長年の敵国であるジャビ帝国の動向を探るため、ジャビ帝国の属国領であるナンタルで秘密裏に情報を収集することにした。今回は隠密行動なので俺は城にとどまり、ルミアナとレイラの二人に行ってもらうことにした。あの二人ならうまくやってくれるに違いない。

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 ラクダに引かれた馬車が砂漠を南に進んでいた。ルミアナとレイラの二人は商人に成りすました。ルミアナが錬金術師の商人、レイラがその護衛という設定だ。ルミアナはエルフの長い耳を隠すためにフード付きのマントをかぶり、商人のローブを身に着けている。レイラは身分を隠すため近衛騎士のプレートアーマーではなく、戦士用のチェインメイルにプレートのベストを着用している。

 ナンタルまではロマランから馬車で二十日ほどの長旅である。砂漠地帯であるため、道中は宿屋が少なく、野宿も強いられる過酷な旅だ。

 ロマランから南西の方角へ進むと、両側を険しい山に挟まれた谷に至る。そのあたりは極度に乾燥した岩と礫(れき)ばかりが広がっている。さらにすすむと谷は広がり、やがてシャビ砂漠に至る。砂漠をさらに南西へ十日ほど進むと彼方にリフレ湖が見えてくる。そこまで来れば目的地のナンタルはもうすぐである。

 砂漠を見るのが生まれて初めてだったレイラは、最初こそ興味津々に周囲を見渡していたが、十日目を過ぎる頃には熱さに耐え兼ねて荷台に寝転がっているだけの状態になった。

「ねえレイラ、リフレ湖が見えてきたわよ。今日中にはナンタルに着けると思うわ。」

 荷台に転がっていたレイラがむっくりと起き上がった。

「え、湖だって、本当? ちょっと湖の水辺に立ち寄らないか。身体が汗でベトベトして耐えられない、湖の水でサッパリと洗いたいんだ」

 ルミアナは手綱を捌きながらレイラを振り返った。

「リフレ湖の水は塩水だから、サッパリするどころか、なおさらベトベトになるわよ」

「へえええ、それは残念」

 レイラは再び寝転がった。今回は国王のお付きの仕事ではないためか、レイラの会話もリラックスしている。ナンタルは東と南を結ぶ貿易ルートの中継地として栄えてきたオアシス国家だ。文化的には南方圏に属しており、町並みはオリエンタルな雰囲気で、ヤシの木に代表される南国の植物が生い茂っている。街は日干し煉瓦で作られた城壁に囲まれており、街の入り口には小さいながらも塔が立っている。

 馬車が城門のところまで来ると、二人のトカゲ族の衛兵が行く手に立ちふさがった。

「止まれ。名前と町に来た目的を言え」

「兵士様、私たちは旅の商人です。私は錬金術師のラルカ、隣が護衛のマスルです。商品はポーションになります。ご覧になりますか?」

 ルミアナは荷台の幌をめくりあげ、木製のポーションケースを指さした。衛兵は木の箱を一瞥すると、見下したような態度で高圧的に言った。

「ふん、錬金術師か。まあ、そうだな、この街に入るには税金を払う必要があるんだが」

 税金とは作り話であって、明らかに賄賂の要求である。

「はい、もちろんでございます兵士様。こちらで足りますか?」

 衛兵は差し出された革袋をひったくるように奪い取ると、中を確かめ、すこし驚いたあとで満足そうな表情を浮かべた。思ったより多かったようだ。

「そうだな、すこし足りないが多めに見てやるとしよう。ほれ、これが二人分の通行許可証だ、街の中では通行証を常に首から下げておくように。では行け」

 一行は馬車を進めた。背後では二人の衛兵が賄賂の取り分を巡って言い争いをしているのが聞こえる。ルミアナはそれを気にすることなく涼しげな表情で手綱を操る。大通りの両側には日干し煉瓦で作られた平屋の家々が並ぶ。道沿いにはオアシスの泉から引き込んだ地下水路の上に井戸が点在している。

