「ここが‟寡黙の辺境伯‟様のお屋敷……」
オリオール家から馬車に乗っておよそ五日。
私はとある大きなお屋敷の門に到着した。
そう、‟寡黙の辺境伯‟ことルイ・アングルヴァン様のお屋敷に。
馬車を降りた瞬間から、緊張感が途切れない。
御者さんもお金を払うと逃げるように帰ってしまった。
お屋敷の玄関は、門から50mほど先にある。
と、遠いし、広い……。
敷地内には広大なお庭も広がり、しばし圧倒されてしまった。
お屋敷は二階建ての建物で、遠目に見える外壁は白く、屋根は深い蒼色だ。
清廉潔白な印象だったけど、逆に幽霊屋敷のような恐ろしさを抱いてしまう。
しばし恐怖に怯えるも、深呼吸して気持ちを整えた。
――落ち着いて、ポーラ。話したこともない人を勝手に怖がるのはよくないわ。
まずは実際に会って話してみないと、どんな人かはわからない。
たとえ噂通りの人だったとしても、ちゃんと話せば絶対に分かり合える。
私は、言葉には人と人を結ぶ力があると信じていた。
意を決して、お屋敷へと足を踏み出す。
歩くにつれ、よく手入れされたお庭だと感じる。
萎れた花は少なく、草木は瑞々しい生命力にあふれる。
お屋敷はロコルルの街の奥地にあるためか、人のざわめきや馬車の闊歩する音は少しも聞こえず、代わりに小鳥の可愛いさえずりがよく聞こえた。
緊張感を胸に玄関をコンコンと叩く。
「す、すみませ~ん。メイドの募集を見て、参った者でございます」
……返事はない。
誰もいないのかな。
しばし待つも、扉が開く気配はなかった。
諦めて帰ろうか……と思ったとき、カチャリと開かれた。
メイド服を着た、肩くらいまでの茶髪の女性が姿を現す。
切れ長の茶色い目が涼しげな印象だった。
「遅くなり申し訳ございません。屋敷の奥にて作業をしておりました故、ご対応が遅れてしまったのです。わたしはメイドのエヴァと申します」
「こ、こんにちはっ。こちらこそ、突然訪問して申し訳ありませんっ。ポーラ・オリオールでございますっ」
女性の凛とした雰囲気に、私も慌ててお辞儀する。
人々の評判が悪くても、辺境伯は辺境伯だ。
メイドさんも優秀な人材が揃っているのだろう。
エヴァちゃんはキリッとした顔のまま、中へ案内してくれた。
「どうぞ、ポーラ様。遠路はるばるお疲れ様でございました。ご主人様がいらっしゃるまで、応接室の方でお待ちください」
「は、はいっ」
後に続き、お屋敷の中を進む。
辺境伯なんて偉い人の家に来たことなどなく、床以外の物を触らないようにするので精一杯だった。
壁には色んな絵が掲げられ、調度品が飾られる。
ロコルルの街を描いた風景画や女神様を讃える絵……、金の装飾が施された陶磁器などなど。
どれもこれも高そうな物ばかり。
息が詰まりそうになりながら歩いていると、重厚な樫の扉に着いた。
エヴァちゃんが開けると、オリオール家とは比べ物にならない豪華な部屋が現れる。
「ポーラ様はこちらのソファでお待ちください。今お茶をご用意いたしますね。ご主人様にもお話ししてまいります」
「わ、わかりました。すみません、どうかお気になさらず……」
断ったけど、エヴァちゃんはお茶を持ってきてくれた。
彼女の隣には小さな少年の執事もいる。
くるっとした茶色の髪に、丸っこい茶色の目が女の子のように可愛い。
「お待たせいたしました。お茶でございます。ご主人様はもう少しでいらっしゃるとのことでした」
「初めまして、ポーラ様。僕は執事のアレンと申します。お菓子をお持ちいたしました」
「ありがとうございます。ポーラ・オリオールです」
「ポーラ様と一緒に働けるのを、僕も祈っております」
少年執事はアレン君と言うらしい。
まだ子どものに働いていて偉いなぁ。
お茶を出したりお菓子を用意してくれる彼女らを見ていると、ふと面影が重なった。
「お二人はよく似ていますね」
「わたしたちは姉弟なんです。わたしが十六歳で、アレンは十二歳です」
「姉さんにはこき使われていますよ。こう見えて人使いが荒いんです」
アレン君が笑いながら話すと、後ろにいるエヴァちゃんの表情が厳しくなった。
なんと、実の姉弟だったのか。
どうりで似ているわけだ。
あれこれ準備してくれる二人を見ていると、自然と伝えたくなった。
「あの……エヴァちゃん、アレン君。どうか、もっと気楽に話してくれませんか? もう貴族でもなんでもないし、二人とは友達になりたいんです。」
まだ出会って間もないものの、ルシアン様やシルヴィーより親しく感じられたのだ。
私が言うと、二人はしばしポカンとしていたけど、やがて笑顔で話してくれた。
「……うん、ありがとう。わたしもポーラちゃんとは友達になりたい。その代わり、ポーラちゃんも普通に話してね。わたしのことも友達みたいに呼んで」
「それでは、僕はポーラさんと呼ばせてもらいます」
二人と一緒に微笑む。
エヴァちゃんは不思議そうな顔で私に尋ねた。
「名前を聞いたときから気になっていたんだけど、苗字があるってことは、ポーラちゃんは……もしかして貴族?」
「ええ、オリオール家は男爵よ」
「ポーラちゃんは貴族だったの! やっぱり! どうしよう、貴族の友達ができちゃった!」
「え……?」
突然、エヴァちゃんは叫んだ。
さっきまでの凛とした雰囲気は消え去り、頬に手を当てはわわ……と震えている。
驚いていると、アレン君がにこやかに告げた。
「驚かせてすみません。姉さんは“よそ行き”の顔を演じるのだけは得意なんです。これが普通です。僕たちは孤児院出身なので、貴族に憧れがあるのです」
「アレン、静かにしなさい」
一転して、エヴァちゃんはギッとアレン君を睨むけど、当のアレン君は怯えることなくニコニコと笑う。
何だかんだ、仲が良いんだろうなぁ。
二人を見ていると、自然と私の状況も話しておきたくなった。
「実は私……婚約破棄されちゃったの……」
「「え!?」」
ルシアン様とシルヴィーの一件を話す。
【言霊】スキルで家計を助けていたけど、婚約破棄され追い出され……二人は真剣に聞いてくれた。
「……ということなの。でも、もう気にしていないから安心して。もしメイドとして雇われることになったらよろしくね」
まだ採用されるかはわからないけど、エヴァちゃんたちと仕事ができたらそれだけで楽しそうだ。
そう思っていたら、徐々に二人の目がうるうるしだした。
……ん?
ど、どうしたの?
「「……そんな辛い目に遭っていたなんて~!」」
挙句の果てには泣き出してしまった。
とても感情豊かな姉弟らしい。
特に、エヴァちゃんは凛とした女性の雰囲気だったけど、今や年相応の少女の顔だった。
一緒に悲しんでくれて、ほろりと涙が出そうだ。
ほのかな嬉しさを感じたとき、応接室の扉が静かに叩かれた。
すかさず、エヴァちゃんとアレン君は姿勢を正して立ち上がる。
その反応だけで、誰が来たのかわかった。
私も急いでソファから立つ。
「「ご主人様、こちらがお客人のポーラ様でございます」」
入ってきた男性を見て、私の心臓は早鐘を打つ。
か、“寡黙の辺境伯”、ルイ・アングルヴァン様だ……!
