天才は凡人じゃいられない

プロローグ

 いつからだろうか。『天才』という言葉を拒絶し始めたのは。

 最初は好きだった。天才と呼ばれることが誇らしかった。それが自分のアイデンティティだと思っていた。
 けれど月日が経てばその言葉の本当の意味合いを嫌でも理解してしまう。
 天才とは称賛の言葉ではなく、普通の人とは違うという差別する言葉なのだと。自分とは違う部類の人間だと判別する言葉なのだと。

 天才と称される者の中には好んで孤高を貫く者もいるかもしれない。けれど大多数がそうでないのは事実。周りの環境が孤高に追い込んでいるのだ。自分たちとは違う、そう言って歩み寄ろうとする天才を一言で断絶して孤独にさせるのだ。
 天才はマジョリティではなく、マイノリティだ。ゆえにこの気持ちすらも理解されることはない。天才だからこその悩み、そんな適当な言葉で表されるのがオチだ。

 俺だって対等な友人が欲しかった。些細なことで一喜一憂して同じ感情を分かち合いたかった。たとえそれが偽りの感情であるとしても大多数でありたかった。だから俺は……

 ――凡人になることを選んだ。

1話

 紅葉が色づき、風に揺られて金木犀の香りが漂う季節。

明人(あきと)! 今日もバンドの練習に参加するよな?」
「もちろん」

 ホームルームが終わると、真っ先に爽やかな青年が駆け寄ってきた。
 彼の名前は立花(たちばな) 郁人(いくと)
 容姿端麗、成績優秀、運動神経も良く、社交性もあるため誰からの評価も良くクラスの中心的存在を担っている男だ。
 天は二物を与えず、なんて言葉があるがどうやら神も間違えることはあるらしい。
 俺たちは教室を出てから目的地に向かうために廊下を歩いていると、隣にいる郁人が小さな溜息をついた。

「はぁ、一週間前に戻りてぇ」
「やっぱりあの高揚感は忘れられない?」
「忘れられるわけないだろ! マジでバンドやってて良かったって思ったね」

 郁人は白い歯を見せて嬉しそうに口にした。
 一週間前には自分たちの高校の文化祭があった。
 一年生の俺たちにとって初めての文化祭。そして軽音部に入った俺たちにとって初めての舞台。
 緊張と興奮が入り混じった中での初舞台は、今の郁人からも分かるように大成功となった。
 観客の動員数は先輩たちの力によるものが大きいが、観客の盛り上がり方は先輩たちにも劣っていなかったように感じた。
 それは同じバンドメンバーである郁人も感じていたようで一週間前からずっとこのあり様である。

「やっぱり明人をバンドに誘ってよかったぜ。明人がいるだけで盛り上がり方が桁違いになるからな」
「気のせいじゃない?」
「そんなわけないだろ! お前の音楽の才能はプロ並みなんだからよ」
「……言いすぎだよ。ちょっと人より練習しただけだから」

 謙遜すんなって、そう言って笑いながら俺の肩を小突いてくる郁人。
 俺は郁人たちと最初からバンドを組んでいたわけではない。俺が軽音部に入ったのは夏休み前だ。
 もともと郁人たちのバンドはギターとベースとドラムの三人が揃っていたのだが、ギター担当が部活に来なくなってしまった。このままではバンド解散になるといった時、郁人と同じクラスだった俺に白羽の矢が立ったわけだ。クラスの最初の自己紹介で音楽経験のあることを説明していたからだろう。
 教室から部室はさほど遠くないため、すぐにたどり着いた。
 部室に入ると、既に他の軽音部に所属している学生たちが各自で練習していた。先輩たちは別の部屋でバンドごとに練習しているのだが、部屋の数も少ないため一年生は一つの部屋で色々な音が入り乱れた状況で練習をすることになる。
 郁人はいつも不平不満を垂れているがそれでも音が出せる部屋があるだけありがたい方だろう。

「まだ颯太(そうた)は来てないっぽいな」
「すぐに来るんじゃないかな?」

 佐藤(さとう)颯太。俺たちのバンドメンバーの一人でベースを担当している。
 郁人とは正反対で穏やかな性格でいつも落ち着いているのが印象の優しい青年だ。
 俺がギターで郁人がドラム。この三人で俺たちのバンドは構成されていた。
 バンドの基本構成は四人であるため少ない人数ではあるが、俺たちのバンドでは郁人がボーカルも担当してくれているためバンドとして成り立っていた。
 
