僕の右ストレートパンチが、ベクターの耳の後ろに入った。完全に手ごたえがあった。あそこは急所だ。
僕はサッと、元の防御の体勢に身構える。
ベクターは……! ギロリと僕のほうをにらんだ。そして!
膝から崩れ落ちた……!
カンカンカン!
というゴングの音が鳴った!
『勝者! レイジ・ターゼット! 五分三十秒、KO勝ち!』
ドオオオオオオッ
すさまじい観客の生徒たちの興奮の声だ。
「や、やっちまいやがったぁ!」
「我が校のランキング一位を倒しちまったぞ!」
「あの新入生、すげえ、すげえええ」
レイジ、レイジ、という歓声が鳴り響く。
アリサはすぐにリング上に上がり、タオルで汗をふいてくれて、グローブを取り外してくれた。
「すごいことだよ、レイジ」
「あ、うん。ベクターは強かったよ」
「ベクターを倒したのが、すごいってのもあるけど」
アリサは首を横に振りながら、言った。
「ベクターを倒したってことは、エースリート学院のトップになってしまったってことよ! 新入生のあなたが。体格の小さいあなたが。エースリート学院、ランキング一位よ!」
「え? ああ、そうだっけ?」
すると、ルイーズ学院長もリングに上がってきた。
「ベクター!」
ルイーズ学院長は、ベクターに言った。ベクターはぼんやり悔しそうに、ルイーズ学院長を見る。
「敗因は、分かっているわね。『かかと落とし』。それが敗因」
「え? でも」
アリサが首を傾げた。
「かかと落としは、強力な技でしょう?」
「いいえ、超上級者ならば、かかと落としを連撃技に織り込むのは良いでしょう。しかし、まだ技術が未熟な学生の試合では、自らを危険に招く技となってしまう」
「ど、どうして?」
「足を上に掲げる。下に落とす。二つの動作をしなければならない。この二動作の間に、相手の選手は隙を見つけ放題よ」
ベクターは、拳をリング上に叩きつけた。
「そ、その通りです! 僕には見栄やプライドがあり、見た目のよい攻撃を選択しました。その隙に、レイジに急所を打たれました!」
そしてベクターは僕を見た。
「レイジ!」
「ひ、うわ!」
僕はびくついた。
「僕はミスをした。だが、レイジ。こんなことで、僕に勝ったと思っているのか……」
「いや、まあ……」
「認められん! 計算上認められん!」
ベクターは悔しそうに拳を震わせて、また僕を見た。
「しかし……僕の計算を超える人間がいることは分かった」
「ベ、ベクター」
「そうだな、それを認めなくちゃ、強くはなれないな。計算上は」
なんだか計算に恐ろしくこだわっているけど、気持ちは分かった。そして彼は言った。
「試合前に、無礼なことを言って、済まなかった。この通り、謝罪する。そして君を称える」
ベクターは、リング上に両手をついて頭を下げた。
土下座かぁああ……。まいったな~。魔導体術の学生って根が真面目な人が多いからなあ。
するとルイーズ学院長が、パンパン、と手を叩き口を開いた。
「はいはい、静かに! 試合が終われば、君たちはエースリート学院の仲間同士よ。じゃあ、決まったわね」
「サラさん、何が?」
アリサは聞いた。するとルイーズ学院長は、魔導拡声器を用意しながら、叫んだ。
『それでは、一週間後、王立ランダーリア体育館で行われる、ドルゼック学院との公式試合の団体戦メンバーを発表します!』
ドヨドヨドヨッ
観客席の生徒たちは顔を見合わせている。げえええっ! ド、ドルゼック学院の公式試合! まさか、まさか僕もその中に……! いや、僕は新入生だから、免除してくれるかも。
『第一メンバー、ケビン・ザーク! 相手は、ジェイニー・トリア!(この試合は男女の対戦試合である。男女の試合の場合、「顔への攻撃」「寝技」は禁止のルールになる)第二メンバー、ベクター・ザイロス! 相手はマーク・エルディン! そして……』
ルイーズ学院長は僕を見た。
『第三メンバー! 大将の役目を務めるのは、レイジ・ターゼット! 相手は、ドルゼック学院のNO1、ボーラス・ダイラント!」
ドオオオッ
観客の生徒たちは歓声を上げた。みんな、喜んでいるけど、僕は失神しそうだった。だって、相手はあのボーラスだよ? 僕をドルゼック学院から追い出した、張本人!
ど、どうなっちまうんだ……!
◇ ◇ ◇
その頃、ドルゼック学院の英雄メンバー、ボーラス、ジェイニー、マークはグラントール王国南の、ラータイムの街を馬車で移動していた。これからゾーグール学院に出稽古に行くためだ。
あのミット持ちの獣人族、アルザーはさっさとやめてしまった。
「まあ、あんなヤツがいなくても、俺らは優勝候補の一角だからな」
ボーラスは腕組みをして、ふんぞり返りながら言った。ジェイミーとマークもうなずく。
「そういや、レイジって弱っちいヤツもいましたね」
マークがそう言うと、ボーラスはクスクス笑った。
「そんな野郎、いたな! あいつ、今頃、公園の草むしりのアルバイトでもしてるんじゃねえのか?」
三人はゲラゲラ笑った。
さて、アルザーの代わりに──ではないが、今日は学生魔導体術研究員の、ドミー・ランディーを連れてきている。キノコのような髪形をしていて、小柄だ。魔導体術の経験はない。魔導体術を魔導科学の角度から研究する、ドルゼック学院の学生だ。彼は、魔導体術の研究課題のために、ボーラスと一緒に同行することになった。
四人を乗せた馬車は、大通りを抜け、ゾーグール学院の方に向かう。ボーラスたちは、ゾーグール学院に出稽古に行くのだ。
ボーラスはドミーに聞いた。
「よお、ゾーグール学院ってのは、どんなヤツがいるんだ?」
「『街コボルト族』ですよ。小鬼の一種ですが、街に住む平和的なコボルトです。普通のコボルトだと、山の中にいて、好戦的ですがね。彼らは筋力がありますが、小柄です。身長はだいたい平均、155センチから160センチ前後ですか。春期大会の団体戦では、三十四位だったかな?」
「ガッハッハ! 三十四位だってよ!」
ボーラスは笑った。ボーラスたちは春季大会の団体戦成績は、四位だ。天と地との差がある。
「まあ、エースリート学院の公式試合前の練習相手としちゃあ、肩慣らしにピッタリだな!」
「でも、なかなか強いですよ。街コボルト族は根性があるし、打たれ強いことで有名ですからね。えーと、ゾーグールの生徒たちとの合同練習は明日からですね。今日は、歓迎食事会です」
「歓迎食事会か。俺たちは大会四位なんだから、まあ当然の待遇だ」
ボーラスはまたゲラゲラ笑った。
「かわいそうだけど、俺らの足元にもおよばねえよ! 練習試合で、いっちょ遊んでやるか!」
◇ ◇ ◇
──十分後、ボーラスたちは、ゾーグール学院に到着。
「ようこそ、ようこそ! ボーラスご一行様!」
ボーラスたちがゾーグール学院の校門をくぐると、そんな斉唱がこだました。生徒たちが校庭に整列して待っていたのだ。その数、五百名。小柄な街コボルト族たちが、ボーラスたちをあこがれの目で見ている。口には牙が生えているが、皆、きちんと整列している。
すると、燕尾服を着た街コボルトの中年男性が、ボーラスに握手を求めてきた。
「ようこそ、ボーラスさん、ジェイニーさん、マークさん、ドミーさん。よく来てくださいました。私はゾーグール学院の教頭、バルボーです。さあ、今日は歓迎会です。明日から合同練習をしましょう」
「おお、やってやるよ」
ボーラスはバルボーの握手に答えた。
「さすが、ドルゼック学院の学院長、デルゲス・ダイラント様の御子息でいらっしゃる。余裕ですなあ。ささ、こちらへ。皆さんの宿泊所が、学院内にありますので」
ボーラスたち三人は街コボルト族の生徒たちから、握手を求められている。やはり、団体戦四位の栄光はすごいものなのだ。新聞にも試合結果が出たくらいだ。
「はっはっは! 最高の気分だぜ」
ボーラスは街コボルト族たちの花道をかきわけて、校庭を歩いていった。