目にかかるくらいの長めの黒髪に、鋭い眼光の黒い瞳。
鼻筋はすらりと通っており、背の高さは180cm手前くらいだろうか。
身に着ける衣服も黒っぽく、全体的に暗くて怖い雰囲気を醸し出す。
無表情の顔からは、怒りや苛立ちとも取れる感情が見える……ように感じた。
考えないようにしても、悪魔だとか、人の心臓を食べるだとか、怖い噂が頭の中を飛び交う。
辺境伯様は私の前に来ると、静かに右手を上げた。
何をされるのかわからず、思わず身体が硬くなる。
〔この屋敷の当主、ルイ・アングルヴァンだ〕
何もされることはなく、代わりに私のちょうど目線の位置に、魔法文字が浮かんでいた。
魔力で形作られた文字で、空中や水面など好きな場所に書ける。
「は、初めましてっ。ポーラ・オリオールと申します」
〔メイドの募集を見て訪れたと聞いたが?〕
辺境伯様はスラスラと器用に鏡文字で書かれる。
やはり、お話はされないようだ。
「はい、訳あって実家から出ることになりまして、こちらの募集を見てまいりました。もしよろしければ、メイドとして雇っていただけないでしょうか?」
そこまで言うと、辺境伯様は一瞬表情が険しくなった。
どうしたのだろう……と疑問に思う間もなく、一節の文章が空中に紡がれる。
〔悪いが、メイドはもう募集していない〕
目の前に書かれた文字は、私に無情な現実を突きつけた。
「も、もう募集していないのですかっ!?」
辺境伯様が書かれた文字に、思わず驚きの声を上げてしまった。
まさか、そんな……。
呆然としていると、辺境伯様はさらに説明を続けてくれる。
〔募集しても私が怖いとすぐに辞めてしまうので、もう諦めたのだ。今日、募集停止の案内を出すつもりだった。間に合わず申し訳ない〕
「い、いえ、とんでもございません! そのような事情を知らず申し訳ございませんでしたっ」
ドキドキしながら謝る。
緊張しつつも、辺境伯様はそれほど怖い人ではないと感じた。
たしかに表情があまり変わらないし、雰囲気も暗い。
でも、会話の内容は普通で、むしろ相手を気遣ってくれる。
今まで辞めてしまった人たちは、きっと魔法文字で会話されるのが怖かったのだろう。
〔わざわざ来てもらいすまなかったな。今、手間賃を持ってこさせる〕
辺境伯様はエヴァちゃんたちに向き直ると、空中に文字を書き始める。
始まる前に……終わってしまった。
寂しさが胸にあふれる。
まだこのお屋敷にいたい、と思う。
行く当てがないというのもそうだけど、エヴァちゃんやアレン君ともっと一緒にいたい。
たった数十分で、オリオール家の日常より楽しい気分になれた。
“言霊館”での日々は楽しかったけど、仕事が終わると暗い時間が訪れた。
辺境伯様も噂と異なりお優しい方だ。
この家には、オリオール家よりずっと心が優しい人たちが集まっている……。
私もその輪に入れてもらいたかった。
勇気を振り絞り辺境伯様に言う。
「あ、あの……辺境伯様」
〔なんだ?〕
静かに深呼吸し、そっと告げた。
「私には……【言霊】というスキルがあるんです」
〔……【言霊】スキル?〕
「はい。私は言葉に魔力を乗せ、願った通りの現象を引き起こすことができます。詩の形式が一番効果的だともわかりました。魔力をたくさん消費すれば、その分強力な効果をもたらせます」
辺境伯様にスキルをお話しすると、最後まで興味深そうに聞いていた。
〔……なるほど、そのようなスキルがあるとは私も初めて聞いた。非常に有用だ〕
「もしよろしければ、最後に【言霊】スキルをご覧になっていただけませんか?」
文字通り、願いを込めて言った。
【言霊】スキルが役に立つとわかったら、お屋敷においてくれるかもしれない。
それでもダメならきっぱり諦めよう。
辺境伯様はしばし考えた後、さらさらと空中に魔法文字を書かれた。
〔わかった、ぜひ見せてほしい〕
心の中で、ホッと一息つく。
どうにかチャンスを貰えた。
でも、何に対して【言霊】スキルを使おうかな……。
考えたとき、お屋敷の前に広がるお庭の景色を思い出した。
「お庭の隅に萎れたお花がありました。元気いっぱいに復活させるのはいかがでしょうか」
〔ああ、それで構わない〕
辺境伯様とともにお庭に出る。
エヴァちゃんとアレン君も見学したいとのことで、二人も一緒についてきた。
お庭にはチューリップやパンジー、クレマチスなど、季節のお花が咲き誇る。
隅っこでは、水色のお花が数本元気なく萎れていた。
花びらは縮こまり、重そうに首を垂れる。
数日のうちに枯れてしまいそうだ。
エヴァちゃんとアレン君が悲しそうに呟く。
「わたしたちがいくらお水をあげても元気になりませんでした……」
「肥料を工夫しても萎れたままで……。もう抜くしかないかもしれません……」
二人の言葉からも、状態の悪さがわかる。
このお花は〈晴天ガーベラ〉。
晴れ渡った青空を思わせる、鮮やかな水色のガーベラだ。
どんなものにも【言霊】スキルが使えるよう、私はいつも本を読んで見識を深めていた。
辞書で言葉を探しながら、ノートに書き留める。
【言霊】スキルで大事なことは二つある。
よく観察することと、願いを叶えられるような言葉を選ぶこと。
しばらく羽ペンを走らせ、詩が完成した。
「辺境伯様、詩ができました」
〔読んでくれ〕
「はい」
今まで何度もやってきたことだけど、今回は一段と緊張するな。
心を落ち着かせ、深く息を吸う。
〈晴天ガーベラ〉が元気になってくれるよう願って、書いたばかりの詩を詠った。
――――
貴方の青は綺麗な青ね
まるで空から生まれたみたい
貴方の周りは安寧の地
来訪者はみな癒される
悲壮の雲は晴れ
穏やかな陽光が差し込むの
貴方のメランコリックな姿
見ているだけで悲しいわ
きっと今は少し元気がないだけ
でも大丈夫
私が神様にお祈りするから
貴方の生命の力が戻るように
――――
詩を詠い終わると、〈晴天ガーベラ〉が白い光に包まれた。
瞬く間に、萎れた花びらが瑞々しくなり、垂れた首がスッと空を向く。
枯れそうだったのに、今や生命力あふれる力強いお花となった。
復活してくれてホッとする。
「今のが私の【言霊】スキルなのですが……」
後ろを振り返って言うのだけど、辺境伯様たち三人はボーっとしていた。
あの~……と言葉を続ける前に、エヴァちゃんとアレン君がバンザイして喜ぶ。
「お花が生き返った~!」
「いくら僕たちがお世話しても復活しなかったのに~!」
二人は嬉しそうに喜んでは〈晴天ガーベラ〉を見る。
辺境伯様もまた、無表情ではあるけど驚いた様子で空中に文字を書いた。
〔本当に君が願った通りの現象が起きるんだな……。想像以上のすごいスキルだ〕
「ありがとうございます。お花が元気になってくれて私も嬉しいです」
安心するも、心の中の緊張感は消えない。
【言霊】スキルはうまくいったけど、肝心の仕事についてはこれから結論が出されるのだ。
辺境伯様の指先から魔法文字が生み出される。
〔先ほども伝えたが、メイドの募集はもう止めた〕
「は、はい……」
一転して、私の心は暗くなる。
やっぱりダメだったのか……。
そう思ったとき、一節の文章が紡がれた。
〔だが、代わりに特等メイドの募集を今始めた〕
え……?
思いもしない言葉にポカンとしたけど、すぐにお尋ねした。
「と、特等メイドでございますか? 失礼ながら、そのような役職は聞いたことがなく……」
〔私と同等の権限を持っているメイドだ。できれば、女性が良いのだが……どうだ?〕
胸の奥からじわじわと喜びがあふれる。
耐えることなどできず、大きな声で言った。
「はい、頑張らせていただきます!」
〔ただ、一点だけ確認しておきたいことがある〕
「な、何でしょうか」
ごくりと唾を飲むと、辺境伯様は無表情のまま魔法文字を書かれた。
〔私のことは怖くないか?〕
書かれたのは、たった一言だ。
私の答えは考えなくても決まっていた。
「辺境伯様……いえ、ご主人様はまったく怖くありません。むしろ、すごくお優しい方だと思います」
素直な気持ちを伝える。
たしかに緊張はするけど、それは辺境伯なんて偉い方だからだと思う。
恐怖や恐れなんて感情はもうとっくになかった。
〔そうか、それならよかった。あと……君は特等メイドなのだから、ご主人様とか辺境伯様とか呼ばなくていい〕
「え? い、いや、しかし……」
〔呼びたいように呼びなさい〕
呼びたいように呼ぶといっても、相手は公爵にも匹敵するほど偉い方だ。
ご主人様も辺境伯様も禁じられてしまったら、他に呼び方がないような……。
悩むこと数秒。
「そ、それでしたら、ルイ様……ではいかがでしょうか」
〔好きにしなさい〕
そう空中に書き残し、ルイ様はお屋敷に戻る。
すかさず、エヴァちゃんとアレン君が駆け寄ってきた。
「よかったね、ポーラちゃん! 絶対に採用されると思っていたよ!」
「これからも一緒にいられますね! 僕は自分のことのように嬉しいです!」
二人は満面の笑みで私の手を握る。
彼女らの笑顔を見て、喜びは何倍にも膨れ上がった。
「うん、よかった……。本当によかったよ!」
私たちの喜ぶ声を、お庭のお花たちはいつまでも聞いていた。
□□□
その後、本日はもう就寝して、仕事は明日から始めるように……とルイ様がおっしゃってくれた。
エヴァちゃんとアレン君に案内され、私の部屋に向かう。
ちょうど、二人の隣だった。
「ここがポーラちゃんのお部屋ね」
「困ったことがあったらいつでも言ってください」
「ありがとう、二人とも。明日からよろしくね」
お休みの挨拶を交わし、部屋に入る。
ベッドと棚と椅子があるだけ。
簡素だけど、不思議とオリオール家の自室より安らぎを感じた。
静かにベッドに入る。
清潔なシーツの香りが鼻をくすぐり、自然と安らかな気持ちになれた。
枕に頭を乗せると、ずっと気になっていた疑問が浮かぶ。
――ルイ様は……どうしてお話しされないのかな?
