【金こそパワー】ITスキルで異世界にベンチャー起業して、金貨の力で魔王を撃破!

「お前はクビ! 今すぐとっとと出ていけ!」

 夕暮れの食堂で、冒険者パーティーのリーダーがウンザリとした表情でタケルを罵倒した。

「えっ!? な、なんで……? 僕の武器の整備で強い魔物も倒せるようになって……」

「ありがとう! つまりもうお前なしでも十分勝てるってことなんだよ! はっはっは!」

 リーダーは美味そうにビールジョッキをグッとあおった。

「そうですよ、タケルさん。アイテムの整備はもう十分……。戦わない人はパーティには要らないわ。ふふふっ」

 ビキニアーマーの女魔導士はリーダーの首に手を回しながら、嗜虐(しぎゃく)的な笑みを浮かべる。

「いや、契約書ちゃんと読んでくださいよ! それは契約違反ですよ!」

 タケルはカバンから契約書を出すと、該当の条文を指さして怒った。

「んー? どれどれ……?」

 リーダーは契約書を受け取ると、鼻で嗤い、そのままビリビリッと破いて床にぶちまけた。

「な、何するんだよぉ!!」

 慌てて契約書を拾い集めるタケル。

 しかし、リーダーはそんなタケルを思いっきり蹴飛ばした。

 ぐはっ!

 タケルはもんどりうって転がる。

「冒険者に契約書なんか関係あるかい! そういうところがお前はウザいんだよ。文句あるなら裁判所へ行けや! まぁ、訴訟費用があればだがな! はっはっは!」

 くっ……!

 タケルはリーダーを見上げてにらむ。明日の食費すら心配な自分にそんな費用など出せるわけがない。

「そしたら、僕は明日からどうやって食べて行けば……」

「知るか、バーカ! お前のその陰気なツラ見てっと酒がマズくなる! さっさと出てけ!」

 リーダーはおしぼりをタケルの顔に投げつけると、女魔導士のお尻に手を回す。

「いやっ、ダメよ……」

 女魔導士はまんざらでもない様子でほほを赤らめる。

 タケルはギリッと奥歯を鳴らした。

「分かったよ! その代わり、僕の力が必要になっても絶対に助けないからな!」

「お前の力……? なんかあったっけ?」

「逃げ足の速さ……よね? きゃははは!」

 タケルは怒りでブルブルと震えた。今まで自分が整備してきた魔道具のおかげで高ランクのモンスターを狩り、Aランクパーティにまで達してきたというのに、感謝の一つもないのだ。

「ぜっっっったい! 後悔させてやる!!」

 タケルはビシッとリーダーを指さし、にらみつける。

「後悔? ははっ、お前をパーティに入れたことでもう後悔してるよ!」

「はい、お出口はあちら―!」

 女魔導士は緑色の魔法陣を素早く浮かべると、タケルに向かって風魔法烈風襲(テンペストチャージ)を放った。

 うはっ!

 タケルは猛烈な風に吹き飛ばされ、ドアから外の階段へと転げ落ちていった。

「バイバァイ! きゃははは!」

「まぁ、せいぜい頑張れや! はっはっは!」

 二人のあざける声が聞こえ、ドアがゆっくりと閉じていく。

「ち、畜生……」

 タケルは打ちつけた腰をさすりながらよろよろと立ち上がった。

 タケルは東京でITエンジニアをやっていた転生者だが、転生時にもらったスキルは【IT】という意味不明なもの。この剣と魔法の世界においてITと言われても何のことだかさっぱりだ。魔法の呪文はプログラム言語に似たところがあるので、魔道具の整備はできるが魔力がないので自分では魔法を使うことができない。

 タケルの試行錯誤を経て整備された魔道具は圧倒的であり、光の刃を撃ち出す剣にあらゆる攻撃を防ぐ楯と、まさにチートレベルに高められる。そのおかげでパーティは快進撃を続けられたわけだが、逆に言えば整備された魔道具さえ手に入ってしまえばもうタケルは不要なのだ。

「ぜってー許さねぇ! くぁぁぁぁぁ!!」

 タケルは天に向かって吠えた。いいように利用して捨てたあいつらを絶対に見返してやる。胸がやけどするような熱い想いが噴き出してきた。

 街行く人々はそんなヤバいタケルに眉をひそめ、避けていく。

 ふぅふぅと肩で息をしながら、どうやって見返してやるか必死に考える――――。

 タケルは孤児院で育ち、十六歳になったのを機に卒業させられたが、全てをキッチリとしないと気が済まない不器用な性格が災いし、なかなか職が見つからない。この世界の人は仕事をあいまいに頼み、コミュ力でどうにかしていくのだが、タケルにはそれを受け入れがたかった。

 雇用契約書を結ぼうとするタケルにどこも難色を示し、結局冒険者の手伝いとして荷物運びやアイテムの用意、魔道具の整備をして小銭を稼ぐくらいしかできなかった。

 そんな中、魔道具の性能を上げられる腕を買われて何とかパーティーに入れてもらえたのだが、長い試行錯誤の結果、やっと剣や盾のチューンアップが終わった途端クビになってしまったのだ。

 くぅぅぅぅ……。

 タケルは湧き出てくる涙を止められない。せっかく転生したのに何の優遇もない現状にほとほとウンザリする。【勇者】とまでは言わないが、【剣士】や【賢者】くらいの冒険者になれるスキルは欲しかった。【IT】なんて、どう使っていいかもわからないスキルなどゴミ同然なのだ。

