迷宮の正門を入り、一番最初に見えてくるのは階段だ。仄暗い地下へと続くそれは底知れない不気味さを湛えるけれど、まあぶっちゃけ雰囲気だけのものだ。
地下10階までは別段、新米さんでもあまり梃子摺ることなく進める程度の難度でしかないからねー。
出てくるモンスターも雑魚いし、階層自体に何倍もの重力がかかってるとか、異様な寒暖の差とか異常気象とかって怪奇現象があるわけでもない。
ある意味一番、世間一般的に考える迷宮のイメージに近いのが地下10階層までなのかもしれないほどだ。
「…………」
「ぴぎ!? ぴぎ、ぴぎぎ」
「ごげ!? ご、ごげご」
「ぎゃあああああ! ぎゃぎゃああああああ!!」
「……………………」
そんな浅層部、生息しているモンスターにとっては僕こそがまさしくモンスターなのだ、ということなんだろう。
さっきから見かけるモンスターみんなして、僕を感知するなり悲鳴をあげて逃げていく。ただの一匹たりとて、僕に殴りかかるどころか近寄ることさえしないのだ。
さすが野生ってところかな、実力差を即座に理解して一目散にその場を離脱するってわけだねー。
大体地下50階層を降りたあたりから、僕に限らず大迷宮深層調査戦隊のほとんどのメンバーはこんな感じに、浅層のモンスターから避けられるようになってしまった。
おそらくはそのあたりの階層を攻略するために身に着けた迷宮攻略法・威圧を与えたり身に纏ったりする技術による副作用だろう。
アレを常時発動できるようにならないと、一歩だって前に進めない環境だったからね……迷宮内では無意識下でも威圧法を発動していられるよう訓練したのが仇になった形だ。
ちなみにこの威圧法は迷宮の外では意識しないと使えないし、そもそも人間相手にはよほど強く威圧しないと効果が薄かったりするよー。
本気でかけたら迷宮最深部の化物まで退散させられるような威圧に対して、全然感知するところのない人間の鈍感さを嘆くべきなのかな?
そんな感じに主張する仲間が昔いたけれど、僕としてはむしろ威圧や威嚇に耐性があるんだと解釈して、人間の適応力ってすごい! って内心で思っていたんだけどねー。
どちらが正しいか、それは未だに分からないことだ。
「…………」
ともあれそんな感じで、いっさいモンスターに近寄られることもなく戦闘なんて全然起きない、平和な迷宮ピクニックと化した道を僕は進んだ。
マントの上から提げた紐付きの携帯ランタンが照らすのは、狭い通路広い通路。そして小さな部屋大きな部屋。
時折分岐路もあったりするのを、迷いなく下階への最短距離で突き進む。かつての迷宮攻略にあたり、地下30階くらいまでの最短距離は頭の中に叩き込んだからね。
それ以降は地図がないと普通に迷うけど、少なくとも地下3階くらいまでなら問題ないや。
地下2階もとりたてて特筆すべきこともなくさらに地下へ。途中、入り口同様新米さんらしきパーティーと出くわしたけど僕がモンスターにさえ怯えられていることに気づき、すげーやべーの大合唱だった。
才能と意欲があればそのうち辿り着けるから今のうち、浅層のモンスターとの戦いを頭に焼き付けといたほうがいいよと内心でつぶやく。マジで相手しなくなるから、記憶も朧気になってなんか切なさがこみ上げる時があるんだよねー。
ああ、僕ってば遠くまで来ちゃったなー、みたいなー。
今でもたまに会う、元調査戦隊メンバーにそんなことを言ったら鼻で笑われたけど。ひどいよー。
かつての仲間に憤りつつさらに下階へ。はい、地下3階に到着ですー。この階層あたりからしばらく、件の薬草が自生してるねー。
「……………………」
ほうらさっそく、道端に生えてる草発見。一見なんてことのない普通の草で、ともすれば雑草と一括りに言われてしまいがちなんだけど実はこれ、薬草なんですねー。
まずは一草ゲット。この調子であちこちに生えてるからいただこう。この階層に生えてる草だけで、目標とする量は取れちゃいそうだ。
モンスターもバッチリビビって襲ってこないし、僕は余裕綽々で薬草を摘み、10本単位で束にして持参した袋に詰めていく。
これを10束。つまり100本分の薬草をゲットすればいいだけなのだ。すごい楽ー。ガンガン取るよ、サクサク摘むよー!
意気込んで僕は3階中の部屋、道、壁などに自然と生えている薬草を丁寧に摘んでいく。
途中、地中奥深くや壁の中にぎっちり根を張ってるようなものもあるけど、そんな時のための杭打ちくんだからね。問題なく杭でぶち抜いてゲットしていく。
床はともかく壁は、場所によってはぶち抜いた先に別の道なり部屋なりにつながることもあり得るから、一応ぶち抜く前に軽く叩いて、向こうにいるかもしれない人達に警告しておく。はい、コンコン。
『あら? …………えっ? あら!』
『……なんだ、今の音?』
『そこの壁からだな。調べてみるか?』
おっとまさかのドンピシャリー。向こうの空間に誰かいて、今僕の起こした音に反応してるね。
男の声と女の声。二人組? さすがに壁を隔てた空間の気配までは読み取れないねー。
壁を調べようとしているみたいだけど、むしろ離れてもらえると助かるんだけどね。声掛けでもしようかな?
そう思って口を開こうとした瞬間、別の女の人っぽい声が聞こえてきた。
『……いえ。むしろ離れたほうが良いでしょう』
『何? なんかあんのかよ』
『ええ、私の推測が正しければ──距離は取りました! どうぞ遠慮なく来てください!』
「!? …………!!」
え。何? もしかして僕だと気づいてる!?
まさかの呼び声に一瞬、僕は目を見開いた。
若い女の人が、明らかにこちらに向けて壁越しに声をかけてきている。ちょっとこれは想定外だ、なんだ、誰だろ? 知り合い? こんなところで?
『き、急になんだよ! 何がいるのか? モンスターか!?』
『ふふ、今にわかります』
『か、かいちょ〜……?』
『ふふふふふふ!』
何やら向こうが騒がしい。最初二人だけかと思ってたけど最低四人はいるみたいだ。
新人さんパーティーかな? というかどうであれ、壁からコンコン音が聞こえただけで僕だって気付けるようなものなんだろうか? なんか不気味ー。
「……………………」
とはいえせっかく言ってもらったんだし、気にもなるしとりあえず杭打機を振りかぶる。
ここの迷宮はちょっとそっと壁や床を壊した程度なら、時間経過で修復される不思議な仕組みをしてるからどこをどうぶっ壊しても遺恨が発生しないのが最高だよねー!
