聖女と騎士団長様の楽しい濡れ衣逃避行生活~婚約破棄と指名手配から始まる愛の癒やし旅。病気の人を魔法で治癒します~

「あなたがリースマン・リングラムさんですか?」

 私が聞いてもリースマン氏は座って地面を(なが)めている。

 私は右人差し指を立てて、リースマン氏の目の前でゆっくり大きく左右に振った。

 しかし彼の反応はない。

「あ、あの……何をしてらっしゃるんですか?」

 ポレッタが目を丸くして、そう聞いてきたので私は答えた。

「人間は目で物を見ます。こうやって指を振ると、自然と指のほうに目が向くのです。でもリースマンさんはそうならない。──リースマンさん、どうですか?」

 私はリースマン氏の名前を呼びつつ、彼の右耳のそばで手を強く(たた)いた。

 しかし彼はまたもぼんやりしているだけだ。

「お前……何をしとるんだ」

 ゴランボス氏はイライラしつつ言った。

 今度はパメラがゴランボス氏に説明した。

「リースマンさんの耳が聞こえているかどうか、反応を確かめてんだよ。っていうか分かるでしょ、それくらい」

 ゴランボス氏は眉をピクピクさせていたが、私はポレッタに耳打ちした。

(ポレッタ、リースマンさんに気づかれないように後ろにまわって。そしていきなり彼の背中を軽く(さわ)ってください)
(え? は、はい)

 ポレッタはそっとリースマン氏の後ろに回り、彼の背中を(さわ)った。

 それでも彼はまったく反応を(しめ)さない。

「おい、何の悪ふざけなんだ?」

 ゴランボス氏は眉をひそめてそう言ったが、パメラが説明してくれた。

「リーズマンさんに『触覚(しょっかく)』があるかどうかを試してんだよ。人間っていきなり(さわ)られると、『何だ?』という風に反応するでしょ。それがないみたい」
「だから、それが何だというんだ!」

 ゴランボス氏が怒鳴ったので私は静かに答えた。

「リースマンさんの『脳』の『後ろ部分』『両横部分』『上部分』に、何らかの理由で『神経伝達(でんたつ)物質』が()()していないと思われます。問題は脳の部分です」
「何? の……『のう』とは何だ?」
「聖女医学では、頭の中に『脳』というものがあるとされています。人間はその脳で、考えたり物を見たり音を聞いたりするのです」
「そ、そんなバカな。──いや、頭の中に奇妙な(かたまり)があるのは知ってるぞ」

 ゴランボス氏はふん、と笑った。

「人間の頭の中に存在する、シワのある奇妙な(かたまり)だろう? 俺たちの医学ではまだ解明できていない、謎の肉の(かたまり)だ。一応、人間は物を考えるときに、そこを使うと考えられているが」
「ええ、おっしゃる通り、人は思考するとき脳を使います」
「だが、物を見るのは目。音を聞くのは耳だ。その頭の中の肉の(かたまり)なんぞと関係があるわけない!」
「いいえ」

 私は言った。

「『物を見る』『音を聞く』『運動する』『刺激を感じる』……この世の中の事象(じしょう)をとらえる機能が、頭の中の脳という部分に(そな)わっているのです」
「はああ? 何だそれは。か、勝手にそんなデタラメを作るな」
「いえ、聖女医学の知識に間違いはありません」

 私がそう言うと、ゴランボス氏は首を横に振って言った。

「じゃ、じゃあ百歩(ゆず)ってお前の言い分を聞いてやろう。どうしてリースマンは反応を(しめ)さない?」
「それをこれから解明します。私の透視(とうし)能力で脳の中の『神経細胞』と『神経伝達(でんたつ)物質』を見るのです。ただし、これらは目で確認ができませんから、私の頭の中だけで()ることになりますが」
「バ、バカバカしい! 透視(とうし)能力? そんなものがあってたまるか」

 ゴランボス氏は地面を()みつけた。

「俺は帰る!」

 ゴランボス氏はさっさと公園を出ていってしまったが、代わりにラーバスが入れ()わるように公園に入ってきた。

「お、おや? ゴランボス先生だ。君らが心配になって来てみたが」
「怒って帰ってしまわれました」
「な、何だと? そうなのか?」

 私はラーバスに脳の説明をした。

 彼は驚いていたが、やがて深くうなずいた。

「実は私も『頭の中の謎の(かたまり)』の機能について、君の話と似た古い医学の伝承(でんしょう)を聞いたことがある。頭の中の謎の(かたまり)……つまり君の言う脳──が人間のほとんどを(つかさど)っていると。……で、これからどうするんだ?」
「リースマン氏の頭の中を()ます」
「な、何?」

 私は驚くラーバスを尻目(しりめ)に、リースマン氏の頭の中を透視(とうし)した。

 私の頭の中に彼の脳の映像が入り込んできた。

 外面的には問題ない脳だ。

 だが、神経細胞に伝わる神経伝達(でんたつ)物質の伝わり方がおかしい。

 神経伝達(でんたつ)物質は実際に見えるわけではなく、「光」として流れが見える。

 光はネズミが排水管(はいすいかん)を動き回っている様子に似ている。

 だが、その光が脳まで行き届いていないようだ。

「神経伝達(でんたつ)物質の流れが悪いね」

 パメラも透視(とうし)能力を使いながら言った。

「そのくせ彼の内臓には毒の『(アーダ)』が見えないし」
「ええ」
「──毒性がなく脳に作用するもの……。酒飲みのおっさんが『お花畑が見えるぞ』とか言ってるけど、あれと似たようなものかな?」
「お酒……」

 私は頭にひらめくものがあって言った。

「もしかしてお酒に近い、それ以上に気持ちの興奮(こうふん)鎮静(ちんせい)幻覚(げんかく)作用のある物質を体内に取り込んでいるのでは」

 私が言うと、パメラとラーバスは顔を見合わせた。

 閉ざされていた扉が開いた──と思った。
「もしかしてお酒に近い、それ以上に気持ちの興奮(こうふん)鎮静(ちんせい)幻覚(げんかく)作用のある物質を体内に取り込んでいるのでは」

 私が言うと、パメラとラーバスは顔を見合わせた。

 しかし私はこの問題──死霊(しりょう)病に対して、かなり人の悪意が(およ)んでいることを感じていた。

 何者かが意図(いと)的に、巧妙(こうみょう)に人を苦しめている……?

 ◇ ◇ ◇

 リースマン氏はよろよろと芝生(しばふ)広場を立って、公園を出ていってしまった。

「知らない人に会って(つか)れてしまったのでしょう。彼は家に帰ると思います」

 ラーバスは言ったが、パメラは「あたしを(おそ)っておいて(つか)れたはないもんだ」と怒っていた。

 グール()──いや、死霊(しりょう)病になった人間は記憶があるのだろうか?

 それも疑問だが……。

「彼らの食事を知りたいのです。それがこの事件の鍵になります」

 私がラーバスに言うと、彼は深くうなずいた。

「口で話すよりも実際に患者(かんじゃ)の家に行ってみましょうか。近くにデアーチェ・ロゼタンという六十歳の婦人(ふじん)がいます。彼女はグール()したことはあるが、回数は少ないはず。昼間は危険性が比較(ひかく)的少ないと思われるが……。彼女の家に行ってみましょう」
「ラーバス先生、私はゴランボス先生の様子を見てきます」

 ポレッタが言うと、ラーバスはため息をついて「頼みます。ゴランボス先生を怒らせるとお金が入ってこないですからね」と言った。

 やはりゴランボスという人は、この街にとって重要な人物なのだ……。

 ◇ ◇ ◇

 私たちはジャッカルと合流し、デアーチェ・ロゼタンさんの家に向かった。

 ジャッカルがブツブツ言った。

「おいおい、俺、グールになりそうな女の家に行くなんて嫌だぜ」
「いいからさっさと来な。危険な目にあったら(たて)になるヤツが必要なんだから」

 パメラはジャッカルに言った。

 ──比較(ひかく)的きれいな白いモルタルと石作りの家が川の前にあった。

 これがデアーチェ・ロゼタンさんの家か。

 中に彼女はいるのだろうか?

