2話
「はぁ……」
家に帰ると俺は深いため息とともにそのままベッドに体を預ける。
ベッドの柔らかい感触が無気力な俺を包み込む。
このまま意識を手放してしまいたいが、そういうわけにもいかない。
「才能の無駄遣いか……」
俺は颯太……いや、正確には西園寺さんに言われた言葉を思い返す。
その言葉が抜けない棘となり先ほどから俺の心をズキズキと刺していた。
自室の棚にはいくつものトロフィーや賞状が飾ってあり、その周りにはギターに限らず様々な楽器が置いてある。
大きな机の上には作曲用のデスクトップPCとMIDIキーボードがあり、周囲には吸音材がいくつも張られている。
まさに音楽をするためだけの部屋。普通の高校生の部屋ではないのは一目瞭然だろう。
俺には『音楽の才能』があった。
それに気づいたのは三歳のころだった。
親に連れられて訪れた家電量販店でたまたま触れたキーボードを何の知識もない状態で弾いたのだ。
ただ鍵盤を押したわけではない。幼児に人気の有名なアニメ主題歌を両手で弾けてしまった。
もちろん完璧に弾けたわけじゃない。リズムがずれていたり、技術なんて一切なかった。
それでも初めて楽器を触った何の知識もない三歳が両手で一曲を弾きあげてしまったというのは間違いなく才能だった。
全体音感を持っているのは当たり前で、他にも俺には楽曲の感情が楽譜を通して見えた。楽器が自分の体の一部のように演奏できた。
それから俺はその才能を惜しみなく使った。
最年少で地元のピアノコンクールで最優秀賞を取ったり、ピアノ以外にも八歳のころにギターで全国大会に出場したり。
両親はそんな俺をいつも褒めてくれた。
両親は二人とも音楽経験者ではない。だからこそ知らなかったのだ。この年齢で俺が出していた結果の気味悪さに。
小学生になると交友関係も広まり、楽器を演奏する機会も徐々に増えてくる。
例えば合唱コンクールなんてものがある。
学年全体で合唱をして他の学校と見せ合ったりするものだ。一度は皆も経験したことがあるかもしれない。
合唱コンクールでの伴奏者は一番目立つといっても過言ではない。最近ではピアノを習っている小学生も珍しくなく、十五名による伴奏者を決めるオーディションが行われた。
結果は聞くまでもないだろう。伴奏者は当然俺になった。
伴奏者は合唱を支える役目を担わなければならない。
けれど俺の演奏技術は観客から合唱を聞くことすらも忘れさせた。要するに合唱から主役を奪ってしまったのだ
今思えば天才ならそれすらも調整する技術を持っていなければならなかった。
なのにあの頃の俺は天才だということを誇示することしか頭になかったのだ。
そして自分の小学校の合唱は当時は全国紙にも載るほど有名になった。俺にインタビューをしようと記者が学校にまで来たほどだ。
そして俺の歯車はここから少しずつずれていった。
絶対音感といってもそこには何段階か分けられる。
曲を聞けば何の音が分かる人。数回弾けば曲を弾けるようになる人。そして一回弾いただけで耳コピできる人。
そして俺は絶対音感の中でも頂点。すべての音が頭の中で楽譜に変換される。
あれは小学六年生の時だった。
合唱コンクールが終わり俺が絶対音感を持っていることが広まっていった時、何人かが俺を試すように言ってきたことがあった。
『本当に絶対音感なら周りの音を言ってみろよ!』
彼らは伴奏者をした俺に注目が上がったことに対して嫉妬していたのだろう。
今なら間違いなく俺は適当に答えて白けさせていたと思う。それが普通だから。
けれどその時の俺は子供だった。天才であることのリスクを知らなかった。そのため舐められたことに対してむきになってしまったのだ。
それから俺はすべての音を答えた。チャイムの音や信号機の音、スマホの通知音、コンビニの入店音。
すべて正しく答えた俺に送られたものは称賛でも賛美でもなかった。
『気色悪い』
たった一言の嫌悪のみ。畏怖の感情すら抱いていたかもしれない。
