20年引きこもった俺の最強武闘家ライフ~勇者パーティーから追放された俺、スキル【歴戦の武闘王】を手に入れ、掌底一発で悪党をKOします!~

 1週間が経った。今日行われる、ゲルドン杯格闘トーナメント第2回戦第1試合は、俺とシュライナーだ。
 シュライナーはゲルドンの執事、セバスチャンの──弟子らしい。所属はもちろん、「G&Sトライアード」だ。世界最大の武闘家養成所──。

 対戦場所は、ライザーン中央地区の小スタジアム。中規模の試合会場だ。
 俺は控え室で、不安になっていた。

(ううっ……緊張するなぁ……)

 俺はエルサに武闘(ぶとう)グローブをつけてもらって、リングに向かった。

「大丈夫。ゼントの努力は、神様が見てくださっているからね」

 リングへの花道を歩きながら、エルサはニコッと俺に笑いかける。
 エルフ族は信心深いようだ。

 ◇ ◇ ◇

 俺はリングに上がった。小スタジアムには、結構観客が入っている。
 目の前には、すでにシュライナーが立っていた。
 なかなか頭が良さそうな顔をしている。ひょろりとした体格で、あまり筋肉がない。

「セバスチャン先生が見ておられる。僕は負けるわけにはいかん」

 シュライナーが俺に言った。
 前列の客席を見ると、セバスチャンが腕組みして座っていた。俺をじっと見ている……。
 くそ、何だか観察されているみたいだ。

「だが、正々堂々、フェアに闘おうじゃないか」

 シュライナーが言った。
 ん? なかなか礼儀正しい選手だな。

 カーン!

 試合開始のゴングが鳴らされた。

「握手をしよう」とシュライナーが笑って、片手を出してきた。

 俺は迷ったが、シュライナーの手を握った──と思ったらいきなり!

 ゴスウッ

 シュライナーは自分の肘を上から振り下ろし、俺の右肩に肘を叩きつけた!

「くっ!」

 ……大丈夫だ、肩口に入っただけで、ダメージはない。だが、まともに鎖骨に入ったら、骨が砕かれていたはずだ。
 シュライナーは、「油断したな」と言ってニヤニヤ笑っている。
 
 こいつ! 確かに油断していた俺も悪いけど、汚いヤツだ!

「フフッ、僕の計算は正確無比(せいかくむひ)だよ、奇襲攻撃も含めてね!」

 シュライナーは間合いを詰めてくる。

 シュパッ

 そんな音とともに、左ジャブ、右ストレートを放ってきた。無理はしない。細かく(きざ)むようなパンチだ。
 俺は手でそれをはたきおとした。

「ゼント! 下よ! 下に気を付けて!」

 エルサの声がする。シュライナーは下に下がった右拳の甲を、そのまま上に上げてきた。

「クッ」

 シュッ

 危ねえっ! 俺はすんでのところで上体をひっこめ──つまりスウェーをして、攻撃を()けた。

「フリッカー・ジャブよ!」

 エルサが声を上げた。こ、これがフリッカー・ジャブってパンチか? 名前は知ってるが。

「ゼント、相手はトリッキーな技を使ってくるとみたわ! 動きをちゃんと見て!」

 シュライナーは少し油断をしたのか、一瞬、動きが止まった。

 ここだ!

 ベシイッ
 
 俺は下段蹴りをシュライナーの足にくらわせる。

「ぐ、ぐぎっ!」

 シュライナーは声を出し、苦痛に顔をゆがめる。
 痛いはずだ。まともに右腿(みぎもも)の内側に、蹴りが入ったんだ。あそこは筋肉で(きた)えにくい場所だ。

 そうか! こいつは拳闘士! 蹴りに弱いのか?

 俺がまたも下段蹴りを放っていくと、彼はそれを()け、ニヤリと笑った。

「ほほう、僕の弱点が足と判断したわけだね。しかしそれは計算違いだ!」

 シュライナーは前進し、間合いをつめてくる。
 シュライナーの右ボディブロー!
 俺は肘で、叩き落す。
 シュライナーのアッパー!
 俺のアゴにかすったが、俺はスウェーで避ける!
 そして、シュライナーの右フック……!

 ガコッ

 俺の額に、何かかたい部分が当たったぞ?

 俺はくらくらしたが、一応ノーダメージだ。シュライナーはニヤリと不敵に笑う。

 く、くそ、こいつ! やりやがったな! ルール違反の頭突きだ! 故意──わざとのバッティングってやつだ!

 シュライナーはニヤニヤ笑って、素早く前進し、今度は右アッパーを繰り出してきた。
 俺はそのパンチは()けたが──。
 
 ガツッ

 まただ、俺の側頭部(そくとうぶ)に、シュライナーの額が当たった!

 俺は少しひるんだ。ダメージはないが……!

 シュライナーはアッパーを繰り出すと見せかけ、額を突き出したのだ。またしても、故意の頭突き! 反則攻撃だ!

「ゼント君、何を驚いているんだい?」

 シュライナーはクスクス笑っている。

「頭が当たったのかい? それはどうも、偶然だねえ?」

 くっ……こいつ! シラを切りやがって!

「審判! シュライナーは頭を当てにきました! バッティングです!」

 エルサがすぐに気付き、リング外の審判団に(うった)えた。
 シュライナーは、二度、俺にパンチを繰り出すと見せかけ、頭突きを繰り出してきたのだ。
 ルール上では、故意──わざとの頭突きは反則のはずだ。

 しかし!

「我々には確認できなかった」

 審判団長はそう言い、首を横に振っている。

 くそ、シュライナーのやつ、ケンカ慣れしている。審判に分からにように、上手くバッティングを繰り出すことができるらしい。

 シュライナー……! こいつ、とんでもない反則野郎だ!

 しかしシュライナーは余裕の表情で、その場をピョンピョン飛んでいる。

 客席のセバスチャンは、満足気な表情で試合を観ていた。

 シュライナー……! この反則野郎を……俺は必ず倒す!
 俺の相手は、バッティングという故意の頭突き──反則をおり交ぜてくる、とんでもない武闘(ぶとう)拳闘士、シュライナーだ。

 シュライナーは、すばやく走り込んで、大きな右フックを俺に叩きこもうとした。

 しかしだ!
 
 俺は見逃さなかった。ヤツの弱点!

 ビシイッ

「ぎゃっ!」

 シュライナーが再び声を上げた。

 俺の下段蹴りが決まっていた。左の内腿(うちもも)がガラ空きだ! シュライナーは苦痛に顔をゆがめる。

 ベチイッ

 今度は外から! 上から振り下ろすような下段蹴りを食らわせてやった。

「ぐうっ!」

 そんな声とともに、シュライナーはリング上に倒れ込んだ。内と外の痛みのサンドイッチだ。効かないわけがない。
 こいつはやはり拳闘士。蹴られ慣れていない!

『ダウン! 1……2……3……!』

 シュライナーは地面に座り込みながら、俺をにらみつける。

「シュライナー!」

 声を上げたのは、客席のセバスチャンだ。

「負けた者は──『儀式』にかける! 分かっているだろうな!」
「儀式! ひ、ひいいっ!」

 シュライナーの顔が、いっぺんに真っ青になった。な、なんだ?

 あわててシュライナーは、ヨロヨロと立ち上がる。

「冗談じゃない……『儀式』なんてごめんだ!」

 シュライナーは意味の分からないことを言いながら、俺に向かって走り込んでくる。

 ブウンッ

 うおっ!

 シュライナーの見事な右フック!
 そして素早い右ストレート!
 俺はそれを()けるが、下から!
 手の甲を使った、トリッキーなパンチ、フリッカージャブ!

 か、間一髪(かんいっぱつ)()けた。
 だが、み、見事な連続技だ!

 シュライナーが一歩踏み込み、左ジャブ──、いや! またも、ジャブに見せかけた頭突き! 俺の側頭部(そくとうぶ)めがけて、自分の額を突き出す!

 グワシイッ

「ぐへ」

 当たったのは……俺の右肘(みぎひじ)だった。シュライナーのアゴに、頭突き──反則のバッティングが来る前に、(ひじ)を叩き込んでやったのだ。
 シュライナーは倒れようとするが、ふんばる。

 反則野郎だが、こ、根性のあるヤツだ!

「うおらああっ!」

 シュライナーの上から振りかぶるような、右パンチ!

 しかし、このパンチは動きが遅い! 俺は──。

 ガシイッ

「ガフ」

 シュライナーの(ほお)に、左ストレートを叩き込んだ。

「あぐ」

 ヨロヨロとふらつくシュライナー。

 しかし、彼は再びふんばり──。

「だああっ!」

 シュライナーの左ジャブから右ボディーブロー! そして、ワン・ツー!

 見事な連続攻撃だ!

 俺はすべて防御したが──シュライナーは上から(ひじ)を落としてきた!

 シュッ

 シュライナーの(ひじ)は空を切る。俺の鼻の前を通過していった。
 あ、危なかった! こいつは実力者だ。どうして反則なんかに頼るんだ?

