ゲルドン杯格闘トーナメントの決勝戦の日がやってきた。
色んなことがあったけど、俺──ゼント・ラージェントは、最強最大の敵、セバスチャンと闘う。
試合開始は15時30分。後1時間で試合開始だ。
花道の奥から、スタジアムをのぞいた。ライザーン中央スタジアムは満員の観客だ。今や、ゲルドン杯格闘トーナメント決勝戦は、国民的な大注目イベントとなっている。
全王国国民が注目し、全王国国民が話題にする……!
(すげえなあ……緊張してきた)
◇ ◇ ◇
俺が控え室に帰ろうとした時、廊下で誰かとすれ違った。
ズウウンッ……。何か邪悪な雰囲気を感じる。……こ、この感じ! まさか!
俺は恐る恐る振り返った。
「おや? 君は……! ゼント君じゃないか」
──あっ! 俺は思わず声を上げてしまった。
セバスチャン!
彼はどうやら、スタジアムの外を軽く走ってきたらしい。少し汗をかいている。
「楽しみだなあ! 今日の決勝戦……ゼント君、君と闘えるなんて!」
うっ、うおおっ……! セバスチャンの全身を包む、灰色の禍々しいオーラに、俺は一歩後退した。邪悪……! まさにこの言葉でしか言い表せない!
シュッ
セバスチャンは腕を突き出してきた。パンチか!
俺はそれを片手で受け止めた。こ、この野郎……! 試合前だぞ……!
「セバスチャン……お前……やるのか……!」
「いやいや、武闘家がやる挨拶ですよ。拳と拳を合わせましょう」
セバスチャンは笑顔で言ったが、俺は拒否することにした。
「そんな挨拶はしないね。なぜなら、今から一時間後には、俺があんたを叩きのめしているからだ!」
「ほほう! 面白い!」
セバスチャンはまるで悪魔のように笑った。セバスチャンの不気味なオーラが、また大きくなりやがった……! 本当に悪魔に魂を売ってるんじゃないのか、こいつ!
「叩きのめす? 私をですか?」
セバスチャンは、「ハッハッハ」と高笑いした。
「ゼント君、冗談を言っちゃいけない。私に勝とうなど、10年早い。今の君の実力では」
挑発か? 心理戦か? それとも本音で言っているのか……?
「……どうでもいいけど、アシュリーに何かしたら、ただじゃすまさないぞ」
俺はそう言ってセバスチャンをにらみつけた。セバスチャンはニヤけ、拳をポキポキ鳴らしはじめた。
グッ……
俺は少しだけ身構えだ。重心を心持ち、前にかける。
「……アシュリー? 何のことやら?」
セバスチャンは薄ら笑いを浮かべている。
俺はゲルドンから聞いた言葉が忘れられなかった。
(セバスチャンとアレキダロスは、アシュリーに対して、何かを企んでいる気がしてならねえ)
ゲルドンの言葉を思い出している俺を見て、セバスチャンは言った。
「君は何か勘違いをしているようだ。私はアシュリーの実の父親だよ? 私が彼女に何をしたって構わない。そうでしょう? ゼント君」
「て……てめえ!」
俺は嫌な予感がした。こいつ……本気で、アシュリーに何かしようとしている?
「では、1時間後、リング上で会いましょう!」
セバスチャンは高笑いしながら行ってしまった。
◇ ◇ ◇
俺は急いで控え室に戻った。ローフェン、ミランダさん、エルサがいてくれた。
「父親ならアシュリーに何をしてもいい──確かにセバスチャンはそう言ったのね?」
ミランダさんが神妙な顔で言った。
「ああ、言いましたよ! セバスチャン、あいつは危険だ!」
俺は声を荒げた。
「……私、アシュリーのことを王立警察に相談したのよ。だけど、取り合ってもらえなかったわ」
ミランダさんは神妙な顔でつぶやいた。
「ど、どうしてです?」とローフェンが聞いた。
「事件が実際に起こっていない、というせいもあるけど。セバスチャンは武闘家連盟会長であり、国王親衛隊長の息子であるということもあるわ。偉すぎて王立警察でも、彼に手出しできないのよ」
「お、俺たちでアシュリーを守るしかないってことか」
ローフェンはつぶやくように言った。
ミランダさんの話によると、セバスチャンの助言者のアレキダロスが、こんな不気味なことを言っていたという。
(セバスチャンと我々は、どんな手段を使ってでも勝ちにいきます。たとえば私たちは、あなたたちの大切な人に何をするか分かりません。──お気をつけくださいね──)
「大切な人」とは──今の時点では分からないが、サーガ族の血液成分を多く持つ、アシュリーが一番該当する。セバスチャンやアレキダロスたちが、アシュリーの身柄を狙っている可能性がある!
俺はアシュリーを心配して、エルサに言った。
「アシュリーは大丈夫なのか? 今日、スタジアムに観に来るっていってたけど」
エルサはうなずいた。
「だから今日は、アシュリーに護衛をつけたのよ。見に行く?」
アシュリーに護衛~? だ、誰だよ? 俺は首を傾げた。
◇ ◇ ◇
俺たち四人は控え室から出て、アシュリーを探した。スタジアムの売店の前に、15歳くらいの少女が、周囲をキョロキョロしながら立っている。アシュリーだ。
「アシュリー!」
俺はアシュリーに声をかけた。
「もう! 困ります!」
アシュリーは叫んだ。二人の男を引き連れている。その二人が護衛ってヤツか? その二人は……ええ? まさか!
その二人の男とは……大勇者ゲルドン! そしてゲルドンの息子、ゼボールだった。
「俺に任せろ! アシュリーを守るぜ」
ゲルドンは息子と肩を組んで声を上げた。ゼボールも、「ゼントさん、お久しぶりッス」と頭を下げた。
アシュリーの護衛って……お、お前たちかよ~……!
アシュリーはぶんむくれていた。そして俺に小声で言った。
(も~……。ゲルドンさんって、ママの不倫相手でしょ? ゼボールさんは、その息子さん。何で私の護衛なの?)
俺はエルサを見た。エルサは、「大丈夫よ」と言った。うーん……。
「俺は考えを改めたんだ」
ゲルドンは頭をかきながらそう言った。
「信じてもらえないかもしれないが、これからは、人のために生きることにしたんだ」
俺はミランダさんを見た。ミランダさんはフフッと笑っている。まさかの了承済み!
──その時!
「どけや!」
後ろから太い声がした。後ろを振り返ると──。
(ううっ……こいつ!)
赤い肌に、頭に赤い一本角!
こいつが大魔導士アレキダロスとやらと一緒に、ミランダさんとの会談に来たという、赤鬼か! 黒いスーツを着ているから間違いない! で、でかい。ゲルドンよりでかいんじゃないか?
「お前がゼントか……やるのか? 俺と」
赤鬼はニヤリと笑い、拳を体の前にやり、身構えた。
ギチリ──そんな音が聞こえたようだった。
(くっ!)
俺もあわてて、身構える。こ、こいつと……ここで、一戦交えるのか? セバスチャンとの試合前に?
「やめなさい!」
ミランダさんが注意した。
「試合前に、無益な闘いはゆるさないわよ! ゼントも、拳を下ろしなさい!」
「そうだぜ~」
赤鬼はニヤニヤ笑って、俺を見やった。
「俺は、今からセバスチャン先生の控え室に行くだけだ。セバスチャン先生の関係者だからな。ああ、別にお前たちに何かをするってわけじゃないぜ? じゃーな」
赤鬼はすました顔で、俺たちの横を素通りした。
しかし! その時、赤鬼は──チラリとアシュリーの顔を見た! 間違いない、アシュリーの顔を確認したのだ!
赤鬼は素早くそのまま、向こうへ行ってしまった。
「ミ、ミランダさん、あいつ、ヤバいですよ! 嫌な予感がする」
俺は声を上げた。
「ミランダさん、どうしたらいいの? ゼントの言う通り、あの赤鬼……何か企んでる」
エルサがミランダさんに言うと、ミランダさんはうなずいた。
「あいつ、アシュリーの顔を確認してたわね」
ミランダさんもそれに気付いたようだった。
「……アシュリーは、決勝戦の試合前まで、関係者用個室で隔離──いいわね? ローフェン、ゲルドン、ゼボール、いいわね? ゼントは控え室で、セバスチャンの戦術のおさらいよ」
俺たちはうなずいた。エルサはアシュリーを抱き寄せた。
「大丈夫よ、皆が守ってくれる」
エルサが言うと、アシュリーは深くうなずいた。
「皆、力を合わせましょう! 右手を出しなさい!」
俺たちは、円陣を組んで、右手を出して合わせた。ミランダさんが声を上げる。
「さあ、今日はセバスチャンに勝ち、アシュリーを守り切るわよ!」
「おお!」
俺も、エルサも、ローフェン、ゲルドン、ゼボールも、皆、声を上げた。
俺たちは、アシュリーを守りつつ、最大最強の相手、セバスチャンに戦いをいどまなければならない!