「じゃあ俺たちは先に練習しておくか」
「そうだね」

 それから俺たちはいつも通り時間ぎりぎりまで楽器の練習に励んだ。
 部活が終わるころには既に日も落ちていた。
 この季節になると夜風が冷たく、肌寒く感じてくる。
 俺は郁人と颯太と帰り道が同じなので二人と一緒に帰路についていた。
 
「そういえば颯太。今日は何で遅れてたんだ? いつもお前が一番最初に来てるのに」

 帰り際に郁人が興味深そうに颯太に尋ねる。
 あの後、颯太は三十分ぐらい経ってから部室にやってきたのだ。
 すると颯太は郁人の質問に少し眉をひそめて困った表情を見せた。

「なんか変な人に絡まれちゃって……」
「「変な人?」」

 俺と郁人は彼の発言に思わず反芻してしまった。

「部室に来る前、ある生徒に待ち伏せされててさ。明人を呼んで連れて来いって何度も頼まれんだ」
「俺を?」

 急に出てきた自分の名前に俺は首をかしげる。

「うん、なんか雰囲気的に良さそうなものじゃなかったから僕も無視したんだけどね」
「どんな人だったんだ? 俺の知ってる人か?」
「名前だけなら聞いたことがあると思うよ。西園寺(さいおんじ) 杠《ゆずりは》。うちの高校の高嶺の花だよ」

 西園寺 杠。俺たちと同じ一年生の女子生徒だ。
 この高校で一番の美女は誰かと問われれば間違いなく大多数が彼女を指すだろう。
 さらに模試やテストは入学当初から一位以外を取ったことを見たことがないほどの秀才。
 高嶺の花。そんな風に周りからは呼ばれているほどだ。
 今まで先輩を含めた何十人もの男子生徒が彼女に告白したのだが、全て一撃で断られている。
 それは男子に限った話ではない。彼女のステータスのおこぼれを貰おうと近づいてきた女子でも話すら聞かない。
 そういったことを半年も繰り返していると、西園寺さんはいつの間にか誰も寄り付くことのない孤高の存在となっていた。
 そんな彼女がわざわざ俺を名指しで呼び出そうとしている。
 このような状況、男子高生なら一つの希望を見出してしまうのが道理というものだ。

「……もしかして俺に告白とかだったんじゃないのか?」
「いや、なんか怒ってぽいし、会わせたら絶対に問題が起きるって丸分かりだったから」
「まじか…………って、怒ってた? なんで?」

 俺は別に西園寺さんとは何の接点もない。同じクラスでもないため一回も話したこともない。
 そんな彼女に俺は怒らせることをしてしまったのだろうか。

「さぁ? でもなんか言ってた気がする……」

 颯太は一生懸命頭をひねって彼女の言葉を思い出す。
 あっ、とそれから思い出したように口を開いた。

「そうだ、才能(、、)の無駄遣いがなんちゃらって言ってたんだ」
「……っ!」

 俺は颯太の言葉に思わず息をのんでしまう。
 久しぶりに聞いた昔に拒絶したはずの言葉。もう二度と自分にかけられることがないと思っていた言葉。
 流石に考えすぎのはずだ。何の面識もない彼女が俺の過去を知っているわけがない。
 
 黙り込んでいると、そんな俺を見かねた郁人が言った。 

「まぁ文化祭での明人のギターソロは目立ったからなぁ。それで興味持ったんじゃね?」
「そ、そうかな」
「あの曲だって明人が一人で作った曲なのにカバーと遜色なしに盛り上がったよね。僕もドラムとしてもっと頑張らないと!」

 意気揚々としている郁人と颯太。
 確かに俺のソロパートはそこそこの盛り上がり方を見せた。オリジナル曲だってある程度盛り上がるように仕上がったと思う。
 それでも俺の演奏は普通の高校生(、、、、、)が努力して出せる程度の実力だ。そこには才能の欠片もない。

「二人とも! 明日も授業が終わったらすぐに集合だからな! 一か月後には演奏会があるんだから!」

 演奏会とはその名の通りバンドに限らず様々な演奏が行われる行事のことだ。
 しかしその規模は文化祭をも超える。文化祭の観客は高校生だけであったが、演奏会は高校生だけではない。
 この街で一番大きい商店街で行われるため会場は数千人を収容できるほどの大きさだ。有名バンドや歌手をゲストとして呼ぶため、毎年かなりの盛り上がりを見せる行事である。
 そんな演奏会に今年は俺たち軽音部も参加できることになった。
 あれほど盛り上がった文化祭よりも大きい舞台。興奮しないわけがなかった。

