天地が引っくり返る衝撃とともに、『私』は目覚めた。
「きゃあッ!」
馬車と思しき狭い空間が何度も何度も回転する。
地震!?
いや、私が乗っている馬車が、崖か何かを転がり落ちているのだ。
――ヒヒーンッ!
外からは、馬の悲鳴が聞こえてくる。
ひときわ大きな衝撃とともに、回転が止まった。
「うっ」
全身が痛い。
「……え?」
自分の体を見下ろして、私は呆然となる。
これは、誰だ?
私はこんな綺麗なドレスなんて着たことがないし、アラサーの手指はこんなにつやつやしていない。
それに、
「こっ、これは!?」
ガラス窓に映った顔を見て、私は悟った。
「異世界転生だ!」
いや、転生ではなく憑依かな?
いずれにせよ、初手馬車滑落とはハードモードな。いや、
「この顔は! うおーっ、転生容姿ガチャ勝ったどーっ!」
長くウェーブがかった銀髪に、淡い琥珀色の瞳。二重まぶたの上に載ってるまつ毛は超長い。まごうことなき美少女だ!
年齢は十代前半くらいかな?
勝ったながはは。ハードモードだなんて、とんでもない。これは優勝ですわ。
異世界でショタっ子集めてぷにショタランド開園待ったなしですわ。
「って、熱っ! 熱い! 何で!?」
馬車が! 馬車が火に包まれている!
火事場のクソ力というやつで、私は馬車の扉を蹴破ることに成功した。
外に飛び出す。
「助かっ――」
――ヒュッ、ガツン!
目と鼻の先を何かが通り過ぎ、馬車に突き刺さった。
これは、矢!?
「ひっ」
私は思わず、その場に座り込んでしまう。
「グギャギャギャギャッ!」
「ゴブグギャ!」
「ギャギャギャ!」
醜い姿をした小人――ファンタジー世界の定番・ゴブリンが3体、森の中から現れた。
斧持ち、弓持ち、魔法使いっぽい杖持ち。
杖の先には炎が灯っている。あの炎が、馬車を燃やしたのだろうか。
「に、逃げなきゃ」
ダメだ、腰が抜けてしまって動けない。
「武器、何か武器になるものは――」
ない。
「グゲゲ」
ゴブリンたちが近づいてくる。
「い、嫌……嫌ぁ……」
ゴブリンに捕まった子女の末路というのは、悲惨だ。
私はゴブリンたちに向けて手をかざして、
「ファ、ファイア!」
出ない。
「アイスアロー!」
何も出ない。
「アイテムボックス」
無駄だった。
ゴブリンの1体が、私の腕を捻り上げた。
「嫌ぁ……!」
死にたくない。
いや、死よりももっとおぞましい目に遭うのだ。
嫌だ! 絶対に!
「助けて……誰か助けて!!」
「若奥様から離れろ!!」
凛と響く声とともに、剣士風の少年が飛び込んできた!
少年が剣を振るうと、ゴブリンが跳び退く。
「若奥様、下がっていてください」
少年剣士が、私をかばう形でゴブリンたちに立ち向かう。
分からないことだらけだが、どうやら彼は味方であるらしい。
使い込まれた様子の革鎧と革兜に身を包んだ後ろ姿は、頼もしい。
そうして、死闘が始まった。
「ゴブゴブ……ゴギャ!」
杖持ちゴブリンが何かを詠唱した。
とたん、巨大な火の玉が少年に向かって飛んでくる!
私は動けない。どうすれば――
「ウガァァァアアァアァアアアアアアアアッ!!」
少年がシャウトした!
猛烈な風が巻き起こり、火の玉が押し返される。
さらに、ゴブリンたちが金縛りにあったみたいに動かなくなった。
少年がケモノのように身をかがめ、地を這うように突進する。
3体のゴブリンのうち、斧持ちがいち早く金縛りから復活し、斧を振り上げる。
が、遅い。そのころにはもう、少年がゴブリンの胴体を斬り裂いていた。
弓持ちが矢をつがえ、私に向けて構える。
が、弓が放たれるよりも、少年の剣が弓持ちの首を刎ねる方が早かった。
最後の1体は、自分が放った炎に焼かれて転げまわっていた。
少年は杖持ちが仰向けになったタイミングで、冷静にその喉を掻き切った。
圧倒的。
圧倒的な強さだった。
たった十数秒の戦いで、私は死の窮地から救われた。
「若奥様、お怪我はございませんか?」
少年が振り向く。
少年は、とびっきりの甘ショタ美少年だった。
けれど今の私には、『甘ショタサイコー!』とのん気に喜ぶ余裕はなかった。
斧持ちゴブリンが起き上がり、少年に斬りかかってきたからだ!
「後ろ!」
私の精一杯の警告に、少年は迅速に反応した。
が、少年が剣を振り上げるよりも早く、ゴブリンの斧が少年に届いた。
斧が革兜に当たり、兜が跳ね飛ばされる。
だが次の瞬間、少年の剣がゴブリンの首を刎ねた。
「キミ、大丈夫!?」
私は駆け寄り、少年の髪をぺたぺたと触る。
良かった、血は出ていない。
最後の一撃は、兜がちゃんと受け止めてくれたらしい。
「痛いところはない? ――って、その耳!?」
耳! 犬耳!
もふもふの耳が、ふわふわな茶色い髪の間から生えている!
短めの茶髪、大きな二重まぶたの奥にあるのはくりっと愛らしい黒の瞳。まごうことなき甘ショタだ。
「す、すみません! お見苦しいものを」
ワンコ少年が、ぺたっと耳を伏せる。
革兜を拾い上げ、そそくさと被ってしまった。
「どうして? ぎゃんかわ――ゲフンゲフン、とっても素敵な耳じゃない。可愛らしいわ」
顔を真っ赤にさせる少年。
私も小柄なようだが、少年も負けず劣らず小柄だ。
こんなに小さな体で、私を守ってくれただなんて。
「キミ、お名前は?」
「!?」
あれ? 甘ショタがフリーズしてる。
「おーい」
「ハッ!? 失礼いたしました」ざざっとひざまずく。「オレのような下級兵の名をお尋ねくださるお貴族様など、初めてでございましたので」
えー何そのブラック社会。
ってか私、貴族なの? あー貴族だった気がするわ。
なんか、『私』としての記憶がじんわりと浮かび上がってきた。
「オレの名はクゥン = バルルワ。バルルワ族の戦士であり、今は若奥様を守る任に就かせていただいております」
「クゥンきゅん! なんて甘々な名前!」
「きゅ、キュン? 甘々?」
「ごめんなさい、こっちの話。重ねてごめんなさい。名前を聞くなら、先にこちらから名乗るべきだったわね。私は――」
「存じ上げております」ワンコ少年――クゥン君が微笑む。「貴女様のお名前は、エクセルシア = ビジュアルベーシック = フォン = アプリケーションズ。偉大なるアプリケーションズ侯爵家の第31子にして、この度、我らが主・コボル = フォン = フォートロン辺境伯様の妻となられたお方です」
エクセルVBA。何とふざけた名前だろう。
私、エクセルシア16歳。
没落寸前の侯爵家の末子で、借金のカタとしてフォートロン辺境伯に嫁ぐことになった。
何というハードモード。
この優れた容姿を差し引いても余りあるほどの、ハードモードだ。
なんたって、フォートロン家は何十年もの間、アプリケーションズ家とライバル関係にあった家であり、私は売り飛ばされた身。絶対イジメられるじゃん。
しかもよ?
コボル = フォン = フォートロン辺境伯はすでに665人もの妻を娶っていて、御年56歳なのである!
終わったわ、私……。
「あの、若奥様?」
私が遠い目で青空を見上げていると、ワンコ少年剣士ことクゥン君が話しかけてきた。恐る恐るといった様子で、
「若奥様を危険に晒してしまい、本当に申し訳ございませんでした。無理にでも、若奥様のご実家までお迎えに上がるべきでした」
私はクゥン君から説明受ける。
クゥン君は私の専属護衛騎士。
彼は私を出迎えるために辺境伯領都で待っていたが、約束の時間である正午を回っても馬車が来なかった。
不安になった彼は街道奥深くの森まで私を探しに来てくれて、あわやゴブリンに攫われるところだった私を助けてくれたというわけだ。
「クゥンきゅん最高! 命の恩人! 甘ショタ!」
私は感極まってしまって、思わずクゥン君を抱きしめる。
身長は私が155センチ、クゥン君が150センチくらいだろうか。
「――って、そんなことよりも!」
私はクゥン君から体を離す。
真っ赤になっているクゥン君に対して、
「クゥン君、怪我してない? 大丈夫?」
「大丈夫です。若奥様にお救いいただいたので」
「何言ってるの、助けてもらったのは私の方じゃない。本当にありがとう」
クゥン君の手をぎゅっと握ると、クゥン君の尻尾がぶわわっとなって、
「もったいなきお言葉! この先、オレが若奥様より先に死ぬことはあり得ません」
え、何それ突然のプロポーズ?
あ、違う。護衛として死んでも守るって意味だわ。重っ、激重っ!
居心地が悪くなって、私は視線をそらす。
すると、今なお激しく燃え続けている馬車が目に入った。
視線を上げると、坂の半ばで馬が倒れ伏していた。
「あの馬は」クゥン君が少し悲しそうな顔をして、「もう、息絶えています。立派に戦い、若奥様を守ったのです。名誉の死です」
「……そう、ね。あっ、御者さんは無事かしら!?」
「あのぅ」
そのとき、心底申し訳なさそうな声とともに、木々の陰から初老の御者が現れた。
御者は震える手に剣を携えている。護衛も兼ねているのだ。
「ご無事でしたか、お嬢様?」
「貴様、護衛が真っ先に逃げ出すなんて」
クゥン君の怒りで、空気がビリビリと震える。
御者が尻餅をつく。
「まぁまぁまぁ」
私はクゥン君を後ろから抱きしめる。
「ステイステイ。ゴブリンが3体も出てきたんじゃ、逃げ出したくもなるって。そもそも魔物が出る森を護衛兼御者1人で渡らせようとする、私の実家の方がオカシイんだから」
◇ ◆ ◇ ◆
馬も馬車も失ってしまったので、徒歩で領都に向かう。
私は、先導してくれるクゥン君の背中を――私よりも背丈の低い、なのにとても大きく感じる背中を見つめる。
街道は森に飲み込まれそうになっていて、昼なお暗い。
いつ魔物が飛び出してくるかも分からないこの世界で、彼だけが私を助けてくれる唯一の存在のように思えた。
訳も分からないまま異世界転生して、いきなり殺されかけて。
ヒステリックに泣き叫ばずにいられたのは、クゥン君がいてくれたからだ。
この子は、突然異世界に放り出された私の、命綱。
私の寄る辺だ。
歩いているうちに何度か魔物と遭遇したが、いずれもクゥン君が一蹴してくれた。
なんて頼もしいのだろう。こんなにも小さな、年端もいかない少年なのに。
クゥン君を見つめていると、顔が熱くなり、胸が高鳴る。
いやいや、何を考えているんだ私。
相手は(前世も合わせると)一回り以上は年下の相手だぞ。
そうだ、これは恋愛感情じゃない。吊り橋効果というやつだ。
うん、そうに違いない。そういうことにしておこう。
「お疲れではありませんか、若奥様?」
「へぁ!?」
そんな彼に突然話しかけられて、私はしどろもどろになる。
「だ、大丈夫だよ。クゥン君こそ疲れてない?」
「っ! オレは大丈夫です。鍛えておりますので」
直立不動になり、キリっとした表情を見せてくれるクゥン君。だけど尻尾は正直で、ぶんぶんとものすごい勢いで振られている。
そんな姿がかっこいいやら可愛いやらで、私はもう、たまらない。
◇ ◆ ◇ ◆
「壁たぁっか!?」
「フォートロンブルグは王国最前線ですから」
大きな城門の前では、行商人風な人たちが列を成している。
「若奥様はこちらです」
私が列に並ぼうとすると、クゥン君が遠慮がちに袖を引いてきた。
「貴族用の門です」
先導するクゥン君に付いていく。
「獣人風情が、何の用だ?」クゥン君が近づくと、門番が顔をしかめた。「ここはお前のような汚らしいヤツが通れるところじゃない。病気が移るだろ、近づくんじゃ――」
門番が顔を青くして押し黙る。
私が取り出したハンカチ――そこに刺繍された、貴族家の紋章に気付いたからだ。
「行こう、クゥン君」
私は、罵倒されるがままじっとこらえていたクゥン君の手をぎゅっと握る。
クゥン君は驚いたような顔をしたあと、はにかむように微笑んだ。
門番が、そんな私たちの様子を、目を丸くしながら見ている。
……だいぶ分かってきた。
獣人って『そういう』扱いを受けているんだ。
だからクゥン君は耳を隠したり、自分のことをやたらと卑下する。
門の中に入ると、大通りはずいぶんと賑わっていた。
「それでは、お嬢様」御者が頭を下げる。「私はこれで。その、できれば……」
「分かってるわよ。貴方は魔物相手にけっして退くことなく戦い、私を守ってくれました」
涙ながらに頭を下げる御者とは、ここでお別れ。
そして、私たちは――
◇ ◆ ◇ ◆
「お屋敷でぇっか!?」
侯爵家である実家・アプリケーションズ家と同等かそれ以上の、大きなお屋敷。
クゥン君に案内され、屋敷の中に入る。
深紅の絨毯、高級そうな調度品、キラキラのシャンデリア。
豪華絢爛な屋敷の中はしかし、何やらどんよりとした空気で満ちている。
これは……?
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」
いきなり、背後から声。
「ひえっ!?」
慌てて振り向くと、顔色の悪い少女が立っていた。
「初めまして、エクセルシア令嬢。貴女の指導係を仰せつかりました、665番目の妻・クローネと申します」
肩まで伸びたふわふわな金髪と、伏せがちな青い瞳。
年のころは私よりもなお幼いくらいか。
笑顔ならとびきり可愛らしいであろう顔は、何やら深い疲労に包まれている。目の下のクマがすごい。
「わたくしはしがない騎士爵家の出。家格はエクセルシア令嬢の方がずっと上ですが、この家には特殊な『ルール』がありまして。そのルールに則った場合、貴女とわたくしは同じ『4等級』になりますので、貴女のことは『エクセルシアさん』と呼ばせていただきますね」
「は、はい。よろしくお願いいたします」
「では、まずは閣下へご挨拶に――って、エクセルシアさん、ずいぶんとボロボロですが大丈夫ですか?」
「あー、あはは」
道中、治癒魔法などは使えないのかとクゥン君に聞いたところ、尻尾を下げながら謝罪された。
かく言う私も魔法が使えない。
いや、1日に数回、コップ1杯程度の水を出す程度ならできる。けど、たったそれだけで魔力が枯渇する。
そしてそれが、この世界における一般的な能力水準なのだ。
「あら、額にも大きなたんこぶが。どうしましょう。魔力は閣下のために温存しておきたいところですが、しかしこんな状態のまま閣下の前に出してしまっては、友愛精神にもとります。仕方ありませんね。【小麦色の風・清き水をたたえし水筒・その名はラファエル――ヒール】」
暖かな光が私を包み込む。
とたん、体から痛みが引いた!
「おおお!?」
「続いて、【清らかな風・暖かな風・優しき精霊シルフよ・この者を清めたまえ――クリーン】」
爽やかな風に包まれたかと思うと、私の服と髪、体の汚れがきれいさっぱり落ちてしまった。
汗の臭いまで消えてる。
「ふぅ。では参りましょう」
額に薄っすらと汗を浮かべたクローネさんに案内され、屋敷の奥へと進んでいく。
クゥン君が無言でついてきた。
「魔法、すごいですね!」
「えぇ、便利ですよね」
「ではなく、クローネさんほどの魔法の使い手はなかなかいらっしゃらないのでは?」
「わたくしは魔法の才を認められて、閣下に娶っていただきましたので」
角を曲がると、メイドさんが雑巾がけをしていた。
「あ、どうもお疲れ様で――」
「「一人はみんなのために、みんなは一人のために」」
クローネさんとメイドさんが同時に言った。
「ひえっ」
まただ。
何、この宗教じみた感じは。
「こちらは」クローネさんが紹介してくれる。「99番目の妻・■■さんです」
「あ、奥さんでしたか。これは大変失礼を――え?」
奥さんなのにメイド服着て雑巾がけしてるの?
さらに廊下を進んでいくと、やはりメイド服で業務に勤しんでいる女性たちの集団が。
「「「「「一人はみんなのために、みんなは一人のために」」」」」
ひっ! 何なのコレ!?
私、とんでもないところに嫁いでしまったんじゃ……
「こちらは■■番目の妻・■■さん。こちらは■■番目の――」
「え、奥さんなんですよね? なんでメイド服で働いているんですか!?」
クローネさんは落ち着いた色のドレス姿だ。妻扱いされている。
けれどメイド服を着せられ、働かされている彼女たちは――
「彼女たちは5等級以下ですから」
「何なんですか、その『等級』って!? それに特殊なルールって!?」
「後ほどご説明いたします。申し訳ありませんが、今は一刻も早くエクセルシアさんを閣下の元へお連れしなければ」
クローネさんの顔色が、いっそう悪くなる。
「これ以上、友愛ポイントを引かれてしまっては、わたくしも5等級落ちしてしまうのです」
友愛ポイント? 等級制度?
