二人が宿の部屋へ戻ると朝食がテーブルの上に準備してあった。宿の主人は二人が訳ありの人物だと薄々気付いているはずだが、幸い、黙ってくれているようだ。朝食を食べ終わると二人ともベッドの上で死んだように眠った。また夜になった。
二人はレジスタンスのメンバーを探すことにした。アズハルが座っていた中央広場の壊れた石像のところへやって来ると、二人で石に腰を下ろした。思った通り、しばらくするとアズハルが暗闇の中を小走りに近づいてきた。
「エルフの姉ちゃん、昨日はありがとう」
「どういたしまして。私のことはラルカと呼んでね、偽名だけど」
「それと、剣士の姉ちゃんもありがとう。ワニを素手で殺したっていうから、化け物みたいな恐ろしい人かと思ったけど、普通の人で安心したよ」
レイラがむっとしてルミアナを振り返った。
「ルミアナ、いらないことは言わなくていいの。変な噂が立ったら困るでしょ」
「いいじゃないの、本当のことを教えただけなんだから。いっそのこと『ワニ殺しの女』って二つ名で呼びましょうか。ワニ殺しの女って、かっこいいわよ。強そうだし」
「いやだ。そんな凶悪犯みたいな二つ名は嬉しくない」
「じゃあ、何て呼んだらいいの?」
「そうね、戦いの女神と呼びなさい。戦いの女神がいい」
「だめよ、あなたはマスルってことになってるんだから」
「いやだ。マスルってそのまんま筋肉って名前じゃないの」
二人は少年に案内されて、彼の仲間であるレジスタンスの小隊と会うことになった。町の東の端に近い、民家が立ち並ぶ一角にやってくると、家々に囲まれた水汲み用の井戸の蓋を開け、そこからアジトである地下室に入ることができた。
地下では四人の男たちが待っていた。
「ようこそおいで下さいました。私はアブラヒムです、このレジスタンス小隊の隊長を務めております。今回は救出していただいて、本当にありがとうございました。改めてお礼を申し上げます」
ルミアナが言った。
「初めまして、私はラルカ、彼女はマスルです。今は偽名しか言えませんが、私たちはアルカナ王国のスパイとしてナンタルの偵察に来ました。ジャビ帝国に対抗するために情報を集めるつもりです。もし可能であれば、あなたがたナンタルのレジスタンスと協力関係を築きたいと考えています。情報を提供していただければ、見返りに資金や補給物資の支援を約束しましょう」
「ありがたいお申し出です。ただ、私たちは実行部隊の一小隊に過ぎません。ですからこれは本部に報告して本部で決めていただくことになります。もちろん本部の場所はお教えできません。ですが、まず間違いなく本部から了承されると思います。今後は私たちが窓口となるでしょう。連絡員は、このアズハルにやってもらおうと思います」
「よろしくね、アズハル」
「へへへ、よろしくな」
アブラヒムは陶器の瓶を取り上げると言った。
「お二人には、ほんのお礼代わりにヤシ酒を用意しました。甘くて美味しいですよ。今夜はヤシ酒を飲みながら、親睦を深めることにいたしましょう」
レイラが少し困惑したように言った。
「お酒ですか。お酒は嫌いではないのですが、ちょっと・・・」
「まあまあ、少しだけならいいでしょう」
二人が床に敷かれた絨毯の上に座ると、男たちが小さいグラスにお酒を注ぎ、手渡した。ルミアナは一口飲んでから言った。
「よろしければ、トカゲ族について少し教えていただきたいのです。トカゲ族の体は固い鱗に覆われていて倒すことが難しい上に、兵士の数も多いと聞いています。ですから、正面から戦っても不利でしょう。弱点を探り出さないと、厳しい戦いを強いられることになると考えています。トカゲ族の弱点に関する情報はありますか?」
「そうですね、致命的な弱点は今のところ見つかっていません。強いて言えば寒さに弱く、寒いと動きが鈍るので、彼らは冬季の戦争を避けるようです。アルカナ国あたりは雪こそ降りませんが、冬はそこそこ寒いですから、冬の間は攻めて来ないかもしれませんね」
「春は要注意ということですね、もしトカゲ族と戦うなら、冬に戦えと」
「そうです。それとトカゲ族は非常に好戦的な生き物で、仲間内でも主導権を巡って常に争っています。彼らの社会は弱肉強食で下剋上ですから、相手を貶めたり裏切ったりすることが日常茶飯事のようです。我々としては、そうした彼らの性格を利用できないものかと、情報を集めています」
「なるほど、敵対関係を利用して同士討ちをさせるわけね」
「我々の情報網はジャビ帝国の本国にも及んでいます。ジャビ帝国では人間の奴隷が数多く働かされていますので、奴隷を装いスパイ活動を行う者も多数おります」
「それはすばらしい。アルカナ国としても、その情報はぜひ欲しいですね」
ふとレイラを見ると、いつの間にか左手に酒瓶を持って手酌状態になっている。すでに、かなり酔っ払っているようだ。お酒を飲むと別人のように良く喋る。レジスタンスの男たちを前にして何やら自慢話をしている。
「ナンタルに着いた時は、何日も風呂に入っていなくて体中が汗でベトベトだったの。それで、すごく臭くて気持ち悪かったから、このまえの晩、鎧をぜんぶ脱いで川で水浴びしてたの。すごく気持ちよかった」
男たちが全員、身を乗り出してきた。
「水浴び・・・」
「そしたら突然、トカゲ族の奴隷商人が二人、私を奴隷にしようと襲い掛かってきたんだ。私が裸だから、簡単に捕まえられると思ったらしい。そのうちの一人が私の腕をつかんで、力づくで組み伏せようとしてきた」
「う、腕をつまれて組み伏せだと・・・そのあと、どうなったんだ」
「そいつの腕を取って、投げ飛ばしてやったんだ、あはは」
男たちは腰を下ろした。
「さすがはアルカナの戦士だね。たいしたものだ」
「それほどじゃないよ。そのあと、もう一人のトカゲ野郎が私の後ろからガバッと抱きついてきたんだ」
男たちが再び身を乗り出してきた。
「ガバっと、抱きついてきただと・・・そ、それからどうしたんだ」
「顔面に足蹴りを食らわせてやったわ。それでも懲りずに襲ってきたから、鉄拳であごの骨を砕いてやったら動かなくなった、あははは」
男たちが後ずさった。
「そ、そりゃすさまじいな・・・」
「よく考えたら、その奴隷商人たちは前の日に宿屋で会っていたんだ。そのとき私を指さして、こいつはゴリラ女だとか抜かしやがったんだ。失礼よね、私のどこがゴリラ女だっていうの、ほんと失礼なんだから。そう思わない?」
「いやあ、私もそう思いますね、とんでもない野郎です。失礼というか、命知らずというか・・・」
「・・・命知らず? 命知らずとはどういう意味よ? 私ってそんなに危険に見えるの? ねえ、ハッキリ言いなさいよ」
男たちが瞬間的に壁際まで後ずさりした。
こうしてナンタルのレジスタンスを通じた諜報網を確保することができた。
諜報機関は極めて重要だ。諜報活動は軍事力に匹敵するほどの力を持つ。とりわけ兵力で劣る小国が生き残るためには敵の弱点を調べてそこを突いたり、あるいは敵に先んじて有利な戦場で待ち受けたり、奇襲をかけたり、そうした戦略が重要になる。
あるいは嘘情報を流布して敵国の世論を操作し、混乱を招き、政治に干渉することで経済を衰退させ、破壊工作を行うことで、戦う前に勝つこともできる。諜報活動が勝敗を決めると言っても過言ではない。
諜報機関の存在しない国家は、国を守ることなど不可能である。しかし俺が転生前に住んでいた日本という国は諜報機関が存在しないお花畑国家だった。アルカナをそんな国家にするわけにはいかないのである。
ルミアナとレイラが無事にナンタルから帰還し、俺は謁見の間で報告を受けていた。ルミアナが状況を説明した。
「・・・というわけで、ナンタルのレジスタンスとの関係を構築しました。資金的な支援の見返りに、彼らの入手した情報をアルカナに提供してくれる予定です」
レイラが張り切って嬉しそうに言った。
「陛下陛下、ナンタルからおみやげをもってきました」
「おお、南国ナンタルのおみやげか。ナンタルにはさぞ珍しいものがあるんだろうな」
「はいこれ、巨大ワニの頭蓋骨です」
レイラが背負っていた袋から巨大な頭蓋骨を取り出すと、俺の前にドンと置いた。
なんでお土産がワニの頭蓋骨なんだ。確かにワニはこのあたりでは珍しいが、南国のお土産ならもっと他にあるんじゃないの、デーツとかヤシ酒とか南国情緒あふれるお土産が。ワニの頭蓋骨とか、色気もへったくれもないお土産だけど、まあ、いかにもレイラらしいお土産ではあるな。ここは無理してでも喜んでやらなければならない。
「それはすごいじゃないか、ありがとう、嬉しいよ」
レイラは少し恥ずかしそうに赤くなった。
「陛下に喜んでいただいて嬉しいです。あの・・・そのワニは、私が素手で仕留めました。他にも下水道でトカゲ族を十数人ほど仕留めましたが、そっちの首は持ってこれませんでした。・・・やっぱり首が欲しかったですか」
首狩り族じゃあるまいし、トカゲ族の首なんか欲しくない。トカゲの生首を串刺しにして城に飾るわけにもいかないだろ。そんなホラーなことしたら、誰も城に近寄らなくなるぞ。
「二人とも疲れたろう。二、三日はゆっくり休んでくれ」
二人が謁見の間から出てゆくと、入れ違いにミックがやって来た。
「陛下、アルカナ川の工事の件ですが、古い川筋に水を引くための水路工事はほぼ完了し、あとは水門の工事を残すだけとなっております」
「そうか、ブラックライノたちのおかげで思ったより早く終わったな。では約束通り、ブラックライノたちを王都の林に呼んで、そこを餌場にしてもらおう。それとナッピーも呼ばないとな。王都や海を見たがっていたからな」
「はい、手配いたします」
「ところで、王立銀行の運営は順調にすすんでいるか?」
