セバスチャンとローフェンの試合の後、サユリは自分の師、セバスチャンに言った。
「傷ついた相手を叩きのめすのは、武闘家の精神に反すると思います。私がそれを身をもって示すために、私は、先生と──いえ、セバスチャン、あなたと闘います」
それがサユリの決意だった。
◇ ◇ ◇
次の日、俺は、「ミランダ武闘家養成所・ライザーン本部」に戻った。
ローフェンのことは心配だが、グランバーン大学白魔法病院に入院しており、骨の検査に2日かかる。
今は見舞いにいけない。
「ゼントさん、覚悟してください」
俺の目の前──武闘リング上には、サユリがいる。
俺はサユリの練習相手をつとめることにした。
「はああっ!」
サユリのパンチ──左直突き! 右直突き! 左! 左! 右!
うおおっ……サユリは、こんなコンビネーション──連撃もできるのか!
俺は手を使って受ける。とにかく速い。正確だ。
「でやああっ! 受け身、とって下さいね!」
サユリは俺の腰に手を回し、俺の片足を取った。
ドタン!
まるで俺を転ばせるように、俺を後方に投げつけた。あ、あぶねえっ!
俺は素早く体勢を横にして、後頭部を打つのをまぬがれた。
「これは『朽木倒し』という投げです。『踵返し』という投げ技もあります」
「わ、わかったわかった。練習はこれくらいにしよう」
サユリの投げは速くてキツい。
ローフェンが入院してなかったら、ローフェンを投げてもらうんだがなあ……。
「うーん……まだやり足りない……」とサユリ。
「あのな~! もう2時間、君の相手をやってるんだけど!」
俺は冷や汗をかきながら言った。これ以上、投げられちゃたまらない。
「分かりました」
サユリは残念そうな顔だが、納得したようだ。
練習を終え、俺とサユリは、ミランダ先生と話すために会議室へ向かった。
◇ ◇ ◇
会議室には、ミランダさんとエルサが待っていた。
「はーい、ゼント、サユリさん、ご苦労様」
エルサが俺たちに冷たい、ポーション・ドリンクを渡してくれた。
ポーションは怪我の特効薬として有名だが、それを10倍薄めて飲みやすくしたものだ。
何と、エルサは屋内ではもう杖は使用していない。
杖の使用は、屋外に出るときだけだ。
どんどん、昔の元気なエルサに戻ってきている。
「準決勝の日程が決まったようね」
ミランダさんは言った。
「サユリとセバスチャンの対戦は、3週間後。ゼントとゲルドンの息子、ゼボールの対戦は4週間後」
そうか、サユリとセバスチャンの試合が先か。俺は、その試合の後、ゼボールと闘う。
俺をマール村の森で襲ってきた不良だ……。
くそ、嫌な気持ちがよみがえってきた。
「それにしても、あなた、本当にセバスチャンと闘う気?」
ミランダさんは椅子に座りながら、サユリを見ていった。サユリはうなずいた。
「はい……。最近、セバスチャン先生の考え方は、私の武闘家としての考え方と違うなと思えてきたんです」
「うーん……。具体的には?」
「セバスチャン先生の教えは、怪我をした相手でも、容赦なく叩きのめすこと。追撃を加え、二度と逆らえないようにすることです。これは、私がギスタンさんやドリューンさんにやってしまったことでした」
「冷静に試合を振り返ることができているわね」
「それに、あまり知られていませんが、『G&Sトライアード』では、日常的に指導者から選手への暴力が行われているのです」
「えっ、何それ?」
エルサは声を上げた。
「サユリさん、それ、どういうこと? 詳しく説明して」
「セバスチャン先生は、対戦練習でも、相手を失神するまで闘わせようとするのです。でも、それを練習生たちが躊躇すると、セバスチャン先生か指導者の拳がとんできます」
サユリは決心したように言った。エルサは目を丸くしてまた聞いた。
「一方的な暴力ってこと? あなたもやられたの?」
「私はセバスチャン先生からはやられてはいませんが、他の指導者からはたまに平手で」
「だ、だめだよ、そんなの許しちゃ!」
エルサは、サユリを抱きしめた。
「今まで、誰にも相談しなかったの?」
「はい……『G&Sトライアード』の練習生たちは、セバスチャン先生……いえ、セバスチャンが怖いんです。セバスチャンに逆らうと、武闘家の資格が剥奪されてしまうから。セバスチャンは、それくらい権力を持っています」
「なんで……ひどい」
エルサが泣いている?
あっ、そうか……。エルサもギルドの登録から抹消された経験があるんだったな。
サユリたちの気持ちが分かるのか。
「ちょっと冷静になりなさい」
ミランダさんがパン、と手をうった。
「サユリ、このままセバスチャンと対戦しても、何も残らないと思うけど。棄権した方がいいわよ」
「お気持ちはありがたいけど、私は闘います。だって私は武闘家だから。試合があれば、闘うのです。──ゼントさん、お願いがあります」
サユリは俺の方を見た。
「私とセバスチャンの試合から、セバスチャンの攻略法を見つけて欲しいのです。セバスチャンは、私の考えでは、グランバーン王国で最も強い武闘家の一人だと思います」
「サ、サユリでもそう思うのか?」
「はい、間違いないです。打撃、組み技、関節技、戦術、すべてレベルが高いと思います。ゼントさん……決勝で、どうかセバスチャンを倒してください」
「わ、分かった」
つまりだ、サユリはセバスチャンに勝つ気がないということ。
俺にセバスチャンを倒すことを、託しているのか。
俺はうなずいた。しかし、その前にゼボールに勝たなきゃいけない。
「では、私はこれで」
サユリが行こうとすると──。
「お待ちなさい」
ミランダさんが言った。
「あなたの今後の所属は『ミランダ武闘家養成所』。つまりここです。あなた、戻る場所がないんでしょう。だから、今日はここに泊まりなさい」
「そうだよ、サユリさん」
エルサが笑顔で言った。
「辛いことがあるなら、私、何時間でも話を聞くから。娘もいるし、遊んであげて」
「……皆さん親切なんですね」
サユリはさみしそうに言った。
「私、『G&Sトライアード』では、しゃべる人が一人もいなくって……」
「とにかく一緒に行こ?」
エルサはサユリの手を引っ張って、廊下に出ていった。
すると、ミランダさんは俺に言った。
「ゼント君、君はゲルドンの息子、ゼボールと闘うことになるけどね」
「はい」
「何か嫌な予感がするわ。これは私の占いの結果から言うけど」
嫌な予感? 一体それは──?
「私が気にしているのは、大勇者ゲルドンよ。何か、仕掛けてくるかもね」
ゲルドン? ゲルドンが何かしてくるのか?
ついにこの試合が始まってしまう。
最強の女子武闘家サユリと、謎の大勇者の秘書セバスチャン──。
この二人は弟子と師という関係だ。
サユリの体のサイズは、身長154センチ、体重48キロ。
一方のセバスチャンは、身長177センチ、体重73キロ。
体重差、体格差は言うまでもなく、ある。
『サユリ・タナカ選手は、セバスチャン選手の顔面攻撃を了承しました!』
ドオオオオッ
放送がかかると、観客席はヒートアップした。
女性選手と男性選手が試合をする場合は、普通は顔面攻撃は禁止になる。しかし、サユリは顔面攻撃──つまり顔へのパンチ攻撃を認めてしまったのだ。
ど、どんな試合になってしまうんだ?
俺は観客席で、二人の試合を見守ることにした。俺の左横には、少し心配そうな顔のミランダさんと、エレサ、アシュリーが座っている。
セバスチャンとサユリは、武闘リング上で向かい合った。
「残念だ、こんな形で、弟子の君に痛い思いをさせなければならないなんて」
セバスチャンはさも残念そうに、それでいてクスクス笑って、サユリに言った。
「私こそ残念です。私があなたの指導方針を、くつがえさなければならないなんて」
サユリは言い返したが、セバスチャンは冷静だ。
「それは無理だ。私が勝つからね」
「いえ、セバスチャン。私はあなたに教えてもあった技を全て出し切り、あなたに勝ちます」
「ほほう、生意気な……」
セバスチャンはサユリをにらみつけた。
◇ ◇ ◇
カーン
その時、試合開始のゴングが鳴った。
ヒュッ
いきなり、サユリがパンチ──左直突きを繰り出した!
