1話
紅葉が色づき、風に揺られて金木犀の香りが漂う季節。
「明人! 今日もバンドの練習に参加するよな?」
「もちろん」
ホームルームが終わると、真っ先に爽やかな青年が駆け寄ってきた。
彼の名前は立花 郁人。
容姿端麗、成績優秀、運動神経も良く、社交性もあるため誰からの評価も良くクラスの中心的存在を担っている男だ。
天は二物を与えず、なんて言葉があるがどうやら神も間違えることはあるらしい。
俺たちは教室を出てから目的地に向かうために廊下を歩いていると、隣にいる郁人が小さな溜息をついた。
「はぁ、一週間前に戻りてぇ」
「やっぱりあの高揚感は忘れられない?」
「忘れられるわけないだろ! マジでバンドやってて良かったって思ったね」
郁人は白い歯を見せて嬉しそうに口にした。
一週間前には自分たちの高校の文化祭があった。
一年生の俺たちにとって初めての文化祭。そして軽音部に入った俺たちにとって初めての舞台。
緊張と興奮が入り混じった中での初舞台は、今の郁人からも分かるように大成功となった。
観客の動員数は先輩たちの力によるものが大きいが、観客の盛り上がり方は先輩たちにも劣っていなかったように感じた。
それは同じバンドメンバーである郁人も感じていたようで一週間前からずっとこのあり様である。
「やっぱり明人をバンドに誘ってよかったぜ。明人がいるだけで盛り上がり方が桁違いになるからな」
「気のせいじゃない?」
「そんなわけないだろ! お前の音楽の才能はプロ並みなんだからよ」
「……言いすぎだよ。ちょっと人より練習しただけだから」
謙遜すんなって、そう言って笑いながら俺の肩を小突いてくる郁人。
俺は郁人たちと最初からバンドを組んでいたわけではない。俺が軽音部に入ったのは夏休み前だ。
もともと郁人たちのバンドはギターとベースとドラムの三人が揃っていたのだが、ギター担当が部活に来なくなってしまった。このままではバンド解散になるといった時、郁人と同じクラスだった俺に白羽の矢が立ったわけだ。クラスの最初の自己紹介で音楽経験のあることを説明していたからだろう。
教室から部室はさほど遠くないため、すぐにたどり着いた。
部室に入ると、既に他の軽音部に所属している学生たちが各自で練習していた。先輩たちは別の部屋でバンドごとに練習しているのだが、部屋の数も少ないため一年生は一つの部屋で色々な音が入り乱れた状況で練習をすることになる。
郁人はいつも不平不満を垂れているがそれでも音が出せる部屋があるだけありがたい方だろう。
「まだ颯太は来てないっぽいな」
「すぐに来るんじゃないかな?」
佐藤颯太。俺たちのバンドメンバーの一人でベースを担当している。
郁人とは正反対で穏やかな性格でいつも落ち着いているのが印象の優しい青年だ。
俺がギターで郁人がドラム。この三人で俺たちのバンドは構成されていた。
バンドの基本構成は四人であるため少ない人数ではあるが、俺たちのバンドでは郁人がボーカルも担当してくれているためバンドとして成り立っていた。
「じゃあ俺たちは先に練習しておくか」
「そうだね」
それから俺たちはいつも通り時間ぎりぎりまで楽器の練習に励んだ。
部活が終わるころには既に日も落ちていた。
この季節になると夜風が冷たく、肌寒く感じてくる。
俺は郁人と颯太と帰り道が同じなので二人と一緒に帰路についていた。
「そういえば颯太。今日は何で遅れてたんだ? いつもお前が一番最初に来てるのに」
帰り際に郁人が興味深そうに颯太に尋ねる。
あの後、颯太は三十分ぐらい経ってから部室にやってきたのだ。
すると颯太は郁人の質問に少し眉をひそめて困った表情を見せた。
「なんか変な人に絡まれちゃって……」
「「変な人?」」
俺と郁人は彼の発言に思わず反芻してしまった。