「明人! 次もオリ曲頼んだぜ!」
「任せといてよ!」

 郁人がはにかんで突き出した拳に俺も自分の拳をこつんと当てる。
 そのまま俺たちは他愛ない話をしながらそれぞれの家へと帰っていった。

 これで良かった。これが良かった。俺はこういう普通(、、)の青春が出来れば満足なのだ。
2話

「はぁ……」

 家に帰ると俺は深いため息とともにそのままベッドに体を預ける。
 ベッドの柔らかい感触が無気力な俺を包み込む。
 このまま意識を手放してしまいたいが、そういうわけにもいかない。

「才能の無駄遣いか……」

 俺は颯太……いや、正確には西園寺さんに言われた言葉を思い返す。
 その言葉が抜けない棘となり先ほどから俺の心をズキズキと刺していた。
 自室の棚にはいくつものトロフィーや賞状が飾ってあり、その周りにはギターに限らず様々な楽器が置いてある。
 大きな机の上には作曲用のデスクトップPCとMIDIキーボードがあり、周囲には吸音材がいくつも張られている。
 まさに音楽をするためだけの部屋。普通の高校生(、、、、、)の部屋ではないのは一目瞭然だろう。

 俺には『音楽の才能』があった。
 それに気づいたのは三歳のころだった。
 親に連れられて訪れた家電量販店でたまたま触れたキーボードを何の知識もない状態で弾いたのだ。
 ただ鍵盤を押したわけではない。幼児に人気の有名なアニメ主題歌を両手で弾けてしまった。
 もちろん完璧に弾けたわけじゃない。リズムがずれていたり、技術なんて一切なかった。
 それでも初めて楽器を触った何の知識もない三歳が両手で一曲を弾きあげてしまったというのは間違いなく才能だった。
 全体音感を持っているのは当たり前で、他にも俺には楽曲の感情が楽譜を通して見えた。楽器が自分の体の一部のように演奏できた。

 それから俺はその才能を惜しみなく使った。
 最年少で地元のピアノコンクールで最優秀賞を取ったり、ピアノ以外にも八歳のころにギターで全国大会に出場したり。
 両親はそんな俺をいつも褒めてくれた。
 両親は二人とも音楽経験者ではない。だからこそ知らなかったのだ。この年齢で俺が出していた結果の気味悪さに。

 小学生になると交友関係も広まり、楽器を演奏する機会も徐々に増えてくる。
 例えば合唱コンクールなんてものがある。
 学年全体で合唱をして他の学校と見せ合ったりするものだ。一度は皆も経験したことがあるかもしれない。
 合唱コンクールでの伴奏者は一番目立つといっても過言ではない。最近ではピアノを習っている小学生も珍しくなく、十五名による伴奏者を決めるオーディションが行われた。
 結果は聞くまでもないだろう。伴奏者は当然俺になった。

 伴奏者は合唱を支える役目を担わなければならない。
 けれど俺の演奏技術は観客から合唱を聞くことすらも忘れさせた。要するに合唱から主役を奪ってしまったのだ
 今思えば天才ならそれすらも調整する技術を持っていなければならなかった。
 なのにあの頃の俺は天才だということを誇示することしか頭になかったのだ。
 そして自分の小学校の合唱は当時は全国紙にも載るほど有名になった。俺にインタビューをしようと記者が学校にまで来たほどだ。

 そして俺の歯車はここから少しずつずれていった。

 絶対音感といってもそこには何段階か分けられる。
 曲を聞けば何の音が分かる人。数回弾けば曲を弾けるようになる人。そして一回弾いただけで耳コピできる人。
 そして俺は絶対音感の中でも頂点。すべての音が頭の中で楽譜に変換される。

 あれは小学六年生の時だった。
 合唱コンクールが終わり俺が絶対音感を持っていることが広まっていった時、何人かが俺を試すように言ってきたことがあった。

『本当に絶対音感なら周りの音を言ってみろよ!』

 彼らは伴奏者をした俺に注目が上がったことに対して嫉妬していたのだろう。
 今なら間違いなく俺は適当に答えて白けさせていたと思う。それが普通だから。
 けれどその時の俺は子供だった。天才であることのリスクを知らなかった。そのため舐められたことに対してむきになってしまったのだ。
 それから俺はすべての音を答えた。チャイムの音や信号機の音、スマホの通知音、コンビニの入店音。
 すべて正しく答えた俺に送られたものは称賛でも賛美でもなかった。

