「気」が少ない。
気とは体内から放出する「気」のことである。
「あなたは二年間も牢屋に入っていたのよ! 一ヶ月はしっかり休んで──」
「大丈夫だ。何も心配するな」
ウォルターは木剣を持ち、静かに言った。
「二年間も牢屋に入っていたわりには、元気そうじゃないか? ウォルター君」
ジャッカルは木剣を手に取り、それをながめつつ言った。
「ふむ、良い木剣だ。これならば良い勝負になろう──」
鋭い音がした。
ジャッカルがウォルターに向かって、木剣を斜め左から振ってきたのだ。
乾いた音が響き、ウォルターが自分の木剣で攻撃を受け止めた。
「卑怯な! ジャッカル!」
私は声を上げた。
ウォルターはまだ試合を正式に了承していないのに──!
「試合の形式やルールすら、まだ決まっていないわ!」
「ルールだって? 戦場にそんなものがあるのかねえ? ここだっ!」
ジャッカルは素早く前に出てきて、木剣を突いた。
しかしウォルターはそれを見切って、横に避けた。
「え? うあっ……」
ジャッカルは勢い余って、よろけて転んだ。
素早くウォルターが、木剣をジャッカルに向かって振り下ろす。
「ひ……いっ!」
ジャッカルはそううめき、横っ飛びをしてそれをかわして立ち上がった。
ジャッカルが立ち上がった瞬間、彼の首筋にウォルターの木剣が当てがわれていた。
す、すごい! 速い!
私はウォルターのあまりの強さ、よどみのない動きに呆然としてしまった。
「これは勝負あった! ウォルターさんの勝ちだ」
「まるで動物をおびき出すようなウォルター殿の攻撃!」
「さすがウォルターさん! 真剣ならばジャッカル騎士団長は首筋から血が噴き出していたぞ!」
その場で見ていた人々が歓声を上げた。
「いやぁ~、参った参った」
ジャッカルはそう言いつつ、笑顔をつくった。
「ウォルター君、君がここまで強いとはねえ。……私の負けだよ」
彼はそう言いつつ……!
木剣をまたしても振り上げ、ウォルターの頭目がけて振り下ろした。
まさか? しょ、勝負は決まったのに!
だが、ウォルターはそれをも紙一重で後ろに避け──!
逆にウォルターはジャッカルの右脇腹を、横に払った木剣でとらえていた。
木剣は、右脇腹に当たる直前で止めたが──。
「あ、うう!」
ジャッカルはバランスを崩して、地面に倒れ込んだ。
右脇腹をかばい地面に倒れ込んだので、鈍く情けない音がした。
「な、何なんだお前は……! ウォルター、貴様は一体……」
ジャッカルは地面に尻もちをついて、ウォルターを見上げた。
「僕は元騎士団長だ」
ウォルターはジャッカルに言った。
「う……く……くそおっ!」
ジャッカルは地面に座って、悔しそうにしてわめいた。
そしてため息をついて、木剣をウォルターに向けて地面に置いた。
これは騎士道の「負け」の合図である。
ウォルターの勝利だ……!
「おお!」
周囲の人々は歓声を上げウォルターを祝福した。
「ウォルター様、素敵!」
「見事な太刀筋でしたぞ、ウォルター殿!」
私は胸を撫でおろしたが──。
「お、おのれっ、ウォルターめ!」
そう声を上げたのはデリック王子だった。
「ジャッカルのバカタレがっ! こんな囚人に負けちまうとは!」
王子がジャッカルを叱り飛ばしている、そのとき──。
「まったく、何をくだらないことをしているの!」
鋭い女性の声が周囲に響いた。
こ、この声は!
そこにいる全員があわてて──私も含めて──背筋を伸ばした。
高貴な真っ白いドレスを着た、「あの女性」が庭園に入ってきたからだ。
「これは一体、どういうことか! なぜ囚人のウォルター・モートンが外に出ている!」
デリックの母、女王イザベラ・ボルデールがそこに立っていた。
「お前のしわざか? 聖女の小娘……!」
イザベラ女王は私を睨みつけた。
彼女の年齢は五十代後半──。
背が高く痩せた美しい女性である。
しかしその厳めしい顔に、強烈な意志と頑固な性格があらわれていた。
私はデリック王子と婚約していたときから、イザベラ女王に嫌われていた……!
「お前のしわざか? 聖女の小娘……!」
イザベラ女王は私を睨みつけた。
私はデリック王子と婚約していたときから、イザベラ女王に嫌われていた。
「いえ、私は……。デリック王子がウォルターを牢屋から出してやると申し上げました」
私は背筋に、冷たい汗が流れているのを感じながら言った。
「ほーう……? 私は聞いていないが……デリック」
イザベラ女王は、右手に持った扇子を孔雀の羽のようにバサリと広げて言った。
な、何という威圧感──。
女王──恐ろしい女性だ!
「た、確かに俺……いや、私はそう申し上げました、母上! ウォルターを牢屋から出して良いと!」
デリック王子はまるで兵隊みたい姿勢を正して言った。
「し、し、しかし、最終的にはウォルターの判断に任せました。アンナは、彼を外に出るように焚きつけたのです!」
えっ? 焚きつけた?
「話は分かった。聖女の小娘よ! お前は自分の『女』を利用して、囚人の心を動かしたと」
イザベラ女王はまるで私の心をのぞきこむような表情で言った。
「と、とんでもない! 私は『女』など利用してはいません!」
私は訴えた。
「そもそも、私はお前が気に喰わなかったのじゃ! アンナ」
イザベラ女王は背が高かったので、私を上から見下げた。
「聖女だと? 治癒魔法で人を癒すだと? ふん、きれいごとを。うちの息子までたぶらかしおって! 息子が婚約相手をジェニファーに変更して、やっと安心したわ」
「お、王子をたぶらかしてなんておりません!」
私は抗弁した。
ジェニファーは大貴族の娘で、彼の父のロンダベル公爵は武器商人だった。
彼はイザベラ女王と共謀し、他国に対して武器の商売をして大儲けをしていた。
だからイザベラ女王はジェニファーをかわいがっていたのだ。
──イザベラ女王は右手を上げて叫んだ。
「来たれ! 強者よ!」
すぐに真っ赤な兵士が十名、ウォルターの周囲を取り囲んだ。
あの真っ赤な鎧と兜の兵士は普通の兵士ではない!
