俺は自分の子ども部屋のクローゼットから、別の家の子ども部屋に瞬間移動してしまった。
意味が分からん。どうなっているんだ? 目の前には、かわいい女の子が座って本を読んでいるし。多分、この女の子の部屋だろう。
女の子は、まだ俺に気づいていないようだ。
俺は目の前の美少女を、まじまじと見た。じっと本を読んでいる。十四歳か、十五歳くらいか……。なるほど、かなりの美少女だ。
この部屋の後ろにも、クローゼットがあり、扉が開いている。まさかオレは、このクローゼットから出てきたのか?
「えっ!」
少女は俺の気配を感じたらしく、横を振り向いた。そして俺に気付いた。
「ひいい~! だ、誰ですか!」
まあ、そうなるわな。驚かしてすまん。本当にすまん。俺も何でこの部屋にいるのか、わからんのだ。
少女は素早く、後ろのベッドに飛び乗り、布団の中に隠れた。
布団がブルブル震えている。よっぽど怖いんだろう。
あ~……、まあ、無理もない。俺、不法侵入者だもんな。そんなつもりはなかったんだが。
「あ、あ、怪しいものじゃない」
俺は、自分が情けないと感じながら言った。何て説得力のない言葉なのか。しかも、女の子と話すなんて、久しぶりだ。二十年ぶりか? き、緊張する……!
「あ、あなた、誰?」
少女が、布団の中で震えながら聞く。
「え、え、えーっとね……ゼント・ラージェントという者だ」
俺は緊張で呂律がまわっていないが、できるだけ優しく言う。
「こ、こわい!」
「で、でしょうね。すぐ帰るよ。玄関の場所を教えてほしいんだが」
「ひいい~……」
少女の悲鳴が、布団の中から聞こえる。どうしたものかな、と俺が思っていると──。
「何、騒いでいるんだ!」
どこからか男の声が聞こえた。ん? 床下からか?
「ご、ごめんなさい!」
布団の中の少女は、声を上げた。
「何でもないの!」
「下まで聞こえているぞ! 誰かいるのか!」
この子の父親らしき声が、部屋の床下──階下から響いた。そりゃ、この子の家族は驚くだろう。この女の子、悲鳴を上げたものな……。
それにしても、父親がこの部屋の下にいるらしい? つまり、ここは二階か?
父親がきたら大変だ。何とかして、この部屋、そしてこの家から出なければ。
しかし、通報されたらやっかいだ。女の子の誤解を解こう。
「あ~……下にはお父さんがいるのか?」
「お、お父さんじゃありません。グート叔父さん……」
「叔父さんか。お、俺のことが怖いなら、一階の……えーっと? そのグート叔父さんのところに行ってくれ。俺は君に何もしない。さっさと玄関から出ていくから、通報とかはやめてくれ」
「私が、グート叔父さんのところへ行くの? い、いやです」
は? 何と、少女は拒否した。
「グート叔父さんは鬼より怖いんです。私、一階に行くのが怖い。すぐ、私を叩くし……一階に行きたくない」
おいおい、どうなっちゃうんだよ、これ。
窓の外を見ると、眼下に商店街が見える。やはり、ここは二階か。
あれ? ここって、マール村か? 俺の住んでる村じゃないか。子どもの頃はしょっちゅう商店街で買い食いした。マール村の商店街で間違いない。
どういうことだ? 目の前には、布団の中でブルブル震えている女の子がいるし……。
……と、その時!
ドスドスドス
う、うわあああっ!
女の子の言う、グート叔父さんが二階に上がってきた?
ガチャッ
丸坊主のいかついオヤジが、部屋に入ってきた。背は高くないが、戦士のように胸板が厚い。年齢は……五十代くらいか。恐らく、何らかの格闘術、武器術を心得ているに違いない。めちゃくちゃ強そうだ! こ、こええ~……。
ん? げえっ? このオヤジ、手に「ひのきの棒」を持っている! 文字のごとく、ひのきを削り出して作った、最も手軽な武器だ。
ん? あ、しまった! 俺、木刀を置いてきた!
「アシュリー! 何を騒いでやがるんだ! ……ん?」
その男──つまりグート叔父さんは目を丸くして、俺を見た。
「な、なんだあ? てめえは!」
「あ、あ、俺、怪しい者じゃないです」
「どこから入ってきやがった! 村の自警団に突き出してやる!」
まあ、そうなるよな。しょうがねえか。
「俺は何かの間違いで、この部屋に入ってきた引きこもりです。すべて誤解だから、話を聞いてください」
「わけのわかんねえこと言うんじゃねえ! コソ泥か?」
俺は泥棒ではないが、そう思いたい気持ちはわかる。
するとグート叔父さんは、アシュリーの方をにらみつけた。
「アシュリー、てめーがこの男を連れ込んだのかあ? 一階でおしおきをしなきゃならねえなあ! ああ?」
ガスッ
グート叔父さんは、アシュリーの座っているベッドに蹴りを入れた!
「あっ……! な、何するんだ!」
俺はさすがにムカッときた。女の子を怖がらせるなんて、ゆ、ゆるせん!
「コソ泥! てめーもぶっとばしてやるよぉ!」
グート叔父さんは、今度は俺をにらみつけ──。
バキィッ
グート叔父さんは、左拳で俺の頬を殴った。
いてえ! 口から血が出た。それでも、女の子──アシュリーを守らなければ!
俺がアシュリーの前に立つと、その叔父はいきり立ち、俺の腹に、蹴りを叩き込んできた。
シュッ
だ、だが、素人の蹴りじゃない!
「前蹴り」だ! 俺の腹の急所──みぞおちを足の爪先で、貫いてくる!
ガッ
だ、だが、俺は……前蹴りを右手で払っていた……!
「な、なんだと? 俺の『前蹴り』を、『下段払い』でかわすとは?」
グート叔父さんは、目を丸くしている。
とにかく、アシュリーって子が危ない。俺が──俺が守らなきゃ!
