〔ポーラ、“御影の書”は屋敷の地下倉庫に保管されている。案内するから着いてきてくれ〕
「わかりました。初めてお邪魔するので、なんだか緊張してきました」
食事が終わった食堂でルイ様に伝えられると、胸がドキッとした。
あの後みんなで朝ごはんを食べ終わり、さっそく魔導書の解読を始めることになった。
まだ入ったことはないけど、お屋敷には地下倉庫があり、アングルヴァン家に伝わる貴重な品や、国から預かった歴史的資料などが保管されているとも聞いた。
〔今伝えた通り、地下倉庫には貴重な品々が多くある。特殊な結界魔法で守っているが、一度に入れるのは二人までなのだ。だから、ポーラ以外の者は屋敷にいてくれ〕
「「承知いたしました、辺境伯様」」
ルイ様の言葉に、エヴァちゃんとロッド君はピシッと返事する。
反面、ガルシオさんはやや不満げな様子で頬を膨らませていた。
『俺も連れて行ってくれよ~。まだ入ったことないんだぞ~』
〔すまない、ガルシオ。フェンリルも人数にカウントされる。ポーラだけは絶対に外せないんだ〕
『ふ~ん、それならまぁしょうがないか。ポーラ、土産話を楽しみにしているからな』
申し訳なさそうにルイ様が魔法文字を書くと、ガルシオさんも納得してくれた。
食堂から出て、エヴァちゃんたち三人と別れる。
「では、辺境伯様。わたしたちは仕事に戻ります。……ポーラちゃん、後でお話聞かせてね。うまくいくよう祈っているよ」
「お二人ともお気をつけください。何かございましたらすぐ駆けつけますので」
『腹が減ったら飯を食いに来い』
バイバイと手を振り、私とルイ様はお屋敷の奥へと進む。
どこに行くのかな、と思っていたら執務室に着いた。
中に入れてもらいながらお尋ねする。
「地下倉庫はルイ様の執務室にあるのですか?」
〔ああ、そうだ。面白いものを見せてあげよう。少し離れていなさい〕
ルイ様はカーテンを閉めると、東側の本棚に手をかざした。
すると、驚くことに静かに横へ移動した。
ずずず……と本棚が動ききると、金属で作られた重厚な扉が現れる。
お屋敷に来て、初めてのことだった。
「まさか、隠し扉があったなんて知りませんでした。たしかに、本棚の後ろなら見つかりそうにないですね」
〔防犯上、必要もなく教えることは避けているんだ。隠していたわけではない」
「なるほど……」
お屋敷から街から離れているけど、いつどこで誰に見られているかはわからない。
ルイ様のご判断は正しいと思った。
〔さて、地下倉庫はこの扉の先にある。今、鍵を開けよう〕
ルイ様が扉に手を当てると、カチャリと軽い音がして独りでに開いた。
まるで、私たちを迎え入れてくれるようだ。
「地下は結構深いのですか?」
〔そうだな、しばらくは階段を下ることになる。松明はないが、私が魔法で足元を照らす。それでも暗いから十分気をつけてくれ〕
「わかりました、ありがとうございます」
ルイ様に続いて扉をくぐる。
中はひんやりした空気に包まれ、地上とは別世界に来た気分だ。
階段は、ギリギリ人がすれ違えそうなくらいの幅。
狭いおかげで、両手で身体を支えながら降りられるね。
壁には松明の類は一個もないけど、ルイ様が小さな光の球で照らしてくれているので、暗いけど階段はよく見えた。
数分降りると、平面にたどり着いた。
〔今明かりをつけよう〕
「松明があるのですか?」
〔なに、見ていればわかる〕
周囲が暗くても魔法文字はキラキラと輝くので、何が書いてあるのかわかった。
ルイ様が光の球をふわりと天井に飛ばす。
空中で五個に分かれると、吊るされたランプに収まった。
室内がパッと明るくなる。
地下倉庫は思ったより広くて、縦横30mくらいの大きな空間だった。
黒くて怖そうな鎧や、宝石の埋め込まれた長剣、小さいけれど不思議と威圧感のある鏡など、見たこともないアイテムがところ狭しと並ぶ。
〔このスペースには、主にアングルヴァン家に伝わる品々を置いている。せっかくだから、少し説明しておこう。あの黒い鎧は“深淵の甲冑”。どんな強力な魔法も無に帰してしまう。そこに立てかけてある長剣は“降臨の剣”。古の時代、天使の降臨に使われていたらしい。あそこにある鏡は……〕
ルイ様はいくつかのアイテムについて説明してくれた。
そのどれもが、普通に生きているだけでは見ることさえないような物ばかりだった。
思わず、感嘆とした声が漏れる。
「す、すごく貴重そうな品ばかりですね。まるで、王宮の宝物庫にいるみたいです」
〔今となっては、どれも無用の長物だがな〕
私は恐れおののいていたけど、ルイ様は何の気なしにサラサラと魔法文字を書かれる。
宝物の後ろには巨大なゴーレムなどもあり、どうやって運んだのだろうと気になった。
「通路の幅より大きなアイテムもあるんですね」
〔大きな物は私が収納魔法を使って運搬したんだ〕
「そうだったのですか。……あの、魔導書はここにはないのでしょうか?」
隈なく探したわけではないけど、ざっと見た感じ本の類はなさそうだった。
〔うむ。ひと際貴重な品だから、さらに特別な部屋で保管している。こちらに来てくれ〕
「わかりました」
ルイ様は地下倉庫を横切り、一番奥の壁まで歩く。
壁には、これまた扉が埋まっていた。
小さいけど頑丈そうだ。
ルイ様が空中に掌を向けると、紫色の鍵が現れた。
収納魔法でしまっていたのかと思ったけど、魔力で形作られた鍵だ。
鍵穴に差し込み扉が開く。
5m四方くらいの部屋だった。
木製の机と椅子が一脚ずつ置かれており、机の上にそれはあった。
〔ポーラ、これが古の魔導書……“御影の書”だ。迎撃魔法の類はかけられていないから、近寄っても大丈夫だ〕
「は、はい。これが……“御影の書”なんですね」
ルイ様に続いて、恐る恐る本に近づく。
夜空のような深い藍色の表紙で、羽根を広げた美しい女神さまが描かれていた。
右手には太陽、左手には満月を持つ。
余白には見慣れない文字(古代文字かな……)が、隙間なく埋める。
宙に浮かんだり禍々しい魔力を放ったりはしていないのに、地下倉庫のどんなアイテムより畏怖を感じた。
一冊の本だけど、歴史を繋いできた風格だ。
〔表紙や背表紙、裏面の古代文字を解読した限りでは、古の時代の文化や当時生息した魔物に関する魔法が記されているようだ〕
「いつ頃書かれた書物なんでしょうか」
〔およそ千年前だろう。他にも知りたいことがあったら答えよう。私のわかる範囲でだが〕
ルイ様から‟御影の書‟について詳しく教えてもらう。
女神様は混乱に溢れた古の時代を治めたとされる神様で、太陽と月で繁栄と衰退の移り変わりを表しているらしい。
実際に本を触らせてもくれた。
たしかに、表紙はガチッとくっついたように硬くて開かない。
そっ……と撫でると、柔らかな革の感触が歴史の重みを伝える。
忘れずに辞書も持ってきたので、その場で言葉を探して詩を紡ぐ。
しばし、羽ペンを走らせ、詩が完成した。
「できました、ルイ様」
〔頼む、ポーラ。君の力を貸してくれ〕
“御影の書”の前に立ち、姿勢を正す。
古の時代から続く価値ある書物。
その解読に立ち会えるなんて、私は幸せだ。
精神を集中させ、詩を詠う。
ルイ様のために……。
――
過ぎ来し方より継承されし
時の経緯を証する
威厳の書物よ
我らの願いをここに示す
過去から学び
知識と知恵を修したい
現在を生き
未来へ命を繋げる者のために
天より嘱目する女神
両手の日輪と月輪が示すは
この世の心理
諸行無常 盛者必衰
我らは理の中に生き
遙か彼方へ
時を繋ぐ
――
いつものように心を込めて詩を詠うと、"御影の書”が白い光りに包まれた。
十秒ほど光りに包まれ、やがて静かに消える。
見た目には変化がないけれど、【言霊】スキルはちゃんと発動されたはず……。
うまくいったかドキドキしていたら、ルイ様がそっと私の肩に手を置いた。
〔大丈夫、心配しなくていい。君の力は私が一番よく知っている〕
「ルイ様……ありがとうございます……」
その温かい言葉で、私の心に湧いた不安は消えてしまった。
心の中で反芻するように思う。
大丈夫……自分の力に自信を持つのよ、ポーラ。
ルイ様は"御影の書”に手を触れる。
そっと表紙に指を走らすと……ゆっくりと開かれた。
さっき私が触ったときに感じた、強固な意志のような硬さはない。
次々と軽やかにページがめくられる。
【言霊】スキルがうまく効いてくれたんだ!