私なんかが踏み込んではいけない問題だろうけど、何か力になれたらいいなと思った。
――言葉には人を幸せにする力がある。
私はそう信じているから。
そこまで考えたところで、急に眠くなってきた。
知らないうちに、疲れが溜まっていたのだと思う。
深く考える間もなく、私は夢の世界に入ってしまった。
「ゲホッ、ゴホッ。喉が痛いし頭が痛いぃ~」
お義姉様を追い出してから数日後。
あたくしは激しい風邪をひいた。
今はオリオール家の一階にある自室で寝ている。
喉は水も飲めないほどヒリヒリと痛く、頭は寝返りを打つだけガンガンに痛い。
熱も高くて意識はぼんやりするばかり。
こんなにひどい風邪は久しぶりだ。
今まではどんなに夜更かししても、夜会で遊び回っても、一度も体調を崩さなかったのに……。
さっそく、新生"言霊館”をスタートさせるつもりが台無しだわ。
「シルヴィーお嬢様、ルシアン様がいらっしゃいました」
部屋の扉が叩かれるとともに、使用人の声が聞こえた。
風邪をひいてから、ルシアン様へ見舞いに来いと出した手紙が届いたらしい。
痛む喉を耐え、数々の男を虜にしたプリティボイスを出す。
「早くご案内してぇ」
扉が開き、あたくしの自慢の婚約者が現れた。
「シ、シルヴィー……風邪をひいたんだって? どうだ、具合は……」
名家の跡取りで、ワイルドな見た目と物言いが力強い男性だ。
お姉様から奪った優越感も相まって、一瞬風邪の症状が消えたような気がする。
だけど、ルシアン様の全身が明らかになるにつれ、あたくしの心は強い衝撃に襲われた。
「ル、ルシアン様、その格好はどうされたのですかっ」
ボロボロもボロボロ。
眼の周りには青タンが浮き出て、腕や足は傷だらけ、高価な服も裾が擦り切れている。
まるで、盗賊や山賊に襲われた直後のようなひどい有様だ。
見たこともないくらいの疲れ果てた様子に、思わず言葉を失った。
「遠征に出たら、湖のほとりで魔物に襲われたんだよ……。あの場所では、今まで一度も襲われたことはなかったのに……」
あたくしが風邪をひいてから程なくして、ルシアン様はダングルーム家の生業である魔物狩りの遠征に向かった。
そういえば、ちょうど今日が帰還の日だった。
「魔物ですかぁ……。あたくしのお見舞いは、少しお休みになられてからでよかったですのにぃ……」
「着替える気力もなかったんだよ……」
ルシアン様は疲れた様子であたくしのベッドの端に座る。
ちょ、ちょっと、どきなさいよ。
汚れるでしょうが。
「ルシアン様ぁ、そちらの椅子の方が座りやすいと思いますわぁ」
「おまけになんだか熱っぽいな。魔物の毒を食らったのかもしれん。なぁ、薬ないか?」
ルシアン様はあたくしの声など聞こえないかのように、額に手を当て深刻そうな顔で言う。 ベッドには汚れがつき、皺が寄り、風邪とは別に最悪の気分となった。
疲れた様子を見ていると、ふと気づく。
もしかして……あたくしの風邪はルシアン様にうつされたんじゃないの?
そうよ、そうに決まっている。
きっと、ルシアン様は遠征に行く前に風邪をひいていて、あたくしにうつしたのだ。
怒りが湧いたとき、扉がコツコツと叩かれた。
「失礼いたします、シルヴィー様」
「なに! 今大事な話を……!」
「"言霊館”にモンディエール侯爵様がお見えになられていらっしゃいますが……」
「なん……ですって……?」
モンディエール侯爵。
六十歳ほどのダンディーな男性で、王国を代表する大変に高貴な貴族だ。
国内で十個ほどの農園を経営し、金や銀が産出される鉱山を三個も所持する。
伯爵家など比べものにならない……。
予期せぬ来訪者に驚く間も、使用人は扉の隙間から話を続ける。
「以前からポーラ様と懇意にされていたようで、本日も詩の製作を頼みに来たとのことです。毎年、季節の変わり目になると眼が痛くなり、ポーラ様の詩で症状を和らげていたとおっしゃっています」
モンディエール侯爵は……"言霊館”の常連だったのだ。
お義姉様めぇぇ、そんな大事なことを言わずに出て行くなんて。
重要な客の情報は、事前に伝えておくべきでしょう。
迷惑なお義姉様ね。
おまけに、新生"言霊館”の記念すべき最初の客が、お義姉様の名声で訪れたようなものじゃないの。
腹立たしい……ちょっと待ちなさい。
お義姉様への憎しみを募らせたとき、とある可能性に気づいた。
――これはチャンスなのでは? あたくしが侯爵夫人になれるチャンス……。
まさしく。
これは天啓なのだ。
あたくしに侯爵夫人になれという……。
さらに、侯爵令息は誰もが羨む美男子だ。
「お義姉様の代わりにあたくしが詩を書くわぁ。モンディエール侯爵には少し待つよう伝えなさぁい」
ケープだけ羽織って"言霊館”に急ぐ。
頭が割れるように痛むも、侯爵夫人という肩書きを思えばこれくらい大した痛みではなかった。
離れの"言霊館”に裏口から入る。
そっと店内を覗くといた。
灰色のオールバックの男性――モンディエール侯爵が。
しかも……。
――令息までいるじゃないの!
父親より淡い灰色の髪の美男子。
ルシアン様とは正反対の優男だ。
持ってきたポーチから化粧道具を取り出し、さっと身だしなみを整える。
よし、これで侯爵令息のハートを掴むわよ。
カウンターから出て、二人の前に姿を現す。
「こんにちはぁ、モンディエール侯爵ぅ。ようこそおいでくださいましたぁ」
「き、君は誰だね? オリオール家の者か? ポーラ嬢はいないのかね?」
出た瞬間、モンディエール侯爵は顔が引きつった。
いや、令息もそうだ。
……この反応はなに?
不快な感情を押し殺し、とっておきのプリティフェイスとプリティボイスを心がける。
大事なのはこれからよ。
「あたくしはポーラの義妹、シルヴィーでございます。お義姉様以上の言葉にまつわるスキルを持っております。どうでしょうか、あたくしに詩を……」
「いや、別に結構。ポーラ嬢がいいのだ」
即答で断られた。
あたくしがむかついている間も、モンディエール侯爵はお義姉様の話をする。
それはそれは晴れやかな笑顔で。
「ポーラ嬢は本当に素晴らしい。彼女のおかげで私は快適な暮らしを送れているようなものだ。王様にもお話ししたら、いずれご自身の持病も癒やしてほしいとおっしゃっていた」
お義姉様の話をするときだけは嬉しそうだ。
モンディエール侯爵も令息も。
というか、王様にも話したってなに?
男爵家が話題にのぼるなんてあり得ないでしょうが。
自分との扱いの差を見せつけられているようで、大変にイライラする。
ので、もう会話を終わらすことにした。
「お義姉様は体調を崩しておりますわ。今日はとても詩の製作ができないそうです」
あんたらの大事なお義姉様はもういませんよ~だ。
追い出したことは伝えないでやる。
こうなったら出直しよ。
風邪を治してから、侯爵には会いに行けばいいわ。
そして、体調不良と聞くと、モンディエール侯爵と令息は初めて見るような不安そうな顔になった。
……この反応もまたイライラするわね。
「なに、体調不良なのか? ……それは心配だな。後で見舞いの品を持ってこさせよう。では、我々はこれで失礼する。ポーラ嬢によろしく言っておいてくれたまえ。息子を紹介したかったが、体調不良ではむしろ迷惑だろう」
「あっ、ちょっ!」
追いかける間もなく、モンディエール侯爵たちはさっさと"言霊館”から出て行く。
窓から外の様子を窺うと、二人が残念そうに帰るのが見えた。
ふ、ふざけんじゃないわよ。
――お義姉様に息子を紹介ですって!?
