翌日、俺たち一行は帰路に就いた。せっかくはるばる西方まで足を運んだのだから、少し寄り道をして、アルカナ西部の町ファーメンの視察を予定していた。
ファーメンは昔から蒸留酒の醸造が盛んで、その芳香と味わいは国内外で高い人気を博している。俺は、こうした特産品の生産を助成して他国との交易を増やしたいと考えているのだ。アルカナには鉱物資源が少ないので、軍事力を強化するためには特産品を開発して輸出し、鉄や銅など金属資源の輸入を増やす必要があるからだ。
アルカナの西端からは、はるか南へ続く広大なリクル山脈が始まり、ファーメンはその山すそにある。山脈には南の海から流れてくる雲を受けて雨が降るため、小さな川が無数に流れている。ファーメンではその清らかな水を利用して酒が作られている。ファーメンはアルカナの最西端の町であり、王都アルカから馬車でも到着までに数日を要する。
馬車の中はこれまでになく微妙な雰囲気が漂っていた。会話がぎこちない。誰も何も言わないが、その理由は俺にはわかっていた。前日の晩にあれだけイモを腹いっぱい食べたのだから、当然、おならが出るに決まっている。しかも狭い馬車の中である。音を出さないように加減しても臭いまでは消せない。そこで、俺が率先して女性の気を楽にすることにした。
「おう、おならが出たぞ。昨日アカイモをあれだけ食べれば、おならが出るのは当たり前だな。みんなも出した方がいいぞ。おならを我慢するとからだに良くない。な、ミック」
「そうですとも。私も朝から十回は放屁してございます。放屁をするとお腹がスッキリいたしますな」
「キャサリンも我慢しなくていいんだぞ」
キャサリンが真っ赤になって怒った。
「何で私に言うのよ、お兄様ったらデリカシーがないんだから。私はおならなんかしませんからね。この臭いはすべてお兄様とミック様の臭いなんですの。お下品ですわ」
ルミアナは澄ましたように言った。
「あら、私はおならなんか気にしませんわ」
「そりゃルミアナはおばさんだからよ。本当は何歳なのかわかったもんじゃないし」
「あら、私は二十歳よ」
「ちょっとお兄様、ルミアナがまたとんでもない嘘をついてますわよ。年齢詐称ですわ」
旅の商人風の荷馬車が、俺たちの乗った馬車の正面からやってきた。背の高い荷台には幌がかけられている。その荷馬車が次第に近づいて来ると、突然、俺たちの馬車の前に突っ込み行く手をふさいだ。同時に荷馬車の幌が跳ね除けられ、中から爬虫類のような顔をした生き物が十人ほど飛び出してきた。トカゲ族の兵士である。全員が剣と盾で武装している。
「うわああ、トカゲ族の襲撃だ! 襲撃だ! 近衛兵」
御者が大声で叫ぶ。前後を進んでいた近衛騎士がすぐに駆け付けたが、馬車を取り囲むトカゲ族の兵士と組み合いになり馬車に近づけない。その隙に残りのトカゲ族の兵士が二名、俺たちの馬車へ小走りに近づくと、怒声を上げながらドアを蹴破った。
「アルカナ国王の命はもらった!シャシャシャシャ」
ところが馬車の中はもぬけの殻である。そう、ルミアナが隠密の魔法によって一行の姿を瞬時に見えなくしたのである。
「なんだ、おかしな臭いはするが、姿は見えぬ。どこへいった! 逃がさんぞ」
トカゲ兵は慌てて後ろを振り返った。その瞬間に馬車の中から目にもとまらぬ速さで剣が突き出され、トカゲ兵の後頭部に深々と刺さった。トカゲ兵は声を出す間もなくその場に崩れ落ちた。血の吹き出す頭部から剣を抜くと、レイラが大きな鋼鉄の盾を構えて馬車からゆっくり歩み出た。もう一人のトカゲ兵が上段から切りかかってきた。
「死ねえええ」
降り下ろされた剣をレイラが盾で受け、左に大きく払うとトカゲ兵は体勢を崩してよろめいた。すかさずレイラはその腹部を横から切り裂く。断末魔の叫びを聞いた他のトカゲ兵が思わず振り返る。その顔には戸惑いの色が見て取れる。
「なんだこの女は。俺たちの硬い鱗の体を簡単に切り裂いてしまうとは、化け物か」
弓を構えた二名の近衛騎士がレイラの加勢に入り、トカゲ兵の横から矢を射る。矢はトカゲ兵の腕と横腹に刺さったが、トカゲ兵はそれらの矢を意図もたやすく抜き捨てるとあざ笑うように言った。
「馬鹿め、お前らの矢が俺たちの鱗の体に通用するとでも思ったか」
トカゲ兵はたちまち近衛騎士に飛び掛かると、素早い身のこなしで剣を振りぬき、弓を持った近衛騎士の腕を切り落とした。近衛騎士が血の吹き出す肩の傷口を押さえながら苦悶の表情で倒れる。トカゲ兵は満足そうに背筋を伸ばすと周囲を見回して次の獲物を探した。
次の瞬間、風を切る音が聞こえ、トカゲ兵の胸に矢が突き刺さった。トカゲ兵は叫びをあげると全身を痙攣させながら前のめりに倒れこんだ。他のトカゲ兵は驚愕のあまり矢の突き刺さった血まみれの死体を凝視した。
「人間の弓矢で俺たちが殺されるなんて、あり得ない。何かおかしいぞ」
「あら、おあいにくさま。私、人間じゃなくてエルフなの」
いつの間にか馬車の屋根の上に立ったルミアナが言った。
「なぜ、こんなところにエルフが・・・なんでもいい、とにかくエルフを殺せ」
馬車に駆け寄るトカゲ兵の前に盾を構えたレイラが立ちはだかった。
「おっと、まずは私を相手してからにしてくれ」
その言葉が終わらないうちに、もう一人のトカゲ兵の眼球に矢が突き刺さり、矢じりが脳まで達して即死すると、体が棒のように後ろへ倒れた。
これを見て、トカゲ兵の固い鱗の体に手こずっていた他の近衛騎士たちも勇気百倍となり、盾を構えてトカゲ兵の逃げ道をふさぐ様に四方から取り囲むと、剣や槍でメッタ突きにし始めた。もともと近衛騎士の数はトカゲ兵の倍以上なので、こうなると戦いは一方的となり、さすがのトカゲ兵も一人また一人と倒されていった。
すべてのトカゲ兵が倒されると、キャサリンが恐る恐る馬車から降りてきた。
「お、おならの臭いで隠れていることがバレるかと思ってドキドキしましたわ」
続いてミックも降りてきた。
「いやはや命拾いしました。さすがは近衛騎士の実力者レイラ様でございますな」
レイラは剣や盾に付いた返り血を布でふき取りながら言った。
「国王陛下も大臣殿もご無事で何よりです。それはそうと、なぜこんなところでジャビ帝国の暗殺隊に遭遇するのか。とても偶然とは考えられない。明らかに我々が来ることを知っていたようだ」
ルミアナが言った。
「これは、内部に裏切り者が居て、情報を流していることは間違いない」
ミックが厳しい表情で言った。
「もちろん、今回のトカゲ兵による国王襲撃の件は貴族会議でも報告いたします。裏切者のいる可能性が公になれば、その者たちもしばらくは大人しくなるかも知れません。厄介なのは黒幕が我が国の有力な貴族だった場合です。確たる証拠もなしにその貴族を非難すれば関係は悪化しますし、下手に処罰すれば内戦にもなりかねません」
俺はトカゲ兵の死体が地面に転がる様子を眺めながら言った。
「そうだな、国家経済が危機的な状況にある今は、内戦など起こしている場合ではない。裏切者が誰なのかを探り出す必要はあるが、仮に裏切者を特定できたとしても、穏便に済ませたいところだ」
ルミアナが自家製のポーションで負傷した近衛騎士の手当をした。強力な止血効果のある薬草で血を止めるだけでも命が救われる。負傷者の傷の手当てを終えると、重傷者は護衛を付けて王都へ返し、残りのメンバーは予定通りファーメンの街を視察することにした。
ファーメンの街に着いたのは三日後の午後のことである。ファーメンの街には城壁がなく高い建物もほとんどないため、広い敷地にゆったりとした街並みが広がって見える。王都と違って小川が流れ、緑の街路樹も多い美しい街だ。南には残雪が眩しいリクル山脈の山々を見渡すことができる。麦畑に広がる緑の小麦も風に揺れている。
街道沿いには醸造所と思われる大きな建物がところどころにある。街の中心部には並木に縁どられた小さな広場があり、人々が集まっている。あらかじめ国王が訪問することを伝えてあったので、町長が歓迎の宴の準備をして待っていた。アルフレッド国王が即位してから街を訪問するのは初めてらしく、地元の食材を使った料理の他、特産の蒸留酒を存分に振舞ってくれるというので楽しみである。
先日のトカゲ兵による襲撃で騎士たちも疲れているだろうから、体力と気力を癒すにはありがたい機会だ。それにレイラもストレスが溜まっているに違いない。馬車の中でも一日中姿勢を正している。気を張り詰めすぎると身体によくない。もっとリラックスして欲しいのだが、性格が真面目過ぎて冗談も通じないほどだから、この機会にお酒を飲んで、仲間ともっと打ち解けて欲しいものだ。
町長によるお決まりの社交辞令の挨拶が終わると、全員のカップにはお酒が注がれた。キャサリンがレイラにゆっくり近づいた。
「レイラは、お酒を飲みますわよね。今日はどんどん飲んで日ごろのストレスを発散させたらいいですわ。私がお手伝いしますわ」
「まあ、どちらかと言えばお酒は好きです。しかし、ちょっと・・・・」
遠慮しているレイラを見て俺は言った。
「いいじゃないか。今日はお酒でも飲んで身体も気分も休めるといい。先日はレイラのおかげで命を救われた。本当に感謝している」
「ありがたいお言葉です陛下。そうさせていただきます」
「アルカナの未来に乾杯!」