「デアーチェさん」
 
 私たちはそう呼びかけつつ、玄関のベルを鳴らした。

 しかし反応がなかったので、「お邪魔します」と言ってそっと彼女の家に入った。

 (とびら)(かぎ)はかかっていなかった。

 ──年配の女性が椅子(いす)に座って猫をなでている。

 目の焦点(しょうてん)が合っていないが、ほのぼのとした光景だ。

 しかし!

 彼女は突然立ち上がり──いきなりパメラ目がけて飛びかかってきた。

「う、うわああああ! まただ!」

 パメラが背中から抱きつかれた!

 デアーチェさんは衣服を着ていたが、(はだ)が紫色で爪が長く伸びていた。

 口には(きば)が生えている。

 グール()だ!

「くそ、昼間のグール()現象か!」

 ジャッカルがデアーチェさんを後ろから(かか)え、床に投げ飛ばした。

 しかしデアーチェさんは立ち上がろうとしている。

「近づかないで! デアーチェの爪で引っかかれたら『病原体(ビボス)』が入るぞ!」

 ラーバスはそう叫んで呪文を唱えた。

 するとデアーチェさんは途端(とたん)に床に倒れ込んで寝てしまった。

 ──強制睡眠(すいみん)魔法だ。

「もう、最低!」

 パメラはわめいている。

 ふう……だけど誰にも怪我(けが)がなくて良かった。

「彼女の食事はこの水分ですか?」

 水が入った(びん)、牛乳の(びん)が床に転がっている。

 机に置いてあったようだが、さっきの(さわ)ぎで倒れてしまったようだ。

 デアーチェさんは床にごろんと寝てしまっているままだ。

「グール化《か》した人たちは固形物を一切食べないですね。食事は水分だけです。栄養が不十分なので心配ですが、固形物の食事を受け付けないので仕方ないですね。あ、それと……」

 ラーバスは注意するように言った。

(びん)には一切(さわ)らないように」
「おっ! 赤ワインだ!」

 ジャッカルが(うれ)しそうに声を上げた。

 見ると机の横に赤ワインの(びん)が置かれている。

 (びん)に貼られているラベルを見ると「赤ワイン」と書いてあるが、(びん)は銀色で非常に珍しい。

 口は開いているが中身はたっぷり入っているようだ。

 コルクは無いようだが……。

 ということはかなり酸化(さんか)して()っぱくなっているはず。

「よさそうな葡萄(ぶどう)酒じゃないか」
「き、君! (びん)(さわ)るなと言っているでしょう!」

 ラーバスはジャッカルに注意したが、彼は少し赤ワインを手に出してなめてしまった。

「ちょっと味をみるだけだって。……おや? ものすごく甘いぞ。『エード』みたいだ」
「えっ? ものすごく甘い?」

 私は首を(かし)げた。

 それはおかしい。

 赤ワインは酸化(さんか)すると()っぱくなるはずだ。

 私もこの赤ワインを少しなめてみた。

 ちなみにエードとは柑橘(かんきつ)類などの果汁に、砂糖や香料で味をつけた飲料だ。

「アンナ! 君まで……」

 ラーバスは声を上げたが味をみてみないと始まらない。

 少量だ、問題はない……と思う。

「この味は……!」

 甘い……赤ワインにしては驚くほど甘いといえる。

 何か嫌な予感がする。

「甘すぎる葡萄(ぶどう)酒に注意せよ」

 聖女医学の教えにそうあったことを思い出した。

 ……そ、そうか!

「私はさっき『お酒に近い、気持ちの興奮(こうふん)鎮静(ちんせい)幻覚(げんかく)作用のある物質を体内に取り込んでいるのでは』と言いました」

 私は皆に言った。

「しかしそれは完璧(かんぺき)推理(すいり)ではありませんでした。──分かりました。死霊(しりょう)病の正体が」
「ほ、本当ですか?」

 ラーバスは目を丸くした。

 私はそれにうなずいた。

「それをお話するために、いったんこの家を出ましょう。新品のこの赤ワインと同じものを手に入れてからご説明します」

 私は死霊(しりょう)病の発生は、ある者が意図(いと)的に行った非人道(ひじんどう)行為(こうい)だと確信した。
 僕──ウォルター・モートンが、アンナたちのいるゾートマルクの街から馬車で旅立ったのは四時間前だった。

 御者(ぎょしゃ)は僕だ。

 当然客車(きゃくしゃ)には誰も乗っていない。

 馬車は荒野(こうや)を進んでいく。

 これから白魔法医師たちの(かく)(ざと)があるルバイヤ村に行き、今まで知り合った病人たちを救うため、協力者を連れて戻るのだ──。

 ◇ ◇ ◇

 やがて岩場の平坦(へいたん)高台(たかだい)を確認し、その高台(たかだい)の上に家々があるのを見た。

 (おそ)らくルバイヤ村だ。

 僕はすぐ馬車を降り村に近寄った。

 ゆるやかな階段の前には屈強(くっきょう)そうな男が一人、立っていた。

「何だ? お前は」
「僕はウォルター・モートン。騎士(きし)だ」
騎士(きし)だと? ダメだ、帰れ。お前のような者が来る場所ではない。ここは神聖(しんせい)なルバイヤ村だぞ」
「僕が仮住(かりず)まいしている街や村に病人がたくさんいる。ここは白魔法医師の(かく)(ざと)だと聞いた。病気を治してくれる協力者を(つの)っているんだ」

 僕はラーバスに書いてもらった紹介状を彼に手渡(てわた)した。

 入り口の番人と思われる彼は、紹介状を見て首を横に振った。

「白魔法医師、ラーバス・アンテルムの紹介状か。ラーバスという男は知っている。しかし紹介状は偽物(にせもの)かも知れん。悪いがお引き取り願おう」
「頼む、話だけでも聞いてくれ。この村で最も(えら)い人に会いたい。あなたは誰だ?」
「俺はジェイラス・トルセ。このルバイヤ村の入り口の番人だ。それを聞けば満足だろう。さあ、帰ってくれ」

 僕らが()問答(もんどう)しているとき、上から「何をしている?」と声がした。

 あご(ひげ)を生やした老人が岩場の上からこちらを見下ろしている。

「グラモネ様!」

 番人のジェイラスは背筋(せすじ)を正して上を見上げ、岩場の老人に言った。

「この者が村に入らせろと言って聞かないのです」
「ふむ……誰だ? 君は」

 老人が僕を見て聞いてきたので僕は答えた。

「僕は騎士(きし)のウォルター・モートンです」
「ウォルター……モートン……騎士(きし)……だと?」

 老人は驚いた顔をしているように見えたが、そのとき……!

「ゴブリングールだぞ!」

 村の右側から大声がした。

敵襲(てきしゅう)! 敵襲(てきしゅう)!」

 一人の若者が見張り台に立って叫んでいる。

 ゴブリン……グール? 敵襲(てきしゅう)か?