明日、自分たちの自信が、グラグラと揺れだす事態が起きることも知らずに……。
その夜、ボーラスたちは、ゾーグール学院の歓迎食事会に招かれた。そこで、ラータイム名産の牛肉ステーキを夕食に出された。
肉汁がしたたり落ち、脂肪分もたっぷり。肉質も信じられないほど柔らかい。焼き方はレア。舌がとろけるようだ。
付け合わせは高級キノコ、ランビシャスのバターソテー。こたえられない芳香が、口の中に広がる。バターの塩加減、まろやかさも良い。
するとジェイニーが心配そうに言った。
「そういえば、レイジが言ってたけどさ」
「ああ? あんな野郎の話をするなよ」
ボーラスが不満顔で言う。ジェイニーは続けた。
「エースリート学院との公式試合は一週間後でしょ? レイジのヤツ、試合一週間前は、絶対に油っこい食べ物は食べちゃダメだ、と言ってなかった?」
「ああ? 言ってたような気がするな」
「私たちもその話は一理あると思って、ずっと食事には気を付けてたじゃない? でも最近、キャンプの時も焼き肉をたらふく食べたし……。今日も、焼肉とかステーキとか、バターソテーとか……。こんなに油っぽいものを食べちゃって大丈夫かしら」
「大丈夫だろ。食事なんて試合には関係ねえよ。安心して食えよ」
マークといえば、かたっぱしから並べられたご馳走を食べまくっている。一方、魔導体術研究者のドミーは、食事会は苦手らしく、出席していない。街で惣菜パンを買って、部屋で食べるそうだ。
「ラータイム牛のステーキってここでしか食べられないんですってね。……ああ、美味しい」
ジェイニーはステーキを頬張って食べた。ボーラスもジェイニーもマークも、少し……太ったようだ。
◇ ◇ ◇
翌日、ボーラスたちは、ゾーグール学院の体育館に案内された。体育館では、街コボルト族の選手たちと、約束組手をすることになった。
約束組手とは、ペアになった相手に、技を一手ずつ繰り出す対人練習である。
ボーラスは街コボルトのリーダー、レビンと約束組手をした。
約束組手を一時間ほどして、休み時間になった。
ボーラスも、ジェイニーも、マークもヘトヘトになり、ベンチに座り込んだ。
「おい、体が重いぞ。くそ、約束組手なんかでこんなに疲れるなんて、初めてだ」
ボーラスは言った。マークもうなずいた。
「うう、何だか息切れしたッス。やっぱり、昨日の食い物が悪かったんスかね」
「いえ、息切れの原因は、他にもありますよ」
すると、体育館についてきた魔導体術研究員のドミーがボーラスに言った。
「あなた方、練習前に、エネルギー食を食べましたか?」
「ああ?」
「ほら、街コボルトを見てください」
休憩している街コボルトたちは、生の芋をバリバリ食べている。
「あれが、彼らの試合前の軽食です。彼らはあれを食べると、息切れしないそうです」
「お、おい。俺らはあんな生の芋、食えないぞ」
「街コボルトにとっては、おやつのようなものです。ボーラスさんたちは、今日はどんなエネルギー食を持ってきたんですか?」
するとジェイニーが腕組みして答えた。
「今日は……持ってきていないわ。でも、レイジはバナネの実とアプルの実を、練習前や試合前に必ず持ってきていた。私たちに食べさせてくれていたわね」
「ほう!」
ドミーは感心したように叫んだ。
「そりゃいいですね! バナネの実とアプルの実を試合前に食べておくと、息切れをふせぐことができるんです。へえ、そのレイジって人、なかなか研究してますね。なんでメンバーをやめちゃったんですか?」
ドミーはまだしきりに感心している。ボーラスは舌打ちした。ふん、試合前の軽食ごときでくだらねえ──! 難しい話はパスだ!
「おい、マーク。街コボルトと練習試合をしてこい」
ボーラスはマークに命令した。ボーラスの指示だ。マークは疲れ切っていたが、しぶしぶ街コボルトの団体メンバーと練習試合を行うことにした。
マークは街コボルトと、体育館に設置された試合用リング上で闘うことになった。
ボーラスはベンチで足を組んで余裕で言った。
「街コボルトは、小柄なヤツらだ。マークは中量級だけど、172センチ、83キロはある。力が段違いだ。街コボルトを一ひねりするだろう」
しかし、街コボルトの二番手男子選手、ローガーは、マークから距離を置いて、パンチを繰り出し始めた。マークはなかなかローガーをとらえることができない。
マークは相手を投げ、スタミナを消費させ、打撃で倒すのが得意なのだ。
マークは自分より二回りも小さいローガーのパンチに、だんだんひるんできた。
「ね、ねえっ、どうなってんのよ。マークは投げの得意な実力者よ」
ジェイニーはあわてて言った。すると、ドミーがひょうひょうと答えた。
「答えは簡単ですよ。街コボルトのローガー選手は、マークさんを研究していた、ということです」
「ああ? 何だと?」
ボーラスは眉をひそめた。ドミーは続けた。
「ローガー選手は、マークさんが投げが得意だと知っているようです。だから、距離をとって打撃で闘っているというだけ。一方、マークさんは街コボルトたちの長所や弱点を知らないようですねえ。もしかして、相手のことを調べずに、練習試合にいどんでいるのですか?」
ボーラスはギクリとした。確か、レイジはいつも対戦相手の長所や弱点を詳細に調べて、俺たちに伝えていた──。くそっ、試合は力や体の大きさ、実力で決まるんだ。そんな、ちまちました調査やデータなんて、必要ねえだろうが!
しかし、マークはローガーのパンチに、ヘロヘロになっている。たいして重いパンチではないが、数を受けすぎているようだ。
三分の時間が経過し、マークとローガーの試合は、引き分けとなった。しかし、誰が見ても、勝ちはローガーだ。街コボルトたちはマークたちを見て、ひそひそ言った。
「大会四位ってこんなものなの?」
「ちょっとだらしねえな。約束組手の時も、ヘバッてたし」
肩を落として帰ってきたマークに、ボーラスは怒鳴りつけた。
「てめえ、マーク! 何やってんだよ。根性だせや!」
「す、すんません。街コボルトの野郎、動きが素早くって」
「さっさと投げちまえば良かったんだよ。あんな小せぇヤツら」
「いや、捕まえることすら、大変だったッス……」
ボーラスは舌打ちした。くそっ、マークのせいで、笑い者じゃねえか!
「おい、止めだ止めだ!」
突然、ボーラスが声を上げた。
「マーク、ジェイニー! 帰るぞ。俺らと街コボルトとの練習は、これで終わりだ」
すると、教頭のバルボーが血相をかえて、すっとんできた。
「ど、どうなさったんですか、ボーラスさん?」
「どうもこうも、俺らの出稽古はこれで終わった。後は、エースリート学院との公式試合にむけて、休息をとるだけだ」
「いやしかし、我が校の生徒は、ボーラスさんとの練習試合を楽しみにしてきたのですよ。ボーラスさんも、マークさん同様、生徒と練習試合をしていただけませんか」
「俺は疲れてんだよ。文句あるのか、バルボーさんよ。俺の親父が、このゾーグール学院にどんだけの金を寄付したと思ってんだ? というわけで、帰り支度をする」
「は、はああっ! も、もうしわけございません! どうか、お父上のデルゲス・ダイラント様に、よろしく言ってくださいまし。お、おい、馬車の用意をしろ」
バルボーは甲高い声で、係員に指示しに行った。
するとジェイニーがボソリと言った。
「一週間後のエースリート学院との公式試合、大丈夫かしら……」
「心配ねえよ!」
ボーラスは余裕だ。いや、余裕のある顔を作った。
「どうせ、馬鹿力の鈍足ケビンと、蹴り技だけのベクター。あと一人は、無名の誰かだろ。二位は転校して空位らしいし。俺らも帰って寝ちまえば、疲れもとれるさ」
ボーラスはガハハと笑った。ジェイニーは、ボーラスがだんだん父親のデルゲス・ダイラントに似てきた、と思った。
ボーラスたちは、エースリート学院最強の男が、あの弱かったレイジだとはまだ知らない!
