陽音くんが消えた、次の日のことである。一人になった私は、なぜこんなことになったのか知るために、もっとも有力そうな、弥生先生のもとへ向かった。何度か弥生先生の家には行っているため、いくつかの電車を乗り継ぎ、迷うことなく着くことができた。玄関のチャイムをならすと、弥生先生はすぐにでてきて私を家の中に通した。
「おじゃまします。」
「どうぞ~上がってください~。」
弥生先生の家は、物凄くキレイでもなく、物凄く汚くもない、普通の家だ。こういう人の家って、大体どっちかに傾くものだと思うのだが、ごく普通の家である。
「聞きたいことは分かってますので、とりあえずそこら辺に腰かけといてください~。」
私は、言われた通りそこら辺に腰かけた。
「唯愛ちゃんは、紅茶とコーヒーどっちにしますか~?」
「じゃあ、紅茶お願いします。」
弥生先生が、紅茶をいれている間、私は、昨日の出来事全てを話した。私が話し終わる頃に、ちょうど弥生先生は紅茶を淹れ終わり、カップを持って、私の前に座った。
「あ、弥生先生、紅茶淹れるの上手くなりましたね。」
「ん?唯愛ちゃんに紅茶を淹れるのは、これが初めてですが~。」
「あれ?じゃあどこで飲んだんだろ?」
まぁ、そんな細かいことはどうでも良いのだ。それよりも、数十倍は重要な話を私はしに来たのだから。
「ま、それは置いておきましょう~。さてさて、唯愛ちゃんが知りたいのは自分のことですよね~?」
「はい。記憶喪失系主人公みたいになってますけど、私は、なんでこうなったのかが知りたいんです。弥生先生は、知ってらっしゃるんですよね?」
しかし、私の質問に対して、弥生先生は首を振った。
「私にもそれは、分からないんですよ~。だから、机上の空論になってしまうんですけどね~。それに、かなりファンタジーチックですし。それでも、良いですか~?」
なんと、どうやら当てが外れていたようだった。だがこの際、少しでも可能性が、少しでも私が納得できるなら、なんでも良いのだ。そう思い、私は、首を縦に振った。
「分かりました~。では、まず、唯愛ちゃんはアダムとイブをご存じですか?」
「最初っからファンタジーですね、、、まぁ、一応知ってます。」
アダムとイブ。最初の人類。人類を作った産みの親である。
「アダムとイブ、まあ、アダムとエバなんて言ったりもしますが、この二人は、いわくつきでして、」
「どこがですか?」
「アダムは、人類最初の男。イブは人類最初の女。では、先に生まれた方。つまりは、最初の人類はどちらなのか。」
「神話ですし、同時に生まれたとかじゃないんですか?」
私の答えを聞いて、弥生先生は笑みを浮かべた。
「その通りなんです。アダムとイブは、ワンセット、いや、一つとして、生まれたんです。」
「一つとして生まれた?どういうことですか?」
先生の言うことの意味が分からず、質問する私に、先生は、言葉通りの意味ですが、もう少し噛み砕きましょう、といった。
「簡単に言えば、アダムとイブは、同一人物だった可能性があるんです。」
「同一人物!?」
「はい。互いの短所を書き消すように、一つで完璧な存在として、産み落とされた。」
「じゃあ、人類最初の女とか、男ってのはどうなるんですか?」
アダムとイブが同一人物なら、人類最初の男や、人類最初の女といった肩書きは、おかしくなってしまう。
「知恵の実、ですよ。」
「知恵の実?」
私の質問に帰ってきたのは、これまたファンタジーな答えだった。これじゃあ、ファンタジーチックじゃなくって、おもいっきり全色ファンタジーだろう。
「知恵の実。リンゴのことです。アダムとイブが齧ったとされてるやつですね。これによって、アダムは労働の苦しみ、イブは出産の苦しみを与えられたとされています。つまり、この時点で二人は別の存在になったんです。短所を消し合うことのできない、短所と長所を持った、一人になった。これが、裏と表の始まりです。」
弥生先生が言っていることは、つまり、元々、良い部分と悪い部分が、二つが一つであることで打ち消し合っていた。しかし、一人になってしまったことで打ち消し合えず、裏の部分と表の部分が出来た。といったとこだろう。
「さて、ファンタジーの話しは置いておいて、本題に移ります。陽音くんの私小説を読んだので分かると思いますが、陽音くんは最初、自分のことが嫌いだと言ってるんです。でも、その直後、アイちゃんと会った後は、そんな素振りを一つも見せなくなった。嫌いな部分が、アイちゃんに移ったから。そんなとこでしょう。実際、最初の段階でアイちゃんは白いワンピースを着ています。これは、何にも染まっていない証拠です。しかし、この後からアイちゃんの服装や、容姿については触れられなくなった。裏の部分になったためです。」