 (せま)ってくるのは普通のゴブリンではないらしい。

 僕が東のほうを見ると、そちらには墓地(ぼち)があり何かがゾロゾロと歩いてくる。

 ……魔物だ!
  
 その数、約二十数匹!

「どけい!」

 ジェイラスは僕を押しのけて腰の剣を引き抜いた。

 魔物はどんどん近づいてくる。

 僕も剣を取り出した。

 (ひさ)しぶりに真剣を使用する!

「グウウウアアアア」

 そんな魔物のうめき声が聞こえてくる。

 僕は魔物の大群(たいぐん)に近づくと(やつ)らの姿を確認した。

 魔物の(はだ)は紫色で爪は伸び、(きば)が生えた──見たことのないゴブリンだ!

「こ、この魔物は……!」

 どこかでこんな魔物を見た覚えはあるが、そんなことを考えている場合ではない。

 戦闘が始まった。

 ゴブリングールは棍棒(こんぼう)を持ち、上からそれを振り下ろしてきた。

 物凄(ものすご)い音を立て、荒野(こうや)の岩を(くだ)いた。

「と、とんでもない力だ! ゴブリンにこんな力はないはずだが」

 僕はうめいた。
 
 左耳元で風が鳴る。

 別のゴブリングールが、左から爪を振り下ろしてきたのだ。

 僕はその瞬間を見逃さなかった。

 ゴブリングールの胴体(どうたい)を剣で()()いた。

 すると瞬間、仕留(しと)めたゴブリングールは宝石に変化した。

 ──魔物は魔力によって宝石から生み出されるのだ!

「うわあ! た、助けてくれ!」

 向こうでは剣を持った村人が、ゴブリングールに(なぐ)り倒されていた。

 魔物たちはもう約十匹程度に少なくなっていたが、それでも村人たちに応戦(おうせん)していた。

 僕は(なぐ)られ倒れた村人のそばに()けつけ、(なぐ)ったゴブリングールの体を剣で()()いた。

 宝石()を確認し、今度は後ろから(おそ)()かってきたゴブリングールの(どう)(つらぬ)いた。

「や、やるな、お前!」

 ジェイラスは僕を見て声を上げた。

 おや? 彼の剣は不思議な透明(とうめい)の炎のようなものをまとっている。

 その剣でゴブリングールを()()くと、ゴブリングールの断面は蒸発(じょうはつ)して()けてしまった。

 な、なんだ? あの剣の術は? 見たことがないぞ。

 それから三十分の戦闘が続き、村人は倒れ魔物も宝石()していった。

 やがてゴブリングールは三匹となり、墓地へ逃げていった。

「大丈夫か!」

 僕は倒れて失神している村人を背負った。

「……こっちだ。村に運んでくれ」

 ジェイラスも怪我(けが)をした村人を背負っている。

 僕は村人を背負い、階段を上がってルバイヤ村に入ることになった。

 ◇ ◇ ◇

 ルバイヤ村は岩場を(けず)って作った上がり階段の上にあった。

 高台の上は木造の家々が建ち並んでいる。

 先程(さきほど)の老人──グラモネ老人の家はその村の最も大きな家にあった。

 かなり大きい建物だ。

 家というよりは木造の診療(しんりょう)所に見える。

「君のおかげで助かった」

 グラモネ老人が診療(しんりょう)所の診察(しんさつ)室の中で僕を出迎(でむか)えた。

「君の名前は……ウォルター・モートンか。椅子(いす)に座りなさい」
「はい」
「私は元白魔法医師長のグライモス・グラモネだ。ここは白魔法医師の(かく)(ざと)ルバイヤ村の診療(しんりょう)所だ。私が村長で、弟子の白魔法医師たちはこの村に七十名ほどいる。皆、この村で白魔法の研究と研鑽(けんさん)をしているのだ」

 グラモネ老人は自分も木の椅子(いす)に座り、そう言った。

 僕に対する警戒(けいかい)心は()かれたのだろうか。

 窓から下を見下ろすと、ジェイラスはまた村の入り口の番をしている。

 隣の部屋を見ると、さっきの戦闘で怪我をした人々がたくさんのベッドに寝かされていた。

「先程の魔物は、ゴブリングールという魔物だそうですね」

 僕はグラモネ老人に聞いた。

「僕は初めてその魔物に遭遇(そうぐう)しましたが、似た魔物を見たことがあります」
「グール()した人間だろう?」
「ええっ? そ、そうです」

 僕は驚いた。

 グラモネ氏に言い当てられたからだ。

「まず、死霊(しりょう)病とグール()を分けて考えなければならない。二つは別の症状(しょうじょう)だ」

 僕は再び驚いた。

 死霊(しりょう)病とグール()は同じ意味を表す言葉だと思っていたからだ。

「全然違うものだ。死霊(しりょう)病は脳の病気。グール()呪術(じゅじゅつ)的な薬剤(やくざい)を使った症状(しょうじょう)である」
「し、知っているのですか?」

 僕は真剣な表情でグラモネ老人を見た。
「まず、死霊(しりょう)病とグール()を分けて考えなければならない。二つは別の症状(しょうじょう)だ」

 僕──ウォルター・モートンはグラモネ老人の言葉に驚いた。

 死霊(しりょう)病とグール()は同じ意味を表す言葉だと思っていたからだ。

死霊(しりょう)病は脳の病気。グール()呪術(じゅじゅつ)的な薬剤(やくざい)を使った症状(しょうじょう)である」
「グール()はさっきのゴブリングールを見れば分かるように、肌は紫色になり爪は伸び(きば)が生えるようです」
「その通り。ゴブリングールの正体はゴブリンにとある薬剤(やくざい)を注射して、一時的に狂暴化(きょうぼうか)させた魔物だ。ゾートマルクの人間のグール()も同じ仕組みのはずだ」

 グラモネ老人がそう断言したので、僕はあわてて聞いた。

「だ、誰かが注射していると?」
「そうだ。(くわ)しく説明しよう。肌の色というのは肌の成分の『色素(しきそ)』の量で決まるのだ。その色素(しきそ)の一部を増加させると紫色になる」
色素(しきそ)……」
「一方、爪や歯は、牛肉や鳥肉などに(ふく)まれる『蛋白質(アイヴァイス)』という成分からできている」

 僕は今まで人間の爪や歯が何でできているか、ということすら考えたことがなかった。

 蛋白質(アイヴァイス)という言葉も初めて聞いた。

「では、ゴブリンや人間をグール()してしまう原因は何ですか?」
「魔族が作り上げた魔族の薬剤(デモン・メディカ)だ。魔族の薬剤(デモン・メディカ)は、塩、毒キノコ数種、ドラゴンの皮、コウモリの爪、数種の薬草、魔力の結晶(けっしょう)の粉末をエキスにしたもの。この魔族の薬剤(デモン・メディカ)を体に注射するとグール()現象が起こる」
「何とも複雑な薬剤(やくざい)ですね……」
「魔族に古代から伝わる技術があるらしい。白魔法医師は古代文献(ぶんけん)を研究し、それを解明した。魔族の薬剤(デモン・メディカ)を注射すれば、一時的に肌の色素(しきそ)は増加し、蛋白質(アイヴァイス)に作用し爪は伸び、歯は(きば)に成長する。しかしそれは副作用で狂暴化が目的だがな」

