――2020年8月8日(土曜日)。

 駅前にある喫茶店【KAMINO】で、僕は猿渡夢夢と待ち合わせをしていた。

カランカランカランッ!

「いらっしゃいませ!お1人様ですか!あっ、猿渡さんの――!」
「千家様、こちらです!」
「あぁ、夢夢。久しぶりだな。すいません、アイスコーヒーを1つ――」
「かしこまりました!3番テーブルさんアイスコーヒーワン!猿渡さんごゆっくり」
「ありがとうございます。神野(じんの)店長」

 あの災害から10年の月日が流れ、夢夢もすっかり大人の女性になった。今はこの喫茶店で働いている。

「凛子と美甘は元気か?」
「はい、息災でござる。2人共今日はここへ来たがっていましたが、村長の命令で警護の仕事をしています」
「はは、2人共大きくなったんだろうなぁ」
「はい――」

 ――10年前の3月10日。最大震度7の地震が起き、この町は至る所で停電や火災が発生した。そして午後15時30分に津波が町を襲う……。

 僕は愛する西奈真弓を守るべく奔走したが奮闘虚しく、数日後に遺体となって見つかった。
 真弓の側には偶然にも車椅子が流れ付き、寄り添う様に息を引き取っていたそうだ。
 あの日、真弓の母親は専門学校まで迎えに行こうとして東浜交差点で立ち往生していた。そこで津波に遭遇し、近くにいた車で逃げ帰ったという。その車は僕と夢夢が送ってもらった片桐刑事の部下、早乙女(さおとめ)刑事だったらしい。当時、中央病院の事情聴取の際に母親の顔を覚えていたのだ。
 娘を亡くした母親は毎日毎日、娘を探し東海浜医療専門学校から3キロ離れた内地でようやく見つけたと連絡をもらった。
 葬儀で号泣する母親の後ろ姿は今でも覚えている。

 ――2011年3月11日、有珠が未来で見た災害発生日。災害時刻になったが震度5弱の地震が来た以外は何も起きなかった。きっと有珠と黒子が、白子を止める事に成功したのであろう。あれから夢夢も有珠と黒子の姿を見ていないそうだ。
 
「千家様、これをお渡ししておきます」
「これは?」
「有珠様からお預かりしておりました。今日の日にこれを千家様にお渡しする様にと――お手紙です。後でお読み下さい」
「わかった」
「千家様、今日の日にお呼びしたのには理由があります」
「ん?僕の結婚記念日の祝いとかか?」
「いえ、違います。でもそうなのですね……それも運命なのかもしれませんね」
「どういう事だ?」
「今日、2020年8月8日。10年前の今日、千家様は2010年にタイムスリップされたのです」
「……あぁ、そうか。あれからもう10年も経つのか」

 アイスコーヒーの氷が溶け、グラスから氷の溶ける音が聞こえる。そうか10年も経つのか……。窓の外を見ると遠くに入道雲が見えた。

「いらっしゃいませ!何名様ですか!2名様ですね!どうぞ!」
「あっ!あれ?春彦さん!ここにいたんですか!」
「あれ?もしかして夢夢さん?ですか!」
「あら、真昼君と奥さん。ご無沙汰してるでござる」
「夢夢さん、主人がいつもお世話になってます。主人は何にも話してくれないもので。わかってたら手土産でも用意したのに!」
「いえ!私が千家様に用事があったので!もう用事は済んだのでこちらへどうぞ」
「あら、何かごめんなさい。この人と待ち合わせは16時だったんですが、駅に早くに着いてしまって。近くで喫茶店を探してたんです」

真昼と僕の妻は同じ席に着きアイスコーヒーを頼む。

「真昼君はいくつになられたのですか」
「夢夢さん、僕は18歳になりました。今年受験です」
「まぁ、大きくなって!」
「春彦さん達のおかげです。あの日から……母を亡くした日から僕の面倒をずっと見てくれていたので」
「夢夢さん聞いて下さい!今日はね、この子が私達の結婚祝にプレゼントをしたいと言い出しまして。ディナーを予約してくれたんです!」
「まぁ!本当に優しいでござるな!受験と言う事は東海浜医療専門学校へ?」
「はい!その予定です」
「そうでござるか……」

 思い出したように夢夢は窓の外を眺める。真昼の母親、霧川小夜子は津波で流され未だに行方不明とされている。残酷な最後は誰も知らない。

「僕はあの日……母さんと病院に行く為にタクシーに乗ってたんです。母さんが警察署に用事があるって言って、待ってる間にウトウトと寝てしまい……」
「アイスコーヒーお待たせしました。どうぞ!」
「ありがとう」
「それで……目が覚めたら確か東浜交差点にいたんです。タクシーから降りて走って行く母さんが見えて、慌てて追いかけた……」
「そうね、真昼がタクシーから飛び出すのを私がたまたま見つけてね。あの日、信号がちょうど消えてたんだったかな。スピードを出した車が見えて、とっさに……」

 アイスコーヒーをかき混ぜる彼女の手首にはあの日渡した念珠が光っている。

「小夜子さんと春彦さんがいなければ僕はここにはいません。本当にありがとうございます」
「馬鹿ねぇ、本当の子供みたいに思ってるのよ。そんなにかしこまらないの」
「そうだぞ、真昼。小夜子と話合って決めたんだ。真昼が1人前になるまでは助けてやろう……てな」
「うん……ありがとう……」
「こらこら、こんな所で泣かないの……うぅ」
「小夜子さんだって……」

 歴史は確実に変わった。僕は南小夜子と結婚し、霧川真昼を児童福祉施設から引き取り面倒を見ている。

 風のうわさでは、北谷美緒は渡米して歌手になったとか。雑誌に掲載されたインタビューで『高校生の頃に聞いたAkaneの歌に衝撃を受けた』と書いてあった。初詣でAkaneの歌を聞いた時の話だろう。あの時は美緒は口が開きっぱなしだった思い出がある。

 東方理子は現在自衛隊で働いている。震災の翌日、避難所で見つけて声をかけた。片桐刑事の友人が自衛隊の救護班におり、ちょうど人手不足だったそうだ。今では東浜地区の救護班を任せられ立派に任務をこなしている。そう言えば自衛隊特集のテレビにも出ていた様な……。

「おっと……そろそろ時間だな。小夜子、真昼、行こうか」
「えぇ、あなた。夢夢さんまた来ますね!今日はありがとうございました」
「夢夢さん!ありがとうございました!」
「はい!いつでもいらして下さいでござるよ」
「それじゃ夢夢。元気でな」
「はい、千家様も――」

カランカランカランッ!