「ゼ、ゼント……。どうして君は、俺のパンチを()け続けられるんだ? 一体、何者なんだ? 僕は拳闘士だぞ、パンチに自信を持っている! なのに君は──」

 シュライナーが声を上げる。

「今よ!」
 
 エルサが声を上げる。

 俺は一歩前に進み出て、右フックを彼の側頭部に──。

 ガスッ

 叩き込んだ。確実にシュライナーの急所をとらえた!
 シュライナーはヨロリと体をふらつかせる。

 そして──ここだあああっ!!

 ガシイイッ

「グ、ハ」

 シュライナーが声を上げた。
 俺は、左手の平の下部を使った、掌底(しょうてい)を、シュライナーのアゴに叩き込んでいた。
 
「ぐ、ふ」

 観客がざわめく。

 シュライナーは、小鹿(こじか)のようにヨロヨロとふんばったが、やがて両膝を床につけた。
 ダウンだ……。

 その時、リング外の白魔法医師が、立ち上がってあわてて手でバツの字を作った。

 その時!

 カンカンカン!
 
 ──と、ゴングの音が鳴った。

『8分20秒、でドクターストップでゼント・ラージェントの勝ち!』

 ウオオオオオオオッ

「あ、あのゼントってチビ、やったぁ!」
「すげえ……顔の急所を完全に打ち抜いてるぜ」
「ゼントぉっ! 1回戦から観てるぞ! お前は強い!」

 観客席から声が上がる。

「きゃああーっ、すごいですうっ」

 俺がホッとしてリングを下りた時、観客席に座っていたアシュリーが、俺に抱きついた。

「ゼントさんは、やっぱりすごーい!」
「こ、こら! ゼントは疲れてるのよ」

 エルサはアシュリーに注意したが、エルサも笑顔を隠し切れないようだった。
 ありがとう、エルサ、お前のアドバイス、役に立ったぜ。

 ◇ ◇ ◇

 花道を通り、控え室に向かう通路に向かうと──。
 何と、セバスチャンが笑顔で待っていた。

「な、何だ。あんたか」

 俺が言うと、セバスチャンが口を開いた。

「私の弟子を、見事に倒しましたね。見事な掌打(しょうだ)でした」
「あ、ああ」
「君はとんでもない打撃の正確性を持っている。君は一体、何者なんです?」

 ……セバスチャン、俺はそれをあんたに言いたい。

「ゼント君、不可思議だ。君のような強い人を、どうしてゲルドン様は自分のパーティーから追い出したのか」
「それは昔の話だよ。セバスチャン、あんただって、ゲルドンの秘書かなんかだろ? 武闘家(ぶとうか)でもあるって聞いたけど?」
「フフッ」

 セバスチャンは不敵に笑った。

「私はゲルドンの執事家秘書ですよ。武闘家(ぶとうか)としてもまあまあの腕があります。その実力を、次の試合で君にお見せしたいと思います」

 え? あ、そうか。次の試合は確か……。

「そうです。私の相手は、君の友人のローフェン君です。私に歯向かわないように、叩きのめします」

 な、なんだと? 叩きのめす? 
 ローフェンは強いぞ。そんな簡単にいくもんか。

「それはそうと、ゼント君。君は強い。君が私の仲間になってくれたら──。ローフェン君を無事にリングから帰してあげよう」
「ど、どういう意味だ。俺があんたの仲間に? お、俺があんたの仲間になんか、なるわけないだろ!」

 俺はセバスチャンに嫌悪感(けんおかん)を感じていた。このセバスチャンという男は、信用ならない。──そうか!
 俺はハッとした。

「シュライナーが握手に見せかけた肘打ち攻撃や、故意の頭突き──まさか、あんたの指導か?」
「フフッ。そうだとしたら? どんな手を使っても勝負に勝つ。相手を再起不能にしてもね──」

 俺はセバスチャンという男の心の闇を、確実に感じた。こいつは──ヤバい!

「君を仲間にできないのは残念だ。ローフェン君には地獄を見てもらいましょう」

 セバスチャンは悪魔のように笑いながら、廊下の奥の方に去って行った。
 グランバーン王国の中央都市ライザーンには、3つの王立スタジアムの他に、もう1つ、巨大な建造物(けんぞうぶつ)があった。それは奇妙なドーム状の建物だ。

 その建造物(けんぞうぶつ)こそが、ゲルドンの秘書、セバスチャンの経営する「G&Sトライアード」本社であった。
 グランバーン王国に150支部ある、世界最大の武闘家(ぶとうか)養成所である。

 ──朝、「G&Sトライアード」本社、1階ロビーでは……。

「おいおいおい~! セバスチャン!」

 大勇者ゲルドンが、横にしたビール(だる)のごとく、転がるようにビル内に飛び込んできた。

「どうなってんだあ!」

 ゲルドンは南の島セパヤのバカンスから、帰ってきたところだった。
 セバスチャンに向かって、泣きついた。

「ゼントがお前の弟子、シュライナーに勝ってしまったぞ!」

 セバスチャンの弟子、シュライナーは負けたのだ。
 あの、ゼント・ラージェントによって──。

「おっしゃる通りです。シュライナーは敗北いたしました」

 セバスチャンが冷静に言うと、ゲルドンは、「ぬおお~!」と声を上げた。よほどショックだったのだろう。

「おい、何かの間違いだろうが! 準決勝で、ゼントの野郎が、息子のゼボールと闘うことになってしまった。くそ、何が起こったんだ、あの野郎に! タコ、コラ! タコ!」

 ゴスッ ゴスッ ゴスッ

 ゲルドンは大理石の壁を、靴裏で3回蹴っ飛ばした。

「あ、ありえないと思うが、準決勝でゼントの野郎が、息子のゼボールに勝ったとしよう。息子の……ゼボールの今後の人生に影響が出てしまうぞ!」
「それは仕方ない。とにかく、息子さんとゼントの勝負を見守るしかないでしょうね」
「ゼ、ゼントは、八百長に応じねぇかな?」
「ゼボール様は、ゼントに(から)んで(なぐ)ったと聞いています。ゼントは八百長に応じないでしょう」
「おいおいおいおい~。それはヤバいじゃねーかよ」

 ガスッ

 ゲルドンは、自分がタコのような真っ赤な顔で、ロビーの高級机を蹴り飛ばした。

「ゲルドン杯格闘トーナメントは、息子を優勝させるための大会なんだぞ! おい、セバスチャン、息子がゼントに勝つ方法を考えてくれ。ゼントが強いなんて信じられん。──お、アイリーンちゃんが待ってる時間だ。また来る」

 大勇者ゲルドンはさっさと、「G&Sトライアード」本社を出ていってしまった。アイリーンとはゲルドンの最近の愛人だ。

「クズが……息子を甘やかしすぎだ」

 セバスチャンは、大勇者ゲルドンの後ろ姿を見ながらつぶやいた。

「金のためとはいえ、いい加減、あのクズ野郎に付き従うのはあきてきたな。しかし、私の目的を達成させるには、ゲルドンの名声がまだ必要だ……」
「セバスチャン様」

 すると、セバスチャンの背後の空間から、突如(とつじょ)、灰色のローブを羽織った奇妙な人物が、ニュッと現れた。白い仮面をかぶっている。
 この人物の名はアレキダロス。大魔導士だ。
 この大魔導士は、魔法を使い──空間移動をしてきたのだ。

 実業家としてのセバスチャンの助言者(アドバイザー)である。

「そろそろ地下トレーニング施設の方に向かわれませんと。たくさんの若者が待っております」

 仮面の大魔導士アレキダロスは、大人とも子どもともつかない不思議な、甲高い声をしていた。
変声魔法(へんせいまほう)」で、声を変えてあるのだ。

「うむ」

 セバスチャンはうなずいた。

 ──セバスチャンとアレキダロスは地下への階段に向かった。
 そこには……!

 ◇ ◇ ◇

 セバスチャンとアレキダロスが地下に行くと、そこには大きな地下空間があった。たくさんの若者がいる。人数は五百人くらいか。
 
 バシイッ
 ドガッ

 皆、格闘技のトレーニングをしている。すさまじい熱気だ。
 彼らこそ、セバスチャンが育てている若き武闘家(ぶとうか)たちだ。
 このトレーニング施設が、「G&Sトライアード」の中心である。

「聞け!」

 セバスチャンは若者たちに向かって、声を上げた。

「みなしごのお前たちを救い、ここまで育てたのは、誰だ?」
「セバスチャン様です!」

 若者たちはトレーニングをやめ、直立不動でセバスチャンを見て叫んだ。
 どうやらこの若者たちはみなしご──。全員、両親がいないらしい。
「G&Sトライアード」の中でも、特に選ばれた若い武闘家(ぶとうか)たちである。
 セバスチャンは再び叫ぶ。

「みなしごだった、お前たちの本当の故郷は、どこだ?」
「理想郷『ジパンダル』です!」
「そうだ、その通り!」

 セバスチャンは満足そうにうなずいたが、すぐにジロリと横の武闘(ぶとう)リングを見た。

 二人の男子の武闘家(ぶとうか)が、練習試合(スパーリング)を行っている。赤い武闘着(ぶとうぎ)の男子が、青い武闘着(ぶとうぎ)の男子を、ちょうど(なぐ)り倒した。
 赤い武闘着(ぶとうぎ)の男子はランテス・ジョー。青い武闘着(ぶとうぎ)の男子は、エルソン・マックス。
 どちらも16歳で、将来有望のセバスチャンの弟子だ。

「大丈夫か、エルソン」

 赤い武闘着(ぶとうぎ)のランテスが、青い武闘着(ぶとうぎ)のエルソンを助け起こそうとした。

 するとセバスチャンは、すぐにリング内に入り──。

 バシン!