ここまでは良いですか?と、先生は私に聞いた。
「ちょ、ちょっと待ってください。私が裏って、じゃあ今は、」
「裏の裏は表。ですよ。表からすれば反対側が裏ですが、裏からすれば反対側が裏。自分が表です。表裏一体って言うでしょう?裏と表に固定概念なんかないんです。どちらが表にも裏にもなり得る。」
それはつまり、やっぱり私たちが会うことは二度とないってことなのだろう。いや、元々会うべきではなかったのかもしれない。表裏一体。表と裏が離れれば、あんな風に、感じることもないはずの切なさを感じなくてはならなくなる。思いでと、引き換えに。どちらが良いのか私は分からないけど。
「分かりました。それで、結局私はなんなんですか?」
「そうですね、アダムとイブの更なる分裂体、といったところですかね。種族として一つだったアダムとイブが、禁断の果実を食べ、本当の意味で、アダムとイブになった。その子孫である我々が、更に二つに増えた。それが「あなた」です。」
「ファンタジー、ですね。さっぱり伝わらないんですけど、、、」
「確かにそうですね。なにも得られず帰すのもあれですし、一つ。面白い話をしましょうか。」
「面白い話し?」
「ええ、ええ、それはもう、とてつもなく。」
正直に言って、ほとんど妄言の先生の話しにつきあっているぐらいなら、帰った方がマシとまで考えていたのだが、どうやらまだ、私は期待しているらしい。ハッピーエンドとやらを。
「先生のことですから、保証はあるんですよね。聞かせて下さい。お願いします。」
「ではでは、少し学者肌な、現実的な話をしましょう。二重人格にも様々な形がありますが、大まかなルールのようなものが存在するんです。」
「ルール、ですか?」
「はい。まず一つ目、二重人格は、主人格を守るためにできるものです。いじめられていたり、虐待を受けている子供が、精神の安定を求め、作り出すものです。そして二つ目、二つめの人格がでているときにやったこと、起こったことは、主人格は覚えていません。そんで最後。人格が同時にでることはありません。あれれ?おかしいですね?」
分かりますよね?と言いたさ気な表情で、先生は私に問いかけた。そう、確かにおかしいのだ。だって、先生の言った三つの内容に私は、
「一つもあてはまってない。え?どういうことですか?」
「正解正解、ピンポーン!そうなんです。唯愛ちゃん、一つもあてはまってないんですね。さて、ということは!?」
「二重人格ではない?」
「そう!と、言いたいんですが、そうではありません。れっきとした、二重人格の一種です。しかし!さっきも言った通り、表と裏が分かれる事例なんてないんですよ。それも、精神状態が不安定でもないのに。」
「じゃあ結局なんなんですか!?焦らさずに教えてください!」
何度も似たようなことを繰り返し、答えをなかなか教えてくれない先生に、私はついに我慢できず、叫んでしまった。
「表と裏は、一心同体。つまり、表が変われば、裏も変わる。」
しかし、先生は私が叫んだのにも関わらず、自分の話を突き通す。
「さっきからずっと分かんないことばっか言って!教える気ないですよね!?」
私は完全に怒りの矛先を先生に向け、叫び続けるが、やはり先生は変わらない。
「では、変わる前の裏はどこへ行くのか?消える?そんな馬鹿な。ではでは、一体どこへ?」
「いい加減にしてください!!」
私は怒りが絶頂に達し、先生を無理やり止めようとした。しかし、
「ロマンチックな考えですが、輪廻転生、生まれ変わってるなんて考えられませんか?」
先生のその言葉を聞き、私の頭は完全に停止した。
「っ!どう言うことですか!?」
「言葉通りの意味ですよ?陽音くんと、どこかで巡り会えるかもしれない。まあ、唯愛ちゃん次第ですし、この一生で会えるとは思えませんが。」
言葉の真意はわからない。でも、弥生先生もまた、私のことを励まそうとしてくれているのだ。
私が今、自分よがりな状況になっても尚、周りの人たちは、励まそうと、元気になってもらおうと必死なのだ。なのに、それなのに、私は先生にあたってしまった。自分のことしか考えず、自己愛にのみ溢れ。溢れる自己愛を、他人への愛に変えて生きてくれと、自分らしく生きてくれと、ハルトくんに言われたばかりだと言うのに。
