大教会に足を運ぶ詩応。講堂の最後列の席の後ろに立っている。
 フォーマルウェアとして、青っぽいブレザーの制服を用意してきた。セーラー調の襟と、スカートの裾を正す。
 予定の時間通りに、聖女アリスが教壇に立つ。それだけで、感嘆の溜め息が会場を包む。年頃とは思えない、麗しく荘厳な雰囲気を纏っている。
 ブルーのブラウスに白ケープの装束の聖女は、用意していたタブレットを開く。
「……私は、アリス・メスィドール。ご存じの方も多いと存じます」
と非常に滑らかな日本語で話すアリス。7カ国語を操るマルチリンガルだが、アジア圏のそれは日本語だけだ。
 美麗な声で、オーディエンスに語り掛けるアリス。会場内の誰もが、その話に虜になる……1人を除いて。
「女神ソレイエドールが導かれる未来を、私は皆さんとこの目に焼き付けたい。信者として、より一層の邁進をお願いしたい。それが、私の思いの全てです」
との言葉で締めたアリスを、拍手が讃える。それに合わせて手を叩く詩応は、しかし釈然としない表情を浮かべていた。そもそも彼女が本物のアリス・メスィドールなのか、その疑問が拭えないからだ。
 60分のスピーチの後、閉会の言葉が司祭から告げられ、出席者は一様に満足の表情で講堂を後にする。詩応もそれに混ざろうとしたが、後ろから呼び止められた。
「私のスピーチ、不満だったかしら?」
詩応が振り向くと、そこには先刻まで壇上にいた聖女が立っている。目ざとい……詩応はそう思った。
「私は彼女と話をしたい。2人きりに」
とアリスが言うと、後片付けも放置して誰もいなくなる。
 ドアが閉じられると同時に、アリスは言った。
「……シノ、だったかしら」
「どうして名前を……」
「シブヤで命を落とした殉教者、シア・フシミの妹。あの事件は、本当に忌々しいものだったと聞いているわ」
と、アリスは言う。詩愛姉の死が、フランスでも知られていたとは。
 そう牽制した聖女は
「シノ。私は空港で、貴女が血の旅団信者と会うのを見た」
と本題を切り出した。詩応は
「彼は、アタシのフレンドです」
と答える。アルスと再会した一部始終を見られていたのか。
「じゃあ、隣にいたあの男女は?グルなのかしら?」
その言葉に、詩応は苛立ちを滲ませる。流雫と澪をグル呼ばわりされるとは。
 思わず険しくなった目付きに、アリスは図星だと悟った。
「太陽騎士団と血の旅団は、歩み寄ってはならない。あの邪教はノエル・ド・アンフェルを引き起こし、我々を貶めようとした。日本でも、それぐらい知られているでしょう?」
諭すような口調に、ボーイッシュな少女は
「はい」
と即答する。知っている、どころの話ではない。
「では何故……」
「大事なフレンドだからです」
と詩応は断言する。
 「……確かに教団として、交遊関係まで制限はしていない。しかし、相手は邪教」
「その信者から聞きました。貴女と同じネックレスを持つ聖女が、テネイベールと同じオッドアイをした少年を、近寄るなと拒絶したと。襲撃された自分を助けた、にも関わらず」
そう言葉を返した詩応は、本来崇めるべき聖女に疑問をぶつけた。
 「アタシが知りたいのは一つだけ。聖女は今日来日した貴女1人だけのハズ。……では、昨日空港で彼が見たのは一体?」
その言葉に、アリスの眉間が動く。
 「……私に答える必要が有るとでも」
「有るとは思っていません」
「それなら余計な……」
と言葉を被せるアリスに、更に詩応は被せていく。
「ですが、もう1人の貴女はテネイベールに似た少年に助けられた。それだけは事実です」
「……アタシは、ソレイエドールの導きを信じる者。しかし、ルージェエールを崇める者やテネイベールに似た目をした者にも、対等に、公平に接したい。それが、アタシの信念です」
と続けた詩応は、頭を下げるとドアを開けて講堂を後にした。
 静まり返った講堂に立ち尽くすアリスは、その背中を見つめる。
 ……末端の信者が、あそこまで自分に突っ掛かってくるとは思っていなかった。不愉快でしかない。だが、詩応が突き付けた言葉が、深く突き刺さった刃のように感じる。
 ……もう1人の自分。彼女は何処にいるのか。そして、その存在を部外者が知った。恐らく、厄介なことになる。
「……シノ。貴女は疫病神なのかしら……?」
アリスはそう呟き、ドアを開けた。

