僕はドルゼック学院を追い出された。なぜか退学になったのだ。
言いかえれば「追放」と言っていい。あんなにボーラスやジェイニー、マークのために頑張ってきたのに。どうしてこんなことになる? 僕が弱いからか……。
ドルゼック学院は、王立だから無料で入学できたし、試験も筆記試験だけだから入学できたようなものだ。弱い僕を、これから受け入れてくれる学校は、どこにもない。
僕はうなだれながら街を歩く。空には飛竜の宅配便が飛んでいる。街は数日後のお祭りの影響で、とてもにぎわっていた。しかし、僕の心は沈んでいる。
家に帰っても両親はいない。父親に十歳まで育てられた。生まれた時には母はいなかった。父親は十歳の時に、失踪した。どこかにいなくなったのだ。
今はほったて小屋のような家に、一人で暮らしている。
そして、生活費のためのアルバイトとして、冒険者のための案内所、「ギルド」で書類の整理をしている。でも、今日は休もう……。
◇ ◇ ◇
一度、家に帰って寝てみたが、まだ心は沈んだままだ。
僕はまた外に出て、公園のベンチでこれからのことを考えようと思った。もう午後四時半か……。夕方だ。
勉強はどうしよう? いや、将来のことも不安だ。学院を卒業できなくなったんだからな。
「ちょっとあんた、やめなよ!」
突然、女の子の声がした。
「泣いてるじゃない! もういい加減にして!」
僕が顔を上げると、女の子二人と、山鬼族の少年が立って何か騒いでいる。三人とも、十六歳か十七歳くらいだろう。山鬼族の少年は、鬼族の一種だから体がでかいし、筋肉質。肌の色も赤い。やたらと色男だ。もてるんだろうなあ。
あれ? 女の子二人も、山鬼族の少年も、「エースリート学院」の制服を着ている。超名門の私立魔導体術学校だぞ。
「おいおい、アリサちゃ~ん。俺は君には用はないのさ」
山鬼の少年は、さっき叫んでいた女の子に向かって言った。
「君の後ろのミーナちゃんに用があるんだ」
「ミーナのほうは、あんたに用はないってさ!」
アリサって子が山鬼の少年を、にらみつけて怒鳴った。ショートカットでなかなかかわいい子だけど……。あんなでかいヤツにはむかうなんて、なんて勇気がある女の子なんだ? そのアリサって子の後ろには、セミロングヘアの泣いている女の子が立っている。どうやらその子がミーナだろう。
「ふうん、生意気な女だねえっ! どけっ!」
山鬼の少年が一歩前に踏み出る。
「きゃあっ!」
山鬼族の少年は、アリサを突き飛ばした。アリサは簡単に吹っ飛ぶ。
ああっ! あの山鬼のヤツ! ぼ、僕は……。
「ミーナちゃ~ん、俺と付き合ってくれよ。仲良くしようよ、な?」
「い、嫌です。あなたなんかと付き合うの、嫌です!」
泣いているミーナは言い返した。
「ああ? 俺はエースリート学院のエース、ケビン・ザークだぜ?」
「嫌だ、と言ったんです。ケビンさんは……その、暴力的だから」
「ああ? 魔導体術家が暴力ふるって何が悪い? この女っ」
山鬼の少年……ケビンってヤツが、ミーナを掴み上げようとした。
ガッ
……そう。僕は気付いた時には走っていた。無謀にも、ミーナとケビンの間に入ってしまったんだ。
「なんだよ、お前は~。男なんかに用はないんだよな~」
ケビンってヤツが、僕をにらみつける。ケビンは軽薄そうなヤツだが、体がでかい。それに、山鬼族は鬼族の一種。真っ赤な顔でにらまれたら、誰だってチビりそうになる。こ、怖い……。
「お、女の子に暴力をふるうのは、やめてくれ……」
僕はチビりそうになりながら、言った。
「ああ、そういうことか~。英雄気取りってやつか。じゃあ、悪いが、ぶっ殺してやるよ!」
ケビンが右ストレートパンチを繰り出した。しかし、よけてしまえば、ミーナに当たってしまう。
ガッ
よ、よし! 僕は必死で彼のパンチを、腕で受けた。上段受け、というヤツだ。
「おい……お前……」
ケビンはすぐさま、右前蹴りを繰り出した。魔力が込められていて、蹴り足が青白く光っている! しかし、僕は今度も、腕の下段受けで彼の蹴りを、叩き落とした。そう、僕は攻撃は超ド下手だけど、防御はまあまあ得意なのだ。
ドルゼック学院からは、退学を言い渡されたけどね。
「バカがっ!」
ドムン!
ケビンの、僕の腹を狙った右下パンチ、ボディーブローだ!
「うげえええっ!」
ま、まともに食らってしまった。僕はその場に、膝をついた。ケビンがニヤリと笑って、追撃しようとした時……。
「あなたたち! 何をやっているんですか!」
と大人の女性の声がした。
「ううっ! やばい!」
ケビンが驚きの声を上げた。彼は一目散にその場を走り去った。な、何が起こったんだ?
「ねえ、君! 大丈夫?」
地面に座り込んでいる僕の背中を、誰かがやさしくさすってくれた。振り向くと、さっきの気の強い女の子、アリサがそこにいた。アリサは僕を心配そうに見た。
本当はカッコよく、山鬼族をやっつけたいところだった。でも、コテンパンに叩きのめされてしまった。恥ずかしい。女の子の前で……。
一方の僕も、アリサを心配して口を開いた。さっき、突き飛ばされたはずだ。
「そ、そっちも怪我はない?」
僕は聞いた。
「あの山鬼のヤツに、突き飛ばされていたようだけど」
するとアリサは、ちょっとプイと顔を背けた。
「突き飛ばされたけど、怪我なんかしてないよ。あたしだって魔導体術家なんだから。……でも、ありがと」
アリサは顔を赤らめて言った。
僕はアリサをぽかんとして見た。ちょっと気が強い子なのかな? 一方、おとなしそうなミーナって子はオロオロしてたけど。
「ほ、本当に助かりました。ありがとうございました」
ミーナの方は、ていねいにお辞儀をして、お礼を言ってくれた。すると……。
「ミーナ、あなたは早く帰りなさい」
また大人の女性の声が聞こえた。僕が顔を上げると、僕の目の前には、目の鋭い、大人の女性が立っていた。髪の毛はポニーテール、金髪だ。かなりの美人。三十四、五歳くらいだろうか。
ミーナは帰ってしまい、公園に残ったのは、僕とアリサ、そして謎の女性だけになった。
僕は殴られ慣れているけど、あの山鬼のヤツ、女の子を突き飛ばすなんて、ちょっとゆるせない。僕はもう一度、アリサに聞いた。
「本当にどこか怪我をしていないの?」
「う、うん。大丈夫」
アリサは本当に悔しそうだ。ケビンに簡単に突き飛ばされたのが悔しかったのだろう。でも、体格の小さい女の子なんだから、仕方のないことだ。
「あの山鬼、ケビン・ザークってヤツなの」
アリサはつぶやくように言った。
「あたしの通っているエースリート学院では、三番目くらいに強い男だよ。でも、ああやって女の子に強引に手を出してる。軽薄でひきょうなヤツ。あ、申し遅れたけど、あたしはアリサ・ルイーズ。エースリート学院で、魔導体術を習っているの」
すると、今度は大人の女性が、口を開いた。
「アリサを助けようとしてくれてありがとう。私はこの子の育ての親です。──ところで、アリサを助けようとしてくれた心意気は買うけど、その体格でケビンに立ち向かうなんて無謀だったわね……」
そうか、この二人は親子じゃないけど、結構、深い関係なのか。でも、この髪の毛が金髪の女性、やっぱりどこかで……あれ? まさか、この人! 間違いない。そうだ、雑誌で見たことがある! いや、それどころか……。
この女性は、グラントール王国国民なら誰でも知っている、超有名人だ!
