私は聖女、アンナ・リバールーン。
ここはローバッツ工業地帯の村。
今日は焚き出しの翌日、今の時刻は昼近くの十一時。
私、パメラ、ウォルター、ジャッカルは集会所を寝床にして宿泊した。
村人たちは畑仕事や炭鉱の仕事、砂利集めなど仕事にいそしんでいるようだ。
ローバッツ工業地帯の村人は朝食をとらないらしい。
「うーむ、俺たちの体の中に毒物があるのは分かった」
集会所にやってきたオールデン村長は、残念そうに言った。
「大丈夫です。私が村人全員の毒を取り除きますから」
私が言うと、村長は「そ、そうか。頼む」と頭を下げた。
「実は村人たちも、自分の体が痩せ細っているので毒を摂取してしまっているのではないかと、薄々は気付いているんだ。だが、我々の村には病院もないし、そもそも病院にかかる金の余裕もないからな……」
「毒のもとを断ち切りましょう。そうすれば村人たちの肉体も健康的になります」
「その毒がどこから出ているのか分かったか?」
「予想はついているのですが、憶測だけで判断するのは危険です」
そういえば、炭鉱近くにいる国王様はどうなさったのだろう。
私の治癒魔法を受けてからの健康状態を知りたいが……。
しかし今日は村に大事なものが配送、配給される日らしい。
「今日はパンが配給されるのでしたね」
「そうなんだ。この村は小麦類が栽培できない土地でな……。だが村人はやはりパンが欲しいということで一週間に一度、配給を受け入れているんだ」
この近隣諸国ではパンは人々の生活に欠かせない、大事な聖なる食べ物だ。
私もパンを食べないと力がでないと感じるほうだ。
「そろそろパンの配送者が来る時間だが……」
村長がそう言ったとき、「パンが来たぞ!」と外で声がした。
私はあわてて外に出た。
一週間に一度、この村に配給されるパンが怪しいのは分かっている。
だが、そのパンを実際に見てみないと何ともいえない。
村の入り口付近に馬車が二台停車しており、パンの配送人と思われる人物が村人を集めている。
「さあ美味いパンだ! これから配るぞ!」
ん?
聞き覚えのある声だが……。
「ええ?」
私は目を丸くした。
デ、デリック王子!
私の元婚約者がパンの配送人?
「ん?」
デリック王子は御者たちとともに、赤い馬車に積まれた山のようなパンのベルトを解こうとしていた。
その手を止めて、私の方を見た。
「な、な、なんでお前がこんなところにいるんだ?」
「あ、あなたこそ、どうして? デリック王子!」
「どういうことなんだ、アンナ。お前がいるとは……」
このパンはグレンデル城から配送されたパン!
私は馬車に積まれているパンの山を睨みつけた。
パンの山から緑色の毒素の気が、もうもうと立ち昇っている。
「あれが村人の毒の原因か……!」
私はつぶやくように言った。
そして素早くオールデン村長に聞いた。
「いつもデリック王子がパンを配送している……わけではありませんよね?」
私と付き合っていたころのデリック王子からは、パン配送の話など聞いたことがない。
村長は言った。
「いや、今まで週に一度来ていたのはブルートというグレンデル城の執事だ。……あ、あの男は王子なのか? 驚いたな」
「さ、さあ、パンをこれから配るぞ! 美味しいパンだ!」
デリック王子は作り笑いをして、村の子どもたちに言った。
「──おやめなさい! その毒入りパンを受け取ってはなりません!」
私は声を張り上げた。
「何だと?」
デリック王子は私をジロリと見やった。
「アンナ、お前、今何と言った? とんでもないことを言ったな」
「ええ、言いましたよ。『毒入りパンを受け取ってはならない』と!」
「証拠はあるのか? パンを切って断面を見てみろ。中は真っ白いはずだぞ。しっかりした美味しいパンだ」
「いえ、私には見えますよ、パンから立ち昇る緑色の毒素が! 毒素は恐ろしく微細な粉末で、注意深く生地に練り込まれているはずです。パンの断面を見ても、毒素の緑色が分からない状態になっていると思われます。そうでしょう?」
「あ、相変わらず口だけは達者な女だ。お、おい、何とかしてくれ」
デリック王子はちらりと横に立っている男を見た。
ん?
誰だろう? あの男性は……。
長身の美男子だ。
ニヤニヤ笑ってこっちを見ている。
「俺はラードルフという者だがね」
男は私に言った。
な、何?
人間……?
い、いや、一見、人間に見えるが……。
なんという禍々しい気をまとった男なのだろう?
「おお……。お前が聖女という人間の女なのか?」
ラードルフという男は、私をまじまじと見た。
「な、なんと高潔な……分かる、分かるぞ。お前は神に仕える人間なのだな」
「そ、それがどうしたのですか? わ、私を……そんなに見ないでください」
「欲しい。お前が──」
ラードルフが右手を私に向かって伸ばしたとき──。
そのラードルフの右手首を誰かが横から掴んだ。
「聖女にさわるんじゃない!」
ウォルターだ!
ラードルフはウォルターを睨んだ。
「……何だ? お前は」
「グレンデル城の元騎士団長、ウォルター・モートンだ」
「ほほう? この聖女とどんな関係だ」
「僕は彼女を全身全霊で守る立場だ。ここから立ち去れ、ラードルフとやら」
「フフフッ……。何と、人間の騎士団長とは。ということは剣術の使い手なのだな。そうだろう?」
ラードルフはウォルターの手を振り払い、馬車の荷台から何かを取り出した。
木剣だ!
いつの間にか外に出てきていたジャッカルが、ウォルターに言った。
「おい、あいつ……。魔物だぜ」
「ああ、雰囲気で分かる。相当手強い」
ウォルターがそう言ったとき、ラードルフは木剣を構えた。
「俺も剣術を心得ていてね。いつも木剣を持ち歩いている。人間族の剣術を見て見たいのだよ。お手合わせ願えるかね?」
ジャッカルが、「ウォルター!」と叫び、木剣をウォルターに投げて渡した。
「ラードルフとやら。僕がこの勝負に勝ったら、お前たちはこの不浄なるパンを持って帰り去れ!」
ウォルターが声を上げたとき、ラードルフはまた笑った。
「ふふん、面白い。では俺が勝ったら、その聖女アンナをいただくとしよう。そして君は、俺の目の前であのパンを食べてもらおうか」
「何だと!」
ウォルターは木剣を構えた。
も、もしウォルターが負けてしまったら、彼は毒入りのパンを食べなくてはならないというの?
