色呆リベロと毒舌レフティ

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 入部してから一週間が経ち、一年生はかなり減った。退部する人ばかりでなく、Dに降格になる人もいた。
 一年生はみんな、チームの雑用がそつなくできるようになり、怒られなくなった。ただ俺は、釜本さんとはボール磨きの件以来、関わりが一切なく、気まずい思いをしていた。
 入部八日目、Cチームは、一年生が入部してから初めての練習試合を行った。
 相手は、普通の公立高校だった。三十五分ハーフを三試合行い、俺は一試合目の、Cのレギュラーが出る試合に、センター・バックで出場した。他に出ていた選手は、沖原、釜本さん、五十嵐さんなどだった。
 どうやら俺は、ある程度、コーチから評価されているようである。
 ただ、B昇格の声は掛からないから、あくまで『ある程度』止まりなんだけどね。もたもたはしてらんないんだけど。
 試合は、四対一で勝利した。スコアだけだと快勝だけど、俺は自分が失点に絡んだ一つのプレーで深く落ち込んでいた。
 後半二十八分、竜神はペナルティアーク付近でボールを保持していた。しかし一つのパスがずれ、こぼれ球が敵フォワードの7番に渡る。
 テクニックはゼロだけど、7番はとにかく快足だった。ボールを取るなり、竜神の中盤の選手をぶっちぎって疾走。ディフェンスは三人残っているが、俺以外の二人は相手をマークしていて対応できない。
 俺は恐怖に駆られつつ、力強くドリブルしてくる7番に全神経を集中する。
 俺の二mほど手前で7番は右に蹴り出した。俺も必死で反応。本気のダッシュで従いていくが、振り切られそうになる。
 俺は反射的に7番の服に手を掛けた。7番はすぐに頭から転倒。審判が高らかに笛を吹いて、敵のペナルティ・キック。
 キッカーの7番は難なく決めて、四対一。格下に一矢報いられてしまった。
 単純なスピード差だけでやられた俺は、自分への憤りで地面を蹴る。技術のない選手にこうも簡単に突破されていては、技術も走力もある選手にはどれだけやられるか想像がつかない。
 それと試合を通して沖原とは、またしても口論になった。今度は、ライン・コントロールについてだった。どうも考えがずれがちである。
 まあ、馴れ合うよりは断然、マシなんだけどね。
 佐々は、三試合目、Cで最弱のチームで出ていた。ポジションはフォワードで、前半のみの出場だった。
 相手のディフェンスでのパス回しを、驚異的な運動量で追い回してたけど、チャンスの場面でもトラップ・ミスをしたりしていた。ただ、直向きさはよく伝わってきてたよ。
 練習試合のちょうど一週間後には、竜神の芝生のグラウンドで行われる、竜神学園、女子のA対男子のBの練習試合を観戦した。
 女子Aは、好プレーは全員で褒めて、ミスは全員で労る、良い意味での仲良しチームだった。点を取った時は互いに駆け寄って、喜びを湛えた顔で抱き合ったりもしていた。
 女子Aはみーんな溌剌としてて、自責点一で落ち込む俺にとっても、マジで眼福だったよ。
 え? お前は、未奈ちゃん一筋じゃなかったのかだって? 完全無欠、まったくもってその通りだよ。だけど俺はさ、美しいものは美しいって、正直に言うんだよ。
 ここから本題、メインディッシュ。左ウイングで出ていた未奈ちゃんは、終始、明るく晴れやか、クリア・クリーンな表情で味方を鼓舞し続けていた。
 ほんと、女神様々って感じだったね。いつかは俺にも、あの笑顔を見せてほしいもんだ。
 スコアは三対三だった。実力の差を考えると、女子チームの大健闘だ。得点こそないものの、未奈ちゃんが全ゴールに絡んでいた。高一にして、強豪校のエース。美貌と合わせて、天は二物を与えちゃったってわけだ。
 四月三日には学校の色々な手続きがあり、母親が来た。俺と会うなり、「あんた。なんか、雰囲気が変わったわねぇ。甲子園から帰ってきた高校球児は雰囲気が変わるって言うけど、まさにそんな感じよね」と、驚いたような感心したような様だった。
 さすがはマイ・マザー。よーく息子を観察しておられる。竜神高校サッカー部にいれば、誰でも変わらざるを得ない。