 「……これが聖女の態度なの……?」
と、最初に口を開いたのは澪だった。
 渋谷駅前、トーキョーアタックの慰霊碑のすぐ近くのベンチに座る少女。その脇を固めるのは、日本人には見えない2人。
 アリスが他の者に退出を命じている間、詩応はスマートフォンの通話ボタンを押していた。相手は唯一連絡先を知る少女、澪。
 そして3人は、教会から少し離れた場所……渋谷駅前の広場でイヤフォンを使って会話を盗み聞きしていた。正しくは、流雫と澪が聞き、アルスは流雫がフランス語に同時通訳したものを聞いている。
 「聖女と云う立場がそうさせる。個人の見解が制限される、宗教で上に立つとはそう云うものだ。同情する気は無いがな」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      と言ったアルス。その隣で流雫は、或る言葉が引っ掛かっていた。
 「……余計な……」
と口にする流雫に、澪が続く。
「……知られてはマズいことを、聖女は隠してる?だから余計な口を挟むな、と?」
「……聖女が2人いること。メスィドール家どころか教団にとっても大問題……」
「……影武者どころの話じゃないな……」
とアルスは口を挟む。……影武者でないなら、隠したい理由は一つ。それは、少し前にレンヌで流雫とアルスが話したことだった。
「……クローンに手を出した……」
2つの国の言葉が重なった。

 2週間前。
「じゃあ、メールにエアチケット情報を送ったから、アプリにダウンロードしてね」
目線をPCの画面からアルスに移しながら、アスタナは言った。
 急に決まった日本への渡航で、アルスは流雫の両親が営む旅行代理店を訪ねた。以前短期留学した時にも、この淑女にはコーディネートで世話になった。今回も頼んだが、何より流雫が接点になっている。
 パリから引っ越して15年。今の宇奈月クラージュ家の実家は、小さなオフィスが1階に有り、上階が居住区域。そのリビングにアルスを招いた流雫は、紅茶を淹れる。
 テレビを点けると、ドキュメンタリーが流れていた。特集はクローン。
「胎内で生まれない命か……」
「欧米は倫理面で規制するだろうから、やはり中国が先行するだろうな」
と、高校生2人は口にする。年頃らしくない話題だが、互いに知的好奇心は旺盛な方で、話が合う。
「胎内と云う聖域で生まれなかったから、命とは認めないのか」
「でも生きている。命を認めるべきじゃないのか」
と返したアルスに、流雫は問う。
「……血の旅団としては?」
 「基本的には賛成だ。人工的であれ、命を宿すもの全てを尊重する。その理念は太陽騎士団と共通だが、あっちはクローンには反対している。ただ、どっちが正しいか、なんてナンセンスでしかない」
とアルスは答え、紅茶に口を付ける。
 ……時代が変われば、それぞれが新たな解釈をするだろう。無論、それが新たな火種になることは、容易に想像がつくが、それはまた別の話だ。

 太陽騎士団のトップが、教団としてはタブーだったハズのクローンに手を出した。もしそれが事実なら、大スキャンダルになる。だから隠したい……と云うのも頷ける。
「……だとすると、何のためにクローンを生成したんだ……」
とアルスは言う。それが最大の疑問だった。
 「待たせた……!」
と言いながら、詩応が駆け寄る。澪が立ち上がりながら
「聖女との話、全部入ってましたよ」
と言うと、アルスは続く。
「聖女に向かってよく言った」
「アンタたちをバカにされて、黙ってられないからね」
そう言った詩応は、1人ベンチに座ったまま腕を組み、下を向く流雫に目を向ける。
 「……流雫?」
「……アルス、聖女アリスの弟の名、知ってる?」
と問われたアルスは
「セバスチャン。セブと呼ばれてる」
と言った。
「セブ?」
リピートした流雫は、しかしその名に聞き覚えが有った。
 ……プリィに弟がいた。会ったことは無いが、彼女は確かにセブと言っていた。そして。
 流雫はスマートフォンでアリスの写真を検索し、首から下を手で隠す。……10年以上前の面影を、6インチの画面に見た。
「アリスが、プリィ……!?」
目付きを険しくした流雫の声に、誰より早く反応したのは澪だった。
 「プリィ……?」
「レンヌに住んでた頃に、何度かだけ遊んだことが有って」
と流雫は答える。
 彼女の両親は、流雫の両親にとって大口顧客だった。父が仕事の話をしている間に、母が見守る中で子供同士遊ばせていただけに過ぎない。とは云え、人の顔を覚えるのは得意な流雫の記憶には、鮮明に残っている。
 「プリィが、弟をセブと呼んでた。メジャーな名前だから、単に人違いかも……とは思うけど」
と流雫は言う。だが、澪は
「……もし、アリスがプリィだとして……何故アリスを名乗ってるの?」
と問う。アルスは翻訳アプリを見ながら
「聖女は代々アリスを名乗る決まり、なんてものは無い。名乗るだけの特別な理由が有るんだろう」
と答えた。流雫は呟く。
「……理由か……」
 プリィと云う名を捨てなければいけない理由。彼女の過去に何か有ったのか……?
 しかし、此処でこうしていても何も始まらない。4人はNR線の改札へ向かった。