ここはライザーン中央スタジアム。スタジアムの客席は、お客で埋め尽くされている。
我らがゼント・ラージェントとその宿敵、セバスチャンの決勝戦は、あと20分後と迫ってきていた。ゼントとミランダたちは控え室で、戦術の確認をしている。
一方その頃、ローフェン、ゲルドンはスタジアムの選手関係用応接室──つまり関係者用個室で、アシュリーを見守っていた。ゼボールは部屋の外で、廊下を見張っている。
アシュリーたちは決勝戦が始まるまで、この部屋で待機する予定だ。
「おいゲルドン、何で、てめぇがアシュリーの護衛なんだよ」
ローフェンはズイとゲルドンに突っかかった。
「ゼントやエルサ、ミランダさんが認めても、俺は認めねーぞ! さっきは『力を合わせよう』なんて言ったけど、本当は納得いってねーんだよ!」
「興奮すんじゃねえ」
ゲルドンは真顔だ。しかしローフェンは舌打ちした。
「ああ? 反則野郎! ゼントと闘った時、肘サポーターに鉄を仕込んでいたの、忘れてねーぞ、この偽勇者野郎よぉ」
「確かに……俺は反則野郎さ。その時はな」
ゲルドンは言った。
「だが、俺は深く反省した。今は俺は、アシュリーの護衛を任されている。ケンカなんかしている場合じゃない」
「信用できねーんだよ、この野郎」
ローフェンはゲルドンの胸ぐらをつかんだ。
「どうせお前が、セバスチャンに依頼されたスパイなんじゃねーのか? ああ?」
「違う! セバスチャンと俺は、もう関係がない」
「ちょっと! やめて、二人とも!」
ソファに座っていた、アシュリーが声を上げた。
「なんでかわかんないけど~……。なんで私が狙われているんですか?」
アシュリーはソファに座って、スナック菓子をポリポリ食べ続けている。
エルサの娘、アシュリーはセバスチャンやアレキダロスたちに、身柄を狙われている──。アシュリーには、サーガ族の血が多く流れており、セバスチャンたちはアシュリーの血液を欲しがっている──。
ゼントやミランダたちは、そう考えているのだ。
「ゲルドンさーん」
ソファに座ったアシュリーは言った。
「ジュースちょうだい」
「おう、どうぞ!」
ゲルドンはすでに買ってきておいた、ライザーン名物アプルバナネジュースを、サッとアシュリーの机の前に置いた。ストロー付きだ。
「あんた……大勇者のくせに用意がいいな……」
ローフェンは再び舌打ちした。
セバスチャンたちの手下か誰かが、アシュリーを誘拐するかもしれない──。王立警察に頼んでも、セバスチャンの権力に負け、相手にしてくれなかったのだ。自分たちで、アシュリーを守るしかない。
アシュリーは言った。
「もう選手入場の5分前です。試合開始の15分前くらい? そろそろ私たちも会場に行きましょう」
「うーん、そうだな。そろそろ行くか」
ローフェンがうなずいた──その時!
ガスウッ、ゲシッ!
「ぐわっ!」
外で、ものすごい打撃音がした。そしてゼボールのうめき声が聞こえた。
バキイッ
そして、扉の方で何かが壊れる音がした。
ゲルドンとローフェンは顔を見合わせた。──まさか!
ギイッ
扉が開く音が──した!
「こんなところにいたんですか、アシュリーさん。いや~探しましたよ!」
入ってきたのは、白仮面の大魔導士──アレキダロス! そしてさっき会った、黒スーツの赤鬼!
「ちなみに、ゼボール君は失神していますよ~。赤鬼がぶんなぐったので」
アレキダロスは甲高い声で言った。
やはり──来たか! ローフェンたちは身構えた。
「キャアア!」
アシュリーは、ローフェンの後ろに隠れる。
赤鬼は、なぜか医療用マスクをしている。
ローフェンはギョッとした。赤鬼の手には、ドアノブが握られている。ち、力でドアノブを引きちぎったというのか? 赤鬼はすぐに、ドアノブを放り捨てた。
──赤鬼は身構えた! やる気だ!
「うおおおーっ!」
ローフェンが、赤鬼に向かって襲い掛かった。すると赤鬼は、意外な行動に出た。素早くスーツのポケットから、空き缶──? いや、缶スプレーを取り出したのだ。
シューッ
ローフェンの顔に、噴射した。
「あ、うう……」
ローフェンは、がくりと膝を床についてしまった。
「か、体が痺れ……」
ローフェンがうめく。赤鬼はジロリとアシュリーをにらみつける。
「アシュリー、あんたに用がある」
「てめええーっ! アシュリーに近寄るんじゃねええええっ!」
ガシイイイッ
ゲルドンは素早く横から、赤鬼を殴りつけた。
しかし赤鬼は、ゲルドンのパンチを、片手で受け止めていた。赤鬼は、手に持ったスプレー缶を、すでに床に落としている。
今度は赤鬼の右アッパー!
ガスウッ
「グウウッ」
ゲルドンはまともにアゴに喰らった!
「ゲルドンさん! 頑張って!」
アシュリーが部屋の隅で声を上げる!
ゲルドンはアッパーを耐える。アシュリーを……守らなければ! 絶対に!
ブンッ
今度はゲルドンの左ボディーブロー!
「ゲフ!」
赤鬼は目を丸くした。完全に腹に受けてしまった。しかし、赤鬼は目を血走らせながら耐える。
──今度は赤鬼の前蹴り! 素早い!
サッ
ゲルドンはそれを避け、赤鬼の胸ぐらをつかんだ。
そしてゲルドンの、上から振り下ろすような、超接近型のパンチ!
シュッ
赤鬼は首を傾けて、それを間一髪で避ける!
すると赤鬼は、ゲルドンの手首──いや、服の袖を掴んだ!
投げっ……!
ヤバい──! ゲルドンは直感した。
(「袖釣込み腰」か!)
長袖の私服を着たままの闘いだから、可能な投げだ! 赤鬼はゲルドンの袖を掴みながら、ゲルドンを背負おうとした。
しかしゲルドンは投げられる途中で、振りほどき──。
赤鬼を一回持ち上げ、そのまま床に背中から落とした! これは「後ろ腰」という投げ技だ。
「ぐっ! くそ! まさか、う、『後ろ腰』とは……」
背中を痛めた赤鬼だったが、器用に前転し、すぐにフラフラと立ち上がる!
ゲルドンは素早く、赤鬼に近づいた。──ここだ!
ガスウッ
「う、ご」
強力な右フックを、赤鬼のアゴめがけて振り切った!
あ、当たった……! 赤鬼は吹っ飛んでいた。ガタガタガターン! 勢いで、机やソファも吹っ飛ぶ!