家父長制が支配するこの世界では、貴族家のルールは全て家長が決める。
つまり、この薄気味悪いルールは全て、コボル = フォン = フォートロン辺境伯が定めたということになる。
クローネさんがずんずんと進んでいく。
私は不安でいっぱいになりながら、彼女のあとをついていく。
メイド服姿の『妻』たちの顔色は、悪い。
中には十分な食事を与えられていないのか、ひどくやせ細った女性もいる。
クローネさんが立ち止まった。
今や私たちの目の前には、大きく立派な扉がある。
「この先で、辺境伯閣下がお待ちです」
扉が開かれる。
部屋の奥に座っている優し気な男性と、目が合った。
とたん、私は思い出した。
私が死ぬ前に起こった、一連の出来事を。
『何でWeb会議システムが動かないんだよ!? これから大事な会議があるってのに、どうしてくれるんだ』
「申し訳ございません」私は電話に向かって頭を下げる。「どのWeb会議システムをお使いでしょうか?」
『どのって何のだよ!?』
「ZoomかTeamsかWebEXか」
『知るかよ! Web会議システムはWeb会議システムだ』
私は、深夜のオフィス――■■工業 総務部 情報システム課の天井を見上げる。
受話器から聞こえる、ヒステリックな男性の声が胃と脳にしみる。
「現在開いている会議システムのシステム名を読み上げていただけますでしょうか」
『ああ!? よく分かんねぇこと言ってないで、さっさと直せよ!』
「直すためにはまず、対象システムを特定しなければなりません。画面上部のタイトルを――」
『こっちは急いでるんだ。あと5分で打合せの時間なんだよ! この案件逃したらお前の所為だぞ!? この、コストセンターのごくつぶしが!』
ダメだ、らちが明かない。
「こちらからリモートで画面を拝見させていただきますので、パソコンのシリアルナンバーを教えてください」
『パソコンの……何!? こっちは急いでるっていうのに、何の話をしてるんだ、コストセンター』
プルルルルッ
プルルルルッ
私が社内問合せにかかりっきりになっていると、新たな電話が鳴り始めた。
「どうか落ち着いて」
『お前、コストセンターが営業に向かって偉そうな口を!』
この会社の営業ノルマはめちゃくちゃキツいと聞く。
だから、日々日々命を削って戦っている営業マンが、利益を上げない部門(コストセンター)である情シスをサンドバックにしたい気持ちはよく分かる。
分かるが、さっさとシリアルナンバーを教えてほしい。男のヒスはみっともないぞ。
「案件を逃さないためにも、どうか。シリアルナンバーはパソコンの背面部に――」
プルルルルッ
プルルルルッ
「■■ちゃ~ん」
朗らかな、としか表現し得ない声が聞こえてきた。
■■は、私の下の名前だ。
「■■ちゃん、電話鳴ってるよ」
総務部居室の奥で耳かきをしている五十がらみの男性――総務部部長、兼情報システム課課長の愛沢友人部長が、私に優しく微笑みかけてくる。
「早く出なよ。情シス宛ての電話をいつまでも鳴らしっぱなしにさせるとか、友愛精神にもとるんじゃないかな?」
『シリアルナンバーってコレだな? 言うぞ』
「あっ、はい。お願いします」
「おーい、■■ちゃん。上司が声をかけてるのに無視するの? 上司へのパワハラですか」
愛沢部長が、にっこりと微笑む。
『朗らか』としか表現しようのない、邪気のない笑みだ。
「マイナス5友愛ポイント。電話取れないなら他課の子に取ってもらうよ? その場合はマイナス100友愛ポイントになりますけど、いいですか?」
向かいの席では、顔を真っ青にさせた総務課の若手くんが、ぶるぶる震えながら私と受話器を交互に見ている。
私は若手くんから受話器をひったくる。
「はい、情報システム課です」
『エクセルが壊れたんだ!』何やらテンパった様子の若い声。『日付が変わるまでに客先に送らなきゃならないのに!』
時計は23:50。
『おい、聞いてるのか!?』もう1つの受話器からは、営業さんの声。『もうあと3分で会議なんだぞ!』
ポケットの中では、今日の昼からスマホがずーーーーっと鳴り続けている。
昨晩から、祖母が危篤なのだ。
けれど私は朝から、昼休みの間もずっとこんな調子で、電話に出ることができずにいる。
プルルルルッ
プルルルルッ
また、新たな電話が鳴り始めた。
情報システム課の電話は5台。座席も5つ。
けれど、愛沢部長からの苛烈なパワハラとセクハラで2人が退職し、1人が休職中、1人が数日前から無断欠勤なのだ。
愛沢部長は、決まって薄幸そうな若い女性を紹介派遣から採用する。
そしてお得意の『友愛精神』で相手を縛り、精神的に追い込み、洗脳し、夜の相手に誘おうとする。
私は今まで、部長の魔の手から逃れ続けることができた。
私の身長が高く、部長の好みじゃなかったからだろう。
『おい、会議が始まってしまう!』
『エクセルが!』
「■■ちゃ~ん、電話。閑静なオフィスでキンキンと電話を鳴らし続けるなんて、正気じゃありませんよ。僕が取りましょうか? でも、多忙な上司に電話を取らせるなんて友愛精神にもとるなぁ。マイナス友愛500ポイント」
ああ。
ああああ。
あああああああああああああああああああああああ!!
◆ ◇ ◆ ◇
終電の時間も逃してから、私はようやくオフィスから抜け出すことができた。
本社ビルの外で、母に電話をかける。
「も、もしもし」
『…………』
母は何も言ってくれない。
「あの、おばあちゃんは――」
『もう、とっくに亡くなったわ』
「あ……」声が震える。「そ、その。今からでもそっちに」
『言ったでしょ。もう、亡くなったの! 今から来たって意味ないじゃない!』
優しかった母からの、刺すような言葉。
『■■ちゃん、冷たくなったわよね。昔は、あんなにもおばあちゃんっ子だったのに』
「ねぇ、今から行くから――」
『意味ないって言ってるでしょ!? お願いだから来ないで。……一人にさせて』
通話が切られた。
膝の力が抜けて、私はその場に座り込む。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」
そのとき、背後から優し気な声がした。
「あ……愛沢……部長」
「ダメじゃないですか。みんな、まだ頑張ってるのに。一人だけ帰宅しようとするなんて」
薄暗い街灯の下で、愛沢部長がにっこりと微笑む。
「きゅ、休暇を……そっ、祖母が亡くなって」
「休暇? 何を言っているのですか■■ちゃん。先ほどのマイナス500友愛ポイントで、アナタの有給休暇取得権はゼロになりましたよ。ですが今だけ、失った友愛ポイントをプラマイゼロに戻す方法があるんです」
愛沢部長が手を差し伸べてくる。
「この手を取って。僕の愛を受け入れてください。それだけでいいんです」
「この……」
いくら相手が五十がらみのサイコパスだとしても、たとえ消去法で選ばれたのだとしても、この人が本心から私を好いてくれているのなら、一考の余地もあっただろう。
だけどコイツ、既婚者なんだよ!?
バツイチとかじゃなくて、ちゃんと奥さんと、3人ものお子さんがいるんだよ。
どんな道理で、こんな狂ったサイコパスの不倫相手探しのために、何人もの女性が人生をめちゃくちゃにされなくちゃならないんだ!?
「このっ、ゲス野郎ッ!!」
私は愛沢にバッグを投げつける。
「パワハラ? 上司へのパワハラですか? あ~あ、マイナス1万友愛ポイント。今のでアナタは、一生分の帰宅権を失いました。会社に泊まり込んでもらうことになります。家賃月額10万円は給与天引きなので、安心してくださいね」
愛沢が、にっこりと微笑んだ。
真正のサイコパス。
諸悪の根源。
世界の歪み。
こんな、こんなヤツのために、私は母から見捨てられたんだ!
■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい!!
けれど、そんな勇気も度胸もない私は、とにかくこのクソ野郎から離れたくて、深夜の街へと飛び出す。
涙でぐちゃぐちゃになりながら、走る。
だが、無理につぐ無理で全身ボロボロの私は、満足に走ることもできなかった。
横断歩道のど真ん中で盛大に転んだ私は、ヒールの踵を折ってしまった。
立ち上がろうとして、また無様に転ぶ。
――パァアーーーーパパパパパッ!!
何だ、このけたたましい音は。
まぶしい。
前が見えない――。
◆ ◇ ◆ ◇
ってな感じで、異世界転生装置(トラック)に轢かれましたとさ。
ちゃんちゃん。
ぐわあああ! 無様すぎるだろ私の最期!
どうして今、このタイミングで前世のことを思い出したのかというと、
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」にっこりと微笑む辺境伯。「初めまして。コボル = フォン = フォートロンです。お会いしたかったですよ」
これだ。
妻たちを下女として働かせ、ろくな食事も与えず、『友愛ポイント』とかいう宗教じみた概念で縛る。
そんな地獄の監獄を運営しておきながら、この『朗らか』としか言いようのない笑顔。
ひどい既視感があるのだ。
もしやコイツ、あのクソクソサイコパスゴミクズ愛沢部長の生まれ変わり、転生じゃあるまいな?
もしそうだとしたら、マズい。
何しろ今の私は、とても弱い立場にある。
そんな私の中身が■■だとバレたら、前世同様イジメ尽くしてくるに決まっている。
追い込んで追い込んで追い込んで、徹底的に相手の心身を疲労させ、まともな思考ができなくなったところで、甘い笑顔と言葉で懐柔する。
それがアイツの常とう手段だった。
「ようこそ、エクセルシア令嬢。いや」辺境伯の手が私の頬に触れる。「我が666番目の妻、エクセルシア = フォン = フォートロンよ」
その手が首筋を伝って肩に触れ、ねっとりと腕を撫でて、私の手に絡みつく。
私は鳥肌が止まらない。
コイツが『いかにもな悪役貴族』って姿をしていれば、まだ良かったのに。
この男、デブでもハゲでもなく、顔も悪くない。
背丈は180センチはあるだろうか。
手指や頬に肉はついているものの、腹はそんなに出ていない。
顔面には年相応のしわが刻まれているものの、肌は割とキレイだ。
さらには、とても優し気な、朗らかな笑みを顔に貼りつかせている。
口調も丁寧だ。
だからこそ、余計に際立つのだ。
妻たちを『等級』とかいう意味不明なレッテルで管理し、ろくな食事も与えず、やせ細らせてなお下女として働かせている異常性が。
しかも、
「あれって――」
壁際に、10体ほどの自動人形が立っている。
そう、このファンタジー世界には二足歩行のメイド型ロボットが存在する。
「ん? どうしましたか」
私の腰に手を伸ばそうとしていた辺境伯が、首を傾げる。
「あれって、自動人形ですよね」
「はい、そのとおりです。フォートロン領はこのとおりモンティ・パイソン帝国と領土を接していますから」
「なら、あれを働かせればいいのではありませんか?」
「もったいないではありませんか」
「……え?」
「戦の絶えなかった時代は、この地は帝国から鹵獲した自動人形であふれ返っていたと聞きます。ですが、この数十年は平和であったがゆえに、新たな自動人形が手に入らなくて。この自動人形たちは、今なお動く最後の10体なのです。ならば、辺境伯たるこの僕のために使うべきでしょう? それとも、僕の世話など不要だと言うのですか? それは何とも、友愛精神にもとる考え方ですね」
何を言っているんだ、この男?
妻より人形の方が大事って言ってる?
人形は『もったいない』ってつまり、妻はもったいなくないの? 妻は消耗品?
妻たちをガリガリにやせ細らせながらなお酷使しておいて、何をヘラヘラ笑っているんだ?
「あのー、何を言って――あいたたた!」
クローネさんが鬼の形相で私の尻をつねってる!
「閣下」クローネさんの顔は真っ青だ。「ほんの少しだけ、エクセルシアさんをお借りいたします」
私はクローネさんに引きずられ、部屋の外へ。
「口答えをしてはいけません! 絶対に!」
「いや、だってどう考えてもおかしいじゃないですか」
「口答えするなって言いましたよね!? 指導係は連帯責任になるんです。これ以上、私の友愛ポイントを減らされるわけにはいかないんです。もう余裕がないの!」
「…………」
クローネさんの、目。
異常を異常と考えられない、洗脳されきった目。
愛沢部長に支配されていた、総務部メンバーたちと同じ目だ。
辺境伯の部屋に戻る。
「お、おほほほほ」私は無理やり笑顔を作って、「さすがは旦那様。友愛精神に満ちた、素晴らしいお考えですわ」
「そうだろうそうだろう」
辺境伯、朗らかな笑み。
そして再び、私にセクハラしてくる。
饒舌に尽くしがたいほどの不快感で、私は鳥肌が立ちっぱなしだ。
「特別にお風呂を沸かしてあるから、ゆっくり入って身を清めると良いでしょう。夕食後、僕の寝室に来なさい」
……あ、マジか。マジで私、今夜こいつに抱かれるのか。
そりゃ妻だし借金のカタとして売り飛ばされた身だから、拒否はできないんだろうけど。
そのとき、辺境伯が私の胸に触れてきた。
「ひ――嫌っ」
私は思わず、その手を払ってしまう。
ぺちん。
「あっ」
真っ青なクローネさんと、
「え?」
信じられないようなものを見る目で、自分の手と私の顔を交互に見る辺境伯。
その辺境伯がぶるぶると震えだして、
「ああああああ! 痛い痛い痛い! クローネ、何している!」
「申し訳ございません! 【小麦色の風・清き水をたたえし水筒・その名はラファエル――ヒール】!」
だが、魔法は発動しなかった。
クローネさんが、鼻血を垂らしながら座り込む。
魔力切れ? もしかして、私に使ってしまった所為で?
「このっ、グズが!」辺境伯が杖を持ち出し、その杖でクローネさんの背中を叩く。「友愛精神を理解できないブタが!」
「ぎゃっ、お許しください! どうかお慈悲を――」
クローネさんが辺境伯の靴を舐めようとする。
そんなクローネさんの頭を、辺境伯が踏みつける。
……え、何コレ? 何を見せられているんだ、私? 友愛? この光景が?
いやいや、何をぼーっと見ているんだ私。早くやめさせないと!
辺境伯に近づこうとしたところで、体が固まる。
下手に止めたら、余計に逆上させてしまうのでは? 私だけでなく、クローネさんまで友愛ポイントを下げられてしまうのでは?
ど、どうすれば――
そのとき、ばぁんと扉が開け放たれた。
甲冑姿の凛々しい女性が、駆け込んでくる。
「魔の森よりゴブリンの軍勢が現れました! 数は数百。現在、バルルワ村が交戦中。閣下、出撃のご命令を」
「えっ!?」
クゥン君の悲痛な顔。
バルルワ――あっ、クゥン君の生まれ故郷か!
「ふぅっ、ふぅっ……よいでしょう」
クローネさんを叩くのをやめた辺境伯が、朗らかに微笑む。
「領都の守りを厳重に。村へ出せるのは1個中隊までです」
甲冑女性と辺境伯の間で、慣れた感じのやり取りが交わされる。
クゥン君の方を見てみると、彼はおろおろしながら、私と甲冑女性を交互に見ている。
ああ、一緒に出撃したいんだな。故郷を守りたいんだ。
私はクゥン君に対してこくりとうなずいてみせる。
クゥン君がぱっと微笑み、激しく尻尾を振った。
「ヴァルキリエ奥様!」とクゥン君。「オレも連れていってください!」
「キミは確か、バルルワ村の。私としては心強いが」
甲冑女性――ヴァルキリエ奥様が言う。
って、この人も妻なの!?
「それは困りますねぇ」辺境伯の朗らかな笑み。「ケモノの下等兵くん、キミの今の任務はエクセルシアさんの護衛でしょう。私利私欲のために、大切な護衛任務を放棄するなど、友愛精神にもとると思いませんか?」
ヴァルキリエさんが目を伏せる。
そうか、この人も辺境伯には逆らえないのか。
クゥン君が泣きそうになっている。
私は、クゥン君を助けたい。
私の命を救ってくれたクゥン君を、助けたい。
命の恩人に、報いたいのだ!
何かないか。
何か、現状を打破する一手は――――……そうだ!
「あのっ、私、辺境伯領のことをたくさん勉強したいです!」
首を傾げる辺境伯。
「友愛精神にあふれた辺境伯様の輝かしい領土のことを、さっそく実地で学びたいのです。夜までには戻りますので、散策に出てもよろしいでしょうか?」
「いや、そのようなことは求めていないのですが」
「この家では、妻はみな仕事をするんですよね? わたくし、剣も魔法も使えませんが、知識量だけは自信があるんです。侯爵家自慢の図書館で、農耕・酪農・森林管理・建築・機械・化学に科学と多岐にわたって無数の本を読破しておりまして」
「ほほう?」
ウソである。
だが、異世界系ラノベで鍛えたラノベ脳の私には、内政チート系の知識がたくさん詰まっている。
知識チートのド定番・ボーンチャイナやジャガイモ、輪栽式農業に始まりハーバー・ボッシュ法に至るまで!