あたくしの実力があれば、確実にお義姉様以上の詩を書けたはず。
そうすれば、侯爵からよい評価をもらい、侯爵令息に乗り換えることだってできたかもしれないのに。
風邪さえひいていなければ……。
怒りとやるせなさを抱き、自室に戻る。
ベッドの隅で座るルシアン様を見ると、じわじわと今までの怒りがさらに強くなった。
「あんたのせいよ! あんたが風邪をうつしてから、チャンスを無駄にしちゃったじゃない!」
耐えかねて叫んだ。
全てはこの男、ルシアン・ダングレームが悪いのだ。
ルシアン様はというと、あたくしの糾弾に反抗してきた。
「はぁ!? 知らねえよ! 俺は関係ねえだろうが! なんでもかんでも人のせいにするな!」
「いたっ!」
あろうことか、バシッと頭を叩かれた。
腹の底からマグマのように怒りがわき上がる。
……もう我慢ならん。
「あたくしの麗しい顔に傷がついたらどうすんだよ、クソ野郎!」
「ぐあああっ!」
ルシアン様の腹に渾身の右ストレートをかまし、うずくまってがら空きの首に勢いよく肘を叩き落とした。
二連撃を食らい、ルシアン様はぐったりと床に崩れ落ちる。
はい、あたくしの勝ち。
舐めんじゃないわよ、まったく。
風邪をひいていようが、これくらいは造作もないわ。
ルシアン様を窓から外に捨て、ベッドに潜り込む。
――今に見てなさい、お義姉様。あんたの名前が残っているのもあと数日だわ。
風邪が治ったら本格的に"言霊館 ver.シルヴィー”を始動させる。
お義姉様の痕跡など、跡形もなく消し去ってやるんだから。
ゴホッ、ゴホッ。
〔みなも知っている通り、今日からポーラがこの屋敷で働くことになった〕
「よろしくお願いします」
翌日、お庭でルイ様に改めて紹介されると、エヴァちゃんとアレン君がパチパチと拍手で歓迎してくれた。
朝陽は眩しく、私の心まで届くようだ。
安心したのか、昨晩はぐっすり寝てしまった。
居場所があるありがたさを実感する。
ルイ様は私に向き直ると、魔法文字を書かれた。
〔特等メイドといっても、基本的にやってもらうことはエヴァやアレンたちと変わらない。彼女らの仕事をサポートしてくれ〕
「はい、わかりましたっ。何でもやらせていただきますっ」
〔では、まずは屋敷を案内しよう。歩きながら仕事の説明をする〕
「よろしくお願いします」
ルイ様に続き、お屋敷の中を歩く。
執務室、応接室、食堂、大広間、書物庫……。
どれもオリオール家とは比べ物にならないほど豪華絢爛かつ、成金のような趣味の悪さは少しも感じなかった。
きっと、ルイ様のセンスがいいのだろう。
〔普段から客は少ないが、来客は応接室で対応することが多い。執務室も勝手に掃除してくれて構わない〕
「なるほど……」
ルイ様が書いたことや、エヴァちゃんたちに言われたことをノートに逐一メモする。
掃除、洗濯、食事の用意など、家事全般が主な仕事のようだ。
途中、ルイ様が医務室に入った後、エヴァちゃんが私に言った。
「掃除のやり方とかはちゃんと教えるから安心してね」
「ありがとう。オリオール家にもメイドさんはいたけど、ほとんど義妹と両親が占有していたの。身の回りのことは自分でやることが多かったから、洗濯とかも一通りはできると思う」
実家も一応男爵家だったので、何人かの使用人がいた。
父と義母、そして義妹は家事など何もやらないしわがままなので、いつも三人の世話に追われていたのだ。
「ポーラちゃんの辛い日々がまた明らかになったよ……」
「苦労人だったんですねぇ……」
ちょっと伝えただけで、エヴァちゃんとアレン君はほろりとしちゃう。
感受性の豊かな人たちなのだ。
そこまで話したところで、ルイ様がポーションのような容器を片手に医務室から出てきた。
今度はお屋敷から出て、お庭を横切る。
〔庭の草花も世話してやってくれ。君に世話されると嬉しいだろう〕
「かしこまりました。萎れているお花があったら、【言霊】スキルで復活させますね」
〔あまり無理はするな。昨日はスキルの効果を確かめるため使ってもらったが、生けるものが死すのは自然の摂理だ〕
ルイ様の言葉からは気遣いが滲む。
私が心穏やかでいられるのも、ルイ様がお優しい方だからと思う。
期待に応えられるよう頑張らなきゃ。
心の中で密かに、だけど力強く決心する。
お屋敷から歩くこと約五分。
私たちは大きな森の手前に着いた。
20mほどもある高い木がいくつも立ち並び、鬱蒼と草木が茂る。
森の中は薄暗いのに不思議と怖くはなく、むしろ威風堂々とした荘厳な印象だった。
まるで聖域を思わせる神聖な森に見える。
「うわぁ……こんなに大きくて深い森は初めて見ました。それに、なんだか神聖さも感じます」
〔ここは‟霊気の森“という。代々アングルヴァン家に伝わる森だ。君にはこの森の手入れも頼みたい。広大なので、エヴァとアレンでは手が回らないのだ。私もたまに手入れをしているがな〕
ルイ様を先頭に、“霊気の森”に足を踏み入れる。
遊歩道のような道が、右に左にと緩やかに曲がりながら奥へと続く。
てっきり手つかずの自然が広がっているもんだと思っていたけど、きちんと人が通れるよう整備されていた。
「外からは遊歩道があるとは思いませんでした」
〔たまに来客を案内することもあるんだ〕
木々の幹は太く、空高く伸びる。
足元には小さなお花が元気いっぱいに咲いており、見る者を楽しませる。
森の外に比べて太陽の光は遮られているはずなのに、薄暗さは少しも感じない。
暗いどころか、木漏れ日がちらちらと瞬いて幻想的でとても美しい。
木陰に精霊がいたり、花の周りで妖精が躍っていてもおかしくない雰囲気だ。
ひときわ澄んだ空気で胸が満たされ、歩くだけで気分爽快となる。
草木は適度な密度で伸びやかに生えていた。
過度に密集しないよう、細かく手入れされているのだ。
ルイ様は道端に咲く草や花について、あれこれと説明してくれる。
花の部分がおぼろげに光る〈朧すずらん〉、花びらが星の形をした桜草〈星桜草〉、小さなお姫様みたいな上品さがある〈ヒメ菜の花〉……。
知らないお花や植物がいっぱいあるな。
ここ‟ロコルル“はオリオール家より北に位置するからか、見たことない植物ばかりだった。
「あの、ルイ様。一つお願いをしてもよろしいでしょうか」
〔なんだ?〕
「お屋敷の書物庫にある本を読ませていただけませんか? アングルヴァン家の歴史や、草花の種類を知りたいのです」
〔ああ、別に構わないが。君は本を読むのが好きなのか?〕
ルイ様はさらさらと魔法文字を書く。
たしかに、私は読書が好きだった。
でも、それ以上に重要な理由がある。
「読書が好きなのもそうですが……それ以上に、ルイ様のお役に立てるよう少しでも見聞を広げたいのです。【言霊】スキルは相手のことを知れば知るほど強力になりますから」
まったく知らないものに対しては、【言霊】スキルの効き目は弱くなる。
逆に、知れば知るほど効果が強くなるのだ。
その旨も説明すると、ルイ様は静かに聞いていた。
〔さて……君に紹介しておく者がいる〕
そう書くと、ルイ様は遊歩道から外れて森の中に足を踏み入れた。
遊歩道から離れるほど森は深くなるけど、ルイ様は躊躇なく進む。
紹介しておく者って、木こりさんとかかな?