「まったく、バタバタとうるさいですねぇ」
白仮面の大魔導士、アレキダロスは不満を言った。相変わらず、大人とも子どもともつかない、甲高い声だ。魔法で変声してあるらしい。
「前から思ってたけど……アレキダロス……お前、誰なんだよ」
ゲルドンは、アレキダロスをにらみつけながら言った。アレキダロスは、「さあ?」と言って白仮面のズレを直している。
「ぶっとばして、仮面をはいでやる!」
ゲルドンは握りこぶしを固めて、アレキダロスに向かっていった。
シューッ
「ゲルドンさん!」
アシュリーが叫ぶ。
アレキダロスも手にスプレーを隠し持っていた。ゲルドンはまともにその噴射を浴び、膝をついてしまった。
「ポイズンタイガーの牙の毒素、ブラッディーホエールの内臓、シビレバナの花びらなどを三週間煮て作り上げた、特製の痺れ薬です。残念ながら、毒性はありませんが、一本でドラゴンを1日、痺れさせます。後で睡眠薬も注入してあげましょう」
「この野郎……アシュリーに手を出すな……」
ゲルドンは床に這いつくばりながら言ったが、アレキダロスは仮面の奥で笑った。
「このスプレーも万能じゃありません。1本750万ルピーもするんですよ。それにね、医療用マスクをしていないと、私たちも痺れてしまうんです。私も仮面の下にマスクをつけています。さて、アシュリー、お次は君です」
アシュリーは一歩後退する。アレキダロスはクスクス笑っている。
「てめえ……幼なじみの娘に手ぇ出したら……ただじゃすまさねえぞ……!」
ゲルドンは、起き上がろうとしながら声を上げた。しかし、まったく体に力が入らない。
「というわけで、アシュリーさん、一緒に来てもらいましょう。おい、いつまで寝てるんだ」
アレキダロスは赤鬼を足で踏んで起こした。赤鬼はあわてて起き上がる。
「ローフェン、ゼボール、ゲルドンの三人を、別の部屋に運び込んでおきなさい。彼らに睡眠薬の注入も忘れるな」
アレキダロスはアシュリーを見た。
「い、いや……。やめて」
「いや~、申し訳ない。しばらく痺れててください」
アレキダロスはスプレーをアシュリーに向けた。
俺はゼント・ラージェント。
ゲルドン杯格闘トーナメント決勝戦──最後の闘い。試合開始3分前だ。
15時30分、俺はライザーン中央スタジアムの武闘リングに立っていた。目の前には、最強最大の敵、セバスチャンがいる。
スタジアムは超満員、すさまじい熱気だ。俺のセコンドはエルサだ。
俺はエルサがつけれくれた、手にはめた武闘グローブを、確認する。よし、いいぞ、手になじんでいる。
「素晴らしい試合になりそうだね」
セバスチャンは俺に近づいてきて、言った。
「試合後は、どちらかが必ず倒れている。僕の予想では、それは君だがね」
俺はふと、最前列のアシュリーの席を見た。……いない。ローフェンもいない。ゲルドンやゼボールの姿も見られない。ミランダさんはいるが、少し困惑した表情だ。
「おい、お前、何かしたか?」
俺はセバスチャンに聞いた。
「アシュリーに、何かしたのか?」
くそ、想定内といえば想定内だが……、まさかこいつ、本当に?
「フフッ」
セバスチャンは笑った。
「言っただろう? 私はアシュリーの実の父親だ。彼女に何をしようが、私の勝手だろう、と」
「お前っ!」
俺は声を上げた。
ミランダさんが厳しい顔をしている。
俺は直感的に分かった。こいつら、アシュリーを監禁している! 護衛のゲルドンやローフェンたちは、セバスチャンの手下たちに、倒されてしまったのか!
──その時!
カーン!
試合開始のゴングが響いた。
ドオオオオッ
観客たちが声を上げる。
シュッ
セバスチャンは左ジャブを軽く放つ。
俺は軽く、右手で受け止める。
「提案しよう。私が勝てば、アシュリーは私のものだ」
セバスチャンが言った。
「ゼント君、君が勝てば、アシュリーは君のもとに返す。この取り決めはどうかな? シンプルで良いだろう?」
「セバスチャン、お前! 本当にアシュリーに手をかけやがったな!」
──その瞬間、俺はハッとした。アシュリーはエルサの娘だ。エルサはセコンドをしている場合じゃない。俺はエルサをチラリと見やった。
するとエルサは気丈にも、声を張り上げた。
「ゼント、集中! アシュリ―は大丈夫! そんなヤワな子じゃないわ!」
「だ、そうだ」
セバスチャンはクスクス笑っている。
「ゼント君、楽しもうじゃないか。我々の闘いの宴を……」
セバスチャンはフットワークを使い始めた。
シュッ
セバスチャンは薄ら笑いを浮かべ、再び左ジャブ。
(こ、この野郎……、セバスチャン! どこまでねじ曲がったヤツなんだ!)
エルサ! お前がアシュリーをどんなに心配しているか、よく分かる。
俺は、絶対に勝たなければならない!
俺はセバスチャンのジャブを右手で払い、左アッパー! セバスチャンはそれをかわし、右ストレート。俺は頭を下げて、パンチを避け、右アッパー! セバスチャンは笑って、スウェー。しかし俺は追撃!
踏み込んで──右ストレートパンチ!
パシイッ
セバスチャンが俺の拳を掴む!
(危ねえっ!)
セバスチャンは掴んでから、組ついてくる! 投げも得意だ。
俺はすぐに拳を引っ込め、中断前蹴り! セバスチャンは後退して、避ける。俺はそれに隙ができたと見て、すぐに左フック! セバスチャンはそれをも、上体だけで避けてしまう。
(セバスチャンのヤツ……! 防御の時に、ほとんど手を使っていない! 何てヤツだ?)
ヒュッ
セバスチャンが俺の後ろに回り込む! 来たな、この動き!
セバスチャンが俺の背後を取る! そして手で俺の鼻をふざぐ!
しかし──!
(ここだっ!)
俺はくるりと前を向き、セバスチャンと正面から組み合った!
「な、何!」
さすがのセバスチャンも、声を上げた。セバスチャンは俺を転ばせるつもりだったはずだ。しかし、俺がそれに感づき、正面から組みついたので、面食らったようだ。
俺はコーナーポストにセバスチャンを押し込む。俺とセバスチャンは組み合ったままだ。
ガスッ
「くっ」
俺の膝蹴りが、セバスチャンの腿の痛点にめり込む。
ガスッ
ガスッ
ゴスッ
俺の膝蹴りが何発も、セバスチャンの腿に入る。
しかし、セバスチャンも負けてはいなかった。
力任せに、俺を横に投げようとする。
俺は倒れようとするのをふんばった。
セバスチャンは、身長177センチ、体重73キロ。
俺は身長162センチ、体重54キロ。
この体格差をどう埋めるか? 勝たなければ、アシュリーが危ないのだ!
今度は、俺がセバスチャンを横に投げようとする。しかし、セバスチャンも踏んばる。
「うおおおおっ……寝技、狙ってるぞ!」
「セバスチャン有利か?」
「バカ、ゼントだって組み技は使えるぞ」
観客たちが騒然としている。
そんなことをやっているうちに、組み合いつつ、俺たちはリングの中央にきてしまった。
ボスッ
セバスチャンの右ボディーブロー!
ガスッ
俺の右膝蹴り!
セバスチャンの左ボディー!
俺の左膝蹴り!
ガスッ
ゴスッ
ボスッ
俺もセバスチャンも組み合いながら、もう何回、細かい攻撃を繰り出しただろうか?
「ふ、二人とも倒れねええ~」
「意地の張り合いだぜ、こりゃ」
「もう組み合いの状態で、三分は経ったんじゃないか?」
観客たちも、声を上げている。
その時、俺はスッと力を抜いた。
セバスチャンの目がギラリと光る。彼は俺の首に腕を巻き、俺の腰を抱えた。
この体勢は──!
「気を付けて! セバスチャンの得意技──裏投げが来る!」
セコンドのエルサが叫んだ。
ローフェンのアバラを破壊した投げ技だ! しかし、俺はこの投げを待っていた。
俺はセバスチャンの膝裏を、自分の膝裏で刈った!
「なにいっ?」
セバスチャンはバランスを崩しながら、声を上げた。
俺は重心を前に──! 自分も倒れ込むように、逆にセバスチャンの首に腕を巻き付けて、前方に投げた!
ドスウッ
「あ、ぐ!」
セバスチャンは後頭部と背中を、したたか打った。リング上に倒れ込んで、目を丸くしている。セバスチャンは立ち上がろうとしたが、フラついてロープにもたれかかって、片膝をついた。
後頭部を打ったのが、相当効いている!
「審判! ──これはセバスチャンのダウンでしょう?」
エルサがリングサイドに座っている審判団に向かって、声を上げた。
『ダ、ダウン! 1……2……3……!』
あわてた審判団長のダウンカウントが、スタジアムに響く。
ドオオオオオッ
スタジアム内は騒然とした。
「マジかよ!」
「セバスチャンのダウン、きたー!」
「変形の大外刈りだ!」
「ゼントのヤツ、裏投げを返しやがったああああ!」
観客が声を上げる。
『4……5……6……』
「フ……フフッ、ゼ、ゼント君。……君が……ここまで……やるとは思わなかった」
セバスチャンはゆっくりと膝に手をやり、立ち上がる。そして両手を体の前にやり──ギチリと構えた。
「……す、すばらしい戦術、技術だ」
立ったか……!
