「陛下はなんて気前のいいお方なんだ」
翌日、鉱山組合長さんと副長さんが屋敷にやってきた。
採掘に必要な道具類の一覧を作ったから、それを持ってきたと。
そこで彼らを地下に案内して、昨日、陛下から頂いた品を見せたのだ。
「生産量が少なくって、なかなか手に入らない物だそうですよ」
「カァーッ、そう聞いたら今すぐにでも飲みたくなるじゃないですか坊ちゃん」
「そうですか? じゃ、もう何も言いません」
陛下から頂いた、なかなか手に入らなくて飲めるもの――お酒だ。
日頃の労をねぎらうためにと、父上と一緒に陛下が贈ってくれたもの。
昨日ここへ戻ってくるとき一緒だった二十人の騎士たちは、小さな酒樽を抱えて魔導装置に乗っていた。
小さいといっても、たぶん三十リットルぐらいは入ってそうなサイズの樽だ。
それが二十一個。
最後の一個はフレドリクさんが運んでくれたものだ。
「それじゃ確認させていただきますね」
「おうよ」
組合長さんから書いてもらった一覧を、ハンスさんと一緒に見る。
僕だけではまだ判断ができないから。
「これって必要最低限の数ですか? それとも余裕を持たせた数ですか?」
「とりあえず必要最低限の数だ」
「そうですか。じゃ、いったんこの数を発注して、翌月に同じ数をもう一度発注しましょう。今ある物は全部破棄して構いません。鉄は溶かして再利用しましょう」
「同数を来月に!?」
「はい。いきなり大量な数を発注したら、商人さんも在庫がなくて困るでしょうから。事前に同数を発注すると伝えておけば、用意してくれるでしょうし」
「い、いや、俺はそういうことを言いたいんじゃなくって……いやまぁいいか」
すぐに書類を用意して、商人に――
「ところで、この価格って普通ですか? 安い方ですか?」
「高けぇー方だ。以前はエディアント男爵家が懇意にしている商人と取引をしていたのですが、あの野郎が来てからは……」
「ガルバンダス侯爵家が用意した商人とってことかな?」
「そうなんでさ」
エディアント男爵というのが、僕の母上の兄だ。つまり伯父ということ。
「じゃあその商人に、取引を再開して欲しいと頼んでみよう。もしダメだとしても、ガルバンダス侯爵の腰巾着と取引するつもりはないから、今回の件のことを伝えて契約を破棄していただこう」
僕がそう言うと、ハンスさんや組合の人が無言になった。
「え、っと、どうしましたか?」
「あっ、いやなんでもありやせん坊ちゃん」
「す、直ぐに手紙の手配をいたします」
「うん。あ、そうだハンスさん。どうせなら伯父上にも文を出そう。伯父上の方からもお願いしてもらえれば、取引を再開してくれやすいだろうし」
「承知いたしました」
伯父上とは二、三度会ったことがある程度だけど、とても優しい方だった。
きっと頼みを聞いてくれるはずだ。
「もうしばらくは今ある物でしのいでください」
「わかりやした、坊ちゃん」
「ところで、酒はいついただけるんでしょう?」
「あはは。ドワーフ族のみなさんが町に戻って来てからですよ。その方たちにも迷惑をかけてしまっていますし」
「はぁ……全部飲み干されねえか心配だぜ」
ドワーフがお酒好きっていうのは、この世界で常識としてあるようだ。
組合の人が席を立つと、それと同じタイミングで執務室の扉が開いた。
「来てやったぞ」
「魔女さん!?」
やって来たのは魔女さんだ。
なんか大きな荷物を背負ってるけど、どうしたんだろう?
「お、魔女のばーさんとこの嬢ちゃんじゃねえか」
「いらっしゃい、魔女さん。それにしても、早かったですね」
たまには遊びに来てほしいなって思ってたけど、やっぱりひとりは寂しかったのかな。
「ま、まぁ、荷物をまとめるだけであったからの」
「荷物をまとめる?」
「うむ。とはいえ、町で暮らすにしても、たまに森の家には戻らねばならぬのじゃ。薬の材料になるキノコやハーブを向こうで栽培しておるでな」
ん? んん?
話が見えてこないんだけど、どういうこと?
「ほぉ、嬢ちゃん、町で暮らすことにしたのか」
「そうじゃ。そこの坊やが私に町で暮らせと言うのでな」
え……僕そんなこと言ったっけ?
「そうなると、薬の心配はしなくてよくなりそうだな。それを見越して魔女っ娘を誘ったのか? いやぁ、さすがだぜ坊ちゃん」
「え、と……そ、そうですね。はは、はははは」
どうしてそんなことに?
僕はただ、ひとりで食事するのは寂しそうだったから、たまには町に下りて来て、大勢で賑わってる食堂でご飯でもって……。
きっと来てください、歓迎します……よ……あれ?
そういえば僕「遊びに来てください」って……言ってない!
「で、坊や。私はどこで寝泊まりすればよい?」
言葉足らずが生んだ、勘違いだあぁぁー!?
……ま、いいか。
魔女さんが勘違いしたとしても、最終的に町で暮らすことを決めたのは彼女だ。
それを断る理由はどこにもない。
「ハンスさん。使える部屋はありますか?」
「はい。以前の領主代理として赴任されていた、前侯爵様の義弟であられたバリエウンド伯爵の奥様がお使いになっていた部屋がございます。すぐにそちらを片付けて――あ」
「あ?」
はぁっとため息を吐き、ハンスさんが申し訳なさそうに頭を下げた。
「実は今朝、メイド三名、執事一名、料理人一名が姿を消しまして」
「えぇ!?」
「ガルバンダス侯爵家に仕える者たちなので、なんの問題もございません」
つまり逃げたってことかな。
「ただ……」
「ただ?」
「ハンスさん、それじゃあこの屋敷には今、あんたと孫娘のチェリーチェしかいねぇってわけかい?」
「その通りです、組合長殿」
ハンスさんの孫娘!?
なんとハンスさんのお孫さんは、ここでメイドとして働いているそうな。
でもたった二人かぁ。
「掃除なら別にいいわ。精霊にお願いすれば、綺麗にしてくれるもの――、あ、なのじゃ」
「精霊……もしかしてブラウニーですか!?」
「そうじゃ――」
「ぶっ殺せっ」「やっちまえ!」「うわぁぁぁっ」「ぐええぇっ」
ん?