私の目の前で、剣術の勝負が始まろうとしている。
一方のデリック王子はあわてたような表情で、その光景を見ているだけだった。
「ふふん、面白い。では俺が勝ったら、その聖女アンナをいただくとしよう。そして君は、俺の目の前であのパンを食べてもらおう」
謎の男──ラードルフは笑って言った。
「何だと!」
ウォルターは木剣を構えた。
も、もしウォルターが負けてしまったら、彼は毒入りのパンを食べなくてはならないというの?
「真剣でなくて良いのか? 僕は木剣で君を打ち倒すことができるが」
ウォルターがラードルフに言った。
「黙れ!」
ラードルフは一歩踏み出し木剣を突いてきた。
ウォルターは後退しそれが当たらない距離に移動した。
二人はその一瞬、同時に前に出た。
鈍い骨の軋むような音がして──。
二人はぶつかり合った──鍔迫り合いだ。
「フフフ、人間よ、なかなかやるな」
「いや、君の剣術は隙がある」
ウォルターは静かに忠告した。
強い打撃音がして、ラードルフははね飛ばされた。
ウォルターは力でラードルフをはね飛ばしたのだ。
「な、なんだと?」
ラードルフは尻もちをついており、すぐにウォルターは倒れたラードルフの腹部に木剣を突き付けた。
「ま、まさかそんな」
ラードルフは足でウォルターの木剣を蹴り上げると、横に転がってその場から逃げてしまった。
「木剣を足で蹴り上げるとは。真剣だったら、足が切り落とされていたぞ。ラードフルよ」
ウォルターは首を横に振りながら言った。
「ゆ、許さん!」
すぐにラードルフは立ち上がり、右斜め上から木剣を振り下ろした。
ウォルターはそれさえも見切って避け、木剣を払う。
そして次の瞬間──ウォルターの木剣はラードルフの首筋に当てがわれていた。
「なるほど、とんでもない剣術の使い手だということか」
ラードルフは軽口を叩きながらも、すさまじい量の汗をかいていた。
冷や汗だろう。
「これは本気の剣術勝負になりそうだ」
「ラードルフ、君は今まで本気を出していなかったというのか?」
「ああ、そうだ──」
ラードルフは一歩前に踏み出た。
「その通りだよ、ウォルター!」
しかし彼は木剣を突き出さず、右手を突き出した。
「『爆発魔法』!」
ラードルフは魔法を放ったのだ。
これは剣術勝負では?
ラードルフは約束を反故にした!
だが、その魔法さえもウォルターは体を低くして避けていた。
次の瞬間──。
鈍い音がしてラードルフは地面に両膝をついていた。
そして、彼の右手首にはウォルターの木剣が当てがわれていた。
ウォルターの木剣が、ラードルフの右手首を強く打っていたのだ。
「……き、貴様……」
ラードルフがそううめいた──そのとき!
爆発音がした。
後ろの枯れ木が爆発したのだ。
ラードルフの爆発魔法が枯れ木に直撃していた──。
一方、ラードルフは顔をしかめて右手首を押さえている。
右手首は赤く腫れ上がっていた。
「ふむ」
ウォルターは静かに言った。
「君の魔法が当たっていたら、僕は死んでいたな」
「いい加減にしろ、ラードルフ!」
ジャッカルが二人の間に入りラードルフに向かって叫んだ。
「この勝負、ウォルターの勝ちだ。お前とウォルターでは剣術の実力に差がある。しかもお前は自分で決めた剣術勝負という約束事を反故にして、魔法を使った!」
「く、くく……バカな」
ラードルフが右手首を押さえながら言った。
「この私が……ま、魔界の王子が……。こんな屈辱を」
そしてラードルフはウォルターを睨みつけながら言った。
「覚えていろ、ウォルター……! 俺は魔界の王子、ラードルフだ。次は魔法を解禁して勝負をしよう。その聖女を賭けて……!」
ラードルフは私を見て舌打ちすると、「おい、行くぞ」とデリック王子に言った。
二人は馬車に乗り込んだ。
パンは赤い馬車の荷台に積まれたままだ。
二台の馬車は逃げるように村を出ていった。
「ウォルター! 大丈夫ですか?」
私はウォルターに駆け寄った。
おや? ウォルターが左腕を押さえている。
彼の左腕の一部が紫色の変色し、アザになっていた。
「どうして殿方はすぐ勝負事をするんですか! 私、あなたが傷つくと考えてとても不安です!」
私は泣きそうになりながら、彼の左腕に治癒魔法をかけつつ言った。
ウォルターは「すまない」と頭をかいていた。
もし負けたら、ウォルターは毒入りパンを食べさせられていたのだ。
本当にゾッとする。
◇ ◇ ◇
その日の昼過ぎ──。
「ふう……」
これで三人目の村人の治癒が終わった。
集会所の中は村人で満員になっていた。
私は村人の体を診て、治癒魔法をかけ毒を蒸散させていた。
集会所の中の村人は、私の治癒魔法を待つ人々だ。
「おい、いい加減にしろよ、アンナ!」
パメラが横から私を叱った。
「治癒魔法は本来、一日三人が限界だ! 無茶すると、あんたが倒れるぞ!」
彼女の言う通りだった。
四人目のお婆さんに取り掛かろうとしたとき、私は頭がグラリとした。
治癒魔法で霊力を使いすぎたのだ。
霊力は空から降ってくるが、それを出力するために内部の霊力《れいりょく》や精神力を多少使ってしまうのだ。
「パメラの言う通りだ。休みなさい」
横にいたウォルターが私を支えてくれた。
さっき私はウォルターを叱ったが、今度は逆に注意されて恥ずかしかった。
患者のお婆さんは心配そうな顔で私を見ている。
私は今日は、このお婆さんの治癒をあきらめることにした。
まだ六十人以上の村人を診ないと……。
でも村人全員の治癒を実現するには、一ヶ月も掛かってしまう計算になる。
その間に村人の体内の毒は、増殖する可能性もある。
それには毒入りパンの毒の成分も調べなければならないが──。
「あっ!」
私は肝心なことを忘れていた。
パン──。
あの毒入りパンを入手することを、すっかり忘れていたのだ。
私はあわててパメラに聞いた。
「毒入りパンは手に入れたっけ?」
「え? 村人を守るのに必死で、あいつらが持ってきた毒入りパンなんか触りもしなかったよ!」
パメラも肝心なことに気付いたようだった。
パンの毒がどのようなものでどんな場所で入手したのか調べないと、また村人の体内に毒が入ってしまう可能性がある!
