というわけで、クゥン君を伴って『散策』に向かった。
 行き先はもちろん、

「あーっはっはっはっ! バルルワ村とはな!」ヴァルキリエさんが馬上で笑う。「しかも馬で、とは。今度の奥さんはずいぶんとたくましいようだ」

「相乗りですけどね!」

 百騎もの騎兵が動く轟音に負けないように、私は声を張り上げる。
 私はクゥン君が操る馬に相乗りさせてもらっている。
 着替える時間はなかったため、ドレス姿のままで。
 当然、がばっと脚を開くのははばかられるので、クゥン君の前で横座りになり、クゥン君に抱きしめてもらっている。

 甘ショタボーイの細いのにたくましい腕、たまらん。じゅるり。
 ……なぁんて軽口でごまかしてるけれど、私はいよいよ、クゥン君に夢中になりつつある。
 彼の心音に耳を傾け、ドギマギしている。
 まずいなぁ、実にまずい。
 私はこの世界では既婚者で、今晩にもあのサイコパス辺境伯と夜を共にしなければならないというのに。
 好きになればなるほど、傷が大きくなるだけだと分かっているのに。
 つい、クゥン君の顔に目がいってしまう。彼の、幼くも凛々しい顔を見つめてしまう。

 ダメだ、話を戻そう。
 百の騎兵は全員が人間のようだった。
 クゥン君を見て「獣人が馬に乗るなんて」と陰口を叩く人もいた。
 アプリケーションズ領では、ここまで露骨な差別はなかったとエクセルシアの記憶にはあるのだけれど。

 辺境伯には、この差別風習を何とかする気はないんだろうか。ないんだろうなー。
 何なら積極的に対立あおってそう。
 愛沢部長は、総務部内の各課――総務課・設備管理課・情報システム課間の対立をあおることで、自身に不満の矛先が向かうのを巧みに回避していた。
『分断統治』って言ってたな(口に出すなよ、とも思ったが、そういうことを冗談めかして口にしてしまうところがまた、サイコパスなのだ)。
 分断統治は、被支配者層同士をわざと争わせ、統治者に矛先が向かうのを避ける手法。
 古代ローマでも歴代の中国でもソ連でも日本でも行われてきた、伝統的にして最低最悪なマネジメント手法だ。

 左右を険しい森に囲まれた道を抜けると、草原に出た。
 と同時に、無数の怒号と悲鳴が聞こえてきた。
 視線の先には、領都とは比べ物にならないほど貧相な壁――いや、民家レベルの石垣に囲まれた村と、それを取り囲むゴブリンの軍勢。
 クゥン君の生まれ故郷が、戦っているのだ。

「弓構え!」

 百の騎兵は全員、弓と剣で武装した弓騎兵。
 弓騎兵というとモンゴルのイメージしかなかったけど、ヴァルキリエさんの号令で一斉に弓を構える騎兵を見て、考えが変わった。
 疾走しながら、弓を構える。
 素晴らしい練度。しかも、百騎もいる。

「放て!」

 縦一列の陣から放たれた百本の矢が、雨のようにゴブリンたちに降り注ぐ。

「ギャッ!」
「グギャゴッ!」
「ゴフッ!」

 粗末な衣類しか着ていないゴブリンたちが、バタバタと倒れていく。
 騎兵たちは疾走を続けながら塀を並走し、再度一斉射する。
 再び、バタバタと倒れるゴブリンたち。
 そのまま村の外周をぐるりと回るものだと思っていたのだが、

「反転!」

 ヴァルキリエさんが妙な指示を出した。
 同時、ヴァルキリエ様の馬が180度転換する。後続の騎兵たちもそれに続く。
 帰りも同じく一斉射する。
 が、ゴブリンの数がずいぶんと少ない。
 私たちの目の届かないところまで、多数のゴブリンが逃げていってしまったのだ。
 元いた地点に戻ったころには、生きているゴブリンはいなくなった。

「下馬! 警戒を厳にしたまま待機!」

 ヴァルキリエさんが、信じられないような指示を出した。

「えっ、追わないんですか!?」

 村の外周をぐるりと回れば、少なくとも塀に取りついているゴブリンたちは一掃できそうなのに。

「今駆け抜けたラインが」悔しそうな顔のヴァルキリエさん。「獣人自治区と辺境伯領の領境なんだ。領軍の越境は認められていないんだよ」

「助けに行けないってことですか!? ここまで来て!?」

 塀の中からは、相変わらず怒号と悲鳴が聞こえてくる。
 ゴブリンたちが塀をよじ登り、中に入り込んでいるのだ。

「バルルワ村の人たちも、助けてくれるのなら越境を認めるのでは!?」

「そうじゃないんだ」ぎゅっと拳を握るヴァルキリエさん。「越境を禁じているのは、旦那様――フォートロン辺境伯閣下の方なんだ」

 辺境伯――あのエロじじいが!?
 何で!?

