リーマンショックで社会の底辺に落ちたオレが、国王に転生した異世界で、経済の知識を活かして富国強兵する、冒険コメディ

 アルカナの国王が突然の病から復帰し、まるで生まれ変わったように意欲的に内政に取り組んでいるとの噂は、王国の貴族のみならず、すでに周辺諸国にも届いていた。そのため周辺の国々が次々に使者を派遣してきた。快気のお祝いという名目だが、実際はこちらの内情を探るためである。国王が何を考えているのか、危険はないか、それを知りたいのは当然である。

「イシル公国を代表して国王陛下の快気を心からお祝い申し上げます。ところで陛下は病から復帰されるとすぐに、これまでにない新しい政策に取り掛かっておられると聞きます。何をされようとしておられるのでしょうか」

「よくぞ聞いて下さいました。まず、遥か昔の時代、アルカナの王都に流れていたであろう大河『アルカナ川』を復活させます。そのためにエニマ川から水を引き入れます」

 使者は驚いた顔で言った。

「なんと、太古の大河を王都に復活させるのですか・・・」

「そうです。昔のアルカナはその大河の恵みによって今よりも栄えておりました。その大河を復活させ、農地を潤し、収穫量を大幅に増加させる計画です」

「・・・それはまた、途方もない計画ですな。ご成功をお祈りいたします。ところで聞いたところによりますと、陛下は王都中の糞尿を熱心に集めていらっしゃるとのお話でしたが」

「いかにも。王都中から糞尿を集めて農場の一角でたい肥を作り、糞尿を利用して作物を育てる計画です」

 使者は怪訝な顔をして言った。

「人間の糞尿で作物を育てるのですか・・・」

「そうです。今は行き場のない糞尿が王都に溢れておりますが、それらを肥料として利用すれば農作物の育ちが良くなるだけでなく、街が衛生的になります。ぜひ、イシル国にもおすすめしたいと思います。もしよろしければ、たい肥を作っている現場を、これからご案内いたしましょうか」

 使者はひきつった愛想笑いを浮かべながら首を振った。

「・・・いえいえ、大変ありがたいお話ですが、なにぶん忙しいもので」

「そうですか、それは残念です。ご要望があれば、すぐに仰ってください」

「わかりました。本日は陛下から貴重なお話を伺うことができ、誠にありがとうございました。それではご機嫌うるわしゅう陛下、失礼いたします」

 使者は妙な顔をして、そそくさと帰って行った。

 それまでのアルフレッド国王の評判と言えば、頼りないお坊ちゃまというものだったが、最近は「ほら吹き大王」「糞尿殿下」というあだ名で呼ばれているらしい。言いたい放題である。それはそうと、これからは内政だけではなく外交にも力を入れなければならないだろう。そこで、アルカナが対処すべき周辺諸国についてミックに話を聞いてみることにした。

「アルカナの周辺諸国について教えてくれないか」

「承知いたしました。アルカナ王国の周辺には多数の国が存在しており、東にはエニマ川が流れるエニマ王国、北方には森の都イシル公国、北東にはネムル王国があります。アルカナ王国を含むこの四か国一帯はメグマール地方と呼ばれております。歴史的に申しますと、この地域に住む人々は、ほぼ同時期に北から南下して定住した文化的に近い存在と言われており、昔から互いに関係が深いのです」

「なるほど。それらの諸国との関係は良好なのか」

「おおむね良好と申せましょう。先王ウルフガル様の時代に、メグマール地方が南方のジャビ帝国に侵略されたことがございます。その際には、それらの諸国が団結してジャビ帝国を退けた歴史がございます。ただ時代が変わりましたので、昔ほどの関係はございません」

「そのジャビ帝国というのは、どんな国なんだ」

「ジャビ帝国というのはトカゲ族の帝国です。遥か南の地にあります。ここからのルートで申しますと、まずアルカナの西の高原地帯にありますロマラン王国へ行き、そこから南西に山岳地帯を通り、ナンタル国を超え、さらにジャビ砂漠を抜けた先にジャビ帝国がございます。非常に好戦的な国家で、周辺の人間族の国々を属国として従えております」

「それは厄介だな。その国の軍事力はアルカナより強いのか」

「それはもう、アルカナの五倍以上の兵力を有しております。ですから我が国が単独で戦えば勝ち目はありません」

「そうなると周辺諸国との協力関係が不可欠というわけだ」

「左様です。しかしその協力関係が盤石とは言えません。我々の協力関係が弱まれば、そこをジャビ帝国に突かれることになりかねません」

「いろいろ教えてくれてありがとう。これからは外交政策にもっと力を入れることにするよ。まず手始めに、エニマ王国を訪問したいと思う。なぜなら、エニマ川の河川工事の件で、ハロルド・ランス国王に直接面会して承諾を得る必要があるからだ」

「しかし陛下、わざわざ出向くまでもなく使節を派遣して交渉すれば済む話では」

「そうかも知れないが、一刻も早く工事を始めなければならないので、あまり時間をかけていられない。こちらから出向くことで誠意を見せ、確実に工事の了解を得る必要がある」

「承知いたしました。それではエニマ王国に使節を送って、陛下の訪問を申し入れます」

ーーー

 十日後にエニマから使者が戻り、ハロルド国王との面会の承諾が得られた。キャサリンも行きたいと言って騒いでいたが、今回は失敗の許されない交渉なので、さすがに外してもらった。同行者は総務大臣のミック、ルミアナ、そして護衛の近衛騎士である。

 エニマへ向かう馬車には、レイラ・クレイという名の女性近衛騎士が同席していた。レイラは国王のお付きである。お付きとは、常に国王のすぐそばに控える役割の兵である。レイラの装備は、銀色に光る近衛騎士専用の特注プレートアーマーである。鎧のフォルムは女性らしい体形を反映して丸みを帯びているが、二メートルの長身である上に、どっしりした体格をしており、すさまじい威圧感がある。

 体格がすごい割には、顔はどことなく幼さも残る可愛らしい顔立ちだった。しかし表情は緊張感で引きつっている。膝の上に板金の羽飾りが付いたヘルメットをのせている。 

 レイラは、盾による固い防御術と並外れた剣術を持つ近衛騎士の若手実力者で、仲間内からは『鋼鉄の女騎士』と呼ばれているらしい。その男勝りな立ち回りから、先王ウルフガルに大変可愛がられていたらしい。先王は武芸で鳴らした達人であり、レイラはそんな王をまた大変尊敬していたという。なんと理想的な主従関係ではないか。

 それに比べて新しい国王、すなわちアルフレッドは軟弱な性格で、武芸も人並以下だったらしい。おまけに転生前の俺も剣や盾など触ったことすらない。・・・これはまずい予感がする。「部下との相性が最悪のパターン」ではないか。

 にもかかわらず、まさに今、エニマへ向かう馬車の中では、俺の向かい合わせの席に女近衛騎士のレイラが不動の姿勢で座っている。体の前で立てた長剣の柄を両手で押さえながら、背筋を真っすぐ伸ばして前方、つまり俺の方を向いている。

 ・・・気まずい。馬車の同乗者はレイラと総務大臣のミック、エルフのルミアナの合計四人である。ここは女性同士でルミアナとレイラが仲良く話をしてほしいところなのだが、ルミアナは地蔵のように黙り込んでいる。ルミアナはマイペースな性格なので、空気は全然読んでくれない。さすがにたまりかねたミックが口を開いた。

「レイラ様、王室にはスイーツを作る有名な料理人がおりまして、それはもう、城内のご婦人方に大変な人気がございます。一度でも食べれば、その気品にあふれた豊かな味わいに、誰もが魅了されてしまいます。

 それで、その調理人が近いうちに城内のご婦人方を集めて、ティーパーティーを催されるとのことです。もしご興味があれば、パーティーのお席をご用意いたしましょう。ところでレイラ様は、どのようなスイーツがお好きですか?」

「スイーツのごとき軟弱な食べ物は食べません」

「そ、それは失礼いたしました。スイーツが軟弱な食べ物とは・・・では、レイラ様はどのような食べ物がお好みなのですか」

「骨付き肉です。骨付き肉にまるごと噛みつくのが最高の瞬間です」

「ほ、骨付き肉のまるかじりですか、・・・ははは、それはまた野性的ですな」

「大臣殿、私は日々鍛錬して全身の筋肉を鍛えております。筋肉を作るためには肉、ひたすら肉あるのみです。もし骨付き肉を食えるティーパーティーがあれば、喜んで出席させていただいきます」

「それは、もはやティーパーティーではございません。野蛮人の宴会です。それにしても、スイーツより骨付き肉の方がよろしいと、肉を食って鍛錬すると・・・まさしく近衛騎士の鏡のような、ストイックな方でございますな。ご立派です、あははは」

 話し終えると、たちまち二人は黙り込んだ。・・・か、会話が続かない。またしても車輪の転がる音だけが車中に響く。ルミアナは寝ている。懲りずにミックが再び口を開いた。

「あー、そういえば、もうじきレイラ様のお誕生日でございましたな。お誕生日には陛下からプレゼントを頂けると思いますよ。欲しいものがあれば、陛下にお願いしてみてはいかがですか。そうですね、お履き物などいかがでしょう。レイラ様は普段、どのようなお履き物をお召しになられますか?」

「鉄下駄(てつげた)です」

「てっ、鉄下駄ですか。それはまた、すごいものをお召しですね」

「お褒め頂きありがとうございます。鉄下駄を普段から履くことで、足腰を鍛えることができます。より体を鍛えたい気分の時には、さらに鋼鉄の鎖を全身に巻いています」

「こ、鋼鉄の鎖を全身に・・・」

「それと、外出時のアクセサリーとして足に鉄球を付けることもあります」

 鉄球ってアクセサリーだったのか。それにしても全身に鎖を巻き付けて、鉄球を引きずって歩いてるとはすごいな。どう見ても凶悪犯罪者にしか見えないだろ。

 レイラは話を続けた。

「また、鉄下駄や鉄球は、いざとなれば凶器としても使えますので、外出の際には護身用に重宝しております。おかげで痴漢のたぐいもまったく近寄ってきません」

 そりゃあ、全身に鎖を巻いて鉄下駄を履いている凶悪犯罪者みたいな女に近づく痴漢なんかいるわけないだろ。ほとんど自殺行為だ。

 さすがにレイラは『鋼鉄の女騎士』と呼ばれるだけあって、性格の方も鋼鉄並みにガチガチに固い。真面目の上に馬鹿が付くほどだ。国王の手前、極度に緊張しているのかもしれないが、このままだとちょっと心配だな。