私の知識はどれもWikipediaや解説動画、解説本で勉強した程度の素人知識に過ぎない。
けれど、この世界は――私の体に刻み込まれている記憶によると――産業革命を未だ経ていない世界だ。
剣と魔法のファンタジー世界。
肝心の魔法も、1日にコップ1杯分の水を出す程度で息切れする人がほとんどの世界だ。
ならば、半端な私の知識でも、十分に無双できるだろう。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために! 私にも、旦那様と旦那様の領地のために貢献させてください!」
「そこまで言うのなら、特別に認めましょう」
私は知っている。
この手の男性は、『貢献』という言葉にすこぶる弱いのだ。
あと、意識高い系の発言も大好物。
伊達に、あの地獄のような情シスで働いてないぞ。
「さぁ行こう、クゥン君!」
私は、目を白黒とさせているクゥン君の手を取る。
行き先は、って?
そりゃもちろん、『あの場所』だ。
今こそ、クゥン君に恩を返すときだ!
というわけで、クゥン君を伴って『散策』に向かった。
行き先はもちろん、
「あーっはっはっはっ! バルルワ村とはな!」ヴァルキリエさんが馬上で笑う。「しかも馬で、とは。今度の奥さんはずいぶんとたくましいようだ」
「相乗りですけどね!」
百騎もの騎兵が動く轟音に負けないように、私は声を張り上げる。
私はクゥン君が操る馬に相乗りさせてもらっている。
着替える時間はなかったため、ドレス姿のままで。
当然、がばっと脚を開くのははばかられるので、クゥン君の前で横座りになり、クゥン君に抱きしめてもらっている。
甘ショタボーイの細いのにたくましい腕、たまらん。じゅるり。
……なぁんて軽口でごまかしてるけれど、私はいよいよ、クゥン君に夢中になりつつある。
彼の心音に耳を傾け、ドギマギしている。
まずいなぁ、実にまずい。
私はこの世界では既婚者で、今晩にもあのサイコパス辺境伯と夜を共にしなければならないというのに。
好きになればなるほど、傷が大きくなるだけだと分かっているのに。
つい、クゥン君の顔に目がいってしまう。彼の、幼くも凛々しい顔を見つめてしまう。
ダメだ、話を戻そう。
百の騎兵は全員が人間のようだった。
クゥン君を見て「獣人が馬に乗るなんて」と陰口を叩く人もいた。
アプリケーションズ領では、ここまで露骨な差別はなかったとエクセルシアの記憶にはあるのだけれど。
辺境伯には、この差別風習を何とかする気はないんだろうか。ないんだろうなー。
何なら積極的に対立あおってそう。
愛沢部長は、総務部内の各課――総務課・設備管理課・情報システム課間の対立をあおることで、自身に不満の矛先が向かうのを巧みに回避していた。
『分断統治』って言ってたな(口に出すなよ、とも思ったが、そういうことを冗談めかして口にしてしまうところがまた、サイコパスなのだ)。
分断統治は、被支配者層同士をわざと争わせ、統治者に矛先が向かうのを避ける手法。
古代ローマでも歴代の中国でもソ連でも日本でも行われてきた、伝統的にして最低最悪なマネジメント手法だ。
左右を険しい森に囲まれた道を抜けると、草原に出た。
と同時に、無数の怒号と悲鳴が聞こえてきた。
視線の先には、領都とは比べ物にならないほど貧相な壁――いや、民家レベルの石垣に囲まれた村と、それを取り囲むゴブリンの軍勢。
クゥン君の生まれ故郷が、戦っているのだ。
「弓構え!」
百の騎兵は全員、弓と剣で武装した弓騎兵。
弓騎兵というとモンゴルのイメージしかなかったけど、ヴァルキリエさんの号令で一斉に弓を構える騎兵を見て、考えが変わった。
疾走しながら、弓を構える。
素晴らしい練度。しかも、百騎もいる。
「放て!」
縦一列の陣から放たれた百本の矢が、雨のようにゴブリンたちに降り注ぐ。
「ギャッ!」
「グギャゴッ!」
「ゴフッ!」
粗末な衣類しか着ていないゴブリンたちが、バタバタと倒れていく。
騎兵たちは疾走を続けながら塀を並走し、再度一斉射する。
再び、バタバタと倒れるゴブリンたち。
そのまま村の外周をぐるりと回るものだと思っていたのだが、
「反転!」
ヴァルキリエさんが妙な指示を出した。
同時、ヴァルキリエ様の馬が180度転換する。後続の騎兵たちもそれに続く。
帰りも同じく一斉射する。
が、ゴブリンの数がずいぶんと少ない。
私たちの目の届かないところまで、多数のゴブリンが逃げていってしまったのだ。
元いた地点に戻ったころには、生きているゴブリンはいなくなった。
「下馬! 警戒を厳にしたまま待機!」
ヴァルキリエさんが、信じられないような指示を出した。
「えっ、追わないんですか!?」
村の外周をぐるりと回れば、少なくとも塀に取りついているゴブリンたちは一掃できそうなのに。
「今駆け抜けたラインが」悔しそうな顔のヴァルキリエさん。「獣人自治区と辺境伯領の領境なんだ。領軍の越境は認められていないんだよ」
「助けに行けないってことですか!? ここまで来て!?」
塀の中からは、相変わらず怒号と悲鳴が聞こえてくる。
ゴブリンたちが塀をよじ登り、中に入り込んでいるのだ。
「バルルワ村の人たちも、助けてくれるのなら越境を認めるのでは!?」
「そうじゃないんだ」ぎゅっと拳を握るヴァルキリエさん。「越境を禁じているのは、旦那様――フォートロン辺境伯閣下の方なんだ」
辺境伯――あのエロじじいが!?
何で!?
「異なる国に軍を進駐させるのは友愛精神にもとるから、と。村からは再三、救援要請を受けている。私からも、何度も旦那様に上奏しているのだが……」
見れば、騎兵たちは『ひと仕事終えた』とばかりにのんびりしている。
日常茶飯事なのだ、この異常な光景が。
「そんな……」
「グルルル……」
苦しげなうなり声に振り向いてみれば、クゥン君が強く強く唇を嚙んでいた。
塀の向こうからは、今なお悲鳴が絶えない。
そんな、そんなことって。
練度十分な百の弓騎兵が、ここにいるのに。
3対1でもゴブリンを圧倒したクゥン君がここにいるのに!
私たちはただ、ここで指をくわえて、バルルワ村の人たちを見殺しにすることしかできないっていうの!?
何かないか、現状を打破するための手段が――――……そうだ!
私は手の平に魔力を意志を込めて、馬の額をそっと撫でる。
(お願い、走って!)
――ヒヒーン!
私の願いが通じたらしく、馬が村に向かって走り出した!
「エクセルシア令嬢!? 何を――」
「わーっ、馬が暴走してしまいました! 降りられません! クゥン君、私を見捨てたりしないよね!?」
「っ、もちろんです!」
私の意図を酌んだクゥン君が馬を御し、村へと突撃させる。
「なんて下手くそな芝居――いや」ヴァルキリエさんがニヤリと微笑む。「いいか、死ぬんじゃないいぞ!」
馬が疾駆する。
塀がぐんぐんと近づいてくる。
「行け!」
クゥン君の指示と同時、馬が大きく飛び上がった!
塀を飛び越える。
そうして、私が目にした光景は――
「うっ……」
血なまぐさい、地獄の戦場だった。
多数のゴブリンたちに蹂躙される獣人たち。獣人たちは女子供や老人ばかりだ。
「い、嫌ぁっ」
ゴブリンに追いかけられていた幼い少女が、転ぶ。
「グゲゲゲッ!」
その少女を殺そうと、ゴブリンが斧を振り上げる――
「ウガァァアァアアァアアアアアアアアアアッ!!」
クゥン君のシャウト!
魔力の載った咆哮がゴブリンに叩きつけられる。とたん、金縛りにあったみたいに動けなくなるゴブリン。
クゥン君が馬から飛び降り、剣でゴブリンの首を刎ねる。
「クゥン兄ちゃん!」
「キュンキュン、お前は裏道を使って教会へ避難しろ!」
「うん!」
クゥン君と少女の間でやり取りがあり、少女が去っていく。
私も馬から降りる。馬の額を撫でて、
「ごめんね。怖い思いをさせてしまった。キミは戻っていいよ」
果たして意図が伝わったのか、馬が再び塀を飛び越えて戻っていった。
さて。勢いでバルルワ村の中にまで来てしまったが、これからどうしようか。
クゥン君はといえば、四つ足で獣のように戦場を駆け回りながら、次々とゴブリンを屠り、死に瀕していた村人たちを救いつつある。
けれど、頭に血が上ってしまったのか、私のことは完全に忘れてしまっているようだ。
それはまぁ、いい。そうなることを覚悟したうえで、ここまで来たのだから。
とはいえこんな道のど真ん中で突っ立っていたら、『殺してください』と言っているにも等しい。物陰に隠れるべく路地に入る。
「ゴブゴブ!」
すると運悪く、1体のゴブリンと鉢合わせになった。
「ひっ――」
ヴァルキリエさんからお借りしてる短剣を抜こうとするが、手が震えて上手く抜けない。
ゴブリンが斧を振り上げ、私の頭を真っ二つに――
「ゴギャッ!?」
する前に、倒れた。角材で後頭部を強打されて。
「お姉ちゃん、こっち!」
先ほどクゥン君に助けられた少女が物陰から出てきて、私の手を引く。
隠し通路、だろうか。壁のように巧妙に偽装された引き戸の中から、地下通路へ入っていく。
「お姉ちゃんがクゥン兄ちゃんを連れてきてくれたんでしょ? ありがとう!」
暗くじめついた通路を歩くこと、しばし。
やがてハシゴで外に出ると――
「ここは……教会?」
礼拝堂のような場所に出た。
村の避難場所らしく、多くの獣人たちが身を寄せ合っている。
「そう、教会」少女が微笑む。「この村で一番高い丘に立っているの。建物も村で一番頑丈なんだよ!」
ガラス窓の外を見てみれば、少女の言葉のとおり教会は小高い丘の上に建てられており、塀で守られている。
村人たちが塀の上に上がって、長槍でゴブリンたちに応戦している。
怖くなって、私は視線を礼拝堂の中に戻す。
「……ん?」そうして、気づいた。「これは?」
礼拝堂の最奥、ご神体が奉られる場所に、自動人形が鎮座している。
メイドタイプとは全然違う。全身がずんぐりむっくりと大きく、装甲のような鉄板で覆われている。
何より、でかい。全長5メートルはあるんじゃないだろうか。
「鉄神(てつじん)様だよ!」
「鉄人?」
「うん! 鉄の神様! この村ができたころからずっと、見守ってくださっているんだよ」
「鉄『神』」
村人たちが、隠し通路から続々と入ってくる。
クゥン君が無双しているらしく、クゥン君のお陰で九死に一生を得た的な声をたくさん聞いた。
クゥン君、やっぱりめっちゃ強いのな!
「うわぁっ!」
「ひぃっ」
教会の正面扉が開き、塀の上で戦っていた村人たちが転がり込んできた。
「扉を閉めてくれ!」
「あんなの、敵うわけがない!」
「あぁ、鉄神様、お守りください!」
村人たちの顔は恐怖で染まっている。
いったい何が、
――ゥボォォォオオオオォオオォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
身もすくむような咆哮が、扉の向こうから聞こえてきた!
と同時に、ものすごい勢いで、扉が殴りつけられる。
一度、二度、三度。
ついに、扉が砕け落ちてしまった。
扉の向こうから現れたのは、あまりにも巨大な、
「ホブゴブリン!」
全長5メートルはあろうかという巨体と、右手にぶら下げている、丸太のような大きなこん棒。
ゴブリンの上位種・ホブゴブリンだ。
しかも、そのホブゴブリンが左手にぶら下げているのは、
「クゥン君!!」
ボロ布のように成り果てたクゥン君が、足をつかまれて宙吊りにされている!
クゥン君は血まみれだ。
「ゥボォォォオオオオォオオォオオオオオオオオオオオオオォオオオオオオオッ!!」
再び、ホブゴブリンのシャウト。
暴風が巻き起こる。私の体は軽々と吹き飛ばされる。
「ぎゃっ」
何かに背中を打ちつけた。
霞んだ視界の先では、さらに数十体のゴブリンが教会内に雪崩れ込んできたところだった。
シャウトによって戦意をくじかれた村人たちと、リーダーの登場で士気上昇中のゴブリン軍による、絶望的な戦いが始まる。
「あぁ……あぁぁ……クゥン君……」
ホブゴブリンが、クゥン君の華奢な体を振り上げ、地面に叩きつける。
何度も、何度も。おもちゃで遊ぶ子供のように。
このままでは、死んでしまう。
クゥン君が――私の命の恩人が、死んでしまう!
どうしよう。どうすれば。どうしようもない。
剣も魔法も使えない、華奢な16歳の体に過ぎない私には、あんな巨大な怪物を相手に戦うすべなんてない。
「助け……誰か助けて……」
祈るしかない。
「助けて……」
何に祈ればいい?
無宗教だった私には、祈るべき神がいない。
それでも、どうしようもなくなった私にはもう、祈ることしかできない。
「お願い……………………クゥン君を、助けて!!」
私の命は、もう、いい。
どうせ1度は死んだ身だ。
けれど、彼は。彼の命だけは。
あんなにも健気で良い子が、十代半ばで死んでしまうなんて、間違ってる。
クゥン君だけは、絶対に死なせるわけにはいかない!
そのとき、
――プシュー
と、場違いに機械的な音が聞こえた。
見上げると、そこに鉄神様がいた。私が背中を打ちつけたのは、鉄神様だったのだ。
その、鉄神様の背中――ハッチが開いている。
体の痛みを押し殺し、私は鉄神様の体によじ登り、ハッチの中に転がり込む。
中は操縦席のようになっていて、ボタンや操縦桿がたくさんついている。
無我夢中で押しまくってみるが、鉄神様は反応しない。
「ギャッ!」
「ぐあああ!」
「お母さーん!」
外からは、村人たちの悲痛な声が聞こえてくる。
早く! 早く動いて!
「ゥボォォォオオオオォオオォオオオオオオオオオオッ!!」
――ガァン!
と、鉄神が殴りつけられた。ホブゴブリンだろうか。
「キャッ……あれ?」
その衝撃で、私の手元に何かが落ちてきた。
「これ、キーボード!?」
しかも、日本語表記が入っているJIS配列!
何で異世界にキーボードが!?
「あっ」
有線キーボードの配線の先、コックピット正面に、小さなモニタがあることに気づいた。
真っ黒な背景のモニタには、
>_
と、ただそれだけが表示されている。アンダーバーが静かに点滅している。
待っているのだ。搭乗者による命令を!
私は震える指で、『r』、『u』、『n』と打ち込んだ。エンターキーを押す。
>run
とたん、何やら無数の英数字がものすごい勢いで流れていき、最後に、
All ready.
と表示された。
再びコンソールが待機状態になる。と同時、
――ヴゥゥウウウウウウウウウウウウン
という駆動音に鉄神様が包まれた。
起動したのだ!
「戦うにはどうすれば!?」
試しに、『move』と打ってエンター。
すると、鉄神が立ち上がって前進を始めた!
一歩、
二歩、
三歩。
でもダメだ。前進するだけじゃ意味がない!
何かないか、戦うためのコマンドは!?
私は『battle』と入力してエンターキーを押す。
>battle
『'battle' は、内部コマンドまたは外部コマンド、操作可能なプログラムまたはバッチ ファイルとして認識されていません。』
あぁクソっ、ダメか。って、これってまさかコマンドプロンプト!?
ってことは――
>help
きたきたきたっ!
真っ黒なコンソール画面に、このロボットを動かすためのコマンドがずらずらと表示された。中でも便利そうなコマンドが、
>autobattle
入力してエンター。とたん、無計画に前進していたロボットが反転し、ホブゴブリンに向き合った。自動戦闘モードだ!
さらには、コンソールとはまた別のモニタに、ロボット前方の画像が映し出される。
モニタの中では、ホブゴブリンがクゥン君を投げ捨て、丸太のようなこん棒を振り下ろすところだった。
――ガキンッ!
だが、そのこん棒はロボットの手によってあっさりと受け止められた。
ロボットの左手が、こん棒を握りつぶす。空恐ろしいほどの握力だ。
ホブゴブリンが、左拳で殴りつけてきた。
が、その拳もまた、ロボットの右手につかまれ、握りつぶされる。
「グギャァアアアアア!」
ホブゴブリンの悲鳴。
圧倒的。
圧倒的だった。
それは、『戦い』ですらなかった。
単なる『作業』に過ぎなかった。
ロボットが拳を振るう度に、ホブゴブリンの腕が、脚が、胴がひしゃげ、ちぎれ、はじけ飛んだ。
あれほど強かったはずのホブゴブリンが――クゥン君でも敵わなかった、バルルワ村総出でも敵わなかった相手が、ものの数秒で『処理』された。
「ゴブ!?」
「ゴブゴブ!」
リーダーの死亡を知ったゴブリンたちが、我先にと逃げてゆく。
「クゥン君!」
私はハッチから外へ飛び出す。すると、
「「「「「わぁ~~~~っ!! 女神様ばんざーい!!」」」」」
村人たちの歓声に出迎えられた。
女神? 何の話?