そして──ついに公式試合の日がやってきた!
ベクターとの試合から一週間が経った。
「ついにこの日がやってきた……」
今日、僕──レイジ・ターゼットが所属するエースリート学院は、僕を退学させたドルゼック学院との団体戦を行う。ついに、僕は宿敵、ボーラスと闘うことになるのだ。
場所は、エースリート学院の近く、王立ランダーリア体育館。僕らは午前九時半、馬車で体育館に着き、控え室で試合の支度を始めていた。
試合まで後二時間。初めての公式試合……。客席はエースリート学院とドルゼック学院の生徒、一般客で埋まって、超満員だ。
(緊張で、おしっこチビりそうだ……)
僕は控え室の椅子に座って、色々モヤモヤ考えていた。
アリサはバナネの実やアプルの実に、ハチミツをかけたデザートを用意してくれてきていた。試合前のエネルギー食だ。これで息切れはしにくいだろう。
「レイジ、ケビンとベクターが外にいるわ」
ルイーズ学院長が言った。
「二人を探してきなさい。すぐに団体戦のミーティングを始めます」
僕は、「はい」と返事をして、すぐに控え室を出た。ケビンとベクターを探さなければ。廊下にもいないな。じゃあ、玄関前ロビーか。
僕が体育館の玄関前ロビーに行くと、見覚えのあるヤツらがそこに立っていた。
うう……! あいつらは……。
「ん? あれ? あれぇ?」
ボーラス・ダイラントが、僕を見て声を上げた。ジェイニーも、マークもいる。ボーラスは馬鹿丁寧な言葉で言った。
「これはこれは。弱虫レイジ君じゃないか。どうしたんだ、こんなところに。そうか、観客して来たのか、お前」
ボーラスは僕と闘うことを知らないようだ。それもそのはず、団体戦の対戦相手は、試合の一時間前までは発表しなくて良いルールだからだ。僕らエースリート学院は、ボーラスたちに出場メンバーを知らせていない。
ボーラスは当然、僕と闘うことを知らないだろう。
「おい、ボーラス!」
声がした。後ろからベクターがやってきた。ケビンもいる。
「レイジは……彼は、僕らエースリート学院のNO1魔導体術家だ! 今日の団体戦の大将だよ」
「はああ? 何言ってんだ、ベクター」
ボーラスはゲラゲラ笑っている。
「お前、頭がおかしくなっちまったんじゃねえのか。何だ、お前ら知り合いかよ。そんな冗談を言える仲なのか? おい、レイジ、どうなってんだ」
「僕は、エースリート学院に入学した。そして、学院のトップになっている」
僕は勇気を出して、はっきりと事実を言ってみた。するとボーラスは眉をひそめた。
「おい、何の冗談なんだ? お前のような弱いヤツが? お前ら、名門エースリートだろ」
「冗談なんて言わないぞ、ボーラス」
ベクターは眼鏡を擦りあげた。
「レイジは、僕らエースリート学院の代表だ。そしてボーラス、君と闘う予定だ!」
「おいおいおい……。マジなのか」
ボーラスはひきつって笑っている。後ろでは、ジェイニーとマークが驚いたように顔を見合わせている。ジェイニーやマークも本当に、僕がこの団体戦の出場選手であること、ボーラスと闘うことを知らないようだ。
ボーラスは口を開いた。
「……おい、レイジ。どんな姑息な手段でエースリートのトップに上りつめたのかは分からねえ。まあ百歩ゆずって、今の話を信じてやるよ。で、俺と対戦? ぶっとばされてぇの?」
「ぶっとばされるのは、そっちじゃないの~? ボーラス君」
ケビンが軽く僕の肩を組んで、ボーラスに言う。
「マジでレイジは強いよ。驚くぞぉ」
ボーラスはしばらく黙っていたが、すぐに横にいたドルゼック学院の下級生二人に、何か耳打ちし始めた。下級生は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに体育館の外に走って行った。
(なんだ? ボーラスのヤツ、下級生に何か指示したぞ?)
僕は首を傾げた。一方、ボーラスは舌打ちし、僕をにらみつけた。
「……さてと。じゃあ対戦を楽しみにしておくぜ。レイジ、この一週間、何があったんだ? いや、試合をすれば分かるか。じゃあな」
ボーラスやジェイニー、マークは自分たちの控え室のほうに行ってしまった。
「あなたたち、こんなところにいたの?」
ルイーズ学院長は僕たちの方に駆けつけた。
「さあ、全力をつくして、勝ちにいきましょう!」
「おお!」
僕らは声を上げた。どんどんと試合時間は近づいてきている。
そして、僕らの公式試合──ドルゼック学院との真の勝負は始まった!
エースリート学院とドルゼック学院の団体戦が始まった。
「闘う時が来たな……」
僕は気を引き締めた。
第一試合は、ケビン・ザークVSジェイニー・トリア。
男子、女子の対決は、魔導体術の試合では珍しくない。(この試合は男女の対戦試合であり、「顔への攻撃」「寝技」は禁止)特にエルフ族のジェイニーは魔法の力が強く、力だけの男子よりも強い。
五分十五秒、ジェイニーの見事な中段回し蹴りが決まった。魔力が入った、鋭い威力の蹴りだった。ケビンのKO負け。
相手のドルゼック学院は、KO勝ちで、勝ち点三取得。
「ちくしょう! 修業が足りなかったぜ!」
ケビンはリングを降りて、悔しそうに叫んだ。
第二試合は、ベクター・ザイロスVSマーク・エルディン。
手数の多いベクターの判定勝ち。やはりベクターは蹴り技が良かった。
判定勝ちだから、僕らは勝ち点一取得。
「ふむ、まあまあの出来だったが、倒せなかったことは大いに反省だ」
控え室に戻ってきたベクターは、満足していないようだ。
そして第三試合……つまり最後の試合は僕とボーラスの試合だ。僕がボーラスにKO勝ちで勝たないと、僕らエースリート学院は負ける。勝ち点を見ると、三対一で負けているからだ。
僕は体育館の廊下で、アリサに体術グローブ(指の部分がないグローブ。魔導体術の試合では、必ず着用する)をつけてもらった。アリサは僕のセコンドについてくれる。
彼女はいつもの「おまじない」をグローブにかけてくれた。僕のグローブの拳の部分を、ぽんぽん、と叩く。
「レイジ、勝ち点のことは気にしないで」
「ええ?」
僕は困惑した。団体戦の大将として、とてもプレッシャーを感じている。
アリサはニコッと笑って、それでいて真剣に言った。
「勝ち負けは重要じゃないよ」
アリサの言葉に、僕は驚いていた。
アリサは僕の目を見て言った。
「レイジがボーラスと勇気を出して戦う。そのことが大事なんだよ」
アリサは僕がボーラスにいじめられていたことを知っている。殴られ、ボーラスたちドルゼックの英雄メンバーから追放され、ドルゼック学院を退学になったことを知っている。
「レイジ、君がボーラスとの試合にチャレンジするの、ちゃんと見てるから。あたし、リング下で君の闘いぶり、見てるからさ……」
アリサは言った。そうだったな。チャレンジすることが大事だった。
◇ ◇ ◇
ついに試合時間がきた。
僕はアリサと一緒に、歓声がわきおこっている試合場の花道を通った。
僕は一層強くなる歓声の中、試合用リングに上がった。すでにボーラスはリング上で待っていた。
相変わらずの巨体。威圧感がすごい。
痩せている僕との体重差は、二倍弱くらいあるだろう。
ボーラスは、ジェイニーとマークをセコンドにつけている。
「レイジ、お前、正気か? 本当にやる気なのかよ?」
ボーラスはリング上の僕を見て、半ば呆れたように笑って言った。しかし僕は胸を張った。弱音は吐かない。少なくとも、リング上では……。
「そうだ、ボーラス、君と闘う気だ」
「お前、本当にバカな野郎だな。俺に歯向かうとはよ。おい、リングから逃げ出すなら今のうちだぜ」
「僕は逃げないぞ」
「この野郎……お前に、一体何があったんだ? 不思議でしょうがねえよ。まあ、人間はそう簡単に変わらねえ。弱い野郎は、一生弱いんだからな!」
闘いの始まりを示すゴングが鳴った。
ボーラスは笑いながら、近づいてくる。
「地獄へ行けや!」
ボーラスはワンツー・パンチを放ってきた。速い! やはりボーラスはパンチの名手だ。僕は右手で二発を払った。
続けてボーラスの右フック。
彼は急所のこめかみを狙ってくる。僕は防御した。よし、問題はない。パンチは重いが……。
ん?