僕に話しかけてきた大人の女性は、グラントール王国国民なら誰でも知っている、超有名人に違いない!
僕は思い切って、女性に聞いた。
「あ、あのう、あなたはサラ・ルイーズ?」
「……ええ。私はサラ・ルイーズです。エースリート学院の学院長をしております」
やっぱりそうだ。もちろんサラ・ルイーズは、有名な私立エースリート学院の学院長として有名な女性だ。若干二十二歳の時、魔導体術の学校を建造した。
しかし、もっと有名な話がある。サラ・ルイーズは、グラントール王国世界魔導体術大会、一般の部で、十八歳から四連覇を成し遂げた女性なのだ。……デルゲス・ダイラントの一回きりの優勝ではない。四年連続だ! グラントール国民なら誰でも知っている、国民的英雄だ! しかも美人……。
アリサは言った。
「サラさんは、あたしの育て親。あたしはみなし子なの」
「へえ……そうなんだ」
アリサは僕と境遇が似ているらしい。僕も両親がいない。
「サラさんは有名人だよ。でも独身。三十五才で、結婚適齢期を過ぎてる。結婚に興味がないらしいの」
「アリサ、余計なことは言わなくていいの。あなた、自分を助けてくれた人に、ちゃんとお礼を言った?」
「……言ったよ。でもさー、男の子に助けられるなんて」
アリサはそう言って、また僕からそっぽを向いた。あ、そういうことか。僕に助けられたのが悔しかったのか。
「アリサ、あなたね、もう少し素直になりなさい」
サラ・ルイーズは静かにアリサをしかった。
僕は緊張して、ケビンにやられた痛みもちょっと我慢して、直立不動だ。こ、こんな国民的有名人と、直に話せるなんて!
「そんなに緊張しないで」
サラ・ルイーズは、僕をたしなめた。
「それにしても、あなたのさっきの動き……。そう、ケビンの攻撃を受けた動き。面白かったですよ」
「え? ああ、ありがとうございます」
「そうね、私はあの動きを見たことがある。サーガ族の……。待って、あなた、その手の甲を見せてみなさい」
急に、サラ・ルイーズは僕の手をとった。そして僕の手の甲をしげしげと見つめた。
「あなた!」
彼女は叫んだ。
「三ツ星のアザがある!」
「え? ああ」
僕はルイーズさんが何を驚いたのか分からなくて、首を傾げた。
「確かに、三ツ星のアザは、子どもの時からあります」
ルイーズさんの言う通り、僕には右手の甲に、不思議な三ツ星のアザがある。手の甲の真ん中に、星のような黒いアザが、三つ並んでいる。小さい頃は、カッコイイと思っていたが、さすがに十六才になると、こんなアザはどうでも良くなった。
「あなた」
ルイーズさんは聞いてきた。
「制服を着ているけど、その制服は確か、ドルゼック学院のものでしょう」
「はい、そうです。でも、ドルゼック学院に在籍していましたが、今日、退学になったんです」
「退学? どうして?」
「その、僕が弱すぎるから、だそうです。ドルゼック学院の面汚しだからって」
「そんな理由で、魔導体術の学校を退学になるなんて、聞いたことがない。魔導体術の学校は、弱い人を強くするための場です。ドルゼック学院の学院長は、デルゲス・ダイラントだったわね。あの男はインチキをやって、魔導体術世界大会で優勝した男だから」
「ええ? インチキ?」
僕は驚いた。信じられない。
「あなたは、ひどい学院に入学していたのですね。では明日、私の学院──エースリート学院に来なさい。すぐ入学手続きをします」
「は、はあああ?」
僕は失礼だと思ったが、思わず声を上げてしまった。
ドルゼック学院は、全校生徒八千人の巨大な学校だが、学費は無料で試験も筆記のみ。
一方、エースリート学院は千人で中規模。難しい筆記試験と実技試験があるから、人数が絞られているんだ。私立で、入学費も学費も高い。
ドルゼックよりは学院の規模は小さいが、エースリートは本物の魔導体術家育成学院と噂されている。授業もかなり厳しいらしい。
「どういうこと? サラさん」
アリサも驚いているようだ。
「い、意味がわかりません」
僕は声を震わせて聞いた。
「そんなこと、できるわけないじゃないですか。エースリート学院は、厳しい入学テストもあるし、選ばれた魔導体術家の少年少女しか、入学できないはずです」
「黙りなさい」
ルイーズさんはピシャリと言った。
「あなたは、自分の隠された能力を知らない……!」
ルイーズさんはゆっくり後ろを振り向いた。後ろには、高さ二メートルはある、デルゲス・ダイラントの石の彫像がある。デルゲス・ダイラントがこの公園に、一億ルピーも寄付したそうだ。
「こんな風に──破壊しなさい!」
ヒュオッ
ルイーズさんはすさまじい速さで、石の彫像に向かって拳を放った。い、いや、見えなかった!
ドーン!
と音がして、いきなりデルゲス・ダイラントの彫像がバラバラになってしまった! ふ、粉砕だ! 粉々だ……。ど、どうなっているんだ? これがルイーズさんの、英雄のパンチ! なんてすごいんだ!
「あなたもこんな風に、強いパンチ、そして蹴りを手に入れることができますよ」
ルイーズさんは言った。
「私のエースリート学院に来ればね。でもその前に──。あなたが本当にサーガ族の生き残りであるならば、『秘密の部屋』に行く必要がある」
「『秘密の部屋』?」
「サーガ族は、『秘密の部屋』を必ず、地下に造り、残す風習があるのです」
「『秘密の部屋』……地下……」
「その『秘密の部屋』を見つけなさい。さ、アリサ、行きますよ」
ルイーズさんはもう行こうとしていた。
「あ……助けてくれてありがと」
アリサはそう言って、顔を赤らめた。
「えっと……じゃあね」
そして僕に手を振り、あわてて、ルイーズさんを追いかける。
「秘密の部屋」……。それは地下にある……? そんなものどこにあるんだ?
──いや、僕はすぐに気が付いた。「秘密の部屋」は……秘密の地下室は……ある!
でも、そこは僕がこの地上で、もっとも恐れている場所にあるのだった。
地下にあるはずの「秘密の部屋」に行け──。ルイーズさんは、そんな謎の言葉を残して去っていった。
(僕は、その「秘密の部屋」を知っている……? 多分、あそこだと思う)
僕は自分の知っている場所に、地下室があることを思い出した。確か、叔父──ドーソン・ルーゼントの家の庭には、とても古い地下室がある。鍵がかかっており、中には入ったことがない。僕は地下倉庫だと思っていたが……。そこがもしかしたら、「秘密の部屋」なのか……?