それにしても、このタコ親父、格闘の素人じゃない! 蹴りもきちんとした形になっている。
すると、グート叔父さんは、今度は右手で、ついに「ひのきの棒」を振り回してきた。
お、おや? 見える! 武器の挙動が見える!
シュッ
耳元で「ひのきの棒」が振り下ろされる音がした。
しかし、俺は間一髪でかわしていた。偶然? まぐれ?
いや……違う。
俺は、「ひのきの棒」の挙動が、完全に見えていたのだ。つまり、俺はグート叔父さんの攻撃を見切っていた。
「こ、この野郎! なんなんだ?」
グート叔父さんは、今度はひのきの棒を、上段から振り下ろす!
シャッ
俺はもう完全に見切っていた。半歩後退しただけで、ひのきの棒をかわすことができた。
グート叔父さんは、「うっ……な、何モンだ? おめえ……?」と声を上げ、俺を驚きの目で見た。
俺はグート叔父さんの、「ひのきの棒」の攻撃を、二回も見切ってかわした。
「こ、この! よけやがって!」
叔父さんはあわてて、今度は斜めから「ひのきの棒」を振り下ろしてきた!
見える! 見えるぞ!
俺は、今度は叔父さんの「ひのきの棒」を左にかわした。
そして!
カッ
俺は手刀で、叔父さんの「ひのきの棒」をはね飛ばした。「ひのきの棒」は壁に当たり、床に転がった……。俺もどうしてそんなことができたのか、自分でも分からない。
「は? え?」
叔父さんは目を丸くしている。
「き、きさまあっ。俺は去年の王国格闘トーナメント、五十歳以上の部の三位だぞ!」
げ、王国トーナメントの三位か? このおっさん、相当な格闘術の実力者だ!
すると叔父さんは右のパンチで、俺に襲い掛かってきた。
ここだ!
俺はそのパンチをかわした。──と同時に、俺は右拳を突き出していた。
グワシイイッ
その瞬間、すさまじい打撃音がした。
「ぐ、が」
叔父さんの右頬に、俺の右拳が入っていた。相手が向かってきた勢いを利用して、逆に決めるパンチ──右カウンターだ!
グラリ
叔父さんは片膝をついた。
「……なん、だ。おめえ……素人じゃ……ねえな」
俺は、叔父さんの攻撃をかわしたと同時に、自分の拳を前に突き出しただけだ。しかし、それが完全な、見事なカウンター攻撃になってしまった。
じ、自分でも、何がどうなっているのか分からない。
叔父さんは、頬を押さえて片膝を床について、俺をにらんでいる。
俺……どうなったんだ? こんな屈強な男を、ダウンさせちまった!
俺みたいな引きこもりが?
「ひいいいーっ! 怖い!」
アシュリーがベッドの上で、悲鳴をあげる。まあ、しゃあない。こんな部屋の中で大激闘だ。俺だって驚いている。
叔父さんはニヤリと笑い、両手をギチッと構えた。
「やる……じゃねえかよ、コ……コソ泥」
完全に戦闘モードだ。
やばい。
叔父さんは素早く、右手で俺のシャツの長袖を掴んだ。
俺は直感で「このまま背負われたら、投げられる!」と感じた。
こ、この技は、本で見たことがある投げ技だ。叔父さんは、本格的な「投げ技」で、俺を仕留めにきた!
結構広い部屋だが、投げられたら壁に叩きつけられるぞ!
「くっ!」
俺は素早く、叔父さんの手を振りほどいた。しかし、叔父さんも素早い。今度は左手で俺の服を掴みにかかる。
「このコソ泥野郎~!」
叔父さんは声を上げ、俺の服を掴んだ。だから、誤解だって! しかし、俺はそのスキを見逃さなかった。こういった接近戦の場合は──!
ガシイイッ
俺は、叔父さんの頬に、自分の右肘を叩き込んでいた。
「ガ、フ」
叔父さんは目を丸くして、よろけた。
「きゃああっ!」
アシュリーはまたしても声を上げる。
「だ、だまれやっ! ガキが!」
バキイッ
グート叔父さんは、アシュリーが座っているベッドを足で思いきり蹴っ飛ばした。アシュリーはまた、「ひいっ!」と声を上げた。
叔父さんはイライラして叫んだ。しかし、ヤツの体力も限界に近づいている。
一方──俺は怒りを感じた。
(この野郎……叔父か何かしらねえが、女の子をいじめるなんてゆるせねえ!)
俺の体が、またしても勝手に動いた。
ゆらり。グート叔父さんはフラフラと俺の方に近づく。もう、なりふり構わない、という表情だ。捨て身戦法だろう。こういうのが一番怖い!
「ぶっとばしてやらああ!」
叔父さんは、最後の力を振り絞って、左の大振りのパンチ──左フックを繰り出してきた。
こ、拳のひねりも加わった、見事なパンチだ! や、やばい、当たると1メートルは吹っ飛ぶぞ!
しかし──ここだ!
俺は一歩前に出た。そして──。
グワッシャアアア!
もの凄い音がした。
俺の渾身の右パンチ。──右ストレートを、グート叔父さんのアゴに叩き込んでいたのだ。
「あ、が、ご」
叔父さんは今度はついに、床に両ひざをつく。
「お前……何者……グフッ……」
決着──! 俺の勝利だ!
俺は謎の少女アシュリー(アシュリーにとっては、俺の方が謎の存在だが)の叔父を殴り倒してしまった。俺の右ストレートパンチだ。生まれてこの方、素手で人を殴ったのは無いに等しいし、何でこんなすごいパンチが打てたのか、まったく不思議だった。
アシュリーの叔父は、床にへたりこんでうめいている。よほど俺のパンチが効いたのだろう。
窓の外を見ると、人が騒ぎを聞きつけ、集まってきていた。
さっきグート叔父さんが、さんざん俺やアシュリーに怒鳴ったからな。外まで聞こえていただろう。
俺はとっさに、後ろのクローゼットを見た。扉は開いている。
すると……。
何と、クローゼットの中は、来た時と同様に、光り輝いていた。まさか、また瞬間移動できるというのか?