 馬車はやがてエニマ川の渡し場に到着した。ここで渡し舟の待ち合わせをするのである。エニマ川は大河であり、下流での川幅は乾季でも五百メートル以上あるため、川は船で渡ることになる。渡し場はエニマ国の王都エニマライズへ向かう商人や旅人でごった返している。やがて船着き場の近くから、男たちの言い争う声が聞こえてきた。

 どうやら桟橋でトラブルが発生しているようだ。
「お客様、順番を守っていただかないと困ります」

「うるせえクソじじい!俺たちを誰だと思っているんだ。エニマ国の大貴族、スペンサー様の私兵隊だぞ。その俺たちが先に乗せろと言っているんだ。つべこべ抜かすな」

 これだから特権階級は嫌いなんだ。俺たちは馬車のドアを開けて外に出ると、船着き場の方へ近づいた。五、六人の武装した私兵が船頭を取り囲み、怒鳴りつけている。

 その様子を見たミックが、私兵たちに毅然として言った。

「おやめなさい。貴族の私兵ともあろう方々が、見苦しいと思わないのですか。我々も大人しく順番を待っているのですよ」

「はあ? 何を偉そうに、誰だお前らは?」

「我々は、アルカナ国の国王アルフレッド様の一行である」

 男たちは顔を見合わせると、大声で笑った。

「こいつは面白い。昔は大国だったが、今じゃすっかり落ちぶれちまったアルカナ王国の国王ご一行様かよ。それでエニマ国に何の用だ? カネが欲しくて頭でも下げに来たのか」

「おのれ言わせておけば・・・」

 ミックを押さえてレイラが前に歩み出た。

「まあ待て。アルカナ王国が本当に落ちぶれたかどうか、私の剣で試してみるがよい。それとも、エニマ国の私兵とやらは、口先だけの腰抜けな連中か?」

「何だと、抜かしやがったな! 上等だ。スペンサー私兵隊隊長、ジョージ様がじきじきに相手をしてやる。もしお前が勝ったなら、俺たちは大人しく引き下がろうじゃないか。もし、俺が勝ったら・・・」

 ジョージはイヤらしい笑みを浮かべて言った。

「すっぱだかになって、首輪を付けて俺たちの犬になってもらおう。はは、どうだ?」

 レイラは軽蔑したような目でジョージを睨みつけた。

「ふん、ゲス野郎らしい下品な要求だな。上等だ、受けてやる」

 他の私兵の男たちはニヤニヤ笑っている。

「は、馬鹿な女だな。腕前にすこしは自信がありそうだが、女だてらに、エニマ国の武術大会での優勝経験もあるジョージ隊長に勝てると思っているのか」

「うへへ、あの身の程知らずの女を、裸にひん剥いてやるのが楽しみだぜ」

 船着き場の前では、剣を構える二人を人々が丸く取り囲んだ。レイラは銀色に光る近衛騎士のプレートアーマーに身を包み、鋼鉄のタワーシ―ルドと長剣を構える。一方のジョージはえんじ色のブリダンガインにチェインメール、ウッドシールドに長剣といった装備である。レイラは防御力に重点を置き、ジョージは動きやすさに配慮した装備だ。

 ジョージは考えた。相手は所詮女だ。いくら鍛えてあるとはいえ、腕力で男に勝てるはずがない。ここは正面からの連打で押し込んで叩き伏せ、身の程を知らない生意気な女に、男の腕力がどれ程のものか思い知らせてやろう。先手必勝だ。

「じゃあ、俺から行くぜ」

 ジョージはレイラの正面から全力で突っ込むと、上段から渾身の力を込めて剣を叩きつけた。しかし、剣を受けるレイラのタワーシールドは微動だにしない。ジョージはさらに激しく何度も打ち続けた。しかし、並みの男ならバランスを崩してもおかしくない程の剣の衝撃を、レイラはいともたやすく受け止めている。

 ジョージは思った。さすがに国王の警護をするだけあって、それなりに鍛えられているようだ。とはいえ、相手はプレートアーマーにタワーシールドという重装備だ。あの装備は男ですら持て余すほどの重さがある。まして相手は女である。まともに動けるはずがない。左右に揺さぶれば隙が生まれるはずだ。

 ジョージは回り込みながら、レイラをめがけて続けざまに剣を打ち込む。しかしレイラはタワーシールドを軽々と操り、すばやく打ち込まれる剣先をすべて受けとめる。右からも、左からも回り込むが、まったく隙がない。

 ジョージは驚いた。こいつはとんでもない筋力と反射神経を持っている。本当に女なのか? しかし焦ることはない。あんな重装備で激しく動けば、屈強な戦士でもすぐに体力を使い果たす。ここは受けに回って、相手の体力を消耗させることが得策だ。

 ジョージが挑発的な態度でレイラに言った。

「は、なんだお前。俺の打ち込みに堪えるのが精一杯で、手も足も出ないってか? 降参するなら今のうちだぞ」

「ならば、こちらから行かせてもらう」

 そういうが早いか、レイラはジョージに向かって猛烈なダッシュで踏み込むと、上段から思い切り剣を振り下ろした。その速さに不意を突かれたジョージは、かろうじてウッドシールドでレイラの剣を受け止めたものの、あまりの衝撃に姿勢を崩しそうになった。レイラは休むことなく左右から続けて剣を打ち込んだ。ジョージは防戦一方である。

 ジョージは焦ってきた。なんて馬鹿力なんだ。これは受け止めるだけで精一杯で、カウンターを狙うどころではないぞ。まあいい、こんな勢いで剣を振り回せば、すぐにスタミナ切れで動きが鈍るはずだ。
 
 しかしレイラの剣に鈍る様子はまったく見られない。それどころか、ジョージはじりじりと後ろへ押され続けている。私兵たちが唖然とした表情でレイラを見ている。

「あのジョージ隊長が押されているぞ。どうなってるんだ」

「おい、隊長の盾が・・・」

 レイラが繰り出す激しい連打の威力によって、ジョージの盾がゆがんでいる。そして次のレイラの一撃で盾がジョージの手から叩き落され、バラバラに割れて木片が飛び散った。

 ジョージは頭が真っ白になった。まさか盾が割られてしまうとは。これはまずい、片手剣一本であの怪力女の剣は止められない。もちろん負けを認めることなど絶対にできない。こうなりゃ手段は選べない。

 ジョージは足元の砂をつかむと、レイラの剣を避けて横に飛びながら、レイラの顔をめがけて砂を投げ付けた。ヘルメットの隙間から砂粒がレイラの目に入った。

「うあ」

 ジョージは腰を落としたレイラの横から小手を狙って打ち込み、レイラの剣を地面に叩き落した。ジョージはレイラの剣を足で蹴って向こうへ弾き飛ばすと、激しく肩で息をしながら剣を構えなおし、勝ち誇ったように言った。

「馬鹿め、俺は実戦を重視してるんでな。こういう戦闘にも慣れておいた方がいいぞ。さあ、剣なしでどうするんだ? あ?」

「卑怯者め・・・」

 レイラは立ち上がると、タワーシールドを体の正面に構えたまま、猛牛のようにジョージに向かって突進した。

「うおおお」

 意表を突かれたジョージだったが、とっさに右に避けて難を逃れた・・・かに見えた。しかし、レイラのタワーシールドが、まるで全力で振り下ろされた巨大なハンマーのような勢いで、ジョージの体に横から叩きつけられた。ジョージの体は衝撃で空中に放り上げられ、九の字に曲がったまま、船着き場の浮き桟橋の向こうの川に落下し、大きな水柱が上がった。私兵の男たちは茫然とその様子を見ていた。

「アルカナには、こんな化け物のような女騎士がいるのか・・・」

 レイラはジョージの体が飛んで行った方向を確認した後、叩き落とされた自分の剣の近くまでゆっくり歩いてゆき、剣を拾い上げると私兵たちに向き直り、再び戦闘態勢で身構えた。

「さあ、次は誰が相手になるんだ?」

「いえいえ、もう結構です。約束通り、我々は順番に並びます」

 レイラは私兵たちに言った。

「たとえ貴族であろうと不正は絶対に見過ごさない。間違いは正され、正義はなされなければならない。たとえ地獄の果てであろうと、悪を追い詰めて倒す。それを行うことが、アルカナ王国の騎士たる私の使命である」

 周りを取り囲んで行方を見守っていた人々から、拍手が沸き起こった。レイラが剣を挙げて人々に応える。

 いやー、レイラは惚れ惚れするほど素晴らしいな。まさしく絵にかいたような正義漢だ。とはいえ、真面目過ぎて融通が利かないんじゃないかと心配だ。間違ってレイラにセクハラ発言でもしようものなら、頭から真っ二つにされちまうかも知れないぞ。おそろしや。レイラの性格を少し柔らかくしてやらないと・・・。

 一行の馬車は無事にエニマ川を渡ると、エニマライズへと急いだ。
 エニマ国の王都に近づくと、一面に広がる小麦畑が現れた。エニマ川の下流域に広がる大穀倉地帯である。この地域で生産される豊かな農産物により、エニマ国の人口は順調に増加しており、近年はアルカナを凌ぐ国力をもっている。ただし夏になるとエニマ川はしばしば氾濫を起こし、付近の畑や家屋を押し流してしまうことが悩みの種である。

 ミックはレイラのご機嫌を取ることを諦めたようだ。しばらく無言のまま馬車に揺られていたが、ふと思い出したように俺に言った。

「国王様、エニマ国内で我が国に対する不信の声が広がっているそうでございます。なんでも、エニマ川から水を引き入れる工事の影響でエニマ川の水が枯れ、農地が干上がってしまうとの噂があるとか。酷い話になりますと、アルカナ国がエニマ国を弱体化するために、エニマ川の水を奪うことを目論んでいるとの陰謀論まであるそうです」

「それは困ったものだ。エニマ川の水の一部分を分けてもらうだけなのだから、エニマ側に深刻な影響はないはずなんだがな。しかし、そのような間違った噂をこのまま放置すれば、両国関係が危機的な状況に陥る危険性もあるな」

「それにしても、そもそもエニマ川の上流域はアルカナの領地なのですから、我々にもエニマ川の水を利用する権利はあるはずです。とはいえ、彼らにとってエニマ川の水を取られるのは心情的に良くないのでしょう」

 エニマ国の王都エニマライズは、エニマ川の氾濫を避けるために河口の平野を見下ろす丘陵に作られている。馬車は石畳のゆるやかな坂道をのぼり、王都に入った。エニマ国はアルカナと違って木材資源が豊かなため、木造の建物が多い。いかにも中世ヨーロッパ風の街並みが続く。