「私の得意技を、変形の大外刈りで返してしまうとは……」
セバスチャンは笑いながらつぶやいている。
「強い……強いぞ、君は! ……ゼント君、君は一体何者なんだ?」
俺は身構える。
(セバスチャンに大したダメージはない)
俺はそう考えた方が良い、と思った。
「ゆるさん……! 徹底的に叩きのめしてくれる!」
セバスチャンが吼えた!
おっ……! セバスチャンの体に、不気味なもやが漂い始めている。やがて、灰色のもやが、セバスチャンの全身を覆い始めていた。
──悪魔手的闘気──亡霊を味方につけた、邪悪なオーラだ!
悪魔に魂を売ったか……。そういうヤツには、絶対に勝つ! アシュリ―を取り戻す!
俺は決意し、身構えた!
ゲルドン杯格闘トーナメント──決勝戦。
俺、ゼント・ラージェントは、最大最悪の宿敵、セバスチャンからダウンを奪った。
しかしセバスチャンは、不気味な悪魔的オーラを身に纏いながら、立ち上がる。
これがセバスチャンの真の姿だ!
……くっ……! この間のゲルドン戦後で見たオーラより、強烈な邪悪さになっている。とにかく近づきたくないと感じさせる。邪悪さが凝縮され、今にも襲い掛かってくるようなオーラだ!
「ゼント君、私をここまで追い詰めたのは、賞賛に値する」
セバスチャンは構えながら言った。
「よろしい、少しだけ私の本気を見せてあげよう──」
グワッ
セバスチャンが右ストレートパンチを振りかぶる!
ガッスウウウ!
俺は咄嗟に、両手でパンチを受ける! ──俺は3メートルは吹っ飛ばされた。こんなのまともに喰らったら……!
「おおおおら!」
セバスチャンはジャンプし、寝転んだ俺を、上から踏みつけようとする!
サッ
俺は寝ながら、かわす! そして、俺は寝ながら右スライディングキックを放つ! セバスチャンはそれを避ける──。
……! こ、この状況は!
俺はすかさず、再び左スライディングキック! セバスチャンは足裏でそれを受ける。
俺はリング上で寝転びながら、セバスチャンを見上げた。セバスチャンは立って、俺を見下げる。
「おい……これ」
「あの伝説の?」
「きたああーっ」
観客も、この状態の重要性が分かっている。
100年前、伝説の職業レスラーと、伝説の拳闘士の対戦! 3分15ラウンド、彼らはこの状態で闘い抜いたのだ。リアルファイトだからこそ、この状態になる!
「ハハッ」
セバスチャンは笑った。
「まったく、君との対戦は飽きないよ。何なんだ? ゼント君、君ってヤツは?」
俺は彼の膝を、足裏で蹴る。セバスチャンは距離をとる──。
2分──3分──それくらい時間が経っただろうか。
セバスチャンが大きくジャンプした。その時、セバスチャンの背後に、古い武人が見えた。サーガ族の亡霊だ!
セバスチャンは、またしても、上から俺を踏みつける!
しかし──チャンスだ!
俺はすかさず、彼の膝を両腕で掴む。セバスチャンはバランスを崩した──かに見えたが、そのまま俺の腹に片膝を乗せ、馬乗り状態に移行!
そうはさせるか!
せえの……!
ぐるり
俺は勢いをつけて、セバスチャンと体勢を入れ替えた。そしてついに──。
俺が、セバスチャンから馬乗り状態を奪った! 俺が上になったのだ!
「お、お前……!」
下になったセバスチャンは、目を丸くしている。
ガスウッ
俺は上から、パンチを落とした。セバスチャンはあわてて腕で顔を防ぐ。しかし、俺はがら空きの腹をパンチ! その後、素早くまた、セバスチャンの顔めがけてパンチ!
パシッ
セバスチャンは手の平で俺のパンチを受ける。
「うっ!」
ドボッ
その時、セバスチャンの膝が、俺の腹に入っていた。そして俺の肩に、足裏蹴り!
ガスウゥッ……
すさまじい脚の力だ! 俺は1メートル吹っ飛ばされた。だが、俺は何とか距離をとって、立ち上がった。ダメージはないが、馬乗り状態は──外されてしまった……!
セバスチャンも素早く立ち上がり、何と、走り込んできた。セバスチャンの背後に、また人影──古い武人が見える! 亡霊だ!
ガッシイイ
セバスチャンの飛び前蹴り! 俺は咄嗟に腕で防いだが、コーナーポストに背中を打った。試合に支障はほとんどないが、体への衝撃はかなりのものだった。
しかし、俺も出るしかない!
「おらあああっ!」
俺は向かっていった。今度は、俺が走って飛び蹴り! セバスチャンはそれを避ける。
俺が振り返ると同時に、セバスチャンは上からパンチを振り下ろす!
ガッスウッ
俺は素早く、左アッパーを、セバスチャンのアゴに決めていた。俺はセバスチャンのパンチをよけていた。セバスチャンは自分の力を過信している。防御がおろそかだ!
のけぞるセバスチャン。俺の右ボディーブロー!
ドボオオッ
「ぐふううっ」
決まった! セバスチャンの体が前傾姿勢になる! 腹部の急所に入ったのだ!
「き、貴様ぁあああっ!」
怒りを込めた、セバスチャンの左フック! 俺はそれを避け、右アッパー! セバスチャンは上体でかわしつつ、右中段蹴り! 俺はスネで受ける。
今度は俺の下段回し蹴り! セバスチャンもスネで受ける。今度はセバスチャンの左フック! 俺は右腕でそれを払い、カウンター気味に左ストレート……。だが、またセバスチャンは上体だけで避ける!
ウ、ウオオオオオオッ……
「速すぎて見えねーよ!」
「手数はあるのに、お互い、倒すまでに至ってないぞ……!」
「こりゃKOで決着するぜ……絶対!」
観客たちも声を上げている。
「もう、技は出し終えたのかな? ゼント君」
セバスチャンは余裕を見せる。しかし、肩で息をしているぞ! セバスチャン!
俺は一歩踏み込み、上段前蹴り!
ガスウッ
セバスチャンのアゴに当たる! もう一発、上段前蹴り! 今度はセバスチャンの右頬に当たる! そして、右中段蹴り、連発二発だああっ!
「くっ!」
セバスチャンは、腕で俺の蹴りを防御した。そろそろ彼もスタミナが切れてきた。上体だけで、避けるわけにはいかなくなってきている!
おや? 彼はよろけた──。ここか? 俺は一歩、前に出た。
「ダメよ! ワナだよ、ゼント!」
エルサが声を上げる! な、何だと?
「ゼント君、ようこそ!」
セバスチャンはそう言いながら、俺の両肩を、腕で掴んだ!
くうっ、効いて見えたのは、セバスチャンの芝居か?
「ようこそ、軍隊格闘術の世界へ!」
セバスチャンはそう言いつつ、組みつきながら、俺に超接近型の右パンチを俺の腹に打ってくる。しかもセバスチャンは、俺が離れられないように、俺の左腕を自分の右腕でフックしている!
ボスッ ゴスッ ボスッ
く、う、うまい! 接近しすぎると打撃は効かないものだが、彼は接近戦でも打撃を効かせるように、工夫しているのだ! 手首をひねったり、緩急をつけたり……!
しかも、俺の腕をうまく固定している。俺は磁石のように、セバスチャンから離れることができない!
その時!
ヒュッ
セバスチャンは一瞬の隙をついて、俺の背後に回り込んだ。
ゾクッ……
俺は邪悪な力を感じた。嫌な予感がする。
ガッシイイッ
セバスチャンは肘を使って、俺の後頭部を打つ!
「うぐっ!」
俺はバランスを崩して、前方に倒れ込む。
「だ、だめ! ここからは絶対に油断しないで! セバスチャンの必殺技が来る!」
セコンドのエルサの声が聞こえる。
俺が倒れ込むと、セバスチャンは俺から背面馬乗りをとってしまった。つまり、俺の背中に馬乗りをしている状態だ!
「ハハハ! 君はここで死ぬんだよ!」
背後のセバスチャンの声に、恐ろしものを感じた。亡霊たちが一斉に喋っているような……。
セバスチャンは、俺の首に、自分の腕を巻き付けてきた!
セバスチャンの背面馬乗りからの──チョークスリーパー! 裸締めだ!
決まったら終わる──。
俺はすぐに首を──頸動脈を腕で守る!
「し、しぶとい男だ!」
セバスチャンは声を荒げる!
俺は絶対に決めさせない! そして俺には、逆転の道が見えていた!