「部室に来る前、ある生徒に待ち伏せされててさ。明人を呼んで連れて来いって何度も頼まれんだ」
「俺を?」
急に出てきた自分の名前に俺は首をかしげる。
「うん、なんか雰囲気的に良さそうなものじゃなかったから僕も無視したんだけどね」
「どんな人だったんだ? 俺の知ってる人か?」
「名前だけなら聞いたことがあると思うよ。西園寺 杠《ゆずりは》。うちの高校の高嶺の花だよ」
西園寺 杠。俺たちと同じ一年生の女子生徒だ。
この高校で一番の美女は誰かと問われれば間違いなく大多数が彼女を指すだろう。
さらに模試やテストは入学当初から一位以外を取ったことを見たことがないほどの秀才。
高嶺の花。そんな風に周りからは呼ばれているほどだ。
今まで先輩を含めた何十人もの男子生徒が彼女に告白したのだが、全て一撃で断られている。
それは男子に限った話ではない。彼女のステータスのおこぼれを貰おうと近づいてきた女子でも話すら聞かない。
そういったことを半年も繰り返していると、西園寺さんはいつの間にか誰も寄り付くことのない孤高の存在となっていた。
そんな彼女がわざわざ俺を名指しで呼び出そうとしている。
このような状況、男子高生なら一つの希望を見出してしまうのが道理というものだ。
「……もしかして俺に告白とかだったんじゃないのか?」
「いや、なんか怒ってぽいし、会わせたら絶対に問題が起きるって丸分かりだったから」
「まじか…………って、怒ってた? なんで?」
俺は別に西園寺さんとは何の接点もない。同じクラスでもないため一回も話したこともない。
そんな彼女に俺は怒らせることをしてしまったのだろうか。
「さぁ? でもなんか言ってた気がする……」
颯太は一生懸命頭をひねって彼女の言葉を思い出す。
あっ、とそれから思い出したように口を開いた。
「そうだ、才能の無駄遣いがなんちゃらって言ってたんだ」
「……っ!」
俺は颯太の言葉に思わず息をのんでしまう。
久しぶりに聞いた昔に拒絶したはずの言葉。もう二度と自分にかけられることがないと思っていた言葉。
流石に考えすぎのはずだ。何の面識もない彼女が俺の過去を知っているわけがない。
黙り込んでいると、そんな俺を見かねた郁人が言った。
「まぁ文化祭での明人のギターソロは目立ったからなぁ。それで興味持ったんじゃね?」
「そ、そうかな」
「あの曲だって明人が一人で作った曲なのにカバーと遜色なしに盛り上がったよね。僕もドラムとしてもっと頑張らないと!」
意気揚々としている郁人と颯太。
確かに俺のソロパートはそこそこの盛り上がり方を見せた。オリジナル曲だってある程度盛り上がるように仕上がったと思う。
それでも俺の演奏は普通の高校生が努力して出せる程度の実力だ。そこには才能の欠片もない。
「二人とも! 明日も授業が終わったらすぐに集合だからな! 一か月後には演奏会があるんだから!」
演奏会とはその名の通りバンドに限らず様々な演奏が行われる行事のことだ。
しかしその規模は文化祭をも超える。文化祭の観客は高校生だけであったが、演奏会は高校生だけではない。
この街で一番大きい商店街で行われるため会場は数千人を収容できるほどの大きさだ。有名バンドや歌手をゲストとして呼ぶため、毎年かなりの盛り上がりを見せる行事である。
そんな演奏会に今年は俺たち軽音部も参加できることになった。
あれほど盛り上がった文化祭よりも大きい舞台。興奮しないわけがなかった。
「明人! 次もオリ曲頼んだぜ!」
「任せといてよ!」
郁人がはにかんで突き出した拳に俺も自分の拳をこつんと当てる。
そのまま俺たちは他愛ない話をしながらそれぞれの家へと帰っていった。
これで良かった。これが良かった。俺はこういう普通の青春が出来れば満足なのだ。