それよりクゥン君はどこ!?
私は人込みをかき分けて進んでいく。すると、
「若奥様!」
村人たちに支えられながら、クゥン君が出てきた。
「クゥン君!」
生きてる! クゥン君が、生きてくれている。こうして、微笑んでくれている。
「あぁ、あぁ、良かった。良かった!」
「若奥様。いえ、女神様。オレたちをお救いくださり、本当にありがとうございます」
クゥン君がひざまずこうとする。が、上手くいかない。
それも当然だ。彼は全身血まみれで、生きているのが不思議なくらいなのだから。
クゥン君がバランスを崩し、倒れそうになる。
「む、無理しないで!」
私はクゥン君を抱きとめる。
思ったより重くはなかった。
彼は、私――エクセルシアよりもなお、背丈が低い。
まだ、子供なのだ。子供なのに、こんなにも小さな体で、私を、村の人たちを救ってくれたのだ。
「わたっ、私っ、クゥン君が死んでしまったのかと思って……うぅっ」
声が震える。涙が止まらない。
年甲斐もなく、私は泣いた。クゥン君の体をぎゅっと抱きしめる。
すると、遠慮がちな様子で、クゥン君が私を抱きしめ返してくれた。
私は幼子のように泣く。
声を上げて、わぁわぁと泣く。
私の背中にそっと触れる彼の指先の、その温かさで、私はようやく生きていることを実感できた。
エクセルシアは、私は、今ようやく、この世界で生まれたのだ。
幸い――本当に幸いなことに、死者はゼロだった。
重傷者は多数いたけれど、バルルワ村にも治癒魔法の使い手が数名いて、何とか死者ゼロのまま乗り切れそう、とのことだった。
クゥン君も、後遺症なく回復することができた。
良かった……本当に、本当に。
そうして、今。
「「「「「女神様ばんざーい! エクセル神様ばんざーい!」」」」」
私、エクセルシア16歳。
異世界で、神になっていた。
「ささ、こちらにお座りくださいエクセル神様」
「喉は渇いておられませんか、エクセル神様?」
村人たち――犬耳のついた老若男女が、私をキラキラした目で見上げながら、『エクセル神』と崇めてくる。
「ですから、私の名前はエクセルシアだと――」
「エクセル神様!」
「女神様!」
「ばんざい!」
あー、ダメだこの人たち。聞いちゃいないよ。
前世でマイクロソフトExcelが抜群に得意だった私は、社内のいろんな人たちから『エクセル神』と崇められていた。
愛沢部長がまだ本性を隠していたころ――情報システム課がちゃんと5人体制だったころの話だ。
自分で言うのも何だが、Excel VBA(マクロ)がバツグンに得意だった私は、各部各課の定型業務を自動化させては有難がられていたものだった。
懐かしいなぁ。
「って、あああああっ!?」
と、一息ついたところで思い出した。
「夜までに戻らないと!」
辺境伯に友愛ポイントを下げられてしまう!
窓の外を見てみれば、空は真っ赤に焼けている。
急いで戻らないと!
「じゃ、じゃあ私はこれで。お疲れ様でーす」
私がそそくさと去ろうとすると、
「えええええっ!?」例の少女が悲痛な声を上げた。「女神様、帰っちゃうの!?」
「いや~、お姉さんにも事情がありましてですね」
「でも!」少女が震えている。「夜になったら、またあいつらが来るかも……」
あー……これは子供のガワママとかじゃなくて、命の懸かった切実なお願いだ。
村を取り囲むのは背の低い塀だけで、その塀もそこかしこが崩されている。
村には戦力になるような成人男性がいない。
その上、村は怪我人であふれ返っている。
鉄神を操れる私がいなきゃ、村を守れない。
「キュンキュン」クゥン君が少女をたしなめる。「女神様を困らせてはいけないよ」
「で、でも!」
って、その子キュンキュンって名前なの!?
ヤバ。何それ激カワ。
……じゃなくて。
よく見れば、キュンキュンちゃんの肩を抱くクゥン君の手が、震えている。尻尾も垂れ下がってしまっている。
怖いのだ、彼も。
当然だろう。つい先ほど、死にかけたばかりなのだから。
なのに、私のために、その恐怖を必死に隠そうとしてくれている。
彼のそのいじらしさに、私は胸が苦しくなる。
クゥン君は、恐らく十代前半。
それほどまで幼いにもかかわらず、彼はすでに、自分を律するすべを身に着けている。
彼の育った環境が、兵士としての今の仕事が、彼をそのようにさせたのだろう。
幼いのに、立派だ。
私が十代のころなんて、ワガママばかりでロクな人間じゃなかった。
そんな彼のために、ひと肌脱いであげたい。
というか、ここで彼を助けずして、いつ助けるというのか!
「よーし、お姉ちゃんに任せなさい!」
◇ ◆ ◇ ◆
というわけで、クゥン君とキュンキュンちゃんを鉄神のコックピット内にお招きする。
だいぶ手狭だが、大丈夫。
「ほら、このキーボードでコマンドを打つだけの簡単なお仕事だよ」
そう言って、私はコンソール画面に『move』と打ってみせる。
エンターキーを叩くと、鉄神がゆっくりと歩き出した。
数歩歩かせ、『wait』コマンドで停止させる。
「ほら、クゥン君もやってごらん」
そう、別に私じゃなくても、鉄神は動かせるのだ。
見たところこのロボット――鉄神はごくごく単純な命令文によって動いている。
前世のWindowsにおける黒画面(コマンドプロンプト)を思わせる画面に、短いコマンドを打ち込んでエンターキーを打つだけで、鉄神は動く。
「きーぼーど? こまんど?」クゥン君がうなり、「古代語ですか?」
「いや、古代語ではないが。ほら、『run』って打ってみてごらん」
「ラン? ランって何ですか?」
「こう。『r』、『u』、『n』」
「わわわ、真っ黒な黒曜石に古代語が!?」
「だから、古代語ではないが。ほら、まずはこの『r』を押すの」
「アール? このにょろっとした古代文字ですか? きーぼーどには同じ記号はないようですが……」
「あー、キーボードに刻印されているのは大文字(R)だから」
「??? あのぅ、女神様? オレやキュンキュンみたいな学のない獣人には、古代語なんて絶対に無理ですよ」
あ、ダメだ。
クゥン君が、『俺ぁアイティーってヤツはダメなんだ』って笑い飛ばす工場勤務のおっちゃんみたいな目をしている。
隣のキュンキュンちゃんも同じ目。
パソコンが苦手なご年配社員然り、微分積分と聞いただけではだしで逃げ出す文系高校生然り。
『ニガテだ』、『私には無理だ』と決めつけた人間というやつは、心のシャッターをガラガラガッシャンと閉めてしまうんだよね。
かく言う私も運動が壊滅的にダメで、小学生のころからあらゆる運動から距離を取り続けてきた。
やってみれば案外できたのかもしれないけど、人間決めつけてしまうと、あらゆる努力から逃げ出してしまうものだから。
クゥン君とキュンキュンちゃんは若い、というかまだまだ幼い。
今からじっくり教え込んであげれば、キーボードもコマンドも難なく使いこなせるようになるだろう。
けれど少なくとも今日、夜になるまでに『run』、『autobattle』、『wait』、『shutdown』を覚えさせるのは不可能だ。
「こうなったら!」私は鉄神を起動させる。「今から、突貫工事で堀と土塁を作ります!」
◇ ◆ ◇ ◆
>dig
穴掘りモード起動。
村の外周に、幅広かつ深い深い堀を掘っていく。
鉄神にとっては地面なんて豆腐に等しいらしく、腕を突っ込み、振り上げただけでばぁんと地面が掘り進められていく。
掘った土は堀の内側に積み上げ、土塁の材料にする。
ときどき、硬い岩にぶつかるが、どんな岩も拳一発でこなごなだ。
人口数十名、十数棟の家屋を持つバルルワ村を一周するのに十数分。
村人たちに集めてもらった小石を土に混ぜ、鉄神の巨大な足でバンバン踏み固めること数十分。
ものの1時間で、村をぐるっと取り囲む堅牢な堀と土塁が出来上がってしまった。
これだけ深い堀と高い土塁があれば、ゴブリンたちも侵入できないだろう。
鉄神、便利すぎ!
「むふーっ、成し遂げたぜ」
一夜城を終えた私は、コックピットから飛び降りた。
「女神様!」
すっかり女神様呼びが定着してしまったクゥン君が、水と布を持ってきてくれた。
クゥン君、しっぽをぱたぱたと振っている。ぐへへ、かわえぇのぅかわえぇのぅ。
「本当はもっとしっかりとした壁で覆いたいんだけれど」
「そんなそんな」一緒にやってきた村長さんが頭を垂れる。「ここまでしていただいただけでも十分でございます。何とお礼を言ったらいいか」
「って、あああ!」
空が! 空が暗い!!
友愛ポイントぉおおお!!
「すみません、今度こそ戻ります! この子――鉄神様をお借りしてもいいですか?」
「お貸しするも何も、鉄神様の主は女神様でございますれば」
「近いうちに、城壁造りにまた来ますから」
私はコックピットに入り、
>pickup
クゥン君を優しく抱え上げる。
>jump
5メートルの巨体がふわりと舞い上がり、堀を飛び越える。
鉄神の膝が着地の衝撃を吸収する。
>move /to
と入力すると、移動先を指定するための地図がモニタに表示された。
タッチパネルになっているモニタの一点に触れると、鉄人が小走りで前進し始めた。
うんうん、だいぶ使い方に慣れてきたよ。
鉄神の移動速度はすさまじく、馬のかけあし(馬の疲労を度外視した戦闘速度)くらいの速度が出る。
あっという間に、ヴァルキリエさんたちがいるところまで戻ってきた。
「構え――ッ!!」
ヴァルキリエさんの声。
松明の明かりの中、一斉に弓を構える従士たち。
「わーっ、私です私です! エクセルシアです!!」
「「「「「えええええっ!?」」」」」
ヴァルキリエさんと従士たちが仰天した。
◆ ◇ ◇ ◆
「ホブゴブリンを瞬殺!? それはすごいね!」
馬上のヴァルキリエさんが爆笑している。
『夜伽の時間までに戻らないと友愛ポイントを減らされてしまう』と私が言うと、ヴァルキリエさんはすぐに納得してくれた。
なのでこうして、帰りの道すがらで私からの報告を聞いてくれているわけだ。
夜間の行軍という危険まで押してくれて。
ヴァルキリエさんも、辺境伯に対して思うところがあるらしく、こうして私をかばおうとしてくれている。ありがたいことだ。
「それにしても、この子はいったい何なんでしょう?」
「まぁ、十中八九、隣国――モンティ・パイソン帝国が置き忘れていったものだろうね」
モンティ・パイソン帝国。
超大国。大陸の覇者。
数百年前に突如として産声を上げ、自動人形やその大型版の歩く戦車・騎乗人形、飛行船といったチート兵器の数々であっという間に大陸を平らげた国だ。
私たちの国――ゲルマニウム王国と国境を接する国でもある。
ゲルマニウム王国の国土は日本の四国程度のサイズ。
対してモンティ・パイソン帝国はロシアくらいはあるらしい。
超・超・超巨大な大陸国家モンティ・パイソンの、西の端っこにちょこんと張り付いている弱小国家。それがゲルマニウム王国だ。
そしてここ、フォートロン辺境伯領は、『魔の森』と呼ばれるモンスターだらけの森を挟んでモンティ・パイソン帝国と国境を接する国の東端、最前線なのだ。
先ほど行ったバルルワ村は、そのフォートロン辺境伯領のさらに東隣。
魔の森と目と鼻の先に構える『最後の村』とも言うべき究極の限界集落だ。
「まさかキミは、伝説の古代語『プログラミング言語』が使えるのかい!? 数百年前にモンティ・パイソン帝国の『始皇帝』が開発したと言われる機械兵たち。その機械兵を使役するための特別な呪文『プログラミング言語』は、始皇帝にしか理解できなかったと聞く」
ヴァルキリエさんによる解説が続く。
私(エクセルシア)の記憶にはない知識だ。ありがたい。
「だから、帝国軍の力は始皇帝の死とともに急落した。ゲルマニウム王国がこうしていまも生き残っているのは、帝国の始皇帝が死んだからなんだよ」
なるほど。
私が学んだ王国史は、『魔の森』を最終防衛ラインと位置付けた王国が一致団結して帝国を追い返した的な美談でまとめられたけど、実際は敵の自滅だったわけだね。
「もしキミがプログラミング言語を理解できるのなら、キミは間違いなく英雄になれるよ」
「そんな大層なものじゃないですけど」
あんなのはただのコマンドだ。
ITをちょっとでも聞きかじったことがある人なら、容易に思いつく。
でも、この子――鉄神を構築しているのは、もっと複雑で高度なプログラミング言語なのかもしれない。
それこそ、帝国名そっくりな、あの言語かも。
そう、そうなのだ。
モンティ・パイソン帝国。
何とも引っかかる名前なんだよねぇ。
始皇帝の名前が『■■』だったら、始皇帝は『アレ』で確定なんだけどなぁ。
そして始皇帝が『アレ』なら、フォートロン辺境伯もきっと『アレ』だ。
「ところで、ヴァルキリエさん」
「なんだい?」
「その、始皇帝って何っていう名前なんですか?」
「ソラだ」ヴァルキリエさんが『答え』を口にした。「ソラ = ト = ブ = モンティ・パイソンだ」
「やぁっっっっっったぁ~!」
私は喝采を上げた。
『空飛ぶモンティ・パイソン』
超有名なプログラミング言語『python』の生みの親グイド・ヴァンロッサムが大好きだったコメディ番組のタイトルだ。
そして、私の名前はエクセルシア = ビジュアルベーシック = フォン = アプリケーションズ。
エクセルVBA。いわゆるマクロ。
そして、辺境伯。
コボル = フォン = フォートロン。
コボルは言わずもがな超有名プログラミング言語の『COBOL』。
フォートロンも同じく超有名プログラミング言語の『Fortran』。
いずれも、プログラミング言語が名前の元になっている。
一方、私がこの世界で触れてきた名前はいずれも、プログラミング言語とは無関係だった。
メタ読みになるが、『転生者はプログラミング言語に関する名前になる』のではないだろうか?
だとしたら。あぁ、だとしたら。だ・と・し・た・ら!
「くふっ、くふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ、あはっ、
あははっ、
あはははっ、
あぁ、あぁ、あはぁっ、
あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!」
自分でも分かる。
今、私の顔、狂喜の笑みで染まってる。
「復讐できる! 辺境伯に――――……愛沢部長に!!」
こうして、私の今世における人生の目標が定まった。
◆ ◇ ◇ ◆
「何てことをしてくれたのですか!?」
頭を搔きむしる辺境伯(中身は十中八九、転生した愛沢部長)。
バルルワ村の機械兵を起動させ、ゴブリンの軍勢を追い返した。
堀と土塁でバルルワ村をまるっと囲み、村の安全を確保した。
以上のことを報告した際の辺境伯のリアクションが、これだ。
「「「???」」」
ヴァルキリエさん、クローネさん、クゥン君が首をかしげている。『良いことをしたのになぜ怒られる?』という顔だ。
一方の私は、「でしょうねぇ」という顔をしている。
だって、バルルワ村の惨状は、辺境伯が意図的に引き起こしているからだ。
帰り道でヴァルキリエさんから教えてもらった情報をまとめると、次のようになる。
十数年前まで、この地に獣人差別は存在しなかったんだそうだ。そして、獣人は『自治区』なる領土を持っておらず、辺境伯領で人間と仲良く共存していた。
状況が変わったのは、先代辺境伯が亡くなり、今の辺境伯(愛沢部長)が領土を治めるようになってからだ。辺境伯が魔の森と接する地域一帯を『獣人自治区』とし、獣人たちによる定住と自治を『認めた』のだ。
『友愛精神にあふれる慈悲深い辺境伯様が、獣人たちのために土地を下賜した』というストーリー。
実際、土地をもらった当時、獣人たちは喜んでいたらしい……が、それも住み始めるまでの話。
いくら自由に農耕できる広大な肥沃で土地が与えられたからと言っても、毎日のように魔の森から魔物たちが襲いかかってくるのでは定住なんてムリムリ。
しかも、防衛のために頑丈な城壁を建てようとすると、辺境伯から『領都に対して壁を建てるなんて、僕に反意があるのですか?』と問い詰められ、粗末な塀しか許されない。
とても住める土地ではない。とはいえ土地を返上しようものなら、『辺境伯たる僕が身を切る思いで差し上げた土地を一方的に返上しようとするなんて、友愛精神にもとると思いませんか?』とくる。
ここは封建制度が支配する世界。
この世界において、領主の言葉は神の言葉にも等しい。
神に見限られた者は、路頭に迷って盗賊か魔物かオオカミのエサになるしかない。
獣人たちからしたら、詰んでるよね。完全に。
辺境伯は獣人たちを生贄にして、魔の森と領都の間に緩衝地帯を設けたわけだ。
まぁ、いかにも愛沢部長のやりそうなやり方だ。人の命を命と思わぬ極悪非道なやり方。
それから十数年。
気がつけば街は獣人に対する差別意識にあふれており、一方、絶対にバルルワ村を守ってくれない領軍に対して獣人たちは怒り狂っている。
誰が獣人差別を助長させたのか? いったい誰が、領都のサーカスや劇場で、獣人を『無知で野蛮なケダモノ』と喧伝するような内容の演目を演じさせているのか。
誰ってそりゃ、決まってるよね。
分断して統治せよ。愛沢部長の得意技だ。
「あの、辺境伯様?」私はか弱い少女を演じて、「なぜそんなにもお怒りになっておいでなのでしょう。わたくし、辺境伯様がお話しくださった友愛精神に則り、バルルワ村の人たちを助けただけですのに」
「閣下」ヴァルキリエさんが加勢してくれる。「今回、領軍は自治区に一切足を踏み入れておりません」
実を言うとクゥン君が入ったんだけど、そこは伏せてくれるようだ。
「ゴブリンの軍勢と戦ったのは、あくまでもともとあの村に置いてあった古代兵器です。あの機械兵を起動させたのはエクセルシア嬢ですが、彼女は軍人ではありません」
「しかし、勝手に堀と土塁を築くなど」
「っ、それは、はい。私の指導不足でした」
「では、ヴァルキリエがマイナス100友愛ポイントですね」
「なっ――」
私は言葉を失う。
そんな、私の所為でヴァルキリエさんが!