いとも簡単にスウェーでかわす、セバスチャン。
右、左、右、右、とサユリが連続で直突きを放つ。
セバスチャンは全てかわしてしまった。手など一切使わない。じょ、上体だけでかわしてしまっている!
……その時、サユリが踏み込んだ!
左直突き!
パシイッ
何と、セバスチャンはその直突きの拳を、手で受け止め、離さない。
ま、まずいぞ。セバスチャンは軍隊格闘技の使い手だ。何をしてくるか分からない。
「ハアッ!」
しかし、サユリは気合一閃、その手を振りほどいた。
そして──次の瞬間、驚くべきことが起こった。
サユリが素早くセバスチャンの後ろに回り込み、セバスチャンの鼻を手でふさいだ。
何だ? これはセバスチャンの得意技じゃないか!
「うむっ?」
セバスチャンは声を上げた。
ガスッ
サユリは後ろからセバスチャンの右膝関節を蹴り、セバスチャンを倒してしまった。あの膝裏蹴りは、簡単に人を倒すことができる!
すぐにサユリが、後ろから首を絞めにいく──何と、チョークスリーパー……裸締めだ!
「あれ、軍隊格闘技じゃねえか!」
「セバスチャンの得意技だろ?」
「サユリがやっちまうとは!」
観客が声を上げる。
セバスチャンは後ろに回り込んだサユリに対し、投げを打とうとする。
背後に回ったサユリを、背負投げで投げようとしているのだ。
しかし──。
サユリは後ろから飛びつき、両手を両足でセバスチャンの右腕を固定した。すぐに、四つん這いになったセバスチャンの右腕を、膝で極めた!
何だ? この関節技は!
「腕ひしぎ膝固め!」
ミランダさんが声を上げた。
「滅多に見られない関節技ね……。私もあまり見たことがないわ」
サユリは精一杯力を込め、セバスチャンの右腕を伸ばす。
しかしセバスチャンは、涼しい顔で顔を起こした。そしてこう言った。
「なかなか面白い技だったよ、サユリ」
セバスチャンが立ち上がった!
ぐぐぐ……。
何と、関節技で腕を極めているサユリごと、持ち上げたのだ。
右腕だけで軽々と……!
い、いくらサユリの体重が軽いといっても、片手で持ち上げるなんて、信じられない。
サユリはセバスチャンに片腕で持ち上げられながら、目を丸くしている。
その時、セバスチャンの体全体に、闇色の蜃気楼のようなものがまとわりついて見えた。
何なんだ……?
「ぬううんっ!」
セバスチャンは、サユリとともに右腕を振り、サユリを投げ捨てた。サユリの体は、武闘リングに張りめぐらされたロープに当たった。
「い、一体、何が起こったっていうの?」
ミランダさんも驚いている。
「人を右腕だけで、軽々持ち上げるなんて……ちょっと尋常じゃないわね」
「うう……」
サユリはロープに頭を打ったようだが、すぐに立ち上がった。
二人はまた立った状態で、構える。サユリはまだ驚いている顔だ。
さっきのセバスチャンの怪物のような力のことを考えているのだろう。一体あれは……。
「サユリ、何を怯えている?」
セバスチャンは笑いながら言った。
「黙れっ!」
サユリはいつになく声を上げ、セバスチャンをまた右パンチで攻撃する。
しかし、今度はセバスチャンの番だった。
ビキイッ
そんな音がした。
セバスチャンは、サユリの右パンチを肘で防いでいた。
セバスチャンの肘は、サユリの右肘関節の内側部分に当たっている!
サユリの顔は苦痛にゆがむ。
「あれも軍隊格闘術よ……まさに攻防一体」
ミランダさんが言った。
「セバスチャンはサユリのパンチを自分の肘で防ぎつつ、サユリの肘関節を攻撃したのよ」
サユリがパンチをした時を見計らって、サユリの肘関節への攻撃か!
「サユリは、多分、肘を怪我したわ。もう右のパンチは出せないわね」
ミランダさんはつぶやいた。マジか……。
しかし、セバスチャンの攻撃は終わらなかった。
サユリの手を掴んだセバスチャンは、ぐいっと、自分の方にサユリを引っ張る。
そして──。
「あぐ!」
ピキイッ
またしても嫌な音が響き渡った。
サユリの膝を、足裏で横から蹴ったのだ。
サユリを前に引っぱった状態から蹴った。カウンターの蹴りの状態になったはずだ。
骨がズレたに違いない……!
サユリは倒れる!
「攻撃は必要最小限にした。レディーの対し、尊敬の念を込めて」
セバスチャンはそう言って、サユリを見下ろしている。
「あぐうう……」
サユリは膝を抱えて、しゃがみ込み、声を上げている。
ああ……これはダメだ。
「さて、どうかな、サユリ。肘と膝が痛くて泣き叫びたいだろう。負けを認めるかね?」
サユリの異変に気付いた、リング外の白魔法医師が、リング上に上がろうとしている。
しかし、何とサユリは……。
ガッ
セバスチャンの右足を四つん這いで、掴んだ!
「何だ、それは。サユリ」
セバスチャンは仁王立ちで言った。
「は、離さない」
サユリは声を上げる。
「見苦しい」
セバスチャンは首を横に振った。
「か、勝つまでやるんです。は、離しません」
「見苦しいぞぉっ! この小娘があっ!」
セバスチャンはしゃがみ込み、手で、サユリの頭をひきはがそうとした。
「くそっ!」
俺が立ち上がろうとすると、ミランダはそれを制した。
「ダメよ。サユリは女の子を捨て、最後まであがこうとしているわ」
サユリはまるで石のように、セバスチャンの片足から離れない。セバスチャンはサユリの顔から手を離し、黙ってサユリを見ている。
その時、白魔法医師が武闘リング上に入ってきた。サユリは引きはがされる。
「さあ、サユリ、腕と足を診せなさい。──ああ、これはダメだ。肘にヒビが入っているし、膝が骨折している」
白魔法医師はリング外の審判団に、「決着だ」と言った。
『4分12秒! ドクターストップ勝ちで、セバスチャン選手の勝ち!』
放送がかかった。観客席はシーンと静まり返っている。
サユリは白魔法医師に、痛み止めの治癒魔法をかけられているが、顔は苦痛にゆがんでいる。
「サユリ……お前は、まるで雨の中の、泥水にまみれた犬コロだな」
セバスチャンは舌打ちしながら、サユリに言った。
「君に、私の『G&Sトライアード』の広告搭になってもらおうと、思っていたのだがね。私も、私の企業も、イメージががたおちだよ。こんな試合は」
セバスチャンはリングからさっさと降りてしまった。
「……おい、お前、何と言った」
俺は立ち上がって、リング下に降りてきたセバスチャンに言った。
「何かね? ゼント君」
セバスチャンはニヤニヤしながら言った。俺は問いただした。
「サユリに何と言った?」
「泥水にまみれた犬コロと言ったんだ。四つん這いで、私の足を掴んできたからね」
「この野郎……!」
俺はセバスチャンの胸ぐらをつかんだ。
許せねえ……! サユリはお前に対して、精一杯闘ったんだぞ! 敬意のある一言をかけてもいいだろうが! それを……。
しかしセバスチャンは笑っている。
「やるのか、ゼント君。問題行動だぞ。君は次の準決勝に出られなくなるが」
「くそ!」
俺は仕方なく手をふりほどいた。
「楽しみだねえ……ゼント君。君、準決勝のゼボールをはやく倒してくれ」
セバスチャンは言った。
「最後は私と君の決勝戦だろうな。楽しむことができそうだ」
セバスチャンはそう言うと、花道を去っていった。
サユリはリング下におろされ、タンカで運ばれていく。
「大丈夫か」
俺がタンカに乗せられたサユリに話しかけると、サユリはニコッと笑った。
「精一杯やりました」
笑っているが、骨が痛いはずだ……。
俺は、あまり喋らせないように気を使いながら言った。
「ちゃんと試合、観てたぞ」
「良い試合だったでしょう……?」
サユリは疲れ切っていたし、痛みをこらえているようだった。
しかし、表情は晴れやかだった。
「ああ! 良い試合だった!」
俺はうなずきながら言った。サユリはそのままタンカで運ばれていく。
一週間後は──俺と大勇者ゲルドンの息子、ゼボールの準決勝がある!
サユリとセバスチャンの試合があった、次の日の午後──。
「どういうことだああっ! ゼントオオオッ!」
あ、あぶないっ!