 しかし、いくら憂えていても腹は減ってくる。何とか突破口を開かねば見返すどころか餓死してしまう。

『何とか……、しないと……。しかし、どうやって……?』

 タケルはボーっと辺りを見回した。街灯がぽつぽつと石畳の道を照らしている――――。

 この世界では魔法ランプが当たり前のように使われていて、光魔法の魔法陣が描かれたプレートに魔石をセットすると、魔力が続く限り光り続けるのだ。

 この時ふと、この光魔法のプレートを整備したらどうなるんだろう? という好奇心がむくむくと膨らんできた。

 今までモンスターを倒すことばかり考えていたが、こういう生活魔道具にも整備の余地があるのかもしれない。

 タケルは道の脇に光っている街灯のカバーをパカッと外し、中のプレートをまじまじと眺めてみる。

 魔石のセットされた明るく輝くプレートの裏では、精緻な魔法陣がキラキラと輝きを放っている。魔法陣は円の中に六芒星、そしてルーン文字で呪文が施されているのが基本だ。さらに一回り小さな円や星がまるで機械仕掛けの時計のように、内部でぐるぐると回り、不思議な幾何学模様を描きながら魔法を実現していく。

 タケルはその精緻な模様や呪文から魔法の発現内容を推測し、前世で鍛えたプログラミング能力を生かして図形を書き換えたり呪文を修正したりして魔法の威力を上げるチューニングをやってきた。しかし、図形の相互作用は複雑で、チューニングするのがせいぜいである。

「うーん、まぁ武器に比べたら単純かな……。こうして見ると魔法陣って本当にプログラミングコードだなぁ……」

 この時、ふと【IT】スキルのことが頭をよぎった。ITというのだからコンピューター系のスキルに違いない。で、この世界で一番コンピューターに近いのは魔道具だった。もし……、ITが実際に活躍できるとしたら魔道具相手ではないだろうか?

 タケルは小首をかしげながらつぶやいてみる――――。

「【IT】起動……」

 魔法陣を見つめながら、その動作イメージを頭の中で思い描いていく……。すると頭の中でカチッと何かのスイッチが入った音が響いた。

 ヴゥン……。

 いきなり、空中に青いウィンドウが立ち上がる。

「えっ……、何これ……?」

 タケルは焦った。今まで何度もITスキルを起動しようと試行錯誤してきたのに、こんな風になったのは初めてである。

「これは……、何が……?」

 中を覗くと、そこにはシステム開発環境のようなツール群と、ソースコードがずらっと並んでいた。

 タケルの心臓がドクン! と高鳴る。それは前世の時、よく使っていた開発環境と酷似していたのだ。

 恐る恐る表示されているコードを読み込んでいく……。

「読める……、読めるぞぉ!」

 タケルはITエンジニアとしてプログラムコードを紡いでいたころの経験が、ブワッとフラッシュバックした。そこには魔力を光に変換し、プレートに表示する仕組みがコードとして記述されていたのだ。

 さらに、魔法陣のままでは図形の相互作用が複雑でとても解析できなかったが、コードであるならば依存関係も明白である。これなら複雑な開発もできそうである。

「もしかして、こうすると……」

 表示されているソフトキーボードを使って、そのコードに手を加えていく……。

 すると、輝くプレートに赤い丸が描かれたのだ。

「おぉ! じゃ、これはどうだ……」

 夢中になってコードを打ち込んでいくタケル。それは久しぶりのコーディング体験だった。
 
「よーし、完成! さて……、動くかな……? 実装(デプロイ)……」

 書き換え終わったプレートの赤丸を、恐る恐る触ってみるタケル。すると、赤丸は弾かれたようにプレートの中をカンカンと飛び回る。それはまるでブロック崩しのボールのように、端で反射しながらプレート内を所狭しと動き回ったのだ。

「よーし! じゃぁ、こうだ!」

 タケルはすっかりのめり込んで、コードを書き込んでいく。最初は思い出すのに戸惑ったものの、前世では名の知られた凄腕プログラマーだったタケルは、水を得た魚のように嬉々としてコードを打ち込んでいく。

「出来上がり!」

 空中に浮かんだソフトキーボードのEnterキーをパシッと叩く。

 久しぶりのプログラミング。その知的ゲームにタケルは圧倒的な充実感を感じ、爽やかな疲労感の中、夜空に大きく深呼吸をした。

「さーて、動くかな……。実装(デプロイ)!」

 すると、プレートの上の方から四角いブロックが四つ繋がったものが降りてくる……。テトリスだ。タケルは魔法のランプをなんとゲームマシンにしてしまったのだ。

 下の方に表示されているボタンを押すと、左右に動きながら一段一段ブロックが降りてくる。

「うほぅ! できる! できるぞぉぉぉ!」

 タケルは夜空にガッツポーズを繰り返した。

 ゲームができるなら丁寧にコーディングして行けばスマホにもなるのかもしれない。だとすると電話もないこの世界にスマホが爆誕することになる。

「異世界スマホ……。行ける、行けるぞぉぉぉ!」

 タケルは初めて【IT】スキルの本当の使い方に気がつき、嬉しさが大爆発した。これで、自分はこの世界でスティーブジョブズになれる、Appleを創れるんだとバラ色の夢が広がっていく。もはや金に困らない、それどころか世界一の金持ちになれる!

 タケルはさっきまでの絶望はどこへやら、輝かしい未来への希望に包まれながら宙を見上げた。

 と、ここで、タケルはリーダーたちを見返してやれる方法に気がついた。自分が魔物たちの王、魔王を倒してやったら、あいつらはどんな顔をするだろうか?

 くふふふ……。

 ITの力と、稼いだ莫大な金があれば人類の敵、魔王軍に対抗できるはずだ。そう、金で魔王を倒すのだ!