「なんでぇなんでぇ。ずいぶんと外が騒がしいようだな」
「そうですね。何かあったのでしょうか?」
全員が窓の外に視線を向けたが、その時には静かになっていた。
気になって窓を開けると、二十人ほどの男たちが積み上げられているのが見える。
その前には埃を払うような仕草のフレドリクさんが。
「あの、フレドリクさん。その方たちはいったい……」
「はい。いわゆる悪党と呼ばれる者たちのようです」
あ、悪党……。
「おっ、こいつら、ゼザークの野郎が連れて来た連中ですぜ」
「あの者らはゼザークが雇った作業員だと言っておりましたが、とても鉱山夫には見えませんでした。腕には罪人の証である入れ墨もありましたし」
「罪人……なんでそんな連中を」
やっぱりガルバンダス侯爵も、アレを探しているのだろうか。
あの人たちが何か知っているといいんだけど。
「ハンスさん、あの者たちを閉じ込めておける場所はありますか?」
「牢は一応ありますが、せいぜい五名ほどしか入りません」
「お、それならいい所があるぜ」
組合長さんがニィっと笑う。
それから人が集まって、気絶している男たちを鉱山へと運んだ。
「うわぁぁぁ。あの箒がブラウニーさんですか!?」
「ちょっと違う。箒にブラウニーが憑依しておる」
「え……ブラウニーさんって、幽霊なんですか?」
「それも違うから」
罪人たちを一掃してから、今度は屋敷内の掃除に取り掛かった。
部屋の中では箒が自由自在に動き回り、どんどん掃除が進んでいく。
チリトリが飛んできて、埃をかき集める。それが終わればモップがダンスを踊るように、床磨きを始めた。
「凄いですね、精霊魔法って!」
「そう? 私は小さい頃から使えておったし、凄いと感じたことはないけど」
「小さい頃から!? やっぱり魔女さんは凄い」
「そ、そんなことないわ。あんただって凄いスキルを二つ持っておるじゃろ」
「あへへ。ありがとうございます。あ、昼食は何を召し上がりますか? 僕がレンチンしますよ」
唯一の料理人もガルバンダス侯爵家の者だったから、朝のうちに出て行ってしまっている。
今日から僕が料理当番だ。
って言ったら、ハンスさんが早急に人を雇い入れますって言ってたけど。
「そ、そうね。んー、あんたが何を作れるのか分からないし、貴族の食事がどんなのかもわからないし……任せるとしよう」
「わかりました。じゃー、軽いものがいいですか? それともガッツリ食べます?」
「軽めで」
「はい。じゃあ――」
部屋を出ようと扉の前に来た時、ドアノブに手をかける前にバンッと開いた。
「キャッ」
「ふわっ」
突然のことで驚いた魔女さんが、僕の顔を抱きしめる。
はぅ……や、柔らかい。
「んぉ? お前ぇはハーフエルフの嬢ちゃんじゃねえか」
「ド、ドワーフ!?」
「え? ハーフ……」
扉の向こう側に立っていたのは、数人のドワーフさんたち。
そのドワーフさんが魔女さんを見て、ハーフエルフって言った。
ずっとフードを目深に被ってて、いつも顔は見えない。耳も、だ。
「ばあさんは元気か?」
「あ、それはっ」
言っちゃダメ――と思っても手遅れだ。
「おばあさまは……亡くなったのじゃ」
「なんだってっ。……そうか、すまねぇなぁ」
「別に、ドワーフのせいじゃない」
「今度、花を手向けに行くぜ」
魔女さんが小さく頷く。
「あ、あの、みなさんが鉱山で働いてくださっていたドワーフさんでしょうか?」
「お、そうだそうだ。ハーセラン侯爵様んとこの坊ちゃんに会いに来たんだが、お前さんがそうみてぇだな」
「はい。デュカルトです」
「うむ。わしはドワーフ族の里長、ドズル。ゼザークの野郎がいなくなったってんで、例の物を持ってきたんだがよ」
「あ、はい! 見ますっ。魔女さん、昼食はもう少しだけ待ってもらえますか?」
魔女さんが頷くのを見て、ひとまず執務室に移動することにした。
「"鑑定"――えぇっと……まどうこうせき。精錬することで魔導石……となる。魔導具や魔導装置のエネルギー源となる鉱石……え?」
執務室の机の上に置かれた真っ黒な鉱石。
その鑑定結果は、魔導石《まどうせき》の原石だという。
……え?
その場にいた誰もが驚いた。
そして誰も口を開かなかった。
ざっと一分はしーんっと静まり返っていただろうか。
「はぁぁぁ? 待って、その黒いのが魔導石だっていうの!?」
「坊ちゃん、何かの間違いじゃねぇだろうな?」
「もう一度鑑定してくだされ」
「いや魔導石と似ても似つかないじゃろ」
そう。これまで発見されている魔導具や魔導装置に使われている魔導石とは、まったく違う色をしている。
目の前の石は真っ黒。
魔導具や装置に使われている魔導石はほんのり乳白色をした透明な石だ。
この真っ黒い石が、どうやったら半透明の白になるっていうの?
だけど二度、そして念のため三度鑑定したけど、結果は同じ。
「やっぱり魔導鉱石とあります。詳細を見ても、魔導具や装置のエネルギー源だって表示されるので、あの魔導石ですね」
再び沈黙。
しばらくしてドワーフさんたちからため息が漏れた。
「こんなことってあるのかよ」
「魔法王国が滅んで約七六〇年。初めてじゃねえのか?」
「ぼ、坊ちゃん。精錬方法は分からねえのか? 俺らもこの数日間、ただ里に戻っていただけじゃねえ。精錬しようと試みたんだが、まったくうまくいかねえんだ」
「精錬方法ですか? うぅん……ない、ですね。石の説明だけです」
そうだ。精錬しなければ使えない。
精錬すれば半透明な白色になるのかもしれないけど、その方法がわからないんじゃ……。
「魔素……」
「え?」
「魔素を感じるぞ」
「魔素、ですか?」
魔素っていうのは、自然界に流れる魔力の素みたいなもの。
魔術を使う時にはあまり関係ないようだけど、精霊魔法は確か――
「精霊魔法って、自分の中の魔力と魔素を使うんでしたっけ?」
「そうじゃ。あんた賢いのね。偉いエライ」
「あぐっ」
ぐいぐいと頭を撫でられる。
父上に頭を撫でられることはよくあったけど、お、女の人に撫でられるのは初めてで恥ずかしいっ。
精霊使いである魔女さんは、魔素の流れを感じ取れるんだろう。
そっか、魔導具を動かすエネルギーって、魔素なのかもしれない。
じゃあ、魔導石っていうのは、自然界の魔素が蓄積されている石ってこと?
とにかくこれは、なんとしてでも精錬方法を見つけなければ。
「みなさん、力を貸してください。なんとしてでも、魔導石の精錬方法を見つけてください。それと同時に、魔導石の鉱脈調査もお願いします。たまたま出たのか、それとも鉱脈があるのか」
「くぅー。二〇〇年生きて来て、こんな興奮ははじめてだぜ」
「これは間違いなく、世紀の大発見になるのぉ」
「精錬方法が分からなきゃ、宝の持ち腐れだ。お前ぇたち、坊ちゃんのためにもしっかり働けよ!」
「「おぉー!!」」
「ありがとうございます、みなさんっ」
魔導具の石は取り外せる。それは魔女さんがやったのを見て、初めて知った。
外せるってことは、交換することもできるってことだ。
魔導石の需要はある。凄くある。
魔導石が採掘され、精錬もできるようになればその価値は絶大なものになるだろう。
ロックレイが昔のように、鉱山都市として賑わう未来もあるかもしれない!