遠慮なしに壁を、一息にぶち抜く!!
「────!!」
「うおおおおっ!? な、なんだ!?」
「か、壁が!?」
「ふふ……さすがですね」
スドォォォォォォン! と轟音を立てて壁が崩れる。鉄の塊がまずヒットして、矢継ぎ早に飛び出た杭が直後にヒット。
多段式の衝撃と破壊力は折り紙付きだ。迷宮の壁程度なら全然余裕でぶち抜ける。こんな風にねー。
瓦礫と砂埃舞う中、壁に埋まった薬草を取り出してはい、収穫完了! これで概ね10束だから、後は帰って孤児院に届けに行くだけだねー。
と、その前に例のパーティーさん達にお騒がせしたことを謝罪しないとね。普通、迷宮の壁がぶっ壊れてそこから人がぬっと出てくるなんて考えにくいもんねー。
「……おさわが──」
「杭打ち!? なんでこんなところに!?」
「!?」
お騒がせしてごめーんね! みたいなことを言おうと思った矢先、聞き覚えのある声が聞こえて僕は帽子とマントの奥で密やかに目を剥き口を噤んだ。
この声……! まさか、このパーティーって!?
愕然とする思いで、僕は声の方を振り向く。そこには。
「貴様……野良犬め、また冒険者気取りで……!!」
「か、会長。杭打ちさんだってもしかして知ってたんですか!?」
「うふふ。どうかしら」
「………………………………っ!?」
ああああ脳破壊パーティー再びいいいい!!
視界に入る見覚えのあるハーレムパーティーに、僕の情緒はあえなくグチャグチャになってしまった。
思わず叫び声をあげなかっただけでも褒めてほしいくらいだ。"杭打ち"状態だとあんまり声を出さなくなるってのが習慣づいていてよかった、本当に良かったよー!
そう、僕が遭遇した壁の向かい側のパーティーってのが、まさかのゆかりの人達!
僕の一度目の初恋のシアン生徒会長様! 3度目の初恋のリンダ剣術部長様! あと生徒会長副会長と会計の子。見たことない美人さんもいるね。
そしてにっくきあんちくしょう! 僕の宿敵、10人いた初恋の子の実に8人も落としていったやべースケコマシ!!
なんちゃってAランク冒険者、オーランド・グレイタスその人が自慢気に女の子達を侍らせちゃったりなんかしちゃってるのだー!!
ああああ出会いたくなかったいろんな意味でええええ!!
「…………」
「お前……なんのつもりだこんな浅い階層をうろつきやがって。仮にも元・調査戦隊メンバーなのに何やってんだこんなところで!」
早速噛み付いてきたよーやだよー怖いよー。
調査戦隊メンバーだったことを当て擦った物言いをしてくるけど、彼の場合前から知ってたんだろうなって思う。だってオーランドくんの両親のグレイタス夫妻も元調査戦隊メンバーだったからねー。
夫婦揃ってレジェンダリーセブン──すっかり当たり前みたいに使ってるけど本当に笑えるネーミングだ──ではないものの、戦闘要員の中でも上位30名くらいの中には入ってる程度にはお強い人達だ。今のシミラ卿くらいかな?
気のいい夫妻なんだけど度を超えた親バカなのが珠の傷だって、他のメンバーにもからかわれてたんだけどねー。今となっては本当に珠の傷だから笑えないよー。
息子の教育ちゃんとしてほしかった、切に。コネ使ってインチキAランクになんてしてちゃ駄目だよってほんと、今度出くわしたら説教しちゃうかもしれないねー。
と、そんなことを考えてると前と同じでリンダ先輩が、オーランドくんに話しかけている。あっ、やな予感。
「オーランド、お前まであのような下らぬ噂を信じているのか? 調査戦隊メンバーなどと……スラムの野良犬が冒険者を騙っているだけでも腹立たしいというのに、よくもまあそんな嘘八百を並べたものだ」
「……………………」
「いや……そこは前からうちの親が、杭打ちとは同じパーティーだったって話してたからな。調査戦隊以前の話だと思ってたが……まさかマジに元メンバーなんてな。公的にはメンバー扱いされてないって話だが」
「当たり前だ。世界中の腕利きが結集した現代の神話集団・大迷宮深層調査戦隊。栄光に満ちた彼らとその道程に、スラムの犬が紛れ込んでいたなどと後世には残せるはずもない。国は正しい選択をしたよ」
「………………………………」
ああああ的中したああああ!!
どーしてそんな僕のこと毛嫌いするのおおおお!?
相変わらずの心なさすぎる発言の数々に膝をつきそうになる。なんで? 僕なんかした? それなりに弁えて静かに生きてるのにー。
うう、厄日だよー。っていうか昨日からなんか、厄日だよー。
内心すっごいブロークンハート。僕の三度目の初恋は何度失恋したら終わりを迎えられるのかしら。え、もう死んでる? うっさいよー。
なんてことを涙を呑んで思いつつ彼らを眺めてどんよりしていると、不意にそんな二人に声が投げかけられた。
「────いい加減にしてもらえますか? グレイタスくん、リンダ」
「あの……そんな言い方、そちらの方に失礼すぎると思いますが」
「!?」
まさかの援軍。
それは彼らの側にいる、美少女二人からの実績だった。
まさかの僕への擁護。それもオーランドくんのパーティーメンバーの女性達、すなわちハーレムメンバーの中からときた。
えっ、何? もしかして僕きっかけに修羅場りそうなの? これ僕にとばっちりくるやつじゃない? 大丈夫?
