「〈蝶庭園〉」
言下。
リーレニカの足元から、花畑が地表を走るように咲き広がっていく。
そして現れる無数の煌めき。
リーレニカの耳飾りから極彩色の粒子が展開され、一定の距離を漂うと蝶へ姿を変えた。
組織のドクターが言うには、それは「マシーナウイルスで形成された、Amaryllisの固有世界」らしい。
耳元 でAmaryllisが嬉しそうに声をしゃくらせる。
『久々の馳走じゃ』
「まて、それは」
アルニスタの顔に昂りが浮かぶ。探し求めていた宝を見つけた時の子供が如く、口角がつり上がった。
「生体型――」
「〈蟲籠〉」
悪意と交わす言の葉は持ち合わせていない。
アルニスタの確信とも問いとも取れる言葉を遮り、リーレニカは独自の命令式を発言した。
夥しい数の不気味な子供の笑い声が滲み出す。
大地を割り、蔦が激しく飛び出す。リーレニカに飛びかかる民衆を容赦なく封じ、地面に縫い付けていった。
『にひ』
Amaryllisが愉しそうに笑う。
『弱い生き物は難儀じゃのう』
アルニスタの〈大蛇〉がAmaryllisから溢れるマシーナ濃度に反応。明らかな敵意を向けていた。
全身がクリスタルブルーに透けた粒子の塊。
頭から尻尾まで透き通る青一色の大蛇が、不規則に土色の鱗へ変化し、すぐに戻る。忙しなく多様に擬態し続ける爬虫類を思わせた。
大蛇としてか、マシーナとしてか。定義を曖昧にする化け物は、時折蛇の顔を表示させ、また青い輪郭に戻る。
いずれにしても不気味な生き物だった。
手足の退化した相手は、全身の波状運動を用いて地表を滑る。
一瞬でリーレニカの〈花畑〉まで到達。その優れた個体性能に舌を巻きつつ、迷わず迎撃を選択する。
リーレニカが次の命令句を紡ぐべく口を開くと、
「待て」
アルニスタの指示で大蛇がビタリと動きを止めた。
手足の退化した獰猛な爬虫類が、紫陽花色の少女を食い荒らそうと興奮している。
「時間切れだと言ったろう」
アルニスタは蛇の頭蓋骨を模したステッキを強く突いた。
大蛇が大きく脈動し、震え、やがてその姿を保てなくなる。
蛇を形成していたマシーナ粒子の塊が四散する。黒い霧と成り果て、リーレニカの視界を遮った。
アルニスタの気配が希薄になる。
「逃がすかッ」
『お預けじゃ。周りみてみい』
Amaryllisは民衆の異変を即座に察知し、〈蝶庭園〉と〈白銀の世界〉を解除していた。
地に縫い付けた蔦も粒子となって消え、拘束していた暴徒はアルニスタの支配から抜けたのか、気を失っている。
黒い霧が晴れると、アルニスタとスタクが姿を消していた。
だが彼は逃げるだけで終わらせなかった。
****
「こいつら正気失ってるぞ!」
「憲兵は何してるんだ!」
兵器型デバイスを持った市民が少数の〈マネキン〉を相手にしている。
更にスタクの〈花粉〉に晒された市民の一部は、気でも触れたように小規模な暴徒と化していた。
機人と狂人が入り乱れ、混沌とした戦場が出来上がる。
「まさか――暴走」
兵器型デバイス――銃火器を持った一団は兵服を着ていない。黒いスーツであったり、エプロン姿の者もいれば、作業服のツナギを着た者もいた。
やけにデバイスの扱いに慣れているようだが、機人ではない人間に向けることを戸惑っている。
『いやーな造花屋の暴力団じゃな』
ミゲルの束ねる暴力組織らしい。
「なぜ憲兵の手薄なエリアに」
率直な感想が口をついて出たが、恐らく理由は単純だ。
街を守るため。あとは――
「ミゲルさん。たぶんリタだ、見つけたぞ!」
黒服が声を上げる。
白塗りの道化師が、カラフルな衣装で女の子の手を取り歩いている。
黒服がその子を掴むと、ピエロは急に高笑いを上げた。
奇天烈な道化師の服が風船のように膨らむ。
止まらない。どんどんと、更に肥大化を続ける。
「離せこの野郎」
「待てギニシャ。そいつ――!」
ミゲルが、部下へ声を張り上げながら飛び出す。
娘を掴む道化師は不気味な笑顔で膨張し、ピークに達しようとしていた。
『奴は生き物ではないな』
「くそったれ」
ピエロへ悪態をつく。
Amaryllisの言いたいことはリーレニカにも理解出来ていた。
「Amaryllis。やって」
『……尻拭いはせんからな』
相棒の意図を察したのか、Amaryllisは己の固有世界と〈同期〉を開始する。
水泡に包まれる感覚。そして泡は弾け、リーレニカの視界は色を失った。
白銀の世界が広がり、更に体感時間が凝縮される。
次いで民衆のマシーナ反応がネオン色で映し出される。恐怖と怒りの色が混ざりあった、混沌とした世界が広がっていた。
知覚対象をピエロだけとなるようフィルターをかける。
人間の持つマシーナ濃度とは異質な、極めて赤い粒子の塊が浮き彫りになる。
『十二時の方向。レイヤー不明。人型。マシーナ濃度――オーバー百パーセント』
やはり。
リーレニカの見立て通り、ピエロはマシーナ粒子の集合体だ。
人間じゃない。
だだ〈歩行〉と〈把持〉の単純なプログラムを施しただけの個体。
それが破裂しようとしている。
『矛盾した命令式による暴発を検知』
――自壊か。
マシーナウイルスは無秩序のエネルギー体であると同時に、非論理的な指示に対してはどこまでいっても出鱈目な結果を提示する。
マシーナウイルス単体が持つ不可思議なエネルギー。その使い道を見失うと――爆発するのだ。
リーレニカは自爆までのリミットを見積もり、最短で成すべきことを計算した。
そして、〝殺しの設計図〟をプログラムする。
「フローチャート構築完了。テスト開始」
『所有者確認――承認。プログラム〈リーレニカ〉実行』
リーレニカは生体型デバイスに即興のプログラムを施し、己の〝人間的部分〟を漏れなく排除した。
直後、くそったれは生体型デバイスの力に晒されることとなる。