常に笑顔の仮面を着け、勉強もスポーツも平均くらい、押しには弱く、自分の意見もまともに言えない、普通の会社員で優しい父と、パートで働いている怒ると少し怖い母、なんの変哲もない普通の幸せな家庭に生まれてきた、ただの高校2年生女子。
 そんな自分が嫌だ。
 なにか特別になりたかった。ナンバーワンにもオンリーワンにもなれない自分が大嫌いだ。
 そして、たまにその思いが強まることがある。

ーー死にたい

 と。
 別に特別に嫌なことがあったわけでもなく、ただ自分が大嫌いで、嫌で、ただただ死にたくなる。
 だから私は今、夜の街にいる。
 父は出張で2日間家を空け、母は学生時代の友達と久々に飲みに行くらしい。
 そんな訳で、一人っ子の私が、両親ともにいない今夜、死にたいと思い、これから死にに行く。

 何も考えず、ただとぼとぼと歩いていた。
 すると、たまたま前にいた青年が私を惹きつけた。
 光と闇が入り混じった夜の街に、一人、寂しさを抱えていた。
 帽子、Tシャツ、ズボン、靴までもが真っ黒で、その黒いバケハから覗く金髪が輝いて見えた。
 Tシャツから出る腕は、細く、白く、美しかった。
 ボー、っとその青年を眺めていると、彼がフラっと傾いた。
 倒れかけた彼は、たまたま近くにあった電柱に手をついて、息を整えている様子だった。
「大丈夫ですか?」
 私は思わず、声をかけた。
 青年は、顔までも美しかった。圧倒的美人、そんな言葉が似合う青年だった。
「すみません、大丈夫です」
 美しい唇はそう動くのに、あの美しい顔は、辛い、しんどい、苦しい、と語っていた。
 そんな彼を放っておけずに、私は言う。
「とりあえず、公園に行きましょう。近くにあるので。そこで、少し休みましょう」
 彼は少し申し訳なさそうな顔をしたが、
「ありがとうございます」
 と、言って素直に従ってくれた。
 彼を支えながら、近くの公園まで来た。
「それでは、飲み物を買ってくるので、少し待っててくださいね」
 彼を公園のベンチに座らせ、私は近くの自動販売機まで走った。
 闇の中で輝く自動販売機の前に立ち、制服のポケットに手を入れてから私は気づく。
 私は死ぬために、今日、この夜の街に出てきたのだと。
 ポケットの小銭の少なさがそう感じさせる。
 まぁ、そんなことより、飲み物を買うのが最優先だ。
 そう思い、小銭を入れて水を買う。
 急いで彼のもとに戻り、水を渡す。
「どうぞ」
 彼は、少し落ち着いたのか、さわやかな笑顔で
「ありがとうございます」
 と言った。
 その笑顔にはなぜか見覚えがあったが思い出せないため諦め、彼の隣に座る。
「もともと、体調悪かったんですか?」
 私は、会話のネタを探し、思わず口走った言葉に少し後悔する。もしかしたら、言いたくないかもしれない、と。
 でもそんな私をよそに、彼は話始める。
「実は俺、余命宣告されてて」
 まるで他人事かと思わせる軽い口調に似合わない重い内容で、理解が追い付かなかった。
「え?」
 彼はそんな私にきっと気づいたけれど気づかないフリをして言葉を紡ぐ。
「俺、俳優やってるんですけど、仕事どーしよっかなぁ、ってぶらぶらしてたら、急に体調悪くなって」
 彼の言葉で思い出す。なぜ、彼の笑顔に見覚えがあったのか。
 彼は、福本(ふくもと)永輝(とき)。22歳、男性。今をときめく大人気若手俳優で、きっと日本に彼を知らない人はいない。
 最近はモデルとしても活動していて、世界でも活躍する、結構すごい人。
 彼が、余命宣告されていたなんて世間が知ったら、きっと超話題になるに違いない。だからこの情報は世間に知られてないらしい。
 彼の正体を知り、唖然としている私を見た福本永輝は、からかうように微笑み、言った。
「あれ?今、気づいたんですか?俺もまだまだだなぁ」
「いや、その、世間知らずなものでして……」
 彼の正体に気づき、おどおどしている私に向かって福本永輝は言った。
「ま、そんなことよりさ、君、名前は?」
阿部(あべ)美月(みつき)です」
「美月、か。いい名前だね。助けてくれてありがとう、美月ちゃん」
「いえ、そんな大したことは……」
「そんな謙虚にならないで。俺は助かったんだから!
 それでさ、美月ちゃんは何でこんな時間にあんな場所にいたの?JKでしょ?」
 どうせ、今日限りの関係。言ったって害はないだろう。
 そう思うと、口から勝手に言葉が出てきた。
「死のうとしたんです」
 福本永輝は少し驚いた顔をしたが、すぐに質問を重ねてきた。
「なんで?」
「たまに、思うんですよ。死にたい、って。特に嫌なことがあったわけではないんです。でも『普通』である自分が嫌で……」
 話しているうちに、人にこんなことを話しても仕方がない、と思い、だんだん声が小さくなっていく。
 それでも、福本永輝は私の話を一生懸命に聞いてくれた。
「じゃあ、今日で変われたんじゃない?」
 少しの沈黙の後に聞こえた言葉は意外なものだった。
「え?」
 意味が分からず、聞き返してしまう。
「死のうと思ったけど、きっと今日は死ねないでしょ?俺のせいで。でも、夜の街に出る経験はした。だから、今日で変われたんじゃない?」
 そんな簡単に人は変われない。そんな皮肉が私の口から飛び出そうになったが、なんとか堪えた。
 福本永輝は、私を励まそうをしてくれる。それが、少し嬉しかった。