ただし、叔父の家に行くのは、かなり辛いことだ。僕は十歳まで、父親と一緒に暮らしていた。ある日、父親が失踪。代わりに叔父が来て、僕の家に住みついたのだ。
しかし、叔父は酒乱で、僕はひどい暴力を受け、十二歳の時に逃げ出した。
それからずっと、叔父は僕と父の家に、勝手に住みついている。
(よ、よし、行くぞ)
僕は叔父の家──本当は僕と父の家だが──に行き、家のチャイムを鳴らした。すると扉が開き、筋肉質の中年男が出てきた。頭は丸坊主。
彼が僕の叔父さんだ。
「うう……誰だ? あっ」
「僕だ」
「なんだぁ? レイジか、この野郎」
ドーソン叔父さんは、酒を飲んでいるようだ。顔が真っ赤だ。
「何の用だぁ? 今さら家を返してもらおうってわけか」
叔父さんは僕を冷たい目で見ながら言った。虫を見るような目だ。叔父さんは身長はそれほど高くないが、筋肉質でゴツい。肉体労働者だから、毎日鍛えられている。
「秘密の部屋……いや、地下室があるだろ? そこを見せてもらいたいんだ」
僕は頼んだ。
「勝手に入ることはできないだろうから、許可をもらいにきた」
「……ああ? 地下室? 鍵がかかってるよ。そんなもん見てどうするんだ」
「別に中を見るだけさ。じゃあ、許可はとれたということだね」
「おいお前……。俺がお前を殴っていたことを、誰かに言うんじゃねえだろうな」
ドーソン叔父さんは、僕をにらんだ。足元がふらついている。完全に酔っ払っているようだ。
叔父さんは、僕がこの家で暮らしていた時、僕をしょっちゅう殴っていた。
現在のグラントール王国では、子どもに暴力を行うと、親でも育ての親であっても、すぐに逮捕される。ちなみに、昔の暴力が発覚した場合も、逮捕される。叔父はそれをひどく気にしているらしい。
「誰かに言いつけたら、ぶち殺すぞ。あれは……しつけだ」
「叔父さん、王立警察に、あれはしつけだったと言おうか」
僕は歯向かった。
ガスッ
ドーソン叔父さんは、僕の頬を殴りつけた。酔っ払いのパンチだから、ボーラスのパンチほどではないが、かなり痛い。
叔父さんは、魔導体術全国大会で八位入賞者だ。しかも今は建築業をしており、肉体労働をしている。まともにケンカしたら敵わない。休みの日は、今日のように酒ばかり飲んでいる。
「今のは生意気を言った罰だ」
「……ど、どうでもいいけど、地下室は見せてくれる?」
僕は頬をさすりながら、もう一度確認した。叔父さんは、バカバカしいという風に、両手を広げた。
「ふん、あの地下室は単なるガラクタ部屋だろ。いいか、お前の父親は、お前を捨てたゲス野郎だ。一方、俺は、お前を十二歳まで育ててやった」
「恩があるってわけか」
「……おおそうだ、よくわかってるじゃないか! 俺はお前の恩人だぞぉ! だから、この家はお前の親父が建てたけど、今は俺のもので良いだろうが?」
叔父さんは笑い、僕の肩をバシバシと叩いた。くそ、痛い。めちゃくちゃな言い分だが、酔っ払いと言い合いをしても仕方がない。
すると叔父さんはまた真顔に戻った。
「もう一度言うが、子どもの時のお前を、俺が殴っていたことを、誰かに言うんじゃねえぞ。……地下室? この家の庭に、大昔からあるんだ。そんなもん勝手にしろ!」
バタン!
ドーソン叔父さんは、思いっきりドアを閉めてしまった。まあ、それほど大した騒ぎにならなくて良かった。殴られたのは頭にくるが、地下室──つまり「秘密の部屋」が見れるなら、何でもいい。
僕は叔父の家の裏庭に行った。裏庭は庭園になっていたが、隅に、地下室への階段を見つけた。地下への階段は、石でできている。
もう何百年も誰も入っていないらしく、階段にはコケが生えていた。
階段を下りると、十メートルくらいの通路があり、その奥に金属の扉があった。でも扉には……。
「叔父さんの言う通り、鍵が掛かってそうだな」
僕は扉のドアノブに手を掛けてみる。やっぱり、鍵が掛かっている。どうする? 街の鍵屋に鍵を作ってもらうか。でも、そんなお金はないし……。
するとその時だ。
『レイジ・ターゼット……認識しました』
抑揚のない声が周囲に響き、扉の中で「ガチャリ」と音がした。まさか、鍵が開いた? 扉が開くのか?
僕は恐る恐る、ドアノブに手を掛けた。
ギイッ
ああ! 扉が開く。その扉の中は……。
僕は叔父の家の庭にある、地下室に入っていった。
「ここは……!」
そこはほの明るい美しい部屋だった。大きな魔導ランプが天井についている。魔導ランプは永久的に消えない、魔法の照明器具だ。古代からある代物だ。こ、ここが、ルイーズさんの言う、「秘密の部屋」なのか?
部屋は美しい地下庭園となっていた。
「うわぁ」
僕は思わず声を上げた。花壇がたくさんあり、花が咲いていた。ところどころに小さい噴水があり、水が流れている。
部屋の中央には、大きな円形の池。いや、プールか? 何なんだ、ここは?
するとその時……。
『再度、レイジ・ターゼットを認識しました。レイジ・ターゼットにスキルを与えます』
再び、さっきのような抑揚のない声がした。女性でもない、男性でもない、奇妙な声だ。
『レイジ・ターゼットに、スキルを装備させています……五分程度かかります』
僕の名前を言っている?
「誰だ!」
僕はこの奇妙な地下庭園の周囲に向かって、叫んでいた。
(さっき、謎の声が、「スキル」といってたけど、「スキル」って何だ? 聞いたこともない言葉だ)
『スキルとは、あなたへ与える、強力な能力のことです』
「こ、心を読み取った?」
僕は驚いて庭園を見回した。しかし、僕以外誰もいない。
「君は一体、誰なんだ? 姿を現してくれ」
『私は、この部屋の管理人です。名はありません』
「管理人? じゃあ、君に主人はいるの?」
『はい、部屋の主はおります。ただし、部屋の主の名前をお教えできません。部屋の主からは、主の名をお教えすることを禁止されています』
「わ、わかった。とにかく、君、ここに出ててきてくれよ」
『残念ながら、私には体がありません』
僕はゾッとした。
「じゃ、じゃあお化け、幽霊とかと話しているようなものなのか」
『そのようなお考えでよろしいかと』
「で、今、僕の体に何かしたのか? 僕にスキル、とかなんとか言ってたけど」
『はい、スキルをあなたに装備させています。あなたのスキルは……水面を見てください』
僕は、目の前にある池の水面を見た。この池がなんだっていうんだ? すると、池の水面に、金色の文字が浮かんできた!
そこにはこう書かれている。
『レイジ・ターゼットに、以下のスキルを装備させました。
【スキル】大魔導士の知恵 常人の七倍の判断力
【スキル】龍王の攻撃力 常人の七倍の攻撃力
【スキル】獣王の筋力 常人の七倍の筋力
【スキル】神速 常人の七倍の瞬発力
以上です』
「大魔導士、龍王、常人の七倍……これってどういうことなの?」
『簡単に言えば、あなたの能力が、普通の人間の七倍程度に変化したのです。パンチ力、ジャンプ力、キック力など』
「意味が分からないんだけど」
「では、外に出てみてください。意味がすぐ分かります」
「外?」
僕は地下庭園を出て、階段を上がった。僕が叔父さんの家の庭に出ると、そこには……。ドーソン叔父さんが立っていた!
「おい、お前、何やってんだ?」
や、やばいことが起こりそうだ……!