 さっきのゴブリングールも岩を(くだ)いたし、グール()した人間も狂暴化(きょうぼうか)した。

「では、死霊(しりょう)病のことを教えてください」
「うーむ。死霊(しりょう)病は難しい」

 グラモネ老人は腕組みをして考え始めた。

「昼間におとなしくなり、正気(しょうき)がない状態を死霊(しりょう)病という。白魔法医師の結論としては、死霊(しりょう)病は脳に問題があることは分かっているのだ」
「脳……とは? その言葉を聞いたことはありますが、よく知りません」
「頭の中に入っている肉の(かたまり)だよ。脳は人間の思考、行動をすべて(つかさど)るといわれている。死霊(しりょう)病は脳に問題がある症状(しょうじょう)だということは分かっているのだが、あまり解明できていない」
「なぜ?」
「脳には神経伝達物質というものが()()しているらしい。これが行き届かないと死霊(しりょう)病になる。しかし神経伝達物質は目に見えないものなのだ。白魔法医師は魔法で人体を透視(とうし)はできるのだが、神経伝達物質を()ることがでる者はいない」

 グラモネ老人は残念そうに首を横に振った。

「一方で聖女には、脳を透視(とうし)し、神経伝達物質の()()()ることができる者がいるらしいのだが……」

 僕はアンナのことを咄嗟(とっさ)に思い出した。

 彼女はこのことを解明できたのだろうか。

「さっき(おっしゃ)ったグール()薬剤(やくざい)は手に入れることはできますか?」
魔族の薬剤(デモン・メディカ)なら、すでにこの(かく)(ざと)で研究し、我々が複製(ふくせい)を作成している。──君はさっき協力者が欲しいと言っていたようだな」

 僕がうなずくとグラモネ老人はしばらく考えてから、決意するように言った。

「ゾートマルクの状況は我々も気になっていた。良い機会だ。魔族の薬剤(デモン・メディカ)複製(ふくせい)を持って、我々も行こう。君には先程の戦闘で、世話になったしな」
「あ、ありがとうございます!」
「だが、その前に君には、強力な魔物と戦っていく力が()らぬ」
「ど、どういうことですか?」

 僕は自分の未熟(みじゅく)指摘(してき)されたようで驚いたが、グラモネ老人は続けて言った。

「ジェイラスの剣術を見たか? あれが聖騎士(パラディン)の剣術だ」
「あ、あれが聖騎士(パラディン)の剣術!」
「そう、剣に白魔法をかけ、悪霊系、グール系の魔物を撃退(げきたい)、打倒する」

 ジェイラスのゴブリングールを蒸発(じょうはつ)させて()かす剣術は、聖騎士(パラディン)の剣術だったのか!

「君の力を引き出してやろう。ただし、訓練し力を伸ばすのは君の努力次第(しだい)だ。──今から君は聖騎士(パラディン)となるが良い!」

 彼は立ち上がり、座っている僕の頭の上で何かを(とな)え始めた。

「では『霊よ、私を上昇(アサンシオン)させてください』と言いなさい。そうしないとお前を守っている霊から許可が下りない」
「れ、霊よ、私を上昇(アサンシオン)させてください」

 僕はその通りの言葉を言った。

 グラモネ老人は僕の肩に右手を当てて、左手で(ちゅう)に何かを(えが)きながら(とな)えた。

「この者の霊に語り()ける。上昇(アサンシオン)上昇(アサンシオン)上昇(アサンシオン)……」

 そして続けて言った。

「霊よ、この者は次の段階まで進んでいけるようだ。福音(ヴァンジェリ)福音(ヴァンジェリ)福音(ヴァンジェリ)……」

 すると僕の頭の中で何かが引っ張られる気がした。

 体が引き()ばされ、そして元に戻り体が熱くなった。

 体の奥から力が()き出てくるような感覚を感じたが、気のせいだろうか?

「これで聖騎士(パラディン)になるきっかけはお前に与えた。人間には七つの見えない『門』がある。お前はすでに四つ門を開いていたが、今回は(のど)(あた)りにある五つ目を開き、頭周辺にある六つ目の門を半分開いた」
「そうなるとどうなるのですか?」
聖騎士(パラディン)に目覚めることになる。真の聖騎士(パラディン)なるにはまだまだ修行が必要だがな……。さあ、一緒(いっしょ)にゾートマルクの街に行こう。私と、私の弟子の白魔法医師を五名連れていこう」

 僕は聖騎士(パラディン)となり、白魔法医師たちと一緒にゾートマルクの街に戻ることになった。

 驚いた……。

 必要なことがすべて与えられ、アンナたちの元へ戻ることになったのだ!
 私──アンナ・リバールーンはゾートマルクの街の死霊(しりょう)患者(かんじゃ)治癒(ちゆ)するため、調査を行った。

 そして昼、内周(ないしゅう)地域の住人の正気(しょうき)がない状態──死霊(しりょう)病に関して私は普段、彼らが飲んでいる赤ワインに問題があるとにらんだ。

 ただし、それは半分しか解決していないことに気付いてしまった。

 ウォルターがルバイヤ村に旅立った翌日の朝、私とパメラは宿屋の一室で考えていた。

死霊(しりょう)病……つまり人の無気力状態に関してはある程度は分かったけど、グール()についてはほぼ何も分かっていないわ」

 私はため息をついてパメラにつぶやくように言った。

「どういうこと? 死霊(しりょう)病は解明できたと言っていたじゃないか」

 パメラは驚いた顔で私に聞いてきたので、私は答えた。

「よく考えたら、それは半分だけ解決できたということ。死霊(しりょう)病とグール()は、分けて考えなければならない別の病気だと気付いたわ」
「え? そ、そういう考え方もあるか。っていうか、何で赤ワインが死霊(しりょう)病の原因なんだよ。あたしはまだそれを知らないぞ。早く教えろよ」
「それはまだ言えない」

 私はきっぱり言った。

 死霊(しりょう)病とグール化《か》は分けて考えなければならないが、実際に起きている問題は同時に出ている。

 だからどちらも答えが出ないと、真の正解に辿(たど)り着かない気がしたのだ。

「グール()真相(しんそう)が分かってから、あなたにも皆にも話すわ」
「ったく……。あんたは何でも一人で(かか)え込むクセがあるからなあ」

 パメラがそう不満を口にしたとき……。

「おいアンナ、パメラ! 起きてるか。す、(すご)いぞ!」

 ジャッカルの声が部屋の外から(ひび)いた。

「ウォルターが戻ってきた! 白魔法医師をたくさん連れてきているぞ。早く外に来い!」

 私とパメラは顔を見合わせた。

 ◇ ◇ ◇

 私たちは街の入り口に急いだ。

 (すご)い!

 ウォルターと六名の白魔法医師たちが街の入り口付近に立っている!

「ほほう、ウォルターはやりましたね」

 私たちと一緒(いっしょ)に来ていたラーバスはうなった。

「おお、何と。グラモネ様がいらっしゃる! あの方は元白魔法医師長ですよ」
「ラーバス、久しぶりだな。元気かね?」

 グラモネという老人はラーバスに挨拶(あいさつ)した。

 ラーバスはグラモネ老人に向かって、深く(こうべ)()れている。

 二人は知り合いか……。

「ちっ、何だ。本当に白魔法医師を連れてきちまいやがったのか。ゾートマルクの医師は俺だけで十分(じゅうぶん)だっていうのに!」

 医師のゴランボス氏は舌打ちして不満をぶちまけた。

「あなたがアンナさんか。聖女だと聞いている」

 グラモネ老人は私に近づいてきて言った。

「私はグライモス・グラモネだ。ウォルターから君が様々な人の病気を治癒(ちゆ)してきたと聞いている。会えて(うれ)しいよ」
「ど、どうもありがとうございます。光栄です」

 私はそう答えつつ、ちらりとウォルターを見た。

 ん……? ええっ?