 去り際の、「あんまり、女の子ばっかり追い掛けてちゃダメよ。私、切実に心配」の台詞は、余計だったけどね。絶対に聞けない願いって奴も、この世には存在するのである。
 ん? かっこいい表現から僕も私も使いたいだって? 「絶対に負けられない戦いがそこにはある」、みたいなノリでいうのがポイントだよ。
 そして、四月七日。竜神中学校・竜神高等学校の入学式が行われた。
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 式は九時からで、会場は飛翔館という名前の、体育館と講堂を兼ねた建物だった。
 普通の高校の体育館の二倍以上の面積がありそうな館内では、七百人ほどの新入生と父兄たちが、厳粛な空気の中で席に着いている。ステージ上部の幅広の窓からは、清らかな朝の光が入ってきていた。
 式は滞りなく進み、お祝いの言葉を終えた校長が壇を降りた。しばらくして、「新入生代表、挨拶」と、厳かな声が響き渡る。
 すると、新入生が座る椅子の最前列で、長身の女子生徒が立ち上がり歩き始めた。背筋はぴっと伸びており、まさに威風堂々って感じだ。
 女子生徒の目は丸くて大きく、太ってはいないけど、頬は少しふっくらとしていた。黒い髪は、首に辛うじて付くぐらいの長さである。やや眉は濃く、全体的に優しげな印象だ。
「美人」よりは、「別嬪」って言葉がぴたっと来るかな。辞書を引いたわけじゃないから適当だけどね。
 女子生徒の名は、川崎あおい。竜神中学上がりのサッカー部員で、ポジションはセンター・バックだ。その一つ前、中盤の底での起用も多い。中学時代には、ナショナル・トレセンU14にも選ばれた経験もある、かなりのエリート選手である。
「陽春の光り輝く、今日の良き日、私たち、竜神高校四十四期生は……」
 あおいちゃんは、一節一節を区切ってゆっくりと挨拶をし続ける。声は明朗で、とても聞き取りやすかった。
 入学式が終わって保護者が退席し、新入生は、三クラス毎に飛翔館から出て行った。
 俺たちのクラスの退場の番になり、三クラス分の新入生がぞろぞろと入口を目指し始めた。立ち上がった俺は、無人のパイプ椅子の間を隣り合って歩く、二人の女子の少し後ろに従く。
「あおい、良い挨拶だったじゃん。全然、上がってる感じじゃなかったしさ。私あんま経験ないんだけどああいう時って、どんなことを考えながら話してるの?」
「うふふ、ありがとう未奈ちゃん。うーん、そうね。こういう式って、いっぱい人が来てるでしょ? その全員がわたしに期待してくれてるって考えると、『よし、頑張ろう』って気になってね。緊張は、あんまりしないのよね」
「ふーん。やっぱりあんたって、良い方向にずれてるわよね。サッカーにも生かしなさいよ、そのポジティブ精神」
「うんありがとう。頑張るわ。なんてったってわたしは、未来の竜神の守護神だもんね」
「やる気満々なのは良いけどさ、守護神って普通はキーパーに使うでしょ?」
「あ、それもそうね。まあ私ったらそそっかしい。全然気づかなかったなぁ」
 気易いお喋りを続ける二人に、俺は一気に接近する。あおいちゃんが親しみの籠もった視線を遣る人物に、「やっ、未奈ちゃん!」。軽快さを意識して話し掛けた。
 向き直ったあおいちゃんにわずかに遅れて、未奈ちゃんが振り向いた。「んっ?」って感じのやや不思議げな表情である。
 そう、俺のクラス、一年十二組には未奈ちゃんがいる。未奈ちゃんがいるのだ。大事なことだから、二回、言ったよ。
 十日前俺は、寮の掲示板のクラス発表を、皇樹と一緒に見に行った。
 十二組の欄には、俺に加えて、沖原、佐々、皇樹、あおいちゃん、未奈ちゃんの名前があった。振り分け試験のチーム分けは学校のクラスがベースって森先生の言は、本当だったわけだ。
 部屋への帰り道、俺は、隣を歩く皇樹に全身全霊で喜びを表した。狂喜乱舞って語は、あの時の俺のためにあるよね。皇樹は心ここにあらずって感じで、反応が妙に淡泊だったけどさ。
「……どこのどいつかと思ったら、二束の草鞋の色呆け半端もん、か。あんだけ見事に玉砕しといて、よく私に話し掛けてくるわねー。スッポンの如しとかほざいてたけど、むしろあんた、スッポンそのものよねー。しつこいったらありゃしない」
