「お待たせしましたぁ。熱いので気をつけてくださいね」
「ありがとうございます……わ、綺麗……」
「ふふ。鏡花さんのために淹れた、愛情たっぷり『こよるスペシャル』です!」

 愛なんて言葉を恥ずかしげもなく告げて、こよるさんは得意気な笑みを浮かべながら、今度は私の隣に腰掛ける。
 ソファーが二人分の重さに沈んで、僅かに揺れる。心地の良い波間のようだ。

「これって、お茶なんですか? カクテルとかじゃなく?」
「ブルーマロウをベースにブレンドした、オリジナルハーブティーです。ノンカフェインなので、夜にも飲めていいですよねぇ」
「ハーブティー……あんまり飲んだことないです」
「あっ、そうでしたか……これは比較的クセは少ないんですけど、ハーブの苦味はあるので、良ければお好みで蜂蜜をどうぞ」
「ありがとうございます……いただきます」

 添えられた蜂蜜の琥珀色と、透明の耐熱カップの中に揺れる、深い海と夜の始まりの境界のような、澄んだ青。見ているだけでささくれた気持ちが回復するようだ。
 ずっと眺めていたい気持ちでいっぱいになりながらも、仄かな花の香りのする湯気を吸い込んで、カップを傾け一口含む。

「……! おいしい……」
「それは良かったです。ブルーマロウには、喉の痛みを和らげる効果もあるんですよ」
「え……」

 散々泣いて、喉も痛かった。声を上げないように堪えても、泣き叫ぶのと同じくらい熱く痛むのだと、今夜初めて知った。

「ふふ、飲むだけでいろんな効果があるハーブって、お薬に似てますよね」
「薬……」

 確かに華やかな香りの奥に、薬のような独特な風味の苦さはあるものの、すっきりと飲みやすい味だった。
 けれど冷えきった身体には熱すぎて、私はもう少し冷めるのを待つことにする。

 ちらりと隣を見ると、こよるさんも蜂蜜をたっぷり垂らしたそれにふうふうと息を吹き掛け冷ましながら、幸せそうに口に運んでいた。

 私も真似て、とろりと少しの蜂蜜を垂らす。カップの中の夜空に、とぷんと金の流れ星が落ちるよう。

 くるくるとティースプーンでかき混ぜなから、ぼんやりと考える。
 こうして誰かと一緒にゆっくりお茶をするなんて、一体いつぶりだろう。

「あの、さっき薬屋って言ってましたけど……ここ、薬局か何かなんですか?」
「そうですよぉ、今日は店長がお休みなので、わたしが一人で店番です!」

 そう言って自信満々に胸を張る彼女の姿がどこか子供っぽく見えて、少し心配になる。改めて近くで見ると、顔立ちもどこか幼い。成人しているかも怪しい。

 こんなに夜遅くまで働いて大丈夫なのかと気になったところで、先ほどまで自分のことで精一杯だった私が、他人を気にかけるくらいには回復したことを実感する。

 けれど他人の事情に首を突っ込めるほどの余裕はなく、私はこよるさん個人ではなく、店について話すことにした。

「えっと、正直、雑貨屋さんか何かかと……その、全部キラキラしてますし」

 彼女を待つ間ぼんやりと店内を眺めて気付いたのは、ショーケースや棚の中に、指先程度のものからラムネ瓶サイズまで、様々な小瓶が並んでいること。
 しかしその小瓶の中身はどれも、お菓子やおもちゃと言われた方がしっくり来るような、一般的な薬とは程遠い様々な形状や彩りをしていた。

「そうなんです! お薬って、苦くて美味しくないじゃないですか。テンション下がっちゃいます! だから、うちのお薬はまずは見た目から可愛くしてるんですよ」
「あー……何事も形から入るタイプの人だ……」
「形からは大事ですよ、モチベーション上がりますし! ……例えば、ほら。この棚のお薬は、どれもわたしのお気に入りです」

 そう言ってこよるさんはソファーから立ち上がり、店の少し奥まった場所にあった、大きな棚の鍵付きの扉を開ける。
 隠されていたそこには、見える形で飾られていた小瓶たちよりも更に美しい、夜空の星を閉じ込めたような煌めきをした『薬』が並んでいた。

「え……すごい、綺麗……」
「ふふ、これは『星屑の粉薬』です。粉が大変細かいので、噎せないように『月明かりのオブラート』にくるんで飲むのがいいですね」

 目薬サイズの小瓶に半分程入った、ラメのような細かい煌めきの星屑の粉薬。
 店の仄かな灯りに翳すと美しい、淡い蜂蜜色をした半透明の月明かりのオブラート。
 どちらも見ているだけでうっとりとしてしまう。

「こっちの『夜露のシロップ』は苦くないのでお子様にもおすすめですし……錠剤が飲めるようなら『月の欠片』なんかもありますね」

 一見透明な水のようで、小瓶を揺らすと波間が夜を煮詰めたように暗い色味に変わる夜露のシロップ。
 色とりどりの三日月の形をした、可愛らしいラムネ菓子のような月の欠片。

 私は思わずソファーから立ち上がり、夢見心地なふわふわとした足取りで近付いて、こよるさんの手元の煌めきをより間近に覗き込む。

「……これ、全部薬なんですか? えっと、本当に怪しいやつじゃなく……」
「怪しくないちゃんとしたお薬ですよ! うちの店オリジナルです!」
「え、それは怪しい……」
「えっ!?」

 それから私は、目にも楽しい薬たちを眺めながら、どこか不思議なその効果を聞く。それが事実でも、私を元気付けるための物語でも構わなかった。

 絶望のどん底みたいな夜だったはずなのに、いつの間にか、自然と笑みが溢れてくる。

 薬のこと、店のこと、今日は留守だという店長さんのこと。こよるさんの星の囁きのような優しい声で語られるのは、寝物語のように心踊る見知らぬ世界の話。

 そうしてこよるさんと束の間のティータイムを楽しみながら、永遠にも思えた夜は早足で過ぎていく。

 気付けばすっかり冷めてしまい、青から紫に変化したハーブティーに驚いて、時間の流れで色が変わるのだと教えてもらった。
 こうするとピンクにも変わるのだと、三日月形のレモンを絞り入れ、その魔法のような変化を楽しんだ。

 ブルーマロウはその変化から『夜明けのハーブ』とも呼ばれているらしい。ますますこの不思議な夜の、この浮世離れした空間にぴったりだ。