「か、閣下! 下げるなら私のポイントを――むぐっ」
ヴァルキリエさんに口をふさがれた。
ヴァルキリエがウインクしてくる。
かっ、かっこいい。
と、ひと芝居終わったところで、私の心は再び深く沈み始める。
そう、このあとには、世にもおぞましい初夜が待っているのだ。
あぁ、心の底から嫌だ。
するなら、好きな相手とがいい。
私は思わず、助けを求めるような視線をクゥン君に向けてしまう。
クゥン君と目が合ったが、気まずそうに目をそらされた。
……まぁ、そりゃそうだよね。
夜伽は夫婦の義務だし、私は両家の同意の下で結婚した身だし。それがたとえ、エクセルシアが望んだものではないにしても。
「エクセルシアさん」
辺境伯が、ねっとりとした視線を私に向けてきた。
私は思わず、顔をそむけたくなる。
何か、何かないか、夜伽を回避する方法が――。
「エクセルシアさん」
私にねっとりとした声で呼びかけた辺境伯が、一転して深い深いため息をついた。
「はぁ~……気分が悪い。今日の夜伽は不要です。風呂には入ってくださいね。貴女からはひどい臭いがしますから」
あ、あはは……そりゃまぁ、鉄と血と土に触れ続けてきた半日だったからなぁ。汗もすごいし――って。
夜伽は不要!?
うおおおおおおおおおおおおおっ、やった!
このクソクソサイコパスじじいに抱かれなくて済む!!
◇ ◆ ◇ ◆
「しっかし、どうすっかなー」
お風呂に入り、冷めた食事を頂いたあとで、私は自室のベッドに寝転がる。
部屋は六畳間で、辺境伯の奥方としてはあり得ないほど貧相な待遇。
けれどメイドとして働かされるよりはよっぽどマシだ。
『等級』とやらが上がれば、部屋が豪華になったり、温かい食事が得られるようになるのかな?
今の私が、確か『4等級』。
クローネさんも同じだった。
クローネさんは5等級落ちしてメイド扱いになるのを恐れていた。
ってことは、スタートラインが4等級で、減点方式なんだろう。いかにも愛沢部長らしいマネジメントだ。
せっかく転生したこの命。
何のために使うかは、もう決めた。
――復讐だ。
辺境伯を徹底的に分からせてやって、徹底的に追い詰め、絶望させてから、■す。
私と、情シス課の4人の同僚たちが受けた苦しみを、100倍、1000倍、1万倍にして返す。返してから■す。
まぁ、実際に■すかどうかは置いておいて、分からせてやるのは絶対だ。
実際問題、辺境伯を苦痛の果てに■すだけなら容易い。
鉄神を動かして、手足をもいでやればいい。あのホブゴブリンみたいに。
ただし、領主■し、旦那■しはこの国において大罪。
私のみならず、実家――侯爵家も一生お尋ね者になってしまう。
私を売り飛ばした実家ではあるものの、それでも私(エクセルシア)の体の中には、衣食住や教育をしっかりと整えてもらったという記憶や、母や兄弟に優しくしてもらった思い出が残っている。
なので、犯罪行為はナシ。正規の手順で辺境伯よりもビッグな存在になり、辺境伯を断罪するしかない。
私が男だったなら、武勲を上げてどこぞの貴族に騎士(従士)として召し抱えてもらい、さらに武勲を伸ばして領地に封じられ、あの手この手で領土を増やし、最終的に辺境伯領も併呑、というのが王道なんだろうけど……あいにく私は女なんだよね。
女の王道は玉の輿。
辺境伯よりも高位の貴族――王・公・侯のいずれかに嫁ぎ、旦那を動かして辺境伯を断罪させるというもの。
だけど、私はもう既婚の身。離婚はこの国ではひどく外聞が悪いから、輿入れ早々離婚された私を娶ってくれる高位貴族なんて皆無だろう。
ならば、知識チートで政商ルートは?
産業革命チートや無煙火薬チート、お化粧チートで王室の覚えめでたくなったところで辺境伯の悪業をリークするとか。
でも、妻を虐げたり、領民(領地内の自治区に住む獣人)を虐げるっていうのは、この世界じゃ大した『悪行』にならないんだよね。
それで処刑まで持っていけるかというと、心許ない。
「やっぱり領地貴族になるしかないか」
辺境伯の近場で領主になり、戦争ふっかけてとっ捕まえてぬっ■す。
領土さえ接してしまえば、戦争の理由なんていくらでも湧いて出てくる。
水場争い、狩場争い、鉱山利権、関税、難民。
領境にある魔物や盗賊団のアジトを鉄神で壊滅させて、『そっちが管理できないならこっちで管理する』と言って実効支配してやってもいい。
それで怒った辺境伯が出てきたら、鉄神でボコしてとっ捕まえる。
出てこなかったら、出てくるまで領軍をボコして捕虜にする。
ヴァルキリエさんと戦うのは嫌だけど、鉄神の力を使えば、ケガさせずに無力化させることも可能だろう。
くふふ……辺境伯、もとい愛沢部長。
処刑はどんな方法がいいかな~。
高貴で人道的な処刑法であるギロチンなんて、絶対に使ってやらない。
やっぱり、不名誉と恥辱にまみれた絞首刑かなぁ。
◇ ◆ ◇ ◆
「あぁ、ダメです若奥様!」
「ぐへへ、いいではないかいいではないか」
「ですが若奥様はフォートロン辺境伯閣下の奥方。けして許されることではございません」
「往生際が悪いぞクゥン君! エクセル神たるこの私に逆らうというのかな?」
「あーれー」
「……シアさん」
「ぐへへ、クゥンきゅん」
「エクセルシアさん、朝ですよ!」
「――はっ!」
クローネさんの声で目が覚めた。
……あら。私ったらなんてはしたない夢を。
「おはようございま……す?」
起き上がってから、気づいた。
クローネさんの後ろに、メイド姿の奥さんがいることに。
メイドさんは私の着替えを持っている。
「そ、そそそそんなっ、自分で着替えます!」
「これもルールですので」とクローネさん。「和を乱して友愛ポイントを下げないようにお願いしますね」
先輩奥さんに後輩妻の世話をさせるとか、どんな地獄だよ!
「わ、分かりましたから! ちゃんとお世話されたって体にして、私にもお手伝いさせてください」
◇ ◆ ◇ ◆
朝。
辺境伯家の妻たちは忙しい。
掃除に洗濯、薪割りに飯炊き、調理と、たくさんの5等級以下奥さんたちが右往左往している。
って、薪割り!? 華奢な貴族家出身の元令嬢たちに薪割りやらせてるの!?
「お手伝いさせてください!」
見かねた私は、中庭の片隅に座らせていた鉄神に乗る。
今朝のドレスは昨日着ていたものよりもなお質素なので、鉄神によじ登るのも楽ちんだ。
血豆で苦しんでいた可哀そうな奥さんから手斧をお借りし、鉄神の親指と人差し指でつまみ上げる。
斧を木へ振り下ろす。
――シュッ、パコーン
木が真っ二つになる。
「まぁ!」
薪を一つ作るのに何度も斧を振り下ろしていた血豆の奥さんが、感嘆の声を上げる。
次の木を拾い上げ、
――シュッ、パコーン
――シュッ、パコーン
――シュッ、パコーン
あっという間に積み上げられていく薪の山。
「「「「「おおおおお!」」」」」
庭で仕事をしていた奥さんたち、大興奮。
「すごいです! 丸一日かかるはずのお仕事が、あっという間に終わってしまいました」
「追加の木も持ってきますね」
「そんな、悪いです!」
「ほら、この子ならあっという間に終わりますから」
遠慮する血豆の奥さんに木の置き場を教えてもらい、鉄神とともに向かう。
そこは、屋敷の裏手にある倉庫だった。
「ひゃっ」
鉄神で中に入ろうとすると、倉庫の整理をしていた奥さんを驚かせてしまった。
「あっ、ごめんなさい」
「ああ、貴女がウワサのエクセルシア令嬢ですか! ウワサどおり大きな自動人形ですね」
「5メートルはありますからねぇ。――って、え?」
目を疑った。倉庫の中に、数百体もの自動人形が並べられていたからだ。
確か、辺境伯が自室の人形を『貴重な最後の10体』みたいに言ってたはずだけど。
鉄神から飛び降りて、人形の1体に触れてみる。
かすかな振動――駆動音が感じられる。
「あの、この人形たち、使わないんですか?」
「その子たちは、耐久年数を超えてしまっているんです」
「故障してるってことですか?」
「いえ。故障ではなく、役目を終えたんです」
どういうこと?
「理由は解明されていないのですが」奥さんが解説してくれる。「自動人形は、起動してから二十数年経つと、それっきり動かなくなるんです。ある日、突然、動かなくなるんです。故障しているわけでもないのに。全ての自動人形がそうなので、我々はもう、そういうものなのだとあきらめています。多くの技師がこのナゾを解明しようと奮闘したそうなのですが、誰にも原因は突き止められませんでした」
ふぅん……?
何か引っかかるな。
私は鉄神に乗り込み、
>debug
とコマンド入力してエンター。
すると鉄神の指先が開き、端子がしゅるしゅると出てきた。
端子が自動人形の首筋に接続される。
すると、眼前の景色を映し出していたモニタに、この人形を構成するソースコードが表示された。
for i in range(9999):
#朝の起動確認
■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■
■■■■■
■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■
・
・
・
Python! やっぱり鉄神はPythonで開発されていた!
試しにデバッグモードで動かしてみると、ソースコードの1行目、for文のところでいきなり処理が終了する。
変数iの中身を確認してみると、
『9998』
「あはは!」
「えっ、どうなさったんですか?」
「いやコレ、単にiが終端までいっちゃってるだけですよ」
「???」
「この子は起動してから9999日しか動かないようにプログラミングされているんです」
『for i in range(9999):』とは、『9999回、同じ処理を繰り返す』という意味のコードだ。
もう少しだけ踏み込んで説明すると、『変数iが0~9998までの間、以下の処理を繰り返す』というもの。
そのiが、既に9998に達してしまっているのだ。
「9999日。ええと、365で割ると――」
おお、この奥さん暗算できるのか。
というかこの世界でも1年は365日なのね。
「27と端数。27年!?」
「そう。『二十数年経つと動かなくなる』というわけですね」
「そんな仕組みが! ですが、何のために?」
「それは分かりません。鹵獲されて永久に使用され続けないように、とか? 実際この子たちはモンティ・パイソン帝国から鹵獲されたものですし」
とはいえ、ここまで高度なロボットを開発できるソラ皇帝が、あたかも『とりあえず9999回でいっか』みたいな、小学生のようなプログラミングをするとは考え難い。
何か重要な伏線を目の前にぶら下げられているような、違和感。
「まぁ何にせよ、とりあえず直しますか」
私は『for i in range(9999):』の『9999』の末尾に『9』を付け加える。
自動人形が目を開き、動き始めた。
「これで、ほぼ永久に動き続けるようになりましたよ」
「ええ!? 永久って、どのくらいですか!?」
「99999÷365=274年くらい」
「えええええ!?」
瞠目する奥さんは置いておいて、私は次々と人形を目覚めさせていく。
数百体のメイド型ロボットが動き出したことにより、辺境伯家の奥さんたちは過酷な労働から解放された。
◇ ◆ ◇ ◆
【Side コボル辺境伯】
他人の不幸からしか得られない栄養素というのは、確かにある。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」
百何十番目だったかの妻からの挨拶で、僕は目覚めた。
「あぁ、おはようございます。一人はみんなのために、みんなは一人のために」
微笑みかけてやると、名も忘れた妻が引きつり笑いを返してきた。ストレスに彩られた笑み。額に浮かぶ冷や汗。たまらない。
顔を洗い、着替えをして寝室を出る。
「「「「「一人はみんなのために、みんなは一人のために」」」」」
廊下で掃除をしていた妻たちが、一斉に挨拶してくる。が、
「…………ん?」
何やら様子がおかしい。
妻たちの顔色が、妙に華やいでいるのだ。
期待と好奇心に『まみれた』表情。
慢性的な食糧不足に陥っているこの地で久しぶりに肉でも手に入ったのか、特別天気が良かったのか、はたまたあの人騒がせな新人のゴシップで盛り上がっているのか。
良くない。良くありませんねぇ。
下僕たちがこうも華やいでいては、僕の心が満たされない。
こういうときは、心の中のアーカイブに保存してある不幸な顔を思い出すに限る。
陽子ちゃん、
千絵ちゃん、
春奈ちゃん、
叶恵ちゃん、
■■ちゃん、
風花ちゃん、
美優ちゃん、
明子ちゃん、
瑠香ちゃん、
理恵ちゃん、
朝子ちゃん。
中でも■■ちゃんは本当に良かった。
僕にバッグを投げつけて、顔をぐしゃぐしゃにさせて、挙句、交通事故で死んでしまった。
あのときの快感が忘れられなくて、僕はますます過激になってしまった。
ついつい加減を忘れてしまい、自殺者を出してしまった。
すべて■■ちゃんの所為だ。
執行猶予期間中、逆恨みをした朝子ちゃんの親族に背中を押され、轢死したのも■■ちゃんの所為。
いや、『お陰』と言うべきかな?
なぜなら僕は今こうして、よりたくさんの女性を支配できる地位を得たのだから。
「何か良いことでもありましたか?」
「ひっ」
手近な妻に話しかけると、彼女は顔を青ざめさせて、ふっと窓の外へ視線をやった。
「ん?」
窓の外。
「なっ!?」
あり得ない光景を目にして、僕は叫んでしまった。
「なっ、なっ、なっ――何だコレは!?」
窓を開け放つ。
「追加でもう2羽獲ってきました~」
ガションガションガションと、鉄神とかいうロボットが中庭を歩いている。
乗っているのは例の新妻――エクセルシア。
鉄神が両手に持っているのはウサギだ。
「「「「「きゃあ~~~~!!」」」」」
大勢の妻たちが厨房から出てきて、歓声を上げる。
「お肉! お肉ですわよ!」
「これだけあれば、わたくしたちもご相伴に預かれますわ!」
「お肉なんて何年振りかしら!」
「具だくさんシチュー? 香草焼き? 夢が広がるわね!」
そして、中庭では無数の自動人形たちが動き回り、薪割りやウサギの解体、炊事選択、掃除、庭の剪定などをやっている。
重労働から解放された妻たちが、厨房の周りでごった返している。
「もうひと狩り行ってきますね~」
ウサギを自動人形に渡して、背を向けるエクセルシア。
林の中に入っていく。
「「「「「エクセルシア様!」」」」」
そんなエクセルシアの後ろ姿に尊敬のまなざしを向ける妻たち。
おかしい。
おかしいおかしいおかしい!
そのまなざしは、辺境伯である僕に向けられるべきなのに!