「励ましてくれてありがとう」
「どういたしまして」
 にこやかに福本永輝は、テレビで見る彼と似た笑顔をしていた。
「あのさ、余命宣告されてるんでしょ。生涯俳優でいるつもりなの?」
「そーだね。生涯俳優、か。カッコいいしそれでもいいかも」
 少し悲しそうな顔をして彼は言った。
「私の前でも芸能人の顔をするの?」
「私の前でも、って俺らどんな関係なんだよ」
 図星を指されたことを、誤魔化すような笑顔でそう言った。
「互いの秘密を知る関係」
 私は事実をそのまま述べた。
「あ~、もうなんだよ。お前強いじゃん」
 彼は、悔しそうに、そして少し悲しそうに、宝石のような涙を零して言った。
「余命宣告されたとき、やっと俺の目指す場所までこれて嬉しかったのに、努力を踏みにじられたような気持ちだったんだ。
そしたら、何もかもどうでもよくなって、へらへら笑って、演技して、カッコいい顔でランウェイ歩いとけば、キャーキャー言われて。
楽しくなかったんだ。そしたらマイナスに思考が働いて。普通に生きられない人生が嫌だなぁ、って。
そんな自分が嫌になって」
 芸能人の悩みは深いものだった。
 私には彼に最適な言葉がわからない。
 でも、彼に伝えたいことを一生懸命に伝える。
「この言葉が、あなたを救えるかどうかわからないけど、あなたの人生なんだから好きに生きれば良いと思う。私が言える言葉じゃないかもだけど。
でも、俳優福本永輝じゃない、一般人福本永輝も素敵だと私は思う。
あなたが普通でいたいなら、芸能人を辞めたって良いと思うし、あなたが芸能人でいたいなら、生涯アイドルでいいと思うよ。
人に元気を与える芸能人は、元気でなくちゃダメだと思うから。
私の意見だけど」
「ありがとう。
俺、俳優の仕事好きだから、このまま続けるよ」
「良いんじゃない?仕事している福本永輝も好きだよ」
「ありがとう」
 照れくさそうに彼は笑う。
「普通に生きる、って、例えばどんな事したいの?」
「一番は、恋、かな」
「え~、恋か。叶えられることなら一般人を代表して叶えさせようと思ったのに……」
 恋、か。好きな人でも居たのかな?めっちゃ美人な女優さんとか、めっちゃ可愛いアイドルとかに出会ってきたんだから、居てもおかしくないよな~。
 私は、なぜか少し悲しくなった。
「え、叶えてよ。俺の願い」
「願いって、なに?」
「恋」
「は?」
「だから、今夜だけ、俺の恋人になってよ」
「はぁ?」
 意味が分からない。今夜だけ、あのスーパースター、福本永輝の恋人?この私が?
 そう、思った。福本永輝の考えてることが理解できなかった。
 でも、口が勝手に動く。
「いいよ。今夜だけ、福本永輝の恋人」
「ほんと?ありがとう」
 無邪気に微笑む姿に、やっぱカッコいいな、と少しドキッとした。
 そんな、気持ちを誤魔化すように、彼に問う。
「なんて呼んでほしい?」
「え~、下の名前が良い!呼び捨てかな~」
「わかった、永輝、ね」
「逆に、なんて呼ばれたい?」
「なんでもいいよ、自由に呼んで」
「じゃ、美月!お互い呼び捨てでいこう」
「いいよ」
 さっきまで、あんなに距離を詰めてきたのに、恋人になると彼は奥手だ。
 なにもしてこない。会話もなんだかよそよそしい。
「なんも、しなくていいの?」
 私が聞くと彼は恥ずかしそうに答えた。
「手、繋いでいい?」
「いいよ」
 彼の温かい手が、私の手と触れ、やがて包み込まれた。
 彼も私もなんだか恥ずかしくなってしまったけど、互いに手を離すことはなかった。
 そのまま、ぎこちない会話が続き、彼が聞いてきた。
「時間、大丈夫?」
 あまりにも、彼との時間が心地よくて、時間を忘れてしまっていた。
 彼の言葉に公園の時計台をみると11時。
 制服姿の女子高校生が、こんな時間に公園に居る。
 きっと、補導対象だ。
「そろそろ、帰ろうかな」
 時間が、私たちの恋の終わりを告げる。
「嫌じゃなければ、送っていくよ」
「ありがとう、そうしてもらうね」
 それを拒むように、私たちは会話を続ける。
 ベンチから立ち上がってもなお、私たちは手を離さない。
 本日二度目の夜の街。その街は彼と一緒にいるだけで、魔法がかかったように、綺麗に輝いて見えた。
 私たちは、時間を惜しむようにゆっくりと時間をかけて歩いていた。
 私の家、なんの変哲もない一軒家。
 それだけで、現実に引き戻される。
 私は、自ら手を解いて、別れを告げる。
「今日はありがとう」
 私がそういうと、彼は、いきなり私を抱き寄せて、耳元で囁くように言葉を紡いだ。
「こっちこそ、ありがとう。楽しかったよ」
 彼は、ドキドキしてる私をよそに、体を離し、顔を近づけた。
 そしてーー互いの唇が触れるくらいの、誰もが憧れるような、甘くて苦い、キスを交わした。
「美月、大好きだよ。本気で。美月と出会えてよかった」
 私は、ドキドキして、頭の整理がつかなくて、なにも言えずに黙ってしまった。
「じゃあね」
 私が言葉を発せないまま、彼は私に背を向けて歩いて行った。
 何も言えない自分が悔しくて、彼の背に向かって言った。
「私も大好きだよ、永輝!本気で。永輝と出会えて、本当に良かった。ありがとう!」
 永輝は、こちらを向くことはなかったけれど、この思いは伝わったと信じている。
 私も彼に背を向けて、家に入った。

