時空超越ストライカーズ!~A Football Tale in Great Britain~

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 試合終了が近くなった。遥香、ブラムと繋がったボールが、ゴールから十m強の位置でエドに渡る。
 3番と向かい合うエドは、細かくボールを動かしていた。すると、にゅっと視界の右下隅から足が伸びてきた。とっさにエドは、足の裏で引いて躱す。
「ようよう、エド君。俺様を差し置いて、ずいぶんと目立ってくれるじゃねえかよ。こりゃあちょっと、丁重かつきっちりとお返しをしなきゃいけないよな。ってわけで、そのボールは頂くぜぇ」
 エドの前に回り込んだマルセロが、たっぷりと抑揚を付けて嘯いた。
 無言のエドは、右、左と上半身だけでリズミカルにフェイントを掛ける。マルセロの右足が、ぴくりと動いた。
(ここだ!)
見切ったエドは、右足の爪先のやや外の場所でキックを放った。
 ボールは、マルセロの出した足の下を通った。3番はマルセロが目隠しとなって、反応ができない。
 そこそこスピードのあるシュートは、ゴールの右上の際どいところに飛んだ。キーパーは慌てて手を伸ばす。が、届かない。
 二対一。ホワイトフォードの、土壇場での勝ち越し点だった。
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 ポルトガル代表は、素早くボールをセンターに戻した。まもなく笛が吹かれて、マルセロがすぐさま快走を始めた。
 だが、ピッ、ピピー。程なくしてホイッスルが鳴り響き、試合終了。ホワイトフォードの決勝進出が決まった。
 中央での整列が終わり、両チームのメンバーはコートの端に来た。ベンチ側を向いての礼の後に、ホワイトフォードの選手は一列になってポルトガルの選手へと歩み寄っていく。一人一人と握手を交わすためだった。
 二番目に並ぶエドが、先頭のマルセロとぐっと握手をする。
「今回は、ポルトガル代表としては惜敗だ。ま、俺自身は、まっったく負けた気はしてないけどな。最後のエドのシュートは、まぐれみたいなもんだ。次は、決めさせねえよ」
 マルセロは、不機嫌そのものといった様子で言い切った。
 エドは、にかっとマルセロに笑い掛けた。
「またやろうぜ、マルセロ。そん時に、最後のゴールがまぐれじゃあないって、たーっぷり思い知らせてやるよ。せーぜー楽しみにしてな!」
「良くぞほざいた。次は、俺のマークが二枚だろうが三枚だろうがぶち抜いて、完膚なきまでに圧勝してやる」
 マルセロの力が弱まり、エドは次に並ぶ選手との握手の番を迎える。
 エドは、笑顔で手を差し出した。しかし、マルセロの後ろの3番は、当然のようにエドを無視した。エドの身体は瞬時に固まる。
 以降もエドは、握手を拒否され続けた。
「……貴様ら」と、憤怒の形相のマルセロの、爆発寸前の声が辺りに響く。
「良いよ、マルセロ。ナウラ族、ブラジル、ポルトガル、イギリスとホワイトフォード。どんな扱いを受けても、俺の、自分のルーツを誇りに思う気持ちはへこたれない。だから全然、へっちゃらだよ」
 エドが、諦めたようにも優しげにも聞こえる声音で呟いた。「エド」と、マルセロは神妙な調子で言葉を返す。
「今までほんとにありがとな、マルセロ。大人になったらお金を貯めて、またそっちに遊びに行くよ」
「──おう、待ってるぜ」と、沈んだ面持ちのマルセロは納得のいかない口振りで、ぼそりと呟いた。
第四章 Repatriation

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 翌日の新聞には、桐畑たちの試合の記事が、掲載された。それゆえか、一般生徒の歓待は一回戦の突破時よりも大きかった。教室でも廊下でも握手を要求された桐畑は、優勝への決意を強めた。
 準決勝の次の日の午後練は、イギリスで頻発する突発的な土砂降りだった。しかし、練習は通常通りに行われた。
 準備体操などが終わり、シュート練習に移った。キーパーの一人が体調不良で休んでおり、ダンが代わりに片方のゴールに入っていた。
 練習開始から五分が経ち、桐畑は、中央の二列の左側に並んでいた。静かに雨が降る芝生のコートには、ところどころに水溜まりが見られた。
 左からクロスを上げる選手が、助走を開始した。桐畑は全力で地面を踏み締めて、ニア(クロスが上がるサイドから近い位置)へと加速を始めた。