レイラはカップのお酒を軽々と飲み干した。それを見たキャサリンがすかさず言った。
「レイラ、すごいですわ、見事な飲みっぷり。給仕の方、レイラにどんどんお酒をお出ししてくださいな。・・・そういえば、レイラが先日のトカゲを撃退した剣技は本当に見事でしたわ。あの固い鱗のトカゲを一刀両断にする技。お兄様に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです・・・」
ルミアナは会場の外れの立ち木に背をもたせかけながら、一人でお酒を飲んでいた。俺はレイラをキャサリンに任せると、宴席を外れてルミアナの方へ歩み寄った。
「先日は本当にありがとう。実に鮮やかな活躍だった」
「どういたしまして」
「ところで、私はジャビ帝国のトカゲ兵を初めて見たのだが、正直驚いた。全身が固い鱗に覆われているんだな。普通の弓矢では歯が立たないし、剣で切り付けても簡単には倒せないだろう。レイラが簡単にトカゲ兵を倒せたのは、彼女が特別だったからだ」
「そうね、普通の兵士がまともに一対一で戦って勝てる相手じゃないでしょうね」
俺は手にしたカップから蒸留酒を一口飲むと、それを味わってからゆっくり言った。
「ところで、ルミアナの弓矢は一撃でトカゲ兵を仕留めていた。エルフの弓矢を人間の弓職人に作らせることはできないだろうか。そうすればかなりの戦力になる」
ルミアナは肩にかけた弓を手に取ると、弦を引いて矢を射るようなマネをして見せた。
「矢は人間にも作れるけど弓は作れないわ。それに作れたとしても、エルフの弓を使うには、わずかだけと魔力が必要なの。普通の人間には魔力が無いから扱うことはできないわ」
「それは残念だな。そうなるとトカゲ族を倒すためには、連中の弱点を見つけてそこを利用するしかないか。トカゲ族の情報がもっとたくさん欲しいな」
「そうね、ロマラン王国の南にあるナンタル王国だけど、そこは最近ジャビ帝国の侵略を受けて国王が殺され、今は属国領にされているわ。だからトカゲ族の総督が本国から派遣されているし、役人も兵士も多数いる。そこなら情報を集めるのに適しているんじゃないかしら」
「そうだな、もし差し支えなければ、ルミアナにナンタルの状況を探ってもらうことはできないだろうか。ナンタルでジャビ帝国の諜報活動ができればありがたい」
「お安い御用です陛下。潜入は私の専門ですからね」
その時、キャサリンが慌ててこっちに走ってきた。
「お兄様たいへん、レイラをリラックスさせようと思ってお酒をどんどん飲ませたら、リラックスを通り越して暴走してしまったの。どうしましょう、お兄様なんとかして」
広場の中央から女性の大声が聞こえてくる。
「町長さん、いいから私の話を聞きなさい!あはははは」
声の主はレイラだった。彼女の顔の赤さは松明の明かりのせいではなく、無茶苦茶に酔っ払っていることが原因だ。町長を捕まえて無理やり話を聞かせている。
「ロマランの国王様って絵が趣味らしいんだけど、その絵が下手糞の何のって、ネコの絵かと思ったらイヌの絵だったんだよ、あははは。それで、その奥さんがまた、性格がきつそうな感じだったから、王様は絶対に尻に敷かれてるタイプなんだわ。外国の偉い人を困らせたらダメでしょ、とか怒られてんだから、あはははは」
ミックが作り笑いを浮かべながら、レイラをなだめている。
「レイラ様、ロマラン国王のことを笑っては失礼ですよ、大切な友好国なんですから」
「それは失礼いたしました、あははは。でもね、ミックがゴマをすって下手糞な犬の絵を褒めたもんだからね、王様が喜んじゃって、アルカナのお城にその絵を飾るハメになったの。でも本当は絵を縁どっていた黄金の額縁が欲しかっただけなんじゃないの?」
「ななな、なんと。そのようなことはございませんよ。あれはアルフレッド陛下のお部屋を飾るのにふさわしい芸術的な絵画です」
なんだよ、邪魔だからって俺の部屋に飾るのかよ。まあいいか。それにしてもレイラの豹変ぶりはすごいな、お酒でタガが外れて一気に感情が爆発した感じだ。かなりストレスを溜め込んでいたに違いない。
「あの、頭が三つある犬の絵をアルフレッド陛下のお部屋に飾るの?それはいいわ、陛下の頭も三つになるかもしれないわね、あははは。町長もぜったい見に来なさいね、あははは、あ、国王陛下、そこにいらしたんですか」
酔っ払いに絡まれると厄介なので、速攻で視線を逸らしたが遅かった。レイラがズカズカとこっちに歩いて来た。
「陛下、なんで視線を逸らすんですか、私が嫌いなんですか。からだがでかくて、剣を振り回す暴力的な女だと思ってるんでしょう」
「いやいやいや、それは誤解だ。頼もしい部下だと思っているし、その剣術は尊敬に値する。その、女性としても素晴らしい人物だと思うよ」
と言ったものの、すでにレイラは俺の話など全然聞いていない。あらぬ方向を見て、一人でしゃべり続けている。
「それでも、先王であるウルフガル様は私を大切にして下さったのれす。ひっく。いつも私の剣技を褒めてくれて、お付きの近衛騎士に取り立ててくださいました。小さい頃から父にしごかれてきた私の努力は報われたのれす。ひっく。なのに・・・なのに・・・なぜウルフガル様はお亡くなりになったのですか。わああ、ウルフガルさまああ」
号泣し始めた。しばらくワアワアと泣いていたが、ふと泣き止むと、今度は俺を見つめてきた。やばい、タダならぬ予感を感じて俺は思わず後ろへ引いた。
「あたしが陛下をウルフガル様のような、屈強の剣士に鍛えて差し上げるのれす。ひっく。それがウルフガル様への恩返し・・・。い、いまから陛下を特訓して差し上げます」
「あ、いや、それはありがたいが、今はちょっと・・・」
「大丈夫れすよ。ひっく。まずは何より身体づくりれす。筋肉強化トレーニング。さあ、いっしょに腕立て伏せやるのれす・・・」
レイラが両腕を広げて迫ってきたので、俺は全力で逃げた。捕まったら腕立て一万回とか、やらされかねない。他の近衛騎士たちがあわててレイラを押さえた。そのすきに、俺は酒樽の影に隠れた。だがレイラは近衛騎士たちを投げ飛ばすと、隠れている俺をみつけて、猛牛のような勢いで走ってきた。
「みーつけた!」
逃げ場はない、ここは反射神経の勝負だ。相手はぐでんぐでんの酔っ払いである。レイラが目の前まで近づいた瞬間に、俺はさっと右に避けた。レイラはまっすぐ酒樽に突っ込み、そのまま両腕で酒樽に抱きついた。
「つかまえたー、ははは」
レイラの腕の中で酒樽がミシミシと音を立て、樽の栓が吹き飛び、詰められているお酒が噴水のように勢いよく噴き出した。あたりにお酒の雨が降り注いだ。
「あれ、まちがえたのれす、ひっく・・・」
まちがえたじゃねえだろ、レイラに捕まったら、また別の世界に転生しかねない。
「あ。陛下、そんなところに・・・捕まえた・・・あはは」
レイラはお酒まみれのまま、俺の方にフラフラと歩み寄ってきたが、五歩ほど歩いてばったり倒れ、そのまま寝てしまった。助かった。
ファーメンのお酒は蒸留酒だからアルコール度数が高い。あんなにガブガブ飲んで全力で走り回れば、さすがのレイラでも、あっという間に酔いが回ってしまう。しかし・・・酔いつぶれて寝ているレイラは意外にかわいいな。トカゲを一刀両断にしている豪快な姿からは、想像もつかないが。
ミックが俺の傍らにやって来て言った。
「国王陛下、・・・レイラ様が寝てしまわれて、すこし残念そうですね」
「な、何を言ってるんだ、何かを期待していたわけないだろ。レイラに追い回されて喜んでなんかいないぞ。ミ、ミックまで俺の事を何か誤解しているんじゃないのか」
レイラが仲間の近衛騎士に担がれて宿屋へ運ばれていくのを見届けると俺は言った。
「ふう、危なかった。まあ、たまには、こういうのもありじゃないか。ちょっとお酒がきつ過ぎたんだ。そのうちレイラもお酒との付き合い方に慣れるよ」
キャサリンが慌てて俺たちに駆け寄ると、やや困惑した表情を浮かべて言った。
「わたくしのせいじゃありませんわ。レイラったらお酒を注いだらすぐに全部飲んじゃうのですわ。途中から『もう飲むな』って言ったのですけど、止まらなくって」
「わかってる。レイラにはもっと肩の力を抜いて欲しいと思っていたから、キャサリンが気を使ってくれて嬉しいよ。今回は失敗したけど、今後もレイラを頼むよ」
「そうよ、わたくしはいつだってお兄様のお役に立つように頑張っていますわ。お兄様はわたくしにもっと感謝していいと思うの。怖い思いもしたけど、こうしてお兄様と旅ができて、とても楽しいですわ」
辺りはすっかり暗くなり、見上げれば満天の星空が広がる。星は驚くほど明るい。転生前の陰鬱な気分が嘘のように感じられた。これが生きているという実感なのか。俺は町長に丁重なお礼を言うと祝宴の席を離れ、宿屋へ向かった。
ロマラン国から戻ると、王国農場にアカイモの植え付けを開始した。アルカナの農場では、冬に小麦の種を蒔いて春に収穫している。春から冬の間は乾燥に強いスイカやかぼちゃなどの作物を植えている。春蒔きの二割ほどでもアカイモに切り替えれば、食料事情はかなり改善するだろう。
「ミック、アカイモの栽培事業はどこまで進んでいる?」