 ITエンジニアである自分こそが、魔王を倒す真の勇者だったのかもしれない……。

 妄想が轟音を立ててタケルの中を駆け巡り、喜びが爆発する。タケルは、月へと誓いを立てるかのように、こぶしを夜空に突き上げた。
「やるぞ……、やったるぞぉぉぉ!」

 月を見つめ、武者震いするタケル……。すると、若い女の子の声がする。

「あのぅ……、それ、何ですか?」

 金髪の少女が碧い瞳をクリっと輝かせながら、好奇心いっぱいに声をかけてきたのだ。指さす先にはテトリスがピコピコと動いている。

「あ、これは……ゲーム、ゲーム機です。やってみますか?」

 挙動不審だった自分が恥ずかしくて真っ赤になったタケルは、テトリスマシンを差し出した。

「ゲーム?」

 小首をかしげる少女。薄手のリネンのシャツと、その上に重ねられた装飾的なボディスが、彼女の上品な雰囲気を演出していた。かなり裕福な家の娘に違いない。

 タケルは少女の澄んだ碧い瞳に見つめられて、ほほを赤らめながら丁寧に説明していった。

「ここを押すと右、ここで左、これで回転ですね……」

「はぁ……?」

 少女は押すたびにチョコチョコとブロックが動くのを見て、不思議そうに首をかしげた。

「で、ここを押すと……」

 タケルがブロックを隙間に落とすとピカピカと光って列が消える。

「うわぁ! 面白い!」

 少女は碧眼をキラッと輝かせて嬉しそうに笑った。

「簡単でしょ?」

「うん! やらせて!」

 少女は受け取ると、好奇心いっぱいの瞳で画面を見つめ、ブロックを操作していく。

 最初は下手だった少女も段々慣れてきて、うまく列を消せるようになってくる。

「やったぁ! 四列消しよっ!」

 少女は自慢げにタケルを見て、パアッと笑顔を輝かせた。

「上手ですね、僕より上手いかも」

 タケルは喜んでくれるのが嬉しくて、ニコニコしながら少女の横顔を見入る。不器用なタケルは、前世でも女の子に喜んでもらった経験などなかったのだ。

 ものすごい集中力でブロックを消し続ける少女。

「よーし……こうして……。ああっ! ダメ! ダメだって! あぁぁぁぁ……」

 徐々に速度が上がってゲームオーバーになってしまったが、少女は初めてやったゲームに完全に魅了され、恍惚とした表情でタケルを見た。

「これ……、売ってくれませんか?」

「はっ?」

「金貨一枚……いや三枚までなら出します!」

 少女はググっとタケルに詰め寄った。

「金貨三枚!?」

「少ないですか? 五枚でどうですか?」

 金貨五枚と言えば日本円にしたら五十万円。テトリスマシンに五十万は破格だった。

「ま、待ってください。これは試作品なので、ちゃんとした商品でお渡しします。その時買ってください」

 タケルは焦る。街灯を勝手に改造したものなど売ったら犯罪なのだ。

「分かりました。私はアバロン商会のクレア。できたら商会にまで持ってきてくださる?」

 クレアは嬉しそうにタケルの顔をのぞきこんだ。アバロン商会と言えば有名な大企業である。彼女はいわば会長令嬢ということだろう。見れば向こうの方でボディーガードが二人、目立たないようにしながらクレアを見守っているではないか。

 タケルは冷汗を浮かべながら思わずゴクリと息をのむ。

「わ、分かりました。明日にでもお持ちしますので契約書を……」

「け、契約書……?」

 クレアは眉をひそめた。

 タケルはまた余計なことを言ってしまったとギュッと目を閉じた。少女と契約書を結ぶことにどれほどの意味があるだろうか? お金の絡む話はキッチリしないと気持ちが悪いとは思いつつも、さっき、契約書が全く意味がなかったばかりなのだ。

「だ、大丈夫です! 明日持っていきます」

 タケルは急いで言い直す。

「私は嘘なんてつかないわ。約束は守るの。信じて下さらない?」

 クレアはタケルの手をギュッと握った。その碧い瞳は街灯にキラキラと輝いている。

 その柔らかな手の暖かさにタケルはドキッとした。ずっと年下の女の子にこんなことを言わせてしまったことに、タケルは湧き上がる嫌悪感を止められなかった。もう、契約とかにこだわるのは卒業すべきなのだ。

「し、信じます! ごめんね……」

 タケルは恥ずかしそうに頭を下げた。

「明日ですね、絶対ですよ?」

 クレアは澄み通る碧眼でタケルの顔をのぞきこむ。

「任せてください!」

 タケルは満面に笑みを浮かべてこぶしで胸を叩いた。初めてのビッグな商談、しっかりといいものを買って喜んでもらうのだ。

 自分のIT技術で今までにない商品を創り、それが莫大な富を生む。タケルはいきなり訪れた破格のチャンスに胸が高鳴っていた。


       ◇


 翌朝、開店を待って魔道具屋から魔法のランプを十個買い付けると、【IT】スキルを使ってテトリスを書き込んでいく。

 テトリスはハイスコア機能をつけて、名前とハイスコアが表示されるようにしておいた。こうしておけば競争もできていいに違いない。

 また、ランプのプレートそのままではうまく持てないし、すぐにも割れてしまいそうである。そこで、木製の小さな額縁を買ってきてプレートを埋め込んだ。

 これで、魔石の魔力が続く限り動き続けるハンディ・テトリス機の完成である。

「ヨシ! まずはゲーム機で起業資金を稼ぐぞぉ!」

 タケルは動作確認をしながら興奮して叫ぶ。ゲームという概念のないこの世界にいきなりテトリスが現れるのだ。きっと爆発的にヒットするだろう。

 十台全部テトリスマシンに魔改造したタケルは、バッグに詰め込むと意気揚々と宿屋を後にする。さんさんと輝く太陽がタケルの門出を祝っているようで、タケルは両手を広げて幸せそうに大きく息を吸い込んだ。
 タケルがやってきたのはアバロン商会本店。目抜き通りにある豪奢な石造りの建物で、木の板にフェニックスをあしらったシックな看板がかかっている。中には煌びやかな宝飾品が並び、ボロい服を着たタケルではとても気軽に入っていける雰囲気ではない。