 セバスチャンは、いきなりランテスを平手で叩いた。

 バシン!

 もう一発だ。

「なぜ、叩きのめさないのだ!」

 セバスチャンはランテスをにらみつけた。

「はっ、エ、エルソンは、僕の友人でありますので……」

 バキッ

 セバスチャンはまたランテスを殴りつけた。今度は拳だ。

「叩きのめせ! 友人などお前たちには必要ない。ここは弱肉強食の世界だ。失神するまで殴りつけろ、いいな!」
「そ、それは……」
「何か、文句があるのか?」
「い、いえ! 僕が甘かったです! 次は叩きのめします!」
「よかろう」

 セバスチャンは、「立てい!」とエルソンを叩き起こすと、彼にも平手打ちを一発くらわせた。

 その光景を、一人の少女が、じっと見ていた。
 セバスチャンの最も期待する女子武闘家(ぶとうか)、サユリだ。
 サユリは一人で型のトレーニングを続けながら、セバスチャンを観察していた。

「セバスチャン様」

 アレキダロスはセバスチャンに小声で声をかけた。

「熱くなりすぎです」
「うむ……しかし、育成が遅れている。このままでは『世界支配計画』が、3年も遅れてしまうぞ」
「あまり厳しくしすぎると、『洗脳(せんのう)』が解けてしまいます。慎重になさいませんと……」
「む……そうだったな」

 セバスチャンがため息をついた時、アレキダロスは言った。

「ところで、グランバーン城から、あなた様に通達がきております。『ぜひ来城するように』と」
「何!」

 セバスチャンの顔色がにわかによくなった。

「何と! まさか、グランバーン王に謁見(えっけん)できるのか!」

 資金とグランバーン王の信頼を得るチャンスかもしれん……。「世界支配計画」……私の野望に近づくチャンスだ。
 セバスチャンはこう考え、ニヤリと笑った。
 すると、仮面の大魔導士アレキダロスは言いにくそうに言った。

「いえ、あなたを城に呼んだのは、国王直属親衛隊長(しんえいたいちょう)のラーバンス様です」
(うっ……何だと?)

 セバスチャンは眉をひそめた。セバスチャンにとって、ラーバンスという男は最も苦手な人物だった。

「父上か……」

 一方、サユリはトレーニングを続けながらも、セバスチャンとアレキダロスを見ていた。

 その表情は悩んでいるようだった。
 大勇者ゲルドンの秘書であり、実業家でもあるセバスチャンは、グランバーン城に向かった。
 
 国王直属親衛隊長(しんえいたいちょう)に呼ばれたからである。
 国王親衛隊(しんえいたい)は、グランバーン王直属の選び抜かれた戦闘部隊だ。
 その隊長は大勇者ゲルドンと並び、国民の第2の勇者と(うた)われることがあった。

 ◇ ◇ ◇

親衛隊長(しんえいたいちょう)殿、お呼びでしょうか」

 セバスチャンが、城内の豪華な親衛隊(しんえいたい)会議室に入った時……。

 ブオン

 もの凄く大きな塊が、顔に向かって飛んできた。
 それは拳! 何者かのパンチだ!

 部屋の中に何者か──大男がいる!

「くっ」

 セバスチャンはその巨大な拳を両手で受け、咄嗟(とっさ)に男に向かって前蹴りを放った。

 ドガッ

 男の腹に、セバスチャンの前蹴りが当たった。しかし、セバスチャンが逆にはね飛ばされた。
 セバスチャンは床を転がり、ノーダメージですぐに立ち上がり、身構えた。

 相手は、腹筋だけの反発力(はんぱつりょく)で、蹴りをはね返したのだ……!

「はっはっは」

 セバスチャンが目の前を見上げると、親衛隊長(しんえいたいちょう)仁王立(におうだ)ちで立っていた。

 隊長の年齢が50代半ば。しかし、体のサイズは一般人より2回りでかい。
 身長190センチ、体重90キロ、といったところか。

「久しぶりだな。歓迎するぞ、息子よ」

 隊長は──セバスチャンの父、ラーバンスだった。
 
 ラーバンスがソファに座る。彼の体重でソファが、ギシリときしんだ。

「……父上、お久しぶりでございます。手荒(てあら)い歓迎ですね」

 セバスチャンは片膝(かたひざ)をつき、父親に頭を下げる。
 ラーバンス──とてつもない威圧感(いあつかん)を持つ男だ。彼の太い腕には、魔物との戦闘でできた無数の傷があった。

「ふむ、格闘術の練習はおろそかにしていないようだな。会うのは2年前の、親族会議(しんぞくかいぎ)以来か」

 ラーバンス隊長は言った。
 相変わらず、鬼のように強い男だ──セバスチャンは父を見て思った。

「セバスチャン、お前に、ゆくゆくは国王親衛隊(しんえいたい)の副隊長を任せようと思う」

 父がそう言うと、セバスチャンは驚いた声を出した。

「わ、私がですか?」
「そうだ、喜ばしいことだろう。というわけで、お前に機会を与える。来月から親衛隊(しんえいたい)に入隊し、兵士として1から修業せよ」
「は……?」
親衛隊(しんえいたい)に入隊し、1から修業し、副隊長の座を奪ってみろ。お前なら3年で副隊長になれるだろう」

 バカな……。セバスチャンは父親をにらみつけた。

 確かに私の最終目標は、国王直属親衛隊長(しんえいたいちょう)だ。この父親ラーバンスの座に座ることである。

 だが、今や自分は、大企業「G&Sトライアード」の最高責任者だ。何で今さら、兵士となって1から修業し直さねばならんのだ? しかも来月から?

 子ども扱いしやがって……私は仕事でいそがしい。
 バカバカしい提案(ていあん)だ!

 それに、副隊長になれば、親衛隊長(しんえいたいちょう)の父親の監視下(かんしか)におかれることは間違いない。
 ──くだらん!

「お言葉ですが、私は実業家として成功しています。大勇者ゲルドンの秘書としても、仕事があり、いそがしいのです」

 セバスチャンは笑顔を作って言った。顔はひきつっていたが。

「なぜ1から、親衛隊(しんえいたい)に入隊し、修業などをしなければならんのですか」
「……幻の国ジパンダル……お前の生徒たちは、皆、ジパンダルを故郷と思い込んでいるようだな」

 父はつぶやくように、セバスチャンを試すように言った。

(ううっ……? なぜそれを?)

 セバスチャンは父のつぶやきにゾッとした。

「『ジパンダルは理想郷(りそうきょう)』だ、などと吹聴(ふいちょう)していると聞いているが」

 何と、父ラーバンスは、セバスチャンが秘密裏(ひみつり)に行っていた、「G&Sトライアード」で行われる、若い武闘家(ぶとうか)たちへの「洗脳」のことを知っていたのだ。

「お前は、みなしごの青年たちを集めて、何やら(たくら)んでいるそうじゃないか。まさか、子どもじみた……『世界征服』でも(たくら)んでおるまいな?」

 ギクリ

 セバスチャンは冷や汗をかいた。
 この世界征服こそ、「G&Sトライアード」の真の目的だからだ。
 若い武闘家(ぶとうか)たちを育て、このグランバーン王国を力によって支配すること。
 それがセバスチャンの目的だ。

「それに──ゴシップ雑誌に『G&Sトライアード』を脱退した武闘家(ぶとうか)の証言が()っていた。お前は指導と(しょう)しながら、暴力を行っていたそうじゃないか」

 父の追及は止まらない。

 雑誌だと……? アレキダロスにチェックさせておけばよかった。
 セバスチャンはギリリと歯噛(はが)みした。

「我がラーバンス家に、くだらん問題を持ち込むな。先月の親族会議(しんぞくかいぎ)にはお前はいなかった。が、セバスチャン、お前のその『洗脳』行為が問題になった」

 ラーバンスはため息をついた。

「まともになれ、セバスチャン」

 父、ラーバンスは言った。

「他にも情報が入ってきておる。お前、裏で幻の国、『ジパンダル』を探しておるのだろう」

 セバスチャンはまたしてもギクリとしたが、父は話を続けた。

「古いジパンダルの文献を調べ、若い武闘家(ぶとうか)にジパンダルの民族衣装を着させて闘わせていることもあるらしいな。まったく、くだらんことを。そんな地図上にもない、おとぎ話の国に入れ込んで何になる。くだらん、まったく、くだらんよ!」

 セバスチャンは父のものの言い方に腹を立てたが、父親は続けた。

「そんなわけのわからぬ組織の中で、社長ごっこをしても、そのうち世間は冷たい目で、お前を見ることになる。親衛隊(しんえいたい)に入り、自分を(きた)え直せ」

 父の言うことは……正しい。しかし……。

「わ、私には」
「何だ?」
「私の望んだ世界がある! 私はもう子どもではない!」

 セバスチャンの言葉を聞いたラーバンスは、首を横に振った。

「セバスチャン、いかん。では……力づくで止めるか……」

 ラーバンスはミシリとソファを立ち上がった。両手で拳を握り、ポキポキと音を立てる。

(ううっ……)

 セバスチャンはギチッと構えた。
 巨漢のラーバンスが、セバスチャンの前に立ちはだかる。50代だというのに、すさまじく張りつめた筋肉だ。まともに闘ったら、ただじゃすまないだろう。

 ラーバンスの闘気が、セバスチャンの方までビシビシと伝わってくる。

 しかし!