「すいません。躍起になってしまって。」
私は考えを改め、先生に謝った。
「良いんですよ~。唯愛ちゃんは今、かなり辛いでしょうから~。」
私は大丈夫ですよ~、と先生は言ってくれたが、だからといって許されることではない。私は先生に会わせる顔がなくなり、ごめんなさい、といって、席を立った。先生もまた、引き留めることなく、
「そうですね~。今日のところは帰った方が良いかもしれません~。あ、ホントに私は気にしてないからですね~。」
私はなにも言えず、弥生先生の家を後にした。
その夜、私はベッドの上で、一人考えた。ハルトくんは、私らしく、それでいて人と関わる生き方を望んだ。自分を愛するだけでは、また同じことを繰り返すから。自己愛は、ナルシズムとは、違い、人と関わり、自分を大切にすること。自己を愛する、じゃない。自己も愛せる。自分の身体が、自分一人のものではないことを分かっている人が持つもの。そんな考えが、浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。
次の日私は、今まで私が、陽音くんが、経験したことをお母さんと叔父さんに話した。包み隠さず、全て。その結果、
「すまんかった!」
叔父さんが盛大に謝った。
「べ、別に謝ることじゃ、」
「いや、友達が、姪っ子が、そんな状態やったってのに僕は何にもきずかんと、上っ面だけで過ごしとった!陽音くんの時の分も謝らせてくれ!すまん!」
「わ、私に言われても、」
裏と表の同一人物とはいえ、裏と表。陽音くんが実際にどう思っていたかは、私も知るよしもないのだから。
「私は、唯愛が陽音くんに縛られず、陽音くんが唯愛に縛られず生きていけるのなら、何にも言うことはないよ。」
「お母さん、」
お母さんも、すんなり事実を受け入れ、私のことを認めてくれた。娘と旦那が同一人物何て考えれもしないだろうに。しかし、お母さんの場合は、少し別である。
「お母さん。めっちゃ可愛かったんだね。」
「うっ、」
「寧音が可愛いのはもとからやで?」
「違うよ叔父さん。ほら、これ読んで。」
私は叔父さんにお父さんの私小説を渡した。すると数分も満たない内に、
「なんやこれ!デレッデレやないか!」
「でしょでしょ!お母さんがまさかあんなに可愛いとは、」
今じゃ考えられない光景。
「や、やめて二人とも!べ、別に陽音くんだけにそんな態度取ってた訳じゃ、」
いや、今でも可愛いぞ。全然目に浮かぶ光景だった。
「陽音くんだけに取ってた訳じゃないやと!不倫か!?」
「なんでそうなるのよ!」
兄弟ゲンカはさておき。この状態を見れば、お父さんがどれだけ皆に愛されていたのかが、よく分かる。
「お父さんは、お母さん達にとってどんな人だったの?」
私が問いかけると、二人は言い争いを止めてこちらを向いた。
「僕らにとって?」
「陽音くんねぇ。」
二人は悩んだ挙げ句、お互いに顔を見合わせて
「太陽。」
「太陽!」
と、答えた。
「太陽?どういう意味?」
私が問いを重ねると、二人は口早に、
「太陽みたいなやつやねん。」
「いないと困るって言うか、いつでも照らしてくれる存在?」
「今でも見てくれてる気がするなぁ、なんて言っとったら、ホントに唯愛の中で見てくれてるっぽいしな!すごいやつやで!」
二人にこうまで言わしめるのだから、本当に太陽みたいな存在だったのだろう。
「ほら、陽音って、陽気な音って書くでしょ?名は体を表すの代名詞みたいな人、とも言えるのかな。」
「なるほどな!それもそうやなぁ。百々目木はよう絡まんけど。」
しかし、本当に良い人というのは、こうやって死んだあとも皆を和ませ、元気付けるのだろう。私も悩んでばかりでは、面目が立たないだろう。そうこうしながら、私たちの話しは夕方まで続き、私の心は、ひとまず落ち着いたのだった。
受験勉強も上手く進み、私のしたかったことをやれる大学に進学した。そして、
それから十年、は飛ばしすぎな気がするので、五年の月日が経った。私はいま、大学を卒業して教員免許をとり、教員として、働いている。
「あ、じゃあ先上がりますね。」
私の担当は国語科であり、もう一人の国語科の先生である、川本先生にお先、といって帰ろうとした。そのや先である。
「あ、神先生。今度の週末空いてますか?」
「へ?あ、あの、私お金ないですよ?」
「俺をなんだと思ってんすか!?取るつもりはないですよ!?」
どうやら、違ったらしい。しかし、そうなると、あと残されたのは、