 街のところどころに、赤地に獅子の姿をあしらった旗が見られる。

「ミック、あの赤い旗はエニマ国の国旗なのか?」

「いえ、そうではありません。メグマール帝国を意味する旗です」

「メグマール帝国?そんな国があるのか」

「ございません。しかしエニマ国内では近年、エニマ国を宗主国とする、メグマール地方の四か国を統一した大帝国の建国を希求する者たちが増えているとのことでございます。おそらく、それらの支持者が勝手に旗を作り、掲げているのではないかと思われます」

「ハロルド国王は黙って見過ごしているのか」

「わかりません。しかし近年エニマ国が力を増すにつれて、メグマール地方の統一国家樹立に賛同する貴族や民衆は着実に増えており、そうした声を強権的に封じれば、国内情勢が不安定化する恐れもあるのでしょう」

 力を増せば他者を支配しようとする欲望が生まれる。そして侵略戦争。今も昔も人間の行動パターンは何も変わらないのだ。

 馬車は王都エニマライズの大通りを北へ進み、まもなく城に到着した。

 一行は謁見の間に入った。ハロルド国王が玉座に座り、家臣達がその左右に控えて待っている。マルコム皇太子も同席しているようだ。アルカナ国に関する良からぬ噂が流れているせいか、大臣たちの目には疑念の色が見て取れる。俺はゆっくりハロルド国王の前に進み出ると、うやうやしくお辞儀をした。

「これはハロルド国王陛下、お初にお目にかかります。わたくしはアルカナ国の国王、アルフレッド・グレンでございます。亡き父、ウルフガルには懇意にしていただいたと聞いております。父に代わり厚く御礼申し上げます。この度は拝謁を賜り、恐悦至極に存じます。よろしくお見知りおきください」

 ハロルド国王は、にこやかな表情で言った。

「アルフレッド殿、どうぞ面を上げられよ。わがエニマとアルカナは長年にわたり親密な関係にあり、アルカナは我が国の最も大切な友人である。先王のウルフガルが他界されたことは、まことに悲しい出来事であった。しかしアルフレッド殿のような若くて聡明な王が即位され、アルカナも安泰であろう。それにしても、アルフレッド殿が病で倒れられたとの噂を聞き心配しておったのだが、もうお身体は大丈夫なのか」

「はい、お陰様で以前にもまして力がみなぎっております。ところで本日は、国王様にお願いがあって参りました」

 ハロルド国王の表情が厳しくなった。家臣たちも耳を澄ませている。ハロルド国王が低いトーンでゆっくりと言った。

「家臣からすでに話は聞いておるが、エニマ川の河川工事の件であろう」

「左様でございます。我が国は食料が不足しており、国民の生活が苦しいばかりでなく、食べるもののない貧民が王都のスラムに大勢おります。王国の農場は広大ですが、水が不足しているために十分な収穫が確保できないのです。そこで我が国の北部を流れるエニマ川から水を引き、食料を増産する計画を立案いたしました。

 とはいえ、エニマ川はアルカナ国とエニマ国にまたがって流れておりますので、我々の一存ですべてを決めるのはいささか乱暴だと思いました。そこで河川工事の承諾をハロルド国王からいただきたいと考えております」

「国民を救いたいとのアルフレッド殿のお考えはよく理解できる。しかし貴国がエニマ川から取水することにより我が国が損害を受けるようでは困るのだ。本当にその心配はないのだろうか」

「ご安心ください。エニマ川の水量は膨大です。そのうち二割程度の水を頂くだけですから大きな問題が生じることはないはずです。またこの計画はエニマ国にも利益をもたらします。それはエニマ川の氾濫を防ぐことです。夏になるとエニマ川の水位が大きく上昇しますが、その際に、アルカナ側へ水を流すことで氾濫を防ぐことができるのです」

 ハロルド国王は腕を組んだ。

「なるほど、我が国もエニマ川の氾濫には手を焼いているからな」

「もちろんこの計画を了承いただけるのであれば、我が国はその恩を末代まで忘れることはございません。貴国が困難に直面した際には、必ずや、我がアルカナ国が万難を排して駆け付けます。なにとぞお願い申し上げます」

 その場の雰囲気が了承に傾いてきたと感じられたその時、皇太子のマルコム王子が言った。

「お待ちください父上。アルカナ国王のたっての願いとはいえ、エニマ川は我が国の生命線ともいえる重要な河川です。エニマ川の上流に水門を作られてしまえば、アルカナ国に我が国の命運を握られてしまうようなもの。失礼ながらアルフレッド殿が国王に成られてから日も浅く、そこまで信用して良いのでしょうか」

 その場がざわつき始めた。多くの家臣たちに迷いがあるようだ。ハロルド国王はしばらく黙って広間を見渡していたが、ふとルミアナに目が留まったようだ。

「おお、そこの者。そなたは、もしやエルフではないか。エルフ族の話を聞いたことはあるが、これまで本物のエルフに会ったことはない。もう少し近くに来てはくれぬか」

 ルミアナが目で俺に了解を求めてきたので頷いた。ルミアナは俺の隣に進み出ると、ハロルド国王にひざまずいた。

「お目にかかり光栄に存じます。いかにも、わたくしはエルフ族の女、名前をルミアナと申します。縁あってアルフレッド国王にお仕えしております」

 ハロルド国王は玉座から身を乗り出し興奮気味に言った。

「おお、やはりエルフであったか。すばらしい、伝説の話ではなく本当に実在していたのだな。なるほど噂にたがわぬ美しい容姿だ。エルフの国というのはあるのか」

「はい。ここからはるか西にございます。アルカナ王国の西にはロマラン王国があり、その北西にはザルトバイン帝国がございます。そのザルトバイン帝国からさらに西に幾つか国を超えたところにございます」

「なんと遠い所よのう。ところでエルフ族は弓の名手であり、人間にはない様々な特殊能力や知識を持つという。そして人格的にも高貴であり、プライドが高く、人間に仕えるようなことはないと聞く。そのエルフがなぜアルフレッド殿に仕えておるのだ」

「ある出来事がきっかけでございます。私は長いこと冒険者として世界各地を旅しておりました。そして最近アルカナ国に立ち寄ったのでございます。その折、アルカナ国のスラムの人々が飢えに苦しむ様を見かねて、市場で食料を盗んではスラムの子供たちに配っていたのでございます。それがある時、ついに王国の兵士にばれてしまい、取り押さえられたのです。偶然そこを通りかかったアルフレッド王は、そうした私の行いを許して下さいました。お前が悪いのではなく、貧しい我が国が悪いのだと頭を下げられたのです。

 このような王を見たのは、私の長い人生において初めてのことでした。そしてアルフレッド王から、この国を誰も飢えで苦しむことのない幸福な国に変えたいのだと聞かされ、力を貸してほしいと頼まれたのです。その時に私は誓ったのです、この王を支え、誰も飢えることのない幸福な国を実現すると」

 確かに事実かも知れないが、ここまで歯が浮くような美談として語られると、俺は内心かなり恥ずかしくなった。つい反射的に頭を掻きそうになったが必死にこらえた。

「そうか、アルフレッド殿はそこまで決心されておられるのか」

 しばらく間をおいて、ハロルド国王が俺に言った。

「分かった、エルフの心をここまで掴んだそなたに、嘘偽りはあるまい。エニマ川からの取水を許そう。ただしエニマ川の水量が減って我が国に損害が生じないよう、十分に配慮していただきたい。それと、氾濫対策も頼みますぞ」

「ありがとうございます。この命に代えて、お約束いたします」

 俺はハロルド国王に丁重にお礼の言葉を述べると城を後にした。
 アルカナ国の一行が城を離れたあと、謁見の間にはハロルド国王とマルコム皇太子が残っていた。皇太子は不満だった。苛立ちを隠そうともせず、ハロルドにぶちまけた。

「父上、なぜあそこまで隣国を信用するのですか?」

 ハロルド国王は、また始まったかという表情でため息をついて言った。

「お前も知っておろう。我々にはシャビ帝国という強大な敵がいる。あのような強国に一国で立ち向かうことはできぬ。我々のような小国は団結せねばならんのじゃ」

 皇太子は興奮して語気を強めた。

「父上は団結だの友情だのと言うが、考えが甘すぎる。そんな約束はどうなるかわからないじゃないか。そんなものに頼るのではなく、我が国がこのメグマール地方を統一し、シャビ帝国に対抗する強大な国家になるべきだ。我が国にはその力がある」

「それも確かに一つの方法だろう。だが世界はそんな単純なものではない。状況は常に変化する。自然環境一つとっても雨の多い年が続くときもあれば、干ばつの続くときもある。疫病が流行することもある。氾濫が起きるかも知れんし、火山が噴火することもある。環境が変われば、それまで強かった国が弱くなり、弱い国が強くなることもある。なぜなら、それぞれの国には他国にはないそれぞれの強みがあるからだ。

 多くの国が協力し合えば、仮に一つの国が弱っても別のところが強くなり、互いに支えあうことができる。もしすべての国が統一されて一つの国になってしまえば、誰もカバーしてくれない。弱体化すれば、おしまいなのじゃ」

「しかし父上、環境の変化に応じて常に正しい選択をするならば、我が国が弱体化することはございません。むしろ帝国のようにすべての権力を集中し、正しい選択を国家の隅々にまで徹底する方が、遥かに強大な力を発揮できます」

「もちろん常に完全に正しい判断で国を運営することができれば、お前の言う通りかもしれん。しかし誰であろうと完全に間違いない政治を行うことはできん、間違えて失敗する時が必ずある。もし一つの統一国家であれば、その失敗の影響はその国家全体に広がり、その地域全体が弱体化することになるのだ」

「・・・わかりました父上。今回は父上のご判断に従います」

 マルコム皇太子は、どこか軽蔑したような表情を浮かべて、足早に謁見の間を後にした。

―――

 城を出たマルコムが向かった先は、エニマ軍の施設だった。強固な石造りの建物の壁にはエニマ国の国旗と共に、赤地に獅子の姿をあしらった旗が下げられている。マルコムは石の階段を足早に上ると、両側に衛兵の立つ立派な扉を開け、部屋に入った。

 部屋にはエニマ国の大将軍ジーン・ローガンが待っていた。

「マルコム殿下、アルカナの国王との会見はいかがでしたか」

「ああ。腰抜けの父は、アルカナ王国の河川工事計画を承諾した。あんな剣もろくに使えない軟弱なアルフレッド国王の要望など、突っぱねれば良いものを」

「まったく殿下の仰せの通りにございます。エニマ川の上流を押さえられてしまえば、アルカナの軍門に下るようなもの。今のエニマ国は昔のエニマ国とは違います。我が軍の兵力はアルカナ軍を遥かに上回っております。何を恐れることがありましょう」