「あのぉ、すみません……」

 タケルは入り口の警備員にクレアと約束があることを告げた。

「タケル様ですね。お待ちしておりました。どうぞこちらへ……」

 警備員はにこやかにタケルを二階のVIPフロアへと案内していく。豪華で煌びやかな室内、床には赤いカーペットが敷かれてあり、庶民には実に居心地が悪い。タケルは店員たちの鋭い視線に渋い顔をしながら、警備員に着いていった。

 洗練されたインテリアの応接室に通され、言われるがままにフワフワとした豪奢なソファーに腰かけたタケルだったが、とても場違いで居心地が悪い。出された紅茶の繊細な香りに圧倒されているとコンコンとドアが叩かれ、クレアが顔をのぞかせる。

「タケルさん、お待ちしておりましたわ!」

 クレアは満面の笑みで足早に入ってくると、後からは恰幅のいい紳士もついてきた。会長だろうか?

「きょ、恐縮です」

 タケルは慌てて立ち上がり、胸に手を当てて頭を下げた。

「で、商品版はできましたの?」

 クレアは待ちきれない様子でタケルの顔をのぞきこむ。

「は、はい。こちらです……」

 タケルは早速テトリスマシンをクレアに渡す。

「わぁ……、随分……変わりましたね……」

 クレアはハイスコア表示もされ、ブロックに色もついたテトリスマシンに目を輝かせる。

「ほう……、これは珍妙な……。一体これは何なんだね?」

 紳士はクレアの後ろからテトリスマシンをのぞきこみ、口ひげをなでながらけげんそうな顔で聞いてくる。

「ゲームマシンよ? こうやるのよ!」

 クレアは【START】ボタンをタン! と叩いた。

「ほう……? なんか動いとるな……」

「これは列を消して楽しむのよ!」

 クレアは得意げにタン! タン! とボタンを叩き、次々とブロックを積み上げていく。そして『棒』のブロックがやってきた。

「見ててよ! えいっ!」

 クレアは得意満面に棒のブロックを隙間(すきま)に落とす。

 ピコピコっと点滅しながら四列が消えていった。

「ほう! なるほどなるほど……、これは新鮮じゃな……。どれ、ワシにも貸してみなさい」

 紳士はクレアのテトリスマシンに手をかける。

「ダメッ! 今、いいところなんだから!」

 身体をひねって逃げるクレア。

「ちょっとだけじゃって!」

「パパは後で!」

 親子喧嘩が始まってしまった。

「会長様、もう一台ございますのでこちらで……」

 慌ててタケルはカバンからもう一台を差し出す。会長にも興味を持ってもらえたことは予想外のチャンスであった。

「おぉ、ありがとう! どれどれ……」

 しばらく二人はテトリスに熱中する。

「くあぁ! なんじゃ、全然『棒』が出んぞ!」

「パパ、そこは辛抱強く待つしかないわ!」

「待つって……、もう余裕が無いんじゃぞ……。くぅぅぅぅ……。あっ! 出た! 出たぞ! ワハハ! こりゃ楽しいわい!」

 ゲームというものがないこの世界の人にとって、テトリスは極めて新鮮な体験だった。ブロックをクルクル回しながら落とせる場所を探し、うまく溝を作って育てた後、一気に棒のブロックで四列消し去ること、それは脳髄にいまだかつてない快楽を走らせるのだ。

 二人とも目をキラキラさせながらテトリスに興じている。しかし、今日は商談に来たのだ。ITベンチャーを起業し、スマホを開発するにはそれなりの資金が要る。この商談でその開業資金を稼がねばならないのだ。

「あのぉ、そろそろ商談に入りたいのですが……」

 タケルは恐る恐る声をかける。

「ちょ、ちょっと待って! 今ハイスコア更新中なの!」

「うはぁ、クレア、お前なんという点数を出しとるんじゃ……」

「ホイッ! ホイッ! ホイッ! あぁぁぁ、ダメッ! イヤッ! キャァァァァ!」

 クレアは絶叫し、額に汗を浮かべながら恍惚とした表情で宙を見上げた。

「いやぁ、タケル君! これは凄い、凄いぞ! これは売れる!」

 会長は興奮した様子でタケルの手を取る。

「そ、そうですか? 良かったです……」

 タケルは会長の熱気に気おされ、少し後ずさりした。

「百個作れるかね? それであれば金貨三枚、合計三百枚で買おう!」

 それは日本円にしたら三千万円、タケルはいきなりのビッグビジネスに心臓が高鳴る。魔法のランプにテトリスを書き込んだだけで三千万円、それは想像をはるかに上回る展開であった。

「ひゃ、百個……作れます!」

「おぉ、それじゃ頼むよ! 納期はいつになるんじゃ?」

 会長はノリノリで話を進める。

 だが、この時、ふとタケルの脳裏に『スティーブジョブズだったら契約するだろうか?』という問いが頭をかすめた。タケルは異世界Appleを作りたいのだ。一台何十万円もするテトリスマシンを百個バラまきました。それでジョブズは納得するだろうか?