「し、シアン会長……それに、マーテル?」
「……何を言う、生徒会長。急にどうした」
「…………」
我らが第一総合学園生徒会長シアン・フォン・エーデルライト様。僕の初めての初恋であり、秒で失恋を経験させてもくれたスピードスターその人と。
金髪をやたら長く伸ばし、どこかヤミくんヒカリちゃんの着ているのと似た意匠の服を着ているマーテルというらしい美女さんと。
どちらも絶世と言うにふさわしい壮絶な美人さんが、なんとオーランドくんとリンダ先輩に真っ向から否やを唱えたのである。
戸惑うオーランドくんと呆気に取られた様子で尋ねるリンダ先輩。二人からしてもこれは意外だったんだね。
取り巻きの生徒会副会長と会計と、あとついでに僕も内心でオロオロする中。シアン会長とマーテルさんとやらはそんな二人に毅然とした態度で反論した。
「前々から思っていましたが、あなた達の杭打ちさんへの態度は目に余るものがあります……サクラ・ジンダイ先生にあれだけ叱られてなお、それを改めないことへの嫌悪と軽蔑も。あなた達はあれから何も学ばなかったのですか」
「なんだと……? おい、一体どうしたと言うんだ。まさかあの偉そうなヒノモト人の物言いに、本気で感銘を受けたとでも言うのか」
「先生に何か言われるまでもなく、不満に思っていましたよ。冒険者とも思えない姿を晒しているのは、あなたのほうですリンダ・ガル。頭を冷やしなさい」
「貴様、ふざけたことを……!!」
ひえー、女の戦いだよー! なんか目線がバチバチぶつかってるよー。
サクラ先生にすいぶん説教されたはずなのに、全然堪えてない感じのリンダ先輩はすごく悲しい。でもシアン会長が真面目に僕のこと庇ってくれて、それ以上に嬉しい! わーい!
喜びつつ悲しみつつ怖がりつつ忙しいよー。情緒不安定になりかける複雑な心境で今度はオーランドくんのほうを見る。
生徒会長と剣術部部長の、視線でやり合う苛烈なバトルと異なりマーテルさんとやらは、ただひたすらに哀しみを宿した目で彼を見、訴えかけていた。
「ずっと前から、さっきのような酷いことを言い続けていたんですか? ……どうして」
「マ、マーテル。たしかにその、俺はこないだ杭打ちに嫌味言って先生に愛想尽かされちまったよ。だけど今回はそんなに──」
「ですが、リンダの物言いを咎めたりはしてませんよね……? いつも自分はAランクだ、誇り高い冒険者なんだと言ってますけど、そんな人が今の言い分を何一つ否定しないものなのですか……? その、当世の倫理というものは分かりかねますが、おかしいと思います、オーランドさん」
「な、あ。う……それ、は」
「………………………………」
ありゃ、さしものオーランドくんも絶句しちゃってる。マーテルさんの正論? というか理屈に彼自身、思うところがあるのか普通に論破されちゃってるみたいだ。
でもたしかに、こないだに比べてずいぶん敵意は薄くなってるとは思うよね。サクラさんも彼は反省したって言ってたし、こっぴどく叱られたらしいのが相当堪えたみたいだ。
僕としては揉め事がとにかく嫌なので助かるよー。
ただまあ、彼はともかく問題は……
「野良犬を庇うなど博愛精神も大概にしておけよ、偽善者ども……!」
「ま、マーテル、俺は、その」
「…………」
あーあ、一触即発。ショックを受けて項垂れるオーランドくんはともかくリンダ先輩、キレて剣を抜いちゃった。
それは駄目だよー。僕はすぐさま彼女の近くに移動して、手にした剣の刃の部分を掴み、思い切り握りしめた。
「!? い、いつの間に、は、離せっ!!」
「…………!」
いくら喧嘩しててもね、友達だかハーレム要員だかの間で刃傷沙汰は駄目だよー!
軽々しくラインを超えかけたリンダ先輩の剣を完全に拘束する。刃を握り締めているため、常人なら血が出るしこの状態で刃を引きでもしたら指とおさらばしなくちゃいけないかもだ。
でも僕は常人じゃないからねー。これこのとおり、逆にリンダ先輩が一つも動けないくらいガッツリ掴んでるよー。
持っててよかった迷宮攻略法。改めて入ってよかった調査戦隊。いやまあ、一般には影も形もない存在だけどね、ぼくは。
とにかくリンダ先輩の凶行は未然に防いだ。これ以上何かする気なら、悪いけどこの剣へし折ってから意識を刈り取るよ。
「……………………!」
「っ!? あ、ぁぅ……っ!?」
今ここにいる僕は学生ソウマ・グンダリでなく冒険者"杭打ち"だからねー。やらかしてる冒険者が目の前にいるなら、多少の実力行使も辞さないよー?
少しの威圧を込めてリンダ先輩を睨みつけると、それだけで彼女は意気を削がれたらしかった。息を呑み、へなへなとその場に崩れ落ちる。
あれ、もしかして耐性ないのか。ってことは地下20階層には到達してないんだな、この人達。
威圧を与えるほうはともかく、威圧を受けてなお平常でいるための迷宮攻略法は割と早期で身につける必要に迫られる技術だ。
地下20階層を過ぎたあたりから、意識的に威圧してくるモンスターが増えるからね。そいつらに気圧されないために、そこまで到達した冒険者は迷宮攻略法・威圧耐性の獲得のために今一度の訓練を強いられるんだ。
その耐性がなさそうってことはずばり、オーランドくん達は実はまだ、地下20階層まで到達してないってことになる。
さっき僕を揶揄ってたけどAランクのくせにこんな浅層をうろついてるとか、君こそどーなってるんだと思ったけど納得だ。下手するとこの辺が実力相応なのかもしれないわけだねー。
うーん名ありて実なし。とは言いつつ彼の場合、評判もあまりよろしくはないんだけどさ。
ちょっといくらなんでもお粗末すぎないだろうか? グレイタス夫妻、さすがにこれは真面目にお話しなきゃいけないかもねー。
「生徒会メンバーが二人も参加するならばと、半ば目付けの役割でしばらくこのパーティーにお邪魔していましたが……」
僕がリンダ先輩を威嚇し、マーテルさんがオーランドくんを諭して黙らせて見事に凍りついちゃった迷宮地下3階層のとある通路。集めて束にした薬草もこんな空気じゃあしおしおになっちゃいそうだ、どうしたものかなー。
悩んでいる僕がそれでもリンダ先輩を止めている間、喋りだしたのはシアン会長様だ。
美しくキュートな桃色髪がよく似合う、ちょっと小悪魔チックな微笑みを浮かべつつそれでも清楚感がたっぷりなすっごい美少女。
ちょっとスレンダー気味なのもどこかボーイッシュさを感じさせていい気もする今日この頃。そんな彼女はオーランドくん達を見据えて、微笑みのままに爆弾発言を場に投下した。
「もう限界です。今限りをもって私はあなた達のパーティーを離脱します。短い間でしたがお世話になりました」
「な……」
「か、会長。何を馬鹿な」
「ピノ副会長、オールスミス会計。私がご一緒するのはここまでです……夏季休暇が明ければ私の会長としての任期も終わりますから、実質これが私の、生徒会長として最後の言葉になりましょう」
「…………」
ニッコリ笑ってるけどどこか笑顔が暗い。怒ってませんかこれ、怒ってますよねこれ? 怖いよー!