「じゃあ、みなさんはガルバンダス侯爵によって解放された罪人さんなのですね?」
「「ひょーれす」」
鉱山内に急遽作られた牢獄は、行き止まりの坑道を利用したもの。
その坑道は先日、ガスが出た場所から近い。
今はもうガスは出ていないけれど、それでも彼らにとっては戦々恐々とする場所だろう。
それに、昨日あんだけフレドリクさんからボコボコにされたから、めちゃくちゃ怯えている。
僕の隣にフレドリクさんがいるからね。いつもの無表情で。
「鉱山でいったい何を掘っていたんですか?」
「えっと、それがその……とにかくなんか見つけたら知らせろって、ゼザークの野郎からはそれしか言われてなくって」
「珍しいもん見つけたらとか、そんな感じ――ひっ。ほ、本当です! 具体的なことはなんにも言ってくれねぇんですよ、あの野郎は」
フレドリクさんが少し睨むと、みんなすぐ怯えてしまう。
牢獄には二十四人の罪人がいる。
この二十四人をぜーんぶ、フレドリクさんが一瞬で片付けてしまったのだから、怯えても仕方ないか。
それに、嘘を言っているようには見えない。
嘘を吐く利点が、彼らにはないのだから。
他にも理由はある。
こうなったときに、情報が漏れるのを恐れてガルバンダス侯爵なりゼザーク子爵なりが詳細を教えなかったのだろう。
もしかするとゼザーク子爵も知らなかったかもしれない。
となると。
「一年ほど鉱山で働いていたようですが、何か見つけましたか?」
そう尋ねると、ロープで縛られた腕を上げる人が何人かいた。
「オ、オレぁ白っぽい石を見つけたッス」
白っぽい?
「そりゃ銀だ。ここじゃ珍しくもねぇ。今だって小さぇ銀鉱石は出るんだよ」
と、一緒に来ていたドワーフ族のドズルさんが教えてくれる。
「赤い石を掘ったぜ! ありゃルビーだ。そうだろ?」
「あぁ、ルビーだったな」
「ひゃっほー!」
「俺は金を見つけたぜっ」
ドズルさんが頷く。そしてぼそりと「珍しくねぇんだよ」と呟いた。
つまり、昔からここで採掘している人にとって珍しくないものでも、鉱山で働いたことのないこの人たちにとっては珍しいものだ……と。
金銀宝石を掘り当てたら、そりゃ素人は興奮するよね。
「聞いた話じゃ、この前の崩落事故もこいつらのせいみたいだな」
「え、そうなんですか?」
僕がそう言うと、みんなの顔が青ざめた。
「坑道の一部では発破を禁止してんだ。崩れやすい部分があるからな。こいつらはそこで発破を使いやがった」
「なんでそんなことを」
「ん、んなことゼザークの野郎は一言も言わなかったんですよっ。おかげで二人死人が出てんだ」
「死人!? なんでそれを言わなかったんですかっ」
「な、なんでって……別に仲間でもなんでもねぇし、死人が出ればその分、俺らの取り分も増えるからよ……。そ、そうだっ。ゼザークの野郎が獲っ捕まったって話だが、俺たちへの報酬はどうなるんだ!?」
仲間じゃないから死んでもいいなんて……。
「もしかして昨日、屋敷に来たのは報酬の件ですか?」
「そ、そうだ。俺たちは正当な報酬を得る権利がある。ゼザークがいろいろちょろまかしていたのも知ってる。その金を受け取る権利が、俺たちには――」
「ありません。そもそもあなた方は、ハーセラン家の正規雇用者ではありません。雇用主が子爵なのかガルバンダス侯爵なのかは知りませんが、報酬はそちらに求めてください。それ以前にみなさんは、ちゃんとした手続きの上に罪を免除された方々なのですか?」
「うっ……そ、それは……」
やっぱりだ。
彼らの腕に掘られた入れ墨は「終身刑」を意味する青紺色だ。
つまり死ぬまで強制労働をさせられるという意味。
聞けば彼らは一年前に刑が確定し、どこかの鉱山で強制労働に就く――予定だったそうだ。
だけどロックレイは普通の鉱山で、罪人を働かせる場所ではない。
ここに終身刑の罪人がいることがおかしいし、刑期中の罪人に給料は支払われない。
「け、けど、奴は言ったんだ! ここであの方が求める物を見つければ、この入れ墨を消してやるって。金もたんまりくれるってよ!」
「ですから、僕はその『奴』でも『あの方』でもありませんし、ハーセラン家ももちろん違います。むしろあなた方は、国の法を犯して罪を免れようとしているんですよ。罪に罪を重ねているだけです」
「そ、そんな……」
なんでそこで悲しむかな。僕は当たり前のことを言っただけなのに。
あぁ、魔導転送装置がまだ使えていればなぁ。
急いでこの件を父上にお知らせしないと。
それまではここで大人しくしてもらうしかないなぁ。
「みなさん、お忙しい中集まっていただき、ありがとうございます。この度ロックレイ領主代理として着任しました、デュカルト・バーセランと申します。見ての通りまだ子供ですので、みなさまのご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
ふぅ。挨拶はこんなもんでいいかな?
「かぁー、さすが侯爵様のご子息だぜ。難しい言葉をいっぱい知ってんなぁ」
「ごべんたつって、どういう意味だ?」
「さぁ?」
ちょっと硬すぎたかな?
住民と、それにドワーフ族からも二十人ほどやって来たけど、それでも六、七十人ぐらいしかいない。
若い人はアレックスさんだけで、他は五、六十代のご夫婦ばかりだ。
お子さんはみんな独り立ちして、山を下りて別の町で暮らしているらしい。
普段は静かな山間の町だけど、今日はお祭り騒ぎだ。
魔導石の錬成が成功すれば、この町にの活気が戻って来るかもしれない。
そうあって欲しいと、僕は願っている。
「で、では、乾杯しましょう。かんぱーい!」
「「かんぱーい!!」」
僕はジュースだけど。
陛下から頂いた酒を振舞うのと同時に、領主代理として僕のお披露目式が行われた。
大々的に行ったのは、この二年間のストレスを発散してもらうため。
あと、僕みたいな子供が領主代理なんて、不安に思わないはずがない。
その不安を少しでも払拭できればと思ってね。
みんなの意見を聞いて、取り入れられるものがあればどんどん取り入れて行こう。
そう思って開いたんだけど――
「ゼザークの不正を簡単にあばいてしまうなんて、坊ちゃんは凄いわぁ」
「ハンスさんだってなかなか見つけられず、苦労なさっていたってのに」
「これまであいつが着服していた税も、ロックレイが払う必要もないって話じゃないか」
「王様ですら一目置いてるってことだろ? すげぇーなぁ」
ゼザークを追い出した。しかも爵位や財産全没収という形で。
それが町の人たちには、嬉しくてたまらないようだ。
「よぉ大将、飲んでっか?」
「はい組合長さん。ここはリンゴが名産なんですね」
「あ? なんだジュースかよ。飲むつったら酒だろ、酒ぇー」
乾杯してまだ十分も経ってないのに、もうデキあがってる!