「まったくだ。二言目には団結、団結というが、そのために相手国の顔色を見ていては、成すべきこともできないではないか。真の平和のためには、メグマール地方を統一した大帝国が必要なのだ。そして、その中心こそ、エニマ国なのだ」

「その通りでございます。街の様子をご覧になりましたか。メグマール帝国を意味する赤地に獅子の旗が、エニマ国の旗と共に多くの家々に掲げられています。今やエニマ国の国民の多くもメグマールの統一を望んでおります。エニマ国による統一は国民の願いでもあるのです」

「大将軍ジーンよ」

「はっ」

「時が来たなら、私は覚悟を決めるつもりだ。その時には頼んだぞ」

「はっ、地獄の果てまでマルコム殿下にお仕えいたします」

 ーーー

 俺が城に戻ると、ジェイソンが待っていた。

「これは陛下、アルカナ川の工事の件でエニマ国へ訪問されていたそうで、お疲れ様でございました。エニマ国側の反応はいかがでしたか」

「ありがとう、おかげさまで成功だった。ハロルド国王が工事を承諾してくれたことで、心置きなく工事を進めることができる」

「それは大変喜ばしいことです。そうそう、河川工事にお役立ていただきたいと思い、本日は我が領地から馬を十頭お届けに参りました。城内の厩舎に繋いでおりますので、どうぞお使いください」

「それはありがたい。資金協力の件といい、ジェイソン殿には本当に感謝申し上げます」

「いえいえ、私が王国から受けている恩義に比べれば安いものでございます。ところでエニマ国に続いてロマラン国を訪問されてはいかがですか。陛下がご即位されてからまだ一度もロマランを訪問されていないと存じますが。交通の要衝でもありますし、早めに関係を深められては」

「確かにおっしゃる通りかも知れませんね。さっそく準備させます」

「お聞き入れいただきありがとうございます。それではこれで失礼させていただきます」

 ジェイソンは慇懃無礼(いんぎんぶれい)でいけ好かない男だが、いまのところとても協力的だ。本当は何を考えているのかわからないが、今は使えるものは何でも使い、一刻も早くアルカナ川を復活させなければならない。
 エニマ国の了解を得たので、俺はいよいよアルカナ川の工事に着手すべく、工事現場を視察することにした。そして治水工事の技師、警護の近衛騎士らと共にエニマ川の川岸を上流へと向かっていた。エニマ川が丘陵地帯の谷から出て流れが緩やかになるあたりまで川岸を遡って来ると、治水工事の技師が川を指さしながら言った。

「国王様、このあたりから取水すれば、深く掘り下げなくとも古い川筋に向かって水を導けるかと存じます。新たな水路の建設距離はおおむね五キロメートル、それと場所によっては古い川筋の川底を少し削る必要があるでしょう。なお、夏になりますと川の水量が増加しますので、水門にはかなりの強度が必要になると思われます。気を付けませんと水門が壊れて、エニマ川全体がこちら側へ流れ込んでくる危険性もあります。そうなると大惨事です」

「わかった。水門の設計は十分に時間をかけて万全を期して欲しい。まずは古い川筋に水を引っ張るための水路の掘削工事を先行させよう」

 俺は額に手をかざしつつ、馬上からゆっくりと周囲を見渡してみた。このあたりの土地は荒れており、地面は大小の丸い石で覆われている。掘削にはかなり苦労するだろう。スラムに集まっている人々を工事の労働者として採用するつもりだが、肉体労働の可能な若い男性でなければ役に立たないだろう。それでもおそらく二千人程度の労働力は調達できるはずだ。食料不足で痩せた人が多いので、どの程度の労働力になるか不安はある。

 キャサリンが周りを見渡しながら言った。

「なんて荒れた土地なんでしょう、悲しくなりますわね。・・・この不毛な大地を眺めているうちに、わたくし、無性に歌を歌いたくなりましたわ」

「歌だって? 何の歌だい」

「不毛の大地がよみがえることを願う歌、『豊穣の歌』ですわ」

 歌で不毛の大地がよみがえるわけないのだが、ああ見えてキャサリンは意外とセンチメンタルなのかもしれない。ここはキャサリンに気持ちよく歌ってもらうのが良いだろう。

「そうかそうか、それは実にすばらしいな。キャサリンの歌声で不毛な大地が蘇るよう、心を込めて歌ってくれ」

「そうしますわ」

 キャサリンが大きな声でゆっくりと歌い始めた。

 これが『豊穣の歌か』・・・うっ、なんとも、すさまじい音痴だ。不毛の大地が蘇るどころか死滅するではないか。どうしてこんな音痴が今まで放置されてきたんだ? ああそうか、お姫様だから、キャサリンの歌を止める奴が誰もいなかったんだな。むしろ「お嬢様は歌がお上手ですね」などと無責任におだてるものだから、本人はますます間違った自信をつけてしまったのだろう。

 しばらくすると歌い終わったのでホッとした。しかし今度は二番を歌い始めた。

「キャサリン、この歌は何番まであるんだ?」

「十番までありますわ」

 あと九番も聞かされるのかよ。これはもはや拷問じゃないのか。いや精神攻撃だ。自主規制音が必要だ。・・・うおお、頭がおかしくなる・・・。その時、ふいに近衛騎士の一人が前方の丘を指さして叫んだ。

「おい、あれは何だ」

 丘の上から巨大な生き物が十数匹、こちらへ向かって進んでくるのが見える。見た目はサイに似ているが、背丈は像ほどもある巨大な生き物だ。俺を防護するため近衛騎士が盾を構えて前方に隊列を組んだが、その顔に焦りの色がにじむ。

 それを見たキャサリンの歌が止まった。

「なな、なによ、何が現れたの?あんな化け物、わたくしが呼んだんじゃないわ。わたくしの歌のせいじゃないですからね」

 いや、あの歌声を聞いたらモンスターでも発狂するだろう。何しろ魔女が殺人音波を発していると勘違いされても文句は言えないレベルだ。モンスターがキャサリンの歌を止めに来たにちがいない。

 そんなバカを言っている場合ではない。あれほど巨大な獣に突進されれば、どれほど屈強な兵士が完全武装していたとしても弾き飛ばされてしまう。俺も恐ろしくなってきた。治水工事の技師たちが悲鳴を上げながら逃げ出した。ミックが馬で駆け寄ってきて言った。

「国王様、あれはブラックライノです。人前に姿を見せるのは稀なのですが、あれは凶暴で危険な猛獣です。お逃げください。この場は近衛騎士が引き受けます。近衛騎士!国王様が無事に逃げるまで時間を稼ぐのです」

「お兄様、早く逃げましょう」

 一行は緊張に包まれた。その時、ブラックライノの群れとは別の方角から、一匹のブラックライノが猛烈な勢いで走ってきた。よく見ると背中に小さな人影が見える。激しく揺れる背中から振り落とされまいと、必死にブラックライノの背中に生えている体毛を両手で握っている。その頭上には小鳥が円を描きながらついて来る。

「まってみんなー、待ちなさーい、止まりなさーい」

 その人影が高い声で叫んだ。どうやら少女のようである。その声を聞くとブラックライノの群れは立ち止まり、一斉に少女の方を向いた。少女は一行の近くまで来ると獣の背中から地面へ飛び降り、こちらに走ってくる。敵意はなさそうだ。

 少女は、ゆったりした作りの地味な茶色いワンピースを着て、腰のあたりをロープで結んでいる。頭にネコ耳の付いたフードを被り、とてもかわいらしい顔の女の子だ。

「おーい、驚かせてごめんなさーい。もう大丈夫ですよー」

 息を切らせて俺の前まで走ってきた少女は言った。

「こんにちは、私はナッピーって言うの。あなた達は誰?どこから来たの?」

 俺は馬を降り、少女に近づいた。

「私はアルフレッド・グレン。アルカナ国の国王だ」

「へえーすごい、アルカナの国王様なんだ。初めまして。でも、どうして国王様たちがこんな場所に来たの。ピクニックなのかな。でも、このあたりはブラックライノの縄張りだから不用意に近づくのはあぶないよ。ナッピーが止めなきゃ、今頃たいへんなことになってたと思うよ」

 見るからに子供といった風貌の小さな少女である。そんな彼女が巨大なブラックライノたちの群れを止めたのは驚きだった。

「ありがとう、お嬢ちゃんに助けられたよ。でも、お嬢ちゃんはどうやってブラックライノたちを止めたの?」

 少女は少し恥ずかしそうに答えた。

「ナッピーって呼んでいいよ、王様。ナッピーは動物とお話ができるの。なぜかっていうとね、私がハーフリングだからだって、みんなが言うの。人間とは違うんだって。ナッピーたちは、この川の上流の大きな森の中に住んでいるの。みんなは森からめったに出ないけど、私は元気だから森から時々出て遊んでいるの」

 この子が小人族ハーフリングか。ということは、どこから見ても子供に見えるが、これでも大人に違いない。俺は言った。

「動物とお話ができるなんてすごい能力だね、感心したよ。私がこの場所を訪れた理由は、あそこに流れるエニマ川から水路を作ってアルカナ王国の都に水を流すためなんだ。都では水が足りなくて作物が育たず、多くの人が食料不足で苦しんでいる。だから、エニマ川から水をわけてもらおうと思っている」

 少女はからだを左右にねじりながら言った。

「ふーん、王様たちは食べ物が不足しているのね。そういえばブラックライノたちも、このあたりは土地が痩せているから食料になる植物が少なくて困っているの。王都の近くに生えている草木を食べてもいいって約束すれば、水路を作るのを彼らが手伝ってくれるんじゃないかな。ナッピーが聞いてみようか」

 これは願ってもない申し出だ。食料不足でやせ細ったスラムの男たちに働いてもらうだけでは心配で、猫の手も借りたい状況だったからだ。どうみても人間の百倍は力がありそうなブラックライノが加勢してくれたら、工期を短縮できるだろう。

「それは大変ありがたい。もし彼らさえよければ、王都の北部の林や草原に移り住んでもかまわない。そこならここよりも土地は豊かだし、川が完成すれば彼らのために牧草地を整備してあげることもできるだろう。それでどうだろうか」