そして俺は孤立していった。綺麗な言葉で表すと孤高の存在となったと言うべきか。
中学はそのまま成り上がりだったため、俺が音楽の天才であることは知られたままだった。そのため三年間俺に興味本位以外で話しかけてきた者は一人もいなかった。
あいつは変わってるから。天才じゃない俺たちとは見てる世界が違うから。
そう決めつけられて会話をすることさえもままならない。そんな環境に嫌気がさした俺は中学三年間必死に勉強して、知り合いが誰一人といない隣の県の新学校へと入学した。
高校に入学するのと同時に俺は決意した。『凡人』として生きていこうと。
避けていた音楽関係の部活に入るのは予想外だったが、それもまた普通の青春だろう。
今の生活は俺が十五年間欲してやまなかった普通の生活だった。
「俺は絶対にこの才能を使わない……!」
俺は自分で口にすることで決意を固める。
今までのコンクールやコンサートと比べれば学校の文化祭の盛り上がりなど微々たるものだ。本音を言えば郁人たちのようには興奮できなかった。
それでも普通の学生が興奮するならそれは俺にとって大いに価値がある。
「まぁたまに才能も役に立ってるし」
俺はそんな独り言を漏らしながら机の上のモニターへと視線を移す。
凡人になることを決めた俺だったが、一つだけ未だに才能を使っていることもあった。
それは作曲だ。作曲なら匿名であるためどれだけの才能を使おうと相原 明人という人間が侵されることはない。
それにネットにあげた曲がバズればそれなりに印税も入ってくる。中学ではアルバイト禁止であるためかなり助かっていた。
ずっと才能を押し込んでしまっていては窮屈になってしまう。息抜きとして作曲は俺の唯一の趣味となっていた。
「これでいいんだ……これで……」
杠さんの言葉に上書きするかのように、俺は自分自身に問いかけながらゆっくりと目を閉じた。
朦朧とした意識をベッドは優しく包み込んでいた。
「はぁ……」
家に帰ると俺は深いため息とともにそのままベッドに体を預ける。
ベッドの柔らかい感触が無気力な俺を包み込む。
このまま意識を手放してしまいたいが、そういうわけにもいかない。
「才能の無駄遣いか……」
俺は颯太……いや、正確には西園寺さんに言われた言葉を思い返す。
その言葉が抜けない棘となり先ほどから俺の心をズキズキと刺していた。
自室の棚にはいくつものトロフィーや賞状が飾ってあり、その周りにはギターに限らず様々な楽器が置いてある。
大きな机の上には作曲用のデスクトップPCとMIDIキーボードがあり、周囲には吸音材がいくつも張られている。
まさに音楽をするためだけの部屋。普通の高校生の部屋ではないのは一目瞭然だろう。
俺には『音楽の才能』があった。
それに気づいたのは三歳のころだった。
親に連れられて訪れた家電量販店でたまたま触れたキーボードを何の知識もない状態で弾いたのだ。
ただ鍵盤を押したわけではない。幼児に人気の有名なアニメ主題歌を両手で弾けてしまった。
もちろん完璧に弾けたわけじゃない。リズムがずれていたり、技術なんて一切なかった。
それでも初めて楽器を触った何の知識もない三歳が両手で一曲を弾きあげてしまったというのは間違いなく才能だった。
全体音感を持っているのは当たり前で、他にも俺には楽曲の感情が楽譜を通して見えた。楽器が自分の体の一部のように演奏できた。
それから俺はその才能を惜しみなく使った。
最年少で地元のピアノコンクールで最優秀賞を取ったり、ピアノ以外にも八歳のころにギターで全国大会に出場したり。
両親はそんな俺をいつも褒めてくれた。
両親は二人とも音楽経験者ではない。だからこそ知らなかったのだ。この年齢で俺が出していた結果の気味悪さに。
小学生になると交友関係も広まり、楽器を演奏する機会も徐々に増えてくる。
例えば合唱コンクールなんてものがある。