ガサガサと歩くこと数分、草木の奥にひときわ大きな樹が見えてきた。
もしかしたら、背の高さは40mくらいまであるかもしれない。
幹はまるで巨人の腕みたいだ。
そして、木の下には見慣れない灰色の丸い塊があった。
ルイ様は巨大な樹の方へ進むと、灰色の塊の前で止まる。
〔君に紹介したい者とは彼のことだ〕
「え……? こちらが……ですか?」
ルイ様はしゃがむと、灰色の塊を優しく揺する。
灰色の塊はもぞもぞと動き……なんと狼に変わった。
美しい黄色の瞳に真っ直ぐ伸びた顎。
力強さと高貴さが共存したような凛々しさだけど、呼吸も浅いし、どことなく元気のない感じがした。
〔彼はガルシオ。フェンリルだ〕
「フェ、フェンリルッ!? ……でございますか!?」
ルイ様の言葉に驚いて、思わず叫んでしまった。
フェンリルは伝説の神獣だ。
出会えるのは人生で一度あるかないかという、大変に珍しい存在だった。
まさか、紹介したい人がフェンリルだったとは……。
てっきり木こりさんとかだと思っていたから、とにかく驚いた。
『見かけない顔のお嬢さんだな……。新入りか……?』
「ひ、人の言葉ぁ!? ……を話せるのですか!」
今度は普通に話しかけられ、またもや激しく驚いた。
〔そんなに驚くことは無い。フェンリルは人語など容易く話す。よく知られていることだ。ちなみに、ガルシオは文字も読める〕
ルイ様は簡単に書くけど、私には初耳もいいところだった。
私のフェンリルについての知識は、伝え聞いた伝承や本に書かれていた内容くらいしかない。
ガルシオさんは、ゆっくりと私に右手を伸ばす。
『ガルシオだ……よろしく……』
「ポーラ・オリオールです。昨日からルイ様のお屋敷で、特等メイドとして働いております」
『そんなメイドがいるんだなぁ……』
ガルシオさんと握手を交わす。
思ったより冷たい体温に、内心ひやっとした。
伝え聞いた話では、フェンリルの毛は常に銀色に光り輝くそうだ。
わずかな月明かりでもキラキラと輝き、見る者を釘付けにしてしまうという。
それなのに、今のガルシオさんの毛はくすんだ灰色で、ぺたんと力なく倒れていた。
ルイ様は懐から、先ほどのポーションを取り出す。
〔ほら、ガルシオ。新しく調合したポーションだ。飲んでくれ〕
『ありがとうよ……』
ガルシオさんはポーションを受け取ると、両手で持ってこくりと飲んだ。
すかさず、ルイ様は慌てた様子で尋ねる。
〔体の具合はどうだ?〕
『……あまり変わらないな』
二人のやり取りを見ていると、心の中に薄っすらと漂っていた心配が徐々に色濃くなった。
もしかして……。
「ガルシオさんは具合が悪いのですか……?」
〔……ああ、そうなんだ。実は、数か月前からずっと体調が悪い。回復魔法や秘薬の調合、名の知れた医術師や薬師による治療……あらゆる手段を尽くしているが、まったく効果がない。対応に苦慮しているところだ〕
『まぁ、もう寿命が近いのかもしれないな……』
〔悲しいことを言うな〕
辛そうなガルシオさんとルイ様を見ると、胸が刺すように痛くなる。
傍らのエヴァちゃんやアレン君も悲しそうだ。
いても立ってもいられなくなった。
「私が【言霊】スキルでガルシオさんの病気を治します」
気がついたら、力強く言っていた。
私のスキルは誰かのためにあるのだから。
『【言霊】スキル……?』
「はい、私は言葉に魔力を乗せることができるのです」
ガルシオさんにもスキルについて説明する。
ルイ様と同じように、興味深そうに聞いてくれた。
『へぇ、珍しいスキルだなぁ……』
「私の力でガルシオさんの病気を治せるかもしれません。……どうでしょうか、ルイ様。私に【言霊】スキルを使わせてくれませんか?」
そうお願いすると、ルイ様は何やら考えていた。
しばし考えた後、空中に魔法文字が書かれる。
〔気持ちは嬉しい。だが、同時に危険もある。君の【言霊】は言葉に魔力を乗せると聞いた。ガルシオの病状を考えると、相当の魔力を消費するだろう。君が倒れてしまっては元も子もない〕
ルイ様の気遣いが心に沁みる。
でも、それに甘えるわけにはいかなかった。
私は医術師や薬師ではないけれど、ガルシオさんの具合の悪さはよくわかる。
だって……すごく辛そうだから。
「……ありがとうございます、ルイ様。 ですが……お願いです。私にガルシオさんを癒させてください。このまま見過ごすなんて、絶対にできません。少しでも良くなる可能性があるなら、精一杯頑張りたいのです」
自分の力で困っている人が助かるかもしれないのなら、正面から挑むべきだ。
それに、【言霊】スキルを授かってからの二年間、力を使っても倒れたりしたことは一度もなかった。
今日はまだスキルを使っていないし、体力も魔力も充実している。
その話もルイ様にすると、無表情にほんのわずかな笑みが浮かんだ。
〔……わかった。頼む、彼を救ってほしい〕
「ありがとうございます……ルイ様。このポーラ、全身全霊で誌を書かせていただきます。……では、お疲れのところ悪いですが、ガルシオさんの話を聞かせてくれませんか? 相手について知れば知るほど、【言霊】スキルは強くなるのです」
私がそう言うと、ガルシオさんは顎に前足を当て考える。
『俺とルイが出会ったのは……今から十年前だったかな。……うん、たしかそうだ』
〔もうそんなに経つのか。時の流れは早いものだ〕
『ダンジョンの最深部で強力な魔物の群れに襲われ死にそうになっていたとき、助けてくれたのがルイだ……』
ルイ様とガルシオさんは、二人の出会いや十年の日々を話してくれる。
お屋敷での日々を話しているときだけは、ガルシオさんは元気に見えた。
フェンリルの伝承や本で読んだことを思い出しながら、辞書をめくり、言葉の海から一つずつ言葉を掬い取る。
死の淵に追い込まれてしまったガルシオさんを救うために……。
五分ほど羽ペンを走らせ、詩が完成した。
「お待たせしてすみません。詩ができました。それでは、読ませていただきますね」
『詩を聞くなんて久しぶりだよ……楽しみだ』
深く息を吸い、願いを込めて詩を詠う。
ガルシオさんが元気になってくれますようにと……。
――――
神秘の森に佇むは
薄墨の神獣
冬に取り残された
貴方の体躯に春を呼ぼう
病よ立ち去れ
病よ立ち去れ
地を駆ける足は疾風のごとく
万物を裂く爪は迅雷のごとく
貴方の体躯には神力が宿る
病よ立ち去れ
病よ立ち去れ
北の当主の良き友人たる
心優しき神の獣よ
今ここに
闇夜を照らす満月となりたもう
――――
詩を詠い終わると、〈晴天ガーベラ〉のときと同じ白い光がガルシオさんの全身を包んだ。
少しずつその身体に変化が現れる。
目には力が戻り、表情が明るくなり、ぺたんとした毛がふさふさに変わる……。
やがて、ガルシオさんの全身が銀色に光り輝いた。
まるで目の前に、それこそ満月があるかのような輝きを放つ。
今まで見たことがないくらいの神々しい美しさに、言葉も忘れて見とれてしまった。
エヴァちゃんもアレン君も、そしてルイ様も、みんなガルシオさんから目が離せないようだ。
ガルシオさんは力強く跳ね回ると、興奮した様子で私の前に来た。
『ありがとう、ポーラ! お前のおかげで病気が治ったぞ! 身体もポカポカだ!』
「ほ、ほんとですね。すごいあったかい……」
ガルシオさんは前足で私の手を掴み、身体を触らせてくれた。
さっき触ったよりずっと温かく、もふもふで気持ちいい。
いつまでも触っていたい気分だ。
「「ガルシオさんの病気が治ったー! もふもふであったかーい!」」
エヴァちゃんとアレン君もバンザイして喜んでは、ガルシオさんの周りで走り回る。
ルイ様はというと、驚きの表情で口を抑えていた。
私が見ているのに気づくと、さらさらと魔法文字を書く。
〔まさか、これほどの力があるとは……。規格外もいいところだな〕
「うまくいってよかったです。これも、ルイ様とガルシオさんがお二人のことを話してくれたからですね」
【言霊】スキルの効力を十分に発揮するには、相手を良く知る必要がある。
ルイ様とガルシオさんが、自分たちの出会いや今までの日々を教えてくれたから、病気を治すことができたのだ。
少しして、ルイ様は空中に短い文章を小さく書いた。
〔ありがとう……ポーラ〕
初めて……名前を呼んでくれた気がする。
じわじわと胸にあふれる嬉しさ。
空中に書かれた小さな文字が消えても、私の目にははっきりと刻まれていた。
『なぁ、ポーラ。背中に乗せてやろうか?』
「え……?」
嬉しさを感じていたら、ガルシオさんに言われた。
『‟霊気の森‟の端っこまで連れて行ってやる。いい眺めだぞ』
「ありがとうございます。でも、大変ありがたいのですが、まだお仕事が残っておりまして」
掃除に洗濯……まだまだやることがあるはず。
自分だけ仕事をしないわけにはいかない。
そう思っていたら、ルイ様がさらさらと書いてくれた。
〔別に気にしなくていい。ガルシオに連れて行ってもらいなさい〕
「そうだよ、ポーラちゃん。仕事はわたしたちがやっておくから安心して」
「どうぞ楽しんできてください」
エヴァちゃんもアレン君も、快く言ってくれる。