し、しまった……。
「ただいま~」
私とパメラが頭を抱えていたそのとき、「彼」が集会所に入ってきた。
手に持っている布の袋には、見覚えのある角パンが見えていた。
まさかそのパンは……!
そしてその「彼」とはネストールだった──!
ウォルターが、デリック王子と魔界の王子のラードルフを追い返して一日が経った。
私たちは毒入りパンを入手することを忘れていたが、村に帰ってきたネストールが毒入りパンを二つ入手してくれていた。
この毒入りパンを調べれば中の毒の成分も、毒がどうやって生成されたものなのかも分かるはず。
村人が再び毒に侵される可能性も低くなるだろう。
だが、どうやって毒の成分を調べる?
それに、私はまだ村人全員に、治癒魔法をかけることができていない。
問題は山積みだった……。
◇ ◇ ◇
その日の朝──私の村人への診察はパメラによって休診とさせられてしまった。
「アンナ! 昨日、あんたは三人も治癒魔法で治した。休まないと死んじゃうよ! 霊力を使い過ぎ!」
パメラは疲れ気味の私に向かって、叱るように言った。
「今日は問題を話し合おうよ。①毒入りパンの毒をどうやって調べるか。②約六十名以上の村人の健康状態をどうやって取り戻すか。③イザベラ女王やグレンデル城の襲撃にどう対処するか……!」
パメラは集会所の部屋の中で声を上げた。
私、パメラ、ウォルターが集会所で色々話し合っていると──。
「あの……私、ザミーラ・エルマイナと申します」
若い女性の村人が集会所の玄関に、おずおずとやってきた。
おや? 子どもをおぶっている。
五、六歳くらいの女の子か……。
「あ~。ダメダメ。申し訳ないけど今日はアンナの診療はお休みだよ。診療は明日!」
パメラは若い女性に言った。
ザミーラという女性はあわてたように、「そ、そうですか」とうなずいた。
「で、出直します」
「待ってください!」
私は声を上げた。
どうしても彼女がおぶった子どもが気になったからだ。
「お子さんの調子が悪いのですね?」
「は、はい。私の診療は明日以降で良いですから……こ、この子の診療をお願いします」
「分かりました。では、お子さんを診ましょう」
「アンナ! あんた、ダメだって! 少しは休まなきゃ」
パメラが驚いたように声を上げた。
「一人だけなら大丈夫!」
私がきっぱり言うと、パメラは額に手を当てて首を横に振った。
「まったく、あんたは~……」
「さあ、お子さんをここへ。お子さんのお名前は?」
私がザミーラを集会所へ上がるよう手で示すと、彼女の顔は少し明るくなった。
「この子の名前はターニャです」
私がうなずくとザミーラは子どもをおぶりながら、集会所に上がってきた。
「その毛布のところに座らせてください」
私が指示するとザミーラは毛布の上に女の子──ターニャを座らせた。
ターニャは膝を抱えて座っている。
おや?
私はその子をじっと見た。
ターニャの目線が私のほうを向かない。
ぼーっとしている。
呼吸はしているし、もちろん脈はあるようだが……。
「ターニャ、ターニャさん」
私がターニャの名前を呼んでも、彼女はこっちを見ない。
言葉が聞こえていないのか?
それとも……。
「反応がないですね」
「はい……」
ターニャの母──ザミーラは泣きそうになりながら言った。
「この子、三ヶ月前からこうなんです」
「ターニャの年齢は?」
「六歳です」
「体の気を診ます。よろしいですね?」
私はザミーラの了解を得て、ターニャの体から湧き上がる気を見た。
結果、彼女の気には毒の緑色は含まれていなかった。
つまり体内の臓器には毒が蓄積されていない。
これは毒を摂取していないということ。
グレンデル城製の毒入りパンを食べなかったということか?
「アンナ……これ……。この村では初めて診る症状だね」
パメラは眉をひそめて言った。
パメラも透視しているのだから、ターニャの体内に毒がある可能性は少ないだろう。
「うーん……もう一度診ます」
私はもう一度念入りに、ターニャの肝臓、胃、大腸、小腸、肺、心臓、足、手を診た。
──正常だった。
しかしターニャはぼーっとして、言葉を発さない。
「彼女の食事はどうしていますか?」
私が母のザミーラに聞くと、彼女は言った。
「ターニャは三ヶ月、水か牛乳しか飲んでいません。だからとても心配で……」
「水か牛乳しか飲まない? 他に変わったことは?」
「ただ日中、ぼーっとしているのです」
私はうなってしまった。
初めて聞く症状だ。
水か牛乳しか飲まないのでは、栄養がとても足りないではないか……。
栄養失調も原因として考えられる。
しかしそもそも、水と牛乳しか飲めなくなった原因は?
「やっぱり気になるのは、ターニャが喋らないこと、名前を呼んでも反応しないこと、ぼーっとしていることだね」
パメラは言った。
その通りだ──。
ターニャの症状がどうしても分からない。
結局、今日はザミーラとターニャに帰ってもらうしかなかった。
「患者さんが目の前にいるのに、治せないなんて」
私はもう本当に悔しくて、泣きそうになった。
「仕方ない。我々は何でも病気を治せる神ではないのだ。今は静観しよう」
ウォルターがなぐさめてくれた。
◇ ◇ ◇
昼の三時、私が外の広場で日向ぼっこをしていると誰かがこっちに歩いてきた。
村長の娘のレギーナさんと、炭鉱の近くの家で静養していたグレンデル国王だ。
「国王、調子はいかがですか?」
私がグレンデル国王に聞くと、彼は笑って言った。
「私はもうグレンデル国王ではないよ。まあ、私の呼び名は後々考えるとしよう。──私の体調はとてもよろしい。体が軽くなった。食欲も出てきたようだ」
「それは良かったです……」
「おやおや、そういう君の元気がないではないか? 悩みがあるのならば聞くが……」
グレンデル国王がそう言ってくれたので、私は彼に説明した。
「先程、お子さんの患者様がいらしたのです。私が呼びかけても反応がなく、言葉も喋りません」
「ほほう?」
「水と牛乳しか飲まず、一日中ぼーっとしているらしいのです」
「なるほど……ふむ」
グレンデル国王は興味深そうに腕組みした。
「その症状はここから南西の地域で聞く、死霊病に似ているな」
──死霊病?