『違う……。ジョブズはそんな男じゃない……』

 そんな発想ではとてもAppleにはなれない。多くの人を巻き込むことが次のビジネスの基盤になるはずなのだ。

 ジョブズだったらどうするか……。

 タケルは目をギュッとつぶって必死に考える。より多くの人に使ってもらい、なおかつ次の事業に繋がる収益が得られる道……。

 タケルにとって、ここが起業家として成功するかどうかが試される分水嶺だった。
「タ、タケル君、どうした?」

 急に黙ってしまったタケルに会長は不審に思い、首をかしげる。

 タケルはこの世界には珍しい黒髪の若者だった。お金には苦労していそうではあったが、清潔感のある身なりには好感が持てるし、話してみると大人の思慮深さを感じる不思議な雰囲気を纏っている。

 長くお付き合いできればと、かなりいい条件を提示したつもりだったが、タケルは押し黙ってしまった。

 すると、タケルは顔を上げ、覚悟を決めた目で会長を見つめた。

「会長、一台当たり銀貨三枚でいいので、一万個売れませんか?」

「い、一万個!?」

 会長は目を白黒させ、タケルを見つめ返す。

「多くの人が買える値段で一気に普及させたいのです」

「ふ、普及って言ったって……、ゲーム機なんて前例のない商材は……」

 会長は腕を組み、首をひねって考え込む。百個ならお得意さんに卸して行けばすぐにでも捌けるだろうが、一万個となると庶民向けの新規の流通経路がいるのだ。ゲームは面白いが、ゲームに大金を払える庶民なんて本当にいるのだろうか? 前例のない商品を新規の流通経路に流してトラブルにでもなったら、アバロン商会の信用にも傷がついてしまう。合理的に考えればとても乗れない提案だった。

 渋い顔をする会長にタケルは両手を前に出し、まるで夢を包むように想いを込める。

「テトリス大会を開きましょう! ハイスコアトップの人に賞金で金貨十枚を出すのです!」

 起業家は商品を売る前にまず、夢を売らねばならない。前例のない提案でも熱い情熱で相手を動かす、それがわが師、スティーブジョブズの教えなのだ。

「じゅ、十枚!?」

「それ素敵! 私も出るっ! きっと私が優勝だわっ!」

 クレアは太陽のように輝く笑顔で笑った。

 その今まで見たこともないような、希望に満ち溢れた笑顔を見て会長はハッとする。娘がここまで入れ込むなんてことは今までなかった。つまりこれは新たなイノベーションであり、ブレイクスルーに違いない。ここは若い感性に賭けるべきでは無いか?

「ふぅ……。タケル君……。キミ、凄いね……。うーーーーん……。分かった、一万個、やってやろうじゃないか!」

 会長はタケルの手を取り、グッと握手をする。その瞳にはタケルやクレアから燃え移った情熱の炎が燃え盛っていた。

 タケルも負けじと情熱を込め、グッと握り返し、うなずく。

 かくして、テトリスマシンは一万台販売されることとなった。日本円にして三億円の契約、それはベンチャーの開業資金としては十分すぎるほどのスタートと言える。

 そして、異世界で大々的に開催されるテトリス・チャンピオンシップ大会。それはこの世界では前代未聞の大イベントだった。


       ◇


 魔法ランプの素材を急遽一万枚、会長に用意してもらったタケルはアバロン商会の倉庫を借りて量産に励む。しかし一人で一万個はさすがに大変である。朝から晩まで【IT】スキルでテトリスを書き込んでいくが一日に二千個が限界だった。

「こんにちはぁ……」

 クレアの可愛らしい声が倉庫に響く。

「あぁ、クレアさん……。もう少しで五千個、折り返し地点ですよ……」

 疲れてフラフラになりながらタケルはクレアを見上げた。

「お疲れさまっ! で……、これ……、差し入れです」

 クレアは澄み通る碧眼を輝かせながらニコッと笑うと、少し恥ずかしそうにそっと包みをタケルの机に置いた。

「おぉ、これはありがたい……。え……、これは……?」

 中から出てきたのは少し不格好でやや焦げているパウンドケーキ。それは売り物ではなく明らかに手作りであり、タケルは息をのんだ。

「わ、私が焼いた……の。見た目はちょっとアレだけど、あ、味は……」

 照れ隠しをするように手を後ろに組んで、宙を見上げるとクレアはゆっくり首を揺らした。

 タケルは一切れつまんでパクっと食べ、にっこりと笑いながらサムアップ。

「美味しい……、美味しいよ。ありがとう!」

 令嬢なのだから取扱商品を持ってくればいいだけなのに、自分で焼いてくれる。それはタケルにとって心温まる嬉しい差し入れだった。

「よ、良かった……」

 クレアは白く透き通った頬をポッと赤らめながらうつむく。

 そんなクレアを見ながら、タケルはなんとしても計画通り一万個の出荷を実現せねばとグッとこぶしを握った。

 そこそこの規模であるアバロン商会としても、一般向けに一万個ものゲーム機器を売ってゲーム大会を開くということは、かなりリスクのある挑戦なのだ。そんな中で託してくれた会長やクレアの信頼にはちゃんと応えていきたい。

 起業家にとって信用こそ一番大切な財産である。この第一歩をしっかりと成功させることが異世界ベンチャーの成功、ひいては魔王を倒して世界を救う重要なプロセスだった。
「プロモーションの方は進んでいますか?」

 パウンドケーキの芳醇な甘さを楽しみながらタケルは聞く。

「今、試用品をあちこちのお店に貸し出しているの。手ごたえは悪くないわよ。それと、市場の一角を借りてステージを作るの!」

 クレアはグッとこぶしを握り、ニッコリと笑う。

「ステージ……?」

「ゲームが上手い人のプレイを見てもらおうと思うのよ!」

「いやでも、こんな小さな画面じゃ遠くの人には見えませんよね?」

「そ、そうなんですよね……」

 クレアは眉をひそめ首をかしげた。一つの画面をのぞきこんでもらうのは数人が限界な事はクレアも気になっていたのだ。

「……。分かった。じゃぁ、巨大画面版を作るから、大きなプレートを用意してくれますか?」

 タケルはニヤッと笑う。

「巨大画面!?」

「そうです、二メートルくらいのサイズなら遠くからも見えるでしょう?」

 異世界に登場する大型ディスプレイ。そんな物などこの世界の人は見たことないからきっと驚くに違いない。みんなの驚く姿を想像しただけで変な笑いが出そうである。

「す、すごい! そんなことできるんですね。タケルさん、すごーい!!」

 クレアはタケルの手を取るとブンブンと振った。

 タケルはその嬉しそうに輝くクレアの笑顔に思わず胸が熱くなる。こんなビビッドな反応をしてくれる人なんて前世でも一人もいなかったのだ。モノづくりをする者にとって感動し、感激してくれることこそが最高の報酬である。