「ありがとうございました!またのお越しをお待ちしております!」

 喫茶店を出て、交差点を渡り3人でレストランへと向かう。

「春彦さん!お盆休みに友達とキャンプに行きたいんですけど――」
「おいおい、ご先祖様が帰って来る日に――」

………
……


 ――交差点を渡った後、小夜子は1人喫茶店を振り返りお辞儀をする。

「美緒、良雄君、春彦君……今日はもう1人の私の命日に来てくれてありがとうね。……それだけ言いたくて――」

 横断歩道の向こうでもう1人の春彦が不思議そうに小夜子を見ている。

「さようなら――」


……
………

「おぉい!小夜子!行くぞ!」
「はぁい!あなた!ごめんなさい、知り合いに似てた人がいて――」
「小夜子さん!もしかして春彦さん以外に誰かいるの!」
「馬鹿!そんな事ないわよ!春彦を愛してるもの!」
「ひゅーひゅー」
「真昼、やめろ。小夜子もこんな所で何を言ってるんだ。まったく……」
「あらいいじゃない!減るもんじゃないし!ねぇ!真昼!」
「ねぇ!小夜子さん!あははは!」

 その日は3人でディナーをし結婚祝をした。少量ながらもアルコールも飲み、帰りはタクシーに乗った。尽きない昔話に花が咲く。
 その日の夜。小夜子と真昼は疲れて早々に寝室に戻って行く。

 ――2020年8月8日(土曜日)23時55分。

 僕は夢夢から預かった手紙を開く。有珠からの手紙だ。

「相変わらず、字が下手だな……」

そんな事を思いながら目を通す。

『春彦よ、息災か。息災で無くとも生きておればそれで良い。『時空の目くそ』……もとい、『時空の砂』を貴様に託す。アイスコーヒーに溶かすと美味しく飲めるぞ。尚、貴様が喫茶店で飲んだアイスコーヒーには既に溶かしておくように夢夢に言ってある。だが安心せい。《《戻るかどうか》》は貴様の気持ち次第じゃ――』

「おい……有珠……お前は何て事を……!!」

スマホを見ると23時58分を過ぎていた。

「僕の……気持ち次第……!」

激しく動悸がする。

『――2020年8月9日0時になった時、貴様がもう1度2010年に戻りたいと願うならそれは叶う。しかし願わないのであれば時間は進み、新しい日が訪れよう。ではさらばだ。中和有珠ちゃんより』

「自分で『有珠ちゃん』とかあり得ない……!いや、そこじゃない!もう23時59分……!!」

――自分の心臓の鼓動が大きく聞こえる。

どっくん……どっくん……どっくん……!!

 南小夜子と霧川真昼との幸せな家庭。しかし少なからず、西奈真弓を亡くした事の後悔はある。

「これが有珠の言っていた究極の選択……だったのか……」

 時計が8月9日0時になる。アルコールのせいか、だんだん眠たくなる。次に目が覚めた時、朝を迎えられるのか、それとも……。

僕は机の上で……あの日と同じ様に眠りについた。




―完―



 ――2012年3月10日(木曜日)。

『摩訶般若波羅蜜多心経――』

 震災から1年後。東浜交差点で震災の供養祭が開催された。ここが1番亡くなられた方が多かったそうだ。海岸からも近い住宅地。避難出来る高い建物もなかった。
 有志により、交差点のあった場所に慰霊碑が作られた。たくさんの花と線香が亡き人達を弔う。
 献花に訪れていた人に声をかけられ、顔を上げる。

「春彦……君?良かった。今日は会えると思ってたわ」
「真弓……のお母さん……」

 そう言えばあれから、高校は卒業出来たものの、夢夢の屋敷にお世話になり気の抜けたような生活をしていた。時々、南小夜子のお見舞いに中央病院に行く以外は外出する事もなくなった。

「春彦君が今日いたらこれを渡したくて探してたのよ」
「は、はぁ……」

20センチ程の小さな缶を渡された。

「これね。真弓の荷物を整理してたら出てきたのだけど……大事にしてた物らしくて。だけど中を見たけど私にはわからなくてね、春彦君ならわかると思って――」
「僕……がですか?」

カチャ――

 小さな缶を開けた瞬間に涙が流れた。便箋セットの上に大事そうに玩具の指輪が乗っている。

『おかげで私達はめでたく結婚しましたぁ!』

 あの時、真弓の言った言葉がフラッシュバックし、脳を駆け巡る。

「うぅ……」
「春彦君、やっぱりこれが何かわかるのね。そうね……君に預けた方が真弓もきっと喜ぶと思うわ」
「あり……ありがとうございま……うぅ……」

 最後はもう言葉にならなかった。我慢していた感情が溢れてしまった。涙が止まらない。
 一緒に来ていた夢夢が背中をさすってくれる。

「大丈夫です……大丈夫です……」

 そう言いながらさすってくれた。夢夢もあの時一緒にいて、一部始終を知っている。理解した上で慰めてくれた。その優しさも相まってか、しばらく涙は止まらなかった。
 そのまま真弓の母親の運転する車に乗り真弓が亡くなった場所へ行き花を飾る。周囲は津波の被害で何も無く、草が伸びていた。ただ不思議な事に真弓の車椅子の周りだけは草も生えず、今にも動き出しそうなそんな感じがした。
 まだ冬の冷たい風が吹く。春は近いが真弓はずっと寒い中1人なのだろうか。手を合わせると真弓の笑顔が思い浮かんだ。

『ありがとう』

真弓の最後の言葉が耳に残る。

「真弓……僕の方こそ……!ありがとう……」

カタン……!