俺──ゼント・ラージェントは、セバスチャンとの決勝戦に挑んでいる。
そして、セバスチャンのチョークスリーパーを防御するため、自分の首を、腕で守っているのだった。
「ムダだ!」
セバスチャンは俺の背中に乗り、俺の首に腕を回してくる。俺の首に、セバスチャンの腕が回り込めば、頸動脈を絞められておしまいだ。
俺は腕を使って、首を守る。
「くっ! しぶといヤツだ」
セバスチャンはイラだち、パンチを俺の後頭部に打ち下ろしてくる。
ガスッ
俺は──何とか膝をたたみ、脇を絞めて首を腕で守る。
「うっ……こいつ!」
セバスチャンはうめいた。
おおっ……と観客からため息がもれる。
「あれは総合格闘技でいう『亀』の状態ってヤツだ!」
「ゼントがピンチってことか?」
「い、いや、首を守れるし、悪くないんじゃないか?」
「バカ、あの状態じゃ、セバスチャンは後ろから打撃を打ち放題だ」
観客たちもざわめく。俺はまるで岩のような丸まった体勢になっている。
「フフッ、これは驚いた。なるほど、『亀』の体勢というわけか──。いわゆる君は『引きこもり』したのだ。再び」
セバスチャンは半ば呆れたように言った。
ガスッ
セバスチャンは上から後頭部にパンチを落としてくる。俺は「亀」になって引きこもった。
「愚《おろ》かだ! 本当に君は愚《おろ》かだ!」
ガスッ ガスッ
セバスチャンは調子に乗って、何発も俺の後頭部にパンチを落としてくる。
この調子だと、もう一発パンチが必ず来るはずだ!
俺は背中に、多少の軽さを感じた。セバスチャンは打撃に夢中になり、体重の掛け方、バランスをおろそかにしている!
ここだっ! せえのっ!
ぐるり
俺は亀の状態から右横に転がり、背中の上のセバスチャンのバランスを崩した。セバスチャンはパンチを打ち途中だったので、左腕を上げた状態だった。
「なにっ?」
体勢を崩したセバスチャンが声を上げた。
俺はうつ伏せから、仰向けの状態になり──。
ガスウッ
素早くセバスチャンの腹を蹴っ飛ばした! セバスチャンは吹っ飛んだ。
「ぐぐっ! な……んだと!」
セバスチャンは驚いて、またしても声を上げた。
俺は立ち上がった。そしてすぐに、膝をついているセバスチャンの顔目がけて! 地面すれすれの左アッパーを放った!
ガッスウウウッ
「ぐうっ」
アゴに当たった! しかし完全な当たりではなかった。セバスチャンはあわてて立ち上がる。しかし俺は、隙を見逃さなかった。
ここだああああっ!
全体重を乗せ──右ストレート!
ガシイイッ
そんな音がした。俺の拳が、セバスチャンの頬に当たった。
「あが、ぐ」
セバスチャンはうめき、ヨロヨロと左によろけ──武闘リングに倒れ込んだ!
「お、おい……何が起こったんだ?」
「ゼントが逆転?」
「まさか? セバスチャンがあんなに攻めていたんだぞ」
ザワザワと観客たちが騒いでいる。俺は……セバスチャンをダウンさせたのか?
『ダ……ダウンです! 1……2……3……4……』
審判団長を声を上げる。
ウオオオオオオオオオッ
観客が騒然とする。そう……セバスチャンのダウンだ! セバスチャンは目を丸くし、座り込んで俺を見上げている。
「そんな……そんな……どうして……?」
セバスチャンはつぶやきながら、呆然としている。
『5……6……7……』
セバスチャンはあわてて、よろよろと立ち上がった。
「うう……私が、まさか? 2回もダウンを取られるとは? 信じられん。ゼント……君は何者なんだ?」
「俺は、20年間、子ども部屋に引きこもっていた、ゼント・ラージェントだ!」
俺はそう言った。
その時だ。リングサイドにミランダさんが駆け寄ってきた。
「ゼント君!」
手には魔導通信機を持っている。
「アシュリーを捜索してくれる組織が、駆けつけてくれたわ。アシュリーは、まだ見つからない。私も捜索に参加するから」
「分かった!」
俺は声を上げた。
「エルサ、ゼント君を見守ってあげて。それがあなたの仕事よ」
ミランダはエルサに言った。エルサは静かにうなずくと、ミランダさんは、試合会場の奥の方に走っていってしまった。
そうだ……俺たちはアシュリーも見つけなければならない。だから、俺はこの勝負、絶対に勝たなくてはいけないのだ!
「屈辱だ……」
立ち上がったセバスチャンの顔は、真っ青だった。
「私は武闘家を支配し、世界を支配し、全てを支配するのだ。なのに、2回もダウンをとられる醜態を……!」
セバスチャンはブルブル震えている。ミランダさんの、アシュリーの捜索の話も、耳に入ったのだろうか?
「屈辱だあああああああーっ! ゼントォオオオッ」
その瞬間、セバスチャンの体から、彼の頭上に、不気味な灰色の影が飛び出した。武人の亡霊だ! 5名いる。筮内的な体の色は灰色であるが、全員、それぞれ、頭や腕や胸などから血を流してみえた。
不気味だ……!
俺はそのあまりの禍々しさに、一歩後退した。
セバスチャンは、「亡霊よ、来い!」と声を上げた。すると、セバスチャンの頭上にいる武人の亡霊の一人が、セバスチャンの体内に入っていった。
「お、おい……何なんだ? セバスチャン」
俺はそう言いつつ、目の前の奇妙な出来事に呆然とした。
セバスチャンの体は震え、煙のような闇色のもやに包まれた。セバスチャンの姿は、煙に包まれ、見えなくなった。
「な、何だ?」
俺は目を丸くした。やがて煙は薄れ、ぼんやりセバスチャンが姿を現わした。
「ほほう、これは……」
セバスチャンはしげしげと、自分の手や腕を見ている。
セバスチャンの姿自体は何も変わっていない。しかし、彼を包んでいるオーラが、もっとドス黒くなっている。いや、赤黒いと言っていい……。そうか、血の色か!
そのオーラは、この世の恐怖や絶望、悲しみをすべて表わしているようだった。
「我が名は、『歴戦の魔闘神』セバスチャン──ということらしいよ、ゼント君」
セバスチャンはまるで他人ごとのように、笑顔で言った。
「歴戦の魔闘神」? ど、どこかで似たような名前を聞いたような……。
その時! 俺の頭の中で女性の声がした。聞き覚えのある声だ。
『お久しぶりです』
あ、この声は! マリア! 俺の守護霊!
『そこはかわいらしく、守護天使といってください。って、前にも言いましたっけ?』
頭の中のマリアは、そう俺に声をかけてきた。
『セバスチャンは体の中に取り憑いていた、本物の古代の悪魔的英雄、〈歴戦の魔闘神〉と合体しました」
「そんなバカな……」
『最悪ですよ、あいつを早く倒さないと! 一般の人々にも被害が及びます!」
「え、えーっと……倒せったって……」
俺が困惑していると、セバスチャンの手に、いつの間にか、光る棒状のものが握られていることに気が付いた。
……棒? いや、剣? そうだ、武器だ、剣だ!
『あ、あれは! 魔力──いや、怨念で作り上げた、刀剣──〈念じ刃〉です』
マリアはあわてながら言った。
「ゼント君、君の頭の中にいる守護霊の言う通り、私は武器を念で作り上げたんだ」
観客たちも、静まり返って、俺たちを見ている。審判団も呆然としている。
「『歴戦の魔闘神』と『歴戦の武闘王』は古代、彼らが生きていた時、好敵手同士だったそうですよ」
セバスチャンは話を続ける。
「ゼント君、君の体の中に、『歴戦の武闘王』のスキルがあることは分かっている。だから、これから行う闘いは、宿命の闘いだと言っていい」
「お、お前……その得体の知れない武器で、俺と闘うってのか?」
すると……。
「審判、この闘い、何かおかしいよ。中止させて! ゼントの命が危ない!」
エルサが声を上げる。しかし、審判団は周囲と相談してはいるが、試合を止めない。
「選手が武器を持ったら、相手の反則勝ちになる。通常は──」
セバスチャンは笑って言った。
「しかし、この武器は念で作り上げられた武器だ。私の肉体の一部でもある。──そもそも、私は君に敗れ去ったゲルドンに代わり、このトーナメントの最高責任者となった。だから、どんな武器を持ってこようと、審判団は私を止められないのだ」
「き、汚ねえ……」
俺が言うと、セバスチャンはクスクス笑って言った。
「ここからの勝負は、命をかけた勝負になる。ゼント君、この勝負、受け入れますか?」
命をかける……! 俺はゾクリとした。なぜだか俺は、この勝負を受けなければならない気持ちになっていた。
だが……そんなことより……俺にはやらなければならないことがある。
この勝負に勝って、アシュリーを返してもらわなければならない!