「がははははは。飲めのめぇー。がははははははは」
あ、行っちゃった。何をしに来たんだろう。
「組合長って、実はお酒に弱いのかな?」
「いえ、組合長殿は乾杯前から飲んでおりましたから」
「え?」
フレドリクさんがいつもの真顔で答える。彼が手にしているのは僕と同じリンゴジュースだ。
「フレドリクさんは飲まないの?」
「はい。何かあった際にデュカルト様をお守りできない状況になってはいけませんので」
「そこまで気にしなくてもいいのに」
「いえ。半端な気持ちでデュカルト様の護衛を引き受けた訳ではありませんから」
真面目だなぁ。
「ほんっと、鉱山で働く者どもは、酒好きばかりじゃの」
「あ、魔女さん」
魔女さんもリンゴジュースだ。
「何か召し上がりますか?」
「レンチンしてくれるの?」
「いいですよ。ただこの『魔導レンジ』は、僕が調理方法を知っているものじゃないと、まともにレンチンできないんですが」
「その言い方だと、知らなくてもできるようじゃな?」
「まぁ……でも失敗しちゃうんですよ」
なんとなくこう調理するんじゃないかなぁっていうイメージが間違っていると、焦げたり、逆に火が通ってなかったり、クソマズだったりする。
「う……それは……」
「だから僕が知っている料理をレンシンしますね。どんなメニューがいいですか?」
「そ、そうじゃの。なら……肉、料理」
「肉ですか。今用意できるものだと、牛と鶏ですかね?」
ハンスさんに視線を送ると、彼はこくりと頷いた。
「じゃ鶏」
「わかりました。じゃ、取ってきますね」
と席を立ちあがると、ハンスさんが手で制した。
「孫に行かせましたので」
「あ、そうなんだ。じゃ、待ってますね」
ハンスさんのお孫さんは、チェリーチェさん。
不思議なことに、未だに彼女の姿を見たことがない。
ハンスさん曰く、足が速くて、落ち着きがなくて、人見知り……なんだって。
そういうもの、なのかな。
などと考えていると、ハンスさんが「鶏肉が届きました」と。
「え? い、いつの間に」
「一瞬前ですよ、デュカルト様」
「フレドリクさんは気づいたの!?」
「はい」
え、気づいてなかったのは僕だけ?
魔女さんを見ると、驚いた顔をしている。
ってことは僕はおかしくないってことだよね?
よかった。
さて、鶏肉料理といえば、やっぱりこれでしょう!
「じゃ、唐揚げを作りますね」
「からあ、げ? なんじゃそれは」
「鶏肉を塩水につけ込んだ後、粉をまぶして油で揚げるだけなんです」
海水ぐらいしょっぱいものに漬けた方がいいから、塩は結構用意しておく。
片栗粉を作るためのじゃがいもと水も用意。水は塩水用と別々にしてっと。
それと油を注いだ鉄鍋を用意して、全ての材料と一緒に魔導レンジへ投入!
「レンチンっと」
スタートボタンを押し、次の瞬間には唐揚げが完成!
「お好みでレモン汁をかけてもいいですし、あ、このマヨネーズもいいですよ」
マヨネージはしょうゆと違って、魔導レンジで調理するのは簡単だった。
卵の黄身と塩、酢、植物性の油が材料だっていうのは、テレビで見たこともあって知っていたから。
「美味しそうじゃのぉ~。いただきまぁっす」
「あ、熱いから気を付けてくださいね」
「あっつっ。はふ、はふ……んん~、肉汁がじゅわぁっと出て、美味しいぃ」
「お、いいもん食ってんじゃねえか。俺らにも分けてくれ」
ニオイに釣られて、大きなジョッキを手にしたドワーフ族のみなさんがやってきた。
「おぉ、こりゃうめぇなっ。油で揚げたってのに、肉が柔らけぇ」
「こっちのもソレ頼むっ」
「おぉ、こりゃいいな。酒のつまみにピッタリだぜ」
どんどん唐揚げがなくなっていく。
魔女さんが慌てて唐揚げを別皿にとって、それを抱え込んだ。
「ハンスさん。鶏肉の追加、頼めますか?」
「はい。孫に捌かせましょう」
そう言ってから三分もすると、部位ごとに切り分けられた鶏肉がテーブルの上に並べられていた。
チェリーチェさん本人はどこにもいないし。本当にそんな人いるの!?
「あのぉ、魔女さん」
今は午後のおやつタイムで、レンチンしたドーナツを魔女さんと食べている。
お披露目会から二日、ここで僕は、ずっと気になっていたことを口にした。
ちなみに陛下から頂いたお酒は、あの日のうちになくなったのは言うまでもない。
「なんじゃ?」
「えっと……魔女さんって、なんてお名前なんですか?」
「え……」
ここでしばらく、静寂が訪れる。
ずーっと魔女さんって呼ぶのもなんだか変だし、でも町の人もみんな、魔女さんとか、魔女のお嬢ちゃんだとか呼んでるんだよね。
きっと誰も名前を知らないのかもしれない。
「え? あれ? 名乗って、なかった?」
「聞いてません」
「あ、そうじゃったか。えっと、ルキアナじゃよ」
「ルキアナさん……うん、覚えました。あとお一つ」
「なんじゃ、まだあるの?」
これも大事なことだ。
僕は魔女さんの――
「ルキアナさんの顔を見たことがありません!」
「え……」
ここでまた、静寂が訪れる。
もしかすると彼女は素顔を晒したくないのかもしれない。
ドワーフ族の方が来た時、ルキアナさんを見て「ハーフエルフの魔女」と言っていた。
ハーフエルフ。エルフ族と人間族の混血児で、異世界ものあるあるの、異種族間結婚はこの世界でもあまりよく思われていない。
同時に混血児を忌み嫌う風習もある。
だから顔を見せたくない、のかもしれない。
見せたくないのなら、無理に見せて欲しいとは思わない。
「えっと、やっぱりいいです。気にしないでください。見られたくないことだって、ありますよね」
「え、えっと……別に見られて嫌というわけではない。その……」
「え、違うんですか?」
ルキアナさんはこくりと頷き、そしてこう言った。
「フ、フードを被ってる方が、魔女っぽいから……じゃ」
――と。
え、それだけ?
っぽいか、っぽくないかの判断!?
それからルキアナさんは、ゆっくりとフードを外した。
あ、確かに耳が少し長くて尖ってる。ハーフエルフってのは本当だったんだ。
淡い菫色のサラサラとした髪に、澄んだ青空色の瞳……うわぁ、魔女さん凄く綺麗な子だ。
二十歳ぐらいなのかなって思ったけど、十七、八歳ぐらいかな?