おかしいぞ。
この痛み!
腕がジンジン痺れる。試合には問題はない。僕はボーラスをじっと見た。
へえ……なるほど、そういうことか。
僕はボーラスをにらみつけた。
ボーラスの体術グローブの拳部分が、不自然に盛り上がっている。よく見ると、彼のグローブには、少量の粉がついている!
「まさかグローブに何か入れているのか? ボーラス」
僕はピンときて言った。するとボーラスはグヒヒッ、と笑った。
「はあ? 知らねえよ。何言ってんだ? おめえは」
まさか、これは魔石石膏か? 彼はグローブの拳部分に、粉末状の魔石石膏を水で溶き、流し込んでいる? 魔石石膏は錬金術で生み出された物質。水で溶いた魔石石膏は十分ですぐ固まるが、石のような硬さになる。
(まさか、そんな……。いや、ボーラスならやりかねない!)
魔石石膏入り体術グローブのインチキは昔、雑誌で読んだことがある。負けを恐れた魔導体術の達人が、公式試合の際に行ったインチキと同じ方法だ。
もし、それをやっているなら、ボーラスの拳部分には、今現在、石が入っているのと同じことだ! しかし、証拠がない……。
「ボーラス、魔石石膏か?」
僕が思わず聞くと、ボーラスは何も言わず、ただ黙ってニヤニヤ笑って構えているだけだ。
ん? リング下には、見覚えのあるドルゼック学院の下級生が二人いる。
「おらーっ! よそ見してんじゃねえーっ!」
ボーラスは叫ぶ。そして彼は素早く、右ジャブ、左ジャブ、そして左ストレート。さすがにパンチは素早い!
僕はそれを手で払う。
くっ、僕の手の平が不自然にジンジン痛む。手の平でボーラスのパンチを受けたからだ。ボーラスの体術グローブが異様に硬い。間違いない、ボーラスはやっている!
(そうか! あの時!)
ボーラスのヤツ、体育館ロビーで僕との試合が分かった時、ドルゼック学院の下級生に何か指示していたな。あの時、魔石石膏を用意させていたのか。
ボーラス、恐ろしいことを……君はとんでもないインチキをしでかした!
「ようし、分かったよ、ボーラス」
僕はニヤリと笑ってつぶやいた。
「うっ……」
ボーラスは焦ったようにうなった。少し危険を感じたのか、一歩後ずさる。彼は冷や汗をかいていた。彼は僕が、ドルゼック学院にいた時の僕ではないと、感じ始めているのだろう。
僕はこの試合──必ず勝たなくてはならない! しかもKOでだ!
「さっさとリング上で寝ちまえっ! この弱虫野郎が!」
ボーラスはそう叫び、力強いボディーブローを放ってきた。一週間前、僕がドルゼック学院を追放さた時に受けた、彼の得意技だ。
しかし、僕はすんでのところで避けた。
彼の手にはめている体術グローブの拳部分には、石のように硬い魔石石膏が入っている! 当たってたまるか!
するとセコンドのアリサは、ボーラスのグローブの異変に気付いたようだ。やはり彼女も、ボーラスのグローブの異様な盛り上がりに気付いたのだろう。
アリサは審判席の方を振り返って叫んだ。
「ねえ、審判っ! ボーラスのグローブに……!」
「いや、いいよ! アリサ、言わないでくれ!」
僕はとっさに叫んだ。アリサは驚いているようだった。
「僕は、このまま、ボーラスを倒す!」
「ククク……いい度胸だ、レイジ」
ボーラスは悪魔のような顔をして笑っている。
「何にしてもだ。俺のこのグローブのことは、審判にバレねえ仕組みになっているんだ。審判を、買収しているからな」
僕はボーラスのあまりの悪党ぶりに、苦笑するしかなかった。本当は苦笑している場合ではなかったが。一方、アリサは僕の考えを察してくれたようで、深くうなずき、叫んだ。
「レイジ、そのまま行けぇーっ!」
「おーら! 血ヘド吐けや!」
ボーラスは左ジャブ二回、そして右フック! 僕はすべて上段受けで受け流した。彼の石のように硬い拳部分をうまく避けている。これはボーラスのパンチを、ミット持ちで体験していた成果だ!
ボーラスといえば大量の汗をかいて、顔も真っ青だ。
「て、てめえ……。何なんだ、おめえは。全然当たらねえ……。あの弱虫レイジはどこにいったんだ? おい」
「知るか」
「この野郎……生意気な口を利きやがって。だが、これならどうだ?」
ボーラスが走ってきた! 駆け込みながら、右ストレート! これがボーラスの最大の得意技だ。何と、右手が青白く光っている。魔力を込めたパンチだ。ボーラスは魔力を使うのが苦手だったはずだが、練習したようだ。
しかし、僕はその隙を見逃さなかった。ボーラスの肩口に、前蹴りを繰り出していた。その瞬間、ボーラスは苦痛にゆがんだ顔をして、腕を降ろした。
「ち、ちくしょう、痛ぇ……。お前、何しやがった……?」
これは、肩口の急所を狙った攻撃だ。僕の思惑通り、彼の肩の急所に入った。ボーラスはもう防御姿勢をとれないくらい、痛いはずだ。
ボーラスは真っ青な顔をして、後ろに下がった。右腕はだらりと垂らしている。
「てめぇを絶対ぶっとばす……いいか、この野郎!」
ボーラスが吼える。今度は駆け込みながらの左ストレート! 僕はそれを待っており、体を沈ませた。
「お、おい、待っ……」
ボーラスは声を上げたが、僕は止まらなかった。
バキィッ
僕は彼のあごに、右アッパーを決めた。美しいまでにボーラスのアゴをとらえた、カウンター攻撃だった。魔力も込めている。
観客は静かになった。
完全に急所に入った手ごたえがある。
「ぐ、ふ……」
ボーラスは膝をがくりと折って、リングにしゃがみこんだ。
しかし、いつまでたっても、ダウンカウントは始まらない。審判員はあわてたように、顔を見合わせている。
「おい、ダウンだろーが!」
「カウントとれよ!」
「何やってんだ、審判!」
審判員は、ボーラスのダウンを認めない方針らしい。やはりボーラスに買収されていたようだ。しかし、渋々、魔導拡声器で、審判員の声が響いた。
『ダウン! 1…………2…………3…………4…………』
やたらと遅いダウンカウントが始まった。ボーラスはリングのロープにつかまり、何とか立ち上がろうとする。
その時だ。
「早く、試合を止めさせなさい!」
審判席の審判員たちにそう叫んだのは、医療班の治癒魔導士だ。
「完全にカウンター攻撃で、あごに入っているぞ! ボーラスが危険だ。すぐにタンカを用意しなさい!」
審判員たちは困ったように、何かを話し合っている。そのうち、何と、ボーラスが立ち上がった。
「ヘヘヘ、レイジ、てめぇをぶん殴らなきゃ気がすまねえ」
ボーラスはそう言いつつ、素早く僕に近づいてきた。
誰が見ても、隙だらけなのは明らかだ。
僕が彼の腹にパンチを打ち込むと、彼はうなりつつ頭を下げた。すかさず僕は──。
ボーラスのアゴに向けて、渾身の力を込めた飛び膝蹴りを放った。
「ぐへ」
ボーラスの声と、にぶい打撃音がリング上に響いた。
僕の膝蹴りによってボーラスの頭が上がり、彼はグラリとその巨体を揺らした。
しかし、ボーラスは踏みとどまった。
「ぐああああーっ」
ボーラスは獰猛な熊のような声をあげながら、突進してくる。最後の攻撃だ。
ここだ! もう一発!
僕は右フックを彼のこめかみに叩き込んでいた。
急所──。確実にとらえた!
