「あの狸って、結局何だったの?」
「そこからか。それは簡単だ。トンネルの中でもちょっと説明したが、あの狸は餓死した動物霊達の集合体の根、大元になった霊だな。あの狸の『腹が減った』っていう思いに、同じ思いを抱えて死んだ他の動物達が共鳴し、くっついてああなった。その辺でたまに見る霊だな。飢餓の余り、トンネルを繋げて人間を迷わせ、体力を奪って食うつもりだったか、食べ物を奪うつもりだったんだろう」
「え、こわ」
「というか、涼佑。お前、あの狸におにぎりあげたんじゃないのか?」
その一言で涼佑の中で漸くあの時起こったことの大半が繋がった。あのよく分からない空間で狸におにぎりをあげたから、無くなっていたのかと思い至る。しかし、そこで新たな疑問が浮かんだ。
「じゃあ、なんで青谷はあの時、おにぎりなんか持たせてくれたんだろう?」
「恐らく、知ってたんだろう。私に憑かれた人間は、霊を呼びやすくする体質になるからな。それで、あの狸を刺激した」
「へぇー、そうなん……いや、待てよ! なんでだよ!? なんで巫女さんが憑くと、霊が寄って来んの!? 普通、逆じゃないの!?」
「逆なもんか。そっちの方が私にとって都合が良いからそうなる」
「都合が良い?」
そこからの話は何やかんやと誤魔化された涼佑だったが、それ以外のことについてならば、巫女さんは質問に答えてくれるようだ。彼女の態度から何か隠していると確信した涼佑だが、まだ憑いてもらったばかりだから話したくないこともあるんだろう、と彼女の意思を尊重し、そのことに関しては一時口を閉じることにした。
「で、お前が最大級に訊きたいことはあれだろ? 私と入れ替わるイメージをした直後辺り」
「うん。そこからよく分からないんだけど、オレはあの時、どうなってたの?」
そこからの巫女さんのした話はこうだ。通常、彼女と入れ替わるイメージをすれば、涼佑と巫女さんの魂が入れ替わり、彼の魂は繋がったトンネルから弾き飛ばされて、彼女の戦いが終わるまで意識が無く、漂っているというのが普通らしい。しかし、今回は全く違っていたのだそうだ。
「今まで私が憑いた人間の魂は、悪霊や妖怪が生み出す領域『妖域』から弾かれて、安全圏で眠っているのが普通だった。だが、お前の魂は違う。私と入れ替わった直後、お前の魂はあの狸の中に吸い込まれるようにして入ったんだ」
「……えっーと、つまり?」
「入った後のことは私は知らんが、お前、あの狸の中でおにぎりやったか?」
「中、っていうのが正直、よく分かんないけど、オレ、気が付いたら変な空間に居てさ。周りは凄くカラフルな空間で、目の前に動物の巣穴っぽいのがあって、そこに――」
「待て待て待て。巣穴? 空間? 何の話をしてる?」
「えぇ……。何の話って、オレが見たものそのままの話だけど?」
これ以上無いくらい涼佑は素直に見たままのことを話しているのだが、巫女さんには何のことか全く分からないようで、額に拳を当てて眉間に皺を寄せている。彼女のこの反応を見る限り、涼佑は自身で前代未聞の領域に達した人間なのだろうかと何となく考える。彼にも詳しいことは分からないが、彼女の反応からしてあまり嬉しい現象でないというのは薄々予感している。
「何なんだ、それは」
「何なんだろうな」
「……今までだったら、宿主の魂が避難している間に私が霊の核を破壊して消滅させた後、身体を宿主に返すんだが……」
「核って?」
「霊は生身じゃない分、非常に不安定なものなんだ。存在が不確かだから何かに惹かれ易く、くっつきやすい。生者・死者に関係無く、他存在の強い思いに同調して混ざり、別のものになる。それが悪いものなら、悪霊や妖怪。良いものなら神霊や神の使いに近いものになる。その霊がくっつくことになった大元の思いが核だ」
「強い思いって、さっきの狸みたいに何か未練を残してたりってこと?」
「それは霊が霊たる理由でしかない。動物の場合は同じ未練を持っているもの同士がくっつきやすいってだけだ。ま、それだけでもさっきの狸みたいにちょっと厄介なものになったりするが、人間はあの比じゃないぞ」
『人間』と聞いて、涼佑はここ最近の出来事を思い浮かべた。あの日、生徒の前で涙した先生、亡くなった望のことで談笑するクラスメイト。そして、亡くなる前の望のこと。人間は動物の比ではないと聞くと、そんな嫌な光景ばかりが思い浮かぶ。