『気色悪い』

 たった一言の嫌悪のみ。畏怖の感情すら抱いていたかもしれない。
 そして俺は孤立していった。綺麗な言葉で表すと孤高の存在となったと言うべきか。
 中学はそのまま成り上がりだったため、俺が音楽の天才であることは知られたままだった。そのため三年間俺に興味本位以外で話しかけてきた者は一人もいなかった。
 あいつは変わってるから。天才じゃない俺たちとは見てる世界が違うから。
 そう決めつけられて会話をすることさえもままならない。そんな環境に嫌気がさした俺は中学三年間必死に勉強して、知り合いが誰一人といない隣の県の新学校へと入学した。
 高校に入学するのと同時に俺は決意した。『凡人』として生きていこうと。

 避けていた音楽関係の部活に入るのは予想外だったが、それもまた普通の青春だろう。
 今の生活は俺が十五年間欲してやまなかった普通の生活だった。

「俺は絶対にこの才能を使わない……!」

 俺は自分で口にすることで決意を固める。
 今までのコンクールやコンサートと比べれば学校の文化祭の盛り上がりなど微々たるものだ。本音を言えば郁人たちのようには興奮できなかった。
 それでも普通の学生が興奮するならそれは俺にとって大いに価値がある。
 
「まぁたまに才能も役に立ってるし」

 俺はそんな独り言を漏らしながら机の上のモニターへと視線を移す。
 凡人になることを決めた俺だったが、一つだけ未だに才能を使っていることもあった。
 それは作曲だ。作曲なら匿名であるためどれだけの才能を使おうと相原(あいばら) 明人という人間が侵されることはない。
 それにネットにあげた曲がバズればそれなりに印税も入ってくる。中学ではアルバイト禁止であるためかなり助かっていた。
 ずっと才能を押し込んでしまっていては窮屈になってしまう。息抜きとして作曲は俺の唯一の趣味となっていた。 

「これでいいんだ……これで……」

 杠さんの言葉に上書きするかのように、俺は自分自身に問いかけながらゆっくりと目を閉じた。
 朦朧とした意識をベッドは優しく包み込んでいた。
3話

 事件は、次の日すぐに起きた。
 七限が終わって放課後となり、部室に向かおうとしていた時だった。
 一人の女子生徒が俺たちのクラスを訪れる。

「失礼します」

 凛とした女子生徒の声が教室に響く。
 先ほどまで騒がしかったはずの教室には一瞬で静寂が訪れた。
 他の生徒であれば他の生徒の声でかき消されていただろう。
 けれど彼女だけは別だ。周りの視線が一手に集まっている。

佐伯(さえき)君はいるかしら?」

 そして次の彼女の言葉で彼女に向けられていた視線は今度は俺に集まる。
 佐伯という苗字はこのクラスには一人しかいない。
 そしてこれほど人から注目を集めれる女子生徒もこの学校には高嶺の花である彼女しかいない。

「俺に何か用? 西園寺さん」

 俺は席から立ち上がり、彼女の元へと向かう。
 昨夜、颯太から西園寺さんが俺を探していると聞いてから薄々嫌な予感は覚えていた。
 しかし、まさかこれほど堂々と俺を呼びに来るとは思ってもいなかった。
 おかげで周りからの視線はかなり痛い。男女問わずクラスメイト達は何があったのかとざわついていた。

「ここでは話しづらいからちょっとついて来てくれない?」

 西園寺さんは特に表情を変えることなく告げた。
 彼女の含みのある言葉にさらに教室のざわつきは大きくなる。
 
「…………」

 今から部活があるから、そう言って断ろうと思った。
 けれどこの状況で、この場面で、普通の高校生なら部活と美女どちらを優先するだろうか。
 間違いなく美女を取るだろう。
 それに昨日から探していたとなると、先延ばしにしようとしたところで彼女がここで引き下がるとは思えなかった。

「分かったよ」
「じゃあついて来て」

 俺は西園寺さんの言う通りにして、先を歩く彼女の背中を追った。
 大勢がいる場所では話すことのできない会話。
 クラスメイトたちは俺と西園寺さんの後ろをこっそりつけようとしていたようだが、彼女が一睨みしたことで彼らはあっさりと諦めた。

 西園寺さんが選んだ場所は屋上だった。
 昼休みは昼食をとるためにかなりの生徒がいるが、放課後は全く人気がなくなる。
 誰にも聞かれたくない会話をするには適しているだろう。

