あれから、1ヵ月近く経過した。アイに謝ろうとしたのだが、用事があったから帰っただけだから大丈夫だと言われ、それっきりその話しはしなくなった。つまり、いつも通りの日常である。
「ヒマだなぁ。」
僕は、ベッドに横たわり、自室の天井を見上げてヒマを噛み締めていた。先、先、先、先週ぐらいだったかないやもっと前だった気がする。とにかく、あの濃密な一日を忘れられず、そのせいで今までヒマだった時間が更にヒマになって、ヒマでヒマでヒマでしょうがなかった。
「ダメな奴になる気がする!」
このままじゃ休みを有意義に使うこともできず、ただ時間が過ぎるだけな気がして、僕はベッドから飛び起きた。服を着替え、靴を履き、外へでる。ここまではよかったものの、どこに行くか決めていなかった。とりあえずコンビニにでも行くかと、目的地を定め、歩きだした。その後、コンビニで買い物を済ませ、また家に帰ってもなあと、思案しているときだった。
「ん?あれって、」
僕の目線の先にいるのは、紛れもない真妹、寧音の姿だった。別にそれだけならたまたま見かけたというだけですむのだが、僕の目に写る彼女は、なにか悩んでいる風だった。
「…話しかけてみるか。」
悩んだ挙げ句の結論は、面白そうなのでちょっと介入してみようという、楽観的なものだった。だが僕は後に、この楽観的な決断をしたことに感謝することになるのだけど、今はまだ知らない。
「オーイ。」
僕の呼び掛けに反応し、寧音はゆっくりとこちらを振り向き、そして、
「あ、最低人間さん。こんにちは。」
そう、屈託の無い笑みで言ってのけた。
「いや、何だ最低人間って!?」
「人間性が最も低いという意味です。」
「そういう意味じゃねぇんだよ!?言っとくけど僕一応年上だからな?もうちょっと敬うというか、人間として接してほしいんだが、、、」
「分かりました。最低人間様。」
「伝わんねえな!」
ダメだこりゃ。誤解は解けたはずだったんだけどな。しかし、名前すら覚えられてないか。まぁ、兄の友人なんてどうでもいいかもしれないけど。
「ったく。名前ぐらい覚えてくれよ。百々目木 陽音。分かったか?」
「百々目木 陽音さんですね。分かりました最低人間さん。」
「分かったら使おうね!?」
理解しても行動に移さなければ、それは理解してないのと同義である。なんてことを言うが、こいつの場合分かってもなお、言いたくないという思いが伝わってくる。
「それで?ここで何してたんだ?」
「何ですか急に。別に私が何してようとカンケー無いのでは?」
「そうも行かねえよ。そんなあからさまに悩んでますって顔してたらな。」
「…そう見えましたか。ダメですね、私。他人に心配かけるなんて。」
急に威勢がなくなったな。まぁ、それだけ悩んでるってことなんだろう。
「何で悩んでんのか知らないけど、僕が乗れる相談なら乗るぞ。」
僕がそういうと、寧音は悩んだような顔をしてから、口を開いた。
「そうですね。お兄ちゃんのことですし、百々目木さんに相談するのも良いかもしれません。」
そういうと寧音は、ついてきて下さいといって、歩きだした。
「お兄ちゃんのことって、真に何かあったのか?」
「分からないんです。お兄ちゃん最近何か悩んでるみたいなんですけど、何なのか私には分からなくて、」
またいつものシスコンじゃなかろうか。何かそんな気がしてきた。一回騙されてるからなぁ。また同じ感じの話な気がする。
「また、いつものシスコンじゃないのか?」
「確かにお兄ちゃんは心配性ですが、あそこまで思い詰めた顔をしたことはありませんでした。いや、まえに一度あったかな。」
思い詰めた顔か。寧音の身に何かあったら平気でしそうだけどな。今一、事の緊迫感が伝わらず、僕は気にせれていなかった。それからまたしばらく歩いて、一軒の家の前で寧音は足を止めた。
「ここが私の家です。お兄ちゃんは最近部屋に閉じ籠ってから、二時頃になると出掛けるんです。だから、とりあえず陽音さんには上がってもらおうと思って。」
僕は頷き、寧音に案内されながら神家に初入場したのだった。
「お母さんには、お友達と勉強するって伝えました。とりあえず二時まで待ちましょう。」
寧音は、僕を自分の部屋に通してから、そう言った。寧音の部屋はいわゆる女子部屋であり、きちんと整頓され、ぬいぐるみやポスター何かが置かれてある部屋だった。今さらだが、真が寧音のことを可愛いというのも無理はないと思う。寧音は真っ白とまではいかないけれど綺麗な肌を持ち、顔はちょっと幼く見えるが、いわゆる可愛い顔である。ファッションセンスも高いのか、高貴な印象を服装から受け、お嬢様感があった。
「陽音さんは、お兄ちゃんのことどのくらい知ってますか?」
部屋を見渡していた僕に寧音は話しかけてきた。
「どのくらいって、学校の時の真しか知らないからな。シスコンって言うのと、治りかけ関西弁って言うのと、中学までは関西にいたっていうのしか知らないな。」
しかしこう考えると僕は真のことほとんど知らないんだな。いや、真だけじゃない。関わってきたほとんどの人のことをあまり知らないんだ。そう考えると、少し寂しい気がした。
「そうですか。じゃあ、高校からこっちに来た理由も知らないんですね。」
高校からなんでこっちに来たのかの理由?父親の転勤とかじゃないのか?転校の理由なんて普通はそれくらいだろう。
「お父さんの転勤とかじゃないのか?」
僕の言葉を聞いて、寧音は、本当に知らないんですね。といって、黙ってしまった。
「オイオイ、違うんなら教えてくれよ。ここまで引っ張っといて教えてくれないなんて無いだよな?」
僕は流石に気になり、少し食いぎみに寧音に質問した。寧音はしばらく考えていたが、やがて口を開いた。