「はい、先日、王国農場の小作農民を集めて、ロマランより招いた技術者からアカイモの栽培法を学習させました。今は、植え付けのための準備を進めております。また、これまで仕事が無かったスラムの人々を新たな小作労働者として採用して、新たな土地にアカイモ専用の畑を開墾させております」
「アカイモは?せた土地でも育つので、まずは焼き畑で十分だろう。農地として整えるのは後でもいい」
「わかりました」
「それと話は変わるが、王立銀行の準備状況はどうだ?」
「はい、王立銀行の建物は城の隣にある王家の別邸を改造して利用いたしますが、すでに内部の工事はほぼ完了しております。巨大な金庫も設置いたしました。また、銀行券の印刷も進んでおります」
「ルミアナに依頼してある銀行券のサンプルを見せてくれないか?」
金貨と違って紙幣は紙に印刷するだけなので偽造されやすい。そこで普通に印刷機で紙幣を印刷したあと、ルミアナに作ってもらった魔法のインクを使って上からさらに王立銀行の紋章を印刷し、光にかざすと紋章がきらめく仕掛けを施した。サンプルを一枚手に取って良く見たが、部屋の明かり程度でも紋章がキラキラと虹色にきらめいて見えた。
「なるほど、これなら偽造はできないだろう。それに幻惑の効果もあって、紙でできたおカネにもかかわらず、とても魅力を感じるな」
「左様でございますね。これで銀行券の準備も問題ありません。ところで、王立銀行の設立は、具体的にどのような手順で始めればよろしいのでしょうか」
「まず、おカネに関する法律を布告する。内容は『これまでの王国の金貨と同様に、王立銀行の銀行券を新たなおカネと定めて、王国がその価値を保証する』というものだ。もちろん、王立銀行において銀行券と金貨は交換が可能だから、価値が保証されていると言える。その代わり、銀行券を使った支払いに応じない場合は罰する」
「なるほど、銀行券を金貨や銀貨と同じように扱いなさい、と法律で定めるわけですね」
「そうだ。それを『法定通貨』と呼ぶ。とはいえ、法律で定めただけでは銀行券を使う人は限られてしまう。だから多くの国民が普通に銀行券を使う環境を作り出す必要がある。王国が率先して銀行券による取引を行なえば、自然に銀行券は世の中に広まってゆく。
そこで注目すべきなのが、王国が販売している穀物だ。王国は王国農場で穀物を生産したり、あるいは税として農民から穀物を徴収している。その量は膨大だ。そして王国はそれらの穀物を市場で売っている。つまり、国内で取引される穀物の大部分は王国政府が販売しているのだ。
そこで、王国政府が小麦などの穀物を売る場合、金貨ではなく銀行券での支払いを求める。そうすれば、多くの人々が銀行券を必要とするようになる。銀行券は王立銀行で金貨や銀貨を預金すれば手に入る。逆に、もし金貨や銀貨が必要なら、銀行券を持ち込めば引き出すことができる」
「なるほど、国民たちに強制的に銀行券を使わせるのではなく、使う必然性があれば自然と使うようになるのですね。そうすれば、国民たちも自発的に金貨を銀行券に交換するようになる。自発的に預金するようになるのですね」
「そうだ。これまでの金貨と同じように、銀行券と引き換えに王国が穀物を売るのだから、銀行券の信用が高まるのは当然だ。しかも銀行券が無ければ穀物が買えない。それでも最初のうちは銀行券を信用しない人もいるだろうから、銀行券を持ったらすぐに王立銀行へ行って金貨を引き出すかもしれない。が、銀行券を使うことに慣れてくれば信用が高まり、いちいち金貨に交換することもなくなる」
「なるほど、信用とは『慣れ』なんですね」
「そうだ。信用とは慣れに基づいている。紙のおカネだから信用がない、金貨だから信用がある、というのは思い込みに過ぎない。使い慣れれば、どんなおカネも信用が生じる。
そして次のステップとしては、王国政府が兵士や使用人に給料として支給している穀物、あるいは城に出入りする職人や商人に支払っている金貨や銀貨を銀行券に変える。つまり王国政府の支払いをすべて銀行券に変える。もちろん、受け取った人は、銀行券が嫌なら王立銀行へ行って即座に金貨に変えればよいだろう。しかし銀行券が金貨と同じように使えるとわかれば、いちいち金貨に変えることはなくなる」
「なるほど、これも慣れですね」
「そうだ。さらに、王国政府が商人などから集めている税金も銀行券で納めさせるようにする。いまは税収の大部分は農民から集める穀物などの現物だ。しかし工業や商業が活発になれば、税の多くがおカネで納められるようになるだろう。だから銀行券で納税させるようにすれば、ますます銀行券の信用が増す」
「よく考えられていますね。しばらくは金貨や銀貨と銀行券は並行して利用するのですか」
「そうだ。慣れるには時間が必要だからな。人々が銀行券を使うことに十分に慣れて、銀行券がおカネだと誰もが信じるようになれば、やがて金貨や銀貨を廃止することが可能になる。私の見てきた異世界では、金貨や銀貨を使う国などなかった」
「よくわかりました。では準備ができ次第、法律を布告することにいたします」
「よろしく頼みます」
ついに念願の王立銀行が稼働する。これで王国政府が財源に困ることは二度と無くなるだろう。これまでのアルカナ王国は、金や銀の産出量が少ないためにおカネの発行が自由に出来なかった。
だが、王立銀行の稼働により、金や銀の産出量に縛られることなく、国家運営に必要なおカネを発行することができるのだ。もちろん金貸し商から王国がおカネを借りる必要もない。王立銀行のおかげで、国家が借金で苦しめられることは二度とないのだ。
長年の敵国であるジャビ帝国の動向を探るため、ジャビ帝国の属国領であるナンタルで秘密裏に情報を収集することにした。今回は隠密行動なので俺は城にとどまり、ルミアナとレイラの二人に行ってもらうことにした。あの二人ならうまくやってくれるに違いない。
―――
ラクダに引かれた馬車が砂漠を南に進んでいた。ルミアナとレイラの二人は商人に成りすました。ルミアナが錬金術師の商人、レイラがその護衛という設定だ。ルミアナはエルフの長い耳を隠すためにフード付きのマントをかぶり、商人のローブを身に着けている。レイラは身分を隠すため近衛騎士のプレートアーマーではなく、戦士用のチェインメイルにプレートのベストを着用している。
ナンタルまではロマランから馬車で二十日ほどの長旅である。砂漠地帯であるため、道中は宿屋が少なく、野宿も強いられる過酷な旅だ。
ロマランから南西の方角へ進むと、両側を険しい山に挟まれた谷に至る。そのあたりは極度に乾燥した岩と礫(れき)ばかりが広がっている。さらにすすむと谷は広がり、やがてシャビ砂漠に至る。砂漠をさらに南西へ十日ほど進むと彼方にリフレ湖が見えてくる。そこまで来れば目的地のナンタルはもうすぐである。
砂漠を見るのが生まれて初めてだったレイラは、最初こそ興味津々に周囲を見渡していたが、十日目を過ぎる頃には熱さに耐え兼ねて荷台に寝転がっているだけの状態になった。
「ねえレイラ、リフレ湖が見えてきたわよ。今日中にはナンタルに着けると思うわ。」
荷台に転がっていたレイラがむっくりと起き上がった。
「え、湖だって、本当? ちょっと湖の水辺に立ち寄らないか。身体が汗でベトベトして耐えられない、湖の水でサッパリと洗いたいんだ」
ルミアナは手綱を捌きながらレイラを振り返った。
「リフレ湖の水は塩水だから、サッパリするどころか、なおさらベトベトになるわよ」
「へえええ、それは残念」
レイラは再び寝転がった。今回は国王のお付きの仕事ではないためか、レイラの会話もリラックスしている。ナンタルは東と南を結ぶ貿易ルートの中継地として栄えてきたオアシス国家だ。文化的には南方圏に属しており、町並みはオリエンタルな雰囲気で、ヤシの木に代表される南国の植物が生い茂っている。街は日干し煉瓦で作られた城壁に囲まれており、街の入り口には小さいながらも塔が立っている。
馬車が城門のところまで来ると、二人のトカゲ族の衛兵が行く手に立ちふさがった。
「止まれ。名前と町に来た目的を言え」
「兵士様、私たちは旅の商人です。私は錬金術師のラルカ、隣が護衛のマスルです。商品はポーションになります。ご覧になりますか?」
ルミアナは荷台の幌をめくりあげ、木製のポーションケースを指さした。衛兵は木の箱を一瞥すると、見下したような態度で高圧的に言った。
「ふん、錬金術師か。まあ、そうだな、この街に入るには税金を払う必要があるんだが」
税金とは作り話であって、明らかに賄賂の要求である。
「はい、もちろんでございます兵士様。こちらで足りますか?」
衛兵は差し出された革袋をひったくるように奪い取ると、中を確かめ、すこし驚いたあとで満足そうな表情を浮かべた。思ったより多かったようだ。
「そうだな、すこし足りないが多めに見てやるとしよう。ほれ、これが二人分の通行許可証だ、街の中では通行証を常に首から下げておくように。では行け」
一行は馬車を進めた。背後では二人の衛兵が賄賂の取り分を巡って言い争いをしているのが聞こえる。ルミアナはそれを気にすることなく涼しげな表情で手綱を操る。大通りの両側には日干し煉瓦で作られた平屋の家々が並ぶ。道沿いにはオアシスの泉から引き込んだ地下水路の上に井戸が点在している。