「父上、私があなたを叩きのめしてごらんにいれましょう」

 セバスチャンは改めて構えた。

「死にたいのか、セバスチャン」

 ラーバンスが一歩前に出る。
 ズチャッ……。重々しい足音が、室内に響く。
 セバスチャンは、戦闘態勢に入りつつあった。

 コツコツ……。
 
 その時、扉の方から音がした。ノックだ。
 城内の兵士が1名、部屋に入ってきた。

「王様から、ラーバンス様へ伝令がございます。──申し上げます」
「グランバーン王から? 何だ」

 ラーバンスが兵士をジロリと見た。

「王様は、『次期国王親衛隊長(しんえいたいちょう)の候補に、若いセバスチャン氏をあげなさい』とおっしゃっています。候補にあげる条件は、ゲルドン杯格闘トーナメントの優勝──とのことです」

 う、うおおおっ……。

 セバスチャンは目を丸くした。
 何と! 何という幸運。

「何だと? 副隊長候補ではなく隊長候補?」

 ラーバンスはギロリとセバスチャンをにらんだ。

「そうか。格闘トーナメント……。お前、出場しとるのか」
「はい、私は自分が優勝できると信じております」

 セバスチャンはニヤリと笑った。ラーバンスの顔はひきつっている。

「となると、お前が……私を親衛隊長(しんえいたいちょう)の座から引きずりおろすことになる」
「ハハッ、父上。王の言う通り、そろそろ隊長職のご辞退を考えられても良い年齢かと」
「生意気な!」

 ラーバンスは舌打ちをして、ため息をついた。

「──だが一つ言っておくぞ。お前は高く飛び過ぎている。このままでは、必ず痛い目にあう。小石だと思っていた物につまづき、大怪我をするぞ」
「怪我? そんなバカな、私に限って。──さて時間です、私はこれで失礼いたします」
(おろ)か者め! 私はお前のためを思って……!」

 父の言葉を背に受け、セバスチャンは親衛隊(しんえいたい)会議室を出ていった。

(これでこの世の支配の野望に、一歩近づいた……!)

 セバスチャンは笑いが止まらなかった。
 俺は自分の試合が終わり、セバスチャンと話した後、すぐに試合会場に戻った。そしてすぐに観客席についた。
 サユリの試合を観るためだ。
 隣にはミランダさんがいる。サユリはミランダさんの元教え子だ。

「サユリの第2試合目ですね」
「ええ」

 これからサユリとギスタンの試合がある。
 すでにサユリとギスタンは武闘(ぶとう)リングの上に上がっていた。サユリは今日も(はかま)という衣装を着ていた。
 サユリの体格は、身長154センチ、体重48キロ。
 ギスタンは身長177センチ、体重80キロ。まるでオーク族のような体格だ。
 すさまじい体格差だ!

「ギスタンはセバスチャン・トレーニングジムから離れていったけど、真面目な武闘家(ぶとうか)よ」
「なぜ、離れていったんですか?」
「セバスチャンの教え方、指導の仕方に問題があったようね。それに反感を持った」

 俺はセバスチャンの弟子である、さっきのシュライナーとの試合を思い出していた。シュライナーは要所要所で頭突きの反則技を繰り出した。
 あれがセバスチャンの指導通りだとしたら……!
 セバスチャンの弟子であるサユリは……?

 カーン

 試合開始のゴングが会場内に響いた。マスコミも心なしか多い。

 さて、リング上のギスタンは、目の前のサユリに向かって口を開いた。

「女だからって容赦(ようしゃ)しないぜ。あんたの先生──セバスチャンの指導は、完全に間違っている。俺が正してやる」

 ギスタンが言うと、サユリは無表情で言葉を返した。

「いえ、正しいのは私たち、セバスチャン先生の生徒です」

 ギスタンはギリリ、と歯噛(はが)みした。

「いくぜえっ」

 ギスタンは左ジャブを放っていった。

 ガスッ

「ブフッ」

 いきなりだ!

 ギスタンが声を上げてのけぞる。あ、当たったのは……サユリの拳! い、いつの間にサユリはパンチを放ったんだ?

 左ジャブと合わせるように、サユリの直突(ちょくづ)きが、ギスタンの鼻に当たっていた。直突(ちょくづ)きとは、腰をあまり回転させず、拳を縦方向に出す打撃法のことだ。

「こ、このおっ!」

 ギスタンの左フック!
 
 ベキッ

「グヘ」

 またしても、ギスタンがのけぞる。
 サユリの直突(ちょくづ)きが決まっていたのだ。
 直突(ちょくづ)きの方が、モーション、動作が早いため、サユリのパンチが決まってしまう──。しかもカウンターで……!

 すると──。ギスタンの突き上げるような左アッパー!

 ゴスッ

 しかし、これもまたサユリの直突(ちょくづ)きが、ギスタンの鼻に当たっていた。
 ギスタン……! 鼻血だ!

 審判団が少しざわついたように見えた。

 サユリは近づき、ギスタンのアキレス腱を、自分の足でひっかけ、転ばせた。

 そして……。

 ウオオオオッ……。

 観客たちがざわめいたし、俺も驚いた。

 サユリは──倒れたギスタンの腹の上に乗り、馬乗り状態になった!

「う、うわあっ! 馬乗りだぜ!」
「お、女の子が屈強な男に馬乗り? ありえねえ!」
「信じられないシーンだ!」

 ベキッ
 ガスッ

 サユリは無表情で、ギスタンの鼻に馬乗りからのパンチを叩き込んでいく。
 ギスタンは馬乗りから脱出しようとするが、サユリは絶妙なバランス感覚で、ギスタンを逃さない。

「サユリの体重移動よ」

 ミランダさんは俺に説明した。

「サユリはギスタンの逃げようとする方向を、直感で先読みしている。馬乗りしながら、細かい体重移動をしているの。絶対に、ギスタンを逃さないつもりよ」

 しかし、サユリの体重は48キロだぞ!
 ギスタンは75キロある。
 体重の軽い女の子が、男に馬乗りになってパンチを落としている。
 
 こ、こんなことがありえるのか?

 ガスッ
 ゴスッ
 ベキッ

 サユリがパンチを落とすごとに、ギスタンの鼻血が飛ぶ。サユリとギスタンは血まみれ状態だ。サユリは馬乗りパンチでも、相手の急所を的確にとらえて打っている。

 またしても、ギスタンは必死に、サユリの馬乗りから逃れようとする。
 しかし、サユリはギスタンの逃亡を、まったく許さない。恐ろしいまでの正確な体重移動で、ギスタンの逃亡能力を殺してしまうのだ。
 見ている方が信じられない。

 ゴスウッ

 サユリのパンチが、ギスタンのアゴに当たった! ギスタンもう、抵抗能力(ていこうのうりょく)を失っている。……が、しかし。

 サユリは無表情で、ギスタンの額に肘を落としていく。 ギスタンは額を切ったようだ。

 ガスッ
 ガスッ

 そのたびに、サユリとギスタンは血まみれになる。

「や、やめ……やめて」

 ギスタンは女の子のサユリに訴える。しかし、サユリは攻撃を続ける。まるで──。

 サユリ──鬼だ!

「お、おい……」
「やべえ試合になった」
「あの女の子、やべえ……かわいいけど……」

 その時だ。

 カンカンカン!

 とゴングの音が鳴ったと同時に、白魔法医師たちが、リング上に上がり込んできた。

「試合の決着はついた! サユリ、やめろ! 君の勝ちだ!」

『5分19秒、ドクターストップ勝ちで、サユリ・タナカの勝ち!』

 放送がかかった。

 ウオオオッ

「マジか」
「強ぇ~」
「サユリ、かわいくてやべえええ!」

 観客たちが騒いでいる。
 しかし、サユリは打撃をやめようとしない。お、おい、どうなってんだよ!