「お前……、その階段の下の扉を開けたんだな? フフフ、その扉はずっと開けることができなかったから、気になっていたんだ。鍵屋に頼んでも開きやしねえ。お前、中を見たのか? どけ、俺に見せてみろ」
叔父さんは、僕をにらみつけた。
「い、いや、あそこには何もないよ」
「ウソをつくんじゃない。ほう、お前、何か隠してるな? お宝でも見つけたか。どけ!」
「叔父さんには、この地下は関係ない。入ってもなにも無いよ!」
僕は何故かあの地下庭園を守らなければならない、という使命感に突き動かされて、声を上げた。
すると、庭に声が響いた。
『ドーソン・ルーゼントを認識しました。異分子は排除してください。レイジ、異分子は排除してください』
「はあ? 何だ?」
ドーソン叔父さんは、つるつるの頭をなで、空や庭を見回した。声は、地下だけではなく、地上の庭にも届くのか……。どういう仕組みなんだ?
「おい」
ドーソン叔父さんは僕の肩をドン、と押した。
「今の声、何だ? お前の仲間か何かか?」
「ない、仲間なんていないよ」
「隠し事しやがると、ぶん殴るぞ! お宝は俺のものだ。さあ、地下に案内しろ!」
ドーソン叔父さんは丸太のような右腕で、僕の胸ぐらをつかんできた。僕はとっさに、叔父さんの右手首をつかむ。
「ん? う、いてて」
叔父さんの右手首──右腕は、ギリギリと音をたてる。
え?
何だ、これ。僕の力? 僕をつかみ上げている叔父さんの右腕が、僕の力によって、逆にひねられている。
ど、どうしたっていうんだ?
バッ
叔父さんはあわてて、僕から右腕を離す。
「こ、このバカ野郎が……そんなに殺されてぇようだな」
叔父さんは物凄い勢いで、大振りの右ストレートパンチを繰り出した。スッ……と僕は体を沈ませた。頭の上を叔父さんのパンチがかすめる。
「お、おう?」
叔父さんは驚いたような顔をしたが、ブンブンとパンチを繰り出した。見える! 僕は叔父さんの二発のパンチをすべて、手で払い落した。
「お、お前ええっ! 生意気な。いつからそんな反抗的な態度ができるようになった!」
叔父さんは、渾身の力を込めて、左フックを繰り出した。こんな丸太のような腕のパンチ、当たったら、大変なことになる!
僕は必死の思いで、そのまま右腕を突き出した。
ガツン
物凄い音がした。
僕は、叔父さんのアゴに、自分の右パンチを叩き込んでいた。僕のパンチの方が、速かったのだ。完全に叔父さんのアゴに入った。
僕のカ、カウンター攻撃?
アゴは急所だ!
「ご、げ」
叔父さんはよろめき、庭の花壇につまづいて、地面に倒れ込んだ。そのまま動かない。ま、まさかそんな! あの屈強な叔父さんを、僕が殴り倒したっていうのか?
人生で、初めて人を殴り倒した……!
『ドーソン・ルーゼント、失神中。ドーソンの命に別状はなし。レイジの勝利確認』
また声が周囲に響いた。
叔父さんは、仰向けで、ピクピクと体を震わせている。確かに失神中らしい。
ここから逃げなければ!
僕は叔父さんの家から、逃げ出した。
翌日の朝八時半、僕はアリサと待ち合わせをして、エースリート学院に行くことになった。昨日の、地下室──「秘密の部屋」での出来事はなんだったのか。
それに加えて、確か、ドーソン叔父さんを殴り倒した気がしたけど……。
(あれは夢だったのかな?)
体には何にも変化はない。
幾分がっかり、少しホッとしながら、エースリート学院の門をくぐった。
エースリート学院は、ドルゼック学院とはかなり雰囲気が違っていた。
数々の最新の鍛錬器具が設置されている。一方、ドルゼック学院にも鍛錬器具はたくさんあるが、皆、中古で古いタイプのものばかりだったはずだ。
「ドルゼックよりは規模は小さいけど、エースリートは真面目に、武術に向き合っているって感じだな」
僕が感心しながらつぶやくと、アリサはフフッと笑った。
「サラさんって、生徒が強くなるものは、全部与えるって方針なのよ」
金持ちだが、ゆるやかな校風のドルゼックとは、真逆の雰囲気だな。こんな優良な学院に、僕が来て良いのだろうか? そんなことを考えながら、僕はアリサと一緒に学院長室に入っていった。
「失礼します」
僕はあいさつした。ん……? この学院長室……?
「待っていましたよ」
ルイーズ学院長の声が聞こえた。この学院長室、とにかく広い! 何と、体育館のような広さの、道場だ! その道場の真ん中に、ルイーズ学院長が目をつむり、一人であぐらをかいて座っている。
すると、彼女はカッと目を見開いた。
「サラさん?」
アリサは驚いて、声を上げた。
「レイジ、来たわね」
ルイーズ学院長はいきなり立ち上がり、ツカツカと僕に近づいた。なんだなんだ、急に? ルイーズ学院長は、僕の手の甲を手に取って、僕の「三ツ星のアザ」を見やった。
そして僕の顔をじっと見た。
まるで何かを見透かすような目だ。
「地下の、『秘密の部屋』に行ったのね?」
「えっ、分かるんですか?」
僕は驚いて、ルイーズ学院長に聞いた。
「あなたの体に、大変化が起こっていますよ」
「そんなバカな」
「『スキル』をもらったでしょう?」
僕はハッとした。確かにあの「秘密の部屋」で、「スキル」というものをもらった。ルイーズ学院長は、なぜかすべてお見通しのようだ。しかし、僕の体には全く変化はないじゃないか。
「あそこは、単なる奇妙なカラクリ仕掛けの地下庭園でしたよ。確かに変な声がして、『スキルを装備させた』と言うんです。でも、何もならなかった」
「確かスキルって……」
アリサが何かを思い出すように言った。
「神様からいただいた、天才的な能力とかのことを言うのよね?」
アリサがつぶやくように言うと、ルイーズ学院長はうなずいた。アリサは説明を続ける。
「昔から魔導体術に伝わる、奥義みたいなものでもあるらしいわ。『スキル』『能力』『奥義』色んな言い方があるらしいけど」
「へえ? そんなものがあるんだ。でも、僕には何も関係ない話だよ」
僕がのん気にそう言うと──。
「いいえ!」
ルイーズ学院長は真剣な顔で、叫んだ。
「あなたは完全に変化しています。私はその人物の『気』を見ることができるのです。もともとあなたに備わっていた能力が、引き出されていますよ。おめでとう」
「い、いや、何も変わっていないじゃないですか」
「いえ、大変化があなたに訪れました。あなたは大変なことになる。歴史を変える」
「れ、歴史? やめてくださいよ、そんな冗談……」
「私は冗談を言っていませんよ」
ルイーズ学院長は、ピシャリと言った。彼女の顔は真剣そのものだ。
「あなたはサーガ族の生き残りなのです。ゴブリンやトロールなど、魔物と互角に闘える、最強の魔導体術家……! それがあなたです」
ゴブリンやトロール? 屈強な魔導体術家たちが、無残にもあの魔物たちに、殺されるニュースが毎日のように報道されているじゃないか。あんなバケモノと闘ったら、確実に殺される。互角に闘える人類なんて存在しないよ。
「そ、それが本当だとすると、昨日、僕が叔父さんを殴り倒したのは……夢では」
「夢ではありません。本当の出来事です。私は私の執事の報告によって、この街のすべての出来事を知っています」
ルイーズ学院長は部屋の横に立っていた、若い青年を指差した。燕尾服を着ている。
「彼は私の執事、セバスチャンです。彼はああ見えて、魔導士でね。彼はあなたの叔父の家に出向き、扉を完全に閉める魔力を、扉にかけてくれました」
「じゃ、じゃあ、叔父さんはどうなったんですか?」
「あなたの叔父は、今朝、仕事に行きましたよ。さあ、私が用意したエースリート学院の魔術体術着に着替えなさい」
ルイーズ学院長はなおもそう言って、部屋のロッカーを指差した。随分、用意が良いなあ。こんな僕なんかに、どうしてここまでしてくれるんだ? アリサはロッカーから、着替えを持ってきてくれた。
僕は学院長室の小さい更衣室で、魔導体術着に着替える。
青いシャツ、魔導体術スパッツ、黒いアンダーシャツ。そして魔導体術家の証である青いローブ。へえ、これがエースリート学院の魔導体術着かあ。全体的に青を基調としているんだな。
なかなかカッコイイ……。いやいや、そんなのん気なことを言ってる場合じゃない。これからエースリートの新入生になるんだから。
着替え終わった僕を見てうなずいたルイーズ学院長は、今度は部屋の横に備え付けてある、「魔導拡声器」に向かって口を開いた。
『全校生徒諸君、これから、新入生の練習試合を行います』
魔導拡声器は学院中に響いている。ん? 新入生? 僕のことか?