「いい加減、アシュリーを返せ!」
俺はセバスチャンに向かって、怒鳴った。
「アシュリーを返してほしければ、私との勝負を受けるんですね」
セバスチャンはひょうひょうと言った。
「いや……君が真の武闘家ならば──『歴戦の武闘王』の魂を継ぐ者ならば、この闘いからは逃げられない」
「この野郎……」
俺はセバスチャンをにらみつけた。
「こんな勝負、危険すぎるよ、ゼント……。あれは刃物……武器だよ……。私、どうしたら……?」
エルサは泣いている。俺は、エルサに言った。
「エルサ、大丈夫だ。俺は勝つ」
「ハハ、いいね、ゼント君。君はすごい、すごいヤツだ」
セバスチャンは笑った。いつの間にか、念じ刃には鞘がきちんとできていた。彼は帯の左に、念じ刃を差し入れた。
「だが、斬られたら死にますよ」
セバスチャンはニコッと笑って言った。簡単に言いやがって。
「さあ、アシュリーを返してもらうぜ!」
俺は叫んだ。
真の闘い、いや、真実の闘いが──これから始まる。
セバスチャンは「歴戦の魔闘神」となった。一方、俺はスキル「歴戦の武闘王」を持っている。
(宿命の対決……というわけだ。だが、アシュリーは返してもらうぞ、セバスチャン!)
俺は決意した。
セバスチャンの帯の左には、念じ刃という武器が、鞘に入っておさめられている。念じ刃は、念で作られている剣──刀状の武器だ。
念でできていると言っても、ほぼ物質化しているように見える。
審判団は、それを見て見ぬフリをしている。やはり、セバスチャンはこのトーナメントの最高責任者であり、武闘家連盟会長だから、一切口出しできないらしい。
セバスチャンは俺をじっと見る。
(う、うおおおっ……、こ、この感覚は!)
こ、これが念じ刃という刃物と相対する、ということなのか。斬られる恐れ、不安、そして強敵と闘える不可思議な喜び、感謝──ごちゃまぜの感情が俺の頭の中を駆け巡っている。
「くくくっ……。素手の君が、念じ刃を持った私に、勝てるわけがない。切り刻んでくれよう、ゼント君」
セバスチャンはクスクス笑った。
カチャリ
セバスチャンは、反物質化した念じ刃の鍔に親指をかけ、すべらせる。右手で念じ刃を引き抜こうとしている。
スッ
最初はそんな音がしたと思った。
念じ刃を引き抜──……いや、引き抜いていない! 手だけ、念じ刃を引き抜くフリをしただけだ! しかしその後──。
ブアアアアッ
本当に念じ刃を抜き、横に払った!
「うおおっ!」
俺は思わず前転して、それを避ける!
念じ刃を抜く……と見せかけて、二回目で? こ、これは「歴戦の魔闘神」の技術か! セバスチャンはつぶやくように、技の名を言った。
「秘剣──騙し払い──」
カチャッ
セバスチャンは納刀──念じ刃を鞘に戻してしまった。
俺は立ち上がり、横に移動する。
その瞬間、セバスチャンは素早く念じ刃を抜き、何と前に突き刺してきた! 刃の裏部分に手の甲を添え、刃先がブレないようにしている!
俺は、今度は後ろに飛んで、それをかわす!
「ゼント君、血まみれになる前に、『まいった』をしてもよかろう」
セバスチャンはまた笑う。
「そうすれば、命は助けてやる。私としてはもっと闘いを楽しみたいが」
誰が、「まいった」なんか、するもんか! 俺は勝つ!
またセバスチャンは納刀。しかし、俺はその瞬間を見逃さなかった!
ガスウッ
俺の左ジャブ!
セバスチャンの頬に当たった! しかし、俺は近づきすぎた?
「隙ありだ! ゼント君!」
セバスチャンは構わず、今度は何と、素早く念じ刃を引き抜き、リングに直角に刺してきた! お、俺の左足の甲を刺そうとした。
そ、それはうまいこと外れた。
しかし、続けてセバスチャンの上段斬り!
バサッ
俺の武闘着の袖を斬っただけだ!
「何! かわすとは!」
セバスチャンは声を上げた。そして──俺は素早く踏み込み──。
ドボオッ
セバスチャンの腹に、左ボディーブローを入れた!
「ぐへ」
続けて、左フック!
ガスッ
彼は念じ刃を持っているから、逆にまともな防御ができないのだ。
セバスチャンはフラつき、立っているだけで精一杯だった。
しかし、彼の手には念じ刃がある。油断したら、一撃でやられる。それが恐ろしい!
「貴様あ……ゼントォ……!」
セバスチャンは怒り狂った目で、俺をにらみつけている。
「ふうっ」
俺は息が切れてきた。この緊張感の中だ、体力の消費が速い!
しかし、セバスチャンにも打撃は効いている。
念じ刃の3回目の納刀は──しない!
セバスチャンは念じ刃を自分に引き寄せ、脇を締め、構える。
ここしかない!
「ゆるさん! 斬られた痛みで、悶え苦しめ! ゼント!」
セバスチャンは本性を表した。
上段から斬る──と見せかけて、何と、念じ刃を下から斬り上げてきた!
だが、俺はその前に、素早く接近していたのだ。
パシッ
念じ刃を持った手首を掴む!
「まさか!」
セバスチャンが声を上げた時、俺は──。
ガッシイッ
セバスチャンのアゴに、左ストレートを決めていた。
セバスチャンは念じ刃を落とした。物質化しているから、ガラン、と音がした。
「ううっ?」
セバスチャンは驚きの声を上げる。
そしてそのまま、念じ刃は消えてしまった……。
「あ、う、う」
セバスチャンは俺を見て、一歩後退する。
俺は前進して、左ジャブ! セバスチャンの頬をかすめる。セバスチャンも、あわてたように右ストレート! 俺はそれを手で受け、前蹴り! セバスチャンは膝でそれを受け止めた。
そして、セバスチャンの上から振り下ろすような、変形右フック! 軌道が独特だ! こんなパンチを隠し持っていたのか?
ガシイッ
俺は、左アッパーを、セバスチャンのアゴに決めていた。逆に俺は、セバスチャンの変形右フックをよけていた。
セバスチャンはフラつきながら、笑う。彼は倒れない。
「さ、す、が、ですね」
ゆらり
セバスチャンが横に移動する。
カッ
セバスチャンは目を見開き、力を振り絞って──今度は上からの変形左フック!
ここだ──俺は、それを待っていた。
俺は一歩踏み込み、全身全霊の力を込め──。
彼のアゴに、右手の平の下部を使った打撃──! 右掌底を放った!
グワシイイイイッ
「ガフ」
そんな声とともに、セバスチャンのアゴに俺の右掌底が叩き込まれた。
完全なカウンター攻撃……! セバスチャンのアゴをとらえていた。
「そ、そんな……。まさか……この私が」
彼はそうつぶやきながら、フラつき、片膝を──ついた!
そして……リング上の全身を突っ伏した。
「ああ……」
「ついに」
「ど、どうなった?」
観客たちが静かにざわめく。
リング外の審判団が、白魔法医師たちの方を見る。白魔法医師は、バツの字を作って、首を横に振る。
カンカンカン
乾いた金属音──試合終了のゴングの音がした。そして──。
『16分20秒! KO勝ちで、ゼント・ラージェントの勝ち!』
スタジアム全体に、放送が──審判長の声が響き渡った。
『ゼント・ラージェント選手の優勝です!」
ドオオオオオオオオッ
「きたあああああああーっ!」
「完全決着だああああ!」
「ゼント、すげええええ!」
「やりやがったあ!」
「すげえ試合を観たああ!」
あまりの歓声に、スタジアムが揺れたように思えた。
「やったあああ!」
エルサがリング上に上がってきて、俺に抱きつく。
「ゼント、おめでとう!」
一方、セバスチャンは座り込んで、呆然としている。まあ、そっとしておこう。
おや? スタジアムの奥……花道の方から大勢の軍人がやってきた。
「ええっ? あれは、国王親衛隊よ!」
エルサが声を上げた。
20名はいるだろうか? 軍隊の正装をしている。彼らはリングサイドに近づいた。そして彼ら20名をかきわけて、一人の少女が前に進み出た。
「ゼントさん!」
アシュリ―だ!