「逃げてきたんです。」
「逃げてきた?いったい何から?」
「学校からです。」
学校から、寧音はそう言った。校則が合わなかったのか、いや、それだけなら東京まで来る必要は無いか。それなら、
「オイ。まさかいじめられてたとでも言うつもりじゃないだろうな。」
いじめ。最も信じたくないが、最も可能性の高いもの。無理やり楽観的に捕らえるなら、逃げることができた。ってとこだが、あまりにも酷いぞ。
「そうではありませんが、それに近いです。いじめられていたのは、お兄ちゃんではなくその友達、それも親友でした。」
そうして、寧音は真の身に起こった悲劇を語りだした。
「お兄ちゃんと私がいっていた学校は、小中一貫で、だから私もその話を知ってるんです。もちろん噂なので、実際にどうかは分かりませんが、事の発端はお兄ちゃんが中学二年生の10月ごろでした。それまではお兄ちゃんの親友、A君としますね。A君は、一学年7クラスという大きな学校のなかでも、学年中にその名前が響き渡る、言わば人気者だったんです。しかし、A君は人気者ゆえに、少し調子に乗っていたんです。面白いと思ったらすぐ行動する感じですね。それで、皆を楽しませようと思って、、、」
寧音はそこで、一呼吸置いてから、
「万引きを、したんです。近所の、スーパーで。
勿論それをクラスメイト達は、動画にとっていました。そして、誰かがクラスラインで呟いたんです。「晒してみね?」と。しかし、ほとんどの人は相手にせず、直ぐに別の言葉で書き消されていきました。でも、その呟きをした人か、誰かは分かりませんが、好奇心に火のついた誰かが、拡散しました。そしてその話は、あっという間に広がり、警察にもバレ、A君の家はめちゃくちゃになりました。幸い学校の対処が早く、動画は削除され、直ぐに話題には上らなくなりましたが、近所の人や、周囲の目は冷たいものになり、冷やかされ、遠ざけられ、遂にはクラスメイト達も、いじめるようになっていったんです。それからいじめは、一年間続きました。受験生になってもです。
A君は受験どころじゃなくなり、学校にもこなくなりました。そして、」
寧音はまた、口をつぐんだ。でもさっきとは比べ物にならないほどの、恐ろしい事実を言い出せずにいることは、僕にも伝わった。
「……飛び降りたんです。三階から。わたしの、目の前で。」
「っ!無事だったのか!?」
「はい。何とか一命は取り留め、それと同時にいじめもなくなりました。でも、遅かった。A君は、全てを失った後だった。心も体も引き裂かれ、生きる希望を失ったんです。そして、それはお兄ちゃんも同じだった。遂に親友のことを見ていられなくなり、学校を休むようになったんです。お父さんとお母さんはそんなお兄ちゃんを見て、転校を決意しました。私も友達と分かれて、ここに来たんです。」
そこまで聞いて、僕は思い出した。いつも真が底抜けて明るかったこと。弥生と寧音を間違え、通行中の人々に見られたとき、放心状態になっていたことを。あれは全部、もう二度と、同じ物を見たくなかったから、もう二度と、同じような人がでてきて欲しくなかったからだったのだろう。僕らの間に気まずい沈黙が流れた。
「すいません。辛い話をしてしまって。」
その沈黙に耐えれなくなったのか、寧音が口を開いた。
「いや、良いんだ。知っておくべきことだったと思うから。それに、今真が悩んでる理由も分かるかもしれないだろ?」
僕は気にしてないと伝え、精一杯の励ましを送った。僕よりも、話してて辛いのは寧音だったろうから。そして、
「寧音~。入るわよ~。」
「お母さん!?ちょ、ちょっと待って!」
突然の母到来である。寧音は僕に勉強してる風にしましょう。と、伝え、勉強道具をもって僕の前に座った。
「入って良いよ!」
ドアを開けて入ってきた真母は僕の方をまじまじと、珍しいものでも見るように、じっとこちらを見た。
「あ、あの、」
「あ、あぁ、ごめんなさいね。いや、寧音の一つ上には見えなかったもんですから。ホント、真と同い年に見えちゃうわ。あ、真って言うのは寧音のお兄ちゃんのことでね、スッゴい優しい子なんですよ。」
捲し立てるお母さんを前に、寧音は呆れたような顔をして口を開いた。
「お母さん?」
「あ、ごめんね。お邪魔だったかしら。そ、それじゃあね~。」
パタン。あっという間に状況を察したのか、真母はお茶だけ置いて部屋をでていった。
「すいません。お母さんが、」
「別に良いんだけど、何か勘違いされてないか?僕のこと彼氏かなんかと思ってるぽかったが…」
「すいませんっ!迷惑ですよね、」
顔を赤らめ謝る寧音を見て、誰にでも羞恥心はあるんだなと、僕は思った。
「あの、勉強してるフリでもしませんか。お母さんまた見に来そうなので、、、」
「うん。そんな気がするな。まだ二時まで一時間もあるし、ちょっと教えてやるよ。」
こうして僕らは勉強会(仮)を始めたのだった。
そして、その結果、
「ぜんっぜん勉強できねえじゃねえか!」
「そ、そんなことはありません!私はやればできる子って呼ばれてるんですよ!」
「できねえやつへの慰めの言葉なんだよ!それ!やればできる子はできない子なの!」
「なっ!何をいうんですか!数学はこんなに、」
「だから、数学だけしかできねえのが問題なんだよ!」
その結果、寧音がとんでもなく勉強ができないやつだと発覚したのだが、これが本当に酷かった。
僕の足元には五教科の問題集が散らばってるが、殆ど答えられておらず、本当に受験生なのかと錯覚させられるほどであった。
「とりあえず、国語やるぞ!」
「ええ!望むところですよ!」