「ウォルター! 何だか体が(かがや)いて見えるけど……」
「え? そ、そうか?」

 ウォルターは()ずかしそうにした。

 私はハッと気づいた。

「あっ、そうか。聖騎士(パラディン)になれたのね?」
「ま、まあそうらしい。実感はそれほどないのだが。これから修業次第(しだい)で真の聖騎士(パラディン)になれそうだ。──そういえばアンナ、このようなものを手に入れた。大変危険な薬剤(やくざい)だが……」

 ウォルターは袋から(びん)を取り出した。

 中には緑色のドロドロの液体が入っている。

「こ、これは!」
「これがグール()の原因、『魔族の薬剤(デモン・メディカ)』という薬剤(やくざい)だそうだ。グール()はこれを注射することによって発現(はつげん)する。白魔法医師たちの研究で分かったことだそうだ」
「ウォルター! すごいわ!」

 私は思わず声を上げた。

 これで死霊(しりょう)病とグール()……二つの病気の原因が分かったことになる。

 しかしこの魔族の薬剤(デモン・メディカ)の重大な謎について、私はまだその時点では気づいてなかったのだが……。

「では、誰かに頼みたいことがあるのだけど」

 私は周囲を見回し、看護師のポレッタを見やった。

「ポレッタ、申し訳ないけど(たの)みがあるの」
「何でしょう? 私が力になれることだったら、何でも言ってください」
「──それは良かったわ。私は死霊(しりょう)病とグール()など、このゾートマルクの街全体にはびこる問題について、人々に説明したいのです」

 私は川の外周(がいしゅう)地域の一番大きな建物を指差した。

 あれはどうやらこの街の公民館らしい。

「あそこの公民館の会議室を借りて、人を呼べないかしら。それから新品の赤ワインを、外周(がいしゅう)地域と内周(ないしゅう)地域のものを二種類手に入れたいのだけど」
「はい、どちらもお(まか)せください」

 ポレッタは静かにうなずいた。

 ポレッタならこの街に長く住んでいて顔が広いし、看護師として信頼されているから適任(てきにん)だと思ったのだ。

「え? 何だ? ワインが二種類? 初耳だぞ!」

 パメラは目を丸くして私を見た。

 ──私はこれから皆に、死霊(しりょう)病とグール()について、私の独自(どくじ)の調査結果を話すつもりだ。

 ◇ ◇ ◇

 三時間後、私は自警(じけい)団の若者たちに、外周(がいしゅう)地域の公民館の会議室へと案内された。
 
 ポレッタがうまく手配してくれたのだ。

 私が会議室の檀上(だんじょう)に立つと、すでに会議室の椅子(いす)にはウォルター、ジャッカル、パメラ、ラーバス、ポレッタ、ゴランボス氏が座っていた。

 そして外周(がいしゅう)地域の住人数名、グラモネ様、ルバイヤ村の白魔法医師たち五名もぞろぞろと会議室に入ってきた。

「くだらん、まったくもってくだらん! 聖女などというまじない師が、死霊(しりょう)病とグール()を解明しただと?」
 
 ゴランボス氏は腕組みして、ギシリと椅子(いす)にもたれかかった。

「しかも俺に講義(こうぎ)をたれるだって? まったく(えら)そうに!」

 私はゴランボス氏に、「講義(こうぎ)ではなく調査報告です」と言った。

「これより死霊(しりょう)病と人のグール()()()かしをいたします!」

 私は会議室にいる人々に宣言をした。
「これより死霊(しりょう)病と人のグール()()()かしをいたします!」

 私は公民館の会議室にいる人々に宣言をした。

「デアーチェ・ロゼタンさんなど内周(ないしゅう)地域に住む人々は、水、牛乳、ワインが(おも)栄養源(えいようげん)でした。それを好きなときに飲んでいたようです」

 私はそう言い、ポレッタが持ってきてくれた赤ワインの(びん)、二本を机に置いた。

「そういえば疑問に思っていたことがあるんだけど」

 パメラが手を()げて言った。

死霊(しりょう)病の人は、(びん)(ふう)をどうやって開けるの? 水や牛乳、ワインはコルクで(ふう)をしているんだよ。彼らは日頃、無気力状態。できることは入浴と着替えくらいだろ。彼らにコルク開けでコルクが開けられるの?」
「レストランの主人に聞いたのですが、配達人が三日に一度、水、牛乳、赤ワインを配達してくれるのだそうです。配達してくるのはジャームデル王国から。そして配達人がその場でコルクを()いてくれる」
「な、なるほど。配達人がコルクを()いてくれるから、自分でやらなくていいわけか」
「そして三日()ったら、配達人はその(びん)を回収しにきます」
「び、(びん)の飲み口が開いたまま、三日間も放置するのか?」

 ジャッカルが顔をしかめて言った。

「牛乳もワインも悪くなるぞ。少なくとも俺は飲まないね。貴族の家みたいに(すず)しいワイン専用の保管室があればいいが。そんな立派なものはこの街にないだろ」

 ジャッカルが声を上げたとき、ラーバスもため息をついて言った。

「それに、『病原体(ビボス)』の感染(かんせん)の心配があるから、(びん)の回収は(すす)めないですけどね。ジャームデル王国の方針(ほうしん)があるのでしょう」
「三日間の放置についてですが、味と品質に関してはギリギリでしょう。そう考えると水と牛乳についてはまあ一応……問題はありません。しかし、問題は赤ワインです」

 私は言った。

「私は少量、デアーチェさんの赤ワインをなめてみましたが驚くほど甘かったのです。こんなワインは味わったことがありません。皆さんはゾートマルクに配達される赤ワインを飲んだことはありますか?」
「俺はたまに飲む。だが、俺の飲んでいるのは甘くない美味い辛口ワインだぞ」

 ゴランボス氏がそう言ったので、私はうなずいた。

「それは外周(がいしゅう)地域の赤ワインですね」
「ふむ……。今思い出した。確か外周(がいしゅう)地域のワインと、内周(ないしゅう)地域に配達されるワインの(びん)は違うはずだ」

 ゴランボス氏がそう言ったとき、パメラは首を(かし)げて言った。

「ワインは二種類あるのか。でもそれはなぜ? 分ける理由が分からない」
「それには理由があります。外周(がいしゅう)地域に配達されるワインは飲んでも健康被害(ひがい)はありません。しかし、内周(ないしゅう)地域に配達されるワインは飲んだら健康被害(ひがい)が出る」

 会議室が(ざわ)めいた。

「配達された赤ワインで健康被害(ひがい)ですって?」

 ラーバスが声を上げた。

「そんなことが……私は二年間もここに住んでいるが、そんなことは気付きませんでしたよ」

 ラーバスが言うと、私は「これを見てください」と言って机の上の赤ワイン、二本を指差した。

「左が外周(がいしゅう)地域の赤ワイン。右が内周(ないしゅう)地域の赤ワインです」

 外周(がいしゅう)地域の赤ワインの(びん)は緑色のガラス(びん)だ。

 一方、内周(ないしゅう)地域の赤ワインの(びん)は銀色だ。

 全く見た目が違う。

「見た目が全然違いますね。これでは絶対に間違えようがない。いえ、絶対に間違えて配達してはいけないのです」

 私は言った。

「なぜなら内周(ないしゅう)地域──つまり死霊(しりょう)病およびグール()する人々が飲んでいる赤ワインは、(なまり)(なべ)()てあるからです」
「な、(なまり)(なべ)だって? 何のために?」