せっかくなので、ガルシオさんにお願いすることにした。
綺麗な眺めも見てみたい。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
『決まりだな。じゃあ、行くぞ。ほら、背中に乗れ』
「はい、よろしくお願……!」
ガルシオさんの背中に乗った瞬間、ぐんっと加速した。
目に映る木々や草花が見えないくらい、景色がどんどん後ろに遠ざかる。
『振り落とされないようにしっかり掴まっておけよ!』
「も、もう少し、スピードを落としていただけませんか!?」
『いやぁ、こんなに走れるのは久しぶりだ! もっとスピードを上げたくなるな!』
私の言うことなど聞こえないかのように、ガルシオさんは勢いよく走る。
落っこちないように、ギュッとガルシオさんの身体を握るしかなかった。
数分も走ると、徐々にスピードが落ち着いてきた。
『ほら、着いたぞ。もう離していい。そんなに首を絞められたら気絶しそうだ』
「す、すみません、怖くて」
ホッとしながら地面に下りる。
土の感触に安心するのも束の間、目に広大な草原と優雅な山々が飛び込んできた。
――うわぁ……綺麗……。
風に揺れる草に空高く伸びる山頂。
晴れ渡る青空と深い緑の鮮やかなコントラストが、今この場所にいる幸せを何倍も強く感じさせてくれた。
『ここは“霊気の森”の端っこだ。正面の山々は“ロコルル連峰”だな』
「こんな近くにあるんですね。ガルシオさんに乗せてもらわないとわかりませんでした」
雄大な“ロコルル連峰”を見ながら、爽やかな笑顔でガルシオさんは言う。
『さっきも話した通り、十年前俺はルイに命を救われた。そして、今度はポーラに救われた。俺は本当に運のいいフェンリルだな』
その明るい表情を見て、頑張ってよかったと強く思った。
心の中で、今言われた言葉を反芻する。
運のいいフェンリルか……。
「私も……運のいい人間です」
『ポーラも?』
呟くように言ったら、ガルシオさんはポカンとした顔を浮かべた。
「だって……ルイ様やエヴァちゃん、アレン君、そしてガルシオさんに出会えたのですから」
つくづく実感する。
自分は運のいい人間だと。
素直な思いを伝えると、ガルシオさんはフッと笑った。
『この先もルイとは仲良くしてやってくれ』
「はい……もちろんです!」
私もまた、笑顔で返事した。
ガルシオさんに乗って、お屋敷に戻る。
行きと同じように、ぐんぐん走ってあっという間に着いてしまった。
笑顔のエヴァちゃん、アレン君、そして柔らかな無表情のルイ様が出迎えてくれた。
止まる直前、ガルシオさんは振り返ると私に言う。
にっこりとした笑顔で。
『これからもよろしくな、ポーラ』
「はい! こちらこそよろしくお願いします!」
勢いよく、ガルシオさんの背中から飛び降りた。
私の心は温かな充足感で満たされている。
無事、ガルシオさんの病気を癒すことができたのだ。
『ポーラはブラッシングもうまいんだなぁ。心地良くて眠ってしまいそうだ』
「ありがとうございます。だいぶ慣れてきたからかもしれませんね」
『きっと、元々才能があったんだろう』
お庭でガルシオさんの身体にブラシを通す。
さっさっと腕を動かすたび、もふもふの毛は銀色に煌めく。
病気を癒してから、もう一週間ほどが経った。
特等メイドとしての仕事以外に、ガルシオさんご指名で、新たにブラッシングの役割を命じれらたのだ。
午前中の昼前、日の当たるところで行うのが日課だ。
エヴァちゃんやアレン君と一緒に、お屋敷の管理を行う日々。
掃除も洗濯も楽しい。
お屋敷での生活にも慣れ、豊かな気持ちで仕事をさせていただいている。
「ブラッシングが終わりましたよ。……どうですか? まだ足りないところとかないですか?」
『いや、ないよ。ありがとう、ポーラ。毛がふさふさだと気分もいいな』
ガルシオさんはぐ~っと背中を伸ばす。
元気な姿が見られるようになって、私も本当に嬉しい。
ブラッシングの道具を片付けていたら、お屋敷からエヴァちゃんとアレン君が歩いてきた。
「ポーラちゃんにブラッシングしてもらったんですね。ふさふさで触りたくなっちゃいますよ」
「眩しいくらいの輝きで、お屋敷の中にも光が差し込むようでした」
『ちょっとくらいなら触ってもいいぞ』
「「いいんですか!? うわーい!」」
ふさふさな毛を触り、エヴァちゃんとアレン君は喜ぶ。
ガルシオさんもまた、さりげなく得意げな顔となる。
この光景もすっかり日常となっていた。
『じゃあ、俺はそろそろ森に戻るかな』
「「は~い」」
“霊気の森”へと、てくてく歩くガルシオさんを見送る。
お庭もいいけど、森の澄んだ空気がとても好きらしい。
「ポーラちゃん、今日はお花の手入れをしようか」
「はいっ、わかりましたっ」
エヴァちゃんの言葉に大きな声で返事する。
同い年でも、彼女は立派な先輩なのだった。
「ブラッシングの道具は僕が片付けておきますよ。また、お屋敷に戻るので」
「ありがとう、アレン君。じゃあ、お願いしようかな」
お言葉に甘え、アレン君に道具を預ける。
軽い物ばかりなので安心して渡せた。
エヴァちゃんと一緒にお庭のお花を手入れする。
作業をしながら、彼女はお花の種類を説明してくれた。
「この紫のお花は〈夜露チューリップ〉。空気中の水分を集める力が強くて、朝になるとたっぷりの露が溜まっているよ。こっちの黄色い花は〈飛びタンポポ〉。風が吹いていなくても、綿毛は自分で飛んでいくんだよ」
花壇には森と同じように、多種多様なお花が育っている。
中には見知ったお花もあったけど、大部分はお屋敷に来て初めて見たものだった。
自然と気が引き締まる。
「どれも見たことないお花ばっかりだ……。もっと勉強しないと」
「たしか、書物庫にお花の図鑑もあったと思うよ」
「読まなきゃ」
【言霊】スキルを使うには日々の勉強が大切だ。
だから、わからないことがあれば、日頃からすぐ調べるようにしていた。
エヴァちゃんはお花の詳しい手入れの仕方も教えてくれる。
「萎れてきたお花はね、手で摘んだり鋏で切ったりするだけで復活するの」
そう言って、チョキチョキと鋏を動かす。
目の先っぽを取り除く摘心、鉢植えの余分な葉っぱや花を切り取る刈り込み、もう咲き終わってしまった茎をちょきんと切る切り戻し……。
お花をまた綺麗に咲かせる三つの方法だ。
新しい言葉が出てくるたび、心のノートにメモする。
お屋敷では毎日新たな発見があって楽しいね。
三十分も作業すると、切り取ったお花がこんもりと小さな山になるくらい集まった。
「エヴァちゃん、このお花たちはどうするの?」
「栄養になるからいつも花壇の土に埋めてるよ。もしくは森に撒いたりしてるかな」
「なるほど……」
たしかに、花びらは良い肥料になるだろう。
でも、集めたお花たちを見ると、すぐに捨ててしまうのはなんだかもったいない気がした。
「ねえ、摘み取ったお花をブーケにするのはどうかな。テーブルに飾ったりすると食卓が明るくなるかも」
以前”言霊館”で、割れてしまった壺を修復してほしい、という依頼があった。
調度品や室内の飾りつけに関する本を読んだとき、テーブルブーケについての記述を読んだのだ。
その本には絵も描かれており、和やかな気持ちになったのを覚えている。
「いい案だね、ポーラちゃん。ご主人様も喜ぶと思う」
お庭に咲くお花は、どれも可愛くて綺麗だ。
ブーケにすれば季節感も感じられるし、枯れてしまうまで少しでも楽しめるだろう。
お花も嬉しいんじゃないかな。
そう思った時、エヴァちゃんが辛そうに肩を回しているのに気がついた。
回すたびゴキゴキと重い音が鳴る。
「……肩が痛いの?」
「まぁ、痛いというか凝ってる……って感じかな。なんか、疲れが溜まっているんだよね。自分でストレッチしたり、アレンにマッサージさせたりしてもなかなか治らないの」
エヴァちゃんは微笑みながら言うも、顔にはやや疲れが滲んでいた。
肩が凝っていては動きづらいだろうに……。
今こそ、【言霊】スキルの出番だ。
「だったら私が治してあげるよ」
「で、でも、もったいないよ。ポーラちゃんのスキルは、ご主人様やガルシオさんみたいな高貴な人たちのために使わないと」
私が言うと、エヴァちゃんは顔の前で手を振って遠慮した。
エヴァちゃんの手をそっと握る。
「そんなこと言わないで。【言霊】スキルは誰かの役に立ってこそなんだから」
高貴だとか、高貴じゃないとか、そんなものは関係ない。
【言霊】は困っている人に使うべきスキルなのだ。
「じゃあ……お願いしようかな。薬草を貼ったりしてもなかなか良くならないの」
「私に任せて。キレイサッパリ解消してみせるからね」
「ポーラちゃんがいると心強いなぁ」
お屋敷に来てから、エヴェちゃんには本当にたくさんのことを教えてもらっている。
少しでも恩返しがしたかった。
「詩を書く前に、ちょっと肩凝りの状態を確認させてもらえる? よく把握するほど精度があがるから」
「もちろん、どうぞ」
エヴァちゃんの両肩に手を添えて、ちょっと揉んでみる。
たしかに、石のように硬く凝っていた。