 タケルはクレアの手をギュッと握って、軽く目頭を押さえながら何度もうなずいた。


         ◇


「なんでタケルさんって、こんなことできるんですか?」

 クレアは尊敬のまなざしでタケルを見つめる。高名な魔導士ですら到底できないことを軽々とやってのける素朴な青年、それはクレアにミステリアスに映っていた。

「僕のスキルがね、そういうことができる特殊な奴なんだよ」

「へぇ~、いいですねぇ。私なんて【ゾーン】ですよ? なんだか危機になると集中力が上がるスキルなんですって。でも、商会の娘には何の役にも立たないわ」

 クレアは口をとがらせ、つまらなそうにため息をこぼす。

「クレアさんは商会を継いでいくんですか?」

「うーん、パパはどこかの貧乏貴族に嫁がせて、その縁でさらに商会を盛り上げたいんじゃないかしら? やはり平民のやる商会では限界があるのよ。つまり私は政略結婚の駒。もう、嫌になっちゃうわ……」

 肩をすくめたクレアはブンブンと首を振った。

「良い方と巡り合えるといいですね」

 自分とは関係ない富裕層の悩みにややウンザリしつつ、タケルはお茶を一口含む。

「脂ぎってる太った中年オヤジとかになったらもう人生終わりだわ……」

 クレアは眉をひそめ、美しい顔を歪めて涙目になる。

「さ、さすがにそんなことには……」

「何言ってるのよ! 貧乏貴族なんてそんなのばっかりよ! うぅっ……」

「落ち着いて、まだ何も決まってないじゃないか」

 タケルはいきなりの展開に焦り、必死になだめる。

「……。もし、そんなことになったらタケルさん、一緒に駆け落ちしてくれる?」

 クレアはタケルの手を取ると、キラキラと碧い瞳を輝かせた。

「は……?」

「そうよ、お金ならあるんだからどこか遠くの街で一緒に暮らしましょう!」

 タケルは令嬢の暴走した妄想に圧倒される。もしかしたら【ゾーン】に入ってしまっているのかもしれない。

「いや、ちょっと、僕は……」

「何? 私じゃ不満なの?」

 座った目でジッとタケルをにらむクレア。

「ふ、不満なんてないですよ。ただ、そんな何もかも捨てて逃げるなんてできませんよ」

「……。そうよね……。私の魅力が足りないんだわ……」

 クレアはまだ発達途中の胸をキュッと抱きしめ、ガックリと肩を落とした。

 クレアの好意は嬉しく思うものの、前世アラサーだったタケルにはクレアはまだまだ子供にしか見えない。そんなことより一万個を作ることが喫緊の課題なのだ。

 タケルは、適当にクレアをなだめて切り上げ、またテトリスづくりへと没頭していった。


        ◇


 そして迎えた発売日――――。

 パパパパーン! パッパー! パパラパー!

 吹奏楽団によるにぎやかなJ-POPメドレーが市場に響き渡り、その聞きなれない洗練されたノリのいいサウンドに道行く人たちは足を止めた。

「ハーイ、皆さん! 本日発売になった前代未聞のゲームマシン『テトリス』です。ブロックを落としていくだけなんですけど、ハマっちゃうの! ぜひ、触ってみてくださいねっ!」

 ステージの上でコンパニオンのお姉さんが、テトリスマシンを片手に観客たちに声をかけた。ノリノリで笑顔のお姉さんに観客たちも惹きこまれていく。

「それでは模範演技をアバロン商会のクレア嬢にお願いしまーす!」

 パチパチパチパチ!

 サクラたちが一斉に拍手をして、観客がたくさん集まってくる。

 巨大画面で動き出すブロックたち。クレアはタン! タン! と見事なボタンさばきで溝付きの列を積み上げていく。

 そして、やってくる『棒』ブロック――――。

「おぉぉぉぉ!」「な、なんだこれは!?」「面白ーい!」

 ゲームなど見たことなかった異世界の人たちに、ブロックが消える爽快感は圧倒的だった。

「えっ? これ、自分でもできるんですか?」

 サクラが大声を張り上げる。

「はい、デモ機を三十台ご用意してます。こちらに順番に並んでくださいねっ!」

 お姉さんが台本通りに案内すると、ドヤドヤと観客たちが押し寄せてきた。

「えっ? ここに並ぶの?」「これ、買えるんですか?」「ちょっと、押さないで!」

 にぎやかなJ-POPが流れる中、大勢の人が押し合いへし合い集まってくる。それはテトリスがこの世界の人たちに受け入れられたことを示す、初めてのうねりだった。

「おぉ、タケル君! 見たまえ、大盛況じゃよ!」

 ステージの裏手でハラハラしながら見守っていた会長は、興奮した様子でタケルの肩をパンパンと叩く。

「いやぁ、これは予想以上ですねっ!」

 タケルも満面の笑みで応えた。この反応なら一万個は(さば)けそうだ。日本円にして三億円。それはタケルにとって、前世でも手に入らなかった途方もない大金である。

『わが師、ジョブズ……。僕はやりますよ! 金の力で魔王を倒してやる!』

 ついに始まった快進撃。タケルはテトリスに群がる人たちの熱気を全身に感じながら、フワフワとした高揚感の中、こぶしをグッと握る。この瞬間をきっと一生忘れないだろうとタケルは口をキュッと結び、多くの人が興奮にわく会場を見守った。


         ◇


 その後テトリスは一大ブームとなり、販売台数は三万台を超え、チャンピオンシップ大会もスタジアムで大々的に行われることになった。

「みなさーん、今日はお越しいただき、ありがとうございます! 第一回テトリスチャンピオンシップ大会、開幕です!」

 ステージの司会がこぶしを突き上げる。

 パパパパーン! パッパー!