私はその始めて聞く病気の名前を聞いて、鳥肌が立った。
この直観は天使のささやき。
そのおぞましい名前の病気──死霊病とは一体、何なのだろう?
グレンデル国王は興味深そうに腕組みして言った。
「その症状はここから南西の地域で聞く、『死霊病』に似ているな」
──死霊病?
グレンデル国王は再び話し始めた。
「私が三年前──まだグレンデル城にいたときのことだ。南西のジャームデル王国に会議で呼ばれ、馬車で奇妙な村を通りかかった。この村では死霊病が増えてきていると、侍従から聞いた」
「そ、それはどんな病なのですか?」
「確か、人間の感情が失われてしまい、言葉を喋らなくなる病気だと」
感情が失われる……喋らなくなる!
ターニャの症状と似ている!
「それくらいしか知らんが、何か役に立つだろうか?」
国王が頭をかきつつ、そう話してくれたそのとき……。
「馬車だ! 赤い鎧を着た兵隊が来たぞー! 大勢だ! 三十名はいるぞ」
村人の声が周囲に響いた。
火の見やぐらで周辺を監視する青年、ダニエル・ロスタが叫んだのだ。
あ、赤い兵隊!
まさか──グレンデル城の女王親衛隊?
「おい! 先頭に女がいる! あれはイザベラ女王じゃないのか?」
ダニエルが望遠鏡を覗きながら叫んだ。
私はギクリとして冷や汗が出た。
イザベラ女王──!
私の最も苦手な人物──この世で最も恐怖を感じている人間だ。
そ、そうか。
デリック王子は帰ったあと、イザベラ女王に報告したのか。
しかし、女王がこんなに早く動きをみせるとは思わなかった……!
「い、いかん! イザベラ女王は本気で君を見つけにきた!」
国王は私に向かって叫んだ。
「イザベラ女王と女王親衛隊には逮捕権があるのだ。見つかると逮捕されるぞ。特にアンナ! 君はグレンデル城から指名手配をされているはずだ。まずいぞ」
そしてグレンデル国王は声を上げた。
「私は炭鉱の隠し部屋に避難するが……君たちはどうする? 炭鉱は身を隠すのに最適とはいえない。一本道なので女王親衛隊が入ってきたら逃げ場がない。隠し部屋も狭い」
「そ、そうですね。それなら」
私はあわてて思いついたように言った。
「わ、私たちは裏口から村の外にいったん逃げます。大きな岩場と森がありますから、そこに──」
「そ、そうか。村にいるよりも安全かもしれないが……。捕まるなよ、聖女よ」
グレンデル国王は急いで、レギーナさんと一緒に炭鉱のほうに行ってしまった。
ああ!
イザベラ女王と女王親衛隊が村の入り口まで来て、オールデン村長と話をしている!
「早く安全な場所へ逃げよう!」
ジャッカルがこっちに走ってきながら声を上げた。
「これは本当にマズい。捕まったら全員牢獄行きだ!」
ウォルターやパメラ、ネストールも一緒だ。
私は提案した。
「む、村の裏口から逃げたほうが良いと思われます」
「ダメだ、女王親衛隊は村の外の周囲も見回っている」
ウォルターの言葉に私はギョッとした。
──彼は続けた。
「食料庫に身を隠そう。物が多くあり、それなりに広い。隠れる場所も豊富だと思われる。早く行こう」
「は、はい。パメラとネストールは?」
私が聞くとパメラは素早く答えた。
「私とネストールの顔は多分、イザベラ女王たちは知らない。村人の格好をすればかなりごまかせるはずだ」
「何とか時間稼ぎをするよ」
ネストールもそう言ってくれた。
そのとき、女王たちが村に入ってきた!
私とウォルター、ジャッカルはすぐに食料庫に入った。
人参などの野菜や、米、バターがたくさんの箱に入って積まれている。
確かにこれならば隠れやすいが……イザベラ女王と女王親衛隊は甘くないだろう。
「こっちだ」
ジャッカルは食料庫の奥のほうで手招きした。
そこには引き戸の部屋があり、中に入ってみるとジャガイモがたくさん入った箱がたくさん積まれていた。
一つだけ窓があるが、木の格子があるので外からは簡単に入ってこれないだろう。
「ジャガイモはパン、小麦粉の次に大事な食料だからな。個別の部屋があるのか」
ウォルターは言った。
私たち三人は引き戸をしめ、頭を低くして窓の外を見た。
外の声が聞こえてくる。
「……なんだ、お前たちは」
「あたしは村人のパパヤ・マクレン。こっちは弟のピピヤ・マクレンだ。あんたこそ、どなたですか?」
太い男の声と、パメラの声が聞こえた。
パパヤがパメラでピピヤがネストールか……。
咄嗟に名前をよく考えついたものだ。
「俺はグレンデル王国の女王親衛隊副隊長、バルガ・ギルバルだ」
さっきの太い男の声がした。
この声の主が女王親衛隊の副隊長の声か。
彼も魔物や悪魔と契約しているのだろうか?
「アンナ・リバールーンという聖女と、ウォルター・モートンという男を探している。情報があってな、このローバッツ工業地帯の村にいると聞いた」
「え? すぐに村を出ていった気がするけどなあ。あたしはあまり知らないねえ」
パメラのとぼけた声が聞こえた。
「本当か? 弟のほうはどうだ?」
「姉ちゃんの言う通り、俺も知らない」
「……ちょっと食料庫を見せてもらいたい」
「いやそれは。うちの村の大事な食料庫なのでね。関係者以外は入れないよ」
パメラがギルバルを引き止めるような声がしたが、ギルバルは耳を貸さなかったようだ。
「どけ! ちょっと確認するだけだ。では、よろしくお願いします」
「うむ、お前は下がっていろ」
え?
鋭い女性の声……!
私はこの声の主を知っている。
背筋が凍りついた。
「私が食料庫を見よう。もしアンナが出てきたら……あの聖女を牢獄に入れて地獄を見せてやる!」
こ、この声は……!
イザベラ女王だ──!
「私が食料庫を見よう。もしアンナが出てきたら……あの聖女を牢獄に入れて地獄を見せてやる!」
こ、この声は……!
イザベラ女王だ!
