最後の恋って、なに?~Happy wedding?~


「さすがにそのまま放置して何かあってもマズイからな。かと言って鞄の中を漁ってまで家を特定する訳にいかないし、それで仕方なくタクシーを呼んで俺が泊まってるここに連れてきたんだ」
「全然覚えてない……」

 どうやら昨晩の私は相当だったみたい。

「すみません……本当。何から何まで……」
「まったくな。人助けしてやったのに犯罪者扱いとか勘弁してくれ」

 そう言いながら男はまた1つ溜め息を吐く。これは怒ってるってより呆れている?
 怪しい人だなんて思ったのは悪かったけども。

「まぁとりあえず思い出したならいい。それだけ確認しに来ただけだから」
「その為だけにわざわざ来てくださったんですか?」
「そりゃあな。昨晩あれだけ飲んでたんだ。どうせ今朝は覚えてないだろうし説明くらいしないとお前も困ると思ったからな」
「ど、どうも…」

 あら。意外と優しい? 確かにマスターが言ってた通りの人なのかも?

「しかしもう金輪際は勘弁してくれ。相手をする気も、面倒を見る気もない。いい迷惑だ。それと化粧が凄い事になってるぞ」
「なっ」

 突然の辛辣な言葉と『ジャケットはハンガーに掛けてある』とだけ残して、男は押さえていた手を放してしまい、そのままドアは自動で閉まっていくのを見送る形に。

 初対面だって言うのにあんな言い方……
 って、元はと言えば私が悪いから何も言い返せないんだけどさぁ。

 男の言う通り、衣類掛けの棚にはブレザーがハンガーに綺麗に掛けられている。
 あの人がここまでしてくれたとは……優しいの? 冷たいの?

 ブツブツ言いながらドアのすぐ近くに設置されている姿見を見て、『確かにあの人の言う通りだな……』って自分の悲惨な顔に納得と消沈。嫁入り前だと言うのにこんなの見られるなんて。

「シャワー浴びよ……」

 思い悩んでも仕方ないと思うようにし、私はユニットバスへと気怠い身体で歩みを進め、さっぱりしてからスッピンのままチェックアウトを済ませて外へ。幸いにも、ホテルがBARの近くで帰りには困らなさそう。

 朝の7時。5月の外気はまだひんやりとしていて、嫌でも頭の中がスッキリする。そのおかげか昨日の抜けていた記憶ずつ蘇ってきたな……

「確かあの男の人に起こされて……タクシーに乗って……えっと、それから車酔いで・・・あ~…」

 悲惨な事態まで思い出して両手で顔を覆った。
 そう―――私はあの後、車酔いで降りた途端にリバースする失態をおかしたんだ。気持ち悪くてそれはそれは盛大に。
 名前も知らない初対面の相手のそんな姿を見たら、そりゃもう二度と関わりたくないだろうね。

 お持ち帰りも嫌だけど、30歳にもなってこんな朝を迎えるのも最悪。でもたぶんあの人とは逢う事もないだろうし、忘れよう。

 
 ……と思っていたのに、まさかまた再会するなんて――――




 

 その後、せっかくの休みを私は二日酔いでグッタリと台無しにし、何も出来ないままあっという間に仕事が始まってしまった。


***


「今日は新しいここの支配人を(みな)に紹介する」

 出勤早々、ウチの会社の社長(65歳♂)から直々に社員全員が打ち合わせルームに呼び集められ、仕事を始める前にと説明があった。先月に退職された支配人の後任の件は私も聞いていたけれど、実際に会うのが実は今日が初めて。
 名前は確か桐葉 李月(きりは りつき)さんという男性で、35歳という若さにも関わらず支配人に上り詰めたバリバリのやり手と聞いている。
 そんな凄腕のプロがここに異動というのは、もちろん頼もしい。

「じゃぁ本人からも挨拶を頂く。こっちへ」

 社長が入口の方へと顔を向け声を掛けると、静かに室内に足を踏み入れたスーツを着た男性。その姿を見た瞬間、文字通り私は”絶句”した。
 ふてぶてしくきつめの目つきが印象的なその顔は、忘れたくても忘れられない。忘れるはずがない。昨日、散々な醜態を見せて迷惑を掛けまくったあの男がそこにいたから。そしてたぶん彼も同じ事を思ったのだろう。私の顔を見るなり、足を止め目を見開いて硬直している。

 お互い、とんでもなく最悪な再会をしてしまったんだ。もう二度と会わないと思っていた相手と、これから一緒に仕事をしないといけないだなんて―――

 

