今のこの小屋には、まともな包丁がない。
 シュリは解体用のナイフを使ってなんとか素材を切っているのだが、やはりオリハルコン製の包丁の時と比べるといくらかやりづらそうにしている。
 それに代用として使っている深底フライパンも火力のせいで焼き加減の調節が難しそうだったので、とりあえず包丁とフライパンはもうワンセット作るべきだろう。
 『絶対切断』はやり過ぎだったから、切れ味の方はあまり弄る必要はないだろう。
 強力なエンチャントをつけなくていいならオリハルコンを使うのはもったいないので、今回はどちらもミスリルで作っていこうと思う。
 金属ごとに微妙にやり方が違うから、忘れないうちに加工していかなくちゃな。
 それじゃあまずは包丁の製作からだ。
 ミスリルの融点になるまで炉の内部の温度を上げてから、ミスリルを溶かしていく。
 溶けたのを確認したら取り出し、槌を使って魔力鍛造をしていく。
 ミスリルはオリハルコンと比べると少し粘り気が強いので、叩き方にコツが必要だ。
 また強度の問題もあり、あまり強く叩きすぎるとミスリルの構造が壊れ、魔力容量が減ってしまう。
 なので優しく丁寧に、赤ん坊を抱きしめるときのように神経を注ぎながら叩いては熱し、叩いては熱しを繰り返していく。
 叩いて割れたミスリルのそれぞれの魔力容量を限界ギリギリまで増やしてから、沸かして再度叩き、一つにまとめていく。
 あらかじめ用意していた魔力文字自体、ミスリルだと限界まで容量を拡張してギリギリ書き込めるようになるくらいの見込みだったんだが……思ってたより俺の腕が上がっていたらしく、想定していたより少し魔力容量に余裕ができるほどだった。
 今回は練習も兼ねて、神聖文字だけで魔力素描していく。
 魔力文字にはそれぞれ特徴がある。
 普通の魔力文字を王都で使われている話し言葉だとすれば、中期文明の魔力文字は片田舎で使われている、なんて言ってるか聞き取れないけど文字に起こしてみるとまぁわからんではない田舎言葉くらい。
 そして古代魔族文字は昔過ぎてイントネーションから何から違う完全に別言語。
 神聖文字も古代魔族文字とおおよそ同じなのだが、ただ神聖文字の場合は詩的な美しさがある。
 文脈の構成だけでなく韻を踏んだ分を繰り返すことでわずかに効果を向上させることができたり、諧謔を利かせた単語なども多いため、書き込んでいて結構楽しかったりするのだ。 古代魔族文字と違い暴力的なまでに強力な効果は発揮しないが、その分だけ扱いやすい。
 どちらかと言えば補助や支援などのエンチャントを発揮させた方が効果が高くなりやすく、俺が蘇らせた聖剣クラウソラスもその特性を活かし斬撃の威力より防御と回復に重きを置いている剣だった。
(古代魔族文字と違って、ぽしゃっても爆発が起きたりしないのもありがたい)
 俺が普段使っている作業着はドラゴンブレスを受けようがびくともしないような一級品の素材とそれらの魔力容量をギリギリオーバーするかしないかまで敷き詰められた魔力文字が記されている。
 だがたとえダメージを受けなくても、至近距離の爆発を食らえばどうしても衝撃は身体に届く。その間に下手に魔力情報がズレたりした時のストレスがヤバかったりするし、神聖文字だけで作ると非常に精神衛生的によろしい鍛冶ができる。
 ただ純粋に効果を求めるんならどうしても古代魔族文字を避けられないというのが、なかなか難しいところだったりする。
「よし、完成っと」
 そのままの勢いで、フライパンの方も作ってしまうことにしよう。材料はミスリルでいいかな。
 一度包丁を使って慣れていたおかげで、フライパンの方はささっと作ることができた。
 外に出てみると時間はまだ午後三時で、シュリが夕食を作り出すよりも前だった。
 ジルと一緒にリビングでまどろんでいる彼女に手を振る。
「ほいシュリ、できたからぜひ使って、使用感を聞かせてくれ」
「今回は事前に聞いておきたいんですけど……どんな効果がついてるんですか?」
「今回は神聖文字を使っているから、以前ほどのインパクトはないぞ」
「鍛冶に関しては、ラックさんの言葉は信用してませんから!」
 なぜかぷりぷりと怒り出すシュリ。 
 信用してほしいところだ。鍛冶に関しては俺より真摯に向き合っている人間は滅多にいないことだぞ。
 今回包丁につけたエンチャントはいくつかある。『自動修復』や『耐久力向上』なんかの恒常的についている効果意外についているものは一つ。
 その効果は『回復』だ。
 とりあえず実演してみせることにした。
 俺の指を、包丁を使って浅く裂く。
 当然ながら刃先が俺の皮膚を破り、つつ……と球のような血が出てくる。
 けれど見ていると……ふわっ!
