婚約者に捨てられた欠陥令嬢、化け物どもを管理する


「ユイ、君との婚約を破棄する」

 十七歳の誕生日を迎えた日。
 閑散とした広間の中でユイ・フロートは婚約者に捨てられた。
 
「人権を剥奪された上、フロート公爵家を破門されることも決まった。これから君は、ただのユイだ」

 ということらしい。
 ユイの首元には魔術封じが施された鉄の首輪がぶら下がっている。
 そして、後ろ手にはこれまた頑丈な鉄の手枷。
 この様子からして、知らない間に公爵家の令嬢から犯罪者相当まで立場が堕ちたらしい。

「一応、理由を聞いてもいいですか?」
「……へぇ、やっぱり顔色一つ変えないんだね」

 テラーブル王国の第二王子でユイの元婚約者。
 レーナルト・テラーブルは豪華な椅子に足を組みながら座り、ころころと笑う。
 ユイを見下ろす、彼の金髪と青い瞳がシャンデリアが放つ光を照り返してキラキラと揺れていた。
 レーナルトの隣には、純真無垢を形にしたような乙女が立っている。
 きっと、この子が新たな婚約者だろう。

「いいえ、私は焦ってますよ」
「本当? 全くそうには見えないけど」

 レーナルトは余裕の笑みを崩さない。
 
「君の綺麗な顔が歪んでいるところを、僕は見たことがない」
「そうですか? 私は見ての通り、か弱い女の子ですが……」
「か弱い女の子? 君が? ……笑える冗談だね」

 彼とは婚約者として十年近く一緒にいたはずだ。
 ……これはちょっと失敗したかも。
 
「せっかく、今日はそういう姿が見られるかと思ってたけど」
「ご愁傷様です」
「……あぁ、本当に残念だよ。色々な意味でね」

 レーナルトはにこりと微笑む。
 正直なところ、内心焦っているのは本当だ。
 何せ状況がよくわからない。
 よくわからないまま拘束され、首輪と手枷を嵌めらた後、元婚約者がいる広間に放り出された。
 そんな仕打ちを受けた後に人生終了の宣告を受けたのだ。
 色々と聞く権利があるはず。

「あの、それで婚約破棄と人権剥奪の理由は……」
 
 ユイはとりあえず話を本筋に戻す。
 気づけば話があらぬ方向へ脱線していく。
 この人と語らう時はいつもそうだった。
 
「そういえばそうだったね」

 ようやく、人生が破滅する理由を話してくれる気になったらしい。
 跪いたまま手枷を嵌められているこの体制は流石にきつい。
 すると、レーナルトは美しい金髪をかきあげながら、

「先日行った血液検査の結果、君が悪魔だと判明した」

 あまりに淡々と告げた。
 
「……そうですか」
「あぁ、これが現実だ」

 この国では一定の周期で、国民と認められた人間の全員に血液検査が義務付けられている。
 悪魔、もとい、魔人でないことを証明する為だ。
 魔界と国境を接するこの国では、人ならざる者は大変恐れられている。
 人とは違う、人など比べ物にならない強大な力を持つ、人をいとも簡単に殺すことが可能。
 だからこそ、民は魔人を「悪魔」と呼び恐れている。
 存在は忌み嫌われ、見つかれば即座に人の世を追放されるのだ。
 だが、わかっているはずなのに人は間違いを繰り返す。
 魔人は例外なく容姿がいいとされている為、人を誑かせて子を産ませることもあるらしい。
 結局、人間は己の欲に勝つことはできないのだ。
 本能的に美しいモノに心惹かれ、間違いを冒す。
 これは人間という生き物が遺伝子に抱えた欠陥。
 そして、ユイは人が恐れている悪魔だった。
 絶対的権力を持つ「王家」がそう決めたということ。

「悪魔が王族と婚姻するなんてあり得ないだろ?」
「それは……、そうですね」
「ましてや、のうのうと人の国で暮らすなんて許されない」
「……はい」
「僕は残念だよ。本当に残念だ!」
 
 レーナルトは芝居掛かった大袈裟な演技をしながら、跪くユイを見下ろす。

「君は本当に美しい。煌びやかな青い髪も、宝石のような紫紺の瞳も、柔らかい絹のような肌も、絵画のように整った容姿も。……その全てが人とは思えない程、美しい」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
「でも、それは君が悪魔だったから、というわけなんだね。ようやく納得したよ」