 『初めまして』なんて挨拶も出来るはずもなく、お互い揃って気まずいままにさっそく打ち合わせが始まってしまった。
 別室で2人きり。目の前に座る桐葉さんと仕事の話をしろだなんて、思ってもみない罰ゲームだ。
 元彼と言い、私はどうしてこう自分の首を自ら締めていくんだろう。

 仕方ない……と、気を取り直して彼をガン見。
 昨日はあまりよく見えなかったけれど、まともにちゃんと見ると目つきが悪い以外は至って普通。黒髪で顔はシュッとしていて、スーツでわかりづらいけど体格も中肉中背、私と並んでみると顔1つ分の差があるから、身長は180㎝近くはあるように思う。そして髭がないから実年齢よりかは少し若く見える。

 見た目は悪くないんだけどね、《《見た目は》》。

「まさかお前がここのマネージャーをしているとは。昨日の酔っ払いと同一人物とは、とても思えない格差だな」
「それはすみませんね」

 腕を組み、昨日と同様偉そうな態度と嫌味な発言に文句も1つも言いたいけれど、『ここは職場だから我慢!』と机の下でグッと拳を握って堪えながら、笑顔を取り繕うのが精一杯。

「では、まず式場の中をご案内します」
「案内は結構だ。来た時すでに確認してある」

 顔を引き攣らせながら1秒でも早く離れたい一心で話題を変えて提供するも、この男はそんな私を察する事なんてしない。

 

 愛想も愛嬌もない。加えて冷たい。
 なんでそんな人がブライダルプランナー(この仕事)の、それも支配人なんてやっているんだろう。謎すぎる。

「それよりも今週の予約と全体的な流れを見せろ」
「はいはい、少しお待ちくださいね!」

 仕事だから下手(したて)に出ていたけど、彼のその《《上から目線》》な態度にイラッとしてしまい、ついこっちも語尾が強くなる。
 
 テーブルに積み上げていた数冊の資料からブライダルファイルを2冊手に取り、彼の方に見せる形で広げると『なるほど』と、その一言だけ呟いたきり無言のまま真剣に目を通している。
 なんだろう、この緊張感は……。

「式当日、本当にこのスケジュールでやるつもりか?」
「そうですけど……」
「スタッフの人数と分担を考えたら、これだとハードだ。各自の負担が大きくなり手が回らずミスが起きる」
「なっ」
「毎回こんななのか? そうだとしたらブラックだぞ。よくやっていけてるな」
「なっ!?」

 こちらが答える前に次から次へとイチャモンをつけてきて、反論をする隙を与えない。この人に何がわかるんだって思いながらも、私ももう一度資料に目を通してみる事に。

「言われてみると確かに……」

 時期も時期だから今月の週末は全て2組ずつの予約で埋まっていて、スタッフのシフトも考えると少々厳しいスケジュールになっているのは否めない。

 ……とは言え、他に方法として考えるとすれば、内容をガラッと変えるか削るしかない。だけど現状、それもそれで難しい。
 どうしようかと改めてファイルを見直し『う~ん……』と頭を悩ませていると、正面から重圧とも言える視線が突き刺さる。この”圧”は『何か他にも言ってやろう』って事なのか。

「なんです? 他にも何か文句があります?」
「まだ何も言ってないだろ。勝手に人の心を読むな」
「《《まだ》》って何なの。ってか、そう思っていたのは否定しないだ」

 あまりに馬鹿正直すぎる返答に独り言が声に出てしまった。聴いていたかどうかは知らないけど、聞こえてしまったなら……まぁいいや。

「今更大きく変更するのは無理だろ。どう考えてお客様にも失礼だ。別の方法としては―――」

 そう言って胸ポケットからボールペンを取り出し、時系列を1つ1つ指しながら説明を始める桐葉さん。

「これならそこまでの負担は掛からないだろ。気持ちにも余裕が出来るはずだ」
「なるほど……」

 わかりやすく簡潔に()つ丁寧で、思わず納得させられてしまうのはこの人の《《腕》》なのかもしれない。仕事で一緒に働くには心強い相手よ、悔しいけど。

 テーブルに積み重ねてあった別のファイルに目を留めた彼は徐に手を伸ばすと、今度は装飾デザインが載るファイルを開き、まるでアルバムを見るかのように見開きページの上から下へと目線を動かしてじっくり眺め始めている。


 