学年全体で合唱をして他の学校と見せ合ったりするものだ。一度は皆も経験したことがあるかもしれない。
合唱コンクールでの伴奏者は一番目立つといっても過言ではない。最近ではピアノを習っている小学生も珍しくなく、十五名による伴奏者を決めるオーディションが行われた。
結果は聞くまでもないだろう。伴奏者は当然俺になった。
伴奏者は合唱を支える役目を担わなければならない。
けれど俺の演奏技術は観客から合唱を聞くことすらも忘れさせた。要するに合唱から主役を奪ってしまったのだ
今思えば天才ならそれすらも調整する技術を持っていなければならなかった。
なのにあの頃の俺は天才だということを誇示することしか頭になかったのだ。
そして自分の小学校の合唱は当時は全国紙にも載るほど有名になった。俺にインタビューをしようと記者が学校にまで来たほどだ。
そして俺の歯車はここから少しずつずれていった。
絶対音感といってもそこには何段階か分けられる。
曲を聞けば何の音が分かる人。数回弾けば曲を弾けるようになる人。そして一回弾いただけで耳コピできる人。
そして俺は絶対音感の中でも頂点。すべての音が頭の中で楽譜に変換される。
あれは小学六年生の時だった。
合唱コンクールが終わり俺が絶対音感を持っていることが広まっていった時、何人かが俺を試すように言ってきたことがあった。
『本当に絶対音感なら周りの音を言ってみろよ!』
彼らは伴奏者をした俺に注目が上がったことに対して嫉妬していたのだろう。
今なら間違いなく俺は適当に答えて白けさせていたと思う。それが普通だから。
けれどその時の俺は子供だった。天才であることのリスクを知らなかった。そのため舐められたことに対してむきになってしまったのだ。
それから俺はすべての音を答えた。チャイムの音や信号機の音、スマホの通知音、コンビニの入店音。
すべて正しく答えた俺に送られたものは称賛でも賛美でもなかった。
『気色悪い』
たった一言の嫌悪のみ。畏怖の感情すら抱いていたかもしれない。
そして俺は孤立していった。綺麗な言葉で表すと孤高の存在となったと言うべきか。
中学はそのまま成り上がりだったため、俺が音楽の天才であることは知られたままだった。そのため三年間俺に興味本位以外で話しかけてきた者は一人もいなかった。
あいつは変わってるから。天才じゃない俺たちとは見てる世界が違うから。
そう決めつけられて会話をすることさえもままならない。そんな環境に嫌気がさした俺は中学三年間必死に勉強して、知り合いが誰一人といない隣の県の新学校へと入学した。
高校に入学するのと同時に俺は決意した。『凡人』として生きていこうと。
避けていた音楽関係の部活に入るのは予想外だったが、それもまた普通の青春だろう。
今の生活は俺が十五年間欲してやまなかった普通の生活だった。
「俺は絶対にこの才能を使わない……!」
俺は自分で口にすることで決意を固める。
今までのコンクールやコンサートと比べれば学校の文化祭の盛り上がりなど微々たるものだ。本音を言えば郁人たちのようには興奮できなかった。
それでも普通の学生が興奮するならそれは俺にとって大いに価値がある。
「まぁたまに才能も役に立ってるし」
俺はそんな独り言を漏らしながら机の上のモニターへと視線を移す。
凡人になることを決めた俺だったが、一つだけ未だに才能を使っていることもあった。
それは作曲だ。作曲なら匿名であるためどれだけの才能を使おうと相原 明人という人間が侵されることはない。
それにネットにあげた曲がバズればそれなりに印税も入ってくる。中学ではアルバイト禁止であるためかなり助かっていた。
ずっと才能を押し込んでしまっていては窮屈になってしまう。息抜きとして作曲は俺の唯一の趣味となっていた。
「これでいいんだ……これで……」
杠さんの言葉に上書きするかのように、俺は自分自身に問いかけながらゆっくりと目を閉じた。
朦朧とした意識をベッドは優しく包み込んでいた。