「おい、鍵があるぞ。気付かなかった。鍵付きの戸か、珍しいな」
鍵穴に鍵が垂れ下がっている。
その鍵を穴に差し込むと引き戸に鍵をかけられる「ネジ締り錠」というものだ。
ジャッカルは素早くネジ締り錠をかけた。
「そこにいるか?」
外から聞き覚えのある声がした。
格子の窓に誰かが近づいてくる!
私は心臓が飛び出そうになったが、窓に近づいたのは……ネストールだった。
すると彼は格子の隙間から、「村人の大声が聞こえたら炭鉱へ」とつぶやいた。
「おい! お前……少年!」
外で太い男の声がした。
女王親衛隊のギルバル副隊長の声だ。
「少年、窓のところで何かしたか? 誰か中にいるのか?」
「いえ何も。だけど虫がすごくいるので、近づかないほうがいいですよ」
「えっ?」
ギルバル副隊長は少し弱々しい声を上げた。
「む、虫か。苦手なんだよなあ……。少年! お前、そんなところでうろちょろしているんじゃない! とにかく食料庫は入らせてもらうからな!」
ギルバル副隊長が窓を離れていく足音がした。
「ネ、ネストールの言った『大声』って何?」
私がつぶやくようにウォルターとジャッカルに聞くと、ウォルターが考えながら言った。
「彼が言ったのは、『村人の大声が聞こえたら、食料庫の外に出て炭鉱に行け』──そういう意味だと思うが……うーむ」
「──食料庫内を探せ!」
そのとき、引き戸部屋の外で──つまり食料庫内でイザベラ女王の声がした。
そして数名の足音が聞こえた。
女王親衛隊の数名が食料庫に入ってきたのだろう。
「どこだ? ここにもいない……積み上げられた箱の裏、近くを見ろ!」
女王がイライラした声を上げたが、女王親衛隊の一員らしき男は言葉を返した。
「い、いないようです」
「箱の中身は何だ? 箱の中に人間が入っている可能性は」
「野菜や穀物類です。箱は大人が中に入れる大きさではありません」
「食料庫に部屋はあるのか?」
「あ、あるようです!」
私は思わずドキリとした。
すぐにガタガタという引き戸の扉を開ける音がした。
女王たちが、別の引き戸の部屋を開けているらしい。
「この部屋にはいません!」
「じゃあこっちは!」
「いえ、ここにもいないようで」
「ええい! では最後のここは」
ガタガタガタ……。
わ、私たちの引き戸部屋……ジャガイモの倉庫に入ろうとしている!
「鍵がかかっているな。ブチ破れ!」
女王がそう叫んだとき──。
「アンナだ! アンナ・リバールーンがいたぞーっ! 集会所の横だ!」
窓の外──食料庫の外で「大声」がした。
え?
私は食料庫の中にいるのに……。
声の主は……多分、オールデン村長?
「外だ! 全員、外に出るぞ! アンナを見つけたらしい」
女王の声がして食料庫内は静かになった。
窓の格子の隙間から外を覗くと──。
道端に何となく私に似ている女性が、おろおろと立っている。
あ、あの人は誰?
やがてその女性は女王親衛隊に取り囲まれた。
そのときウォルターが素早く引き戸部屋の鍵を開けた。
「よし! ネストールの言葉の通り、炭鉱のほうへ走ろう!」
私とジャッカルはうなずいて、すぐに食料庫に出た。
食料庫には誰もいない。
そっと外に出ると集会所の近くに、たくさんの女王親衛隊たちが集まっている。
女王の姿もある。
「さあ早く」
ウォルターが私の手をとって走り出した。
私はうなずくとすぐに集会所とは真逆の方向に走り、裏道を通って炭鉱に向かった。
◇ ◇ ◇
私とウォルター、ジャッカルは炭鉱近くに急いだ。
炭鉱前の集落にはパメラとネストールとグレンデル国王がいた。
その三人以外は誰もいない。
女王親衛隊は、あの謎の「もう一人の私」を調べているのだろう。
一体、彼女の正体は……!
「さあ、炭鉱の西通路から外に出られるぞ。私が案内する。ついてきたまえ」
グレンデル国王が言った。
私は疑問に感じて聞いた。
「で、でも、さっきの女性は一体どなたなのですか?」
「あの人はレギーナさんだよ。オールデン村長の娘さんだ」
ネストールが答えた。
ええっ?
「彼女は自分から、『アンナ様の身代わりになります』と言ってくれたんだ。時間がなかったから、了承しちゃったけどね……。ちなみに大声の主はオールデン村長だ」
「レ、レギーナさんを助けなくちゃ」
「いや、俺が村に残って見ておく」
ネストールが言うとグレンデル国王もうなずいた。
「私もレギーナの提案に驚いたよ。しかし女王と女王親衛隊に逮捕権があるとしても、指名手配犯である本人……つまり君、アンナでないと逮捕できない法律になっている」
そして少しうつむきながらも力強く言った。
「レギーナは……うむ、きっと大丈夫だ──。さあ、私についてきなさい。外に出るための抜け道を教えてやるぞ」
「し、しかし外に出たとして、私たちはどこに行けば良いのですか?」
「この村に死霊病の子どもがいるのだろう。それに村人の毒素を取るために、たくさんの協力者が必要だ。私が死霊病を見たゾートマルク村に行け」
「ゾートマルク村……!」
聞いたことがある。
南西のジャームデル王国が管理していると噂される謎の村だ。
「さあ早く! 女王と女王親衛隊は遅かれ早かれ、ここに来てしまうぞ!」
グレンデル国王が歩き始めたと同時に、「炭鉱のほうを探せ!」という声が聞こえてきた。
女王親衛隊がこっちに来る!
私、パメラ、ウォルター、ジャッカルの四人は、ネストールと別れてグレンデル国王に急いでついていくことにした。
私たちは炭鉱の中に入っていった。
女王と女王親衛隊という恐ろしい追手を恐れながら──。
「さあ早く! 女王と女王親衛隊は遅かれ早かれ、ここに来てしまうぞ!」
グレンデル国王が歩き始めたと同時に、「炭鉱のほうを探せ!」という声が聞こえてきた。
女王親衛隊がこっちに来る!