俺に向かって、ローフェンの足蹴りが飛んできた。
俺はそれを避ける。しかし、ローフェンの追撃は止まない。
ローフェンの後ろ回し蹴り! 俺はそれを見切って、かわす。
「落ち着け!」
俺は叫んだ。
ここはライザーン中央にある、グランバーン白魔法大学病院の芝生広場──。
俺たちは、ローフェンの見舞いにきた。ローフェンは外に出られるくらい元気だった。
しかし……。
「あ、あいたたた~!」
ローフェンは蹴りを放った後、あばらを抑えて、転げ回った。ローフェンの服の下のアバラ部分には、包帯が何重にも巻かれてあるはずだ。
「アホだ……。まだ治りかけだろうが」
俺は腕組みをして、芝生広場で転げ回っているローフェンを見た。
エルサとアシュリーも、俺の後ろであきれてローフェンを見ている。
「どうしてサユリが、故郷に帰っちゃうんだよおおおお!」
ローフェンは泣きわめく。
「サユリはセバスチャンに負けたでしょ。武闘家として、自分を見つめ直したいんだって」
エルサはローフェンをなだめるように言った。
どうやら、ローフェンはサユリのことが好きだったらしい。
向こうは全然、ローフェンのことを何とも思ってない……と思うが。かわいそうだけど。
セバスチャンとの闘いで、骨を骨折したサユリは、ローフェンと同じく、ここ白魔法病院に入院した。
退院後は、祖父母のいるサンラインという街に住むそうだ。
さて、ローフェンの叫びは止まらない。
「ちっくしょおお~! サユリ~!」
「ローフェンさん!」
芝生広場に駆けこんできたのは、ローフェンの担当の女性看護師さんだ。看護師さんは鬼の形相だ。
「あなたは入院患者なんですよ。外で格闘技のマネごとをするとは何事ですか!」
「だって、看護師さ~ん……」
ローフェンはグスグス泣いている。ダメだこりゃ……。
ん? 誰かの視線を感じる。
病院の門の方で、人影が動いたような……? 何だ?
◇ ◇ ◇
ローフェンの見舞いの帰り──。
アシュリーとエルサの買い物に付き合わされた。
「ゼント、これ持って! お菓子の詰め合わせ。ルーゼリック村の皆にお土産!」
エルサは楽しそうに、店で娘と一緒にお菓子を買い込んでいる。
俺は当然、荷物持ち。エルサは杖をついているが、もうそんなのいらないんじゃないか、というくらい元気だ。
俺とエルサは、アシュリーを挟んで、ライザーン地区の静かな道を歩いた。
ふと、アシュリーは言った。
「ゼントさん、あのう……」
アシュリーは顔が真っ赤だ。俺は驚いて聞いた。
「ど、どうしたんだ?」
「えーっと……ママと私と、一緒に暮らしませんか」
「はああああああ?」
声を上げたのはエルサだ。おい、道端ででかい声を出すなよ。俺もびっくりしたけど。
「ななななな何を言ってるの、この子は! ゼントと一緒に暮らすなんて、それが一体、どういうことか──」
「ゼントさんが、私のパパみたいになるってこと!」
アシュリーはうれしそうに笑って言った。
パ、パパ……? 何? あ、そうか。俺は36歳だから、別に娘を持っても良い年齢か……。
でも俺……フェリシアって彼女はいたけど、結局、手すら握れなかったし、女性経験は絶無と言って良い。
「クスッ、アシュリーったら何を言うかと思ったらさあ、ゼントがパパだって~」
エルサは楽しそうに言った。
「似合わなーい!」
「わ、悪かったな」
俺は苦笑いするしかなかった。
◇ ◇ ◇
俺たち三人は、アモル川という川に来た。
都会のライザーン地区では、最も大きな川だ。川魚が結構釣れるらしい。
俺とエルサは、川の前のベンチに座った。アシュリーは、川辺で舟を見ている。
川の周囲には、俺たち以外、誰もいない。
「私さ……ぽっかり15年くらい……人生に大きな穴が空いてるんだよね。車椅子に乗る前は、寝たきりだったから」
エルサが言った。……俺だってそうだ。
「俺なんて20年引きこもってたんだから、20年空いてるよ。それで36歳になっちまってんだから」
「やり直して……良いんだよね」
エルサは……泣いている。
エルサ──エルフ族はいつまでも若い。
でも、もちろん寿命はある。エルフ族だって、人生の時間は限られている。
俺は言った。
「大変な人生になっちゃったけど、大丈夫だ……と思う。もしかしたら、俺にとって、20年の大穴は穴じゃなくて……大事な時間だったんじゃないか」
「そっか……。私も大丈夫なような気がしてきた。ゼントと一緒なら」
エルサはポツリと言った。
その時、川魚がぽしゃん、とはねた。アシュリーは歓声を上げた。
◇ ◇ ◇
アシュリーとエルサは、これからライザーン地区でスイーツを食べるそうだ。
俺はミランダさんと、ゼボール戦について研究する予定。
ゼボールは、1回戦はシードで無し。2回戦は開始30秒でKO勝ち。
ただ、ミランダさんによれば、2回戦はゼボールの相手の動きが、あきらかにおかしかったらしい。
アシュリーとエルサは行ってしまったし、俺も帰るか。
「そのまま帰れると思うか?」
俺の後ろの方で、男──少年の声がした。
俺がベンチから立ち上がり、後ろを振り返ると、木陰から男があらわれた。16歳くらいの少年?
「あっ……お前!」
その少年は何と、大勇者ゲルドンの息子、不良少年のゼボールだった。
俺の準決勝の相手だ。
「な、何か用か?」
俺が言うと、ゼボールは俺をにらみつけて言った。
「今日は、お前を監視してたんだよ。病院にもいただろ、お前ら」
周囲にはいつの間にか、10人もの不良たちが集まっていた。
そうか、さっき病院の門で影が見えたが、こいつらだったのか。
「てめー、ゼント……。どんな卑怯なことしやがって強くなったんだ? ああ? マール村で見たクソ弱いお前はどこいったんだ? 今から確かめてやるよ。ケンカでな」
「ケ、ケンカだって? おい、お前との準決勝はどうなるんだ。バカ言ってんじゃ……」
闘うしかない……!
俺は直感的にそう思った。
川の前で、大勇者ゲルドンの息子──いや、俺の準決勝の相手、ゼボールは言った。
「もともとトーナメント試合なんて、めんどくせえと思ってたんだよな。親父の道楽だろ」
俺は気付いた。周囲にはいつの間にか、10人もの不良がいた。
やばいぞ。こんなところで問題を起こしたら、準決勝への出場は、どうなっちまうんだ?
しかし、ゼボールはもうケンカを仕掛ける気だ。
「ボローダ! 来い!」
ゼボールは声を上げた。10人の少年のうち、1人の少年が、俺の前に一歩踏み出した。
ぬうっ
そんな音がしそうだった。何だこいつ! 身長が2メートル以上あるぞ!
ブオッ
このボローダと呼ばれた背の高い少年──恐ろしく威力のあるパンチ──右フックを打ってきた! こいつ、背がものすごく高いのに、ちゃんとしたパンチを打ってくる。
俺はそれを避けたが……。
ガスウウウッ
今度は、何と、上段前蹴りを放ってきた!
だ、だが、俺はとっさに顔を防いでいた。防がなかったら、5メートルは吹っ飛んでいただろう。くそ、手がしびれたぜ……。何という破壊力だ!
だが、俺はこいつの弱点を見切っていた。
ミシイッ
俺は素早く右下段蹴りを、ボローダの足──左内腿に叩き込んでいた。
「ぎ、へ」
ボローダは苦痛に顔をゆがませながら、地面に転がった。背が高い──つまり足が長いから、足を狙いやすいってわけだ。
「次は?」
少年たちは、俺を見て驚いている。
「く、くそっ! 俺が行く」
ゼボールが声を上げた。ゼボールは……他の少年から、約1メートルの鉄棒を手渡された。
建設現場か何かから、広ってきたんだる。こいつ……武闘家なら素手で闘えよ!
それにしても鉄棒か……! 俺は対武器はあまり経験がなかった。
「砕け散れやああああっ!」
ゼボールは鉄棒を、俺の頭に振り下ろしてきた!
しかし! ここだ!