 クロスは、走る桐畑の足の間へと転がる。桐畑はとっさに後ろの左足を動かして、ショート・バウンドを捉えた。踵を用いたトリック・シュートだ。
 ボールはゴールの左上の隅へと向かうが、ダンは伸ばした両手でセーブした。
 ダンの前へとボールが転がる。さっと拾い上げた桐畑は、ブラムの後ろへと並び直した。
「今のコースを軽々シャット・アウトかよ。いいとこに飛んだと思ったんだがな。つくづくこの若校長は、侮れねえよな」
 感服する桐畑は本音を漏らした。
「ダン校長は学生時代、ハンドボールという球技の選手だったんだよ。知名度の低いスポーツだが、相当な腕前だったらしい。フットボールを学び始めた時期は、先生になってからだ。目下の俺たちにも礼儀を尽くすところといい、目標とすべき偉大な大人だ」
 真剣な目で前方を見たまま、ブラムはしみじみと語った。「ああ。校長がこの話をされた時、ケントもいたっけか」と、すぐに軽く付け足しがある。
 桐畑は、気持ちを目の前のシュート練習へと切り替えた。
「身体を被せて、シュートを低く抑えていけ」と、ダンの重厚な声が、灰色の支配するグラウンドに響き渡った。
       2

 その日の練習後のミーティングで、ダンは、決勝の相手となったウェブスター校から招待状が届いた旨を告げた。「我が校で行われる練習試合を、観に来られませんか」という内容だった。
 翌々日の放課後、桐畑たちは、キングス・クロス駅へと集合した。グレート・ノーザン鉄道の機関車を利用し、ピーターバラ所在のウェブスター校へと赴くためだった。
 石造りのキングス・クロス駅は、行き交う人々でごった返していた。頭上の円形の屋根には窓があり、プラットホームに心地よい光が降り注いでいた。
 機関車に乗り込んだ桐畑は、中を進む。床や壁は深い茶色で、腰の高さを縦に貫く手摺は黄土色だった。
 空きのコンパートメント(仕切られた座席)に入るべく、桐畑は、上半分が窓となったドアを開いた。コンパートメントは、木製の二人席が向かい合った造りだった。桐畑は、窓際の席に腰を掛けた。
 ほどなくして、ダン、エド、ブラムが入ってきて、桐畑のコンパートメントは席が埋まった。
「うわっ、きれーな景色! まさに、古き良きイギリスって感じだ! これこそ、機関車のダイゴミだよな!」
 桐畑の正面の座席に膝を突き外を見るエドは、元気が一杯で喚いた。窓の向こうの田園風景に、きらきらした眼差しを向けている。
「古き良きイギリスって、お前はそこまでイギリス史には詳しくないだろ? エドって、いちいち大袈裟だよな」
 エドの隣のブラムが、風景に静かな表情を向けながらやんわりと指摘した。
 するとエドは膝立ちを止めて、窓に向かっての正座の体勢になった。握った両手を膝の上に置き、考え込む風な面持ちだ。
「やっぱ俺って、子供っぽいかな。ブラムやアルマは一個しか変わらないのに、なーんか大人大人してるしなー。マルセロは、死ぬまでガキ大将だろうけどさ」
「いやいや、早合点するなよ。言葉の選択はともかく、身の回りのいろんな事柄に感動できるところは、紛れもないエドの長所なんだから。俺らはむしろ、見習わないといけないんだよ」
 悩ましげなエドの返答に、ブラムは熱を籠めた調子で即答した。
「おうっ、サンキュ! そやってサクッと人を褒められるところが、ブラムの長所だな!」
 快活に笑ったエドが、軽快な調子でブラムを褒めた。
「ああ。ありがとう」と、ブラムは不意を突かれた風に答えた。
(こいつらほんとに、仲が良いよな。エドを拒絶しやがったポルトガルのクソどもの後じゃあ、余計に染みるぜ)
 まだ笑顔のままのエドを見詰めながら、桐畑は微笑ましい思いだった。
 言葉が途切れた。何気なく外に目を遣る桐畑の耳に、機関車のシュコシュコという走行音が聞こえ始めてくる。
「ダン校長。ウェブスター校がどんな学校か、詳しくご存知ですか? 一昨日は、社会主義団体が設立した、とだけ仰っていましたが」
 ダンに身体を向けたブラムが、改まった口調で尋ねた。背筋は伸びており、表情は引き締まっている。
 桐畑の隣のダンは、落ち着いた目でブラムを見返しながら、静かに返答をする。
「ウェブスター校の母体は、革新(Fellowship)社会(of the)同士会(Progressive)。社会主義社会を理想と位置付ける団体だ。ウェブスター校はホワイトフォード以上に、スポーツに秀でた子供を集めてきている。ただ、良くない噂もある」
「ダン先生、それって、どうゆう噂?」
 訝しげな雰囲気で、エドが即座に問うた。