思わず、喜びの声を上げてしまった。
「本が……本が開きました、ルイ様!」
〔ああ、君のおかげだよ。私では絶対に開くことができなかった。……本当にすごい女性だ、君は〕
「もったいないお言葉をありがとうございます」
魔法文字の躍動感からも、ルイ様の嬉しさが伝わる。
頑張って……よかった。
意図せず、ホゥッと大きなため息をつく。
大丈夫と自分に言い聞かせても、やっぱりうまくいくか不安だったのだ。
私のため息の音が聞こえたのか、ルイ様は本をめくる手を止めて伝えてくれた。
〔ポーラ、疲れたろう。今日はもう休みなさい。私は少し解読をしてから上に戻るつもりだ〕
ルイ様の気遣いはありがたかったけど、私はできればまだ地下倉庫にいたかった。
やりたいことがあるのだ。
「あの……もしよかったら、地下倉庫の中を見学させていただいてもよろしいでしょうか? 見たこともないアイテムばかりなので、後学のために勉強させてほしいのです」
"深淵の鎧”や"降臨の剣”など、今日を逃すと一生見られないだろう。
それ以外にも、地下倉庫は興味を惹かれる物でいっぱいだった。
この先、同じくらい貴重な品の修理や調整を頼まれることがあるかもしれない。
チャンスがあれば、少しでも幅広い経験を積んでおきたかった。
〔もちろん、構わない。好きなだけ見学しなさい。何なら触ってもいい〕
「ありがとうございます、ルイ様」
〔では、少し集中するので扉は閉じるが、用があったら遠慮なく知らせなさい〕
そう書くと、ルイ様はぱたりと扉を閉める。
地下倉庫に静けさが戻った。
さっそく、アイテムの近くに寄って見学させてもらう。
鎧や剣の他にも、顔が映り込むほど磨き上げられた銀色の盾や、海のように澄んだ青色のポーションなど、見ただけで貴重だとわかるアイテムがいっぱいだった。
盾は表面がピカピカだし、魔法を反射する力があるのかな……ポーションは一口飲んだだけでどんな怪我も治ってしまいそう……。
色々と楽しい妄想を膨らませ、感じた印象や造形の詳細など隈なくメモを取る。
しばらく熱心に見て、数十分は経ったと思われる頃。
あの小さな扉が開き、ルイ様が静かに出てきた。
ノートを閉じて駆け寄る。
「お疲れ様です、ルイ様。"御影の書”の解読はどうでしたか?」
〔まだほんの序盤だが、思ったより早く進められそうだ。保存状態もよいから、内容が理解しやすい〕
「よかったです! 古代文字が読めるなんて、やっぱりルイ様はすごい魔法使いなのですね」
私も古の時代について勉強したことがあるけど、とても難しかった。
絵に近い文字で情報を伝えるらしく、意味の判別が困難なのだ。
〔いや、私より君の方が何倍もすごい。古代魔法の結界を解除したのだから。そんなスキルを使える人間は、私も初めて見た〕
「ルイ様が"御影の書”について詳しく教えてくださったからです。きっと、私一人では解除できませんでした」
【言霊】スキルは、相手について知れば知るほど効果を増す。
ルイ様の深い知識があってこそだった。
〔ポーラ、解読を手伝ってくれたお礼がしたい。"御影の書"を読んだら、面白そうな古代魔法をがあってな。君に見せようと思う〕
「えっ、古代魔法を見せてくださるのですか!?」
〔ああ、そうだ〕
古代魔法を見せたいと伝えられ、強い驚きとそれ以上の嬉しさを感じる。
ぜひ拝見したかったけど、次の瞬間にはやはり遠慮したい気持ちとなった。
「しかし……私などが最初に見てもよろしいのでしょうか。王様などの偉い方に見ていただいた方が……」
古代魔法は、未だかつて国内で使われたことがないと聞く。
そのような貴重な魔法は、それこそ王様などの高貴な方々に見てもらった方がいいんじゃないだろうか。
私の話に、ルイ様はゆっくりと魔法文字を書いた。
優しく包み込むような筆跡で。
〔今回の一番の功労者は君だ。最初に見る権利は十分にある。何より……君に一番見てほしいんだ〕
じわじわと胸に嬉しさがあふれる。
喜びで何も言えず、笑顔でこくりとうなずいた。
ルイ様はゆっくりと右手を上に向けると、金色の粒子が少しずつ生み出された。
徐々に形を作り、ペガサスやユニコーン、グリフォンなど……伝説に聞く生き物の姿となって私たちの周りを飛び回る。
身体は魔力の粒子でできており、動くたびキラキラと幻想的な光が煌めく。
今まで見たこともない荘厳な美しさに、心が打たれた。
「こ、これは何の魔法ですか……? 美しくて綺麗で、心が洗われます」
〔古の時代に生きていた動物や魔物を表現する魔法のようだ。当時の詳細な資料としても使えるな〕
ルイ様も嬉しそうな、感嘆とした表情で魔法の行く末を見守る。
薄暗い地下倉庫は魔法の光で昼間のごとく明るくなり、まるで舞踏会が開かれているような華やかさだった。
「ルイ様、こんな特別な魔法を見せてくださり……本当にありがとうございます。美しすぎて……胸が震えてしまいます」
心が洗われ、目の端に薄らと涙が浮かぶのを感じる。
ふと、ルイ様が私の前で魔法文字を書かれたのに気づいた。
〔私にとっては……君が特別なんだ〕
小さくて綺麗な魔法文字……。
その言葉を最後まで読んだ瞬間、私の胸はドキリと高鳴った。
嬉しさと戸惑いが入り交じったような気持ちとともに……。
「わ、私が特別とは……どういう意味でしょうか……」
〔い、いや、何でもない。気にしないでくれ〕
ルイ様は急いで消すと、乱れた文字で書き直してしまった。
そのまま、スタスタとお屋敷への階段に向かう。
もう少し聞きたかったけどしょうがない。
私もなぜかドキドキが収まらない心臓を落ち着かせながら後を追った。
外の明かりが差し込み周囲が少しずつ明るくなってくると、聞き慣れた男女の声が聞こえる。
「……ほら、アレン。もっと腰を入れて拭きなさい」
「姉さんも説教ばかりしてないで掃除してよ」
エヴァちゃんとアレン君だ。
執務室の窓を拭きながら言い合う。
机の上には、ガルシオさんが色んな食べ物(特にお肉)を並べていた。
私たちに気づくと、しどろもどろでお話しされる。
『これはえっと……準備だ。そう、準備。お前たちが腹減って戻ってきたら、すぐに渡せるようにだな……』
〔ガルシオ、見苦しいぞ〕
大好きなみんなと、柔らかな日差しが私とルイ様を迎えてくれた。
「古の時代の結界魔法でも開いてしまうなんて、ポーラちゃんはすごい力の持ち主だ」
「【言霊】スキルは世界的に見ても類まれなスキルですね。そのうち、魔法学園から偉い人が調べに来ちゃうかもしれませんよ」
『さすがは俺たちのポーラだな。まさしく規格外の女性だ』
よく晴れた昼下がり、お庭を掃除しながら私はみんなに囲まれる。
“御影の書”の解読から一夜明け、いつもの日常が戻ってきた。
「ポーラちゃん、地下倉庫のお話を教えて」
「僕も姉さんも、気になって気になってしょうがないんですよ」
『俺だって気になるぞ。なにせ、一度も入ったことがないんだからな』
三人は興奮した様子で私に詰め寄る。
昨日はお屋敷に戻った後、すぐに仕事があったので、あまり詳しくは話せなかったのだ。
ルイ様から、話す分には別に構わないと言われていた。
私自身、あの貴重な時間を思い出すようにして、みんなにお話しする。
「階段の中は松明もないんだけど、ルイ様が魔法で照らしてくださって……地下にはアングルヴァン家に伝わる貴重なアイテムの数々が……」
「『うんうん!』」
階段を降りたときの別世界に来たような感覚や、地下倉庫に保管されていた価値あるアイテムたち、そして古の時代より伝わる“御影の書”……。
三人は目を輝かせて聞いていた。
古代魔法のことはまた今度、ルイ様の許可をいただいてからお話ししようと思う。
「……ルイ様のおかげで、私は本当に得難い経験をしました。一生忘れないでしょう」
「ポーラさんが羨ましいです。僕もいつか自分の目で見たいですね」
『そのうち、フェンリルのアイテムも発見されてほしいな』
アレン君とガルシオさんは楽しそうに話すも、エヴァちゃんは何やら深刻な顔だった。
なんだか心配になる。
「エヴァちゃん、どうしたの? 頭でも痛い?」
「やっぱり……地下倉庫は怖かった?」
「えっ……」
打って変わって、エヴァちゃんはワクワクした様子で尋ねる。
具合は悪くなさそうで安心したものの、ちょっとばかし拍子抜けした気分で応えた。