「それでこんな場所に俺を連れてきて何の話? 告白とかされちゃうのかな?」

 先ほどから一切の会話のない重苦しい空気を紛らわすように俺は軽口をたたく。
 もちろんこれから彼女が語る会話の内容がそんなものでないのは俺も分かっていた。
 少しでも場が軽くなれば、少しでも和めば良かった。
 けれど帰ってきた返答は想像もしていないようなものだった。

「思ってもないことを言わないでちょうだい。その薄っぺらく作られた人格を見ると吐き気がするわ」
「は?」

 突然、胸を刺されたような衝撃が俺を襲う。 
 一瞬固まりそうになってしまったが、咄嗟に俺は笑顔でどうにか取り繕うとする。

「ははっ、急に何を――」

 しかし彼女はそんな俺の言葉さえも遮った。

「分かるわよ。私と君は同類(、、)なんだから」
「…………」

 同類。その二文字だけで彼女は俺との立ち位置を表す。
 おそらく彼女は俺に自分と同じような才能があると考えているだろう。
 昨日の颯太の件がなければ俺も戸惑っていたかもしれない。

「文化祭でのバンド、君が作曲したらしいわね?」
「……そうだね」
「あの作曲技術と演奏技術は普通の高校生には真似できないわ。まぁ演奏に関しては明らかに手を抜いていたみたいだけど」

 よく見てるな、それが俺の彼女の第一印象だった。
 あの一回の演奏でそれほどの判断が出来る者はいない。
 作曲はさておき、演奏に関しては別に俺は手を抜いた覚えはない。
 小学校の合唱コンのように浮かないようにしただけだ。
 バンドは一人で行うものではないため郁人たちと歩幅を合わせただけである。彼女にはそれが俺が実力を隠しているように見えたのだろう。

「それで用件は何?」

 俺は単刀直入に彼女に尋ねた。
 話し合いを長引かせてしまえば周りからも変に見られる。
 すると彼女は鋭い目つきで口にした。

「教えてほしいの。なぜ君は圧倒的な才能を持っているのに凡人のふりなんてしているのか」

 彼女の瞳孔は俺を瞳を真に捉える。
 この場では何の誤魔化しも通用しないと知らされる。

「先に俺も質問していいか?」
「えぇ、どうぞ」
「君は何の才能を持っているんだ? 同類だと言ったろ?」

 俺は彼女の外見についてしか知らなかった。
 おそらく彼女の圧倒的な自信はその美貌ではない。

「それなら見せた方が早いわね」
「見せる?」

 西園寺さんはポケットからスマホを取り出して何やら準備を始めた。
 準備したスマホを俺と彼女の間に置く。

「一番だけ聞かせてあげる」

 そう言った直後、彼女のスマホからロックな音楽が流れ始めた。
 印象深いギターからの導入で始まるかなり昔の曲だった。どうやら今からこの曲を歌うらしい。

 西園寺さんは深く息を吸い込んで大きく吐く。
 そして右手を胸に当てて閉じていた口を大きく開いた。


「午前0時の~~」


「――――っ!」

 俺は西園寺さんの歌声に思わず目を見開いて全身に鳥肌が立った。

 第一声から彼女の歌声は俺の耳を易々と貫く。美声なんて言葉で表せるものではなかった。
 息をのむ、なんて言葉があるが本物の衝撃があった時は本当に息をのんでしまうらしい。
 彼女の歌声は一瞬で相手の心を鷲掴んで震わせる。全ての生物の意識を奪う。
 カッコよく可愛い曲を彼女は完璧に歌いこなす。
 歌姫。この言葉が彼女以上に相応しい人物を俺は知らない。圧倒的な才能が俺を襲っていた。

 それから俺は西園寺さんが歌い終えるまで一歩も動くことが出来なかった。
 呼吸をも忘れさせるほどの圧倒的な歌声。心臓がドクドクと跳ね上がっているのが分かる。
 歌い終えた彼女はふぅ、とひと段落着いてから置いていたスマホを拾う。

「私、今はネットで歌い手として活動してるの。チャンネル登録者もそれなりにいるわ」

 西園寺さんはそう言って俺にスマホの画面を見せてくれる。
 そこにはDivaという名前のアカウントがあった。
 チャンネル登録者は四十万人と記載されている。それなりどころではない。
 今まで彼女の歌声をどこかで聞いていてもおかしくないほどの人数だ。
 普通なら嘘だと疑うところから入るのだが、彼女の歌声を聞いた後ではそんな馬鹿げた数字もすんなりと受け入れられてしまう。

「私は私の才能を自分のために使ってるわ。なのに貴方はその才能を無駄にしようとしている。どうして凡人として振舞おうとするのかしら?」
「西園寺さんが思ってるより俺は凄い人じゃないよ」
「私が天才だと思ったのなら佐伯君は天才なのよ」
「……ははっ、傲慢だね」