『試合企画係は、すぐに試合場にある屋外試合用リングの準備をしておきなさい。新入生の相手は、武術系四年一組! ケビン・ザークを指名します。ケビンは準備しておきなさい』
はあああ? ケケケッケケケケケビン・ザーク? 昨日、僕が公園で、ボッコボコにされた、色男の山鬼じゃないか! 学院長、あんた何してんの!
「サラさん、ケビンとレイジを戦わせるの? 無茶だよ!」
アリサも驚いて叫んだ。
「ケビンはエースリートの三位だよ? レイジは病院送りにされちゃう!」
「そ、そうだよねー」
僕は小さく言った。まったくもって、アリサの言う通りだ。このチビの弱い体で、あのケビンと試合をしたら、病院送りどころか殺される。
しかし、ルイーズ学院長は、ギラリと僕をにらんで言った。
「覚悟を決めなさい! あなたは強くなったのです。そのうち、ドルゼック学院の学生英雄、ボーラスとも戦うことになるでしょう。そして元世界王者、デルゲス・ダイラントともね」
は? いやいやいやいや。それはない。ボーラスと? あのデルゲス・ダイラントと? 絶対にそれはない!
しかしルイーズ学院長は、僕に構わず話を続けた。
「それに一つ言っておきますよ! 言葉を改めなさい!」
「こ、言葉? ど、どういうことでしょうか」
「言葉は、『言霊』なのです。発する言葉によって、人生は変わる。あなたは弱々しい言葉ばかり並べているから、精神まで弱くなっているのです。これを機会に、『強い言葉』を発しなさい! さあ、外に行きましょう」
弱々しい言葉! 僕はドキッとしたが、これからあのケビン・ザークと戦うのだ。言葉なんて改めている余裕なんてあるわけないじゃないか。
「よくわからないけど」
アリサは僕に言った。
「サラさんの、『あなたは強くなった』って話、信じるしかないんじゃない? レイジ、とにかく試合場に行こう」
アリサは僕の腕を引っ張った。女の子の手、あったかい……。いや、そんな感動をしている場合じゃない。エースリートの生徒の皆さん、これから地獄のショーを見れるよ!
うう……帰りたい。僕はエースリート学院に来たことを完全に後悔し始めていた。
これから僕と、あの恐ろしい山鬼、ケビンとの対決が始まる!
僕はレイジ・ターゼット。魔導体術家を目指していたが、養成学校であるドルゼック学院を、追放という名の退学。僕はメチャクチャ弱い、はずだったのだが……強くなってしまった(らしい)。
なんだかんだで、エースリート学院のランキング三位、ケビン・ザークと試合することになってしまった。
(はあ……まいったなあ)
僕はアリサとルイーズ学院長と一緒に、エースリート学院の試合用コロシアムに向かった。
ドルゼック学院よりは小さいコロシアムだが、きれいな試合場だ。中央には最新の試合用リングが設置されている。
その最新のリング上には、あの赤い肌の山鬼族……ケビンが立っていた。セコンドのヤツらと笑って話をしている。ちきしょう、余裕だな。
「こっち向いて、レイジ」
アリサが、用意してくれた体術グローブ(指の部分がないグローブ。魔導体術試合では、必ず着用しなければならない)を僕の手につけてくれた。
「で、おまじない。一分はリングに立っていられますように」
アリサはグローブの拳部分を、ぽんぽん、と叩いた。適当なおまじないだな。一分も持つかな……。
僕はリング前に来た。周囲には観客席があり、すでにたくさんの生徒たちが座っていた。授業はこの試合のために、休止になったらしい。なんてこった。
僕は試合用リングを見上げた。観客の生徒たちは、まさかチビでヒョロガリの僕が、ケビンのような強う男と闘うなんて、誰も思っていないだろう。
「さ、お行きなさい。何も心配はいらない」
ルイーズ学院長は、僕を強引に、リング上に押し上げた。そして自分は審判席に座り、アリサにも声をかけた。
「アリサ、あなたはレイジのセコンドについてあげなさい」
「あー、言うと思った。本当は男子のセコンドにはつかない主義だけど。レイジには借りがあるから、今日は特別」
アリサは嬉しいんだか悲しいんだか、よく分からないことを言っている。
さて、見るからに弱そうな僕がリングに上がってきたのを見て、首を傾げたのは、ケビンだった。
「な、なんだ、お前は?」
「あ、そ、その」
僕は戸惑いながら言った。
「あ、あなたの相手の新入生、レイジ・ターゼットです」
ケビンは眉をひそめた。すると、「あっ」と声を出した。
「お前、昨日の! 俺にボコボコにされたヤツか!」
「あ、そ、そうですけど」
「え? 何で俺が、昨日、ボコボコにした君と闘わなくちゃならないの?」
「さ、さあー? でも、ぼ、僕はあなたと闘わなければなら、なら、ならなくなりました」
僕は緊張して、ろれつが回っていない。
するとケビンは頬を膨らまし、セコンドの仲間と一緒に、ギャハハハハと笑いだした。
「おいおいおい、マジかよ。君、本気なの? 本気で俺と試合するつもり?」
ケビンは見たところ身長183センチ前後、体重78キロ前後。魔導体術家としては理想的な体格だ。一方、僕といえば、身長156センチ、体重58キロ。
ドラゴンと子犬が闘うようなものだ。常識で考えれば、闘う前から勝負はついている。観客席からも失笑がもれている。
僕は怖くて恥ずかしくって、逃げ出したくなった。
「いやいやいや~、まいったな」
ケビンは苦笑いして、審判席についているルイーズ学院長を見た。
「学院長~、冗談はやめてくださいよ。このチビの新入生、俺のパンチで死んじゃいますよ」
「冗談でも何でもありませんよ。この新入生、レイジ・ターゼットと真剣勝負で闘いなさい」
僕は頭がクラクラした。真剣勝負うぅぅ? ななななな何言ってくれちゃってんの~、この学院長!
「ほ、本気ッスか?」
ケビンは目を丸くしている。無理もない。
「ケビン、闘わないと、不戦勝とみなしますよ。あなたの成績にそう残ります」
「悪い冗談だろ~。昨日、俺がボコッたヤツじゃん」
ケビンはブツブツつぶやいた。
「しょうがねーなー。レイジ君、ちょっと遊ぼうか~」
観客席はドヨドヨドヨっとざわめいている。一体、この光景は何なんだ? 学院三位の男、ケビンが、チビでヒョロガリの僕と真剣勝負を行うという。こんなバカな話があるか? ルイーズ学院長は、いったい何を考えているんだろう?