女王親衛隊だ!
グレンデル城の騎士団とは別に、女王のために鍛え上げられたグレンデル王国最強の兵士たちである。
「ウォルターを牢屋に入れよ!」
イザベラ女王は叫んだ。
ウォルターは四方八方から剣を突き付けられ、身動きができない。
「な、何をするんです! ウォルターは休ませなければなりません!」
私が叫ぶと、女王親衛隊は私も取り囲んだ。
「ウォルター! 私はここよ!」
私はウォルターに向かって手を伸ばす。
ウォルターもそれに応えるように、手を伸ばした。
しかし、私とウォルターの距離はかなり離れている!
「アンナも捕らえよ! 牢屋に閉じこめてしまえ!」
女王は叫んだが、驚いたことに周囲の騎士団が女王親衛隊とぶつかりあった。
「アンナ様をお守りせよ! ウォルター先輩をお守りせよ!」
ジムが率先して叫んでいる。
ジム……あなた──ありがとう!
騎士団員と女王親衛隊がぶつかりあっているので、私の包囲は一時的に解かれた。
「アンナ! こっちだ!」
庭園の門の外に、馬車が停車した。
御者は親友のパメラ・モナステリオ!
「あんたが城の王の間に呼ばれたと聞いたんで、嫌な予感がして来てやったぞ!」
彼女は二十一歳の女魔法使いだ。
「ウォルター!」
私がウォルターに向かって叫ぶと、ウォルターは女王親衛隊に捕らえられ連れていかれるところだった。
「何やってんだよ! 自分の命を守るのが先だろっ、アンナ!」
パメラの声でハッとして、私は泣きそうになりながらパメラのほうに向かって走った。
何で……何で……こんなことに。
ウォルター!
「乗れえっ」
パメラが叫んだ。
私は馬車の客車に飛び乗ると、すぐに馬車は発進した。
女王はその光景を見ながら私を睨みつけ、自分の扇子を地面に叩きつけた。
「アンナを追え!」
女王親衛隊たちが叫ぶが、騎士団員たちも押し返す。
騎士団員の皆さん……!
ああ、私のせいでイザベラ女王や女王親衛隊に歯向かうようなことをさせてしまった!
「アンナ様を追手からお守りしろ! 女王親衛隊め、ウォルター先輩を返せ!」
ジムが叫んでいる声が聞こえた。
グレンデル城の庭園はもう大騒ぎだ。
◇ ◇ ◇
馬車は全速力で町の大通りを駆っていく。
今日は平日なので、大通りは馬車の通りがほとんどない。
私の座っている客車には幌がなく身を隠せないので、私は体勢を低くしていた。
「どうしてウォルターを助けられなかったのだろう……」
私はそうつぶやいた。
悔しくて仕方なかった。
──客車には私の他に一人、銀髪の小柄な少年が乗っている。
美しい少年だ。
年齢は十七歳から十九歳くらいか?
「あなた……誰?」
しかし銀髪少年は呑気に砂糖がかかった揚げパンを食べている。
御者のパメラは叫んだ。
「追手《おって》が来る!」
今度は女王直属の騎馬隊たちが、私を追ってくるのが見えた。
何てしつこい!
「国境を突っ切るぞっ」
パメラは叫んだ。
この大通り──グレンデル大通りを真っ直ぐ進むと、隣国ロッドフォール王国の国境にぶち当たる。
「ネストール・モナステリオ! あんたの出番だよ! 何、呑気に揚げパンに食らいついてんだぁっ!」
パメラはわめく。
「姉ちゃん、俺、戦うの嫌いなんだけど」
銀髪の少年──ネストールは文句を言った。
「あ、パメラの弟なんだ?」
私がネストールに聞くと彼は「そうだよ」とぼんやり言った。
──パメラは叫ぶ。
「いいからネストール! 何とかしろ! このままじゃ牢屋行きだぞ!」
「何で俺が……。わかったよ、終わったらリンゴパイおごってね」
凄まじい音とともに、騎馬隊が追ってくる。
騎馬隊は十名ほど──。
これは追いつかれるか?
「よっ」
ネストールはそう声を上げた。
私は目を丸くした。
彼はおもむろに馬車の客車から、後ろへ飛び出したのだ。
向かってくるのは、十名の騎馬隊──!
パメラの弟、ネストールはおもむろに馬車の客車から、後ろへ飛び出した。
向かってくるのは、十名の騎馬隊──!
一名の騎馬兵が、もう馬車に追いつきそうだ。
「はあああっ」
ネストールの掛け声とともに、鈍い音がした。
ネストールは飛び上がると同時に、騎馬兵の一人の顔を飛び蹴りしたのだ!
ドオオオッ
そんな音がして馬の上の兵士は吹っ飛び、馬は横倒しになった。
ネストールは道路に着地している。
「よし、やった」
御者のパメラが叫ぶ。
私たちの乗った馬車は速度を落とした。
ズドドド
「うあああああ」
「ひえええ」
すさまじい音と声とともに、駆けてくる騎馬隊がその横倒しの馬にひっかかったのだ。
十名の騎馬隊は全員、道路に転げ回っている。
「思ったより、大袈裟なことになっちゃったなあ」
ネストールは走って、ゆっくり走っている馬車に追いつくとまた客車に乗り込んだ。
「ようし! 全速力で逃げるぞ!」
パメラは叫ぶと、馬車の速度を上げた。
「あ、あなた、すごいのね」
私が呆然としてネストールに言うと、彼は真顔で二つ目の揚げパンを食べだした。
「まだ終わってないよ。あれ……弓矢? 当たったら死ぬんじゃない?」
そのとき、後ろに見える騎馬隊の一人が背負ったものを構えたのが見えた。
弓矢を構えている!