『クローゼットの中に入りなさい。行き先は決まっている』
何と、若い女性の声が俺の頭の中に響いた。アシュリーの声じゃない。どこかで聞いたことがあるような、抑揚のない不思議な声だ。
「だ、誰なんだ?」
『早くしないと、アシュリーの叔父が立ち上がる。早くクローゼットの中に入りなさい』
「ま、まて……。うう、この野郎……自警団を呼ぶぞ」
その時、後ろで野太い声がした。グート叔父さんが、膝に手をついてヨロヨロと立ち上がった。やばい!
すると、アシュリーも急かした。
「ねえ、早くクローゼットの中に入ろう!」
アシュリーも、不思議な声を聞いたのか?
俺はうなずき、クローゼットの光の中に入った。アシュリーもそれに続く。
光が……俺たちを包む! う、うわああああ!
◇ ◇ ◇
あああ……と気付くと、ここは俺の部屋だった。引きこもっていた子ども部屋だ。
なーんだ、夢だったのか。俺もバカだなぁ。ワハハ。
そう苦笑いしながら横を見ると、アシュリーがいたので飛び上がって驚いた。
後ろのクローゼットは開いたままだ。中を見てみると、光ってもいないし、何も入っていない。どこにも──さっきのアシュリーの部屋とも繋がっていない。普通のクローゼットだ。
しかし……やはり瞬間移動の原因として考えられるのは、このクローゼットに間違いない。
(俺の部屋のクローゼットと、アシュリーのクローゼットは繋がっていた? 一体、誰がそんな魔法を仕掛けたんだ?)
アシュリーは、俺のベッドにヨロヨロと座り込んだ。
「お、おい。大丈夫か」
俺はアシュリーのそばに駆け寄った。するとアシュリーは涙を流して、突然……。
俺に抱きついたのだ!
「ゼントさん! ありがとう!」
げええええええーっ?
こんな美少女が抱きつくなんて! 二十年の引きこもりには毒だ!
「ゼントさんのおかげで、叔父さんから逃げ出すことができました!」
「いや、俺は不法侵入者だったんだけど!」
するとアシュリーは、そんなこと関係ないといった風に、顔を横に振った。
「叔父さんにずっと監禁されてたの。五年間も……」
「か、監禁!」
アシュリーは言った。
「叔父さんに暴力を受けてたの……。グート叔父さんは、私のママの元恋人。私を裁判で奪い取ったの。ものすごく優秀な弁護士を使って……」
アシュリーは、俺の胸で泣いている。俺は思わず、彼女の頭をなでてやった。
おや、アシュリーの耳は長い。エルフ族か……。
窓から見える風景は、夕日に染まっている。俺たちは叔母さんの残してくれた食料で食事し、その後、これからの話をした。
「アシュリー、これからどうする?」
「ママのところに行きたいんです。ルーゼリック村という村にいます。もうずいぶん会っていません」
色々話をしていると、もう夜の九時になった。アシュリーは眠そうな顔をしている。
「わかった。話は明日にしよう。眠いなら、もう寝た方がいい。俺は床で寝るから」
するとアシュリーは、「ゼントさんと一緒にベッドで寝る!」と声を上げた。
う、うおおおおおっ! この展開は!
「叔父さんが私を探してきそうで、怖いんです。だから、一緒に寝て!」
◇ ◇ ◇
というわけで、俺は十五歳の美少女と一緒に、ベッドで寝ることになってしまった。
アシュリーはすぐに眠ってしまった。俺も横になったが、アシュリーの髪の毛の、良い匂いがする。
……眠れねええええ!
しかし、これから、もう一人の美女に出会うことは、この時、予想もできなかった。そう、俺の頭の中に響いてきた、謎の声の正体だ……!
美少女アシュリーは、なぜかオレを全面的に信頼してくれた。今は俺の隣で寝ている。
(……よ、良いにおいがする)
アシュリーの髪の毛から、石鹸のにおいがただよってくる。いやいや、ここは紳士的な心持ちで、今日は寝よう。
◇ ◇ ◇
──その時!
『これから、ゼント・ラージェントの能力について説明を申し上げます』
「ん? なんだ?」
若い女性の声が聞こえたような……。
俺は、俺の子ども部屋の周囲を見回した。アシュリーはぐっすり眠っている。アシュリーの声じゃないのか。
すると、周囲が突然光った。
「え? ここ、どこだ?」
気付くと、ここは──自分の部屋ではなかった。
どこかの芝生広場──高原のような場所だ。山に囲まれた、美しい場所だった。
俺は芝生の上に座っていた。
「な、なんだよ、ここ? うわっ!」
俺は声を上げた。いつの間にか、俺の前に、美しく若い女性がフワフワ浮かんでいたからだ。白いワンピースを着ている。
いつの間に現われたんだ?
「だ、誰なんだ、君は!」
女性は空中にフワフワ浮かんでいる。スタイルはいいし……胸がでかい……。
『私の名は、【マリア】』
彼女は、驚く俺を見ながら言った。
『私は、あなたを見守る存在』
意味分からん。何だそりゃ。
『これは夢ではありません。あなたの頭の中に、高原の風景を送っています』
「き、君は背後霊みたいなものか?」
俺が聞くと、マリアはちょっと顔を赤らめて、咳払いした。
『……そこはかわいらしく、守護天使と言ってください』
「君が、クローゼットに光る扉を作った人?」
『はい。私があなたに成長の機会を作りました』
マリアなる女はすんなり言った。
ともかく、このマリアって女子は、俺の守護霊とか、守護天使みたいな存在らしい。本当かよ……。
あっ、守護霊なら……聞くことがある!