 不快感から鋭く目を細める。
 レーナルトの隣でずっと黙っていた女の子がビクッと肩を振るわせた。
 
「これから、君は悪魔の世界に追放される」

 金髪の彼は心底楽しそうに笑う。
 そして、

「ユイ、君の人生はここまでだ」

 あまりに気安く、軽薄に、終わりの言葉が放たれた。
 魔界への追放。それは実質的な死刑宣告だ。
 人が魔界で暮らしていくことはできない。
 強大な力を持つ魔人だけでなく、魔獣と呼ばれる殺戮マシーンまで彷徨いている魔界は、ちっぽけな人ごときが生き抜くことは不可能だ。
 文字通り、人にとっては悪魔の世界。
 これは、清く尊いこの国で最も一般的な処刑方法とされている。
 魔人とされた人や犯罪者を魔界に放り込む。
 簡単に言えば、人知れずどこか遠い場所でのたれ死ねということだ。
 人間は何も殺さない、野蛮な悪魔とは違うという誇り高い人という種族の矜持。
 なんて尊い考え方なんだろうか。
 人は「魔術」と呼ばれる技術を使用して、ここまでの発展を遂げてきたというのに。
 
「……まぁ、どうでもいいか」
 
 さて、どうしたものだろう。
 ユイがつまらない考え事をしていると、レーナルトが見るからに楽しそうな表情で続きを話しはじめる。

「でも、それじゃ君が可哀想だと思ってね」
「……はぁ」
 
 どうやら、お優しい王子様は救いの道を用意してくれていたらしい。
 
「元ではあるけど僕の婚約者ではあったし、精一杯の温情をかけてあげようと思うんだけど……、どうかな?」
「ありがとうございます」
 
 感情の起伏を見せないように淡々と告げる。
 
「いいね! ちゃんと乗り気なんだ!」
「いえ、別にそういうわけでは……」
「では、君の処遇を伝える!」

 ユイの言葉を無視したレーナルトは勢いよく立ち上がり、

「君を孤児院の管理人に任命する!」

 彼はユイを嘲りながらそう言った。


 理解不能な言葉を吐き出した後、盛大な拍手で場を盛り上げる王子様。
 彼の新しい婚約者も同じくぱちぱちと手を叩いている。
 ユイは冷め切った目をレーナルトへ向けた。

「あれ? 驚かないの?」
「いや、まぁ……」

 驚くも何も意味がわからない。
 孤児院とはなんなのか。それすらもわからない。
 こんな国に、無駄に慈悲深そうな名前のついた施設があったことすら驚きだ。
 何もかもを一から教えてもらう必要がある。
 おそらく、単純に子供を管理する場所という意味ではないはず。

「街外れにある孤児院。そこが君の新しい居場所になる」
「……はぁ、そうですか」
「前任者が不慮の事故で亡くなってしまってね。ユイはその代わりというわけ」

 レーナルトは頬杖をつきながら告げる。
 彼の言葉を聞き、ユイは即座に微笑んだ。

「それで、私は何をすれば?」
「……実に理解が早くて助かるよ。だからこそ僕は君が欲しい。……どんな手を使ってでもね」
 
 レーナルトから突如笑顔が消え、無機質で感情のこもっていない目で睨まれる。
 
「お褒めいただき、光栄で御座います」

 深々と頭を下げると、レーナルトはいつもの余裕を取り戻した。

「孤児院に住んでる化け物を管理して……、厄介な人……、いや、同族を見つけるだけの簡単な役割だ」
「いや、言ってる意味が――」
「詳細は孤児院で働いてる奴にでも聞いてね」

 レーナルトに言葉を遮られる。
 説明をもらっても、何一つわからない。
 わからないということだけが唯一わかっている状態だ。
 表情から察したのか、レーナルトは足を組み直し説明を続ける。
 
「なに、君ならすぐに理解できるよ。そこに住んでる化け物を全部やる。だから、仕事をしつつ目的を成し遂げろって、それだけ」
「悪魔の私に、化け物……? の集団を任せると?」
「あぁ、適任だろ?」
「それは、とても危険ではないでしょうか。……私は貴方達を恨んでいますよ?」
 
 ユイは人形のように、こてん、と首をかしげる。
 すると、レーナルトは目を見開いた。
 
「はっ! 普通の人間ならその心情は最後まで隠し通す! 化け物の集団なんて手札が無償で転がり込むなら尚更だ」
「……そうなんですね」
「あぁ、そうだとも! 反撃の時まで耐え、相手を嵌めて、最高のタイミングで怨みを吐露し、笑いながら勝ち誇る。……そう、誰しもが叶わない空想するものだ」
「質問の答えになっていないように感じますが……」
 
 レーナルトはユイを皮肉るように嘲り、ユイの疑問を当然のように無視して話を続ける。

「そもそも、お前はこれまで過ごした家のこと、大切だと言っていた家族のこと、あれだけ仲の良さそうにしていた友人のこと、自分の生まれや過去の出来事でさえ、気にする素振りすら全く見せない」

