F級テイマーは数の暴力で世界を裏から支配する

「は~満足満足」

 俺、遠藤和也は漫画が大量に入ったカバンを手に持ちながら、満足そうな笑みを浮かべた。
 毎月貰えるお小遣いを、大学受験があって結構貯めておいたお陰で、こんなに沢山買えちゃったよ。
 いや~一気に沢山買うって気分がいいものだな。まあ、散財は駄目だから、自重はしないと。
 そんなことを思いながら、俺はバス停へ軽やかな足取りで向かう。

「ああ、赤か」

 ちょうど目の前で信号が赤になってしまい、俺はその場で立ち止まった。こうなると結構待たなきゃいけないから嫌なんだよな~。
 まあ、どうせバス停で待つから結局変わらないけど。
 俺は行き交う車をぼんやりと眺めながら信号が青になるのを待つ。
 すると――

 キイイイイイイイ!!!

 突然右から擦るような音が聞こえてきて、俺は咄嗟に視線を横に向けた。
 すると、そこには歩道へ突っ込む1台の車があった。運転手らしき老人が、運転席であたふたしている様子がチラリと見える。

「おいおいマジかよ……て、何でこっちに来るんだよ!」

 急にハンドルを切ったのか、突然車が進行方向を変えて、信号待ちをする俺の方へ猛スピードで迫って来た。
 俺は悪態をつきながらも、急いで避ける。
 だが――

「ぐっ」

 慌てていたこともあってか、足がもつれて転んでしまった。
 そこに容赦なく車が突っ込んできて――

「あ……」

 俺の意識は闇の中へと沈んでいった。

 ◇ ◇ ◇

 ……ん?
 あれ? 俺は車に引かれて死んだのでは……?
 何故意識がある?
 暗い闇の中で、俺は考えを巡らせる。
 直後、周りが明るくなった。

「お、おぎゃあああ! おぎゃあああ!」

 ん? 赤ちゃんの泣き声!? 
 待て、これ俺が出してる声だよな? 何でこんな声しか出ないんだ!?
 自分の意思とは関係なく、赤子のように声を上げて泣いていることには羞恥心よりも驚愕の方が勝る。
 すると、俺の顔を覗き込む人影が2つ。だが、ぼやけていて良く見えない。

「おお! 男の子ではないか! これはめでたい。一家の後継ぎはこの子で決まりだな!」

 片方が、喜びに満ちた大きな声で叫ぶ。
 ん? 男の子? 後継ぎ?
 いきなり出て来たワードに困惑していると、もう1人が口を開く。

「ええ、そうね。フィーレル家の長男として、大切に育てましょ」

 柔らかな声と共に、さわさわと背中を優しく擦られるような感覚がした。
 ああ、でも今の言葉で何となく察してしまった。
 信じられないことかもしれないが、どうやら俺は転生してしまったようだ。
 ここが異世界なのか、はたまた地球のどこかなのかは分からないが、高貴な身分のとこに転生したということだけは分かる。

「おぎゃあああ! おぎゃああああ!(くっそー周り見えないのが悔やまれる)」

 周りを見て状況を把握したいのに、体は動かないわ視界はぼやけているわで全然できない。あと、どうやら今は泣くことしか出来ないようで、普通に言葉を紡ぐことも出来ない。
 何か泣き続けていたせいで、疲れて来たな……
 あ、何か眠くなってきたわ。
 そして、俺はそのまま意識を手放した。

 ◇ ◇ ◇

 あれから数日経ち、視界がはっきりするようになった俺はようやくここがどこなのか理解する。
 ここは――

(とんでもないぐらい豪華なお屋敷だ……)

 いや、だってこれ凄いよ。
 今俺が寝かされているベビーベッドだって、何か色々と豪華そうな装飾品がつけられていて、これだけで何十万してもおかしくない。
 頑張って寝返りを打つことで見られる室内は市民ホールぐらいの広さで、そこに豪華そうな家具やら美術品やらが置かれていた。そして、大きな窓の外にはテラスと澄んだ青空が見える。

(てか、こんなとこ地球にあるのかな……?)

 雰囲気からして、何となく中世ヨーロッパの屋敷を想起させるような場所だ。こんなところに住んでいる人が、はたして地球にいるのだろうか……?
 なんか異世界であることが現実味を帯びてきたな。でも、まだ確定じゃないんだよなぁ……
 もうちょっと情報を集めねば。
 そんなことを思っていると、ガチャリと扉が開き、そこから1人のいかにも貴族っぽい服装をしたダンディーな男性が、数人の供を引きつれて入って来た。そして、その男性に向かって俺の子守をしていたメイドが頭を下げる。
 さて、この男は誰なのだろうか……?と思っていると、その男性は俺が寝るベビーベッドに歩み寄り、俺を抱きかかえた。

「うむ。賢そうな子だなぁ。将来が楽しみだ」

 そう言って、男性はにこやかな笑みを浮かべる。
 あ、てかこの声って俺が転生した時、最初に聞いた声と同じだな。
 てことは、この男性――銀髪蒼目のイケメンが俺の父親ってことになるな。
 すると、この男性は上機嫌のまま口を開く。

「先ほどお前の名前が決まってな。お前の名前はシンだ。シン・フォン・フィーレルだ。フィーレル侯爵家の長男として、健やかに成長してくれよ」

 そう言って、男性は俺をベビーベッドに戻した。
 ……あ、俺の名前シンなんだ。
 ふーん……なんかかっこいいじゃん。気に入ったわ。
 にしても、侯爵って貴族だよな? 貴族制度なんて今の地球にはない……よね?
 そうしてここが異世界であることが俺の中でほぼ確定事項になっていると、男性はくるりと背を向け、去り際に「確か今日は魔法師団の視察に行くんだったな」と言った。
 うん。お陰で分かった。

「おぎゃああああああ!!!(異世界じゃねーか!!! しかも魔法があるうう!!!)」

 異世界。それも魔法が存在する世界に転生したことに、俺は喜びの声(泣き声)を上げるのであった。
 月日が流れるのは早いもので、転生してからもう5年の歳月が経過していた。
 5歳になった日の早朝、俺は4歳の時に与えられた無駄に広い個室のベッドでゴロゴロしていた。
 4歳で個室は早くね?流石にその年で1人にさせるのはマズいだろ?と思ったが、そこはちゃんと考えていたようで、メイド2人が交代で常時俺を監視するというプライバシー0の解決策が取られている。これは今でもやめて欲しいなぁ~って思ってるんだよね。