はい、観客席の生徒の皆さん、あなた方は正しいです。僕はそう言いたかった。
「不戦勝になっちゃうなんて、不名誉だなあ。成績にも響くし。じゃあレイジ君、ちょっと軽~く、いくからね」
ケビンは半笑いしながら、上から軽いパンチ──左ジャブをゆるーく打ち下ろした。身長差があるから、ケビンもパンチを打ち下ろさざるを得ない。
僕はそのパンチを避け、ケビンのお腹にチョンとパンチを当てた。目の前にケビンの体しかないんだから、仕方ない。
お、うまい具合に、カウンターになったぞ? それに、体がやけに軽いな?
「お? うう?」
ケビンは首を傾げている。
……なんだ? 僕はの体は、羽が生えているように軽かった。そして、拳がうずいている。
もしかして僕は、本当に強くなったのか?
そう、僕は本当に強くなったのだ。
僕は、恐ろしい山鬼族の生徒、ケビンと闘うことになってしまった。
僕の体格は156センチ、58キロ。しかし、目の前の生徒、ケビンの体格は……約182~184センチ、おそらく77~78キロくらいだ。
常識で考えれば、殺される。
しかし、試合は始まってしまっている!
ケビン、今度は左ジャブと右ストレート。つまりワンツーパンチだ。今度は多少速い。僕はその二連のパンチを腕で受け、今度は彼の脇腹にボディーフック。つまり左横からの大振りのパンチ。チョンと当てる。
何と、これも見事にカウンター。
「うっ、くっ」
ケビンは何かを感じたようで、僕から離れた。観客はドッと笑った。
「おいおいおい~!」
「ケビンちゃんよぉ!」
観客たちはあおりはじめた。や、やばい。ケビンが怒るぞ。
「そんなヒョロガリ相手に、何やってんの?」
「遠慮せずに、ボコッちゃえよ~。そんな野郎」
僕はあわてた。み、身勝手なことを言いやがって! ケビンが本気になっちゃうだろ。僕が心の中で文句を言っている時、ケビンは決心したようだ。
今度は左ジャブ三連打! 僕の顔に向かって、軽いパンチを打ち下ろす! 今度はスピードが速い! しかも魔力が込められていて、拳に青白い光がまとわりついている。本気の左ジャブだ!
シャシャシャ!
僕は全て……よけた! 体をそらし、腕で受け、三発目は肩で防御した。見える……! ケビンのパンチが全部見える。何だ? そうか、「ミット持ち」の経験が活かされているのか?
そして、この光景には見覚えがある。昨日、ドーソン叔父さんのパンチをすべて手で払い落した時だ! あの時、叔父さんのパンチが、全て見えていた。
「な!」
ケビンは真っ青な顔だ。
「お、お前?」
すると今度はケビンは本気で、左下段蹴りだ! これは足の太ももを攻撃するのではなく、足首を刈りにいく攻撃だ。つまり、僕を転ばせるための攻撃なのだ。
これをやられたら、ケビンは調子づいてしまうはずだ。
避けなければ!
シュ
僕は無意識にジャンプしていた。そして……僕は左フックを、ケビンのアゴに決めていた。
ケビンが、「あぐ」という声を出したのを聞いた。
僕は、完全に彼のアゴをとらえた。完璧な一撃だった。スピード、タイミング、すべて完璧だった……。
ドサ
ケビンが倒れた。……ケビンが倒れた! リング上に尻持ちをついている。セコンドであぜんとしているアリサの顔が見える。
僕もあぜんとしていた。何が……起こったんだ? 僕が本当に、ケビンを倒したのか?
ドヨドヨドヨッ
観客席がざわめいている。衝撃的な光景だ、無理もない。
「ケビンが倒れたぞっ! エースリート三位のケビンがダウンだ!」
「おいおいおいおい! あの弱そうなヤツに倒されたぞ!」
「なんだこれ、なんだこれ~!」
ルイーズ学院長は即座に魔導拡声器を使い、『カウント! 1、2、3、4』と声を上げた。
「ま、待て……や! こらあああっ!」
ケビンがフラフラになりながら、立ち上がった。そう、僕はケビンをダウンさせたのだ。練習試合で、ボーラスたちからダウンさせられるのは、ほぼ毎日だった。しかし、今、僕はケビンという強敵を、逆にダウンさせている!
何が起こっているのか、よく分からない。でも僕は、なぜか少し落ち着いている。
「てめえーっ、うがあああーっ」
ケビンは僕に両手で掴みかかった。逆上だ。僕の魔導体術着の胸ぐらをつかみ上げ、投げた!
しかし僕はリング上でゴロリと回転し、投げの威力を最小限にして、そのまま立ち上がった。
彼が何をしてくるのかが、完全に予測できた。だから受身をとれたのだ。
「そんな技は効かない」
僕は勇気を出して言ってみた。
「ひ、ひい、な、何だ、お前はよぅ……」
ケビンの顔は真っ青だ。お、おや? 意外に言葉の効果があったようだ。ケビンは動揺している。無理もない。こんな弱そうな僕にパンチを全てかわされ、ダウンさせられたのだから。
「し、仕方ねえっ!」
ケビンは真っ青な顔で、十歩も後ろに下がる。何をする気だ?
「砕け散ってもらうぜ、ガキィ!」
観客はざわめいた。
「おい、やべぇぞ!」
「ケビンの必殺技だ」
アリサは声を上げた。
「レイジー! あいつは、『ケビン・タックル』をする気よ! よけてぇ!」
ケビンは僕に向かって走り込んでくる。あの巨体で、体当たりをされたら、ひとたまりもない。今までの僕ならば。
ドガッ
音がリング上に響いた──。
僕の右飛び膝蹴りが、ケビンのアゴに入っていた。
──完璧だった。
リングに音が響いた。
僕の右飛び膝蹴りが、ケビンのアゴに入っていた。僕は大きく飛び上がって、膝蹴りを繰り出したのだ。
「ごえ」
ケビンはうめき声をあげながら、後ろに倒れる。彼が、「ケビン・タックル」を繰り出してきたので、カウンターの状況になった。しかも僕の膝蹴り自体も、全体重が乗っていた。
……ケビンはピクリとも動かない。失神しているようだ。
カンカンカン!
その時、ゴングが鳴った。
『勝者! レイジ・ターゼット! 四分二十秒、KO勝ち!』
ルイーズ学院長の魔導拡声器の声が響いた。静まり返る校庭。倒れているケビン。ぼんやりして立っている、魔導体術家としては貧弱な体の僕。
一体、何が起こっているんだ?
「や、やったああああー!」
リング上に駆け上がってくるのはアリサだった。
「どうなっちゃってるのー! レイジ、すごおーい」
アリサは僕を抱きしめたが、すぐにハッと気づいて、僕から離れた。アリサの顔は真っ赤だ。
「あ、これは勢いで……。今のは無し。でも、おめでとう……」
それを呆然と見ていたのは、観客の生徒たち……。そして、仲間達に頬を叩かれ、失神から目を覚ましたケビンだった。
彼はリング上に座りながら、僕をぼんやり見て口を開いた。
「お、おい。一体何なんだ、お前……。教えてくれ……教えてくれよ。何が起こったんだ。俺は負けたのか……」
ケビンはそう言いながらも、目は泳いでいる。するとルイーズ学院長は、簡易の魔導拡声器で声を上げた。
「このレイジ・ターゼットは我が校の新入生です! 彼は小柄ですが、ランキング三位のケビンを倒しました!」
そして続けた。
「私が特別に、我がエースリート学院に編入させたのです。今後、生徒諸君は、レイジ・ターゼットと仲良くするように!」
僕は、本当に強くなったのか。信じられない。夢じゃないだろうか。あんなに弱かった僕が、あの恐ろしい山鬼族、ケビンを倒してしまうなんて。
観客の生徒たちは、まだ騒然としている。
その時!