 すれ違う人々の多くは茶色の首輪を付けている。どうやらジャビ帝国の属国となったナンタルの人々は、識別のために首輪を付けられているようだ。皆表情は暗く、うつむいたまま歩いている。道端の建設工事現場では多くの労働者が働いており、おそらく現場監督であろうトカゲ族の男が人々の間を歩き回りながら鞭を鳴らしている。労働者の首輪の色は赤である。赤い色の首輪は奴隷の印なのかもしれない。

「もたもたするな、そこ、煉瓦は一度に六つ運ぶんだ。日暮れまでに運び終わらないと承知しないからな。お前は足場用の丸太を資材置き場から持ってこい」

 道には、ナツメヤシの実を山のように積んだ荷車を必死に引く若い奴隷の男と、その前をガニ股で歩く腹の突き出たトカゲの姿があった。運んでいた果物を落として、棒でひどく殴られる少女もいる。ナンタルでは多くの人々がトカゲ族の奴隷に貶められている。

 見るに堪えない光景に眉をひそめながらさらに進むと、町の中央と思われる大きな広場に出た。広場からは八方に大通りが伸びており、広場に面して馬車を停める場所と数軒の宿が見える。

 馬車を置き場に止めると、ルミアナとレイラは広場に降り立った。広場の中央付近には大きな石の台座があった。おそらく国王のような偉人の石像が立っていたと思われるが、そこに石像はなく、台座の周囲に打ち砕かれた石の残骸が転がっているだけだ。おそらく破壊されたのだろう。

 その近くにはステージのような、木で作られた急ごしらえの建築物があり、ステージ上には赤い首輪をつけた人間が一列に並ばされている。その横でトカゲが大声で叫ぶ。

「はい、五千、五千の次はないか?五千二百、五千五百が出た。五千五百。五千五百。はい五千八百、五千八百、次はないか、五千八百、五千八百、もうないか?はい、それじゃあ、二番の男は五千八百で決まり」

 奴隷のオークションのようである。二人が近づいてみると、多くのトカゲ族の奴隷商人に混じって、人間の奴隷商人もいるようだ。メグマール地方で奴隷制度を認めている国はないはずだが。レイラが思わずつぶやいた。

「人間の奴隷商人がいるなんて信じられない」

 すぐ近くで路上に商品を並べていた貧しい身なりの年老いた露天商が、レイラを見かけるとよろよろと近付いてきて、しわがれた声で言った。

「ナンタルは初めてかね、旅の人。ここじゃ人間の奴隷商人は珍しくないよ。トカゲ族は、主に農園や建設現場で強制労働させる目的で奴隷を買うんだ。だから力の強い男は人気がある。でも女の奴隷は力が弱いからトカゲ族にはあまり人気がない。そのかわり、女の奴隷は人間の奴隷商人に高く売れるらしい。別の目的があるからね。遥か北にあるというザルトバイン帝国は奴隷が合法だから、そこからはるばる奴隷商人がやってくる。アルカナ国でひそかに取引している連中もいるという噂もあるけどな」

「本当か、私はアルカナから来た者だが奴隷は見たことがないぞ」

「わしも、詳しくは知らないんです。単なるうわさかも知れません。それはそうと、何か商品を買って頂けませんか。せっかくの旅のお土産にいかがです」

 道端の薄汚れた赤い布の上に老人が並べたアクセサリーは特に珍しいものではなかったが、老人に対する、というより、ナンタルの町に対する同情心が激しく湧きだしてきて、レイラは一つ買い求めずにはいられなかった。

「ありがとうございます。あなた様の旅が、快適でありますように」

 レイラは掌のアクセサリーを見つめた。ルミアナはそんなレイラの様子を見ていた。

「許せないか」

「ああ、絶対に許せない。必ずこの町の人々を救ってやらなければならない」