「弓矢だって? 何とかしろ!」
パメラが御者席でわめく。
「く、来るわよ! 私が防ぐ!」
私はすぐに「外気」を体に取り込んだ。
最近、治癒魔法以外で魔法を使っていないから、防御魔法がうまくいくかどうか……?
外気とは空気中に浮かぶ「気」のことである。
気は硬化できる性質を持っている。
「このままだと当たるね」
ネストールは揚げパンをかじりながら、モニャモニャ言った。
騎馬兵の弓矢は、鋭い音を立てて放たれた!
「放たれよ、『気』! そして『盾』!」
私が素早く唱えると、馬車に私が放った外気で包まれ──外気は硬化した。
そして──。
乾いた音とともに、外気の盾により弓矢は弾かれた。
「ふうっ……!」
私とパメラは息をついた。
馬車はそのまま進んだ。
聖女が無理に防御魔法を使ったから、つ、疲れた……。
でもまだ難題が残っている。
国境警備員をどう切り抜けるか……?
◇ ◇ ◇
一時間半程度、大通りを突っ切ると、やがて大草原に入った。
目の前には国境の鉄の門がある。
詰所があり、大柄な警備員が二人立っている。
「待て! 全員降りろ! ──三名か」
中年の警備員が声を上げた。
警備員は中年男と若い男だった。
私たちが馬車を降りると、中年の警備員は私とパメラ、ネストールをじろじろ見やりだした。
「何だ? お前ら怪しいな。通行許可証を出せ!」
私は彼が持ったひのきの棒で、右肩を少しコツコツ叩かれた。
ここはグレンデル王国とロッドフォール王国の国境。
通行するには、役所に依頼し作成した通行許可証が必要だ。
門の左右には赤レンガで造られた高さ約二メートルの壁が、長く長く続いている。
「通行許可証は持っています!」
パメラは文書を手渡した。
中年警備員は手渡された文書を見てから、眉をひそめてパメラに返した。
「これはグレンデル王国の役所が発行した通行許可証だな。しかしダメだ。これでは通れない!」
「えっ? な、なぜ? 普段ならこれで──」
「確かに普段ならこの通行証で通せる!」
中年警備員は言った。
「しかし、ついさっき伝書鳩で通達があった。グレンデル城から逃亡者が出たと」
私たち三人はドキッとしたが、表情は変えなかった。
中年警備員は私たちを見やり、大声で言った。
「現在、この国境を通行するには、イザベラ女王とグレンデル城が発行した通行許可証が必要だ。礼拝堂や役所、ギルドの通行許可証では通せない!」
そ、そんなものは持っていない。
そもそも私たちは、そのイザベラ女王に追われる身だ……!
警備員二人はあきらかに私たちを怪しんでいる。
「これからお前らは、取り調べを受けてもらう!」
中年警備員は私たちを睨みつけて言った。
こ、困った……。
このままでは騎馬隊に追いつかれる!
──そのとき!
「父ちゃん」
国境の門のほうでかわいい子供の声がした。
「ん? お、おいっ、ヘンデル! ここに来ちゃいかんと言っただろうが」
中年警備員はそう叫び、あわてて門のほうに駆け寄った。
門の向こうに、六歳から七歳くらいの男の子が立っている。
おや? 珍しい。
口に布製のマスクをしている。
聖女の仕事で病院に行ったことがあるが、肺に患いがある人がマスクをつけているのを見たことがある。
「ずっと家にいなきゃいけないから嫌なんだ……。僕だって外で遊びたいよ……ゴホッ、ゴホッ……」
少年は咳き込みながら言った。
「学校も休まなきゃいけないし。皆と勉強したい」
「だめだ、ヘンデル。家に戻ってろ。すぐに息切れするだろう。母さんに怒られるぞ」
中年警備員は門越しに少年を叱った。
私はヘンデル少年の気を見た。
喉と肺の気がかなり減少している。
となると、肺疾患……。
「彼は何らかのガス、もしくは工場の煙などをかなり吸い、肺を患っていますね」
私が中年警備員に言うと、彼は目を丸くして言った。
「な、なんだと?」
「そうなると喉の内部が狭くなり肺の機能も弱くなって、呼吸ができにくく息切れや咳が出るのです」
「き、貴様……!」
中年警備員は私を睨みつけたが、私は言った。
「私に彼を診せてもらえませんか。私は聖女です。病人を治癒するのが仕事ですよ」
私がそう言うと、中年警備員は若い警備員と顔を見合わせた。
私──アンナ・リバールーン、パメラとネストール姉弟は国境にいた。
国境の門の左右は、赤レンガの壁が長く長く続いている。
「私に彼を診せてもらえませんか。私は聖女です。病人を治癒するのが仕事ですよ」
私がそう言うと、中年警備員は若い警備員と顔を見合わせた。
口にマスクをしているヘンデル少年は、中年警備員の息子だ。
彼は咳こみながら国境の門の後ろに立っている。
「マードックさん」
すると若い警備員が中年警備員に言った。
「私の母は昔、聖女に腰痛を治してもらったそうです。一度ヘンデル君を、この女性に診てもらったらどうです?」
中年警備員のマードック氏はそれを聞いて何か考えていたが──、舌打ちしておもむろに門を開けたのだ。
「お前たちは門を越えてはいかん。聖女を騙っているのならば承知しないぞ。即刻通報する!」
「分かりました」
私はうなずいた。
ネストールといえば草原の岩場に座って、昼寝を始めた。
「ヘンデル、こっちに来てベンチに座れ。この女性がお前のことを診てくれるそうだ」
マードック氏は静かに腕組みをしながら言った。
ヘンデル少年はグレンデル王国側に歩いてきて、詰所の前のベンチに座った。
「やはり喉や肺から出る気の量が少ない……」
私はヘンデル少年を診てつぶやいた。
私の目には彼の喉や肺から漏れ出す気が、とても薄く消え入るように見えている。
正常な人間の気ならば、光って胸全体を包んでいるはずだ。
「これは喉と肺に何らかの疾患があるということです」
私はヘンデル少年の気を見ながら、父親のマードック氏に聞いた。
「ヘンデル君はどのような生活環境で暮らしていたのですか?」