いや、ハーフエルフなら実際の年齢はわからないけど、外見はそんなもんだ。
「魔女っぽいかどうかなんて、そんなの関係ないですよ! せっかくお綺麗なのに」
「き、綺麗!? あ、あんたねぇ……さすが貴族のお坊ちゃんじゃ。子供だというのに、口説き文句をよく知っておる」
「く、口説くなんて!? 僕は正直な感想を口にしただけです」
「だったらなおさらじゃ。せいぜい十歳でしょ? 無意識に口説き文句が言えるなら、将来は女泣かせになるのぉ」
……十二歳。
「僕は十二です!」
「え? ……嘘」
「嘘じゃありません。十二歳です!」
「あ、はは。そうかそうか。ま、まぁ十も十二もそう変わらないって」
小学校四年生と六年生の近いは、結構あるんだよ!
それに、前世の僕が過労で死んだのは三十歳の時だ。
だから中身は大人なんだ!
子供扱いされるのは、嫌ってんじゃなくって恥ずかしいんだよ!
でも、最近思うことがある。
僕、絶対肉体に精神年齢が引っ張られてるよなぁって。
「はぁ、おいしかった。ごちそうさまじゃ」
「どういたしまして。明日は何をレンチンしようかなぁ」
「晩御飯も楽しみにしておるからの……っと、このままあんたが料理担当に?」
「えっと、そのつもりですが」
「ふぅん。まぁ私はどっちでもよいが、でも貴族のお坊ちゃんが使用人のご飯まで作るって変わっておるの」
「他に人がいませんから」
ハンスさんが父上に、信用できる使用人を数人送って欲しいって内容の手紙は送ったみたいだ。
でも手紙が届くのに十日はかかる。
すぐに人を送ったとしても、さらに十日だ。
侯爵家にいる人をってなると仕事の引継ぎやらで時間がかかるし、新しく人を雇うならもっと時間がかかる。
まぁ一カ月待ちかな。
「そっか。あ、お掃除ぐらいなら手伝うぞ」
「ブライニーさんがですか!」
「そ、そうじゃが……言っとくけど、召喚してるのは私なんじゃぞ!」
「はい! きっとハンスさんも喜びます」
毎日掃除をしていたようだし、いつも大変だろうなって思ってたんだ。
さっそくハンスさんに――ん?
慌てたような足音は、廊下から聞こえてくる。
その足音はこっちに近づいて来てて、やがて――
「大変だ坊ちゃん!」
「組合長さん。どうなさったんですか?」
「た、たい……はぁ、大変だぜっ」
「とりあえずお茶をどうぞ」
すぐさま棚から新しいティーカップを取り出し、紅茶を注いで組合長さんに差し出す。
それを鷲掴みして一気飲みすると、組合長さんは深呼吸してから僕を見た。
「デタんだよ」
「出た?」
「あぁ、そうだ!」
「ちょっとちょっと、出たって何が……あっ、魔導石の鉱脈!?」
とルキアナさんが言うと、組合長は首を左右に振った。
「ばっか、デタつったら決まってんだよ。ゴーストだよ、ゴースト!」
「「え?」」
つまり、幽霊?
この世界では幽霊も立派なモンスターだ。
モンスター図鑑に書かれていたから嘘じゃない。
分類はアンデッド。ゾンビとかスケルトンと同じ扱いになっている。
ただ幽霊=ゴーストは実体がないから、普通の物理攻撃は利かない。
武器に魔法を付与した場合や、聖水で濡らした場合には攻撃が当たる。
あと、銀製の武器だ。
「ではデュカルト様。ゴースト退治に行ってまいります」
屋敷の表で剣の素振りをしていたフレドリクさんが、騒ぎを聞きつけ戻って来た瞬間にこの一言だ。
「待って待ってフレドリクさん! あなたが持っている武器って、何か魔法の効果が付与されているものですか?」
「いえ、ただの剣です」
ダメじゃん!
「私も同行してあげる。精霊魔法にはエンチャントもあるのじゃ」
「ルキアナさんが? それは心強いですが、まだどういう状況なのかわからないんです。二人とも、いったん落ち着きましょう」
「デュカルト様がそうおっしゃるなら」
「そうじゃな。まずは話を聞くとしよう」
ほっと胸を撫でおろし、それから組合長に視線を向けた。
「詳しい話はうちに来てくれ。見たっつぅ連中が今、休んでるからよ」
「わかりました。では一緒に行きましょう」
組合長が言う「うち」とは、鉱山組合の本部のことだ。
落ち着いたらここもリフォームしたいなぁ。
そうだ。子爵に紹介されたあのボロ宿、あそこを先にリフォームして、完成したら一時的に組合の本部にして、それで本部をリフォームすればいいんじゃないかな。
よし、そうしよう。
まずは幽霊騒動から片付けないと。
「魔導鉱石が見つかった新しい坑道を広げていたんだ。そしたら聞こえたんだよ」
「恨めしい、触れない、研究。なんかそんな感じの、男の声でさぁ」
「そりゃもう、憎悪に満ちたおぞましい声でしたぜ」
幽霊が恨めしいって言うのはわかるんだけど、他の二つは意味が分からない。
科学者の幽霊――いや、この世界に科学者って職業分類はなかったっけ。
声だけじゃなく、姿を見たっていう人もいた。
「半透明で、向こう側がうっすら透けて見えてました。それとなんか、ぼぉっと光ってるような」
「男です。裾の長いコートみたいなのを着てやがりまして」
「いや、あれはローブだろ?」
「杖を突いていたんで、老人のゴーストかもしれねぇです」
幽霊だから半透明なんだろうね。光って見えるのもそれでかな?
コートかローブを着て、杖持ち。
なんだか老人っていうよりは、魔術師って感じがするな。
とにかくそのゴーストが新しく掘られた坑道で目撃されたと。
「今日、現れたんですか?」
「いや、実は声だけなら以前から聞こえていたんだ。そうさな、三カ月ぐれぇ前か。まぁゼザークの野郎には話してやいませんがね」
「え、どうしてです?」
「そりゃ坊ちゃん。話したところで解決してくれねぇだろうよ?」
まぁ、確かに。
「むしろな、鉱山でゴーストが出たら新しい鉱脈が見つかるなんつぅ、そんな話もあるぐれぇだ。奴がそれを知っていたかどうかはわらなねえが、そういうのもあって報告はしてなかったのさ」
「もしかして、それで実際に魔導石が?」
組合長はニヤりと笑って「そうだとも」と答えた。
その時、組合の玄関扉が開き、武装したドワーフ族のみなさんがやって来た。
「おう、デュカルト坊ちゃんじゃねえか。もしかしてお前さんもゴースト退治か?」
「え、まさかみなさんは幽霊退治に行くんですか!?」
「ったりめぇよ。俺らドワーフは、職人であり戦士だ。ゴーストの一匹や二匹、どうってこたぁねぇ」
「ですがゴーストは物理攻撃が――」
と言うと、ドワーフの皆さんは自慢の武器――斧を僕に見せた。
キラりと光る銀色の斧。
飾り立てたものじゃないのに、細かな細工が彫り込まれていてとても綺麗だ。
「もしかしてこれ、銀製ですか?」
「ただの銀じゃねえぜ。こいつぁミスリル銀だ」
「ミ、ミスリル!?」
異世界ファンタジーの激アツ素材!