 他人の意見なんて気にしない。まさしく天才であり、孤高である人間の在り方だった。
 だからこそ俺の想いなど彼女には絶対に共感出来ない。

「西園寺さんは自分の才能で嫌な目にあったことはある? 嫉妬されたり気味悪がられたりとか」
「もちろんあるわ」
「俺はそれで自分の才能を使わないことを決めたんだ。俺は普通の生活が出来ていればそれで十分だから」

 俺は二度とあんな思いをしたくなかった。孤独になりたくなかった。
 一人で惨めな思いをするくらいなら才能など簡単に手放せる。
 
「馬鹿じゃないの?」

 しかし俺の想いを西園寺さんは軽々と一蹴した。
 彼女は呆れたようなため息とともに口にする。

「確かに天才は孤高の存在よ。誰にも共感なんてされないし、凡人と同じ思いを分け合うことも出来ない」

 彼女は俺の言葉を肯定する。
 そして肯定した上で否定する。

「けれど天才の周りには吸い込まれるように天才が集まるわ。応援してくれるファンも何十万人といる」

 西園寺さんの意志は固く揺るがない。

「それにその才能は今まで何百時間とかけて磨いてきたものなんでしょう? 本当に君は納得してその才能を捨てられるの?」
「俺は自分で納得して――」
「今も未練が残ってるんじゃないの? だからバンドなんてしてるんじゃないの?」
「――っ!」

 思わず俺は言葉を詰まらせてしまった。
 郁人たちに誘われたから仕方なくバンドをしている。お小遣いを稼げるから仕方なく作曲活動をしている。
 俺はそう自分に言い聞かせてここまでやってきた。
 西園寺さんの言う通り本気で才能を捨てたければ音楽すらも捨てられたはずだ。バンドだって適当な理由で断れた。
 なのに俺は今も楽器を持っている。それは自分でも気づかないうちに未練が残っていたからなのかもしれない。

「私、一か月後にある商店街の演奏会にDivaとして出るの。そこで初めて顔出しをするわ」

 チャンネル登録者四十万人の歌い手なら演奏会にゲストとして呼ばれてもおかしくない。
 彼女の歌声なら盛り上がることは間違いなしだろう。プロの歌手にも引けを取らないのだから。

「その時に歌う曲を簡単なものでいいから佐伯君に作ってほしい。そしてギターとして一緒に舞台に立ってほしい」
「……俺に?」

 初めて顔出しをする大舞台で何の実績もない俺を隣に立たせる。この意味を西園寺さんが分かっていないはずがない。
 このご時世、地元で行われる演奏会だろうと一瞬で動画は拡散される。
 俺の行動次第で彼女の運命は大きく変わってしまうだろう。
 そんなリスクさえも顧みず初対面の俺を彼女は運命の分岐点に誘っているのだ。

「一週間待つわ。嬉しい報告が聞けることを楽しみにしてる」

 西園寺さんは言いたいことだけを言って颯爽と屋上から去っていった。
 取り残された俺は広々とした屋上で下を向いていることしか出来なかった。
4話

 天才は孤独だ。
 凡人からは共感されず、秀才からは妬まれる。なんなら学生の頃は社会の輪から協調という二文字で排他される始末だ。
 そのため強制的に天才は消えていく。天才の中でもさらなる天才だけがこの世に残れる。

 西園寺さんとの会話を終えた後、俺は郁人たちに連絡を入れてからそのまま帰路に就いた。
 あの後から部活をするほどの余裕はなかったためだ。

「演奏会か……」

 帰り道、俺は彼女に言われたことを思い返す。
 俺が軽音部として演奏会に出る予定だったことは西園寺さんは知っているのだろうか。
 どちらにしても俺は選ばなければならない。
 郁人たちのバンドを取るのか。西園寺さんを取るのか。
 正確にはこう言うべきだろうか。

 凡人であり続けるのか、天才としての道を進むのか。

 両方に参加するという選択肢は俺にはなかった。
 今までの俺なら間違いなく郁人たちを選んでいた。初対面の西園寺さんの手を取る理由がない。
 けれど今の俺は間違いなく揺らいでいた。目の前で天才を実際に見てしまったから。

「俺の曲があれば……」

 先ほどから考えないようにしようとしても妄想が止まらない。
 俺の作った曲を歌う西園寺さんの姿が目に浮かぶ。俺の演奏でどうやって盛り上げようか何パターンも思いついてしまう。
 俺の才能と彼女の才能による化学反応をどうしても見てみたかった。
 おそらくそれは西園寺さんも同じだろう。だからわざわざ俺を探してまで誘ったのだ。
 