紅葉が色づき、風に揺られて金木犀の香りが漂う季節。
「明人! 今日もバンドの練習に参加するよな?」
「もちろん」
ホームルームが終わると、真っ先に爽やかな青年が駆け寄ってきた。
彼の名前は立花 郁人。
容姿端麗、成績優秀、運動神経も良く、社交性もあるため誰からの評価も良くクラスの中心的存在を担っている男だ。
天は二物を与えず、なんて言葉があるがどうやら神も間違えることはあるらしい。
俺たちは教室を出てから目的地に向かうために廊下を歩いていると、隣にいる郁人が小さな溜息をついた。
「はぁ、一週間前に戻りてぇ」
「やっぱりあの高揚感は忘れられない?」
「忘れられるわけないだろ! マジでバンドやってて良かったって思ったね」
郁人は白い歯を見せて嬉しそうに口にした。
一週間前には自分たちの高校の文化祭があった。
一年生の俺たちにとって初めての文化祭。そして軽音部に入った俺たちにとって初めての舞台。
緊張と興奮が入り混じった中での初舞台は、今の郁人からも分かるように大成功となった。
観客の動員数は先輩たちの力によるものが大きいが、観客の盛り上がり方は先輩たちにも劣っていなかったように感じた。
それは同じバンドメンバーである郁人も感じていたようで一週間前からずっとこのあり様である。
「やっぱり明人をバンドに誘ってよかったぜ。明人がいるだけで盛り上がり方が桁違いになるからな」
「気のせいじゃない?」
「そんなわけないだろ! お前の音楽の才能はプロ並みなんだからよ」
「……言いすぎだよ。ちょっと人より練習しただけだから」
謙遜すんなって、そう言って笑いながら俺の肩を小突いてくる郁人。
俺は郁人たちと最初からバンドを組んでいたわけではない。俺が軽音部に入ったのは夏休み前だ。
もともと郁人たちのバンドはギターとベースとドラムの三人が揃っていたのだが、ギター担当が部活に来なくなってしまった。このままではバンド解散になるといった時、郁人と同じクラスだった俺に白羽の矢が立ったわけだ。クラスの最初の自己紹介で音楽経験のあることを説明していたからだろう。
教室から部室はさほど遠くないため、すぐにたどり着いた。
部室に入ると、既に他の軽音部に所属している学生たちが各自で練習していた。先輩たちは別の部屋でバンドごとに練習しているのだが、部屋の数も少ないため一年生は一つの部屋で色々な音が入り乱れた状況で練習をすることになる。
郁人はいつも不平不満を垂れているがそれでも音が出せる部屋があるだけありがたい方だろう。
「まだ颯太は来てないっぽいな」
「すぐに来るんじゃないかな?」
佐藤颯太。俺たちのバンドメンバーの一人でベースを担当している。
郁人とは正反対で穏やかな性格でいつも落ち着いているのが印象の優しい青年だ。
俺がギターで郁人がドラム。この三人で俺たちのバンドは構成されていた。
バンドの基本構成は四人であるため少ない人数ではあるが、俺たちのバンドでは郁人がボーカルも担当してくれているためバンドとして成り立っていた。
「じゃあ俺たちは先に練習しておくか」
「そうだね」
それから俺たちはいつも通り時間ぎりぎりまで楽器の練習に励んだ。
部活が終わるころには既に日も落ちていた。
この季節になると夜風が冷たく、肌寒く感じてくる。
俺は郁人と颯太と帰り道が同じなので二人と一緒に帰路についていた。
「そういえば颯太。今日は何で遅れてたんだ? いつもお前が一番最初に来てるのに」
帰り際に郁人が興味深そうに颯太に尋ねる。
あの後、颯太は三十分ぐらい経ってから部室にやってきたのだ。
すると颯太は郁人の質問に少し眉をひそめて困った表情を見せた。
「なんか変な人に絡まれちゃって……」
「「変な人?」」
俺と郁人は彼の発言に思わず反芻してしまった。