「異なる国に軍を進駐させるのは友愛精神にもとるから、と。村からは再三、救援要請を受けている。私からも、何度も旦那様に上奏しているのだが……」

 見れば、騎兵たちは『ひと仕事終えた』とばかりにのんびりしている。
 日常茶飯事なのだ、この異常な光景が。

「そんな……」

「グルルル……」

 苦しげなうなり声に振り向いてみれば、クゥン君が強く強く唇を嚙んでいた。
 塀の向こうからは、今なお悲鳴が絶えない。
 そんな、そんなことって。
 練度十分な百の弓騎兵が、ここにいるのに。
 3対1でもゴブリンを圧倒したクゥン君がここにいるのに!
 私たちはただ、ここで指をくわえて、バルルワ村の人たちを見殺しにすることしかできないっていうの!?
 何かないか、現状を打破するための手段が――――……そうだ!

 私は手の平に魔力を意志を込めて、馬の額をそっと撫でる。

(お願い、走って!)

 ――ヒヒーン!

 私の願いが通じたらしく、馬が村に向かって走り出した!

「エクセルシア令嬢!? 何を――」

「わーっ、馬が暴走してしまいました! 降りられません! クゥン君、私を見捨てたりしないよね!?」

「っ、もちろんです!」

 私の意図を酌んだクゥン君が馬を御し、村へと突撃させる。

「なんて下手くそな芝居――いや」ヴァルキリエさんがニヤリと微笑む。「いいか、死ぬんじゃないいぞ!」

 馬が疾駆する。
 塀がぐんぐんと近づいてくる。

「行け!」

 クゥン君の指示と同時、馬が大きく飛び上がった!
 塀を飛び越える。
 そうして、私が目にした光景は――

「うっ……」

 血なまぐさい、地獄の戦場だった。
 多数のゴブリンたちに蹂躙される獣人たち。獣人たちは女子供や老人ばかりだ。

「い、嫌ぁっ」

 ゴブリンに追いかけられていた幼い少女が、転ぶ。

「グゲゲゲッ!」

 その少女を殺そうと、ゴブリンが斧を振り上げる――

「ウガァァアァアアァアアアアアアアアアアッ!!」

 クゥン君のシャウト!
 魔力の載った咆哮がゴブリンに叩きつけられる。とたん、金縛りにあったみたいに動けなくなるゴブリン。
 クゥン君が馬から飛び降り、剣でゴブリンの首を刎ねる。

「クゥン兄ちゃん!」

「キュンキュン、お前は裏道を使って教会へ避難しろ!」

「うん!」

 クゥン君と少女の間でやり取りがあり、少女が去っていく。
 私も馬から降りる。馬の額を撫でて、

「ごめんね。怖い思いをさせてしまった。キミは戻っていいよ」

 果たして意図が伝わったのか、馬が再び塀を飛び越えて戻っていった。

 さて。勢いでバルルワ村の中にまで来てしまったが、これからどうしようか。
 クゥン君はといえば、四つ足で獣のように戦場を駆け回りながら、次々とゴブリンを屠り、死に瀕していた村人たちを救いつつある。
 けれど、頭に血が上ってしまったのか、私のことは完全に忘れてしまっているようだ。

 それはまぁ、いい。そうなることを覚悟したうえで、ここまで来たのだから。
 とはいえこんな道のど真ん中で突っ立っていたら、『殺してください』と言っているにも等しい。物陰に隠れるべく路地に入る。

「ゴブゴブ!」

 すると運悪く、1体のゴブリンと鉢合わせになった。

「ひっ――」

 ヴァルキリエさんからお借りしてる短剣を抜こうとするが、手が震えて上手く抜けない。
 ゴブリンが斧を振り上げ、私の頭を真っ二つに――

「ゴギャッ!?」

 する前に、倒れた。角材で後頭部を強打されて。

「お姉ちゃん、こっち!」

 先ほどクゥン君に助けられた少女が物陰から出てきて、私の手を引く。
 隠し通路、だろうか。壁のように巧妙に偽装された引き戸の中から、地下通路へ入っていく。

「お姉ちゃんがクゥン兄ちゃんを連れてきてくれたんでしょ? ありがとう!」

 暗くじめついた通路を歩くこと、しばし。
 やがてハシゴで外に出ると――

「ここは……教会?」

 礼拝堂のような場所に出た。
 村の避難場所らしく、多くの獣人たちが身を寄せ合っている。

「そう、教会」少女が微笑む。「この村で一番高い丘に立っているの。建物も村で一番頑丈なんだよ!」

 ガラス窓の外を見てみれば、少女の言葉のとおり教会は小高い丘の上に建てられており、塀で守られている。
 村人たちが塀の上に上がって、長槍でゴブリンたちに応戦している。
 怖くなって、私は視線を礼拝堂の中に戻す。