「うぐ、お」
ボーラスは声を上げた。
そして……ボーラスは再びガクリと両膝をリングについた。
──その時、甲高い試合終了のゴングの音が周囲に響いた。
ゴングを鳴らしたのは、医療班の治癒魔導士だ。
『勝者、レイジ・ターゼット! 七分三十二秒、KO勝ち!』
ドオオオオッ
観客は騒然となった。
僕がボーラスに勝利した二日後。エースリート学院全校生徒は、校庭での朝礼に呼び出された。ケビン、ベクター、アリサ、そして僕──レイジ・ターゼットは壇上に立っている。
全校生徒約千名が、皆、僕らの方を見ているのだ。すごい光景だ。
生徒指導長であり六十代の中年男、マダール・ピムは壇上に上がり、全校生徒の前で、魔導拡声器に向かってこう声を上げた。
「おとといの我がエースリート学院とドルゼック学院の試合、諸君は客席で応援していたと思う。我々、エースリートの代表メンバーは、見事、勝利をおさめた!」
全校生徒は大拍手。ピム先生は横にいる僕を指差した。
「中でも、エースリートNO1の実力を誇るレイジ・ターゼット君は、あの巨漢、ボーラス・ダイラント選手を一撃で倒してしまったのだ!」
また大拍手。僕は頭をかいた。
「さあ皆さん、ご一緒に! 万歳三唱! バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!」
げええ? ば、万歳三唱? やりすぎじゃないの? 僕はそう思ったが、生徒たちも一緒になって、万歳三唱している。ノリがいいなー、皆。
僕は恥ずかしくて、顔から火が出そうだった。ケビンとベクターは苦笑いしている。
一方、僕のセコンドについてくれたアリサといえば、目をうるませている。やがてハンカチを取り出して、涙をふいた。
「お、おい」
僕は驚いてアリサに聞いた。
「ど、どうしてアリサが泣いているんだよ」
「だって……。レイジ、頑張ったもん。あたし、誇らしくて……」
まいったなあ、本当に。生徒たちは、僕たちに声援を送ってくれている。ピム先生は拍手や万歳を手でおさめ、言った。
「さて、ドルゼック学院を打倒した記念だ。我々は何と、『宮廷保養訓練施設』に、二週間宿泊できることになった!」
ドオオオオッ
今日、最も強い、生徒のどよめきが起きた。整列した生徒たちの声が聞こえてくる。
「マジかよ……『宮廷保養訓練施設』といえば、超豪華な王立の保養施設だぜ」
「ああ。温泉、遊園地、プール、遊び場……。すごい施設が何でもあるって聞くぜ」
「すげえ、すげえよ!」
生徒指導長の言葉に、僕も驚いた。「宮廷保養訓練施設」は、グラントール王国国王の護衛隊、「宮廷護衛隊」のための保養、訓練施設だ。すさまじいお金がかけられた豪華な宿泊施設で、一般人は立ち入ることすらできない。
しかし今回、どうやら特別に許可が出たらしい。
すると、僕の横に立っていたケビンが首を傾げながらつぶやいた。
「でも、何で急に、そんなすげぇ場所に宿泊できることになったんだ?」
「事情を推理すればだな」
ベクターが眼鏡を擦り上げながら言った。
「エースリートは六年前から、ずっとドルゼックに負け越していた。今回の勝利を観戦したエースリートの後援会の老人連中が、それはもう喜んだらしい。エースリートの後援会が、僕たち生徒をねぎらおうと、宮廷にかけあったんだと思う。なぜ宮廷がOKを出してくれたのかは、知らんが」
僕はため息をついた。それにしても、こんなに大騒ぎになるとは。ちょっと恥ずかしい。
整列したクラスメートから、僕たちに声がかかる。
「レイジー! お前らは学園の英雄だ!」
「二月の、グラントール学生大会の個人戦も頼むぞ!」
そ、そうだった。学生大会の個人戦が、来年二月にある。エースリート学院は、今年の十二月の冬期団体戦は出場しないことになったから、個人戦に集中しているんだった。はああ……。プレッシャーかかるなあ。
あれ? ところでルイーズ学院長がどこに行ったんだ? 姿が見えないようだけど。
しかしその時ちょうど、このエースリート学院がとんでもない事態に陥っていることを、僕は知らなかった……。
◇ ◇ ◇
その頃、ルイーズ学院長は、「宮廷直属バルフェス学院」の前にいた。目の前にそびえるのは、七階建ての巨大な校舎だ。校舎の横には、とてつもなく広い体育館がある。その横にはバルフェス学院が勝ちとった賞状や盾、トロフィーを展示してある博物館もある。
「まったく……何から何まで、エースリートとは比べ物にならないくらい豪華ね」
ルイーズ学院長はため息をつきながら、校舎の玄関に入った。
生徒数はたった三百人。しかし、その生徒一人一人に、大人の指導者がつく。
まさに「宮廷護衛隊」を目指す学生のための魔導体術のエリート養成学校だ。
ルイーズ学院長は、一階の会議室に入った。
机の前に、体のでかい中年の男と、白いローブを羽織った十六、七歳くらいの目の鋭い、賢そうな少年が座っていた。
中年男は、髪形をオールバックにした筋骨隆々の男。身長は192~193センチ、体重は88キロ前後あるだろう。
「久しぶりね、デルゲス」
ルイーズ学院長は、彼の手前に座った。この中年男こそ、第九十代魔導体術世界大会優勝者、デルゲス・ダイラントだ。ボーラスの父親でもある。
彼は座っているだけで、すさまじい威圧感がある。
ルイーズ学院長は聞いた。
「あなた、おとといの学生対抗団体戦には来ていなかったようだけど……。どうしてあなたまで、ここにいるの?」
「俺は、魔導体術協会の会長として、ここに呼び出された」
デルゲスは、ルイーズ学院長をにらみつけた。
「ルイーズ、おとといは、恥をかかせてくれたな。俺は仕事で見に行けなかったが、息子が泣いて帰ってきやがったぜ」
「私たちを──エースリートをナメてるからよ、デルゲス。息子は拳に『魔石石膏』を入れていたようだけど、役に立たなかったようね」
「何?」
デルゲスが立ち上がろうとした時、隣に座っていた白ローブの少年が、「話し合いをしましょう」と言った。
「ルイーズ学院長、僕は宮廷直属バルデス学院、指導長のディーボ・アルフェウスです。生徒ですが、三ヶ月前、魔導体術指導長に就任しました。よろしく」
「えっ、何ですって?」
ルイーズ学院長は驚きの表情で、このディーボという少年を見やった。身長は160センチ前後くらい。体重は、58キロから60キロ? レイジと同じくらい小柄。目が鋭い少年だ。
この少年が、学院の魔導体術指導長? バルフェスの指導長といったら、副学院長と同じくらいの権限を持つ。魔導体術の指導の全権を担うからだ。しかも、生徒が指導長に就任するなんて、聞いたこともない。
「どういうこと? あなた、生徒じゃないの?」
ルイーズ学院長は目を丸くして、少年を見た。
「十七歳ですから、バルフェスの生徒ですよ。生徒としては午前中まで。午後からは魔導体術指導長の仕事をしています」
「は、はあ……」
ちなみに、エースリート学院の魔導体術指導長は、ルイーズ学院長が兼任している。ディーボは口を開いた。
「僕は、魔導体術に加え、経営学、心理学、運動生理学を三歳の頃から徹底的に学んでいます。魔導体術の生徒の指導方法も、実質、僕の考えで進めているのです」
ルイーズ学院長は、眉をひそめてデルゲスを見た。
「ディーボの言っていることは本当だ」
デルゲス・ダイラントは真面目な顔で言った。
「グラントール王国最高の魔導体術養成学校、バルフェス学院の魔導体術指導長は、十七歳の少年だったってわけだ。こいつは天才だぜ」
デルゲスは笑って言った。