「サユリ、もうやめろ!」

 白魔法医師が、サユリを引きはがそうとする。

 そこでようやく、サユリは馬乗りパンチの手を止めた。サユリの体は血まみれだ。

 馬乗りになって、六発目の馬乗りパンチで勝負はついていた。しかし、サユリはそれでもなお、肘を叩き落していた……。

 俺はミランダさんに言った。

「こ、これが……サユリの真の姿ですか?」
「ええ」

 ミランダさんは席を立つと、リングを下りたサユリを腕組みして待ち構えた。

「やり過ぎよ、サユリ!」
「……ミランダ先生」

 サユリは悩んでいるような、苦しんでいるような顔で、ミランダさんを見た。
 そうか、サユリはもともと、「ミランダ武闘家(ぶとうか)養成所」にいたんだっけな。

 ミランダさんは、怒ったように、それでいて静かにサユリに言った。

「相手は戦意喪失(せんいそうしつ)していた。でもあなたは非情にも、攻撃を続けた。これがあなたが求める、武闘家(ぶとうか)の精神なの?」
「これがセバスチャン先生の方針だから」

 サユリはそっぽを向いて言った。

「サユリッ!」

 ミランダさんが怒鳴ると、サユリはビクッと肩をすくめた。ミランダさんは続けた。

「あなたは私の元教え子。だから言うわ。あなたは強い。だけど、心の使い方が間違っているようね!」

 サユリはうつむいて、花道を通り、控え室に帰っていく。俺はサユリが気になり、サユリの後を追った。
 廊下には、セバスチャンが待っていた。

「よくやった、サユリ」

 セバスチャンはサユリの頭をなでた。

「しかし、あの程度かね? 君は」
「え、いえ……」
「もっと相手を叩きのめさないといけない。相手が私たちに、二度と歯向かう気持ちがなくなるまでだ!」
「え、ええ。で、でも、あれ以上やったら……ギスタンさんが……」
「ギスタンなど、破壊してしまえ! 対戦相手は、すべて破壊しろ!」

 セバスチャンが厳しく言うと、サユリは肩をすくめ、「はい」とうなずいた。血まみれの顔が、少し泣いているように見えた。

 するとセバスチャンは俺に気付き、声をかけてきた。

「ゼント君、これがセバスチャン流の格闘術だよ」

 俺はだまっていた。
 セバスチャン! 相手を無駄に叩きのめすのが、お前のやり方なのか?
 セバスチャンから──サユリは間違った教えを受けている。

「さあ、次の試合は、私と君の友人、ローフェンの試合だ! どうなるのかな?」

 ……俺は拳をぎゅっと握りしめた。ローフェンなら、こんな野郎をぶっとばしてくれるに違いない……!
 次の日──。
 ついにローフェンと、謎のゲルドンの秘書、セバスチャンが闘うことになった。
 2回戦第4試合。
 
 ゲルドンの秘書の闘いぶりを観ようと、たくさんの客がスタジアムに入っている。

「ついに、セバスチャンをぶっとばす時がやってきましたよーっと」

 ローフェンはすでに武闘(ぶとう)リングに上がり、軽い柔軟体操をしている。
 いつも通り、軽口を(たた)いているようだ。

「お、おいっ! 気を引き()めろ、ローフェン」

 俺はローフェンのセコンドを申し出て、リング下からアドバイスするつもりだ。
 俺の(そば)には、ミランダさんもいる。彼女もセバスチャンの試合を近くで観たいらしい。
 エルサも娘のアシュリーと一緒に、セバスチャンの試合を観ると言い出した。観客席に座っている。

「相手はどんな技術を持っているか、さっぱり情報がないんだ。気を付けろ」

 俺はローフェンに注意した。

「情報? いらねーよ、そんなモン。俺が蹴り飛ばしてやるさ」

 ローフェンは余裕の表情だ。
 
 一方のセバスチャンの武闘(ぶとう)リングに上がり、ローフェンをじっと見ている。
 何をやってくるのか? それとも、たいしたことないヤツなのか?

 セバスチャン──この試合で、彼の実力が明らかになる!

 ◇ ◇ ◇

 カーン

 試合開始のゴングが打ち鳴らされた。

「あーらよっ!」

 ローフェンはいきなり走り込んで、上段回し蹴りだ! よ、よし、いきなり大技だが、いいぞ!

 セバスチャンは薄く笑って、スウェーでそれを()ける。
 ローフェンはそのまま後ろ回し蹴りに移行した。

 スッ

 ローフェンはすずしい顔で、後退。これも見事に()ける。

「だッ」

 ローフェンのパンチ──左ジャブ!

 セバスチャンは顔を(かたむ)けて、それを()けた。

「いいね。君、なかなか良い蹴りだよ。ローフェン君」

 セバスチャンは笑って言った。

「君は我が武闘家(ぶとうか)養成所、『G&Sトライアード』では、中級クラスで学ぶといい」
「中級クラスだとおおおお? バカにすんだ!」

 ローフェンの右ストレートパンチ、左ジャブ、そして右中段回し蹴り!

 セバスチャンは二回のパンチを手で叩き落し、回し蹴りは左スネでカット。

「どらあっ!」

 ローフェンの大振りのパンチ──左フック! 速い! これはもらったか?

 シュパッ

「あっ……!」
「見ろ」
「何だ?」

 観客たちは声を上げた。

 セバスチャンは、そのローフェンのパンチ──拳をいとも簡単に、手で(つか)んでいた。

 ゆるり

 その時──そんな音がしたような気がした。セバスチャンはムダのない動きで、ローフェンの背後に回り込んだ!
 
 そ、そして、ローフェンの鼻を──。

 セバスチャンは自分の手で、ローフェンの鼻をふさいだ?

「お、う?」

 ローフェンは後ろに回り込まれてあわてた。
 
 するとセバスチャンは、ローフェンの膝裏(ひざうら)を、右足で()んだ! 

 すると、セバスチャンは、ゆっくりとリング上に座らされてしまったのだ。

 まるであやつり人形のように……。

 な、なんだ、この技術は?

「あれは軍隊格闘技の技術よ!」

 ミランダさんが声を上げた。

 ぐ、軍隊格闘技? 戦場で使う格闘術ってことか?

「相手の力を制圧する、超実戦的な格闘技よ」

 セバスチャンはローフェンの首に、自分の右腕をかける。

 やばい! 首絞め──チョークスリーパーだ!

「だらあっ!」

 ローフェンは(ひじ)を振り回し、セバスチャンの(ほお)に当て、あわてて立ち上がった。そしてチョークスリーパーから、逃れた……! あ、危ない、危ない……。

「ふふっ」

 セバスチャンは(ひじ)が当たった(ほお)を手でこすって、ローフェンと対峙(たいじ)した。

 セバスチャンは深追いしない。

 ──二人はまたスタンディング──立ったままで、にらみあった。

「君、なかなかしぶといね」

 セバスチャンはひょうひょうと言った。

「あいにく、優勝ねらってるんで──」

 ローフェンは答えた。

「って、おい! てめー、さっきから上から目線でムカつくな」

 ローフェンはそう言いつつ、またしても右ジャブを繰り出し、今度は接近して──左ボディーブロー! セバスチャンの腹を狙った。

 し、しかしだ!

 セバスチャンは右ジャブを()け、しかも左ボディーブローを()けたと思ったら──。

 ローフェンの左腕を、自分の脇に挟んで、フック──固定した!

「なっ!」

 ローフェンは驚く。

 この超近距離のまま、セバスチャンはローフェンに、パンチで打撃を加えた。

 ガスッ
 ゴスッ

 そんな音が聞こえる。セバスチャンは、ローフェンの顔、胸、腹に、器用にパンチで超接近の打撃を与えていく。ローフェンの左腕は、固定したままだ!

 あ、あんな打撃技があるのか? そ、そうか。これも軍隊格闘技ってヤツの技術か!

「まるでタコね」

 ミランダさんは腕組みをしながら言った。

 俺もうなずいた。セバスチャン──まさしくタコのようにからみつくような戦術!

 ああっ……! 超近距離のパンチをくらったローフェンから、鼻血が!

 すると、セバスチャンはその接近状態を解き、ローフェンの首と腰に腕をかけて──。

「投げ──!」

 俺は声を上げた。
 
 セバスチャンは、ローフェンを後ろに投げ捨てたのだ!

 ベキイッ

「グヘッ」

 ローフェンは右あばらから落ちて、声を上げる。し、しかし声を上げる直前に、へ、変な音がしたぞ?

 ウオオオオッ

 観客がセバスチャンの投げに興奮している。

「今の音!」

 俺はミランダさんを見た。

「ええ、私も聞いたわ。まずいわね。──セバスチャンの放った投げは、『裏投げ』よ」

 ミランダさんは静かに言った。あ、あれが裏投げか! 噂には聞いたことがあったが……。

「軍隊格闘家が得意とする投げ技の一つね。そのまま寝技に移行できる! そして──ローフェン君はあばら骨を折ったわね……」

 セバスチャンはニー・オン・ザ・ベリーの状態になった。
 ローフェンが仰向けに寝ている状態だが、セバスチャンは片膝をローフェンの胸の上に乗っけている状態。これがニー・オン・ザ・ベリーだ。
 
 一見不安定だが、この状況はある意味で馬乗り(マウントポジション)よりも危険だ!

 するとセバスチャンは、何とローフェンが痛めているあばら骨を、もう片方の膝で蹴りだした。

 ガスッ
 バキッ 
 ドゴッ

 くっ……エグい攻撃だ! ローフェンは……! 痛みで失神しかかっている!

 俺は……俺は我慢できなかった。

「のやろおおおおっ!」
「ゼント君!」

 ミランダさんが声を上げる!