「……ん?」そうして、気づいた。「これは?」

 礼拝堂の最奥、ご神体が奉られる場所に、自動人形が鎮座している。
 メイドタイプとは全然違う。全身がずんぐりむっくりと大きく、装甲のような鉄板で覆われている。
 何より、でかい。全長5メートルはあるんじゃないだろうか。

「鉄神(てつじん)様だよ!」

「鉄人?」

「うん! 鉄の神様! この村ができたころからずっと、見守ってくださっているんだよ」

「鉄『神』」

 村人たちが、隠し通路から続々と入ってくる。
 クゥン君が無双しているらしく、クゥン君のお陰で九死に一生を得た的な声をたくさん聞いた。
 クゥン君、やっぱりめっちゃ強いのな!

「うわぁっ!」
「ひぃっ」

 教会の正面扉が開き、塀の上で戦っていた村人たちが転がり込んできた。

「扉を閉めてくれ!」
「あんなの、敵うわけがない!」
「あぁ、鉄神様、お守りください!」

 村人たちの顔は恐怖で染まっている。
 いったい何が、

 ――ゥボォォォオオオオォオオォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!

 身もすくむような咆哮が、扉の向こうから聞こえてきた!
 と同時に、ものすごい勢いで、扉が殴りつけられる。
 一度、二度、三度。
 ついに、扉が砕け落ちてしまった。
 扉の向こうから現れたのは、あまりにも巨大な、

「ホブゴブリン!」

 全長5メートルはあろうかという巨体と、右手にぶら下げている、丸太のような大きなこん棒。
 ゴブリンの上位種・ホブゴブリンだ。
 しかも、そのホブゴブリンが左手にぶら下げているのは、

「クゥン君!!」

 ボロ布のように成り果てたクゥン君が、足をつかまれて宙吊りにされている!
 クゥン君は血まみれだ。

「ゥボォォォオオオオォオオォオオオオオオオオオオオオオォオオオオオオオッ!!」

 再び、ホブゴブリンのシャウト。
 暴風が巻き起こる。私の体は軽々と吹き飛ばされる。

「ぎゃっ」

 何かに背中を打ちつけた。
 霞んだ視界の先では、さらに数十体のゴブリンが教会内に雪崩れ込んできたところだった。
 シャウトによって戦意をくじかれた村人たちと、リーダーの登場で士気上昇中のゴブリン軍による、絶望的な戦いが始まる。

「あぁ……あぁぁ……クゥン君……」

 ホブゴブリンが、クゥン君の華奢な体を振り上げ、地面に叩きつける。
 何度も、何度も。おもちゃで遊ぶ子供のように。
 このままでは、死んでしまう。
 クゥン君が――私の命の恩人が、死んでしまう!
 どうしよう。どうすれば。どうしようもない。
 剣も魔法も使えない、華奢な16歳の体に過ぎない私には、あんな巨大な怪物を相手に戦うすべなんてない。

「助け……誰か助けて……」

 祈るしかない。

「助けて……」

 何に祈ればいい?
 無宗教だった私には、祈るべき神がいない。
 それでも、どうしようもなくなった私にはもう、祈ることしかできない。

「お願い……………………クゥン君を、助けて!!」

 私の命は、もう、いい。
 どうせ1度は死んだ身だ。
 けれど、彼は。彼の命だけは。
 あんなにも健気で良い子が、十代半ばで死んでしまうなんて、間違ってる。
 クゥン君だけは、絶対に死なせるわけにはいかない!

 そのとき、




 ――プシュー




 と、場違いに機械的な音が聞こえた。
 見上げると、そこに鉄神様がいた。私が背中を打ちつけたのは、鉄神様だったのだ。
 その、鉄神様の背中――ハッチが開いている。
 体の痛みを押し殺し、私は鉄神様の体によじ登り、ハッチの中に転がり込む。
 中は操縦席のようになっていて、ボタンや操縦桿がたくさんついている。
 無我夢中で押しまくってみるが、鉄神様は反応しない。

「ギャッ!」
「ぐあああ!」
「お母さーん!」

 外からは、村人たちの悲痛な声が聞こえてくる。
 早く! 早く動いて!

「ゥボォォォオオオオォオオォオオオオオオオオオオッ!!」

 ――ガァン!
 と、鉄神が殴りつけられた。ホブゴブリンだろうか。

「キャッ……あれ?」

 その衝撃で、私の手元に何かが落ちてきた。

「これ、キーボード!?」

 しかも、日本語表記が入っているJIS配列!
 何で異世界にキーボードが!?