 腕組みをする未奈ちゃんは、細ーい目で俺を見上げ、低ーい声で詰るように語る。
 だけど、この程度で音を上げてたら、みんなが笑顔のハッピー・エンドは望めないんだよね。
 完全に開き直った俺は、キリっとした顔を作って、未奈ちゃんをまっすぐに見返す。
「ああ、しつこいよ。だって俺、未奈ちゃんが大っ好きだもん。遠慮なんて、ぜっったいにしねーから」
「だ、だからあんたさ。告白が軽いのよ。照れるから辞めなさいっての」
 うっ、て表情の未奈ちゃんから小声の返事が来た。
 俺が未奈ちゃんを見詰め続けていると「ああもうやってらんない。日が暮れちゃうわ。あおいー。色呆け男は放っといて、教室に行こー」
 呆れた口振りで告げて、あおいちゃんを待たずに歩き去っていく。
 置いていかれたあおいちゃんは、心配そうな面持ちで、きょろきょろと俺と未奈ちゃんに交互に見た。
「ごめんね星芝くん」心から申し訳なさそうに小声で告げると、未奈ちゃんの元へ小走りで近づいていった。
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「よぉ桔平、いよいよ今日から俺らも花の高校生だ。青春というの大きな嵐に全身で突っ込んでいくってわけだ。これからいろいろあんだろうが、一緒に頑張ってこーぜ」
 十二組の教室に入るや否や、先に着いていた皇樹が話しかけてきた。表情は、同性にも異性にも好かれるだろう2.5枚目スマイルである。
「当然っすよ。なんやかんや頑張って、忘れたくても忘れられない濃厚な高校生活にしてやる所存だよ」
 情感をたっぷり込めて返答すると、皇樹は顔の横に右手を据えた。俺が真似すると、皇樹は右手を近づけてきた。
 パシン! 俺たちはハイタッチを交わした。手を下ろした俺は、さらに続けようとする。
 しかしすうっと、騒がしかった教室が瞬く間に静まり返った。クラス全員の視線が俺の背後、教室の入り口へと注がれる。
 俺は振り向いた。未奈ちゃんが立っていた。何気ない表情で教室を見渡している。
 パシャ! カメラのシャッター音がした。最後列の生徒が、スマホを未奈ちゃんに向けていた。
 すると次々と、十一組の生徒たちはスマホを未奈ちゃんに向けた。シャッターの音が数秒間隔で生まれ、教室は何かの撮影会場のようになる。
「ちょっ、ちょっとあんたたち。やめなさいっての。私にもプライバシーってもんがあんでしょうよ」
 未奈ちゃんは困惑しきった様子である。
 愛する人の苦境を見逃せない俺は、小さく息を吸い込んだ。
「みんなやめよーぜ。未奈ちゃん困ってんじゃんか」と声を張り上げようとすると、一人の長身男子生徒が未奈ちゃんの前につかつかと歩み寄った。未奈ちゃんを見つめる顔つきは決意に満ちている。
「水池未奈さん! ずっと昔から好きでした! 俺と付き合ってください!」
 長身男子がばっと頭を下げた。撮影音が一瞬で止む。
「はぁ? いやちょっと……。あんたと知り合って、このクラスに私が入って何秒だっての。いやほんと……もう。──なんて言ったらいいか」
 未奈ちゃんはあたふたと言葉を並べ立てた。頬は恥ずかしさゆえかほんのりと赤らんでいる。
「だいたい予想はしてたけど、やっぱり未奈ちゃん大人気だね」
 感慨を口にして皇樹を見やると、苦々しいような不満げなような、複雑な表情をしていた。
 訝しみつつもしばらく見つめていると、「あ、ああ。水池の周りは中学ん時からああいう感じだからな」と思い出したように皇樹が呟いた。
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 その後、教室に入ってきた女性担任教師が告白騒動を収めて、入学式後の二時間目にロング・ホームルームが行われた。
 自己紹介が終わって、クラスの係決めに移った。教壇上にいる若手の女性担任教師が、「まず委員長だけど、誰か立候補する人ー」と、控えめに尋ねた。だが、誰の手も挙がらない。
 数秒が経過して、やや不満げな面持ちの担任が口を開こうとすると、あおいちゃんが右手を挙げた。ただ腕は伸び切っておらず、若干の迷いが感じられる。
「先生! 誰も立候補しないのなら、わたしがやっても良いですか?」
