「お前なんかにわかるかよ!」
「なんでそんな言い方すんの?私はけんちゃんのために!」
「その呼び方やめろって言ってるだろ、参考書返せ、もう俺は帰る。」
「もう………。ふん、知らないから、勝手にテストで赤点とっときゃいいのよ。」
「とんねーよ。」
水平線がくっきりと見える、広大な海。
防波堤から続くコンクリートの上で、佐野健一と川田美咲は放課後に集まって勉強会をしていた。
真夏で最高気温は30度を超えている。それなのに、海の見えるコンクリートの上で、炎天下で勉強をしようと提案したのは、健一とは違って勉強好きな美咲だった。
健一は勉強が大の苦手であり、小さい頃からずっと毛嫌いをしてきたが、美咲に連れられていつも無理やり勉強をさせられている。
しかし、さすがの健一も炎天下で行う勉強会には耐えられず、わずか10分ほどで我慢の限界が到来してしまった。
健一は美咲の手にあった自分の参考書を奪い取り、自分の家まで走って帰ってしまったのであった。
「はあ………まったく。そりゃ、家で勉強なんてできないでしょ。私の部屋、汚いし。どうせ、私のこと嫌いになっちゃうんでしょ。」
ボソボソと愚痴をこぼしながら、カバンを抱えて1人、美咲も自分の家へと帰って行った。
ドンッ
「うわ!!どうしたの健一。そんなムスッとして。ていうか勢いよく閉めないでよぉ。扉壊れるからー」
「母さん、美咲がうざいんだよ、どうにかしてくれ。勉強、勉強、勉強って、耳にたこできるっての。」
「別にいいじゃない、きっと健一のことを考えてくれてるのよ。」
健一は早歩きで台所に向かって、冷蔵庫を開いた。中にあるキンキンに冷えているお茶を、透明なコップに注いでごくごくと一気飲みした。
「っぱー、んなわけねえよ。ただの嫌がらせ。あいつ赤点取るかもよとか言ってくんだぜ?うぜえだろ。」
「あのねえ健一、そろそろ大人になりなさいよ。」
母は深いため息をついてから、ゆっくりとしゃべった。
「大人になる?何言ってんだよ、もうそろそろ大人だぜ。」
「体ばかり大きくなってもねえ、心がそれじゃあ意味ないのよ。美咲ちゃんはね、私が思うに、あんたのこと本気で心配してる。」
「なんであいつが俺の心配をする必要があるんだよ。余計なお世話。」
「はあ………あんたって本当に子供、わかってないのね。健一と同じ大学に行きたいのよ、きっと。」
「大学!?なんだよ、俺そんなの考えてねえぞ!俺は都内でリーマンになるんだよ、そして早くしてタワマン生活、それが俺の理想だ!」
「まあ、それならそれでいいんじゃない?進路は誰かに縛られていいようなもんじゃないしね。でも、後悔しないようにしなさいよ。」
「あー、うん………?」
「私寝るから、腹減ったら起こしなさい」
「はーい。」
健一は結局何だったのかと、まったく母の言葉の意味を理解できず、不思議そうな顔をすることしかできなかった。
この言葉が意味すること。
健一はまだ美咲のことを、ただの「うざいやつ」としか考えていないが、美咲から見た健一は幼稚園の頃から片思いをしている初恋の相手である、ということだ。
「お!健一じゃん!おっはっよっと!」
「わっああ!あっぶねえな………」
後ろから凄い勢いで走ってきて、俺の肩に手を乗せて派手な挨拶をかましてきたそいつ。そいつの名前は、俺の同級生でクラスメイトの釜野。
「まあまあそんなカッカしないで。ちょっとしたsurprise《サプライズ》さ!」
「地味に発音いいのやめろよきしょくわりぃ。あと、怒ってはねえよ。」
釜野は、学校でもなかなかに有名な天才。大学に入って留学生になりたいだとかなんとか言ってる。そのため、英語を猛勉強してるらしいけど、実力は実際のところよくわからない。
「またまた塩対応なんだから。あー、、っと。ところで君のgirlfriend《ガールフレンド》は?」
「え?いや、そんなんいねえよ。………はいはい、そういういじりね、俺はどうせ彼女いない歴イコール年齢ですよ、たく、俺が1番わかってるっての。」
俺がため息まじりにそんな御託を並べていると、釜野は俺にとんでもないことを言ってきた。
「え、えええええっ!?まさかまだ付き合ってない!?」
「だからそんな人いねえって」
「いるでしょ!健一には美咲ちゃんが!!」
「はっ?釜野、ガチで何言って………」
「鈍感男子きたあああああっ!1番腹立つタイプだなこりゃ。」
「知らねえよそんなん。」
「とにかく、ちゃんと向き合って。これはもう立派な恋愛!わかってる?」
釜野が英語を使わずに、日本語だけを使って訴えてきている………。なんだ?それほど緊急事態?おかしいのか?俺って。
「今からでも遅くない、告白しよう。」
「えっ!?なんで俺が!俺、まだ一言も好きなんて………」
「いいからいいからっ!思い立ったが吉日!」
「よくわっかんねえやつ………俺もうさき学校行くぜ。」
