「ユイ様、こちらへどうぞ」
「うん。お邪魔します」
これ以上玄関先で話すのもどうかということで、アリスに「孤児院」の中へと招き入れてもらった。
外と玄関の境目を越えると、視界に入ったのは至って普通の居間だった。
狭くも広くもない室内は家具も、壁紙も、床も真っ白に彩られている。
部屋の中で色を持っているのは、レンガ造の暖炉、照明の魔具、無機質な黒色のテーブルと木で作られた椅子だけ。
簡素な作りの一般的な普通の家といった印象だ。
だが、生活感はカケラもないし、レーナルトの言っていた化け物とやらの姿もない。
だからこそ、異質なドアが一際目を引いた。
玄関の扉と同様に真新しい鉄のドアが設置されている。
それは雰囲気を無視して無理矢理取り付けたという印象だ。
まるで何かを隠しているような感覚を覚える。
「ユイ様、申し訳ありませんでした」
ゆっくりと室内を見渡していると、すっかり平静を取り戻したアリスが頭を下げる。
「どしたの?」
「先程、奴隷の分際でユイ様のお召し物を汚してしまいました」
ユイの眉に自然と力が入った。
「アリス、そんなことで頭を下げなくていいの。早く顔上げて」
諭すように優しく声をかける。
「いえ、そういう訳にはいきません」
「でもね……」
「ユイ様と私は主人と奴隷の関係ですので」
アリスの言葉を聞きユイがはっと息を呑むと、表情は真剣なものに変わった。
「アリス。そういうのやめよ。これから私達は家族になるんだから」
わざと語気が強くなるように言葉を発する。
きっと、今はそれが自然だ。
「かぞく……?」
アリスはあり得ないものを見るような目をユイに向ける。
でも、どうやら怯えてはいないらしい。
この子は絶望的なまでに人の優しさを知らない。
ユイの中で、憶測が確信へと変わっていく。
少女の表情を見て、ユイは迷わず言葉を続ける。
「そうだよ。ここは孤児院、そして私は管理人。てことはね、アリスは私の子供になるんだよ!」
「こ、子供!」
ほら、また真っ赤だ。
アリスはユイから急いで目線を外して、また戻した。
たぶん、もうひと押し。
ユイはうんうんと頷き、とにかく優しく微笑む。
「ま、子供って歳の差でもないか……。じゃあ、おねえちゃん!」
「……おねえちゃん」
アリスはユイの言葉をオウムのようにただ返していく。
これは、初めての驚きと信頼できるかもという期待が入り混じり、感情が混乱している子供特有の反応だ。
これまで飽きるほどたくさん見てきた。
どうすればいいかも、よく知ってる。
ユイは首を傾けてウインクをする。
「そう! ユイお姉ちゃん! アリス、リピート!」
「ユイさ……、おねえちゃん……」
「うーんっ! かわいい!」
りんごのように真っ赤になったアリスに抱きつく。
包み込むように優しく、身体の暖かさが伝わるくらいに強く抱きしめる。
「わ、わっ!」
慌てふためくアリスを一度離し、彼女の瞳を覗き込みながら両手で頬を包み込む。
「アリス、何でも言って、何でも頼って!」
迷いを消してあげればいい。
「……ほんとうに、いいの?」
「いいのいいの!」
ただ、肯定してあげればいい。
「たぶん、たくさん寄りかかっちゃうよ」
「いいよ! 私も辛い時はアリスを頼るから!」
何故なら、彼女は頷きたいのだから。
「頼る……」
それは期待が確信へと変わる目だ。
「そう。私が辛くなったら、アリスを頼らせて」
醜かった人生が変わるかもしれない。
これが最後のチャンスなのかもしれない。
この人なら幸せにしてくれるのかもしれない。
「……うん」
そう思い込んでしまったら最後。
優しさを知らない心が、制御不能になった感情に飲み込まれていく。
「ユイおねえちゃんの妹になりたい」
「……嬉しい」
そういった甘美な期待を、人は隠すことができない。
目の前にいる幼気な少女のように。
そして、アリスに、一生忘れられない「その瞬間」を刻み込む。
「アリス、私と生きていこう!」
アリスは限界まで目を見開き、ユイを見つめる。
「きっと、楽しいよ!」
魔術以外の武器をユイは最大限を活用した。
おそらく、もうアリスには必要ない。
これからなにが起こるかわからないからこそ、一番の武器は残しておかなければ。
アリスの反応を見ても、判断は間違っていなかったと確信できる。
「……でも、迷惑をかけるかも」
アリスは迷ったように言葉を発する。
しかし、それは形だけの拒絶。
もし、が起こってしまった時の保険だ。
「いいよ! そういう時は助けてあげる」
「本当にいいの……?」
「うん。だから、アリスも私を助けて?」
「……うん」
ユイはアリスが求めている「正解」を答え続ける。
「ボク、本当に、本当に面倒くさいよ?」
「ドンとこい!」
本来の一人称はボクなんだな、と思った。
自然と敬語が抜けて、言葉も砕けてきている。
先程もそうだったが、アリスは感情が溢れると歳相応の反応をするようだ。
ユイは子供に言いかかせるように言葉を紡ぐ。
「今日から私と家族になろう?」
アリスの表情から戸惑いの色が消え失せる。
「私、ついさっき無くしちゃったからさ。アリスが記念すべき一人目!」
確実に彼女の信頼を掴んだと、そう感じた。
「うん……。ユイおねえちゃん!」
今度こそ、アリスは迷うことなく頷く。
そして、潤んだ瞳をユイに向けながら言い放つ。
「ボク、最期はユイおねえちゃんの為に死ぬね」
彼女の顔はいたって真剣だった。