「はい、今のところさしたる混乱もなく銀行券が流通を始めております。もちろん、まだ半信半疑の人々も多く、銀行券を持って金貨を引き出しに来る人もおりますが」
「そうか。ではそろそろ、財源として王立銀行から銀行券を借りることにしよう」
「王立銀行から借りる? おカネを発行して財源にするのではないのですか」
「いや、王立銀行からおカネを借りるのだ。以前にも説明したように、銀行は『おカネを作って貸す』のだ。だから銀行からおカネを調達するには、借りる以外に方法はない。王国政府が王立銀行から借金をすることでおカネを調達し、それを使って様々な国家事業を行うことになる。これがおカネを発行して財源にする方法だ。ただし、そうすることで、王国政府の借金はどんどん増えることになる」
「王国政府の借金が増えると、借金を返せなくなって破綻するのではないですか?」
「それはあり得ない。なぜなら王立銀行は王国の銀行だからだ。王立銀行も王国政府もアルカナ王国という同じ国家の機関だ。だから『王立銀行が発行したおカネを王国政府に貸す』ということは『自分で作ったおカネを自分に貸す』ことだ。自分が作ったおカネを自分に貸して、それで首が回らなくなることなどあり得ない」
「確かにそうですね」
「もちろん、一般常識で考えれば、借りたおカネを返すのは当然だ。例えば街中にある『金貸し商』から王国政府がおカネを借りたなら、それは返さなければならない。他人からおカネを借りたのだから、他人におカネを返すのは当然だ。
しかし、王立銀行が発行したおカネを王国政府が借りたのなら、返す必要はないし、返す意味がない。自分でおカネを発行して自分で借りたのだから、そもそも貸し借りの関係はない。単に自分が通貨を発行しただけなのだ。つまり『王立銀行から王国政府が借りたおカネは、本質的には借金ではなく、王国が発行したおカネに過ぎない』のだ。ここを間違えてしまう人が実に多い」
「ということは、王立銀行に政府がいくら借金しても問題ないのですね」
「そのとおりだ。王立銀行におカネを返す必要がないからだ。その点においては、政府は王立銀行から無限におカネを借りることができる。
ただし注意しなければならないことがある。今も説明したように『王立銀行から政府がおカネを借りることは、王国がおカネを発行すること』を意味する。
つまり、政府が借金をすると世の中のおカネの量が増えるのだ。だから借金を増やしすぎると世の中のおカネの量が増えすぎて、市場で売っているさまざまな商品が値上がりするようになり、社会に混乱をもたらす恐れがある。異世界ではそれを『インフレ』と呼ぶ」
「なぜ、世の中のおカネの量が増えると、市場で売っている商品の値段が上がるのですか」
「なぜ値段が上がるのかといえば、それは商品が売れ過ぎるからだ。世の中のおカネが増えると、人々の持っているおカネの量も増える。おカネを持てば、商品を買う人が増えて、商品が飛ぶように売れるようになる。売れすぎて商品が不足するようになる。すると商人たちは、より高い値段で商品を売ろうとするので、商品は値上がりすることになる」
「世の中のおカネの量が増えると、売れ過ぎで品不足になるから値上がりするのですね」
「そうだ。ゆっくりした値上がりなら問題ないが、あまりに急激に値上がりすると社会を混乱させてしまう。それを防ぐために、たとえ政府が借金を返す必要がなかったとしても、政府の借金は適切な量にとどめる必要があるんだ」
「むずかしい話ですね。それも異世界の知識なのですか? 異世界の人々は本当に賢い人ばかりなんですね」
「いや、そんなことはなかった。大部分の人々は銀行制度の事も、国の借金のことも、インフレのことも、ほとんど何もわかっていなかった。そのため、政府が借金をすることが単純に悪いことだと勘違いした財務大臣によって、国家がダメになった例もあるんだ」
もちろん、それは日本のことである。
「愚かな財務大臣は国を亡ぼすのですね、私も気を付けたいと思います」
「十分に気を付けてくれ。アルカナをそんな国の二の舞にするわけにはいかないからな。では、どれだけのおカネを発行することが適切なのか?それは商品の値段が急激に上がり過ぎない範囲に止めるということだ。だから市場で売られている様々な商品の価格を調査し、おカネの発行量を加減しなければならない」
「承知しました。市場価格を定期的に調査する役人を準備いたします」
―――
数日後のこと、ジェイソンの邸宅には金貸し商のシャイロックがいた。アルフレッド国王が設立した王立銀行について、シャイロックは激高していた。
「あのクソ忌々しいアルフレッドめ。王立銀行とやらを設立して、今後、王国政府は我々のような金貸し商からは、カネを借りないと抜かしているらしい。カネのない王国政府にカネを貸して利息を取るのが我々の一番おいしい商売だったのに、それを奪うとはとんでもない野郎だ。しかも金貨や銀貨ではなく、銀行券と称する紙のおカネを発行している。あんなぺらぺらの紙切れに何の信用があるというのか。しかも愚かな国民どもが、喜んであんなおもちゃのような紙切れのおカネを使い始めている。このままだとアルカナがめちゃくちゃになりますぞ。ジェイソン殿、何とかしてくだされ。あの国王は完全に狂っている」
ジェイソンは大げさに神妙な顔をしてみせた。
「ご心配なされますな、シャイロック殿。アルカナの行く末を憂いているのは私とて同じです。我々の権利を危うくする王はこの世に必要ありません。消えていただきましょう」
そういうとジェイソンはシャイロックに耳打ちした。
「そのためには、借金で首が回らなくなっている連中を利用させていただきたいと思っているのです。シャイロック殿からカネを借りている連中は多いでしょう、そいつらに働いてもらうのです」
シャイロックはニンマリと笑った。
「へへへ、それでしたら大勢いますよ。カネを返せない奴には、代わりに別の形で働いてもらいましょう。お望みなら、多額債務者の名簿を差し上げますぞ」
「ありがとうございますシャイロック殿。結果を楽しみにお待ちください」
ジェイソンは不敵な笑みを浮かべた。
ついにアルカナ川の水門が完成した。すでに三日前に水門を開いてエニマ川からの取水を開始しており、そろそろ王都近くのアルカナ川に水が流れてくる頃だ。復活するアルカナ川は、王都の西にある古い河口から海へ流れ込む予定である。
河口近くにあらかじめ造られた大きな石造りの橋の上には、水が流れてくる様子を一目見ようと、多くの見物人が集まっている。商魂たくましい露天商が屋台で焼き芋や果物を売っている。
アルカナ川の水はお昼ごろに流れてきた。川上から流れてくる水を見た人々は大騒ぎだった。子供は奇声を上げて走り回り、犬もその後に続く。大人は手を叩き、笑顔で近くの人と肩を叩きあい、踊りを踊る若者も現れた。
最初は小さな流れだったが、その水量は徐々に増えて、川幅五十mを超える溢れるほどの流れとなり、河口から海へと力強く流れ込んだ。王都のすぐ北ではアルカナ川から用水路へと取水され、水は王国農園にも流れた。
そして用水路の水はそのまま王都へも流れ込み、北門の近くに掘られた大きな池を満たして溢れた。ここでも子供が大はしゃぎで水遊びをしている。これで王都が水に困ることはないだろう。川があるということは、水車による動力も利用できるようになる。アルカナ川の完成は、王国に莫大な富をもたらすだろう。
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ナッピーが王都にやってきた。工事を手伝ってくれたナッピーへのお礼もかねて、仲間たちの慰労のため、アルカナ南部の温泉を視察することにした。温泉イベントである。王都の南にあるアルカソル山脈は火山地帯であり、山中には温泉が多く湧き出している。馬車で行けるのは近くの村までで、そこから先は山道をひたすら登る。坂道だと言うのにナッピーは元気に走り回っている。
キャサリンは上機嫌である。
「お兄様、今日はクッキーをいっぱい焼いてきましたわ。ちょっと張り切りすぎて焼きすぎましたの。だからリュックに入れて持ってきましたわ。皆さんにも分けてあげますわね」
どういう風の吹き回しなのか、キャサリンは最近になって料理に強く興味を持ち始めた。そして俺に食べさせようとするのである。毒殺未遂の一件以来、食事は自分で作ることが最も安全だと考えているのかもしれない。
それはありがたいことなのだが、問題はその料理の味が、驚くほどまずいことだ。どうも「加減」というのができない性格らしい。だから作る量も大鍋いっぱいに作ったりするのである。まずい料理を大鍋いっぱいに作るのだから、キャサリンが料理すると言い出すと城内は戦々恐々とした雰囲気になる。
「お兄様、クッキーお食べになる?」
「いや、温泉宿に着いてからいただくよ」
「あらそう。・・・じゃあ、ミックが食べなさい」
「はいはい、喜んでいただきますよ。キャサリン様のお焼きになったクッキーは、とてもこの世のモノとは思えないお味ですからね。他の皆さんにも食べていただきたいです」
他のみんなは、聞こえないふりをしているようだ。
「ありがとうミック、でもこれはお兄様に食べさせるために焼いたんだから、あまりたくさん食べたらダメですわ。お兄様にあげるクッキーが減ってしまいますもの」
いや、むしろ積極的に減らしてほしいのだが・・・。
木がまばらに生える林の坂道をしばらく登ると、硫黄の臭いが風に乗って運ばれてきた。周囲をよく見ると、谷から水蒸気が立ち上っている様子がところどころに見られる。キャサリンが臭いを嗅ぐようなしぐさをする。