唖然とするのはオーランドくん以上に、同じ生徒会メンバーの副会長さんと会計さんのお二人だ。僕は勝手に、この二人はシアン会長の取り巻きだと思っていたんだけれど……話を聞くに実は逆というか違くて、オーランドくんについていった二人につきそう形で同行していたのがシアン会長らしい。
でもこの人はこの人で春先、オーランドくんと早々にイチャコラしだして僕含めた男子勢の初恋を速攻粉砕してたような気がするんだけど。
他ならぬ粉砕された側だし、あのショックはなかなか忘れられない。あっあっ、脳がまた崩れていきそうだよー!!
「……付き合う相手は見定めなさい。グレイタスくんはまだ芽があると思いますが、リンダ・ガルは処置なしです。ジンダイ先生のお言葉の意味を、そこの二人だけでなくあなた達もよくよく考えるべきですね」
「シアン会長、待ってくれ! お、俺は」
「それとグレイタスくん。最後なので言っておきますが、私は結局あなたのことを好きにはなれませんでした」
「!?」
「!?」
!? え、あ、う!?
ま、まさかのオーランドくん爆沈!? え、どーいうこと? それどっちかって言うと僕の役回りじゃない!? 言ってて泣きたくなってきた。
オーランドくんとリンダ先輩を突き放し、副会長と会計の二人を何処か憐れむような視線と言葉を放ち。
そうして次、引き留めようとするオーランドくんにまさかのカミングアウトをかました凛とした姿に一同呆然愕然だよー。え、修羅場は修羅場なんだけどこの方向性はちょーっと、予想してなかったなー僕。
ヤバい、未知の体験すぎてどう動けばいいのか分かんないよー。
内心超混乱している僕のことなど露知らず、シアン会長はさらにオーランドくんへ、どこか慰めるように労るように言葉を重ねる。
「Sランク冒険者の息子、かつAランク冒険者ということである程度仲良くすべきと考え、これまでそれなりに行動をともにしてきましたが……別段つきあってもいない女性に構わず接近していく姿勢は、あなたの一番良くないところです。猛省してください」
「あ、ぅ」
「……ただ、そちらのマーテルさんを私心抜きに助けたところはさすが、誇りある冒険者を自称するだけはありました。人を見下す癖を直し、謙虚さを得、そして親の威光に縋ることから卒業すればきっと、あなたは本当のAランクにもなれると信じます」
「……………………」
が、ガチ説教……若干フォローも入れてるのが余計にマジな感じを醸し出す、そんなレベルのガチ説教だよー……
案の定と言うべきかなあ、女関係のアレさをガッツリ叱られてるけど、それはそれとしてマーテルさんとやらは何やら純粋な正義感とかで何かから助けたって感じなのかな。
いまいち話が見えてないけど、今聞いた話の範疇だけならなるほど、オーランドくんも冒険者としては結構やるじゃんって感じもする。
ただ、やっぱりAランクは時期尚早だよねー。
これについてはグレイタス夫妻の責任が大きいと思うけど、立場にあぐらをかいて好き放題してきた本人も本人だし。
今どこをほっつき歩いてるんだか知らないけどあの夫婦、今度帰ってきたら針の筵になるかもしれないねー。
「オーランドさん……」
「ま、マーテル……」
と、マーテルさんが愕然とするオーランドくんに寄り添い、その手を握りしめた。
いいなー! 美少女に手を握りしめられつつ慰められるとかいいなぁー!! すごい羨ましすぎてつい、剣を握る手に力が籠もる。
「その……私は、あの時手を差し伸べてくれたあなたを信じてます。あなたは本当は優しくて、誰よりも心の強い人だって信じてます」
「マーテル、俺は……俺は」
「よくないところ、直していけるのなら直していきませんか……? いいところ、伸ばしていけるのなら伸ばしていきませんか……! わ、私にできることがあるなら手伝いますから! オーランドさんが誤解されたままなのは、嫌です!」
「………………………………」
本当にオーランドくん、なんかしらんけど困ってる彼女を助けたんだね。そこはすごいと思うし、同じ冒険者として尊敬するよ。
でもね、だからって即座にそんな感じにいい関係性を築けるのはおかしいと思う! ズルいよ僕が同じことしてもたぶんそんな風にはしてもらえないもの!
イケメンにしか許されないのかそういうアレはー!
謎の美少女を助け、そのまま恋愛関係に発展していくラブストーリー。
そんな王道のボーイミーツガールを地で行っちゃってるらしいオーランドくんとマーテルさんに、全身が震え戦慄くほどの衝撃を覚える僕は、もうそろそろいいかなとリンダ先輩への威圧を解きつつ剣から手を離し、その場を離脱しようと動き出した。
あまりに居た堪れないのとあまりに羨ましすぎて、もう一分一秒だってこの場にいたくなかったのだ。
「…………」
ズルすぎるよー……泣けてくるほど羨ましいよー。
たまたま助けたのが美少女で、しかもめっちゃ好感度高くて懐いてきて?
自分のいいところを伸ばして悪いところを諌めようとしてくれて、支えようとしてくれて? え、何それ女神か何かです?
この世に神様ってやつがいるなら今すぐ出てきてほしい、全身全霊力の限りを尽くして叫ぶから、不公平だーって!
こっちはこの3ヶ月で10回失恋してるんですよ! こないだのサクラさんへの告白だって華麗にスルーされたし、それ含めたら通算11回だ! だのにオーランドくんはハーレムパーティーを結成して挙げ句、コッテコテのボーイミーツガールー!?
何それ何それ! ズルいよズルいよズールーいーよー!!
「マーテル……俺、やり直せるかな。マーテルと一緒になら……」
「やり直せます。私や、私だけでなくみんながいてくれますもの。ね?」
「っ…………」
「…………!!」
ああああ僕よりよっぽど青春してるうううう!
挫折から女の子達に支えられつつ再起するってマジそれ僕がやってみたかったやつうううう!!