 一瞬、車椅子のブレーキが外れた様な音がした。真弓がそこにいたのだろうか。誰も気付いてはいない。

「真弓……」

………
……


 猿渡の屋敷へと帰ると、一族の者が塩を撒き体を清めてくれる。
 僕は部屋に戻ると早速、缶を開けて中身を確認する。白蛇神社のくじ引きで当てた玩具の指輪、便箋セット……「そう言えばくまのぬいぐるみを欲しがっていたな……」そんな事を思い出す。
 僕は便箋セットを開封し、ペンを取った――



真弓へ

 君と会えなくなって幾分経つだろう。時々君の仕草を思い出して涙が出る事がある。たぶんそれは僕の中に君がいるからなんだと思う。
 真弓……また会えるかな。会いたい……。
 今度また……生まれ変わって会えたら、2人でくじ引きをしよう。君の欲しがったくまさんのぬいぐるみが出るまで全部くじを引こう。
 君の手の感触が今でも忘れられない。こんなに君の事を愛していた自分に驚いている。
 真弓、愛しているよ。ずっと一緒にいような……



 そこまで書いてペンを置いた。涙が流れ文字がにじんだ。しばらく手紙を眺めていたが、それ以上の言葉が出てこなかった。きっと今の僕にはこれが精一杯なのだろう。文章は途中だったが、最後に『千家春彦』と書き封筒に入れた。
 ただの自己満足だった。だが、少しだけ気持ちの整理が付いた気がする。

 ――数日後、僕は真弓の車椅子がある場所へと向かう。そして届くはずのない手紙をそっと車椅子の背もたれに入れた。封筒の中に玩具の指輪を入れて……。

「真弓、いつかまた……会おうな」

 そう言うと僕は車椅子に手を合わせる。振り返ると、近くに4階建の新しい建物が建設中だった。それは真弓が通うはずだった医療専門学校。震災で半壊した学校は取り壊され、内地に数キロ移動した場所に建て替えられていた。

「この距離なら車椅子でも通えるかもな……」

………
……


「やれやれ、見てしまったからにはこの手紙を届けないといけないではないか。はふぅ」
「はい!さすがねぇさまですわ!優しさが溢れていますわ!」
「うむ……何年先じゃったかのぉ。まぁそのうち……行った先の未来で西奈真弓に届ければ良いか。先の未来で郵便配達じゃ」
「はい!ねぇさま!いかようにもなりますわ!」
「嫌がらせにお主の鼻くそも付けておいてやろうか」
「それは嫌ですわ!ねぇさま!」
「冗談じゃよ、冗談。……いや、目くそにしてやろうか」
「どっちも拒否ですわ!ねぇさま!」

 そんなやり取りがあったとか無かったとか。春彦は手紙を入れた事も自然に忘れていく。いつの間にか、車椅子の背もたれから手紙が無くなっているとも知らずに……。



※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 ――2010年8月9日(月曜日)0時00分。

 カチ――時計が8月9日になった。この時はまだこんな事になるなんて思いもしなかった。
 目が覚めると僕は真っ暗な何もない空間にいる。上がどこなのか、下がどこなのかすらわからない。
 そんな中いくつかの光が見える。体の向きを変えれば光が見える方へと行けそうだが……?

「ぬ……貴様が千家春彦か」
「ぬっ?誰だ!」
「わしは死神ノアリス。人呼んで死神ノアリス……」
「なぜ2回言ったんだ……」
「……」
「……」
「細かい事を気にすると、ろくな死に方をせぬぞ?」
「ほっといてくれ」
「さて本題に入ろう」
「ちょっと待て。まだ自己紹介が終わっていない」
「――わしは死神ノアリス。人呼んで……」
「で、ノアリスとやら。僕は死んだのか?」
「貴様はやはり千の血筋なのだな。わしを雑に扱う所がそっくりじゃ。貴様のご先祖様の――」
「昔話は結構です」
「桃矢……」
「……」
「……」

 しばらく沈黙が続く。お互いの出方を伺っているのか。大きな鎌を持つ少女はやはり死神なのだろう。絵に描いたような出で立ちだ。

「ぬ。さて……貴様の魂は修復者(リストーラル)により抜け出た様じゃな。西暦2010年の千家春彦よ。帳簿によると、18歳とちょっとで間違いないか?」
「なぁ、その帳簿簡単すぎやしないか。ちょっとて何だよ、ちょっとって」
「貴様、男のくせに細かい事を言うの。ほれ、見てみろ。ここに――」

 ノアリスが見せてくれたノートには、僕の産まれた日からの経歴が細かく書かれていた。

「字がきたないな……」
「ぬ。やかましい。貴様、男のくせに野暮なやつじゃな」
「……」
「……」

再び、沈黙が訪れる。

「……さて、千家よ。貴様には選択肢がある。今から言う選択肢を選ぶが良い」
「選択肢?」
「左様――」

 ノアリスが言うには、僕は生まれ変われるターニングポイントにいるそうだ。
 2010年の僕の魂は抜け行き場を探している。ほっておくとそのまま消滅してしまうそうだ。そこで選択肢を与えられた。

 1つ目は、2021年の千家春彦の体に入る事が出来る権利。
 ただし肉体は脳死状態の為に、生き返る可能性は少ないそうだ。
 2つ目は、2021年の霧川真昼の体に入る事が出来る権利。
 彼は心臓移植を受ける際に残念ながら死を迎える。その時に、僕の魂を入れ生き返る事が出来る。

「ただしじゃ。どちらにせよ、今の貴様の記憶はほとんど失われるじゃろう。正確には体に記憶が乗っ取られていくわけじゃ。最初は覚えていてもいつの間にか……じゃ」
「そうか……未来の僕の体に入るか、未来の他人の体に入るか……か」

ふぅ、とため息が出る。

「ちなみに聞くが、女子の体に生まれ変わると言う選択肢は無いのか?」
「無い。この変態」
「そうか。そうなのか」
「残念そうな顔をするでない、この変態」

顔に出てしまっていたか……僕は少しだけ反省する。

「今日が8月9日だっただろ?」
「そうじゃ。生まれ変わる事が出来るのは2021年3月11日午後15時40分ちょっと過ぎじゃ」
「10年後か……かなり暇なんだが」
「愚か者よ。その間は貴様が入る肉体の観察でもしておるが良い。まぁ時期がくれば自然と魂は眠りにつくであろう」
「眠れるのね、良かった。この真っ暗な空間で10年もすることが無いのは苦痛だ。ところで……」
「……あの青い光が霧川真昼の人生じゃ。そして向こうの赤い光が未来の千家春彦の人生じゃ」
「あの黄色は?」
「霧川小夜子、という人物の人生じゃが見る事は推奨せぬ」
「霧川小夜子……?霧川先生の事か?」
「ぬ。学校とやらの先生はしていたな」
「そうか。この光は僕に関わる人達の人生なのか……理解した。で、女子の……」