「ミスリル銀か、なんとも羨ましい」
「はっは。そうだろう、若造。お前さんもかなりの腕前とみた」
うんうん。凄く強いですよ。
「しかしミスリル銀は早々手に入らぬ。わしらが持ってきたこれが、所有するミスリル銀の全てでな。余分にあれば、剣の一本でもこしらえてやり合いところじゃが」
「いえ、お気持ちだけで」
「この人の剣には私が魔法を付与するから平気じゃよ」
「よし、なら安心だの。では、行くとしよう」
すぐさま出発しようとする一行。
「待ってくださいっ。僕もご一緒しますっ」
「危険ですデュカルト様」
「そうじゃ。子供は大人しく留守番をしてなさい」
「いいえ、行きます。気になるんですよ、その幽霊がどんな未練を残して亡くなったのか。しかも魔導石が掘り出された場所ですから、何か知っているかもしれないでしょう?」
研究という言葉の意味を考えると、そのゴーストは魔導石の研究をしていたんじゃないかって思えるんだ。
だから聞きたい。そのゴーストに。
「フレドリクさん、僕を守ってくださるんですよね?」
「もちろんです」
「なら大丈夫でしょう?」
こういう言い方はずるいのかもしれない。
守ってもらう側なのに、守ってくれるんだからいいよねっていうのは。
ごめんなさい、フレドリクさん。
でもこれは大事なことなんです。
この町のためにも、ハーセラン侯爵家にとっても。
「わかりました。ただし、決して自分より前にでないこと。いいですね?」
「はい。ありがとうございます、フレドリクさん。それではみなさん、現場へ行きましょう」
さぁ、幽霊とご対面だ。
『うら……しぃ……』
坑道を奥へ奥へと進んでいくと、やがてかすれるような声が聞こえてきた。
男の人の声だ。
「ぼ、坊や、怖かったらお姉さんが手を繋いでやるぞ」
「え、僕は大丈夫――」
すすすぅーっと僕の隣にやって来たルキアナさん。
笑顔だけど、ちょっと引き攣って見える。あと杖を握っている手がぷるぷるしてる。
怖いのはルキアナさんのようだ。
「えぇっと、やっぱり怖いので、手を握ってもらってもいいですか?」
「もちろんじゃ! 子供には優しくしてやらねばな」
ふふんふ~んと鼻歌を口ずさみながら、嬉しそうに僕の手を握る。
子供、かぁ。
僕が転生者で、前世では三十歳のおじさんだったって知ったらどう思われるんだろう。
あ、ハーフエルフなら、三十歳でも若いって思うのかな。
でも数字だけの話だしね。やっぱり大事なのは外見年齢だよ。
奥へと進む間も、男の人の声がずっと聞こえてくる。
『したい……研究を……』
死体の研究!?
「頭ぁ。死体を研究するゴーストって、ヤバかねぇか?」
「う、うむ。どうするよ坊ちゃん」
「うぅん。もう少し近づきましょう」
「ひぅっ」
ルキアナさんがビクっと震えるから、少し強めに手を握り返す。
「大丈夫ですよ、ルキアナさん」
にっこり笑って見せると、彼女もやや引き攣った笑みを返した。
先へ進む。
『解せぬ。何故だ……何故……』
何か困っているのだろうか?
『ああぁぁぁ、触れられぬ。これでは研究が……』
触れないから研究ができない?
『吾輩は何故死んだのだあぁぁぁぁぁぁぁぁ』
「いやあぁぁぁぁぁぁっ」
突然ルキアナさんが悲鳴を上げて、僕の頭を抱きかかえた。
むぷっ、く、苦しい……。
『む? 布を切り裂くような乙女の悲鳴』
「デュカルト様、来ますっ」
「嬢ちゃんが叫ぶから、バレちまったじゃねえか!」
『ふはーっははは、ここかぁぁっ』
壁をすり抜け現れたのは、青白く発光するまさに幽霊!
裾がギザギザになったローブ、杖、片眼鏡《オラクル》といった、魔術師スタイルの幽霊だ。
そういえば、魔法の研究を続けるために肉体を捨て、不死の王になった魔術師――って設定のアンデッドモンスターもいたっけか。
え、もしかしてソレだったりする?
いやいや、でもそれ、めちゃくちゃ強いモンスターだったはず。
『おぉ、おおぉぉぉぉ!?』
「デュカルト様、お下がりくださいっ」
「こいつぁヤベぇ。ヤベェってのがひしひしと感じるぜ」
戦闘の才能とかない僕にもわかる。
空気が物凄く震えてる。
「エ、エンチャントするわよっ」
ルキアナさんの言葉に、フレドリクさんが頷いて剣を差し出した。
『ぉ、さきほどの悲鳴はそなたか。ほぉほぉ、ハーフエルフとは珍しい。それにドワーフ、人間……面白い組み合わせだ』
ニタりと笑う幽霊。
どうしよう。不死の王だとしたら、いくらフレドリクさんでも勝てないんじゃ。
『ところでちと聞きたい』
「しゃらくせぇ、お前ら、やるぞ!」
「「おーっ!!」」
『今は魔導歴何年だ?』
ミスリル銀制の斧を振りかざし、ドワーフ族が突っ込んで行く。
魔導……歴?
「ちょーっと待ったあぁぁぁぁっ!」
僕は力の限り声を張り上げた。
この幽霊。もしかして魔導石のことを知っているかも!
暦のことを『魔導歴』と呼ぶのは、大昔に滅んだ魔法王朝時代のこと。
魔法王朝滅亡後の今は、太陽暦と呼んでいる。
この幽霊はたぶん――
「あなたは魔法王朝時代の魔術師ですか?」
僕が尋ねると、幽霊は顎をくいっと上げ、オラクルのフレームを掴む仕草で、『違う』と答えた。
え、違うの?
『吾輩は魔法王朝始まって以来の、最高にして最強の超絶美青年大賢者ヴァルゼルンド・エキュゾネータである!!!』
・ ・ ・ ・ ・ ・ 。
古代魔法王朝にも、厨二病ってあったんだ。
「な、なんでぇ、このゴーストは」
「自分で自分のことを、美青年なんざ言ってやがる」
「大賢者? あんな痛々しいのがか?」
ドワーフのみなさん、辛辣だなぁ。
痛々しいとは思うけど、ただよく見ると容姿に自信があるのは納得できてしまう。
乙女ゲームに出て来そうな、すっごいイケメン魔術師キャラだもの。
「だ、大賢者様っ」
『うむ、なんだ?』
「魔法王朝の方で間違いないんですよね?」
『うむ!』
やっぱり!