「Strike while the iron is hot!Strike while the iron is hot!Strike while the iron is hot!」
「………」
◆
「はー、やっと終わったぜ。」
放課後の誰もいない教室で1人、俺は残ってやり忘れていた課題を行っていた。この課題の担当はなかなか怖い先生で、忘れたなんて言ったらどんな説教をされるかわからない。
それなのに関わらず俺は課題を完全に忘れており、提出前日にこれに気付いて、慌てて今日の放課後に残って全てを終わらせる羽目になってしまった。
「まあいいや、終わったし。帰ろっと。」
誰もいない廊下を通る、たったそれだけなのに、なんだか特別感があって大きな足音を立てながら昇降口まで向かった。
でも、その大きなステップがたった一つの声で一瞬にして止まった。
「え?美咲の声………?今日、部活も委員会もないし他の友達と帰ったはずじゃ?」
その声のある場所に徐々に近付いていくと、どうやらそこは普段人がいない図書室。図書委員会も困るくらいに利用者が少ない図書室に、いったいなんの用があるのか。そんなことがなんとなく気になって健一はこっそりと中を覗き込んだ。
「え、?」
「ここね、えっとーこうすると!ほらっ!出来たでしょ!」
「ほんどだ、すごいね!美咲ちゃん!」
横に長いテーブルに、2人だけで固まって椅子に座って勉強をしている。その片方こそが美咲。しかしもう一方は、
「あれ、他クラスの男子だよな………関わり、、あったんだ。」
キーンコーンカーンコーン
チャイムのだるそうな音が校内に響き渡ったと同時に、それを合図にして2人も椅子から立ち上がってお互いに帰る準備をし始めた。
「やっべ、帰んねえとバレるっ!」
さっきまでは堂々と音を立てて廊下を通っていたと言うのに、今度はやけに神経質になりながら音を立てないように気をつけて昇降口まで向かった。
なんとかバレずに済んだのか、2人が後から追ってきたりとなんらかのリアクションは取られなかった。
「はあ………なんだ、この気持ち。なんで俺、元気ねえんだろ。」
確かにバレはしなかった。でも、何か心に大きな穴が空いたような、とにかく謎の落胆をしたんだ。原因もわからない落胆を。
原因を探しながら1人、ゆっくりといつもの帰り道を歩いていると、ふと、朝の釜野との会話を思い出した。
「とにかく、ちゃんと向き合って。これはもう立派な恋愛!わかってる?」
釜野のあの真剣な眼差しに、決して嘘は感じなかった。別に心が読めるわけじゃないけど、嘘じゃなく全て本当のことを言ってるとはっきりと断言できる。
「でもじゃあなんで他のやつと勉強?俺のことが好きなら俺を誘うだろ、普通。」
「あっ………」
さっきまで目の前にあった家たちが曲がり角を曲がったところでちょうど綺麗に無くなって、見えてきたのはくっきりとした海、その前にある渚だった。
「俺が昨日、あんなこと言ったからだ………」
「好きだ、美咲のこと、好きになっちまってる。」
「明日もう一回、勉強教えてもらおう。」
「はーい、今日の課題お前らちゃんと出したかー?」
先生は、列順に前から課題を集めて歩いた。みんながすらすらと出していき、俺の番がやがてやってきた。
「あ、健一か。お前、ちゃんとやってきただろうな?」
ここまでは一歩も止まらず、生徒のことを見ることもせずに足を進めてきたというのに、俺の前で止まって、そんな信用のかけらも感じないようなことを言ってきた。
イラついたので特大のドヤ顔をかまして、昨日終わらせたばかりの課題を積み重なったワークの山に雑にのせてやった。
「なに!?やってる!?まさか、そんなこと………」
「ふっ、」
「ドヤ顔してんじゃねえよこれが普通なんだわ。」
「いてっ、」
「ぶつなよせんせー!!」
ツッコミ強いんだから参っちまうなー、、まあとりあえず、何とか課題は終わった。
でも、問題はそこじゃ………
「はい先生、お願いします!」
美咲、何なんだよ、昨日の。他のやつに勉強教えて。俺に教えてくれるんじゃねえのかよ、
先生ににこやかに笑いかける美咲。きっと今回の課題も完璧、あっという間にこなしたんだろう。
俺はあんなに急いで答え見ながらやったのに、美咲は楽しそうに他のやつとやってたのかな………
「あ、言い忘れてたけど答え見てやった奴はすぐわかるからなー。」
ドカアアアン
「えっ!?」
その言葉に驚いて体が勝手に起き上がってしまったのか、膝が思いっきり机の裏側にあたり、大きな音をたててしまった。
「お前、写したな。」
「あ、」
◆
放課後
「はああ、健一よ。お前には心底呆れる。」
深いため息が、職員室にいる先生の目線を一気に寄せ付け、状況はまるで公開処刑のよう。
「先生にドヤ顔で課題を出したのにも関わらず、堂々と答えを写していた。しかもそれを隠してきた。」
ドンッ!!