「流言飛語に過ぎない可能性もあるが、やはり、関係者である君たちには教えておこう。競技の種類に関わらず、ウェブスター校と対戦する選手は、試合の前に怪我をする割合が高い。それも練習中ではなく、路上で突然何者かに襲われた、などの事件性のあるものだ」
 ダンの語調はなおも冷静だが、言葉の端々に深い懸念が感じられた。
 驚いた桐畑は、ダンと同じ抑えた声で尋ねた。
「そりゃあ聞き捨てならねえな。確実に勝つために、敵の選手をあらかじめ潰しておく、ってわけですか?」
「色眼鏡を外して考えても、その可能性は否定できないな。英国民が熱狂するスポーツを通じて、どんな手段を用いてでも、社会主義の優位性を詳らかにする。そういう発想を抱く輩も、中には存在する」
 ダンが言葉を切り、再び機関車の走る音が耳に届き始めた。
(朝波じゃねえから詳しくは知らんが、社会主義も、人を幸せにするためのシステムなんだろ。怪我で人を不幸にしてどうすんだっつの。本末転倒、甚だしいだろうがよ)
 確証のある事実でないにも拘わらず、桐畑の胸には怒りが生じ始めていた。
       3

 ピーターバラ駅で降りた桐畑たちは、歩いてウェブスター校へと向かった。
 校名が記された瀟洒な看板を通り越して、十人分ほどの幅の道を行く。左右には、よく手入れのされた芝生と、赤く染まった広葉樹が見られる。
 桐畑は先頭のダンに続いて、道に繋がった数段の石の階段を上った。すると、ウェブスター校の校舎が目に飛び込んできた。
 白を基調とした石製の校舎は、さながら荘厳な城だった。一階部分は柱と柱の間がアーチとなっていて、下を通過できる様子だ。二階から上には、ずらりと大きな窓が並んでいる。
 三階建ての上に急角度な薄黄緑の屋根がある構造だが、階段の真正面だけは違った。三階の上にも、他より大きな窓がある。さらに上部には、槍の穂先のような屋根の間に、盤が黒で、針が金色の時計が見られた。
(こりゃあまた、すっごい雰囲気がある城だな。おとぎ話の城よりは屈強な感じで、俺はこっちのほうが好みだぜ。何日か、住みたい気すらするよな)
 桐畑は、校舎を見上げたまま圧倒されていた。
 すると、「遠路はるばるお越しいただき、ありがとうございます」と流麗な、やや高い声が聞こえた。
 桐畑は、水平に視線を戻した。すると二歩ほど前方で、後ろ手を組んだ男子生徒が、「礼節を弁えた笑顔」の手本のような表情を浮かべていた。
 男子生徒はやや面長で白人で、桐畑と同い年ぐらいに思えた。鮮やかな金と茶の中間色の髪を、オール・バックにしている。
 目鼻立ちはきりっとしており、背も低くはない。西洋人の美形と聞くと、多くの人がイメージする風貌だ。
 だが桐畑には、男子生徒は、どことなく冷たげな印象だった。
 服装は、白地のところどころに黒の線が入った、フットボールの練習着だった。服から伸びる手足は、スポーツ選手としては普通の太さである。
「ウェブスター校のフットボール・クラブでキャプテンを務めています、ヴィクター・カノーヴィルです。お見知り置きを」
 ヴィクターはくっと、ダンと片手で握手をした。またしても、型に嵌ったような所作だった。
「では、グラウンドにお連れします。従いて来ていただけますか」
 ヴィクターはすっと校舎へと向き直り、ゆったりと歩を進め始めた。ホワイトフォードの面々は、ヴィクターに続いて歩き始める。
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 ヴィクターと桐畑たちは芝生を貫く道を歩み続けた。ウェブスター校の雰囲気は、校舎以外は、ホワイトフォード校と近かった。
 初対面時からずっとヴィクターは、隣のダンと会話を続けていた。
「『イギリスは、女王の時代にだけ繁栄する』とする人もいますが、迷信に過ぎません。時代や指導者の性別に関係なく、イギリスは本質的に世界の中心であり得るだけの地力を持っている。これが、自分の揺るぎない信念です」
 前方に目を遣りながら、ヴィクターは主張をした。口振りには、目上への慎みと確かな自信の両方が感じられた。
 少し考えたダンは、「君がそう考える理由を、聞かせてもらえるか」と、静かに返事をした。
「産業革命を切り開くほどの、科学的思考法の発達した国だからです。これについても異論が出がちですが……」
 ヴィクターの話は続くが、桐畑は注意を切って周囲を見回した。放課後の道には、制服姿で話し込む男子生徒があちこちに見られる。
(なんとなくどの生徒も、雰囲気が似てる気がするよな。落ち着いた感じじゃああるんだけどよ。よく知らねえが、社会主義の学校だからなのか?)