「うーむ……実は三年前にグレンデル王国のローバッツ工業地帯で暮らしていて、だいぶ煙を吸ってしまったようなのだ。一年くらい住んでいたか……」
「今は引っ越しをなされた?」
「そう、今はこの国境付近で生活している。ここの空気はきれいなほうだと思う」
ローバッツ工業地帯で一年だけ生活……。
しかし吸い込んだ煙の量としては、そんなに多くはないと推察する。
「ローバッツ工業地帯には炭鉱があるな。石炭の鉱山だ。周辺には大きな鍛冶屋の村がある」
知識が豊富なパメラが説明してくれた。
「鍛冶屋は石炭を使うので煙は出る。だが、ローバッツ工業地帯で病が流行った話は、聞いたことがない」
私は考え込んでから、ベンチに座っているヘンデル少年に聞いた。
「ヘンデル君、どこが最も辛いですか?」
「ときどき、すごく胸が苦しくなるんだ。そうするともう歩けなくて……ゴホッ、ゴホッ……」
彼はまた咳き込んだ。
私は彼の胸の気をもっと深掘りして眺めた。
おや? よく見ると薄い気の中に深緑色の気が少量、混ざっている。
私が気を診る場合、深緑色は毒をもった物質を示す。
「その濃い緑色の……何それ?」
パメラが首を傾げた。
パメラは治癒はできないが、私と同様に気が見える。
私はヘンデル少年の胸を透視して、肺の中を覗いた。
私の目は、人体の中を透かして見ることができる。
「あっ、これだ!」
私は声を上げた。
肺の奥に緑色の付着物が見えたのだ。
まるで植物の胞子がこびりついているように見える。
あきらかに邪な毒素だ。
「ヘンデル君、これから治癒を開始します」
私はヘンデル少年に言った。
「しっかりと、『天使よ、治癒をお願いします』と言ってください」
「は、はい。『天使よ、治癒をお願いします』」
この言葉が天から治癒魔法を授かるときの言葉の鍵となる。
この言葉を患者に言ってもらわないと、その人に治癒魔法はかからない。
「天使よ、命じます。肺の邪悪な異物を取り除きたまえ」
私は頭の中に浮かんだ図形の通りに指を動かした。
すると、私が透視しているヘンデル少年の肺の中に変化があった。
深緑色の付着物が浮き上がり、粉々になった。
私が肺の中を念で操作し、付着物に変化を与えたのだ。
そして深緑色の粉は肺から出て、毛穴から体外に蒸散《じょうさん》した。
「毒が出たね」
パメラはそう言ってニヤリと笑った。
「えっ? な、何だ? ど、どうなったんだ?」
父親のマードック氏は心配そうに息子のヘンデルを見た。
「あれ?」
ヘンデル少年は胸をさすってけろりとして言った。
「胸が……胸が苦しくないよ。喉も痛くない」
「ヘ、ヘンデル!」
マードック氏がヘンデル少年を抱きしめようとしたが、私はすぐに止めた。
「だめです。まだ終わっていません。パンを用意してください」
「は? パ、パン? あの食べるパンか?」
マードック氏は目を丸くした。
パンの使用。
これが聖女の治癒魔法の仕上げである──。
「ヘ、ヘンデル!」
マードック氏が息子のヘンデル少年を抱きしめようとしたが、私はすぐに止めた。
「だめです。まだ終わっていません。パンを用意してください」
私が言うと、マードック氏は驚いたようだ。
「パンだって? な、何に使うんだ? パンは持ってきていたが、昼飯に食べてしまったぞ」
「ぼ、僕もです」
マードック氏と若い警備員は私に言った。
パンは「聖なる食物」であり、治癒魔法の仕上げに重要なものだ。
私が(さて、どうしようか……)と考えていると……。
「パンあるよ。揚げパンだけじゃお腹すいちゃうからね」
するといつの間に起きていたのか、ネストールが私の後ろから声をかけてきた。
ネストールは私に袋に入った角切りパンを手渡してきた。
このパンなら、私の理想通りに治癒魔法は完了する!
「お前、パン好きだな! 太るぞ!」
姉のパメラが呆れたように声を上げた。
さっそく私はパンをもらい、丸めてヘンデル少年の頭、顔、肩、胸、足に当てがった。
「あ、あれは何をしているんだ?」
マードック氏がパメラに聞いてきたので、パメラは答えた。
「邪な毒素や邪霊を、丸めたパンで吸い取っているのさ。掃除のとき、仕上げに細かいゴミを取ることがあるだろ? あれと同じ」
パメラがすべて説明してくれた。
そして私は使用したパンを、パメラたちの方を向いたまま後ろの草むらに放り投げた。
「パンのほうを見ないで。パンにくっついた毒素や邪霊が再び飛びついてくることがあります」
私はそう皆に説明し、治癒魔法を完了させた。
「ん~」
ネストールがパンを食べつつ、モニャモニャと何か言いたげだ。
「さっきから言いたかったんだけどさ」
「え? 何だ弟よ」
パメラは眉をひそめて聞くと、ネストールが答えた。
「馬の音がグレンデル大通りのほうから聞こえてくるんだけど」
「な、なにいいっ? それはイザベラ女王直属の、さっきの騎馬隊か? 奴ら、追ってきたんだ!」
パメラは叫んだ。
「マードックのおっちゃん! 国境を通してくれ! 早く!」
「え?」
中年警備員のマードック氏はヘンデル少年を見た。
ヘンデル少年の顔色は良くなっている。
咳も出ていない。
治癒魔法が効いているようだ。
「よ、よしわかった! さっさと行け!」
マードック氏の許可をもらうと、私たちは馬車をロッドフォール王国側に移動させた。
私たち三人はようやくロッドフォール王国に逃げることができた。
マードック氏たち警備員二人は、国境の門を閉めて前方を警戒している。
「それにしても……あのヘンデル少年の肺に入った毒素……。ちょっと気になるな」
パメラは門の様子を見ながら言った。
「ローバッツ工業地帯は、イザベラ女王が買い取った工業地帯のはずだ。確か夫の……つまりデリック王子の父親、グレンデル国王が原因不明の病で臥っていたな」
……確かに怪しい。
まさか……?