ルイーズ学院長は注意深く、このディーボという少年を見た。
「例えば、指導用の魔導体術の基礎、応用、すべて僕がプログラムを作っています」
ディーボはすずしい顔で言った。
「生徒の食事に関してもカロリー、脂肪分、すべてチェックして管理。個々の能力は数値化しています」
恐るべき少年がいたものだ、とルイーズ学院長は思った。
「も、もう分かったわ、ディーボ。さて、今日は、大切なご用があるとか……?」
ルイーズ学院長は、丁寧に、ディーボに言った。
「宮廷は、私たちエースリートの生徒を、宮廷の保養施設に誘ってくださいました。感謝しているわ。話は、そのことかしら?」
「そんなにのんびりした話ではありません」
ディーボの目がギラリと光ったようだった。
「魔王が復活するかもしれないのです」
「何ですって?」
ルイーズ学院長は驚きの表情で、それでいて眉をひそめて、ディーボを見た。
ディーボは話を続ける。
「もちろん、魔王はまだ復活などしていません。でも、復活するかもしれないと言い出したのは、宮廷の魔導預言者たちです。まだ国民には極秘事項。あなたも周囲に漏らさないようにしてください」
魔王が復活するかもしれない。この言葉は、グラントール国民、いや全世界の人間に恐怖を与えることだろう。魔王と人類の争いの伝説は以下のように伝わっている。
二千年前に、魔導体術を体得した「勇者」が「東の果ての国」の不死鳥山で魔王と対決。激闘の結果、魔王を封印した。
それ以来、魔王は不死鳥山に封印されて眠っていると聞く。
この話は、グラントール国民にとって伝説なのか事実なのか、あいまいなところだ。ルイーズ学院長にとってもそうだった。
すると、デルゲスが腕組みをしながら口を開いた。
「最近、草原を徘徊する魔物が増えているのも、魔王復活の可能性に関係があるのだろう」
「預言者たちは、なぜ『魔王が復活する』などと言い出したの?」
「不死鳥山の封印石にヒビが入っていたそうだ。この二千年間で初めてのことらしい」
デルゲスの口調はふざけていない。息子のボーラスはバカ同然の少年だが、この男は体格に似合わず、頭が切れる。
今度はディーボ・アルフェウス少年が口を開いた。
「ルイーズ学院長、魔導体術は何のためにあるのか、魔導体術の養成学校は何のためにあるのか、分かりますか?」
「……少年少女、国民の心身の育成のため……じゃないかしら」
「綺麗ごとを言っては困りますよ、ルイーズ学院長」
ディーボは挑むような口調で言った。
「あなたはわかっているはずです。魔導体術について、一般に極秘にされていることを言ってみてください」
「そ、それは」
ルイーズ学院長は、くっ、と息をついた。
「ま、魔導体術は、魔物との戦争のため……有事のための格闘術……」
ルイーズ学院長の言葉に、ディーボはニヤリと笑った。
ルイーズ学院長の声は震えていた。しかし、逃げるわけにはいかない。このディーボという少年を見ていると、なぜかそんな気にさせられた。
「……そして、学生魔導体術家は、対魔物のための、若い兵士と言えます」
ルイーズ学院長は言った。
「もっと大きく言えば、魔王復活した際に起こると預言される、『魔導戦争』のための若い兵士よ」
ルイーズの言葉を聞いたディーボは、クスクス笑いながらうなずいた。
「フフフ、その通りですよ。ところで、そちらの持っている駒──。レイジ・ターゼット君ですが」
「駒?」
ルイーズ学院長はディーボをにらみつけた。人の学院の生徒を「駒」呼ばわり。この少年、一体、何なの?
「これから話すことは、レイジ・ターゼット君を優遇する、という前提で聞いてほしいのです」
「……どういう意味?」
「あなたのエースリート学院は、三ヶ月後、僕たち宮廷直属バルフェス学院に吸収合併される。つまりあなたの学校は無くなり、あなたの生徒はバルフェスに通うことになる」
「は? 何を言って──」
吸収合併──大きな組織が、小さい組織を全部、取り込む。その時、小さい組織は無くなる。簡単に言えばそういうことだ。
ディーボは続けた。
「レイジ・ターゼット君は特別に優遇します。バルフェスのランキングトップ10に入れてさしあげましょう。授業料なども免除」
「ディーボ、何を突飛なことを」
「ルイーズ学院長、あなたが今の話に背いたら──」
ディーボは悪魔的な笑いを浮かべた。これが彼の本性か?
「あなたは魔導体術協会から、『追放』です。つまり魔導体術家を名乗れなくなる」
ルイーズ学院長は、この恐ろしい少年に、何を言われているのか、ようやく理解した。
「冗談じゃないっ!」
ルイーズ学院長は、机を叩いた。
「なぜ私たちのエースリート学院が、バルフェスに吸収合併されなきゃいけないの!」
「生徒を──学生魔導体術家を管理するんですよ、当たり前でしょう」
ディーボ少年は、ハエをはらうような仕草を見せた。
「生徒……管理?」
ルイーズ学院長は、口の中で繰り返した。
「魔物、そして魔王との戦争になったら──」
ディーボが言った。
「学生魔導体術家を兵士として扱わなきゃならない。正確な管理が必要です。そのためには、宮廷直属の僕たちが、あなたたちの生徒を監理するのが一番です」
ディーボの言葉を聞いたデルゲスは、ニヤニヤ笑っている。ルイーズ学院長はデルゲスをにらんだ。そうか、こいつら、仲間だったのか!
「近い将来、魔物との闘いを見越した決定です」
ディーボは言った。
ルイーズ学院長は、(吸収合併なんて言ってるけど、これは、私たちエースリート学院に対する『乗っ取り』じゃないの!)と声を上げそうになった。
──デルゲスは笑っている。ということは、デルゲスのドルゼック学院は!
「俺たちのドルゼック学院は生徒数八千人だ」
デルゲスは言った。
「今回対象となるのは、生徒数千人程度の学校だけだ。すでにルバイン学院、ゾーグール学院、ライアス学院などの学院長は了承している。バルフェスの支配下に入ることを、OKしたぜ」
「そんなバカなっ」
「バカもへったくれもありませんよ。ルイーズ学院長。魔物と戦うことになるかもしれないのに。あなた方の生徒たちは、来年の四月から、宮廷が建設中の学校に通ってもらいます」
ディーボはルイーズ学院長は、虫でも見るような目で言った。
「そもそも──。グラントール王国には、魔導体術学校が百八もある。これは多すぎるなぁ。これを六十程度にする予定です。僕たちが生徒を管理します」
「……絶対にゆるすことはできない」
「何がです? ルイーズ学院長」
「生徒を……子どもたちを管理することを、よ」
「仕方ないですよ、魔王と魔物と戦うことになるかもしれないのだから」
「そんな方法をとらなくても、良い方法があるはず」
「ないですよ、そんなもの」
ディーボはぴしゃりと言った。
「ということは、ルイーズ学院長。あなた方エースリートは、僕たち宮廷やバルフェスに背くということ? 魔導体術協会に背くということ? それが何を意味するか……」
「『追放』ってわけ?」
「そうですよ」
ディーボの氷のような言葉に、ルイーズ学院長は、くっと声を上げた。
「生徒たちを管理するなんて……私はのびのびと、子どもたちに育ってもらいたいわ。それに、生徒たちはそれぞれの自分の学院を愛しているはず。自分の学校がなくなったら、きっと悲しむでしょう?」
「悲しんだからなんだっていうのかなぁ?」
ディーボはあっけらかんと言った。
「生徒なんて、おさえつけときゃ、黙って指導する側にしたがうに決まってる」
ルイーズ学院長は、堪忍袋の緒が切れそうだった。このバカガキが……!