「何かが腐ったような、変なにおいがするわ」
レイラが言った。
「あちこちから煙が立ち上る異様な雰囲気ですね」
温泉が初めてという者ばかりである。アルカナでは行楽として温泉に入る習慣はなく、どちらかといえば病気の治療といった目的で利用される。そのため温泉の利用客も少なく、ここには温泉宿が一つしかない。道には人影がなく、一行が地面を踏む足音と、風に揺れる林の葉擦れの音だけがさわさわと聞こえる。さらに登ると林の中に温泉宿が見えてきた。そこそこの人数が宿泊できる程度の大きな建物だったが、古くてボロボロである。掃除はきちんとされている。
宿の主人が挨拶した。
「これは国王様、ようこそおいでくださいました。こんなボロ宿でございますが、どうぞおくつろぎください」
「お世話になります。ところで我々の他に宿泊客は居るのですか」
「はい、一人だけおります。先週から初老のドワーフの方が湯治(とうじ)にこられております」
ミックが俺に言った。
「このあたりでドワーフとは珍しいですね。流れ者でしょうか」
「ドワーフだって? ドワーフとは金属加工に秀でた種族のことか」
「そうです、金属の精錬と加工に関しては、人間よりはるかに秀でた知識を持っております。ドワーフの多くはイシル山脈にあるドワーフの里に住んでいますので、お目にかかることは滅多にありません」
「そうか、あとで会って話をしてみたいものだな」
俺には、今は言えない重要な計画があるのだが、それには高度な金属加工の技術が不可欠なのだ。聞きしに勝るドワーフの職人技があれば、計画の実現可能性が飛躍的に高まることは間違いない。なんとか仲間に引き込みたいものだ。
日がまだ高く天気も良いので、まずは露天風呂を楽しむことにした。それぞれの個室でバスローブに着替えると、ホールに集まった。
俺は宿の主人に尋ねた。
「ご主人、露天風呂はどっちですか?」
「そちらの案内板の矢印に従って谷へ降りてください。ドワーフの方も先ほど入られたようですよ」
案内板に従って谷へ降りると湯けむりがもくもくと立ち上がっている。あちこちに沸きだした温泉水が谷に向かって流れ落ちている。露天風呂は男湯と女湯に分けられており、それぞれが少し離れた別の場所にあり、様子を伺うことはできない。
露天風呂の周囲に板塀のような囲いはなく、風呂は自然の林に包まれている。まさに野性味たっぷりである。こんな秘湯のような温泉に入るのは初めてだった。湯舟は岩で囲まれただけの質素な作りだが、その大きさは結構広くて幅十メートルほどありそうだ。男湯の方はミックと俺、女湯の方はキャサリンとルミアナ、レイラそしてナッピーである。
ミックは広い湯舟の中で大きく体を伸ばしながら言った。
「気持ちが良いですね陛下、温泉は病人が治療に利用するだけのものと考えておりましたが、それは間違いでした」
「いやーそうだな。お湯の中でくつろいでいると気分が安らぐ」
男湯を見渡してみたが、店の主人が先に来ていると言っていたドワーフの姿は見えない。先に宿に戻ってしまったのだろうか。まあ、二、三日ゆっくりするつもりなので、いずれ会う機会もあるだろう。ところで女湯の方はみんな楽しんでいるだろうか。
こちらは女湯である。広さや作りは男湯とほとんど同じだ。ナッピーが湯舟の中を泳ぎ回っている。
「わーい、あったかくて気持ちいいわー、あははは」
キャサリンは周囲を見回して落ち着かない。
「なによこれ、池にお湯が張ってあるだけじゃないの。しかも周りから丸見えだわ」
ルミアナはキャサリンを手招きして誘うとゆっくりとお湯に入った。
「そんな身も蓋もないこと言わずに、こちらでお湯に入りましょう。こんな山の中じゃ誰もいませんから大丈夫です。自然を眺めながら温まるのは気持ちいいですよ」
レイラは湯舟に二、三歩足を踏み入れると、大きく伸びをした。
「あー。いい眺めだな。山並みがとてもきれいだ、来てよかった」
レイラを見たナッピーが目を丸くして言った。
「うわーおっきなおっぱいだ。すっごーい、ナッピーの頭の大きさくらいあるよ」
「ばば、ばかなことを言わないの、そんなに大きくない。それに大きいと困るんだからね。戦うときに動きのじゃまになるんだ。ルミアナがうらやましいよ」
それを聞いて、ルミアナが少し不機嫌そうに言った。
「私が身軽なのは胸が小さいからだと言いたいわけ?」
「あ、いやそういう意味じゃなくて、私の場合は大きすぎるというだけだ」
キャサリンが横から口を挟んだ。
「言っときますけど、私はまだ成長途上ですからね。それに大きければ良いというものではありませんわ」
女性たちの他愛もない会話が弾む。露天風呂の上を覆う木々の隙間から差し込む午後の光が湯面にきらめく。その光はすこし白濁したお湯の中に透過してオーロラのようにゆらめく。大きな湯舟のあちこちに立ち上る白い湯気がそよかぜに舞いながら生まれては消える。とても安らかな時間が流れた。
そんな女性たちの様子を、藪の中からじっと覗き見している不審な人影があった。女湯を覗いている不審者は、宿に泊まっているドワーフであった。
そのドワーフの頭はほとんどハゲてしまっているが、顔中を覆うほど立派な顎髭が生えている。髭には白髭が混ざり、年齢は五十歳くらいだろうか。背は低いが筋肉質のガッシリした体格はドワーフの典型である。男湯から忍んで女湯に来たらしく、腰にタオル一枚というマヌケな恰好だ。
「うひひ、これはいい眺めだ。あのデカい女は、裸にも迫力があるな。おまけに美人のエルフの裸体まで拝めるとは、俺はなんて運がいいんだ。今日は最高の日だぜ、ありがたや、ありがたや」
ドワーフに覗かれているとは露知らず、四人はお湯に浸かったり、石鹸で体を洗ったりしながら、思い思いに温泉を楽しんでいる。
レイラは湯舟に体を伸ばしてくつろぎながら、隣でお湯に浸かるルミアナに言った。
「警護が非番の時は家でトレーニングばかりしていたが、ここの温泉宿に泊まってトレーニングして、温泉で汗を流すのも悪くないな。気分転換になる」
「そうね、温泉はいいものね。ところでレイラ、ナンタルからのお土産を陛下に渡していたけど、贈り物をするのならもっと考えた方がいいわよ。ワニの頭蓋骨とかじゃあ、陛下の気を引くのは難しいわよ」
レイラの視線が泳ぎ始めた。
「いや、別にあれは陛下の気を引くために渡したんじゃない。遠出したから、礼儀としてお土産を渡しただけだ。あれは・・・どうでもいいんだ」
「でも、レイラがすごく嬉しそうに渡していたから。・・・別に隠さなくてもいいのよ」
「な、何を隠しているというんだ。隠すことなんか何もない!」
突然ナッピーが言った。
「おしっこがしたい」
「ちょっと、お風呂の中でしちゃだめよ。その辺の藪の中で用を足してくるのよ」
「はーい」
ナッピーがガサガサと藪をかき分けて進むと、ドワーフと鉢合わせた。
「あれ、おじさん、こんなところで何をしてるの?」
「うわわ、しーっ、大きな声を出すんじゃねえ。後でお菓子を買ってやるからよ」
ナッピーは立ち上がるとキャサリンに向かって手を振った。
「ねえ、キャサリン、ここにおじさんがいるよ。お菓子を買ってくれるって」
「なんですって、男がいるの?それは痴漢よ、痴漢ですわ」
レイラは湯舟から飛び出すと、置いてあった剣を引っ掴んで叫んだ。
「なに、痴漢だと。国王の妹君さまを覗き見するとは無礼千万、頭から真っ二つに叩き切ってやろう。待て!」
「やべえ、裸を見ただけで真っ二つにされちゃ、たまんねえぜ」
ドワーフは全力で逃げ出した。女たちも全力で追いかけた。
「痴漢だわ、捕まえるのよ」
「無礼者、たたき切ってやる」
「おじさん、お菓子は?」
ルミアナは急いでバスローブをまとうと、三人のバスローブを掴んで後を追った。
「ちょっと、あんたたち、服を着なさい! 痴漢どころじゃないわよ」
まったく聞こえていない。
一方、こちらは男湯である。遠くから喧騒が聞こえてきた。俺は言った。
「なんだか女湯の方が騒がしいな。ミック、ちょっと様子を見てきてくれないか」
「ひええ、いくら陛下の命令とはいえ、それは危険すぎます」
と、そこへ藪の中からドワーフが飛び出してきた。それを見て俺は言った。
「おお、これはドワーフ殿ではないですか。お会いしたいと思っていたのです。少し話をしませんか。私はアルカナの・・・」
ドワーフが血相を変えて怒鳴った。
「バカ野郎、そんな呑気なことしてる場合じゃねえ、こちとら追われてるんだ」
すぐにドワーフを追って藪から次々に裸の女が飛び出してきた。
「痴漢だわ、捕まえるのよ」
「無礼者、たたき切ってやる」
「おじさん、お菓子は?」
「ちょっと、服着をなさい!」
それを見て仰天したミックがお湯の中に頭から転げ落ち、俺もお湯に飛び込んだ。
俺は叫んだ。
「うわわ、お前ら何してるんだ」
ドワーフを夢中で追いかけてきた女性たちは、自分たちが男湯に飛び込んだことに気付くと、大騒ぎになった。キャサリンは湯舟に飛び込むとお湯に体を沈めた。
「きゃあ、お兄様のえっち。いや、こっち見ないで」
レイラは俺の前で全裸のまま、直立姿勢で言った。
「ここ、これは陛下、とんだご無礼を。このドワーフが我々を覗き見しておりましたので、追いかけて捕まえに来たのです」
レイラは、いつの間にかドワーフの腕をガッチリ捕まえている。いかに筋骨隆々のドワーフと言えども、レイラに捕まったら逃げられない。ルミアナが慌ててレイラの体にバスローブを被せた。
「いててて、わ、悪かった、あっしが悪かった。謝るから許してくれ」
キャサリンがお湯に沈んだまま叫んだ。
「いいえ許しませんわ、ムチ打ちですわ。ムチ打ちの刑よ」
それを聞いたドワーフは、ニヤけた表情を見せた。