 グラモネ老人が声を上げたので、私は答えた。

「ワインに酢酸鉛(さくさんえん)という成分を作り出すためです」
「わ、分かったぞ!」

 グラモネ老人は声を上げた。

「ワインを(なまり)(なべ)()ると酢酸鉛(さくさんえん)がワイン内に生成され、驚くほど甘くなる! それこそ柑橘(かんきつ)類の飲料水、エードのようにだ!」
「そうです。だから死霊(しりょう)病の人でも飲みやすかったのです。──しかし、ワインを(なまり)(なべ)()るのは、飲みやすくすることが目的ではありません。この酢酸鉛(さくさんえん)が体に蓄積(ちくせき)されると……」
「貧血……腹痛……いや、それどころか脳障害(しょうがい)、神経障害(しょうがい)を引き起こす! 二年間以上も定期的に飲んでいれば、人間は無気力状態に(おちい)ったようになる!」

 グラモネ老人はそう自分で言って、驚いたように声を上げた。

「そうか……そうか! 死霊(しりょう)病の正体は、ワインの中の(なまり)だったのか!」
「しかも内周(ないしゅう)地域のほうは、(なまり)(おも)としたもので作り上げた(びん)です。すさまじい(なまり)の量がワインに()け込み、それはそれはとろけるように甘くなっていたでしょう。──悪魔の媚薬(びやく)のように」
「ちょ、ちょっと待ってよ。何のためにジャームデル王国はそんなものを配達する?」

 パメラが声を上げて質問すると、ラーバスが答えた。

「それはまさに人体実験です。内周(ないしゅう)地域の人間を使い、グール化《か》の準備(じゅんび)段階を作り出す。昼は死霊(しりょう)病を引き起こしておいて、夕方はグール化を引き起こす」

 ラーバスが言うと、パメラが「し、しかしそのグール()は」と言った。

「だ、誰かが魔族の薬剤(デモン・メディカ)を注射しないとグール()しないはずでは?」

 そうだ……誰かが魔族の薬剤(デモン・メディカ)を注射しないとグール()しない。

 逆に言えば、この街の誰かが人々をグール化《か》させているのだ。

 そういえば、ターニャはなぜ離れたローバッツ工業地帯の村で、死霊(しりょう)病になったのか?

 そんな疑問が頭に浮かんだそのとき──公民館の外で大きな音がした。

 あわてて公民館の窓の外を見ると──。

「み、皆、来てくれ! グールだ! 朝からグールが出たぞおお!」

 外で自警(じけい)団の若者たちが声を上げている。

 たくさんの住人がグール()している!

 その数──約四十数名!
「み、皆、来てくれ! グールだ! 朝からグールが出たぞおお!」

 外で自警(じけい)団の若者たちが声を上げている。

 たくさんの住人がグール()している!

 その数──約四十数名!

「ひ、ひいい! こ、この公民館の中にいれば安全なのか? た、助けてくれぇ!」

 ゴランボス氏はいかつい顔をゆがめて、私たちに(うった)えた。

「いや、ここにいるのは危険だ」

 ウォルターが首を横に振って言った。

「グール()した人間が入り口を(こわ)して入ってくる。建物内に逃げ場は少なく、僕らは追い詰められるだろう」

 ウォルターが言うと、ジャッカルもうなずいた。

「街の入り口付近なら逃げ場があっていいぜ。公民館内の人々を集めて、村の入り口付近に走ろう!」
「そうね──。皆さん、思い切って外に出てください! ここにいると危険です。街の入り口付近に移動してください!」

 私はパメラと一緒(いっしょ)に、公民館内にいる人々に声をかけてまわった。

 公民館内の人々──四十三名が集まったところで、外に出ることにした。

 朝の青空の光が私たちを包む。

「う、うわあああ」

 パメラが声を上げた。

 街中にグールがたくさんいる!

 とんでもない(さわ)ぎになっていた。

 外周(がいしゅう)地域も内周(ないしゅう)地域も関係なかった。

 グールたちは民家の壁、商店街の看板を(こわ)して回っている。

「あいつら!」

 ジャッカルは自分の武器の八角棒(はっかくぼう)を手に取った。

「ダメ!」

 私は叫んだ。

「彼らは人間です! 一時的にグール化しただけです」
「……そうだ。彼らを傷つけることはできない。元は人間だからな」

 ウォルターは真剣をしまい、そのまま白魔法医師たちとともにグールに立ち向かおうとしていた。

「ウォルター!」
「アンナ、大丈夫だ。見ていてくれ」

 ウォルターは私にそう言ってグールに向かっていった。

 グラモネ老人は叫んだ。

「よし、強制睡眠(すいみん)魔法を使おう!」

 グラモネ老人とルバイヤ村の若い白魔法医師たちは強制睡眠(すいみん)魔法を(とな)え、次々とグールを眠らせていった。

 そしてウォルターも強制睡眠(すいみん)魔法を使っている!

 ウォルターは白魔法が使えるようになっていた。

 驚いた──彼は本当に聖騎士(パラディン)になっていたのだ。

 睡眠(すいみん)魔法によってグールは眠り、倒れていく。

「な、何とかなったみたい。これでグールは全員眠らせたか?」

 パメラが言った。

「しかし……誰が住人に注射を打ったんだろう」
「おや? 橋のところに誰かがいるぞ!」

 ジャッカルが橋の方を指差して声を上げた。

 外周(がいしゅう)地域と内周(ないしゅう)地域を(つな)ぐ開閉式の橋の中央に、女性が一人、立っているのが見えた。

 まだグールがいるかもしれない!

 彼女を助けなくては。

 おや? 女性は後ろを向いているが見覚えがある……。

 だけど遠くにいるので誰だか確信(かくしん)がもてない。

「さあ、一緒(いっしょ)に街の入り口まで避難(ひなん)しましょう!」

 私は後ろを向いている女性に向かって叫んだ。

 あれ?

 この女性──。

「近づかないで!」

 聞き覚えのあるかわいらしい女性の声が聞こえた。

「アンナさんたちはこっちに来てはいけません!」

 女性は私たちのほうを向いた。

 ポレッタだった。

 まさか、ポレッタが魔族の薬剤(デモン・メディカ)を人々に打っていた張本人(ちょうほんにん)

 いや──。

 今度は外周(がいしゅう)地域の建物の(かげ)から、ポレットが立っている橋に誰かが歩いていくのが見えた。

 男性だ──。
 
 その男はすぐに誰だか分かった。

「ラーバス……!」

 私は思わず声を上げた。

 あの白魔法医師のラーバス・アンテルムが……ポレッタと橋の上で対峙(たいじ)している。

 ラーバスは注射器を持っていた。

 私は声を上げた。

「ラーバス! 早くこっちに来て。グール()した患者(かんじゃ)診察(しんさつ)を始めてください!」
「そうですよ、ラーバス先生! アンナさんの言う通りです。そんなところに()っ立ってないで……」
 
 ポレッタの言葉を聞いたラーバスはニヤリと笑い、自分の左手の平に注射した。

「手の平に注射すると、まんべんなくいきわたるんです。悪魔のささやきが。魔族の薬剤(デモン・メディカ)が!」

 ラーバスは注射し()え、注射器を捨ててそう叫んだ。

 すると……!

 彼の体が(ふく)れあがった。

 顔色は幽鬼(ゆうき)のように真っ白になり、身長──約二メートル三十センチほどの着物を着た巨人に変身した。

 巨大グールだ!

「ラーバス……! てめぇ、裏切者だったんだな!」
 
 ジャッカルが叫んだ。

「やるしかねえ。こいつは本物の魔族だ!」

 ジャッカルが橋に近づき八角棒(はっかくぼう)を構えて声を上げた。

 橋の周囲には白魔法医師たちも集まり、強制睡眠(すいみん)魔法を(とな)えだした。

「そんなものは効かぬ!」

 ラーバスが右手を横に振った。

 するとポレッタやジャッカル、白魔法医師が風圧で吹っ飛んだ!

