――――出会いは突然だった。

鬼の頭領の跡継ぎとして、相応しい許嫁を得ることは鬼としての義務と教えられてきた。

そして俺はその中でも特別な先祖返りだったから。少しでも良い伴侶を。
そして俺と年の近い娘がいる巫女の家との縁談が設けられることになった。

だけど……俺の、先祖返りの鬼の顔は、さぞ恐ろしいもののようだ。

以前言い付けを破って薔薇と屋敷を抜け出した先で、酷く人間を脅えさせてしまったから。

だから、まずは仮面で顔を覆うことを、両親は許してくれた。

そうして向かった巫女の家のひとつで、事件は起きた。
巫女の家の娘が、顔が見たいと強引に仮面に手を伸ばしたのだ。子どもどうしだからと穏和に対応していた両親が慌てて止めに入り、薔薇も俺と娘を引き剥がすが、仮面がポトリと落ち、人間の娘が悲鳴を上げて、俺を化け物と叫んだ。
俺は恐くて仮面を持って逃げ出してしまった。
後ろで両親や伴の鬼たちが怒り狂う声が聞こえるが、それでもその時は、その場から逃げ出したかった。

仮面を被り、飛び出した場所で彼女……杏子と出会ったのだ。でも……今は仮面で顔を隠しているとはいえ、【紅緋】だとバレてしまえば、恐ろしい顔だと嫌われてしまうかもしれない。

だから咄嗟に【赤丹】と名乗った。
彼女は鬼である俺にも優しく、そして同時に愛おしいと感じたのだ。

鬼には、時に鬼の本能で【この人間が花嫁だ】と分かる本能があるらしい。

もしかしたら、彼女が……。


やがて薔薇が追い付いて、そそくさと彼女の前を後にしてしまったけれど。

彼女のことは……どうしても忘れられなかったから……。

両親や一族は巫女の家の娘の蛮行に怒り狂ったが、俺は杏子を嫁に迎えられればいいと告げ、その願いは叶えられた。


その後は赤丹として彼女を離れに招き結婚生活をしていたが……。

しかし彼女から離婚を告げられ頭が真っ白になってしまった。
ずっとずっと彼女に真実を言えなかったから。この顔のことを知られて、嫌われるのが恐かったから。

――――彼女に冷遇されていると思わせてしまった。そしてかつて俺を化け物と呼んだ女が原因だったことに腸が煮えくり返った。

しかし杏子は……俺の顔を見ても泣かなかった。化け物とは言わなかった。
俺を紅緋と呼び、妻になると言ってくれた。

――――だから。

「紅緋さま」
薔薇が手配を終えたのか、本邸の書斎にやって来る。

「あの女は手筈通りにした。奥方さまに会うことのないよう一生隔り世から出られない」
「ならばいい」
隔り世……昔人間たちが鬼には鬼の世があると信じていた時代に、そう呼んだものだ。実際は人間社会を影から牛耳っていたわけだが。

そして今で言う隔り世は違った意味を持つ。

鬼が人間の娘を伴侶にと娶るのは、単に種の繁殖のためと言うわけではない。
そして巫女の家のような質の良い霊力を持つ娘を鬼が好むのは、その霊力を食らうことによって鬼の力を強化するためだ。

無論今は実際に食らうことはない。粘膜の接触があればそれでいい。その方が人間との確執が少なくて済むし、花嫁と言う扱いにすることで質のいい巫女の娘を手に入れる仕組みを……長い時をかけて造り上げたのだ。巫女のとは元々古来退鬼師たちが鬼に対抗するために力の源や霊力の籠った武器な護符に利用した娘たちだ。

しかし鬼たちは着実に人間社会を影から牛耳ることで退鬼師たちの力を削ぎ、巫女一族を手に入れることに成功した。

巫女の一族やうら若い娘からしても、退鬼師たちに道具として扱われるよりも、見目麗しい鬼の伴侶にと望まれた方が魅力的だ。

――――まぁ、あの女のように美醜に囚われすぎて自我を失うものも少なくはない。

巫女の一族なら少しは耐性があるはずなのだが……あぁいう例外は常に有る。

そして自身の大切な【花嫁】に手を出す人間には容赦しない。
頭領には従うが、人間の娘を伴侶と見なさない鬼もいる。さらには特定の伴侶を得ず、必要な時に買うだけでいい鬼も。

あの女は気に食わないが、これからはあの娘が好んでいると言う顔のいい鬼に代わる代わる可愛がられることになろう。
さらに霊力の質は悪くとも巫女の一族の出なのだからと人気が出るだろう。

ここから出してと言ってももう遅い。あそこからは決して逃れられない。
もう巫女を助けてくれるであろう退鬼師もいない。巫女たちは鬼の伴侶となることに幸せを求め、自分たちを人間の世を守るための道具としかしない退鬼師を捨ててしまった。力の源を失った退鬼師たちは、もう既に隔り世に露となり消え果てた。

俺も頭領の跡継ぎだ。鬼の一族のためにたまには恵んでやらねば、彼らも満足しまい。
あの隔り世は、せっかく手に入れたこの人間の世で、彼らに勝手をさせないための餌を置いておくものでしかない。

「ところで、奥方さまのご実家はどうする」
「どうでもいい。潰しておけ。巫女の家がひとつ潰れたところで鬼に打撃はない。むしろ隔り世送りにするものが増えるのだ。巫女の血を引く女は提供し、それ以外は雑用としてこき使えばいい」
「情け容赦ないな。してやる義理もないが」

「当然だ」
杏子が望むのなら()で生かしておくと言う手もあったが……。杏子は特に望まなかった。
杏子は輿入れの際も、俺の贈り物を何一つ持って来なかった。それよか……。

「あの女、随分と堂々としている。あの晴れ着を見たか?」
まさか俺が杏子にかつて送った贈り物を着て、堂々と俺のふりをした薔薇の前に現れるとは……。

「あぁ。あれは奥方さまの輿入れ前にお前が贈ったものだろう……?」
「そうだな」
化け物と罵っておいて、化け物が贈ったものは、杏子から平気で奪い取って自分のものにするのだな……。

「それらも回収するか?」
「証拠のためにな。そして鬼の家から贈り物を強奪すればこうなると言うのを、やつらは存分に味わうがいい」
「あぁ、それがいい」
それをあの家の人間どもは非情と見なすだろうか。しかしそれが鬼なのだと……鬼が何なのかを、今一度その身で知るといい。

――――お前たちが選んだのは、鬼なのだと。