「暗かったけど、別に怖くはなかったよ。ルイ様もいらっしゃったし、貴重なアイテムも怖いというより荘厳で威厳のある物ばかりだったね」
「そうなんだ……」
正直に伝えるとしょんぼりしてしまったので、慌てて怖かったと伝え直す。
……そうだ、エヴァちゃんは怖がるのが好きなんだ。
「地下に続く階段はまるで地獄への階段のようで……眠りに就くアイテムが目覚めた瞬間を想像すると背筋が凍って……」
「やっぱり! ひぃぃ、おそろしやっ!」
頑張って低い声で話すと予想以上に怖がってくれた。
ふと、森の方を見ると、ルイ様がこっちに来るのが見える。
隣には、四角い鞄を携えた見知らぬ中年の女性がいた。
お客さんかな。
荷物をお持ちするため、エヴァちゃんたちと急ぐ。
ガルシオさんは驚かさないように、こっそりとお庭の花壇に隠れた。
「「こんにちはっ。お荷物お持ちします」」
「ありがとうよ。でも、大丈夫さ。見た目ほど重くはないからね」
女性は鳶色の髪を頭の後ろで一つに縛っており、キリッとした鳶色の目が力強い。
お歳は五十代半ばくらいかな。
ルイ様が魔法文字を書いて紹介してくれた。
〔この女性はマルグリット。私の古い知り合いで、“ロコルル”近辺で一番の樹木医だ〕
「「樹木医の方なのですか!?」」
私たち三人は、思わず驚きの声を出してしまった。
樹木医とは、その名の通り樹を専門に診る医術師だ。
王国でも数が少なく、私も初めてお会いした。
「よろしくね、三人とも。あいにくと、そんな驚くようなもんじゃないよ」
私たちは自己紹介し、マルグリットさんと挨拶を交わす。
男性のように力強い握手だった。
いつの間にか、ガルシオさんも私たちのすぐ近くに来ていた。
『久しぶりだな、マルグリット。元気か?』
「ああ、もちろん元気だよ。あんたも健康そうだね。ちょっと太ったかい?」
『太っちゃいないさ』
ガルシオさんとも面識があるらしく、二人は楽しそうに話していた。
〔彼女に来てもらったのは、ある樹の治療を頼みたいからだ。もっとも、すでに何度か診察を頼んでいたのだがな〕
「森の中でもだいぶ奥にあるから、いつも直接行っていたのさ。挨拶が遅れちまってすまないねぇ」
申し訳なさそうに、マルグリットさんは苦笑いする。
樹木医が来るくらいだから、特別大事な樹なのかな。
「お屋敷の大切な樹なのですか?」
〔ああ、古代樹だ〕
「「こ、古代樹っ!?」」
ルイ様に尋ねると、またもや驚きの言葉を返されてしまった。
森の奥にはそんな大事な樹があったんだ。
古代樹とは、古の時代から生きる大変に貴重な樹木のことだ。
世界的に見ても、十数本あるかないかと言われている。
樹は長い歴史の中で枯れてしまったり、燃えてしまったり、伐採されてしまったりと、樹は唐突にその寿命を終えることがある。
自分では動けないし……。
そんな貴重な樹が領地の中に生えているなんて、やっぱりルイ様はすごい家系の人なんだな、と思った。
〔先代の辺境伯……つまり、私の両親との思い出が詰まる樹なのだが、もう限界らしい。切り倒すしかないだろうな〕
「あたしも秘薬やポーションを何度も調合したんだけどね……効果がないんだよ。古い樹だし、寿命がきちまったのかもしれないね……」
ルイ様もマルグリットさんも、暗い顔で俯く。
私はまだ見たことがないけど、二人の表情から至極深刻な状況なんだなと想像ついた。
『俺も元気になれ、と祈ってはいたんだが……』
〔ありがとう、ガルシオ〕
「あたしは自分の力不足が悔しいよ」
みんなの話を聞くうちに、私の心はとある気持ちが強くなった。
どうにかしたい……という強い気持ちが。
「お願いです、ルイ様、マルグリットさん。私に……その古代樹を治療させてくれませんか?」
気がついたら力強くお願いしていた。
ルイ様の思い出が詰まった大事な樹。
切り倒してしまうなんて絶対にイヤだから。
「もしかして、ポーラも樹木医なのかい? そんな若いのに立派だねぇ」
「あ、いえ、違うんですっ。私はルイ様のメイドなのですが、【言霊】というスキルがありまして……」
話の流れからか、樹木医と勘違いされてしまった。
マルグリットさんにも、【言霊】スキルについて説明する。
詩を詠うと願った通りの現象が……と話すと、大変興味深く聞いてくれた。
「……そんなスキルがあるんだねぇ。あたしも初めて聞いたよ」
「ですので、もしかしたら私の力で古代樹が救えるかもしれません。ルイ様の大切な樹は……守ってあげたいです。……ルイ様の大事なものは、私にとっても大事なものなので……」
「「ポーラちゃん(さん)……」」
エヴァちゃんとアレン君は、目をうるうるとさせながら私を見る。
呟いたのは、私の素直な気持ちだった。
ルイ様はただ仕える人ではない。
優しくて尊敬できる、とても素晴らしい人なのだ。
私が言っても、しばらくルイ様は何も書かなかった。
もしかして、失礼だったかな……。
樹木医でもない私が余計はことを言ってしまったかもしれない。
徐々に確信みが強くなり、慌てて謝りの言葉を述べる。
「も、申し訳ございませんっ、出過ぎた真似を……! 私に樹の状態などまるでわからないのに……! マルグリットさんが言うくらいなら、もうダメなんですよね」
〔いや、謝る必要はまったくない〕
頭を下げた目線の先に、ちょうどルイ様の魔法文字が浮かんだ。
いつもよりわずかに角が丸い文字で、そう書かれている。
「ル、ルイ様……?」
〔自分のことのように真剣に、君の他人を想う気持ちはとても素晴らしい〕
「こんな良い子がメイドだなんて、あんたは幸せ者だね」
ルイ様もマルグリットさんも、私のことを褒めてくれた。
じわじわと心が温かくなる。
「ポーラちゃんの優しさで胸がいっぱいになっちゃったよ……」
「僕も見習わなければいけませんね。」
『お前は本当に良いヤツだ……。フェンリルにもこんなヤツはなかなかいない……』
エヴァちゃんとアレン君はほろりとハンカチで涙を拭き、いつの間にか、ガルシオさんまで瞳をうるうるさせていた。
優しい人たちに囲まれて、私は本当に幸せ者だ。
〔では、一度古代樹を見に行こう〕
「あっ、すみません、ルイ様……まだお掃除の残りがありまして……」
急いでいたので、掃除道具も片付けずに来てしまった。
道具を出しっぱなしにするのは、心がちょっと痛い。
集めた落ち葉や花びらなども、風が吹いたら飛んでいっちゃうかも……。
「心配しないで、ポーラちゃん。私たちがやっておくから」
「掃除より古代樹の方を優先してください」
『フェンリルの箒捌きを見せてやるよ。我ながらうまく使うんだ』
三人は力強く言ってくれるけど、さすがに申し訳ない。
自分の仕事は、最後まで自分でやらなければ……。
心の中で葛藤していたら、ルイ様が伝えてくれた。
〔いや、君たちも来なさい。せっかくだからみんなで見よう〕
「「ありがとうございます、ルイ様(辺境伯様)!」」
『ルイのくせに気が利いているじゃないか』
〔うるさいぞ、ガルシオ〕
ルイ様の後に続き、私たちは森を進む。
方角としては北の方だ。
十五分ほども歩くと、巨大な広場が現れた。
この辺りだけ草木が刈り取られている。
そして中央には、天を衝くほどの大きな樹がそびえる。
高さは30mほどで、幹の太さは最低でも6mはありそうだ。
こんな立派な樹は、今まで見たことがない。
しかし、植物が芽吹く季節だというのに葉っぱは一枚もなく、枝は細々としており今にも折れそうだった。
樹木医でなくても、命が尽きそうな気配をひしひしと感じる。
〔これがアングルヴァン家に代々伝わる古代樹、“久遠の樹”だ。見ての通り、半年ほど前からかなり弱っている。私もあらゆる回復魔法を使ったのだが、どれも劇的な効果がなくてな……。対応に苦慮しているところだ〕
「なんだか……すごく辛そうです。見ているだけで胸が締め付けられてしまいます」
「あたしの薬とルイの魔法で、どうにか生き永らえているのさ」
“久遠の樹”は大木なのに、風に揺れるたび折れそうで不安になってしまうほど弱々しい。
よく見ると樹皮の表面は細かくひび割れており、自然にポロポロと崩れる。
樹は喋らないものの、その辛さは痛いほどよくわかった。
ルイ様の大事な古代樹……。
私が絶対に元気にさせてあげるからね、と心の中で語りかける。
「ルイ様、もしよろしかったら……ご両親との思い出をお話ししてくださいませんか? 【言霊】スキルに活かしたいのです」