これは大変だ。
腕も動かしづらいだろう。
辞書を開き、羽ペンを走らすこと数分。
詩が書けた。
「それでは、詩を詠いたいと思います」
「楽しみ~」
エヴァちゃんの肩凝りが治りますように……。
そう願いを込めて詩を詠う。
――
不安を胸に訪れたお屋敷
最初に出会ったのがあなた
佇まいは凛として
内に秘めるは豊かな情緒
私の不安が消えたのは
あなたのおかげ
いつも私を助けてくれる
そんなあなたが私は好き
あなたの肩にはお化けがいるね
のしかかって動きを止める
悪いお化け
でもお化けがいるのはこの時までだよ
今度は私が助ける番
私の大切な友人
自由よ戻れ
――
詩を詠い終わると、エヴァちゃんの全身、特に肩の周りに白い光が集まった。
うまくいくか、ドキドキしながら見守る。
エヴァちゃんはというと、徐々にその顔がうっとりとしてきた。
ぽわぁ~とした表情で宙を見る。
「なんか……すごい心地良いよ。お風呂に入っているみたいな温かさ……」
しばらくした後、白い光は静かに消えた。
「ど、どうかな? 肩凝りが治っているといいんだけど……うわっ」
「肩が……軽いっ! 軽いよ、ポーラちゃん! こんなに軽いのは久しぶりもいいところ!」
エヴァちゃんはぐるぐるぐるっ! と勢いよく肩を回す。
先ほどまでの辛そうな様子からは考えられない。
治ってよかったとホッとする。
「きっと、疲れが溜まっていたんだろうね。また肩が凝ってきたら教えて。これからは私も手伝うから、エヴァちゃんを肩凝りになんかさせないよ」
「……ポーラちゃぁん」
そう言うと、エヴァちゃんは瞳がうるうるしてしまった。
何はともあれ、お庭の手入れを再開する。
萎れそうなお花を摘み、余分な葉っぱや茎を切る。
〈夜露チューリップ〉に〈飛びタンポポ〉、ハーブのような爽やかな香りの〈ハーブパンジー〉、日が暮れると光り出す〈ヒカリアネモネ〉……などなど、色んな種類のお花が盛りだくさん集まった。
一度お屋敷に持っていき、いくつかの花瓶に分けて入れる。
お庭の花で作った、特製テーブルブーケができた。
思った以上に綺麗で、私とエヴァちゃんはしばし見とれてしまった。
「なんだか、花壇がそのまま移動したみたいだよ。ルイ様も喜んでくださるかなぁ」
「喜ぶに決まってるよ。こんなに綺麗なんだから。ポーラちゃんのアイデアはお見事だね」
食堂のテーブルに特製ブーケを飾っていると、ルイ様がいらっしゃった。
〔ご苦労、二人とも。……ほう、綺麗な花ではないか。庭に咲いているものか?〕
「はい、いつもは森や土に捨ててしまうのですが、ポーラちゃんの案でテーブルブーケにしてみました」
〔それは素晴らしいアイデアだ。ポーラ、とても美しい。……いや、花のことだが〕
「ありがとうございます、ルイ様」
ルイ様も嬉しそうにブーケを見てはお花を撫でる。
喜んでくださったみたいで良かった。
「聞いてくださいませ、ご主人様。ポーラちゃんが【言霊】スキルで肩凝りを治してくださったのです! おかげで自由自在に動かせるようになりました!」
〔そうか、良かったじゃないか〕
「どんな薬草やストレッチより効果的でした! しかもすごく心地いい感覚で……」
エヴァちゃんはとうとうと、【言霊】スキルの素晴らしさを話してくれる。
ルイ様は話を聞きながら、そっと私の前に魔法文字を書いた。
〔これからも……花を飾ってくれ〕
「はい、かしこまりました!」
元気よく返事する。
ルイ様は相変わらず無表情だけど、私にはほのかな笑みが浮かんでいるのが見えた。
私たちの会話を聞きながら、テーブルブーケは誇らしげに咲き誇っていた。
「ククク……ようやくこの日が来たわ」
自室で髪をセットしながらも笑みが零れてしまう。
一週間ほどあたくしを苦しめていた風邪が治った。
熱も下がったし喉や頭の痛みも消えている。
あの後、モンディエール侯爵から見舞いの果物が届いたけど、あたくしが全部食ってやった。
最高においしかったわ。
ルシアン様のせいで余計な時間がかかってしまったわね。
でも、体調さえ戻ればもう大丈夫。
今日から新生"言霊館”の始まりよ。
色々と運ぶ物があるので、ルシアン様も呼んでいた。
もうじき来るはず……。
"言霊館”の前で待っていたら、やがてダングレーム家の馬車が止まった。
ルシアン様は降りるや否や、開口一番に告げる。
「シ、シルヴィー、すまねえ。今日は用事があってだな。すぐに帰らなきゃいけねえんだ」
「……は?」
憎悪を込めた眼で睨む。
話が違うじゃないの。
「い、いや、大丈夫だっ。何でもないっ」
睨むや否や、ルシアン様は慌てて言った。
何でもないのなら言うんじゃないわよ。
ルシアン様はかすかに震えていた。
まだ熱があるのかしら。
うつしたら八つ裂きにしてやる。
でも、まぁ、いいでしょう。
いつものプリティフェイスとプリティボイスで話してやることにした。
「ルシアン様ぁ、早く看板出してぇ」
「あ、ああ、もちろんだ。……おい、お前ら、さっさと運び出せ!」
ルシアン様に命じて、これまたルシアン様に作らせた看板を掲げる。
"言霊館 ver.シルヴィー”。
お義姉様の痕跡はもうどこにもない。
以前の"言霊館”には、やたらとお義姉様を慕う客が訪れた。
子どもから大人までたくさんの客が。
自分ばかりちやほやされてずるいじゃないの。
でも、もうお義姉様はいない。
これからは、あたくしが代わりにちやほやされてあげます。
お店に入り、お義姉様の席に座る。
早く侯爵とか偉い客が来ないかなぁ~。
「なぁ、シルヴィー。俺はもう帰ってもいいか? ここにいても何もやることはないよな」
「うふふぅ、誰が帰っていいと言ったのでしょうかぁ。あたくしの隣にいなさぁい。変な客が来たら追い出してもらうんですからぁ」
なんでそんなに帰りたそうにするのよ。
婚約者の隣にいるのが嬉しくないの?
ルシアン様には用心棒も努めてもらう必要があるんだから。
心の中で毒づいていたら、"言霊館 ver.シルヴィー”の扉が開かれた。
カランカランとドアベルが鳴る。
さっそく客が来た!
モンディエール侯爵? それとも公爵家?
湧き立つ思いとは裏腹に、客を見ると急激にテンションが下がった。
「こんにちは~。……ねえ、おばあちゃん、どうして看板が変わっていたのかなぁ?」
「どうしてだろうねぇ。シルヴィーなんて聞いたことがないよ」
「変な名前だね」
あたくしの名前よ。
入ってきた客は二人。
茶髪の女児と白髪のおばあさん。
女児は五歳くらいで、おばあさんは八十歳手前かしら。
着ている服も靴もボロボロで、見るからに庶民だとわかる。
看板に貴族御用達と書くのを忘れていたわ。
庶民なんかの相手をしたところで、あたくしには何のメリットもない。
まさしく、時間の無駄だ。
「すみません、ポーラお姉ちゃんはいますか?」
女児がカウンターの下から問いかけてくる。
子どもに使うプリティボイスとプリティフェイスなどない。
「いないけど」
「いつきますか?」
「一生こないわ」
早く帰りなさい、忙しいんだから。
今度はおばあさんが話してきやがった。
「ポーラちゃんに会えないかい? どうしても頼みたいことがあるんだよ」
「お義姉様はこの家から出て行ったわよ。遠くのお屋敷で働くの。だから、もう"言霊館"にはこないわ」
「「え……!」」
いないと言うと、女児とおばあさんは固まった。
お義姉様が関わるとみんなこうなる。
その大仰なリアクションは何なのよ。
あたくしは子どもも老人も嫌いだ。
若い男の客以外は立ち入り禁止にしようかしら。
女児がおずおずと尋ねる。
「じゃ、じゃあ、だれがことだまを詠ってくれるの?」
「今はあたくしがやっているわ。スキルもちゃんとあるんだから。わかったら、もう帰って」
シッシッと手を振るも、女児とおばあさんは動かない。
それどころか、二人は顔を見合わせるとカウンターに何かを置いた。
これは……。
「花……?」
「元気がなくなってきちゃったの」
鉢植えの赤い花。
種類はよくわからない。
宝石ならまだしも、花なんてまるで興味がない。
「萎れているのなら、水でもやってればいいんじゃないの?」
「お水をあげても、ぜんぜん元気にならないよ」
「どうにかしてくれないかねぇ。この子の大事なお花なんだよ」
はぁ、めんど。
微塵もやる気が湧かない。
ルシアン様に言って追い返そうかと思ったけど考え直した。
ちょうどいい練習台と考えればいいわ。
この先モンディエール侯爵や別の公爵が来る可能性もあるのだから。
そう思うと、これはいい機会だ。
「わかったわ。特別にやってあげる」
「ほんと!? ありがと~」
「助かるよぉ、お嬢さん。毎日、この子は悲しそうにしていてねぇ」
お義姉様を追い出した後、あたくしは【忌み詞】スキルをちょっと使ってみた。
少し使うだけで、次から次へと頭の中に言葉が浮かぶ。
お義姉様は辞書で調べないと言葉がわからないようだったけど、あたくしは辞書など必要ない。
これが才能の差ってヤツね。
引き出しから紙と羽ペンを取り出し、特別に詩を書いてやる。
――――
褪せた血のような赤
つくづく思いだす
まだ生きていたあの頃を