 ナッピーが言った。

「ライノたちに聞いてみるから、ちょっと待ってね」

 少女はブラックライノたちの方に向き直ると、目を閉じて黙っている。話をするというよりテレパシーのようだ。しばらくしてから少女が言った。

「手伝ってくれるそうよ。何をどうすればいいか私が彼らに説明すれば、そのとおりに動いてくれるって。よかったわね」

「ありがとう、本当に感謝するよ。ここで工事が始まったら、ナッピーにはブラックライノたちと一緒に工事を手伝ってほしいんだけど、やってくれるかな。もちろんお礼は十分にするよ。工事が完成したらおカネでもなんでも、欲しいものをあげるよ」

「わかったわ、国王様を助けてあげる。でも、おカネはいらないの。それよりナッピーは元気いっぱいだから、世界中を遊び回りたいの。国王様の住んでいるアルカの都も見てみたいし海も見てみたい。連れて行ってくれる?」

「ああ、もちろんいいとも。工事が終わったら王都に連れて行ってあげる」

「わああい、約束だよ」

「ところで、どうやってナッピーに連絡したらいいの」

「誰かがこの丘の近くに来たら、このピピが教えてくれるの。ピピはいつも私の上を飛んでいるから、近くに人が来たら直ぐにわかるの」

 少女の上を飛んでいた小鳥はピピという名前らしい。色や形はツバメに似ている。今はブラックライノの頭に止まって俺を見ている。ナッピーにお礼を言って別れを告げると城への帰路に就いた。

 帰りの道すがら、キャサリンが話しかけてきた。

「お兄様ったら、エルフの次は幼女を手懐けるの?ふーん、ふーん、お兄様にそういう趣味があったとは存じませんでしたわ」

「ち、ちがうだろ、幼女じゃなくてハーフリングだからな。見た目が幼女なだけで、実際の年齢は大人に違いない。年齢が大人だから、何の問題もないぞ」

「そうよね、ルミアナも見た目が若いだけで、本当は百歳を超えたお婆さんかも知れないのにね。男の人はすぐ見た目に騙されて、痛い目にあうのですわ。そうそう、お兄様は幼い頃に、きれいな女の人のせいでよく痛い目にあっていましたわ」

「なんだよ、また子供の頃の話か。で・・・どんな目にあったというんだ?」

「そうね・・・ある時、城のお庭できれいな貴族のご婦人方が数人、立ち話に興じていたのですわ。お兄様ったら、そのご婦人方に見とれて、つい、ふらふらと近づいたのですわ。そして、あるご婦人の連れていた犬のしっぽを踏んづけて、尻に食いつかれたの。おかげで食いついた犬をお兄様の尻から引き離すのが大変でしたわ」

「うーむ、どうも私は犬との相性が悪いようだな」

「さらに別の日には、とてもグラマーな農民の女性が牛を連れて居ましたわ。お兄様がその女性のお尻に見とれて、よそ見をして歩いていたものだから、そのまま女性の連れていた牛のお尻に頭から突っ込んで、顔が大変なことになりましたの。それから・・・」

「まだあるのかよ、まるきりアホではないか・・・キャサリンは、よくそんなに詳しく覚えているなあ」

「それはそうですわ、毎日『お兄様観察日記』を付けておりましたもの」

 観察日記なんか付けてたのか。子供のころから兄の行動を毎日監視して記録するとか、すごい執着だな。キャサリンの機嫌を損なったら、どんな秘密を暴露されるか、わかったものじゃないぞ。

 にしても、それは全部「アルフレッドの恥ずかしい秘密」であって本当は俺の秘密じゃないんだ。しかし、俺がアルフレッドに成りすましている以上は、やっぱり俺の恥ずかしい秘密なのか。もうわけがわからないぞ。
 俺はルミアナの部屋で密かに魔法の訓練を続けていた。自分に魔力が備わっていることを知った時は、内心小躍りして喜んだ俺だったが、いざ訓練を始めてみると簡単に上達するものではなかった。いきなり「オレ最強」なんて世界ではなかった。それでも幻惑と火炎の初級魔法をいくつか習得しつつあった。

 俺がルミアナの部屋に行くときはキャサリンも必ず付いてきて、俺の練習の合間に、魔力黒板に向かって基本図形である「丸印」を念じている。もう何日も通っているのに、黒板に円形が表示される気配はない。それでも、いつも何かを念じているようだ。もしかすると、別の何か怪しい願望を念じているような気がして一抹の不安を覚えるのだが。

 さて、ルミアナによれば、どうやら俺は攻撃系の魔法、とりわけ火炎魔法の才能に秀でているらしい。とはいえ魔力黒板で練習するばかりで、魔法石を使って実際に火炎魔法を発動したことは一度もない。魔法石はルミアナが少し持っているだけで、俺は一つも持っていないからだ。これではちっとも面白くない。

「そろそろ魔法を実践してみたい気もするのだが、魔法石が無いと何もできないな」

「そうですね。攻撃系の魔法ならほとんどの場合は魔法石が必要ですからね。魔法石を売っているのはエルフの国ですから、ここから買いに行くことは、ほとんど不可能です。時間があればアルカナ国内で、ご自身で探し出すこともできますが」

「本当か! どうやって魔法石を探すのだ」

「魔法石を探すには、<素材探知(マテリアル・ディテクション)>の魔法を使います。素材探知の魔法の発動に素材は不要です。魔法石の見つかりそうな場所、たとえば崖のような地層のむき出しになっている場所、あるいは洞窟、古い鉱山などで素材探知を行うと、魔法石から、かすかな囁きが聞こえてきます。その音を元にして見つけ出します」

「なるほど、それは地道な作業になるな」

「いま取り組んでおられるお仕事が一段落したら、一緒に探しに行きましょう」

 そうか、エルフの里でなくても、素材探知の魔法を使えば国内で魔法石を調達できるのか。素材集めは必要だが、それなら魔法もかなり使い勝手が良くなるな。

「また、支援系の魔法や補助系の魔法に使用する素材であれば、このあたりの市場で売っている薬草から抽出できます。すでにこの部屋にも数多く準備してありますので、しばらくは幻惑魔法や補助系の魔法で実践してみるのもありでしょう」

「そうだな、しかし、どこで幻惑魔法を実践しようか」

「人間を相手に練習するわけにはいきませんので、まずはお庭で飼ってるウサギを幻惑魔法の<睡眠(スリープ)>で眠らせるところから始めましょう」

 確かに人間を相手に魔法を掛けるわけにはいかない。とはいえウサギだって迷惑だろうな。まあ、<睡眠(スリープ)>の魔法で死んでしまうことは無いだろうから、勘弁してもらおう。

 その時、魔力黒板を見ていたキャサリンが、突然大声を上げた。

「ちょっと、ちょっと見てよ! 黒板に見たこともない模様が浮かび上がったわ。これ何かしら、すごい予感がするわ。絶対にすごい特殊能力だわ」

 普段から冷静なルミアナだが、黒板を一目見たとたんに驚きの表情を浮かべた。

「こ、この絵文字は・・・実物を見たのは初めてですわ。これは極めて特殊な魔法文字で、エルフの古文書で見ただけなのです。生まれながらにして、この絵文字の記憶を持っている者は、とある神より不思議な能力を授かっていると言われています。その神とは・・・」

「その神とは・・・」

「貧乏神です。あなたは貧乏神に選ばれし、貧乏神の勇者なのです」

「はあ? なんでわたくしが貧乏神の勇者なのよ! このわたくしには、美の女神の勇者とか、愛の女神の勇者がふさわしいはずですわ。よりによって貧乏神の勇者なんて納得できませんわ」

「キャサリン様、貧乏神の勇者をあなどってはいけません。貧乏神の勇者は神の勇者の一種なので、魔力も魔法素材も一切使うことなく、特別な魔法を発動できるのです。これは世界にただ一人の特別な力です。ただし、その魔法がすべて『貧乏くさい』ということが欠点ですが・・・」

「使える魔法がすべて貧乏くさいなんて、ちっとも凄くないわ! ぷんぷん・・・まあいいわ。例えば具体的にどんな奇跡が使えるのよ?」 

「貧乏神の基本魔法である『貧乏になあれ』という魔法が使えます。これをかけられた相手は、いつの間にかおカネを落としたり、盗まれたり、税金をふんだくられたり、仕事が無くなったりして、高い確率で貧乏になってしまいます」

「なによ、ただ貧乏になるだけじゃないの」

 それを聞いた俺が身を乗り出した。

「それだ! その『貧乏になあれ』という貧乏神の魔法は、敵の国家を破壊する恐ろしい威力を持っているぞ。まず身分がバレないよう、キャサリンが頭から、ぼろぼろのローブ被って敵国の王都に乗り込むんだ。そして、街の端から端まで『貧乏になあれ』と念じて歩き回れば、みんな貧乏になって国が滅びる。だから戦わずして勝てる。キャサリンは最凶の兵器だ」

「何よ! それって、そのまんま私が貧乏神なだけじゃないの。いやよ、そんなかっこわるいのは。もっとかっこいい魔法は無いの?」

「それは私にもわかりません。古文書にわずかに記載があっただけですので・・・ただし、神の勇者は、経験を積むことで新しい魔法を体得できるようです。つまり訓練を続けることで能力が一定レベルを超えると、突然、頭の中に新しい貧乏魔法が閃くわけです。ですから、魔力黒板で『貧乏になあれ』を念じ続ければ、やがて強力な貧乏魔法を会得できるでしょう」

「強力な貧乏魔法を会得しても、ちっともうれしくないわよ。まあ、しかたがないですわ。わたくしも貧乏魔法の練習をしますわ」

「間違っても町の人間を相手に練習しないでくださいね。アルカナじゅうが貧乏人だらけになって国が滅びますので」

「うるさいわね、そんなのわかってるわよ」

ーーー

 数日すると、たい肥を作るためにトミーがショーベン村からやってきた。たい肥小屋は王都から十分に離れた農園の一角に十数棟建ててある。藁も大量に準備した。そろそろたい肥作りを始めてもらおうと考えている。

「わっはっは、国王陛下、仕事場はこちらですかな」

「そうだ。たい肥を作る作業員としてスラムの住人からとりあえず五十人ほど採用した。若い男はすべてアルカナ川の工事に従事してもらっているので、たい肥を作る作業員は年寄りや女性ばかりだが、人数が足りなければ追加で採用する。糞尿の収集については、そちらの準備さえ整えば、いつでも開始してもらうつもりだ」