「それは……最近オレに…………オレに付き纏ってる、『あいつ』も?」
「身をもって経験しただろう。そっちも早くケリをつけなきゃならんが、今はお前の体験談の解明が先だ。で、あの中で変な空間に行って?」
「あ、そうだ。それで、巣穴のところに狸の絵が描いてあったんだよ。歩いてる絵とお腹空かした絵。それから……死んじゃった絵」
少しだけ気まずい沈黙が下りたが、巫女さんは無言で顎をしゃくって先を促す。涼佑は自分の考えも交えて話すことにした。
「その絵があった空間は真っ黒だったけど、そこを通ったら、真っ白な空間にたくさん動物がいたんだ。その中で弱った狸におにぎりをあげたら、光に包まれて――目が覚めたら、あのトンネルにいた。オレ、思うんだけど、あの空間はあの狸がいつも見ていた景色なんじゃないかな……って」
彼が話し終わると、巫女さんは「ふむ……」と呟いたきり、考え事を始めてしまった。
それから数分間待っていた涼佑だったが、巫女さんは一向に何も言わない。頼むから、放って置かないで欲しいと切実に彼は思った。時間が経つにつれて涼佑を言いようのない羞恥心が襲う。何言ってんだよオレ、と頭を抱え始めたところで漸く巫女さんはぽつりと呟いた。
「当たらずも遠からず、というところか」
「んえ?」
「恐らく、お前が見た……いや、近付いたのは霊の核だろう」
「核? あの空間が?」
「動物だから作りが単純なのかは分からんが、涼佑が私より先に狸の核に触れて、思いを満たしたから妖域が解けたのだとすれば、根拠は無くとも納得はいく上に、説明がつく。そうじゃなければ、核も見ない内に霊が消滅……しかも成仏する筈が無い」
「え? あの狸、成仏できたの? ……良かった」
「共感能力が高いのか、感受性が豊かなのか。私もその手の専門家じゃないから分からないが。涼佑、お前は恐ろしい才能を持ってる。霊を成仏させるなんて、並の人間ができることじゃないぞ」
「え? そ、そうかな? へへ」
巫女さんに褒められたことと狸が無事成仏できたことに涼佑が嬉しくなったところで、彼女は容赦なく言い放った。
「但し、生きてるうちは全然嬉しくない能力だがな。私が憑いてる限り、碌な目に遭わん」
「上げて落とすの、やめない?」
ちょっとぐらい少年漫画の主人公気分を味あわせてくれたって良いと思う、と彼は肩を落とした。
ここまで出てきた情報をノートにまとめている最中、涼佑はふと、友香里が言っていたことを思い出し、それも訊いてみることにした。
「そういや、巫女さん。オレと一緒にいた高野は狸のこととか何にも覚えてないみたいだったけど?」
「ああ。妖域は招く側、つまり霊や妖怪が自分の思いや欲望に合致する人間や生き物しか招かないからだな。妖域を作り出す程、強い思いに囚われた霊は、根源となる思いで行動や引き込むもの全てが決まる。じゃなかったら、今頃、現世は行方不明者続出の世紀末だろうよ。今回、あの狸は私の存在に刺激されて出てきたから、お前だけを招いたんだろう」
「招かれなかった者に記憶が定着しないのは、当たり前だな。そもそも何が起こったのかすら、認識できない」と続ける巫女さんに「なるほど」と頷きつつ、それもノートに書き込んだ。ここまで来ると、涼佑はもう宿題なんてやってる場合じゃなかった。今の話もまとめていると、またある疑問が出てくる。
「待ってよ。その話が正しいとしたら、オレが招かれなかった時は? オレ以外の人じゃ、対抗する術が無くないか?」
そこで「待ってました」とでも言うように、巫女さんはニヤリと悪い笑みを浮かべて絶望を口にした。
「安心しろ、涼佑。私とその宿主は妖域を『こじ開ける』ことができる。私が都市伝説であるが故にな」
聞きたくなかった特典を聞かされて、涼佑はノートに書き込む手を止め、今度こそ頭を抱えた。一気に視野が狭くなったような気がする。せめてもの抵抗に発した一言すら、彼女にぴしゃりと叩き落された。
「聞かなかったことにしてい――」
「ダメだ」
なんで何も罪を犯していないのに、そんな目に遭わなきゃいけないのか。できれば、今後そんなことをしなくて済みますようにと、涼佑は切に願った。今、異様にもち子のほっぺを揉みたいという感情に苛まれる。
涼佑が死んだ目つきで隣の浅田家で飼われている柴犬のもち子を恋しく思っていると、「お兄ちゃん、うるさい」と隣室から突撃してきたみきに注意された。