「お、教えてくれ。俺、病気か何かで死んだ叔母さんを、つ、土に埋めちゃったんだけど……」
『ええ、知ってますよ。一部始終を見ていましたから』
「何で警察とか、俺のところに来ないんだ? 普通、村人が、『ラーサさんがいなくなった!』って騒ぐだろう」
『大丈夫ですよ』
マリアは平然とした顔で言った。
『私が、村人から叔母様の記憶を、一時的に消したのです』
「き、記憶を消した?」
『ええ、神様のルールに沿って、一時的にですけど。だからあなたのところに、叔母様のことで人が聞きにこないのです。1ヶ月くらい効力があります』
「そ、そ、そんなことができるのか」
『私は神様の使徒、可能です。今のあなたには別の仕事がありますから、私が少々、お手伝いをさせていただきました。そもそもあなたは、叔母様を思う優しい気持ちから、彼女をとむらったのです。ですから、胸を張って生きてください』
そしてマリアは付け加えた。
『このグランバーン王国は、魔物との戦争が多いのです。ですから、警察などを介さず、人が埋葬される場合が多いですよ。あなたが叔母様を埋葬した件は、罪に問われないはずです』
あ、安心した~……なんて言ってる場合じゃない。
しかし、マリアは構わず話を続けた。
『さてゼント、あなたは、【歴戦の武闘王】【神の加護】という二つの強力なスキルを持っています』
「ス、スキルって何だっけ?」
『えー……』
マリアは、そんなことも知らないのか、という風に頭を抱えて言った。
『スキルは簡単に言えば、能力のこと』
思い出した。強い戦士や魔法使いには、能力が身に付いているらしい。
俺にも、そんなものがあるって? そんなバカな。
『ではまず、あなたの持つスキルの一つ、【歴戦の武闘王】の説明をします。あなたは武闘家の才能があるのです。つまり格闘術の才能です』
「あのな~。クソ弱い俺が? そもそも俺は魔法剣士だったんだぞ。武闘家って、素手でモンスターをぶっ倒すヤツだろ。俺にそんな才能があるなんて、そんなのどうやって信じたらいいんだよ」
『ゼント、あなたはさっき、自分で武闘家としての才能を証明したはずです』
え?
あっ……そうか!
アシュリーの叔父を右カウンターパンチで倒したのも、そのせいなのか! そ、そういえばエルサが昔、「ゼントはすごい武闘家の才能がある」と言っていた気がする。
あれは本当だったのか。
「納得してくれましたか」
マリアはホッとした表情をした。いやいや……あれはラッキーパンチかもしれんだろ。……いや待てよ、ラッキーパンチで、あんな屈強なオヤジを倒せるか? うーむ……。
『さてゼント、あなたはもう一つのスキル、【神の加護】を持っています。神様が守ってくださる能力です』
「お、おう……。神様……? そうなのか、よく分からんが」
『このスキルは、神様の加護で、人の【運勢】【潜在能力】を引きあげる効果があります。すごいでしょう』
「ま、待て待て。俺は、二十年前、弱すぎて荷物持ちだったんだぞ」
俺はマリアに言った。
「しかも、今は引きこもりだ。神様に守ってもらえるスキルを、本当に持っていたら、もっと良い人生が送れたはずだ」
『いえ、この【神の加護】は、あなたが引きこもりにならなければ発動しないのです』
「へ?」
『つまり、あなたが引きこもりになった時に、発動するスキルなのです。あなたが生まれる前、あなたと神様がそう決めたのですよ。あなたの叔母が、あなたに毎日食事を持ってきてくれたことを、思い出してください』
「え……あっ……! いや、しかし」
俺は死んだ叔母さんのことを思い出していた。ど、どういうことだ?
「【神の加護】があなたから発動したから、あなたは食事を毎日食べられたのですよ。あなたの叔母は、あなたに愛がありました。彼女は、あなたを守る【神の加護】の役目を果たした、ということなのです」
叔母は、俺を愛してくれていたのか。俺は涙が出そうになった。い、いやいや。だまされんぞ。これは、ワナじゃないのか? 俺は周囲を見回した。
構わずマリアは言った。
『【神の加護】は、これからもあなたをずっと守り続けるでしょう。さてゼント、あなたはこれから、地上最強の勇者──最強の武闘王になるのです!』
マリアはビシッと俺を指差して言った。
「さ、最強の武闘王~?」
俺は驚いて声を上げた。
「そんなアホな……武闘王って伝説の格闘術の王者だろ。バカな、俺がそんなに強いわけ……」
『あ、ちなみに、現在、大勇者のゲルドンですが──。今月から運勢が急落します。彼も【神の加護】というスキルを持っているのですが』
「え? そうなのか?」
『今月から、有効期限切れですね』
「は? えええ? スキルに有効期限? そんなのあるのか?」
俺は首を傾げた。マリアはフフッと笑った。
『まあ、とにかく、あなたには最強の武闘家の才能がある。信じなさい』
さっきも【歴戦の武闘王】とかなんとか言っていたが、これ、マジ話なのか? 俺が最強の武闘王だって? 信じられん。
『以上、メッセージをお伝えしました。またお会いしましょう』
マリアはそう言うと、スッと消えてしまった。
また俺の部屋の風景に戻った。俺の横では、アシュリーがぐっすり寝ている。
い、今のは、何だったんだ? 夢だったのか?
◇ ◇ ◇
しかし、俺が地上最強の勇者──最強の武闘王になること──。
次の日から、実現に向けて運命が動き出すのだった!