「問題一。俳句の形を答えよ。」
「えーっと、八、六、三ですね。」
「バカなのか!?早速過ぎるだろ!」
呆れた僕は、言うよりもやってみた方が早いだろうと、松尾芭蕉の俳句を寧音に付き出した。
「こんなの簡単ですよ。古池や蛙 飛び込む水 の音。」
「気持ち悪いと思わなかったのか!?なんだよ最後の、の音って!?」
「わ、私の感性では、」
「お前のは感性とは呼ばねえ!」
こんな風に国語は勿論酷く、
「じゃあ次理科!周期表だ。これぐらいは頼むぞ。」
僕は今度は理科を引っ張り出し、机の上に置いた。
「とりあえずこれ、水素の横のやつ。」
「Heですか?えっと、へ、ヘオン!」
「ピアノじゃねえか!」
正解はヘリウムである。基礎中の基礎ですら理解していない事に呆れを通り越して驚きである。
「はぁ、じゃあこれ、」
「Znですね!これは分かります!アヘン!」
自信満々にこっちを見つめてきてやがる。
「うん。惜しいな。亜鉛だ。」
アヘンだと麻薬になっちまうな。すげえよコイツ。笑いの才能あるぞ。
「社会やってみるか。」
どうせダメだろうけど。と、諦めムードでやってみた社会だったが、
「大正?」
「デモクラシー!ですよね!?」
あってる。え?嘘?あってる。
「あ、あってるぞ!すげえ、すげえよ!才能あるぞ!」
「これは覚えてたんですよ!大正デモクラシー、昭和ベビーブーム、明治ブルガリアヨーグルト。」
「最後のがなければ完璧だった!まぁいい。社会はできるみたいだな。」
「ふっふーん。もっと褒めてくれても良いんですよ。」
「じゃあ、もう1個、明治に起こった「山城屋事件」は、なんと呼ばれた?」
「簡単ですよぅ!明治最大のお食事券!」
「デートに誘う前のプレゼントか!!汚職事件だろ!?」
ホントに期待を返して欲しい。社会も結局ダメなんじゃねえか。あと、今の間違え分かりずらいな。言葉じゃ伝わらないじゃん。
「そんな、デートだなんて、、、もう、気が早いですよ。」
「なに勘違いしてんだ!?頼むから数学以外も出来ると証明してくれよ?最後英語だからな。」
最も、英語が一番心配なのだが、最後の、頼みの綱である。頼むから英語は生き残ってくれよ。
僕はそんな風に祈りながら問題を出した。
「超簡単なやつからいくぞ。あの女の人は誰ですか?英文に直せ。」
「アーユーレディ!?」
全機撃墜。無事不着陸どころか、地面と正面衝突である。でもめっちゃ自慢げだし何かもうどうでもいいや。寧音が良いなら良いんだろう。
「と、それよりもそろそろじゃないのか?」
僕は時計を指差してそう言った。時間は一時五十分。そろそろ二時である。
「あ!ホントだ。そろそろですね。いやぁ陽音さんと勉強してると楽しくって、楽しくって。また一緒に勉強してください!」
「断る。」
「な、何でですかぁ!こんな美少女と勉強できるんですよ!?」
なんか言ってきてる気がするが、もうどうでもいい。
ミシッ、ミシッ
そんな風に、考えを放棄しているとき床が鳴る音がした。
「おい、今のって、」
寧音も流石に気づいたのか、こちらを見て首を縦に振った。
「お兄ちゃん、また出掛ける気です。ついていきますよ!」
こうして、僕は寧音と共に真の追跡を始めた。真は家をでて、一心不乱に歩き続ける。角を曲がって信号を渡って、歩いて、歩いて、
「待ってください。お兄ちゃんが止まりました。」
寧音に言われて僕もしゃがみ、真の様子を観察する。真は一軒に家の前で足を止めていた。そして、
「ん?隠れたぞ。」
真は急に身を隠し、家の前を見張っている。すると、家の中から人がでてきた。背丈から見て年は同じくらいだろうか。ここからでは顔は見えないが、真が追っていた人物なのだろう。
「は、陽音さん!お兄ちゃんがでてきた人を追い駆け出しました!」
寧音に言われて考えるのを一旦やめ、真が言ったのを確認してから、僕らも家の前にたった。
「林さんって人の家らしいが、どうしてこんなとこに来たんだ?」
「林さんですって!」
その名前を聞いた瞬間、寧音が過剰に反応を示した。
「知ってるのか!?」
「いや、思い出せそうな気がするんですけど、」
「紛らわしいな!分かってから言ってくれよ。しかし、林だ?僕も聞いたことある気がするな。」
林、林、どこで聞いたんだっけ。確か、あれは、
「学校だ。」
「学校です。」
僕と寧音は同時に口を開いた。
「ちょっと待て、僕から話すぞ。林って言う名前の、同い年の転校生が去年来たんだが、今年初めておんなじクラスになったって話だが、寧音の話の方が重要そうだな。」
僕は情報を整理しようと口を開き、僕の思い出した情報を伝えた。すると、寧音の顔が急に強張った。
「おい、どうした?」
「わ、私の知ってる話は、あの、これって、」
明らかに動揺してる寧音は、言葉も六に発せず、呼吸が荒くなっていく。
「落ち着け。大丈夫だ。」
僕は寧音の肩に手を置いて落ち着かせようとした。しかし、寧音は落ち着かないどころかどんどん呼吸が荒くなっていく。
「はぁ、そんな、お兄ちゃんが、はぁ、やだ、やだ、やだよ。そんなの、」
呼吸は更に荒く、肩に手を置いてるだけでも、その震えが伝わってくる。僕は最後の手段だと、寧音をおもいっきり、
「あ、」
抱きしめた。市街地でやることじゃないが、状況が状況であり、そうもいかない。
「落ち着け。僕を信じて、話してみろ。」
最終手段だけあって、効果は高い。人はパニックに陥っているとき、他の人の体温を感じるとある程度は落ち着ける。そんな話を聞いたゆえの行動だったが、思いの外うまく行ったようである。
「あの、林さんは。林さんは、林さんは、」
「ゆっくりでいい。落ち着いて、話すんだ。」
寧音の背中を叩きながら僕は静かにそう言った。