〔ああ、もちろんだ。私は生まれてすぐ、両親に連れられ“久遠の樹”に挨拶を交わした。そうするのが、アングルヴァン家の習わしだからだ〕
ルイ様は過去の思い出を伝えてくれる。
仕事で家を開けがちなご両親に変わって、それこそ親代わりに成長を見守ってきてくれた……、傍にいるだけで孤独を忘れられた……何より“久遠の樹”を見るたび、今は亡きご両親を思い出すと……。
そのどれもが尊い思い出で、“久遠の樹”の状態を思うと涙が出そうになりながら、胸の中に大事にしまった。
「マルグリットさん、古代樹の状態はどれくらい悪いのでしょうか」
「正直、生きているのが不思議なくらいだね。もうほとんど死にかけの状態さ。今日明日死ぬことはないだろうけど、二週間先はどうかわからないよ……」
私の質問にマルグリットさんはとても厳しい表情で答える。
ルイ様との話を合わせて、しばし頭の中で考える。
今までも、【言霊】スキルで枯れそうなお花や植物を復活させたことは何度もあった。
でも、今回は歴史ある古代樹だ。
もっと細かい知識や情報を得てから、詩を書いた方がよさそうかな……。
効果がなかったらそれこそ意味がない。
「あの、ルイ様。一度、お屋敷に戻って詩を考えさせていただいてもよろしいでしょうか。詩の精度を上げるために、古代樹の歴史など一通り勉強したいのです。もちろん、急いで作りますが」
〔ああ、構わない。むしろ、力を貸してくれてありがとう。私もできる限りの協力をする〕
「ありがとうございます。全身全霊で頑張ります」
――ルイ様の古代樹は絶対に救う。
心の中で強く決心すると、自然と拳を固く握り締めていた。
「さて……始めましょうか」
お屋敷に帰ると、お庭の掃除用具を片付けてから図書室に入った。
もちろん、“久遠の樹”を救う詩を書くためだ。
図書室は数十個の棚が並び、数え切れないほどの本が収められている。
古代樹についての本を見つけ、知識を蓄えよう。
今日中に完成させることを決意し、本棚に向かった。
棚は細かく分類されており、古の時代や植物のゾーンを重点的に探す。
タイトルやあらすじ、目次を見たりするも、少々困ることに気づいた。
パット見ただけでは、古代樹に関する本なのか判断が難しい。
内容を読まなければならないのだ。
本を読むのは好きだけど、早く詩を書きたいこともあって少しばかり焦ってしまう。
どうしよう……と思ったとき、広げた本の上に暗い影が落ちた。
「……あっ、ルイ様」
〔ポーラ、私にも手伝わせてほしい〕
目の前の空中に書かれたのは優しい筆跡の文字。
影の主はルイ様だった。
「い、いえ、しかし、ルイ様のお手を煩わせてしまうのは……」
〔別に気にしなくていい。今、古代樹に関する本を集める。ちょっと待っていなさい〕
ルイ様が空中でサッと手を動かすと、棚から自然に本が抜き出され、一冊一冊と近くの机に積み重なる。
あっという間に、十数冊の本が集まってしまった。
「す、すごい……これは何の魔法ですか?」
〔ただ、本を検索して集めるだけの魔法だ。古代樹に関する記述がある本だけ厳選した。一冊ずつ読んで探すのは手間がかかるだろう。ついでに、どこのページに書かれているか魔力の付箋をつけておく〕
「ありがとうございます! 詩を書くのが大変に捗ります!」
図書室なのに、大きな声で喜んでしまった。
“久遠の樹”のことを考えると、少しでも早く詩を書いてあげたい。
だから、時間を節約できて嬉しかったのだ。
本を開き、古代樹に関する知識を集める。
魔力の付箋があるおかげで、すぐにページを見つけられた。
まずは木の図鑑から読む。
どうやら、古代樹にも原種と亜種があるようだった。
ルイ様も隣に座ると、本を見ながら視界の隅っこに魔法文字を書く。
〔わからないことがあったら私に聞きなさい。答えられることなら、なんでも答えよう〕
「ありがとうございます。……では、さっそくですが、“久遠の樹”は原種と亜種のどちらになるんでしょうか」
〔原種だな。両親からは樹齢二千年ほどと聞いた〕
「二千年……。途方もない年月ですね」
思わずため息が漏れる。
長生きだとは思ったけど、想像以上の樹齢だった。
アングルヴァン家にとっても大切な樹だし、世界的に見ても貴重な樹だと改めて実感する。
ルイ様は思い出すように話を続ける。
〔“久遠の樹”の葉は、本来なら美しい翠色なんだ。青みがかった緑色は、風に揺れるたび何物にも代えがたい輝きを放つ。君にも見せたい〕
「そうなんですねっ。もっと“久遠の樹”について聞かせてください、ルイ様!」
〔もちろんだ。一度、落ち葉を茶にできないかと思い煎じたことがあるんだが、これがまたうまい茶になったんだ。草原を吹き抜ける爽やかな風のようで……〕
本で読んだ普遍的な内容と、ルイ様からお聞きした“久遠の樹”特有のエピソードを合わせてノートにまとめる。
楽しい思い出がたくさんあるようで、“久遠の樹”について話すルイ様の表情は明るかった。
お話を聞きながら、私は思う。
――お屋敷で一緒に過ごすうち、ルイ様の顔に少しずつ感情が見えるようになってきた。
訪れたばかりの頃は無表情が張り付いたようなお顔だったけど、今はもう違う。
ふと、向かいの窓の外を見ると、窓枠に隠れるようにしてみんなが図書室を覗き込んでいた。
エヴァちゃん、アレン君、ガルシオさんにマルグリットさん。
なぜか、みんなワクワクしているような気がするけど……どうしたんだろう。
一瞬そんなことを思ったけど、すぐに頭を振って打ち消した。
いや、きっと気のせいだ。
それより今は詩の制作に集中しないと。
本を読み、お話を聞き、辞書をめくって羽ペンを走らせること一時間半ほど。
一篇の詩が完成した。
「……できました、ルイ様!」
〔見事だ、ポーラ。よく頑張ってくれた〕
詩ができあがって、室内が暗くなりつつあるのに気づいた。
空は西側から赤くなり、濃い藍色や青など、空には夜の気配が混じる。
時計を見ると、ちょうど黄昏時の時間帯だった。
「綺麗な空ですね……」
〔ああ、ポーラの詩にはぴったりの空だな〕
「では、夜になる前に森に行きましょう」
〔ん? 休まなくていいのか? 別に明日でも構わないが〕
ルイ様は明日で良いと言ってくれたけど、私はこの後すぐ詩を詠うつもりだった。
「いえ、今日やらせてください。一刻も早く癒してあげたいのです。……ルイ様の大事な樹ですから」
そう言うと、ルイ様は一段と真面目な顔になり、正面から私を見た。
視線がぶつかり、私の心臓がトクン……と軽やかに高鳴る。
ルイ様はしばし黙っていたかと思うと、キラキラと光る魔法文字を書いた。
〔ポーラ……ありがとう〕
その言葉は、私の目の中で満月のように煌々と輝いた。
エヴァちゃんたち四人と合流し、森の奥へと進む。
“久遠の樹”は美しい夕焼けを背景に、音もなく佇んでいた。
生命の象徴たる太陽がその姿を消したからか、昼間より死の気配を色濃く感じる。
一歩前に踏み出すと、背中からみんなが応援してくれる声が聞こえた。
「ポーラちゃん、頑張って!」
「僕たちも救われたのですから、古代樹も救われるはずですっ」
『お前なら絶対にうまくいくぞっ』
「あんたの力を見せとくれ!」
みな、固唾を飲んで私の詩を待つ。
深呼吸しながら、心の中で“久遠の樹”に語りかける。
――ルイ様の大事な古代樹……。辛かったね。今、元気にしてあげるから……。
大きく息を吸い、ルイ様と一緒に作った詩を詠う。
――
古の時より
この地を守護する
北の領主のよき理解者たる
偉大な樹よ
色濃く纏うは
終焉の気配
北の領主が願うは唯一つ
汝は永遠に生きてほしい
汝の不撓不屈な姿を想うたび
北の領主の苦悩は消え去りし
雅な鳶色の樹皮
壮美な翠色の樹葉
胸を打つ
唯一無二の情景を
我らは再び見たし
――
詩を詠い終わると、“久遠の樹”は全体が白い光に包まれた。
地面に見える根っこから枝の先まで、隅から隅まで波動が伝わるように。
いつものように、白い光は十秒も経たずに消えた。
でも、樹には何の変化もない。
相変わらず、痛々しい姿のままだ。
【言霊】スキルが効かなかったのかと不安になる。
思わず顔がこわばると、ルイ様がそっと私の肩に手を乗せ、枝の一部を指した。
〔あれを見なさい〕
目を凝らすと、ぽつり……と小さな芽が見える。
あれ?