 声を張り上げるレーナルトから、それとなく目線を外す。

「家族に会いたくないのか? 聞きたくはないのか?」
「……会って何を聞けというのですか?」
「お前は悪魔とされたんだぞ? 両親は人間なのか? 同じ親から産まれたとされる姉のことは? 大事に思っていた家族の処遇は? この私ですら両手では収まらないほどの疑問をすぐさま想像できる。……なぜお前は何も聞かないんだ?」
「それは――」
「本当に誰かを恨んでいる人間はお前のように感情の一切を感じない言葉を吐かないんだよ」

 言葉を遮られ、ユイは歯噛みする。

「自分は人生をかけて誰に復讐すればいいのか。必要な情報を得るために必死に気持ちを押し殺し、復讐する対象だろうと媚びへつらい機嫌をとる。気持ちを、怨みを晴らすために、必要なもの以外は全てを捨てる。……それが全てを奪われた人間だ」

 矢継ぎ早に話し続けたレーナルトは肩で息をしている。
 必死な顔で多くを語る彼の姿に驚いた。
 レーナルトにこんな一面があるなんて知らなかったから。
 口角が上がりそうになるのを必死に抑え込む。

「それは……、失敗しました」
 
 そして、自身の間違えを素直に認める。
 するとレーナルトは、信じられないものを見たような顔をした後、冷静に座りなおした。

「……もういい。僕が愚かだった」
「え?」
「それに、君が心配するような問題など何もない」
「……なぜ?」
「ぶら下がってる首輪は王族に危害を加えようとした瞬間、即座にお前を殺す魔法が組み込まれている」
 
 なにがそんなに楽しいのか、くつくつと笑いながら彼は語る。
 
「王国から無断で出た場合、そして、直接死ねと命令した場合も同様だ。お前は王家の所有物なのだから、逆らうこと、逃げ出すことは許されない」
「……それはそれは、本当に恐ろしいです」
「僕を含めた王族なら、この世界のどこに居ようと確実にお前を殺せる。生涯に渡り自由などない。永久に王家の奴隷だ」

 レーナルトは勝ち誇った声で煽る。
 
「どうせ化け物どもはマトモに管理できてない。……なら、奴隷となったお前にくれてやれば、少しはマシになるかもしれないだろ?」
 
 レーナルトの言葉を聞き、少しだけ考えた後、
 
「わかりました」
 
 とユイは答える。
 
「決断が早いな。そんな簡単に決めていいのか? 何か他に聞きたいことは?」
「いいえ、ありません。私に選択肢はありませんから」
「……よく言う」

 再度、レーナルトから笑顔が消える。
 今日は彼の色々な表情が見られる。
 こんなに楽しい人であったなら、もっと知る努力をしてもよかったかもしれない。

「孤児院の管理人と言う役割、謹んでお受けいたします」
「……期待通りの成果を頼むよ」
「はい」
「では、下がれ」

 厳しい体勢で座り続け、重くなった身体を持ち上げ立ち上がる。
 しかし、両手に枷を嵌められた状態では上手く立ち上がることができずに少しふらついた。

「あの手枷は……?」
 
 そもそも、首輪がある時点で手枷など必要ないはずだ。
 なぜなら彼が話したように、奴隷は王家に逆らえないのだから。
 
「あぁ、ここから出たら衛兵に外してもらってくれ」
「理由を聞いても……?」
「ここで君を自由にしたら、僕の婚約者が怖がってしまうのでね」

 新しい婚約者を見つめると、彼女はわかりやすいくらいに怯えはじめる。

「まだ、彼女のお名前を聞いていませんでしたね」
「お前が知る必要はない」
「ですが、私は大変な失礼を働いてしまうかもしれませんよ?」
「……聖女と、そう覚えて帰れ。二度と会うことはないだろうけどな」

 レーナルトに睨まれた。
 これ以上追求をするな、ということだろう。

「わかりました。では、レーナルト様、聖女様、またお会いしましょう」
 
 そういうことならと迷うことなく振り返り、この場を後にしようと決める。
 
「……お前はどこまでも狂ってるな。やはり人間じゃない」
 
 レーナルトの言葉にユイは立ち止まる。
 もう一度だけ振り返ると、青くきらめく髪がふわりと持ち上がってユイの目を覆った。
 視界が晴れた先にあったのは、侮蔑に満ちた顔と恐怖で歪んだ顔。
 ユイは二人に向けて、この世のモノとは思えない程に麗しい笑顔を作り言葉を発する。
 