すれ違う人々の多くは茶色の首輪を付けている。どうやらジャビ帝国の属国となったナンタルの人々は、識別のために首輪を付けられているようだ。皆表情は暗く、うつむいたまま歩いている。道端の建設工事現場では多くの労働者が働いており、おそらく現場監督であろうトカゲ族の男が人々の間を歩き回りながら鞭を鳴らしている。労働者の首輪の色は赤である。赤い色の首輪は奴隷の印なのかもしれない。
「もたもたするな、そこ、煉瓦は一度に六つ運ぶんだ。日暮れまでに運び終わらないと承知しないからな。お前は足場用の丸太を資材置き場から持ってこい」
道には、ナツメヤシの実を山のように積んだ荷車を必死に引く若い奴隷の男と、その前をガニ股で歩く腹の突き出たトカゲの姿があった。運んでいた果物を落として、棒でひどく殴られる少女もいる。ナンタルでは多くの人々がトカゲ族の奴隷に貶められている。
見るに堪えない光景に眉をひそめながらさらに進むと、町の中央と思われる大きな広場に出た。広場からは八方に大通りが伸びており、広場に面して馬車を停める場所と数軒の宿が見える。
馬車を置き場に止めると、ルミアナとレイラは広場に降り立った。広場の中央付近には大きな石の台座があった。おそらく国王のような偉人の石像が立っていたと思われるが、そこに石像はなく、台座の周囲に打ち砕かれた石の残骸が転がっているだけだ。おそらく破壊されたのだろう。
その近くにはステージのような、木で作られた急ごしらえの建築物があり、ステージ上には赤い首輪をつけた人間が一列に並ばされている。その横でトカゲが大声で叫ぶ。
「はい、五千、五千の次はないか?五千二百、五千五百が出た。五千五百。五千五百。はい五千八百、五千八百、次はないか、五千八百、五千八百、もうないか?はい、それじゃあ、二番の男は五千八百で決まり」
奴隷のオークションのようである。二人が近づいてみると、多くのトカゲ族の奴隷商人に混じって、人間の奴隷商人もいるようだ。メグマール地方で奴隷制度を認めている国はないはずだが。レイラが思わずつぶやいた。
「人間の奴隷商人がいるなんて信じられない」
すぐ近くで路上に商品を並べていた貧しい身なりの年老いた露天商が、レイラを見かけるとよろよろと近付いてきて、しわがれた声で言った。
「ナンタルは初めてかね、旅の人。ここじゃ人間の奴隷商人は珍しくないよ。トカゲ族は、主に農園や建設現場で強制労働させる目的で奴隷を買うんだ。だから力の強い男は人気がある。でも女の奴隷は力が弱いからトカゲ族にはあまり人気がない。そのかわり、女の奴隷は人間の奴隷商人に高く売れるらしい。別の目的があるからね。遥か北にあるというザルトバイン帝国は奴隷が合法だから、そこからはるばる奴隷商人がやってくる。アルカナ国でひそかに取引している連中もいるという噂もあるけどな」
「本当か、私はアルカナから来た者だが奴隷は見たことがないぞ」
「わしも、詳しくは知らないんです。単なるうわさかも知れません。それはそうと、何か商品を買って頂けませんか。せっかくの旅のお土産にいかがです」
道端の薄汚れた赤い布の上に老人が並べたアクセサリーは特に珍しいものではなかったが、老人に対する、というより、ナンタルの町に対する同情心が激しく湧きだしてきて、レイラは一つ買い求めずにはいられなかった。
「ありがとうございます。あなた様の旅が、快適でありますように」
レイラは掌のアクセサリーを見つめた。ルミアナはそんなレイラの様子を見ていた。
「許せないか」
「ああ、絶対に許せない。必ずこの町の人々を救ってやらなければならない」
二人は宿屋に入った。宿屋のホールには装飾品が一つもなく、ひび割れた木製のテーブルと椅子が並んでいるだけだ。金目の装飾品はすべて略奪されてしまったのだろう。人間の先客が二組ほど、薄暗い部屋の中で押し黙ったまま食事をしている。
「いらっしゃい」
店主と思しき白髪交じりの男が、店の床を掃きながら愛想よく声をかけた。荒んだ街の状況に気分が落ち込んでいた二人だったが、その威勢の良い声に少し救われた気がした。ルミアナが言った。
「食事と今夜の宿をお願いしたい。ここが気に入ったら何日か泊まろうと思う」
「ありがとうございます。うちはここらじゃ、安くて飯もうまいって評判なんです、必ずお気に召すと思いますよ。一泊130ギル、食事は朝晩で19ギルだ、それでいいかい」
「それでいいわ。まず、お水をいただけないかしら、喉がカラカラなの。」
店の主人が水差しになみなみと注がれた水と木のカップを二つ持ってきた。
「はいよ、好きなだけ飲んでくれ」
レイラが待ちかねたように訊ねた。
「ところで、この宿に風呂とか水浴び場とかはないか」
「身体をタオルで拭くならできるけど、風呂は無いよ。まちなかじゃあ綺麗な水は貴重品だからね、身体を洗い流すほど贅沢な使い方はできないんだ。もし水浴びや洗濯がしたいなら、町の外に大きな川が流れているから、そこでするといい。水は少し濁っているけど、洗濯はみんなその川でしてるからね」
「それはいいな。どうやって行くんだ」
「北門を出てナツメヤシの農園を抜けると、大きな川がリフレ湖に流れ込む河口付近に出る。ただし最近は大きなワニが迷い込んで住みついているらしく、人間を襲うこともあるから注意した方がいい。私なら身体を拭くだけで我慢するけどね」
「ありがとう」
二人がくつろいでいると、突然入口の木製ドアが壊れんばかりに激しく開き、大きな足音を響かせてトカゲ族の一団が入ってきた。おそらく奴隷オークションに参加していた、トカゲ族の奴隷商人だろう。オークションが終わったので、一杯やりに来たといったところか。
トカゲの姿を見ると店の主人は眉をしかめ、そそくさとカウンターの後ろへ戻ってしまった。トカゲが店の奥へと歩いてきた。
「おい、人間、その席は俺たちが座る、どきな」
奥の席に座っている客を無理やりに退かせると、トカゲたちが座った。一人のトカゲが乱暴に足をテーブルの上に投げ出した。別の一人が懐からタバコの様なものを取り出すと、先端に火をつけて吸い込み、上を向いて大量の煙を吐き出した。もう一人が大声で言った。
「おい、おやじ、酒を持ってこい、それと料理だ。肉だぞ、焼き肉を持ってこい。酒はいつものいちばん上等なやつだ、わかってるな」
「へいへい、わかりました。でも旦那、少しはお代をいただきませんと、宿屋が潰れてしまいます。少しでいいんで、なんとかひとつ、お願いできませんか・・・」
トカゲが大口を開けて不愉快そうに言った。
「はあああああ?何を生意気なことを言ってるんだあ。誰のおかげで宿を開いていられると思ってるんだ。宿屋がつぶれるだと? 文句があるなら、今すぐここで潰してやってもいいんだぜ、なあおい」
トカゲ達は顔を見合わせてニタニタ笑っている。宿屋の主人はそれ以上何も言えず、黙って厨房へ入って行った。トカゲの吸っているタバコの煙は独特の臭いがきつく、人間には耐えられないほどだ。それが部屋中に充満してくる。
一人のトカゲが暇そうに周囲を見回し、住民たちは彼らに視線を合わせないよう、うつむいて食事を続けている。レイラは身体も大きく目立つ存在だから、連中の目に留まらないわけがない。
「あんだ? 妙にデカいやつがいるな。・・・おい、見ろよ、こいつ男じゃなくて人間の女だぜ。とても女には見えねえな、ゴリラ女だ、シャシャシャシャ」
周りのトカゲがみんな大声をあげて下品に笑った。
「お前が相手してやれよ。デカい女が好きなんだろ」
「バカいえ、デカけりゃいいってもんじゃねえ。ゴリラ女と寝るくらいならメスワニの方がマシだ。ゴリラは毛が生えているから気持ち悪いんだよ。げえええ」
トカゲたちは前より一段と大声で笑うと、狂ったようにテーブルをバンバン叩いて喜んでいる。レイラの握っているカップがミシッと音を立てた。
「だめよ、挑発に乗ったら。ここで騒ぎを起こしたら、町を追い出されてしまうわ」
「なあにをコソコソ話してるんだ、俺たちにも聞かせてくれよ姉ちゃん、へっへっへん、・・・こいつはゴリラ女とは対照的に痩せたカラダだな」
「本当だ、胸がないじゃねえか。洗濯板だ。洗濯板おんな」
「ゴリラに洗濯板のコンビだとよ、ウヘへへ、こりゃ傑作だな」
ルミアナの顔が引きつっている。ルミアナは決して痩せているわけではないのだが、からだ全体が大きいレイラの隣にいると、誰でもそう見えてしまうのである。たまりかねたルミアナが叫んだ。
「おやじさん! 私たちはもう疲れたから部屋で休むことにするわ。食事はあとで部屋に運んでちょうだい」
「わかりました、ただいまお部屋にご案内します」
「なあんだ、逃げちまうのか、つまらねえな」
「やめとけ、あいつらは旅の商人だ。トラブルになったら後が面倒だ」
二人は二階の部屋に案内された。ベッドと椅子、机以外は何もない部屋だが、広さは十分だった。ヤシの油で満たされたランプに火を灯すと、部屋の中がぼんやりと明るくなった。部屋のドアを閉めるとレイラはベッドの上に腰を掛けてブリブリ怒っている。
「あのトカゲ野郎、町の外で会ったらぶっ殺して皮を剥いで財布にしてやる」
「あまりゆっくりしている暇はないわ。今夜、私は街を調査してジャビ帝国の総督府の場所を探るわ。おそらく昔の宮殿が総督府として利用されていると思う。宮殿の内部も軽く見ておきたい。それと、お願いがあるんだけど、私が偵察に出ている間に馬車から荷物をこの部屋に運んでおいて欲しいの」