 桐畑は何気なく考えながら、ヴィクターに従いていき続けた。
 五分後に一行は、広々とした芝生のグラウンドに辿り着いた。
 グラウンドは、疎らに生える木々と草地に囲まれていた。コート内では、二つのチームが試合前のウォーミング・アップをしている。
 コートから道を一つ挟んだ場所には、三角屋根の白色の建物が、ずらりと並んでいた。全体的に、ホワイトフォードより真新しい印象だった。
「では、ここで失礼します。試合の開始まで、もう少々お待ちください」
 滑らかに告げたヴィクターは、きっちりと一礼をした。顔を上げてから少し間を置き、ウェブスター校が占めている半面へと駆けていく。
「あの人、喋ってる感じは、どうも慇懃無礼だよね。本心はわからないから、口には出さないけどさ。計り知れないところがあるというか、ね」
 いつの間にか隣に来ていた遥香が、ぽつりと呟いた。顔付きは冷静だが、不審げにも取れる話し方だった。
 判断しかねる桐畑は、黙ってウォーミング・アップを見続けた。
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 ウェブスター校の対戦相手は、世界最古のフットボール・クラブである強豪、シェフィールドFCのBチーム(二軍)だった。
 両チームのメンバーがポジションに着いた。シェフィールドBは2―3―5、ウェブスターは1―3―6だった。
 ヴィクターは、ハーフバックの真ん中に入っていた。よく通る澄んだ声で、あちこちに指示を出している。
 シェフィールドBのボールで、練習試合が始まった。ボールを受けた2番の溜めの間に、フォワードの選手が前線へと走る。
 大きな助走を取った2番は、走り込む勢いをそのままにキックを放つ。
 高弾道のロング・ボールが、ウェブスター陣地の深くへと飛んでいった。キック&ラッシュの見本のようなプレーだ。
 シェフィールドBの9番は、落下点へと着いた。高く上がったボールが、徐々に落ちてくる。
 しかし、ウェブスターのディフェンスが寄っていった。9番を肩で押し、9番はまともな跳躍さえできない。ボールは、シェフィールドBのコートまで跳ね返された。
「ギディオン! ナイス・クリア!」
 ウェブスターのベンチから、威勢の良い声が飛んだ。桐畑は、ウェブスターの唯一のディフェンスの選手、ギディオンを注視し始める。
 顔は卵型で、彫りは深い。整った面相の男前ではある。しかし視線は鋭く、厳つさが先に立つ印象だった。
 岩石のような身体は、見るからに頑強だった。背丈も一m九十近く、立ち居振る舞いには揺るぎない存在感があった。
(マルセロに続いて、とんでもない奴が出てきたな。体格の半端なさからして、間違いなく最高学年の生徒だろ。二、三歳の年齢差があるうちのフォワード陣で、対抗できんのか? まあ、やるっきゃないんだけどよ)
 桐畑は、深刻に考えながら観戦を続ける。
 ウェブスターのフットボールは、精密機械のようだった。核であるヴィクターがボールを持つと、選手たちは徹底的に連動して動いた。
 パスはグラウンダー(転がすボール)が中心で、フットボール黎明期のチームとは思えないほど、洗練されていた。
 ヴィクターは球離れが早く、派手さのないシンプルなプレーをしていた。しかしどこまでも的確で、頭脳の明晰さがひしひしと伝わってきた。
 後半の、三十分以上が経過した。スコアは、二対〇。ヴィクターの正確無比なスルー・パス二本で、ウェブスターが得点していた。
 シェフィールドBのフル・バックから、最前線の7番へとパスが出た。前を向いた7番は周囲を確認し、逆サイドの5番に蹴る素振りを見せた。
 その瞬間にギディオンは、「上げろ!」と吠えるように叫んだ。声に従って、ウェブスターの左ハーフバックがすっと前に出る。
 7番のキックと同時に、ホイッスルが鳴らされた。オフサイドの反則だった。
「守備を一人にして、簡単にオフサイドに掛けられるようにしてるんだ。それにしても、本当に巧みに味方を動かすよね。なかなか真似はできないよ」