「は~よっと。頼む」

 俺はベッドから起き上がり、鏡の前へ行くと、扉横で待機するメイドに視線を合わせる。
 すると、メイドは即座にクローゼットから、白を基調とした服を上下取り出し、俺に近づく。
 そして、手際よく俺の寝間着を脱がし、代わりにその服を着させていく。
 これも最初はマジで慣れなくて、羞恥心で顔を真っ赤にしていたが、今では割と様になっている。慣れって恐ろしいものだね。
 そう思いながら、俺は鏡に映る自身の顔を見る。
 そこに映っているのはさらっとした銀色の髪に翡翠色の瞳を持つ童顔の子供。これが今の俺だ。
 最初はこれも驚いたな。誰だよこいつって思ったもん。まあ、家族の髪色を見れば、むしろ自然なことだけど……
 その後、着替えた俺はメイドを連れ、部屋から出た。そして、迷わぬ足取りでレッドカーペットが敷かれた廊下を歩き、やがて1つの扉の前に立つと、メイドに扉を開けてもらい、中に入る。
 ここは食事を取る場所で、奥からはいい匂いが漂ってくる。コックさんたちが頑張って朝食を作っているのだろう。

「あ……」

 すると、ここで椅子に座る男女――両親と目が合う。
 俺はさささと早歩きで近づくと、「おはようございます。父上。おはようございます。母上」と言って頭を下げる。
 これも最初は面倒だったな~。
 幾度となく「おはよう。お父さん。お母さん」と癖で言っちゃって、その都度苦笑いされたな。まあ、幼い子供だったお陰で、怒られなかったのはせめてもの救いだろう。俺って、怒られるとマジでへこむタイプだからね。

「ああ、おはよう。シン」

「おはよう。シン」

 父はにこやかな笑みを浮かべながら、母は毅然とした態度で挨拶を返す。
 因みに、転生して暫く経ってから知ったことなのだが、父の名前はガリア・フォン・フィーレル。母の名前はミリア・フォン・フィーレルというらしい。
 こうして挨拶を終えた俺はそのままそそくさと自分の席に座る。
 すると、横の席に座る金髪の小さなお嬢さんがぷくっと頬を膨らませながら口を開く。

「遅いわよ。もっと早く来なさい。お父様とお母様を待たせちゃ駄目!」

 めっ!っと可愛らしく叱る彼女の名前はリディア・フォン・フィーレル。側室の子供で、俺よりも1歳年上だ。

「ごめんなさい。お姉様」

 俺は申し訳なさそうな顔をしながら頭を下げる。
 姉はちょっとお嬢様気質で、事あるごとに弟である俺に上から目線で何か言う。まあ、前世と合わせて22年生きた俺が、6歳の女の子にそんなことされても、腹が立つことは無い。むしろ微笑ましく思ってしまう。感覚としては、親友の幼い妹に構ってあげている感じだろうか。
 因みに俺には1歳の弟もいるのだが、幼過ぎることもあってか、まだここに来ることは出来ない。あともう3年程経てば、一緒に食事がとれるのだろうけど。
 すると、奥の調理場から食事が乗った白いワゴンを押すメイドが来た。
 メイドたちはワゴンを押しながら俺たちの後ろに立つと、俺たちの前に美味しそうな食事を並べていく。
 なるほど。今日の朝食はパン、野菜、コンソメスープか。
 貴族の食事にしては、その品ぞろえは質素じゃね?と思うかもだが、品質は全然質素じゃない。
 このパンに使われている小麦は結構希少な品種らしいし、付け合わせのバターも高級品。野菜、コンソメスープも同じく高級品と、もう全てが高級品だよ。
 すると、食事が全員分出されたところで父が祈るように手を合わせた。

「では、主神エリアス様の恵みに感謝して、いただきます」

「「「いただきます」」」

 いつものようにこの世界の神と言われているエリアス様に感謝をしてから、俺は食事を食べ始めた。

 その後、食事を終えた俺は父に連れられて、父の執務室に入った。
 執務室は書斎のような感じで、落ち着いた雰囲気を漂わせている。
 すると、執務机の椅子に腰を下ろした父が口を開く。

「知っての通り、今日は教会へ行き、エリアス様から祝福(ギフト)を授かる日だ。良き祝福(ギフト)が貰えることを、祈っているぞ」

「ありがとうございます。父上」

 上機嫌な父に、俺は頭を下げる。
 5歳になった人は誰であろうと関係なく教会へ行き、主神エリアス様から祝福(ギフト)というものを授かるのだ。
 祝福(ギフト)には様々なものがあるが、基本的には戦闘系が多い。そこには、魔物に淘汰されかけた人間を守るために神が祝福(ギフト)を与えた始めたことが関係しているらしい。
 まあ、当然戦闘系以外もあり、丁度目の前にいる父の祝福(ギフト)は”数学者”だ。
 ”数学者”は大雑把に言えば計算能力を高速化することの出来る祝福(ギフト)で、他にも一目見ただけで物の大きさを数値化したりすることも出来るらしい。凄い人なんかは人の行動を数値化して、未来予知なんかも出来るとか。ただ、父の”数学者”はB級なので、そこまでのことは出来ない。
 ああ、そうそう。祝福(ギフト)には階級があって、同じ名前のギフトでも、階級が上の方が強いらしい。
 階級はSからFまでの7段階に分かれており、Sが最高位でFが最低位だ。
 いやー俺も出来ればS級がいいな。転生者特典みたいなやつでもらえたりしないだろうか。
 そんなことを思っていると、コンコンと執務室の扉が叩かれた。

「入って来なさい」

 すると、ギイッと扉が開き、執事姿の年老いた男性が入って来た。彼はフィーレル家の家宰で、ギュンター・フォン・オラルドという。
 ギュンターは入ってすぐの場所でぺこりと頭を下げると、口を開く。