 全身が柔らかい光に包まれたかと思うと、温かい感触が指先にやってくる。
 光が収まると、先ほどつけた傷が跡形もなく消えていた。
「と、まぁこんな感じでもし包丁を使って傷つけても傷が治るようにできてるんだ。どうだこれ、調理人垂涎の一品じゃないか?」
「す、すごいです……これがあればお料理教室を開いても安心ですね!」
 一応案としては切ったものを自動的に燃やしてコンロ要らずな包丁や、切ったものを凍らせて保存しやすくした包丁なんてのもあったんだが、全てボツにさせてもらった。
 当たり前だけど、包丁なんだから使いやすいに越したことはないからな。
 ナージャにインスピレーションをうけて回復効果をつけてみたわけだが……たしかにこうして結果だけ見てみると、あまり包丁の慣れていない初心者向けのものになってしまったな。 まぁそれでも、調理の時に怪我をしにくいというのも利点だろう。
 ただとりあえず回復効果は魔力容量を超過しないギリギリまで使って強化してあるから、普通に『回復』の魔道具としても使える一品に仕上がっているはずだ。
「それじゃあこっちのフライパンの方はどんなものなんですか?」
「これも一緒で、『回復』の効果がついているぞ」
「……フライパンに、『回復』ですか?」
「ああ、油が跳ねたりしても大丈夫になっている……はずだ」
 実際に調理してみないと効果がわからないが、流石にこの場で試すわけにもいかない。
 どうせなら自分が作ったものの結果も見てみたいし、こっちの方も実験してみることにしよう。
 というわけで台所にやってきた。
 ただ油だけ跳ねさせるだけでは芸がないので、おやつにポップコーンを作りながら試してみることにする。
 皮の固いトウモロコシの実を用意し、軽くパラパラと塩胡椒を振ってから加熱していく。
 上に蓋を被せず、時間が経つのを待つ。
 すると……ぱうっ!
 勢いよく弾けた熱々のポップコーンがこっちに飛んでくる。
 避けずにむしろこちらから当たりにいくと……。
「あっち! ……おお、治ったぞ」
 当たって熱さを感じたかと思うと光だし、火傷後が消えた。
 包丁の方は初心者向けになってしまったがだけど、今度こそ料理をする人垂涎の品ができたはずだ。
 油跳ねの火傷は調理をするなら避けられないものだからな。
 とりあえず効果のほどは確認できたので蓋をしめて、ポップコーンができあがるのを待つ。 ぱこん、ぽこぽこぱこんっ!
「……ん?」
 目の前で小気味いい音を鳴らしながら、実が弾けポップコーンができあがっていく。
 だが何かがおかしいような……?