ガシイッ
「ううっ……!」
ゼボールは驚きの声を上げた。
俺は素早く、ゼボールが鉄棒を持った腕を掴んでいた。ゼボールは目を丸くしている。
ドスウッ
俺はすぐに、ゼボールの腹の急所へ、左ボディーブローを決めていた。
「ぐ、は……そんな……」
ゼボールはよろける。
ガラン
ゼボールは鉄棒を落とした。さあて、素手での闘いだ。
「くっ、この野郎!」
シャッ
ゼボールは気を取り直して、左ジャブを放ってきた!
次に右ストレート! 左フック!
なかなか速いパンチだが、俺はすべて、手で叩き落していた。
「ち、ちきしょう!」
すぐに俺は中段蹴りで、すばやくゼボールのあばらを蹴り……。彼がひるんだところへ!
グワシッ
俺はパンチ──左ストレートを放った。
ゼボールのアゴに当たった。しかし、ゼボールはさすがゲルドンの息子。まだ何とか立っている。
「ゼボール! たいした根性だ!」
俺は素早くゼボールに近づいた。接近して決めるぞ!
「ひい!」
ゼボールは声を上げた。
ガシイイッ
俺は、ゼボールの頬へ肘をかち上げていた。
決まった……!
ゼボールはヨロヨロと小鹿のようにふらつき、しまいには地面に座り込んだ。
あわてた手下たちが、俺に向かって来ようとしている。
マール村で闘った、デリックやレジラーの姿も見える。
「バカ野郎っ……やめやがれ……」
ゼボールは地面に座り込みながら、不良少年たちに向かって叫んだ。
「ゼントは……3人いっぺんに、俺らを倒してんだぞ……。やっぱ、ゼントは俺らとは違うんだよ……」
「お前だって、準決勝に上がってきたじゃないか?」
俺は座り込んでいるゼボールに言うと、ゼボールは痛めたアゴを気にしながら、静かに話しだした。
「……俺はシードだったから初戦は無し。つ、次の2回戦は、親父が相手に金を渡してる。八百長ってわけだ……」
ゼボールは続けた。
「俺の準決勝進出は、全部作られたものだ。だけどゼント……いや、ゼントさん。あんたはマジで勝ち上がってきたんだ」
「……ゼボール、お前、俺との準決勝、どうするつもりだ?」
俺は聞いたが、ゼボールは地面に座りながら舌打ちしている。
「俺は棄権する。代わりに……多分だけど、親父が出てくるぜ」
うっ……! 本当か? つ、つまり……!
「ゲルドンが準決勝に出るってのか?」
「間違いねえ。親父は優勝者と闘うことになっていたはずだが、そんな規則は簡単に変えられる。主催者だからな」
「おい、ゲルドンは本当に、準決勝に出て来るのか」
「息子の俺が棄権するんだから、親父は、絶対に『準決勝に出る』と言い出すはずだ。とくに、相手があんた──ゼントさんなら……間違いなく」
つ、ついに! ゲルドンと……俺が闘う……!
そうだ……ゲルドン杯格闘トーナメントに出た理由は、大勇者ゲルドンと闘うこと!
エルサの仇をうつこと!
まさか、こんなに早く、実現するなんて……!
◇ ◇ ◇
ゼント・ラージェントが、ゼボールとケンカを終えたその頃、ゲルドンは──。
ゲルドンとセバスチャンは、二人が創設した武闘家養成所「G&Sトライアード」本社にいた。
「何だと! 街の暴力団にケガさせられただと? 本当なのか、ゼボール!」
ゲルドンは魔導通信機で誰かと話をしていた。相手は息子のゼボールだ。
「準決勝はどうするんだ!」
『知らねーよ。俺は棄権する』
「……この大バカ野郎が!」
どうやら、息子のゼボールは怪我をしたらしい。本当はゼントと街でケンカをしたのだが。
全て息子のためのトーナメントだった。息子が準決勝に出場しないなんて、何のためのトーナメントなのか。
ゲルドンは頭を抱えた。
「ゲルドン様、決心なさってください」
セバスチャンが言うと、ゲルドンは「ああ」とうなずいた。
「俺が、ゼボールの代わりに、準決勝に出る」
ゲルドンは決心したように言った。
「俺は絶対にゼントに勝たなくちゃならねえ。どんな手を使っても、負けるなんて、そんな恥ずかしいことはできねえ……。俺がヤツをパーティーから追放したんだからな」
「ゼントに勝つ方法が、1つあります」
セバスチャンは手を叩いた。
すると、セバスチャンの後ろの空間から、ニュッと白仮面の大魔導士があらわれた。
アレキダロス──白い仮面を顔につけた大魔導士だ。
実業家としてのセバスチャンの助言者である。
「アレキダロス、『儀式』の準備を」
セバスチャンはアレキダロスに言った。
「ぎ、『儀式』って何だ?」
ゲルドンが聞くと、セバスチャンはニヤリと笑った。
「さあ、ゲルドン様、地下へ」
ゲルドンが案内された場所は、本社ビルの地下、薄暗い不気味な部屋だった。
魔物の像がたくさん並べられている。
「ゲルドン様、その魔法陣の中央にお立ち下さい」
アレキダロスは大人とも子どもともつかない、不思議な甲高い声で言った。彼は、「変声魔法」で声を変えてあるのだ。
「な、何なんだここは……?」
ゲルドンは言われるままに、地面に描かれている、奇妙な円形の図形の中央に立った。
これが、「魔法陣」というものか。
ゲルドンは眉をひそめた。
おや……頭上にはバカでかい透明のガラス球体がある。真っ赤だ……。
中に入っているのは、赤い液体……? 赤ペンキ?
いや、あのドス黒い赤は……!
け、血液?
アレキダロスは叫んだ。
「このサーガ族の生き血薬を、ゲルドン・ウォーレンに注入せよ!」
ゲルドンの頭上から、不気味な赤い霧が降り注いだ。
ガラス球体から、赤い液体が魔法のように突き抜けて、霧状になって降り注いできているのだ。
「う、うおおおっ」
ゲルドンは声を上げた。
ゲルドンの全身に、赤い液体が──生き血薬が降り注ぐ。
自分が……自分の力が、何者かに乗っ取られてしまう。
ミシミシミシ……。
ゲルドンの骨がきしむ。
な、何という痛さだ?
「お、おいっ! やめろ! 何だこれは」
ゲルドンが声を上げても、セバスチャンは悪魔のように笑っている。
「ゲルドン様、ご安心を」
セバスチャンは静かに言った。
「サーガ族の亡霊たちが、ゲルドン様に取り憑いている最中です」
「サ、サーガ族って、な、何だ? や、やめろおおおーっ!」
ゲルドンは声を上げた。
カッ
ゲルドンの全身は、闇色の蜃気楼のようなもやが覆われていた。ゲルドンはやがて失神し、魔法陣の上に倒れ込んだ。
セバスチャンとアレキダロスは、薄気味悪く笑っていた。
ついにこの日が来てしまった。
ゲルドン杯格闘トーナメント準決勝──俺、ゼント・ラージェントと大勇者ゲルドンの試合がこれから始まる。
俺は、武闘リングの上から、王立スタジアムの観客席をながめた。超満員だ。ゲルドンもすでにリングに上がっており、セコンドのクオリファと話をしている。俺のセコンドはミランダさんだ。
大勇者ゲルドンが準決勝に出ると聞いた、王国の格闘技ファンは、チケットの争奪戦をしたらしい。
「おいゼント。2分でおめぇっをぶっ倒してやるからよ」
俺はゲルドンの言葉を無視した。この男には、いろんな思いが詰まり過ぎている──。
◇ ◇ ◇
カーン
試合開始のゴングが鳴った。鳴ってしまった。あっけなく、何事もなかったのように。
「てめーをぶっとばす!」
ゲルドンは走り込んで、パンチを打ってきた。
ブン
右フック! 俺はすぐに避けたが、もの凄い風圧だ。
ゲルドンの左ストレート!
ブアッ
耳もとでパンチがかすめる。これまたものすごい風圧だ。
まともにくらったら、吹っ飛ぶぞ……!
これ、人間の力なのか? それとも大勇者の実力なのか?
「おい、ゲルドン、悪魔と契約なんか、してないよな?」
俺は挑発するつもりで、言った。するとゲルドンはなぜかピクリと俺をにらんだが──。
「うるせええええーっ!」
ゲルドンは俺の胸のあたりに向かって、タックルに来た。
ガスゥッ
俺はそれを受け止める。
グググ……!