「林さんはっ、A君を「晒そう」って言った人ですっ、」
「っ!おい、ホントか!それ!?」
僕は思わず抱きしめていた手を離し、肩に手を置いて問い詰めてしまった。その結果、
「お、お兄ちゃんっ、人殺してしまうかもしれないっ、うっ、どうすればいいんですかっ、助けて、ください。おねがいします、おねがいしますからぁ、うっ、うっ、うわぁぁぁぁぁん!」
話せたことの安堵か、これから起こることへの恐怖か、いや、この状況の全てが、寧音を追い詰めた。それは、真も例外でなく。
「クソッ!寧音、いいか、お前はここにいるか、家に帰ってろ!後は僕が何とかする!」
僕は寧音にそう言って、走り出した。携帯を取りだし、真へ電話をかける。しかし、
「電話が、マナーモードか留守電になっています。ピーというはっ、」
プツッ。僕は当たり前のように繋がらない電話を途中できった。
「チクショウ!やっぱり切ってやがるか!これじゃどこに行ったかもわから無いじゃ、」
僕の目線の先、そこに見える人影は、
「ありゃ、林か!?」
林と思われる人影は、辺りを見渡しながら廃屋に入っていく。誰かに、呼ばれたように。しかし、林は反対車線であり、信号は絶賛赤の真っ最中である。
「ああもう!行くしかないじゃねえか!」
僕は決心し、車を避けながら道路をわたる。クラクションや罵声が聞こえたが、今は人命と、あのバカを止めることが先決である。そして、僕も林の入った廃屋の扉を開け、なかに入ると、
「は、陽音くん!?」
ナイフを持った真。腰を抜かしている林。
「真!早まんじゃねえ!」
僕は真から刃物を取りあげるべく真に向かってダッシュ。真はなぜ僕がここにいるのか分からず、固まっている。そして、
「あ?」
「う、うわあぁぁぁぁ!」
叫び声をあげたのは、林だった。無理もないだろう。だって僕の腹には、金属光沢で輝く、ナイフが刺さっていたのだから。しかし、驚くべき事はそこじゃない。
「い、痛くねえ!?それに、さ、刺さってないぞ、コレ。」
「陽音くん。何で邪魔したんや。アイツがビビっとったのに。」
真は僕の腹からナイフを抜いた。というよりかは引いた。すると、
「刃の部分がないように見えるんだが?あのー、コレは一体?」
呆れた顔で真はナイフの柄の部分を押した。すると、
「刃が、戻った!?」
「オモチャに決まっとろうが!刺したら引っ込むやつや!それにしても何でこんなことしてくれたんや!全部台無しやんけ!」
「す、すまん。」
「すまんや無いねん!僕には恐怖を植え付ける資格すらないっちゅうんか!?」
見れば、真の目には涙が浮かんでいた。
「真、殺す気じゃなかったのか?」
「殺す気やったわ!!でもなぁ、コイツが何で転校してきたか知ってるか?いじめられとったんや。高校で!自業自得やと思うやろ?でもな、僕がコイツ殺しても同じことやねん。僕がコイツ殺したら、寧音は、うちの家族はどうなると思う?
おんなじやねん!結局いじめられるやつが増えるだけやねん。耐えるしかっ!なかってん!」
涙を流しながらそう捲し立てる真は、どこか悟っている様子だった。確かにその通りだろう。復讐は憎しみを生むだけである。人を殺せば、大義があろうがなかろうが、殺した人の周囲の人間から恨まれる。それは、理不尽な恨みかもしれないし、正当な恨みかもしれない。でも、どちらにせよ、人を殺すということは、返り血を浴びるということなのだろう。決して消えない、返り血を。でも、だからって、
「だからって、お前が涙流して、耐えて、はい終わりって訳には行かねえだろうが!お前には、一発ぐらいコイツを殴っていい権利があるだろ!」
「そうやけど!そうはいかんねん、、、」
僕と真が、お互い煮えきらない感情でいるときだった。今まで黙っていた林が口を開いた。
「ハッ、ハハッお前らホントバカだよ!全部録音しといてやったわ!」
「っ!ああ?なんやと!?」
「聞こえなかったのか?バカだって言ったんだよ!お前らも、健太のやろうもなぁ!」
「け、健太がバカやと!」
「ハッ!知らなかったんだろうけどな、俺が健太に万引きを進めて、拡散したんだよ!そんでもってこの動画だろ?お前らも一緒!おんなじだよ!」
勝ち誇ったかのように、ペラペラと喋り出す林。殴りかかろうとする真を止めて、僕も口を開いた。
「おい、林。お前みたいなクズがこうやってペラペラとしゃべった後に来る時間ってなにか知ってるか?」
「は?なんだよ?お前らのこと拡散する時間ぐらいしかこねえぞ?ちゃーんと都合の悪いところは切り取ってやるからよ。安心しな。」
「仕方ねえな。教えてやるよ。お前みたいなクズがペラペラと喋った後に来る時間は!主人公の反撃タイムだ!」
僕はスマホをかざし、動画の再生ボタンを押した。
「『俺が健太に万引きを進めて拡散したんだよ!』」
「は?おい、なにとってんだよ、ちょっ、消せ!消さねえと拡散するぞ!」
「バカかお前。俺のとお前のどっちも拡散されたら、結末なんて言わねえでも分かるだろ。ま、僕は優しいからな?学年に公開ぐらいで許してやろうか?」
「おい、や、やめろよ?さっき言ってたろ?いじめられるやつが増えるだけだって?な、落ち着けよ?」
「どうする?僕はコイツならいじめられて問題ないと思うが?」
「そうやなぁ、とりあえず、いつ晒されるか分からん恐怖に怯えとけや。帰れ!」
「ひっ!」
「帰れっちゅうとるんや!」
「わ、悪かったから、や、やめろよ!?」
それだけ言って、林は姿を消した。
「それで、どうするこの動画?」
「脅すだけにしとくわ。SNSの何が怖いって、人の命が軽すぎることやからな。」