「お安い御用だよ。じゃあ、そのあとで私は水浴びに出かけてくるから」
「それはかまわないけど、騒ぎは起こさないでね。私は明け方までには戻るわ」
「気を付けて」
馬車から部屋にすべての荷物を運び入れると、レイラは宿屋の主人に桶とタオルを借りて鼻歌交じりに川へ向かった。つい先ほどトカゲにさんざんバカにされたことはすっかり忘れて、水浴びのことを考えると上機嫌だった。北の門を抜ける際、トカゲ兵に通行許可証の提示を求められたが、すんなり町の外に出られた。
すでに真夜中になっており、川へ向かう通りに人影はない。これなら水浴びしても誰かに見られる心配はなさそうだ。そんなレイラの後ろを、二つの影が物陰に隠れながら歩いている。先ほどの宿にいたトカゲ族の奴隷商人である。夜中に人さらいをしようと企んでいるようだ。
奴隷商人のトカゲ達は、物陰に隠れながらあたりを見回している。一人のトカゲがもう一人に言った。
「夜中に誘拐事件が多発してるってうわさが立ってるから、近頃は家から獲物が出てこないな、誰もいないぜ」
「おい、見ろよ。さっきの宿にいたゴリラ女だ。あれを捕まえるか」
「だめだ、ありゃ戦士だぜ。あの洗濯板の商人の護衛だ。やばいって」
「よく見ろよ。手に桶をもってタオルを首に下げてる。あれはこの先の川で水浴びをするつもりだぜ。まさか剣と鎧を身に着けたまま水浴びするわけがない。剣と鎧さえなければ、所詮は人間の女だ。俺たち二人で襲い掛かれば捕まえられるぜ。それにしても夜中に水浴びをするとは不用心な女だ」
「でもよ、あんなゴリラ女を買うやつがいるのか」
「バカだなお前。だいたい金持ちってのは最終的にゲテモノ食いに行きつくんだよ。美人なんかカネを出せばいくらでもいるから、飽きちまうんだ。おまけに人間の貴族の中には、ああいう強い女に鞭でしばかれたいとかいう変態もいるらしいぞ。あのゴリラは、かなりの掘り出し物だ」
レイラは宿の主人に言われたとおり、ナツメヤシの農園を通る道をまっすぐ北へ歩く。農園を過ぎると視界が開け、広い河口がリフレ湖に広がっていた。空には満月が明るく輝き、その光が湖面を照らして一面にきらきらと輝いている。
「きれい・・・、なんてきれいなの」
レイラは湖面を眺めながら考えた。私は物心が付いた頃から剣術修行に明け暮れ、男仲間に負けまいと日夜をたがわず訓練に打ち込んで、国王のお付きの近衛騎士にまで昇りつめた。確かに成功は納めたけれど、これまでの人生で、この湖を満たす月光のきらめきのような美しさに見とれる瞬間を経験をしたことはなかった。美しさに浸る余裕などなかった。
女の友達も居なければ、ドレスを着たこともない、ダンスも知らない、もちろん、恋なんかできるわけがない。心が揺らいでいる。切ない。おそらく世間から変な目で見られているのだろうな。普通の女性じゃないから。
でも近衛騎士として、私がずっとそばで仕えるアルフレッド陛下なら、こんな私でも、変な目で見ることはないだろう。頼りにしていると言ってくれたし。陛下がもっと私を見てくれたら嬉しいけど、それは無理だ。身分が違いすぎる。でも・・・どうすれば、もっとアルフレッド陛下に近づけるのだろう。
ふと我に返るとレイラはあたりを見回した。誰もいないとは思うが、水浴びの前に念のため確認したのだ。ワニが出るかも知れないとの話は聞いていたが、ワニのことは全然気にしていない。
川岸で鎧と鎧下を脱いで剣と共に足元にきちんと置くと、下着のまま歩いて川の中に入った。レイラは日頃の鍛錬のおかげで筋肉が発達しているが、筋肉だけではなく、皮下脂肪もそれなりに多くて、全体に丸みのある体つきをしていた。
川の水は濁っていたものの真水だったので、からだじゅうに蓄積した塩分を洗い流すには十分だった。砂漠の熱気に焼かれた体には、とても気持ちが良かった。その時、木陰に潜んでいた人影が、川岸に置いた鎧と剣を盗んで行った事にレイラは気付かなかった。
突然、どこかで聞いたことのある笑い声がした。レイラがはっとして振り返ると、川岸に二人のトカゲ族の男が立っていた。月明りに照らし出された顔には見覚えがあった。
「また会ったなゴリラ女。こんな夜中に一人で水浴びするとはいい度胸だ。ご褒美に、俺たちがお前をどこかの貴族の奴隷として売り飛ばしてやるよ」
「抵抗しても痛い目にあうだけだぞ、お前の鎧も剣も奪い取ったからな」
川岸に置いたはずの鎧と剣がなくなっていた。だがレイラにまったく動じる様子はない。両手で身構えながら言った。
「はっ。笑わせるな。捕まえられるものならやってみろ。こっちは剣が無くても戦えるように鍛えられてるんだよ」
「いきがるなよ」
一人のトカゲが飛び込んでくると、レイラの手首をつかんだ。
「ほれ、捕まえた」
レイラはその腕を弾くように振りほどくと逆にその腕を取り、渾身の力を込めて背負い投げでトカゲを投げ飛ばした。トカゲは手足をばたばたさせながら十メートルほど飛んで川岸に頭から突っ込み、悲鳴を上げた。
「このゴリラおんなが、大人しくしやがれ」
もう一人が後ろから両手で掴みかかるが、レイラがそれを体さばきでかわしつつ足を引っかけると、トカゲは勢いあまって前に飛び出し地面に転がった。さすがに闇雲に突っ込んでも無駄だと悟った二人のトカゲは体制を立て直すと、レイラを前後からはさんで、じりじりと間合いを詰めてきた。
掛け声と同時に前後から一斉に飛びかかってきたが、レイラは身体を捩じって前のトカゲの顔面にこぶしを叩きこむと同時に、後ろのトカゲに蹴りを入れる。鉄拳を食らったトカゲが切れた口から血を流しながら叫び声をあげた。
「うおおお、もうカンベンならねえ。奴隷売買の商品だからって手加減したのが間違いだった。ぼこぼこに殴り倒してやる」
トカゲはファイティングポーズでレイラに挑んだが、繰り出すパンチはかすりもせず、すべて軽快にかわされている。さらに、後ろから忍び寄ってきたもう一方のトカゲも、頭を回し蹴りで蹴り飛ばされて地面に転がった。しかし、レイラが蹴りから体勢を立て直す間に、正面のトカゲがボディーブローを繰り出し、パンチがレイラの腹部に深々と突き刺さった。レイラのからだが九の字に曲がった。トカゲがニヤリと笑った。
トカゲは勢いに乗ってそのままレイラの腹部にパンチを連打した。レイラがその場にうずくまった。トカゲは手を止めて肩で激しく呼吸しながら、勝ち誇ったように言い放った。
「へ、ざまあみやがれ。参ったか」
レイラはうずくまった姿勢のまま顔を上げるとニヤッと笑い、全身の筋肉を使って下から突きあげるように拳をトカゲの顎にお見舞いした。強烈なアッパーカットを食らったトカゲは三メートルほど宙に浮くとそのまま川岸に崩れ落ち、動かなくなった。
それを見たもう一人のトカゲは怖気づき、すっかり戦意を喪失したようだ。レイラが肩で息をしながら睨みつけた。トカゲは後ずさりしながら言った。
「わ、ちょっと待て。だから俺はゴリラ・・じゃなくて、あなた様を襲うのはやめた方がいいと言ったんだ。俺はしかたなく・・・・。」
「ゴリラが何だって?」
「いえ、そんなこと言ってません。言ってたのはあそこで伸びている変なヤツです。私はあなた様に思わず見とれてしまいました。あなた様はチャーミングです、グラマーです、絶世の美人です、女神さまです。もうしません、許してください」
レイラがゆっくりトカゲに近づく。しかし不意にレイラの表情が驚きに変わった。
「おい、おまえ、待て、後ろ・・・」
トカゲが、ただならぬ気配に気付いて後ろを振り返ると、巨大なワニが真っ赤な口を開けてトカゲに噛みつこうとした瞬間だった。
「うえええ」
飛び退くのが一瞬遅かった。ワニはトカゲの左ひざ下にガッチリ噛みついた。こうなったら逃げられない。ワニは獲物をずるずると川の中へ引きずり込んでいく。
「うぎゃあああ、た、助けてくれ。あんた助けてくれ、なんでもする、お願いだ」
レイラは一瞬躊躇したが、いくらトカゲとはいえ必死に助けを求める者を見捨てることができる性格ではなかった。全身から気迫をみなぎらせてすぐさまワニに飛びかかると、巨大な胴体の上に馬乗りになり、両手の拳でワニの頭を殴りつけた。
ワニがひるんだ隙にトカゲがほうほうの体(てい)で逃げ出す。この巨大ワニは、宿のおやじが言っていた『人を襲っているワニ』に違いない。なら、殺すしかないだろうと思った。
レイラは素早くワニの後ろに回り込み、尾の先を両手で掴むとワニのからだを高々と振り上げた。振り上げた高さは十メートルになるだろう。ワニを振り上げたレイラのシルエットは輝く湖面を背景に浮かび上がり、巨大なブロンズ像のようだった。
そのままワニを地面に叩きつけると、地響きが起きる。腰を抜かして座り込んでいたトカゲが、ひいっと言って後ずさりする。レイラがそのまま十回ほど巨大ワニを地面に叩きつけるとワニは死んだ。
さすがのレイラも息が切れ、肩で荒い呼吸をしている。せっかく水浴びしたのに、また泥まみれの汗だくになってしまった。
レイラは地面にへたりこんでいるトカゲに向かって言った。
「・・・おまえ」
「はいはいはいはい、なんでございますか、ご主人さま」