ここで暴れてやることもできる。しかし、ルイーズ学院長はぐっと我慢した。生徒たちは宮廷保養訓練施設で過ごすことを、楽しみにしているのだ。ここで何か問題を起こしたら、それがダメになってしまうはずだ。しかし……。
デルゲスはニヤニヤ笑って、二人のやり取りを見ている。
ルイーズ学院長は口を開いた。
「このお話は、バルフェスの学生が、我がエースリートの学生よりも強い、ということを前提としたお話に聞こえるわ」
「当然です。バルフェスの生徒は将来、僕を含めて、国王に仕える『宮廷護衛隊』になるわけだから。魔導体術のエリート中のエリートですよ」
「もし、来年二月のグラントール大会個人戦で、バルフェスの子にエースリートの子が勝ったとしたら? それならば、我がエースリートは宮廷直属の子より、強いということになる」
「……ありえない」
ディーボはルイーズ学院長をにらみつけた。
「そんなバカなことはありえない」
「ディーボ、あなたは確か、魔導体術指導長でありながら、生徒だったわね。今度のグラントール王国主催の個人戦、あなたは出場する?」
「出場します。しかし、悪いけど、僕には誰も勝てない。その前に、宮廷直属の生徒が、単なる私立の養成学校の生徒に負けるわけがない。エースリートがバルフェスに勝つなんて、そんなバカなことはありえません」
「バカなことがありえるわよ。レイジ・ターゼットが、あなたと、バルフェス学院の生徒を倒します」
ディーボは首を横に振ったが、デルゲスはクスクス笑っている。ディーボは言った。
「僕は確かに、レイジ君の強さを認めています。でも、バルフェスの生徒に勝つなんて、百年早い」
「いえ、レイジは勝つわ」
「愚かな」
ディーボはため息をつきながら言った。
「ルイーズ学院長、わかりました。ならば、ルイーズ学院長、あなたは魔導体術協会から『追放』です」
デルゲスは笑っている。
「おいおい、謝れって、ルイーズ」
「ところで我が校の生徒が、宮廷保養訓練施設に旅行する件はどうなりますか」
ルイーズ学院長はデルゲスの言葉を無視して、ディーボに聞いた。
「まあ……それは認めましょう。すでに決まっていたことだし……。でも、そんな場合じゃないんじゃないですか、ルイーズ学院長」
ディーボはまた悪魔のように笑った。
十一月のある日の朝。僕、レイジ・ターゼットと、エースリート学院の生徒たちは隣国カガミラにある「宮廷保養訓練施設」に旅立つことになった。グラントール王国の魔導体術養成学校では、十一月は修学旅行のシーズンだ。
エースリート学院は千人もいるので、今回の修学旅行は、三グループに分けて旅行する。初回は僕ら4年B組を含めた、約三百人だ。
「おいっ、レイジ。修学旅行、楽しみだなー。最近、ずっと練習漬けだったからよぉ」
ケビンは駅まで歩いていく最中、目を輝かせてつぶやいた。
僕らエースリート学院の生徒たちは、ランダーリア駅から魔導汽車を待つ。引率の先生は七名いる。ルイーズ学院長や担任の男性教諭、バクステン先生もいる。
どうもルイーズ学院長はうかない顔だが……。
僕たちは整列して魔導汽車を待っていたが、その時、後ろから声がかかった。
「おい、あんたレイジってんだろ」
振り向くと、制服のポケットに手を突っ込んだ少年が僕をにらみつけている。刈り込んだ金髪で、制服を着崩している。間違いなく不良だ。うわぁ……僕の超苦手なタイプ。彼の胸のバッジを見ると、「3」と書かれているので、三年生。下級生だ。
「この間の試合、勝ったんだって? オレ、観てねーんだわ。あんたが強いっての、とても信じられないんだけどよ」
「えーっと……」
「あ? 何、ボソボソ言ってんの? 俺に勝てんの?」
彼は身構える。うわ、こいつ、駅のホームで闘う気まんまんだ! 冗談じゃない。
「おい、バーニー。よせよ。もう汽車がくるってよ」
後ろから、彼の仲間が笑いながら彼に言う。ボーラスに勝ったのに、下級生にすごまれる僕。情けない……。
僕らは魔導汽車に乗り込んだ。二時間かけてカガミラ駅に到着。そこから徒歩十分、森の中を歩き、ついに宮廷保養訓練施設に辿り着いた。
敷地面積は百ヘクタール。僕は数学は苦手だが、とんでもなく広いってのは分かる。
「うわぁ、すげえ」
「豪華~」
生徒たちは歓声をあげる。
全面ガラス張りの美しい玄関に入ると、中は豪華ホテルのようなロビーだった。
「最高だぜ、なあ」
ケビンがつぶやく。
「大金持ちになったような気分だぜ」
部屋は何と一人一部屋。ベランダ付きで、風呂とプールもついている。
さっそく僕らは食堂に昼食を食べに行く。
カガミラ若鶏の香草焼き、塩ドレッシングをかけた野菜サラダ、アンギラス(川魚)のスパイス焼き、粗びき小麦のパン、カガミラ牛のコンソメスープ、特製プリン。
カロリーや脂肪分も計算に入れたメニューだ。しかも美味い。
「うむ、まろやかな味わいだ」
ベクターが上品に口をぬぐった。
「しかも栄養価も高いし、カロリーも調整されている。言うこと無しだな」
昼食を食べ終わると、若い女性係員に、訓練所を案内された。まずは訓練所の裏手に案内された。
「う、うわああー」
生徒たち全員が声を上げた。目の前は海が広がっていたのだ。生徒たちは裸足になって、海に入ったりしている。皆、大はしゃぎだ。
ケビンは、「ぬおおおー」と叫んで、砂浜ダッシュを始めた。
「ケビン、初日で疲れるって……」
僕は苦笑いしてケビンに注意した。アリサは友達のミーナと砂遊びをしている。小学部の子みたいだなあ……。
訓練所の練習施設も最新式の鍛錬器具でいっぱいだった。
特にウエイトトレーニング機器は、魔導の知能が機器に入っており、その人に合った重量を自動で計算してくれる。
シャワー、風呂も当然完備。百種類の石鹸、五十種類のバスソルトや三十種類の入浴剤が取り揃えてある。これは女子たちに大好評だった。
さて、訓練所の奥には体術用試合リングがある。練習試合をやっているみたいだから、見せてもらおうかな。僕は練習試合なんか、誘われてもしたくないけど……。
「なあ、レイジ先輩」
ん? 聞き覚えのある嫌な声がした。後ろを振り返ると、さっき駅のホームで絡んできたバーニーという下級生がいた。こいつかぁ……。
こんな時にケビンやベクターがいない。土産物でも見てるのか?
「いっちょ、勝負しましょうや。リングに上がらなくてもいいっしょ。今、ここで。和やかな練習試合ってことでさ」
バーニーは僕をにらみながら言った。何が和やかだ。
「や、やめとく」
「は? オレ、十五歳の部の大会、八位入賞だよ?」
「練習試合の気分じゃない」
「は? ナメてんの? やっぱ弱ぇんじゃねえの?」
彼の取り巻きが、後ろのベンチの方でゲラゲラ笑っている。
「先輩、体術グローブ、つけてくれよ。ここ、新品を貸し出してるんで」
バーニーは、僕に体術グローブを放った。やるつもりか……。僕は渋々、体術グローブを拳にはめた。バーニーといえば、もうすでに体術グローブをつけている。
「で、いつ闘りますかねー」
バーニーはなんて言いながら、いきなり殴りかかってきた。
僕は彼のパンチの右手の平で押さえた。パンチにスピードが出る前に、彼の拳を受け止めた。
「なっ……」
バーニーは驚いた様子で、右手を引っ込め、今度は左フックを打ち込んできた。
──ここだ!
パンッ
鋭い音が響いた。
「ゴベッ」
バーニーはうめき、腹を押さえて床に倒れ込んだ。床は木の板でできているので硬い。僕は彼が頭を打たないように、素早く頭を手で支えてやった。
うおおおっ……。
周囲の野次馬は声を上げた。僕のカウンターの右ボディーブローが、バーニーの腹に、完全に決まった。
「なん……でそんなことが……できるんだ? 速ぇ……」
バーニーは立ち上がろうとしたが、よやよたと腹を押さえてまた床にしゃがみ込んだ。
「フックは挙動が大きい」
僕は説明してやった。
「ボディーブローの方が早く相手に届くってわけだ」
「そ、それにしたって……急所を……完全に……。人間……技じゃねえ……。あんた一体……?」
「大丈夫か? 医務室に行くか?」
「う、うるせえ、お、覚えてろ!」
バーニーは再び立ち上り、腹を押さえてヨタヨタと通路の方に逃げていった。彼の仲間たちが、僕をにらんでいる。
はあ、勝手にしてくれ。挑んできたのはそっちだろ。
「あ、あのー」
こ、今度は何だ?
右の方を見ると、そこにはスラリとして美しい女の子が立っていた。ん? 誰だ? 見たことのない女の子だ。
「レイジ君……ですね?」
「そ、そうだけど」
僕は女の子を見やった。黒髪のロングヘアで前髪はおかっぱ。身長は165~167センチくらいだが、とてもスリムだ。僕と同じくらいの年齢、十六、七歳くらいか。美人なので、野次馬たちが皆、その子のことを見ている。
でも、彼女が羽織っている魔導体術ローブは白い。エースリートのローブは青いから、エースリートの生徒じゃないな。どこの生徒だろう?