ノアリスが僕の首に大鎌を突きつける。

「じょ、冗談だってば!ノアリス!目が怖い!」
「貴様の冗談を見ていると桃矢を思い出すわ……」

ノアリスの大鎌が僕の首から離れる。

「貴様ら千家の血筋は太古の昔より、この国の歴史を変える者が生まれる。だが同時に神や魔と言ったこの世の者では無い者まで引きずり込んでしまうのじゃ」
「僕の血筋が千家……か。そう言えば百家という親戚がいるのは聞いた事があるな。万は無いのか?」
「貴様ら人間の細かい家系までは知らぬが、万は駄目じゃ。論理的に……それ以上は言えぬ」
「ん?そうなのか。万……あぁ、そう言う事か」
「……」
「……」

 それから10年と言う長いようで短い時間をこの暗闇で過ごす事になった。
 お腹は空かない、トイレも出ない……ただひたすら千を超える人間の歴史を見ていく。
 時々、ノアリスがひょっこり現れる。話相手もいないこの空間ではそれが幾分楽しみになっていた。

 ――それから半年の歳月が流れ、2011年3月11日。
 僕はノアリスにある映像を見せられる。

「これが貴様が生きていた時代の映像じゃ……」
「地震……!?」
「そうじゃ。起こるべくして起こったそれは多くの犠牲者を出した。生き運のある者、また一生を終える者、すべてを失った者……この世界は時々こうしてリセットされる……」
「僕の住んでた町が……燃えている……」
「……自然の摂理には逆らえん。じゃが、自然をコントロールする事は出来る。それが修復者(リストーラル)と呼ばれる者の仕事なのじゃ」
修復者(リストーラル)……か」
「そうじゃ。そしてその修復者(リストーラル)をサポートするのが、時追者(トラベラー)であり、鍵持者(キーホルダー)なのじゃ。歴史の……世界を元のある状態に戻そうと日々奮闘しておる」

 ノアリスの話はどこか突拍子もなく、それでいて的を得ていた。
 その後、いつの間にか僕は深い眠りにつく。

――10年後。

2021年3月11日0時。

「起きろ……時間じゃ」
「ん……お母ちゃんまだ眠い……」
「ピキッ。誰が貴様のお母ちゃんじゃ!起きんか!」

ゴンッ。

 それはノアリスのゲンコツで目覚める最低な日だった。

「さて、時間じゃ。このゲートをくぐるが良い」
「これは……?」
「以前話した霧川真昼の肉体へのゲートじゃ」
「そうか……」
「なんじゃ?嬉しく無いのか?」
「色々考えてな……やっぱり女子の体に――」
「さっさと行け、クズ」

ドンッ!

尻を蹴られ、僕はゲートの中へと落ちていく。

「あぁれぇぇぇぇ!!」

………
……


「ふぅ、ようやく静かになったわい。さて、次は霧川真昼の魂を……おっとその前に、西奈真弓の魂が南小夜子の肉体に定着しているか確認しなければ……やれやれ。死神使いが荒い、ねぇさまじゃ……」

 ――死神ノアリスはこの異空間で毎日何百の魂の選別を行う。
 魂の入れ替え、天国へ行く者、地獄へ行く者……そして異世界へ行く者。

 すべては天照大御神……もとい。中和有珠の指示の元、今日も選別作業は続いて行く。

 ――2011年3月10日(木曜日)午後14時30分。

 東海浜神社に有珠と黒子はいた。東浜交差点よりさらに東に位置するこの神社は岬の先にあり、普段はほとんど参拝客はいない。
 漁師が大漁祈願などをするために作られた神社だ。境内は広く、たくさんの大漁旗が風で揺れている。
 境内には有珠と黒子、そしてギャルメイクを施した白子がいた。

「おい……いい加減にしないか、白子……」
「白子!!ねぇさまの言う事が聞けないの!」
「有珠……ねぇさま……黒子ねぇさま……うぅ……」
「お主が災害を止める為に行っているその術法は、災害を起こす為の術法じゃ。なぜ気付かない……?」
「知っています……知っててやっているんです!」
「白子!!あんたいい加減にしなさいよ!」
「小夜子様の……小夜子様のお力になりたいのです!」

ザッパァァァン!!

 ひときわ大きな波が崖肌に打ち付けると、白子は神社の境内から崖の先端に向かって走る。そしてリュックから緑子の首を取り出し、頭を掴んだ。

「有珠ねぇさま……黒子ねぇさま……!ごめんなさい!!」
「やめなさいっ!白子っ!!」

黒子は白子を追いかけ飛びかかる!

『Έλα καταστροφή!Επαναφέρετε όλη τη γη στην αρχική της κατάσταση……』

 同時に白子は緑子の頭を海の中へ投げ入れ、術法を唱えた……!!

『月陰奥義――三界輪廻!!』
「ガハッ!!」

 白子が術法を唱え終わるタイミングで、黒子の刀が白子の体を貫く。

「ハァハァ……ごふっ……!!」
「白子っ!!あなたは自分のした事がわかっているのですか!」
「ハァハァ……黒子……ねぇさま……ごふっ!」

 天から一筋の光が差し込み、神社の本殿を包み込む。それは術法が完成した事を示していた。

「くっ!間に合わなかったか!黒子よ!ひけぇい!」
「有珠ねぇさま!」
「ハァハァ……黒子ねぇさま……一緒に……夢の続きを……!!」
「えっ?」

 一瞬の出来事だった。黒子が有珠の声に反応し振り向いた瞬間、白子は黒子の髪の毛を掴みそのまま崖下へと落下する。

「黒子ぉぉぉぉっ!!」
「有珠ねぇさまぁぁぁぁ!」

 有珠が急ぎ崖に近付くと2人の姿はすでになく、崖下では海水が真っ赤に染まっている。

「ぬかったわ……!」

その時だった!足元から地鳴りが聞こえる。

ゴゴゴゴゴ……!!

「なっ……!?もう始まってしもうたか!くそっ!1日早いではないか!!」
 
地鳴りの後に地面が僅かに揺れた。そして――!!


『ズッドォォォォォォォォォォン!!!!!』


「くっ!黒子よ!必ず戻るから待ってるのじゃぞ!」

突然激しい縦揺れが起き体が宙に浮く感じすらする!

グラグラグラグラッ!!
ガッシャン!ガッシャン!!