僕らはそこで解散した。後日、神家に行ったとき、寧音が僕の顔を見て恥ずかしがり、それを見た真から問い詰められたのだが、それはまた、別の話。
「ヒマだなぁ。」
僕は、ベッドに横たわり、自室の天井を見上げてヒマを噛み締めていた。先、先、先、先週ぐらいだったかないやもっと前だった気がする。とにかく、あの濃密な一日を忘れられず、そのせいで今までヒマだった時間が更にヒマになって、ヒマでヒマでヒマでしょうがなかった。
「ダメな奴になる気がする!」
このままじゃ休みを有意義に使うこともできず、ただ時間が過ぎるだけな気がして、僕はベッドから飛び起きた。服を着替え、靴を履き、外へでる。ここまではよかったものの、どこに行くか決めていなかった。とりあえずコンビニにでも行くかと、目的地を定め、歩きだした。その後、コンビニで買い物を済ませ、また家に帰ってもなあと、思案しているときだった。
「ん?あれって、」
僕の目線の先にいるのは、紛れもない真妹、寧音の姿だった。別にそれだけならたまたま見かけたというだけですむのだが、僕の目に写る彼女は、なにか悩んでいる風だった。
「…話しかけてみるか。」
悩んだ挙げ句の結論は、面白そうなのでちょっと介入してみようという、楽観的なものだった。だが僕は後に、この楽観的な決断をしたことに感謝することになるのだけど、今はまだ知らない。
「オーイ。」
僕の呼び掛けに反応し、寧音はゆっくりとこちらを振り向き、そして、
「あ、最低人間さん。こんにちは。」
そう、屈託の無い笑みで言ってのけた。
「いや、何だ最低人間って!?」
「人間性が最も低いという意味です。」
「そういう意味じゃねぇんだよ!?言っとくけど僕一応年上だからな?もうちょっと敬うというか、人間として接してほしいんだが、、、」
「分かりました。最低人間様。」
「伝わんねえな!」
ダメだこりゃ。誤解は解けたはずだったんだけどな。しかし、名前すら覚えられてないか。まぁ、兄の友人なんてどうでもいいかもしれないけど。
「ったく。名前ぐらい覚えてくれよ。百々目木 陽音。分かったか?」
「百々目木 陽音さんですね。分かりました最低人間さん。」
「分かったら使おうね!?」
理解しても行動に移さなければ、それは理解してないのと同義である。なんてことを言うが、こいつの場合分かってもなお、言いたくないという思いが伝わってくる。
「それで?ここで何してたんだ?」
「何ですか急に。別に私が何してようとカンケー無いのでは?」
「そうも行かねえよ。そんなあからさまに悩んでますって顔してたらな。」
「…そう見えましたか。ダメですね、私。他人に心配かけるなんて。」
急に威勢がなくなったな。まぁ、それだけ悩んでるってことなんだろう。
「何で悩んでんのか知らないけど、僕が乗れる相談なら乗るぞ。」
僕がそういうと、寧音は悩んだような顔をしてから、口を開いた。
「そうですね。お兄ちゃんのことですし、百々目木さんに相談するのも良いかもしれません。」
そういうと寧音は、ついてきて下さいといって、歩きだした。
「お兄ちゃんのことって、真に何かあったのか?」
「分からないんです。お兄ちゃん最近何か悩んでるみたいなんですけど、何なのか私には分からなくて、」
またいつものシスコンじゃなかろうか。何かそんな気がしてきた。一回騙されてるからなぁ。また同じ感じの話な気がする。
「また、いつものシスコンじゃないのか?」
「確かにお兄ちゃんは心配性ですが、あそこまで思い詰めた顔をしたことはありませんでした。いや、まえに一度あったかな。」
思い詰めた顔か。寧音の身に何かあったら平気でしそうだけどな。今一、事の緊迫感が伝わらず、僕は気にせれていなかった。それからまたしばらく歩いて、一軒の家の前で寧音は足を止めた。
「ここが私の家です。お兄ちゃんは最近部屋に閉じ籠ってから、二時頃になると出掛けるんです。だから、とりあえず陽音さんには上がってもらおうと思って。」
僕は頷き、寧音に案内されながら神家に初入場したのだった。
「お母さんには、お友達と勉強するって伝えました。とりあえず二時まで待ちましょう。」
寧音は、僕を自分の部屋に通してから、そう言った。寧音の部屋はいわゆる女子部屋であり、きちんと整頓され、ぬいぐるみやポスター何かが置かれてある部屋だった。今さらだが、真が寧音のことを可愛いというのも無理はないと思う。寧音は真っ白とまではいかないけれど綺麗な肌を持ち、顔はちょっと幼く見えるが、いわゆる可愛い顔である。ファッションセンスも高いのか、高貴な印象を服装から受け、お嬢様感があった。
「陽音さんは、お兄ちゃんのことどのくらい知ってますか?」
部屋を見渡していた僕に寧音は話しかけてきた。
「どのくらいって、学校の時の真しか知らないからな。シスコンって言うのと、治りかけ関西弁って言うのと、中学までは関西にいたっていうのしか知らないな。」
しかしこう考えると僕は真のことほとんど知らないんだな。いや、真だけじゃない。関わってきたほとんどの人のことをあまり知らないんだ。そう考えると、少し寂しい気がした。
「そうですか。じゃあ、高校からこっちに来た理由も知らないんですね。」
高校からなんでこっちに来たのかの理由?父親の転勤とかじゃないのか?転校の理由なんて普通はそれくらいだろう。
「お父さんの転勤とかじゃないのか?」
僕の言葉を聞いて、寧音は、本当に知らないんですね。といって、黙ってしまった。
「オイオイ、違うんなら教えてくれよ。ここまで引っ張っといて教えてくれないなんて無いだよな?」
僕は流石に気になり、少し食いぎみに寧音に質問した。寧音はしばらく考えていたが、やがて口を開いた。
「逃げてきたんです。」