「好きです」
「は、はい?」
「レイジ君……好きです」
い、いきなり告白ぅうう!
反対の左の方を見ると、アリサが腕組みをして、ふくれっ面で僕を見ている。しかも、さっきの騒ぎで、野次馬はまだ僕の周囲にたくさんいる。
皆、僕と女の子を見て、色々、噂をし始めた。
「ほう」
「告白か」
「いいねえ」
こ、これ、公開告白状態じゃないか!
え、えらいことになった。
この女の子、一体、誰なんだ? 女の子は恥ずかしいのか、顔が真っ赤だった……。
それはいきなりの告白だった。
「好きです」
黒髪ロングヘアの、きれいな女の子が、顔を真っ赤にして僕に告白してきたのだ。驚く周囲、固まる僕。
「き、君は、誰だ?」
「あ、申し遅れました。私……ソフィア・ミフィーネと申します……」
「す、好きってどういうこと?」
僕は本当にバカみたいに聞いた。
「レイジ君が好きなんです……。ファンなんです」
このソフィアという女の子は、静かに言った。え? ファン? あ、そういうこと?
「ランダーリア体育館で、ボーラス選手との試合を、観ていたから……」
ソフィアの顔は、ますます真っ赤だ。ソフィアは握手を求めてきたので、僕はアリサを横目で見ながら、恐る恐る握手をした。
アリサはニコニコ笑っている。目は笑っていなかったが。
その時、訓練所の向こうの方で、中年男性が声を上げた。
「おーい、ソフィア! 練習相手が来たぞ」
「あの人、私の先生です……」
するとソフィアは、な、何と、自分の口元を僕の耳に近づけた。
ぬっ、ぬおおおっ!
(……ディーボ・アルフェウスという生徒に、気を付けて)
え?
ソフィアは小声でそう言うと、先生の方に向き直った。
「じゃあ、レイジ君……また後で」
ソフィアはスラリとした容姿に似合わず、かわいらしくパタパタと走っていった。そして何と、訓練所真ん中の、練習用リングの上に上がってしまった。
「レイジ君、ソフィアのことが気になるのかな?」
横にはいつの間にか、僕と同じ、十六歳くらいの少年が立っていた。知らない少年だ。い、いつ、そこにいたんだ? 気配が感じられなかった。ソフィアと同様に、白いローブを羽織っている。
「僕は、宮廷直属バルフェス学院の生徒、ディーボ・アルフェウスといいます」
(ディ、ディーボ!)
さっき、ソフィアが注意しろ、と言ってきた少年か? いや、驚くべき部分はそこだけじゃない。彼の所属している学院だ!
「き、君はバルフェス学院の生徒なのか?」
僕は目を丸くしながら聞いた。
グラントール王国で最高の魔導体術養成学校と名高い、あの宮廷直属バルフェス学院の生徒?
よく見ると、他の魔導体術養成学校の生徒がちらほらいるようだ。十一月は養成学校の修学旅行シーズンだし、他の学校も、ここに修学旅行に来ているらしい。
ディーボの身長は、僕と同じくらい! 約158センチから160センチ。体重も僕と変わらない、60キロ前後だろう。
この小柄な少年が、バルフェスの生徒?
「じゃ、同じローブを羽織っているソフィアは……」
「そうだよ、ソフィア・ミフィーネはバルフェス学院の生徒だ。ソフィアは、バルフェス内のランキングで三位なんだよ」
あ、あの美しい女の子が、バルフェスの三位だって? いや、女の子が強いのは珍しくないけど、あんなにおとなしそうな女の子が、バルフェス学院の三位だったなんて?
「ほら、見て。ソフィアの練習試合が始まる。それを見ればソフィアの強さが分かるよ」
ディーボに言われるまま、僕は練習用リングを見やった。周囲にはたくさんの大人たちが集まってきている。バルフェスの生徒の練習試合ということで、魔導写真機で撮影している者もいるようだ。報道記者も、ここに来ているのか?
ソフィアの相手は……うわ! でかい女の子だ! 確か、ギルタン学院の女ドワーフ、ドンカ・ブルボーネだ! 彼女は確か、春期団体戦の大会で、僕が所属していたドルゼック学院に勝ったメンバー。身長180センチ、体重88キロ。女子の魔導体術家では重量級に入るだろう。確か、マークを三十秒で殴り倒していたっけ……。
一方、ソフィアは約身長165センチくらいか? 体重は……45キロくらい? 言うまでもなく軽いだろう。
「ちょっと待ってくれ」
僕はあわててディーボという少年に言った。
「ブルボーネはドワーフ族の実力者だ。ソフィアは大怪我だけでは済まないぞ!」
しかしリング上のソフィアは、相手に礼をし、半身に構えている。すぐに練習試合が始まりそうだ。
「心配する必要ないよ。ほら、見て」
ディーボはそう言った。
一方、リング上のブルボーネはニヤニヤ笑って、「いくよ、お嬢ちゃん!」と叫んで、ソフィアに殴りかかった。
──ソフィアはサッと左のパンチをかわした。
するとソフィアはブルボーネの前で、くるりと正面を向いたのだ! すぐにブルボーネの脇に腕と肩を差し入れ──屈んだ!
次の瞬間、ブルボーネは二メートルは吹っ飛んでいた。投げだ!
「いまのはソフィアの『一本背負い』だね」
ディーボが解説してくれた。な、何て見事な「投げ」なんだ? あんなに人が吹っ飛んだ投げを見たのは、初めてだ。
リング上に転がったブルボーネは、キッとソフィアをにらむと、今度は走り込んで、右フックを繰り出した。
しかしソフィアは両手をクロスさせ、ブルボーネのアゴに、その両手を当てにいった。
ズダン!
ブルボーネの巨体はひっくり返ってしまった。
「す、すごい」
僕は声を上げてしまった。恐らく「魔力」を込めた「当て身技」なんだろうが、まるでブルボーネが壁にでもぶつかったようだ。
「このヤロー!」
ブルボーネはフラフラと立ち上がり、中段蹴りを出す。まるで丸太のような太い脚だ。まともに喰らったら、相手はあばらが折れるだろう。
しかしソフィアはすずしい顔で、その蹴りをいとも簡単に右腕で抱え込んで──掴んでしまった。すぐにブルボーネの左足を右方向にひねる。
「う、うまい!」
僕は叫んでいた。
ブルボーネはバランスを崩し、仰向けに倒れた。ソフィアはそのままジャンプし、自分の膝をブルボーネの腹部に叩き落した!
ズドッ
鈍い音がした。
ソフィアはサッと離れる。
「そ、そこまで!」
ブルボーネの担当指導者が、リング上にあわてて上がり込んだ。ブルボーネは腹を押さえてうめいている。すぐに施設常駐の治癒魔導士もリング上に上がったが、特に治癒魔法は唱えないようだ。打ち身用の薬だけを、ブルボーネに貼りつけている。
ソフィアは最後の膝落としを、手加減したようだ。
それにしても──勝負は決した。僕も周囲の野次馬も、ソフィアのあまりの強さに声が出なかった。ソフィアは一礼している。
「い、一体、彼女は……ソフィアは何者なんだ?」
僕はディーボに聞いた。
「僕と同じ、バルフェスの学生だよ。ああ、僕はバルフェス内ランキングの一位だけど」
「え? じゃあ、君はソフィアより強いのか!」
僕は目を丸くして、ディーボを見た。
「そう。レイジ君、君もエースリートの一位だし、二月の個人戦で、僕とソフィアと闘うことになるかもしれないね」
二月の個人戦……! あっ、そうだった。来年の二月に、グラントール王国主催の、学生魔導体術個人戦トーナメントがあるんだった!
ディーボは、「では」と言って、ソフィアの方に行ってしまった。ソフィアはリング上から、僕に向かってかわいらしく手を振っている。僕も手を振ったが、僕の手は震えていた。
一方のブルボーネは、肩を落とし、すごすごとリングを降りた。
宮廷直属バルフェス学院……! 何て手強いんだ!