四の月に昇るは九つの星
どうせ枯れるなら
死者の弔いに使いましょう
――――
よし、できた。
お義姉様を真似して詩を詠うと、花は黒っぽい光りに包まれる。
復活すると思っていたけど、あっという間にしおしおと枯れ果ててしまった。
あら、失敗かしら。
女児とおばあさんは枯れた花を見ると目を見開く。
「お花が……お花が枯れちゃったよぉ……」
「お、お嬢さん! どうして枯れるんだい!?」
「さぁ? 元々死にかけだったんじゃないの?」
どうして枯れたって、死にかけだったからに決まっているでしょう。
あたくしのせいではないわ。
「……うぁぁぁ~。大事なお花が枯れちゃったよぉ……」
あろうことか、女児は泣き出した。
うるさいわね。
ここがどこだと思っているの。
ルシアン様を見ると、私と同じようにうんざりしていた。
泣き止ませるよう目で言う。
「文句あんのか、クソガキ。俺はダングレーム伯爵家の人間だぞ。わかって泣いてんだろうな。今すぐ泣くのを止めなきゃ、お前のババアを枯らすぞ」
「ごめんなさい……」
ルシアン様にすごまれ、面倒な女児は泣き止んだ。
ぐすぐすと泣きながらおばあさんに手を引かれ店を出……ようとしたので、慌てて扉の前に立ちはだかった。
「お嬢さん、そこを通してく……」
「ほら、お金を出しなさい」
「え……?」
おばあさんに手を差し出す。
だけど、お金が乗ることはなかった。
わかってないようなので、ため息混じりで話す。
「詩を読んでやったんだからお金を払えって言っているの」
「だ、だけど、花は枯れちゃっただろう」
「……は?」
「わ、わかったよ、お金は払うから。そんな怖い目でこの子を睨まないでおくれ」
渋々とした様子で、おばあさんは財布からお金を出す。
幼児とともに追い立てるように外へ出すと、ルシアン様があたくしの肩を抱いた。
「いやぁ、すっきりしたぜ。クソガキの泣き顔はせいせいするな。帰らなくて良かったわ」
「ありがとうございましたぁ、ルシアン様ぁ。あたくしだけでは大変でしたわぁ」
疲れたので、ルシアン様の腕にしなだれた。
窓の外には、泣きながら帰る女児が見える。
おばあさんがしきりに頭を撫でていた。
悪いことをしたようで気分が悪いわ。
花なんてどうでもいいじゃないの。
そこら辺に生えているんだから。
まったく、困った客だわね。
◆◆◆(三人称視点)
自宅に帰ってからも、エリサは泣き止まなかった。
彼女の祖母であるマーシャは必死に宥める。
「ごめんねぇ、エリサ。あたしが悪かったんだよ。あの人に頼まなきゃよかったんだ……」
枯れた鉢植えは、辛い現実となって二人の間に横たわる。
シルヴィーは庶民だと馬鹿にしていたが、エリサは裕福な商家の娘だった。
ボロを着ていたのは、誘拐のリスクを下げるため。
エリサが"言霊館"に持っていったのは、ただの花ではない。
仕事で家を空けがちな両親が、去年の誕生日に買い与えた大切なガーベラだった。
一般的な寿命は三週間ほどだが、ポーラは萎れるたび【言霊】スキルで詩を読み、もう一年ほど生き永らえていた。
マーシャは最後の希望をかけ、冷凍魔法で花を凍らせる。
ポーラが戻ってきたとき癒やしてもらえるように……。
――【忌み詞】。
それは、他人に不幸を与えてしまう負のスキル。
これから訪れる数多の苦難を、シルヴィーたちは知る由もない。
「ポーラちゃん、今日は街へ買い出しに行こうか。そろそろ日用品の補給が必要そう」
お庭の手入れをしていたある日、エヴァさんが大きな鞄を私に見せながら言った。
シャベルを置いて立ち上がる。
「うん、行く行く。買い出しは”ロコルル”の街?」
「そうだよ。結構大きな街だから、だいたい何でも揃っているんだよね」
「へぇ~……あっ、思い返せば、街に行くのは初めてだ」
そういえば……と思って呟いた。
お屋敷に来てからもう二週間ほど経つけど、ずっとお屋敷の中にいる。
外に出ても“霊気の森”くらいなので、街に行くのは馬車で“ロコルル”に来たとき以来だ。
「いつもはアレンと二人っきりだったんだけど、ポーラちゃんがいれば一度にたくさん買えそう」
「こう見えてもそれなりに力はあるから、何でも運ぶよ」
オリオール家では、両親と義妹の使用人みたいな扱いもされていた。
“言霊館”での仕事が終わると、三人に命じられ部屋の模様替えなどをさせられることもあった。
……という話をすると、エヴァさんはまたホロリとしちゃった。
ハンカチで彼女の涙を拭いていると、ちょうどアレン君がお屋敷から来た。
「姉さん、今日は買い出しの日だよね?」
「そうよ。ポーラちゃんともちょうど話していたんだけど、一緒に行くことになったから。すぐ行くからあんたもついてきて」
エヴァさんが言うと、アレン君の目がなぜか輝いた。
両手を胸の前で組み、キラキラと私を見る。
「ポーラさんが来てくれて僕もありがたいです。今までは姉さんに押し付けられてばかりでした。あれを持て、これを担げ、それを背負え……本当に人使いが荒いのです」
「アレン、お黙りなさい」
エヴァさんはギッと怖い顔でアレン君を睨む。
当のアレン君は気にせずニコニコするのもまた、日常の光景だった。
「じゃあ、ルイ様に買い出しのこと伝えてくるね」
「わかった。わたしたちは先に門の所で待ってるよ。ご主人様には一時間半くらいで帰れると思います、って伝えておいて」
「よろしくお願いします」
二人と別れ、お屋敷へ向かう。
執務室に行き、重厚な樫の扉をそっとノックした。
ルイ様は在室の場合、返事をする代わりに直接対応してくださる。
十秒も経たぬうちにカチャリと扉が開いた。
〔どうした、ポーラ〕
「エヴァさんとアレン君と一緒に、これから街へ買い出しに行ってまいります。一時間半ほどで帰宅できると思います」
〔わかった〕
無事ルイ様の許可もいただけた。
早く二人のところに戻ろうと振り向いたとき、視界の隅に新しい魔法文字が目に入った。
〔ちょっと待ってくれ、ポーラ〕
「はい」
外へ向かう足を止め、ルイ様に向き直す。
ルイ様は無表情のまま動かなかったけど、すぐ私の目の前の空中で指を動かした。
〔いや、何でもない。気にしないでくれ〕
「いえ、何か御用がございましたら、ぜひおっしゃってください。私はルイ様の特等メイドでございますので」
もしかしたら、何かご入り用の物があるのかもしれない。
しばし待つと、ルイ様はさっきより小さな字で書かれた。
〔……気をつけてな〕
小さいけれど、確かにそう書かれていた。
気持ちがほんわかして温かくなる。
やっぱり……ルイ様は優しい方だな。
ルイ様の気遣いが嬉しくて、思わず大きな声で返事をしてしまった。
「はいっ。精一杯気をつけて買い出しを行いますっ」
ビシッと敬礼しながら言うと、ルイ様は無表情の下にわずかな微笑みを浮かべて扉を閉める。
ほのかな温かさを胸に外に出る。
お庭を横切っているとき、ガルシオさんとばったり出会った。
『ポーラ、どっか行くのか?』
「みんなと一緒に、”ロコルル”の街へ買い出しに行ってきます」
『なんなら乗せていってやるぞ。歩くと二、三十分はかかるからな』
ガルシオさんはわずかに身を屈めてくれる。
大変ありがたいのだけど、丁寧に遠慮した。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。ガルシオさんを見ると、街の人たちは驚いてひっくり返ってしまうかもしれませんので」
『それもそうかぁ』
フェンリルなんて見たら、街は大変な大騒ぎになってしまうだろう。
門のところでエヴァちゃんとアレン君と合流する。
ガルシオさんは前足を振って、私たちを見送ってくれた。
お屋敷を出て歩くこと二十分ほど。
“ロコルル”の街に着いた。
中央の広場からは石畳の道が何本も伸び、お肉屋さんや八百屋さん、武器屋さんなどたくさんのお店が立ち並ぶ。
街には買い物客のざわめきや子どもたちの遊ぶ声、お客さんを呼ぶ威勢のいい声などが響く。
北の辺境ではあるけど、王都にも負けないくらいの賑わいだ。
これもきっと、ルイ様の良い統治のおかげなのだろう。
「じゃあ、わたしに着いてきて。買う物がいっぱいあるから効率よく回らないと」
「「は~い」」
エヴァちゃんはメモを片手に、私たちを先導する。
一度馬車で通ったはずだけど、街の様子はあまり覚えていなかった。
きっと、緊張や不安でそれどころじゃなかったのだろう。
それなのに、今は興味を惹かれてならない。
――お屋敷での日々は、私を癒してくれているんだな。
そう強く実感する。
三十分も歩きまわると、手荷物がいっぱいになった。
食料品に日用品、裁縫に使う糸や布……。
一旦中央の広場に戻り、荷物を整理する。
事前に買う予定だった物はほとんど購入できていたけど、重い肥料が残っていた。
「エヴァちゃん、お花の肥料はどうしようか」
「そうだねぇ……重くなっちゃうけど、買って帰ろうかな」
「僕とポーラさんで運べば持てそうだよ」
少々重いけど買って帰ることに決め、花屋さんの方へ歩きだしたとき。
「「大変だ! 火事だー! ……火事だぞー!」」
街中から切羽詰まった声が聞こえた。