 何を言う訳でもそんな彼を、私は黙って見守っているだけの状態。
 BGMでも掛けて気を紛らわせたいくらい静寂に包まれた空間は、普段なら何も気にならないのに今日は相手が悪いせいか音楽が必須に感じる。
 あの夜の事あるし……

「あの……先日の事なんですけど」
「世間話はあとにしてくれ」

 顔を上げる事もなく目線はファイルに、冷たく突き放されてしまう。
 そう来るよなとわかっていながら私は続ける。

「いや、そうではなくて。先日の夜の事、まだちゃんとお礼を言っていなかったので……」
「礼?」

 やっと聞く耳を持ってくれたようだけど、渋々ながら顔を上げるその表情からは嫌悪感しか感じられず、迷惑極まりないって気持ちが物凄く伝わってくる。

「助けて貰ったので……」
「あー、あの事か。勘違いするな。お前の為にした訳じゃない」
「まぁそうかもしれないですけど……」
「あのまま路上に放置して、もし何かあったらこっちも後味が悪いからな。後々に何言われるかわからんし、それに俺まで事件に巻き込まれるのは勘弁だ。だから別に礼を言われる筋合いはない」
「は、はぁ……」

 あまりに清々しいくらいの利己的な考えに、私はある意味で感心した。“開いた口が塞がらない”って、こういう事を言うんだなって。

 自己主張をするだけしてまた目線をファイルに戻す彼からは、『言い過ぎた』と言う気持ちと”優しさ“の文字が一切見受けられない。
 言い方に思いやりってものはないの? 助けてくれた事は感謝してるけど。






 

 

 結局、その話はそれっきりで触れる事も触れられる事もなく、2時間ほど無言のまま静かな時間が流れていった。
 黙々と資料を見る彼を目の前に私も《《貝》》のように口を閉ざし、掛時計の秒を刻む音だけをただただ聴いているだけ。
 
 気がつけばもう昼間近。私も私でこの後は次の打ち合わせがあるし、この分なら彼1人でも十分かなと思い椅子から立ち上がる。

「そろそろ失礼しますね。お昼入る前に次の打ち合わせがあるので」
 
 未だ真剣に装飾デザインのファイルを凝視している桐葉さんの返答を待つも、ピクりとも反応しなければ顔も上げようともしない。これは完全に無視状態。
 半ば呆れた私は、彼を残してそのまま部屋を後にしたーーー


***


「疲れたな……」

 ドアを背に、ふぅーっと息を()いて項垂れる。
 朝の短時間で、1日分の仕事をしたかのようなエネルギーの消費量と疲労感。終始無言のまま2人きりの密室で、変に緊張したせいだ絶対。こんなのが毎日続くと思うと気が滅入りそう。“仕事出来るオーラ”が凄いし。
 やっと解放された気分。と、ホッと胸を撫で下ろすと、視界に人影を感じて顔を上げた。

「瑠歌」

 と、私の名前を呼んだのは、なんとも複雑そうな表情を浮かべる元カレの凪。担当しているお客様との打ち合わせが終わったばかりなのか、手には数冊のブライダルノートを抱えている。

「お疲れ」
「お、お疲れ様……」

 ヘラ〜って苦笑しながら軽く会釈し挨拶を交わしてみたけれど、自分の表情が明らかに硬くてこの他人行儀に違和感しかない。 
 ”仕事だから“と割り切って普通に接しようと思うけど、今の私にはまだ無理。元カレ相手にどんな顔をするのがベストなのか答えがわからなくて、自分自身が模索してる状態だから。
 それなのに凪は全然気にしている様子がないから困る。

「瑠歌、もしかして桐葉さんっていう新しい支配人と一緒だった?」
「え、うん。そうだけど……」
「そっか」

 真顔で呼び止めた第一声がなぜか桐葉さんの名前。加えて質問してきた本人からは軽い返事しかないから、それだけ? って少し拍子抜け。私に話なのかなって、ちょっと身構えたのに。

「どうしてそんなこと聞くの?」
「あ、いや……支配人と知り合いなのかなって……」
「え、知り合い? 私と支配人が?」

 意味がわからず私は首を傾げると、彼は続けて口を開く。

「勘違いかもしれないけど、今朝2人が顔合わせた時にそんな感じがしたから」
「え……」

 思い掛けない凪の発言に意表を突かれ言葉を失った。私達が顔を合わせて驚いたのは、ほんの一瞬だったはず。他の誰も気づいていないと思っていたのに、まさか凪に見られていたなんて……

「それは……」

 答えづらい質問に、私は目を逸らして軽く俯いてしまった。