私、パメラ、ウォルター、ジャッカルの四人は、ネストールと別れてグレンデル国王に急いでついていくことにした。
私たちは炭鉱の中に入っていった。
◇ ◇ ◇
炭鉱の通路──炭坑は薄暗かった。
岩の突起がありパメラが転び、私たちはコウモリに襲われた。
やがて通路の向こうのほうに光が見えてきた。
炭坑から外に出ると、光と青空の青色が私たちを包む。
「ここは……!」
ローバッツ工業地帯の裏の岩場だ。
後ろを振り向くと、岩場には大きな穴が空いていた。
私たちはそこから外に出てきたらしい。
太陽の光が岩場の草木の緑を、よりいっそう輝かせていた。
「さあ早く逃げよ!」
グレンデル国王は声を上げた。
「南に五キロメートル行くと牧場があり、そこで馬車が借りられる。牧場から南西に二十五キロメートルほど行くと、そこにゾートマルク村があるはずだが……。さあ、その村へ逃げよ! すぐに追手が来るぞ!」
「国王様、ここは危険です! 私たちと一緒に逃げましょう」
私がそう言うと、グレンデル国王は首を横に振った。
「いや、世話になったレギーナのことが心配だ。私はここに残るよ。だが、こんな話をしている暇は……」
国王がそう言ったそのとき!
「聖女はどこだ!」
「捕らえよ!」
「この穴の外にいるはずだ!」
──炭鉱《たんこう》の穴から女王親衛隊たちの声が聞こえてきた。
「さあ、行くがよい!」
国王が声を上げたので、私たちは急いで南に向かった。
◇ ◇ ◇
私たちはグレンデル国王と別れ、私たちは徒歩で牧場に行き、馬車を借りてそのまま南西に向かった。
御者はジャッカル。
私たちは客車の上で揺られながら、ようやくホッと息をつくことができた。
そこから馬車で二十五キロ移動した。
そして五、六時間、南西に移動しただろうか──。
「あ、あれは……村? いや、街……か?」
ジャッカルが叫んだ。
南西のほうに家々が見えてきた。
おや? 村というよりは大きな街に見えるが……。
あれがゾートマルク村?
村で見かけるような木造の家はなく、モルタルと石造りの白い立派な家々がたくさん建っている!
こんな荒野の真ん中に、いつの間にこんな大きな街ができたのだろうか?
私たちは目を疑った。
「確かゾートマルクは、『村だ』とグレンデル国王が言ってたよね?」
パメラが首を傾げた。
確かグレンデル国王はさっき、こう言っていた──。
「牧場から南西に二十五キロメートルほど行くと、そこにゾートマルク村があるはずだが……」
と言っていたはずだ。
しかし目の前にあるのは村ではなく大きな街に見える。
国王の勘違いだろうか?
私たちが首を傾げていると──。
「このゾートマルクに何か用ですか?」
白いローブを羽織った長髪の若い青年が、白い大きな建物から出てきた。
背が高く、性格は何となく真面目そうな人だ。
整った顔立ちをしている。
建物は──恐らく礼拝堂だ。
「それともあなた方……。死霊病にかかった人たちですか?」
若い青年は私たちに向かって杖を突き出した。
杖の先を見ると──魔法の火が燃え盛っている。
危険!
これは火炎魔法だ!
「火の精霊よ、邪魔者を退けたまえ!」
青年はそう唱え、火の魔法を杖から発した。
轟音とともに、火の弾が私たちの足元に着弾する。
「待って! 待ってください!」
私が青年にそう言ったとき、彼は再び杖を振り上げるのを止めた。
そのときウォルターが素早く木剣を取り出し──。
彼の杖を払い落した!
「う、むっ……! 強い!」
青年は顔をしかめた。
彼の杖は地面に落ちた。
「君は本当に火の魔法を当てるつもりはなかった。そうだろう?」
ウォルターが青年に言った。
「……あなた方、何者……?」
青年は私たちを睨みつけていた。
「……あなた方、何者……?」
青年は私たちを睨みつけていた。
「待ってください!」
私は叫んだ。
「落ち着いて! 私たちは敵ではありません。──その死霊病の原因を探りに旅をしているのです」
「死霊病の原因……?」
青年は地面に落ちている自分の杖を拾い上げながら言った。
この青年の年齢は恐らく──二十代後半くらいだろう。
着ている白ローブの形、腕につけている紋章を見るとこの青年は白魔法医師に間違いない。
白魔法医師とは治癒魔法を扱う医師のことだ。
この白魔法医師は誰の味方だろうか?
「僕たちは旅の者だ。仮住まいをしている村に病人がおり、協力者を探している。僕たちは人を傷つけることはない」
ウォルターが淡々と言った。
それを聞いた青年の顔から、警戒の色が消えたように思えた。
素性を隠してこう言えば良かったのか……さすがウォルター……。
「ふむ。私は見ての通り白魔法医師です。自己紹介くらいはしておきましょう。私はラーバス・アンテルムという者です」
ラーバスは穏やかに、それでいて力強く言った。
「あなたたちのお知り合いにも病人がいると。……しかしここには近づかないほうがいい。早く帰りなさい」
「なぜだ?」
ウォルターが聞くと、ラーバス白魔法医師は答えた。
「このゾートマルクは死霊病の街だからです」
死霊病の街……。
い、一体どういう街なんだろう?
私が考えていると、ウォルターは一歩前に進み出て聞いた。
「そのことについて詳しく教えていただきたい。僕たちも手ぶらでローバッツ工業地帯に帰れない」
「ほほう? ローバッツ工業地帯から来たのですか? あそこはもう寂れてしまったと聞くが……しかしね、この街は危険なのですよ。帰ったほうが身のためだ」
「どう危険なのですか? あなたも白魔法医師ならば、ローバッツ工業地帯に来て私たちの友人の娘さん──ターニャを助けてあげてください」
私は少し腹を立て、ラーバスを見やって言った。
「ターニャは死霊病だと思われるのです」
「何ですって?」
ラーバスは私を見た。
「ローバッツ工業地帯の村に、死霊病の患者がいるのですか?」
「私はその死霊病というものがどういうものか知りません。しかし、死霊病を見たことがある人が、ターニャを見て『これは死霊病だ』と言いました。また、村人のほとんどが体内に毒素を抱えています」
「……ふむ……」
「もっと助けがいります。あなたも協力していただけませんか」
「無理ですね」
ラーバスは冷たくそう言った。
「帰ってください。邪魔です」
「そんな言い方はないじゃありませんか。あなたは白魔法医師でしょう? 人助けをするのがお役目では?」
私は自分の言い方は、大変ぶしつけで傲慢だと自分でも分かっていた。
しかし何としても協力者が欲しかったので、こんな言い方になってしまった……。
「私には仕事がある。君たちの相手はしていられないのです」
ラーバスはもう礼拝堂のほうに戻ろうとしていた。
そのとき──。
「きゃあああ!」
叫び声がしたので後ろを振り向くと、パメラの背中に何かがいる!