「それはありがたい。そうだな、糞尿の収集は1週間後に始めてくだされ」

「わかった。糞尿は各家から早朝に回収して北門の外に集め、馬車に積んだ樽でここまで運んでくる段取りになっている。頼んだぞ」

 俺の横で話を聞いていたミックが言った。

「これで王都もきれいになりますね。それにしても、たい肥の製造だの、糞尿の回収だの、言っては悪いですが、こんな汚い仕事を誰が引き受けるんだろうと思っていました。しかも報酬といえば食料の配給量が増える程度ですからね。

 ところが、こんなに報酬が安くて汚い仕事なのに、募集人数の十倍もの応募が殺到して驚きました。こんな安くて汚い仕事でもやりたがる人が大勢いるんですね」

 俺は転生前の世界を思い出しながら言った。

「それは、この社会に貧しい人が多いからだ」

「それはどういうことですか、陛下」

「貧しくて明日の食べ物にも困っている人は、たとえ汚くてキツくて危険な仕事であっても、たとえ報酬がわずかでも、それをやらなければ飢えて死んでしまう。だから糞尿回収のような仕事であっても、希望者が殺到するのだ」

「なるほど、確かに飢え死にするよりは糞尿回収の仕事をするほうが良いですからね」

「そうなんだ。今のアルカナは、あまりにも貧困な人が多すぎるのだ」

 転生前の世界でも同じだった。汚くてキツくて危険な仕事を、貧乏な人たちが安い給料でやらされていたのだ。それは景気が悪くて仕事がない社会だったからだ。仕事が無ければ生きてゆけない。だから汚くてキツくて危険な仕事を安い給料でもやらざるを得ない。現代国家のくせに、中世のアルカナと同じなのだ。

 貧しい人たちに嫌な仕事を押し付けることで成り立つ現代の社会。しかもそれを当たり前だと思っている世間の人々。曰く「仕事があるだけマシと思え」。どれほど文明が進歩しても、本質は中世の時代と何も変わらないではないか。そんな偽善社会なら、俺はこの世界に転生してきてよかったと思った。
 俺はアルカナの命運を左右するほど重要な国家制度を説明するため、会議を招集した。会議には主だった大臣と仲間たちに出席してもらった。

「本日皆さんに集まってもらったのは、私がアルカナに設立を考えている『王立銀行』について説明するためだ」

 一同は顔を見合わせた。ミックが言った。

「陛下、銀行とは何でしょうか?」

「銀行とは、おカネを発行するところだ。アルカナに王立銀行を設立して、おカネを自由に発行できるようにする」

「しかし陛下、金貨や銀貨のおカネは今でも王国政府が発行しておりますが」

「確かに金貨や銀貨は王国政府が発行している。だが金貨や銀貨は、アルカナで産出される金や銀の量によって発行できる量が決まってしまう。金や銀が無ければ、必要に応じて自由におカネを発行することはできない。それがこの先、大きな問題になるはずだ。そこで王立銀行を設立して自由におカネを発行できる体制を整える」

「その王立銀行とやらを設立しても、金や銀がなければ、やはり自由におカネを発行することはできないのでは?」

「確かにこれまでの常識で考えれば、金や銀が無ければおカネは発行できない。そこで紙でおカネを作ることにする。紙に金額を印刷した紙幣、『銀行券』を作る。紙でおカネを作れば、いくらでもおカネを作ることができる」

 財務大臣のヘンリーが軽蔑のまなざしを向けた。

「金や銀の代わりに紙でおカネを作るですと?紙に印刷されたおカネなど、誰も信用しませんぞ。子供でも分かる話です。陛下は何を血迷われたのですか」

 ミックが身を乗り出した。

「もしや、それは陛下が以前に仰っていた神の啓示なのですか?」

 ヘンリーが、いぶかしげに言った。

「神の啓示ですと?何ですか、それは」

 俺は疑われることがないように、確信を持った口調で言い切った。

「ミックの言う通りだ、それは神の啓示によってもたらされた知識だ。このことは城内の者でも、ごく近しい者しか知らない。私が五日間のこん睡状態にあったことはご存じの通りだ。死の淵を彷徨っていた五日間の間に私は夢を見た。この世界とは別の『異世界』の夢だった。異世界はこの世界よりはるかに文明が進んでいた。その夢の中で私は多くの知識を得た。そして私は生き返った。私は確信した。これは神の啓示に違いないと」

 ヘンリーが馬鹿者でも見るような目つきで言った。

「夢のお話ですか。それで、その夢で見た世界では、紙のおカネを使っていたのですか」

「その通りだ。金貨や銀貨というおカネの仕組みは廃れ、とうに消え去っていた」

 ヘンリーは苦々しい顔で俺を見た。

「紙のおカネを使うなど、いくら陛下のお話でも、そんな話は信じられませんな」

「それはそうだろう。私も最初は信じられなかったからな、だが、よく考えてみると銀行という仕組みは実に巧妙であることがわかったのだ」

 ミックは俺の話を信用し、真剣な表情で言った。

「銀行とはどのような仕組みなのでしょうか」

「夢で見た異世界の銀行制度は非常に複雑なしくみだった。しかし初期の頃の銀行、つまり世界に銀行というものが誕生した頃のしくみは単純だった。銀行を知るには、まず銀行が誕生した経緯を理解することが手っ取り早いだろう」

 会議場は俺の話を聞こうと、再び静まり返った。 

「異世界での銀行はどのようにして誕生したのか。銀行が誕生する以前の世界は、今のアルカナと同じように、おカネは金貨や銀貨のような硬貨だった。経済活動が活発になるにつれて、世の中にはお金持ちが増えてきた。お金持ちは金貨や銀貨を大量に所有している。しかし大量の金貨や銀貨を自宅に保管していると、盗まれたり強盗に襲われる危険性がある。そこで、武装した兵士に守られた警備の厳重な金庫に、金貨や銀貨を預けた方が安全だと考えた。

 そうしたニーズを受けて、銀行という『金貨や銀貨の預かり所』ができた。銀行は預金者から金貨や銀貨を預かって金庫に保管し、預かった証として証明書を渡した。この証明書は紙で作られている。この証明書が後に銀行券と呼ばれるようになり、それが紙のおカネになったのだ。

 例えば預金者が金貨百枚を預けたら、金貨百枚に相当する金額の銀行券を預金者に渡す。そして預金者が銀行に預けた金貨や銀貨を引き出したいと希望すれば、その銀行券を銀行に持ち込めば、いつでも金貨や銀貨と交換することができる。これがもっとも基本的な銀行の仕組みだ」

 ミックが言った。

「金貨や銀貨を銀行に預けた際に渡される『預かり証明書』が銀行券ということですね」

「そうだ。やがて金貨や銀貨の代わりに、人々はこの銀行券をおカネの代わりに使い始めた。なぜなら金貨や銀貨よりも銀行券の方が軽くて持ち運びに便利だったからだ。しかも金貨や銀貨が必要なら、この銀行券があればいつでも交換できる。つまり銀行券は価値が保障されている。

 だから、やがて人々は金貨や銀貨を持ち歩かず、もっぱら紙でできた銀行券を持ち歩いて買い物や取引をするようになった。やがて金貨や銀貨は銀行の金庫に預けっぱなしで、金貨や銀貨は取引にほとんど使われなくなった。こうして金貨や銀貨は廃れたんだ」

 ミックが感心したように言った。

「なるほど、銀行券を銀行に持参すると、同額の金貨や銀貨を引き出すことができるから、紙のおカネである銀行券に金貨や銀貨と同じ価値があると信じられたわけですね。そうなると、金貨や銀貨を使う必要はなくなったわけですね」

 それまで黙って話を聞いていたルミアナが口を挟んだ。

「これまでの説明だと、あくまでも銀行は預かった金貨や銀貨の証明として銀行券、つまりおカネを発行していますね。ということは、金貨や銀貨がなければ、やっぱり自由におカネを発行することはできないのではないでしょうか」

「確かにその通りだ。ところがここに驚きの仕掛けがある。金貨や銀貨を預からずに銀行券を発行しても問題が生じないのだ」

「え、それはどういうことでしょうか」

 多くの出席者はキツネにつままれたような表情になった。俺はつづけた。

「なぜ金貨や銀貨を預からずに銀行券を発行しても問題が生じないのか。それは金貨や銀貨を銀行に引き出しに来る人がほとんど居ないからだ。金貨や銀貨は銀行に預けっぱなしになっている。だから、金貨や銀貨と無関係に銀行券を発行しても問題が生じない。

 例えば、金貨や銀貨を預からずに銀行券だけを発行すれば、預かっている金貨や銀貨の総額よりも銀行券の総額の方が大きくなる。その状態で、もしすべての人が一斉に金貨や銀貨を引き出しに来れば、金貨や銀貨の量が足りなくて引き出しに応じられなくなる。異世界ではこれを『取り付け騒ぎ』と呼ぶ。

 しかし実際にはすべての人が同時に金貨や銀貨を引き出しに来ることはあり得ない。預けっぱなしだ。だから金貨や銀貨とは無関係に銀行券を発行しても問題が発生することはない。この仕組みを『信用創造』というんだ」

 ヘンリーはほとんど必死になって机をたたいた。

「とんでもない、陛下は異世界で犯罪を勉強してきたのか。国民から金貨や銀貨を巻き上げて紙のおカネを渡そうとしている。しかも金貨や銀貨を預かってもいないのに、銀行券を発行する。これは詐欺行為ですぞ」

「良く考えることだ。確かに詐欺行為かも知れないが、異世界ではどの国もこぞって銀行制度を採用していた。金貨や銀貨を使う国など、どこにもない。銀行制度を採用することによって、金や銀の量に縛られることなく自由におカネを増やせたことで、異世界では多くの国が発展した。つまり銀行制度こそアルカナ発展のカギになるのだ」

 興奮が収まらないヘンリーを一瞥してから、ミックが言った。

「なるほど、金や銀の少ない我が国にとっては最適の制度かもしれません。ところで、銀行が信用創造で発行したおカネはどのように利用するのでしょうか。何かを買い入れるのでしょうか」

「銀行が新たに発行した銀行券でモノを買ってはいけない。あくまでも貸出として使うのだ。なぜなら、貸し出した銀行券は返済によって戻ってくるが、支払った銀行券は戻ってこないからだ。貸し出した銀行券がすべて戻ってくれば、取り付け騒ぎが起きることはない。しかし支払いに使った銀行券は戻ってこないので、取り付け騒ぎを起こすリスクが高まる。だから『原則的に』銀行はおカネを発行して貸すのだ」