 遠慮がちに意思を口にしたあおいちゃんは、担任をじーっと見つめている。
 担任は、「本当に良いの? やりたくない人に、無理やり押し付ける気はないのよ」と、申し訳なさそうだ。
「大丈夫です。委員長、中学時代もよくしてて、慣れてますから。あっ、いやいや。自慢をしてる訳ではないのよ。みんなのためになるかなって思ってね。だから、勘違いしないでね……」
 両手を胸の前で振るあおいちゃんの声は、徐々に小さくなっていく。
 あおいちゃんの申し出を聞いた担任は、大らかな笑みを浮かべた。
「それでは、委員長は川崎さんにしてもらいます。拍手ー」
 盛大とまでは行かないけど、そこそこ大きな音量の拍手が起こった。
 恐縮って様子のあおいちゃんは両手を前で組み、ペコペコと、全方位に小さくお辞儀をしている。
 その後、副委員長が投票で決まり、他の委員を決める段になった。
 壇上には、水を得た魚なあおいちゃんの姿があり、黒板には、各委員の名称が羅列されている。習字でもしていたのか、あおいちゃんの字はすっごい綺麗である。
「では、次に移ります。ホームルーム委員の希望者、挙手してくださーい。紛らわしくないように、できるだけ高く
高ーくお願いしまーす」
 あおいちゃんの生き生きした声が響いた。視界の端で、未奈ちゃんがどうでも良さげにゆっくりと、半端な高さまで手を上げた。
 シュバッ! 俺は即座に天高く挙手した。自分の指先から出る気が大気圏を突き抜けるイメージで。
 俺と未奈ちゃんの他には、坊主頭の男子生徒(邪魔者=馬に蹴られてなんとやら)が立候補している。
「女子は、水池さんで決定です。男子は候補者が二人いるので、後ろでじゃんけん──で良いのよね、未奈ちゃん」
 あおいちゃんが、縋るような視線を未奈ちゃんに遣った。ふーっと息を整えた俺は、おもむろに立ち上がった。居並ぶ面々の間を通り抜けて、戦場へと赴く。頭に鳴り響くは、ロッキーのテーマ。
 俺と坊主男子は、教室の後ろの黒板前で向かい合った。目を閉じて呼吸をゆっくりにし、瞑想を開始する。
「……お前、何でそんなに必死なわけ? 俺、そこまで拘りはないし、良けりゃ譲ってやるよ?」
 何やら声が聞こえるが、雑音に集中力を割いてる場合じゃあない。
 くわっ! 開眼した俺は、ゆっくりと拳を振り被った。
「「最初はグー。じゃんけん、ほい!」」
 坊主男子はパー、俺はチョキ。俺の、勝利。いやテンション的にはチャンピオンズリーグ優勝。
「きゃっほーう!」マリオのごとく跳び上がった俺は、早足で壇上に向かった。未奈ちゃんのご芳名の隣に、自分の名前をでかでかと書いた。相合傘は、さすがに自粛しといたけどね。
「……で、では、ホームルーム委員は、水池さんと星芝君に決定です。って未奈ちゃん? 大丈夫? 顔が怖いよ? 決め直したほうが良い?」
 あおいちゃんの怯えたような声も、るんるんの俺には気にならない。
 いやー、じゃんけんってすんばらしい制度だよね。考案した人に、金一封でもあげたいぐらいだよ。
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 翌日の四時間目は、クラスの懇親を深めるためのホームルーム活動だった。競技はサッカー。せっかくと皇樹秀という男女高校サッカーの雄がいるんだからと、お調子乗り(断じて俺じゃあないよ)の鶴の一声がそのまま通った形だった。
「授業だろうが何だろうが、サッカーはサッカー。私は手を抜くつもりはない。やるからには絶対に勝つわよ」
 自分を取り囲むチームメイトに、未奈ちゃんは凜々しい様で勝利宣言をした。
「おう、あったりまえじゃんかよ」と俺は力強く即答する。
「……ったく、つくづく私って運がないわね。六分の一の確率で、最大のババこと星芝桔平を引き当てちゃうんだもの」
 はあーっと溜め息でも吐きたげな面持ちで、未奈ちゃんが不満を吐露した。
 そう、俺は未奈ちゃんと同じチームだ。厳正なるくじ引きからのあれこれの結果である。
「向こうには最強のラスボス、スメラーギもいるけど、きっと大丈夫。俺と未奈ちゃんとでなんとかするからさ」
「……そうね。素人に相手させるわけにはいかないしね。今回だけはあんたに同意するわ」