さっきまで枝には何もなかったような気がするけど……。
そう疑問に思う間もなく、次から次へと枝に芽が現れた。
ひび割れた樹皮も潤い、生命力に満ちあふれる。
今や、死の気配は完全に消え去った。
「やったー! 樹が治ったよー!」
「元気いっぱいです!」
『お前のスキルはどんな問題も解決しちまうな!』
「ポーラ、あんたはすごい力の持ち主だよ!」
エヴァちゃんたち四人は、大歓声を上げる。
私も一緒に喜びたかったけど、あいにくと言葉が出ない。
「う、嘘……。ルイ様、“久遠の樹”が復活しました!」
〔ああ。だが、どうやらこれだけではないようだ〕
その言葉を証明するかのように、ルイ様が魔法文字を書いた瞬間、芽からいっせいに翠色の葉が芽吹いた。
風に揺れるたび、独りでに美しい光を放つ。
サラサラ……と奏でられる音は、天界の讃美歌を思わせるほど優雅で厳かだった。
あまりのも素敵な光景に、感動を呟くことしかできない。
「こんなに美しい樹を見たのは……生まれて初めてです……」
〔これが、君に見せたかった景色なんだ〕
ルイ様以外のみんなは幹の近くに走り、わいわいと嬉しそうな声を上げる。
「ポーラちゃーん、こっちに来てー!」
「一緒に近くで見ましょー!」
『樹も喜んでいるぞ!』
「撫でておやり!」
もっと近くで見ようと、みんなは私を呼ぶ。
――良かった……うまくいった……。
“久遠の樹”が蘇ってくれて、安心感で胸がいっぱいになる。
ホッとしたとき、ふいに身体の力がかくんと抜けた。
意識も薄れ、体勢を崩す。
視線が上にずれていくのを感じ、後ろに倒れているんだなと思った。
幹の下にいるみんなが、慌ててこちらに駆け寄るのが視界の端っこに見える。
『「ポーラ!」』
「「ポーラちゃん(さん)!」」
きっと、力を使いすぎたんだ。
昨日は“御影の書”の解読を手伝ったし、疲れが残っていたのかもしれない。
連日、古の時代のものに【言霊】スキルを使うのはやっぱり大変だったのだ。
地面にぶつかる……と思ったとき、ふわっと優しく何かに止められた。
ルイ様が私の背中を支えてくれた。
細身の体型なのに、私の身体を支える腕は力強い。
初めて身体がしっかりと接触して、やっぱりルイ様も男性なんだと自覚する。
図書室で見つめ合ったときより、さらに強く胸が高鳴った。
心臓がドキドキと拍動するも、不思議と不快な感じはない。
むしろ、胸が膨らむような心地よさを感じる。
ルイ様は何も言わず、固まったまま私を見るばかりだ。
さらに何かが始まりそうな予感がするも、緊張と驚きで私の身体は少しも動かなかった。
「支えてくださってありがとうございます。あ、あの……ルイ様……?」
おずおずと尋ねるも、ルイ様は微動だにしない。
ふと、動かない理由に気づいた。
――そ、そうか……。私を抱えているから魔法文字を書けないんだ。
ルイ様はお話される代わりに魔法文字を書かれる。
私を抱えているから、両手が塞がっているのだ。
がっしりと支えなれており、私は動こうにも動けなかった。
「自分で歩けますので、そろそろ……。ルイ様が疲れてしまいます……」
正直なところ、最近身体が重くなってきた……気がする。
お屋敷の料理がおいしいから、いつもたくさん食べてしまうのだ。
己の重さが伝わるのはだいぶ恥ずかしい。
しかしルイ様は無言で首を振ると、ひょいっと私を抱え上げてしまった。
すいすいと背中と足を持たれ、ルイ様の腕の中に収まる。
何やら不思議な体勢だけど、他者視点の姿を想像したら顔に火がついた。
――こ、これは、まさか……!
俗に言う……お姫様抱っこの形だ。
自分がそのようなロマンあふれる様式で運搬されるとは、今の今までまったく思わなかった。
おまけに、先ほどより己の重さが直に伝わる形式となってしまった。
地面から浮いて支えがないからね。
どっと顔が熱くなる。
今なら枯れ枝に火がつけられそうだ。
「あ、あの~、ルイ様……自分で歩けますので……どうか、荷降ろしのほどを……」
どうにか蚊の鳴くような声でお願いするも、またもや無言で首を振られてしまった。
私を抱えたまま、ルイ様は堂々とお屋敷へ歩き出す。
みんなを見ると、なんかワクワクしていた。
エヴァちゃんもアレン君もマルグリットさんも、大変に瞳が輝いている。
ガルシオさんは前足を顔に当て、隙間からこっそり私たちを見る。
いかがわしいことは何もしていないのですが……。
もちろん否定する暇もなく、私たちはお屋敷に向かう。
おそらくルイ様の無詠唱魔法で玄関が開き、ロビーを通り、荷降ろししてくれることはなく、自室へと運搬された。
そっとベッドに寝かせられると、空中に魔法文字が描かれる。
〔具合は大丈夫か、ポーラ〕
「は、はい、問題ございません。運搬……ではなく、運んでいただき本当にありがとうございました」
〔きっと、疲れが溜まっていたのだろう。申し訳ない、無理をさせてしまったな〕
「い、いえっ! 今日“久遠の樹”を癒したいと言ったのは私ですからっ!」
ルイ様はベッド近くの椅子に座り、私を気遣ってくれる。
疲れているのはたしかだけど、そのお心遣いが一番の薬になりそうだった。
しばし沈黙が流れた後、ルイ様が落ち着くような筆跡で魔法文字を書かれる。
〔君のおかげで、私の大事な樹が生き返ってくれた。またあの翠色の葉が芽吹く姿を見られるとは主会っていなかった。今は亡き両親も、天界で喜んでいるはずだ。ありがとう、ポーラ〕
「私の方こそ……ありがとうございました」
〔……ん? 何がだ?〕
お礼を伝えると、ルイ様は疑問そうな表情を浮かべた。
“久遠の樹”の治癒を任されてから、私はずっと心の中で感謝していた。
「【言霊】スキルを信頼してくださって……」
無事に“久遠の樹”が蘇ったのも、ルイ様が私を、【言霊】スキルを信頼して任せてくれたからだ。
自分が大切な人に信頼される事実は、何物にも代えがたい尊さと喜びを感じる。
かねてから感じていた感謝の気持ちをお伝えすると、ルイ様はフッと優しく微笑んだ。
〔当然だ。君の力を疑ったことは一度もない。これからも……私はポーラをずっと信頼し続ける〕
「ルイ様……。私も…………ルイ様をずっと信頼いたします」
素直な気持ちが紡がれる。
出過ぎた考えかもしれないけど、主人とメイドという立場より、一段と強い絆で結ばれたような気がしたのだ。
〔さあ、今日はもうゆっくり休みなさい。他の仕事のことは気にしなくていい〕
「わかりました。……おやすみなさい、ルイ様」
ルイ様は静かにお部屋から出る。
空はもうほとんどが濃い藍色となり、夜が訪れた。
ふぅっとひと息つくと、今日の出来事が思い出される。
――痛ましい“久遠の樹”を見て、ルイ様と一緒に詩を書いて……。
そこまで考えた時、ふと何かの気配を感じて窓の外を見た。
エヴァちゃん、アレン君、マルグリットさんが、窓枠からこっそりと顔を覗かせる。