「逃げてきた?いったい何から?」
「学校からです。」
学校から、寧音はそう言った。校則が合わなかったのか、いや、それだけなら東京まで来る必要は無いか。それなら、
「オイ。まさかいじめられてたとでも言うつもりじゃないだろうな。」
いじめ。最も信じたくないが、最も可能性の高いもの。無理やり楽観的に捕らえるなら、逃げることができた。ってとこだが、あまりにも酷いぞ。
「そうではありませんが、それに近いです。いじめられていたのは、お兄ちゃんではなくその友達、それも親友でした。」
そうして、寧音は真の身に起こった悲劇を語りだした。
「お兄ちゃんと私がいっていた学校は、小中一貫で、だから私もその話を知ってるんです。もちろん噂なので、実際にどうかは分かりませんが、事の発端はお兄ちゃんが中学二年生の10月ごろでした。それまではお兄ちゃんの親友、A君としますね。A君は、一学年7クラスという大きな学校のなかでも、学年中にその名前が響き渡る、言わば人気者だったんです。しかし、A君は人気者ゆえに、少し調子に乗っていたんです。面白いと思ったらすぐ行動する感じですね。それで、皆を楽しませようと思って、、、」
寧音はそこで、一呼吸置いてから、
「万引きを、したんです。近所の、スーパーで。
勿論それをクラスメイト達は、動画にとっていました。そして、誰かがクラスラインで呟いたんです。「晒してみね?」と。しかし、ほとんどの人は相手にせず、直ぐに別の言葉で書き消されていきました。でも、その呟きをした人か、誰かは分かりませんが、好奇心に火のついた誰かが、拡散しました。そしてその話は、あっという間に広がり、警察にもバレ、A君の家はめちゃくちゃになりました。幸い学校の対処が早く、動画は削除され、直ぐに話題には上らなくなりましたが、近所の人や、周囲の目は冷たいものになり、冷やかされ、遠ざけられ、遂にはクラスメイト達も、いじめるようになっていったんです。それからいじめは、一年間続きました。受験生になってもです。
A君は受験どころじゃなくなり、学校にもこなくなりました。そして、」
寧音はまた、口をつぐんだ。でもさっきとは比べ物にならないほどの、恐ろしい事実を言い出せずにいることは、僕にも伝わった。
「……飛び降りたんです。三階から。わたしの、目の前で。」
「っ!無事だったのか!?」
「はい。何とか一命は取り留め、それと同時にいじめもなくなりました。でも、遅かった。A君は、全てを失った後だった。心も体も引き裂かれ、生きる希望を失ったんです。そして、それはお兄ちゃんも同じだった。遂に親友のことを見ていられなくなり、学校を休むようになったんです。お父さんとお母さんはそんなお兄ちゃんを見て、転校を決意しました。私も友達と分かれて、ここに来たんです。」
そこまで聞いて、僕は思い出した。いつも真が底抜けて明るかったこと。弥生と寧音を間違え、通行中の人々に見られたとき、放心状態になっていたことを。あれは全部、もう二度と、同じ物を見たくなかったから、もう二度と、同じような人がでてきて欲しくなかったからだったのだろう。僕らの間に気まずい沈黙が流れた。
「すいません。辛い話をしてしまって。」
その沈黙に耐えれなくなったのか、寧音が口を開いた。
「いや、良いんだ。知っておくべきことだったと思うから。それに、今真が悩んでる理由も分かるかもしれないだろ?」
僕は気にしてないと伝え、精一杯の励ましを送った。僕よりも、話してて辛いのは寧音だったろうから。そして、
「寧音~。入るわよ~。」
「お母さん!?ちょ、ちょっと待って!」
突然の母到来である。寧音は僕に勉強してる風にしましょう。と、伝え、勉強道具をもって僕の前に座った。
「入って良いよ!」
ドアを開けて入ってきた真母は僕の方をまじまじと、珍しいものでも見るように、じっとこちらを見た。
「あ、あの、」
「あ、あぁ、ごめんなさいね。いや、寧音の一つ上には見えなかったもんですから。ホント、真と同い年に見えちゃうわ。あ、真って言うのは寧音のお兄ちゃんのことでね、スッゴい優しい子なんですよ。」
捲し立てるお母さんを前に、寧音は呆れたような顔をして口を開いた。
「お母さん?」
「あ、ごめんね。お邪魔だったかしら。そ、それじゃあね~。」
パタン。あっという間に状況を察したのか、真母はお茶だけ置いて部屋をでていった。
「すいません。お母さんが、」
「別に良いんだけど、何か勘違いされてないか?僕のこと彼氏かなんかと思ってるぽかったが…」
「すいませんっ!迷惑ですよね、」
顔を赤らめ謝る寧音を見て、誰にでも羞恥心はあるんだなと、僕は思った。
「あの、勉強してるフリでもしませんか。お母さんまた見に来そうなので、、、」
「うん。そんな気がするな。まだ二時まで一時間もあるし、ちょっと教えてやるよ。」
こうして僕らは勉強会(仮)を始めたのだった。
そして、その結果、
「ぜんっぜん勉強できねえじゃねえか!」
「そ、そんなことはありません!私はやればできる子って呼ばれてるんですよ!」
「できねえやつへの慰めの言葉なんだよ!それ!やればできる子はできない子なの!」
「なっ!何をいうんですか!数学はこんなに、」
「だから、数学だけしかできねえのが問題なんだよ!」
その結果、寧音がとんでもなく勉強ができないやつだと発覚したのだが、これが本当に酷かった。
僕の足元には五教科の問題集が散らばってるが、殆ど答えられておらず、本当に受験生なのかと錯覚させられるほどであった。
「とりあえず、国語やるぞ!」
「ええ!望むところですよ!」
「問題一。俳句の形を答えよ。」
「えーっと、八、六、三ですね。」
「バカなのか!?早速過ぎるだろ!」