「少々話がややこしくなってきましたが、銀行がおカネを発行して貸すことはわかりました」

「ここが誤解を生みやすいところだから繰り返すが、銀行は預金者の預けた金貨や銀貨を貸すのではない。あくまでも、信用創造で銀行券を発行して、それを貸し出して利息を稼ぐ。これが銀行の基本的な仕組みだ」

「しかし銀行制度はこの世界にこれまでなかった仕組みですし、誰も聞いたことすらありません。うまく行くでしょうか」

「導入のためのプランはすでに考えてある。もちろん周到な準備とそれなりの時間が必要になる。だから、すぐにでも準備を始めたいと思う」

「それにしても、なぜ陛下はおカネを自由に発行したいと考えるのでしょうか?」

「その理由はいろいろあるが、長くなるのでまた別の機会にしよう。ただし、一つだけ説明しよう。国家がおカネを発行する理由は、国家運営を円滑に執り行うためだ」

「国家運営のため?」

「すでに周知のようにアルカナ国の財政は火の車である。このままでは国を発展させたり、外国からの侵略に備える事に支障をきたしかねない。実際、今回のアルカナ川工事の費用を調達するにも、金貸し商からの借金に依存せざるをえなかった。だから王立銀行を設立して、そこからおカネを調達すれば、金貸し商から借金する必要がなくなる。それにより、心置きなく国家の課題に取り組むことができる」

 財務大臣のヘンリーが言った。

「なんと、王立銀行を作ることで、金貸し商からカネを借りることを止めるのですか」

「そのとおりだ。ヘンリーも常日頃から『王国の借金がー、王国の借金がー』と嘆いていたから、もう二度と金貸し商からカネを借りる必要がなくなって安心だろう」

「それは・・・」

 言葉に窮しているヘンリーを横目に、ミックが言った。

「なるほど、銀行制度にすれば『おカネが足りないから重要な国家政策ができなくなる』という、愚かな事態がなくなるわけですね。それはすごいことです。これまでの常識を完全に覆すことができます」

 キャサリンが言った。

「さすがはお兄様ですわ。やっぱり神の啓示はすごい知識なのです。『金や銀の産出量が少ない』というアルカナのおカネの問題が、ウソのように解決できますわね。おカネを発行するのに金も銀も必要ない。お兄様のおかげで、アルカナも無双国家へ向かって前進するのですわ」

 さすがに、そこまで簡単にはいかないな。おカネなど、銀行制度さえ整えれば無限に発行できるにすぎない。そうなると本当に重要なのはおカネや財源の問題ではない。おカネの改革はアルカナを無双国家にするための最重要な政策ではあるが、それだけでは不十分なのだ。

 会議で大きな異論は出されなかった。おそらく銀行の基本的な仕組みから説明したから、みんなが理解できたのだろう。一方、転生前の日本では、銀行制度の本質的な仕組みを理解している人は全国民の1パーセントにも満たない悲惨な状態だった。これでは経済のことなど国民に理解できるはずがない。

 だから「財源がない」などとまことしやかな嘘をつくマスコミや官僚の、思うがままに操られるだけだったのだ・・・。
 その日、俺は寝室の窓際に立って外の様子を見ていた。ミックが背後から声を掛けた。

「国王様、報告がございます」

 俺はミックの方を振り返ることなく、窓の外を眺めたまま言った。

「なんだい、ミック」

「最近、王都では奇妙な事件が多発しており、世間を騒がせております」

「ほほう、例えばどのような?」

「王城のお庭で飼われている白ウサギが、一匹のこらず死んだように眠っていたそうでございます。触ってもまったく動かないほど、ぐっすり眠っていたとか」

「なあに、このところの陽気でウサギたちが眠くなるのも不思議はないだろう」

「それだけではございません。王国農場では、鶏が狂ったように走り回っているのが目撃されたり、牛舎のメス牛に口説かれたと主張する乳しぼりの農夫もおります」

「それから?」

「王都の町中(まちなか)でもおかしなことが起きています。夜中に幽霊を見たものが続出しているのです。どれもが王城の近くでの目撃情報です。あろうことか、アルフレッド国王が真夜中に大通りを素っ裸で全力疾走する姿を見た、と抜かす無礼者まであらわれました」

 相変わらず俺はミックの方を振り返ることなく、窓の外を眺めたまま言った。

「まあ、特に害が無ければ放っておけばいい、そのうち収まるだろう」

「はあ・・・そうですか、何かあればまたご報告いたします。それでは失礼します」

 言うまでもなく、それらはすべて俺の仕業である。内緒で幻惑魔法の練習をしていたのだ。俺には幻惑魔法の才能がないらしく、どうもうまくいかない。鶏は言うことを聞かないし、メス牛が勝手に農夫に色目をつかっている。国王が素っ裸で夜中に大通りを全力疾走したのは、俺が隠密の魔法に失敗して、服だけ透明化してしまったからだ。これが本当のストリーキングである。などと馬鹿なことを言っている場合ではない。少し幻惑魔法の実践練習は自重しなければならないようだ。

 俺はジェイソンの勧めもあり、エニマ国に続いてロマラン王国へ親善訪問に向かうことにした。ロマラン王国はアルカナの西にある小国で、北方、南方そして東方へ続く交易路の中継点として栄えてきた。

 ロマラン王国へ向かう目的は友好関係を深めるためである。しかし本当の目的は別のところにあった。というのも、ロマランには、十年ほど前に南方交易でアカイモという乾燥に強い作物が伝えられた、という噂を聞いたからである。ロマランではそのアカイモを栽培することで、干ばつによる飢饉の発生を防いでいるという。アルカナ国でもその作物を手に入れて栽培できれば、食料問題を解決するための一助となることは間違いない。

 今回は外交と言っても親善訪問なので、キャサリンも連れていくことにした。連れて行かないと不機嫌になるからであるが、他にも理由がある。お付きの近衛騎士であるレイラの話し相手になって欲しいからだ。エニマ国への訪問の際には、馬車の中でレイラが全然しゃべらず、無言のまま何時間も揺られていたので、すっかり気疲れしてしまった。その点キャサリンがいれば、無言で一分以上黙っていられるはずがないからである。

 俺たちはロマランへ向けて出発した。馬車の中では、相変わらずレイラが正面の座席で背筋をピントと伸ばしたまま、前方を凝視している。空気を全然読まないルミアナも地蔵のように黙っている。しかし狙い通りだった。キャサリンが喋り始めた。

「ねえ、そういえば来月、お城でパーティーがあるわね。レイラもお城の警護のために来られるのかしら?」

「はい、もちろんです、お嬢様」

「でも、プレートアーマーで毎回お兄様の傍に立っているのも堅苦しいわ。レイラもドレスにしたらどうかと思うの。警備の担当者は他にもいるし、城の中だから重装備は必要ないわ。ドレスにしてみましょう」

 ミックもキャサリンに続けて言った。

「そうそう、私もそう思いますよレイラ様。王室には腕の良い仕立て屋がおりますので、新しいドレスをお作りになってはいかがですか」

「お気遣いありがとうございます。ドレスを着てみたいとは思うのですが、なぜか私が着たドレスはどれも、少し力を入れると、ビリビリに破けてしまいますので、ドレスは着れないのです」

「・・・まあ、それはお可哀そうですわね。普段は何をお召しになってますの?」

「鋼鉄の鎖を全身に巻き、鉄下駄を履いています。アクセサリーとして足に鉄球を付けることもあります」

「鋼鉄の鎖に鉄下駄ですって? よくそんな拷問みたいな格好で平気ですわね。家の中でもそんな恰好をしているの?」

「いえ、それは外出している間に筋力を鍛えるための服ですので、家の中で休んでいる時はローブのようなゆったりした服を着ております。ぶかぶかのローブであれば、力を入れても破ける心配はありません」

「そう・・・まあこの際、ローブみたいな服でもいいわ。プレートアーマーじゃなくて、ふわっとしたローブにしましょう。ところでダンスは踊れますの?」

「申し訳ございません。生まれてこの方、ダンスを踊ったことはございません。なにしろ日夜剣術の稽古に励んでおりましたもので、そのような暇は・・・」

 そう言いかけたレイラは、何かを思い出して嬉しそうにミックに向かって言った。

「おお、そうでした。わたくし、ペアでダンスを踊ることはできませんが、ペアで組み手をするなら得意です。私の寸止めの技術は確かなので、幸いまだ人を殺したことはありません。パーティー会場では、ぜひ大臣に私のお相手をお願いしたいのですが」

 ミックが飛び上がった。

「ひえ、とんでもございません。レイラ様がまだ誰も殺していなくても、私が最初に殺される人になるかも知れません・・・」

 キャサリンが言った。

「まあ、ダンスは出来なくてもいいわ。ところで、レイラはアクセサリーに興味はないのかしら。例えば指輪よ。ちょっとご覧になって、これはわたくしの指輪ですの。どう?大きな宝石が三つもあしらってあるのよ。レイラもこういう指輪で飾って、意中の男性のハートを射止めるのですわ」

「お嬢さま、それでしたら私も嵌めております。どうぞご覧ください」

「・・・何よそれ」

「アイアンナックルです。これでどんな屈強な男性も仕留めることができます」

「仕留めてどうすんのよ。ハートを射止めるの。それと、指輪に嵌められている宝石が大切なのよ、宝石の魅力で指輪の効果が倍増するのよ」

「はい、私のナックルにもダイアモンド並みに固い宝石が五つも嵌め込まれており、この宝石の殺傷力で威力が倍増しております。どんな男性でも一撃で仕留めることができます」

「いや、だから男性を仕留めるんじゃないの。射止めるの」

 何やら恐ろしい会話が展開されている模様だ。俺も下手をすると、アイアンナックルで仕留められるかもしれない。間違ってもレイラを怒らせてはいけない、優しく接しよう。

 ロマランの王都マリーまでは馬車で十日間ほどの道のりだ。途中、商人たちが利用する街道沿いの宿に泊まりながらの旅である。アルカナからマリーへ向かって徐々に標高が高くなる。ロマランは草原の国である。見渡す限りの丘陵地帯が広がり、草原には羊が放牧されている。ロマランの羊毛と羊肉はアルカナにも輸入されており、その品質の良さからとても重宝されている。

 マリーの近くへ来ると木々も徐々に増えて農地も見られるようになってきた。街に着くと、市場の近くで馬車を止め、干ばつに強いというアカイモを探すことにした。まずこの目で確かめるのだ。食料品の露店はすぐに見つかった。