 更に横揺れが始まった。どのくらい揺れていただろうか。
 東海浜神社の瓦は全て落ち、崖は崩れ、大漁旗も崖と共に海へと落ちていく。

――14時46分。

「まだじゃ……これから始まるのじゃ……ハァハァ……」

 有珠は揺れる地面に足を取られながらも、東海浜神社の参道を駆け下りる。

「ハァハァ……時間が……ない……」

 参道を下り、海へ出るには東浜交差点付近まで戻る必要があった。周囲は崖で直接は降りれない。
 緑子の命の力で災害を引き起こし、白子の命でさらに大きな災害を呼び込む……ここまでは想定内だった。しかし黒子の命までもが災害を呼び込むとなると話は違ってくる。
 大きなうねりにさらに大型ハリケーンクラスの災害が重なる。それは時に、この国の半分をも無に帰す事となる。
 有珠が交差点近くまで帰ると1人、町外れに走る人影が目に入る。

「ちっ……あれは霧川小夜子か……。しかし今はそれどころでは無い……!春彦、夢夢よ!何とかせいっ!」

有珠は向きを変え、海岸へと急ぐ。

「ハァハァ……15時……10分……時間がない……ハァハァ……」

 その時、有珠の頭上を飛行し通り過ぎる影が見えた。一瞬身構える有珠。しかし声の主に安堵する。

「有珠様!!お迎えに上がりました!」
「天狗のこせがれかっ!」
「はい!テトラと申します!」
「挨拶は後じゃ!この先に黒子がいるはずじゃ!探せっ!」
「はっ!」

バサッ!!

 テトラは挨拶もほどほどに海岸へと飛行する。有珠は空を見上げ息を整える。猿渡一族を守護する樹海の番人、天狗族。猿渡夢夢が万が一の為に呼んでいたのだろう。

「ハァハァ……間に合ってくれ……」

 テトラの後を追うように有珠も海岸へと急ぐ。靴は脱げ、足からは血が出ている。

「何とも……こんなに走ったのはいつぶりじゃろうか……ハァハァ……」

 10分程遅れて有珠もようやく海岸へと降りてくる。そこではテトラがすでに黒子を海から引き上げ心臓マッサージをしていた……。

「黒子様っ!頑張って下さい!黒子様!」
「ハァハァ……テトラよ……代われ……ハァハァ……」
「は、はい!有珠様!」

有珠は黒子の心臓に手の平をかざす……。

「ふんっ!!」

ドンッ!!

「カハッ!!ゲホゲホッ!!」
「おぉ!!黒子様!!さすがは有珠様!」
「ゲホゲホッ……ね……ねぇさま……」
「しゃべるでない。テトラよ、黒子を屋敷まで運ぶのじゃ」
「はっ!有珠様!」
「ねぇさま……白子は……」
「黒子よ、お主はようやった。後はわしに任せい」
「はい……ねぇさま……」

テトラは黒子を担ぎ、夢夢の屋敷へと飛び立つ。

「さて……どうしたものかのぉ……丸一日早まってしまったのか……」

海の向こう、沖で白波がざわつき始める。

「わし1人の力ではもう止めれぬ大きさに成長しておったか。やれやれ……」

それは誰も予想出来ない事。

「確か3月11日の津波は……10メートル位じゃったか」

 沖から轟音が響く。地鳴りとは違うすべてを飲み込む音がする。

「ふふ……あれは50メートルは優にあるのぉ……。わしの修復力がどこまで耐えれるか……!ぐぬぬっ……!!」

 有珠の体が光始め、周囲の空間に体が溶け出す。それはいつしか壁にの穴を塞ぐかのように白い塊になり凝縮していく――!


Επανορθωτική δύναμη(修・復・力)!!』


 一瞬、周囲が眩しく光ったかと思うとその光は大津波に向かって一気に放たれる!!

ズドォォォォォン!!ゴォォォォォォ!!

 遠くで轟音が響き渡り大津波は見る見る低くなっていく!!

「ハァハァハァハァ……わしに出来るのはここまでじゃ……この地に生きる者が等しく平等であるように……」

 そこで有珠は力尽きた。津波は勢いを失ったがそれでも徐々に迫ってくる。周囲の海面を巻き込み着岸する時には高さ10メートル程になっていた……。

………
……


「……ねぇさま……ねぇさま、起きて下さい。ねぇさま……」
「うぅ……」
「ねぇさま……私は先に逝きます。またいずれ別の世界でお会いしましょう……さようなら……」
「ま、まて!お主らにはまだ……!」

 手を伸ばした所で目が覚める。有珠は東海浜神社の境内にいた。海岸で気を失い、そのまま津波に飲まれる覚悟だった。

「よもや……白子に助けられるとは……な」

 修復者(リストーラル)は自分に課された使命をまっとうに遂行出来なかった場合は10年間の地獄の苦しみを味わい再度、この世界に放たれる。

「罰を承知で、霧川小夜子に荷担するなぞ……愚行じゃ……」

 有珠は空を見上げる。平地では津波が押し寄せ砂埃が巻き上がる……。

「じゃがな、白子、緑子よ。自分の信じた道を行くのも勇気がいる事じゃろうて……わしも昔は無茶をしたもんじゃ……」

 そっと涙を拭き、起き上がる有珠。遠くで霧川小夜子の事切れる魂の叫びが聞こえる。

「さて、もうわしに出来る事はないが……」

 しばらくすると辺りは暗くなり、有珠は津波が引くのを待ち4階建の建物がある方へと歩き出す。
 そして流されて来た車椅子を拾い上げ、1人の少女の元へと運ぶ。

「お主も苦しかったろうな。どれ……」

 まだ温かいその少女の魂を拾い上げ、念じる。それは有珠が作った念珠への魂の置換。魂は行き先を見つけたように飛んでいく。

「念珠の主人が亡くなればお主の肉体となろう。あの念珠は『生還の念珠』。持つ者が新たな世界で生まれ変わる念珠なのでな……」

………
……


――1年後。

2011年3月11日。

「黒子よ、後始末も済んだ事じゃ。そろそろ旅立つぞ」
「はい!ねぇさま!」
「うむ。南小夜子よ、お主もちょっと付き合え」
「はい、有珠様」

 発音黒子と南小夜子は1年前の3月10日、大怪我を負い県立中央病院で入院生活を送っていた。
 先日、無事に退院が決まり今日は有珠と黒子が旅立つ日である。

 東海浜医療専門学校から少し内地に入った道路沿いには車椅子と小さなお地蔵様が祀られている。
 西奈真弓が遺体で見つかった場所だ。車椅子は有珠が運んできた物だった。

「ねぇさま、千家には言わなくても良いのですか」
「……そうじゃの。言わない方が良い事もあろうて」
「私の事ですか?」

小夜子が首を傾げる。

「あぁ、お主は南小夜子として生きていくとわしに誓った。西奈真弓はここで眠っておる……そうじゃろ?」
「はい、有珠様……」

小夜子は腕の念珠を握る。

「南小夜子の肉体が生きておれば霧川小夜子がこの時代に再び現れる事はない。じゃが、わしの知らぬとこで交通事故に合ってるなぞ夢にも思わなんだ。もしあのまま南小夜子の肉体も魂も無くなれば再び千家は狙われるじゃろうからのぉ……」