「い、いや、私そんなに安い女じゃないし、そんなに簡単に誘えるほど駄目な女じゃないですし、そんなぁ、良いんですかぁ?」
「あ、はい。」
「ちょっ、ちゃんと突っ込んでくださいよ!?」
私の渾身のボケをスルーしやがった。
「え?いや、全部ほんとのことじゃないですか?」
「っ!よ、よく言えますね!そんな殺し文句!」
まさかこちらの受け流しを攻めに変えてくるとは。なんてやつだ。
「ま、まぁ、そこまで言うなら別に良いですよ?」
「ほんとですか!?ありがとうございます!じゃ、先帰りますね!」
言うより早く帰り支度をして、ダッシュで職員室を出ていった。他の先生ももう帰っているため、私はポツンと一人残された。いや、一緒に帰るぐらいするだろ!誘ったんだからそれぐらいはするやろ!なんだったんだ。アレ。私は唖然としながらも、帰り支度を整え、家に帰った。ちなみにデートの詳しい詳細はメールで送られてきていたが、超長文メールだった。お陰で読解するのに時間がかかり、その上書いてあることは同じことの繰り返しと言う、中学生みたいな文章だった。
そして、デート当日。
「すいません!遅れましたか!?」
待ち合わせ場所で待つ私に、川本先生が声をかけた。遅れたことを気にしているのか、一言目に謝罪をのべたが、
「遅れましたか!?じゃないよ!?待ち合わせ何時間前だと思ってんの!?」
「い、一時間前くらいですかね、、、」
「正解でーす!いや、私すごくない!?一時間待ったのよ!?もう、なんか疲れた。早く行こっか。」
「お、怒ってないんですか?」
「怒っとるわ!だから、挽回してね?ね?」
私は川本君に圧をかけまくった。この際先輩とか関係ない。遅れたやつが下なのだ。そんな感じで、二人で町中を歩き、
「あ、ここです。予約してたの。」
川本君が足を止めた。私が見上げると、そこにあったのは、どう見てもお高いフレンチのお店だった。
「え!?ここ!?」
「はい!いやぁ、奮発したんですよ。どうすか?」
「凄い」の前に「高い」がでてきそうな店を前に、私は、
「なんか違法なことしてないよね!?」
心配しかなかった。本当に頑張って貯めたお金ならいいが、大丈夫か?後で私も請求されたりしないだろうな?
「してないっすよ!」
「いや、だって凄いより怖いが勝つお店じゃん。」
とりあえず中に入りましょう、と急かされ、私は店内に入った。店内は店の外よりさらに豪華で、高級の三つぐらい上のところにいる気がした。
店員さんに案内され、私と川本くんは席に着いた。
「こちら、ホニャララホニャララの、ホニャララ添えです。」
ナイフの使い方すら忘れた私に、料理名が分かる訳がなく、全部ホニャララで聞こえてくる。そして、料理を食べている最中、川本君から爆誕発言が飛出した。
「実は俺、小さい頃いじめられてて、二重人格になったことがあったんすよね。」
「ふーん。大変だったんだねえ。え!?二重人格!?」
「あ、はい。意識がないときがあったと言うか、なんと言うか。」
ちょ、ちょっと待てよ。フレンチ食べなから言うもんじゃ無いでしょ。ビックリしてホニャララに添えてあるホニャララを落としてしまったじゃない。
「二重人格って、そこまで追い詰められてたの?マジで大変じゃん。今言うべきことじゃなかったけど。」
私の対応を聞いて、川本君は、目を輝かせた。
「し、信じてくれるんですか!?」
「信じるもなにも、信じるしかないでしょ?逆になんで疑うのよ?」
「だ、だって二重人格ですよ!?めっちゃイタイやつにしか見えなくないっすか!?」
「そんなこと無いけど、なに?今までそう思われてきたの?」
その言葉を聞いて、川本君は悲しそうに首をたてに振った。
「今まで食事行った人でこの話聞いて気まずくならなかった人とかいないっすよ!」
その後、これは運命だーとかなんとか叫びそうになる川本君をなだめて私の疲労は限界突破していた。そこからも、様々なパニック、例えば会計時の値段をみて財布の中身を確認し出す川本君や、店のそとにでてからトイレに行きたくなる川本君や、川本君に、川本君である。つまりめっちゃ振り回されているのだ。帰り際、そういえば聞いていなかったことがあったと私は思いだし、川本君に質問した。
「そういえばさ、川本君のしたの名前って何なの?」
「俺は、アキトって言うんすよ。」
アキト。秋斗とかかな。
「字は?」
アキトの字がパットでてこなかった私は本人に聞いてみた。
「えーっと、太陽の音です!」
太陽の音?あれ?聞いたことあるぞ?