「私はただの、幼気な少女ですよ」と。

 すると、レーナルトは爽やかに笑って言う。

「そんな君だからこそ、僕は何としてでも欲しくなってしまうんだ」


 手渡された地図に指定された場所は街の外れだった。
 ユイは顔を隠し、一般階層が住んでいる住宅街を抜けて、貴族が住まう煌びやかな豪邸を通り越す。
 しばらくすると見えてくる丘を少し登った先にある小汚い建物。
 あれがレーナルト曰く「孤児院」ということらしい。
 遠くから見ると寂れた教会のようにも見えた。
 緑色の蔦が絡みつき、石造りの外壁は所々剥げている。

「……汚い」

 それがユイの嘘偽りない第一印象だった。
 この距離から見てもわかるほど貧相で汚い家。
 周りには家どころか、他に建物一つなかった。
 だが、指定された場所はあそこで間違いない。
 こんな場所に住み着いている化け物とやらは、さぞかしかわいそうな扱いを受けてきたのだろう。
 多分、いやきっと、恐らく、絶対にそうだ。
 口角が自然と上がっていく。
 
「あぁ、たぶん、これじゃダメか……。あの人に指摘されたばかり……」
 
 ユイは顔を覆い隠していたスカーフを脱ぎ去る。
 そして、両手で頬を摘み、ぐにぐにと動かした。
 何度かやり直した後、

「よしっ! こんな感じ!」

 ユイは満面の笑みを浮かべる。
 頬を軽く数回叩いて気合いを入れた。

「いこう!」

 孤児院の敷地に入るために歩を進めると、不快な感覚が全身を包み込む。
 辺りを見回すと、直ぐ原因に気づくことができた。

「魔封じの結界……」

 魔術を上手く使用できなくさせるための結界が敷地内を覆っている。
 おそらく、原理は首にぶら下がっている鉄輪と同じようなものだ。
 魔術の能力を制限して、いざという時には処分することもできる魔具。
 きっと、いとも簡単に魔人を殺せるんだろう。
 ここに住んでいる化け物とやらは、余程信用をされていないらしい。
 
 砂利が敷き詰まった道をひたすらに歩き、ようやく建物の入口に着いた。
 入口と思われる場所には重そうな鉄の扉が設置されている。
 汚らしい外観には不釣り合いなほど真新しい。
 どこを見渡しても訪問を知らせるベルはどこを見ても設置されていなかった。
 あたりを見渡し、どうしようかを考えていると、

『ユイ様ですね』

 幼い少女特有の高い声がした。
 声を大きくする魔具がどこかに置かれているのか、やけに声が響く。
 
「はいっ! 本日からここの管理人となりました、ユイと申します! よろしくお願いします!」
『……はい、こちらこそ。今、扉を開錠します』

 少し間があったが、返答がある。
 重そうな扉がゆっくりと開いていく。
 すると、建物の中からは少女が出てきた。
 ユイの顔を見た途端、彼女の無機質な目が確かに色付いていく。

「わぁ……、綺麗……」

 まんまるに目を見開いた少女がユイを見て呟く。
 少女の姿は、何というか異質だと感じた。
 病的なほど白い肌、真赤な瞳に白い髪、顔立ちは恐ろしいほどに整っている。
 人が悪魔と呼ぶ、恐ろしい存在を形にしたような少女。
 歳はおそらくユイよりも幼いだろう。
 そして、細い首には鉄輪が嵌められている。
 間違いなく、この子はユイと同じ立場だ。
 つまり、大体は予想通りということ。
 お互い無言で見つめ合い、数秒が経つ。

「あの、どうしたの?」

 沈黙を破ったのはユイだった。
 脳が溶けるような甘い声で語りかける。
 すると、少女はビクッと体を震わせた。
 
「す、すみません!」

 そして、綺麗に背筋を伸ばす。
 
「ユイ様、孤児院へようこそ。私はアリスと申します。あく……、いえ、貴方様の指示に従う誓約を結んでおりますので、これからは何なりと私にお申し付けください」

 アリスは丁寧にお辞儀をする。
 姿形だけでなく所作も美しい。
 多分、貴族の血が入っているのだろう。
 だけど、そんなことよりもアリスの言葉の中で特に気になるものがあった。
 
「誓約?」
「はい。王家と交わした契りです」
「……もし守らなかったり、逆らったらどうなるの?」
「誓約を破った場合や破ったとみなされた場合、私はこの世から去ることになります。その代わりに多少の自由をいただきました」
 
