「死にたくなきゃ道を開けな!」

 ソリスはムッとしながらそう叫ぶと、ピョンと馬車を飛びおりる。

「ふざけんなガキが!」

 男たちがソリスを捕まえようと腕を伸ばしてきたが、それらをパシパシっとはたきながらかいくぐるソリス。

「追いかけてきたら殺す、分かったな?」

 ソリスは男たちにすごんだが、十歳の少女がすごんでも可愛いだけである。

「ガキが!」「大人をなめんなよ?」

 激高した山賊たちがソリスに突っ込んできた。

 ソリスはヒョイっと(かわ)すと森の中へと駆けこむ。こうなったら逃げるしかない。むさい男たちの内臓が飛び散るようなシーンは見たくないのだ。

「逃げたぞ! 追え!」

 男たちはいっせいに追いかけてくる。

「捕まるか、バーカ!」

 ソリスは俊足を生かし、タタタッと加速すると枝に飛びつき、サルのように枝から枝へ飛び移る。

「へへん! それそれーー!」

 まるでアトラクションを楽しむように、ソリスは森の奥へと進んでいった。

「あっちだ! 逃がすな!」

 しかし、山賊たちもしつこく追いかけてくる。子供に逃げられたということになるとボスの怒りに触れるからなのか、諦めもせず森の中を猛進してくるのだ。森の中で暮らしている山賊たちの行動力は予想以上のものがあり、いつまでたっても追いかけてくる。

「しつっこいなぁ……」

 ソリスはハァとため息を漏らすと、気合を入れなおし、本気で逃げ始める。

 沢を飛び越え、滝をヒョイヒョイとよじ登り、池の水面を駆け抜け、森の奥へとすさまじい速度で突っ込んでいった。

 大自然の中を駆け抜ける至福に心を奪われたソリスは、やがて逃げるという目的をすっかり忘れてしまう。歓喜に満ちながら小一時間駆け巡り、最後には壮大な断崖絶壁を力強く駆け上がった。

「はぁ……楽しかった! 山賊は……、さすがにいない……か……」

 ソリスは崖の端に立ち、広がる原生林を一望した。どこまでも続く壮大な原生林の向こうに日は傾いて、森を柔らかなオレンジ色に染め上げている。

「いっけない! もう夕暮れだわ……」

 ソリスは焦った。こんなところで野宿なんてとんでもない。野営の道具など持ち合わせていないのだ。人里に戻ろうとしてもどちらに向かえばいいかもわからないし、日没には間に合いそうになかった。

 ぐぅぅぅ……。

 お腹も鳴ってソリスは顔をしかめた。パンはすでに食べてしまって食料などもう無い。

「もっとたくさん買っておけばよかったわ……白パン……」

 途端に心細くなって肩を落とすソリス。

 ガサッ!

 その時、森の奥で何かが動いた。

 ガサガサと草が揺れ、その中から巨大なクマが現れる。

 体長三メートルはあろうかという、とんでもなくでかいクマだった。

 グルルルル……。

 クマはソリスをにらみ、のどを鳴らす。

 しかし、ソリスにとってはそれは食料にしか見えなかった。

「おぉ、クマ肉もいい……ねぇ」

 ソリスはニヤッと笑うとファイティングポーズをとる。ぶわっと立ちのぼる凄まじい闘気。対筋鬼猿王(バッフガイバブーン)戦で(つちか)った拳闘術を早速試してみようと思ったのだ。

 しかし、クマはソリスから立ち上る恐ろしい闘気に当てられ、ビクッと身体を震わせると慌てて逃げ出した。本能的に戦ってはならないと悟ったのだ。

「え? おい……肉……」

 まさか逃げるとは思わなかったソリスは、呆然としてしまう。

 もちろん追いかけて殺す手もあるのだが、負けを認めて逃げる相手を追い詰めてまで殺すのは筋が違うように感じてしまう。

「はぁ……肉……」

 ソリスはがっくりと肩を落とした。食べ物を得られなかったこともそうだが、まさかあんな巨大なクマにすら恐れられる存在になっていたとはショックだったのだ。

 しかし、日没まで時間がない。ソリスはトボトボと今晩の寝床を探しに歩き出す。

 食料と、一晩露をしのげる安全なところを、日没までに何とか探さねばならなかった。


        ◇


 しばらく巨木の屹立(きつりつ)する鬱蒼とした原生林を進んだが、なかなかお目当てのものは見つからない。そうこうしているうちに徐々に暗くなってきて寒くなり、心細くなってきた。