ケビンは僕を目の前にして、口を開いた。
ひいいっ! な、何か言うぞ!
「こんなのは、偶然だ……。そうだろう」
「は、いや、そうなのかな……」
「ちきしょう、こんなはずじゃない……こんなヤツに……」
ケビンは拳をリングに叩きつけている。
「くっ、この野郎」
ケビンは顔を上げて、僕をにらみつけた。うわっ、ヤバい!
しかし、ケビンの表情はフッと柔らかくなった。
「だが……実力はお前の方が、全然上だった」
ケビンはリング上にあぐらをかいた。
「圧倒的な実力差だ。俺の負けだ」
ケビンが……僕を認めた?
すると、ケビンは両膝をリングについた。うわぁ……えらいことになってきた。
「お前はすごい。強さに関しては、チビだとかヒョロガリだとか関係ねえ」
「ケ、ケビン」
ケビンは震えている。や、やばいぞ。どうしたんだ?
「た、た、頼むっ! 俺を君のお友達にしてくれええーっ!」
はああああーっ? お友達ぃ?
ケビン、君、そんなんで良いのか。ケビンは僕の腕を掴んだ。
「ね、お願い! そうだ、団体戦のメンバーになってくれ。今度、俺たちはドルゼック学院のヤツらと公式試合を行う。ボーラスってヤツらと試合を組んでるんだ。その試合のために、一緒に闘ってぇくれえ!」
ボボボボボボーラス! ムリムリムリ! ムリムリムリ! しかし、僕の声などは誰も聞いていない。生徒たちから割れんばかりの拍手が巻き起こっている。
「す、すげえヤツがあらわれた! 体は貧弱だけど!」
「わけがわかんねえけど、とにかくレイジは、俺たちの仲間だ!」
「レイジ、お前は最強になれるぞぉ! 我がエースリートの新星だ!」
その光景をギロリと見ていたのは、ケビンの仲間の一人だった。体格はそれほど大きくない。身長175センチ、68キロくらい? 魔導体術家としては中量級といった体格か。黒髪で、眼鏡をかけていて、真面目そうな少年だ。パッとみたら、魔導体術をやるような人間には見えない。しかし目は物凄く鋭い。ケビンよりある意味怖い……。
アリサは彼に気付くと、僕に耳打ちした。
「あいつはベクター・ザイロスってヤツ。このエースリート学院、ランキング一位よ。もしかしたら彼、あなたに何か仕掛けてくるかも。三位を倒しちゃったんだからね」
「えええ……っ? 生徒を試合で倒すと、つけ狙われるの?」
「そりゃそうだよ。みんな、『強さ』に関心があるからね。強い君に、興味があるのよ」
「か、関心! 興味!」
僕に関心だって? 興味だって? こんなに目立たない、バカにされ続けてきた僕なのに。
エースリート学院では、アリサとルイーズ学院長……とケビンだけが、弱かった僕を知っている。ともかく、この強さは一体何なんだ? あの地下室──「秘密の部屋」は何だったんだ? ルイーズ学院長なら知っているはずだ。すぐに、問いただしてみなければ!
◇ ◇ ◇
その頃……グラントール王国北部、ライドー山の中腹では……。
自然豊かな山の広場で、ドルゼック学院の英雄たち、ボーラス、エルフ族のジェイニー、ホビット族のマークたちがキャンプを行っていた。来週、エースリート学院との公式試合があるので、そのための特訓に来ている。魔導体術の特訓キャンプは、教師の許可があれば休日でなくても許されるのが普通だ。
ボーラスたちはログハウスの前のベンチに座って、何やら話していた。彼らの中には、見慣れない獣人族が一人いた。狼男系の獣人族《じゅうじんぞく》だ。
「よし、今度のエースリート学院との公式試合、俺たちが完全に勝利するぞ」
巨漢のボーラスが三人に言った。マークはニヤリと笑った。
「今の状況はこうね。いでよ、ランキング情報!」
ジェイニーは自分の魔法で、空中に光る掲示板を表示した。ジェイニーはエルフ族で、簡単な魔法が使えるのだ。
その情報板には金色に光る文字で、こう書かれている。
『学生魔導体術学校、学院ランキング』
『1位 宮廷直属バルフェス学院 生徒数300人 今年度勝利数124』
『2位 グロウデン学院 生徒数3200人 今年度勝利数120』
『3位 ギルタン学院 生徒数2300人 今年度勝利数100』
『4位 ドルゼック学院 生徒数8000人 今年度勝利数99』
『5位 エースリート学院 生徒数1000人 今年度勝利数97』
マークはうなずきながら言った。
「先輩、俺らドルゼックは、今度の公式試合でエースリートに二回勝てば、ランキング三位に浮上します。ギルタンは公式試合は今月はしないそうですし。エースリートは、あのデクノボーのケビンがメンバーに入るらしいッス。ヤツはバカだから、攻略しやすいッスよ」
「最高ね」
ジェイニーは腕組みをして言った。
「三位ともなれば、雑誌の取材がくるわよ。私も、ファッションや化粧にもっと気を使わなくてはならないわね」
「ワハハ! そうだ、俺たちはどんどん昇り詰める!」
ボーラスはゲラゲラ笑った。
「なんせ俺の親父は第九十代世界大会優勝者、デルゲス・ダイラントだからなあ! 後ろだても凄い。安心して練習しようぜ!」
ボーラスはまた笑った。最近出てきたお腹のぜい肉が揺れる。すると、獣人族の男──アルザー・ライオが口を開いた。彼は、レイジ・ターゼットの代わりに練習メンバーに加入した。
「で、俺は何をすればいいんだ? 練習実践試合か? 組手か? いつでもやってやるぞ」
「お? おお、アルザー」
ボーラスは頭をかきながら言った。
「いや、違う。お前の役目は、そういった実践練習の相手じゃないんだ。団体戦正式メンバーじゃないからな。ミット持ちをしてもらいたいんだ」
「ミット持ち?」
アルザーは眉をひそめた。ボーラスは笑いながら口を開いた。
「そうだ。パンチングミットを持って、俺たちのパンチや蹴りを受けてもらいたい」
「何? 練習試合や実践練習はさせてくれないのか?」
「ああ、ま、まあそういうことだ。だって、お前は俺たちがよっぽどの怪我をしないかぎり、公式試合には出られないわけだから。団体戦は三名……つまり俺、ジェイニー、マークと決まっているからな」
ボーラスはそう言ったが、アルザーは黙っていた。
「とにかく俺たち、ドルゼックの英雄メンバーに入れるだけで、凄いだろう」
「まあな」
アルザーは首筋をポリポリかきながらつぶやいた。ちなみにボーラスたちの後ろにあるログハウスは、ボーラス・ダイラントの父、デルゲス・ダイラントが所有する別荘だ。デルゲス・ダイラントの別荘は、世界に十二もあるらしい。
山の草原広場で、ボーラスたちの練習が始まった。
しかしこの後、ボーラスたちは気付かされることになる。練習メンバーをやめさせ、退学までさせてしまったレイジが、どれだけ自分たちに貢献していたのかを。
ボーラスたちは、グラントール王国北部、ライドー山の中腹でキャンプをしていた。エースリート学院との公式試合に備えて、山で特訓をするためだ。ちなみにボーラスたちは、レイジがエースリート学院の三位を倒してしまったことを、知るよしもなかった。
ボーラス、ジェイニー、マーク、新人のアルザーたちは、まず昼食、腹ごしらえをすることにした。屋外で、自然に囲まれながらの食事だ。
四人は専属シェフの焼いた肉を、食べ始めた。脂肪がたっぷりついている肉を、腹一杯。
彼らはすっかり忘れていた。試合前や練習前に、レイジが脂肪分を抜いた、果物類のエネルギー食を作ってくれていたことを。ボーラスたちはきっと、この後の練習中や練習後、体が重くて仕方なく感じるだろう。
さて、腹ごしらえが終わると、ミット打ちの練習をすることになった。パンチングミットを持つ係は、もちろん新人練習パートナーの狼系獣人族、アルザー・ライオ。
ボーラスはアルザーに言った。
「ようし、ミット打ちを開始するぞ。まずはパンチだ。アルザー、いいか?」
「いや、ちょっと待ってくれ。……慣れてないんでな」
アルザーはパンチングミットを両腕につけるのに、手間取っているようだ。ボーラスはイライラしたが、新人練習パートナーを怒鳴りつけるわけにはいかないので、黙っていた。
「ああ、これでよし」
アルザーは立ち上がって、ボーラスの方を向いた。
「ようし! いくぞ、アルザー」
ボーラスは渾身の右フックを、アルザーのミットに叩き込む。
ボフン!