「そこからか。それは簡単だ。トンネルの中でもちょっと説明したが、あの狸は餓死した動物霊達の集合体の根、大元になった霊だな。あの狸の『腹が減った』っていう思いに、同じ思いを抱えて死んだ他の動物達が共鳴し、くっついてああなった。その辺でたまに見る霊だな。飢餓の余り、トンネルを繋げて人間を迷わせ、体力を奪って食うつもりだったか、食べ物を奪うつもりだったんだろう」
「え、こわ」
「というか、涼佑。お前、あの狸におにぎりあげたんじゃないのか?」
その一言で涼佑の中で漸くあの時起こったことの大半が繋がった。あのよく分からない空間で狸におにぎりをあげたから、無くなっていたのかと思い至る。しかし、そこで新たな疑問が浮かんだ。
「じゃあ、なんで青谷はあの時、おにぎりなんか持たせてくれたんだろう?」
「恐らく、知ってたんだろう。私に憑かれた人間は、霊を呼びやすくする体質になるからな。それで、あの狸を刺激した」
「へぇー、そうなん……いや、待てよ! なんでだよ!? なんで巫女さんが憑くと、霊が寄って来んの!? 普通、逆じゃないの!?」
「逆なもんか。そっちの方が私にとって都合が良いからそうなる」
「都合が良い?」
そこからの話は何やかんやと誤魔化された涼佑だったが、それ以外のことについてならば、巫女さんは質問に答えてくれるようだ。彼女の態度から何か隠していると確信した涼佑だが、まだ憑いてもらったばかりだから話したくないこともあるんだろう、と彼女の意思を尊重し、そのことに関しては一時口を閉じることにした。
「で、お前が最大級に訊きたいことはあれだろ? 私と入れ替わるイメージをした直後辺り」
「うん。そこからよく分からないんだけど、オレはあの時、どうなってたの?」
そこからの巫女さんのした話はこうだ。通常、彼女と入れ替わるイメージをすれば、涼佑と巫女さんの魂が入れ替わり、彼の魂は繋がったトンネルから弾き飛ばされて、彼女の戦いが終わるまで意識が無く、漂っているというのが普通らしい。しかし、今回は全く違っていたのだそうだ。
「今まで私が憑いた人間の魂は、悪霊や妖怪が生み出す領域『妖域』から弾かれて、安全圏で眠っているのが普通だった。だが、お前の魂は違う。私と入れ替わった直後、お前の魂はあの狸の中に吸い込まれるようにして入ったんだ」
「……えっーと、つまり?」
「入った後のことは私は知らんが、お前、あの狸の中でおにぎりやったか?」
「中、っていうのが正直、よく分かんないけど、オレ、気が付いたら変な空間に居てさ。周りは凄くカラフルな空間で、目の前に動物の巣穴っぽいのがあって、そこに――」
「待て待て待て。巣穴? 空間? 何の話をしてる?」
「えぇ……。何の話って、オレが見たものそのままの話だけど?」
これ以上無いくらい涼佑は素直に見たままのことを話しているのだが、巫女さんには何のことか全く分からないようで、額に拳を当てて眉間に皺を寄せている。彼女のこの反応を見る限り、涼佑は自身で前代未聞の領域に達した人間なのだろうかと何となく考える。彼にも詳しいことは分からないが、彼女の反応からしてあまり嬉しい現象でないというのは薄々予感している。
「何なんだ、それは」
「何なんだろうな」
「……今までだったら、宿主の魂が避難している間に私が霊の核を破壊して消滅させた後、身体を宿主に返すんだが……」
「核って?」
「霊は生身じゃない分、非常に不安定なものなんだ。存在が不確かだから何かに惹かれ易く、くっつきやすい。生者・死者に関係無く、他存在の強い思いに同調して混ざり、別のものになる。それが悪いものなら、悪霊や妖怪。良いものなら神霊や神の使いに近いものになる。その霊がくっつくことになった大元の思いが核だ」
「強い思いって、さっきの狸みたいに何か未練を残してたりってこと?」
「それは霊が霊たる理由でしかない。動物の場合は同じ未練を持っているもの同士がくっつきやすいってだけだ。ま、それだけでもさっきの狸みたいにちょっと厄介なものになったりするが、人間はあの比じゃないぞ」
『人間』と聞いて、涼佑はここ最近の出来事を思い浮かべた。あの日、生徒の前で涙した先生、亡くなった望のことで談笑するクラスメイト。そして、亡くなる前の望のこと。人間は動物の比ではないと聞くと、そんな嫌な光景ばかりが思い浮かぶ。