「何という力だ」

 ウォルターが真剣を引き()きつつ、橋に近づいて声を上げた。

「しかし、今度は僕が相手だ。ラーバス、残念だよ。君を信頼していたのに」
「ほほう、白色(はくしょく)の王子か。よかろう、相手になろう」

 白色(はくしょく)の王子? どういう意味だろう?

 するとラーバスは思い切り右腕を振り上げて、ウォルターを手で横に(たた)(はら)おうとした。

 あ、あんな力技を体に受けたら、ウォルターだって骨折じゃ()まない!
 
 しかしウォルターはそれを後ろに()んで()けた。

 よ、よかった。

「ここだっ!」

 ウォルターは真剣を振り下ろした。

 何かが蒸発(じょうはつ)する音がした。

 ウォルターの剣がラーバスの右腕の一部を()()いていたのだ。

「う、ぐぐっ……。こ、この男……」

 ラーバスがうめいた。

 彼の大きな腕の一部が蒸発(じょうはつ)して()けだしている。

「あれは聖騎士(パラディン)白の剣術(ヴァイス・グラディウス)!」

 グラモネ老人が声を上げた。

「ウォルターよ、見事! 才能だけで聖騎士(せいきし)の技を習得してしまったか!」
「う、うぐぐぐ……」

 グール()したラーバスは蒸発(じょうはつ)しかかっている腕を()さえながら声を上げた。

「ゆ、許さん!」

 ゾートマルクでの最後の戦いが、今、始まろうとしていた。
 グール()したラーバスは蒸発(じょうはつ)しかかっている腕を()さえながら声を上げた。

「ゆ、許さん!」

 しかしウォルターは少しずつ(あゆ)みを進め、今度は剣でラーバスの胸を()こうとした。

 だが──。

爆発魔法(イクスプロシオン)!」

 ラーバスが呪文を(とな)えると周囲が爆発した。

 ウォルターが爆風(ばくふう)で吹っ飛ぶ。

「ウォルター!」

 私はあわてて()()ろうとしたが、パメラに止められた。

「あんたは聖女だよ! 戦いでは足出(あしで)まといになるだけ。愛する男の戦いを見てな!」

 するとウォルターは(ちゅう)で体をひねり──着地した。

 爆風(ばくふう)には巻き込まれたが、体は(きず)ついていない!

 私はホッとした。

「うぬっ……。爆発魔法(イクスプロシオン)()けただと?」

 ラーバスが声を上げたとき、ウォルターは再度、右(なな)め上から剣を振り下ろし──。

 また蒸発(じょうはつ)する音が聞こえた。

 ラーバスはウォルターの剣で左肩から鎖骨(さこつ)まで、()()かれていた。

 そして切断面(せつだんめん)()蒸発(じょうはつ)している……!

「うっ、うぐぐ……」

 ラーバスはうろたえたように見えたが、彼はそのとき笑ったようにも見えた。

「──目覚めよ(レ・ヴァンタルシェ)!」

 ラーバスは聞いたことのない魔法の呪文を唱えた。
 
 魔族の古代語か?

 その瞬間、ウォルターの周囲に眠っていた五名のグールたちが起き上がったのだ。

 睡眠(すいみん)から目覚めさせる魔法だ!

「むっ! や、やめろ!」

 ウォルターがグールたちに取り囲まれ(つか)まれた。

「よせ! どいてくれ!」

 しかしウォルターは反撃(はんげき)できない。

 グールは人間なので手を出せないのだ。

 ラーバスはウォルターの優しさを計算していたのだろう。

「ハハハ! 雷撃魔法(トゥルエノ)!」

 ラーバスは形勢(けいせい)逆転を確信したのか、笑いつつ攻撃魔法を(とな)えてきた。

 (ちゅう)から(かみなり)が発生し──ウォルターは背中に雷撃(らいげき)を受け(たお)()んだ。

「ウォルター!」

 私は(さけ)んだがもう(おそ)い──。

 ウォルターの体から(けむり)が出ている……。

 一方、ウォルターを取り囲んでいたグールたちは皆、雷撃(らいげき)で気絶している。

 ラーバスはもう一度、雷撃(らいげき)魔法を(とな)えようとしていた。

「もう一撃(いちげき)──雷撃魔法(トゥルエノ)!」
「おーっと! そうはいくかって」

 ……そんな声がして、何かが切り(きざ)まれる音がした。

 え?

 何者かがラーバスの左にいて、ナイフでラーバスの左腕を()()いていたのだ。

 見覚えのある銀髪(ぎんぱつ)の少年……。

 ネストールだ!

「あいつ! いつの間にゾートマルクの街に来たんだ?」

 パメラが声を上げた。

「お、お前……何者だ?」

 ラーバスは苦痛に顔を(ゆが)めてネストールを見やった。

「ローバッツ工業地帯から女王たちが帰ったから、こっちに来たよ。この街に美味(うま)いパン屋ある? ラーバスさん」
「き、貴様(きさま)……! わ、私の雷撃(らいげき)魔法の詠唱(えいしょう)途中(とちゅう)で……邪魔(じゃま)しおって!」
「ウォルター! 今だ!」

 ネストールが(さけ)ぶと、ウォルターはヨロヨロと立ち上がった。

「よ、よせ! くそ、もう一度、雷撃(らいげき)魔法を……!」

 ラーバスは左手を前に()き出そうとしたが、左腕をネストールに()られているので腕が上がらない。

「ここだ!」

 ウォルターは今度こそ──剣でラーバスの胸を()き刺した。

「う、うう……な、なぜだ」

 ラーバスの胸──(おそ)らく心臓は蒸発(じょうはつ)()けだしている。

 するとラーバスの姿は(ちぢ)こまり、普段の青年の姿に戻ってしまった。

「ラーバスは死霊(しりょう)病を(わずら)っていない。だからグール()の効果時間が短いのだ」

 グラモネ老人が言った。

 ラーバスはウォルターの前で(ひざ)をついたが、「こ、これで終わりじゃない」と言い──。

 ウォルターの首を両手で()めだした。

 切り(きざ)まれたもう力の入らない両腕で……。

 その両腕は(ふる)えている。

「ま、魔族の(やみ)を、お前に流し込んでやる!」

 ボロボロの両腕が(やみ)の気に包まれる。

 あ、あの(やみ)の気にとり()かれたら……ウォルターが(やみ)に取り込まれてしまう!