「憶測では何ともいえないわ。──でも、今はそれどころじゃない」
「例の元騎士団長様のことか?」
「ええ……ウォルターを助けなきゃ」
「アンナ! お前、本気で助けるつもりか? 彼、再び牢屋の中にいるぞ。どうやって……」
「やらなければ、彼は殺されてしまうわ」
私がそう言ったとき、「ねえ、もう来たよ」とネストールが言った。
馬の蹄の音とともに、一人の馬の乗り手がやってきた。
ん? 一人?
「お、お前たちっ! こんなところにいたのか! 貴様ら~!」
馬から降り立ち、私たちから見て門の後ろに立ったのは現グレンデル城の騎士団長。
ジャッカル・ベクスターだ!
「なーんだ。ジャッカルってやつか。今の騎士団長だろ、お前」
パメラはジャッカルに対して、門越しに言った。
門は閉じられているから、若干、私たちには余裕がある。
パメラは続けてジャッカルに聞いた。
「騎馬隊はどうした? 何であんただけ?」
「き、騎馬隊は全員、馬どもが骨折したから使えん! 治療中だ!」
……結構大変なことになっているようね。
攻撃をしたネストール本人は、伸びをして口笛を吹いている。
「おい警備員、門を開けろ! あいつらは逃亡者だぞ! 俺はグレンデル城の騎士団長、ジャッカル・ベクスターだ。早く!」
「え~……まずは通行許可証を見せてください」
マードック氏はのんびりと言った。
私たちが逃げる時間を稼ごうとしている。
「じゃあ」
私たちはジャッカルにそう言って、とにかく宿屋に向かうことにした。
「おい、戻ってこい! 貴様たち~っ!」
ジャッカルは叫んでいた。
◇ ◇ ◇
ここロッドフォール王国の中央地区、リンドフロムはかなり栄えた街である。
私たちはリンドフロムの小さく目立たない宿屋、「光馬亭」に部屋を取ることにした。
グレンデル王国とロッドフォール王国は昔、戦争をしていたので仲が悪い。
二国は国交を結んでいないのだ。
グレンデル王国の追手から逃れるには、ロッドフォール王国の小さい宿屋に隠れるのが得策だ。
「お前……本気でウォルターを助ける気か?」
パメラは宿屋の部屋で心配そうに私を見た。
──私は答えた。
「ええ。彼は何も悪いことをしていないもの。再び牢屋に入れられる理由はないわ」
「アンナ……お前に関係あることなのかよ?」
「関係あるわ。私が彼を牢屋から連れ出し、問題が起こったのよ。責任を取らなきゃいけない」
「お前なぁ……。真面目だねえ。男だったら他にいっぱいいるじゃん? あたしは恋愛とか結婚とかに興味ないから、よく分からないけどさ」
パメラは私のウォルターに対する淡い気持ちを見抜いているようだ。
さすが魔法使い。
彼女の弟、ネストールは後ろのベッドに寝転がって、リンゴパイを食べていたが──。
「待って……。誰か来たよ」
ネストールはリンゴパイを素早く食べきり、すぐに身を起こした。
彼は無所属の剣士であり、素手の技も扱える強者だ。
そしてまるで猫のように、危機を察知できる特殊能力を持っているらしい。
「ほ、本当? 追手かしら」
私は(こんな小さな宿屋にいるのに見つかった?)と驚いた。
コツコツ……。
扉がノックされた!
「……私が開ける」
パメラはそっと扉を開けた。
扉を開けると……!
「俺だ! 見つけたぞ!」
そこにはジャッカル・ベクスターが立っていた!
元騎士団長と現騎士団長の騒動の数時間後──夕方の十六時。
グレンデル城では──。
私はデリック王子の現婚約者、ジェニファー・ベリバーク。
元騎士団長ウォルターのことが気になって仕方なかった。
婚約者のデリック王子はかっこいい男なんだけどね。
でも、ウォルターはデリック王子とはちょっと違っていて……強くて誠実で真面目な男だし……何よりアンナと密接な関係だっていうじゃないの。
何か腹立つ!