「えへへ、もしかして、お嬢様があっしの体にムチ打ちしてくださるんですかい?」
キャサリンはドワーフの変態っぽい表情を見て赤くなった。
「わ、私はそんなことしませんわ、変態! ムチはレイラにやってもらうのよ」
「レイラって誰ですかい・・・」
レイラはドワーフの腕をねじ上げながら言った。
「レイラは私だが」
「げええ、あんたがムチ打ちなんかしたら、即死ですぜ。勘弁してくだせえ」
「おい、それはどういう意味だ? 本当に死ぬかどうか試してみようか」
俺はお湯に沈んだまま言った。
「まあまあ。このドワーフも反省しているようだし、許してやらないか。実のところ俺はドワーフという種族と話をしてみたかったんだ」
「まあ、お兄様ったらいつも異種族には甘いですわね。いいですわ、ルミアナも役に立ってるし、このドワーフも王国に貢献するのでしたら、特別に許してあげますわ」
一行は衣服を整えると温泉宿に戻った。宿の広間でカザルが頭を下げた。
「今回の件は本当に申し訳ないと反省してる、女湯はもう二度と覗き見しないぜ」
俺はドワーフに言った。
「私はアルカナ国の国王、アルフレッド・グレンだ。そなたの名前は?」
「あなたは国王様でしたか。あっしはカザル・アイアンハンドと申しやす」
「ドワーフと言えば鍛冶の卓越した技能を持つと聞くが、カザル殿も鍛冶職人なのか」
「その通りでやす。今は少し事情があってあちこち渡り歩いてやすが、腕には自信がありやす。機会があればご披露しますぜ」
「それは楽しみだな。ところで、ここにはどのような用件で来られたのですか」
カザルは腕を組み、少し悩んでいるような表情を見せた。
「実は湯治(とうじ)のために温泉に来たわけではないんでさ。ちょいと仲間の鍛冶屋から、特殊な鉱石を取ってきて欲しいと頼まれたんでやす。それがこの近くにある廃鉱山の中にあるってんで、来てみたんですが、中には蟻の化け物が居て襲ってくるんです。それでどうしたものかと、この温泉宿に泊まって考えていたところなんでさ。
見たところ、国王様のお仲間には屈強な戦士やエルフ様がおられるようなので、その鉱石を探すのを手伝っていただけるとありがたいんでやすが」
俺はレイラとルミアナの方を見た。
「私は陛下が行くところなら、どこへでも従いますが」
「私もかまいませんよ。それに、古い坑道の中から魔法石が見つかることも多いのです。地中深くから魔法石の成分が浸みだしてきて結晶化するからです。もしかすると魔法石が見つかるかもしれません」
魔法石! ついに魔法石が見つかるかも知れない。魔法の練習を始めてからどれほどこの時を待っただろうか。魔法石を使って実際に魔法を発動してみたい。これは行くしかあるまい。俺は迷うことなく言った。
「よし、カザル殿を手伝うことにしよう。明朝に出発ということでどうですか」
「そいつはありがたい。頼みやすぜ」
翌朝一行は出発した。ミックは温泉宿に残って温泉に入っていた方が良いというので、残りのメンバーとドワーフの六名で廃鉱山へ向かった。キャサリンはクッキーがいっぱい詰まったリュックをまた背負ってきた。俺がリュックを軽く叩いて言った。
「またクッキーを持ってきたのかい」
「せっかく作ったんだから、食べたい時にいつでも食べられるように持ってきたのよ。それに鉱山の中で迷子になったら、食べるものが無いとこまるわ。賢い判断でしょう」
「おいおい、迷子になるとか、縁起でもないことを言わないでくれよ」
廃鉱山の入り口は一時間ほど山中を歩いたところにあった。見たところカザルの言っていた蟻の怪物は居ないようだ。立ち入り禁止の立札があって、入り口のドアには南京錠がぶら下がっていたが、鍵はかけられていない。ドワーフのカザルが言った。
「鍵は先日あっしが外したんでさ。さ、中に入りやしょう」
ドワーフが持参したランタンと宿から借りてきたランタンを灯して、ゆっくりと坑道の中へ進んだ。まだ怪物の気配はない。周囲の壁はひびが多くて崩れそうだったが、丸太の木枠で坑道をしっかりと支えているから大丈夫だろう。
天井にはところどころにランタンを吊るすためのフックが下げられているが、ランタンはなく、足元に壊れたランタンの残骸が転がっているだけだ。坑道の入り口から奥に向かってかすかに空気が流れている気がする。
ナッピーが声をあげた。
「あーあー、すごい、声がひびくね。」
俺は慌てていった。
「しーっ、化け物がいるらしいから、大きな声を出したらダメだよ。」
レイラが先を進むカザルに言った。
「カザル殿、化け物の気配は無いようだが、それが出るのはもっと先なのか?」
「あ? ああそうでやす、もう少し奥の方でさ。ところであっしは入り口に置き忘れたものがあるんで、取ってきやす。ここでちょっと待っててくだせえ。」
そういうとカザルは急ぎ足で入口へ戻ろうとした。その時、坑道の入り口付近で丸太の折れる音と岩が次々に崩れる音が響き渡った。風圧とともに岩の砕けた粉塵が吹き抜ける。大規模な落盤が発生したようだ。地響きが収まると、一行は慌てて入口へ戻ったが、坑道は崩れた岩で完全に塞がれていた。
カザルが地団太を踏んだ。
「くそったれめ、話が違うじゃねえか」
ルミアナはその言葉を聞き逃さなかった。
「カザル、話が違うとはどういうこと?」
「あ、いや何でもねえ、こっちの話だ」
「ふーん、あんたが嫌でも喋ってもらいますよ。」
ルミアナはポーションバッグから一つのポーションを取り出した。
「やべえ」
カザルが慌てて逃げようとしたが、その腕をレイラが素早く掴んだ。
「た、助けてくれ」
「大丈夫、別に殺そうというんじゃないの。ただ言いたくないことを話してもらうだけ」
ルミアナが<催眠(ハプノーシス)>の魔法を使うと、カザルはたちまち催眠状態となり、意識が朦朧となった。ルミアナはカザルに言った。
「あなたは、この温泉に来る前に、誰かと話をしましたね」
「ああ・・・話をした。あんたたちを捕まえて身代金を取ろうって連中だ。あっしはその連中にカネで雇われたんだ」
「それで、どうするつもりだったの?」
「あんたらを鉱山の中まで誘導したら、あっしだけ入り口に戻って鍵をかけて閉じ込める。そして身代金を要求するって手はずだった。なのに、あいつら落盤を起こして、あっしまで閉じ込めやがった。これじゃあ、皆殺しだ」
「どうしてそんな悪い連中に加担したの?おカネが欲しかったの?」
「あっしは借金で首が回らなくなっていたんでさ。あっしは昔、ドワーフの里で鍛冶職人をやっていて、腕前は町で評判になるほどだった。でも女と酒とばくちに目が無くて、稼いだカネを全部つぎ込んだあげく、借金を抱えてドワーフの里から逃げ出したんでさ。それで流れ着いたアルカナでも借金を重ねて首が回らなくなったんでやす」
キャサリンが噛み付いた。
「やっぱりこんなくそドワーフはレイラにむち打ちしてもらいましょう」
ルミアナはカザルの催眠を解いた。そしてちょっと考えてから言った。
「う~ん、おかしいわね。これは身代金が目的じゃないわ。最初から私たちを亡き者にするつもりだったのよ。だから私たちが絶対に出られないように落盤を起こした。口封じのためにカザルも一緒に坑道に閉じ込めたのよ」
正気を取り戻したカザルが言った。
「まったく、ひでえ連中だぜ」
レイラが剣を鞘から引き抜いてカザルに突きつけた。
「ひどいのはあんたの方だ、さあ、この落とし前はどう付けようか」
ランタンの光に照らされて白刃が光る。
「まま、待ってくれ。この廃鉱山は見たところ、大昔にドワーフが掘ったものらしい。だから鉱山の構造もなんとなくわかる。あっしが一緒に坑道を探索すれば、別の出口が見つかるかも知れねえ。何としても出口を見つけるから、殺さないでくれ、頼む」
俺はカザルを睨みつけた。
「この代償は相当に大きなものだ。わかっているのだろうな」
「もちろん、もちろんですとも、重々わかっておりやす。一生、陛下のために働きやす」
「まあ、まずはこの廃鉱山から脱出する方法を見つけないとな」
「ドワーフの鉱山には、だいたい中央付近に管理室のような部屋があるもんでさ。そこには鉱山全体を地図にした石板のようなものがあるんでやす。それを調べれば別の出口がわかるかも知れやせん」
「ところでカザルが話していた蟻の化け物ってのは?」
「すいません、あれは皆さんを誘い出すための嘘です」
「まあ、化け物が居ないに越したことはない。先へ進もう」
坑道は下に向かってゆるやかに傾斜している。そのまま真っすぐにしばらく降りると、道は十字路に行きついた。壁には古いプレートが埋め込まれている。カザルがプレートに刻まれた古いドワーフの文字を解読すると、右方向に管理室があるらしいことがわかった。
十字路を右折してさらに進むと、不細工な形をした茶碗にも思える丸い物体が暗がりの中にいくつか転がっている。キャサリンは何気なくそれを拾って眺めていたが、いきなり悲鳴を上げて放り出した。
「きゃー、人間の頭蓋骨だわ。こわいですわ、お兄様。」
見渡すと、坑道の横壁に空けられた広い開口の向こう側に、石碑のようなものが並んでいる部屋がうっすらと見えた。カザルが言った。
「ああ、頭蓋骨はそこの部屋から転がってきたもんだな。おそらく、あそこは事故で死んだ鉱夫の墓場でさあ。墓の中には、この先の探索で役に立つものが埋められているかも知れねえから、探してみやしょう。」
キャサリンは呆れたようにドワーフを見た。
「あなた墓荒らしする気ですの、本当にくそドワーフですわね。まあいいわ、あたしも探してあげる。役に立つものを見つけたら感謝するのよ」