「しまったなぁ……」

 こんな森の奥でどうやって夜を過ごせばいいのだろうか? 遠くで響くウルフの遠吠えが夕暮の静寂を破り、不安をかき立てる。

 はぁ……。

 身を縮こまらせ、しょぼくれながら重い足を引きずっていると霧が出てきた。

「おいおい、困るよ……」

 ソリスは渋い顔をしながらさらに先に進んでいく。すると、ふわっとめまいに襲われ方向感覚がおかしくなった。

「ん……? なんだ……これは?」

 辺りを見回し、自分の歩いてきた方を確認すると、いつのまにか進行方向が横方向へずらされていることに気がついた。何かの魔法だろうか? ソリスは首をかしげながら先へと進む。

 森の終わりに差し掛かると、突然視界が開け、広大な花畑が広がっていた。無数の赤、青、黄色の花々が咲き乱れ、かぐわしい香りが辺り一面を染め上げていた。

 すでに日は沈み、空には茜色から群青色へのグラデーションが美しく描かれ、宵の明星がキラキラと輝いている。その夕暮れ空の下に広がる一面の花の世界はまるで天国のようでソリスは圧倒された。

「うわぁ……素敵……。でも……、何か変ね?」

 それは自然にできたようなものではなく、どこか人の手による匂いがしたのだ。

 目を凝らして見ると花畑の先に青い三角屋根の建物が見える。誰かが住んでいるようだった。

「こんなところに一体誰が……?」

 ソリスは首をかしげながらも花畑を進んでみる。オレンジの百合にピンクのなでしこ、黄色い菊に白いシャガ、たくさんの花々がソリスを迎えてくれるように香り豊かに揺れていた。

「綺麗ねぇ……」

 ソリスは次第に幸福感に包まれていく。これほど多くの花々に囲まれるのは生まれて初めてのことで、そのかぐわしい香り、美しさに心を奪われた。

「頼んで……みるか……」

 誰が住んでいるのか分からないが、ソリスは寝床と食事の恵みを求めて訪ねてみることに決心した。ウルフのいる森でなんかとても眠れないのだ。

 花をかき分け、進んでいくと、照明をつけた家の窓から暖色の光が漏れ、辺りの花々に明かりを落とした。それはまるで花畑の中の宝石箱のように見える。

 うわぁ……。

 ソリスはその幻想的な光景に吸い寄せられるように足を速めた。

 近づいて行くと徐々に様子が見えてくる。その建物はまるで童話から抜け出したような、石と木材を組み合わせた温もりのある外観をしていた。広いウッドデッキにはテーブルも配され、居心地の良さを感じさせる。

「素敵ねぇ……」

 ずっと狭い集合住宅で暮らしてきたソリスは、こんなところで暮らすなんて夢みたいだとつい憧れてしまう。

 家の玄関までたどり着くとソリスは大きく深呼吸をした。こんな素敵な家に住むのだから、山賊とかではないだろう。

 しかし……。

 こんな山奥にポツンと暮らしているなんて、余程の変人か(わけ)アリである。そもそも人間ではないかもしれない。とんでもない魔物が出てきたらどうしよう……。ソリスは今になってブルっと震えた。

 その時だった――――。

 ガチャリ。

 ドアがいきなり開いた。

 ソリスはビクッと固まる。

 すると、中から男の子が顔を見せた。金髪のショートカットに碧い瞳。まるで童話から飛び出してきたような可愛い男の子だったのだ。

 キュン! と、ソリスのなかで何かがときめいた。