「おまえ、なんでしゃべんねぇの?」
 新助は朝食を食べながら、恭一郎を見て言った。
「お、おい! やめろ……」
 源次郎は新助を小突いた。
「え……だって源さんも気になるだろう? なぁ、おまえしゃべれないのか?」
 新助はご飯の入ったお椀と箸を机に置き、恭一郎に近づき顔をのぞき込んだ。
 恭一郎は興味なさそうに、新助から視線をそらす。

 新助が意識を取り戻して七日が経ち、ときどき背中はヒリヒリと痛んだが、今では新助も恭一郎も普通に動けるようになっていた。
 ここに来てからずっと寝食を共にしていたが、新助は恭一郎が話しているところを一度も見たことがなかった。
「なぁ、源さん。こいつ火事で煙吸い過ぎて、頭おかしくなっちゃったんじゃねぇか?」
 新助の言葉に、源次郎は顔を青くする。
「お、おい! 何言ってんだ!? やめろ! き、恭一郎、気にしなくていいからな……」
「いや、気にした方がいいだろ? ずっとここで世話になってて礼のひとつも言ってないんだから。人としてダメだろ」
 源次郎はますます顔を青くする。
「いやいや、心の傷が深いんだ……。俺のことは気にすんな! もう頼むからやめてくれ、新助!」

 新助は源次郎の方を振り返って、不満そうに口を開く。
「心の傷が深かったら、礼も言わなくていいのか? そんなのダメだろ。親の育て方が悪かったのかって思っちまうよ」
 恭一郎の眉がピクリと動く。

「……なんだと……?」
 初めて聞く声に、新助は恭一郎を振り返った。
 恭一郎は怒りに満ちた眼差しで新助を見ていた。
「お、やっぱりしゃべれるんだな!」
「おまえ……今なんて言った……?」
「あん?」
 新助は首をかしげる。
「ああ、親の育て方が悪いのかって……」
 新助が言い終わらないうちに、恭一郎はこぶしを振り上げた。
「お、おい!!」
 源次郎が止める間もなく、恭一郎はこぶしを振り下ろした。
 新助がこぶしを受けてよろめく。
 恭一郎はそのまま新助に馬乗りになり、もう一度こぶしを振り上げた。
「おい!! やめろ!」
 源次郎は慌てて立ち上がり、恭一郎の腕を掴む。

「黙って聞いてれば、何も知らないくせに!!」
 恭一郎は腕に力を込めたが、源次郎に掴まれた腕はびくともしなかった。
 そのすきに、新助が恭一郎の頬をこぶしで殴り返す。

「おい!!」
 源次郎は新助に向けて怒鳴った。
 腕を掴まれたままよろける恭一郎を押しのけると、新助はゆっくりと起き上がった。
「知るわけねぇだろ!? おまえがひと言もしゃべってねぇんだから!!」
 恭一郎はしばらく黙った後、ゆっくりと口を開いた。
「……考えてたんだ……。これからどうすれば迷惑をかけないで生きていけるか……」
「礼ぐらい言ってから考えろ! おまえの考えてることなんて誰にもわかるわけねぇだろ!? おまえのことわかってくれる父ちゃんや母ちゃんはみんな死んじまったんだから! おまえがしゃべらないで誰がわかるってんだ!?」
「うるせぇな!! 礼はずっと言いたかったよ! ……けど、おまえがベラベラしゃべってたから、言うときがなかったんだ!! どうでもいいことずっとしゃべりやがって! ちょっとは静かにできないのか!?」
「はぁ!? しゃべれるときなんていくらでもあっただろうが! 人のせいにするんじゃねぇ!! だいたいなぁ……」

 恭一郎の胸ぐらを掴もうとしたとき、新助の頭に強い衝撃が走った。
「ッ……!??」
 新助は頭を抱えてうずくまった。
 ほぼ同時に恭一郎も頭を押さえてうずくまる。
「痛ぇ……」
 二人が悶絶する中、源次郎はこぶしを握ったまま二人を見下ろした。
「うるせぇよ。元気になってほしいとは思ってたが、ここまでうるさくなるとは……」
 源次郎はため息をついた。
「先が思いやられる……」

 恭一郎が頭を押さえながら、新助を睨む。
「おまえが、俺の親の悪口言うからだぞ……」
「はぁ!? 言ってねぇよ!」
「言っただろうが『親の育て方が悪い』って!」
「それは……」
 新助はバツの悪そうな顔で目を背けた。
「『親の育て方が悪い』って思われないように、俺たちがちゃんと生きていかなきゃいけないって意味で、悪口じゃねぇよ……」
 恭一郎は目を見開いた後、静かに息を吐いた。
「おまえ……言い方が下手過ぎるぞ……。馬鹿なのか……?」
「はぁ!? なんだと!?」

「おい。また殴られたいのか?」
 源次郎は二人を睨む。
「い、いや、そういうわけじゃあ……」
「も、もう大丈夫です……」
 二人が慌てて首を振る。

「二人とも、これから仲良くやれるよな」
 源次郎の顔は笑っているように見えたが、目は少しも笑っていなかった。
 二人は顔を見合わせる。
「も、もちろん!」
「は、はい!」
 二人は引きつった笑顔で源次郎に言った。

「よし! じゃあ、さっさと朝飯を食え! あ~あ、すっかり冷めちまった……」
 源次郎が頭を掻きながら座ると、二人もしぶしぶもとの場所に戻り、冷え切ったご飯を食べ始めた。

(本当に、いけ好かないやつ……)
 二人はお互いをチラチラ見ながら、同じことを思っていた。