 静かな調子で未奈ちゃんが答えた。先生から声が掛かり、俺たちはコートへと歩き始めた。
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「右が空いてんぞー。もうちょい全体を見てプレーしてこうぜー」
 ゴール前に陣取る皇樹が大声で指示を飛ばす。指示を受けた男子生徒は、ぎこちない足裁きで右にパスを出した。
 試合開始からずっと、皇樹はキーパーをしていた。自分が出しゃばると、クラスの懇親を深めるという目的が達成できないとよくわかっている様子である。
 俺も未奈ちゃんも皇樹と同じスタンスで、後ろからの配球メインだった。
 両チームの女子生徒がボールに詰め寄った。握手ができる程までに近づいた双方の間をがちゃがちゃとボールが行き交い、ラインを割って外に出た。
「俺らに楽しませたくて裏方に徹してくれてるのはわかるけどさー。そろそろ皇樹のかっこいいところ、俺は見たいぞー。なあみんなー」
 皇樹と同チームのクラスのムードメーカーが、愉快げな口調で声を張り上げた。
「うんうん、そうよね」「良いこと言うじゃん」「さんせーい」と女子を中心に同意の声が上がる。
 一瞬迷った様子の皇樹だったが、「そんじゃあまあ、そこまで言うならいっちょ頑張ってみっかな」と気易い口振りで応じた。
 キックインのボールが皇樹に渡った。皇樹は右で止めて、ボールを足裏で保持した。
「桔平ー、勝負だー! お前が全国の猛者が集う竜神で活躍したいっつーなら、見事この俺を止めてみろー」
 芝居がかった調子で皇樹が叫んだ。幼子のように輝く瞳からは、サッカーへの深い愛情が感じられる。
 俺は即座に半身になり、皇樹を注視し始めた。
 皇樹は細かいドリブルを開始。俺の少し前に至ると、左足でボールを跨ぐ。俺は釣られない。
 皇樹、右足のアウトで、俺の左後方にボールを出した。自分は逆から突破。
 俺は皇樹に遅れてボールを追うが、先にボールに触った皇樹はドリブルを続けて、右足でシュート。
 俺のスライディングは届かない。ゴール右隅に決まる。
「うし完勝! まだまだ修行が足りねえな、桔平!」
 ふざけた語調で皇樹が言った。次の瞬間、「色呆け!」と、ゴールからボールを取った未奈ちゃんが叫んだ。
 意図を即座に読み取った俺は全力ダッシュ。未奈ちゃんからの浮き球が前方でツー・バウンドし、俺はゴール手前で追いついた。
「あっ、せけえぞ桔平!」後方から皇樹の不満げな声が飛んでくるが、気にしない。素人のクラスメイトをすっと躱し、パスを出す。
 同じチームの三つ編み女子がトラップ。こつんと爪先で蹴ると、ボールはゴールへと吸い込まれていった。
 やっぱ今の俺じゃあ、ひっくり返っても皇樹はどうにもならないね。でも俺はこれからだ。それはさておき。
「未奈ちゃんナイスパス! 振り分け試験以来のゴールデンタッグ結成だね! いやー、くじ引きで別チームになったから一時はどうなることかと思ったけど、無理言って代わってもらって良かったよ!」
 ……ってこれ言っちゃああダメな奴だった。またやらかした、かな?
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 休み時間になった。十二組のクラス員のほぼ全てが残る教室では、あちこちで、知り合ったばかり同士のぎこちない会話が展開されている。
 入学初日の出来事にホクホクの俺は、教室のアイスをブレイクすべく、立ち上がろうとした。幸せは、お裾分けしないといけないからね。
 しかし。ダンッ! ふいに現れた人物の両手が、俺の机を力強く叩いた。
「星芝くーん。私あなたにちょっーと大事なお話があるんだけど、良かったらお時間頂けるかしらぁ」
 にっこりスマイルの未奈ちゃんが、俺を見下ろしていた。ゆっくりとした声は、妙に甘ったるかった。
 突然の急接近にドギマギしつつ、「い、頂けますよ。いっくらでもどうぞ。未奈ちゃんのためならたとえ火の中水の中だよ俺は」と、早口で返す。
 俺のセリフが終わるや否や、未奈ちゃんは俺の右手の袖をガッと引いた。
 俺は転倒を避けるべく、未奈ちゃんが力を掛けるほうへ進む。
 俺たちは教室、廊下と、周囲の視線を集めながら歩いていった。未奈ちゃんの歩行速度は異常に速く、引っぱられる俺については、「歩く」より「よろける」が正しいけれど。