 隣の遥香が、考え込むような声音で呟いた。
 桐畑はコート内に顔を向けたまま、静かに返事をする。
「パワー、スピードはマルセロ並で、頭もキレッキレと来た。あいつの攻略には、相当骨が折れんぞ。超一流のプロを相手にしてると思って、工夫に工夫を重ねてかねえとな」
 程なくして、試合終了を告げる笛が鳴った。二対〇。十代だけのチームが、二軍とはいえプロに完勝する結果だった。
       6

 試合後の挨拶が済んだ。両チームの面々が、荷物とともにベンチから引き上げ始める。
 負けたシェフィールドBには、沈んだ面持ちの者が多かった。一方のウェブスターは勝ったにも拘わらず、一様にあっさりとした雰囲気だった。
 ユニフォームと同色のベンチ・コートを身に着けたヴィクターが、確かな足取りでダンに歩み寄ってくる。
「ご観戦、お疲れ様でした。相手は紛れもない強敵でしたが、幸運にも勝ち試合をお見せできて安堵しています」
 ヴィクターはなおも、どこかから借りてきたような振る舞いだった。
 ダンは、微妙によそよそしい口振りで話し始める。
「今日は、どうもありがとう。決勝では、互いにベストを尽くして、英国のフットボール史に残る好ゲームにしよう」
 二人はほぼ同時に手を出し、握手をした。数秒の後に、すっと手が離れる。
「校門前に移動して、ミーティングだ。ここで行うと、両チームの撤収の妨げとなる」
 ぴしりと告げるや否や、ダンは歩き始めた。桐畑たちも、遅れないように後に続く。
 草地に生える木々の間を抜けると、モノクロの石を四角形に舗装した道に出た。右手には、城風の建築物が立ち並んでいる。
 道の左は、背丈ほどの高さの柵に囲まれた芝生のコートだった。中では、ハンドボールの練習が行われている。
 一つのゴールを用いた、攻撃対守備の練習だった。攻撃側はゴールから離れた場所で、ゆったりと左右にボールを回す。守備側のプレッシャーも、まだ緩かった。
 攻撃側の中央の選手に、ボールが渡った。すると一人の選手が、ゴールの近くへと移った。すぐさま、縦へのボールが出される。
 攻撃側の選手は連動して、細かく速く動き始めた。ぱんぱんと小気味よく、短いパスが回る。
(……これだ。あのカンスト超人のギディオンを潰すには、これしかねえよ)
「ケント、どーしたんだ?」エドの、呑気な声が耳に届いて、桐畑は前を向いた。ホワイトフォードの一行の最後尾は、二十mほど前方だった。
「遅れて悪い。すぐ追い付く」
 軽く答えた桐畑は、小走りで走り寄っていく。
       7

 校門でのダンの話は、決勝は厳しい試合になるが懸命に戦って勝利を収めよう、という内容だった。口振りは普段と同様の、平静なものだった。
 ウェブスター校を後にした桐畑たちは、ピーダーバラ駅へと向かった。帰りの経路は、行きと同じだった。
 機関車がキングス・クロス駅に着いた。駅には多くの人がおり、自由には進めないほど混雑している。
 桐畑は、決勝戦に思いを巡らせていた。すぐ前にはブラムが、二つ前には遥香がいた。
 遥香の右方から、燕尾服姿の中年の大男が雑踏を掻き分けて歩いてきた。急いでいるのか、足取りは速かった。
 男が、遥香の右斜め前まで到達した。次の瞬間、男は高く足を上げた。勢いを付けて、前へと踏み込む。
 遥香がとっさに右足を引き、男の足は空振りに終わった。わずかに遥香たちに視線をくれた男は、早足で歩き去っていく。
「アルマ! 踏まれなかったか?」
 切羽詰まった調子で、ブラムが尋ねた。
 遥香は「大丈夫。心配してくれてありがとう」と、繊細な声音で返事をした。
(さっきの奴の歩き方は、どっからどう見ても変だ。踏まれてたら、怪我をしてた可能性は高いわな。
 決勝戦の相手校に行った帰りに、選手が怪我をしそうになる、か。偶然で片付けられなくもないけど、まー不自然だよなぁ)
 ブラムが遥香に心配そうな声を掛け続ける中、桐畑は考えに沈んでいた。