ゼントが美少女アシュリーと同じベッドで寝て、謎の脳内美女、マリアと話した次の日の朝──。
その日の朝十時、国民的英雄、大勇者ゲルドンは馬車でグランバーン王国の北、レインバッド墓地へ旅立っていた。
三人のパーティーメンバーと新聞記者二人を引き連れている。
王族のフェント・ラサン氏から依頼された、骸骨拳闘士──スケルトンファイター退治のためだ。
レインバッド墓地には、ラサン一族の墓地があるが、スケルトンファイターに荒らされて困っているということである。
「よーし、ここから歩くぞ。俺様についてこい!」
ゲルドンは、仲間たちに向かって声を上げた。
墓地に近づくと、地面はぬかるんでくる。馬車を降りなければならない。
「あなたは本当に強い大勇者ですね!」
ヒゲの新聞記者は、ゲルドンにインタビューしながら歩いた。
「『神に守られた大勇者』とも言われています。十六歳で四天王を打ち倒し、当時からお付き合いされていた、フェリシア様は、大聖女なのですから」
「ハハハ! まあ俺様は、本当に神に守られているんじゃねーか、と思いたくなってくるんだよね」
ゲルドンは豪快に笑いながら、歩いている。
「人生ツキまくり~なんてな! だが、今日は戦闘の実力の方も、しっかり取材してくれよな」
「ゲルドンさん、一生ついていきますぜ!」
ゲルドンの横に並んで歩いている、パーティーメンバーの武闘家、クオリファは、おべっかを言った。
「おう、俺様についてきな! ガハハ!」
ゲルドンは上機嫌だ。
大勇者ゲルドンの現在のパーティーメンバーは、大僧侶のティーザン、武闘家クオリファ、黒魔法使いのゴンドスだ。今日も一緒についてきている。
妻のフェリシアに気を使って、全員男だが。
『警告。ゲルドン・ウォーレンさんが持っているスキル──【神の加護】の有効期限が切れています』
ん? 頭の中で、そんな声がしたような気がする。ゲルドンは首を傾げながら、歩いた。気のせいか……。
ゲルドンはここ十年、彼らと一緒に魔物討伐をしている。最近、四天王のグラッシュドーガを討ち倒したのも、このメンバーだった。
さすが俺! 神はこの俺の味方よ!
「ん? い、いてっ」
その時だ。ゲルドンの足に激痛が走った。皆、驚いてゲルドンの足を見ると、何と、派手な色の蛇がゲルドンの足に噛みついている。レインバッド地区で、蛇が見られるのは珍しい。
「こ、こりゃ、パルティー・スネークだよ」
ゲルドンは苦笑いしながら、蛇を踏みつけ、ポイと沿道に捨てた。
「毒なんかありゃしない。おとなしい蛇だ」
すると……!
ボチャン
その時、仲間のクオリファが、泥に足を滑らせて川に転落した。怪我はなかったが、少し肘を打ったようだ。クオリファも頭をかいている。
(な、なんだ?)
ゲルドンは嫌な予感がした。不運といえば不運ではあるが、たいしたことではない。蛇に噛まれ、仲間が足を滑らせただけだ。
だが、何かの予兆をしめしているような気がして、何となく胸がざわついた。
「だ、大丈夫ッスかね、俺たち」
武闘家のクオリファがつぶやいた。
「バーカ言ってんじゃねえぞ、足を滑らせたくらいで」
ゲルドンはガハハハと一笑した。
「俺様は大勇者ゲルドンだぞ。俺らは最強のモンスター討伐隊だ。どんなモンスターも、俺らにかないはしねえよ!」
ゲルドンは高らかに笑った。
数時間後には、その笑い顔が真っ青になることも知らずに。
『警告。ゲルドン・ウォーレンさんが持っていた、【神の加護】の有効期限が切れています』
ゲルドンには、またそんな声が聞こえたような気がした。
くそ、何だってんだよ。ゲルドンはブツブツ言いながら、一行を従え、スケルトンファイター生息地まで、歩いていった。
大勇者ゲルドンは、自分のパーティーメンバーと新聞記者を連れて、モンスター討伐を行っていた。目的は、骸骨拳闘士──スケルトンファイターの討伐だ。
やっとレインバッド墓地に着くと、さっそく青色のスケルトンファイターが三体、現れた。骸骨そのものモンスターだ。
「いたぞ、スケルトンファイターだ!」
ゲルドンと同年代、右腕のティーザンが叫んだ。
「B級モンスターだぞ、五分で片づけよう!」
武闘家のクオリファも身構える。新聞記者は木陰に逃げた。大勇者ゲルドンのパーティーはSランクパーティーだ。こんなB級モンスターは、五分どころか、三分あれば退治できる……!
「あっ」
すぐに、スケルトンファイターの一体は大ジャンプしてきた。
ゲルドンはニヤリと笑った。
「今日は素手でモンスターを倒すぜ! まあ、もともと武器は持ってきていないがな!」
ゲルドンは自分が催す「ゲルドン杯格闘トーナメント」の宣伝のため、スケルトンファイターを素手で倒すところを、新聞記者に見せたいようだ。ちなみに、ゲルドン杯格闘トーナメントは、素手の格闘術の大会だ。
ブオッ
ゲルドンは、スケルトンファイターの頭部めがけて、右パンチを繰り出した。
しかし、スケルトンファイターはその細い骸骨の腕で、ゲルドンの右パンチを弾き飛ばした。骸骨なのに、意外に硬くて丈夫なヤツらだ!
逆に、スケルトンファイターは、前蹴りを放ってきた。ゲルドンは、間一髪、よける!
「ふ、ふうっ!」
危ない危ない。スケルトンファイターの爪先、拳の先には、しびれ薬と猛毒が仕込まれているのだ。
「ゲルドンさん、まずい!」
魔法使いのゴンドスが声を上げた。後ろから、沼地に潜む泥人形型モンスター、マッドパペットが二体、現れたのだ。このモンスターは体力はないがトリッキーな技を持っている。
「くそ、やっかいなヤツが来たぜ」
クオリファはそう叫びながら、スケルトンファイターの一体を、中段蹴りで撃破した。相手は骸骨だ、防御力がない。
「ゴンドス、お前はマッドパペットを火属性魔法で──」
ゲルドンがそう指示した時、スケルトンファイターの拳の先が、ゲルドンの腕をかすった。や、やばい! 途端に彼の腕がしびれる。それに加えて、猛毒が傷口から入った!