ひ、人型の魔物が抱きついている?
こ、この魔物、どこから出てきたんだろう?
「ちょっとおお! あたしが何したっていうのよ!」
パメラはわめいているが、魔物はパメラの背中にべったりと抱きついて離れない。
その魔物は肌が紫色で爪が伸び、牙が生えている。
しかし服を着ているし、髪の毛が生えている……。
えっ?
──人間?
魔物はパメラの首を、腕で後ろから絞めようとしている。
「どけえっ、この野郎! パメラ、地面に倒れろ!」
ジャッカルが声を上げた。
パメラは男性を背負ったまま、よろよろと地面に倒れ込んだ。
ジャッカルはその魔物を、自分の武器の八角棒で殴ろうとした。
「攻撃するのはおやめなさい!」
ラーバスがジャッカルに向かって声を上げた。
「地上の者よ、眠れ!」
ラーバスが呪文を唱えた。
するとジャッカルとその紫色の人型の魔物は、一緒に地面に突っ伏して眠ってしまった。
い、今のは強制睡眠魔法──! 高度な白魔法だ!
この人型の魔物は一体?
パメラはあんまりびっくりしたのか、わんわん泣いている……!
ジャッカルも寝てしまっているし、ど、どうなってしまうの?
私たちはラーバスという白魔法医師の青年に出会った。
そしてその後、謎の人型の魔物に襲われた。
パメラは首を絞められそうになったが、ラーバスの強制睡眠魔法により魔物は眠らされた──。
◇ ◇ ◇
「仕方ないですね。その女性に傷があるかどうか確認する必要がある。診療所に来てください」
ラーバスは渋々、といった風にパメラを見やって言った。
「ちょ、ちょっとあんた! 医者でしょ? あたしは襲われたんだ。『仕方ない』って何だよ!」
パメラは文句を言ったが、ラーバスは表情を変えずに言った。
「私は非常に忙しい。正直、君の治療などしている暇はない。しかし、君の肌に魔物の『病原体』が入っていないか確認しなければならないのです」
私は「病原体……」とつぶやいた。
聞いたことがあるが……。
するとパメラが怒鳴った。
「確認? あんたができるの?」
「いいから早くしなさい! 病原体が体に入ってしまったら取返しのつかないことになるぞ!」
ラーバスが怒鳴ったので、私とパメラは飛び上がった。
病原体は、微生物の一種であると聖女医学で学んだはずだ。
これが体内に入り、流行り病になると恐ろしいことになる、と聖女の医学書には記されてあったと思う。
しかし私の病原体についての知識は、その程度だ。
すると街の男性が三人やってきて、持ってきた布製の担架を広げた。
そしてその魔物を担架に載せて、運んでいってしまった。
「あ、あの魔物はどうなるのですか?」
私が驚いて聞くと、「睡眠魔法で今日一日は眠っているでしょう」とラーバスはそう言うだけだった。
そのとき、睡眠魔法をかけられたジャッカルがのろのろと起き上がった。
──ラーバスは続けた。
「あの若者たちは村の自警団です。魔物のことが気になりますか? ──こういうことになるから、君たちには『帰りなさい』と言ったのですがね」
ラーバスの言うことは冷たく厳しい。
しかし、不思議と筋が通っている気がした。
「見てみろ、この街はどことなく不自然だ」
ウォルターが街を見やりながら言った。
私たちはゾートマルクの街に足を踏み入れた。
そこは美しく新しい街であるが、不思議な形をしていた。
街の入り口付近に看板があり、街全体が描かれている。
それを見ると、街には円を描くように川が流れているらしい。
川の外周の家々と、内周の家々とが分かれているのだ。
「二分されている……区分け?」
パメラがそう言って首を傾げた。
川には石造りの橋がかけられ、川の外周地域と内周地域は行き来はできそうだ……。
そして家々は新しいのに、多くの外壁《がいへき》が壊されている……?
◇ ◇ ◇
「さあ、こっちです」
ラーバスは川の外周にある診療所に入っていった。
モルタルと石造りの家で立派だが、やはりなぜか外壁がボロボロだ……。
診療所の中は結構広く、一つの診察室と四つの病室に分かれていた。
「皆さん、私はポレッタ・リリーネルシェと申します」
診療所にいた若い女性看護師が、四人分の布製マスクを手渡してきた。
「マスクをつけて下さい。白魔法医師会が配布しているマスクです。マスクをつけるのは、診療所の中だけで結構ですよ」
このポレッタという看護師も同じマスクをしている。
鼻と口を覆う医療用のマスクだ。
聖女の医学書でも「大勢の患者がいる病院、診療所では、マスクをつけることを推奨」と書かれている。
だが、こういったマスクは高価で私にはとても手に入らない。
「パメラさん、診察室に来てください。ああ、男性は外に出て。聖女さん、あなたは診察室に入りパメラさんに付き添ってあげなさい」
ラーバスもマスクを着用しながら私とパメラに言った。
ウォルタとジャッカルは、診療所のロビーの椅子で待つことになった。
◇ ◇ ◇
診察室もやたら新しくて、きれいだった。
本棚と薬品棚もある。
ラーバスとともに、さっきマスクを手渡してきた女性看護師、ポレッタも入ってきた。
ラーバスは机の前に座りながら言った。
「パメラさん、立ちなさい。服を全部脱ぎましょう」
「な、何をおっしゃいます!」
私は驚いてラーバスに向かって声を上げた。
「傷を見るだけで、若い女性に服を全部脱げだなんて!」
「さっき魔物に襲われた際にできた傷を見るんですよ。体のどこかに魔物の爪でできたひっかき傷があったら、この女性は死ぬかもしれませんよ」
「えっ? 傷で?」
私もパメラも驚いたようにラーバスを見た。
傷でそこまで致命傷になるのか……?
確かに獣の爪から体内に菌が入り、命に係わるという話は聞いたことがあるが……。
「ご安心なさい。私ではなく、ポレッタが別の部屋でパメラの傷を確認します。早くしないと命に係わりますよ」
「ではパメラさん、こちらへ」
パメラはポレッタに奥の部屋へ連れていかれてしまった。
大丈夫かな……。
傷が命に係わる……?