「うっ!」
「ふざけるんじゃない!!お前は頭がおかしいのか!舐めたことをするのもいい加減にしなさい!」
あーなんかもうもはやどうでもいい。はよおわんねえかなー。
先生の怒りが頂点に達した時から、あまり記憶はない。もはや怒られているのもどうでもよくなったのだろう、いわゆるヤケクソ。
ガラガラ
「失礼しましたー。」
長い長い説教を終え、職員室から出ることができた。時刻はすでに本来の下校時間から1時間以上も過ぎており、この学校にいる生徒は間違いなく俺だけになった。
昨日とは比べ物にならない遅れだ、部活も委員会もテスト期間だから無いし、さすがに今日は誰も残っていないだろう。
美咲も、帰っちゃったかな。
「なんか元気出ないな。俺、どうしたんだろ。美咲のことはわざわざ急ぐ必要ねえだろ、釜野があんだけ言ってんだし、他のやつのことなんて、見てないよな。」
階段を降りて昇降口が見えてきた、照りつける太陽によって昇降口すらも少し眩しい。でも、今日はいつもと少しだけ違った。
「え、影?」
誰かが立っていた。人影が確かにそこにあった。はっきりとだ。
でもおかしい、先生はみんな職員室にいるし、生徒は絶対俺以外とっくに帰っている。
誰だ?
階段を完全に降りて、昇降口と並んでいる人影、いや………人が見えた。
「遅いじゃん、ずーっと待ってたんだよ、私。」
「み、さき………?」
目の前が一気にぼやけた、もやもやが視界を覆う。それと同時に、頬を冷たい何かが通ったのを感じた。
「何で泣いてるの!?大丈夫?そんな酷いこと言われた?」
「泣いてねえ、」
「泣いてるよ笑」
靴を脱いで美咲が俺の方に近寄って笑っていた。
「そんな笑うことじゃ………」
「ほら、撫でたげる!泣き止んで!」
「俺、さあ。ごめん、あんなこと言って。」
「え、けんちゃんが怒らない??」
「やば!呼び方、、」
「その呼び方も本当は嬉しいよ、大好き。」
「え?え!?」
「美咲だけだよ俺にその呼び方してくれるの。」
「照れるじゃん、やめてよ笑」
「俺は、俺は!!」
言う、全部言わないと、ダメだ、!
「美咲と同じ大学に行きたい………し、ずっとずっと、一緒に勉強したい。」
「え、え!まっ、て!それって笑」
「ずっと小さい頃から好きでした。」
「もう嘘なんてつかない、これが本当の俺の答え、だめかな?」
「じゃあ、早く靴履いて!ほらっ、行こ!海の見えるところに!」
「お、ちょっとまっ!」
手を繋いで俺をあの渚まで引っ張っていく。その背中は、小さい頃から見てきたあの背中だった。
本当はもっと早く伝えられたはずなのに、ずっと俺が意気地なしで、勇気もなかったから、こんなに長引いちゃったんだよな。
「もっと早く言えば良かった、ごめ、」
「私も大好きだった、ずーーーーーーっと、前から!勉強なんて1人じゃまったく出来ないのに、けんちゃんとやったらすごい楽しかった、もっと一緒にやりたいからもっと頑張れた!」
「俺のおかげ………?」
「うん、そうだよ、私がずっと100点取れたのはけんちゃんのおかげ。」
水平線がくっきりと見える、そんな場所。走ったせいで息切れを起こして、うまく会話がしづらい。
「今、回ばっかりは、負け、たな。私。」
「それ、、どうい、う?こと?」
「先に言われちゃったから、私の言いたかったこと。」
「100点だよけんちゃん、ありがとう、私の問題解いてくれて。」
俺における問題の正答率は0か100。必ずどっちか。今回の課題みたく答えを写していれば100点だ。
でも、答えがついていない問題は適当に答えを書くから、0点だ。
「恥ずかしいから、早く勉強しよっか笑100点目指そー!!」
口が裂けても、その時言うことはできなかった。俺はずっと前から、美咲の気持ちに薄々気付いていたってこと。
「テストに答えついてたらなー、、」
「ついてるわけないじゃん笑」
俺はまた、答えを写しちゃった。