ゲルドンは俺に抱きつき、倒そうとしている。俺はそれをこらえる。
「てめえ……倒れろよ……!」
ゲルドンは声を上げた。
「倒れるのは、お前だ!」
俺は叫んだ。
ガスッ
俺はゲルドンのアゴに肘をくらわせた。そしてすかさず、ゲルドンの足を引っかけようとした。
しかし、ゲルドンもこらえる。
ゲルドンは重量級、俺は軽量級。かなりの体格差だ。
しかし、俺は何とかこらえている。
ガスッ
ゴスッ
ゲスッ
組つきながら、ゲルドンのボディーブロー。一方の俺は膝蹴りを返す。お互いに5、6発は組み合いながらの打撃を出し合っただろうか。
ゲルドンは両肘に青いサポーターをしている。怪我をしているのか? 肘を攻撃にうまく使うのか?
俺は組み合いながら考えていた。
じりじりとした、立ったままの組み合い、こらえ合いが続く。
「ゼントも体重差があるのに、こらえてるぜ」
「ゲルドンもさすが大勇者だけあって、一応根性あるな」
「おい、どうでもいいけど、さっさとどっちか、倒せよ!」
観客はざわつき始めている。
「だああっ!」
先に動いたのはゲルドンだった。
強引に俺を横に投げた。
俺はバランスを崩し、リングに膝をついた。
「もらったぜ!」
ゲルドンが俺に対して、馬乗り状態をしかけた──が──。
(ここだ! 3、2、1……)
くるり
勢いで一回転し、逆に俺が馬乗りの体勢になった!
ウウオオオオッ……。
観客が騒ぎ出す。
「な、なんだと」
ゲルドンが声を上げる。
俺は、ゲルドンが勢いをつけて、格闘技における最も有利な体勢──馬乗り状態を狙ってくると予想していた。
その勢いを利用して、逆に馬乗り状態にさせてもらった、というわけだ。
ガスウッ
俺はすぐに、ゲルドンを上から殴った。
「あぐ」
ゲルドンが声を上げる。
ゴスッ
もう一発!
「のやろおおおっ!」
ゲルドンは暴れ、馬乗り状態の俺から、逃げ出した。
悪いな、それも想定内だ!
俺は座って背中を向けているゲルドンの首に、右腕を巻きつけた。
チョークスリーパー! つまり腕による首絞め──頸動脈を締める技だ!
ぐぐぐぐぐ……。
これが決まれば……ゲルドンは「まいった」するはずだが……!
しかし、ゲルドンは力によって、俺の腕を外し、逃げ出した!
くっ! やはりゲルドンの力が強い……!
俺たちは立ったまま、またにらみ合った。
「う、うおおおっ……」
「ゼント、やるじゃねえか?」
「ゲルドンもさすが、大勇者だぜ」
観客たちのため息が聞こえる。
「てめぇ……なんでそんなに強くなったんだ……!」
ゲルドンはそう言いつつ、右アッパー! しかし、俺はそれをかわす。
ゲルドンはあわてている!
(ここだ!)
俺はグッと体重をかけ、ゲルドンの頬めがけ、左ジャブ!
そして、渾身の右ストレート!
「ガフッ」
そして、のけぞったゲルドンのアゴめがけて──。
手の平の下部を利用した、俺独自の打撃法である──右掌底!
グワシイッ
「ぐへ」
ゲルドンは見事に、俺の掌底を受け、片膝をついた。
ウオオオオオオオオーッ
観客席が騒然となる。
「大勇者のダウンだ! や、やりやがったああああーっ!」
「ゼント、すげええええーっ!」
「大勇者、やべえぞ! どうなる? どうなる?」
『ダウンカウント! 1…………2…………3……!』
ゲルドンはふらつきながらも体を起こし、リングに張りめぐらされたロープを利用して、立ち上がろうとした。
しかし、足元がおぼつかない。アゴへの打撃が効いているのだ。
『4…………5…………6…………7!』
し、しかし、何て遅いダウンカウントだ! 審判団め、ゲルドンの味方なのか?
「フフフッ、助かったぜ。カウントが遅いからよ」
ゲルドンはそう言って、中腰になって、両膝に手をつき──。勢いをつけて、立って構えた!
「立ったぞお! どうだ、立ったぞ!」
ゲルドンは叫んで、審判団にアピールした。審判団も納得して、カウントをやめた。俺は、嫌な予感がしていた。
審判団は……ゲルドンの味方だ!
「おおおおーっ! やっぱり立ったぜ」
「おい、何かダウンカウントが遅くなかったか?」
「ああ……変なカウントだったが、さすが大勇者」
観客たちはざわつきながらも、声を上げる。
「俺を怒らせちまったようだな」
大勇者ゲルドンはニヤリと笑った。
「うっ……?」
俺は目を丸くした。
何と、ゲルドンの体から、闇色のもやのようなものが発生している。
な、何だ? これは?
蜃気楼──? いや、これが「オーラ」「闘気」ってヤツなのか?
それにしては、何て禍々しいんだ! 不気味なんだ!
「こうなるとヤベえぞ」
ゲルドンはクスクス不気味に笑った。
俺──ゼント・ラージェントと、大勇者ゲルドンの対決は続いている。
俺は得意の──手の平の下部を使った打撃技──掌打で、ゲルドンのアゴを打ち抜き、ダウンを奪った。
しかし、ゲルドンはやがて立ち上がった。顔は笑っている。な、何だ、その余裕は?
その時、俺は目を丸くした。
何と、ゲルドンの体から、闇色のもやのようなものが発生して見えたのだ。
何だ? これって、セバスチャンがサユリ戦で見せたオーラと同じ……!
ゲルドンは物凄い勢いで、俺の方に走り込んでくる! その時だ。ゲルドンの背後に、巨体の戦士が見えた。顔は青白く、体が透明だ! な、何だ、ありゃ?
「おおおおらああっ!」
ドガアッ
ゲルドンは前蹴り一閃、俺を無造作に蹴り飛ばした。
俺は、4メートルは吹っ飛んだ。リングの左から右まで、飛ばされた。
「くっ」
すんでのところで、腹の急所を防いでいたので、たいしたダメージはない。
しかし、何だ? このゲルドンの力は?
「だらああああっ!」
ゲルドンの大振りなパンチ!
うっ……? 一瞬、まるで亡者のような恐ろしい顔をした屈強な男が、ゲルドンの背後に見えた! さっきと同じような現象だ!
俺は危機を察知し、両手で顔を防ぐ!
ガスウウウッ
また俺は、3メートルは吹っ飛ばされる。しかし、うまく防いだので、ダメージは軽減できた。
おや? ゲルドンは目を丸くしている。
「おい、てめぇ……何で倒れねーんだよ……。お前、本当にゼントなのか? あのクソ弱いゼントなのか?」
ゲルドンはパワーを見せつけているが、俺の防御に驚いているようだ。確かに、俺は防御をして急所を防いだから、ダメージは最小限だ。
しかし、あまりのゲルドンのパワーに押され、手はしびれているが……。
(ゲルドンの、この力は、一体何だ?)
「ゲルドン、あなた! 魔法精製薬を浴びたわね!」
リング外の俺のセコンド──ミランダさんの声がした。
「あなたの力の根源はもしかして……戦闘民族、サーガ族の生き血薬!」
ゲルドンはニヤリと笑った。
「そうだよ、ミランダ先生よ。俺は『サーガ族の生き血薬』を浴びた。だから、俺の背後には、サーガ族の亡霊が集まってきて、取り憑いている!」
せ、戦闘民族の亡霊? マジか? 本当に悪魔に魂を売ったのか、ゲルドン!
──ブオン!
隙をついた、ゲルドンの右アッパー!
俺は転がって避ける。
またしても、ゲルドンの背後に、長いアゴヒゲの巨体の亡者が見えた。
こいつも亡霊か! くそっ、ゲルドンにはたくさんの亡霊の味方がいるってことか!
「ゼント君! 打撃に付き合うと危ない! だから、別の方法で闘いなさい!」
ミランダ先生が声を上げた。
打撃以外の別の方法! となれば!
俺は隙をついて、ゲルドンの左足に突進していた。──左足を掴んだ!
「うっ?」
ゲルドンはうめいた。
せえのっ!
俺はゲルドンの左足を抱え、自分の肩と腕を使って、ゲルドンを倒そうとした。ゲルドンはふんばる……!