「馬車の準備が完了しました。いつでも出発できます」

「そうか。では、早速行くとしよう。シン。ついてまいれ」

「分かりました。父上」

 頭を下げて、父の言葉に頷くと、俺は父の後に続いて執務室を出た。そして、そのまままっすぐエントランスへと向かう。
 すると、エントランスには母もおり、いつも毅然とした態度の母にしては珍しく、柔らかな笑みで「良き祝福(ギフト)が頂けるといいですね」と言った。
 へ~珍しいことでもあるもんだな~と思いつつも、俺は変わらぬ態度で「期待して下さりありがとうございます」と言っておいた。父とはよく話すのだが、母とは全然話さないし、話したとしても何か距離を感じる話し方のせいで、どうしても家族と思えないんだよな。いや、それを言うなら父も同じか。姉も、弟もそうだ。
 そこには前世の家族が存在していることが原因だと思う。
 貴族故に家族らしいことを余りしていない事も関係しているのだろうが、やはり17年間共に過ごしてきた家族と、5年間共に過ごしてきた家族では、どうしても前者の方が本当の家族だと思ってしまうのだ。
 そんなことを思いつつも、俺は両親と共に正面入り口に止まる馬車へ乗り込み、教会へと向かった。
「ん……」

 俺は馬車に揺られながら、窓の外をじっと眺める。
 そこには多くの民がいて、賑わいを見せていた。
 ここはグラシア王国有数のダンジョン都市、シュレインで、フィーレル侯爵家が代々統治している所だ。
 その名の通り、ここにはダンジョンという魔物が湧き出る地下遺跡のようなものがあり、そこに出現する魔物の素材の取引が盛んだ。俺もダンジョン攻略したいなぁ……
 ただ、俺は貴族だ。おいそれとどこかへ行くことは出来ない。欲しいといえば大抵のものは手に入る貴族生活はめちゃくちゃ楽なのだが、こういうところは嫌になる。
 そんなことを思い、若干憂鬱になっていたら、馬車が止まった。
 窓の外を見れば、そこには白を基調とした荘厳な教会があった。
 すると、馬車のドアが御者によって開けられる。

「よし。行くぞ、シン」

「分かりました。父上」

 父の言葉に頷くと、俺は両親の後に続いて馬車から降りる。そして、平民の人払いが済まされた教会の中に入った。

「おお……」

 教会には何度か入ってはいるが、相変わらずここは凄い。
 ここには荘厳な雰囲気が漂っており、自然と気が引き締まる。
 柱や壁は彫刻で細かく美しく装飾されており、両側にある木製の長椅子は逆に質素というのがなんだかいい味を出している。
 そして、特段目立つ奥のステンドグラス。そこから差し込む光がすぐそばにある主神エリアス様の像を明るく照らしている。
 すると、俺の前に立った1人の神官服を着た男性が、深く頭を下げると、口を開いた。

「ようこそおいで下さいました。ご子息のお誕生日、まことにおめでとうございます」

「うむ。では、早速だが祝福の儀を始めていただけないだろうか?」

「かしこまりました。では、シン・フォン・フィーレル様。私について来てください」

「分かりました。司教殿」

 俺はその男性――司教の言葉に頷くと、両親をその場に残して歩き始める。
 やがて、主神エリアス様の像まで来たところで司教が口を開いた。

「では、こちらで膝をつき、祈りを捧げてください」

「ああ、分かった」

 司教に言われた通り、俺はその場で膝をつくと、両手を組む。
 そして、良い祝福(ギフト)が貰えることを祈る。
 いやーマジで頼むよ。本当にお願いします!
 転生者特典みたいなやつで、S級の祝福(ギフト)をお願いします! あと、出来れば戦闘系のやつで!
 神様が俺の心を読んでいれば、「随分欲深い奴だなぁ」と思われるかもしれないが、そこをどうかお願いします!
 俺はぎゅっと目を瞑り、より強く手を組みながら神に祈る。
 すると、ふわっと何か温かいものが俺を包み込んだ。女神に抱擁されているかのような、そんな温かさだ。
 お、もしやこれが祝福(ギフト)を授かる感覚なのだろうか?
 やがて、その温かさが消えてきた頃、頭の中に柔らかな女性の声が響き渡った。

『”テイム”の祝福(ギフト)を授けよう』

 脳内に直接響き渡るかのような声に、俺は思わず目を見開く。
 直後、俺の横に立っていた司教が口を開いた。

「どうやら無事、祝福(ギフト)を授かったようですね。ガリア様、ミリア様。どうぞ、ご子息のもとへお越しください」

 司教の言葉で俺は顔を上げ、組んでいた手を下におろすと、背後から歩み寄ってくる父と母に顔を向ける。
 すると、父と母はまるで期待するような瞳で俺のことを見ていた。そして、直ぐに父が口を開く。

「シンよ。どのような祝福(ギフト)だったのか、早速教えてくれないだろうか?」

 まるで急かすかのように、父は俺にそう言う。母も流石に気になっているようで、父の言葉に頷いていた。

「はい。僕は主神エリアス様から”テイム”の祝福(ギフト)を授かりました」

 すると、父は顎を撫でながら「ほう」と舌を巻く。母も似たような反応だ。

「なるほどかなり良い方だな。小型の鳥系の魔物をテイム出来れば、執務が円滑に進む」

「もし、A級ならワイバーンを従魔にして、竜騎士にもなれるわね。領主が竜騎士になれば、民からの信頼もより厚くなるわ」

 2人は俺の祝福(ギフト)の内容に、喜びを露わにする。
 確かにこの”テイム”っていうのは便利そうだよな。
 ”テイム”を授かった時に”テイム”についての知識が軽く入って来たのだが、これは心臓の代わりに魔石を持つ生物、魔物を従えさせることが出来る能力のようだ。そして、従えた魔物はどこにいても好きな時に召喚することが出来きたり、魔物と視覚を共有できたりと、中々に便利。どの程度の魔物までテイム出来るのかは、現状あまり分からないが、感覚からしてワイバーンは無理だと思う。だから、母の希望には答えられそうにないなぁ……
 すると、喜ぶ2人に司教が声をかける。

「次に、祝福(ギフト)の階級を測らせていただきます。では、シン様。そちらの台に手を置いて下さい」

「分かりました」

 俺は頷くと、背後から期待の眼差しを受けながら前方にある変な紋様が描かれた大理石の台の上に右手を乗せる。
 すると、その紋様が淡く光り出した。そして、前方にホログラムのようにして何かが映し出された。
 そこにあったのは――”F級”の文字。
 ……ん?ちょっと待て。
 いや、まさかとは思うがこれが俺の階級とかじゃないよな?
 まさかとは思うが、これはないよな?
 F級って確率的にはA級が出る確率と同じくらい珍しいやつなんだよ。
 そんなのそうそう出す訳が――