「ちょっと伺いたい。このあたりでアカイモを売っているという話を聞いたのだが、この店には置いていないのか」

「ああ、アカイモを知らないとは外国の人かね。アカイモならそれだよ」

 店の主人が指さした先には、台の上に山盛りになった見慣れた赤いイモがあった。これはサツマイモだろう。サツマイモなら乾燥に強いのも頷ける。昔の日本でもサツマイモを栽培することで干ばつによる飢饉から農民が救われたという。サツマイモは収穫量も多いので、スラムの食料として最適だろう。品種の関係なのか、形は細長いものが多いようだ。

 生まれて初めてアカイモをみたキャサリンが言った。

「何これ、見るからにまずそうだわ、泥だらけでしっぽがあってネズミみたい。これが食べ物なの?とても食べられるようには見えないけど」

「大丈夫だ。煮ても焼いても食える。十数年前に貿易商が南のジャビ帝国から持ち込んで栽培したのがきっかけで、それ以来ロマラン全土に広まったらしい。これは干ばつに強い作物だから、小麦なんかが不作の時でも収穫できる。食料不足の解消に役立つはずだ。」

「そうね、わたくしじゃなくてスラムの人たちが食べるのでしたら、見た目が悪くてもかまいませんわね」

 アカイモ・・・いや、転生前の世界のサツマイモは、女性に大人気の食べ物だったからなあ。食べさえすれば、キャサリンも気に入ってくれると思う。
 市場でアカイモの現物を確認した一行は、ロマランの宮殿へ向かった。ロマランの宮殿はとんでもなく豪華だった。宮殿の建物には大理石の白い化粧石がふんだんに使われており、高原の澄み切った青空に、建物全体が白く美しく輝いて見える。アルカナの灰色の王城とは大違いである。

 等身大ほどの様々なポーズをした見事な大理石の彫像が、美しい花々とともに、手入れの行き届いた庭のあちらこちらに立っている。これらの高価な美術品は、交易で得た富を惜しみなくつぎ込んで作られたのであろう。

 宮殿の敷地の中央には、四隅に装飾塔の付けられた大きな建物があり、その広間で両国王の会見が行われることになっていた。俺たちが宮殿の門に到着すると、大きな建物に続く中央通路の両側に、正装したロマランの近衛騎士がずらりと並んで出迎えた。建物の前では、ロマランの国王レオナルド・ロッシと家臣が待っていた。

 レオナルド国王は背が低くかなり太めの体形である。もともと丸顔だったのだろうが、太ることでますます顔が丸くなり、首との境目がよくわからない状態だ。赤を基調とした派手な服に見事な金糸の刺繍が施されており、これでもかと言わんばかりに宝石をあしらった王冠が頭上に輝いている。

「ようこそおいで下さいましたアルフレッド陛下。はじめまして、私がロマランの国王、レオナルドです。遠いところお越しいただき誠にありがとうございます」

「こちらこそ。アルカナ国の国王アルフレッドでございます。以後お見知りおきください」

「そちらの美しいご婦人は、どちら様で?」

 キャサリンの機嫌がすこぶる良くなった。

「私はアルフレッドの妹のキャサリンでございますわ」

「キャサリン様、歓迎いたします。さあ皆様どうぞこちらへ」

 赤い絨毯の上をレオナルド国王と並んでゆっくりと歩きながら俺が言った。

「ロマラン国とアルカナ国は古くから交易関係にありますが、本日の会談により、一歩進んだ友好関係が始まるものと、期待に胸を膨らませております」

「我々も同じ思いでございます」

 立ち並ぶ彫刻に見とれながらキャサリンが言った。

「これほど美しい宮殿を拝見したことはございませんわ。建物の壮麗さもさることながら、お庭に並ぶ彫刻も実に見事ですわ」

「ありがとうございます。それらは、はるばる北方のザルトバイン帝国から有名な職人を呼び寄せて掘らせたものです。このあたりでは、これほど芸術性の高い彫刻を見ることは難しいでしょうな」

 レオナルド国王の先導で白亜に輝く建物の中へと進んだ。広間へ続く通路の壁には大きな絵画がいくつも飾られていたが、先ほど庭で見た見事な彫刻に比べると何か違和感がある。これは小学生の絵か、と思うほど下手糞なのである。総務大臣のミックが妙なものでも見るような目つきで、ジロジロと絵を見上げながら言った。

「この絵はなんでしょうか。これはなんといいますか・・・・」

 レオナルド国王が嬉しそうに言った。

「おお、それは私が描いた絵です。完成までに三カ月を費やした自信作です。いやあ、私は絵を描くのが趣味でしてな。妻には私の絵の良さがなかなか理解して貰えませんで、『そんな絵を宮殿に飾るな』と怒られるのですが、大臣はいかが思われますか」

 それを聞いてミックの態度が豹変した。

「な、なんと、左様でございましたか。いやすばらしい、実に見事な絵でございますな。その・・・なんと申しましょうか・・・何の絵なのかさっぱりわからないところが、いかにも芸術的ですな。まさに画面が大爆発してございます。そのまま通り過ぎてしまうのが実に惜しい、ずっと鑑賞していたい気分になります」

「うむ、大臣殿はやはり優れた審美眼をお持ちのようですな。それほど気に入っていただけたのなら、一枚差し上げますので、ぜひアルカナの城内で一番目立つところに飾ってください。そうですね、この絵はさすがに差し上げられませんので、あちらの絵など、いかがですか」

 一段と何だかわからない絵が、黄金の立派な額縁に入れられている。

「はあ、なんともかわいらしい絵ですね、これは・・・ネコですか」

「犬のフランコですが、何か」

「いやー、最初から犬じゃないかと思ってました。レオナルド様の愛犬でしょうかね、実に賢そうな犬ですこと。頭が三つもあるんですね」

 広間の奥から背の高い、ほっそりした女性が現れた。国王とは対照的な体形だ。上品な服装からして王妃と思われる。

「あなた、また外国の偉い方を困らせているんじゃないでしょうね」

「何を言うか、困らせてなどおらんぞ、お前と違ってワシの絵の良さがわかる方々なんだ。この犬のフランコの絵をアルカナ城に飾ってもらうのだ。なあ、大臣殿」

「はい、それはもう喜んで。できればその黄金の額縁と一緒にお預かりさせていただければ幸いです。その美しい絵には黄金の額縁が大変に似合いますので」

 いやいや、それは明らかに黄金の額縁が欲しいだけである。

 広間の中央には御影石で作られた大きな長机が対面に配置されており、両国の代表が向かい合わせに着席した。頭上には大きなシャンデリアが下がっている。シャンデリアには数十本の蝋燭が灯されており、そこから放たれる光が無数のクリスタルガラスにきらめき、豪華で美しい。

 それにしてもレオナルド国王は大らかで友好的な国王である。こんなお人好しの国王では、もしジャビ帝国に侵略されたらどうなるか心配である。以前侵略された際には莫大なおカネを払って見逃してもらったとの話を聞いたことがある。いつもカネで見逃してくれれば良いのだが。

 俺はレオナルド国王に尋ねてみた。

「ロマラン国は兵力の増強を考えておられないのですか?」

「考えておりません。兵力を増やせば周辺国に脅威を与えることになり、相手を刺激して危険です。戦っても勝てないのなら、武力を持たないことが平和の第一歩なのです」

 どこかで聞いたセリフだなと思ったが、俺はあえて何も言わなかった。

 懇談は終始なごやかな雰囲気で行われた。もともと交易立国であるロマランは多くの国の貿易商人を受け入れて発展してきたオープンな国だから、アルカナとの関係強化にも前向きだった。アルカナが栄えれば当然ながらアルカナとの貿易量が増え、ロマランにも恩恵がもたらされるわけだ。そこでアカイモの件を切り出してみた。

「レオナルド国王にはひとつお願いがございます。それはロマランで栽培されているアカイモという作物のことです。アカイモは干ばつに強く、小麦などが不作の際にもたくさん収穫できると聞きます。近年はアルカナで小麦の作柄が悪く、国民が飢えに苦しむ状況にあります。そこでアカイモを我がアルカナでも栽培したいと考えておりますが、栽培法を教えていただくことはできないでしょうか」

 レオナルド国王は時々頷きながら話を聞いていたが、にこやかに言った。

「そうですか、承知いたしました。アルフレッド殿にご協力いたしましょう。詳しくは後程我が国の農業大臣と打ち合わせをしてください。アカイモは干ばつに強いため、我が国において、とても重宝しております。それに私はアカイモが大の好物でして、宮廷では私の肝いりでさまざまな料理を研究しておりますぞ」

 キャサリンはあまり興味なさそうに言った。

「こちらへ伺う途中に、市場でアカイモを見ましたわ。あまりおいしそうには見えませんでしたの」

「ほっほっほ、それは皆様がまだアカイモの真のおいしさをご存じないからです。それでは皆様に宮廷自慢のアカイモ料理を味わっていただきましょう。実は、そのつもりで準備しておりました。さあ給仕の皆さま、お客様にお料理をお出ししてください」

 宮廷のアカイモ料理と聞いて、期待で爆発しそうな表情で待ち構えていたキャサリンの目の前に、丸ごと一個の焼き芋が出された。期待の表情が落胆に変わった。

「何これ、ネズミの丸焼きみたいですわ」

 俺はあわてて言った。

「しーっ、キャサリン。失礼なことを言わない」

 レオナルド国王が自信たっぷりに言った。

「そうです、単なるイモの丸焼きです。ですが普通に焼いたものではありません。専用の窯を用いて低温で四時間かけてじっくり焼き上げてあるのです。見た目は悪いですが、まあ食べてみてください」

 給仕係が焼き芋を切って中身を皿に盛りつけた。一口食べたキャサリンが叫んだ。

「うわ。甘いわ、まるで蜂蜜でも混ぜてあるみたい。すごい美味しい。こんなの初めて。こんなおイモに目を付けるなんて、やっぱりお兄様はすごいですわ」

 ルミアナも感心したように言った。

「本当だわ、世界を旅してきたけど、こんなに甘いイモを食べたことはないわね。これならアルカナ国でも、間違いなく人気になるわ」

 レイラは何も言わない。何も言わずに黙々と食べている。普段は我慢しているが、本当は甘いものが大好きなのに違いない。

 アカイモは同行した女性たちに大好評である。その後もスイートポテトやあげイモの蜂蜜掛けなど、甘いものがどんどん出てきたが、なんだかんだ言いながら彼女たちはすべて平らげてしまった。甘い食べ物を、それほど頻繁に食べられない時代だったから、よほど美味しかったのだろう。

 レオナルド国王も上機嫌で、一時間ばかりアカイモの料理について話をした。平和でおだやかな時間が流れた。こんな生活がいつまでも続けば良いのにと思った。