 しかしウォルターの顔は冷静だった。

 ウォルターはラーバスの腕を(つか)み、そのまま彼の体を背負って投げた。

「ぐは」

 そんな声とともに、ラーバスは背中から地面に投げ落とされた。

 地面に寝転んだラーバスの(ひたい)に、ネストールがナイフを当てがった。

「勝負あったね? ラーバスさん」
「う、うう……」

 ラーバスはそのまま気絶してしまった。

「ウォルター!」

 私はすぐにウォルターの(もと)()()り、彼を抱き()めた。

 ゾートマルクの街は昼の太陽の光に照らされて(かがや)いていた。
 ウォルターはラーバスとの戦いに勝利した。

 グラモネ老人の強制睡眠(すいみん)魔法で眠らされたラーバスは、自分の──ラーバスの診療(しんりょう)所に運び込まれた。

 一方、グールたちも担架(たんか)で公民館に運び込まれた。

 白魔法医師たちが様子を見るらしい。

 私、ウォルター、パメラ、ジャッカルは外周(がいしゅう)地域の公園で、元白魔法医師長のグラモネ老人に色々質問した。

「なぜラーバスは人をグール()させ、一時的とはいえ自らもグール()させたのでしょう?」

 私がそう質問すると、グラモネ老人は意外なことを言いだした。

「ラーバスのことはよく知っているよ。彼は危険な戦闘国家のジャームデル王国の第二王子だ」
「ええ? 王子?」
「ところが第一王子ではないから王にはなれない。彼は兄の第一王子に嫉妬(しっと)し絶望していた。そのとき、私の弟子になり白魔法医師の道を選んだのだ」
「ラーバスにそんな過去が……」

 そういえばグラモネ老人がこの街に来たとき、ラーバスは深く頭を下げていた……。

「だが彼は私の弟子になっているときも、ずっとジャームデル王国の監視下(かんしか)に置かれていた。父親のジャームデル国王の言いなりだ」
「そうだったのですか。ラーバスこそが、ジャームデル王国と(もっと)(つな)がっている人物だとは思いませんでした」
「ふむ──その後、私が白魔法医師を引退しルバイヤ村に行ったときも、ラーバスは私についてきた。しかし私は彼を追い出した。彼は(やみ)の道に進む研究をひそかに進めていたからだ。その後、ゾートマルクの街で改心し真面目に白魔法医師の仕事をしているのだろうと考えていたが、甘かったな……」

 彼はグラモネ老人がこの街に来たときに喜んだそぶりをしていたが、本当はかなり動揺(どうよう)していたはずだ……。

「これは憶測(おくそく)だが、ゾートマルクの街のグール()計画を率先(そっせん)し実行していたのも彼だと思う。ゾートマルクの監視員(かんしいん)をも統率(とうそつ)していたはずだ。父であるジャームデル国王に自分の仕事を見せたかったのだろう」
「ジャームデル王国はなぜ人々をグール()させたがったのでしょう?」
「人を(あやつ)最適(さいてき)な方法を探していたんだろう。ジャームデル王国は世界一の戦闘国家だ。国民全員を戦闘に参加させれば、恐ろしい戦力になりえるからな」
「でも、ラーバスはそんなことを本当に望んでいたのでしょうか?」
「きっと父王のジャームデル国王に()めてもらいたかっただけだ。目が覚めたら問いただそう。その前に牢屋(ろうや)にぶち込まねばならんが……」

 私はため息をついた。

 彼はパメラのことを診察(しんさつ)してくれた。

 ウォルターに聖騎士(せいきし)になれと(すす)めてくれた。

 そこまでは優秀な白魔法医師であり、助言者だった。

「私たちにとっては親切な人に見えました。しかし、すべてはラーバスがジャームデル王国の野望を完遂(かんすい)するための仮の姿だった……というわけですね」
「その通りだ。一応、白魔法医師としての(ほこ)りは失ってはいないのだろうが」

 グラモネ老人はうなずいた。

 ポレッタはラーバスの様子を見に行っているらしい。

 彼女はラーバスを愛しているはずだ。

 私はそのように思えた。

 ──私は話題を変えた。

「ローバッツ工業地帯に、ターニャという子どもの死霊(しりょう)患者(かんじゃ)がいます。ターニャはなぜ、離れた場所で死霊(しりょう)病になってしまったのでしょう?」
「ふむ……君の質問の答えは簡単だ。ジャームデル王国が、様々な国にあの『グール()赤ワイン』を流通させているからだ。ローバッツ工業地帯にも、商人によって住人の手に(わた)っている可能性は少なからずある」

 グラモネ老人はしばらく考えながら言った。

酢酸鉛(さくさんえん)によって甘く飲みやすくなった赤ワインは子どもでも飲めてしまうからな。親が栄養補助(ほじょ)飲料として(だま)されて、商人に売りつけられてしまったということは考えられる」

 これはローバッツ工業地帯の村に戻り、確かめてみる必要があるだろう。

「問題はグール化《か》が沈静(ちんせい)し、死霊(しりょう)病の状態に戻った人々だ。私はグール()について研究を重ねた。しかし死霊(しりょう)病については何も分からん。──アンナ、君ならどうやって死霊(しりょう)病を治癒(ちゆ)するかね?」
「するべきことは分かっています。死霊(しりょう)病は(なまり)中毒患者(かんじゃ)です」

 今度は私が答える番だった。

「リモネという()っぱい柑橘類(かんきつるい)があります。レモンとも言いますが……」
「ほほう?」
「体内の(なまり)とリモネの(さん)結合(けつごう)させてしまうのです」
「な、何と? 死霊(しりょう)患者(かんじゃ)に、リモネの果汁(かじゅう)を飲ませるということだな?」
「はい。しかし、それだけは単に民間療法(りょうほう)(いき)を出ません。やはり積極的に魔法によって、(なまり)とリモネの(さん)結合(けつごう)させて尿(にょう)として外に出してしまうのが一番でしょう」
「う、うーむ! 何という奇想天外(きそうてんがい)発想(はっそう)なのだ!」
(なまり)中毒の治癒(ちゆ)方法は聖女医学の医学書に掲載(けいさい)されているはずです」
「し、しかし、リモネの(さん)摂取(せっしゅ)するのは胃に負担(ふたん)をかけそうだな……。一度牛乳などを飲んでから、果汁(かじゅう)摂取(せっしゅ)させるか……ふむ」
「……アンナ、いったん、グラモネ様たちを連れてローバッツ工業地帯に戻ろう」

 今まで(だま)って聞いていたウォルターが提案(ていあん)した。

 するとグラモネ老人はうなずきながら言った。

「ふむ……君たちはなかなか素晴らしい。行動力もある。……我々と協力して大病院を建造しないかね?」
「ええっ?」
「昔、そういう計画があったが頓挫(とんざ)した。しかし、今の君たちならばできそうだな」

 そしてグラモネ老人が気づいたように言った。

「そういえば、ラーバスがウォルター、君のことを『白色(はくしょく)の王子』と言っていたな」
「は、はい」

 ウォルターがうなずき、グラモネ老人は続けた。

「実は君の『ウォルター・モートン』という名前で気づいた。私の(かん)が正しければ、君は大国グランディスタという王国の王子だと思う」
「ええっ?」

 ウォルターも私も目を丸くした。

 ウォルターはあわてて言った。

「わ、私はグレンデル城近くに捨てられていた捨て子ですよ」
「グランディスタのモートン一族といえば有名な王族だ。赤ん坊を旅立たせるのが(つね)でな……。グランディスタでは赤ん坊に白い(ころも)に身を包むのが(なら)わし。それを『白色《はくしょく》の王子と呼ぶ。そして旅立った王子はウォルター・モートンと言うはずだ」

 なぜラーバスはウォルターが「白色(はくしょく)の王子」であることを知っていたのだろう?
 
 (おそ)らくジャームデル王国の情報網(じょうほうもう)で、様々なことを知っていたのではないかと思う。

 ◇ ◇ ◇

 翌日(よくじつ)、私たちはグラモネ老人と白魔法医師たち五名を連れて、ローバッツ工業地帯の村に戻った。

 ルバイヤ村からはゾートマルクの街に明日、十名の白魔法医師が来るらしい。

 私の次の目標は……!
 
 死霊(しりょう)病とグール()患者(かんじゃ)、体にパンの毒素を持った患者(かんじゃ)の完全治癒(ちゆ)

 私たちの大病院を建造すること。

 そしてウォルターと一緒(いっしょ)に、幸せに()らすことだ。

【第一部完】

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