「……残念ながら、F級ですね」

 もの凄く言いづらそうにしながらも、司教は父と母にそう報告する。
 あ、やっぱりそうなのね。やっぱりF級なのね。
 本当にF級だったことに、落胆を通り越して変な笑いがこみ上げてきそうだ。
 そして、当然父と母も落胆しており、半ば放心状態になっていた。まあ、だよね。うん。そうだよね……
 すると、父が無言のまま、幽鬼のようにふらふらと俺に近づく。
 そして――

 パチン

 勢いよく俺の右頬を叩いた。
 乾いた音と共に、ジンジンと右頬が痛む。

「え……」

 俺は思わず呆然とする。
 すると、父が背を向けたまま、口を開いた。

「帰るぞ」

「……分かりました」

 硬い声で紡がれた短い言葉に、俺は俯きながら返事をする。
 ふと、母を見てみると、母は冷たい眼差しで、軽蔑するように俺を見ていた。
 まるで、もうお前は私の息子ではないと言われているような気がする。
 俺は重くなった足をなんとか動かすと、とぼとぼと歩き始め、教会を後にした。
 教会を出てからのことはほとんど覚えていない。
 父からは罵倒され、母からは軽蔑され――それにただ申し訳ありませんと言い続けたことだけ。
 親の愛とは、祝福(ギフト)だけでここまで変わるものなのかと、酷く落胆したよ。そして、こうも思った。
 父と母はこれまでずっと、俺を息子として愛していなかった。ずっと、駒としてしか愛していなかった……と。
 だから、価値のなくなった駒――俺を愛さなくなったのだ。

 そして、気がつけば俺は自室のベッドに寝転がり、布団に顔を埋めていた。もうメイドをつける価値もないと思われたのか、今朝までいたメイドはいない。

「はぁ……ただ、この状況を悪くないと思ってしまっている自分もいるんだよなぁ……。もとより、今世の家族への情ってあまりなかったし」

 ショックから立ち直った俺はゴロリと転がって仰向けになると、天井を見上げながらそう呟いた。
 これで、俺はフィーレル家の当主になるという未来はほぼ絶たれた。一応暫くは弟のレントの予備として残されるだろうが、いずれ一家の恥として勘当されるだろう。
 邪魔だからと殺される可能性も無くはないが、流石にそんなリスクある行動を父がするとは思えない。グラシア王国では、例え間接的だったとしても、子殺しは親殺しと並んでかなりの重罪として扱われているからね。
 確か、貴族でも死罪になる可能性があるとのこと。
 まあ、ここには過激なお家騒動を防止する意味も含まれているんだと思う。
 で、何故勘当され、家を追い出されることを望んでいるのかというと、単純にこの世界を自由に冒険したいとずっと思っていたからだ。贅沢な貴族生活も、それはそれで結構好きだったのだが、こうなってしまうと、もう貴族生活に魅力は感じない。ある程度力をつけたら、ここから出てってやる。
 ただ、1つ問題があるとすれば……

「勘当されたとして、F級の”テイム”でどうしろというんだ……」

 そう。問題はそこだ。
 だんだん”テイム”が体に馴染んできたお陰で分かったのだが、俺がテイムできるのは基本スライムだけで、頑張ればゴブリンやスケルトンといった魔物も出来なくはない……といった具合だ。
 これらの魔物は冒険者ギルドという、異世界ものではおなじみの組織が発表している魔物ランク表の中では最弱のFランクに属している。Fランクに区分される魔物は総じて、非戦闘員でも武器さえあれば1人で倒せるという弱さっぷりだ。てか、スライムに至っては子供に踏み潰されただけであっけなく死ぬって聞いたことあるんだけど。

「まあ、試してみないことには何とも言えんな。スライムならここの下水道とかにも普通にいるだろうし、今度試してみるか……」

 スライムの主な食事は他の生物の食べかす。故に、下水道とかにはゴキブリの要領で湧くらしい。
 まあ、ゴキブリと違って、室内には流石にいないけど。

「ん~……あ、そういや魔法もあったな」

 俺はベッドからがばっと起き上がると、ポンと手を叩く。
 5歳の誕生日が主神エリアス様から祝福を授かる日というのは有名な話だが、それ以外にもう1つある。それが、魔法の解禁だ。
 魔法とは体内に宿る魔力を燃料に火をおこしたり水を出したりと様々な現象を引き起こすもの。
 幼いころからやりまくって無双したいって思ったこともあるのだが、体内にある魔力回路というものが未発達の状態で魔法を使ってしまうと、魔力回路が破裂して最悪死ぬと知って、即その案は却下した。だが、5歳になったことで、ようやく魔力回路が魔法の発動に耐えられるまでに発達したのだ。

「今度書庫に行って、魔法についての本を読んでこようかな?」

 本来なら、5歳で魔法の家庭教師をつけられるのが貴族家における習わしだが、この状況で俺につけてくれるだなんていう甘い考えは捨てておいた方がいいだろう。

「いや~頼む。どうか魔法だけは上手くいってくれ……!」

 祝福(ギフト)が駄目ならせめて魔法の才能はあってくれ。
 俺はそう、神に祈るのであった。
 数日後。
 俺は着替えを済ませると、若干重い足取りで廊下を歩き、食事を食べに向かう。
 流石にあんなことがあったせいで、もう顔を合わせたくもないんだよな~。
 ただ、まだ俺はフィーレル家の人間だ。故に、フィーレル家の人間としての行動は取らなくてはならない。
 面倒だよな。貴族って。
 そんなことを思いながら、俺は扉を開けて中に入ると、侮蔑の目をする父と母――ガリアとミリアに形式だけの挨拶をしてから席に向かう――かに思えたが、冷たい声で「待て」とガリアに言われ、俺は立ち止まった。そして、ゆっくりとガリアに視線向ける。

「これから1か月。お前に魔法の家庭教師をつける。出来次第では以後もつけるが、悪いようならそれで終わりだ」

 忌々しいものを見るかのような目で俺を見つめながら、ガリアはそう言った。
 なるほど。ダメ元だが、一応魔法の素質も見ておこうって魂胆か。まあ、例え1か月だけでも、得られるものは多いだろうから、普通にこれはありがたい。

「ありがとうございます。父上」

 俺は心が全くこもっていない礼をすると、再び席へ向かい、腰を下ろした。
 その後、いつも通り朝食を食べ終えた俺は、自室に戻った。そして、暫く待っていると、コンコンと扉が叩かれた。
 お、どうやら魔法の家庭教師とやらが来たようだ。どんな人が来たのだろうか……?