私はパメラが心配で仕方なかった。
ラーバスといえばインクを使い、机でパメラの診察書を書いていた。
十分後、パメラとポレッタが部屋から診察室に帰ってきた。
そしてポレッタはラーバスに言った。
「先生、パメラさんの肩、背中、腕には傷はありませんでした。しかし、右膝、左膝にはそれぞれ一ヶ所──計二ヶ所、すり傷があるようです」
「ふむ……」
ラーバスはパメラを座らせて、両膝を虫眼鏡で見た。
両膝の傷はどっちも薄皮がめくれて、多少血が出ている。
「これは魔物に襲われてできたひっかき傷というよりは、転倒したときにできた傷ですね。君が転んだのはさっき魔物に襲われたときに倒れたときと……他には?」
ラーバスがパメラに聞くと、彼女は顔を赤らめて答えた。
「炭坑で走ってこけたんだよ」
「なるほど。まあ、命に別状はないでしょう」
ラーバスはパメラの両膝の傷を念入りに消毒して、絆創膏を貼りつけた。
「あの……そこまで傷を念入りに観察するのはどうしてでしょうか?」
私が聞くとラーバスは答えた。
「あの魔物の爪から病原菌が入るんですよ。聖女ならご存知でしょう?」
「……そもそもあの魔物って、一体何なんですか?」
「死霊……。いや、これはその系統の魔物を総称する古い言い方ですね。あの魔物は『屍食鬼』もしくは『グール』と呼ばれている魔物です」
グール!
聞いたことがある!
屍を喰う死人同然の魔物だ……!
だけど謎が深まる。
なぜこんな立派な街にグールが出現するのか?
パメラは白魔法医師のラーバスに、体に傷があるか確認してもらった。
何も問題ないということで、私は一安心だ……。
私たちは夕方、ラーバスに街の川の外周にある小さな料理店に招かれた。
女性看護師のポレッタは家に帰ったらしいが、この街は不気味だし魔物がでるので心配だ。
料理店にはちゃんと料理人もいるし、お客は少ないがきちんと経営している。
客は街の住人だろう。
「こんなに食料があるなんて。グレンデル城の城下町みたい」
私は料理を食べながら言った。
牛肉や野菜のコース料理や、パンもあり、今のご時世では考えられない豪勢な食事だ。
ラーバスは言った。
「物資や食材はジャームデル王国から届いています」
物資や食材が届く……?
しかも悪名高き戦闘国家、ジャームデル王国から?
確かあの国はイザベラ女王と関係が深いと聞く。
(おい、アンナ。料理をあんたの能力で調べたほうがいい)
隣に座っているパメラが、私に耳打ちした。
私はあわててうなずいた。
疑うのはいけないと思ったけれど、料理に毒があるかを透視魔法で見た。
料理から緑色の「気」は出ていない。
毒はまったくなさそうだ。
私とパメラはホッと息をついた。
「この街は二年前に、ジャームデル王国が寂れたゾートマルク村を改造して造り上げた街なのです」
ラーバスがそう言ったので、私は思わず聞いた。
「なぜジャームデル王国がそんなことを?」
「私はジャームデル王国に雇われただけの白魔法医師なので、詳しくは知りません」
「ラーバス、あなたはジャームデル王国の人間なの?」
「私は安い金でジャームデル王国に雇われた、単なる白魔法医師ですよ。しかし医者として誇りをもって人を診察、診療します」
そしてラーバスは静かにこう言った。
「この街はジャームデル王国の実験施設なのです」
私たちは眉をひそめた。
「実験施設だと? 一体何の実験施設なんだ?」
ジャッカルは半ば声を強めて聞いた。
「先程の魔物……グールは、この村の川の内周に住む街の住人なのです。それをジャームデル王国は監視しています。私が知っているのはその程度です」
驚く私たちを尻目に、ラーバスは静かに続けた。
「夕方から住人はグールとなり、朝になると普通の人間に戻っていく。しかし人間に戻っても正気はないが」
「お、おいおい! それが本当ならやばいじゃないか。今は夕方だろ? そのグールとやらが川の内側から来るぞ!」
ジャッカルが声を上げると、レストランにいた数名の客はこっちを見やった。
(アホ! 声がでかい!)
パメラがジャッカルを肘で小突いた。
ラーバスは再び言った。
「石橋は開閉式になっており、夕方は川を渡れません。グールは川を渡ることはほぼありません」
「では、昼にパメラを襲っていたグールは?」
私が聞くとラーバスは答えた。
「時折、昼にグール化する者がいるのです。そういうときには私の魔法で眠らせます」
「あたしを襲ったグールは? 担架であいつの家に運び込んだんだな?」
パメラは少し怒っているようだった。
「そういうことです。元は人間ですからね。彼にも家があります」
「周辺住民は危険じゃないのか?」
「私の魔法で眠っているから大丈夫です。朝になればグール化が解けます」
私はローバッツ工業地帯の村のターニャを思い出していた。
「となると……私の知り合いの娘さん、ターニャもグールになっていたのですね」
「私もそう思います。なぜここから離れたローバッツ工業地帯の村に、グール化した子どもがいるのかは不明ですが」
うーん……確かに謎だ。
「あなたたちはローバッツ工業地帯の村人を治癒する協力者を探しているのでしょう? この街のニ十キロメートル南に、ルバイヤという村があります。そこには白魔法医師たちの隠れ里があります」
白魔法医師たちの隠れ里!
私はそんな場所があるのか、と驚いた。
「ウォルターさん、ジャッカルさん、あなたたちはかなり腕が立つとみえるが」
ラーバスはウォルターとジャッカルを見やった。
「私から見ると、まったく力が解放されていない。特にウォルターさん、あなたはまだ力を秘めていますね。──私の知り合いには『聖騎士』という職業についている者がいます。あなたは今の騎士から、聖騎士に転職するべきだと思う」
「聖騎士!」
ウォルターは驚いたように声を上げた。
「伝説の職業じゃないか。騎士《きし》よりもずっと強く位の高い職業だ……! ぼ、僕にそんな資格があるのか?」
「あなたならその力を備えているのでは? ルバイヤ村に人間の力を引き出してくれる人がいます。それに加え、ルバイヤ村の者ならあなた方の要望に応えて、たくさんの協力者を派遣してくれるかもしれません」
「そ、それはすごい!」
私は思わず声を上げた。
ルバイヤ村に行かなければ……!