 俺はリングに上がった……! 上がってしまった。
 そして、ローフェンの上で攻撃しているセバスチャンに向かって、突進し──。

 ドガッ

 セバスチャンに体当たりをかました。

 セバスチャンは俺の体当たりで吹っ飛ぶ。彼はすぐに状態を起こし、ニヤリと俺を見た。

 ウオオオオオッ

 観客たちが声を上げる。

「うおおっ! 何だ?」
「あれ、ゼントってヤツじゃねえのか?」
「乱闘じゃん! セコンドが入ってきちゃダメだろうが~!」

 何を言われてもいい! これ以上、ローフェンを攻撃させない!

「早くローフェンを治療してください! あばらが折れている!」

 俺はリング外にいる白魔法医師たちに向かい、叫んだ。

 白魔法医師たちは何やら審判員と相談していたが、あわててリングに上がってきた。すぐに、ローフェンを診察し始めた。

「ククク……」

 セバスチャンは立ち上がって、リング上にいる俺に言った。

「ダメじゃないか、ゼント君。セコンドが試合中に上がってきちゃあ」
「うるさい! ローフェンのあばらは折れている! お前、折れているのが分かっていて、あばらに追撃しただろう!」
「フフフ……。相手の怪我をした箇所(かしょ)を狙うのも、戦術の1つではないか」
「バカ言うな! もう勝負は決まっていた! ローフェンの選手生命を奪う気か?」

 その時、白魔法医師長はリング外に向かい、手でバツの字を作った。

 カンカンカン

 とゴングの音がした。試合終了か……。

『4分20秒、ドクターストップおよび、反則勝ちでセバスチャン選手の勝ち! なお、反則の原因となったゼント・ラージェントには、何らかのペナルティが課せられます!』

 ペナルティ? そんなものどうだっていい。
 ローフェンは? 俺は仰向けに寝ているローフェンに近寄った。

「ゼ、ゼントのバカヤローが」

 ローフェンは真っ青な顔で、俺に言った。

「お前のせいで、反則負けだろーが……。これから俺が、ヤツをぶちのめすところだったのに……」
「後で色々、聞いてやる。あまりしゃべるな、ローフェン! あばらにひびくぞ」

 俺は言った。

 ローフェンは悔しそうな顔をしながら、白魔法医師たちが用意した、タンカに乗せられて武闘(ぶとう)リング外に出された。

 セバスチャンも、さっさとリング外に降りてしまっている。

 俺も審判長に注意されて、リングを降りた。

 すると──武闘(ぶとう)リング下で見たものは、意外な光景だった。

 サユリがセバスチャンの前に立っている。

「セバスチャン先生、準決勝は私と勝負しましょう」
「トーナメント上ではそうなるね。だが、君は棄権《きけん》したまえ」

 セバスチャンは首を横に振りながら言った。

「教え子を傷つけたくはない」
「あなたが間違っていることに気付きました」
「……何?」
「傷ついた相手を叩きのめすのは、武闘家の精神に反すると思います。私がそれを身をもって示すために、私は、先生と──いえ、セバスチャン、あなたと闘います」

 セバスチャンは眉をひそめて、サユリに、「お前」と言った。

「考え直せ。今からでも遅くない、棄権《きけん》しろ」

 セバスチャンはそう言って、花道をさっさと歩いていった。
 セバスチャンとローフェンの試合の後、サユリは自分の師、セバスチャンに言った。

「傷ついた相手を叩きのめすのは、武闘家(ぶとうか)の精神に反すると思います。私がそれを身をもって示すために、私は、先生と──いえ、セバスチャン、あなたと闘います」

 それがサユリの決意だった。

 ◇ ◇ ◇

 次の日、俺は、「ミランダ武闘家(ぶとうか)養成所・ライザーン本部」に戻った。

 ローフェンのことは心配だが、グランバーン大学白魔法病院に入院しており、骨の検査に2日かかる。
 今は見舞いにいけない。

「ゼントさん、覚悟してください」

 俺の目の前──武闘(ぶとう)リング上には、サユリがいる。

 俺はサユリの練習相手をつとめることにした。

「はああっ!」

 サユリのパンチ──左直突(ちょくづ)き! 右直突(ちょくづ)き! 左! 左! 右!

 うおおっ……サユリは、こんなコンビネーション──連撃(れんげき)もできるのか!

 俺は手を使って受ける。とにかく速い。正確だ。

「でやああっ! 受け身、とって下さいね!」

 サユリは俺の腰に手を回し、俺の片足を取った。

 ドタン!

 まるで俺を転ばせるように、俺を後方に投げつけた。あ、あぶねえっ!
 俺は素早く体勢を横にして、後頭部を打つのをまぬがれた。

「これは『朽木倒(くちきたお)し』という投げです。『踵返(きびすがえ)し』という投げ技もあります」
「わ、わかったわかった。練習はこれくらいにしよう」

 サユリの投げは速くてキツい。

 ローフェンが入院してなかったら、ローフェンを投げてもらうんだがなあ……。

「うーん……まだやり足りない……」とサユリ。
「あのな~! もう2時間、君の相手をやってるんだけど!」

 俺は冷や汗をかきながら言った。これ以上、投げられちゃたまらない。

「分かりました」

 サユリは残念そうな顔だが、納得したようだ。
 練習を終え、俺とサユリは、ミランダ先生と話すために会議室へ向かった。

 ◇ ◇ ◇

 会議室には、ミランダさんとエルサが待っていた。

「はーい、ゼント、サユリさん、ご苦労様」

 エルサが俺たちに冷たい、ポーション・ドリンクを渡してくれた。

 ポーションは怪我の特効薬として有名だが、それを10倍薄めて飲みやすくしたものだ。

 何と、エルサは屋内ではもう杖は使用していない。

 杖の使用は、屋外に出るときだけだ。

 どんどん、昔の元気なエルサに戻ってきている。

「準決勝の日程が決まったようね」

 ミランダさんは言った。

「サユリとセバスチャンの対戦は、3週間後。ゼントとゲルドンの息子、ゼボールの対戦は4週間後」

 そうか、サユリとセバスチャンの試合が先か。俺は、その試合の後、ゼボールと闘う。
 俺をマール村の森で襲ってきた不良だ……。
 くそ、嫌な気持ちがよみがえってきた。

「それにしても、あなた、本当にセバスチャンと闘う気?」

 ミランダさんは椅子に座りながら、サユリを見ていった。サユリはうなずいた。

「はい……。最近、セバスチャン先生の考え方は、私の武闘家(ぶとうか)としての考え方と違うなと思えてきたんです」
「うーん……。具体的(ぐたいてき)には?」
「セバスチャン先生の教えは、怪我をした相手でも、容赦(ようしゃ)なく叩きのめすこと。追撃(ついげき)を加え、二度と逆らえないようにすることです。これは、私がギスタンさんやドリューンさんにやってしまったことでした」
「冷静に試合を振り返ることができているわね」
「それに、あまり知られていませんが、『G&Sトライアード』では、日常的に指導者から選手への暴力が行われているのです」
「えっ、何それ?」

 エルサは声を上げた。

「サユリさん、それ、どういうこと? (くわ)しく説明して」
「セバスチャン先生は、対戦練習でも、相手を失神するまで闘わせようとするのです。でも、それを練習生たちが躊躇(ちゅうちょ)すると、セバスチャン先生か指導者の拳がとんできます」

 サユリは決心したように言った。エルサは目を丸くしてまた聞いた。

「一方的な暴力ってこと? あなたもやられたの?」
「私はセバスチャン先生からはやられてはいませんが、他の指導者からはたまに平手で」
「だ、だめだよ、そんなの許しちゃ!」

 エルサは、サユリを抱きしめた。

「今まで、誰にも相談しなかったの?」
「はい……『G&Sトライアード』の練習生たちは、セバスチャン先生……いえ、セバスチャンが怖いんです。セバスチャンに逆らうと、武闘家(ぶとうか)の資格が剥奪(はくだつ)されてしまうから。セバスチャンは、それくらい権力を持っています」
「なんで……ひどい」

 エルサが泣いている?

 あっ、そうか……。エルサもギルドの登録から抹消(まっしょう)された経験があるんだったな。
 サユリたちの気持ちが分かるのか。
 
「ちょっと冷静になりなさい」

 ミランダさんがパン、と手をうった。

「サユリ、このままセバスチャンと対戦しても、何も残らないと思うけど。棄権(きけん)した方がいいわよ」
「お気持ちはありがたいけど、私は闘います。だって私は武闘家(ぶとうか)だから。試合があれば、闘うのです。──ゼントさん、お願いがあります」

 サユリは俺の方を見た。

「私とセバスチャンの試合から、セバスチャンの攻略法を見つけて欲しいのです。セバスチャンは、私の考えでは、グランバーン王国で最も強い武闘家(ぶとうか)の一人だと思います」
「サ、サユリでもそう思うのか?」
「はい、間違いないです。打撃、組み技、関節技、戦術、すべてレベルが高いと思います。ゼントさん……決勝で、どうかセバスチャンを倒してください」
「わ、分かった」

 つまりだ、サユリはセバスチャンに勝つ気がないということ。
 俺にセバスチャンを倒すことを、(たく)しているのか。

 俺はうなずいた。しかし、その前にゼボールに勝たなきゃいけない。

「では、私はこれで」

 サユリが行こうとすると──。

「お待ちなさい」

 ミランダさんが言った。

「あなたの今後の所属は『ミランダ武闘家(ぶとうか)養成所』。つまりここです。あなた、戻る場所がないんでしょう。だから、今日はここに泊まりなさい」
「そうだよ、サユリさん」

 エルサが笑顔で言った。

「辛いことがあるなら、私、何時間でも話を聞くから。娘もいるし、遊んであげて」
「……皆さん親切なんですね」

 サユリはさみしそうに言った。

「私、『G&Sトライアード』では、しゃべる人が一人もいなくって……」
「とにかく一緒に行こ?」

 エルサはサユリの手を引っ張って、廊下に出ていった。

 すると、ミランダさんは俺に言った。

「ゼント君、君はゲルドンの息子、ゼボールと闘うことになるけどね」
「はい」
「何か嫌な予感がするわ。これは私の占いの結果から言うけど」

 嫌な予感? 一体それは──?