ワクワクワク……と瞳が輝いていた。
それはもう大変に澄んだ目で美しく。
ガルシオさんはと言うと、前足で顔を隠しつつ、しっかりこちらを見ていた。
だから、いかがわしいことは何もしていないんですが……。
私とルイ様の関係について、みんなは諸々誤解しているようだ。
――早く誤解を解かなければ……。私とルイ様は別に……。
そう思いながらも、疲れがどっと出て夢の世界に誘い込まれてしまった。
「ポーラちゃんっ、昨日はあの後どうなったのっ」
「一から十まで教えてくださいっ」
『フェンリルにもわかるように頼むっ』
「端折るんじゃないよっ」
翌朝、朝食が済み、お庭の掃除を始めようと玄関から出た瞬間、すぐさま興奮した様子のみんなに囲まれた。
右から左から、自室に運ばれた後の講堂を事細かく問いただされる。
「べ、別に何もありませんよ。ベッドに横になった後、すぐに寝てしまいました」
『「まっさかーっ」』
寝たと言っただけで、大仰に驚かれる。
結局、昨日は夜ご飯も食べずに朝まで寝てしまったのだ。
というより、みんな窓から覗き見ていたから、何が起きたか全部知っているはずなのに……。
ガルシオさんがこほんっと軽く咳払いし、厳めしい顔つきで話し出す。
『ポーラ。ルイと仲が良いのはいいことだ。大いに仲良くしてくれ。だがな……“いかがわしい”のはよろしくないと思うぞ』
「いかがわしいことは私もルイ様もしていませんよ、ガルシオさん」
どうやら、ガルシオさんはお姫様抱っこを“いかがわしい”ことだと認識しまっているらしい。
人を運ぶ方法の一種です、と何度説明しても納得してくれなかった。
その“いかがわしい”お姫様抱っこで思い出したのか、みんなはより一層興奮が激しくなる。
「だって、辺境伯様があんな大事そうに女の人を運ぶところ、初めて見たもん。あれはもう、運命に選ばれた男女にしか許されない抱っこだよ」
……とは、エヴァちゃんの談。
「まさしくポーラさんは麗しいお姫様、ルイ様は優美な王子様……。まるで、美しい物語の一場面を見ているかのような心持ちでした」
……とは、アレン君の談。
『あんなに男らしいルイは過去一番だ。あんなにキリッとした顔ができるのかと思ったよ。いかがわしいのは良くないがな』
……とは、ガルシオさんの談。
「ルイも顔に似合わず、やるときはやるんだねぇ。ルイがあんな大胆な抱っこをするだなんて、昨日までのあたしに言っても信じないだろうよ」
……とは、マルグリットさんの談。
みんな色々と妄想が先走り過ぎているような……。
「私とルイ様はみんなと変わらない関係ですよ」
「『またまた~』」
いくら想像しているのとは違う、みんなと同じ関係だ、と言っても、四人はニヤニヤするばかりで納得してくれない。
困ったね、どうすれば納得してくれるのか。
どんな言葉で説明しようかな、と考えていると、マルグリットさんが思い出したように言った。
「そうだ、ポーラ。ルイと相談したんだけど、あたしもしばらくこの屋敷で暮らすことにしたよ。でも、掃除や洗濯は自分でするからね」
「えっ、そうなんですかっ!?」
思わず、驚きの声を上げてしまう。
てっきり、マルグリットさんはお家に帰るのかと思っていた。
お屋敷で一緒に暮らすんだ。
「“久遠の樹”の様子を見ないといけないからね。これからも観察が必要なんだよ」
マルグリットさんは自信満々に言う。
本心は樹じゃなくて、私とルイ様の観察なんじゃないかな……。
顔に書いてあるし。
……念のため、観察しても面白い現象はありません、とお伝えしておこうか。
そう伝えようとしたとき、玄関が静かに開かれた。
さっきまであれこれ話していたからか、現れた男性を見ると心臓がドキッとしてしまう。
〔ポーラ、ちょっといいか?〕
「は、はいっ」
ルイ様だ。
朝にお話しすることは驚くことでもないのに、どうしたわけか心臓が強く鼓動してしまう。
心地良いような、もどかしいような……不思議な感覚もまた、私を混乱させる。
みんなはと言うと、私たちの周りから離れお庭の隅っこに移動していた。
いつの間に……。
ワクワクとした瞳でこちらを眺める。
ガルシオさんだけは前足で顔を隠し、隙間からこちらを見ていた。
ですから、いかがわしいことは何もしていないのですが……。
〔インクがそろそろ切れそうなので、街に行く機会があったら一緒に買っておいてくれるか?〕
「わかりましたっ。誠心誠意、買わせていただきますっ」
〔ありがとう、よろしく頼む〕
ただの業務連絡なのに、なぜかドキドキしながら答えてしまった。
ルイ様は特に何を言うわけでもなく、いつも通りの雰囲気でお屋敷に戻る。
みんなは私の周りに戻ると、ニヤニヤとした意味深な笑みを浮かべた。
「『いったいどんな話を……!』」
「今度インクを買ってきてほしいという、単なる業務連絡で……」
「『またまた~』」
事実を伝えても、やっぱり信じてくれなかった。
まぁ、そのうち平常運転に戻るかな。
ワクワクするみんなじゃないけど、心の中にフッと疑問が浮かぶ。
――私はルイ様に対して……どう思っているのだろう……。
自分の心と向き合う。
今までルイ様に対しては、尊敬や憧れ、私をおいてくれた優しさ……などの感情が主に心を占めていた。
大切な人なのは間違いないはずだ。
――でも……それだけじゃない気がする。
いつからか、尊敬や敬慕といった感情とは、別の気持ちが私の心に根付きだした気がする……。
「……どうして、誰も来ないのかしらぁ?」
もう閉店の時間というのに、"言霊館 ver.シルヴィー”の中は一日中がらんとした空気に包まれていた。
ドアベルが鳴る音も、依頼を頼む声も、客たちの話し声もまるでない。
いつからか、客がさっぱりと来なくなった。
子ども大人も年寄りも全部だ。
あんなに文句を言いに来ていたくせに。
用が済んだら、はい終わり?
ふざけんじゃないわよ。
言い逃げされた気分でむしゃくしゃする。
やり場のない怒りに身を焦がしていたら、カランッとドアベルが鳴った。
有力貴族の令息かしら!?
「いらっしゃ~い……なんだ、ルシアン様ですか」
入ってきたのは見慣れた金髪の男性。
客かと思ったらルシアン様だった。
期待されるんじゃないわよ。
間の悪い人ね。
ルシアン様は店の中を見渡す。
「今日も客がいねえな。ここ三日ほど、ずっと誰も来てねえよ」
「そうなんですのぉ。どうしかしてくださいませんかぁ? ルシアン様のツテで有名な貴族の方を呼んでくださいましぃ」
腕にしな垂れかかりながら、さりげなく有力貴族との接触を頼んだ。
ククク……使える物は何でも使うわよ。
伯爵家ともなれば、有名な貴族の知り合いも多いはず。
ルシアン様は宙を見ながら考える。
「俺のツテねぇ……」
「そうでございますわぁ」
「めんどくせえな」
……は?