「陽気な音ってこと?」
まさか、ね。
「はい!」
元二重人格で、陽気な音のアキト。輪廻転生。表と裏。まさか、ハハハ。
私は浮かんだ恐ろしい考えを振り払った。仮にそうだとしても、どうしようもないからだ。私は私。彼は彼。「I」は「I」にしかなりえない。表も裏も、全部「アイ」。これは、そんな話なのだから。
「おじゃまします。」
「どうぞ~上がってください~。」
弥生先生の家は、物凄くキレイでもなく、物凄く汚くもない、普通の家だ。こういう人の家って、大体どっちかに傾くものだと思うのだが、ごく普通の家である。
「聞きたいことは分かってますので、とりあえずそこら辺に腰かけといてください~。」
私は、言われた通りそこら辺に腰かけた。
「唯愛ちゃんは、紅茶とコーヒーどっちにしますか~?」
「じゃあ、紅茶お願いします。」
弥生先生が、紅茶をいれている間、私は、昨日の出来事全てを話した。私が話し終わる頃に、ちょうど弥生先生は紅茶を淹れ終わり、カップを持って、私の前に座った。
「あ、弥生先生、紅茶淹れるの上手くなりましたね。」
「ん?唯愛ちゃんに紅茶を淹れるのは、これが初めてですが~。」
「あれ?じゃあどこで飲んだんだろ?」
まぁ、そんな細かいことはどうでも良いのだ。それよりも、数十倍は重要な話を私はしに来たのだから。
「ま、それは置いておきましょう~。さてさて、唯愛ちゃんが知りたいのは自分のことですよね~?」
「はい。記憶喪失系主人公みたいになってますけど、私は、なんでこうなったのかが知りたいんです。弥生先生は、知ってらっしゃるんですよね?」
しかし、私の質問に対して、弥生先生は首を振った。
「私にもそれは、分からないんですよ~。だから、机上の空論になってしまうんですけどね~。それに、かなりファンタジーチックですし。それでも、良いですか~?」
なんと、どうやら当てが外れていたようだった。だがこの際、少しでも可能性が、少しでも私が納得できるなら、なんでも良いのだ。そう思い、私は、首を縦に振った。
「分かりました~。では、まず、唯愛ちゃんはアダムとイブをご存じですか?」
「最初っからファンタジーですね、、、まぁ、一応知ってます。」
アダムとイブ。最初の人類。人類を作った産みの親である。
「アダムとイブ、まあ、アダムとエバなんて言ったりもしますが、この二人は、いわくつきでして、」
「どこがですか?」
「アダムは、人類最初の男。イブは人類最初の女。では、先に生まれた方。つまりは、最初の人類はどちらなのか。」
「神話ですし、同時に生まれたとかじゃないんですか?」
私の答えを聞いて、弥生先生は笑みを浮かべた。
「その通りなんです。アダムとイブは、ワンセット、いや、一つとして、生まれたんです。」
「一つとして生まれた?どういうことですか?」
先生の言うことの意味が分からず、質問する私に、先生は、言葉通りの意味ですが、もう少し噛み砕きましょう、といった。
「簡単に言えば、アダムとイブは、同一人物だった可能性があるんです。」
「同一人物!?」
「はい。互いの短所を書き消すように、一つで完璧な存在として、産み落とされた。」
「じゃあ、人類最初の女とか、男ってのはどうなるんですか?」
アダムとイブが同一人物なら、人類最初の男や、人類最初の女といった肩書きは、おかしくなってしまう。
「知恵の実、ですよ。」
「知恵の実?」
私の質問に帰ってきたのは、これまたファンタジーな答えだった。これじゃあ、ファンタジーチックじゃなくって、おもいっきり全色ファンタジーだろう。
「知恵の実。リンゴのことです。アダムとイブが齧ったとされてるやつですね。これによって、アダムは労働の苦しみ、イブは出産の苦しみを与えられたとされています。つまり、この時点で二人は別の存在になったんです。短所を消し合うことのできない、短所と長所を持った、一人になった。これが、裏と表の始まりです。」
弥生先生が言っていることは、つまり、元々、良い部分と悪い部分が、二つが一つであることで打ち消し合っていた。しかし、一人になってしまったことで打ち消し合えず、裏の部分と表の部分が出来た。といったとこだろう。
「さて、ファンタジーの話しは置いておいて、本題に移ります。陽音くんの私小説を読んだので分かると思いますが、陽音くんは最初、自分のことが嫌いだと言ってるんです。でも、その直後、アイちゃんと会った後は、そんな素振りを一つも見せなくなった。嫌いな部分が、アイちゃんに移ったから。そんなとこでしょう。実際、最初の段階でアイちゃんは白いワンピースを着ています。これは、何にも染まっていない証拠です。しかし、この後からアイちゃんの服装や、容姿については触れられなくなった。裏の部分になったためです。」