ゲルドンは多少、パニックになった。
「う、や、やばい。こんなヤツらに」
「ティーザン、白魔法だ。早く、ゲルドンさんを解毒しろ!」
魔法使いのゴンドスが、大僧侶のティーザンに声をかける。
「わ、分かった。だが、変だ!」
ティーザンはゲルドンに向かって解毒魔法を唱えているのだが、まったく魔法が発動しない。
「バ、バカ野郎っ。何やってんだ!」
ゲルドンは青い顔をしながら、ティーザンに怒鳴った。
「しまった、マッドパペットの技、『魔力吸収』だ!」
大僧侶のティーザンは悔しそうに叫んだ。
「お、俺の魔力が全部、吸い取られている。解毒魔法が使えない」
すると危機を察した新聞記者が、たまたま持ってきていた解毒薬をゲルドンに差し出した。ゲルドンはそれを素早く奪うと、それをゴクゴク飲み込んだ。
(く、くそおっ! 素人に助けられるなんて)
なぜか、二十年前、荷物運びだったゼントのことを思い出した。あいつ、いつも解毒薬を持っていたっけ。
(くそ、こんな時に、あんなヤツのことを思い出してもしょうがない)
解毒薬のおかげで、ゲルドンの腕のしびれは軽減した。体の熱も少しは解消したので、やっと立ち上がった。
健闘しているのは、武闘家のクオリファだ。ゴンドスに補助魔法、『素早さ増大魔法──スピーバ』をかけてもらい、スケルトンファイターのパンチ攻撃をかわしきって攻撃している。
しかし、彼は二体目のスケルトンファイターを殴り倒したところで、横からきた三体目のスケルトンファイターの毒拳をかすってしまった。
倒れるクオリファ──を見ながらゲルドンは、マッドパペットに猛然と向かう。
「ゲ、ゲルドンさん! 素手は無茶です。俺の予備の武器を使ってください!」
地面に尻持ちをついている武闘家のクオリファが、背中から自分の半月刀を引き抜き、ゲルドンに投げて渡す。ゲルドンはそれを受け取り──。
「ちきしょう、く、くらええーっ!」
ゲルドンは刀を一閃、マッドパペットの胴を切り裂いた。
「ちっきしょう! こんなヤツら、素手の格闘術で十分だってのに!」
ゲルドンが強がったその時、横からもう一体のマッドパペットが抱きついて、ゲルドンの胴に組み付く。
「う、げえ!」
もの凄い力だ! い、息ができない。クオリファはしびれと猛毒で悶絶しているし、大僧侶のティーザンも、魔法使いのゴンドスも魔力が吸い取られ、立ちすくんだままだった。
「に、逃げるか? ゲルドン」
ティーザンがゲルドンに向かって叫んだ。
「バ、バカ! 新聞記者が見ているんだぞっ。しかも、俺らはSランクパーティーだ。絶対、倒す!」
ゲルドンは必死の思いで、そのマッドパペットをひきはがし、そいつも両断した。
『再度警告。あなた──ゲルドン・ウォーレンさんの持っているスキル──【神の加護】の有効期限が切れています』
まただ! ゲルドンの頭の中に、奇妙な声が響く。
(な、なんだってんだよ! スキル? 有効期限? なんだそりゃ?)
すると、今度は空から、巨大鳥サンダーバードが来てしまった。これはA級モンスターだ。ヤツの雷魔法【サンダスパーク】は強力。
サンダーバードは滅多に遭遇するモンスターではない。何で今日に限って?
スケルトンファイターはもう一体いる。
ゲルドンは腕のしびれと毒の熱を、再び感じ始めていた。新聞記者からもらった解毒薬が、あまり効いていない。安物の解毒薬だったか。
(ちゃんと、正規品を用意しとけよ!)
ゲルドンは新聞記者に怒鳴りたかったが、そうもいかない。
今の状況では、パーティー全滅っ……。
「あーっ、ちきしょおおーっ!」
ゲルドンは声を上げた。
「逃げるぞおおおおっ」
「マ、マジかよ。俺ら大勇者パーティーだぞ」
クオリファが腕を押さえながら、つぶやく。
「え? 撤退するの?」
「……この人たち、本当に、大勇者の魔物討伐パーティーなのかよ」
木陰に隠れていた新聞記者二人は、首を傾げていた。
次の日──。
俺は目が覚めた。ここは?
いつも通りのボロい天井。見慣れた俺の部屋だ。
「きゃあああ~!」
うおっ! その時、地下から大声がした。驚いた俺は素早く地下に降りた。
アシュリーが床に座って、本を読んでいる。アシュリーの横には、子ども部屋の地下にある本が、高く積まれていた。
アシュリー……本当にいたのか。
昨日のことは、夢じゃなかったのか。俺はホッとした。
アシュリーは本の山を目の前にして、声を上げた。
「ほら、この本! 『マインダ・エレベント』ですよ。約五百年前の魔導書です。こっちは『ビスタ霊界旅行記』。売ったら大変な価値がある本ばっかり!」
俺はアシュリーがいてくれたことに安堵した。
そうか……本を売って旅の資金にするって手もあるか。
「まあ……売ったら200ルピーくらいかな?」
「そんなことないですよ!」
アシュリーは怒った。
「200ルピーどころか、もっと! 1000倍以上の価値があります!」
せ、せんばい……? 本当かよ? 確かめてみるか。
俺はアシュリーと一緒に、子ども部屋の本を売るため、村の商店街に出向くことにした。
本に詳しいアシュリーに、7冊、価値がありそうな本を厳選してもらった。
──しかし俺は、20年の引きこもりだった!
「怖ぇえええええ~!」
商店街に行くのが、20年ぶりなのだ! 人ごみが怖い!
「ほら、これで大丈夫でしょ?」
アシュリーはそう言って笑って、ギュッと俺の腕を組んでくれた。アシュリーの……女の子のにおいがする……。
うれしいけど……。
「やっぱり、怖ぇええええええ~!」
◇ ◇ ◇
俺とアシュリーは商店街に入って、古本屋を探した。人通りは結構ある。俺は知り合いに会わないかビクビクしながら、歩いた。
と、その時──。
「おらあっ! 邪魔なんだよ、この看板!」
ドガアッ
その時、目の前の男──16歳くらいの少年が、商店街の立て看板を蹴っ飛ばした。
(あっ! あいつ!)
