『午後は城の中で』――まさかその一言が不幸の始まりとなるなんて、ヴィクトリアは思っても見なかった。

「きゃあああああああああああああああっ!」

 魔王城リラ・ノアール。
 城の中を全力疾走していたヴィクトリアは、すんでのところで自分を追いかけていた玉を避けてへたりこんだ。

「な、なにこれっ!」
 巨大な鉛玉はバルコニーをぶち壊し、円を描いて城の外にある海の中へと落ちる。

「罠にかかったんですか?」
「かかったんですか? じゃ、ない!」

 身の危険を感じただけに、ヴィクトリアはカーライルに思わず声を荒げていた。
 城の中を普通に歩いていたら、突然ガコンという音がして、階段が現れたと思ったら巨大な玉が落ちてくるなんて、誰が想像できるというのか!
 
「防犯のためです」

 カーライルは悪びれずサラッと言った。
 防犯にしたって、どう考えても罠の質が(悪趣味な方に)上がっている。

「因みにいくつあるんですか?」

 ヴィクトリアは珍しく息を荒げていた。
 運動能力に自身がある自分だからこそ死ななかったものの、アルフェリアやエイルなら確実に死んでいる。
 ヴィクトリアの問いに、カーライルは指で六を作った。

「六六六ですかね」
 なぜだろう。なんとなく不気味で、耳に馴染む数字だ。

「金色狼の毒の牙の落とし穴、落ちたら体をサイコロ状にされる蜘蛛の巣の張った落とし穴、地底に繋がっているとも言われる、かつて罪人を閉じ込めたという底なし井戸の牢獄、グツグツに煮えたぎる銅の温泉等、様々ご用意しております」

(前二つの罠の材料提供者、絶対にルーファスとカーライルじゃない!)

 ヴィクトリアはワナワナ震えた。
 因みに金色狼は相手を噛んだ際毒を流し込むことが可能であり、その毒は血液を凝固させると言われている。

(本当に物騒。底なし井戸については、前世私が城に入る前に先代魔王が使っていたという噂もあるらしいけど……)

 自分のことを魔王と呼ぶなら、即刻罠は全て排除してほしい。
 ヴィクトリアは心の底から願った。今のただの人間の体では、次こそ罠にかかれば死んでしまうかもしれない。

「城の中にいるだけでいい修行になると、もっぱらの評判ですよ」
 絶対嘘だ!! ヴィクトリアは確信していた。

「……まあ、というのはまあ冗談で」
 カーライルは、ヴィクトリアの髪に触れるとくすりと笑った。

「貴方にだけは、命に関わる罠は発動しないようにさっき設定したので安心してください」

(私がここで働く前に、何故それをしなかった!)
 ヴィクトリアはカーライルを睨みつけた。

「……貴方の慌てる姿を見たかったので」
 まるで自分の心を読んだかのようなカーライルの言葉に、ヴィクトリアは震えた。

 幼馴染と 以心伝心 でも怖い
 字余り。
 
 
「すいません。この仕様は、どうか我慢してください。この城は今(あるじ)が不在なため、その座を狙うものが多くやってくるのです。魔王の権限をもってすれば城を守る方法も別にありますが、私もルーファスも、そのつもりはありませんので」
「……」

 セレネでは、城の周りには防壁の魔法をかけるのが普通だ。
 城の中心部に核となる玉を置き、それによって魔法を固定させるのだ。玉に魔法を書き込めるのは、その城の主のみ。
 防壁の呪文は、基本的に年に一度張り替えられる。
 リラ・ノアールもそれは同様であるから、ヴィンセントがかけた魔法とはいえ、五〇〇年もそのままということもあれば、多少の『侵入者』を許してしまうというのは、おかしな話ではなかった。
 魔法を固定できる玉は大変めずらしいもので、種族の頭領に受け継がれるほどの代物なのだ。