後ろで繰り広げられている心底羨ましいアオハル風景を、僕はとてもじゃないけど見ていられない。視界に入れたら本当に死ぬかもしれない、耳に入ってくるやり取りだけで血反吐が出そうなのにー。
うう、うううー。僕は結局、死ぬまで一人で杭を打つしかないのだろうか? 調査戦隊の頃や孤児院以前の時期じゃあるまいし、もうそろそろ血と肉片と迷宮色でしかない青春とか嫌なんですけどー!
…………でもまあ、仕方ないよねー。僕なんて、そもそも生まれ育ちからしておかしいもの。調査戦隊のみんなにいろいろ常識とか普通を教わったけど、根っこのところはやっぱり異常なんだもの。
誰にも相手されないのも当然だよねー。うへー、しんどいよー……
「…………」
あまりにアオハルが遠すぎて、いよいよネガティブモードに浸りかけていた僕。
自分で自分を痛めつけるのって、密やかで昏い慰めになるんだよねー……こういうことしてるから駄目なんだって、分かってるんだけどねー。
「どうされました、杭打ちさん。もしかして何か、落ち込んでいらっしゃいます?」
「…………、……………………?」
と、そんな時だった。唐突に声がかけられて、僕は振り向きたくもない後ろをチラッとだけ振り向く。敵意はなさそうだけど、念のため迎撃の準備を即座に整えながら。
するとそこには、先程オーランドくんにガチ説教をかましたシアン生徒会長その人が。僕のほうに悠々と歩いてきて、なぜかやたら親しげに手を振っている!?
「……………………!?」
「うふふ、お帰りになられるのでしょう? ご一緒させていただいてもいいでしょうか……いろいろ、お話したいこともありますし。ね?」
「!!」
まさかのお誘い! 嘘ぉ!? 一度目の初恋が不死鳥のごとく蘇ったー!?
慌てて力強く何度も頷く僕。そんな姿に、シアン会長はクスクス笑って僕に寄ってきた。
ああああ憧れの生徒会長が至近距離いいいい! めっちゃ綺麗でお美しいしいい匂いするし瞳が透き通るような空の色だ! うわー! うわわー!!
「ふふ、それでは一緒に帰りましょう……それでは皆様、私達はこれにて。今までありがとうございました」
「か、会長……!」
「し、シアン様……っ」
「さ、行きましょう杭打ちさん」
「!」
最後に元パーティーに別れを告げつつ、シアン会長は僕を促した。すぐに頷き、僕は彼女と歩き出す!
わーいデート……じゃないけど帰り道をご一緒だー! 迷宮でも学校でも帰路は帰路だし、ドキドキの青春の一幕だよー!
まさに夢心地、天にも昇る心地ってこういうことかもしれない。幸せな気持ちで胸が一杯になりながら、僕はシアン会長と迷宮の来た道を戻り始めた。
道中も当たり前ながらモンスターは寄ってこない。今日ほど威圧法を体得していてよかったと思えた日はないよ。だって迷宮の外まで会長をエスコートするのにうってつけの、安全安心の迷宮攻略法だものー!
「……! ……!」
「どうされましたか? 何か、嬉しそうですね?」
「! …………」
人生稀に見るはしゃぎっぷりの内面が、外にも漏れちゃってたんだろうか。シアン会長が僕を見て、ひどく優しくもいたずらっぽい笑顔を向けてくる。
ああああ嬉しいけど恥ずかしいよおおおお! すぐにスンッ……と静かにすると、何がおかしいのかまたしてもクスクスと会長に笑われてしまった。
「フフフッ! なんだか楽しそうで嬉しいです、杭打ちさん。お顔は見えませんが、不思議と気持ちが伝わってくるのは……あなたの素振りがそれだけ純粋で、感情表現が率直なのかなと私には思えます」
「……………………」
「誰もが大人になっていくにつれて隠したり、なかったことにしようとしたりする大切なものを、杭打ちさんはなんの衒いもなく、精一杯に表現し続けているのですね。素敵だと思います、本当に」
「!!」
す、素敵! ステーキじゃなくて素敵! シアン会長が、僕のことを素敵ってー!?
衝撃に次ぐ衝撃。あまりに嬉しい、夢のようなことが立て続けに起きてもう、これが夢か現実か分かんなくなってきちゃったよー……
クラクラしそうな茹だる頭で、それでもどうにか迷宮の帰路を辿る僕と会長さんでした!
信じられないことが起きているよー! 僕がなんとあの、シアン生徒会長と二人で迷宮を歩いているのだ!
それも横並びで、ちょっとした拍子に肩が当たるくらいの近さで! 僕のほうがちょっぴり背が低いのが悔しいけど、このシチュエーションは夢にまで見た青春の1シーンと言って過言ではないのではないでしょうか!?
「…………っ」
なるべくこの、幸せーな時間が長く続くようにと願い、遅延にならない程度に心なしかゆっくりめに歩く。やばいー、頬が緩んで仕方ないよー。
横目で見るシアン会長のお姿がホントもう、美しいのなんのって。携帯ランタンは会長ももちろん使ってるんだけど、胸元の少し下らへんに提げているそれが、仄かな暖かみのある光を放ち彼女を照らしている。
すると結果として少し陰の差したお顔に見えるわけで、それがまた大人びていて素敵なんだよなー。
こんな機会、今後生きていて二度もあるなんて思えないからしっかり目に焼き付けとかなきゃね!
「杭打ちさんといると、モンスターが逃げていくんですね……そういう技術があると聞いたことはありますが、もしかして迷宮攻略法だったりするんですか?」
「! …………」
はははは話しかけられちゃった! あのシアン様と世間話してるよ、この僕がー!
お淑やかって言葉をそのまま声にしたような、澄みきった冬の空を思わせる涼やかな振動が耳朶を打つ。はー、幸せー。
内心で感激に震えながらも、興奮を抑えて僕は頷く。
いけない、これ以上妙ちきりんな反応をして怪しまれてももったいない。僕側の都合で正体を明かせないのが心底惜しいけれど、さすがに会長といえど同じ学校の人だし仕方ない。
シアン様はそんな僕の葛藤をよそに、またも麗しく微笑み返してくれる。
「すごいです……さすがです、杭打ちさん」
「……!」
「それに……ふふ。昔と変わりませんね。頼りになるのにどこか可愛らしい、でもなんだか切なくも感じる姿。あの時見た姿と、まるで変わりませんね」
「?」
褒めてくれるのはすごく、すっごーく! 嬉しいんだけどー……
え、なんか昔から僕を知ってるみたいに言ってくるよー? なんだろ、関わりなんてこれまでなかったはずなんだけど。もし知り合いだったら入学式の時点でそういう関係を前面に押し出してアプローチしてるもの。
調査戦隊時代にどこかですれ違ったりしたのかな? あの頃はメンバー共通の拠点と迷宮をひたすら行き来するだけの生活だったから、あるとしたらその道中のどこかでだろうけど。
でもシアン会長様ほど美しくてオーラのある素敵な女性を見て覚えてないなんてこと……あるねー。その頃の僕ならあり得るねー。
うわーもしかしたらもったいないことしてた!? 僕、幼き日の出会いイベントスルーしちゃってたー!?