 この首輪はそんな使い方もできるらしい。
 レーナルトの言っていた奴隷という言葉に嘘偽りはないようだ。
 
「でも、なんでアリスが選ばれたの?」
「孤児院では唯一のと同性ということで選ばれたようです」
「……そうなんだ」
「はい」

 話さなければならない事は全て終わったのか、また沈黙。
 ユイは彼女の顔をまじまじと見つめる。
 
「あ、あの……。私の顔に何かついてますか?」
 
 静寂に耐えきれなくなったのか、今度はアリスから言葉を切り出してくる。
 
「……アリスはとっても可愛いなって」
「えっ! わっ、私がですか?!」

 思いがけない言葉にアリスの声が上擦る。
 彼女の白く透き通った肌が赤く染まった。

「うん。そんな驚くこと?」
「い、いえ。……そんなこと初めて言われました。いつも、みんなは怖い、恐ろしいって……」

 この国では、美しすぎる容姿は畏怖の対象になる。
 どうしても恐怖の対象である魔人を連想させるからだ。
 黒髪と茶髪が普通の日常で「私達」はとても目立つ。

「そんなことないよ。アリスは可愛いっ!」

 ユイは迷うことなくアリスに抱きつく。

「わっ……! あ、あのっ、ユイ様!」
「アリス。さっき、私に見惚れてたでしょ?」
「あっ、いや、それは……。申し訳ありません……でした……」
 
 アリスは申し訳なさそうに俯いた。
 
「アリス、私は怖い?」
「……え?」

 ユイは腕の中にいるアリスを見つめる。

「怖いかな……?」

 ユイは悲哀に満ちた表情をアリスに向ける。
 今すぐにでも泣き出しそうな、そんな顔。

「そんなことありませんっ!」
 
 アリスは勢いよく首を振る。
 
「ユイ様は綺麗で、美しくて……、とてもお優しい方だと思いました……」
 
 優しい、ね。
 
「じゃあアリスも、私と同じ気持ちだね!」
「え? 同じ……?」
「うん! だってアリスも綺麗で可愛いし優しいよ?」
「わ、私がですか?!」
 
 まるで信じられないものを見るような目をユイに向けてくる。

「恨んでもおかしくない相手に、綺麗で美しいなんて気持ちを持てるアリスはとっても優しいよ」
 
 不自然ではないだろうか、間違ってないだろうか。
 理由と理屈は少し強引な気もしてしまう。
 だが、そういった少しの不安はアリスの表情で解消された。
 彼女の顔は、何かが手に入るかもしれないという期待で満ちている。
 それなら、とるべき行動は一つしかない。
 
「アリスのこと気に入っちゃった!」
「……ほんと?」
 
 アリスは上目遣いで語りかけてくる。
 
「ほんとっ!」
「……ユイ様、ありがとうございます」

 アリスはユイの腕の中に、再度収まった。
 ユイは胸を貸して優しく抱きしめる。

「もう大丈夫、大丈夫だから」
「うん……」

 これまでとても辛い経験をしてきたのだろう。
 悲しくて、逃げだせなくて、信頼できる人は一人も周りにいなくて、自分ではどうしようもない。
 そういう人生をこの子は送ってきたんだと思う。
 
「今は泣いていいよ」
 
 ユイの言葉を聞き、アリスは腕の中で静かに肩を振るわせる。
 
「今日から、私がアリスと一緒にいる」
 
 腕に収まる幼気な少女を見て、ユイの口角が上がる。
 先程とは違い、どうしても抑えることができなかった。

 

 

 

「ユイ様、こちらへどうぞ」
「うん。お邪魔します」
 
 これ以上玄関先で話すのもどうかということで、アリスに「孤児院」の中へと招き入れてもらった。
 外と玄関の境目を越えると、視界に入ったのは至って普通の居間だった。
 狭くも広くもない室内は家具も、壁紙も、床も真っ白に彩られている。
 部屋の中で色を持っているのは、レンガ造の暖炉、照明の魔具、無機質な黒色のテーブルと木で作られた椅子だけ。
 簡素な作りの一般的な普通の家といった印象だ。
 だが、生活感はカケラもないし、レーナルトの言っていた化け物とやらの姿もない。
 だからこそ、異質なドアが一際目を引いた。
 玄関の扉と同様に真新しい鉄のドアが設置されている。
 それは雰囲気を無視して無理矢理取り付けたという印象だ。
 まるで何かを隠しているような感覚を覚える。
 