 人のいない階段を通り過ぎ、トイレまで達する。通り過ぎようとした未奈ちゃんだったが、ふいにストップ。男子トイレの中を覗き込み、ずんずんと侵入し始めた。
「ちょ、ちょっと未奈ちゃん。ここ、男子トイレだよ! 女人禁制だよ!」
「うっさいっての。あんたは黙ってなさい。女子トイレに連れ込むわけにはいかないでしょーがよ」
 イライラしたような返答をした未奈ちゃんは、そのまま俺を引いていき、掃除用具入れへと入った。扉が自然に閉まって、未奈ちゃんと向かい合う。
「さーて、楽しい楽しい尋問タイムの始まりよー。どーして連行されたかわかってるわよねぇ。委員決めといいホームルーム活動のチーム分けといい、あんた私に執着しすぎでしょ。委員決めの時、あんた私が手ぇー挙げたのを見て手ぇ挙げたでしょ」
 未奈ちゃんの眼差しは、ビームが出そうなほど鋭い。
 うん、これはこれで可愛いな。新たな魅力発見。いやいや。そんな場合じゃないんだって。
「ちょっと未奈ちゃん。そう思うのも仕方がないけど、ぜんっぜん違うよ。早とちりしてもらっちゃー困る」
「ふん。早とちりも何も、あんた存在そのものがとちってんでしょ。で、何がどう違うのよ? 言ってみなさいよ」
 よし、ここだ。ここで俺が日々、研究している雑学の知識を生かすんだ。出てこい──うん、これだ。
「俺の手が挙がったのは、ほら、あれだよ。シンクロニシティ。ユング大先生が提唱した概念だよ。愛の集合的無意識で繋がった俺と未奈ちゃんの動作が、神秘の高次元で共鳴を起こして……」
 バン! 怒り心頭の未奈ちゃんの左手が、俺の背後の壁を叩いた。未奈ちゃん()に睨まれて、()は固まる。
 ……こ、これが、噂の壁ドン。こんなに鬼気迫る状況でなされる物とはね。まったく、世界は広いぜ。
「おふざけもその辺にしときなさいよー。どー考えても、あんたは私に合わせて手を挙げたのよ。
 ってかあんた、空しくないの? ぜっっったいに振り向いてもらえない相手を追っ掛け続けてさー。フッラフラフラフラ、お好み焼きに乗ってる鰹節じゃあないんだからさ」
 口を歪めた未奈ちゃんの表情が、呆れと怒りに染まり始める。
「いやいや、わかんないよ? 未奈ちゃんも俺と一緒にいたら、予想もしてなかった魅力を発見して、好きになっちゃうかもしれないし。人生何が起きるか、一寸先はまったくの闇なんだよ」
 俺の理詰めの説得を聞いた未奈ちゃんは、だんだんと真顔になっていった。
「……わかった。そこまで言うなら賭けをしましょう」
 落ち着いた語調の未奈ちゃんに「賭け?」と聞き返す。
「明日の自主練の時間、ミニ・ゲームをするの。そっちは、あんたに十二組のCチームの二人を加えて三人。こっちは私と、私の出身チームの女子小学生選手の二人。あんたたちが勝ったら、あんたとデートをしたげる」
 はっとした俺は、「え、マジで?」と聞き返した。
「その代わり私たちが勝ったら、あんたは私の言うことを、何でも一つ聞きなさい。どーお? 破格の提案でしょ? 女子選手二人に三人掛かりで勝ったら、憧れのスーパーウルトラ美少女と楽しい楽しいデートができるんだもんねー」
 未奈ちゃんの口調は、異常に間延びしていた。口角の上がった笑みは、俺を嬲るようだったが、俺のテンションは急上昇する。
 三対二で勝ったら、未奈ちゃんとデート? 心、踊りまくりなんですけど。
「お、おう。ミニ・ゲーム、受けて立つよ。未奈ちゃんは今日から、デートで何を着ていくかとか、いろいろ考えといてよ。一生ものの思い出にしたげるからさ」
「あんたは、ミニ・ゲームでどんな悪足掻きをするか考えときなさい。一生もののぼろ負け試合にしてあげるから。
 時間は午後七時、場所はうちのフットサル・コート。コートの使用手続きは、私がしといたげる」
 自信マンマンで告げた俺に、未奈ちゃんはクールに吐き捨てた。すぐに振り返って、男子トイレから出て行く。途中で男子と擦れ違ったけど、完全に無視だった。
 未奈ちゃんの背を目で追う俺の胸に、疑念が渦巻き始める。
 いくら未奈ちゃんが凄いからって、竜神のサッカー部でそこそこやれてる三人が相手だ。勝機はないだろ? どういうつもりだ?