そういうところだよー昔の僕ー。後でこうして悔いる羽目になるんだから、少なくとも可愛い人には注目しておかなきゃいけなかったんだよー。
あーあー逃しちゃってた、特大のチャンス……
「……………………」
「ふふふっ! 今度はまた、なんだか落ち込んでますね。本当、分かりやすいくらい分かっちゃって可愛いですよ。私と何処かで会ったか悩んでますか?」
「……」
落ち込んでいるのが分かりやすすぎたのかもしれない。またしてもクスクス笑ってシアン会長は、僕を伺うように見つめている。
ちょっと小悪魔っぽいのいいなあ……かわいい。こんな人が毎日隣で笑ってくれていたら、どんなにか僕の人生は幸せに満たされるんだろう。ちょっと想像もつかないや。
ついつい見惚れてしまういい笑顔。そんな顔をして会長は、僕との出会いについて仄めかす。
「それは……迷宮から出て別れ際、お教えしますね。私にとっても大事な、本当に大切な思い出ですから。道すがら、雑談程度に話したいことでもありませんので」
やっぱり、本当に昔どこかでお会いしたことがあるみたいだ。それもこの人にとって本当に大切な思い出だからときた。
なんでそんな大切なことを僕は覚えてないの? 馬鹿なのかな昔の僕、絶対馬鹿だったよ昔の僕。
気になるし早く話を聞きたいけれど、できればもうちょいシアン会長と二人で歩いていたい! 相反する心!
それでも時間とは無情なもので、ゆっくり目に歩いても地下3階程度なら、あっという間に地上に出られるくらいの距離しかない。
わざと道に迷うとかってのは冒険者としても人間としてもアウトだし、最短距離で向かうしかなかった……ああ、お日様が見えるー。
来た時に出入り口で見た新人さんパーティーといくつかすれ違いながら──とんでもない美少女を連れて歩いていたからか、しきりに視線を向けられていた。ちょっと嬉しい! ──出口へ到達する。
草の匂いも深く、青空には太陽の煌めく爽やかな夏の日。ぼくとシアン会長との二人きりのドキドキ迷宮探索が、儚くも終わってしまったのだ。
「…………」
「到着、ですね……ありがとうございました、杭打ちさん。お陰で無事に外界へ戻れました」
「……………………」
名残惜しいよー。寂しいよー。
夢のような時間が終わっちゃって、僕は頷きながらも、どうしようもなく切ない気持ちに胸が一杯になっていた。
柔らかに吹き抜ける風。草原、迷宮への出入り口を出て少し歩いたところで二人、僕とシアン会長は向き直っている。
なんでもここで待っていたらじき、彼女のお家の馬車が迎えに来るらしい。もちろんシアン会長だけのね。
僕はこのあと孤児院のあるスラムに行くから、ここでお別れだ。寂しいよー。
元々予定していた時間より大分早く、着いたみたいなのでそれまではこうしていようと思う。シアン会長とお話していたいし、さっき言ってた話も気になるからねー。
「今日は本当にありがとうございました、杭打ちさん……それと、先日に大変な失礼をしてしまったことについても謝罪させてください」
「?」
いきなり何やら謝りたいって言ってきたけど、シアン会長に何がされたっけ僕? 数ヶ月前に他の男子達に混ざって恋心が爆散させられちゃったことだろうか? でも先日の話だからなー。
ふと思いつくのはこないだ、オーランドくんに絡まれてサクラさんがめっちゃキレた時くらいかな? でもあの時は会長、別に何も嫌なことをしなかったしむしろ優しく笑いかけてくれたから、嬉しかったくらいなんだけど。
不思議に首を傾げていると、シアン会長はおもむろに頭を下げ、折り目正しい謝罪を示してきて言うのだった。
「グレイタスくんに絡まれた時、助けに入れたものを助けに入らなかった。結果的に彼とリンダ・ガルのあなたに対する失礼極まる物言いに、まるで私まで賛同しているかのような誤解を与えてしまいました。本当に、申しわけありませんでした」
「!?」
えぇ……すごい真面目だ……
助けに入らなかったからあの二人と同類に思われたかもしれない、だなんて気にし過ぎだよー。
別にあの場にいたハーレムパーティーメンバーで、僕に直接あれこれ言ってきたリンダ先輩以外も同じタイプだーなんて思ってやしないのに。ずっと気にしてたんだねー。
「あなたがあの場を離れたあと、私含めパーティーの全員がジンダイ先生から改めて、冒険者とは身分や出自に依らずみな、公平であることをレクチャーしていただきました。残念ながらリンダ・ガルには効果は薄かったようですが……」
「…………」
「そう、気落ちなさらないでください。他のメンバーはグレイタスくん含め、みんなサクラ先生のレクチャーを受けて深く反省しました。彼女のような者ばかりとはどうか、思わないでいただけると嬉しいです」
別に気落ちはしてないけれど……サクラ先生、シアン会長達にも説教かましたんだなーって驚きのほうがどっちかというと大きい。
新米だからこそ、あえてやらかしてようがそうでなかろうが、まとめて言い含めようってつもりだったんだろうか。
本当に正義感が強いタイプの冒険者だね、サクラさん!
そしてそれを受けての、シアン会長の生真面目さだってこれでもかと伝わってくる。素敵だー。
鼻で笑われがちな理想論を本気で受け止める姿勢がまず尊敬に値するし、それもあって僕のことをこんなにも気にかけてくれてるんだなーって喜びがジワジワ湧いてくるよー。
内心テレテレしながら聞いてる僕。いやーサクラさんに感謝だなー! えへ、えへへ!