「なんでもすると言ったな」
「言いました、言いました。何でしょうか」
「あそこで伸びている相棒と一緒に、奴隷商人はもうやめろ。まあ、お前らが止めても他の奴らがやるだろうがな。だが、奴隷商人はいずれ私が、みんなぶっ殺してやるから、お前はやめた方が身のためだ。せっかく助けたやつを殺す気にはなれない」
「はい、そう致します」
「それと、今夜のことは絶対に誰にも話すな。もし一言でも話したらこのワニと同じようになる。お前の相棒にもよく言い伝えるように」
「もちろんですとも、絶対に話しません。口が裂けても話しません。まあトカゲの口は裂けてますけどね、シャシャシャ」
「それじゃあ、盗んだ剣と鎧を私に返してから、お前の相棒を連れてここから立ち去れ」
相棒を担いでよたよた去ってゆくトカゲのうしろ姿を見ながらレイラは思った。トカゲ族だってすべての連中が悪者とは限らない。ジャビ帝国という弱肉強食の環境が、彼らを傲慢で邪悪な性格に変えているのかも知れない。
いや、あるいは生まれつきの本能がトカゲをそうさせているのだろうか。だとしたら、トカゲ族と人間のどちらか一方が滅び去るまで戦いは続くだろう。それが自然の掟だとしたら悲しいものだ。すでに月は大きく傾き、リフレ湖に沈もうとしている。レイラは血の滲んだからだを、そっと川の水で洗い清めた。
一方、ルミアナは旧宮殿に向かっていた。事前情報によれば、旧宮殿は街の南西にあるというから、おそらく中央広場から南西に向かう大通りを行けばたどり着くに違いない。夜の通りには誰もいない、恐ろしいほど静かだ。
少し行くと、ほどなく宮殿にたどり着いた。宮殿は壁に囲まれており、門には四人ほどの衛兵がいる。門を避け、壁に沿って北側に回り込み、人気の無いことを確認すると壁をよじ登り庭に飛び降りた。敷地には複数の建物があったが、最も大きな建物に忍び寄るとフックを投げ上げて、上に開いている窓から内部へ侵入した。
部屋は吹き抜けになっており大広間のようだ。侵入した窓の近くから梁が部屋の奥へと伸びている。部屋には衛兵が数名巡回している。部屋の奥にはテーブルが置かれており、トカゲの役人たちが食事をしているようだ。夜も更けてきたのでお酒も飲んでいるに違いない。酒に酔うと緊張感が緩み、つい秘密を口走ることもあるし、誰かの悪口やうわさ話を喋ることもある。
ルミアナは姿を消すと、梁の上を伝ってトカゲの役人たちの頭上までやってきた。
「本国じゃあ、奴隷が不足しているらしいぜ。ナンタルからずいぶん連れて行ったんだけどな。あまり連れていくと、ナンタルに誰もいなくなっちまうぞ」
「扱いがひどいから、すぐ死んじまうんだろ。ほどほどに使っていれば長く使えるのに、本国はバカばっかりだから困ったもんだ。この調子だと奴隷を捕まえるために、また戦争を始めることになるんじゃないか」
「戦争で奪うのもいいけど、人間を増やさないと資源が枯渇してしまうだろ。ナンタルに人間養殖場を作って増やしたらいいと思うんだ。使い物になるまでに十年以上必要だから、長期的なビジョンがないとダメだけどな。本国はバカだから無理か」
トカゲの役人たちが大声で笑っている。どうやら本国から派遣されている総督はこの席にいないようだ。おかげでトカゲの下級役人たちは本国の悪口を喋りまくっている。
「そういえば、アルカナ国に新しく即位した王は、相当な変わり者らしい。町中のウンチを集めているんだと。ウンチ殿下というあだ名が付いたらしい」
トカゲたちは酒の満たされたカップを持って、大笑いした。
ふとルミアナが横を見ると、隣の梁の上に誰かが潜んでいる。人間の少年のようだ。どうやら同業者らしい。しばらくすると役人たちは食事を終え、それぞれの自室へと帰り始めた。少年も引き返すようなので、ルミアナは後を付けることにした。
少年は宮殿を出ると物陰に隠れながら中央広場へ向かっていた。中央広場に着くと壊れた石像の台座のところへ歩いて行き、石像の残骸に腰を下ろした。ルミアナは少年に気付かれないように近づくと、背後から声をかけた。
「やあ、こんばんわ」
少年は驚いて座っていた石から転げ落ちてしまった。慌てて起き上がると、すぐにナイフを取り出し身構えた。
「だだだ、誰だおまえは。何者だ」
「たぶん、私はあなたの敵じゃないわ。私も宮殿で役人の話を盗み聞きしていたの、あなたの隣の梁の上でね。私はジャビ帝国から自分の国を守るために、スパイとしてナンタルに派遣されたの。あなたはもしかしてナンタルのレジスタンスなのかしら?」
少年はナイフを仕舞うと、再び石に腰掛けた。
「それは・・・・言えない。言えないけど、お前が敵じゃないことはわかった。それでお前はどこの国のスパイなんだ。絶対に誰にも言わないから教えてくれ」
ルミアナは少し考えていたが、少年の耳元に顔をよせると囁いた。
「アルカナ王国よ」
少年はのけ反ると顔が真っ赤になった。女性に耳元でささやかれたのは、初めてだったようだ。
「わわ、わかったわかった。アルカナ王国だな、お前を信用するよ。そうだな、おいらはその・・・お前の言う通り、ナンタルのレジスタンスなんだ」
「やっぱりね。あなたがナンタルのレジスタンスなら、ジャビ帝国は私たち共通の敵ね。互いに助け合うことができるはずだわ。それで宮殿で何をしていたの?」
「実は、おいらが偵察に出ている間に小隊のアジトがシャビ帝国の警察に踏み込まれて、みんな奴らに捕まっちまったんだ。全部で四人だ。たぶん地下牢に閉じ込められていると思って状況を探ってたんだ。
地下牢への潜入ルートは知ってる。ナンタルは俺たちの街だから、地下のトンネルや下水路も上水道もすべて知ってるんだ。でも、おいらの力だけじゃ何もできない。もちろん他のレジスタンスに助けを求めることはできない。そんなことをすると全体に危険が及んでしまうから。それは掟なんだ。でも、このままだと全員殺されちまう、どうすりゃいいんだ」
「大丈夫、私が仲間を全員助け出してあげるわ」
「本当か? あんたにそんなことができるのか?」
ルミアナが頭からすっぽり被っていたフードを下ろすと、長い耳が露になった。
「うわあ、エルフだ。本物のエルフだ。本物だぜ」
「しー、静かに。だから大丈夫。ただし地下牢への潜入と脱出のルートはあなたが考えてね。決行は明日の夜にしましょう。明日の夜十一時にこの場所で会いましょう」
少年は大きく頷くと、足早に闇の中へ消えていった。
ルミアナは思った。どうやらこれでナンタルのレジスタンスとの協力関係を築けそうだ。それに成功すれば、自分が情報収集のためナンタルに張り付く必要もなくなる。
ルミアナが宿屋の部屋に戻ったのは夜明け前だった。すでに月は沈んでおり、部屋は真っ暗だった。寝ているであろうレイラを起こさないよう忍び足で部屋の中に入ると、真っ暗でよくわからないが、部屋の真ん中に巨大な何かが横たわっていることに気付いた。
どうせレイラのことだから、たぶん寝相がものすごく悪くて、ベッドから落ちて部屋の真ん中まで転がってきたに違いない。ルミアナはそう思った。
「レイラ、そこで寝ているのはレイラなの?」
手で巨体をゆすってみると、血がべっとりと指についた。床も血だらけである。
「大変だわ! レイラ! レイラ! しっかりして」
ルミアナが巨体を揺すった。
「・・・どうかしたの? ルミアナ」
下着姿のレイラがルミアナの背後にボーっと立っている。
「うわああ、出たわ、死んだレイラの幽霊が出たわ、レイラの幽霊」
「ルミアナは何を勘違いしているのだ、私は死んでいない。レイラの触っているのは、私が倒したワニだ。そんな不細工なワニと私を見間違えるなんて、失礼にも程がある」
ルミアナが暗い部屋に目を凝らしてよく見ると、てっきりレイラだと思っていた巨体はベットから落ちて転がってきたレイラではなく、巨大なワニの死体だったのだ。ルミアナは唖然としたが、すぐに我に返るとレイラを問い詰めた。
「レイラ! このワニはどうしたの? 何をやらかしたの? まさか騒ぎになっていないでしょうね」
「あー、それね。川で水浴びしてたら襲い掛かってきたから、私がやっつけたんだ。だって、それ人食いワニらしいよ。だから殺しても問題ないと思う」
「そうじゃなくて、なんで宿屋にワニの死体なんか運んでくるのよ。それだけで騒ぎになるでしょう」
「あっそっか、それはすまない。宿屋のおやじさんにお土産としてあげようと思って運んできたんだ。すごい大物だから、喜んでくれるかもって」
「喜ぶわけないでしょ、こんな巨大なワニの死体を貰ってどうすんのよ」
「えー、・・・じゃあ今から外に捨ててくる」
「だめー、あんた何考えてんのよ。もうすぐ夜明けなのに、こんな血まみれのワニを持って通りを歩いてたら、たちまち人が集まって来て大騒ぎになるわよ。私たちは目立ったらダメなの。もういいわ、後で宿屋のおやじさんに相談してみるから」
「はい、宿屋のおやじですが」
いつの間に現れたのか、背後に宿屋のおやじが立っていた。ルミアナが驚いた。
「うわ、おやじさん、いつの間にいらしたの」
「あれだけ大声で騒いでいたら、普通は様子を見に来ますよ。それにしても巨大なワニですね。よくこんなものドアから入りましたね」
「背骨が粉々になってるから、ふにゃふにゃでした」