呆れた僕は、言うよりもやってみた方が早いだろうと、松尾芭蕉の俳句を寧音に付き出した。
「こんなの簡単ですよ。古池や蛙 飛び込む水 の音。」
「気持ち悪いと思わなかったのか!?なんだよ最後の、の音って!?」
「わ、私の感性では、」
「お前のは感性とは呼ばねえ!」
こんな風に国語は勿論酷く、
「じゃあ次理科!周期表だ。これぐらいは頼むぞ。」
僕は今度は理科を引っ張り出し、机の上に置いた。
「とりあえずこれ、水素の横のやつ。」
「Heですか?えっと、へ、ヘオン!」
「ピアノじゃねえか!」
正解はヘリウムである。基礎中の基礎ですら理解していない事に呆れを通り越して驚きである。
「はぁ、じゃあこれ、」
「Znですね!これは分かります!アヘン!」
自信満々にこっちを見つめてきてやがる。
「うん。惜しいな。亜鉛だ。」
アヘンだと麻薬になっちまうな。すげえよコイツ。笑いの才能あるぞ。
「社会やってみるか。」
どうせダメだろうけど。と、諦めムードでやってみた社会だったが、
「大正?」
「デモクラシー!ですよね!?」
あってる。え?嘘?あってる。
「あ、あってるぞ!すげえ、すげえよ!才能あるぞ!」
「これは覚えてたんですよ!大正デモクラシー、昭和ベビーブーム、明治ブルガリアヨーグルト。」
「最後のがなければ完璧だった!まぁいい。社会はできるみたいだな。」
「ふっふーん。もっと褒めてくれても良いんですよ。」
「じゃあ、もう1個、明治に起こった「山城屋事件」は、なんと呼ばれた?」
「簡単ですよぅ!明治最大のお食事券!」
「デートに誘う前のプレゼントか!!汚職事件だろ!?」
ホントに期待を返して欲しい。社会も結局ダメなんじゃねえか。あと、今の間違え分かりずらいな。言葉じゃ伝わらないじゃん。
「そんな、デートだなんて、、、もう、気が早いですよ。」
「なに勘違いしてんだ!?頼むから数学以外も出来ると証明してくれよ?最後英語だからな。」
最も、英語が一番心配なのだが、最後の、頼みの綱である。頼むから英語は生き残ってくれよ。
僕はそんな風に祈りながら問題を出した。
「超簡単なやつからいくぞ。あの女の人は誰ですか?英文に直せ。」
「アーユーレディ!?」
全機撃墜。無事不着陸どころか、地面と正面衝突である。でもめっちゃ自慢げだし何かもうどうでもいいや。寧音が良いなら良いんだろう。
「と、それよりもそろそろじゃないのか?」
僕は時計を指差してそう言った。時間は一時五十分。そろそろ二時である。
「あ!ホントだ。そろそろですね。いやぁ陽音さんと勉強してると楽しくって、楽しくって。また一緒に勉強してください!」
「断る。」
「な、何でですかぁ!こんな美少女と勉強できるんですよ!?」
なんか言ってきてる気がするが、もうどうでもいい。
ミシッ、ミシッ
そんな風に、考えを放棄しているとき床が鳴る音がした。
「おい、今のって、」
寧音も流石に気づいたのか、こちらを見て首を縦に振った。
「お兄ちゃん、また出掛ける気です。ついていきますよ!」
こうして、僕は寧音と共に真の追跡を始めた。真は家をでて、一心不乱に歩き続ける。角を曲がって信号を渡って、歩いて、歩いて、
「待ってください。お兄ちゃんが止まりました。」
寧音に言われて僕もしゃがみ、真の様子を観察する。真は一軒に家の前で足を止めていた。そして、
「ん?隠れたぞ。」
真は急に身を隠し、家の前を見張っている。すると、家の中から人がでてきた。背丈から見て年は同じくらいだろうか。ここからでは顔は見えないが、真が追っていた人物なのだろう。
「は、陽音さん!お兄ちゃんがでてきた人を追い駆け出しました!」
寧音に言われて考えるのを一旦やめ、真が言ったのを確認してから、僕らも家の前にたった。
「林さんって人の家らしいが、どうしてこんなとこに来たんだ?」
「林さんですって!」
その名前を聞いた瞬間、寧音が過剰に反応を示した。
「知ってるのか!?」
「いや、思い出せそうな気がするんですけど、」
「紛らわしいな!分かってから言ってくれよ。しかし、林だ?僕も聞いたことある気がするな。」
林、林、どこで聞いたんだっけ。確か、あれは、
「学校だ。」
「学校です。」
僕と寧音は同時に口を開いた。
「ちょっと待て、僕から話すぞ。林って言う名前の、同い年の転校生が去年来たんだが、今年初めておんなじクラスになったって話だが、寧音の話の方が重要そうだな。」
僕は情報を整理しようと口を開き、僕の思い出した情報を伝えた。すると、寧音の顔が急に強張った。
「おい、どうした?」
「わ、私の知ってる話は、あの、これって、」
明らかに動揺してる寧音は、言葉も六に発せず、呼吸が荒くなっていく。
「落ち着け。大丈夫だ。」
僕は寧音の肩に手を置いて落ち着かせようとした。しかし、寧音は落ち着かないどころかどんどん呼吸が荒くなっていく。
「はぁ、そんな、お兄ちゃんが、はぁ、やだ、やだ、やだよ。そんなの、」
呼吸は更に荒く、肩に手を置いてるだけでも、その震えが伝わってくる。僕は最後の手段だと、寧音をおもいっきり、
「あ、」
抱きしめた。市街地でやることじゃないが、状況が状況であり、そうもいかない。
「落ち着け。僕を信じて、話してみろ。」
最終手段だけあって、効果は高い。人はパニックに陥っているとき、他の人の体温を感じるとある程度は落ち着ける。そんな話を聞いたゆえの行動だったが、思いの外うまく行ったようである。
「あの、林さんは。林さんは、林さんは、」
「ゆっくりでいい。落ち着いて、話すんだ。」
寧音の背中を叩きながら僕は静かにそう言った。
「林さんはっ、A君を「晒そう」って言った人ですっ、」