ここまでは良いですか?と、先生は私に聞いた。
「ちょ、ちょっと待ってください。私が裏って、じゃあ今は、」
「裏の裏は表。ですよ。表からすれば反対側が裏ですが、裏からすれば反対側が裏。自分が表です。表裏一体って言うでしょう?裏と表に固定概念なんかないんです。どちらが表にも裏にもなり得る。」
それはつまり、やっぱり私たちが会うことは二度とないってことなのだろう。いや、元々会うべきではなかったのかもしれない。表裏一体。表と裏が離れれば、あんな風に、感じることもないはずの切なさを感じなくてはならなくなる。思いでと、引き換えに。どちらが良いのか私は分からないけど。
「分かりました。それで、結局私はなんなんですか?」
「そうですね、アダムとイブの更なる分裂体、といったところですかね。種族として一つだったアダムとイブが、禁断の果実を食べ、本当の意味で、アダムとイブになった。その子孫である我々が、更に二つに増えた。それが「あなた」です。」
「ファンタジー、ですね。さっぱり伝わらないんですけど、、、」
「確かにそうですね。なにも得られず帰すのもあれですし、一つ。面白い話をしましょうか。」
「面白い話し?」
「ええ、ええ、それはもう、とてつもなく。」
正直に言って、ほとんど妄言の先生の話しにつきあっているぐらいなら、帰った方がマシとまで考えていたのだが、どうやらまだ、私は期待しているらしい。ハッピーエンドとやらを。
「先生のことですから、保証はあるんですよね。聞かせて下さい。お願いします。」
「ではでは、少し学者肌な、現実的な話をしましょう。二重人格にも様々な形がありますが、大まかなルールのようなものが存在するんです。」
「ルール、ですか?」
「はい。まず一つ目、二重人格は、主人格を守るためにできるものです。いじめられていたり、虐待を受けている子供が、精神の安定を求め、作り出すものです。そして二つ目、二つめの人格がでているときにやったこと、起こったことは、主人格は覚えていません。そんで最後。人格が同時にでることはありません。あれれ?おかしいですね?」
分かりますよね?と言いたさ気な表情で、先生は私に問いかけた。そう、確かにおかしいのだ。だって、先生の言った三つの内容に私は、
「一つもあてはまってない。え?どういうことですか?」
「正解正解、ピンポーン!そうなんです。唯愛ちゃん、一つもあてはまってないんですね。さて、ということは!?」
「二重人格ではない?」
「そう!と、言いたいんですが、そうではありません。れっきとした、二重人格の一種です。しかし!さっきも言った通り、表と裏が分かれる事例なんてないんですよ。それも、精神状態が不安定でもないのに。」
「じゃあ結局なんなんですか!?焦らさずに教えてください!」
何度も似たようなことを繰り返し、答えをなかなか教えてくれない先生に、私はついに我慢できず、叫んでしまった。
「表と裏は、一心同体。つまり、表が変われば、裏も変わる。」
しかし、先生は私が叫んだのにも関わらず、自分の話を突き通す。
「さっきからずっと分かんないことばっか言って!教える気ないですよね!?」
私は完全に怒りの矛先を先生に向け、叫び続けるが、やはり先生は変わらない。
「では、変わる前の裏はどこへ行くのか?消える?そんな馬鹿な。ではでは、一体どこへ?」
「いい加減にしてください!!」
私は怒りが絶頂に達し、先生を無理やり止めようとした。しかし、
「ロマンチックな考えですが、輪廻転生、生まれ変わってるなんて考えられませんか?」
先生のその言葉を聞き、私の頭は完全に停止した。
「っ!どう言うことですか!?」
「言葉通りの意味ですよ?陽音くんと、どこかで巡り会えるかもしれない。まあ、唯愛ちゃん次第ですし、この一生で会えるとは思えませんが。」
言葉の真意はわからない。でも、弥生先生もまた、私のことを励まそうとしてくれているのだ。
私が今、自分よがりな状況になっても尚、周りの人たちは、励まそうと、元気になってもらおうと必死なのだ。なのに、それなのに、私は先生にあたってしまった。自分のことしか考えず、自己愛にのみ溢れ。溢れる自己愛を、他人への愛に変えて生きてくれと、自分らしく生きてくれと、ハルトくんに言われたばかりだと言うのに。
「すいません。躍起になってしまって。」
私は考えを改め、先生に謝った。
「良いんですよ~。唯愛ちゃんは今、かなり辛いでしょうから~。」