 吹奏楽団が青空ににぎやかな音を響かせた。

 うぉぉぉぉぉぉぉ!!

 スタジアムを埋め尽くす数万のテトリスプレイヤーが、地響きのような歓声を上げる。

 タケルはそのスタジアムを覆いつくす熱狂に圧倒された。自分が魔法ランプに書き込んだちっぽけなコード。それが今、こんな壮大なムーブメントになって燃え盛っている。これが事業を起こすということなのだ。

 タケルは両腕に力を込め、グッとガッツポーズを見せる。

 あの時、生産数を百個にしていたら絶対こんなことにはならなかった。心のスティーブジョブズに問うたことが成功を導いたのだ。目先の成功にとらわれず、世界規模のビジョンを持って決断すること、それがITベンチャーでは大切なのだと、タケルは身にしみて感じたのだった。
「さて! それでは予選を開始します! 私が『用意、スタート!』と言ったら、プレイを開始してください。最後まで残った8名が決勝トーナメントに進みます!」

 うぉぉぉぉぉぉぉ!!

 プレイヤーたちはテトリスマシンを高くつき上げ、スタジアムは興奮のるつぼと化していく。それぞれ、今まで必死に寝る間を惜しんでテトリスを攻略してきたのだ。スポットライトを浴びるのは自分だとばかりに、テンションマックスで叫ぶ。

「それでは行きますよーー? 用意は良いですか?」

 急に静まり返るスタジアム。

 さっきまでの歓声が嘘のように、みんな血走った目で合図を固唾をのんで見守る。

「それでは……、スタート!!!」

 パパパパーン! パッパー!

 吹奏楽団がにぎやかなJ-POPメドレーを演奏し、プレイヤーたちは一斉にプレイに没頭した。

「ゲームオーバーになったらもう再開しちゃダメですよ、スコアでバレますからね?」

 ワハハハ!

 まだ余裕のあるプレイヤーたちから笑いが起こる。

 タケルは会長と共にステージの袖から感慨深く観客席を見上げた。自分の些細な思い付きがあれよあれよという間にこんなに多くの人の熱狂に繋がっている。それはまるで夢を見ているかのようにすら感じるのだ。

「いよいよ始まったな、タケルくん!」

 会長もワクワクした様子でタケルの肩を叩いた。

「えぇ、こんなに盛り上がるなんて最高ですよ! でも、テトリスはまだ第一歩にすぎませんよ?」

 タケルはニヤッと笑って会長を見た。

「え? 次は何を作るつもりじゃ?」

「それはお楽しみです」

 タケルは満面に笑みを浮かべながらステージを見上げる。

 そう、これはまだスタート地点に過ぎない。これを足掛かりにスマホを作り、莫大な富を築き、そして魔王を撃ち滅ぼして人類の歴史に名を残す。それはITベンチャーをキーとした壮大な旅なのだ。でも、今『魔王を倒す』なんて言っても会長には頭がおかしいだけにしか見えないだろう。

 ふはっ……。

 タケルはつい変な笑いがこみあげてきてしまい、慌てて口を押さえ、取り繕った。


        ◇


 くあぁぁぁ! しまったぁぁ!

 ゲームオーバーになってしまったプレイヤーの嘆き声があちこちから上がり始めた。

「スタッフのお姉さんたちは、まだプレイしている方のそばに立って旗を振っていてくださいねーー!」

 ぴったりしたコスチュームを着込んだスタッフの女性たちはにこやかに周りを見渡し、人だかりができているそばで赤い旗を掲げた。

 やがて、残っていた強者も、一人一人とゲームオーバーになっていき、お姉さんの数も余るようになってくる。

「はい、今、残ってるのは十名! あと二人脱落で確定です! あっ、後一名……。そして……確定、確定です!! 今残っている方、決勝トーナメント進出確定です!!」

 パパパパーン! パッパー!

 吹奏楽団の元気な演奏が決勝進出者を祝福し、会場は割れんばかりの拍手が響きわたった。

 タケルも拍手をしながら予選通過者を眺めていると、見慣れた顔がいる。クレアがタケルに向かってVサインを出しているではないか。なんと、クレアはこの数万に及ぶ参加者の中で勝ち残ったのだ。

「へっ? ま、まさか……」

 タケルは目を丸くしながら口をポカンと開けてしまう。数万の人の中で勝ち残る、それは並大抵の話ではない。きっと人知れずハードな練習を重ねていたのだろう。

 タケルはそのクレアの執念に苦笑しながら首を振り、そして大きく腕を突き上げ、サムアップしながらその健闘をたたえた。


        ◇


 いよいよ決勝トーナメント。ステージ裏では会長自ら進行の段取りを確認していく。この規模のイベントを成功させればアバロン商会の威信も高まるというもの。会長はビシッとタキシードに身を包んで、スタッフたちに檄を飛ばしていった。

「ちょ、ちょっと、困ります!」

 出場者の控えスペースでスタッフの女性が声をあげた。

 何事かと見れば、予選通過者と思われるフードをかぶった少年に屈強な護衛が二人ついている。そして、その護衛が特別待遇を要求しているようだった。

「ご、護衛……?」

 タケルは首をかしげた。なぜ、テトリスプレイヤーの少年に護衛がついているのか?