「背骨が粉々って・・・どうやって倒したんですか?」
「しっぽを持って地面に十回くらい叩きつけたら動かなくなりました」
「・・・」
絶句している店の主人にルミアナが言った。
「どうします、これ。レイラからのプレゼントだそうです」
店の主人は嫌がるどころか、大変うれしそうだ。
「ワニですか、これはありがとうございます。もちろん食べます。ワニの肉は美味しいですよ。今晩はワニ肉料理にしましょう。皮も適当なサイズにばらして売れば、そこそこおカネになります。助かります」
それを聞いたレイラは喜んだ。
「よかった、おやじさんが喜んでくれて。あ、ワニの頭蓋骨は捨てずにとっておいてくださいね」
「頭蓋骨? いいけど、ワニの頭蓋骨なんて、どうするんだい?」
「ナンタルのお土産として持って帰ります。ワニの頭蓋骨をお土産にあげたら、きっと喜んでくれると思います」
「そ、そうかい。それは良かった。いったい誰にあげるんだい」
「それは秘密です」
レイラはとても嬉しそうに言った。宿屋の主人が自室に引き返すと、ルミアナとレイラは睡眠を取って次の日の行動に備えた。
ルミアナが目覚めるとすでに夕方になっていた。部屋はきれいに片付けられており、床の血もなくなっていた。寝ている間に店の主人が掃除してくれたようだ。レイラは大人しく部屋の椅子に座っている。ルミアナがベッドから起き上がると、レイラが声をかけた。
「昨日はどうだった? ジャビ帝国の総督府は見つかったのか?」
「ええ、予想通り旧宮殿の中にあったわ。昨日はあまり奥まで入り込めなかったけど、トカゲ族の下っ端役人たちの話を盗み聞きしたわ。それによるとジャビ帝国の本国で奴隷の労働力が不足し始めたらしい。近いうちに奴隷狩りのための戦争を始めるかもしれないわね」
「そうなのか、それは危険だな」
ルミアナはレイラの傍に寄ると、小声で耳打ちした。
「それと、総督府に潜んでいたナンタルのレジスタンスの少年に偶然会った」
驚いたレイラがルミアナの顔を見た。ルミアナは続けた。
「その少年の話によると、少年の所属するレジスタンス小隊四名がジャビ帝国に捕らえられて地下牢に閉じ込められているらしい。私はそれを今夜救出するつもりなの」
「え、騒ぎになったら、活動に支障が出るんじゃないのか」
「確かにそうだけど、ここでナンタルのレジスタンス組織と協力関係を築ければ、私たちが諜報活動をしなくても情報が入手できるようになるわ。その方がはるかに効率的」
「確かにそれは言える。ナンタルに来るだけでも汗だくで一苦労だからな」
「それに、あなたがこの町にいるだけで遅かれ早かれ騒ぎになりそうな予感がする。ワニじゃなくて、今度は別のモノが部屋に転がっていることになりそうだから」
「な、なんて失礼な、私を何だと思ってるのまったく。ルミアナなんか嫌いだ」
「ごめん、ほんの冗談よ」
「で、何時に出かけるの? 私はどうすればいい?」
「そうね、今回は完全な隠密行動だからレイラは部屋で待っていてくれればいいわ。出発は今夜の十一時、さっき話した少年と待ち合わせて地下牢に潜入するわ」
「気を付けてね」
夕食に宿屋のおやじが料理してくれたワニ肉の唐揚げを食べて一休みすると、ルミアナは少年へのお土産にワニ肉の唐揚げを三個ほど持って外に出た。待ち合わせ場所の広場に人影はなく、少年は台座の横にある石の残骸に腰掛けて退屈そうに待っていた。
「ワニ肉の唐揚げがあるけど、食べない?」
「え、食べる、食べるよありがとう。ずっと肉なんか食べていないから、すごく嬉しいよ。それに、ワニを獲るのは危険だから、ワニ肉は滅多に食べられないんだ、この肉は露店に売ってたのかい?」
「いや、私の相棒の女剣士が獲ったんだ。・・・素手で殴り殺した」
少年は食べかけの唐揚げを地面に落としてしまったが、あわてて拾いなおした。
「・・・素手でワニを叩き殺すって、すげーな。その姉ちゃん人間じゃねえぜ」
「ところで、あなたはどうしてレジスタンスをやっているの?」
「あ、おいらの名前はアズハル・サイードってんだ。おいら、もともと親も兄弟も居ない、みなしごで、ずっと路上で生活してた。だからレジスタンスに入る前は、生きていくためにスリやコソ泥をやってたんだ。捕まってしょっちゅう殴られてた」
「それは大変だったわね」
「そうさ、辛いことばかりだった。そしてこんどは、ジャビ帝国の奴らが攻めてきた。ナンタルの王様は殺され、街は略奪され、たくさんの人が奴隷として連れ去られたもんだから、スリも泥棒もできなくなっちまった。おいらもこの街から逃げようかと思ったけど、考え直してレジスタンスに入ることにした。レジスタンスで活躍すれば、みんなおいらのことを見直してくれるかも知れないって思ったんだ」
「そう、それは良い考えだと思うわ。私も協力してあげる」
「ありがとう、エルフの姉ちゃん」
「それじゃあ、そろそろみんなを助け出しに行きましょうか」
総督府の地下牢には下水路を伝って潜入することになった。下水路は町の外に出口がある。下水路に入ると、少年が先導し、ルミアナがそのすぐ後ろに続く。
下水路の中はほとんど暗闇で、小さなオイルランプ一つでは二、三メートル先の様子を知ることしかできない。まして下水路は迷路のように張り巡らされており、案内が無ければ目的地にたどり着くことなど絶対に不可能だ。臭いもひどい。
あちこち曲がりくねりながら、しばらく先へ進むと、天井に明かりが見えてきた。天井には格子がはめこまれている。先導する少年がランプを消した。
「ここは拷問道具や断頭台のある部屋だよ。人間の首やからだを切ると大量の血が出るから、それらを洗い流すために下水道が繋がってるわけ。今は真夜中だから部屋には誰もいないと思う」
少年が周囲を警戒しながら慎重に格子を押し上げ、二人は拷問部屋に出た。部屋には明かりが無くほとんど真っ暗だったが、廊下の向こうにある松明の明かりが壁に反射して、わずかに様子がわかる。部屋に扉はなかった。
ルミアナは隠密の魔法を使って二人の姿を消した。拷問部屋から廊下に出ると、少年が左を指さした。左へ進んで突き当りまで来ると通路が左右にある。右の通路の先には扉があり、壁には松明が燃えている。トカゲの見張りが扉の前に一人立っている。あそこが監獄の番人たちの詰め所だという。今は真夜中なので、扉の見張りを除いて多くは眠っているだろう。まず、あそこの連中をすべて黙らせてから牢の鍵を盗み出し、囚われているレジスタンスのメンバーを救出することにした。
ルミアナは少年にその場に留まるように合図した後、マスクのようなもので口を覆い、姿を消したまま見張りに忍び寄った。後ろに回り込んで眠り薬を染み込ませた布でトカゲの口を覆うと、トカゲはすぐに意識を失い眠ってしまった。見張りの体を静かに横に寝かせると、意識を取り戻さないよう、薬を染み込ませた布をその顔にかぶせた。
扉を開けて部屋の中に忍び込むと、六人程のトカゲがベッドに横たわっていた。それぞれのトカゲの口元に薬を染み込ませた布を置いた。これで当分の間は目覚めることが無いだろう。部屋を見回すと、壁に牢の鍵と思しき鍵束が下がっているのを見つけ、素早く奪い取ると部屋を出た。
少年のところへ戻り、左の通路を進むと両側に鉄格子の檻がならんでいるのが見えた。牢の見張りは二名。二人同時に眠らせることは難しいので、可哀そうだが死んでもらうことにした。
ルミアナが素早い動きで矢を二本放つと、ほとんど同時に二人のトカゲの頭部に命中した。それを見た少年は目を丸くして驚いた。自分の手で口を押えていなければ大声を上げていたところだ。監獄には牢が六つあったが、幸いなことに捕えられていたのはレジスタンスのメンバーだけだった。つまり部外者に見られる心配はない。
「しっ、声を出さないで、助けに来たわ」
いくつか鍵を試すと檻の扉が開いた。あとは来た道を引き返すだけだ。一行は無言のまま静かに通路を引き返した。
先ほど眠らせた見張りはそのまま眠っている。あたりは静まり返っており、今のところ脱獄に気付かれた気配はない。拷問部屋から下水路に降りると、出口へ向かって歩いた。水音だけが水路に響き渡る。しばらくすると後ろから複数の水音が近づいてきた。追手が来たようだ。一行は歩を早め出口へ急いだ。
出口が見えてきたが何か様子がおかしい。下水路の出口あたりに複数の松明の明かりが見える。挟み撃ちか。ルミアナが舌打ちした。罠に嵌められたのだ。ルミアナだけなら逃げることもできるだろうが、レジスタンスのメンバーは殺されてしまうだろう。出口付近にいたトカゲ達が一行に気付くと、松明をかざしながらこちらへ進んできた。
「おやまあ、これはレジスタンスの皆様。まんまと罠に嵌っていただきましたな。お仲間を助けにきたところを一網打尽というシナリオ通り。それにしても助けに来たのは二人だけですか、しかも女と子供。人間というのは冷たいですねえ。では監獄に連れ戻すのも面倒ですので、ここで全員に死んでいただきましょうか」
トカゲの衛兵が剣を抜いた。その時、下水路の出口の方で大きな悲鳴があがった。
「おい、何事だ」
「た、隊長、敵襲です。何者かがいきなり突進してきて、次々に衛兵が切り殺されてます。あまりの強さに手が付けられません」
「うろたえるな、レジスタンスか、何人いる」