鉱夫の墓場だという部屋には、掘り返された骸骨が散乱している。墓はかなり荒らされており、すでに金目のものはことごとく奪われているようだ。使えそうなものが残されていないか手分けして探してみたが、ランタンの明かりだけでは暗すぎてよくわからない。
キャサリンが何かを見つけたらしく、鼻息も荒くカザルの元へずんずん歩いてくると自慢げに言った。
「ちょっとドワーフ、こんなの見つけたわ。役に立つかしら」
「おお、それは・・・尿瓶(しびん)ですな。ドワーフの鉱山じゃあ、作業途中に用を足すことができないんで、尿瓶(しびん)におしっこをためておいて後から捨てるんですぜ。それ、お嬢ちゃんが使いやすか?」
「あたしが使うわけないじゃないの、うげ、思い切りつかんじゃったわ」
キャサリンが慌てて地面に叩きつけると、尿瓶はどこかへ飛んで行った。ブリブリしなから再び探し始めたが、すぐにまた何かを見つけたようだ。
「ちょっとあんた、今度はどうかしら。毛が、もじゃもじゃですわ」
「それは・・・づらだな。かつらでさあ。ドワーフはハゲが多いから、づらを付けてる奴が多いんですぜ。ちなみに、あっしもハゲでさあ」
「これ、づらなの?・・・なによあんたのハゲ頭にぴったりじゃないの! こんなもん、あんたにあげるわ」
カザルの目の前に、づらを叩きつけると、ブリブリしなから再び探し始めた。しばらくするとまた何かを見つけたようだ。今度はかなり重いものを見つけたらしく、地面をずるずる引きずる音が聞こえてきた。
「はあはあ、ちょっとあんた、はあはあ、これは何か絶対に凄いものだと思いますわ。無茶苦茶重たいですもの。も、持ち上がりませんわ」
「やや、お嬢ちゃん、そいつぁは凄いぞ。ドワーフ族専用のウォーハンマーでさ。人間には使えない武器だから、盗まれずにずっと放置されていたのかも知れませんぜ。お願いだからそいつをあっしにくだせえ」
キャサリンの態度が急にデカくなった。
「おーほほほ、どんなもんですか、それはあんたにあげるわ。感謝しなさいよ。これからは私のいう事をなんでも聞くこと。わかったわね」
その時、突然ルミアナが言った。
「ちょっと静かにして。・・・音が聞こえるわ」
キャサリンは驚いて飛び上がると、びくびくしながら周囲の暗闇に目をこらした。
「なな、何よ、急に脅かさないで。亡霊でも出たの?ドワーフのたたりなの?」
「そうじゃないわ。魔法石の囁きが聞こえるの。墓地のどこかにあるみたい」
俺はルミアナの傍に寄って小声で言った。
「魔法石の囁き?<素材探知(マテリアル・ディテクション)>の魔法を使ったのか?」
「そうです、素材探知の魔法を使いました。どうやらこの辺りには魔法石があるようです」
「わかった、私も試してみよう」
閉じ込められた坑道に魔法石があるとは皮肉な展開だが、これは魔法石を手にれるチャンスだ。俺も<素材探知(マテリアル・ディテクション)>を周囲に発動した。微かにではあるが、音楽のような、風の音のような、聞いたこともない音が聞こえてきた。
墓地は幾つもの部屋に分かれており、すべて合わせるとかなりの広さがある。ルミアナはその部屋の一つに入ってゆくとナイフを腰から抜き、地面から結晶を削り取った。暗くて分かりにくいが赤い結晶がルミアナの手の中にあった。
「これは火炎魔法につかう魔法石です。地下から成分が染み出てきて結晶化しています。まだ探せばありそうなので、このあたりを少し探しませんか」
「いいとも、使えそうなものがあれば、採取しておいた方がいい」
俺とルミアナは素材探知の魔法を使って魔法石を探し回った。
「あーつまらないわ、私にも使えるものが、何か見つからないかしら」
手持ち無沙汰になったキャサリンが、性懲りもなく、また何かを探し始めた。ナッピーは頭蓋骨を拾い集めて、せっせとピラミッドを作っている。一方、カザルはキャサリンが見つけたドワーフ専用ウォーハンマーをレイラに見せて自慢していた。
「これがドワーフ専用の両手武器、ウォーハンマーですぜ。これを両手に持ってぶん回せば、たいていの敵はびびって近寄ってこないんでさ。どうです、持ってみますかい? 人間には重すぎて使えない代物だがよ。がははは」
レイラはカザルの差し出したウォーハンマーをひょいと持ち上げると、片手でぶんぶん振り回し、片手メイスの技を披露してみせた。
「うん、悪くないね。ただし私はウォーハンマーの正しい使い方を習ったことがないので、残念だがこれは使いこなせないだろうな。ありがとう、これは返すよ」
その様子を見たカザルは大きく目を見開き、口を開けたままレイラを見つめた。
「両手武器のウォーハンマーを、片手でおもちゃのように振り回すとは、あんた人間じゃないぜ。まるで怪力ゴリラ・・・」
レイラの鼻息とともに、ウォーハンマーが地面に半分突き刺さった。
「・・・いやいや、怪力ゴリラと戦っても余裕で勝てるほどのすごい腕力だという意味だぜ。あ、あんたもドワーフの道場へ行けば、ウォーハンマーもすぐに上達するってもんだ、ガハハハ」
キャサリンが何かを見つけたようだ。
「ちょっと、くそドワーフ。今度は壺があったわ。これは魔法の壺とかじゃないかしら。」
「おお、それは・・・痰壺だな。」
「なによ! なんで痰壺がこんなところにあるのよ。ふざけてますわ」
地面に叩きつけられた痰壷が粉々に砕けて、大きな音が響き渡った。
ずっと我慢していたルミアナがついに怒った。
「うるさい、ちょっとみんな静かにしてよ。音が聞こえないじゃないの!」
俺とルミアナが三十分ほど探し回ると、赤い魔法石がそこそこ集まった。これだけあれば魔法をかなりの回数発動できるに違いない。廃鉱山に閉じ込められた状況だったが、魔法石が大量に手に入ったため、俺はうきうきした気分になった。
一行は管理室へ向かって進んだ。突然、カザルの持っていたランタンの明かりが急に弱まり、やがて消えた。ランプオイルが切れたようだ。
「ち、ランタンをこんなに長く使うと思わなかったからよ、油を半分しか入れてこなかったんでさ。このまま真っ暗になったらヤバいぜ。」
ルミアナが落ち着いて言った。
「大丈夫、さっき採取した赤い魔法石を明かりにできるわ」
俺は思わず大声で言った。
「おお、それなら私もできる、やってみよう」
それを聞いてレイラが驚いた。
「陛下、陛下は魔法が使えるのですか? いつの間に魔法を習得されたのですか?」
「騒ぎになると困るのでずっと秘密にしていたんだ。キャサリンにも口止めしていた。だからここで見たことは内緒にしておいてくれ。しかるべき時が来たら、公にするつもりだ」
「わかりました陛下、このことは口外しません」
俺は赤い魔法石の小さなかけらをランタンの中にセットしてからみんなに説明した。
「赤い魔法石を一気に炎上させると相手にダメージを与える攻撃魔法になる。しかし、ゆっくり少しずつ反応させれば長く燃え続けてランプの代わりになるんだ。それにこの炎は風で消えることはないし、水中でも燃え続けるから便利なのだ」
俺は仲間の視線を感じて、ルミアナから聞いた知識を、ちょっと得意になって説明した。それからおもむろに小さな魔法石のかけらに意識を集中し、<灯火(ライト)>の魔法を念じた。
「はっ!」
爆音とともに大きな炎が上がり、魔法石は一瞬で燃え尽きた。俺の髪の毛も燃えた。大失敗である。
爆音の余韻が消えると、坑道は静寂に包まれた。俺があれだけ自信満々に語っておいて失敗したものだから、誰もどうフォローして良いかわからない状態だ。視線が痛い。誰か何かしゃべってくれ。
ルミアナが言った。
「陛下、まだ魔法石はありますので、もう一度やってみましょう」
「あ・・・ああ、そうするよ」
俺は焼け焦げてフレームだけになってしまったランタンにもう一度魔法石のかけらをセットして<灯火(ライト)>の魔法を念じた。今度は魔法石が静かに燃え始めた。成功である。やや間をおいてから、拍手が湧き起こった。
「おめでとうございます、陛下」
「お兄様、すばらしいですわ」
まるで幼児が初めて歩いた時のようにあやされてしまった。かなり恥ずかしい気分だったが、魔法が成功してホッとした。だが、本当にホッとしたのは周りの連中だろう。もしこのまま俺が失敗し続けたら、氷河期のような雰囲気になってしまうからだ。
魔法石の赤い光が、ランタンよりもずっと明るく周囲を照らし出した。道は何度も分岐したが、幸いなことにカザルが案内版を読むことで、迷うことなく管理室へ向かうことができた。管理室まで来ると、中に入る鉄の扉は固く閉ざされていた。扉の真ん中には、手のひらの形が掘り込まれたプレートがはまっている。
「ははあ、こいつはあっしの手の形にぴったりですぜ」
ドアの真ん中にある手形にカザルが右手を当てると、鍵が外れる音がしてドアがゆっくりと開いた。この扉はドワーフだけしか開けられないように作られていたらしい。
管理室の中には多数の椅子、机があったが、どれも埃が積もっている。床には文字が掘られた石板が散乱している。椅子も机もすべて壁から切り出した花崗岩らしき石材で作られている。一行は休憩のため椅子に腰掛けた。カザルは管理室の壁のあちこちに描かれている図形を一人で確認して回っている。やがて俺の元に来ると言った。
「わかりやしたぜ旦那。管理室にある地図を確認したんですが、どうやら鉱山の最も下の階層に、鉱石を地上へ運び上げるための立坑(たてこう)があるらしいですぜ。そこまで行けば、リフトを使って地上まで一気に登れやす。まあリフトが動けば、という話ですがね」
一行は鉱山の最下層を目指して再び歩き始めた。ほどなくして下へ向かう階段が見つかった。長い階段の先がぼんやりと明るく見える。
「誰かがいるのだろうか?」
「それはあり得ませんぜ。坑道の状態から見て、少なくとも数百年は使われてないはずでやす」