「ロザリー!」
その時間、私は自室でケーキを頬張っていた。
それを食べ終え、部屋の横で私の衣類の整理をしていた、侍女のロザリー・スレイダックを呼びつけた。
「何でございましょう、ジェニファー様」
ロザリーは三十三歳のぽっちゃりした侍女。
私がアンナに隠れてデリック王子と付き合いだし、城にお忍びで通い出していたときからの知り合いだ。
でもこの人、真面目だけど融通が利かないのよね。
私がデリック王子と浮気恋愛していたのを、侍女のロザリーだけは知っていた。
そのことを、ロザリーは何回か咎めてきた。
「ジェニファー様、浮気はほどほどにしませんと」
なんて言ってさ。
今はもうデリック王子は私のものになってるけどね。
「ウォルターに会いたいんだけど」
私が言うと、ロザリーは驚いた顔をした。
「はっ? 今、何と?」
は? じゃないって。
ロザリーはもう一度聞いてきた。
「先程庭園で問題を起こした、あの元騎士団長のウォルター・モートン……でございますか?」
「そうだけど? ちょっと会いたいんだけど」
「な、なぜでございましょう。彼は再び囚人になってしまったのですよ」
「気になるから会いたいのよね」
私が言うと、ロザリーは顔をもっとしかめた。
何? 囚人だろうが何だろうが、カッコ良い男に会いたいのは普通でしょ。
別に王子と婚約していても、他の男に会いに行っちゃダメだという規則はないでしょうが。
しかしロザリーはまた眉をひそめて言った。
「ジェニファー様、ウォルター・モートンは再び牢屋に入っております。そ、その囚人と会いたいとは、どういうつもりでございましょう?」
「気になるから会いたいって言ってんのよ!」
「しかしあなたは将来、デリック王子の妻になる女性なのですよ」
「いいじゃないのよ! 一目見るくらい!」
私はイライラしてきて続けて叫んだ。
「私は王子の婚約者よ! 言うことを聞けないの?」
「は、はあ……分かりました。確か、ウォルター・モートンから中庭で体を動かしたいという要望がありました。夕方の十六時半、中庭でならお目にかかれると思います」
「あら、ウォルターの待遇は良くなったのね。以前は沐浴以外、牢屋から出られなかったんじゃないの?」
「さあ、囚人の待遇に関して私には分かりかねます。ジェニファー様、ウォルターはあくまで囚人ですので、それをお忘れなきよう」
はあ、分かったわよ。まったく。
◇ ◇ ◇
新しい牢屋番──つまりウォルターの担当男性兵士のマックス・ライクが私とロザリーを中庭に案内した。
「そういえばジム・ロークっていう前の牢屋番がいたでしょう? 彼はどうなったの?」
私が一階廊下を歩きながらマックス・ライクに聞くと、彼は答えた。
「彼は反逆罪でこの国から追放されましたよ。イザベラ女王様がそうお決めになりました」
おお、怖い。
イザベラ女王だけは怒らせちゃダメってことね。
「今、ウォルター・モートンはここにおります」
マックスは中庭への扉を開けた。
中庭は城の中央にある、城壁に囲まれた空間だ。
花壇があり大きな広場がある。
「ていっ! はあっ!」
ウォルターは中庭の中央で、白いシャツを着て木剣を持たずに素振りをしていた。
囚人なんだから、武器を持たせないのは当然ね。
彼にとっては、これでも訓練のつもりなのだろう。
「ごきげんよう、ウォルター。午前は大騒ぎだったわね」
私が話しかけても、ウォルターは私を無視して木剣無しの素振りを続けた。
ロザリーやマックスは離れた場所で周囲をうかがっている。
私が、「この中庭にイザベラ女王かデリック王子が来ないか見張っていろ」と命令したのだ。
「ねえ、ウォルター」
私は彼の腕にさわった。
なかなか引き締まっているわね。
最近少し太ったデリック王子とは大違い。
彼は素振りをやめた。
私の美貌を見てしまったら、どんな男でも訓練どころじゃないわよね。
「ねえ、牢屋から出してあげてもいいわよ」
私は右手を突き出した。
「私の手の甲にキスしなさい。そうしたらデリック王子に頼んであげてもいいわ」
私は笑顔で言ったが、ウォルターは黙っている。
「……ねえ! 牢屋から出られるのよ! さっさとキスしなさいよ!」
「僕には大切な人がいるんだ」
「……な、何?」
「聖女アンナだ。彼女のことを裏切れない」
「聖女アンナぁ?」
私は声を荒げた。
「あの平民のいかがわしい、まじない聖女のどこがいいのよっ! その点、私は大貴族よ。王子とは婚約してるけど、あなたと不倫くらいしたってかまわないわ!」
「申し訳ないが」
ウォルターはきっぱり言った。
「聖女アンナは僕を牢屋から一度、出してくれたんだ。彼女は僕の希望の星だ。きっとまた会える──そんな気がする」
「会えるわけないでしょうが! あんた囚人なのよ! さあ、手の甲にキスをしろ!」
「聖女アンナの心は美しい。僕はその心を裏切ることはできない。さあ、帰ってくれ。僕はまた後で牢屋に戻る」
「あ、ぐ、ぐ」
私は目を丸くしてウォルターを見た。
彼は馬鹿みたいに再び素振りをしだした。
牢屋から出られるのを拒否するなんて──こんな男がいるの?
「ふふふ……」
私はウォルターから離れ、ニヤリと笑った。
「逆に燃えてきたわね。絶対にあの男を──ウォルターを振り向かせてやる!」
「何が燃えたんです? 火事でも起こったんですか?」
ロザリーは大ボケをかましたが、私の決意はゆるがなかった。
私は聖女アンナ。
牢屋の中の元騎士団長様を助けたら、女王を激怒させ私も牢屋に入れられそうになった。
そして友人のパメラとその弟ネストールとともに、隣国、ロッドフォール王国に逃亡した。
◇ ◇ ◇
宿屋の部屋の扉がノックされた。
「……私が開ける」
パメラは注意深く、そっと扉を開けた。
「俺だ! 見つけたぞ!」
そこにはジャッカル・ベクスターが立っていた!
「下がって!」
ネストールがナイフを持って私たちの前に出て、ジャッカルを睨みつけた。
ジャッカルは静かに言った。
「……なるほど。こんな小さい宿屋にいたとはな。探したぞ」
「動いたら血まみれだよ」
「おい待て」
「何が『待て』だ?」
ネストールがそう言ってナイフを構えたが、ジャッカルはため息をついて両手を上げた。
「こういうわけだ。何もしない。話をしに来ただけだ」
「ウソをつくなっ」
ネストールがナイフを構えて叫ぶが、ジャッカルは再び静かに言った。
「だからさ、両手を上げてるだろ。話し合いに来たと言っている」
「……何のご用ですか?」
私はネストールの後ろから眉をひそめて、ジャッカルに聞いた。
「とにかく部屋に入れてくれよ。立って話すのも疲れるだろ」
ジャッカルはニヤけつつ、両手を上げるのをやめなかった。
私とパメラは顔を見合わせた。
ジャッカル・ベクスター……現騎士団長。
デリック王子の側近というべき男だ。
なぜこの男が話し合いに来たのだろう?