「入っていいよ」

 すると、ガチャリと扉が開き、1人の女性が中に入って来た。
 黒系のローブを羽織り、右手で杖をつく、赤髪ショートヘアーの若い女性だ。
 彼女はやや緊張した様子で一礼すると、口を開く。

「本日より魔法をお教えすることになりました。フィーレル侯爵家魔法師団副団長のエリーと申します」

「はい。僕の名前はシン・フォン・フィーレルです。短い期間になるかもしれませんが、よろしくお願いします」

 そう言って、俺はエリーさんにぺこりと頭を下げる。
 へ~この人が僕に魔法を教えてくれるのか。割と親しみやすそうだし、いいんじゃないかな?
 すると、エリーさんはどこか驚いたように目を見開く。

「その年で、凄く礼儀正しい……あ、すみません。では、まず初めに現在の魔力容量と魔力回路強度を測りたいと思います」

 そう言って、エリーさんはテーブルまで歩いてくると、その上に金属製のプレートと水晶を置く。
 あ、これ本で見たことあるわ。
 金属製のプレートのやつは魔力回路強度っていうのを測る道具で、魔力回路強度は高ければ高いほど、より強力な魔法が使える。
 そして、水晶は魔力容量を測ることが出来る道具で、魔力容量が多ければ多いほど、魔法を沢山使える。
 5歳ではまだ大したことは無いだろうが、それでも今の魔力容量と魔力回路強度で、最終的にどの程度にまで成長するかは結構予測できてしまう為、この測定は結構重要な意味を持っている。
 ただ、もしこの測定が良かった場合、ガリアとミリアが手のひら返ししてくる可能性が結構高い。正直それは……ごめんだ。
 この前の一件で、俺あの2人のことが嫌いになった。より優秀な人を後継ぎにしたいと思う気持ちは分からなくもないが、だからと言ってあれはないだろ。
 と、言う訳でこの測定はちょっと手を抜くとしよう。幸いなことに、その方法は熟知している。

「では、まずは魔力容量を測りましょう。そちらの水晶に手をかざして、魔力を込めてみてください。体の中からぐっと何かを出すようなイメージをして下されば、自然とできます」

「分かりました」

 俺は頷くと、手を伸ばして水晶に右手をポンと置く。そして、魔力を少しずつ込めていく。
 すると、水晶の中に浮かび上がってきた1という数字が、2、3、4……とどんどん増えていくのが見えた。
 5歳の平均魔力容量は10だったので、それよりも1だけ下の9になるように調整しよう。
 そう思い、俺はだんだんと力を緩めていく。すると、上昇していた数字が6でピタッと止まってしまった。
 おっと。力を緩め過ぎた。もう少し強くしないと。低すぎると、マジで虐待されそうだからな。
 俺は魔力を込める力を少し上げる。だが、1上がって7になるだけ。そこで止まってしまった。
 あ、あれ? これそこそこ力入れてるよ? この調子だと本気でやっても10行くか怪しいんだけど……
 高いことを期待していた魔力容量が平凡っぽいことにさっと顔を青ざめさせるが、深く息を吐いて心を落ち着かせると、今度は全力で魔力を込める。
 すると、8、9、10……と上がり、11で完全に止まった。

「11……で止まったわね。平均ぐらいだから、悪い数字じゃないわよ」

 結果を見たエリーさんは砕けた口調で褒める……と言うよりは励ますように言う。
 俺、そんなに残念そうな顔してたかな?
 まあ……うん。平均か。
 最低位だった祝福(ギフト)と比べれば全然いいよ。
 ただなぁ……もうちょっと高くてもバチは当たらないと思うんだけどな~
 まあ、しゃあない。これで頑張るしかないか。

「では、次は魔力回路強度を測ります。このプレートを両手で持って、今と同じように魔力を込めてね」

「分かりました」

 俺はエリーさんから金属のプレートを受け取ると、両端を掴み、魔力を込める。今回は最初から本気だ。
 すると、金属プレートに彫られた紋様が淡く光り出したかと思えば、その上にホログラムのように数字が浮かび上がってきた。
 その数字は……9。
 5歳の平均はこっちも同様に10だから……うん。こっちは微妙に平均行ってないね。
 あー予想はしてたけどさ。ちょっとこれはあんまりだろ……
 やべぇ。流石に泣きそう。
 すると、俺の感情を敏感に察知したのか、エリーさんがおろおろしながら俺を宥め始める。

「だ、大丈夫だよ。9は全然悪い数字じゃないから。基本的な魔法は全て使えるようになるレベルだから、安心していいよ。世の中には、これが低すぎて、一切魔法が使えない人も結構いるからさ。だから泣かないで」

「だ、大丈夫です。使えるだけでも全然嬉しいです」

 うん。そうだよ。使えるだけでもありがたいんだよ。
 折角異世界に来たのに、魔法が使えないなんて言われたら絶望ものだろ?
 それに比べたら、俺はむしろ幸運なんだよ。
 うん。そうなんだ。俺は幸運なんだ。
 よし。魔法が使えることに感謝しながら生きよう。
 こうして、俺は何とか平凡な測定結果を受け入れるのであった。
 平凡な測定結果を何とか受け入れた俺は、エリーさんに連れられて、屋敷の裏庭に来ていた。
 これからやるのは魔法属性適性検査だ。各属性の測定用魔法の詠唱を唱え、発動できるかどうか。そして、発動できた場合はその出力によって判断するらしい。
 魔法の属性は全部で8属性あり、火属性、水属性、風属性、土属性、光属性、闇属性、無属性、空間属性と言った感じだ。
 大抵の人は、高い適性を持つ属性が1つとそこそこの適性を持つ属性が1つ2つあるって感じだが、俺の場合はどうなのだろうか。
 流石にここまで来たらもう高望みはしない。ただ、出来れば空間属性に適性があるといいなぁ……
 扱うのが最も難しい属性だが、その分極めれば超強力な手札となりえる。
 転移したり、空間を斬ったり、異空間に物を収納できたりと、めっちゃ便利だ。まあ、俺の魔力容量と魔力回路強度では、今後の成長を加味したとしても、そうホイホイとは使えなさそうだが……
 すると、エリーさんが一冊の薄くて小さな本を俺に差し出した。