下層に降りるにつれて明かりがより強さを増し、下層の入り口付近は、満月の光に照らされたほどの明るさがあった。入り口から下層の内部に入るとそこは広い空間になっており、高さ三メートルほどもある巨大な発光キノコが群生していた。明るさの原因は大量の発光キノコが発する青い光だったのである。
「なにこれ、不思議な空間ですわね・・・」
いつも真っ先に大声で騒ぎ出すキャサリンもさすがに驚いたのか、口数も少なくこの光景に見入っている。空洞の高さはおよそ十五メートル、岩石を削り残して作られた無数の太い柱によって天井が支えられている。床は荒削りの岩石で、小さな水の流れや池がところどころに見られる。キノコの発する青い光に包まれた、神秘的な空間である。
岩の柱のところどころには道案内の看板があり、カザルがそこに「立坑」の文字を確認した。一行は案内に従ってキノコの間をゆっくり歩いた。大きな池の近くまで来ると、キャサリンが小走りに水辺へ向かった。
「まあ、きれいなお水がありますわ。飲めるのかしら」
キャサリンが駆け寄った池の縁には、大小数多くの発光キノコが密集して生えていた。キャサリンは気付いていなかったが、それらのキノコには無数のイモムシが取り付いており、キノコを盛んに食べていた。そのイモムシたちはアルカの市場で見た緑色の幼虫とは異なり、白い色をしていた。そしてキャサリンが近くに来ると、なぜかキャサリン目指して一斉に這い出した。
そんなことは思いもよらず、キャサリンは水面にかがみこむと、両手で水をすくって口に運んだ。と、その足元から無数のイモムシがキャサリンの体をわさわさ這い上がってきたのだ。
「きゃああ、なによ、なにすんのよ、この変態イモムシ! ちょっと、やめなさい」
キャサリンは驚いて立ち上がった。何匹かのイモムシは地面に落ちたが、まだ多くのイモムシたちがキャサリンの足元から続々と体を這い上がってくる。そして背負っているリュックサックの中に次々に頭を突っ込む。その様子を見た俺は言った。
「キャサリン、その虫はリュックの中のクッキーを狙っているんだ。キノコなんかより、よっぽど栄養があるクッキーを見つけて、イモムシが大興奮しているんだ。リュックは諦めて捨てた方がいい」
「いーやよ、絶対にいや。わたくしのクッキーを変態イモムシなんかに食われてたまるもんですか。お兄様、黙って見てないでわたくしの体からイモムシを取りなさいよ。わたくしは、イモムシは気持ち悪くて触れないのですわ」
触れないくせに平気で食べるんだな。まあ、カニは触れないけど食べるのは平気とかいう人もいるから、そんなものか。俺はイモムシに平気で触れるが、食べるのは無理だ。それより、これはキャサリンに恩を着せるチャンスである。ここで俺がキャサリンの体からイモムシを取ってやれば、感謝されるに違いない。
「よし、俺が取ってやろうじゃないか。待っていろ」
とは言ったものの、取っても取っても、イモムシが周辺のキノコから次々にやってくるのでキリがない。レイラやルミアナも加勢してイモムシを取るが、焼け石に水である。しびれを切らしたルミアナが言った。
「お嬢様、虫よけのポーションを掛けますので、すこし我慢してください」
ルミアナはポーションバッグから小瓶を取り出すとキャサリンの体に振り掛けた。するとイモムシがばらばらと地面に落ち、キノコの方へ這い戻って行った。
キャサリンが地面にへたり込んで言った。
「・・・はあはあ、ルミアナは本当に役に立ちますわね、このことはよく覚えておきますわ。それにくらべてお兄様は何の役にも立たないですわね。口ばっかりですの。このこともよく覚えておきますわ」
なんだよ、キャサリンに恩を着せるどころか、余計に評価が下がったじゃないか。
騒ぎが一段落したそのとき、広い空間のずっと奥の暗がりから巨大な影が近づいてきた。ワシャワシャという固い物体がこすれ合う不気味な音が徐々に強くなってくる。
「気を付けて、あっちから何かが近づいてくるわ」
ルミアナが指さした方向に、何かが蠢く。発光キノコの隙間から、体長十メートルはありそうな赤黒い大サソリが見えてきた。青白い光に照らされて光るキチン質の胴体には棘が並び、先端に毒針を持つ長い尾を立てている。サソリは一行を確認すると、強力な二本のはさみを振り上げて突進してきた。即座に大きな盾を構えてレイラが前に出た。
「お下がりください、私が食い止めますので、援護をお願いします」
ルミアナは素早く矢を放ったが、サソリの強固な外骨格に弾かれてしまう。そのまま直進してきたサソリを、レイラが鋼鉄の盾で正面から受け止める。鉄を打つ激しい衝撃音とともに、レイラの体がずりずりと後ろへ押される。右からサソリのはさみがレイラの顔面へ襲い掛かるが、剣を振り上げて弾き返した。
カザルがウォーハンマーを振り上げてレイラの横から突進する。
「おらあ、虫の分際で生意気な。食らいやがれ」
と、カザルの頭上から、サソリの毒針が矢のような速さで突き下ろされる。間一髪、カザルは横に転がると毒針の攻撃をかわした。
「あぶねえ、あぶねえ、人間を相手にするのと勝手が違うぜ。うかつに近寄れねえ」
ルミアナは続けざまに矢を放つ。だが分厚い殻に覆われたサソリの胴体に、矢はまったく刺さらない。俺はルミアナに言った。
「幻惑魔法を使えないのか」
「昆虫のような知性のない相手だと、精神系の幻惑魔法は効果がないのです。もしかすると陛下の火炎魔法なら有効かもしれません」
火炎魔法か、だが火炎魔法は、まだ完全に発動できるとは限らないし、また魔法に失敗したらどうしようか・・・。
レイラは執拗なサソリの攻撃を超人的な剣と盾の技でなんとか退けているものの、耐えるのが精一杯で、攻め手を繰り出すことができない。サソリは強力な力でレイラを押し続けており、このままではいずれ力が尽きてしまう。
カザルもウォーハンマーを振り回しながら隙を伺いつつ何度も踏み込もうとするが、そのたびにサソリは長い尾の毒針をカザルめがけて突き出してくるため、近づけない。
「くそ、いまいましい毒針め」
弓攻撃をあきらめたルミアナはポーションバッグを探っていたが、虫よけのポーションを手に取るとサソリの頭部に投げつけた。虫よけ程度でサソリを倒すことはできないが、頭に当たった瓶が割れて液体が広がると、サソリの動きが僅かに鈍くなった。
その瞬間をレイラは見逃さなかった。はさみに押さえつけられていた盾を放りだすと、捨て身で右前に踏み込んだ。そしてサソリの尾の付け根をめがけ、渾身の力を込めて剣で切り込んだ。しかし同時に、サソリの毒針も毒液を噴き出しながらレイラをめがけて振り下ろされていたのである。
閃光のごとく打ち込まれたレイラの剣は、一撃でサソリの尾を根元から切り落とした。しかしそれより一瞬早く、サソリの鋭い毒針がレイラの背中に突き刺さり、プレートアーマーの装甲を貫通して毒液が体内に注入された。
「ぐは・・・」
レイラの全身から力が抜け、視界が白くなる。
「アルフレッドさま・・・」
レイラはサソリの足元に崩れ落ち、プレートアーマーが激しく音を立てた。
カザルの顔が怒りで真っ赤に燃え上がった。
「このクソ虫が! 毒針のないサソリなんか、ゴキブリとおなじだぜ。叩き潰してやる」
カザルがウォーハンマーでサソリをメッタ打ちにする。その隙にキャサリンとナッピーがレイラをサソリの足元から引き離し、ルミアナが解毒のポーションをレイラの口から流し込む。俺は愕然とした。俺が火炎魔法による攻撃を一瞬ためらったことで、王国最強の戦士レイラを失ってしまうことになるのか。・・・もうこれ以上迷う必要はない。
俺は右手にありったけの魔法石を握りしめると、火炎がカザルに当たらないよう、サソリの側面に走った。そして右手の拳を前に突き出すと、魔法の絵文字を念じた。
<火炎噴射(フレイム・ジェット)>
轟音と共に俺の右手から巨大な深紅の炎がサソリの胴体へと放射される。地下の空間は夕焼けのごとく真っ赤に染まり、焼け付く炎の中でサソリは見る間に黒焦げになった。炎がやむと、すでにサソリはまったく動かなくなっていた。みんなが驚きのまなざしで俺を見た。
ウォーハンマーを両手に持ったカザルが、口を大きく開いたまま、ゆっくりと俺に振り返った。
「おお、すげえ・・・すげえぜ旦那! あやうく、あっしも黒焦げにされるところだったけどよ。おかげで、あのくそ野郎は一巻の終わりですぜ。は、ざまあみやがれ」
俺はレイラに駆け寄った。
「レイラ、大丈夫か、しっかりしろ」
レイラの体は全く動かなかったが、両目はうつろながら開いている。俺の顔を見ている。
「陛下、ご無事ですか・・・」
「私なら大丈夫だ、すべてレイラのおかげだ、何とお礼を言ってよいものか」
ルミアナは相変わらず冷静だった。俺を見て僅かに微笑んだ。
「レイラならご心配なく。私の解毒薬は超一級品です。少し休めば麻痺が取れて動けるようになります。ただし、しばらくは十分な力を出すことが難しいでしょう。それよりも陛下、私が見込んだ通り、陛下は火炎魔法の潜在能力がずば抜けているようですね。まだ初級魔法なのに、驚くべき威力でした」
レイラに大事が無くて本当に良かった。俺は心から安堵した。
キャサリンの嬉しそうな声が聞こえた。
「ちょっとみんな、これ食べれますわ」
いつの間にか焼け焦げたサソリの足をもぎ取り、中から肉を引っ張り出している。その横ではナッピーが飢えた犬のように、四つん這いでサソリの肉をむさぼっている。
「カニを焼いたような、おいしそうな臭いがぷんぷんするから、わたくし我慢できなくなって、足をぶったぎって食べてみましたわ。そしたらカニと同じ味がしておいしいですの。お兄様もこっちに来て食べましょう」