 お地蔵様に手を合わせる有珠。黒子も小夜子も手を合わせる。

「ねぇさま!車椅子に何か挟まっていますわ!」
「ん?」

それは春彦が真弓に宛てた手紙だった。

「やれやれ、見てしまったからにはこの手紙を届けないといけないではないか。はふぅ」
「はい!さすがねぇさまですわ!優しさが溢れていますわ!」
「うむ……何年先じゃったかのぉ。まぁそのうち……行った先の未来で西奈真弓に届ければ良いか。先の未来で郵便配達じゃ」
「はい!ねぇさま!いかようにもなりますわ!」
「嫌がらせにお主の鼻くそも付けておいてやろうか」
「それは嫌ですわ!ねぇさま!」
「冗談じゃよ、冗談。……いや、目くそしてやろうか」
「どっちも拒否ですわ!ねぇさま!」

 そんなやり取りをしているとして小天狗のテトラと数人の天狗が現れる。

「有珠様!準備が出来ました!樹海へご案内致します!」
「うむ、ご苦労。さて、わしらは行く。南小夜子よ……いや、西奈真弓よ。千家を頼んだぞ」
「はいっ!!生涯をかけてお守り致します!」
「ふふ、良かったわね。私もねぇさまを生涯をかけてお守り致しますぅ!」
「寄るな、うっとうしい……」
「えぇぇぇぇぇ!」

 南小夜子が手を振り見送る。有珠と黒子は天狗に抱えられ、あっという間に見えなくなる。
 そして南小夜子は小さなお地蔵様を見つめた。

「私の体、今までありがとう。ゆっくり休んでね……また生まれ変わったら一緒に歩きましょう。さようなら」

 その後、千家春彦と南小夜子は夫婦となる。また交通事故で南小夜子が助けた子供、霧川真昼を引き取り育てる事となった。

 3人は毎年3月10日には供養祭に訪れる。あの日を忘れない為に……。


 ――2011年3月7日(月曜日)。

「早乙女、千家さんは何かしゃべったか?」
「片桐先輩、いえ。何もしゃべりません」
「そうか……M.M.Bの服用者を増やすわけにはいかん。ささいな事でも……何か手がかりが……」
「片桐刑事、中央病院からお電話です」
「あぁ……代わろう。もしもし……片桐です」

 M.M.B剤。それは新薬であり表立っては流通していない。国の機密機関にて試作段階であり、人の脳を支配する副作用を持つと言う。元は抗がん剤として開発されたが、その副作用の恐ろしさから開発はそこで止まっていた。
 誰かが情報を漏らし悪用しようとしている。片桐刑事は、この薬の出所を探していた。

――県立中央病院。

コンコンッ。

「失礼します。坂口院長、お邪魔しますよ」
「やぁ、片桐刑事。呼び出してすまなかった、掛けてくれ」
「はい。早乙女は廊下で見張りを頼む」
「はい、わかりました」

ソファに腰掛け、片桐刑事は部屋を見渡す。

「片桐刑事。先日頼まれていた新薬M.M.Bについてだが……」
「坂口院長、何かわかったんですか?」
「うむ。この中央病院は昔……戦時中に建てられた物だ。そして近年、上物だけを解体し地下はそのまま残してあった……」
「何の為ですか?耐震、耐震と言われる中、地下の空洞を残すのはお粗末な感じが否めません」
「そこじゃよ。新薬の開発を請け負ったのは前市長の可能性がある」
「なんですって!」

片桐は思わずソファから立ち上がる。

「考えても見なさい。国からの要請で新薬を独自に研究するとなると莫大なお金が動く。これを見なさい……」
「帳簿?西暦2000年……今から10年前か」
「左様。わしが院長になる前の話じゃ。院長は……」
「柏木……博美?顔が似ている……まさか……柏木望の……」
「あぁ、お宅の署で保護している柏木望の父親は中央病院の元院長じゃった」
「まさか……!?」

片桐の頭の中で、パズルのピースが動き出す。

「柏木博美元院長は今どこに?」
「もういないよ。わしが来てすぐじゃったかの。この病院で亡くなった」
「死因は?」
「脳梗塞じゃよ」
「……まさか、自身で新薬を……」
「可能性が無いとは言えぬ。しかし記録もそれ以上は残っておらん」
「なるほど。では柏木望を調べればもしかしたら何か知ってるかもしれないと?」
「うむ、それより彼の自宅はどうなのじゃ?自宅を調べれば……」
「先日、火災で消失しております……」
「何と……そうかそうか。証拠隠滅も……あぁ、わしが迂闊にそんな事を言う立場では無いな」
「坂口院長、助かります。それで新薬の分析結果はいかがでした?」

坂口は引き出しから、1枚の紙を片桐に渡す。

「どうもこうも……」
「すいません、勉強不足で。これは?」
「M.M.Bの成分表じゃよ、内容は……ただの風邪薬じゃったよ。脳への影響なども考えては見たが、まれに副作用で気分が悪くなる程度じゃろう」
「おかしい、そんなはずは……」

 しかし、風邪薬の成分表と見比べてもほとんど同じ成分だった。

「坂口院長、この分析表は預かっても?」
「あぁ、構わないよ」
「ありがとうございます。それでは今日はこの辺で」
「また進展があれば連絡するよ」
「失礼します」

………
……


「片桐先輩、いかがでしたか」

帰りの車の中で早乙女が聞いてくる。

「進展はあったが、振り出しに戻った感じだなぁ。M.M.Bは――」
「――そうなんですか。M.M.Bが風邪薬ですか」
「あぁ、成分表を見比べたが……さほど変わらない」
「妙ですね。あの薬を使用した者は柏木望の様に意味のわからない事を言う様になってるんですよね?」
「そうだな。しかしだ。千家さんの病室で同じ物が見つかったが彼は症状をきたしていない……」
「自分も彼の調書を取りましたが至って普通でしたね。薬をやっているとは思えませんでした」
「そうだよな。しかし彼は何か得体の知れない……そう、未来からでも来たような……いや、想像で物を言うのはやめておこう」
「ははは!未来人ですか。僕は好きですよ、そういう話は」
「おいおい、やめてくれ。未来人とか、お化けのせいにしたらすべて解決してしまう。私はオカルトは信じない性質(たち)なんでな」
「それもそうですね。未来人か……」
「変な事を考えるなよ。私は自分の目で見た物しか信じないぞ」
「はい、わかってます。片桐先輩、留置場に直接行きますか」
「そうだな。手続きをしてくれ」
「わかりました」