◇ ◇ ◇
「変なマネをしたら、頸動脈を切るよ」
ネストールが目を光らせてナイフを構えている。
「おお、怖ぇ怖ぇ。こんな用心棒がいたとはな」
ジャッカルは私とパメラの前の椅子に座った。
「どうやってロッドフォール王国に入ってきた? 国境はどうした?」
パメラが聞くと、ジャッカルは首筋をポリポリと掻きながら答えた。
「俺は通行許可証をきちんと持ってるからな。まあ、あのマードックっていう国境警備員はお前らの仲間なんだろ? 一時間かけてやっと俺を通したよ。イライラしたぜ」
マードックさんは時間稼ぎをしてくれたようだ。
国境警備員に通行許可証を持っている者を帰らせる権限はないので、うまく仕事をしてくれたといえる。
だが、問題はこのジャッカルという男がここに来た動機だが……。
「ウォルターは現在、再び牢屋に入っているが……。俺と組まないか? ウォルターを助けてやる」
ジャッカルがおもむろにそう言ったので、私とパメラは驚いて顔を見合わせた。
「な、何だと? お前、グレンデル城の騎士団長でデリック王子の手下だろ。どういう風の吹き回しだ?」
パメラはジャッカルをじっと見やった。
するとジャッカルは舌打ちをして言った。
「もうこりごりなんだよ! あのバカデリック王子がっ!」
そしてわめいた。
「王子は、俺がウォルターとも勝負に負けたことで、俺を騎士団長から格下げにしやがったんだ!」
「格下げ? どういうことだ?」
「騎士団員になっちまったんだよ、俺は!」
「へえ~、そりゃご愁傷様。それが本当の話だったらな」
パメラはニヤニヤして言った。
ジャッカルは疲れた表情で話しを続けた。
「本当だよ。デリック王子は酔っぱらって帰ってくると、弱いくせに俺や俺の部下を殴りやがる! それにあの野郎、勝手にヘナチョコな剣や槍、鎧を買ってきて騎士団の資金をどんどん使っちまうんだ。金の管理は俺の責任になるんだ。たまったもんじゃねえよ!」
「へえ……、おーいアンナ。お前、ずいぶんバカな王子と婚約してたんだな」
パメラにそう言われ、私は赤面した。
「わ、私は仕事で忙がしかったものだから、彼の本性には薄々気付いていたものの……。彼のそういう面には目をつぶっていたことは事実よ。それに……」
「イザベラ女王の目があったんだろ」
ジャッカルが私の代わりに言ってくれた。
「一度王子と婚約したら、あの女王がいるかぎり勝手に婚約解消できないからな。そういう意味では、王子が婚約破棄してくれて助かったんじゃないか?」
ジャッカルの意見に、私は大きくうなずくしかなかった。
──パメラは口を開いた。
「しかしジャッカルさんよ、これであんたを信用した──とはならない」
「何とでも言え。俺はもうグレンデル城の騎士団に在籍するのはこりごりだ」
ジャッカルはため息をつきながら言った。
「聖女アンナさん、パメラさんよ。あんたたちの目的はウォルターを牢屋から助けることだろう? ウォルターを助けるための情報を教えてやる」
「……一応聞いてやるよ。どんな情報だ?」
「まず始めに基本的な情報を話そう。①──ウォルターは再び牢屋に入っている。②──新しい牢屋番にマックス・ライクという兵士がついている。③──前牢屋番のジムはこの国から追放されたらしい」
ジャッカルの言葉を聞いて、私は驚いた。
まさか?
私に協力的だった、あのジムが?
「そして④──明後日、グレンデル城でパーティーを行う。王子とジェニファーの婚約記念パーティーだ」
ジャッカルは続けた。
パメラは私を見た。
私はもうデリック王子に未練はないので、婚約記念パーティーについては何も思わない。
私はジャッカルに聞いた。
「その隙をついて忍び込めと?」
「ああ。牢屋のある地下一階は警備が手薄になる。だが問題は、城の手前の庭園と城の一階の警備が強化されるってことだが……」
「警備が強化されているなら、城への侵入は難しいのでは? 裏口も厨房に繋がっていて、料理人がいっぱいいるし……」
「確かにそうだ。だが君たちなら、堂々と真正面から入り込む方法がある」
「ま、真正面?」
私とパメラは同時に叫んでしまった。
いったいどうやって?