「っ!おい、ホントか!それ!?」
僕は思わず抱きしめていた手を離し、肩に手を置いて問い詰めてしまった。その結果、
「お、お兄ちゃんっ、人殺してしまうかもしれないっ、うっ、どうすればいいんですかっ、助けて、ください。おねがいします、おねがいしますからぁ、うっ、うっ、うわぁぁぁぁぁん!」
話せたことの安堵か、これから起こることへの恐怖か、いや、この状況の全てが、寧音を追い詰めた。それは、真も例外でなく。
「クソッ!寧音、いいか、お前はここにいるか、家に帰ってろ!後は僕が何とかする!」
僕は寧音にそう言って、走り出した。携帯を取りだし、真へ電話をかける。しかし、
「電話が、マナーモードか留守電になっています。ピーというはっ、」
プツッ。僕は当たり前のように繋がらない電話を途中できった。
「チクショウ!やっぱり切ってやがるか!これじゃどこに行ったかもわから無いじゃ、」
僕の目線の先、そこに見える人影は、
「ありゃ、林か!?」
林と思われる人影は、辺りを見渡しながら廃屋に入っていく。誰かに、呼ばれたように。しかし、林は反対車線であり、信号は絶賛赤の真っ最中である。
「ああもう!行くしかないじゃねえか!」
僕は決心し、車を避けながら道路をわたる。クラクションや罵声が聞こえたが、今は人命と、あのバカを止めることが先決である。そして、僕も林の入った廃屋の扉を開け、なかに入ると、
「は、陽音くん!?」
ナイフを持った真。腰を抜かしている林。
「真!早まんじゃねえ!」
僕は真から刃物を取りあげるべく真に向かってダッシュ。真はなぜ僕がここにいるのか分からず、固まっている。そして、
「あ?」
「う、うわあぁぁぁぁ!」
叫び声をあげたのは、林だった。無理もないだろう。だって僕の腹には、金属光沢で輝く、ナイフが刺さっていたのだから。しかし、驚くべき事はそこじゃない。
「い、痛くねえ!?それに、さ、刺さってないぞ、コレ。」
「陽音くん。何で邪魔したんや。アイツがビビっとったのに。」
真は僕の腹からナイフを抜いた。というよりかは引いた。すると、
「刃の部分がないように見えるんだが?あのー、コレは一体?」
呆れた顔で真はナイフの柄の部分を押した。すると、
「刃が、戻った!?」
「オモチャに決まっとろうが!刺したら引っ込むやつや!それにしても何でこんなことしてくれたんや!全部台無しやんけ!」
「す、すまん。」
「すまんや無いねん!僕には恐怖を植え付ける資格すらないっちゅうんか!?」
見れば、真の目には涙が浮かんでいた。
「真、殺す気じゃなかったのか?」
「殺す気やったわ!!でもなぁ、コイツが何で転校してきたか知ってるか?いじめられとったんや。高校で!自業自得やと思うやろ?でもな、僕がコイツ殺しても同じことやねん。僕がコイツ殺したら、寧音は、うちの家族はどうなると思う?
おんなじやねん!結局いじめられるやつが増えるだけやねん。耐えるしかっ!なかってん!」
涙を流しながらそう捲し立てる真は、どこか悟っている様子だった。確かにその通りだろう。復讐は憎しみを生むだけである。人を殺せば、大義があろうがなかろうが、殺した人の周囲の人間から恨まれる。それは、理不尽な恨みかもしれないし、正当な恨みかもしれない。でも、どちらにせよ、人を殺すということは、返り血を浴びるということなのだろう。決して消えない、返り血を。でも、だからって、
「だからって、お前が涙流して、耐えて、はい終わりって訳には行かねえだろうが!お前には、一発ぐらいコイツを殴っていい権利があるだろ!」
「そうやけど!そうはいかんねん、、、」
僕と真が、お互い煮えきらない感情でいるときだった。今まで黙っていた林が口を開いた。
「ハッ、ハハッお前らホントバカだよ!全部録音しといてやったわ!」
「っ!ああ?なんやと!?」
「聞こえなかったのか?バカだって言ったんだよ!お前らも、健太のやろうもなぁ!」
「け、健太がバカやと!」
「ハッ!知らなかったんだろうけどな、俺が健太に万引きを進めて、拡散したんだよ!そんでもってこの動画だろ?お前らも一緒!おんなじだよ!」
勝ち誇ったかのように、ペラペラと喋り出す林。殴りかかろうとする真を止めて、僕も口を開いた。
「おい、林。お前みたいなクズがこうやってペラペラとしゃべった後に来る時間ってなにか知ってるか?」
「は?なんだよ?お前らのこと拡散する時間ぐらいしかこねえぞ?ちゃーんと都合の悪いところは切り取ってやるからよ。安心しな。」
「仕方ねえな。教えてやるよ。お前みたいなクズがペラペラと喋った後に来る時間は!主人公の反撃タイムだ!」
僕はスマホをかざし、動画の再生ボタンを押した。
「『俺が健太に万引きを進めて拡散したんだよ!』」
「は?おい、なにとってんだよ、ちょっ、消せ!消さねえと拡散するぞ!」
「バカかお前。俺のとお前のどっちも拡散されたら、結末なんて言わねえでも分かるだろ。ま、僕は優しいからな?学年に公開ぐらいで許してやろうか?」
「おい、や、やめろよ?さっき言ってたろ?いじめられるやつが増えるだけだって?な、落ち着けよ?」
「どうする?僕はコイツならいじめられて問題ないと思うが?」
「そうやなぁ、とりあえず、いつ晒されるか分からん恐怖に怯えとけや。帰れ!」
「ひっ!」
「帰れっちゅうとるんや!」
「わ、悪かったから、や、やめろよ!?」
それだけ言って、林は姿を消した。
「それで、どうするこの動画?」
「脅すだけにしとくわ。SNSの何が怖いって、人の命が軽すぎることやからな。」
僕らはそこで解散した。後日、神家に行ったとき、寧音が僕の顔を見て恥ずかしがり、それを見た真から問い詰められたのだが、それはまた、別の話。