 ……そうか、ミニ・ゲームでの敗北を口実にして、俺とデートがしたいんだね。素直に好きって、口にできないんだ。大丈夫。俺、そーゆーところも好きだからさ。
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 未奈ちゃんと約束をした日の全体練習後、俺は、沖原と佐々に、三対二のミニ・ゲームについて話した。
 俺の都合で巻き込んだにも拘わらず、二人とも、二つ返事で承諾した。テクニシャン、未奈ちゃんとのミニ・ゲーム、得る物は多いからね。
 ミニ・ゲームの当日、新入生テストがあった。全教科を一日に詰め込んでいるため、午後四時過ぎまで掛かった。竜神高校の、進学校としての一面を垣間見た気がした。
 テストの後の全体練習を終えた俺たちは、すぐに移動を始めた。既に自主練の始まっている女子Aの芝生のグラウンドの横を通り過ぎて、フットサル・コートの扉を開く。
 コートは手前と奥に二面あり、周りは、四mほどの高さの柵と照明で囲まれている。既に日は没しているが、照明からの光は眩しく、コートの一帯だけ夜が切り抜かれているかのようだ。
 こういう雰囲気、俺は情緒的で好きである。ん? キャラクターに合ってないだって? 好きなものは好きだから仕方がないんだよね。
 手前のコートでは、赤地の上にメーカー名の入ったシンプルなシャツと白のショート・パンツをお召しの未奈ちゃんが、俺たちを詰まらなさそうに目で追っていた。左足一本でリフティングをしながら、である。
「へー、生意気をかましてくれんじゃないの。いっちょ前に、まさかの巌流島作戦? あんたたち、宮本武蔵にはなれやしないわよ。二度と立ち上がれないぐらいに、ズッタズタのぼろぼろのぼろ負けするんだからさー」
 未奈ちゃんは、アラウンド・ザ・ワールドをしつつ、ロー・テンションの皮肉を飛ばしてくる。一応、時間には間に合ってるんだけどね。
 隣では、FCバルセロナのユニフォーム姿の女の子がぴょんぴょんと両足ジャンプをしていた。肩ぐらいまでの黒髪を、ポニーテールに結っている。
 両の瞳はキラキラしていて、「あたし今日、テンションマックス!」って思念が漏れてくるようである。身体つきは華奢で、庇護欲をそそる感じだった。
 うむ、誠心誠意、完全完璧なロリである。俺、ロリコンじゃあないけれど、アクティブ全開なJSってのはなかなか見ていて感慨深いものがあるよね。
「ちょっと待っててー。すぐに準備するからー」
 やや早口で答えた俺は、柵の近くに鞄を置いてコートに入った。少し遅れて、沖原と佐々も続く。
 十二組のCチーム三人組と、未奈ちゃん&ロリJSは、一つのフットサル・コートを四分割して作ったコートの中央に集まった。広さは、二十m×十mくらいで、ゴールの代わりにコーンが二つ置いてある。間を通ったら一点って寸法だ。
 フットサル・ボールを左足で地面に抑えた未奈ちゃんが、ドライな面持ちで口を開く。
「試合は、五点先取の時間無制限。キーパーはなし。ボールが外に出た時は、基本的にはサッカーと同じだけど、タッチ・ラインを割った時はキックインでいきましょ」
「時間無制限? JSもいるのに? 長く続けば続くほど、俺たちが有利になるけど、良いの?」
 単純に疑問な俺は、即座に問うた。未奈ちゃんの口角がわずかに上がる。
「心配してくれてんだ? 普段はあれなのに、こういう時は優しいのねー。大丈夫よ。すーぐに終わるから」
 断言した未奈ちゃんの静かな迫力に、俺たちは何も言い返せない。
「そんじゃ賭けの条件を確認しましょーか。こっちが負けたら、私は、色呆け桔平とデートする」
 想定外の呼称に、俺は、「お、おう。望むところだよ」と口籠もる。
 色呆け桔平か。なんとなく、名前として成立しちゃってる感があるね。
「私らが勝ったら……。何だっけ? ああ、色呆け桔平が、私の言うことを百個聞く、だったわね」
「……み、未奈ちゃん? 水増しはしないでね。一個だけだよ、一個だけ。百個って、ポルンガの三十三倍超え……。どんだけ大盤振る舞いなドラゴンボールだよ。」
 未奈ちゃんは小声で軽く諌めた俺に、「そうだっけ?」と、きょとんって感じで首を傾げる。文字通り、桁違いの強かさである。
「んじゃ、とっとと終わらせちゃいましょうか。この初めから結末のわかっている予定調和感満載のミニ・ゲームをね。ほらほら、さっさと散りなさい。二つの意味でね」
 未奈ちゃんのクールな毒舌を受けて、俺たちはダッシュで散らばった。ポジションは左から順に、沖原、俺、佐々である。
 未奈ちゃんはコートの真ん中にボールを置き、隣のJSに、「カエデ。相手はあんたを舐めてるけど、遠慮は要らないわよ。最初っから、全力で飛ばしていきなさい」と発破を掛けていた。きつめだが、どことなく愛を感じさせる喋り方である。
 JSの名前はカエデか。なーんかどっかで聞いた覚えがあるけど、どこだったっけか。出てこない。
 未奈ちゃんがボールを出して、試合開始。
 パスを受けたカエデちゃんは、右後ろに大きく助走を取った。え、何をしてんの?