「ユイ様、申し訳ありませんでした」

 ゆっくりと室内を見渡していると、すっかり平静を取り戻したアリスが頭を下げる。

「どしたの?」
「先程、奴隷の分際でユイ様のお召し物を汚してしまいました」
 
 ユイの眉に自然と力が入った。
 
「アリス、そんなことで頭を下げなくていいの。早く顔上げて」

 諭すように優しく声をかける。

「いえ、そういう訳にはいきません」
「でもね……」
「ユイ様と私は主人と奴隷の関係ですので」
 
 アリスの言葉を聞きユイがはっと息を呑むと、表情は真剣なものに変わった。
 
「アリス。そういうのやめよ。これから私達は家族になるんだから」
 
 わざと語気が強くなるように言葉を発する。
 きっと、今はそれが自然だ。
 
「かぞく……?」
 
 アリスはあり得ないものを見るような目をユイに向ける。
 でも、どうやら怯えてはいないらしい。
 この子は絶望的なまでに人の優しさを知らない。
 ユイの中で、憶測が確信へと変わっていく。
 少女の表情を見て、ユイは迷わず言葉を続ける。

「そうだよ。ここは孤児院、そして私は管理人。てことはね、アリスは私の子供になるんだよ!」
「こ、子供!」

 ほら、また真っ赤だ。
 アリスはユイから急いで目線を外して、また戻した。
 たぶん、もうひと押し。
 ユイはうんうんと頷き、とにかく優しく微笑む。

「ま、子供って歳の差でもないか……。じゃあ、おねえちゃん!」
「……おねえちゃん」

 アリスはユイの言葉をオウムのようにただ返していく。
 これは、初めての驚きと信頼できるかもという期待が入り混じり、感情が混乱している子供特有の反応だ。
 これまで飽きるほどたくさん見てきた。
 どうすればいいかも、よく知ってる。
 ユイは首を傾けてウインクをする。

「そう! ユイお姉ちゃん! アリス、リピート!」
「ユイさ……、おねえちゃん……」
「うーんっ! かわいい!」

 りんごのように真っ赤になったアリスに抱きつく。
 包み込むように優しく、身体の暖かさが伝わるくらいに強く抱きしめる。

「わ、わっ!」

 慌てふためくアリスを一度離し、彼女の瞳を覗き込みながら両手で頬を包み込む。

「アリス、何でも言って、何でも頼って!」

 迷いを消してあげればいい。

「……ほんとうに、いいの?」
「いいのいいの!」

 ただ、肯定してあげればいい。

「たぶん、たくさん寄りかかっちゃうよ」
「いいよ! 私も辛い時はアリスを頼るから!」

 何故なら、彼女は頷きたいのだから。

「頼る……」

 それは期待が確信へと変わる目だ。

「そう。私が辛くなったら、アリスを頼らせて」
 
 醜かった人生が変わるかもしれない。
 これが最後のチャンスなのかもしれない。
 この人なら幸せにしてくれるのかもしれない。

「……うん」
 
 そう思い込んでしまったら最後。
 優しさを知らない心が、制御不能になった感情に飲み込まれていく。

「ユイおねえちゃんの妹になりたい」
「……嬉しい」

 そういった甘美な期待を、人は隠すことができない。
 目の前にいる幼気な少女のように。
 そして、アリスに、一生忘れられない「その瞬間」を刻み込む。

「アリス、私と生きていこう!」

 アリスは限界まで目を見開き、ユイを見つめる。

「きっと、楽しいよ!」

 魔術以外の武器をユイは最大限を活用した。
 おそらく、もうアリスには必要ない。
 これからなにが起こるかわからないからこそ、一番の武器は残しておかなければ。
 アリスの反応を見ても、判断は間違っていなかったと確信できる。
 
「……でも、迷惑をかけるかも」

 アリスは迷ったように言葉を発する。
 しかし、それは形だけの拒絶。
 もし、が起こってしまった時の保険だ。
 
「いいよ! そういう時は助けてあげる」
「本当にいいの……?」
「うん。だから、アリスも私を助けて?」
「……うん」
 
 ユイはアリスが求めている「正解」を答え続ける。
 
「ボク、本当に、本当に面倒くさいよ?」
「ドンとこい!」

 本来の一人称はボクなんだな、と思った。
 自然と敬語が抜けて、言葉も砕けてきている。
 先程もそうだったが、アリスは感情が溢れると歳相応の反応をするようだ。
 ユイは子供に言いかかせるように言葉を紡ぐ。
 
「今日から私と家族になろう?」

 アリスの表情から戸惑いの色が消え失せる。

「私、ついさっき無くしちゃったからさ。アリスが記念すべき一人目!」

 確実に彼女の信頼を掴んだと、そう感じた。

「うん……。ユイおねえちゃん!」

 今度こそ、アリスは迷うことなく頷く。
 そして、潤んだ瞳をユイに向けながら言い放つ。

「ボク、最期はユイおねえちゃんの為に死ぬね」

 彼女の顔はいたって真剣だった。

 
 