「あっ」

 有線キーボードの配線の先、コックピット正面に、小さなモニタがあることに気づいた。
 真っ黒な背景のモニタには、

 >_

 と、ただそれだけが表示されている。アンダーバーが静かに点滅している。
 待っているのだ。搭乗者による命令を!
 私は震える指で、『r』、『u』、『n』と打ち込んだ。エンターキーを押す。

 >run

 とたん、何やら無数の英数字がものすごい勢いで流れていき、最後に、

 All ready.

 と表示された。
 再びコンソールが待機状態になる。と同時、

 ――ヴゥゥウウウウウウウウウウウウン

 という駆動音に鉄神様が包まれた。
 起動したのだ!

「戦うにはどうすれば!?」

 試しに、『move』と打ってエンター。
 すると、鉄神が立ち上がって前進を始めた!

 一歩、
  二歩、
   三歩。

 でもダメだ。前進するだけじゃ意味がない!
 何かないか、戦うためのコマンドは!?
 私は『battle』と入力してエンターキーを押す。

 >battle

『'battle' は、内部コマンドまたは外部コマンド、操作可能なプログラムまたはバッチ ファイルとして認識されていません。』

 あぁクソっ、ダメか。って、これってまさかコマンドプロンプト!?
 ってことは――

 >help

 きたきたきたっ!
 真っ黒なコンソール画面に、このロボットを動かすためのコマンドがずらずらと表示された。中でも便利そうなコマンドが、

 >autobattle

 入力してエンター。とたん、無計画に前進していたロボットが反転し、ホブゴブリンに向き合った。自動戦闘モードだ!
 さらには、コンソールとはまた別のモニタに、ロボット前方の画像が映し出される。
 モニタの中では、ホブゴブリンがクゥン君を投げ捨て、丸太のようなこん棒を振り下ろすところだった。

 ――ガキンッ!

 だが、そのこん棒はロボットの手によってあっさりと受け止められた。
 ロボットの左手が、こん棒を握りつぶす。空恐ろしいほどの握力だ。
 ホブゴブリンが、左拳で殴りつけてきた。
 が、その拳もまた、ロボットの右手につかまれ、握りつぶされる。

「グギャァアアアアア!」

 ホブゴブリンの悲鳴。

 圧倒的。
 圧倒的だった。
 それは、『戦い』ですらなかった。
 単なる『作業』に過ぎなかった。

 ロボットが拳を振るう度に、ホブゴブリンの腕が、脚が、胴がひしゃげ、ちぎれ、はじけ飛んだ。
 あれほど強かったはずのホブゴブリンが――クゥン君でも敵わなかった、バルルワ村総出でも敵わなかった相手が、ものの数秒で『処理』された。

「ゴブ!?」
「ゴブゴブ!」

 リーダーの死亡を知ったゴブリンたちが、我先にと逃げてゆく。

「クゥン君!」

 私はハッチから外へ飛び出す。すると、

「「「「「わぁ~~~~っ!! 女神様ばんざーい!!」」」」」

 村人たちの歓声に出迎えられた。
 女神? 何の話?
 それよりクゥン君はどこ!?
 私は人込みをかき分けて進んでいく。すると、

「若奥様!」

 村人たちに支えられながら、クゥン君が出てきた。

「クゥン君!」

 生きてる! クゥン君が、生きてくれている。こうして、微笑んでくれている。

「あぁ、あぁ、良かった。良かった!」

「若奥様。いえ、女神様。オレたちをお救いくださり、本当にありがとうございます」

 クゥン君がひざまずこうとする。が、上手くいかない。
 それも当然だ。彼は全身血まみれで、生きているのが不思議なくらいなのだから。
 クゥン君がバランスを崩し、倒れそうになる。

「む、無理しないで!」

 私はクゥン君を抱きとめる。
 思ったより重くはなかった。
 彼は、私――エクセルシアよりもなお、背丈が低い。
 まだ、子供なのだ。子供なのに、こんなにも小さな体で、私を、村の人たちを救ってくれたのだ。

「わたっ、私っ、クゥン君が死んでしまったのかと思って……うぅっ」

 声が震える。涙が止まらない。
 年甲斐もなく、私は泣いた。クゥン君の体をぎゅっと抱きしめる。
 すると、遠慮がちな様子で、クゥン君が私を抱きしめ返してくれた。

 私は幼子のように泣く。
 声を上げて、わぁわぁと泣く。
 私の背中にそっと触れる彼の指先の、その温かさで、私はようやく生きていることを実感できた。
 エクセルシアは、私は、今ようやく、この世界で生まれたのだ。