「佐々、当たれ!」嫌な予感がして、俺は命じた。
 次の瞬間、カエデちゃんは右足でボールを蹴った。足の外側で、ボールの左を掠めるようなキック。
 コートの時が止まった。全員の注目がボールに向く。
 俺と佐々の間を抜けたボールは、ワン・バウンドするや否や、進行方向を急激に左に変えた。
 ツー・バウンド、スリー・バウンド。ボールはどんどん右に曲がっていき、ゴールのコーン擦れ擦れを通過する。〇対一。〇対一?
「イエーイ! 先制点ゲーット♪ どーだ! あたしの必殺、天下無双のキックオフシュートは!」
 楽し気な声に振り返ると、声の主、カエデちゃんが俺へと右手でピースしていた。自信満々って感じの満開の笑顔で、目が合うとぱちんとウインクまでしてきた。
 未奈ちゃんは、カエデちゃんの頭を手でくしゃくしゃっとして、「ナイス・シュート。あんた、アウトも上手くなったわねー」心の底から嬉しそうな様子である。
「いやいやいやいや、何、今のキック。ネイマールかっての。未奈ちゃん。その子はいったい、何者……。ってもしかして」
 圧倒されながら突っ込む俺だったが、途中で一つの可能性に思いが至り始める。
 手を止めた未奈ちゃんは、俺たちに向き直った。既に笑顔は引っ込んでいる。
「ああ、私の妹の楓。自慢っぽくはなるけど、『超絶姉妹の妹のほう』よ。あんた、サッカーをやってて知らないの? バルサ女子とマンC女子の下部組織からも声がかかってるんだけど。悔しいけど、才能だけなら私より上かもね」
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 ダッシュでボールを取ってきた俺は、ボールをセンターに戻した。ゲームを再開すべく沖原が近づいてくる。口を引き結んだ表情は固く、悲壮感すら感じさせる。
 俺が前に出したボールを、沖原が足の裏で転がして自コートに戻した。右足で、佐々にパス。
 ぎこちないトラップをした佐々は、顔を上げた。ちょんとボールを出して、前を見る。
 未奈ちゃんが寄せてきて、二mほどの間を取った。佐々の足元を注視する視線は、鋭利な刃物のようである。
 佐々は右に大きく身体を揺らし、左へとボールを移動。俺へパスを出そうとするけど、動きが遅い。未奈ちゃんが伸ばした右足に引っ掛かる。
 百戦錬磨の未奈ちゃんに通用するフェイントじゃあないわな。まだ初心者だから、仕方ないけどさ。
 佐々が抜かれて俺は未奈ちゃんに詰める。中に絞ってきた楓ちゃんには、沖原が付く。
 未奈ちゃんが小さく足を振り被った。シュートを警戒した俺は固まる。
 だが、それはフェイント。右方、やや後ろにいる楓ちゃんに落とす。
 右足に吸い付くように止めた楓ちゃんは、すぐさま左斜めに転がす。沖原の重心が、わずかに右に傾いた。
 すると楓ちゃんは、同じ足の外側で方向転換。沖原の股を抜いた。
 沖原は必死で反転する。楓ちゃんスライディング。先にボールに触れた。コーンの内側をぎりぎり通って、ゴール。〇対二。
 駆け寄った未奈ちゃんが、楓ちゃんとハイ・タッチをした。楽しげな雰囲気で、二人は自陣へ引いていく。
「超絶姉妹」の名前の由来は、二人の比類なきテクニックだ。そこらの高校サッカー部員など、足下にも及ぶはずがない。
 ボールは、フットサル・コートの全体を囲む柵のすぐ下に転がっていた。俺はソッコーでボールを取りに行き、脇で抱えた。深刻な面持ちのチーム・メイトの間を走り抜けながら、思考を加速させる。
 やっば、あんな神テクの持ち主の二人とやれるなんて、俺ってマジで幸せもんじゃん。