「あっ、そうだ。もう時間が……」

 アリスの表情があどけないものに戻る。
 ぴょんぴょんと跳ねるように歩き、鉄製の扉を指差す。

「ユイおねえちゃん、こっち!」
「うん」

 彼女の顔に大人びたものは感じない。
 ちゃんと上手くやれたようだ。

「よいしょ……っと」

 アリスは全体重を乗せて扉を開き、薄暗い扉の先へと消えていく。

「はやく!」

 ひょこっと顔を出したアリスに促され、ユイは迷うことなく入口をくぐる。

「ここ!」

 数メートル先に、昇降機のものとみられる入口があった。

「のってのって!」

 昇降機は魔具の中でも普及率がかなり低い。
 何故なら扱いが困難で、そんなものを使用するほど大きな建物が表向きには存在していないからだ。
 大して役にもたたないくせに、魔術による操作を間違えると高いところから落下して簡単に人が死ぬ。
 技術的には革新的な物だが大幅な改善が必要な欠陥品。
 それが昇降機に対する王家の下した評価だった。
 ユイも、数年前に隠匿された研究室に入る際に使用した以来見た事がない。

「ほらほら! もう時間ないの!」
「……おーおー、アリスわかったから」

 アリスに急かされて中に入る。
 中は人が何人か乗れる程度には広く、部屋の内装とは異なり黒で覆われていた。
 アリスが手慣れた様子で操作をすると、がちゃがちゃ大きな音が鳴り響く。

「ユイおねえちゃん、下に降りるね」
「……うん」

 昇降機が降りはじめると、ふわっと身体が持ち上がった。
 慣れない浮遊感が続き、地下へ、地面の中に向かっていく。
 わからない、理解できていない状況の連続。
 長い沈黙も相まって、どうしようもない息苦しさを覚える。

「どこに向かってるの?」

 耐えきれなくなったユイはアリスに問いかける。

「大丈夫! ユイおねえちゃんはボクが守るから!」

 アリスはぐっと握り拳を作ってユイの顔を凝視する。
 その心意気は有り難いと思うけど、そういうことじゃない。

「いや、そうじゃなくて」
「アイツらにはボクが話すから、後ろに隠れてて!」
「えっと……」
「ユイおねえちゃんが気にすることなんて何もないよ! ボクが全部なんとかする!」

 全くもって会話が成立していない。
 ……どうやらやりすぎてしまったらしい。
 まぁ、これも学びだ。
 まだ知らない事が多すぎるということ。

「わかった。アリスを信じてるね」
「うん! 任せて!」

 てきとうに肯定しアリスの頭を撫でる。
 彼女は気持ちよさそうに目を細めた。
 先程まで感じていた息苦しさがなくなっていく。
 ようやく気持ちが落ち着いてきた。

「それで――」

 ユイが話を本題に戻そうとした時だった。
 突如、身体の重さが増したかと思いきや視界が開ける。
 ユイの目の前に長い一本の道が広がった。

「ほら、ついたよ」

 アリスの表情が真剣なものに変わる。

「でも、もうちょっとだけ歩くんだ」
「えっと……」
「でも大丈夫だから! ボクに任せて!」
「うん。アリスがいるなら、安心だよ」
「ほんと!?」

 にこっと笑った彼女から差し出された手を握って、昇降機から出た。

「ボクから絶対に離れないでね」

 アリスに引っ張られながら歩を進める。

「ここは本当に危ないから……」

 なら尚更、今の状況説明をするべきじゃないのだろうか。
 そう思ったけど面白そうだから黙っておく。

「アリス、頼りにしてるね」

 ユイは優しく語りかけると、アリスは振り向いた。

「う、うん……」

 アリスが顔を赤らめながら何度も頷いた。

「アイツらの相手はボクに全部任せて!」

 アリスは再度前を向き直し、ユイの手を力強く引いていく。
 後ろを歩くユイから表情は見えない。
 だが、アリスの事が手にとるようにわかる。
 きっと、想像通りの顔をしているはずだ。
 さっきから同じようなやりとりを繰り返していることに、アリス自身は気がついているだろうか。
 任せて、と事実を隠しながらユイに気持ちを伝えてくる。
 これから見せるものが不安だと、慰めてくれと、何があっても肯定してほしいと、そういっているようなものだ。