「一人ですが、恐ろしく強いです。あれは人間じゃありません、逃げましょう。やばいです。うわ来た。ば、化け物が・・・助け、うぎゃあああ」
上半身と下半身が別々になった死体がトカゲの守備隊長の足元に崩れ落ちた。
「き、貴様は何者だ」
「私はアルカナ国のレイラだあ」
あちゃーとルミアナは思った。秘密任務だってのに、堂々と本名を名乗っちまった、しかも国名まで。レイラは隠し事のできない性格だから、秘密任務など不可能なのだ。幸いなことに、混乱に乗じてレジスタンスのメンバーは逃げおおせたようだ。こうなったら口封じのためトカゲには全員死んでもらうしかない。
「レイラ! 一人も逃がすな」
「おお。承知した」
レイラがトカゲの守備隊長を頭から一刀両断に切り捨てると、たちまちトカゲ達は大混乱に陥って逃げ始めた。レイラの横をすり抜けて出口から逃げようとしたトカゲ達は、レイラが横に振り回した大剣に胴体を二つに切られて水の中に倒れ、出口まで到達した者もルミアナの弓矢で頭部を射抜かれ、汚水と共にリフレ湖に流れていった。
下水路の奥に逃げたトカゲも次々にレイラに切り殺され、戦いはすぐに終わった。東の空が白み始めていた。レジスタンスのメンバーの姿はとうの昔にどこかへ消えていて影も形もない。まあ、そのうち会えるだろう。
ルミアナが言った。
「ありがとう、助かったよ。でも、なぜここにいると分かったの?」
「私が部屋で静かに待っていられるわけないだろ。直ぐに後を付けて下水道の出口を見張ってたんだ。そしたら案の定、トカゲ兵たちが集まってきた。どう、見直した?」
「見直したわよ。それはそうと、これ、洗わないとダメね」
二人の装備は血だらけだった。仲良く川へ洗濯に行くことにした。
二人が宿の部屋へ戻ると朝食がテーブルの上に準備してあった。宿の主人は二人が訳ありの人物だと薄々気付いているはずだが、幸い、黙ってくれているようだ。朝食を食べ終わると二人ともベッドの上で死んだように眠った。また夜になった。
二人はレジスタンスのメンバーを探すことにした。アズハルが座っていた中央広場の壊れた石像のところへやって来ると、二人で石に腰を下ろした。思った通り、しばらくするとアズハルが暗闇の中を小走りに近づいてきた。
「エルフの姉ちゃん、昨日はありがとう」
「どういたしまして。私のことはラルカと呼んでね、偽名だけど」
「それと、剣士の姉ちゃんもありがとう。ワニを素手で殺したっていうから、化け物みたいな恐ろしい人かと思ったけど、普通の人で安心したよ」
レイラがむっとしてルミアナを振り返った。
「ルミアナ、いらないことは言わなくていいの。変な噂が立ったら困るでしょ」
「いいじゃないの、本当のことを教えただけなんだから。いっそのこと『ワニ殺しの女』って二つ名で呼びましょうか。ワニ殺しの女って、かっこいいわよ。強そうだし」
「いやだ。そんな凶悪犯みたいな二つ名は嬉しくない」
「じゃあ、何て呼んだらいいの?」
「そうね、戦いの女神と呼びなさい。戦いの女神がいい」
「だめよ、あなたはマスルってことになってるんだから」
「いやだ。マスルってそのまんま筋肉って名前じゃないの」
二人は少年に案内されて、彼の仲間であるレジスタンスの小隊と会うことになった。町の東の端に近い、民家が立ち並ぶ一角にやってくると、家々に囲まれた水汲み用の井戸の蓋を開け、そこからアジトである地下室に入ることができた。
地下では四人の男たちが待っていた。
「ようこそおいで下さいました。私はアブラヒムです、このレジスタンス小隊の隊長を務めております。今回は救出していただいて、本当にありがとうございました。改めてお礼を申し上げます」
ルミアナが言った。
「初めまして、私はラルカ、彼女はマスルです。今は偽名しか言えませんが、私たちはアルカナ王国のスパイとしてナンタルの偵察に来ました。ジャビ帝国に対抗するために情報を集めるつもりです。もし可能であれば、あなたがたナンタルのレジスタンスと協力関係を築きたいと考えています。情報を提供していただければ、見返りに資金や補給物資の支援を約束しましょう」
「ありがたいお申し出です。ただ、私たちは実行部隊の一小隊に過ぎません。ですからこれは本部に報告して本部で決めていただくことになります。もちろん本部の場所はお教えできません。ですが、まず間違いなく本部から了承されると思います。今後は私たちが窓口となるでしょう。連絡員は、このアズハルにやってもらおうと思います」
「よろしくね、アズハル」
「へへへ、よろしくな」
アブラヒムは陶器の瓶を取り上げると言った。
「お二人には、ほんのお礼代わりにヤシ酒を用意しました。甘くて美味しいですよ。今夜はヤシ酒を飲みながら、親睦を深めることにいたしましょう」
レイラが少し困惑したように言った。
「お酒ですか。お酒は嫌いではないのですが、ちょっと・・・」
「まあまあ、少しだけならいいでしょう」
二人が床に敷かれた絨毯の上に座ると、男たちが小さいグラスにお酒を注ぎ、手渡した。ルミアナは一口飲んでから言った。
「よろしければ、トカゲ族について少し教えていただきたいのです。トカゲ族の体は固い鱗に覆われていて倒すことが難しい上に、兵士の数も多いと聞いています。ですから、正面から戦っても不利でしょう。弱点を探り出さないと、厳しい戦いを強いられることになると考えています。トカゲ族の弱点に関する情報はありますか?」
「そうですね、致命的な弱点は今のところ見つかっていません。強いて言えば寒さに弱く、寒いと動きが鈍るので、彼らは冬季の戦争を避けるようです。アルカナ国あたりは雪こそ降りませんが、冬はそこそこ寒いですから、冬の間は攻めて来ないかもしれませんね」
「春は要注意ということですね、もしトカゲ族と戦うなら、冬に戦えと」
「そうです。それとトカゲ族は非常に好戦的な生き物で、仲間内でも主導権を巡って常に争っています。彼らの社会は弱肉強食で下剋上ですから、相手を貶めたり裏切ったりすることが日常茶飯事のようです。我々としては、そうした彼らの性格を利用できないものかと、情報を集めています」
「なるほど、敵対関係を利用して同士討ちをさせるわけね」
「我々の情報網はジャビ帝国の本国にも及んでいます。ジャビ帝国では人間の奴隷が数多く働かされていますので、奴隷を装いスパイ活動を行う者も多数おります」
「それはすばらしい。アルカナ国としても、その情報はぜひ欲しいですね」
ふとレイラを見ると、いつの間にか左手に酒瓶を持って手酌状態になっている。すでに、かなり酔っ払っているようだ。お酒を飲むと別人のように良く喋る。レジスタンスの男たちを前にして何やら自慢話をしている。
「ナンタルに着いた時は、何日も風呂に入っていなくて体中が汗でベトベトだったの。それで、すごく臭くて気持ち悪かったから、このまえの晩、鎧をぜんぶ脱いで川で水浴びしてたの。すごく気持ちよかった」
男たちが全員、身を乗り出してきた。
「水浴び・・・」
「そしたら突然、トカゲ族の奴隷商人が二人、私を奴隷にしようと襲い掛かってきたんだ。私が裸だから、簡単に捕まえられると思ったらしい。そのうちの一人が私の腕をつかんで、力づくで組み伏せようとしてきた」
「う、腕をつまれて組み伏せだと・・・そのあと、どうなったんだ」
「そいつの腕を取って、投げ飛ばしてやったんだ、あはは」
男たちは腰を下ろした。
「さすがはアルカナの戦士だね。たいしたものだ」
「それほどじゃないよ。そのあと、もう一人のトカゲ野郎が私の後ろからガバッと抱きついてきたんだ」
男たちが再び身を乗り出してきた。
「ガバっと、抱きついてきただと・・・そ、それからどうしたんだ」
「顔面に足蹴りを食らわせてやったわ。それでも懲りずに襲ってきたから、鉄拳であごの骨を砕いてやったら動かなくなった、あははは」
男たちが後ずさった。
「そ、そりゃすさまじいな・・・」
「よく考えたら、その奴隷商人たちは前の日に宿屋で会っていたんだ。そのとき私を指さして、こいつはゴリラ女だとか抜かしやがったんだ。失礼よね、私のどこがゴリラ女だっていうの、ほんと失礼なんだから。そう思わない?」
「いやあ、私もそう思いますね、とんでもない野郎です。失礼というか、命知らずというか・・・」
「・・・命知らず? 命知らずとはどういう意味よ? 私ってそんなに危険に見えるの? ねえ、ハッキリ言いなさいよ」
男たちが瞬間的に壁際まで後ずさりした。
こうしてナンタルのレジスタンスを通じた諜報網を確保することができた。
諜報機関は極めて重要だ。諜報活動は軍事力に匹敵するほどの力を持つ。とりわけ兵力で劣る小国が生き残るためには敵の弱点を調べてそこを突いたり、あるいは敵に先んじて有利な戦場で待ち受けたり、奇襲をかけたり、そうした戦略が重要になる。
あるいは嘘情報を流布して敵国の世論を操作し、混乱を招き、政治に干渉することで経済を衰退させ、破壊工作を行うことで、戦う前に勝つこともできる。諜報活動が勝敗を決めると言っても過言ではない。
諜報機関の存在しない国家は、国を守ることなど不可能である。しかし俺が転生前に住んでいた日本という国は諜報機関が存在しないお花畑国家だった。アルカナをそんな国家にするわけにはいかないのである。