【Side コボル辺境伯】終了。
◇ ◆ ◇ ◆
あはは。
辺境伯(クーソクソクソサイコパス愛沢部長)、めっちゃ私のこと睨んでる。
ここは食堂。
4等級以上の奥さん数十名(クローネさんとヴァルキリエさん含む)が長いテーブルを囲んでいる。
お誕生日席に座るのが辺境伯で、そこから一番遠い末席に座るのが私。
めちゃくちゃ距離があるけど、睨んできてるとはっきり分かる。
ゴブリンやホブゴブリン、そしてクゥン君のシャウト攻撃ほどじゃないけど、この世界って怒声や眼光に魔力が載るんだよね。
『視線を感じる』とか『むっ、殺気!?』みたいなのを地でいく世界なのだ。
奥さんたちは久しぶりのお肉に大喜び。
辺境伯領って慢性的に食糧不足らしくって、特に肉が全然ないらしい。
領都は行商人で賑わっていたけど、肉の流通は少ない。
辺境伯領のトップである辺境伯家の食卓に上るお肉ですら、塩辛くてカッチカチの干し肉か、ウジまみれのお肉だけなんだとか。
何しろ魔の森と接している所為で領のいたるところで魔物が強く、家畜を育てようとしてもすぐに襲われて食われちゃうんだそうな。
だから、奥さんたちが大喜びなのはよく分かる。
一方の奥さんたちは、辺境伯がなぜこうも不機嫌なのかが理解不能であるらしい。
私? 私は分かるよ。よーく分かる。
多分、愛沢部長は今、『栄養不足』で苦しんでいる。
『他人の不幸は蜜の味』を地でいく、本物のサイコパスだからね。
本音では私の友愛ポイントをがっつり下げてやりたいって心境なんだろうけど、それができない。
なぜって、私は奥さんたちを幸せにしただけだから。
さしもの辺境伯も、『妻たちを笑顔にしたのは友愛精神にもとります。マイナス100友愛ポイント』とは言えないらしい。
クローネさんみたいにガッツリ洗脳されている奥さんもいる一方で、ヴァルキリエさんのように理性的で辺境伯に対して是々非々な奥さんもいる。
だから、あまりにも矛盾したマイナス友愛ポイントの乱用はできないんだろう。
ぐふふ。
クソクソサイコパス部長よ、もだえ苦しむがよい。
さて、追撃するか。
「旦那様、発言してもよろしいでしょうか?」
「っ……何でしょう、エクセルシアさん?」
「わたくしの、この家における仕事のことですが」
「はぁ」
「この栄光ある辺境伯領に貢献できる、素晴らしいお仕事を見つけまして」
「獣人自治区のことは、獣人自治区に任せるべきですよ」辺境伯が先手を打ってきた。「手を貸し過ぎるのは内政干渉に当たります。それでは、何のための『自治』なのか分かりません。自治を謳いながら、一方で実効支配し武力で押さえつけるなど、友愛精神にもとると思いませんか?」
「そうではなく。食糧事情の改善を図ろうと思いまして」
「……はい?」
「狩りに出るのです。鉄神を使って!」
「というわけで、やって参りました『魔の森』!」
「あ~っはっはっはっ!!」ヴァルキリエさんが馬上で爆笑している。「食糧不足問題の解消のために、狩りに出る。なるほど。それで向かった先が手ごろな森や山ではなく、わざわざ領の東端の魔の森? エクセルシア嬢、キミは屁理屈の天才だね」
私とクゥン君とヴァルキリエさんは、魔の森の中を進んでいく。
私は旅装で鉄神に乗っている。ハッチを開いているので、声を張り上げれば会話が可能だ。
ヴァルキリエさんは甲冑姿ではなく、革鎧で急所だけを覆ったラフな旅装だ。昨日と同じ馬に乗っている。
この場には、私とクゥン君、ヴァルキリエさん、そして馬と鉄神しかいない。
今日のヴァルキリエさんは軍人ではなく私人。
ヴァルキリエさんがついてきたのは、『鉄神の能力を見たいから』とのこと。
ヴァルキリエさんは領軍のトップ――つまり将軍職だから、鉄神を戦力として使えるかどうかが気になるんだろう。
ちなみに、クローネさんは付いてこなかった。
『狩りにまで付いていくのは荷が重いです』とのこと。そりゃそうか。
「何もおかしなことはないでしょう。食せる魔物は多い。この子の力を借りれば、美味しいぼたん鍋にありつけそうです」
「ボタン? ボタンとは何かな? キミはときどき、よく分からないことを言うね」
ヴァルキリエさんが楽しそうに微笑む。
……トゥンク。
私は改めて、兜を被っていないヴァルキリエさんを観察してみる。
超絶美形。づか顔。宝塚の男役の顔である。
燃えるような赤いショートヘア、海のような優しさと激しさを感じさせる碧い瞳、長いまつ毛、適度に焼けた肌。
背は高い。175センチはあるだろう。
体格も良く、がっしりしているが、それでいて出るところは出ている女性的なプロポーション。
しかも性格はイケメンときている。
完璧だ。完璧超人がいる。
「おーい、エクセルシア嬢?」
「あっ」いかんいかん、見とれてた。「あー、いえ、こちらの話です。イノシシ系の魔物はいないんですか?」
「いるよ。Cランクモンスターのジャイアントボアが。ほら、ウワサをすれば――」
「ブモォォオオオオオオオッ!!」
森の奥から、体高2メートルはありそうな巨大なイノシシが突進してきた!
「見せてもらおうか、鉄神の性能とやらを」
「ぶっふぉ」
偶然だろうけど、ヴァルキリエさんの口からサブカル好きなら誰もが履修しているであろうセリフが出てきた。
いかんいかん、集中。
>autobattle
鉄神が自動戦闘モードに入る。
鉄神が大きく腕を振り上げて、
――ぐしゃ
振り下ろした。
頭部を粉砕されたジャイアントボアは、それっきり動かなくなる。
「あ~っはっはっはっ! めちゃくちゃ強いな、その自動人形!?」ヴァルキリエさん、目の色を変えて大興奮。「ジャイアントボアと言ったら、ベテランのCランク冒険者パーティーや正規軍が損害を覚悟して挑むような相手だよ!? それを一撃とは」
「あははは……」
何より恐ろしいのは、この子――鉄神の名前が、
『労働一一型』
であることだ。
『一一型』というのはバージョンのことだろう。
前の『一』と後ろの『一』、どちらかがメジャーバージョンでどちらかがマイナーバージョンだと思う。
わざわざ『一』と銘打っているのだから、二型、三型もいるのだろう。
つまりこの子は最も古い機種である、ということだ。
さらには、『労働』。
そう、この子はあくまで労働用ロボットなのである。
わざわざ『労働』と銘打っているのだから、いるのだろう……『戦闘』型が!
空恐ろしい、とはまさにこのことである。
「さて。ひと狩りしたのでいったん戻りましょうか」
「え? もう戻るのかい? 領都までは馬の足でも小一時間かかるが……」
「いえ。領都までは戻りません。戻る先は、この近所にある『魔物肉の集積所』です」
「集積所……?」
◇ ◆ ◇ ◆
「ちは~す、三河屋で~す」
「「「「「女神様~~~~!! エクセル神様~~~~!!」」」」」
歓声とともに、私は出迎えられた。
「こちら、お土産です」ジャイアントボアを下ろす。「お肉も素材もお好きなように。ただ、今日のお昼にしし鍋が食べたいな~なんて」
「「「「「お任せください、女神様!!」」」」」
この村は若い男性がほぼ全員、辺境伯によって徴兵されてしまっているため、女子供と老人しかいない。
とはいえその『老人』たちも昔はみな屈強な戦士だったり猟師だったらしく、10人も集まればジャイアントボアの解体など造作もないらしい。
本当にたくましい!
伊達に『最後の村』で生き抜いていないね!
「集積所と言うからどこかと思って来てみれば」ヴァルキリエさん、首をかしげる。「バルルワ村じゃないか」
「集積所ですよ」私はニヤリと微笑んでみせる。
「いや、どう見ても」
「集積所でしょう?」
「あーうん、なるほど。見えてきたぞ?」ニヤリと微笑むヴァルキリエさん。
「あのぅ……女神様」村長さんが恐る恐る聞いてきた。「そちらの方は、まさか」
「私の友人の」私はにっこりと微笑む。「キリエちゃんです。私の、ただの、お友達です」
「そ、そうでしたか。よく似たお方を知っていたような気がしましたが、他人の空似でしたな」
「そうそう。他人の空似です」
「ぶふっ……」ヴァルキリエさん、今にも吹き出しそう。
「じゃ、約束どおりここを頑丈な城壁で囲んでしまいますね」
「い、いいのですか……?」
恐る恐る、ヴァルキリエさんの顔色をうかがう村長。城壁を造るのは『辺境伯に反意あり』とみなされるからね。
対するヴァルキリエさんが、芝居がかった様子で肩をすくめて、
「ここはバルルワ村ではなく、魔物肉の集積所だからね。確かに、ちゃんとした壁がないと、魔物肉の血の臭いでオオカミが集まってしまうだろう。でも」
ヴァルキリエさん、私に向けてウインクひとつ。
「上手いことやっておくれよ? 私だって、友愛ポイントには余裕がないんだから」
……トゥンク。
ヴァルキリエさん超イケメン!
◇ ◆ ◇ ◆
「ここを集積地とする!」
「いや、だからここを集積地にするんだろう?」
ここは、バルルワ村の南隣。
ゴツゴツとした岩肌が広がる土地だ。
見上げるような岩山も多く、とても開墾には適さない土地。
ヴァルキリエさんからのツッコミを受けながら、私はドッカンバッコン整地していく。
鉄神の馬力を使えば、どんなに硬い岩も豆腐と同じ。
凸凹だった土地が、あっという間に平らになっていく。
まるで、マインクラフトで整地作業をしているような手軽さだ。
「な、ななな、何という圧倒的な力!」村長さんが瞠目している。「ここは地面があまりにも硬く、長い間、開墾できずにいた土地なのです。それが、あっという間に!」
だからこそ、バルルワ村の南端がここなのだ。
彼らが開墾をあきらめたのである。
「あ、もしかして追加の農耕地が欲しかったりしますか?」
「えっ、下さるんですか!?」
「じゃあ、後で村の北側も開いてしまいましょうか」
小一時間ほどで、ゴツゴツの岩山はまっ平らな土地に変わった。
倉庫とか解体場とかはおいおい、村の人たちに協力してもらいながら作っていくとしよう。
「じゃ、北側に行きましょう」
>move /to
村長さんは私(鉄神)の手の中に収まる。
ヴァルキリエさんは馬で移動。
クゥン君は、なんと自分の足で馬の速度についてくる。
【闘気】という、魔力を体に纏わせることで身体能力を向上させる便利魔法が使えるとのこと。
クゥン君は強化系の念能力者だった!
たった1人でゴブリン軍を相手に戦えるほどの強さも納得だ。
あっという間に村の北端に着いた。
私は鉄神のコンソール画面に、農耕モードへ移行させるためのコマンドを入力する。
> plow
バトルに整地に農耕に。何でもできるな、鉄神!
岩肌を砕き、土を掘り返し、ほぐしていく。
午前中いっぱい耕して、数百メートル四方の畑が出来上がった。
ざっと農家10軒分くらい? 知らんけど。
何作るかによっても、そしてその家の家族構成によっても維持できる畑の広さは違うだろうからなぁ。
「おぉ……おぉぉ……」
「神様……農耕神様……エクセル神様!」
「これで、村の人口が増やせる!」
鉄神に腰掛け、汗をぬぐう私の後ろでは、村長さんや村の野次馬さんたちが感激している。
まぁ、ここに入植して以来ずっと開墾できずにいた土地が、これだけ耕されればね。
「女神様!」振り向けば、クゥンくんが尻尾を振っていた。「オレたちに、こんなにも良くしてくださって、本当にありがとうございます!」
「いやぁ、まあ」
いくら鉄神がいるとはいっても、これだけの畑を耕すのは一苦労だ。
鉄神の操縦には気を使うし、鉄神の中ってけっこう揺れるから疲れるんだよね。肩とか腰とかぶつけて地味に痛いし。
我ながら、しなくてもよい苦労をわざわざ買って出ているという自覚はある。
それも、バレれば辺境伯に睨まれるリスクまで犯して。
どうして、こんなことしてるのかって?
もちろん、理由はある。2つもある。
1つは、私の今世における『生きる目的』にまつわること。
そしてもう1つもまた、『生きる目的』に関係すること。
私の生きる目的の1つ目、それは辺境伯こと愛沢部長への復讐だ。
村の開拓が復讐に繋がるのかって?
ふふん、実はちゃんと考えがあるのよ。
私の生きる目的の2つ目、それはクゥン君への恩返しだ。
何しろ彼には、命を救われた恩がある。
ゴブリン軍の撃退によって多少は返せたようにも思うが、まだまだ返すべき恩は残っている。
「クゥン君。いいんだよ、気にしないで」
そう答えてあげると、感極まったのか、クゥン君が泣き出した。
こんなに枯れた土地で。きっとクゥン君もその家族も、とても苦労を重ねてきたのだろう。
私は鉄神から飛び降りて、クゥンの涙を拭う。
そのまま抱きしめてあげると、彼の尻尾が見えないくらい高速で振られはじめた。
んふふ、可愛いなぁ。
あー、ダメだな、私。
『恩返し』なんて綺麗事で言い繕っているけれど、本心はただの下心だ。
こんな、わけの分からない世界に突然放り出されて。
いきなり馬車が滑落したかと思えば、ゴブリンに殺されかけて。
『異世界転生やったぜ!』なんておどけてはいたけれど、あのとき私は、本心では心の底から怯えていた。
それこそ、心が無くなってしまいそうになるほどに、怖くて怖くて仕方がなかった。
そんな私の前に颯爽と現れ、私を救ってくれたクゥン君の、なんと格好良かったことか!
エクセルシアの、この体の初恋の相手は、間違いなくクゥン君だ。
だから私は、彼にいいところを見せたい。彼に喜んでもらいたい。
その見返りに、彼からもっともっと好意を向けてもらいたい。
ははは……本当、打算的で嫌な女だな。
「ご、ごめんなさいっ」クゥン君が飛び退く。「オレ、情けないところを見せてしまって。オレは女神様の護衛騎士なのに」
「気にしてないよ」私は努めて優しく、クゥン君に微笑みかける。「いろんなキミを見ることができて、嬉しいな」
「!? !? !?」
クゥン君、尻尾をぶわわわっと毛立たせながら、私の三歩後ろ――護衛ポジションへ下がってしまった。
あーあ、逃げられちゃった。
「大したお礼もできませんが」タイミング良く、村長さんが話しかけてきた。「せめてお昼は召し上がっていってください」
村人たちが、私を村へと招き入れてくれる。
「しし鍋できてますよ、エクセル神様!」
「ささ、こちらへ!」
「ジャイアントボアの肉は絶品ですよ!」
◇ ◆ ◇ ◆
「美味し~い!」
「本当に美味いな、コレ!」
大興奮でしし鍋を食べる私とヴァルキリエさんもとい『キリエちゃん』の隣では、
「美味しい!」
「うま~い!」
「こんなに美味しいお肉、生まれて初めて!」
「キュンキュン、落ち着いて食べなさい」
子供たちとクゥン君がわちゃわちゃしてる。
可愛いなぁ。
ここは教会の中庭。この村で一番広い場所だ。
老若男女、ほぼ村人全員が集まってる。
「こんなに美味しい物が食べられるのは、すべて女神様のお陰だよ。みんな、女神様に感謝するように」
私の護衛にして崇拝者、クゥン君が恥ずかしいことを言う。
「「「「「女神様、ありがとー!」」」」」
「そっ、そんな大げさな」
「それが、大げさでもないのです」と村長さん。「ご存じのとおり、この村の若手はほとんど全員が徴兵されてしまっておりまして。狩りに出られるような者は残っておらんのです」
「何てこと……うっ」
子供たちがキラキラした目で私を見てくる。
「う~~~~っ。もういっちょ狩ってきます! 解体の準備は任せましたよ!」
「「「「「うおぉおおお! エクセル神様! 肉神様!」」」」」
◇ ◆ ◇ ◆
というわけで、再び魔の森に潜る。
「10時方向、30メートル先に近接武器装備のゴブリン3。警戒を厳に」
「はい!」ヴァルキリエさんの鋭い指示に、私は鉄神のハッチを閉める。「って、え!?」
「あぁ」馬から降りたヴァルキリエさんがニヤリと微笑んで、「なぜ、目視していないのに相手の位置が分かるのか、かい?」
「あ、それもそうですけど」私の声は、鉄神のスピーカーを通じて外に聞こえる。「メートル法なんですね!?」
「メートル法? そんな法律があるのかい?」
「あ、いえ。何でもないです」
まぁ、『アプリケーションズ家』とか『フォートロン家』とか『モンティ・パイソン帝国』なんかが存在する国だ。
今さら驚くことでもないのかもしれない。
何にせよ、この国(世界?)がメートル法なのは便利で良い。
「それよりも。そうそう、どうしてこんなにも険しい森の中で、数十メートル先のことが分かるんですか?」
魔の森は鬱蒼としており、数十メートル先はおろか、数メートル先も満足に見えない。
「【闘気】さ」
ほう。ヴァルキリエさんも強化系の能力者であったか。
「【闘気】を極めれば、魔力を薄っすら体外に放つことによって、周囲の状況を探ることができるようになるんだ」
人間レーダーかよ。便利だな。
ん、レーダー?