こないだの不良少年! チョッキを着たヤツだ。ゼボールの仲間だったか。肩で風を切って歩いている。今日も来ていたのか……。仲間はいないようだが。
ドガッ
今度は、道行くおじさんの肩に、チョッキ少年の肩がぶつかった。
チョッキ少年はおじさんにすごむ。
「痛ぇんだよ! 俺を誰だと思ってんだ! ゼボール様の舎弟、デリック様だぞ!」
ガスッ
「ぎゃっ!」
デリックは、おじさんの背中を蹴った!
おじさんは逃げてしまった──。あいつ、デリックって名前だったのか。あの野郎、どうしてこんな時に、村に来てるんだよ。それにしても乱暴なヤツだな……。
考えていると、チョッキ少年──デリックは道を右に曲がって行ってしまった。
さ、さあ、本を売らないと。
◇ ◇ ◇
うーむ……古本屋はあったはずだが、潰れたようだ。しかし、本が売れそうな質屋を見つけることができた。質屋か……あまりよく知らない店だ。
ビクビクしながら店に入ると……質屋の店主は、俺をジロリとにらんだ。
「……いらっしゃい。村の外の者か? 珍しいな」
アシュリーは自信満々に、店主に言った。
「本を売りたいのですが!」
ダン! ダン! ダン!
アシュリーはそんな音とともに、俺が持っているカバンから、古書を一冊ずつ取り出し、カウンターに置いた。計7冊──。
「これはきっと良い本ですよ! 5万ルピー以上にはなると思うわ!」
アシュリーが言った。お、おい、アシュリー。5万って……んな無茶な。こんなボロい本が……? 俺がそう思っていると、質屋の店主は舌打ちした。
「5万ルピー? はあ? こんな古くせえ本が?」
そして質屋の店主は言った。
「嬢ちゃん、こんな本、300ルピーにもならんぞ。めんどうくせえなあ。一応、査定してやるが。一時間くらいかかる。そこらで待ってろ」
質屋の店主はまた舌打ちして、俺たちをにらみつけながら言った。
◇ ◇ ◇
俺とアシュリーは、外に出た。どこかで休憩するか。
するとその時──。
「いてえっ! 何しやがんだ、ジジイ!」
何だ? 大声がしたぞ。見ると、道の真ん中で、例のチョッキを着た少年と六十歳くらいの男がもめている。地面にはパン──チョココロネが散らばっていた。
またさっきの不良──チョッキ少年、デリックか!
一方、六十歳くらいの男は……? げええっ! 二十年前、俺に銀トレーを投げつけたパン屋の主人、ブルビーノ親父! 少し老けたが、面影はある。
「おいパン屋! 俺様にぶつかって服にチョコをつけるなんて……。謝罪じゃ済まさねえよ?」
デリックはブルビーノ親父に対して、すごんだ。
「も、申し訳ありません。急いでいたもので」
確かに、デリックのチョッキに、チョココロネのチョコがついている。ぶつかった時に、付着したのだろう。
「謝罪じゃすまねーんだよ!」
デリックは、ブルビーノ親父を蹴っ飛ばした。ブルビーノ親父は、腹を蹴られ、地面に尻持ちをついた。
野次馬が集まってきている。ちょっとした騒ぎだ。
すると──。
『ゼント! あのチョッキ少年……デリックをこらしめてやりなさい』
俺の頭の中に、例の守護天使マリアの声が響いた!
へ? 何を言って……。
『あの不良少年、デリックをこらしめなさい! あなたならできる!』
「え、え、え」
こらしめなさいって……何? お、おい、おれが、あいつを? 何で俺が?
あなたならできる? そ、そんなバカな?
アシュリーも俺のことを、「パン屋さんを助けてあげて」という真剣なまなざしで見ている。
う、うわああ……マ、マジでやるのぉ?
ていうか、やることになる感じだ、こりゃ。
俺はしぶしぶ、不良少年デリックの前に出た。この間、俺をいじめた少年の一人だ。
ところが、デリックの後ろには、いつの間にか、もう一人、見覚えのある少年が立っていた。
(くっ!)
仲間の背の高いバンダナ少年だ!
リーダーのゼボールこそいないが、仲間を連れてきていたのか。
「おい、レジラー、見ろよ」
デリックはクスクス笑って、バンダナ少年に言った。
「こいつ、この間の引きこもりだぜ」
バンダナ少年はレジラーという名前らしい。くそ、このまま闘うとなると、2対1という構図になる。それでもやるのか!
「まさか、この親父を助けるつもりか? カッコいいねえ~!」
「ぐへっ!」
レジラーは、道端に座り込んでいるブルビーノ親父を、足で小突いた。
「や、やめろ!」
俺は叫んだ。
「なるほど、なるほど~、小デブ君、君は僕とケンカするってんだね? マジで」
チョッキ少年のデリックはニヤニヤしながら、背中の鞘から木刀を引き抜いた。
「──殴り倒してやらあ!」
デリックはそう叫びながら、木刀を上段から振ってきた。
ん? 遅い!
俺はサッと右に避けた。
「チッ」
不良少年のデリックは舌打ちした。
「生意気にも、避けやがって。じゃあ、本気でやるぜ?」
今度はデリックの木刀、中段斬り! 木刀を中段に──俺の胴に向かって、横に振り回してきた!
しかし、俺は木刀の動きをよく見ていた。
ここだっ!
俺は前蹴りを繰り出していた。俺の前蹴りの爪先が、デリックの木刀の刃先に当たり──。
木刀は吹っ飛び、宙を舞った。
「な、なにいっ! てめええっ!」
ガランッ
木刀は、地面に落ちた。周囲の野次馬はシーンと静まり返っている。
「なめんなぁーっ!」
彼は、あわてて殴りかかってきた。
──ここだ!
ゲシイイッ
俺はデリックの勢いを利用して、ヤツの太ももに下段蹴りを叩き込んでいた。
太ももの外──ここを蹴ると相手は痛みをこらえることができず、動きが止まる!