「でもそれじゃ裏切ることになる」

 もし西園寺さんの手を取ればそれは郁人たちのバンドを抜けることを指す。
 中途半端にどちら友の手を取るなんて甘い考えは通用しない。
 そして彼女の手を取った場合、今まで俺が偽りの実力を見せてきたこともバレるだろう。彼らからすれば裏切られたと感じてもおかしくはない。
 最悪の場合、交友関係さえも悪化しかねる。それが天才の道を進むということなのだ。
 その道を進むためなら他の何もかもを排他する。覚悟というより執念に近いかもしれない。

「…………」

 ここで大人しく郁人たちの手を取ればこのまま平和な生活が続く。
 凡人として平凡な人生で平凡な生活を送ることが出来るのだ。
 俺はそのためにわざわざ誰も知り合いのいない高校にまで来た。今更何を迷うことがあるのだろうか。

「でもこのチャンスを逃したくはない」

 西園寺さんの運命の分岐点でもあるように、ここは俺の運命の分岐点でもある人生のターニングポイント。

 西園寺さんはこれからDivaとして一人でも勝手に有名になっていくだろう。
 それこそ俺などでは二度と手の届かないような場所まで羽ばたくはずだ。
 もし俺が彼女の活動に携われることがあるとすればこれが最後の機会となる。

 高校からなったように平凡にならいつでもなれるのではないか、そう思うかもしれない。
 けれど今回彼女の手を取ればそれは叶わなくなる。
 天才にかかわるということはすなわち天才の領域に踏み込むということ。
 一度領域に踏み入れてしまえばよっぽどのことがない限り逃げることは出来なくなる。

「俺は…………」
5話

 西園寺さんとの邂逅から一週間が経った。

 傍からすれば天才だの凡人だの何を自意識過剰なことを言っているのかと思われるかもしれない。
 確かに俺より才能がある人はいくらでもいる。天才という二文字は俺には相応しくないかもしれない。
 けれどそこに努力を加えられる人間は数少なくなる。
 天才とは好んで尋常ではない努力が出来る者だと俺は考えている。
 好きこそ物の上手なれ、なんて言葉があるくらいだ。そこに元々の才能が加われば天才が生まれるのだと俺は思う。
 俺は今まで千時間を超えるほど音楽に時間を費やしてきた。寝る間も惜しんで楽器を触ってきた。

 そんな俺の前に突然舞い降りた同じ天才と関われるチャンス。

「ふふっ、やっぱり君なら来てくれると思ったわ」

 俺を前にした西園寺さんは口角をつり上げる。
 まるで俺が来ることを信じきっていた様子だった。

「俺が来なかったらどうするつもりだったんだ?」
「その時は適当にカバー曲でも歌う予定だったわ。まぁ佐伯君のような天才がこの機会を逃すわけがないけれど」

 俺の問いに西園寺さんは微笑みながら答えた。
 今まで俺の感情は俺にしか出来ないと思っていた。けれど彼女は俺の考えすらも見越したように語る。
 これが彼女の言う天才なら天才と分かち合えばいいというものなのだろうか。

「それで佐伯君のバンドには了承を得たのかしら?」
「知ってたんだな。演奏会に出ること」
「もちろん。情報がなければ誘うなんてこと出来ないもの」

 学校でバンドをした文化祭から一週間も経ってから西園寺さんが俺を誘った理由は、どうやらその間に俺の情報を集めていたからのようだ。

「やりたいことが見つかったって言ったら笑顔で送り出してくれたよ……」
「良い友達を持ったわね」
「あぁ、俺には勿体ないぐらいだよ」

 嫌われることも覚悟で俺は包み隠さず全てのことを郁人と颯太に話した。
 すると二人は笑顔で俺が西園寺さんとバンドを組むことを了承してくれた。
 俺が彼女とバンドを組むということは、郁人たちのバンドを抜けることを意味する。もし俺がこの期間にバンドを抜ければ三週間後の演奏会に参加するのは不可能となる。
 それを承知で二人は俺を快く送り出してくれた。

『まぁ明人の才能は俺たちじゃ手に負えないのは分かってたことだしな。明人がもっと活躍してくれるならお前と最初に組めたバンドメンバーとしてこれ以上に誇らしいことはねぇよ』
『文化祭で一緒に演奏できただけでも楽しかったよ。僕たちも負けないようにこれからも頑張るから!』