キャサリンは、すげえたくましいな。たぶん樹海に迷い込んでも、半年後に野生化して発見されるんじゃないか。野生のサルを部下に従えているかもしれない。
洞窟に閉じ込められてから半日以上が経過していた。焼いたサソリの肉という思わぬ食料が手に入ったので、ここで野宿することにした。ルミアナが調べたところ、洞窟に溜まっている水の安全性が確認できたので、安心して水を飲むことができた。
それにしても、こんな地底の奥底に、発光キノコの青い光に満たされた神秘的な空間があるとは誰が想像できただろうか。これはひょっとすると「観光名所」に出来るかも知れないな。近場には良い温泉も湧き出しているし。今はそんな余裕はないけど。
ルミアナとカザルが交代で見張りをするというので、俺は横になった。良く眠れなかった。坑道の中は日が差さないので時間がさっぱりわからない。
レイラが歩けるようになったので、出口を目指して再び歩き始めた。
発光キノコの群生する空間は思いのほか広く、出口を探すことに苦労したが、やがて立坑へ続く坑道を発見した。下へ向かう真っ暗な坑道を進む。レイラの足取りは普段と変わらないほどに回復していた。
カザルが標識を確認したところによれば、立坑までは、そう遠くはないという。やがて前方の暗い坑道の奥から、滝が流れ落ちるような水音が聞こえてきた。進むにつれ、音は岩壁に反響しながら次第に大きくなる。
広い空間に出た。どうやらここが目的地の立坑らしい。ランタンの光の先には、停止したままの大きな水車小屋が浮かびあがった。水車小屋には赤錆びた配管が接続されていたが、配管は途中で欠落していた。外れた配管からは水が激しく吹き出し、排水溝に流れ落ちている。跳ね返る水音が空間にわんわんと響いている。本来なら水は水車の羽を回していたのだろう。
部屋の奥行きはおよそ二十メートル。一行はゆっくりと部屋の中央部へと近づいた。そこには、十人ほどの人が乗れる大きな木製のゴンドラが置かれており、その上端から上へ向かってかなり太いロープが伸びている。どうやら、これが立坑を地上まで昇るためのゴンドラのようだ。
上を見上げると部屋の天井は円錐状になっており、その頂点にはゴンドラが通り抜けるのに十分な大きさの穴が開いている。これが立坑だろう。その立坑から三本のロープが垂れ下がっている。一本のロープはゴンドラに繋がっているが、もう二本は滑車を伝って水車小屋の中に入っている。
カザルが水車小屋の中に入って内部を調べていたが、すぐに小屋から出てきた。
「旦那、この水車小屋の装置でロープを巻き取って昇降用のゴンドラを地上の階へ引き上げるようですぜ。ただし、水車が動いていないので、そいつを直さないと上へはいけやせん。欠落した配管をつながないとダメみたいでさあ」
欠落した配管をつなぐための配管を探した。ハンマーや釘のようなものは見つかったものの、肝心の交換用の配管は見つからなかった。
カザルが言った。
「旦那。配管がないなら、きのう倒した巨大サソリの足の殻を利用しやしょう」
工作はドワーフのカザルにとってはお手の物で、サソリの足を手に取ると、拾ったハンマーと釘でたちまち配管を水車に導くことに成功した。とはいえ、もともとの配管よりもサソリの足のほうが太く、継ぎ目から水が漏れ出し、出てくる水の三割程度しか利用することはできなかった。
「水の量が三割でも、上昇速度が遅くなるだけですから、大丈夫ですぜ」
なんとか廃鉱山を脱出できそうだ。一行がゴンドラに乗り込んだ。カザルは水車小屋で昇降レバーを操作し、ゆっくりと上昇を開始したゴンドラに後から飛び乗った。ゴンドラは一分間に一メートルという、恐ろしくゆっくりしたペースで上昇を続ける。これでは地上に到達するまでに一時間以上かかるだろう。
俺はカザルに尋ねた。
「本当にこれで地上に出られるのか?」
「管理室で見た地図じゃあ、ゴンドラの終点から山の斜面へ向かって水平方向に坑道が掘られているらしいですぜ。そこから地上へ出られるみてえでやす」
レイラの顔色はすっかり良くなっており、もう心配はなさそうだ。
ゴンドラはロープで吊り下げられているだけなので、前後左右に大きく揺れる。キャサリンの顔色がどんどん悪くなり、気持ち悪そうだ。やばいな、乗り物酔いか。こんな狭いゴンドラで吐かれたら、連鎖嘔吐反応を引き起こしてしまうぞ。
「うええ、わたくし吐きそうですわ。サソリ肉をぜんぶ出しそうですわ。ルミアナ、乗り物酔いを止めるポーションはない?」
「そうですね、乗り物酔いに効くポーションはあります。ただ副作用がありまして・・・気分がハイになってしまうのです。とんでもなく上機嫌になってしまいます」
「まあ、そんなの問題ないですわ。くださいな」
キャサリンはルミアナからポーションを小さな容器に分けてもらうと、一口で飲み干した。キャサリンの乗り物酔いはすぐに解消した。おまけにすっかり上機嫌になって、鼻歌まで歌いだした、いい気なものである。
「ふんふんふ~ん。お兄様、わたくしとってもいい気分。廃鉱山のかび臭いゴンドラに揺られているうちに、無性に歌を歌いたくなりましたわ」
背筋を冷たいものが走った。生命の危険を察知したのである。あの不毛の大地でブラックライノを発狂させたキャサリンの歌である。そんなことは露知らず、カザルがのんきに言った。
「いいねえ、美人のお嬢ちゃんの歌声が聞こえるなんて、最高だ・・・」
そこまで言いかけたカザルの口を俺は片手で必死に押さえ付けた。俺の目が血走っている。カザルの耳元でささやいた。
「死にたいのか、おまえ。キャサリンの歌は精神攻撃なみのオンチなんだぞ。余計なことをしゃべると焼き殺すからな。これから俺のいう事に相槌だけ打て。それ以外は一言もしゃべるな」
カザルは俺の殺気に恐れをなし、小刻みに首を縦に振って了解した。俺はキャサリンに言った。
「キャサリン、残念ながら歌はダメらしいぞ。カザルが言うには、ドワーフの鉱山はとても神聖な場所だから、歌を歌うとドワーフ鉱山の神様が怒って罰が当たるらしい。とても残念だけど、歌はやめてくれ」
カザルが口を塞がれたまま激しく頷いた。キャサリンはむくれ顔になった。
「なによ・・・ドワーフ鉱山の神様って度量が狭いのね、歌を愛(め)でる心もないのかしら。それに比べてアルカナの神様は心が広いのよ。そうそう、わたくしは子供の頃、よく教会の中で歌を披露したものですわ。神父様と信者さんたちの前で歌うの」
「本当かよ、その教会はどこにあるんだ。王都アルカにあるのか」
「そうよ、アルカにあったの。でも、なぜかその教会は潰れちゃったの。信者さんが全員逃げてしまって。残念ですわ、もっと歌を歌って聞かせようと張り切っていたのに」
「そ、その神父さんは大丈夫だったのか」
「教会は潰れたけど、神父さんは大丈夫だったわ。でも、なぜか今までの信仰を捨てて、悪魔崇拝者に改宗したらしいわ。そんな変な人だから教会が潰れたのね。自業自得よ」
キャサリンの歌を聴いたために、信者が全員逃げて、教会が潰れて、神父が悪魔崇拝者になったのか。死人が出なかったことが奇跡だ。いや、考えてみると、このキャサリンの歌も「貧乏神の魔法」の一種なのかも知れない。すごい威力だ。
一時間後、ゴンドラは立坑の頂上に到着した。一行がゴンドラを降りると、地上の出口へ向かう坑道が横方向に伸びていた。もうすぐ地上に出られる。出口が近いとわかると、歩く足にも自然と力が入る。だが、坑道の先は土砂で埋まっていた。
カザルが言った。
「ちくしょうめ、ここまで来たってのに」
ルミアナが言った。
「ちょっと待って、何かいるわ」
坑道の暗がりの中には、たくさんの光る眼があった。野生動物のようだった。ナッピーが俺たちを制して前に出た。
「待って待って! あたしがお話してみる」
光る眼の正体はプレーリードッグに似た動物たちだったが、大きさはその二倍はありそうだ。数は三十匹ほど。特にこちらに危害を加える気はなさそうだ。
「この子たちは、地面に穴を掘って生活しているんですって。地表からこの坑道まで穴を掘って、ここを巣穴にしているみたい。ほら、この穴が地上に繋がっているそうよ」
ナッピーが指さした先には、動物が通り抜けられるほどの大きさの穴が開いていて、穴の向こう側から風が流れてくる。確かに外に繋がっているようだ。
キャサリンは喜びながら穴に駆け寄ると、頭を突っ込んだ。
「わあい、ようやく地上に出られますわ、やりましたわ」
しかし、尻がつかえてしまった。
「なによ、こんな狭い穴は通り抜けられませんわ。穴を掘り広げてくれないかしら」
ナッピーがテレパシーで動物と交渉した。
「掘り広げてくれるって言ってる。でも条件があるって。キャサリンが持っているナップザックのクッキーを、ぜんぶ欲しいんですって」
キャサリンがナップザックを両手で抱えながらいった。
「えーいやよ。これはお兄様に食べさせるんですから」
俺は内心おお喜びだったが、いかにも残念そうな声で言った。
「あー、キャサリン。それは嬉しいんだけど、ここから抜け出さないと、みんな死んでしまうよ。クッキーを食べられないのは残念だけど、その動物たちに全部あげてくれないか」
「・・・仕方ないですわ、分かりましたわ。そのぶん、お城に帰ったら、この三倍のクッキーを焼いてあげますからね、楽しみにしていてね」
ぐは、やぶ蛇だった。半分はミックに食わせよう。
キャサリンはリュックをまるごと動物に差し出した。動物はぴょこっとお辞儀をしたように見えた。動物たちはリュックからクッキーを取り出すと、皆でさっそく食べ始めた。しばらく食べた後、ナッピーに何かを話したようだ。
「あまり、おいしくないそうです」
キャサリンが真っ赤になった。