 ――2011年3月10日(木曜日)14時30分。

「千家さんの釈放が決まった。早乙女、手続きは済んでいるか」
「はい、片桐先輩。いつでも大丈夫です」
「よし、私が行こう。早乙女は車を回しておいてくれ。千家さんを送った足で病院へ向かう」
「わかりました、片桐先輩」
「ん……なんだ?今、揺れ――!?」
「片桐先輩!!地震です!」

グラグラグラ――

 地面の下から揺れる感じがし、しばらくじっとして様子を見る。

「震度5くらいか……やけに長いな」
「そうですね……おさまりましたね。今のうちに車を――」

 早乙女は駐車場へ、片桐は留置場へと向かう。
 ――そして14時46分。地鳴りが聞こえ、さらに大きな地震が発生する。

ゴゴゴゴゴ……!
――グラグラ
グラグラグラッ!!
ガッシャン!!ガッシャン!!

地震から数十秒後、留置場の火災報知器が鳴り響いた。

『ジリリリリリリリリッ!!』
「まずいな、地震の次は火災か――」

 片桐は留置場の管理室で警官と合流し保護室へと向かう。館内は停電し、足元の補助灯だけが頼りだ。
 保護室へ向かっていると銃声が聞こえる。同時に無線で現地の警官からの通達入る。

『ガガ……こちら留置場5階管理室、現在銃を所持した――』

片桐は現場の5階へと非常階段を駆け上る。

「あね様……大丈夫です。それより早くあの者を……」
「凛子!病院が先だ!掴まれ!」
「ちょいとお待ちなさい――」
「片桐刑事……!」
「千家さん、無事で良かった。遅くなって申し訳ない」
「片桐刑事!今はあんたの事情聴取を受けている暇はない!」
「わかっています。状況も先程、警官から聞きました。行きなさい。その子は私が責任を持って病院に連れて行きます」
「片桐刑事……。信じてもいいのか?」
「ご主人様……行って下さい……足手まといにはなりたくないです……」
「凛子……わかった。夢夢、行くぞ」
「はい、千家様。美甘、凛子を頼んだ」
「はひ!あね様!」
「そうそう千家さん。下に車を用意させてます。私の部下なのでご自由に――」
「……ありがとう、片桐刑事」

 5階は悲惨な有り様だった。保護室の入口は壊れ、窓は割れ、おまけに重要な証言者の柏木望が死亡、そして女性の物と思われる腕が落ちている。

「やれやれ……悲惨な有り様だな。おい、君。救急箱はあるか」
「はい!片桐刑事!」
「嬢ちゃん、腕を出しなさい」

 警官が管理室から救急箱を持ってくる。片桐は包帯をきつめに凛子の腕に巻いた。

「君、車の手配と中央病院へ連絡を――」
「はっ!片桐刑事!」
「オジサン、ありがとう。これで十分……行かなきゃ……」
「嬢ちゃん、どこへ行くんだ?病院なら連れて行くぞ」
「行かなきゃ……ご主人様を守るのが私の役目……」
「凛子が行くなら私も行くです!」
「行くよ、美甘……」
「おい、どこへ――」

 そう言うと、凛子と美甘は5階の割れた窓から飛び降りた!

「おいっ!ここは5階だぞ!誰か――って嘘だろ……」

 2人の女の子は地上に着地し、何も無かったかのように走って行く。

「おいおい……私はオカルトは信じないが……あれは人間なのか……?」
「片桐刑事!早乙女刑事から無線が入ってます!」
「あぁ……こちら片桐、どうぞ」
『ガガ……こちら早乙女。現在、東浜交差点に移動中。どうぞ』
「早乙女、そのまま出来る限りの事をしてやってくれ。それと片腕のいない女性を見かけたら連絡をくれ。どうぞ」
『ガガ……わかりました』

 片桐は念の為に東浜交差点に救急隊の派遣を要請した。

「さてさて……どうしたものか。君、防犯カメラの映像を見せてくれ」
「はいっ!」

 ――その後、津波が町を襲い捜査は一時中断される。早乙女は西奈真弓の母を連れ、無事に帰還した。数日後。

………
……


「片桐先輩!見つかったんですか!」
「あぁ……ようやくな。霧川小夜子が持っていたよ」
「例の片腕の女ですか!」
「そうだ。まぁ見つかった時は上半身と下半身も分かれていたがな」
「おぇぇ……バラバラ殺人じゃないですか……」
「あの津波に巻き込まれたんだろう。彼女のアパートから押収したパソコンで判明したんだ。そうだ、これから中央病院に行くんだが車を出してくれないか?」
「それが、昨日からまた調子悪くて修理待ちなんです。修理工場もいっぱいらしくてしばらくかかるかも……」
「そうか……たまには歩いて行くか。今やバスもタクシーもないんだ」
「そう……ですね。たまには良いかもしれないですね」

 2人は病院までの道のりを歩く。いつもなら徒歩で30分~40分と行った所だろうか。だが通行止めやガレキも多く有り、1時間程歩く事になった。
 普段見慣れた町は姿を変え、皆、片付けやゴミ出しに追われている。

「随分……変わりましたね」
「あぁ……この内地はさほどでもないが、川沿いや海沿いはひどいもんだよ」
「あの時、自分も車に乗ってなければ今頃は……。それにもっと助けられた命も……!」
「早乙女、君は1人の命を救ったんだ。それで十分だ」
「はい……」
「そうだ。霧川小夜子には1人息子がいてな。現在入院中なんだが、その後は児童福祉施設に入る事になる。手続きをしてやってくれないか」
「わかりました。自分も弟がいるので、気にはなっていたんです。霧川真昼君ですよね……」
「そうだ。そういえば君にも弟がいたな。もう大きくなったんだろ?」
「はい。今年卒業して就職が決まっていたんですが、この津波で……今は復興のボランティアをしていますよ」
「そうか、確か……」
「早乙女良雄です」
「そうだ、良雄君だったか。1度体験学習で本署に来ていたな」
「はい。一昨年でしたかね――」