ジャッカルはニヤリと笑った。
「真正面から入り込めたらしめたもの……! とある良い案があるから実行してくれたまえ!」
ここは宿屋、「光馬亭」──。
私とパメラ、ネストールの三人が、ジャッカルとグレンデル城への侵入について話し合ったその二日後。
デリック王子の婚約記念パーティーが始まる四時間前──。
私たちはウォルターを取り返す作戦を開始することにした。
「……よし、それでいい」
ジャッカルが宿屋にきて、私を見て言った。
「こんな格好で行くの?」
私は自分の格好を宿屋の姿見鏡に映した。
私とパメラは踊り子の格好に着替えていた。
肌もあらわで、へそも出して結構恥ずかしい。
私もパメラも髪を後ろでまとめ、髪型をいつもと違うようにした。
「……俺、この格好嫌だ」
そう言ったネストールの服装は曲芸師のものだ。
「三人とも、ブツブツ文句言うな。ウォルターの命がかかっているんだからさ」
ジャッカルは腕組みをして言った。
私たちの衣装は、宿屋の隣の服屋に借りたものだ。
ロッドフォール王国の中央地区、リンドフロムは水商売と娯楽産業が盛んなので、踊り子や曲芸師の衣装を貸し出している服屋が多い。
「踊り子か曲芸師などに変装すれば、城の正面から堂々と入れる」
ジャッカルは私たちを見て真剣な表情で言った。
「なぜならパーティーには、踊り子や曲芸師が多数呼ばれているからだ。それにまぎれていけば、容易に城に入り込めるはずだ」
「おへそ……」
私は姿見鏡を見てつぶやいた。
おなか──おへそが丸出しなのが恥ずかしくて仕方なかった。
世の中の殿方というのは、このような格好の女性が好きなのだろうか。
「このバカみたいな格好をしただけで、城に入り込めるの?」
ネストールは自分のへんてこな曲芸師の格好を姿見鏡で見つつ、顔をしかめながら言った。
「いや、それだけじゃ不完全だ。パーティーの招待券というものがある。俺は十枚ももらっているから、お前らにやるよ」
「招待券を十枚? 何でデリック王子は、そんなに配っているんだ」
パメラは眉をひそめてジャッカルに聞くと、彼は答えた。
「デリック王子の人気のなさは半端じゃない。招待券を俺たち騎士団に手渡し、貴族や王族に配布せよと依頼してきた。まあ豪華な夕食ができて、踊り子と曲芸師のショーを見られるパーティーだから来て損はないって感じか」
ジャッカルは壁掛け時計を見た。
「さあグレンデル王国に行こう。俺の紹介だと言えば、ほとんど怪しまれない。だが、顔は知り合いの侍従や侍女などに見られないようにしろよ。お前らは顔が割れているからな」
◇ ◇ ◇
私たちはネストールが御者をしてくれた馬車で国境に行き、マードック氏に事情を話し通してもらうことにした。
やがて二時間かけて、馬車はやっとグレンデル城近くに着いた。
グレンデル城前の庭園にはすでにたくさんの人々が集まっている。
デリック王子とジェニファーの婚約記念パーティーの参加者だ。
ほとんどが貴族やどこかの王族だと思われるが、平民らしき服装の者もちらほら混ざっていた。
他には踊り子、曲芸師、奇術師、占い師、歌手、演奏家などがいる。
「申し訳ありません。パーティー招待券をご提示ください」
庭園で周囲を見回していると、見回りの若い男性兵士が私たちに声を掛けてきた。
あわてて招待券を提示する。
「踊り子さん、曲芸師さん……? あんたら名前は?」
若い兵士は私やパメラ、ネストールを疑うような目で見た。
まずい──。
すると……。
「彼女たちは俺の知り合いなんだよ。城の中に入らせてやってくれないか」
私たちの後ろについてきたジャッカルが言った。
「なんだ? あんた……」
若い兵士は後ろを振り返り、ジャッカルのほうを見て──。
「あっ、これはジャッカル殿! こ、これは失礼しました!」
彼はあわてて敬礼した。
「こ、この度は騎士団長から降格されたということで、私はとても残念に思っております!」
「あ、ああ、まあな。──とにかく彼女たちを通してやれ。仕事で来てるんだから」
「申し訳ありませんでした! まさか皆さん、ジャッカル殿のお知り合いとは! ではこちらに」
若い兵士は私たちに対して頭を下げ、城の門の前に案内してくれた。
そして門番に話し、門を開けてくれた。
時刻はもう夕方の十七時──夕刻過ぎだ。
(やるじゃん、ジャッカル)
パメラはジャッカルの腕を肘で突っつき、彼に小声でそう言った。
(ゆ、油断するんじゃない。本番はこれからだろ)
ジャッカルは腕をさすりながら言った。
(何とか中に入れるわね)
私はパメラに小声で言った。
さて……ウォルターはどこにるのか。
地下の牢屋だろうか?
◇ ◇ ◇
「パーティー会場は一階大ホールです。よろしくお願いします」
さっきの兵士は敬礼をして庭園に戻っていった。
私たちは安堵の息をつき、大ホール前の廊下に向かった。
「おい」
ジャッカルは一通り見回りをしてきて、大ホール前の廊下にいる私たちに言った。
「すぐの地下の牢屋に行って、ウォルターを救いたいところだ。しかし、マックス・ライクという腕っぷしの強い牢屋番がいる。それに、ヤツは牢屋の鍵を持ち歩いていない」
「鍵はまかせてよ」
ネストールは言った。
「さっきも話したけど、俺は牢屋の鍵でも何でも開けられるからね」
ネストールの特技は鍵開けだ。
昔、盗賊から鍵開けを教わり、自分の特殊技能にしたらしい。
「うむ。鍵については頼んだぞ少年。ただな、さっき友人の騎士団員に会い、情報を聞いたんだが──」
ジャッカルは少し考えこみながら言った。
「ウォルターは前回の地下牢にいるとは限らんようだぞ」
「どういうことです?」
私はジャッカルに聞いた。
「アンナ、あんたは城の左手にある地下一階の牢屋でウォルターに会ったと思う。しかしどうもその牢屋にウォルターがいないらしいんだ。俺もさっきの友人の騎士団員もウォルターの居場所については、あまり知らされていなくてな……」
「じゃあ、別の場所に幽閉されている可能性も?」
「そうだ。だからウォルターの居場所を誰かから聞き出さなくてはならない」
「おいおい」
パメラは顔をしかめた。
「ウォルターの居場所を教えてくれる親切なヤツなんているのかよ?」
「いや、一人思い当たる人物がいる。彼女はこの城の侍女でな……。確かジェニファーと仲が良いロザリーという女性で……」
ジャッカルがそう言ったとき、私たちの後ろから声がした。
「よぉ、踊り子の姉ちゃん。二人とも美人だねえ。俺と遊ばねえか」
振り返ると、そこには酔っぱらっている太った貴族の男が立っていた。
ネストールはナイフを懐から取り出す仕草を見せた。
「こら、無視すんじゃねえ。姉ちゃん、遊ぼうよ~」
貴族の男は真っ赤な顔でヘラヘラ笑っている。
パメラは「ぶん殴って失神させるか……」とつぶやいているが、騒ぎを起こすわけにはいかない。
私は「外気」を体に取り込み始めた。
聖女の魔法を使って──この場を切り抜ける!