「なんですって! 生意気な、毛を全部むしってやるわ、赤裸にしてやるわ」
暴れるキャサリンを一行がなだめていると、動物たちが穴の中に入り、すごい勢いで土をかき出しはじめた。穴は見る見る広がった。その穴を通って一行は地上に生還した。
そこは、高層湿原のお花畑だった。王都アルカ周辺の乾燥した大地と異なり、広々とした湿原に小さな沼や池が点在し、大きな樹木も点在する。山は緑の木々に覆われ、その彼方に蒸気を吹き出す火山が見える。
キャサリンが言った。
「地上に出たのはいいけど、ここはどこなのかしら」
「大丈夫だよ、いま、ピピを呼んでみるから」
ナッピーのテレパシーはかなり遠くまで伝わるらしい。しばらくするとツバメほどの大きさの小鳥が上空を回り始めた。ナッピーの友達で、ピピという名の小鳥だ。
ピピの先導で、俺たち一行は無事に王都へ戻ることができた。
アルカナ川が復活してから一年が経った。
未だに洞窟に国王一行を閉じ込めた犯人の特定には至っていない。カザルに大金を貸し付けていたのは金貸し商のシャイロックという男だったが、シャイロックを問い詰めても証拠は出てこなかった。ただ、このシャイロックという男が貴族のジェイソンの屋敷に出入りしている様子がしばしば目撃されているらしい。
一方、俺たちの閉じ込められた鉱山には、その後の調査で赤い魔法石が豊富に存在することがわかり、ルミアナを中心とする魔法石採掘隊を編成して魔法石を採取した。赤い魔法石については、俺とルミアナが使うには十分な量を確保できた。
この一年の間に俺の魔法はかなり上達し、様々な攻撃魔法を習得した。補助系、幻惑系の魔法もある程度使えるようになった。
俺は主だった仲間を集めて、今後の政策などについて話し合っていた。
総務大臣のミックが現状について報告した。
「農業生産に関しては、穀物の収穫量が以前の二倍に増え、その他の野菜類の収穫に関しては、種類も量も増えております。これにはアルカナ川による灌漑と人糞を利用した肥料の効果が大きいです。何と言っても、アカイモは食糧の増産や食生活の改善に大きく貢献しています。今のところ食料の増産計画は順調です」
キャサリンがはしゃいでいる。
「素晴らしいですわ、お兄様。このままいけば人口も順調に増えますし、人口が増えれば、国民たちの生活も豊かになりますわね」
「そうだな、確かに食料生産が増えれば人口は増加するが、人口が増えれば国民も豊かになるという単純な話ではないんだ」
「あら、それはどういうことですの?人口が増えれば、より多くの食料や物資が生産できますのに」
「確かに人口が増えるほど食料や物資の生産量は増えるが、同時に人々の生活を支えるための食料や物資も、より多く必要になる。だから人口が増えて国の生産量が増えても、人々の生活が豊かになるわけじゃない。実際、巨大な人口を抱える国の国民が、非常に貧しい生活をしている例は数多くある。人口が増えるだけでは豊かにならないんだ」
「でも、大きな国の王族や貴族の生活は、小さな国の王族や貴族よりはるかに豊かですわ」
「それは、国民から搾取できる富の量が、大きい国ほど多くなるからだ。だから大きい国ほどその国の王族や貴族は豊かになり、他国にマネできないほど豪華な王宮や巨大な寺院を建設することができる。その一方で国民の生活は貧しいままだ」
「それは酷いですわ。それじゃあ、どうすればアルカナの国民は豊かになれるのかしら」
「アルカナの国民が豊かになる方法は大きく二つある。一つ目は他国を侵略する方法だ。二つ目は技術を開発することだ」
「『他国を侵略する』か、『技術を開発する』のどちらかなの?」
「そうだ。他国を侵略する方法の場合は、侵略先の国から財産や食料を奪ったり、属国として支配下に置いて重税を課したり、あるいは人々を奴隷として連れ去って、強制労働をさせる。その方法を採用しているのがトカゲ族の国であるジャビ帝国だ」
「そんな方法が長続きするはず無いのですわ」
「その通りだ。だからジャビ帝国は常に侵略戦争を行い、富を奪い、奴隷を連れ去る。侵略を止めると衰退する運命にあるからだ」
「もう一つの『技術を開発する』とは、どんな意味ですの?」
「技術を説明するのは難しいが、匠の技(わざ)のようなものだ。そうした技を使うことで、例えば家を一軒建てる場合も、より短い期間で建てることができたり、同じ面積の畑でも、より多くの作物を収穫できるようになる。つまり生産の効率が高まる」
「生産の効率が高まるとどうなるの?」
「生産の効率が高まると人手が余るようになる。すると、余った人手を他のモノを作る仕事に費やすことができるようになり、同じ人口でも、より多くの種類の富を生み出すことができるようになる。人数が増えずに生み出される富の量が増えるのだから、国民一人当たりに分配される富の量も増えることになる」
「なんか難しいわね。それで、その技術ってのを開発するにはどうするの」
「『王立研究所』を設立しようと考えているんだ」
「研究所って何、何をする場所なの?」
「様々な分野の職人、専門家のような人々を集めて、より優れたモノを、より効率的に作るための方法を試行錯誤して、新たな技術を獲得する場所だ。例えば、錬金術師を研究所に呼び、新しい薬の研究をしてもらう場所だ」
「なるほど、アルカナ全土から優れた人材を集めるのね」
「確かにそうだが、優れている人物や有名な人物だけを研究所に集めてもダメなんだ。そうしたすでに成果を出している人物だけではなく、まったく世間から評価されていない奇人や変人の類(たぐい)を集めることも重要だ。つまり『狂ったように何かに打ち込んでいる人物』が必要だ」
「奇人や変人をいっぱい集めるの?」
「いや、単なる奇人や変人ではなく、狂ったように何かの研究に打ち込んでいる人物だ。一見すると奇人や変人の趣味のようにしか思えない、何の役に立つかまったくわからないような研究の中から、世の中を変えるほどの大発見が飛び出すこともある。そういう例が異世界では多いんだ。
ところが、役人の多くは、すでに有名になった人物だけを集めて、カネを出して目標を与えれば成果が出ると勘違いしている。おまけに、その方がカネがかからないから都合が良い。しかし、大発見は狙って出てくるものじゃない。偶然の産物だ。つまり『数を打たないと大当たりが出ない』。
だから、とにかく大勢の研究者を王都に集めて、なんだかわからない研究であっても、どんどんやらせるのだ。当然ながら膨大なおカネが必要となる。だからこそ、おカネを発行するために銀行制度を立ち上げたんだ」
「なるほどですわ。傍から見ると変な人に見えるけど、何かに打ち込んでいる人が大切なのね。それで、変態のカザルも王国の役に立っているのね」
「相変わらずお嬢様は口が悪いぜ」
「おお、カザルか。例のものの開発は順調か?」
「順調ですぜ、旦那。中庭に試射の準備をしていますので、ご覧くだされ」
「何の準備ですの?」
俺は椅子から立ち上がりながら言った。
「鉄砲だ。鉄砲というのは異世界の武器だ。これは硬い鱗で全身を覆われているトカゲ族の兵士を倒すための、強力な武器になる」
俺たちは王城の中庭へ出た。中庭の奥にはプレートアーマーを付けた三体の人形が標的として立てられており、その百メートルほど手前には、台の上に三丁の火縄銃が置かれていた。火縄銃であれば中世時代の技術でも十分に作ることは可能だ。昔、俺は火縄銃に興味があって構造などを調べたことがあるのだが、その知識が役に立った。火薬の原料となる硝石は堆肥から抽出できたし、硫黄も温泉の近くで採取できた。
キャサリンもレイラも、見たこともない武器に興味津々といった顔つきだ。俺は鉄砲を両手で持ち上げると、皆に説明した。
「これが鉄砲というものだ。これは異世界で使われていた武器だ。火薬という薬品に火をつけて爆発させ、その勢いでこの鉛の丸い玉を鉄砲の筒先から飛ばす。まあ、見てもらったほうが早いだろう。ものすごい音が出るから気をつけてくれ」
俺がカザルに目配せすると、カザルは俺から鉄砲を受け取り、的となる鎧を着た人形に狙いを付けた。中庭は緊張感に包まれ、静まり返っている。ややおいて、俺の合図と同時に中庭に雷が落ちたかと思われるほどの轟音が響き渡り、鉄砲から大量の白煙が吹き出した。あまりの音の大きさにキャサリンが悲鳴を上げた。あらかじめ弾が込められていた三丁の鉄砲が続いて発射された。すべてが人形に命中した。
衛兵たちが人形を抱えて俺の方へ運んできた。人形のプレートアーマーには三つの穴が空いており、中の丸太に鉛玉が食い込んでいた。衛兵がそれを高く掲げると、どよめきが起こった。
レイラが言った。
「弓矢で貫くことができない鉄のプレートアーマーが、三発とも完全に貫通している。これは恐ろしい武器ですね陛下。これなら硬い鱗の体を持つトカゲ族であっても、ひとたまりもありません」
「さ、さすがお兄様ですわ。これなら、アルカナの軍隊は無敵になりますわ」
「そうだ。これもいわば『技術の開発』から生まれた成果だ。技術が進んでいた異世界の鉄砲は、こんなものではない。一つの鉄砲が、一秒間に何発も発射できる。いかに技術の開発が重要かわかるだろう。技術の開発にカネを惜しんではいられないのだ」
ミックが言った。
「陛下よくわかりました。王立研究所の件、早速準備に取り掛かろうと思います」
「頼んだぞ。財源は王立銀行から借りれば何の問題もない。ただし以前も話したが、おカネを増やしすぎるとモノの値段が上がって国民の暮らしに影響する。無計画におカネを増やしてはいけない。市場における物価の調査は毎月、しっかり行って報告してくれ。それを見ながら毎月の借入額を決定する」
「かしこまりました」