顔が盛大に緩むのを感じながらも、僕はそれでもこればかりは、言葉にして伝えないといけないと思い、口を開いた。
「……ありがとう」
「! 杭打ち、さん?」
「…………別に、彼らのことを気にしてはいなかった、けど……そう言ってくれたことが、とても、とても嬉しい……です」
ソウマ・グンダリとして伝えたかったけど、さすがに同じ学校の人だしまずいと自重する。
特に会長は喧嘩別れこそしたけどオーランドくんのパーティーメンバーだったし、現メンバーの副会長や会計の人とも今後も交流自体はあるだろうし、僕の正体についてその辺から漏れられても困るからねー。
だから冒険者として"杭打ち"として、せめて辿々しさでどうにか誤魔化せないかなーと祈りながらぽつりぽつり、声をかける。
オーランドくんやリンダ先輩に怒ってくれたことじゃない。僕のことをどんな形であれ尊重してくれた、そのことそのものが心から嬉しいよー。
本当にありがとうございます、シアン会長!
「はい。私も、そう言ってくださってとても、とても嬉しいです。ありがとうございます、杭打ちさん……いえ、いいえ」
「……?」
ニッコリ笑って、でも少し言い淀んで俯くシアン会長。
どうしたのかな……もしまたお会いできないかとか尋ねられたりしたらどうしよう、うへへー。
あ、なんなら今度一緒に、秘密基地直結の地下道を探検したりなんかしちゃったりしてー。自分で思いついといてなんだけどなんていいアイディア!
ひたすら自分に都合の良い妄想を展開する僕。いいじゃん思うだけならタダだし、誰にも迷惑かけないしー。
実際は当然そういう話じゃ無さそうなんだけどね。シアン会長が、にわかに頬を染めてはにかみ、僕に告げた。
「驚くでしょうが、それでもあえてこの名を呼ばせてください────ソウマ・グンダリくん」
「…………!? えっ、は、え!?」
ええええ正体バレてるうううう!?
なんで!? どーいうことー!?
いきなり僕の本名、冒険者"杭打ち"の正体であるソウマ・グンダリの名を呼ぶシアン会長に、僕はかつてないほどに驚き、そして絶句していた。
これほどまでに驚いたのは生まれて初めてだ……生まれて初めて戦いに敗けた時よりも、初めて迷宮地下最深部に下りた時よりも、調査戦隊が解散したことを教授から聞かされた時よりももっともーっと、驚いている。
「え……は、え……っ!?」
「……ようやく、本当のあなたに会えた気がします」
驚きに呻く僕を見て、なぜだか嬉しそうに笑うシアン会長。
そのまま僕のほうに歩いてくるのを、悲しいかな冒険者としての警戒心からつい、後退ってしまう。
正体が思いっきり露見していることを受けて、どうやら本能的にシアン会長を敵……とまでは言わずとも、警戒すべき相手と認識しているみたいだ。
いや、さすがに明確に敵対してるわけじゃなし、杭打機を取り出したりはしないけど。
それでもこれまで大体の人にバレてなかった僕の名前を、こうもいきなりズバリと言い当てられては身構えざるを得ないよ。
どういうんだ、シアン会長?
「…………!」
「いきなり不躾に名前をお呼びして申しわけありません。ようやくあなたとお話できて、少し高ぶってしまっているみたいです」
「…………」
「なぜ、あなたの名前を私が知っているのか。その理由を今、お話したく思います。どうかお聞きください。あなたに助けられた、幼き日の少女の話を」
滔々と淀みなく話す会長の姿は、警戒していてもなお目も心も奪われてしまいそうなほどに美しい。頬が紅潮して目も若干潤んでるのがなんとも言えず色っぽいよー、かわいいよー。
そして僕に助けられた? やはりというか僕が昔に関わったことのある人らしいけど、こっちにはまるで記憶がない。
たぶん調査戦隊にいた頃だと思うけど、なんかあったっけなそんな、大袈裟なくらい感謝されるようなこと……
思わず記憶を漁るけど、こんな美少女とお知り合いになれるチャンスをみすみす、ふいにした覚えがまったく無くて困る。
もしかして人違いとか? いや、名前まで知られててそれはないなー。
訝しむ僕もよそに、会長はどこかうっとりした様子で胸の前で手を組み、熱に浮かされたように話し始めた。
「そう……それは5年前。当時13歳だった私が、好奇心から家を抜け出し、迷宮に一人で入り込んでしまった時のことでした」
「…………」
「地下1階。出てくるモンスターも冒険者にとっては他愛のないモノですが、蝶よ花よと育てられた我儘な小娘にとってはまさしく悪漢にも勝る暴力の化身です。すぐに襲われてしまい、私は殺されそうになっていました」
「……………………」
うーん……5年前かぁ。調査戦隊に入るか入らないかくらいのの頃だね。なんなら孤児院にもいた頃合いかもしれない。
ぶっちゃけ孤児院にいた頃からみんなに内緒で迷宮潜ってたりしたから、5年前と一括りに言ってもタイミング次第でいろいろ状況が違う時期なんだよねー。
どうにかシアン会長との関係を運命的なものだと思いたいから、必死になって記憶を探るけどなかなか思い出せないー。
あの頃は調査戦隊のリーダー達と揉めたり戦ったり勝ったり負けたり、その末に調査戦隊に入らされたりして目まぐるしかったから記憶がごちゃまぜだよー。
誰かを迷宮内で助けたこともそれなりにあるし、一々覚えてもいなかったしね。あー、今にして思えばもったいないことしたなー!
「そんな時、颯爽と現れて助けてくださったのが杭打ちさん、あなたです。今お持ちのものとは違う杭で、あっという間に並み居るモンスター達を蹴散らし、穿ち」
「…………」
「そうしてモンスターを倒し終えた後、あなたの仲間の方が来てくださって私は家に戻されました……あなたの名前をお伺いしたところ、お仲間の方から"ソウマ・グンダリ"だと教わり、その素敵な名前を今に至るまでずっと、大事に覚えてきたのです」
本当に大事な、宝物のような思い出なんだろう。シアン会長ら瞳を閉じて、神々しささえ感じる静寂な表情で祈るように腕を組んでいる。
当時、たしかに僕は杭打ちくん3号じゃなくて初代杭打ちくん──もはや単なる木の杭をガンガン振り回すだけのもの──を使用していた。会長の言う助けに入った冒険者は、僕で間違いないんだろうね。
でも、僕の名前を教えたって仲間は誰なんだろう?