「あの、今は太陽暦といいまして――魔導歴はその……えっと」
魔法王朝は滅んで、暦が新しくなった――亡くなった方にそう伝えるのは、忍びない気がする。
だってこの人は、魔法王朝が滅んだことを知らないようだし。
それに、ショックのあまり怨霊になられても困る。
どう答えようか悩んでいると、自称大賢者の方からこちらにやって来た。
フレドリクさんが身構えるけど、大賢者は腰を屈めてにこりと笑う。
『少年。言葉を選んでくれているようだな。感謝しよう。とうの昔に魔法王朝は滅んだのであろう?』
「あ……は、い。僕の知る限りだと、確か魔導歴一二一八年に……」
『そうか。吾輩が死んで、意外とすぐだったのだな』
ってことは、この人は魔法王朝末期に生きていたのか。
「ね、ねぇ。あのゴーストの言う事、信じるの?」
「え? 嘘をついているようには見えませんし、嘘をつく理由もなさそうですが」
「そ、そう……じゃが……」
「ところで大賢者様、えぇっとヴァル……ヴァルゼ、ル?」
『ヴァルゼでよい。生前もよく、お前の名は言いにくいと周りからは言われておった』
「はいっ、ではヴァルゼさん。あなたはどうしてゴーストになったのですか? 何か未練がおありなのでしょうか?」
そう尋ねた瞬間、彼のオラクルが光ったように見えた。
『く、くくくく。くはははははははっ。よくぞ聞いてくれた少年よ! 吾輩は研究がしたいのだっ。魔導具の研究をな!!!!』
どうやら僕たちは、大当たりを引いたようだ。
『ここだ。ここを掘るのだっ』
ヴァルゼさんは目をキラキラさせながら、地面を指さす。
「真下にですか?」
『うむ。この下に吾輩の研究所があるのだ』
「こんな山んなかで研究?」
『こんなとはなんだドワーフよ。ここならば採れ立て新鮮な魔導石が手に入るのだぞ』
生ものじゃないんだし……。
「わしらが欲しいのは魔導石であって、幽霊なんぞの研究所じゃねえんだぜ」
「まぁまぁ。確かに僕らは魔導石を必要としていますが、鉱石だけあっても使えませんし。ヴァルゼさん、魔導鉱石の精錬方法をご存じですか?」
『当たり前であろう! なんせ吾輩は魔導具師の第一人者であるぞ!』
「なぁにが第一人者だ。魔法王朝末期の魔術師なら、魔導具の技術はもう確率してただろうよ」
『むむむ。ドワーフはいつの時代にでも頭の固い種族だな』
魔法王朝の歴史は一二〇〇年とちょっと。
その最後らへんに生きていたヴァルゼさんの研究は、一二〇〇年の歴史の間に築かれたものの復習みたいなものだろう。
「そうでもないわ。一部の魔導具は、特に今、重宝されてるエンチャント系アクセサリーなんかは、末期に発明された魔導具だって話じゃぞ」
「え、そうなんですかルキアナさん」
「まぁ私もおばあさまにそう聞いただけだから、実際のことはわからないけど」
『ふ、ふふふふ、ふははは、ふはーはっはっは』
突然ヴァルゼさんが笑い出す。
思わずみんなが後ずさった。
『聞いたかドワーフどもよ! そうとも、そうだとも! 偉大な吾輩が生み出したのは、ダイナミックエレガントエンチャントスーパーパーフェクションリングに他ならない!』
しー……んと静まり返る坑道。
ダイナミック、エレガント? え?
「だっさ」
誰かの――いや、ここに女性はひとりで、聞こえてきたのは女性の声だから、言ったのはルキアナさんしかいない訳で、彼女の非常な言葉が響き渡る。
ポージングまで決めていたヴァルゼさんは、塵になって消えた。
「え、消えた!?」
『なーんてなっ。驚いたか? 驚いたか?』
「って、いきなり天井から逆さまになって出てこないでくださいっ」
『せっかく幽霊なのだから、こういう楽しみもありだろう』
「なしでお願いしますっ」
語気を荒げてそう言うと、ヴァルゼさんは唇を尖らせてブツブツ言っていた。
なんか子供みたいな人だなぁ。
「ところで、エンチャントリングを生産していたって、本当ですか?」
『ダイナミック――』
「本当で・す・か?」
『あ、あぁ、うむ。証拠が見たければ、吾輩の研究所を掘り起こすのだな』
まぁ確かに、研究所があるというなら見てみたい。
魔導石を使った研究なのだから、当然、精錬設備だってあるだろうし。
「ドワーフのみなさん、掘り起こせませんか?」
「できるがな、真下ってんなら準備をしねぇと。研究所があるってんなら、もしかすると空洞があるかもしれねぇ。掘り進んで空洞に出たら、真っ逆さまだからな」
「そうですね。一度町に戻りましょうか」
「そうだな。人でも増やした方がいい」
そうと決まれば、善は急げだ。
『ぬ? か、帰るのか? せっかく来たのだ。もう少し話でもしよう。な? な?』
道を引き返そうとした僕らに、ヴァルゼさんが必死に引き留めようとする。
この人……寂しいんだろうか?