「あわわわわ……。ま、まさか……」

 会長はその様子を見ると真っ青になって駆け出した。

「我々は護衛であり、この方のそばを離れることはできない!」

「大会の規則では予選通過者のみの入場となっておりまして……」

「何を言う! そんな規則無効だ!」

「せめて、お名前をうかがっても……?」

「お前に名乗る名などない!!」

 押し問答が続く中、会長が割り込み、少年にひざまずいた。

「こ、これは殿下! 大変に失礼をいたしました!」

 えっ……?

 スタッフたちは驚いて後ずさる。

「ほう、お主は我を知っとるのか?」

 少年はフードを滑らかに脱ぎ、輝く金髪をファサっと揺らすとその鮮やかな真紅の瞳でニヤリと笑った。幼さを帯びたその端正な顔立ちには、生まれながらにして備わる高貴な気品が宿っている。彼こそが、才能に恵まれ、王国でも類を見ない名声を持つ第二王子、ジェラルド・ヴェンドリックだった。
 会長は王子に気おされながら言葉を紡いだ。

「も、もちろん存じ上げております。いつぞやのパーティーでご尊顔は拝見しております」

「なら、話は早い。護衛随伴は問題ないな?」

「も、もちろんでございます。御心のままに……」

 会長は冷汗を浮かべながら頭を下げた。

「それから……。対戦においてわざと負けるとかは……許さんぞ?」

 少年は真紅の瞳をギラリと光らせる。

「えっ……、そ、それは……」

「八百長は無しだ? いいか、分かったな?」

「いや、しかし、王家常勝は大前提ですし……」

 会長はあたふたしながら冷汗を垂らす。一般に王族が参加するイベントでは必ず王族が勝つように台本が用意されているのが習わしだった。

「何……? その方、我は八百長せねば負けると申したか!」

 少年はローブをバサッと翻し、腰に付けた剣に手をかける。黄金で王家の紋章が刻まれた剣の柄のブルーサファイヤが不気味に輝いた。

 ひぃぃぃぃ!

 会長は恐れおののいて床にへたり込んでしまう。

 その剣は幽玄の(エーテリアル)王剣(レガリア)。王族だけに所持の許された『斬り捨て御免』の剣である。つまり、この剣であればだれを殺しても罪には問われないという絶対王政の象徴だった。

「よいか? 八百長は無しだ。手を抜いているのが分かったら……」

 少年は剣を少し抜いてチャキッと金属音を響かせる。

「か、かしこまりました!」

 会長は土下座して叫んだ。

「よし! その方、我を案内せよ!」

 ローブをバサッと脱ぎ去った少年の胸元には、金の鎖がきらめく宝石のように輝いている。彼の純白のジャケットは赤い立て襟で華やかに彩られ、美しい立ち姿で女性スタッフへと話しかける様子はまるで絵画の一コマのようだった。


        ◇


「タケルくーん! 大変な事になってしもうた……。どうしたらいいんじゃ?」

 会長はほとほと弱り切った顔でタケルの腕をガシッと握った。第二王子は優秀でキレモノだというもっぱらの評判ではあったが、王族の例にもれず尊大で、無理難題を吹っ掛けてくる頭の痛い存在だった。

 王子が負けるようなことがあったら、王族侮辱罪が適用され、関係者の死刑は免れない。負かしたプレイヤーだけでなく、会長やタケルにも類は及ぶだろう。しかし、過去のハイスコアの数値を見れば、何の操作もなしで王子が優勝するとは思えない。

 さらにややこしい事に、普通に対戦したら対戦相手は恐怖で必ず手を抜くので、そうなれば八百長認定され会長の首は危うくなる。勝っても負けても死刑は免れそうになかった。

「うぉぉぉぉぉ、なんで王族がこんなところに来るんじゃぁぁぁ!」

 会長は頭を抱えて動かなくなってしまう。

 降ってわいた難題にタケルも大きくため息をついた。

「策はあるはずです。一緒に考えましょう」

「さ、策……って?」

 涙目で会長はタケルを見つめる。

「まず、殿下の対戦数を減らしましょう。ロイヤル・シードとか何とか名目をつけて、決勝戦にだけ参加してもらいましょう」

「なるほど、なるほど、で、決勝戦ではどうするんじゃ?」

「うーん……」

 タケルは腕を組み、考え込む。八百長もなしに確実に王子に勝たせる方法などある訳がないが、八百長は死刑……。なんという無理ゲーだろうか?

「中止、中止にしよう! こんなのに命なんてかけてられんよ!」

「いや、でも、この大観衆が納得しますかね?」

 タケルは観客席を見上げる。そこには決勝戦を楽しみにしている数万人の人たちの笑顔が並んでいた。

「うーん、納得は……せんじゃろうな……」

 肩を落とす会長。暴動が起ころうものならアバロン商会など一発で吹き飛んでしまう。

「何か策はあるはずです」

 そうは言うもののタケルにも妙案はなかった。

 くぅぅぅぅ……。ジョブズ……、ジョブズならどうするか……?

 ジョブズは自らが創業したAppleを追放された後も、粘り強い活動でAppleに復帰した。どんな苦境でもあきらめないことが肝心なのだ。

 もちろん手っ取り早く王子を勝たせるには出てくるブロックを操作すればいいのではあるが、ゲーマーの違和感は馬鹿にできない。バレるリスクを負ってまでやるべきではないだろう。

 と、なると……。

 タケルは重いため息を吐き、ゆっくりとうなずいた。

『ハングリーであれ、馬鹿であれ』

 ジョブズの名言が胸に蘇る。タケルは正面突破する覚悟を決めた。