「この本に書かれている詠唱を、最初のページから順番に言ってください。詠唱はハッキリと言ってね」

「分かりました」

 俺は頷くと、まず1ページ目を開く。
 すると、そこには前に本でも見たような呪文が書かれていた。
 俺は「ふぅ……」と息を吐いて心を落ち着かせると、詠唱を紡ぐ。

「魔力よ。火となれ」

 ……だが、特に何も起こらない。
 どうやら火属性には適性が無かったようだ。

「はい。では、次のページ、水属性をお願いします」

「分かりました」

 俺は頷くと、ペラりとページをめくり、そこに書かれている詠唱を紡ぐ。

「魔力よ。水となれ」

 ……だが、特に何も起こらない。
 あー水属性にも適性が無いのか。
 氷の槍とかは憧れてたんだけどなぁ……
 だが、裏を返せば空間属性に適性がある可能性が残っているという意味でもある。
 前向きに考えよう。
 そんな感じで、俺はその後も風属性と土属性の詠唱を唱えてみたのだが、結果は適正なし。
 あれ? まさかとは思うがどの属性にも適性が無いとか言わんよな?
 それだったら流石に発狂ものなのだが……
 そうしてだんだんと不安になりながらも、俺は次の光属性の詠唱を唱える。

「魔力よ。光となれ」

 すると、ここで初めて変化が起こった。
 自身の体から何かがすーっと抜けていく感覚と共に、目の前に小さな光の球が現れたのだ。
 目の前で浮遊する小さな光の球は、炎のようにゆらりと揺れた後、ふっと消えてしまった。

「光属性に適性があるようね。この感じを見るに、高い適正……ではなさそうね」

 エリーさんがボソリとそう呟く。
 へーこれはまだ高い適正じゃないのか。
 となると、まさか本当に時空属性に適性が――それも高い適正なのか?
 不安から一転して、希望が見えて来た俺は、次のページにある闇属性の詠唱を唱える。

「魔力よ。闇となれ」

 すると、今度は目の前に薄黒い靄のようなものが現れた。
 だが、空気中に溶け込むようにして、すーっと消えてしまった。
 お、闇属性にも適性があるのか。
 てか、光と闇って、どっちも純粋な戦闘系じゃないんだよなぁ……
 どちらかというと、戦闘補助系なんだよ。この2つ。
 まあ、エリーさん曰く、これも高い適正ではないらしい。
 つまり、残り2つ――無属性と空間属性のどっちかが、高い属性ということになる。
 え? もうこれで終わりの可能性はないのかって?
 それは断固ととして認めたくない!
 こうして俺は残りの詠唱を紡ぐ。
 その結果は――

「光属性と闇属性の適性率は共に約40パーセント。そして、空間属性の適性率は約90パーセントね」

 よし。やったぜ。
 いやーマジで途中ヒヤヒヤしたけど、何とか空間属性に適性があってよかったー!
 しかも90パーセントだよ。
 高い適正のやつって、平均80パーセントらしいから、これはもう超当たりと言っても過言ではない。
 まあ、いくら適性が高くても、魔法を使う元となるあの2つが平凡じゃあ、結構辛いんだけどね。
 すると、エリーさんが口を開く。

「では、これから少し実践と行きましょう。ですが、その前に1つ注意を。今後魔法を使う時は、近くの大人に許可を貰ってからにしてください。危ないですからね」

「分かりました」

 エリーさんの注意に俺はコクリと頷く。
 まあ、十中八九破るけどね。
 いやでもほら。俺って前世含めたらもう22よ?
 だから実質大人ってことで、覚えた魔法は隠れてこっそりと使うとしよう。俺のことを大事だと思わなくなったお陰で、俺に対する監視がザルになったのも大分追い風になっている。

「では、まずは光属性と闇属性の2つをやっていきましょう。空間属性はその2つをある程度使いこなせるようになっていないと厳しいですからね」

 そう言って、エリーさんはまた別の――今度は少し厚めの本を取り出すと、パラパラとページをめくる。
 やがて手を止めると、そのページを俺に見せてくれた。

「ここに書かれているのが光属性魔法よ。難しいだろうから細かい説明は省くわ」

 そう言って、エリーさんは更にページを1枚捲ろうと手をかける。
 あー! 別に省かなくていいんだよ!
 だが、無情にもにも捲られてしまった。
 説明は大事だろうに。ぱっと見でも結構良いことが書いてあるように見えたぞ?
 まあ、俺は5歳児だからな。難しいことは分からないって認識なんだよな……
 しゃーない。今度久々に書庫に行って、その本探してみるか。
 で、捲られたページには魔法の詠唱と、その魔法名。そして、その魔法の内容が詳しく書かれていた。

「この魔法は光球(ライトボール)。さっきよりも大きくて強い光を放つ光の球を生み出す魔法よ。腕を伸ばして、手の先に生み出すようなイメージをしながら詠唱をしてみて」

 エリーさんは簡単な説明をしながら、詠唱が書かれている部分を指差す。
 なーるほど。見た感じ、これが光属性の基礎中の基礎って感じだな。
 流石にこれは成功させなきゃマズいだろ。
 そう思いながら、俺は右手を前に掲げると、光の球が拳の上で浮かんでいる様子をイメージをしながら詠唱を唱える。

「魔力よ。光り輝く球となれ」

 すると、さっきと同じようにすっと体から何かが抜けるような感覚がしたかと思えば、右掌の上にふらふらと浮かぶ直径10センチ弱の光の球が現れた。
 よし! 成功だ!
 そう思い、俺は内心喜ぶ――が、それで集中が途切れてしまったのがいけなかったのか、光球(ライトボール)は霧散し、消えてしまった。
 あーあ。消えちゃった。
 でも、一発で発動できたのは結構いいと思う。
 異世界系の漫画、およびアニメを沢山見まくったお陰で、魔法に関するイメージ力が人一倍高いことが関係しているのだろうか。
 魔法はイメージが大切って良く言うからね。

「凄いね。最初の1回で発動出来る人は中々いないわよ」

 エリーさんは拍手しながら、手放しで俺を誉める。
 お、やっぱり一発で出来る人はあまりいないのか。
 いや~これはもう異世界系漫画とアニメに感謝だな。これのお陰で、俺は魔法をより正確にイメージ出来た。
 後はこれを無意識に出来るようにしないと。さっきみたいに、ちょっと集中力が切れただけで発動できなくなるようでは話にならないからね。