しかし、俺はこの片足タックルを練習しまくっていたのだ!
ドサッ
ゲルドンはバランスを崩し、リングに座り込んだ。
「くっ、ちきしょう! ゼント、お前、組み技までやれるのか!」
ゲルドンは声を上げたが、そこからの俺の行動は素早かった。
ゲルドンの後ろに回り込み、座り込んだままで──!
ゲルドンの首に手を回した。再びチョークスリーパー、裸締めだ! 相手の頸動脈を締める!
「ぐうおおおおおおお~!」
何と、ゲルドンは俺が首に腕をまわしているのに、強引に立ち上がった。俺をおぶさりながら、ブンブンと両腕を振り回す。
しかし、俺は粘っこいんだよ!
ガスッ
ガスッ
ガスッ
俺はゲルドンの頭に、何度も肘を叩き落した。
「ぐっ!」
打ちどころが悪かったのか、ゲルドンは、崩れ落ちた!
俺とゲルドンはうつ伏せ状態だ。俺はゲルドンの背中に乗っている状態になった。
「背面馬乗り! よし、やったわね!」
ミランダ先生が歓声を上げた。背面馬乗りは、馬乗り状態と同様に、有利な体勢だ!
ゲルドンはあわてて、俺のチョークスリーパーを封じようと、首をすくめる。
だが、俺は後ろから、ゲルドンの側頭部や頬にパンチを喰らわした。
ガスッ
ゴスッ
ゲスッ
ゲルドンの顔が浮き上がる……そこを!
俺の右腕は蛇のようだった。素早く、ゲルドンの首に巻き付ける!
チョークスリーパー! 裸締め……かかった……ついに!
ぐぐぐぐ……。
「ち、ちくしょう! ゼントォォ! ……お前、何てやつだあああ!」
ゲルドンは頸動脈を締められながら、声を上げていた。
俺、ゼント・ラージェントと、大勇者ゲルドンの試合は、まだ続く!
俺のチョークスリーパー……! 背面馬乗り状態からの、裸締め……かかった……ついに!
ぐぐぐ……。
「こ、このぉ……! ゼントォォ!」
うつ伏せのゲルドンはそう言いつつ、耐える。俺は右腕で、ゲルドンの頸動脈を締める。
だが、ゲルドンは首が太いから、俺の細い腕ではなかなか極まらない!
ぐぐぐぐっ……!
俺は力を入れる。
「させるか、ゼントォ……」
ゲルドンは指を、自分の首と俺の腕の間に、何とか差し入れようとする。首が締まるのを防いでいるのだ。
(ぐ……っ。ゲルドン! しぶといヤツだ!)
俺の腕の力も、少しずつなくなってきた。ゲルドンも必死だ。
しかし、ゲルドンも体力がなくなってきて、冷や汗をかいている。
──俺は賭けに出た! 俺はいったん、チョークスリーパーを解いて……! 横からゲルドンの側頭部にパンチだ!
ドガッ
ドガッ
ガスッ
「うぐっ、ぐぐぐ……」
ゲルドンはうめいた。どうやら、ゲルドンは組み技になった時の、打撃の防御が下手らしい。自分で攻めてばっかりいたからだろうか?
ガスッ
その時、うつぶせになっているゲルドンの振り回してきた肘が、俺の頬に当たった。
「う、ぐっ!」
い、痛ぇ!
俺は思わず声を上げた。な、何だ? この痛さは! まるで鉄で殴られたようだ!
俺はついに、背面馬乗り状態から、バランスを崩された。
「フフフッ」
ゲルドンはニタリと笑って、俺を蹴っ飛ばし、スッと立ち上がった。
また、俺とゲルドンは、立って闘うことになる!
そういえば、ゲルドンの両肘には、青いサポーターが巻かれている。あ、あれが、俺の頬当たったのか!
「審判!」
ミランダさんが気付いたようだ。
「彼の両肘のサポーターの中に、何かが入っているわ!」
しかし、審判団たちは聞こえぬフリだ。
審判はゲルドンのサポーターをチェックする気がない……?
俺はゲルドンをにらみつけたが、ゲルドンは言った。
「ああ、肘サポーターの中に、『何か』は入ってるぜ? かた~い金属のようなものがな」
「ゲ、ゲルドン! どういうつもりだ!」
「誰も俺には注意できねえ。俺はこのトーナメンとの『主催者』だからな!」
ゲルドンは再び、ニタリと笑った。
俺は逆に集中した。こんな反則野郎に負けるわけにはいかない──。
「どおおりゃあああーっ!」
ゲルドンは襲いかかってきた。
上から振り下ろすようなハンマーパンチ!
しかし、俺はそれをよく見ていて、パンチを避けた。
ガスウッ
俺は──左アッパーをゲルドンのアゴに叩き込んでいた。カウンターだ!
ゲルドンはひるんだような表情で、目を丸くしていた。しかし、ゲルドンは踏んばり、強烈な前蹴り!
ガシイッ
だが、当たったのは俺の右ストレート! 前蹴りを避け、その瞬間、ゲルドンの頬に叩き込んでやった。
「うう……ゼント、てめぇ……。どうなってるんだ、てめえの強さは……」
ゲルドンは、肩で息をしている。体力が切れてきたらしい。両膝に手をついて、休んでいる。
(何だ、この大勇者は。もう息切れか)
(情けない大勇者だ。もう出て行こう)
ん? 変な声が俺の耳元で聞こえたぞ?
その時だ。
何と、ゲルドンの耳や口、鼻から白い霧のようなものが、ヒュッと出ていった。
それと同時に、ゲルドンの闘気が、ひゅるりと弱まったような気がした。
まさか? サーガ族とやらの亡霊が出ていった……?
ようし──ここだ!
俺からいくぜ、ゲルドン!
「う……! ま、待て!」
俺は一歩足を踏み出した。ゲルドンはあわてて、両手を構える。
ガシイッ
俺はゲルドンに、右フックを彼の耳の後ろに叩きつけた。耳の後ろは──急所だ!
ひるむゲルドン──しかし、ゲルドンの目が、ギラリと輝いた。
「俺も──俺だって、大勇者なんだ……。国民のヒーローだ。だから、負けるわけには、いかねええんだああああーっ!」
何と、ゲルドンの体が光り輝いたような気がした。それは、亡霊たちの不気味な、蜃気楼のようなもやではなかった。ゲルドン自身の、内から出る本当の闘気のようだった。
ゲルドンの左フック! まるでぶん回すような、渾身の力を限りを尽くしたパンチだ。
バスウッ
俺は左手で受ける。
ガッスウウッ
今度はゲルドンの左前蹴り!
俺は咄嗟に両腕をクロスして、防御する。
重い蹴りだ、ゲルドン! しかし──ここだああっ!
俺は武闘リングを足裏で蹴り、全体重を乗せ……!
手の平の下部を使った打撃──右掌底を放っていた。
グワシイッ
逆に、俺の右掌底は、ゲルドンのアゴに叩き込まれていた。
──完全に急所に入った──。
「あ、あぐ……!」
ゲルドンはヨロヨロとふらつき……しまいにはようやく……ついに!
リング上に、両膝をついた。
「ゲルドン……ダ、ダウンか?」
「お、おい、マジか? 大勇者が?」
「あれ、完全にアゴに入ったぞ……! ゼントが勝った……?」
観客がざわついている。
審判団も眉をひそめて、相談している。あわてている表情だ。
しかしゲルドンはリングに両膝をつけている。
「……力が……膝に入らねえ……」
ゲルドンは、何とか立ち上がろうとした。
しかし、立ち上がろうとした瞬間に、よろける。そして、リングに張りめぐらされているロープに寄りかかった。
立つのか……?
いや、ゲルドンはふらついた。──そして、またリングに膝をついてしまった!