 もこもこもこっと物凄い勢いでポップコーンがどんどん作られていく。
「……なんか量、多くないか?」
 俺がそう言っている間にも、ものすごい勢いで量産されていくポップコーン達。
 その量は俺が最初に入れたはずのトウモロコシの量を明らかに超えていた。
「わわわわっ!?」
 そのあまりの量の多さにとうとう蓋をおしのけたポップコーンが、調理場に散り始めた。
 ただそれでもまだまだ生産は追いつかず、ポップコーンは変わらずもりもりと増えていく。「な、なんですかこれっ!?」
 俺とシュリは慌てて火を止める。
 すると流石にポップコーンの増産も止まってくれた。
 びっくりした……あのまま増え続けて、ポップコーンに押しつぶされるかと思ったぞ。
「ラックさん、これどういうことなんですか!? やっぱりただのフライパンじゃないじゃないですか!」
「いや、今回ばかりは『回復』がついただけのフライパンのはずなんだが……」
 とりあえず落っこちたポップコーンを拾い、軽く払ってから確認する。
 気になったので、ひょいっとつまんで食べてみた。
 塩味の聞いた味と軽い食感が楽しい、ポップコーンだ。
 使っている実もわりといいやつだし、アツアツなのでとっても美味しい。
(ただ少し、サイズが小さいような……?)
 落ちたものを拾ってから、フライパンをひっくり返して皿に空ける。
 とりあえずフライパンの謎は置いといて、おやつの時間にすることにした。
「お、おいしいれす~」
 シュリが頬に手を当てながら、目を細めている。どうやら獣人界隈には広がっていないものらしく、ものすごい勢いで食べ始めた。
「わふっ!」
 どうやらジルも気に入ったようで、シュリに負けない勢いで食べ始めている。
 フライパンからあふれ出すくらい大量に作ったポップコーンだが、あっという間になくなってしまった。
 効果の再確認がてら、もう一度ポップコーンを作ってみる。
 そこで俺はようやく、この無限ポップコーンの仕組みについて理解することができた。
 あふれんばかりにこんもりと盛られたポップコーンを提供しながら、なるべくかみ砕いてシュリに説明をしていく。
「つまりこれも『回復』の効果なんだ。トウモロコシの種がポップコーンになって弾けた、ということが怪我として認識されてるってことらしい」
 たとえば人が右手を失った際、ナージャのような使い手であれば強力な回復魔法をかけて欠損した腕を生やすことができる。
 その時元あった腕が勝手に消えるかと言われれば、否だ。腕は腕としてそのまま残る。
 この『回復』のフライパンもやっていることはそれと同じだ。
 トウモロコシの実が弾けた瞬間に回復が発動し、弾けていない部分を急速に下の状態に戻していく。
 その際弾けてポップコーンになった部分はそのまま残り、回復した実は弾け、またポップコーンになる前に戻り……ということを繰り返すというのが、この無限ポップコーンの仕組みというわけだ。
「図らずも、とんでもないものを作ってしまったな……」
 まさか回復効果を極限まで高めると、こんなことになるとは……この『回復』がどのくらいの範囲に有効なのかはわからないが、少なくとも加熱している限りポップコーンなら無限に作ることができる。
 間違いなく有用だが、こいつの影響がどこまで波及するか、ただの鍛冶師である俺には想像がつかない。
 ただ有用そうなのは間違いないから……とりあえずリアム達に一つずつプレゼントすることにするか。
(そのためにも、こいつの製作を成功させなくちゃな)
 俺はポップコーンをサクサクと食べながら、ノートに書き付けた魔力文字を確認していく。 これから俺が作るのは――遠隔地に魔力で書いた文字を届けることのできる魔道具である。 こいつが完成すればもっと簡単にリアム達と連絡を取れるようになる。
 今回のナージャの一件もそうだが、多分今後もなんやかんやで俺とあいつらの腐れ縁は続くことだろうからな。高速の連絡手段の一つや二つはあった方がいいだろう。
(そろそろ、エルフ達の戦いも終わった頃だろうか……)
 麓の先に広がっている大森林のその先にいるであろうナージャ達と、里に住まうエルフ達のことが頭をよぎる。
 まぁ、まったく心配してはないんだけどさ。
 何せ――ナージャが目の前で誰かを死なせるはずがないからな。