「野蛮な奴らなんだよ。もし前の人みたいにユイおねえちゃんを害そうとしたら……、ボクが処理するから」

 あぁ、前任者ってやっぱりそういうことね。
 ユイはレーナルトの言葉を思い出す。

「だから……」
「うん、大丈夫! アリスのこと信じてるから」
「……えへへ」

 人という生き物はとても単純で、肯定の言葉は何よりも甘美な毒になる。
 自分は与えられたんだという使命感、相手にいいところを見せたいという承認欲求、他人とは違うんだという自尊心、満たされたいという欲求、この人の為なら全てを尽くせるという夢。
 そういうものが心の道を示し、人はそれに抗えない。
 未熟な子供であれば特に……ね。

「あれは……」

 果てしないと思われていた道の先に、一つの扉が見える。
 どうやら、ようやく終わりがくるらしい。

「うん。目的地はあそこ」

 前をいくアリスが、扉の前で動きを止める。
 するとおもむろに振り返り、ユイの顔を見つめる。
 ユイが首を傾げると、アリスの真紅に輝く瞳が不安で揺れていた。

「おねえちゃん、ボクは……」

 言い淀むアリスにユイは迷わずに口を開く。

「私は何があっても、アリスに幻滅したりしないよ」

 暗く翳っていた表情に笑顔が咲いた。
 そして、

「うん!」

 アリスが勢いよく頷く。
 ……正解。

「行こう? 時間、ないんでしょ?」
「そうだった!」

 ユイの言葉に、また、頷く。
 ようやく満足したのか、アリスは扉に手をかけ、

「じゃあ、開けるね」

 ゆっくりと開いた。

 扉の先には広々とした空間があった。
 吹き抜けになっていて、上の階層も確認できる。
 メインと思われる場所には、椅子やテーブルが綺麗に置かれていて、貴族が住む邸宅を思わせる。
 上でみたものと同じで、薄汚い外観とは似ても似つかない綺麗な内装。
 予想外の光景に目を奪われていると、ユイは気づく。

 ――見られている

 この空間に人はいない。
 だけど、様々な角度から幾つもの視線を感じた。
 興味や関心といった害のないものもあれば、明確な敵意も含まれている。

「おねえちゃん、大丈夫。ボクがいるから」

 いつの間にか横にいたアリスがニコリと笑う。

「うん。……頼りにしてるね」

 これ以上、立ち止まっていても何もはじまらない。
 今度はユイがアリスの前に立ち歩を進める。
 しばらく歩くと、丸く囲われたソファーに、一人の男が両手を広げて座り待ち構えていた。

「アンタが新しい『先生』?」

 白みがかった金髪からは貴賓を、蒼い瞳からは明確な敵意を感じる。
 これまた顔立ちは恐ろしいくらい整っていた。
 王家に連なる方々でも見たことない程の容姿だ。
 態度、表情、仕草からわかる。
 彼は「人」を舐めている、と。
 そして、ユイやアリスと同様に首輪がぶら下がっている。
 ……これは面白いことになりそう。
 ユイは彼と目線を合わせる。

「ねぇ、先生って――」
「アル。ユイ様に対してその口調はなに? ……失礼だ。立場を弁えろ」

 彼に話しかけようとしたら、アリスが前に出てユイの言葉を遮る。
 顔を見るに随分とご立腹だ。

「はぁ? アリス、そいつも首輪付きの悪魔だろ? てことは同族じゃん」
「……違う。ユイ様はボク達の管理人だ。決して対等な立場なんかじゃない」
「それは知ってるよ。まさか、悪魔が新しい『先生』だとは思わなかったけど」

 要するに『先生』とはユイのことらしい。
 ここで与えられた仕事の表向きな役職が孤児院の先生ということなんだろう。

「だから――」
「まぁ、新しい玩具が首輪付きと知って……、仲良くできそうだなーって思っただけだよ」
「……おい。ボクは弁えろって言ったはずだけど」

 アルと呼ばれた男がアリスを睨みつける。

「んだと? そもそも、お前は何様のつもりなんだよ」

 すると彼は悪態を吐きながら渋い顔をした。

「ボクは王家からユイ様の側近に指名された」
「だから、なんだよ」
「つまり、お前よりユイ様に近いってことだ。特別な権限を与えられている」
「……それで?」
「今のお前は、ボクでも簡単に殺せるってこと忘れるなよ」

 ユイを置き去りにして話は進んでいく。
 ここで出張っても収拾はつきそうにない。
 他人のことで勝手に喧嘩をする二人を、ユイは眺めることに決めた。

「お前だって前の奴は……」

 彼が発言しようとすると、物理的に空気が凍った。
 横にいるアリスから冷気が漏れでている。

「ユイおねえちゃんの前でその話はするな」

 アリスから発される底冷えするような低い声。
 彼は目を見開き驚きを隠せないようだった。

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