「それは……最近オレに…………オレに付き纏ってる、『あいつ』も?」
「身をもって経験しただろう。そっちも早くケリをつけなきゃならんが、今はお前の体験談の解明が先だ。で、あの中で変な空間に行って?」
「あ、そうだ。それで、巣穴のところに狸の絵が描いてあったんだよ。歩いてる絵とお腹空かした絵。それから……死んじゃった絵」
少しだけ気まずい沈黙が下りたが、巫女さんは無言で顎をしゃくって先を促す。涼佑は自分の考えも交えて話すことにした。
「その絵があった空間は真っ黒だったけど、そこを通ったら、真っ白な空間にたくさん動物がいたんだ。その中で弱った狸におにぎりをあげたら、光に包まれて――目が覚めたら、あのトンネルにいた。オレ、思うんだけど、あの空間はあの狸がいつも見ていた景色なんじゃないかな……って」
彼が話し終わると、巫女さんは「ふむ……」と呟いたきり、考え事を始めてしまった。
それから数分間待っていた涼佑だったが、巫女さんは一向に何も言わない。頼むから、放って置かないで欲しいと切実に彼は思った。時間が経つにつれて涼佑を言いようのない羞恥心が襲う。何言ってんだよオレ、と頭を抱え始めたところで漸く巫女さんはぽつりと呟いた。
「当たらずも遠からず、というところか」
「んえ?」
「恐らく、お前が見た……いや、近付いたのは霊の核だろう」
「核? あの空間が?」
「動物だから作りが単純なのかは分からんが、涼佑が私より先に狸の核に触れて、思いを満たしたから妖域が解けたのだとすれば、根拠は無くとも納得はいく上に、説明がつく。そうじゃなければ、核も見ない内に霊が消滅……しかも成仏する筈が無い」
「え? あの狸、成仏できたの? ……良かった」
「共感能力が高いのか、感受性が豊かなのか。私もその手の専門家じゃないから分からないが。涼佑、お前は恐ろしい才能を持ってる。霊を成仏させるなんて、並の人間ができることじゃないぞ」
「え? そ、そうかな? へへ」
巫女さんに褒められたことと狸が無事成仏できたことに涼佑が嬉しくなったところで、彼女は容赦なく言い放った。
「但し、生きてるうちは全然嬉しくない能力だがな。私が憑いてる限り、碌な目に遭わん」
「上げて落とすの、やめない?」
ちょっとぐらい少年漫画の主人公気分を味あわせてくれたって良いと思う、と彼は肩を落とした。
ここまで出てきた情報をノートにまとめている最中、涼佑はふと、友香里が言っていたことを思い出し、それも訊いてみることにした。
「そういや、巫女さん。オレと一緒にいた高野は狸のこととか何にも覚えてないみたいだったけど?」
「ああ。妖域は招く側、つまり霊や妖怪が自分の思いや欲望に合致する人間や生き物しか招かないからだな。妖域を作り出す程、強い思いに囚われた霊は、根源となる思いで行動や引き込むもの全てが決まる。じゃなかったら、今頃、現世は行方不明者続出の世紀末だろうよ。今回、あの狸は私の存在に刺激されて出てきたから、お前だけを招いたんだろう」
「招かれなかった者に記憶が定着しないのは、当たり前だな。そもそも何が起こったのかすら、認識できない」と続ける巫女さんに「なるほど」と頷きつつ、それもノートに書き込んだ。ここまで来ると、涼佑はもう宿題なんてやってる場合じゃなかった。今の話もまとめていると、またある疑問が出てくる。
「待ってよ。その話が正しいとしたら、オレが招かれなかった時は? オレ以外の人じゃ、対抗する術が無くないか?」
そこで「待ってました」とでも言うように、巫女さんはニヤリと悪い笑みを浮かべて絶望を口にした。
「安心しろ、涼佑。私とその宿主は妖域を『こじ開ける』ことができる。私が都市伝説であるが故にな」
聞きたくなかった特典を聞かされて、涼佑はノートに書き込む手を止め、今度こそ頭を抱えた。一気に視野が狭くなったような気がする。せめてもの抵抗に発した一言すら、彼女にぴしゃりと叩き落された。
「聞かなかったことにしてい――」
「ダメだ」
なんで何も罪を犯していないのに、そんな目に遭わなきゃいけないのか。できれば、今後そんなことをしなくて済みますようにと、涼佑は切に願った。今、異様にもち子のほっぺを揉みたいという感情に苛まれる。
涼佑が死んだ目つきで隣の浅田家で飼われている柴犬のもち子を恋しく思っていると、「お兄ちゃん、うるさい」と隣室から突撃してきたみきに注意された。