「私が気にしているのは、大勇者ゲルドンよ。何か、仕掛けてくるかもね」

 ゲルドン? ゲルドンが何かしてくるのか?
 ついにこの試合が始まってしまう。

 最強の女子武闘家(ぶとうか)サユリと、謎の大勇者の秘書セバスチャン──。

 この二人は弟子と師という関係だ。

 サユリの体のサイズは、身長154センチ、体重48キロ。

 一方のセバスチャンは、身長177センチ、体重73キロ。

 体重差、体格差は言うまでもなく、ある。

『サユリ・タナカ選手は、セバスチャン選手の顔面攻撃を了承(りょうしょう)しました!』

 ドオオオオッ

 放送がかかると、観客席はヒートアップした。

 女性選手と男性選手が試合をする場合は、普通は顔面攻撃は禁止になる。しかし、サユリは顔面攻撃──つまり顔へのパンチ攻撃を認めてしまったのだ。

 ど、どんな試合になってしまうんだ?

 俺は観客席で、二人の試合を見守ることにした。俺の左横には、少し心配そうな顔のミランダさんと、エレサ、アシュリーが座っている。

 セバスチャンとサユリは、武闘(ぶとう)リング上で向かい合った。

「残念だ、こんな形で、弟子の君に痛い思いをさせなければならないなんて」

 セバスチャンはさも残念そうに、それでいてクスクス笑って、サユリに言った。

「私こそ残念です。私があなたの指導方針を、くつがえさなければならないなんて」

 サユリは言い返したが、セバスチャンは冷静だ。

「それは無理だ。私が勝つからね」
「いえ、セバスチャン。私はあなたに教えてもあった技を全て出し切り、あなたに勝ちます」
「ほほう、生意気(なまいき)な……」

 セバスチャンはサユリをにらみつけた。

 ◇ ◇ ◇

 カーン

 その時、試合開始のゴングが鳴った。

 ヒュッ

 いきなり、サユリがパンチ──左直突(ひだりちょくづ)きを繰り出した!

 いとも簡単にスウェーでかわす、セバスチャン。

 右、左、右、右、とサユリが連続で直突(ちょくづ)きを放つ。

 セバスチャンは全てかわしてしまった。手など一切使わない。じょ、上体だけでかわしてしまっている!

 ……その時、サユリが踏み込んだ!

 左直突(ひだりちょくづ)き!

 パシイッ

 何と、セバスチャンはその直突(ちょくづ)きの拳を、手で受け止め、離さない。
 
 ま、まずいぞ。セバスチャンは軍隊格闘技の使い手だ。何をしてくるか分からない。

「ハアッ!」

 しかし、サユリは気合一閃(きあいいっせん)、その手を振りほどいた。

 そして──次の瞬間、驚くべきことが起こった。

 サユリが素早くセバスチャンの後ろに回り込み、セバスチャンの鼻を手でふさいだ。

 何だ? これはセバスチャンの得意技じゃないか!

「うむっ?」

 セバスチャンは声を上げた。

 ガスッ

 サユリは後ろからセバスチャンの右膝関節(みぎひざかんせつ)を蹴り、セバスチャンを倒してしまった。あの膝裏蹴(ひざうらげ)りは、簡単に人を倒すことができる!

 すぐにサユリが、後ろから首を絞めにいく──何と、チョークスリーパー……裸締(はだかじ)めだ!

「あれ、軍隊格闘技じゃねえか!」
「セバスチャンの得意技だろ?」
「サユリがやっちまうとは!」

 観客が声を上げる。

 セバスチャンは後ろに回り込んだサユリに対し、投げを打とうとする。

 背後に回ったサユリを、背負(せおい)投げで投げようとしているのだ。

 しかし──。

 サユリは後ろから飛びつき、両手を両足でセバスチャンの右腕を固定した。すぐに、四つん()いになったセバスチャンの右腕を、(ひざ)()めた!

 何だ? この関節技は!

「腕ひしぎ膝固(ひざがた)め!」

 ミランダさんが声を上げた。

滅多(めった)に見られない関節技ね……。私もあまり見たことがないわ」

 サユリは精一杯力を込め、セバスチャンの右腕を伸ばす。

 しかしセバスチャンは、涼しい顔で顔を起こした。そしてこう言った。

「なかなか面白い技だったよ、サユリ」

 セバスチャンが立ち上がった!

 ぐぐぐ……。

 何と、関節技で腕を()めているサユリごと、持ち上げたのだ。

 右腕だけで軽々と……!

 い、いくらサユリの体重が軽いといっても、片手で持ち上げるなんて、信じられない。

 サユリはセバスチャンに片腕で持ち上げられながら、目を丸くしている。

 その時、セバスチャンの体全体に、闇色(やみいろ)蜃気楼(しんきろう)のようなものがまとわりついて見えた。

 何なんだ……?

「ぬううんっ!」

 セバスチャンは、サユリとともに右腕を振り、サユリを投げ捨てた。サユリの体は、武闘(ぶとう)リングに張りめぐらされたロープに当たった。

「い、一体、何が起こったっていうの?」

 ミランダさんも驚いている。

「人を右腕だけで、軽々持ち上げるなんて……ちょっと尋常(じんじょう)じゃないわね」
「うう……」

 サユリはロープに頭を打ったようだが、すぐに立ち上がった。

 二人はまた立った状態で、構える。サユリはまだ驚いている顔だ。

 さっきのセバスチャンの怪物のような力のことを考えているのだろう。一体あれは……。

「サユリ、何を(おび)えている?」

 セバスチャンは笑いながら言った。

(だま)れっ!」

 サユリはいつになく声を上げ、セバスチャンをまた右パンチで攻撃する。

 しかし、今度はセバスチャンの番だった。

 ビキイッ
 
 そんな音がした。

 セバスチャンは、サユリの右パンチを肘で防いでいた。

 セバスチャンの肘は、サユリの右肘関節の内側部分に当たっている!

 サユリの顔は苦痛にゆがむ。

「あれも軍隊格闘術よ……まさに攻防一体(こうぼういったい)

 ミランダさんが言った。

「セバスチャンはサユリのパンチを自分の肘で防ぎつつ、サユリの肘関節を攻撃したのよ」

 サユリがパンチをした時を見計らって、サユリの肘関節への攻撃か!

「サユリは、多分、肘を怪我したわ。もう右のパンチは出せないわね」
 
 ミランダさんはつぶやいた。マジか……。

 しかし、セバスチャンの攻撃は終わらなかった。
 
 サユリの手を(つか)んだセバスチャンは、ぐいっと、自分の方にサユリを引っ張る。

 そして──。

「あぐ!」

 ピキイッ

 またしても嫌な音が響き渡った。

 サユリの膝を、足裏で横から蹴ったのだ。

 サユリを前に引っぱった状態から蹴った。カウンターの蹴りの状態になったはずだ。

 骨がズレたに違いない……!

 サユリは倒れる!

「攻撃は必要最小限にした。レディーの対し、尊敬の念を込めて」

 セバスチャンはそう言って、サユリを見下ろしている。

「あぐうう……」

 サユリは膝を抱えて、しゃがみ込み、声を上げている。

 ああ……これはダメだ。

「さて、どうかな、サユリ。肘と膝が痛くて泣き叫びたいだろう。負けを認めるかね?」

 サユリの異変に気付いた、リング外の白魔法医師が、リング上に上がろうとしている。

 しかし、何とサユリは……。

 ガッ

 セバスチャンの右足を四つん()いで、(つか)んだ!