「では、この調子で闇属性の魔法も取りあえず使ってみましょう」

 そう言って、エリーさんは再びパラパラとページを捲り、闇属性魔法の所で手を止める。

「これは黒霧(ダーク)という、周囲に黒い霧を発生させる魔法よ。まずは自分を包み込むようなイメージをしながら詠唱をしてみて」

 なるほど。今度は目くらまし系の魔法か。
 エリーさんの言葉に俺は頷くと、例の如くイメージをしながら詠唱を紡ぐ。

「魔力よ。黒き霧となれ」

 すると、体中から黒い靄のようなものが出て来て、瞬く間に俺を包み込んだ。お陰で現在、お先真っ暗だ。
 とまあ冗談はさておき、今は頑張ってこれを発動させ続けないと。
 ある程度集中しつつ、リラックスするという難題を頑張ってこなすことで、少しずつ無意識に魔法が使えるようになるだろう――が、今はそんな芸当出来る筈もなく、ものの数秒で黒霧(ダーク)は霧散し、消えてしまった。
 まあ、さっきよりは長く持ったから良しとするか。

「うん。凄いわね。では、あとはこれを何度も続けて、少しずつ魔法に慣れていきましょう。あと、体が怠くなってきたらすぐに教えてね。それは魔力切れの症状だから」

「分かりました」

 俺は頷くと、再びエリーさん指導の下、再び魔法を使うのであった。
 魔法の指導が終わった俺は、屋敷内を歩いていた。
 いつもよりも、すれ違う使用人の数がだいぶ少ない。
 それもそのはず、父――ガリアはつい先ほど王都ティリアンへ、多くの共を連れて向かったのだ。
 色々と会議をするらしく、帰ってくるのは丁度1か月後になると予想される。
 ふっ これは大胆に動くチャンスだ。今の内に下水道へ忍び込んで、テイムの実験をするとしよう。
 匂いとか汚れ?
 その辺は問題ないな。
 だってここは侯爵家の屋敷だぞ?
 下水道はちゃんと掃除されてるよ。もうピッカピカだよ。
 だったらスライムはいないんじゃないかって思われるかもだが、その心配はない。
 隙間とかに絶対潜んでるんだよ。
 そう。例えるなら、掃除するのが億劫になるタンスの裏――そこに潜むゴキブリだ。
 そんなことを思いながら調理場に入り、そのまま奥へ行くとそこには掃除用具を持ったおじさんがいた。
 この人はいつもこの時間帯に下水道の掃除とそこにある浄化(クリーン)の魔道具の点検をしている人だ。
 俺はその人がいたことに安堵しながら声をかける。

「ちょっといいですか?」

「うを!? ……て、し、シン様!? 何故こんなところへ?」

 おじさんは俺の姿を見るなり、目を見開いて声を上げる。
 まあ、当然の反応だよな。
 こんなところに侯爵子息がいたら、誰だって驚くよ。
 ま、そんなことは置いといて、用件を言うか。

「下水道にいるであろうスライムを、僕が先日授かった”テイム”の祝福(ギフト)で従魔にしてみたいのです。なので、そのお手伝いをしていただきたいなと」

「そ、そうなのですか……ですが、何もここでしなくてもよいのでは? 侯爵様にお願いすれば、シン様に相応しい魔物を用意してくださいますよ?」

 おじさんは戸惑いながらもそう言う。
 ああ、おじさんはやっぱり知らないか。俺の”テイム”がF級であることを。
 まあ、ここは丁度いい言い訳を見つけてあるんだよ。

「はい。ですが、僕はここで父上に内緒でこっそりと”テイム”の練習をして、父上を驚かせたいのです。お願い……できませんか?」

 そして、ねだるようにじっとおじさんのことを見つめる。
 5歳の子供にこんな眼差しを向けられれば、当然――

「りょ、了解しました。是非、私にお任せください」

 おじさんはびしっと敬礼すると、胸を張ってそう言った。
 よし。ちょろ……ゴホンゴホン。
 何でもないです。

「では、ここでお待ちください。至急、スライムをここへ連れてきますので」

 そう言って、おじさんは下水道へ続く扉を開けると、勢いよく飛び出して行った。
 騙すようで申し訳ないが、別に彼がこれで不利益を被るようなことはない。
 安心して、任せるとしよう。
 そうして待つこと数分後……

「あ、帰って来た」

 奥からタタタと足音が聞こえて来たかと思えば、バケツを抱えたおじさんが現れた。バケツには、ちゃんと蓋がされている。
 そして、バケツの中からは何かが這いずるような音が聞こえてきた。
 どうやらこの中にスライムがいるようだ。

「はぁ はぁ……シン様。スライムをお持ちしました。では、準備が整いましたら、ゆっくりとこの蓋を開けます。その隙にテイムしてください」

 そう言って、おじさんは蓋を抑えたまま、バケツを地面に置く。

「ありがとうございます。では、お願いします」

 俺は息を整えると、バケツに手をかざして、そう言った。

「分かりました。では、ゆっくりと行きますよ」

 おじさんはそう言うと、慎重に、ゆっくりとバケツの蓋をずらしていく。すると、中にいる薄青色のアメーバ状の生き物――スライムが少しずつその姿を露わにしていく。

「友達になろう。”テイム”」

 俺はそのスライムに優しく語り掛けるかのように”テイム”を使う。
 すると、スライムと何かで繋がったような感覚に陥った。表現方法が難しいが、多分成功したんだと思う。
 確認のため、何か命令してみるか。

「スライムさん。手を上げてみて」

 スライムに手なんてないだろと突っ込まれそうだが、そんなの知ったこっちゃない。
 すると、バケツの中にいるスライムは体の一部を上へと掲げ、あたかも手を上げているかのような仕草を取った。

「成功だ……」

 俺は声を震わせながら、喜びを噛み締めるように言う。
 にしても、この感じからして、多分今のは俺の言葉……と言うよりは、スライムとの繋がりによって伝わった俺の思いに反応して、行動したんだと思う。スライムが手を上げるという動作を知っている訳が無いからね。
 これなら多少難しい命令でも聞いてくれそうだ。この部分だけなら、とてもじゃないがF級とは思えない。

「おめでとうございます。シン様。して、そのスライムはどうしましょうか?」

「うん。ちょっと愛着が湧いちゃったから、僕の従魔にする。下水道でこっそりと飼うことにするから、見つけても殺さないで。この子には、おじさんと会ったら合図をするように命令しておくから」