「降参だ……」
ゲルドンは首を横に振りつつ、言った。
「俺の負けだよ、ゼント」
審判団はゲルドンの様子を見て、困惑していたが、やがて渋々と、魔導拡声器を手にした。
『えー……は、8分11秒、ギブアップ勝ちにより、ゼント・ラージェントの勝ち!」
ウオオオオオオーッ
「や、やりやがったあああああーっ!」
「ゼントのやつ、大勇者を倒しちまったあああ!」
「すげええーっ! 体重差を乗り越えた!」
観客たちが声を上げる。
「やったああああーっ!」
リングに上がってきたのは、エルサだった。
エルサは俺に抱きついた。
「すごい、すごい、すごい、ゼント! 本当にすごいよお!」
「分かった分かった、落ち着け」
「ありがとう、ありがとう、ゼント!」
エルサは泣いている。ゲルドンに不倫をさそわれ捨てられ……色々あったものな……。
ゲルドンといえば、白魔法医師の診察を受け、タンカに乗せられた。
「ゼント! ゼント! ゼント!」
「優勝しろよー!」
観客席から、俺を呼ぶ声がたくさん聞こえる。
俺は──大勇者に……因縁の男に勝ったのだ。
俺とエルサは、武闘リングから下りた。
しかし!
リング下で待っていたのは、セバスチャンだった。
彼は握手を求めてきた。
「まさか、まさか。大勇者を倒してしまうなんて、お見事ですね、ゼント・ラージェント君」
セバスチャンはにこやかに言った。あきらかに作った笑顔だ。
俺は握手に応じなかった。セバスチャンは話を続ける。
「まったくゲルドンは、使えない、情けない男ですよ。観ていて笑ってしまいました」
「ゲルドンの秘書兼執事が、ゲルドンをそんな風に言っていいのか?」
俺は聞いたが、セバスチャンはひょうひょうと言った。
「別に構いやしません。私はもう、ゲルドンの秘書はやめましたから。今日限りで」
「なに?」
「私は、すでに武闘家連盟会長。立場はゲルドンより上です。しかも、決勝で君に勝てば、念願の国王親衛隊長に任命されることが決まりました」
「こ、国王親衛隊長!」
国王親衛隊といえば、グランバーン王につかえる、グランバーン王国最強の戦士たちじゃないか。
セバスチャンが、その隊長になるってのか?
「名実ともに、私の立場、権力はグランバーン王に次ぐNO2となります。君を倒せばね……。ゲルドン? 大勇者? そんなもの私の足元にも及ばんね。だから、ゼント君、悪いけど」
セバスチャンは急に俺をにらみつけた。
「私は、君には絶対に、勝たねばならないんですよ! 自分の野望のためにね!」
セバスチャンから、不気味な闇色の蜃気楼が発されている。
ゲルドンと一緒だ。いや、ゲルドンよりも、闇色が濃く、もっと強力な恐ろしいエネルギーを感じる。
こいつも、サーガ族とかなんとかの亡霊に取り憑かれているのか?
……おや? その時、エルサが俺の前に出た。エルサの横には、アシュリーもいる。
(エルサ?)
俺は首を傾げた。エルサとアシュリーは、セバスチャンを目の前にしている。
衝撃だったのは、アシュリーがセバスチャンに言った、一言だった。
「パパ……。もうひどいことは、やめて」
な、なん……だと……? パパ……?
俺──ゼント・ラージェントが大勇者ゲルドンに勝った試合のすぐ後、リング下では──。
エルサとセバスチャンが向かい合って立っていた。エルサの横には、エルサの娘のアシュリーもいる。
「パパ……。もうひどいことは、やめて」
アシュリーは、セバスチャンにそう言った。聞き間違いではない。そう言った。
パパ……と。
「ど、どういうことなんだ?」
俺は驚いてエルサに聞いた。するとセバスチャンが、クスクス笑って代わりに答えた。
「聞いた通りだよ、ゼント君。アシュリーは私の娘だよ。……エルサと私のね」
「な、なにっ? ほ、本当かよ、エルサ?」
俺はエルサを見た。エルサは黙っている。
マ、マジなのか?
確かに、昔、エルサとゲルドンのパーティーメンバーに、セバスチャンがいたことは確認している。ミランダさんの過去を見せる魔法で、それは見た。
しかし……だからといって……まさか?
セバスチャンは、「アシュリー、『ひどいこと』とは、どういう意味かな?」と聞いた。
アシュリーは思い切ったように言った。
「あなたは、色々な人を傷つけています。武闘家さんたちを支配しようとしたり、洗脳しようとしたり……。そんなの、皆、知っているんだよ」
セバスチャンは首を横に振って、笑っている。
「一体、何のことだね、アシュリー。君は私のことを誤解しているようだ。君にはパパとして『教育』が必要なようだね」
「てめぇ!」
俺はアシュリーを守るために、アシュリーの前に出た。
アシュリーは俺にすがるように、腕をつかんできた。
「おやおや、ゼント君。君、もしかして……」
セバスチャンはニヤニヤ笑いながら言った。
「アシュリーの父親代わりにでも、なろうとしているのかな? 私の代わりに」
「くっ……」
俺はよく分からなかった。俺はアシュリーの何になろうとしているんだ? そもそも──セバスチャンがアシュリーの父親だって? 本当の話なのか?
だが、セバスチャンからアシュリーを守らなければならない……と感じた。
「ゼント君。そんなくだらんことを話している場合ではない。私は君との決勝戦が楽しみなんだ! ついに、私の本当の本気を出せる……覚悟するんだな」
セバスチャンは高笑いして、花道を戻っていった。
何にしても──俺とセバスチャンの決勝戦は、三週間後。
俺は、本当に、ゲルドン杯格闘トーナメントの決勝戦まで来てしまったのだ。
◇ ◇ ◇
俺は、「ミランダ武闘家養成所ライザーン本部」に戻り、喫茶室でエルサから話を聞くことにした。あまり人のいない大喫茶室には、俺とエルサとアシュリーがいる。
「16年前、ゲルドンのパーティーメンバーには、私とセバスチャンがいた。少年時代のセバスチャンだよ」
エルサが静かに言った。
俺はそれを知っている。ミランダさんの過去を見せる魔法で、それを見たからだ。ゲルドンのパーティーメンバーに、確かに少年時代のセバスチャンがいた。彼は、16歳くらいだっただろうか。
「そして、大勇者ゲルドンは、私に不倫関係を持ちかけた。しかし、結局私を捨てた」
アシュリーはじっと聞いている。この話は、母親エルサから聞かされているんだろう……。
「その後、セバスチャンが私のところに来たんだ。セバスチャンはゲルドンの代わりに、私と恋愛関係になるよう、持ちかけてきた」
「ほ、本当かよ? その話は初めて聞く話だ」
「すまない。黙ってたよ」
「それはセバスチャンの意志か? ゲルドンの命令なのか?」
俺がこの聞きたくない話を聞くと、エルサは、「ゲルドンの命令だ」と言った。
「セバスチャンはゲルドンの命令で、私と恋愛関係になるよう指示された、と言っていた。セバスチャンは100万ルピーを持って来て、私に差し出した。分厚い札束だよ」
「受け取ったのか?」
「受け取った。生活のためにね……。ゲルドンはあたしを捨てたことを気にしていて、セバスチャンを使って口封じしにきたんだよ。スキャンダルを怖れてね」
「それで、アシュリーが生まれた……。そうなんだな?」
俺はアシュリーを見た。アシュリーはうなずいている。
「だけど……セバスチャンは父親になろうとしてくれなかった」
エルサは静かに言った。
「セバスチャンは、仕事に躍起になっていたようだった。アシュリーが生まれた時も、病院に来なかった。アシュリーは育っているのに、会いに来るのは年に1回程度。──結局、私はセバスチャンにも捨てられたのさ」
「マジかよ……」
俺は悔しくて仕方なかった。エルサ……お前はゲルドンにも捨てられ、セバスチャンにも捨てらえたってことか?
俺は20年も引きこもって、そんなことがあったことすら知らなかった。
エルサは幼なじみだ。何で俺は、エルサを守ることができなかったんだろう?