「何だ、それは。サユリ」

 セバスチャンは仁王立ちで言った。

「は、離さない」

 サユリは声を上げる。

「見苦しい」

 セバスチャンは首を横に振った。

「か、勝つまでやるんです。は、離しません」
「見苦しいぞぉっ! この小娘があっ!」

 セバスチャンはしゃがみ込み、手で、サユリの頭をひきはがそうとした。

「くそっ!」

 俺が立ち上がろうとすると、ミランダはそれを制した。

「ダメよ。サユリは女の子を捨て、最後まであがこうとしているわ」

 サユリはまるで石のように、セバスチャンの片足から離れない。セバスチャンはサユリの顔から手を離し、黙ってサユリを見ている。

 その時、白魔法医師が武闘(ぶとう)リング上に入ってきた。サユリは引きはがされる。

「さあ、サユリ、腕と足を()せなさい。──ああ、これはダメだ。肘にヒビが入っているし、(ひざ)が骨折している」

 白魔法医師はリング外の審判団に、「決着だ」と言った。

『4分12秒! ドクターストップ勝ちで、セバスチャン選手の勝ち!』

 放送がかかった。観客席はシーンと静まり返っている。

 サユリは白魔法医師に、痛み止めの治癒(ちゆ)魔法をかけられているが、顔は苦痛にゆがんでいる。

「サユリ……お前は、まるで雨の中の、泥水にまみれた犬コロだな」

 セバスチャンは舌打ちしながら、サユリに言った。

「君に、私の『G&Sトライアード』の広告搭(こうこくとう)になってもらおうと、思っていたのだがね。私も、私の企業も、イメージががたおちだよ。こんな試合は」

 セバスチャンはリングからさっさと降りてしまった。

「……おい、お前、何と言った」

 俺は立ち上がって、リング下に降りてきたセバスチャンに言った。

「何かね? ゼント君」

 セバスチャンはニヤニヤしながら言った。俺は問いただした。

「サユリに何と言った?」
「泥水にまみれた犬コロと言ったんだ。四つん()いで、私の足を(つか)んできたからね」
「この野郎……!」

 俺はセバスチャンの胸ぐらをつかんだ。

 許せねえ……! サユリはお前に対して、精一杯闘ったんだぞ! 敬意のある一言をかけてもいいだろうが! それを……。

 しかしセバスチャンは笑っている。

「やるのか、ゼント君。問題行動だぞ。君は次の準決勝に出られなくなるが」
「くそ!」

 俺は仕方なく手をふりほどいた。

「楽しみだねえ……ゼント君。君、準決勝のゼボールをはやく倒してくれ」

 セバスチャンは言った。

「最後は私と君の決勝戦だろうな。楽しむことができそうだ」

 セバスチャンはそう言うと、花道を去っていった。

 サユリはリング下におろされ、タンカで運ばれていく。

「大丈夫か」

 俺がタンカに乗せられたサユリに話しかけると、サユリはニコッと笑った。

「精一杯やりました」

 笑っているが、骨が痛いはずだ……。
 俺は、あまり(しゃべ)らせないように気を使いながら言った。

「ちゃんと試合、観てたぞ」
「良い試合だったでしょう……?」

 サユリは疲れ切っていたし、痛みをこらえているようだった。
 しかし、表情は晴れやかだった。

「ああ! 良い試合だった!」

 俺はうなずきながら言った。サユリはそのままタンカで運ばれていく。

 一週間後は──俺と大勇者ゲルドンの息子、ゼボールの準決勝がある!
 サユリとセバスチャンの試合があった、次の日の午後──。

「どういうことだああっ! ゼントオオオッ!」

 あ、あぶないっ!

 俺に向かって、ローフェンの足蹴りが飛んできた。

 俺はそれを()ける。しかし、ローフェンの追撃(ついげき)()まない。

 ローフェンの後ろ回し蹴り! 俺はそれを見切って、かわす。

「落ち着け!」

 俺は叫んだ。

 ここはライザーン中央にある、グランバーン白魔法大学病院の芝生広場──。
 俺たちは、ローフェンの見舞いにきた。ローフェンは外に出られるくらい元気だった。

 しかし……。

「あ、あいたたた~!」

 ローフェンは蹴りを放った後、あばらを抑えて、転げ回った。ローフェンの服の下のアバラ部分には、包帯が何重(なんじゅう)にも巻かれてあるはずだ。

「アホだ……。まだ治りかけだろうが」

 俺は腕組みをして、芝生広場で転げ回っているローフェンを見た。
 
 エルサとアシュリーも、俺の後ろであきれてローフェンを見ている。

「どうしてサユリが、故郷に帰っちゃうんだよおおおお!」

 ローフェンは泣きわめく。

「サユリはセバスチャンに負けたでしょ。武闘家(ぶとうか)として、自分を見つめ直したいんだって」

 エルサはローフェンをなだめるように言った。
 どうやら、ローフェンはサユリのことが好きだったらしい。
 向こうは全然、ローフェンのことを何とも思ってない……と思うが。かわいそうだけど。

 セバスチャンとの闘いで、骨を骨折したサユリは、ローフェンと同じく、ここ白魔法病院に入院した。
 退院後は、祖父母のいるサンラインという街に住むそうだ。

 さて、ローフェンの叫びは止まらない。

「ちっくしょおお~! サユリ~!」
「ローフェンさん!」

 芝生広場に駆けこんできたのは、ローフェンの担当の女性看護師さんだ。看護師さんは鬼の形相だ。

「あなたは入院患者なんですよ。外で格闘技のマネごとをするとは何事ですか!」
「だって、看護師さ~ん……」

 ローフェンはグスグス泣いている。ダメだこりゃ……。

 ん? 誰かの視線を感じる。
 病院の門の方で、人影が動いたような……? 何だ?

 ◇ ◇ ◇

 ローフェンの見舞いの帰り──。
 アシュリーとエルサの買い物に付き合わされた。

「ゼント、これ持って! お菓子の詰め合わせ。ルーゼリック村の皆にお土産!」

 エルサは楽しそうに、店で娘と一緒にお菓子を買い込んでいる。

 俺は当然、荷物持ち。エルサは杖をついているが、もうそんなのいらないんじゃないか、というくらい元気だ。

 俺とエルサは、アシュリーを挟んで、ライザーン地区の静かな道を歩いた。

 ふと、アシュリーは言った。

「ゼントさん、あのう……」

 アシュリーは顔が真っ赤だ。俺は驚いて聞いた。

「ど、どうしたんだ?」
「えーっと……ママと私と、一緒に暮らしませんか」
「はああああああ?」

 声を上げたのはエルサだ。おい、道端(みちばた)ででかい声を出すなよ。俺もびっくりしたけど。

「ななななな何を言ってるの、この子は! ゼントと一緒に暮らすなんて、それが一体、どういうことか──」
「ゼントさんが、私のパパみたいになるってこと!」

 アシュリーはうれしそうに笑って言った。

 パ、パパ……? 何? あ、そうか。俺は36歳だから、別に娘を持っても良い年齢か……。

 でも俺……フェリシアって彼女はいたけど、結局、手すら握れなかったし、女性経験は絶無(ぜつむ)と言って良い。

「クスッ、アシュリーったら何を言うかと思ったらさあ、ゼントがパパだって~」

 エルサは楽しそうに言った。

「似合わなーい!」
「わ、悪かったな」

 俺は苦笑いするしかなかった。

 ◇ ◇ ◇

 俺たち三人は、アモル川という川に来た。

 都会のライザーン地区では、最も大きな川だ。川魚が結構釣れるらしい。

 俺とエルサは、川の前のベンチに座った。アシュリーは、川辺で舟を見ている。
 川の周囲には、俺たち以外、誰もいない。

「私さ……ぽっかり15年くらい……人生に大きな穴が空いてるんだよね。車椅子に乗る前は、寝たきりだったから」

 エルサが言った。……俺だってそうだ。

「俺なんて20年引きこもってたんだから、20年空いてるよ。それで36歳になっちまってんだから」
「やり直して……良いんだよね」

 エルサは……泣いている。
 エルサ──エルフ族はいつまでも若い。
 でも、もちろん寿命はある。エルフ族だって、人生の時間は限られている。

 俺は言った。

「大変な人生になっちゃったけど、大丈夫だ……と思う。もしかしたら、俺にとって、20年の大穴は穴じゃなくて……大事な時間だったんじゃないか」
「そっか……。私も大丈夫なような気がしてきた。ゼントと一緒なら」

 エルサはポツリと言った。

 その時、川魚がぽしゃん、とはねた。アシュリーは歓声を上げた。

 ◇ ◇ ◇

 アシュリーとエルサは、これからライザーン地区でスイーツを食べるそうだ。

 俺はミランダさんと、ゼボール戦について研究する予定。

 ゼボールは、1回戦はシードで無し。2回戦は開始30秒でKO勝ち。

 ただ、ミランダさんによれば、2回戦はゼボールの相手の動きが、あきらかにおかしかったらしい。

 アシュリーとエルサは行ってしまったし、俺も帰るか。

「そのまま帰れると思うか?」

 俺の後ろの方で、男──少年の声がした。

 俺がベンチから立ち上がり、後ろを振り返ると、木陰から男があらわれた。16歳くらいの少年?

「あっ……お前!」

 その少年は何と、大勇者ゲルドンの息子、不良少年のゼボールだった。

 俺の準決勝の相手だ。

「な、何か用か?」
 
 俺が言うと、ゼボールは俺をにらみつけて言った。

「今日は、お前を監視してたんだよ。病院にもいただろ、お前ら」

 周囲にはいつの間にか、10人もの不良たちが集まっていた。

 そうか、さっき病院の門で影が見えたが、こいつらだったのか。

「てめー、ゼント……。どんな卑怯(ひきょう)なことしやがって強くなったんだ? ああ? マール村で見たクソ弱いお前はどこいったんだ? 今から確かめてやるよ。ケンカでな」
「ケ、ケンカだって? おい、お前との準決勝はどうなるんだ。バカ言ってんじゃ……」

 闘うしかない……!

 俺は直感的にそう思った。