何百年もここでひとりだったんだ。そりゃあ、寂しいよね。
「ヴァルゼさん。すぐに戻ってきます。ゆっくりお話しするためにも、食べ物とかいろいろ準備しないといけませんし」
『む……そ、そうか。そうだな。生ある者は、食わねば生きてゆけぬしな』
「二時間ほどで戻ってきますから、僕たちに聞きたいことがあったら、今のうちに考えておいてくださいね」
『そうか! よしわかった。考えておいてやろう!』
僕たちは一度町へ戻ることになった。
「約束通り、来ましたよ」
『おおおぉぉぉぉ、待っていたぞ少年! それにハーフエルフっ娘《こ》に剣士よ。他の者は?』
「ドワーフのみなさんはお仕事の準備をしています。今日のところは来れないと思います」
『そうか。まぁいい。さて質問だがな』
さっそくか。
坑道に戻ってきたのは僕とルキアナさん、それにフレドリクさんの三人だけだ。
ドワーフの皆さんは、直下掘りするための機材を作るために町に残っている。
『まず、今は何年だ?』
「あ、そういえば答えていませんでしたね。今は太陽暦七三五年です」
『ふむふむ。この大陸は今でも統一国家であるか?』
「いえ。魔法王朝がなくなってからは戦乱の時代に突入して、三十年ほど経ってから太陽暦が誕生しています。その時には五つの国が出来ましたが、現在は八つの国に別れています」
『そうか。今は落ち着いているのか?』
落ち着いているっていうのは、戦争は起きていないのかって疑問だろう。
「まぁ平和とは言い切れませんが、ここ五十年ほどは落ち着いています。それより少し前に大きな戦がありましたが」
『ふむふむ。では次――』
本当にたくさん質問内容を考えていたんだなぁ。
『次は少年よ、お前の名を教えてくれ』
「あ……すみませんっ。ヴァゼルさんは名乗ってくださったのに、僕らは自己紹介をしていませんでしたっ」
「謝る必要はない。その幽霊が勝手に自己主張しまくっていただけじゃ」
『辛辣ぅぅぅ』
「まぁまぁ。僕はデュカルト・ハーセランです。それとこちらは――」
ルキアナさんとフレドリクさんの紹介もして、それから僕が領主代理であることも伝えた。
『ほぉ、少年は貴族なのか。どうりで魔力量が多いわけだ』
「え? 魔力量が分かるんですか?」
『だーい賢者であるからな! ふはーっはっはっは』
もの凄い仰け反ってる。そのままブリッジしちゃうんじゃないかってぐらい仰け反ってる。
魔力量が多いから貴族――というのは、古代魔法王朝ならではの考えだ。
あの時代は魔法が使えなければ、市民権すら与えられない。
魔法が使えても魔力が低いと身分も低い。
そういった時代だって、本で読んだ。
「ヴァルゼさん。今の時代は、魔法が使えるか否かで身分は決まらないんです」
「世襲制でございますね」
『なぬ!? で、では、魔法が使えぬ者でも、市民権が与えられているのか!?』
「もちろんです。そもそもこの時代は、魔法を使えない人の方が圧倒的に多いですよ。僕だって魔力量は多いですが、魔法の適正が皆無で使えませんし」
『な、なんだと!? 類まれな魔力量を持っていながら……いや、そうか。魔法が使えなくて、市民になれるのか……そうか。よかった』
そう話すヴァルゼさんの顔は、とても穏やかで、今にも成仏してしまいそうな感じだった。
『魔導石は低温で融かさねばならぬ』
「それはわかった。だが既存の魔導石のように透明にならねーんだ」
『融かす過程でミスリル銀を混ぜる必要があるのだ』
「んだと!?」
夜遅くに、ドワーフの里長ドズルさんがやってきて、ヴァルゼさんと魔導石の錬成についてあれこれ話している。
ミスリル銀を混ぜなきゃ、あの色にならないのか……。
それはなかなか厳しいなぁ。
ミスリル銀の採掘量は極端に少ないから、値段も物凄く高い。
魔導石錬成のためにどこからか仕入れるとなると、採算がとれるか心配だ。
『投入するミスリル銀は一度に1グラムまで。それを何回か繰り返し、半透明になれば完成だ。だいたい鉱石1キロに対して、ミスリル銀3グラムといったところか』
「なんでぇ、量的にはそう多くねえってことか。とはいえ、ミスリル銀がどんだけ貴重か、わかってんのか?」
『ふっ。知らん!』
「威張って言ってんじゃねえよ」
『だがそれも心配いらぬ。ここの鉱山には、魔導鉱石の鉱脈の他にも、ミスリル銀の鉱脈もあるはずだ』
はず?
「ヴァルゼさん。はずってことは、見たことはないってことですか?」
『うむ。生前、吾輩が地質調査をして、ミスリル銀の鉱脈があるとわかったのだが……そこで邪魔が入ったのだ』
「邪魔?」
『吾輩の才能を妬んだ者が、吾輩を亡き者にしようとしたのだよ。ま、その計画は見事成功したわけだ。最後に聞いたのは爆発音。おそらく大部分は崩落したであろうな』
「道理でこの辺りの壁は、不自然な積もり方してたわけだ」
魔導鉱石の鉱脈は確かにある。ヴァルゼさんが生きていた当時から採掘が行われていたから。
ミスリル銀はどうか……。
出てこなければ、買ってくるしかない。その時は精錬済みの魔導石の販売価格で調整しないとなぁ。
「ね、魔導石の精錬が出来るようになったら、あの転移魔導装置も使えるようになるのじゃろ?」
「そのはずです。使えますよね、ヴァルゼさん」
『うむ。その装置はいつごろまで使っておったのだ』
「つい最近、最後の運転をしたばかりです」
『では問題なかろう。何十年、何百年と経っていれば、メンテナンスが必要になったであろうがな』
メンテナンス……そっか。石を交換すればいいって訳じゃないんだ。
「そういえば、魔導具の中にはハズレも多々あると聞いたことがあります。発掘された魔導具い多いといますね」
「そうなんですか?」
フレドリクさんが頷く。
魔導具は鉱石のように発掘によって見つかるものと、迷宮や遺跡の宝箱から見つかるものとある。
前者の方が壊れている場合が多い――と、フレドリクさんは聞いたことがあるそうな。
『それはおそらく、箱そのものに魔法が施されているのだろう。中身を保管するためのな』
「壊れにくくするとか、そういった感じのですか?」
『そうだ。土の中に埋まっていれば、当然汚れる。その汚れが魔力の伝達を阻害して、魔導具を壊してしまうこともある。ま、そういったものでも修繕すれば使えるようになるがな』
壊れても使えるのか……まてよ、ってことは――
「壊れた魔導具をかき集めれば……」
「壊れた魔導具を? ぉ、おおぉ! そうだぜ坊ちゃん。壊れて使えねぇ魔導具なら、安く買い叩けるじゃねえか」
「はいっ。それを修理して、新しい魔導石を嵌めてやれば、売り物になります!」
「じゃが、どうやって修理するのじゃ? そんな技術――あ」
気づいたルキアナさんが、ヴァルゼさんを見る。
魔導具の研究者である彼なら、修理の方法だって知っているはず。
『くく、くはははははーは。目の付け所が良いな少年よ。そうとも。吾輩の手にかかれば、どんな魔導具だって新品同様に修理可能!』
「やっぱり!」
『だが!!』
え、だが?
ブワサァッとローブを翻し、ヴァルゼさんが……膝を抱えて座り込んだ。
『吾輩……幽霊になってしまったから、物質に触れられないのである』
え……。
『これでは研究も続けられない! あああぁぁぁぁぁっ。生きている者が羨ましい! 魔導石に触れられて、羨ましいぞおぉぉぉ!!』
う、羨ましいって……ん?
もしかして坑道で聞こえたあの「うら……しぃ」っていうの、もしかして「恨めしい」じゃなくって「羨ましい」だった!?
『だがまぁ、ここにはドワーフどもがおる。彼らに技術を伝えることはできよう』
「そりゃ助かるぜ」
『だから吾輩のために、魔導具の研究を引き継いでくれ! 吾輩はさらなる魔導具を作り出したいのだ!!』
「研究は面倒くせー」
『んなぁーにぃー!?』
ドズルさんはそう言うと、持ってきた荷物の中からポットを取り出した。お茶にするのかな?
ヴァルゼさんが隣でずっと叫んでるけど、我関せずだ。
なんだかちょっとかわいそうな気もする。
魔導具の研究かぁ。いったいどんなことをするんだろう。
もし新しい魔導具が開発できるとかだったら、やる価値は十分あると思う。