「が、ぐ」
デリックは案の定、足を止めた。──しかし、痛みをこらえて、ヨロヨロと向かってくる。
「こ、こんなのはまぐれだ……そうに決まってる」とつぶやきながら。
俺は、ギチリと両手を構える。
「う、お」
彼は瞬間的に、向かってくるのを中止した。冷や汗をかいている。俺から何らかの危機を察知したのだろう。そう──、俺はカウンターパンチを狙っていた。
「何をやってるんだ、デリック!」
横で見ている仲間のバンダナ少年、レジラーが声を上げる。
「ビビってんじゃねーぞ!」
「ビ、ビビってなんかいるもんか! ちっきしょおおー!」
デリックは、「うおおおーっ!」と声を上げながら、右拳を振りかざしてきた。
がら空き!
ドゴオッ
俺はデリックの右アゴに、右掌底を叩き込んでいた。掌底とは、手の平の下部で打つ打撃技だ。
す、すげえ……自分で言うのもなんだが、どうしてこんな技が放てるんだ? これが……スキル?
「あ、ぐ、ぁ」
デリックはそんな声とともに、地面に両ひざをついた。デリックはダウン状態だ。無理もない。アゴに掌底を受けたのだ。
「う、うぉっ……やるねえ」
「掌底……つまり掌打ってヤツだ……!」
「見事に当たったぞ」
野次馬たちが声を上げた。
普通の拳の打撃技より、頭に響いているはずだ!
俺はデリックを倒した──!
だが、休んでいるヒマはなかった。
「この野郎がああっ!」
俺とデリックの勝負を見ていたレジラーが、声を上げ、俺の胴に組みついていた。
俺は、不良少年のデリックを、掌底(手の平の下部を使った打撃技)で倒した。しかし、今度はデリックの仲間のレジラーが、俺に組みついてきた。
「うおらああっ!」
レジラーは組み技の力が強い! そうか、組み技系の武闘家か。俺を強引に倒してきた!
俺は地面に倒され、レジラーは俺に馬乗りになった。
「どうだあっ」
レジラーは声を上げる。しかし、俺はまったく動じなかった。レジラーの馬乗りはバランスが悪い。
俺は上半身に力を込める。せーの……勢いをつけて……!
ゴロリ──回転!
「あっ!」
「すげえ」
野次馬たちが騒いだ。
俺とレジラーは体勢が逆転した──! 今度は俺が馬乗りになったのだ。
うおおおっ……。大騒ぎする野次馬たち。
「どうなってんだ?」
「回転したぞ」
「レジラーの、馬乗り状態のバランスが悪かったんだ」
今、俺がレジラーの胴に、馬乗り状態になっている。逆転だ!
「そ、そんなバカな!」
レジラーは目を丸くし、あわてて両腕を使い、暴れた。すぐに、俺の馬乗りから逃げ出した。まるで小動物のような動きだ。素早い。でも、顔が真っ青だ。
「お、おい! お前──何モンだ?」
レジラーは立ち上がって、身構えながら俺に聞いた。
「俺は──ゼントだ!」
「ゼント──? くそ、何なんだよ。わけわからねえ。俺は組み技系トーナメントの学生大会五位だぞ」
レジラーは隙を見つけたのか、また組みついてくる。しかし、俺はその組みつきの弱点を、なぜか──知っていた。
ここだ!
レジラーが組みついてきた瞬間、ヤツの頭の横──側頭部を両手で押す!
するとレジラーはバランスを崩し、地面に片ひざをついた。
「ぐ、おおおっ?」
レジラーは立ち上がり、もう一度、組みついてくる。まるで猛牛だ! しかし俺は、再びヤツの頭の横──側頭部を両手で押して、ヤツを突き放した。
「くっ」
レジラーは両ひざに手をやり、息をついて、驚いたようにオレを見た。
「お、お前……」
レジラーは言った。
「組みつきタックルの『切り方』も知ってるのか? お、お前、本当に引きこもりか?」
レジラーは驚きの顔だ。
「だが、今度は本気出すぜ!」
レジラーは思い切り突進してきた。また組みつきか? いや違う、今度は体勢が低い! 俺の両ひざをねらった、両足タックルだ!
だが、俺はそれも読んでいた。
ガツン
俺は右ひざを出していた。その右ひざは──レジラーの顔に直撃した。右ひざ蹴りだ!
「ぐ、ご」
レジラーはよろける。だが、彼も根性があるようだ。フラフラの状態で、立ち上がる。
「く、おのおおおっ」
レジラーは俺に殴りかかってきた。
ここだ!
俺は一歩踏み出し、レジラーが接近してくる瞬間──。
ガスウウッ
彼のアゴに、右ストレートパンチ──カウンターパンチを叩き込んでいた。
しかし、レジラーは倒れない! タフだ!
だが──。勝機は見えた!
ガゴッ……
俺の大振りの左掌底! 手の平の下部を使った打撃技だ!
俺は彼の左頬に、左フック掌底を叩き込んだ。
「あ、が……な、なん……お前……」
彼は倒れる。
「うおおおっ!」
「すげえ……!」
「完璧……!」
野次馬から歓声が上がる。
俺は自分で驚いていた。どうして俺は、こんな動きができるんだ? レジラーは素人ではなかった。組み技系の武闘家だった!
しかし、俺はそれを倒してのけたのだ……。
「ひいい!」
声を上げたのは、レジラーとの闘いを呆然と見ていた、デリックだった。
「は、はやく帰ろうぜ!」
デリックはレジラーの肩をかし、よろよろと歩いていった。
「お、おい。病院行けよ」
俺はそう言ったが、「うるせえ!」とデリックは声を上げた。レジラーもフラフラしながら、デリックの肩を借りながら、向こうの村の入口の方に歩いていった。
「あ、ありがとうございます!」
声を上げたのは、デリックにからまれたブルビーノ親父だった。
「あ、あなたのお名前は?」
「お、俺? 俺は、あー……ゼントだけど。ゼント・ラージェント」
「は? ゼント……どこかで聞いたような……?」
ブルビーノ親父も、周囲の野次馬も、不思議そうな顔をして俺を見ていた。やがて──「もしかして……あのゼントか?」そう声が上がり始めた。
そう、村人たちは、二十年の時を越えて、俺のことを思い出し始めていた。