めんどくさがるなよ、ボンボンが。
可愛くて尊くて美しい、絶世の美女たる婚約者からの頼みでしょう。
めんどくさいどころか、むしろルシアン様から協力を申し出るレベルの話だ。
「ルシアン様ぁ、そこをどうにかお願いしますわぁ。このままじゃ、"言霊館 ver.シルヴィー”が潰れてしまいますぅ」
どうにか引きつった笑みを浮かべ、なおもやる気のないルシアン様を揺する。
あたくしの言うとおりにしなさいよ。
もっと激しく揺すろうかと思ったとき、ルシアン様が衝撃的なセリフを吐いた。
「そういや、街でお前の悪口を聞いたぞ」
「なんですって!? 詳しく聞かせてくださいまし!」
「どうやら、この前来た客たちが広めているようだ」
そのまま、ルシアン様から話を聞く。
あたくしのスキルは失敗ばかり、あたくしに詩を歌われると不幸になる、あたくしではなくお義姉様でないとダメ……などなど。
いずれも、大変に腹立たしい話ばかりだ。
許せん。
きっと、あたくしの才能に嫉妬して、あることないこと言いふらしているに違いない。
庶民や下級の貴族は噂話が好きだもの。
こんなんじゃ商売上がったりだわ。
「俺が睨んだらすぐ口をつぐむんだぞ。……面白かったなぁ。やっぱり、俺は偉いんだよ。なんと言っても、ダングレーム伯爵家の跡取りだからな」
庶民や下級貴族をいびった話をして、ルシアン様は一人で喜ぶ。
あたくしはとても喜ぶ気分にはなれなかった。
有力貴族が来ないのであれば、"言霊館 ver.シルヴィー”を続ける意味はない。
何より、高位の貴族と知り合うチャンスがなくなってしまった。
他人のお悩み解決なんてどうでもいいもの。
もう廃業しようかしら。
こんなことをしているより、お茶会や夜会に出た方が効率良さそうね。
となると、ここはやはりルシアン様を利用しましょう。
「ねぇ、ルシアン様ぁ。今度、夜会に連れて行ってくださいませんかぁ? 侯爵様が来るような大きな夜会ぃ」
「わかった、わかった。そのうち連れて行ってやるから」
適当な返事。
思い返せば、ルシアン様は面倒なことはいつもこうやって誤魔化してきた。
本当に夜会へ行けるのか、半信半疑も甚だしい。
これは厳しい躾が必要そうね。
指を鳴らしながらルシアン様に迫る。
「あたくしは真剣に頼んでいるのに、ルシアン様はいつも空返事されますよねぇ。……一度痛い目を見た方がよろしいですかぁ?」
「や、やめろっ、来るなっ。やめろ……やめろぉおお!」
以前の二連撃が身に染みているのか、ルシアン様は恐怖の表情を浮かべてじりじりと後ずさる。
婚約者に向かって来るな、なんてひどいじゃないの。
おまけに魔物でも見たかのような顔をして。
さらなる躾が必要そうね。
壁まで追い詰めたところで、ルシアン様があたくしの後ろを指して叫んだ。
「お、おい、シルヴィー、窓の外を見ろ! 王族の馬車が来ているぞ!」
「下手な嘘はやめなさぁい、ルシアン様ぁ。話を逸らそうという魂胆が見え見えですわよぉ」
「ほ、本当なんだよ。本当に王族の馬車が来ているんだって!」
ルシアン様は切羽詰まった表情でさらに叫ぶ。
話を逸らさせてなるものですか。
右ストレートのポーズを取る。
「嘘を吐くような悪い男性には……」
「信じられないなら自分の目で見てくれ!」
力強く肩を掴まれ、すごい勢いで振り向かされた。
まったく、相変わらず乱暴な人ね。
しょうがないのであたくしも窓の外を見る。
どうせ、何も……。
「そ、そんな、まさか!」
窓の外に目を向けた瞬間、思わず驚きの声を上げてしまった。
"言霊館 ver.シルヴィー”の前に伸びる道に、豪勢な馬車が停まっている。
白地に金の装飾。
扉には太陽と月の紋章が刻まれていた。
ここ、メーンレント王国の紋章だ。
王族以外の誰も乗ることはできない……。
つまり、あれは王族専用の馬車を意味する。
あたくしが驚く様子を見て、ルシアン様はこれ以上ないほど得意げな顔となった。
「どうだ、シルヴィー。俺の言った通りだろうが……ぐわあああ!」
「お黙りなさい!」
まとわりつくルシアン様を突き飛ばす。
なんと……馬車から降りたのは王様だった。
長い白髪を揺らし、口元にはこれまた長くて白い髭を蓄える。
偉大な魔法使いといった見た目と雰囲気。
まさしく、メーンレント王その人だ。
「……ごほっ、マ、マジか。王様じゃねえかよ。どうするんだ、シルヴィー。早く閉めた方がいいんじゃないのか?」
「どうするも何も、お出迎えするに決まっております。これは一世一代のチャンスですわ」
「だ、だけどよ、相手は王様だぜ? 不敬でもあったら大変な目に遭うぞ」
ルシアン様は怖じ気づいていたけど、閉店するなんてあり得ないでしょうが。
王様は幾人もの衛兵に連れられ、"言霊館 ver.シルヴィー”へと歩み寄る。
きっと、庶民や低級貴族の噂は届いていないのだ。
身分が違いすぎるから。
ここであたくしが本気を見せて王様の高評価をいただければ、ハンサムかつ聡明なことで有名な王太子との婚約も夢ではない。
あまりの好都合に、思わず笑みが浮かぶ。
「それに、王様に気に入られれば、ルシアン様だって今よりもっと有名になれるかもしれませんわよ?」
「……たしかになぁ」
一転して、ルシアン様はご満悦な表情となる。
わかりやすい男ね。
身なりを整え、ルシアン様と扉を開ける。
王様を出迎えるのだ。
すでに一行は"言霊館 ver.シルヴィー”の前に着こうかというところだった。
衛兵がビシッと二列に並ぶ。
「「メーンレント王がいらっしゃいました!」」
あたくしとルシアン様もまた、姿勢を正して王様を待つ。
「突然来てしまい申し訳ないな。ポーラ嬢はおるかの?」
開口一番、王様はお義姉様の名前を口にする。
……どいつもこいつも。
「あいにくでございますが、お義姉様はもう"言霊館”にはおりませんわ。婚約が決まり、家から出て行きました」
「……なに? そうなのか? 婚約なんてワシも初めて知ったが」
「急に決まったことですので……。申し訳ございません」
もちろん、お義姉様を追放した件は黙っておく。
あたくしたちが悪者にされてしまうもの。
いないと聞くと、王様は露骨に表情が沈んだ。
「それは困ったのぉ。まさか、もういないとは思わなかった」
「どうされたのですか?」
「最近、胸の持病が悪くなってきての。王宮医術師の治療や秘薬でもなかなか治らなくて困っておる。そこで、ポーラ嬢の詩は病気にも効くと聞いたので来たんじゃよ。詩の芸術性も高いそうじゃな。実は、それも楽しみなんじゃ」
王様は楽しそうに話す。
こんなところまでお義姉様の評判が伝わっていたなんて……腹立たしい。
いや、それも今日までだ。
あたくしの活躍でお義姉様の印象なんか消し飛ばすわ。
「ご心配はいりませんわぁ、王様。あたくしもお義姉様と同じ、いえ、それ以上に強力な言葉のスキル【忌み詞】を持っているのです」
「ほぅ、お主も言葉のスキルがあるのか。しかし、聞いたことがないのぅ」
一行は【忌み詞】と聞いて、首をかしげていた。
王様も知らないなんて、やはりあたくしのスキルは貴重なのね。
「あたくしはシルヴィーと申します。ポーラの義妹でございますわ」
「なるほど、だからお主も言葉のスキルがあるんじゃの」
「どうぞ中へお入りください」
「うむ、失礼するぞよ」
王様を店に連れ込むことに成功した。
ここまでくればこっちのもんよ。
後は詩を読んで、王様の病気を治しておしまい。
王太子に見初められれば、王妃になるのも夢ではない。
「では、今詩を作りますね」
「よろしく頼むぞ、シルヴィー嬢。病気が逃げ出すような詩を作ってくれ」
少し話しただけで、頭の中にいくつもの言葉が思い浮かぶ。
やはり、あたくしは天才ね。
羽ペンと紙を取り出して詩を書く。
あたくしを未来の王妃にしてくれる詩を。
――
胸に宿る負の結晶
それは美しい花を咲かせるでしょう
遅い開花は
見事な花を咲かせるため
クロユリとスノードロップ
黒と白のコントラストが
あなたのを行く先を暗示する
――
素晴らしい詩ができた。
詠い終わると、王様の身体……胸辺りが、数秒ほど黒い光りに包まれた。
「どうでしょうかっ、王様っ」
「あまり変わった気がしないぞよ……」
王様は不思議そうな顔で言う。
……チッ、きっと年寄りだから、スキルの効きが悪いのだ。
仕方がないので詩を渡した。
以前にも、お義姉様は詩を読んだ後、客にその紙を渡すことがあった。
どうやら、その日くらいは客が読んでも効果があるらしい。
直接自分で詠うより力は弱まるけど……とかなんとか言っていたっけ?
【忌み詞】も言葉のスキルだから、同じような効力のはずよ。
「でしたら、この王様専用の詩を夜にでもお詠みくださいませぇ。胸の病気などたちまち治ってしまうでしょう」
「しかし……なんだか情緒もへったくれもないのぉ。風情もないし字も汚いし……」
なんですって!?