>radar
と、私はコマンド入力。
するとモニタの1つがぱっと点り、鉄神を中心にしたレーダーが表示され始めた。
鉄神のすぐそばにはヴァルキリエさん、クゥン君、お馬さんを示す黄色い点があり、鉄神の前方十数メートル先に3つの反応がある。
近づいてきてるな。
「もう少し、鉄神の戦いぶりを見せてもらってもいいかな?」
「了解です」
>autobattle
鉄神がゆっくりと歩き出す。
ゴブリンたちが潜んでいる木の陰に突っ込んで、
――ブンッ
と拳を振るう。
――グシャッ
――ブンッ
――グシャッ
――ブンッ
――グシャッ
戦闘終了。
中央モニタに映るのは、頭部を陥没させた3体のゴブリンの死体。
「あ~っはっはっはっ! 強い! やっぱりめちゃくちゃ強いねその子!?」
「ですが、ゴブリンは食べられません」
「ちょうど良いのが近づいてきているよ」
レーダーに大きめの反応が2つ。
森の奥から出てきたのは、全長3メートル、豚の顔をした二足歩行の――
「オーク!?」
「「ブヒィイイイイイイイイイイイイイッ!!」」
オークのダブルシャウト!
ビリビリと空気が震え、草木が揺れる。
鉄神のモニタ越しだというのに、私はすくみ上りそうだ。
さっきのジャイアントボアのときは平気だったのに、なぜだろう?
アレか、単なる雄たけびと、魔力を載せたシャウトは別物ってことなのかな。
クゥン君とヴァルキリエさんは無事か!? と思って見てみれば、2人ともそよ風の中にいるかのような涼やかな表情。
おおお、これが戦士としての経験の差か。
「ほら、新鮮なお肉だぞ、エクセルシア嬢」
「えっえっえっ!? ウソでしょ、ウソですよね!? 二足歩行の生き物を食べるの!?」
とかなんとか言っている間に、自動戦闘モードの鉄神がオークたちの頭を握りつぶした。
◇ ◆ ◇ ◆
「「「「「オーク肉だぁ~~~~!!」」」」」
うわー……めっちゃ喜んじゃってるよ村人さんたち。
この世界じゃ、二足歩行の魔物も食料なのね。
「12時方向10メートル先にはぐれオーガ1」
「はい!」
――グシャ
「女神様、10時方向20メートル先にブラックベアが1体います」
「あいよ!」
――ベキッ
「9時方向30メートル先にオーク3。内1体は弓使いだ。気をつけて」
「了解です!」
――ドガッバキッグチャッ
◇ ◆ ◇ ◆
「【アイテムボックス】……【アイテムボックス】が欲しい!」
大量の肉を引きずりながら嘆く私にヴァルキリエさんが、
「いるよ、【収納魔法】持ち」
「えっ、ヴァルキリエさん使えるんですか!? ならこの大量のお肉を早く亜空間に収納してください!」
「いや、残念ながら私じゃないんだ。フォートロン家の奥さんの一人、ステレジア君が使えるのさ」
「なんと! 何とかして連れてこられませんかね?」
「教えておいて何だが、難しいだろうねぇ……。ステレジア君は1等級。旦那様が領都からは出したがらないだろうし、彼女も1等級の地位をみすみす失うような真似はしないだろう」
つまり、辺境伯のイエスマン(ウーマン)というわけか。
「1等級。そうか、4等級から逆に上がるパターンもちゃんとあるんですね」
「あはは、そりゃそうさ」
「あのぅ、聞いて良いか分からないのですが……ヴァルキリエさんも1等級なのでしょうか?」
【アイテムボックス】はとても便利な魔法だ。
その【アイテムボックス】持ちが1等級なら、【闘気】持ちで領軍を率いる将軍でもあるヴァルキリエさんも、きっと1等級のはず。
「いや~、私は万年2等級でね」
「えっ、何で?」
「私はほら、このとおり『自由奔放』だから」
「あー……」
『自由』などと回りくどい言い方をしているけれど、要は辺境伯のやり方に懐疑的ということなのだろう。
特に、恐らくはバルルワ村に対する処遇について疑問を感じているようだ。
『キミは屁理屈の天才だね』などと言いながら私の行動――バルルワ村に対する干渉を見逃してくれるくらいだからね。
イエスマンになった方がずっと楽なのに。イエスマンにならなきゃ友愛ポイントを下げられてしまうのに。
けっして保身に走らない、優しい人なんだ。
「私、ヴァルキリエさんと出会えて良かったです」
「何だい、急に。照れるじゃないか」
「オ、オレも!」クゥン君が割り込んできた。「オレも女神様と出会えて良かったです!」
「えへへ。クゥンキュンは可愛いなぁ」
なんて、デレデレ甘々な会話をしていたのがまずかったのだろう。
鉄神の足元をおろそかにしてしまった私は、足元の『ナニカ』に足を取られ、盛大に転倒してしまった。
――ガラガラガッシャ~ン!
「わぷっ!?」
「女神様!?」
「大丈夫かい、エクセルシア嬢?」
「は、はい……なんとか」
ハッチから這い出した私を出迎えたのは、
「コレにつまづいたようだね。これは……馬車?」
半ば土に埋まった、馬車のような人工物。
だが、その車体は明らかに鉄でできており、何よりその車輪が――
「ゴムタイヤ! こっ、これ、自動車だぁ~~~~!!」
中世ヨーロッパ世界に自動車とか、パないなモンティ・パイソン帝国!
◇ ◆ ◇ ◆
ってなわけで自動車を鉄神のデバッグモードで起動させ、自動操縦モードで動かす。
狩った獲物を鉄神と自動車に分散させて村に運び入れたところ、村人たちはみなビビり散らかして逃げ出してしまった。自動車が怖かったらしい。
「め、女神様、それは何ですかな?」
「あはは……まぁ、鉄神様の親戚みたいなものです」
尻尾を丸めている村長さんに説明し、戻ってきた村人たちにオーガ1体、ブラックベア1体、オーク3体を引き渡す。
「じゃあ私は、日が暮れるまでに壁を造ってしまいますね」
今現在、バルルワ村周辺はこのようになっている。
北
↑
魔の森・・・
魔の森・・・
新しい畑 魔の森・・・
■■■■■ 魔の森・・・
■ ■ 魔の森・・・
■ 村 ■ 魔の森・・・
■ ■ 魔の森・・・
■■■■■ 魔の森・・・
集積地 魔の森・・・
魔の森・・・
魔の森・・・
これを、こうする。
魔の森・・・
■■■■■ 魔の森・・・
■ 畑 ■ 魔の森・・・
■ ■ 魔の森・・・
■ ■ 魔の森・・・
■ 村 ■ 魔の森・・・
■ ■ 魔の森・・・
■ ■ 魔の森・・・
■集積地■ 魔の森・・・
■■■■■ 魔の森・・・
魔の森・・・
それも、急場しのぎの土塁じゃなくて、立派な城壁で。
「おおお!」私が地面に描いた図を見て、目を輝かせるクゥン君。「これでついに、バルルワ村に城壁が! でも、大丈夫なんですか?」
バルルワ村に城壁が存在しない理由。
それは、辺境伯が『壁を作るのは辺境伯への敵意あり』とみなして城壁を作らせてくれなかったからだ。
私が勝手に城壁を作ってしまったら、私が辺境伯に叱責され、『友愛ポイント』とやらをがっつり減らされてしまうだろう。
だが、
「たまたま、集積地の間に村があっただけだからね」
そう。
私はバルルワ村を城壁で覆おうとしているのではない。
辺境伯領のために用意した集積地を魔物たちから守る必要があり、その集積地の間に、たまたまバルルワ村が存在していただけなのだ。
村の北部にあるのは『集積地』ではなく『畑』だが、それも言い訳は考えてある。
ゆくゆくはこの地を領都と物流網で結び、そこそこの人数にこの地で働いてもらうようにする。ここの従業員の食を支えるための畑だから、つまり集積地の一部ってことだ。
「あ~っはっはっはっ! さすがは屁理屈の女神様だね」
「褒めてないですよね、ソレ?」
「いいや、褒めてるよ? さぁ、それで」
づか顔でニヤリと微笑むヴァルキリエさん。
イケメンまぶしい。
「次はどんな光景で、私を驚かせてくれるのかな?」
「はい。村を覆うための壁なんですけどね」
私たちが今いるのは、村の南端。
集積地として岩肌を切り開いた際に、あえて残しておいた巨大な岩山の前だ。
「この岩山から、壁を切り出そうかと思いまして」
「あ~っはっはっはっ! 岩山から! 壁を! 切り出す! どうやって!?」
「こうやって」
私は鉄神に乗り込み、コマンドを叩く。
>mag /windcutter
――ビュッ、シュバババババッ!
鉄神の両手から放たれた疾風の刃が、岩山をスライスしていく。
さらに、
>mag /windcutter
で成形。
あっという間に、何百枚もの『壁』――厚さ50センチ、幅5メートル、高さ10メートルの岩の塊が現出した。
「こっ、こっ、こっ……」
おや、ヴァルキリエさんがニワトリになっとる。
「さすがは女神様!」
一方のクゥン君は平常運転だ。
「これはすごいね!?」
目の色を変えるヴァルキリエさん。
軍事転用に夢を膨らませているのだろう。
「えへん。でしょう? 実はこの子、魔法も使えるんですよ」
「魔力は? キミの体内から吸い上げているのかい?」
「そういうモードもありますけど、今は外気から取り込むモードでやってますね。特に、東の方から風と共に大量の魔力が流れてくるので」
「『魔の森』か。魔物が多いから魔力で満ちているのか、魔力が多いから魔物で満ちているのか。詳細は不明なままなんだけど、とにかくこの地は空気中の魔力濃度が高い」
「やっぱりそうなんですね」
私は『壁』の一枚を持ち上げて、鉄神の怪力に任せてずぼーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと地面に突き立てる。
「ほら、こんな感じで村を覆い尽くしてしまいましょう!」
「は、ははは……もう、笑うしかないよ」
「さすがは女神様!」
こうしてバルルワ村もとい『魔物肉の集積地』は、堅牢な城壁によってまるっと囲まれた。
◇ ◆ ◇ ◆
「あのぅ……折り入ってお願いがございまして」
翌日午前、村長さんがめちゃくちゃ恐縮した様子で話しかけてきた。
「はい、何でしょう?」
「この度は、村の北側に巨大な畑を広げていただき、本当にありがとうございました。それで、さっそく種を植えたいのですが、あいにくと水が不足しておりまして。誠に申し訳ございませんが、鉄神様のお力をお借りして、井戸を掘っていただくことはできませんでしょうか?」
「もちろん構いませんよ。どの辺りに掘りましょうか?」
「おおっ、ありがとうございます!」
「ところで、今は水、どうしておられるんですか?」
「はい。北の山から流れる川に頼っております」
そう。
この土地は、東は『魔の森』、北は山に囲まれたとても過酷な『さいごの村』。
魔の森は王国領内とは比べ物にならないくらいに多くの魔物であふれた地で、中でもその親玉が、超巨大なドラゴンらしい。
地龍シャイターン。
この世界に4匹いると言われるドラゴン――
地龍シャイターン
水龍レヴィアタン
火龍ポイニックス
風龍ルキフェル
の、地龍シャイターン。
何で、ラスボスがこんな村の真横に住んでいるのよ!
いや、そんなのが住んでるからこそ、モンティ・パイソン帝国はゲルマニウム王国を落としきれなかったのかな。
地龍シャイターンが森から出てきたことはないらしいし。
魔の森だけでも超ヤバいのに、北の山も魔の森に負けず劣らず魔物にあふれているのだそうな。
じゃあなぜ、こんな危険な場所に村を構えているのかというと、北の山から魔の森にかけて川が流れており、その川から命懸けで支流を引いてきたからなのだそうだ。
本当はもっと、魔の森から距離を取った西の方に村を築きたい。
けれどそうすると、川が使い物にならないほど細くなってしまう。
結果、魔の森にほとんどぴったりくっついたこの場所に、バルルワ村が作られることになった。
「現在の水の量では、新たな畑を耕すにはとてもとても」
確かに、村の中央を流れる川は水がちょろちょろと流れるばかりで、その終着点であるため池も、いつも村の女性たちが水を奪い合うような有様だ。
当然、バルルワ村の人たちは過去に何度も井戸を掘ろうと試みた。
が、畑を広げられなかったのと同じ理由で、地質が硬すぎて井戸を掘れずにいたのだそうだ。
ふむ。
先に水問題を解決すべきだったか。
ミスったな。
「あっ、けっして女神様を責めるような意図はございません!」
村長さんが慌てだす。
やば、顔に出てしまったか。
「女神様は我々の命をお救いくださり、こうして頑丈な壁で我々をお守りくださっておられます。これ以上の贅沢を申すなど、大変申し訳ないと思うのですが……」
「いえいえ、気にしないでください。さっそく向かいましょう」
私の中には、2つの気持ちがある。
1つは、平和主義で戦争知らず、のほほんとした元日本人として純粋な善意。
村人たちの生活が少しでも楽になるのなら、手を貸してあげたい。
このままじゃ、クーソクソクソ辺境伯に騙し討ちされるような形でこんな場所に住まわされている村人たちが、あまりにも可哀そうだ。
もう1つは、ややドライで打算的な思考。
村の、私に対する『依存度』を高めたいのだ。
村長さん然り、他の村人さんたち然り、バルルワ村の人たちは困ったことがあると私に相談しにくるようになった。
私、順調にこの村を実効支配しつつある。
辺境伯を糾弾し、復讐するための第一歩である、
『領地貴族になる。それも、辺境伯領と隣接した土地の』
が着実に進みつつある。
そう、私はそのために、無理を押してこの村を開拓しているのだ。
あとは、当の辺境伯、またはその上位者に『この土地はエクセルシアの物だ』と認めさせる一手があれば目的達成なんだけど……何か、何かないか。
正直、ちょっと焦っている。
だって、早いとこ領地貴族になって独立(離婚)しなきゃ、あのクーソクソクソ愛沢部長に抱かれるんだよ!?
そんなの、マジで、死んでもごめんだよ……。
ちなみに、昨晩は辺境伯との夜伽を回避できた。
『バルルワ村を含む集積地を、高さ5メートルの壁で囲みました。あとオーガ1体、ブラックベア1体、オーク3体分のお肉を持ってきました。領都に卸してもいいですか?』
って、報告したら、辺境伯ったら卒倒しちゃったよ。
あはは。
これからも、あの手この手で辺境伯の胃にダメージを与えつつ、夜伽を回避し続けるつもりだ。
が、いつまで持つか。
あまり無茶をすると、連帯責任でクローネさんまで友愛ポイントを下げられちゃうし。
◇ ◆ ◇ ◆
「じゃ掘りますんで、離れてくださーい!」
「「「「「は~い!」」」」」
北の畑の一角で、鉄神の拡声器を使って野次馬に次げると、元気の良い返事が返ってきた。
「あと、気になるのは分かりますけど、みなさん仕事してくださいね~」
「「「「「は、は~い……」」」」」
あはは。村人さんたち、尻尾丸めてら。
まったく、調子いいなぁ。
でもまぁ、十年以上解決しなかった井戸問題が解消するかもしれない瞬間を見届けたいって気持ちは、とっても良く分かる。
鉄神に搭乗している私は、
>dig
とコマンド入力。穴掘りモードだ。
深く深く、ひたすら深く真下へ掘っていく。
掘って掘って掘って、鉄神の腕力に任せてどばーーーーっと土を外に放り投げて。
掘れども掘れども水は出てこない。
仕方ない。この穴が井戸として実用できるかは度外視して、水脈がどの辺りにあるかを知るためにも、水が出るまで掘り進めよう。
>dig
>dig
>dig
>dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig >dig……
数十分ほども経ち、何百メートル? その倍? いや、もっと?
訳分からないくらい掘った、そのとき。
――ズゴゴゴゴゴゴ……ドッパァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!
穴の底が割れ、とてつもない量の水が噴出してきた!!
圧倒的水圧で鉄神の体を押し上げる。
鉄神が地上へ放り出された。
冗談みたいな水量。
しかも何か、ホカホカしてる。
「え、これ……お、お、お、温泉だぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「「こ、これは……?」」ビビるクゥン君と村長さん。
「温泉ですね!」鉄神のハッチを開き、硫黄臭を嗅いで確信する私。「この地って、温泉、珍しかったりします?」
「確か、辺境伯領に温泉はなかったはずです」と村長さん。
勝った。勝ち申した。
村長さんのお言葉を信じるなら、この温泉は非常に希少価値が高いはずだ。
つまり、儲かる。
今でこそ魔物ばかりで旨味のない土地だが、温泉客で賑わえば、温泉客を目当てに行商人が集まり、護衛の冒険者たちが集まり、その冒険者たちを目当てに宿泊施設や武具屋が建ち並ぶようになるだろう。
滅びかけの『さいごの村』は、『エクセル神』が守護する巨大な温泉郷へと早変わりってわけだ。
「いける! 目指せ土地持ち貴族!」
そのためにもまずは、温泉の有用性を証明するための、温泉客を集めなければならない。
温泉に夢中になってくれて、その気持ちよさを口コミで広めてくれるお客さんがどこかにいないだろうか。
「――あっ」
いるではないか。
パワハラモラハラ夫に酷使されて、疲労困憊な665人の――
「村長さん! 井戸は後日必ずご用意しますので、しばらくは温泉の方に注力させていただいても構いませんか!?」
「それはもちろん。ですが、何をなさるので?」
温泉といったらもちろん、
◇ ◆ ◇ ◆
「「「「「えええええっ!? 温泉!?」」」」」
入るのさ。
長年の過労によって疲労MAX、お肌ボロボロの奥さんたちと一緒に!