「分かりました。では、そのようにしておきますね」

 おじさんはそう言って、俺の言葉に頷いた。
 よし。これでまずは1匹ゲット。
 それに、下水道は屋敷の外と繋がっているから、視覚を共有すれば、街の様子を屋敷の中から見て、楽しむことだって出来る。
 遠隔で命令をすることは出来ないと思うけど……まあ、どれくらい離れてたら出来ないかはよく分かっていないから、そこら辺の実験もしておくとしよう。

「では、スライム……いや、ネム。頼んだよ」

 しれっと名付けをしつつ、俺はスライム――ネムに頼みごとをする。
 言葉ではなく、思いに反応して行動したことから、恐らくこれだけでも俺の意図は伝わったはずだろう。

「キュ! キュ!」

 俺の命令を聞いたネムは、可愛らしい声を上げながら体を上下に動かす。
 了解……とでも言っているような感じだ。

「ほう。随分と懐いていらっしゃいますね」

 おじさんはそんなネムを見て、感心したように言う。

「うん。あ、そろそろ部屋に戻らないと。おじさん。ネムを下水道の方に戻してください。あと、掃除頑張ってください」

「りょ、了解しました! 誠心誠意、務めさせていただきます」

 俺のお子様スマイルをもろに受けたおじさんは、照れたように頬を赤くすると、警察の敬礼のような動作で頷いた。
 あーやっぱお子様スマイルは反則だな。それも、俺って自分で言うのもあれだが結構美形だからね。それがその反則度に拍車をかけているんだと思う。
 俺は一礼するおじさんに軽く手を振ると、足早に自室へと駆け出して行った。
 自室へと戻った俺はベッドにゴロリと仰向けで寝転がると、口を開く。

「さてと。んじゃ、早速ネムの視覚を覗いてみるか」

 俺はそう呟くと、自身とネムの間にある繋がりを探るようにして、ネムの目に入り込むイメージをする。
 すると、ふわっと視界が変わり、真っ暗になった。
 そして、ぴちゃぴちゃと水の跳ねる音が反響するように聞こえてくる。どうやら成功のようだ。

「よし。流石にこの距離の視覚共有は出来るか。てか、音が聞こえるってことは、何気に感覚共有も出来てるのか。これも結構凄いことだよな? ……あとは、この距離から命令を下せるかだが……」

 俺は若干不安になりながらも、下水道を進むネムに命令を下す。

「ネム。俺の言葉が伝わっているのなら、そこで立ち止まってくれないかな?」

 すると、さっきまで聞こえていたぴちゃぴちゃという音が止まった。
 本当に、立ち止まった……!

「ネム。再び目的地へ――下水道の外へ向かって進んでくれ」

 するとどうだろうか。
 なんと、再びぴちゃぴちゃと音が響き始めたのだ。

「よし。これは成功で間違いないな」

 俺は思わずニヤリと笑う。
 F級では流石に厳しいだろうと思っていたのだが、まさか成功するとはね。思念伝達って、個人差はあれど基本的にC級以上だし。
 でも、これはマジでありがたい。これで、街の様子も好きに楽しむことが出来るだろう。
 まあ、ヘマして見つかったら、最悪殺されちゃいそうだから、そこは気をつけないと。

「……あ、光だ」

 奥にうっすらと見えて来た光。間違いない。あそこが出口だ。
 すると、俺の気持ちを汲んだのか、ネムの進む速度が若干早くなった。

 ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ……

 そしてついに、細かい網目を通り抜けて、下水道の外に――屋敷の外に出ることが出来た。

「よし。さて、ここはどこだろうか……?」

 俺はネムに周囲を見渡すよう命じながらそう呟く。
 目の前には川があり、上には青空……と、川にかかった橋を渡る多くの人。

「やっぱりあの川に出たか」

 ダンジョン都市、シュレインには上下を丁度区切るように横断する川が流れており、この街に住む人々の生活用水となっている。
 下水道から出た場所ということから考えると、ここは川下である東の方なのだろう。

「さてと……まずはここから上がらないとな」

 ただ、どうやって出ればいいのだろうか。
 すぐ目の前には川が流れ、橋はここから3メートルも上に位置している。
 流石にスライムでは、どうやったってここから出ることは出来ない。唯一方法があるとすれば、川に流されることで、街の外へ行くことぐらいしか……

「う~ん……川の先には確か森が広がってたよな。ただ、そこへ行かせるのは結構危険だな……」

 俺は腕を組みながら、ムムムと唸る。
 簡単に見つけられるとはいえ、流石に初めてテイムし、名前まで付けたスライムを捨て駒にするような行動は取りたくない。あそこには、スライムよりも強い魔物が跳梁跋扈しているんだよ。
 やれやれ。愛着が湧いてしまうのも、考え物だなぁ……

「……しゃーない。一旦下水道内に戻ってくれ。何匹かスライムをテイムして、余裕が出来てから偵察に行かせるとするか」

 俺はネムに命令をして、下水道内へと戻らせる。
 すると、前方から何か動くものが見えて来た。

「何だ!? ……ああ、スライムか」

 そこにいたのは、1匹のスライムだった。
 別にスライムは共食いとかはしないので、特に警戒する必要も無いだろう。
 すると、ここでふと好奇心からあることを思い付く。

「ここから遠隔でテイムできたりしないかな?」

 そんな反則じみたテイマーなんて聞いたことないが、別にやっても損はしないし、折角の手札なのだから、試せることは試しておかないと。
 そんな思いから、俺は目の前でぽよんぽよんと可愛らしく上下に動くスライムに”テイム”を使う。
 すると――

「……ん!? 繋がった!?」

 まさかの成功に、俺は思わずがばっとベッドから起き上がる。
 そのせいで一時的に視覚共有が切れ、元の部屋へと引き戻されたが、直ぐにネムと視覚を共有する。

「マジかよ。マジでやべぇな……」

 俺は目の前にいるスライムをじっと見つめながら、感嘆の息を漏らす。
 再び自身の感覚を確かめてみるが、確かに繋がりが1つ増えているのが感じられる。

「……変わってみるか」

 俺は確認とばかりに、視覚をそのスライムに移しかえる。
 すると、ふっと視界が切り替わった。
 目の前には1匹のスライム。そして、その後ろには下水道の出口。
 視覚共有が出来るということは、テイムできているという確固たる証拠にほかならない。
 ああ、確定だ。
 どうやら俺はテイムした魔物の視覚越しに見た魔物もテイム出来るらしい。