 俺は二人に本当の実力を見せないようにしていたが、薄々二人とも俺が実力を隠していることを察していたらしい。
 それでもなお俺が自分から口にするまでは聞かないでいてくれた。
 本当に二人には感謝してもしきれない。
 改めてこの二人とだけはずっと友達でいたいと思った。

「それは私にはもう手に入らない存在よ。大切にするのね」

 西園寺さんは俺には聞こえないような声量でぼそりと呟いた。
 聞き直そうとしたが、これ以上は彼女はその話題を口にすることはなかった。

「ちなみに演奏会まであと三週間しかないわ。それまでに私の隣に立てるぐらいのレベルまで仕上げられるのかしら?」
「何を言ってるんだ?」
「え?」

 俺の言葉に西園寺さんは虚を突かれたかのように唖然とする。
 いつも平然としている彼女には驚いた姿は珍しかった。

「隣に立つなら俺は堂々と西園寺さんを食らう。余裕かましてると俺の方が注目を浴びるぞ?」

 再び本気で音楽をやるのと決めたなら俺は二度と躊躇わない。
 今まで培ってきた経験を才能と絡めて惜しみなく使わせてもらう。
 それで西園寺さんが目立たなくなるようでは彼女もそれまでということだ。

「ふふっ、やっぱり佐伯君もちゃんとこっち側の人間のようね」
「誉め言葉として受け取っておくよ」

 俺の好戦的な姿勢に西園寺さんは嬉しそうに口角をあげる。
 それから俺たちは演奏会に向けての話し合いを始めた。


 そして三週間後、俺たちの初舞台である演奏会が始まる。
6話

 演奏会当日。俺は西園寺さんと舞台裏で準備をしていた。
 今演奏しているバンドが終われば、自分たちの番である。

「意外と観客の数って多いんだね」
「時間も関係してるわね。この時間は大物ゲストが多いから」
「そんな時間に出来るなんてDiva様様だね」
「私の初の顔出しだもの。今演奏しているバンドよりは何倍も盛り上がらせて見せるわ」

 西園寺さんは自信ありげに答える。
 これがただの自意識過剰ではなく事実なのが凄いものだ。
 大物ゲストが参加すると言っても街の演奏会。例年は数千人が参加すればいいくらいの規模だった。
 しかし今年は一味違う。他のゲストが豪華なのもあるが、西園寺さんの力はかなり大きい。
 実際に現在SNSではDiva顔出しとトレンドに入っているレベルだ。彼女曰く、演奏会が終わればネットニュースになるのも時間の問題だとか。
 彼女目当てで参加したこの街以外の人も多く、今年の演奏会はかなりの盛況っぷりだった。

「だから私の足を引っ張らないようにね。佐伯君」
「それはこっちのセリフだ。ちゃんと俺の曲を歌いこなしてくれよ?」

 俺は彼女に協力する約束をしてから二週間で曲を仕上げた。
 学校以外の全ての時間を注いで作った一曲。今まで作ってきた曲の中でもかなり素晴らしい仕上がりになったと思う。
 しかしその分歌い手に求める実力は高い。この曲は誰もが簡単に歌いこなせるように作ってはいない。
 音楽の才能を持つ俺から歌手としての才能を持つ西園寺さんへの挑戦状のようなものだった。

「誰に言っているのかしら? 私はDiva様よ?」
 
 俺の煽りにも西園寺さんは好戦的に笑う。
 普通の人なら緊張で足が震えてしまう状況でも彼女には心の底から楽しめる余裕があった。
 実際にこの短い練習期間で彼女は完璧近くまで仕上げてきていた。

「俺も頑張らないとな……」

 西園寺さんには聞こえないぐらいの声量で俺は呟いた。
 この演奏会には郁人と颯太は参加していない。しかし俺の舞台を見るためにわざわざ足を運んでくれていた。
 俺は彼らを捨てて西園寺さんの手を取った。それで二人に無様な恰好など見せてしまおうなら俺は二度と二人の前に立てなくなる。
 ここで全力を出して二人を楽しませることが唯一俺に残された二人に対する恩返しだろう。

『次はDivaです~!!』

 前のバンドが演奏を終えたため、俺たちを呼ぶアナウンスが届く。
 その後、観客たちの歓声が響きわたった。それだけDivaの初顔出しが期待されているということだ。

「行くわよ。天才」
「あぁ、やってやるよ。天才」

 俺たちはこつんと拳を当てて、舞台襟から堂々と舞台へと上がった。