「どうです、入ってみたくはありませんか?」
鉄神の猛ダッシュで戻ってきた私の言葉に、
「「「「「入りたい!!」」」」」
奥さんたち、目の色を変えて大興奮。
だが、
「でも……バルルワ村とは、獣人たちの村なのですわよね? 人間に襲いかかったりはしないのでしょうか?」
「ちゃんと言葉の通じる相手ですよ。それに、皆様の身の安全は私が――この鉄神様が保証します」
「私も一緒に護衛しよう」ヴァルキリエさんからの加勢。
「ですが、勝手に外出したりして、旦那様にとがめられたりは……?」
「それも大丈夫です。みなさんの友愛ポイントが下げられることのないよう、しっかりと調整して参りますので」
「でも、魔の森の近くなんですよね? 大丈夫なのでしょうか」
「高さ5メートルの壁で覆っておりますので、ご安心を」
「で、でも……」
奥さんたち、目をキラキラさせながらも、踏ん切りがつかない様子。
洗脳ってのは、怖い。
洗脳は、やがて依存に変わる。
洗脳されていることが、束縛されていることが、心地良くなってくるのだ。
その楔から抜け出すには、勇気がいる。
「わ、わたくしは!」奥さんたちの中から、クローネさんが出てきた。「わたくしは行きます。行きたいです! 連れていってください!」
「クローネさん!」
一番強固に洗脳されていたと思っていたクローネさんが、声を上げてくれた。
それが呼び水になって、最終的に百名以上の奥さんたちが来てくれることになった。
「それで」ニヤリと微笑むヴァルキリエさん。「足はどうするんだい?」
「自動車でピストン輸送ですね」
「ピストン? というのは良く分からないが、あの馬無し馬車ならここからバルルワ村までものの十数分で着いてしまうからね」
「手配、お願いできますか? 自動車の運行経路は設定済ですので」
「いいだろう、任された。キミはこれから、戦かな?」
「はい……戦いは苦手なんですけど」
「あ~っはっはっはっ! Aランクモンスターのブラックベアを殴り殺せるような令嬢が、何か言っているぞ」
「私がじゃなくて、鉄神が、ですからね!?」
◇ ◆ ◇ ◆
「また何かやらかしたのですか、エクセルシアさん? って、臭っ。その臭いは何ですか」
辺境伯が、ものすごく嫌そうな顔をして私を出迎える。
ここは辺境伯の私室。
部屋では1等級の奥さん数名がくつろいでおり、壁には10体の自動人形たちが侍っている。
「その匂い――まさか温泉!?」
奥さんの1人、【アイテムボックス】使いのステレジアさんが目を輝かせた。
「はい」私はできるだけ優雅に微笑む。「実は先ほど、バルルワ村にて温泉を掘り当てまして」
「「「温泉!?」」」
おおおっ、1等級奥さんでも温泉は嬉しいのか。
辺境伯領には温泉はない、という村長さんの言葉が事実らしい。
「甕に入れられるだけ入れて持って参りました。旦那様と、ここにいる奥様方にお楽しみいただける分はございます」
私は、自動人形に運ばせてきた甕の蓋を開く。
同じ甕があと9個、風呂場に運ばれている。
「まぁ、素晴らしい!」ニコニコ顔のステレジアさん。「温泉は美容にとても良いのですよ」
「ですが……」
「「「ですが?」」」
「これ以上は運ぶことができませんでした。せっかくの温泉なので、全ての奥様にお楽しみいただきたかったのですが」
「まぁ! そんなの、バルルワ村? とかいうところへ直接行けば良いじゃない。私が行きましょうか。【アイテムボックス】に収納すれば、腐ることもありませんし」
「ステレジア君」辺境伯の短い叱責。
「冗談ですわよ、旦那様」
「ステレジア奥様が仰ってくださったとおりで、多数の奥様が日帰り温泉小旅行を希望なさっておいでです。心優しい旦那様、どうかご許可をいただけませんでしょうか?」
「そうは言ってもですねぇ」
「いいじゃないですか、旦那様」ステレジアさんの加勢。「どうせ、大量の自動人形たちによって屋敷の管理は完璧なんですから」
「はぁ~……分かりました、許可しましょう。ですが」辺境伯、窓の外を見下ろして、「エクセルシアさん、アナタ、ここに話に来る前に、すでに動いてますね?」
窓の外では、ウキウキ顔の奥さんたちが自動車に乗り込んでいる。
「当主たるこの僕に事前相談なく妻たちを勝手に動かすなど、友愛精神にもとります。そうは思いませんか? エクセルシアさんにマイナス1000友愛ポイント」
ぐはっ。
ともあれ、ダメージを食らうのは私ひとりで済んだ。
◇ ◆ ◇ ◆
「反対だ! 人間を村に入れるなんて!」
「しかも、今から来るのは辺境伯家のやつらなんだろう? 俺たちの敵じゃないか!」
「そうだそうだ!」
あー……調整の順番、ミスったなぁ。
私ってば女神様呼びされてるし、奥さんたちを招き入れるのは新しく開いた地域だから、村長のOKさえ出ればすんなりいくと思ってたんだけど。
ここは、バルルワ村の村長宅。
最大戦速の鉄神で、奥さんたちを乗せた自動車を追い越して村長宅に突撃し、奥さんたちが来ることを伝えようとしたところ、もうこの騒ぎになっていた。
村長には、領都に戻る前の時点で、温泉客(人間)を連れてくることは伝えていたから。
村長宅は老若男女でごった返している。
子供たちは、
『温泉♪ 温泉♪』
『温かいお風呂なんて初めて~』
と楽しそう。
女性陣及び老人勢は、私の提案を快く受け入れてくださっているご様子。
反対しているのは、村の若者だ。
若者。
この村は、若い男性はほぼ全員徴兵に取られてしまっている。
そう、『ほぼ』だ。
鍛冶などの特殊技能を認められて徴兵を免れた若手の男性が、一定数いるのである。
具体的には、3人。
「いくら女神様のお言葉だからって、限度がある!」
鍛冶屋の男性(三十台半ばくらい?)と、
「そもそも辺境伯さえいなければ、俺たちがこんな目に遭うこともなかったんだ!」
大工さん(二十後半?)と、
「そうだそうだ!」
狩人(十代半ば)。
彼らは、バルルワ村がゴブリンの軍勢に襲われたあの日、買い出しと行商に出ていて村にいなかった。
つまり、あの凄惨な戦場を、恐怖の光景を、そんな恐怖の象徴であるホブゴブリンを圧倒する鉄神をその目で見ていないのだ。
『百聞は一見に如かず』と言うけれど、その逆もまた然り。
その目で見ていないのだから、いくら他の村人たちが私を『女神様』と呼んでいても、実感が沸かないのだろう。
それに、彼らには積年の――文字どおり十数年来の恨みがある。
だから私も、彼らの気持ちはよく分かる。
でも、この関門は何としてでも乗り越えなければ。
人間と獣人の分断工作。辺境伯による分断統治……その解消が必須なのだ。
この地を辺境伯領に匹敵するくらい大きくするために。
もともと数の少ない獣人だけでは、実効支配領域を広げられない。支配を広げるためには、人間の力が必要だ。
私の復讐達成のために。
そしてもちろん、バルルワ村の発展と、村人たちの幸福のためにも。
「皆さんに相談もせずに勝手に決めてしまったこと」私は頭を下げる。「本当に申し訳ございませんでした」
ざわり、としたあと、場が静かになった。
ちらりと視線だけ上げてみると、村人たちが男性3人を『何を女神様に頭下げさせてんだ』って目で睨みつけている。
なので私は、慌てて頭を上げた。
「まず、温泉客――人間たちは、元々のバルルワ村、つまり堀と土塁の内側には絶対に入らせないようにいたします。それでも気になるようでしたら、土塁の上に城壁も設けましょう」
「「「…………」」」ばつの悪そうな顔をしている男性陣。
「この村には行商人が来ず、塩や衣類、生活用品は皆さんが定期的に領都へ買い出しに行ってらっしゃるんですよね? 大変なことだと思います」
この村には馬がいない。
馬を買うほどのお金もないし、養えるほどの牧草地もないし、仮にあったとしても、すぐに魔物に襲われてしまうから。
馬の足で小一時間かかる領都まで、荷車を引いて往復するのはすさまじい重労働のはずだ。
「ですが、温泉客が定着すれば、客を目当てにこの地に行商人が来るようになるでしょう。そうすれば皆さんは、本業に集中できます」
「「「…………」」」
うーん、まだ弱いかな?
「行商人が来るようになれば、嗜好品――そう、お酒なんかも買えるようになるでしょう」
「「「「「酒!?」」」」」
うおっ。
これには男性陣のみならず、ご老人たちも反応した。
「お酒を買うためにも、お金を稼がなければ。『バルルワ温泉郷』として有名になれば、お金ががっぽがっぽ。お酒も、綺麗な服も、化粧品も、おもちゃも買い放題ですよ!」
「「「「「おおおおおっ!?」」」」」
老若男女、大喜び。
よ、よーしよしよし。
何とかなった、かな?
◇ ◆ ◇ ◆
村長宅での会合が解散となったあと、私が鉄神に乗り込むと、
『そりゃ酒は欲しいけどよ、あの小娘の言うことを本当に信じたわけじゃないだろうな?』
村長宅の裏手から、ひそひそ話が聴こえてきた。
盗み聞きするつもりはなかったのだけど、鉄神の集音器、めっちゃ優秀なんだよね。
『ああ。ちゃんとした城壁さえあれば、アイツが死ぬこともなかったんだ。あのクソ領主さえいなければ……』
『よせ、その話はもうするな。だが、あの娘が信用ならないのは事実だ。なんたって領主の妻なんだからな。あのクソ領主みたいに、耳障りのいいことを言って俺たちを誘い出してから、裏切るに決まってる。せめて俺たちだけは騙されないようにしなければ』
……そう、だよね。
あの日、ゴブリンの軍団に襲われていたバルルワ村。
同じような悲劇は、きっと何度も起こっていたことだろう。きっと何人もの人たちが犠牲になったことだろう……。
私も、もっとちゃんと、この村について考えよう。
もっと誠実に考えて、対応して、村人全員に認めてもらえるように。
◇ ◆ ◇ ◆
数日が過ぎた。
5等級以下の数百人の奥さんたちは入れ代わり立ち代わり温泉に訪れて、その心地良さを領都で思いっきり喋ってくれた。
今も昔も、口コミこそ最強の宣伝手段。
自動人形のお陰で重労働から解放された奥さんたちだが、人形は喋れないので、買い出しは依然として奥さんたちの大事なお仕事。
そうして外に出た奥さんが、バルルワ温泉郷のことを喋る。
数百個の口が数千個の耳に伝わり、さらに拡大していく。
1万人都市であるフォートロン辺境伯領都にバルルワ温泉郷のウワサが行きわたるまでに、数日もかからなかった。
バルルワ村の北側は『温泉郷』の名に恥じず、今やちょっとした街みたいになっている。
メインは鉄神の腕力で掘った大小十数個の温泉。
その隣に、数十室もの部屋と1つの大宴会場を構えた2階建ての巨大な温泉宿(!)。
その周囲には行商人たちの屋台と、温泉宿に入りきらなかった客のためのテントが立ち並ぶ。
この温泉郷で何より目を引くのは、もちろん巨大な温泉宿。
こんなどでかい建物、たったの数日で建てられるわけがない。
どうしたのかと言うと、1等級の奥さん・ステレジアさんの【アイテムボックス】だ。
温泉にドハマりしたステレジアさんが、亜空間からこの超どでかい建物をずるりと引っ張り出してきたときには、本当におったまげたよ。
『なるほど、これが1等級奥さんの力か』と思った。
マジで奥さんたちだけで軍隊作れるんじゃなかろうか。
ちなみに私は、辺境伯のお気に入りであるステレジアさんを勝手に動かした罪で、友愛ポイントをがっつり下げられた。
もう5等級落ち目前である。
早く、早く領主として認められて離婚しなければ!
「まぁ、エクセル神様。今日も見回りお疲れ様です」
温泉郷のマスコットキャラである鉄神に乗って温泉郷の中を歩き回り、『魔物が出ても大丈夫』アピールをしていると、温泉宿から出てきたクローネさんがほくほく顔で話しかけてきた。
「クローネさん」ハッチを開き、飛び降りる。「すっかり顔色良くなりましたね。お肌もぷにぷに」
「ひゃっ。ちょっと、くすぐらないでください」
「えへへ。良いではないですか、良いではないですか」
いろいろなストレスから解放され、温泉効果ですっかり癒されたクローネさんは、目の下のクマはすっかり取れて、肌はツヤツヤ、髪はさらさら。
すっかり美少女になってしまった。
「どこか怪我してません?」クローネさんが私の体をぺたぺたと触ってくる。「貴女という人は、いつも生傷が絶えないから。怪我してたら遠慮なく仰ってくださいね。治癒魔法を使いますから」
「はーい。でも魔力は大丈夫なんですか?」
「はい。ここのお湯に浸かっていると、なんだか魔力の戻りが早くなるような気がするんです」
「へぇ」
温泉効果(?)で魔力の回復量が増加したクローネさんは、とても幸せそうだ。
たぶん、温泉自体に魔力回復ポーション的効果があるのではなくて、温泉でリラックスした結果、自然回復量が増えただけだと思うけど。
◇ ◆ ◇ ◆
「こちら、温泉宿の昨日の売上報告です」
私の秘書と化したクゥン君が、木簡の束を私に渡してくれる。
「こちらは商人たちからの土地借用申請。
こちらは伐採チームの昨日の資材調達量報告。
こちらは開墾チームからの鉄神出動要請です」
「ありがとね、クゥン君。すごく助かってる」
ここは執務室としてお借りしているバルルワ村の一室。
私が微笑みかけると、
「い、いえっ。少しでもお力に慣れて、恐悦至極に存じます」
クゥン君が澄ました顔をしながら、尻尾をブンブン振り始める。
ふふふ、大人っぽく見せようとしているみたいだけれど、尻尾は正直だ。可愛い。
机の上に広げているのは、魔の森で見つけてきた『モニタ・キーボード付き小型電算機』、つまりノートパソコンだ。
ノーパソには『Excel』という名の表計算ソフトもインストールされていた。異世界にExcelを現出させるとは、いよいよ帝国のソラ皇帝は地球人で間違いないな。
クゥン君からもらったデータを、私は自作エクセル表へと入力していく。
バルルワ村の労働可能人員数、得意分野、能力値がマスタ登録されているエクセル表へ、建設・開墾・狩り・温泉宿運営等のタスクを放り込んでいけば、あとはボタン一つで最適なスケジュールが自動立案されるようになっている。
温泉客の来場数と商人たちからの土地借用申請量が分かれば、建設ニーズが分かる。
建設ニーズを建屋マスタに放り込めば、MRPがBOMを参照して建設指図が自動生成される。
建設指図が出てくれば、必要な資材調達指図が自動生成される。
各指図書へ最適な人員が自動割り当てされれば、明日以降のスケジュール、ひいてはバルルワ村発展計画の出来上がり。
このエクセル表は、『バルルワ村そのもの』だ。
関数とVBA(マクロ)を駆使すれば、このくらいはお手の物。
前世の時代から、私はこの手の自動化が得意だった。
Excelさえあれば、私は無敵だ。エクセルシアの真骨頂。
「むふ~」
私がドヤ顔していると、
「女神様~! エクセル神様! 大変です!」
血相を変えた村長さんが、走ってきた。
「妙な客が来まして!」
◇ ◆ ◇ ◆
「通せ! 邪魔をしないでくれ!」
「おい、順番抜かしするなよ」
「こっちはもう30分も並んでるんだぞ」
入場トラブルである。よくあるやつだ。
入場手続きを担当している村の女性がオロオロしている。
「どうされましたか~」
ガションガションガション、と登場する私。
順番抜かしをしようとする悪質な客は、鉄神の姿を見ただけで、大抵は大人しくなって並び直す。
そもそもこの程度のトラブルは日常茶飯事なので、わざわざ村長さんが私を呼んだりはしない。
けれど、今回は少し事情が違うようだ。
妙なのだ。村長さんが言うように、順番抜かしをしようとしているその客が、『妙な客』なのだ。