 山梨県東部の都市、河月。河月湖を中心とする観光で知られる。都心から快速列車とバスに乗って2時間近く。4人が辿り着いたのは湖畔のペンション、ユノディエール。流雫の日本での住処だ。
 流雫の父、宇奈月正徳。その親戚、鐘釣夫妻が営む。名前は、開業を手伝ったアスタナが生まれ育ったコミューンに因む。普段は流雫も手伝いをこなす。
 親戚夫妻は3人を歓迎した。部屋は男女で別れ、澪と詩応には端の客室が割り当てられた。アルスは流雫の部屋だ。
 夜、ディナータイムの片付けを終えた流雫はアルスがバスルームにいる間に、スマートフォンを耳に当てた。その後で少し外に出たかったが、生憎の雨だ。出る意味が無くなった。
「ルナ?どうしたの?」
とスピーカーから声が聞こえる。アスタナだ。気になることが有るから、話すことにした。
「昔、何度か一緒に遊んでた子のこと……覚えてる?」
「プリィ?覚えてるわ。彼女が気になるの?」
と母は答えた。日本に留学経験が有り、その間に今の夫と交際を始めたが、それだけでは説明が付かない程に日本語が上手だ。
「……一つだけね。名字……」
「フリュクティドール」
と母は答える。
「プリィ・フリュクティドール?」
と流雫は声に出す。
「……何か有ったの?」
「……少しね。どんな子だったか……」
と言った流雫に、アスタナは
「……顧客のことだから、本来はタブーだけど」
と言った。

 流雫の一家がパリに住んでいた頃のこと。当時パリの太陽騎士団中央教会を統べていたフリュクティドール家が、国内外の移動や宿泊の手配を宇奈月クラージュ夫妻に頼んでいた。一家がレンヌに引っ越した後もその関係は続き、司祭は時々レンヌを訪ねていた。
 その時にプリィを連れていて、話の間リビングでルナと遊ばせていた。
 フリュクティドール家との関係は今でも続いているが、プリィはパリの名門校で神に関する学問を究めようとしているらしい。弟セバスチャンと同様に。だからこの数年会っていない。

 「サンキュ、母さん」
と流雫は言う。それだけ聞き出せれば十分だろうか。
「……ルナ、何が有ったか知らないけど、女神の手を放してはダメよ?」
「ミオのこと?判ってるよ」
と答え、また連絡すると告げた流雫が通話を終えると同時に
「どうした?」
と言いながら、アルスが部屋に戻ってくる。
「プリィ、パリのフリュクティドール家だった。今はセブと一緒に寄宿舎にいるらしい」
と言った流雫に、アルスは
「プリィ・フリュクティドールがアリス・メスィドール……?」
と呟く。もし流雫が間違っていないなら、関係性は何だ……?
 「……待てよ?」
とアルスが更に呟く。
「どうしたの?」
「フリュクティドール家とメスィドール家は親戚関係だったな……。例えばアリスがクローンだったとして、プリィをベースにアリスを生成した理由は何だ……?」
と言ったアルスに、流雫は続く。
「……人工的にアリスを生み出す必要が有った……?」
フランス語のラリーが止まる。数分にも感じられる数十秒の静寂を破ったのは流雫だった。肝心なことを知らなかった。
「そもそも、総司祭や聖女の条件は何なんだ?」
「総司祭一家の条件は、聖女を有すること。聖女は、その地位に相応しいだけの信仰心と多方面の知識を備える必要が有る。聖女がいてこその総司祭の地位だ。アナクロな気がするのは、俺だけじゃないハズだが、宗教とはそう云う……」
と、突然言葉を切ったアルスは
「……そうか……それなら有り得る……」
と呟く。怪訝な表情を浮かべる流雫のオッドアイを見つめ、アルスは言った。
「クローンをメスィドール家の聖女にする必要が有った」