私は大丈夫ですよ~、と先生は言ってくれたが、だからといって許されることではない。私は先生に会わせる顔がなくなり、ごめんなさい、といって、席を立った。先生もまた、引き留めることなく、
「そうですね~。今日のところは帰った方が良いかもしれません~。あ、ホントに私は気にしてないからですね~。」
私はなにも言えず、弥生先生の家を後にした。
その夜、私はベッドの上で、一人考えた。ハルトくんは、私らしく、それでいて人と関わる生き方を望んだ。自分を愛するだけでは、また同じことを繰り返すから。自己愛は、ナルシズムとは、違い、人と関わり、自分を大切にすること。自己を愛する、じゃない。自己も愛せる。自分の身体が、自分一人のものではないことを分かっている人が持つもの。そんな考えが、浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。
次の日私は、今まで私が、陽音くんが、経験したことをお母さんと叔父さんに話した。包み隠さず、全て。その結果、
「すまんかった!」
叔父さんが盛大に謝った。
「べ、別に謝ることじゃ、」
「いや、友達が、姪っ子が、そんな状態やったってのに僕は何にもきずかんと、上っ面だけで過ごしとった!陽音くんの時の分も謝らせてくれ!すまん!」
「わ、私に言われても、」
裏と表の同一人物とはいえ、裏と表。陽音くんが実際にどう思っていたかは、私も知るよしもないのだから。
「私は、唯愛が陽音くんに縛られず、陽音くんが唯愛に縛られず生きていけるのなら、何にも言うことはないよ。」
「お母さん、」
お母さんも、すんなり事実を受け入れ、私のことを認めてくれた。娘と旦那が同一人物何て考えれもしないだろうに。しかし、お母さんの場合は、少し別である。
「お母さん。めっちゃ可愛かったんだね。」
「うっ、」
「寧音が可愛いのはもとからやで?」
「違うよ叔父さん。ほら、これ読んで。」
私は叔父さんにお父さんの私小説を渡した。すると数分も満たない内に、
「なんやこれ!デレッデレやないか!」
「でしょでしょ!お母さんがまさかあんなに可愛いとは、」
今じゃ考えられない光景。
「や、やめて二人とも!べ、別に陽音くんだけにそんな態度取ってた訳じゃ、」
いや、今でも可愛いぞ。全然目に浮かぶ光景だった。
「陽音くんだけに取ってた訳じゃないやと!不倫か!?」
「なんでそうなるのよ!」
兄弟ゲンカはさておき。この状態を見れば、お父さんがどれだけ皆に愛されていたのかが、よく分かる。
「お父さんは、お母さん達にとってどんな人だったの?」
私が問いかけると、二人は言い争いを止めてこちらを向いた。
「僕らにとって?」
「陽音くんねぇ。」
二人は悩んだ挙げ句、お互いに顔を見合わせて
「太陽。」
「太陽!」
と、答えた。
「太陽?どういう意味?」
私が問いを重ねると、二人は口早に、
「太陽みたいなやつやねん。」
「いないと困るって言うか、いつでも照らしてくれる存在?」
「今でも見てくれてる気がするなぁ、なんて言っとったら、ホントに唯愛の中で見てくれてるっぽいしな!すごいやつやで!」
二人にこうまで言わしめるのだから、本当に太陽みたいな存在だったのだろう。
「ほら、陽音って、陽気な音って書くでしょ?名は体を表すの代名詞みたいな人、とも言えるのかな。」
「なるほどな!それもそうやなぁ。百々目木はよう絡まんけど。」
しかし、本当に良い人というのは、こうやって死んだあとも皆を和ませ、元気付けるのだろう。私も悩んでばかりでは、面目が立たないだろう。そうこうしながら、私たちの話しは夕方まで続き、私の心は、ひとまず落ち着いたのだった。
受験勉強も上手く進み、私のしたかったことをやれる大学に進学した。そして、
それから十年、は飛ばしすぎな気がするので、五年の月日が経った。私はいま、大学を卒業して教員免許をとり、教員として、働いている。
「あ、じゃあ先上がりますね。」
私の担当は国語科であり、もう一人の国語科の先生である、川本先生にお先、といって帰ろうとした。そのや先である。
「あ、神先生。今度の週末空いてますか?」
「へ?あ、あの、私お金ないですよ?」
「俺をなんだと思ってんすか!?取るつもりはないですよ!?」
どうやら、違ったらしい。しかし、そうなると、あと残されたのは、
「い、いや、私そんなに安い女じゃないし、そんなに簡単に誘えるほど駄目な女じゃないですし、そんなぁ、良いんですかぁ?」
「あ、はい。」
「ちょっ、ちゃんと突っ込んでくださいよ!?」
私の渾身のボケをスルーしやがった。