 早乙女良介25歳。警察署勤務。この数年後に彼は自衛隊救護班の東方理子と出会い、結婚をするが今は彼女いない歴を更新中である。

………
……


「坂口院長、お邪魔しますよ」
「おぉ、片桐刑事。すまんな、こんな場所で」
「いえ、お構いなく」
「院長室も急患の患者用で使用中でな。病院は患者で溢れておる……で、今日はどうしたのかね?」
「ようやく見つけましたよ。本物のM.M.Bを」
「ほぅ。見せてくれ」
「はい、これが分析内容です。心と脳を操る(Mind.manipulate.brain)薬。それがM.M.B……しかしそんな薬は元々存在しない……」
「ん……どういう事かね?片桐刑事……」
「お気付きになりませんか……霧川小夜子と同じ研究所におられたそうですね。坂口主任研究員」
「……どこでそれを?」
「亡くなった霧川小夜子のパソコンですよ。あなたは元々国の新薬研究機関に努めていた。そして同じ研究所にいた霧川小夜子が偶然にも新薬の発見をする。それは歴史を変えてしまう代物であり、あなたの部下であった霧川小夜子の手柄にもなり得る……」
「……それで?」
「あなたは霧川小夜子に近付き、その成分を盗もうとした。いや、盗んだんですよ。風邪薬の成分をね」
「……なんだと?」
「あなたが盗んだのはただの風邪薬の成分。本物の新薬の成分は別にありましたよ」
「……なぜわかった?」
「霧川小夜子の日記です。それとあなたがこの病院に来た際に心臓の手術を受けている。あなたの子供と同じ様にね……遺伝と言うやつですかね」
「片桐刑事。物は相談だ。その新薬の成分をわしにくれないか。見せてくれるだけでもいい。そしたら君にも莫大な金を――」
「坂口院長。いや、坂口さん。金じゃないんですよ……。今回の震災で痛いほどわかりました。大事なのは生き残る力なんです。金じぁ、どうする事も出来ない事もあるんですよ……」
「くっそぉ!貴様!今まで協力してやっただろう!恩を仇で返しおって!許さんぞ!」
「何とでもおっしゃって下さい。ただね。霧川小夜子もお子さんも、必死で生きていましたよ」
「……!?」
「あなたは霧川小夜子を道具としてしか見ていなかったんじゃないですか?彼女はあなたと別れた後も教職員として働き、お子さんに心臓手術を受けさせている。ご存知でしょう?ここで手術を行っているのですから……」
「わしは!わしのこの新薬が出来れば……!」
「新薬の本当の名前はT.P.Pでしたかね……。坂口さん。過去は変えれないし、変えてもいけないんです。その新薬は失敗ですよ」
「貴様に何がわかる!貴様に……うぅ……」
「さぁ、行きましょう。あいにく私はオカルトは信じない性質(たち)なので――」

 最後まで言葉に出来ず坂口は泣き始めた。坂口はこの後、生涯をかけて償う事となる。

 ――新薬T.P.P。それは霧川小夜子の日記にこう記されていた。M.M.Bの開発途中で突然生まれた新しい成分。それを人工的に作ろうとする場合、継続的に人間の血液、脳脊髄液が必要となるだろう。今回の実験では治験男性K.Hを使用したが効果は無かった。新しい治験者が必要になる。柳川緑子に後日、治験者を探させる事にする。
 尚、この新薬が完成すれば時に歴史を変える事が出来るかもしれない。私の子供の心臓病も……。
 新薬の名前は……T.P.Pとする。時を追う者(Time.pursue.person)
 
―完―



 ――もし過去に戻れる薬があったらあなたはどうしますか。本当に未来が変わると思いますか。捻じ曲げた未来は必ず自分自身に返ってきます。過去に戻る事を考えるより、今を一生懸命生きる事も必要かもしれません。未来から見たら今も、過去なのですから……。

著・雑魚ぴぃ
2023.12.24

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
『Akaneiro 』

見えないことが怖いんじゃない
手が届かないから怖いんだ
真っ赤な夕焼けも 君の真っ赤な頬も
そのぬくもりを失うことが怖かった
ただそこにいるだけでいい
ただそばにいるだけでいい
それが言えなかった

手が届かない今だから
手が届けば何もいらない
ひとりぼっちの今だから
ひとりぼっちになりたくない……

見えないことは怖いんじゃない
声が聞こえるから怖くない
真っ暗な闇夜も わたしの真っ暗な心も
そのぬくもりで優しくとかされる
ただそこにいるだけでいい
ただそばにいるだけでいい
たくさん告げよう

手を伸ばして今君に
手が届くのを信じよう
ふたりぼっちでこれからも
ふたりぼっちで心を寄せて……


『光が見えるとき』

光が届かない世界で生きてきた私は 
君に出会って初めて光を知った
山は輝き 空はまぶしく 海は光る 
そんな世界を初めて知った
光が見えるとき 風がそよぐとき 
君といるから素晴らしい世界

光が見えない世界で生きてきた君は 
私に出会って初めて光を知った
鳥は歌い 風はそよぎ 私は奏でる 
そんな世界を一緒に歩こう
光が見えるとき 鳥がさえずるとき 
君がいるから素晴らしい世界


※『Akaneiro』『光が見えるとき』
著・桜井明日香さん『ひかりが見えるとき』より引用

 最後まで読んでくださりありがとうございます!
毎回思うのですが、完結するのだろうか。と思いながら約1ヶ月……何とか書ききりました。

 今回も桜井明日香さんによる、番外編『10年前のあなたへ』とコラボしています。※別サイト
 『10年後の君へ』を読んだ後に是非ご覧下さい!
 今回のAkaneの歌詞も桜井明日香さんの『ひかりが見えるとき』より引用しています。桜井明日香さんいつもありがとうございます。

 今回は『タイムトラベラー』を題材に書いてみました。スピリチュアルリビドゥ(18禁)で若干触れてはいたのですが、本格的に書いたのは初めてでした。
 とにかく年代で迷子wあっちこっちと日付見ながら書きました。
 もしあの時、あぁしてればと思う事はたくさんあります。けれど作中にも書いていますが、過去は過去。戻せないものであり、今をやり切るしかないと思います。それは未来から見たら過去ですもんね。

それでは次回作でまたお会いしましょう!
ありがとうございました!

著・雑魚ぴぃ

2023.12.25

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