今度は左ストレート!
ベフン!
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
ボーラスはあわてて、アルザーに言った。
「おい、ミットの音が変じゃないか? もっと、バシン! とか、バーンとか、良い音が出るもんだろう?」
「え? そんなもんか? よくわからんが」
「頼むよ、アルザー。試合が近いんだからさ。じゃ……じゃあ続ける」
ボーラスの右ボディーブロー! ボーラスのパンチが、アルザーのパンチングミットに飛び込む。
ボヒッ
「……おいおいおい! やっぱり音が変だって。豚の鳴き声かよ!」
ボーラスが文句を言うと、プライドの高い獣人族のアルザーは、不満顔で言葉を返した。
「俺のせいだってのか?」
「え? そ、そうじゃねえけど、ミットはパンチが当たった瞬間、少し前に出すんだ。グッと。良い音がしないと、俺らも気持ちよく打てた気がしねえんだよ」
「そうなのか」
アルザーは首を傾げている。後ろでは、二人のやり取りを、ジェイニーとマークーが見ていた。
「大丈夫? あのアルザーってヤツ……」
ジェイニーが眉をひそめた。マークもうなずく。
「変な感じッスね」
「そういえば、レイジがミット持ちをしてくれていた時なら、パーンとか、バシンとか、良い音が出ていたわ」
「そ、そうだったッスか?」
「ミットとパンチが当たる瞬間に、ミットを前に突き出さないとダメなのよ。レイジはその点、うまくやってた」
「ま、まあ、確かに」
今度はボーラスの右フック!
パンッ!
今度は良い音がした。しかし、アルザーは何も言わない。黙って、次のボーラスのパンチを待っている。
「いやいや、アルザーさあ」
ボーラスはイライラしながら言った。
「パンチ、どんな感じか言ってくれよ」
「ああ? どんな感じ?」
アルザーは首を傾げた。
「普通のパンチじゃねえのか?」
「いや、そうじゃなくて……」
ボーラスは何とか説明しようとしているが、伝わらない。後ろで見ていたマークは、ジェイニーに言った。
「あそこは、『いいね!』『良いパンチだ』とか、褒めるべきだと思うッス」
「ええ、そうね」
「パンチを打っている側が、気持ちよく打てないと、こっちもやる気でないスから」
「……レイジなら、褒めてくれてたわ」
「え? そ、そうッスね」
「よし、じゃあ、今度は私よ!」
ボーラスが今にも怒鳴り散らしそうな雰囲気を見てとったジェイニーが、アルザーに言った。
「今度は、私が得意の蹴りをするから。中段前蹴り。ミットを腹の辺りに構えて。当たった瞬間に、ミットを前に突き出してちょうだい」
「え、ああ」
アルザーは、代わりにキック用ミットを腕につけた。何だかやりにくそうだ。
一方、ジェイニーも何だか体の重さを感じていた。さっき、脂肪分やっぷりの焼肉を食べたからだ。もしレイジだったら、果物などのエネルギー食を作ってくるだろう。エネルギー食を食べていないから、エネルギーが効率よく消費されず、体が重く感じるのだ。
「ハッ!」
ジェイニーが得意の、前蹴りを突き出す。
パフッ
あんまり良くない音だ。ジェイニーは、再び前蹴り。ライザーはあわてて、キック用ミットを前に突き出す。
グキッ
「ん?」
ボーラスとマークはジェイニーを見た。変な音が……。ジェイニーはすっ転んでいる。
「だ、大丈夫か!」
ボーラスたちはジェイニーのそばに近寄った。ジェイニーは足首を押さえて、苦悶の表情を浮かべている。
「あ、あいたた……足首をひねったわ。蹴りが当たる瞬間に、キックミットを強く、前に突き出されたからよ」
するとアルザーは舌打ちした。
「あんたらがそうやれって、言ったんじゃねえか。蹴りもパンチも下手くそなんじゃねえのか、あんたら。さっきから俺のせいばかりにしやがって」
「て、てめえ」
ボーラスはアルザーに詰め寄った。
「メンバーに怪我させやがって! どういうつもりなんだ」
「知らねえよ! 俺は言われた通りやっただけだ!」
アルザーは腕に付けたミットを外して、地面に叩きつけた。
「あー、やる気なくしたぜ。来るんじゃなかった」
それを見ていたマークが、ボーラスに言った。
「レイジ先輩なら、あんな風に口答えみたいなこと、しませんでしたよね」
「ま、まあな。あいつはおとなしいからな」
「それにレイジ先輩のミット持ちで、怪我なんて一回も起こしたことはないッス」
するとジェイニーは足首をさすりながら口を開いた。アルザーは向こうの方で、ふてくされている。
「レイジのヤツ、呼び戻せないの?」
「ああ?」
ボーラスは、ジェイニーのいきなりの発言の困惑気味だ。
「だってさ、レイジの方がミット持ち、うまいじゃん。これじゃあ練習にならないわよ。戻ってきてもらえないわけ?」
「そ、そんなことできるわけねーだろ」
ボーラスはフン、と鼻で息をしながら言った。
「あいつを退学……追放させちまったんだからな。まあ、気にするんじゃねえよ。ミット持ちくらい、代わりはいくらでもいる。レイジなんて弱い野郎は、俺らのメンバーにいらねえんだ」
「そ、そッスよね!」
マークは幾分、気持ちを取り戻したようだ。
「弱い野郎は、メンバーを追い出して正解。ボーラス先輩は正しいッス」
「だろ?」
ボーラスは胸を張った。向こうではアルザーが、まだふてくされて、山の方を見ている。一方、ジェイニーは、足首を押さえてまだ痛がっている。
練習にはなりそうもない。
「ったく、つかえねーヤツらだな」
ボーラスはチッと舌打ちして、小声でつぶやいた。
「まあ、ミット持ちは、別のヤツを親父に探してもらえばいいよ」
「デルゲス・ダイラント学院長なら、すぐに探してくれるっス!」
マークはボーラスの言うことにうなずいた。自分もいつか、「つかえねー」と言われるのではないかと、ちょっと恐ろしくなったが。
さあ、一週間後はあのエースリート学院との公式試合だ。そのエースリート学院のメンバーに、あの弱かったはずのレイジが、メンバー入りしそうなのを、ボーラスたちはまだ知らない。