「え?いや、全部ほんとのことじゃないですか?」
「っ!よ、よく言えますね!そんな殺し文句!」
まさかこちらの受け流しを攻めに変えてくるとは。なんてやつだ。
「ま、まぁ、そこまで言うなら別に良いですよ?」
「ほんとですか!?ありがとうございます!じゃ、先帰りますね!」
言うより早く帰り支度をして、ダッシュで職員室を出ていった。他の先生ももう帰っているため、私はポツンと一人残された。いや、一緒に帰るぐらいするだろ!誘ったんだからそれぐらいはするやろ!なんだったんだ。アレ。私は唖然としながらも、帰り支度を整え、家に帰った。ちなみにデートの詳しい詳細はメールで送られてきていたが、超長文メールだった。お陰で読解するのに時間がかかり、その上書いてあることは同じことの繰り返しと言う、中学生みたいな文章だった。
そして、デート当日。
「すいません!遅れましたか!?」
待ち合わせ場所で待つ私に、川本先生が声をかけた。遅れたことを気にしているのか、一言目に謝罪をのべたが、
「遅れましたか!?じゃないよ!?待ち合わせ何時間前だと思ってんの!?」
「い、一時間前くらいですかね、、、」
「正解でーす!いや、私すごくない!?一時間待ったのよ!?もう、なんか疲れた。早く行こっか。」
「お、怒ってないんですか?」
「怒っとるわ!だから、挽回してね?ね?」
私は川本君に圧をかけまくった。この際先輩とか関係ない。遅れたやつが下なのだ。そんな感じで、二人で町中を歩き、
「あ、ここです。予約してたの。」
川本君が足を止めた。私が見上げると、そこにあったのは、どう見てもお高いフレンチのお店だった。
「え!?ここ!?」
「はい!いやぁ、奮発したんですよ。どうすか?」
「凄い」の前に「高い」がでてきそうな店を前に、私は、
「なんか違法なことしてないよね!?」
心配しかなかった。本当に頑張って貯めたお金ならいいが、大丈夫か?後で私も請求されたりしないだろうな?
「してないっすよ!」
「いや、だって凄いより怖いが勝つお店じゃん。」
とりあえず中に入りましょう、と急かされ、私は店内に入った。店内は店の外よりさらに豪華で、高級の三つぐらい上のところにいる気がした。
店員さんに案内され、私と川本くんは席に着いた。
「こちら、ホニャララホニャララの、ホニャララ添えです。」
ナイフの使い方すら忘れた私に、料理名が分かる訳がなく、全部ホニャララで聞こえてくる。そして、料理を食べている最中、川本君から爆誕発言が飛出した。
「実は俺、小さい頃いじめられてて、二重人格になったことがあったんすよね。」
「ふーん。大変だったんだねえ。え!?二重人格!?」
「あ、はい。意識がないときがあったと言うか、なんと言うか。」
ちょ、ちょっと待てよ。フレンチ食べなから言うもんじゃ無いでしょ。ビックリしてホニャララに添えてあるホニャララを落としてしまったじゃない。
「二重人格って、そこまで追い詰められてたの?マジで大変じゃん。今言うべきことじゃなかったけど。」
私の対応を聞いて、川本君は、目を輝かせた。
「し、信じてくれるんですか!?」
「信じるもなにも、信じるしかないでしょ?逆になんで疑うのよ?」
「だ、だって二重人格ですよ!?めっちゃイタイやつにしか見えなくないっすか!?」
「そんなこと無いけど、なに?今までそう思われてきたの?」
その言葉を聞いて、川本君は悲しそうに首をたてに振った。
「今まで食事行った人でこの話聞いて気まずくならなかった人とかいないっすよ!」
その後、これは運命だーとかなんとか叫びそうになる川本君をなだめて私の疲労は限界突破していた。そこからも、様々なパニック、例えば会計時の値段をみて財布の中身を確認し出す川本君や、店のそとにでてからトイレに行きたくなる川本君や、川本君に、川本君である。つまりめっちゃ振り回されているのだ。帰り際、そういえば聞いていなかったことがあったと私は思いだし、川本君に質問した。
「そういえばさ、川本君のしたの名前って何なの?」
「俺は、アキトって言うんすよ。」
アキト。秋斗とかかな。
「字は?」
アキトの字がパットでてこなかった私は本人に聞いてみた。
「えーっと、太陽の音です!」
太陽の音?あれ?聞いたことあるぞ?
「陽気な音ってこと?」
まさか、ね。
「はい!」
元二重人格で、陽気な音のアキト。輪廻転生。表と裏。まさか、ハハハ。
私は浮かんだ恐ろしい考えを振り払った。仮にそうだとしても、どうしようもないからだ。私は私。彼は彼。「I」は「I」にしかなりえない。表も裏も、全部「アイ」。これは、そんな話なのだから。