調査戦隊メンバーなのは間違いないけど、リーダーの意向から僕の名前はあんまり広めないって方向に、入隊初期の時点で決まっていたのに。
僕の出自の厄介さや、まだ歳幼い子供を迷宮内に連れ出すことへの批判を恐れて、ソウマ・グンダリの名と姿は隠蔽して"杭打ち"として売り出していくってのは前提条件だったはずだ。
それを破ってわざわざフルネームでシアン会長に教えたって、誰だ? っていうかどれだ? 心当たりがそれなりにあるよー。
堪らず僕は、シアン会長に問い質した。
「…………その仲間って、ちなみにどんな感じの人です?」
「金と青のオッドアイで、美しい金色の髪を長く伸ばした長身の女性でした。送り届けていただいただけですので、名前までは……」
「…………リューゼかー……!」
あいつか! オッドアイの調査戦隊メンバーなんて、あいつしかいないよー!
大迷宮深層調査戦隊が誇った最高戦力の一人による仕業だと確信して僕は、何やってんだあいつ! と小さく叫んだ。
Sランク冒険者、その名もリューゼ……リューゼリア・ラウドプラウズ。
今ではたしか"戦慄の冒険令嬢"とか言われている、かつての調査戦隊中核メンバーの一人。
すなわちレジェンダリーセブンの一員が、シアン会長に僕のフルネームを教えていたみたいだ!
レジェンダリーセブンの一人、リューゼリア・ラウドプラウズ。かつては調査戦隊の中でも特に僕と仲が良くて、今は遠くにある海洋国家で活動してたりする女傑だ。
あいつがどうやら僕の正体を、シアン会長にバラしていたみたいだ。うーん、やってくれやがってたよー、思わず頭を抱える。
「何してんの、リューゼ……5年も前のことを今言うのもなんだけどー……」
「リューゼ……リューゼリア? "戦慄の冒険令嬢"リューゼリア・ラウドプラウズさんだったのですか、あの方が!」
「……お、おそらく。調査戦隊に、オッドアイはあいつしかいませんでしたし」
「すごいです! そんな方と、そんな風にお知り合いなんですね、グンダリくん!」
瞳をキラキラさせてくる会長。かわいいよー。かわいいけど、反応に困るよー。
当たり前のように"杭打ち"をグンダリと呼んできているけど、杭打ちスタイルでそれは止めてくれと言う他ないから困る。あと、どーせ呼ぶなら親しみと愛情をたっぷり込めてソウマって呼んでほしいです、切に!
「あ、あの……僕の名前をご存知な理由は分かりましたから、すみませんけど今は杭打ちとだけお呼びいただけないかな、と……」
「あ……ご、ごめんなさい。そうですよね、あなたは名と姿を隠して活動してらっしゃいますものね。失礼しました」
「いえ……ご理解いただいて、ありがたいです……」
会話がぎこちないー。明らかに僕を意識してくれてる感じの会長さんと、どう反応すればいいのか分からない僕とでコミュニケーションがお互い難しい感じだよー。
暫しの沈黙。どうしたものか、少し考える。
たぶん、この様子だとシアン会長は僕の正体について、隠してくれと頼めばその通りにしてくれるだろうと思う。今の今までオーランドくん達にもバレてないのが証拠だし、何より僕は彼女にとって命の恩人らしいからね。
なんなら学校では普通にソウマくんって愛を込めて囁いてくれても全然構わないわけだし、となるとこれは、僕にとってものすごいチャンスなのではないかと思うんだ。
憧れの人にして一度目の初恋の人、シアン・フォン・エーデルライト様。
信じられないことだ。僕は今、彼女とお近づきになれる絶好極まる機会を得ているんだよー! ジワジワ沸き起こる好機の実感と期待、そして裏腹の不安と焦燥を感じ取り、一筋汗を垂らす。
こ、ここは慎重にことを運ぶんだ……シアン会長との縁を、これ限りで終わらせちゃいけない。繋ぐんだ、今後に、これからの学園生活に!
シアン会長は3年生、今年度で卒業なんだ。この機会を逃したらきっともう二度と、この人と僕がこんな風に顔を合わせる機会なんてない。だからこそ、これが最初で最後のお近づきチャンスなんだ!
紛れもなく一世一代の勝負どころだ。かつてこんなにも気合いを入れて誰かと向き合うなんてしたことがない。
怖い、嫌われるかもしれない。でも怖がってもいられない、好かれたい。
僕のそばにいてほしい、僕とお話ししてほしい。僕もそばにいたいから、僕ももっとお話したいから!
好きな人達に囲まれて、少しでも楽しい人生を、青春を生きていきたいから!
だから、僕は勇気を振り絞って話しかけた!
「あ、あの──」
「お嬢様ーっ! お嬢様、シアンお嬢様ーっ!!」
「────っ!?」
ああああまさかの横槍いいいい!?
何!? なんなの誰!? ちょっと今大事なところなんでそーゆーの止めてもらっていいですかーっ!?
信じたくないタイミングでの突然の横槍。いきなり遠くから聞こえてきた叫びに目を剥き、僕はそっちを振り向く。
猛烈な勢いで馬車がまっすぐこっちに走ってきて、御者らしい執事服の少女……男装かな? が、大きな声で会長の名を呼んでいる。
シアン会長が、手を振ってその声に応えた。
「サリア! 来てくれたのね、私の執事」
「お嬢様! あなたの第一の従者サリア・メルケルスがただいまお迎えに上がりました、シアンお嬢様っ!」
「…………」
すごいハイテンションで、男装した少女執事、サリアさんが僕らの前に馬車を停めた。豪華な造りの馬車に背の高い、毛並みのよく整った馬が2頭。見るからにいいお家のものだと分かる高級馬車だね。
そして会長の下まで降りてきて跪く彼女。金髪を後ろに結って、パッと見服装もあって中性的な美少年って感じだ。誤魔化せないくらいにはスタイルが豊かだから女性だって分かるけど。
「よく来てくれました。いつもありがとうね、サリア」
「もったいないお言葉! ところで……こちらの方は、察するところ冒険者"杭打ち"様とお見受けしました。ついにあの日のことをお伝えできたのですね、お嬢様」
「ええ。感謝を伝えるのに、5年もかけてしまいましたがようやく達成できました。やはりこの方は私の知る中で、一番素敵な冒険者ね」
「左様でございますか。お嬢様」
結果的に僕の邪魔をする形になった美少女執事さんは、会長の事情を知っているのか満足げに頷いている。
そしておもむろに立ち上がると僕の前にやってきて、優雅に一礼して礼儀正しい作法とともに、笑顔で言うのだった。