王様は目を通したかと思うと、つまらなそうに言った。
「さ、さようでございますかぁ。王様のご健康を祈って精一杯書かせていただいたのですけどぉ」
怒りたくなるも必死に抑える。
こんなじいさんだろうが、相手は王様。
不敬罪にでもされたらたまったもんじゃないわ。
この怒りは後でルシアン様にぶつけましょう。
「まぁ、せっかく書いてくれたのだから、ありがたく頂戴しようかの。ご苦労じゃった、シルヴィー嬢。ワシらはお暇するぞよ」
王様たちは馬車に乗り帰る。
ルシアン様と見えなくなるまで見送った。
「クソが……結局、俺とはろくに話さなかったな」
「仕方がないですわぁ。次の機会にお話しできることを祈りましょう」
ルシアン様は王様にアピールできなかったことをずっと悔やんでいる。
反面、あたくしはもうウキウキだ。
王様の病気は完全に治って、あたくしは聖女のように崇め奉られる。
今までの不遇を帳消しにして、王妃に成り上がってやるわ。
今日の夜が楽しみ~。
◆◆◆(三人称視点)
「「王様、お疲れ様でございました」」
「うむ、皆もご苦労じゃった」
宮殿に帰ったメーンレント王は食事を済ませた後、使用人に案内され寝室へ向かう。
やはり、胸の行き苦しさはまだ残っていた。
寝るには少し早いが、今日はもう休息を取ることにする。
メーンレント王は、シルヴィーに渡された詩を読んだ。
「……行く先を暗示する……うっ……!」
詩を詠い終わったとき、彼の胸を鋭い痛みが襲った。
今まで感じたことがない痛みと辛さに、メーンレント王は脂汗を流す。
とても座ってなどいられず、ベッドに崩れ落ちた。
使用人たちは異変に気づくと、悲鳴に近い叫び声を上げた。。
「た……大変だ。王様が倒れられたぞー!」」
宮殿は大騒動に包まれる。
今回のシルヴィーの詩は遅効性だった。
クロユリの花言葉は"呪い”、そしてスノードロップの花言葉は……"あなたの死を望む”。 シルヴィーは言葉の意味も深く知らず、メーンレント王に呪いともいえる詩を書いてしまった。
――国王の危篤。
直属の医術師や薬師が次から次へと寝室に集まり、王宮中は大騒ぎだ。
シルヴィーやルシアンがのんびりとグラスを傾ける裏で、メーンレント王国きっての一大事が起きていた。
「ポーラちゃん、次は水拭きをしようか。わたしは右側から拭くから、反対側からお願いできる?」
「了解っ」
「姉さ~ん、この花瓶はどこに置けばいいんだっけ?」
バケツに雑巾を浸し、ロビーの床を拭く。
“久遠の樹”が元気になってからおよそ一週間。
ルイ様への新しい気持ちの片鱗を感じつつも、私は変わらぬ日々を送る。
お屋敷のみんなも、必要以上にからかうことはなく、いつも通りの日常が戻ってきた。
ロコルルで過ごす毎日は穏やかで、本当に気持ちが安らぐ。
この平和な時間が過ごせれば、それ以上は何も望まなかった。
床を掃除した後はお庭の手入れだ。
三人で一緒に外に出ると、ちょうど森の方角からルイ様とマルグリットさん、そしてガルシオさんが歩いてきた。
あれから、“久遠の樹”は毎日マルグリットさんの診察を受けている。
私もよく様子を見にいくけど、特に具合が悪くなることもなく健康なので嬉しい。
それでもやっぱり心配なので、マルグリットさんに容態を尋ねる。
「“久遠の樹”の調子はどうですか?」
「相変わらず元気いっぱいさ。ポーラの【言霊】スキルは、まさしく特効薬だったんだろうね。樹木医顔負けだよ」
『後で撫でに行ってやれ、きっと喜ぶぞ。ポーラのことを命の恩人だとわかっているはずさ』
笑顔で答えてくれ、胸がホッと落ち着く。
“久遠の樹”は大変に美しく壮大なので、私もすっかり好きになっていた。
〔後一週間様子を見て、問題なければこの先もずっと元気だろうということだ〕
「まぁ、あたしはずっとここに住みながら経過を診てもいいんだけどね」
マルグリットさんが胸を張りながら言うと、ルイ様がわずかに疑問の表情を浮かべ聞いた。
〔そういえば、マルグリットはやたらとこの屋敷に住みたがるな。どうしてだ? “久遠の樹”以外にも気になることがあるようだが……〕
「あっ、いやっ、それはっ……!」
やはり、ルイ様は鋭い感性を持っていらっしゃる。
マルグリットさんが慌てたところで、ふいにお屋敷の門の辺りが騒がしくなった。
人の大きな話し声が風に乗ってお庭まで聞こえる。
門を見ると、何人かの立派な服を着たお客さんが、錯越しにお~いと手を振っている。
今日、来客の予定はなかったはずだけど……。
そう思うも、私たちを見つけるとさらに慌ただしくなったので、ただのお客さんではないと感じた。
「ルイ様、もしかして街で何かあったのでしょうか」
〔行ってみよう〕
みんなで急いで門に向かう。
三人の男性が切羽詰まった表情で立っていた。
真ん中の人が必死の形相で叫ぶように尋ねる。
「アングルヴァン卿、突然の訪問誠に失礼いたします! こちらにポーラ・オリオール嬢はいらっしゃいますか!?」
「はい、ポーラは私です!」
〔今、門を開く。ずいぶん慌てているようだが、何があった〕
ルイ様が門に手をかざすと、静かに開かれた。
男性たちは転びそうな勢いでお庭に入ると、姿勢を正して言う。
「私たちはメーンレント王の直属の使者です! 王宮より転送魔法を駆使して参りました! 実は……王様の持病が悪化し、危篤状態に陥りました! ポーラ嬢が持つ【言霊】スキルのお力を貸していただきたいのです!」
「「お、王様が!?」」
使者の言葉に、心臓や背筋が冷たくなった。
王様が危篤……。
まさしく、青天の霹靂というくらいの衝撃だ。
エヴァちゃんたちも呆然とするばかりで、お庭は不気味な静けさに包まれる。
ルイ様だけはいつもと変わらぬ冷静な表情で、サラサラと魔法文字を書かれた。
〔詳しく話してくれ〕
「はっ! ポーラ嬢の義妹たるシルヴィー・オリオールが詩を詠んだ結果、王様の体調が著しく悪化してしまったのです。あらゆる秘薬や回復魔法も効果がまるでなく……このままではいつお亡くなりになるかわからないほど、危険な状態です」
使者は暗い顔で俯きながら話す。
その沈んだ表情から、王様の辛くて厳しい状態が目に浮かぶ。
そして、何より……。
「シ、シルヴィーが詩を詠んだら悪化したとは、どういうことでしょうか……」
実家にいるはずの義妹の名前が出てきたのだ。
私を家から追い出し、無事ルシアン様と結ばれたはずのシルヴィーがなぜ……。
何があったのかと緊張で喉が渇くのを感じながら尋ねると、使者は厳しい顔のまま説明を続けた。
「シルヴィーが持つスキル【忌み詞】は、詩を詠むことで他人を不幸にする力があるようなのです。その力に当てられ、王様は持病が悪化したと確認されました。今は医務室で絶対安静となっております」
「そ、そうだったのですか……」
彼女のスキルにはそんな危険な力があったのか……。
シルヴィーのことだから、スキルの研究や分析などしなかったのだろう。
使者は姿勢を正すと、一段と真面目な顔で告げた。
「もうポーラ嬢のお力に頼る他ありません。どうか……王宮に来て、王様を救っていただけませんか?」
考えなくても、答えはたった一つしかない。
深呼吸すると、一息に言った。
「はい、もちろんです。全身全霊で詩を詠い、王様の病気を治します」
「ありがとうございます! ポーラ嬢が来て下されば王様も救われるはずです! では、すぐ早馬の手配をいたします。ロコルルに来るまでに、全ての魔力と転送札を使ってしまいましたので……」
〔問題ない。私が転送魔法でポーラを王宮に届ける〕
「ありがとうございます、ルイ様」
ルイ様は国内きっての無詠唱魔法の使い手だ。
転送なんて難しい魔法も使えてしまうのだろう。
これ以上ないほど強い味方だった。
辞書や羽ペンなどはいつも持ち歩いているので、私の準備も万端だ。
〔ポーラ、私の隣に来なさい。動かないように。だが、心配はいらない。すぐ終わる。少し眩しいだけだ。医務室へ直接行く〕
「わかりましたっ」
ルイ様の隣に立つ。
これから私は、王様の病気を治すという大役をこなさなければならない。
緊張しないと言ったら嘘になる。
でも、隣で魔力を練る人を見たら、すぐに緊張も不安も消え去った。
柔らかな風に暗雲が流されていくように。
――ルイ様がいれば……何があっても大丈夫。
そう強く思ったとき、私とルイ様は眩い白い光に包まれた。