「部室に来る前、ある生徒に待ち伏せされててさ。明人を呼んで連れて来いって何度も頼まれんだ」
「俺を?」
急に出てきた自分の名前に俺は首をかしげる。
「うん、なんか雰囲気的に良さそうなものじゃなかったから僕も無視したんだけどね」
「どんな人だったんだ? 俺の知ってる人か?」
「名前だけなら聞いたことがあると思うよ。西園寺 杠《ゆずりは》。うちの高校の高嶺の花だよ」
西園寺 杠。俺たちと同じ一年生の女子生徒だ。
この高校で一番の美女は誰かと問われれば間違いなく大多数が彼女を指すだろう。
さらに模試やテストは入学当初から一位以外を取ったことを見たことがないほどの秀才。
高嶺の花。そんな風に周りからは呼ばれているほどだ。
今まで先輩を含めた何十人もの男子生徒が彼女に告白したのだが、全て一撃で断られている。
それは男子に限った話ではない。彼女のステータスのおこぼれを貰おうと近づいてきた女子でも話すら聞かない。
そういったことを半年も繰り返していると、西園寺さんはいつの間にか誰も寄り付くことのない孤高の存在となっていた。
そんな彼女がわざわざ俺を名指しで呼び出そうとしている。
このような状況、男子高生なら一つの希望を見出してしまうのが道理というものだ。
「……もしかして俺に告白とかだったんじゃないのか?」
「いや、なんか怒ってぽいし、会わせたら絶対に問題が起きるって丸分かりだったから」
「まじか…………って、怒ってた? なんで?」
俺は別に西園寺さんとは何の接点もない。同じクラスでもないため一回も話したこともない。
そんな彼女に俺は怒らせることをしてしまったのだろうか。
「さぁ? でもなんか言ってた気がする……」
颯太は一生懸命頭をひねって彼女の言葉を思い出す。
あっ、とそれから思い出したように口を開いた。
「そうだ、才能の無駄遣いがなんちゃらって言ってたんだ」
「……っ!」
俺は颯太の言葉に思わず息をのんでしまう。
久しぶりに聞いた昔に拒絶したはずの言葉。もう二度と自分にかけられることがないと思っていた言葉。
流石に考えすぎのはずだ。何の面識もない彼女が俺の過去を知っているわけがない。
黙り込んでいると、そんな俺を見かねた郁人が言った。
「まぁ文化祭での明人のギターソロは目立ったからなぁ。それで興味持ったんじゃね?」
「そ、そうかな」
「あの曲だって明人が一人で作った曲なのにカバーと遜色なしに盛り上がったよね。僕もドラムとしてもっと頑張らないと!」
意気揚々としている郁人と颯太。
確かに俺のソロパートはそこそこの盛り上がり方を見せた。オリジナル曲だってある程度盛り上がるように仕上がったと思う。
それでも俺の演奏は普通の高校生が努力して出せる程度の実力だ。そこには才能の欠片もない。
「二人とも! 明日も授業が終わったらすぐに集合だからな! 一か月後には演奏会があるんだから!」
演奏会とはその名の通りバンドに限らず様々な演奏が行われる行事のことだ。
しかしその規模は文化祭をも超える。文化祭の観客は高校生だけであったが、演奏会は高校生だけではない。
この街で一番大きい商店街で行われるため会場は数千人を収容できるほどの大きさだ。有名バンドや歌手をゲストとして呼ぶため、毎年かなりの盛り上がりを見せる行事である。
そんな演奏会に今年は俺たち軽音部も参加できることになった。
あれほど盛り上がった文化祭よりも大きい舞台。興奮しないわけがなかった。
「明人! 次もオリ曲頼んだぜ!」
「任せといてよ!」
郁人がはにかんで突き出した拳に俺も自分の拳をこつんと当てる。
そのまま俺たちは他愛ない話をしながらそれぞれの家へと帰っていった。
これで良かった。これが良かった。俺はこういう普通の青春が出来れば満足なのだ。