ほおおお……っ! 俺とエルサは、やっと息をついた。無事だったかぁ……。
俺はエルサとともにリング下に降りて、アシュリーに聞いた。
「アシュリー! 怪我はないか?」
「平気だよ。国王親衛隊の人たちが助けてくれたんです」
「どこにいたんだ?」
「二階の来賓客用観戦室です! ゼントさんの試合もきちんと観れました!」
アシュリ―が言うと、エルサがうなった。
「そうか……。来賓席だと、貴族や王族の人たちが入る場所だから、皆、入り辛いものね。見つけるのに、時間がかかったわけか」
「赤鬼さんが、お菓子を一杯くれたんですよ」
アシュリ―が小声で言う。
一応、アレキダロスや赤鬼たちは、アシュリーを丁重に扱ったわけか。まあ、ゆるせんけど。
すると、国王親衛隊たちがまた、6名、俺の目の前にきた。彼らは白仮面の大魔導士──アレキダロスと赤鬼を連れて歩いてきた。アレキダロスと赤鬼の手首には、手錠がはめられている。
「私は副親衛隊長のアルフォ・マリウです。このアレキダロスが、アシュリーさんを拉致した、真の計画者であります。よろしければ、仮面の中の正体を見ていただきたいと思います。あなた方が知っている人物か、見てもらうためです」
俺は戸惑ったが、うなずいた。
「おい、やれ」
マリウ副親衛隊長は、アレキダロスの仮面に手をかけた。アレキダロスは抵抗しなかった。仮面は簡単に外れた。
「あああっ!」
俺とエルサは、同時に声を上げた。
アレキダロスは……! アレキダロスの正体は、俺の、俺たちの知っている人物だったからだ。
俺、ゼント・ラージェントは、ついにセバスチャンに勝利した!
ゲルドン杯格闘トーナメント……何と、優勝だ。
そしてリング下で、真の黒幕ともいえる大魔導士アレキダロスの正体が、マリウ副親衛隊長の手によって、暴かれる──。
アレキダロスの仮面に、マリウ副親衛隊長が、手をかけた。
何と、アレキダロスの正体は……女性!
「ああっ!」
俺とエルサは思わず声を上げた。アレキダロスの正体は……!
フェリシアだった。
俺の元彼女であり、ゲルドンと離婚した元妻である。
俺は16歳のときの、フェリシアしか知らない。だけど、36歳になったフェリシアであることは……間違いなかった。面影がある。
「何で……どうして……フェリシア?」
俺はつぶやくように言ったが、フェリシアは黙っている。彼女の手首には、手錠がかけられていた。
「ゼントさん、申し訳ないが」
審判団長が俺たちに声をかけた。
「これから、グランバーン王との謁見式があります。王から優勝者に、祝福のお言葉があるそうです。ただちにグランバーン城へ移動してください」
マリウ副親衛隊長は、「では、アレキアダロスを……この女を連行しろ」と部下に命令した。アレキダロス──いや、俺たちの幼なじみ、聖女フェリシアは手錠をかけられて、スタジアムの奥に連れていかれてしまった。
俺とエルサは、顔を見合わせていた。
一方、武闘リングの方を見ると、セバスチャンも黙って座り込んでいた。手には、やはりというべきか、手錠がはめられている。
座っているセバスチャンを、リング上で見下ろしているのは、親衛隊長のラーバンス氏だ。ラーバンス親衛隊長は、難しい顔をして、セバスチャンを見ている。
ラーバンス氏は、セバスチャンの父親だ。
「セバスチャンの罪状は、色々あるそうよ」
ミランダさんが俺に言った。
「今日、アシュリーを拉致したこと、様々な不正な経営をしてきたこと。どんどん出てくるはず」
◇ ◇ ◇
俺とエルサ、ローフェン、ミランダさん、アシュリーの5人は、スタジアムの試合会場から出た。そして、歩いてグランバーン城に向かった。グランバーン城は、俺とセバスチャンが闘った中央スタジアムから、歩いて1分のところにある。
俺は歩きながら、エルサと話した。気になるのは、さっき逮捕されたフェリシアのことだ。
「一体、何がどうなってるんだよ? フェリシアがどうして、セバスチャンの手先になっていたんだ?」
「うーん……。でもね、あたしにはフェリシアの気持ちが分かるよ」
エルサがそう言うので、俺は驚いた。
「ど、どういうことだ?」
「この間、ゲルドンの屋敷に行ったでしょう?」
「あ、ああ」
「屋敷に長年勤めていらっしゃるメイドさんに、フェリシアのことを聞いてみたのよ。ゲルドンが屋敷に帰ってこない日も多く、一人で過ごす日がとても多かったそうよ。息子さんのゼボールも不良仲間とつるんでいたし。とてもさみしかったんじゃないかな」
「そんな時、フェリシアにセバスチャンが目を付けた?」
「そうね。メイドさんがもう一つ言ってたんだけど……。ゲルドンが不倫し始めてから、フェリシアは口癖のように、ゼントのことを言っていたらしいよ」
「な、何て?」
「『20年前、ゼントを裏切ってしまった。謝りたい』って……」
……そうか。
フェリシアは留置所に入るのだろう。だが確か、フェリシアは妊娠していたと聞いた。
「フェリシアは妊娠しながら、アレキダロスを演じていたのか?」
「そのようね。『大魔導士』なら、武闘家や剣士じゃないし、そんなに動かなくても良いからね。変声魔法も、彼女の魔法力なら、毎日使い続けることができるはずよ」
「うーん、あいつは治癒魔法も補助魔法も、お手のものだったからな」
「そうそう、フェリシアは聖女だし、治療薬や薬剤のことはかなり詳しかったわね」
「薬剤? ……『サーガ族の生き血薬』のことか。あれはフェリシアが作ったのだろうか……?」
多分、そうなのだろう。これから、事件の謎が少しずつ解けていくんだろうな。間違いないのは、フェリシアがセバスチャンの助言者のアレキダロスだったこと。そして、セバスチャンと共に、フェリシアが留置所に入れられること。
「さあさあ、ゼント君、何をブツブツ言ってるの!」
ミランダさんが元気よく、声を上げた。
「あなたは優勝者よ! もっと胸を張って、明るい顔をしなさい。笑顔よ!」
「あ、そ、そうします」
俺は笑った。笑っていいんだ、と思った。
◇ ◇ ◇
俺の試合を観ていたスタジアムの観客たちは、外に出始めている。グランバーン城の屋外広場に移動するためだ。どうやら俺は、城のバルコニーで、グランバーン王と謁見することになるらしい。
バルコニーからは、城の屋外広場を見渡せられるそうだ。
何てこった、試合以上に緊張するぞ、こりゃ。
(そういえば、王様ってどんな人か、まったく知らないなあ……)
噂では、グランバーン王は大の写真嫌いで有名らしい。新聞や雑誌にも、ほとんど顔写真を掲載させたことがない。
ひええ……気難しい人なのか? 余計に緊張しまくってきた。
「ゼントさん、しっかり!」
アシュリ―は俺の腕を組んできた。
「そうじゃないと、私のパパになれませんよ~」
俺は苦笑いした。ずいぶん、アシュリーも俺に遠慮せずに言うようになってきたんだな。
◇ ◇ ◇
「トーナメント優勝者、ゼント・ラージェントさんに敬礼!」
俺たちは城に入ると、いきなり衛兵たちから敬礼の挨拶を受けた。俺はこれから、城のバルコニーで、グランバーン王と謁見する。
そしてまあ、簡単に言えば、王様から「よくやった!」とほめられるんだろう。
「さっ、ゼント様! こちらでございます。私は、王の執事、マクダニエルです」
長いアゴひげを生やしたマクダニエル老人が、俺をバルコニーへ案内してくれるそうだ。
「じゃあ、ゼントさん、頑張ってネ!」
アシュリ―がニコニコ顔で声を上げる。
「ゼント、お前な~、緊張してドジするんじゃねーぞ」
ローフェンがニヤニヤ笑って言う。あ~、うるさい。
「もう~……。私まで、ちょっと心配になってきちゃったじゃないの。しゃんとしなさいね」
ミランダさんは、ため息をついている。母親みたいだなあ……。
「ゼント、優勝者のお役目、しっかり果たしてね」
エルサが言った。
お、おう……。
エルサ、ミランダさん、ローフェン、アシュリーは、衛兵が付き添い、城の屋外広場の方に行ってしまった。
俺とマクダニエル氏は、城の三階まで上がり、廊下を歩いた。
廊下の突き当りには、大きな立派な鉄の扉がある。
「さあ……ゼントさん。皆が──国民が待っております!」
マルクダニエル氏は笑って言った。俺はうなずく。マクダニエル老人は、その鉄の扉を開ける。
◇ ◇ ◇
ドオオオオオッ
ひ、人ぉおおおおおおお!