「魔王を据えられるつもりはないんですか?」
「……これでも私は、現在のセレネにおける第一席です。ルーファスは二人いますが……一応、三席です」

 つまり、城のために魔王を据えようにも、それに最も相応しい者が拒否している、という状況ということだ。

「三席?」
「二席はレイモンドです」
 カーライルは静かに言った。

「とは言っても、レイモンドは私と本気で戦ったことはないので、どちらが強いかは微妙なところですが。彼はヴィンセント様の育て子で、とても優秀ですからね」

 『ヴィンセントを慕う優秀な宰相』の皮を被ったカーライルは、その養子であるレイモンドを褒めた。
 まあ確かに、親の欲目を抜いても『レイモンド』の能力は魔族からすれば厄介なことこの上ないものだ。
 そして能力を抜きにしても、身体能力や剣術等、レイモンドは昔から才能が抜きん出ていた。

 その剣は、かつて『ヴィンセント・グレイス』と対戦した際、あと一歩というところまで届きかけた。届く前に、『ヴィンセント』は死んだわけだが。

 それにしても――……。
 ヴィクトリアは渋い顔をした。
 カーライルに『様』付けされると、妙に気持ちが悪い。

「ヴィンセント様も彼に跡を継いでほしかったでしょうし。彼を差し置いて、私が魔王になることは出来ません」
「……本当にそれだけですか?」
「というのは建前で」

 カーライルは人差し指を唇に当てて笑った。

「私は、待っているのです。もう一度、彼に出会えることを」
「……」
「私が生きているうちは、ヴィンセント様以外を王に据えるつもりはない。人間との共存は……少なくとも、彼が生きていれば望んでいたことは、私が生きているうちは魔族は従わせるつもりです」

 カーライルは、ヴィクトリアを見てふっと笑った。

「たとえどんなことをしても、ね」

 ぶるり。
 その笑顔に、ヴィクトリアは寒気がした。

 カーライルの考えは、昔からヴィクトリアにはよくわからない。
 ただ昔から、蜘蛛のような周到さを、ヴィクトリアはカーライルに感じていた。
 おうちに帰りたい。正しくいうなら、アルフェリアとエイルの素朴さが、ヴィクトリアは恋しかった。

(同じ幼馴染だというのに、何故こんなに違うんだろう?)

 ヴィクトリアがカーライルから離れようとすると、カーライルは逆に彼女との距離を詰めた。

「どうなさったんですか? そんな――怯えたような顔をして」
「……これは、その、ですね」

(貴方が、脅すような真似ばかりするからでしょう!?)

 ヴィクトリアは叫びたかったが、口を噤んで視線を逸らした。
 カーライルはそんな彼女の横顔を、冷たく見つめていた。
 まるで、獲物をどう料理してやろうか、とでも言うように。
 しかしその時、廊下の向こう側から聞き慣れた声がして、ヴィクトリアはぱっと表情を明るくした。

 ――この声は。

「陛下!!!」
「ルーファス!」

 カーライルと話した後なだけあって、お日様と青空のような彼の金色と青の色が、ヴィクトリアにはより愛しく感じられた。

「これから少し、私にお時間をいただけませんか?」

 ルーファスは、ヴィクトリアの手をとってにこにこと明るく笑う。

「お城の中を、一緒に探検しましょう!!!」
「え……でも」

 カーライルが私に押し付けたい仕事があるんじゃ? ちらりと横目でヴィクトリアがカーライルを見ると、彼はもうどうでも良さげな顔をしていた。

「カーライル様、お願いします。陛下に、お城を案内して差し上げたいのです。お城の中を回っていたら、昔のことを思い出されるかもしれないじゃないですか」
「……いいでしょう」
「カーライル様からお許しをいただきましたし。……ね?」
「私は……」

 ヴィクトリアは別に城の中など見ても、面白いことはないように思えた。
 それに、まだ見ぬ罠のことも心配だ。

「……駄目、ですか?」

 ヴィクトリアが返事を迷っていると、ルーファスはヴィクトリアの手をぎゅっと掴んだまま動きをとめ、それからこてんと首を傾げた。
 身長も伸びてしっかりした大人に成長したというのに、纏う空気は昔と変わらずあざといままだ。

「〜〜〜〜…………わかりましたっ!」

 『ヴィンセント』同様、ヴィクトリアはルーファスには弱かった。

「ありがとうございます!!!」

 ルーファスは、その髪の色と同じ色の大輪の花が咲くように、心から嬉しそうに笑った。