すると、今まで黙っていたアシュリーが口を開いた。
「私と血の繋がっているパパは、セバスチャンさんです」
「うん……」
俺はうなずいた。アシュリーは15歳だが、もうすべてをエルサから聞いているのだ。
「でも、私はセバスチャンさんを、パパと認められません」
アシュリーは意を決するように言った。その気持ちは分かる。あんな野郎……。
「だから……ゼントさんお願いです。前にも言いましたよね……」
「え?」
「私の……私のパパになってください。ママと私と一緒に、生活してください!」
「お、おいおいおい~」
俺はあわてて言った。
「お、俺なんて引きこもりで、どうしようもないヤツだぞ」
「どうしようもなくなんか、ありません!」
アシュリーは声を上げた。エルサは黙って笑っている。
「ゼントさんは、私を助けてくれたじゃないですか! ママもゼントさんの活躍を見て、元気をもらっています。ゼントさんは、私の大事な恩人なんです。私の本当のパパになってほしいんです! い、嫌ですか?」
「えーっと……」
俺は戸惑っていた。エルサはアシュリーの肩にそっと手をかけた。
「ゼントを迷わせちゃダメよ。──ゼント、こんな話、気にしないでね」
「ママ! 何を言ってるの? ゼントさんのこと、気になってるくせに!」
「え? あ、ちょっ……」
エルサは顔が真っ赤になった。
「ちょ、ちょっと黙りなさい、アシュリー……。あなたって子は本当にもう……」
俺はアシュリーとエルサをじっと見ていた。
俺は……俺は……人の父親になって欲しいと頼まれている。
たまげた。
もちろん、アシュリーとは血なんか繋がっていない。エルサとも恋人関係にもなっていない。それでも、アシュリーは言ったのだ。
「パパになって」
引きこもりだった俺がか? 女性経験絶無の俺がか?
36歳の俺……! 大人になれってことなのか?
俺──ゼント・ラージェントが大勇者ゲルドンに勝利した2日後──。
俺とエルサは何と、ゲルドンの屋敷に招かれた。
俺たちはリビングのソファに座り、ゲルドンと向かい合わせになって座った。
「こうやってじっくり話すのは何年ぶりだ?」
ゲルドンはソファに深く腰掛けながら言った。ゲルドンの顔は腫れている。試合で俺に殴られたからだ。
「20年ぶりだよ」
俺は言った。
「俺がお前にパーティーから追放されてから、20年経っている」
「……そうか」
ゲルドンは真面目な顔で、つぶやくように言った。
「お前たち、俺をうらんでいるか? エルサは? お前を不倫にさそったことを、うらんでいるか?」
「まあね」
エルサがため息をつきながら言った。
「でも、ゼントがあんたをぶっとばしたからね。一瞬はスカッとしたよ。……あんたを怒り続けるのは疲れる。人ををうらみ続けるのは、損だよね……」
「そうか、損か……」
ゲルドンは苦笑いした。しかし、目は笑っていない。どんな心境なんだ、こいつ?
「ゼントは? お前、怒ってるのか。俺はお前をパーティーから追放して、お前の人生を狂わせた。20年間引きこもってたんだろ」
「完全にゆるすってわけにはいかない。でも、お前をぶっとばしたからな。少しは胸のつかえがとれたかもしれない」
俺は言った。ゲルドンは、「うん……そうか」と頭をかきながら言った。
「俺は……ヤベぇことをしちまったよな。仲間に。幼なじみに」
こうして話してみると、ゲルドンは昔のまんまだった。
16歳の時の、まだ少年だった頃のゲルドンのまんまだった。
「ゆるしてくれ」
ゲルドンは頭を下げて、言った。俺とエルサは驚いたが──エルサは言った。
「あんたがやった行いはゆるせない。でも、こうして話してみると、懐かしいってのがあるよ……。さっきも言ったけどさ、ゆるさないのは疲れた。頭を上げなよ、ゲルドン」
「そういや、フェリシアは?」
俺が聞くと、ゲルドンは悔しそうな顔をした。フェリシアは俺の元彼女。といっても、俺はフェリシアと手すらつないだことがなかったけど……。ゲルドンは俺からフェリシアを奪って、結婚したのだ。
ゲルドンは神妙な顔で言った。
「フェリシアとは、離婚した」
「ええ?」
俺とエルサは同時に声を上げた。俺は聞いた。
「フェリシアは妊娠しているんだろう?」
「ああ。だけど、俺は愛人ばっかりつくってたからな。毎日ケンカばっかりだった。おととい、俺がゼントに負けた後、つまり……試合後、この家でケンカしてさ。離婚届を書かされた……それにな」
ゲルドンは静かに言った。
「俺、借金が10億ルピーあるんだ。毎晩飲み歩いてたからなあ……。トーナメントで金使っちまったから、返せねーよ……」
「10億? まったくあんたは」
エルサは腕組みをした。
「しょーがない男だね」
ゲルドンは頭をかいている。こうしてゲルドンを見ると、まるで少年時代のわんぱくなゲルドンが、そのまま大人になったようだった。
ゲルドンは話を続ける。
「──で、ゼント。お前、セバスチャンとの決勝戦があるんだろ」
「ああ。でも、セバスチャンはお前の秘書だろ。この屋敷にはいないのか?」
「もう、この屋敷にあいつは来ない。一般人に負ける大勇者なんか、大勇者じゃねえってよ。フェリシア同様、セバスチャンも出ていった」
そういや、セバスチャンはゲルドン戦の後、ゲルドンの秘書をやめるとか、言ってたっけ。
俺は続けて聞いた。
「っていうか……セバスチャンって何者なんだ? ローフェンもサユリも簡単に倒しちまったし……」
「エルサは知っているだろうが、セバスチャンは、俺のパーティーメンバーだった。天才的な武闘家だ。頭もいい。良い大学を16歳で出た。俺はあいつに頼りっぱなしだった。薄々気付いていたさ、俺より強いかもしれないってな」
「実業家でもあるそうだな」
「そうだ。俺と一緒に、武闘家養成所、『G&Sトライアード』を設立した。まあ、俺は商売の才能はないんで、セバスチャンにすべてをまかしていた。だけど──セバスチャンは、若い武闘家を洗脳しているんだ」
「サユリも言ってたような……。どんな風にだ?」
「『ジパンダル』って幻の国を知っているか?」
「聞いたことはある。東の果ての理想郷だってな」
「『G&Sトライアード』に来ている若者は、ほとんどみなしごなんだ。親がいねえ。それを利用して、『理想郷であるジパンダルが、お前たちの本当の故郷なんだ』と洗脳しているのさ」
俺はサユリが、俺にそんなことを言っていたことを思い出した。確か、「一緒に故郷に帰りましょう」とさそってきたっけ?
「ゼント、セバスチャンはお前を自分の仲間に引きいれたかったようだぜ。サユリを利用して、お前も洗脳しようとしていたんだよ」
「マジか……」
今度は俺は、ゲルドンとの試合のことを聞くことにした。色々、不思議なことを感じた。
「それはそうと、ゲルドン、お前の力はちょっと尋常じゃなかったぞ」
「ああ……あれは『サーガ族の生き血薬』の効力だな」
「ミランダさんも言ってたけど、サーガ族って何なんだよ?」
「サーガ族はジパンダルに存在する、戦闘民族のことらしいぜ。セバスチャンの助言者のアレキダロスってヤツが言ってたけど」
「ジパンダル? 洗脳の話にも出たけど、あんなのおとぎ話の国なんじゃないのか?」
「うーん……セバスチャンとアレキダロスはジパンダルの存在を、信じていたようだったぜ? そういえば、エルサ、お前には娘がいるだろう。アシュリーだっけ……」
俺とエルサは顔を見合わせた。
ゲルドンは言った。
「アレキダロスは、『アシュリーにサーガ族の血が流れている』と言っていた」
「まさか?」
声を上げたのは、アシュリーの母親であるエルサだった。
「そ、そんなのウソよ」
「ああ、そうかもしれねえ。でもな、エルサ、アレキダロスはお前のことも言ってたぜ。『母親のエルサにはサーガ族の血は、あまり流れていない。しかし、娘のアシュリーの血液には、隔世遺伝で、サーガ族の血液成分が多くみられる』ってさ。確かに、そんなことを言ってたはずだ」
「血液成分? ど、どうしてそんなことが分かるんだ?」
「グランバーン王国では、秘密裏に、全国民の血液や髪の毛を採取、保存しているらしい。採血なら病院でやればいいし……。血液や髪の毛の情報を調査することを、『遺伝子工術《こうじゅつ》というらしいぜ。セバスチャンやアレキダロスは、その機関と繋がっていると聞いた」
「エルサ……」
俺はエルサを見た。幼なじみのエルサは俺と同様、孤児院出身だ。エルサには両親はいない。つまり、アシュリーの祖父母は、どんな人物か分からないのだ。
エルサの両親──つまり、アシュリーの祖父母が、サーガ族の可能性は……ありえる……!
「ゼント、エルサ、気を付けろ……!」
ゲルドンは眉をひそめた。
「セバスチャンとアレキダロスは、アシュリーに対して、何かを企んでいる気がしてならねえ」
俺とエルサは顔を見合わせた。