そこは城の3階のバルコニーで、そこから外の城の屋外広場が見渡せる。
……が、人、人、人だらけだ!
屋外広場には、ざっと1万人はいるだろうか? たくさんの人が、俺を見上げている。
「おっ、ゼントだ!」
「キャーッ! ゼント君よ!」
「すごい試合だったぞー!」
人々は俺に声をかけてくれている。
「手を振ってみたらいかがですかな?」
マクダニエル氏が勧める。俺はうなずき、思い切って手を振ってみた。
ドオオオオオッ
歓声で、城が揺れたかと思った。
「きゃあーっ!」
「手を振った~!」
「ゼントちゃ~ん!」
若い女の人たち、街のおばちゃんたちの声も聞こえる。皆、俺を見に来てんのか……。はー、すごい。
一方、俺たちが立っているバルコニーは結構広く、多少の庭園がある立派なものだ。
「ゼント君、君の活躍を観戦していたよ」
後ろから声がかかった。
俺が振り向くと、王冠をかぶった、立派な老人が立っていた。
「私がグランバーン王だ。よく来てくれたな! ゼント・ラージェントよ!」
グランバーン王がにこやかに言う。俺はもう緊張して、口ごもった。
「は、はい。どうも……ん?」
俺はグランバーン王を見て、目を丸くした。
えええええーっ?
グランバーン王は、俺が知っている、「あの人」だったのだ!
俺はゼント・ラージェント。ゲルドン杯格闘トーナメントで優勝した。
俺はグランバーン王との、謁見式を行っている。今、俺がいるバルコニーの下の屋外広場には、1万人以上の観衆が集まってきていた──。
そこに、後ろの扉からグランバーン王が入ってきた。
そのグランバーン王は……!
「あ、あなたは!」
俺は目を丸くした。グランバーン王は、俺が知っている人だったからだ。
「わしだよ、わし!」
グランバーン王は、グワシッと俺の肩を掴んだ。
「ワッハッハ! ゲルドン杯格闘トーナメントの優勝者は君だったか! ゼント・ラージェントよ」
「まさか、あなただとは……」
俺は驚いて、呆然となった。
何と、グランバーン王は、マール村の質屋で、俺の子ども部屋にあった本を買い取ってくれた、あの金持ち老人だった。100万ルピーで買い取ってくれたっけ……。
「マ、マール村の質屋では、お世話になりました」
「うむ、あの時は休暇でな。お忍びで、趣味の古書めぐりをしていた時だったのじゃ」
「まさか、あなたが王様だとは……」
「そのまさかじゃよ! ワハハハハ!」
グランバーン王はワッハッハと笑っている。俺はもう、あの質屋で失礼がなかったか、心配で仕方がなかった。
でも、笑っているから大丈夫か……。
「いや~、しかし、あの質屋にいた君が、この国民的イベントの優勝者か。すごいことだのぉ~」
グランバーン王は豪快に笑い、また言った。
「ゼントよ。ゲルドン杯格闘トーナメントは、全国民が注目する格闘技イベントとなった。セバスチャンの一戦は、大変なことであっただろう。──というわけで皆の者!」
グランバーン王は、眼下の観衆たちに向かって叫んだ。
『この勇気あるゼント・ラージェントに、我が国から報奨金を差し上げようと思う!』
ウオオオオーッ
観衆たちは歓声を上げた。
王の執事、マクダニエル氏は、王に魔導拡声器を向けている。グランバーン王の声が大きくなり、はっきり観衆に聞こえ渡っている。
『では、皆に聞きたい! ゼントへの報奨金はいくらが良いかな?』
グランバーン王が観衆に聞くと、下から、「500万ルピー!」「200万ルピー!」「800万!」「家一軒!」「食べ物のほうがいいんじゃねーのか?」などと声が上がった。
……競売じゃないんだから……と俺はツッコミたくなったが。ってうか、盛り上げ方が上手いな、この王様……。
「それでな、ゼントよ、副賞なんだが……」
「副賞?」
「うむ、君には、ジパンダルへ行ってほしいのだ」
王様が静かに言った。
え? ジ、ジパンダル~?
「で、でも、ジパンダルって、幻の国といわれていて、本当にはない国じゃないんですか?」
俺があわてて聞くと、王はひょうひょうと答えた。
「ん? ジパンダルは最近見つかったぞ」
「は?」
「いや、だから、実際にジパンダルを見つけたんだよ。我がグランバーン王国の国王直属捜索隊が!」
「えええ~!」
マジか……。
『で、だな。ゼント! 君はグランバーン王国国民を代表して、ジパンダルの武闘家たちに会いにいってきてくれないか!』
グランバーン王はすごいことを言っている。魔導拡声器のでかい声で、観衆にも聞こえるように言った。
「すげえ!」
「ジパンダルかよ!」
「幻の国じゃなかったのか~!」
観衆はまた、ドオオッと盛り上がっている。
『ジパンダルには、恐ろしく強い武闘家がゴロゴロいるらしいのだ。我が国からは、君のような強い人間を紹介したい! ゼント、外交官のような役割だが、引き受けてくれるな?」
「が、外交官~!」
えーっと……俺は少し迷ったが、言った。
「い、行っちゃおうかな~……」
『というわけだ! ゼント・ラージェントは、ジパンダルへ行くぞ~!』
グランバーン王は観衆へ向かって叫んだ!
ドオオオオオッと、観衆は大盛り上がりだ。
俺は幻の国とされていた、ジパンダルへ行くことになった。俺は苦笑いしたが、とてもワクワクしていた。
◇ ◇ ◇
数ヶ月後……。俺は船の上にいた。周囲は海だ。
俺たちは、船旅に出ている。2ヶ月以上の長旅だ。周囲は海。向こうには島国が見える。
どこへの旅行かと言うと……あのジパンダルだ!
今回の旅行には、仲間たちがついてきてくれた。ミランダさん、エルサ、ローフェン、アシュリーたちだ。
例の謁見式の後、グランバーン王国は、幻の国(とされていた)ジパンダルと国交を始めたと、正式に発表した。王国民は全員、ひっくり返ったと思う。おとぎ話に出てくる、実際にはない国だと思われえていたジパンダルと、実際に国交を結んでしまったのだから。
島国だというジパンダルの場所は、グランバーン王国から遥か東に1万キロメートルの場所にある。これがグランバーン王国の正式な発表だ。
王国民には、ジパンダルブームが起こっている。
(あれが、ジパンダルか)
俺たちは船の甲板の上で、ついに、ジパンダルという島国を見た。まず俺たちが、船の上から見たのは、素晴らしい、本当に美しい一つの山だった。
「うわああーっ! すっごーい! あの山、ゼントさん、見て!」
アシュリ―は俺の腕を掴んで叫んだ。アシュリーは、最近、もう遠慮なく何でも話してくる。
その美しい山の正式名は、「不死鳥山」だそうだ。不死の山と異名をとる山らしい。
「おー、すげぇ! これが不死鳥山かよぉー、でけえなあー、きれいだなー」
ローフェンが声を上げる。隣にはローフェンのアバラを看病してくれた、女性看護師さんがいる。付き合って1ヶ月らしい。
「結婚式は、このジパンダルであげようかなー。誰かさんと」
エルサは俺と並びながら言った。エルサの顔は真っ赤だ。
「ゼント君、ジパンダルの武闘家たちに会ってみましょう」
ミランダさんが言った。
「素晴らしい武闘家たちがいるという噂よ。私も会いたいわ……。まず、ジパンダルの首都に行ってみましょうよ」
俺は深くうなずいた。どんな武闘家に出会えるのだろう? どんな出会いが待っているのだろう?
俺は引きこもりだった。20年間も引きこもっていた。その時の俺と、今の俺は、中身はたいして変わっていない。グズで甘えん坊で、悩んでばっかりいる俺だ。
ただ、今は周囲に愛があふれていた。
【第一部 完】