 それから、彼と私が再び出会うことはなかった。
 テレビで輝く彼を見て、あれは夢だったんじゃないかと疑うくらいに何もなかった。
 唯一変わったのは、彼が指輪を付けるようになった事、私が死のうと思うことがなくなったのと、テレビで彼を見るたびに、目で追い、ドキドキするようになったくらいだ。
 彼は芸能活動をやめることもなかったし、病気を公表することもなかった。
 彼の死を知ったのは、あの夜から半年後くらい。
 昼間の雨が上がり、綺麗な星空と共に輝くように桜が舞っていた頃だった。
 リビングで家族と、ニュースを見ていた時、速報としてアナウンサーが告げた。
『速報です。
俳優の福本永輝さんが、さきほど、亡くなったことが分かりました。詳しい原因は公表していませんが、病死だそうです』
 余命宣告されたことを知っていたのだから、いつかこの日が来ることを覚悟しなければならなかった。
 けれど、やっぱり受け入れられなくて、逃げるように自室に行った。
 そして、泣いて泣いて、泣きまくった。
 翌朝は、仮病で学校を休んだ。
 実際、熱はなかったけれど、しんどかった。
 私史上初の仮病は、彼のせいだった。
 食欲はなかったけど、朝食を食べにリビングに行った。
 すると母に、小包を渡された。
「ポストに入ってたわよ。でも誰からかはわからないわ」
 なんとなく、彼からのだと思った。
 朝食なんて食べず、すぐ部屋に戻って小包を開けた。
 中には、高級そうな綺麗な箱と、手紙が入っていた。
 手紙を開いて、最後の行を読む。
『福本永輝より』
 やっぱり、彼からだった。
 私は、急いで手紙を読む。
『美月へ
あの日はありがとう。最高の夜だった。
たった一夜だったけど、俺は美月のことが本気で好きだ。
もし、美月が俺と同じ気持ちなら、この指輪を受け取ってほしい。
いらなければ、捨ててもいいし、人にあげてもいい。
美月、愛してる。
そして、生きろ!俺の分まで。
俺のことなんて忘れてもいいから、恋して楽しく生きろ。
美月がこっちに来るのは、80年後くらいでいい。
ありがとう、大好きだよ。
福本永輝より』
 手紙を読み終わるころには、私は涙を流していた。
 そして、小さな箱を開けて、丁寧に指輪を取り出す。
 そして、左手の薬指に指輪を付ける。

ーー愛してるよ、永輝

 私は小さく呟いた。



                             END.